授業技術のパラダイムが変わっていく?
昨日あった、授業と学び研究所のミーティングでネット授業のことが話題になりました。
知識を伝えるのであれば、質の高いビデオの方が普通の授業よりもよくわかることもあるのではないかということです。ビデオで見ることを前提として構成を工夫すれば、知識はかなり効率的に教えられはずです。実際にネット授業で学習している方は世界中にたくさんいらっしゃいます。では、今後すべての授業がネット授業に置き換わるかといえば、そんなことはないでしょう。理由の一つは、子どもたちの主体性の問題です。ネット授業を積極的に利用する人のかなりが、実際に学校で学びたくてもそれがかなわない人です。学校に行けなくても「学びたい」という意欲がある方にとってとても有効な手段です。しかし、学ぶ意欲がなければ、見なさいと言っても見ないでしょう。すべての子どもに学ばせるという公教育では、そこが一つの壁になります。逆に言えば、学ぶ意欲を持たせることができるのなら大きな武器になるはずです。もう一つは、これからの時代にとても重要な、人とかかわりながら学ぶことがネット授業では難しい面があることです。ネット上で議論したりすることはできますが、実際に顔を合わせて話し合うことが大切です。また、その話し合いを支援したり、評価したりする指導者も必要になります。 ネット授業だけで完結することを考えず、それを上手く学校の授業に組み込めば、より質の高い学びが可能になるようにも思えます。反転授業などはその一例に思えます。実際にはまだ見たことがないのですが(秋に視察に行く予定です)、授業者の役割は教えることそのものではなく、子ども同士をかかわらせながら、活用したり、より深く理解させたりすることが重要になります。私の経験上、これができる先生の多くは、教えることもとても上手いように思います。子どもに意欲を持たせることと合わせて、このようなビデオがなくてもよい授業ができる方たちです。あえて、反転授業に挑戦する理由が見えないような気もします。 では、ネット授業のようなビデオ授業は学校では普及しないのでしょうか?これについてはいくつかの条件があるでしょうが、質の高いビデオが今後増えてくれば、当然普及するはずです。そうなってくると、授業における教師の役割が変わってくるように思います。どのビデオを使うか、ビデオを見る以外にどのような活動をさせるのか、プロデューサー、コーディネーター的な力が今まで以上に求められるようになります。これまで私は、この力をつけることは難しいように思っていました。しかし、教える部分をビデオに任せることができるのなら、プロデュース、コーディネートに特化した力をつければいいのですから、そのハードルは低くなるように思えます。授業技術のパラダイムが変わってしまうかもしれません。 そんな時代が本当に来るのか、いつ来るのかはわかりませんが、例えそのような時代が来ても、子どもたちがかかわりながら、学びを深めるような授業をつくる力は必要とされ続けると思います。こればかりは、ビデオやICT技術だけではまだまだ解決できないように思います。 スモールステップを意識して授業を組み立てる
授業づくりにはスモールステップを意識することが大切だとよく言われます。子どもたちがその日の授業の目標に到達するまでに、どのようなステップを踏む必要があるかを細かく考えて授業を組み立てることです。注意してほしいことは、このステップを教師が見落としていることがよくあることです。そのため、思わぬところで子どもがつまずくのです。子どもの視点でていねいに思考をたどって、そのステップを整理しておくことが必要です。すぐに気づくだろうと思っていても、子どもにとっては壁があることがあります。過去に学習したことで子どもに定着しているはずだ、いつもやっているから大丈夫なはずだと教師が思っていても、つまずくことはよくあります。教材研究の段階で、この日新しく学習することだけでなく、既習事項についてももう一度教え直すつもりで細かくステップを意識することが必要です。
例えば、繰り下がりのある引き算の筆算を学習するのであれば、既習である繰り下がりのない引き算が定着しているのが前提です。そこで、繰り下がりのある例題で1の位を引き算して「引けないね」と繰り下がりの必要性から始めて説明をした後で練習問題を解かせていると、15−8といった問題で筆算の形にするところでつまずく子どもがいたりします。ここでつまずく子どもがいるはずだと意識しているのであれば対応できますが、予想していなければ対応に困ってしまう可能性もあります。事前に繰り下がりのない引き算について、位をそろえて書く、1の位から計算するといったステップを意識して、授業の組み立てを考えておく必要があるのです。 先ほどの例であれば、繰り下がりのない筆算を最初に全体でやってみるという方法もあります。スモールステップを一つずつ確認して新しいことを学習する前に整理しておくのです。復習の問題を1問、個別に解かせるという方法もあります。全員できているか素早く確認して大丈夫であれば、この日の課題に挑戦するのです。定着していなければ、ていねいに復習することから始めます。スモールステップはすべて一つずつていねいにクリアしなければいけないわけではありません。大切なのは、スモールステップを意識して組み立てることなのです。 できればスモールステップは子どもたち自身で越えさせたいものです。新出事項であっても、いきなり挑戦させるという方法もあります。子どもたちに説明をせずに取り組ませるのです。あらかじめスモールステップを意識していれば、子どもがつまずくところは予想できます。最初のステップをクリアできているかいないかをチェックして、適当なところで作業を止めるのです。クリアできていない子どもがどこで困っているかを共有して、クリアできている子どもを活躍させて全員でそのステップをクリアさせて、次のステップに挑戦させるのです。 スモールステップでていねいに授業を進める。子どもたちに一気に壁を超えさせるような挑戦をさせ、つまずく子どもに対してはスモールステップでていねいにクリアさせる。授業の組み立て方はいろいろありますが、大切なのは教師がその日の目標を達成するためのスモールステップを意識して授業を組み立てることなのです。 学校力向上研修
昨日は、市主催の学校力向上研修で講師を務めました。対象は教務主任やそれに近いミドルリーダーが中心です。今回は先日録画した授業を参加者全員に見ていただいて、それをもとに学校力を向上するための授業検討のあり方について考えました。
6人ぐらいのグループで、自分の学校で授業検討するのであればどのような視点で、どの場面を話題にするかについて考えていただきました。授業規律がしっかりとしていた授業でしたが、どの学級も授業規律が確立している学校であれば授業規律のよさは確認程度で十分です。逆にまだまだ不十分な学校であれば、授業規律のよい場面以上に、授業規律をつくっている場面に注目する必要があります。この授業で言えば、全員が集中するまで待っている場面、子どものよい行動をほめている場面などです。しかし、ある程度できあがってきた学級であれば、「子どもたちがよい」場面はたくさんありますが、その「よい姿をつくっている」場面はあまり見ることができません。そういう場合は、授業者にどのようなことを意識してやってきたかを発表してもらうことが大切です。 逆に、授業規律に課題があった場合はどうでしょうか。この授業者固有の課題であれば、全体であまり取り上げる必要はありません。批判につながり、授業者が委縮してしまう可能性があります。その代り、別途個別にアドバイスすればいいのです。もし、共通して取り上げるべきだと考えれば、まず同じようなことで困っている人はいないかを全体に問いかけます。共通の課題にしてから、先輩などがどのような工夫をしているかを聞くのです。できるだけ、先生方の中から解決につながるものを引き出すことが大切になります。 主課題が終わったあと練習問題に取り組む場面で、子どもたちから「わからん」という声が上がりました。この場面を取り上げて、その原因とどうすればよかったのかを考えたグループがありました。素晴らしいと思います。子どもの姿から課題を見つけているからです。「私ならこうする」「ここは、こうした方がいいのでは?」といった発言がよくありますが、その根拠をどこに求めるかが問題です。同じ流れや発問でも子どもたちよって反応は変わってきます。大切なのは、目の前にいる子どもの事実をもとに考えることです。子どもの姿をつくった原因とどうすればいいのかその対策を話題にしていくのです。 研修終了後、授業者の学校でのその後について聞く機会がありました。学年で授業検討を行い、まさにこの場面が課題として挙がったということです。その課題を改善しようと意識した授業に、学年の先生が何人も挑戦したそうです。こういう活動が学校力の向上につながります。この市の授業力向上研修にも毎年講師として参加させていただいていますが、この学校から来られる先生のレベルが高い理由がよくわかりました。 今回、ICTを活用した授業検討システムを使って授業ビデオの再生を行いました。例えば、子どもを見るとよく言いますが、それはどういうことなのかを伝えるのはそれほど簡単ではありません。そこで、授業者がしっかりと子どもを見ている場面を共有することが有効です。このシステムを使えば、ストレスなくその場面を映し出すことができます。子どもが前で説明している時に、教室の端で発表者を時々振り返りながら全体をうなずきながら見ている姿をピンポイントで再生しました。「百聞は一見に如かず」です。授業者にその場面について一言もらえば、それで十分に伝わるはずです。こういった授業ビデオの活用方法も意識してほしいと思います。 また、この授業を撮影した時の参観者がどこの場面をよいと思ったか、疑問に思ったかの記録も残っていましたので、一番反応が多かったところを再生しました。課題を与えて子どもたちが素早くグループの形になり、活動を初め、その直後、授業者が活動をいったん止めて、とてもよい説明の仕方をしている子どもが2人いたと紹介している場面でした。その時の参観者がいれば反応した理由を聞きたいところなのですが、おそらくこの日の参加者にもその理由はわかったと思います。学ぶことの多い場面を切り出すことができていると思いました。 この日は、これからミドルリーダーとして活躍してもらう方もたくさんいらっしゃいました。どの場面でもベテラン以上に集中して、自分のこれからに活かそうとする姿を見ることができました。若い先生が増えている中、ミドルリーダーの果たす役割がとても大切になります。こういった先生方がたくさんいらっしゃるのがこの市の強みだと思います。市全体がこれからどのように力をつけていくのか、とても楽しみです。 私学で、模擬授業による研修
昨日は私立の中高等学校で、模擬授業をもとにした授業研修を行ってきました。授業者は数学担当の中堅の先生で、日ごろの授業では子どもたちとの関係がとてもよい方です。先生方を子ども役にした模擬授業は初めてなので、少し緊張していました。
授業は高校1年生の整式の割り算でした。 小学校の内容の整数の筆算を復習します。筆算の手順を「たてる」「かける」「ひく」「おろす」と板書をします。子ども役の先生方の動きは、手元のプリントを見る人、板書をじっと見る人、写す人とバラバラです。実際の学級では、ルールが決まっているのかもしれませんが、指示がないとこのようなことになります。少なくともルール化できるまでは、指示をすることが必要なことがわかります。 子ども役を指名しながら割り算をします。小学校の復習なので簡単に進めてよさそうなのですが、中学校以降は割り算の筆算をする機会は意外にありません。子ども役の先生方の反応を見ていると、「たてる」という言葉に戸惑っている方もいます。実際に計算をやっている場面を見れば理解できるでしょうが、そのためには少し時間が必要です。子どもたちの反応によって進む速さを調整することが必要です。 続いて、元の数=割る数×商+余りという関係式を説明します。これも中学校ではやっているのですが、実際に使う経験はあまりしていません。簡単に進めたのですが、もう少し細かく確認する必要があったと思います。特に「割る数」より「余り」が小さくなることの押さえがなかったことは数学の授業としては問題があったように思います。数学の教科に関する話をすることが目的ではないので、こういったところは解説しませんでしたが、ちょっと気になる所でした。 続いてこの日の主課題、整式の割り算の問題を提示します。突然整式の割り算の問題が出てきても、整数と整式の類似性もはっきりしないので唐突です。子ども役の戸惑いが伝わってきます。整式の割り算の手順を説明しますが、一つひとつの手順が何をやっているのかよくわかりません。整式の割り算を筆算の形に書いて、xがたつと言われても、どういうことかわからないのです。実際には整式の割り算とはどういうことかを、先ほどやった割り算の商と余りの関係から押さえる必要があります。子どもの思考を考慮して、割り切れる場合から初め、割る式×商が元の式となることで押さえてから進めるとよかったでしょう。 いきなり整式x2 +2x+4の+を省略してx2 2x 4というように書いて筆算を行います。確かに見やすくするのにこういった書き方をすることもあるのですが、いきなり説明なしでは戸惑います。子ども役の反応から、越えるべきハードルが同時にいくつもあると苦しいことがよくわかります。 実際の練習問題は余りのないもの、係数に負の数がないものばかりです。つまずきにくいことはよいのですが、次のステップをきちんと練習する場面が必要です。中には因数分解して商を求める方もいました。たまたま余りが0の問題だったので上手くいったのですが、このことについてはここでは取り上げることをしませんでした。また、やり方がわからなくなってまわりの方に聞いている方もいます。黒板では指名された子どもに答を書かせますが、その間子ども役の様子はバラバラでした。後で正解が発表されることがわかっていても、わからない状態が続くことは気持ちのよいものではありません。子どもたちがまわりと相談したい気持ちがわかっていただけたように思います。 授業者は、机間指導をして○をつけますが、「正解」という声かけがほとんどです。これでは先生にチェックされている気持ちになります。「いいね、○○がちゃんとできている」といった具体的によいところや、称賛の言葉をかけることで意欲を高めることが大切です。ミスをしている方に対して、違っていることの指摘にとても気を使っていました。しかし、当人に聞くと、「間違っていた」と指摘されたと感じていました。違っていると否定せずに間違いに気づかせることが大切です。「ここはあっているよ」「xは正解」と正しいいところ、上手くできているところを指摘すればいいのです。部分肯定をして「ここは?」と声をかければ、間違っていると指摘しなくても自分で気づいてくれるはずです。 黒板に書かせた答は正解ばかりです。できなかった子どもが正解を見てわかるのであれば問題ありませんが、実際にはそうはいきません。できなかった子どもができるようになる場面をどのようにつくるかが授業のポイントです。子どもたちがどのようなところでつまずくのか、それを修正するにはどのような活動が必要かを意識して、授業の中に組み込むことが大切です。 次に係数だけを書いて割り算する方法を説明します。係数が大きい時に見にくくなるといった説明を簡単にして進めます。「そうなのか」と思う間もなく具体的なやり方の説明に入ります。先ほどまでやってきたこともまだ定着していないのに次々に新しいことが出てくるとついていけない子どもが出てきます。ここは、実際に係数が大きな数でやって見せることも必要です。復習になるのと同時に、必要性が実感できるからです。しかし、このやり方は次数の等しい項がきちんと上下に来ないとミスが出やすいという注意点があります。残念ながら、このことを押さえる場面はありませんでした。 プリントをテストといって配ります。子ども役は問題に取り組みますが、先ほどと違って相談する姿が見られません。子ども役の先生に確認したところ、「テストと言われたから」という答が返ってきました。納得です。授業者のちょっとした言葉づかいで、子どもの動きが変わってしまうのです。こういったことを意識することの大切さに気づいていただけたと思います。 この問題の解答の確認は、子ども役を順番に指名して、その答を「正解」と授業者が判定していきます。先ほどと同じく、できなかった子どもができるようになる場面がありませんし、ただ答を言わせるだけならばそのことにあまり意味はありません。その時間を子ども同士で答を確認する時間にすればいいのです。答が違えば、当然どちらか正しいか確認し合います。その過程で間違いが修正され、正しい考え方がわかってきます。こういう場面をつくってほしいのです。 最後に、因数定理に関連して、整式の割り算を使って因数分解ができることの説明をします。因数分解でやった人がいたことを話して、そこからつなげようとしましたが、因数分解で解いた人がいたのは授業の前半です。そこで取り上げていないので、唐突です。その時に取り上げて、余りが0であればかけ算の形に(因数分解)できることを押さえていたのならば、この場面でのハードルは一つ減りますが、あとからではあまり意味はありません。因数と整式の割り算をつなげようとするのですが、先ほど係数だけで割り算したのに再びxを書きます。また、今までは負の係数や定数がなかったのですが、今回は負の数もでてきます。一度にいくつものハードルが出てきます。今までの内容と比べてコントラストが大きいのです。これも、子どもたちを混乱させることにつながります。 授業者の普段の授業では、子どもたちは安心して発言し友だちと相談ができる雰囲気ができています。今回は模擬授業のために、そのよさを見せることができなかったのが残念でした。先生方にぜひ、日ごろの授業の様子を見てほしいことを伝えました。 子ども役の先生方は、素直に子どもの気持ちになって授業を受けてくださいました。場面場面で、その時の気持ちや行動の理由をたずねても、とても真摯に答えてくださいます。先生方にとって、子どもの視点で授業を考えるよいきっかけになったのではないかと思います。これも、自分の授業スタイルからすると模擬授業はとてもやりにくいのに、授業者役を買って出てくれた先生のおかげです。今回の研修をきっかけに、参加された先生が、2学期の授業で何か新しいことに意識して取り組んでいただければ、これほどうれしいことはありません。私自身にとっても、とても勉強になる楽しい研修でした。暑い中にもかかわらず授業を引き受けてくれた先生と研修に参加してくださった先生方に感謝です。 道徳で子どもたちの考えを深める発問や切り返しの工夫
道徳の授業での子どもたちの考えを聞いていると、常識的な答や表面的にしか考えていないと感じるものがよくあります。また、自分のことしか考えていない答はまずいので、約束を破る代わりに代償となるものを相手にあげるといった、自分は損をせずに相手にも何らかの見返りがあるような都合のいい答を探したりします。子どもたちがより深く考えるような発問や切り返しの工夫が必要になります。今回は、そのいくつかを紹介したいと思います。
一つは、「○○さんは・・・したけれど、本当にそんなことできる?あなたならする?」と子どもたちに迫ることです。読み物資料などで主人公や登場人物がなかなかまねできない行動をとった時に、子どもたちは簡単にその行為を客観的に素晴らしいものと評価しますが、このように聞かれると、自分の答に責任を持たなければいけません。自分のこととしてできるかどうかの判断を迫られます。「できない」と答えた子どもに対して、「そうだよね、なかなか難しいよね」と受け止めた上でその理由を聞くことで、その行為の持つ価値を焦点化していくことができます。子どもから「できない」という言葉が出なければ、「先生は、・・・だからできそうもない気がするけれど、どう思う?」と教師が「できない」側に立つことで揺さぶってもよいでしょう。 もう一つは、「今、・・・となったけれど、もし・・・だったらどうする?」と、異なった結果であっても考えは変わらないかを問う方法です。友だちに思い切って忠告した結果、それを受け入れてくれたといった話の時に、「もし受け入れられなかったら、次同じような場面があった時に、どうする?」というように条件を変えてやるのです。どんな結果でも変わらないという子どももいれば、結果がよかったからその行為をよいと価値づけた子どももいます。こうすることでその違いが明らかになり、子どもを揺さぶることができます。 この他にも、子どもたちに行動を選ばせた時に、相手や他の登場人物の気持ちを考えさせるという方法もあります。「約束を破っても、その代償を与えればよい」と考える意見に対して相手の気持ちを考えさせることで、「納得しない」「相手のことをもう信用しない」と思う人がいると知らせて、揺さぶるのです。 道徳の授業では、子どもたちがこちらの予想と違った反応をすることもあります。そこで切り返したり、新たな問いを発したりするのに、こういった方法が役に立つと思います。ここに挙げたのはいくつかの例ですが、こういった視点を持つことで授業の組み立てや切り返しの幅が広がると思います。 |
|