授業深堀りセミナー募集開始

授業と学び研究所主催の「授業深掘りセミナー」が本年度3回開催されます。
毎回講師陣の「模擬授業」とその解説を通じて、「教材研究」や「授業技術」を深く学ぼうというセミナーです。
各回30名と少数ですので、興味のある方はこちらからお早目に申し込みください。

子どもをつなぐことが課題の授業(長文)

昨日の日記の続きです。

3年生の授業は「わたしたちの市のようす」でした。この市は、北側、中部、南側で様子が違いますが、この日は南側の様子を考える場面でした。
これまでに学習したことを確認します。全体への問いかけに対して子どもが反応してくれます。しかし、それはあくまでも一部ですので、素早く何人かの子どもを指名して確認したいところです。また、指名した子どもとだけやり取りする傾向があります。他の子どもたちにつなぐことも必要です。
ワークシートを配り名前を書くように指示します。書けた子どもが「書けました」と声を出します。このような単純作業では、声を出させることでまわりへプレッシャーをかけて素早い行動をうながすことは悪いことではありません。しかし、問題を解く時などは、わからない子どもが苦しくなるので注意が必要です。授業者は「早いね」「いいね」と声をかけますが、できれば「○○さん、早いね」と固有名詞でほめたいところです。
一人なかなか授業に参加できない子どもがいました。次に同じような場面でその子が一番に「書けました」とうれしそうに声を上げました。先ほど早く書けた子どもがほめられたのを見て自分もほめられたいと思ったのでしょう。この子どもを授業に引き込むチャンスだったのですが、授業者は無視してしまいました。せめて目を合わせて笑顔を見せるだけでも違ったと思います。残念な場面でした。
子どもたちに土地利用図を見て気づいたことをワークシートに書かせます。作業中にこれまでに気づいたことを思い出して考えさせようと話しかけます。作業中に話しても子どもの耳には届きません。最初の復習の場面で、気づいたことではなく、何に注目して気づいたのか、その視点を全員で共有しておくことが必要でした。授業者は子どもたちから求める答えが出てくることに意識が行っています。そうではなく、気づける力をどのようにしてつけるかにエネルギーを使う必要があります。
子どもたちに気づいたことをたずねますが、挙手が少ないのが気になります。書けているのに、手を挙げない理由はなんでしょう。気づいたことであれば正解かどうかは本来関係ありません。しかし、授業者が期待する答を言わなければいけないという思いがあるのかもしれません。発表しても評価されないから積極的に発表する意味がないのかもしれません。必要なことは先生が板書するので、参加しなくても困らないのかもしれません。子どもが発表しやすい、発表してよかったと思える状況をつくる必要があります。「どんなことを書いたか聞かせてくれる」と言いやすい問いかけをする。発表に対して「なるほど、○○と考えたんだね。同じように考えた人いるかな?」と発言を受容し、他の子どもとつなぎ、認められる場面をつくる。すぐに板書はせずに、必要であれば、あとで聞いていた子どもたちに言わせてそのまま書く。このようなことを意識して行うとよいでしょう。
一人の子どもが「他と比べて・・・」と比較する視点で発表をしました。社会科の資料を見るとてもよい視点ですが、授業者はスルーしてしまいました。ここはきちんと価値づけをして全員に共有したいところでした。
発表をさせても、根拠となることを資料で確認する場面がありません。結論だけが次々発表されます。結局一部の子どもの発言だけで授業が進みます。
南部に大きな工場が多いことをグループで考えさせます。物流といったことを子どもたちはまだ学習していません。そのことに気づくための材料が不足しています。地図を見ながらすぐそばに高速道路があることや大きな船が泊まっていること、海岸線が直線であることなどを先に押さえておきたいところでした。
子どもたちが手詰まりになっていたところで、校外学習で見学した埠頭のことをヒントとして出し、その時の写真を配りました。ヒントが出たので、子どもたちはそのことだけに注目します。その時見た飛行機の話をしたりと、地理的な条件が意識から消えてしまいました。
子どもたちの発表からは、製造・加工するための材料がいることや、土地の価格の問題が出てきますが、この知識は最初の土地利用図から直接わかることではありません。知識ですので、ていねいに全体で共有する必要があります。しかし、ここでも一部の子どもとのやり取りだけで進んでいきました。最後は、授業者が解説してまとめます。この時間の結論は授業者が用意したまとめの文で、それを穴埋めして終わりました。結局それを覚えればいいのかと子どもは思ってしまいます。結論を教えることよりも、根拠や考え方をきちんと身につけることの方が大切なのです。子どもたちの活動が社会科の力とどう結びついたのかがよくわからないままに終わりました。
授業者は子どもと1対1で受容することができます。子ども同士をつなぎ、全員参加させることが課題です。挙手に頼らない進め方、子ども同士が根拠を持って考え、聞き合う必然性のある課題を考えることが課題です。レベルアップを意識して授業に臨んでほしいと思います。

2年生は国語の授業で、主人公が仲間に教えたことを考える場面でした。
音読を列ごとに役に分けて行います。活動の指示は明確なのですが、目標や評価がはっきりしません。授業者が、列ごとに読み方のよかったところを評価したことはとてもよかったのですが、事前に評価の視点を与えておくともっとよかったでしょう。
主人公のしたこと、言ったことに線を引かせます。子どもの作業速度には差があります。早くできた子どもが手遊びを始めます。次の指示をしておくことが大切です。授業者は机間指導をしているのですが、下を向いたまま移動しています。目の前の子どもしか見ないので、すぐ横で手を挙げている子どもに気づけません。全体を見ることができない机間指導にならないように注意が必要です。机間指導をするなら、移動の時に顔を上げて全体の様子を確認し、できるだけ素早く全員のノートを見ることが大切です。それができる自信がなければ、教室の斜め前方から全体を見ることで支援の必要な子どもを見つけ、その子どもへの対応が終わればまた元の場所に戻って全体を見るようにするといいでしょう。
子どもに発表をさせます。子どもの発言に対して、「つけたし」という声が上がりました。他の賛成の声に紛れたのかもしれませんが、拾うことができませんでした。その子どもの考えを聞きたかったところです。ハンドサインもそうですが、全員の状況を確認して活かすことができないのであれば発言の後に子どもに声を出させるべきではありません。やるからにはきちんと聞き取る、見取ることを意識してほしいと思います。
子どもが友だちの言葉を聞いていないのも気になりました。授業者が板書でまとめてくれることがわかったからかもしれません。同じ所に気づいて線が引けているか、指で確認させるといったことが必要です。結局この場面は数人に発表させて終わりでした。子どもたちが活躍する場面をもう少しつくりたいところでした。
続いてバラバラだった仲間がまとまった理由を問います。主人公が教えて練習したという意見に対して自然な拍手が起こりました。よい場面です。拍手した理由をたずねてそのことを評価したいところです。この場面では、子どもたちが集中して聞いていました。そのことを評価する言葉をかけるとよいでしょう。
よい発言に対して「○○さんがいったことどういうこと?」とつなぎましたが、指名した子どもは答えられません。そこで、もう一度言ってもらいました。今度はしっかり聞いていました。こういったよい対応ができます。しかし、どうしても発表者に視線がいって他の子どもたちの聞いている様子を見ることができません。挙手を中心に進めているので、特に気になります。ペアで答を聞き合うといった活動も取り入れるとよいでしょう。
子どもから「何回も練習して、もっと頑張ろうと言った」という意見が出てきました。本文にはそのような記述がありません。このままでは妄想です。本文のどの表現からそのよう考えたかを子どもに聞くことが必要です。想像することは悪いことではないのですが、その根拠となった記述を問うことが大切です。
次の質問に対して、授業者のねらっている答えが出てきません。「これまでのことを思い出して」「これ以外ないかなー」と何とか引き出そうとします。「前の場面でどうだった?」と問いかけても子どもたちは何を授業者が求めているのだろうという表情です。教師の求める答を考えようとし始めているのです。その中で教科書の前の場面を読んでいる子どもがいました。「○○さん、教科書をもう一度読んでいるね」と評価して、子どもたちを本文に戻すとよかったでしょう。子どもたちが行き詰った時は、本文をもう一度読ませることが大切です。この場面では、誘導するような言葉を使わずに、単純に本文をもう一度読むように指示すればよかったのです。
「本文の○ページの○行目の・・・」と根拠となる部分を明確に示して説明する発言が出ました。授業者はそのことを価値づけしませんでした。これ以外にも子どもたちからよい発言が出ています。よいものを子どもたちに広げることを常に意識して、それらを価値づけしていってほしいと思います。
次第に意見が出始めるのですが、ついていけない子どもが出始めています。一生懸命に参加していても、一部の子どもの意見だけで進むとついていけなくなるのです。せっかく集中していたのですが、緩みだしました。一部でも子どもが動けているのですから、ここはまわりと相談させたりすれば、どの子どもも集中を切らさず参加できたと思います。
ここで、最後の課題です。主人公は仲間にどんなことを教えてくれたのかを考えさせます。
授業者は「みんなの想像でもいい」と言いますが、本文の読み取りですから、ただ「想像」では困ります。しかし、かなりの子どもたちは本文を見ながら書いています。普段の授業では、本文を根拠にして書くように指導されているのでしょう。だからあえて「想像でもいい」といったのかもしれません。ここは「想像」という言葉を使わずに、「主人公が○○をしたから、仲間は○○がわかった」「主人公が○○をしたことから、仲間は○○を教わった」といった形で書くように指示してもよかったかもしれません。
「もっと深いことを教えてくれたんじゃないかなあ」と個別に指導していました。国語の読み取りというよりも、道徳に近くなります。根拠としている本文がよければ、「いいところに気づいているね。それって別の言葉で言うとどういうことかな?」ともう少し考えさせる。根拠がずれていれば、「なるほど、いいね。もっと見つけてくれるかな?」と別の根拠となる本文を探させる。こういった対応も視野に入れるとよいでしょう。
書き終った子への指示がないので、手持ち無沙汰な子どもがいます。また、ただ答を書くだけでは、なんとなく書いて終わってしまいます。この後、ペアで「話し合い」ましたが、子どもたちは目指すものがよくわからないので、互いに自分の書いた文を「読み合って」終わっていました。「なんで?」と理由を聞くことを指示しましたが、ここまで、「想像でもいい」とは言っていますが、「理由」を意識させることはしていません。ここで理由を聞かれても子どもは困ってしまいます。最初に「相手になるほどと納得してもらえる理由を書こう」といった目標を与えておきたいところでした。
全体での発表では、子どもの発言から自分に都合のいいところだけを抜き出していました。時間もなかったのでしょうが、「同じようなことを考えた人?」とつなぎ、考えの同じところを共有することで、自然に授業者のねらうところに収束していったのではないかと思います。とはいえ、子どもの言葉をつなぎながら焦点化するのは難しいことは間違いありません。
この課題であれば、主人公が言ったこと、したことを確認しておいて、仲間たちがその前と後で何が変わったかを本文の記述をもとに対比させるとよかったでしょう。こうすることで、主人公が教えたことを本文の記述をもとに明確にできるはずです。登場人物の事件の前後の変化を対比させることが読み取りの大切な方法です。こういったメタな知識を身につけさせることで、読み取りの力がつくのです。
授業者は明るい表情で子どもたちと接することができます。学級の雰囲気もよかったです。この授業者も、子ども同士をどうつないで考えを深めていくかが次の課題です。個々の子どもとの関係をつくる以上に難しいことですが、挑戦してほしいと思います。

いつも感じることですが、基本的なことができるようになればなるほど、新しくより難しい課題が見えてきます。授業力向上への道のりは長いものです。しかし、毎日の授業に真摯に取り組めば、必ずそれに見合った向上が見られます。焦らず、一歩一歩前へ進んでほしいと思います。

教材研究の大切さを考えさせられた授業(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日は若手を中心に4人の授業アドバイスを行ってきました。

6年生は算数の円の面積を方眼を使って求める場面でした。
前時は円の面積が半径を1辺とする正方形の面積の2倍より大きく4倍よりも小さいことを半径が10cmの円で学習しています。この復習から始めました。指名した子どもの発言を子どもたちはよく聞いています。発言が終わると、「いいと思います」とすぐに反応します。声がよく出ているのでよいように思えますが、よく見ると全員が声を出しているわけではありません。声を出していない子どもが気になります。同じ考えの子どもを何人も指名したり、ペアで確認したりと確認の仕方はいろいろあります。状況に応じて使い分けるようにするとよいでしょう。
授業者は発言をよく聞いています。発言者をよく見て受容しているのですが、他の子どもの聞いている様子を見ることができていません。子どもの反応をよく見て、次の対応を考えることが大切です。
本時のめあて「方眼を使って円のおよその面積を調べよう」を提示します。めあての「方眼を使って」にこだわり、方眼を使うとどんな便利なことがあるかを問いかけます。子どもからは長さがすぐにわかるということしか出てきません。前時の復習で半径を1辺とする正方形で面積を考えています。見ようによっては大きな方眼になっています。教科書は半径10cmの同じ大きさの円で考えているのですから、前時の図と方眼の図を同じ大きさで並べて見せると、方眼の数を数えることで面積がわかることに気づけると思います。
方眼を効率的に数えるにはどうすればいいかを問いかけます。授業者としては1/4で調べればいいことを期待していたのですが、子どもからは円の外側を数えるという意見が出てきます。これはまっとうな意見なのですが、授業者は評価をしません。円の半径を10cmにして、1cmの方眼に描いているのですから、中心から縦6cm、横8cmと縦8cm、横6cmのところを円周が通ります。直交する半径を2辺とし、どちらかを頂点とする長方形をつくると効率的に数えることができます。効率的というとこういったことがイメージされます。授業者の求める答を引き出そうと思うと、「円の中を全部数えなければいけない?」といった問いかけの方がよかったかもしれません。それでも、外側を数えるという意見は出てくると思います。それも活かせばいいのです。好きな方法で数えさせて結果が同じになることを確認すればいいのです。ただ、ワークシートが内部を数えるように作っていたので、困ったのかもしれません。ワークシートは考え方を固定するのでよくない面もあるのです。
結局1/4の図で数を数えることを指示して、「困ったことがあったら質問?」と問いかけますが、子どもからは反応がありません。そのまま作業に入りました。当然ですが、すぐに線がかかっている方眼をどう数えるのかで困ります。手が挙がりだします。そこで授業者は作業を止めて、手を挙げた子どもに困っていることを聞きます。同じように考えた人とつなぎ、課題を共有します。ここをていねいに進めているのはよいことです。しかし、この方眼をどう扱うとよいかと問いかけても答は出てきません。子どもは正確に面積を求めようとします。この部分の面積がわからないからどうしていいのかわからないのです。そこで、一旦円の一部がかかっている方眼を色塗りする作業をさせます。単なる作業にせず、意味を与えたいところでした。「まず、この一部分だけの方眼を区別するために、塗ってみよう」とし、「塗れたら、どう数えたらいいか図を見ながら考えてね」とするとよかったと思います。
ここで問題となるのは、ここまでにめあての「およそ」を一度も押さえていないことです。正確な値を求めることではなく、およその値を求めることを強調するのです。前時では半径を1辺とする正方形の面積の2倍から4倍とまでわかっています。「これだとよくわからないね、もう少し詳しい大きさがわからないだろうか?」として、「およそでいいから、もっと詳しい大きさを調べよう」とめあてを提示するのです。算数的には、「およそ」ともっと「詳しく」がこの時間のポイントになります。「およそ」で線がかかった方眼を半分の大きさとして考えてみる。「詳しく」で方眼をより細かくすれば正確な値に近づきそう。このことが、次の時間の円の面積の公式につながっていき、将来の微積分の学習への布石となるのです。「およそ」を強調して、この方眼をどうしようと問いかければ違った反応が返ったはずです。
指名した子どもが前の図に色を塗ります。同じかを問いかけると、ほんの一部分が欠けているだけの方眼を塗っていない子どもがいることがわかります。この扱いをどうするのかの判断には根拠が必要です。欠けているものを塗るという指示ですから、それからすると間違いです。しかし、塗らなかった子どもには理由があるはずです。それを聞いてあげてほしかったのです。そうすると、「少ししか欠けていないから」といった答が返ってくるはずです。そこで結論を出さずにその方眼を「?」として、方眼をどう数えるかを考えたあとで、その結論をもとにもう一度納得できる扱いを考えるとよかったでしょう。
どのように数えるとよいかを考えます。1つの方眼の面積に含まれないところと、他の方眼で、含まれているところが先ほどと同じくらいのものを合わせて約1cm2とするという意見が出ました。子どもたちはすぐに「いいです」といいます。ここは、「どう、それで上手くやれそう?」と問い返したいところです。実際には上手く組み合わせられない可能性があることに気づかせるのです。授業者は0.5 cm2より大きいか小さいで分けるといった考えから、1つを0.5cm2と考えるということを提示し、先ほどの2つをくっつけるやり方とどちらが簡単か問いかけます。全員が1つを0.5cm2方だと言ってはいないのですが、声が上がったのでそのまま進めました。全員に納得させてから進めたかったところです。
子どもたちの意見をもとに、「少し欠けているものもあれば、ほんの少ししかないものもある。合わせると一つ分になるものが結構あるね」とし、「およその大きさが知りたいから、できるだけ簡単なほうがいいね。どう考えればよさそう?」と「およそ」を強調して、子どもから「2つで1つ」という考えを引き出したいところです。ここで、「先ほどのほんの少し欠けているものも、上手く組み合わせることができそうだね」としておけば、ほんの少し欠けているものも仲間にした方がいいことに納得させることができると思います。
続いて、方眼を数えておよその面積を求めさせます。ここで授業者は面積の単位をつけて計算させます。この後、結論を円の半径を使ってまとめます。子どもたちに相似の概念がはっきりとできていないので、1辺が半径の正方形の面積の何倍としても論理に飛躍があります。ここは、最後まで方眼いくつ分で考えるべきなのです。最後に、方眼1つが1cm2であることを使って面積になおすのです。半径が違う円の面積はどう考えればいいのかを子どもたちに問いかけた時に、同じように分割すれば方眼の数は同じだという考えが出てきます。方眼の長さが円の半径の1/10であることから、半径と面積の関係を導くことができます。
前時の図と今回の図を比べてより詳しくなったことを確認し、もっと詳しく調べるにはどうすればいいのかを考えさせて、次時へつなげて終わりたいところでした。
子どもたちは、授業者との関係もよく、互いによくかかわり合えます。このことを活かしてどう発言をつなげていくかを意識すると授業はよくなると思います。
この日の算数の内容は、単純な作業に見えますが、実はとても大切な概念との出会いです。授業者がそこまで理解できないのは仕方がないのですが、教科書が半径10cmにこだわっている理由や1辺を半径とする正方形の面積を基準にしている意味は考えてほしいと思います。算数は答の出し方を教えるのは簡単ですが、概念や見方・考え方を身につけさせるのはとても難しい教科です。忙しい中、時間をつくるのは大変だとは思いますが、教科書をよく読み込んで、教材研究をていねいにしてほしいと思います。

5年生の社会科は主食である米がどこで作られているのか調べる場面でした。
飼育委員の子どもがなかなか帰ってきません。授業者は待っている間、前時の復習をしています。しばらくして飼育委員が戻ってきました。「飼育委員、お疲れさま」とねぎらいます。どうやら飼っていたうさぎが亡くなったようです。飼育委員の一人はちょっと落ち込んでいるようでしたが、授業者は下手に声をかけずにそっと見守っていました。よい対応だと思います。
この後すぐに授業の本題に移りました。挨拶もせずに待っていたのですから、「ここは全員がそろったから始めよう」と挨拶をしてみんなが待ってくれていたことを飼育委員に伝えたいところです。授業時間の途中で挨拶をすると他の学級の迷惑になると考えたのかもしれませんが、座ったまま姿勢を正して、礼だけでもするとよかったでしょう。
子どもたちが家から持ってきた米袋使って、そこに書かれている産地に注目させます。産地という用語を説明してきちんと言わせます。用語をきちんと教えることは大切なことです。ただ、産地を「お米が作られている場所」としてしまったのが残念でした。お米や農作物に限らず、物品が産出される場所です。農産物以外にも鉱物や工業製品などにも使われることを押さえておきたいところでした。
グループで白地図にそれぞれの米袋の産地をシールで貼ります。その結果を黒板に貼った白地図にグループの代表が貼っていきます。東北、北海道、新潟と愛知県、三重県に集中します。この地図を見て気づいたことをグループの代表に発表させます。授業者は子どもの発言をすぐに板書します。できれば、「同じことに気づいたグループ?」とつないだ後に板書するとよいでしょう。グループの発表は常にその日の代表がします。他の子どもが活躍する場面がありません。代表以外の子どもにもつなぐようにして、できるだけ全員が参加できるようにしてほしいと思います。
子どもたちからは北の方で米がとれるということがでてきます。「この地方の人が北の方で作られた米を食べているから、北の方で米がたくさん取れている」とは結論づけることはできません。愛知が多いこととの関連も考える必要があります。ここでは、「たくさん取れる」はまだ疑問でしかなのです。
「九州地方は取れない」という意見に対して、すぐに「授業者が本当に取れないのかな?」と返します。教師がすぐに返すのではなく、子どもたちに「どう?九州ではお米がとれないのかな?」と問い返すとよいでしょう。あくまでも疑問として残して、後で根拠を持って考えさせるのです。「岐阜や長野は山脈が多いので作っていない」という意見が出ます。間違ってはいますが地理的な根拠を持って意見を言っているので、そのことを評価したいところです。「土地の様子から作ってないのか考えてくれたんだね。こういう理由を言えることはとてもいいね。お米はどんなところでつくれるのかなあ?」と疑問の種も一緒にまいておくとよいでしょう。授業者は「米どころじゃないけど作っている」といった言葉を出します。根拠となる資料を提示せずに子どもに教えることは社会科としては慎むべきです。疑問として列挙するにとどめておくべきでしょう。
授業者は本当に多いか調べようと言って、結果を隠した米の生産量のベスト5の表を提示し、クイズとして子どもたちに問いかけます。調べようとは言っていますが、これでは与えられたものを見ているだけで根拠を持って考えているわけでも調べているわけでもありません。あまり意味のある時間ではありません。米の生産量と作付面積の地図を提示して、ベスト5を白地図に書き込み、グループで共通性を考えさせます。子どもたちは何かを調べたわけではありません。また、自分たちの食べている米の産地から考えた疑問を、資料をもとに解決しているわけではありません。疑問と言えば、「どこで作られているのか?」と「どういうところで作られているのか?」も微妙に違います。何を考えさせるのかがはっきりしないのです。長野県が米の生産高でベスト5に入っていることも触れられませんし、ベスト5をだけを意識するので、九州で米が作られていることの確認もされません。一つひとつの活動が分断されています。
最後に、教科書の「世界で米作りが盛んなところは赤道近くである」ことが書かれた資料を読ませて、どんな条件のところで米作りが盛んかを考えさせます。赤道の近くだから「暖か」という言葉が出ます。この言葉を「暑い」にまで変えたいところです。雨が多いといったことも出てきます。米作りと気候の関係に注目させて、先ほどの日本の米作りと比較したいところでしたが、子どもが疑問を持っているようには見えませんでした。一つひとつの活動を、子どもたちは指示に従って行っているだけで、つなげて考えていないのです。
どういうところで米が作られるのかを考えるのであれば、米袋を使ったところで、何が書いてあるかをたずね、その中に「品種」があることを確認するとよかったでしょう。ベスト5にこだわるのであれば、生産量の資料は昔の物と比較することも必要でしょう。その変化から品種改良が進んだ結果、寒い北の地方で米作りが盛んになったことがわかります。もちろん南の地方でも米をつくることができるのに、なぜそれほどつくられていないのかも疑問に持ってほしいことです。米作りに雨が必要というのであれば、雨温図を比較することも大切です。日本海側では米を作っている時に雨があまり降りませんが、水は大丈夫なのかと考えさせることもできます。地元のお米を食べていることから、流通の問題と地産地消を考えさせることもできます。子どもたちに疑問を持たせて考えさせることはたくさんあります。すべてを授業で扱うことはできませんが、子どもたちの疑問からでた、「知りたい」「考えたい」という意欲を大切にして授業をすすめるようにし、そのための発問や資料を工夫してほしいと思います。
授業者は笑顔で、子どもたち一人ひとりをよく見ています。子どもたちも積極的に「授業に参加しよう」「友だちとかかわろう」としています。だからこそ、教材研究がより大切になります。その上で、教師が用意した決められたレールの上を走らせるのではなく、子どもたちの疑問から出発し、子どもたち一緒に考えることを大切にしてほしいと思います。

この続きは明日の日記で。

子ども同士のかかわりに課題が見つかる(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。
コの字型の隊形をとっているのですが、教卓が黒板の前に置かれている教室が目立ちました。コの字型は子ども同士が互いを見あうことがしやすいのが特徴です。反面、黒板の前に立つ教師を見る時は、体の向きを変えなければいけない子どもが多くなります。教師はできるだけ、子どもたちに近い位置で話す必要がありますが、教卓があるとじゃまになります。横にずらしておくとよいでしょう。
この日見た授業は、すべて算数でした。

1年生は話から式をつくる場面でした。
授業者は笑顔しっかりつくることができていました。子どもをほめることを意識していますが、一人ほめて終わってしまいます。できるだけ複数をほめるようにしてほしいと思います。
全体に対して質問して、子どもたちが全体で答える形で進んでいきます。一問一答形式で進むために子どもの活動量はどうしても少なくなります。個別に指名することも必要です。じっくり考える場面もないまま時間が過ぎるので子どもたちがだれてきます。1年生であれば、全体での学習場面は5分を目安にするとよいと思います。
指名して子どもが発表すると、「どうですか?」「いいです」で進んでいきます。一問一答の授業と本質的には変わりません。正解を判断するのが教師か、不特定の第三者かの違いです。声で進めれば、小数の反対意見はかき消されます。発表に対して、「同じ考えの人を確認し、発表させる」「違った意見がないかを確認する」といったことが必要です。全員が参加し、納得することを大切にして、ていねいに進めてほしいと思います。
鳩が飛んできて全部で何羽になるかという問題には、足し算の定義で使われた言葉はでてきません。イラストを使って、後から来た鳩を隠して何羽いる、次に後から飛んできたのは何羽と確認して、求めているのはどの数かを明確にします。イラストから、どのような操作であるかを考えて、足し算になることに気づかせます。言葉だけで考えると、どうしても「こういう言葉があるから」といった問題を解くための小手先の方法を教えてしまいがちです。そうではなく、文章に書かれたことから場面を想起させ(ここでイラストが有効になります)、求められているのがどのような操作活動の結果であるかを考えさせるのです。一旦半具象を経由することで、初めてどのような演算になるのかが明確になるのです。抽象と具象の間に半具象(図や数図ブロックなどの操作活動)を入れることで2つがつながっていきます。算数ではこのことを大切にしてほしいと思います。

2年生の授業は10を単位として数の大きさを考える場面でした。
「先生を見てね」と優しく注意を促すことができます。子どもをほめて育てようとしています。足をあげて座っている子どもに「おろそう」と優しく指示します。その子どもはしばらくしてから足をおろしましたが、その時は死角に入っていて授業者は気づきませんでした。できればその瞬間をほめたいところでした。あとで気づいた時に、笑顔でうなずいてもよかったと思います。
子どもがよい行動をとった時には即時評価をすることを意識してほしいと思います。目線を合わせて固有名詞でほめ、続いて同じ行動をとった子どもも必ずほめるようにすることでよい行動が広がっていきます。また、先生を見るように言ってもまだ手元を見ている子どもがいます。子どもをよく見て、全員が指示に従っているかを確認することが大切です。
どうやって考えたか、絵や文をかいて説明するように指示しますが、子どもたちは動けません。具体的にどのようなことをすればよいのか、全体で一度やってみることが必要です。
また、10を24個集めた数がいくつになるかの説明を考えるといっても、子どもたちには具体的なゴールがよくわかりません。隣同士で聞き合っても、評価がよくわからないので子どもたちはただ書いた物を読むだけです。相手に「納得してもらえる」ように、「読まないで、顔を見て話す」といった、目標と具体的な方法を明確にして活動させるようにするとよいでしょう。

3年生の授業は、大きな数の読み方の場面でした。
授業者は明るい表情で、上手に話せる方ですが、子どもたちが落ち着いていないのが気になります。話についてくる子どもはよいのですが、全員ではありません。子どもたちの様子を見ながら、全員が参加することを意識してほしいと思います。
授業が挙手で進むため、一部の子ども、参加する子どもだけとのやり取りで終わってしまいます。子どもたちは指名されることで達成感を味わっているようです。発表そのものに対する友だちの評価がないからです。
子どもの視線は発表者に向かいません。手元だったり、先生だったりします。友だちの発言を聞いてそのことについて問われることがないので、聞く必要がないのです。コの字の隊形で授業していることを活かしたいところです。
数の読み方を間違えた子どもに対して、「違います」という声が上がります。同じ「考え」、違う「考え」という意味での「違います」ならよいのですが、どうもそうではないようです。このように、即時に子どもが声を出すのはちょっと危険です。教師がコントロールする必要があります。こういう場面では、「なるほど」と授業者が受け止めて、「違う答の人いる?」と聞き直すとよいでしょう。違う考えが出ることを評価して、説明を求めます。説明を聞いて間違えた子どもに納得したかどうか確認して、その上で友だちの考えを聞いて修正したことをほめるのです。もちろん説明した人にも、納得してもらえる説明ができたことをほめるのを忘れてはいけません。
子どもは大きな数の読み方を4桁で区切って考えることをまだ知りません。読み方のルールをきちんと知らないので混乱するのは仕方がないのです。ここで、授業者はうまい方法があることを教えます。子どもからよい答が出ると「いいことを言った」とほめてすぐに説明を始めます。授業で使ったカードにも仕掛けがあることを説明します。これでは、子どもたちは先生が求める答探しをするようになってしまいます。また、この読み方のポイントを早く子どもたちに気づかせて、授業時間の後半は練習に当てたいのですが、最後になってしまいました。授業者中心の発想で授業を組み立てると、クライマックスを最後にもっていこうとする傾向が強くなります。子どもの集中力がある前半に大切な場面を持ってくるという発想も大切です。授業者はいつでも自分で説明できますから、そのことを封印して、子どもたちの言葉をつなぎながら、子どもたち自身で気づき、納得する授業をすることを意識していただきたいと思います。意識できればきっとうまくいくと思います。

4年生は、平行、垂直を使って長方形を描く場面でした。
授業者は、子どもたちが自分に注目できるまで待つことができます。TTでの授業でしたが、注意をする代わりに、T2に目配せでフォローをお願いしていました。上手な対応です。
用語の読み方をきちんと全員で言わせることもしています。基本をしっかり押さえようとしています。
長方形の描き方を考える場面で、子どもたちが困っています。子どもに見通しがないからです。必要となる、長方形の定義や性質と垂直・平行を事前に押さえておく必要がありました。授業者はヒントを子どもたちに言います。困っていると授業者がヒントを言うという形が定着すれば、子どもは苦しくなると考えるのを止め、先生がヒントをくれるのを待つようになります。ですから、先生がヒントを言うのはできるだけ避けたいのです。こういう場面では、子どもの「困った」を共有することが大切です。いったん全体を止めて、子どもの困っていることを聞き、全員で共有するのです。そこで、その「困った」ことの解決の見通しを子ども同士で持たせるのです。この場合であれば、どんな性質を使ったか、どんな道具を使うかといったことを子どもに言わせるのです。
先生が教えるのではなく、子どもたちが気づくための活動を意識して組み込むことで授業はぐっとよくなると思います。

5年生は、式と考え方の図を結びつける場面でした。
発表の様子が気になります。聞いている子どもたちは、しっかりと発表者を見ません。発表者も黒板を見て説明します。子ども同士がかかわっていないのです。発表に対して拍手が起こりますが、発表者がうれしそうな顔をしないことも要注意です。発表したことに対して評価されたとは思っていないのです。自分が拍手する時の状態から、それが形式的なものだと知っているのです。どこがよかったかを拍手した子どもに聞くようにする必要があります。子どもたちに対して具体的な評価を求めるのです。そうすることで、発表者も友だちにわかってもらおうとするようになります。また、子どもが評価できるようになるためには、教師が日ごろから子どもの発言をポジティブに評価してなければなりません。
発表が結論を言うだけなのも気になります。結論を聞けば理解できるわけではありません。理解できたからといって自分でできるようになるとも限りません。わからなかった子ども、できなかった子どもが、わかる、できるようになる場面をつくる必要があります。「最初に何を考えた?」「どんなことをやってみた?」という過程を子どもたちに問うことが大切です。
グループ活動の時に、子どもたちが先生を呼びます。自分たちで解決しようとせずに、先生に頼っているのです。先生はできるだけ自分で答えずに子ども同士のかかわりを促すようにすることが大切です。活動が終わっているのに次の課題がなかったので、子どもが時間を持て余しています。グループ活動が息抜きになっているようにも見えます。子どもたちのテンションが高くなっているのも気をつけたいところです。終わったあとの次の活動は常に考えておく必要があります。

6年生は円の面積の公式を導き出す場面でした。
子どもたちは、円を小さな扇形に分割して平行四辺形に近い形をつくります。操作で実感させるのですが、あくまでも感覚です。最後はCGを使った動画で、分割をどんどん細かくしていく様子をみせて納得させましたが、少なくとも、ポイントとなることは子どもたちから出させてから、動画で確認したいところでした。
具体的には、「円の定義から、扇形でつくった平行四辺形もどきの高さは一定になる」「底辺の長さは円周の半分に近いが、それよりは小さい」「平行四辺形のはみ出た部分(両端の扇形の半分)を除けば長方形に近い」「はみ出た部分は、分割を細かくすると小さくなる」「底辺の長さは、分割を細かくすると円周の半分に近くなる」といったことです。
こういった言葉をたくさん出させてから、分割をどんどん細かくするとどうなりそうかを子どもたちに言わせるのです。単に長方形に近くなりそうではなく、自分たちがやった作業をもとに辺の長さまで予想させるのです。そのための時間を取る必要があるので、細かい分割までやる必要はありません。感覚的に理解できる程度に実物で操作した後は、考えさせる時間に当てるとよいでしょう。CGの動画は、子どもから出てきた予想の確認程度よいのです。これを使って説明して納得させようとすると子どもたちがやった活動の意味がなくなってしまいます。あくまでも子どもの考えをもとに公式を導き出したいところでした。

この学校では、子ども同士がかかわり合う授業を意識しています。全体的には、先生と子どもの関係は良好で、先生方が子どもを認めよう、ほめようとする意識があります。基盤ができつつあるので、次のステップに進むことができると思います。しかし、「子ども同士がかかわり合うために、課題はどのようなものであるべきなのか?」「子どもの発言をつなぐためには具体的にどうすればいいのか?」といったことが、まだ先生方の中にストンと落ちていないように思います。先生方がこのことを課題として共有し、互いに相談し、学び合っていただけたらと思います。次回の訪問時にどのような変化が見られるか楽しみです。

初任者にとって基本は難しい?

前回の日記の続きです。

3年生の担任は初任者です。国語のわからない言葉の意味調べの場面でした。
授業者は子どもの発言を「なるほどね」と受け止めることができます。一見受容ができているように見えるのですが、常に同じ対応です。発言に対する評価もありません。マニュアル的に対応しているように感じました。「○○している子はいい」とよい行動をほめることがあるのですが、固有名詞でほめていないので、子どもは自分がほめられたとは思いません。
一部の挙手をする子どもとの間だけで授業が進んでいきます。同じ子どもが何度も指名されるのが気になります。
落ち着かない子どもが一人います。隣の子どもが「静かにして!」と何度も注意をします。他にも、子どもが他の子どもを注意する場面がありました。気になります。授業者があえて注意をしないという対応もありますが、他の子どもに影響がある時には何らかの対応が必要です。少なくとも迷惑をかけられている子どもに対して、「我慢してくれてありがとう」ということは伝える必要があります。
ディスプレイに「たなばたさま」の歌詞を表示し、その後で教科書を開きます。教師にも同じ歌詞がありますが、これは意味のない行為です。今はディスプレイに注目させる時です。
教えてもらっていないからわからないはずだと言いながら、「知っている子はいないかな?」と「砂子」の意味を子どもに聞きます。今日は言葉の意味を調べることを学ぶ時間です。「教えてもらう」という言葉はあまり相応しくありません。「知らない言葉はどうすればわかるか?」を問いかけるべきでしょう。
ワークシートを配り、班長に辞書を取りに来させます。課題の説明をしますが、子どもは辞書に気を取られて集中していません。延々と説明が続きます。言葉の意味を調べること、調べ方、どのようにワークシートに書くのか、こういったことをまとめて指示をするのです。これでは、子どもは理解できません。「辞書の使い方を確認する」「辞書を引いてみる」「辞書に何が書いてあるかを確認する」「複数の意味がある時はどうするかを考える」「ワークシートに整理する」といった一連の活動を、ステップごとに確認をする必要があります。全体で一つひとつ試しにやってみることが必要でしょう。この活動の目標もはっきりしないまま活動に入りました。
案の定、子どもたちは何をどうすればいいのかわからなくて、授業者に質問します。活動中教科書がじゃまになっています。辞書の箱を下に置くように指示しますが、きちんと聞く態勢をとらせていないので、徹底しません。気がついた子どもが他の子どもの箱をかたづけています。
辞書を引いて、「あったー」と声を出す子がいます。「あったら意味を書きましょう」と指示していますが、一連の活動を理解していないので、このような状態になっていることに気づいていません。「どうやって書くの?」と次々に質問が出てきます。行き当たりばったりで、指示を繰り返しています。子どもは全体の場面では評価されないので、個別に授業者に聞いて相手をしてもらおうとしているように感じます。
子どもが友だちにすぐに文句を言います。昨年はこの子どもたちを見ていてこのようなことは気にならなかったので、今年になって子ども同士の関係が崩れ始めているようです。
全体で発表させるのですが、子どもがなかなか静かになりません。授業者の声が大きくなります。これは逆効果だと気づいていません。全員が授業者に注目していないのに進めます。
2人しか挙手をしないのに指名しました。他の子どももノートには作業の結果が書かれています。なのに、発表しないというのはどういうことでしょうか。教室の雰囲気が悪くなっていることや発表してもいいことがないと感じていることが原因のように思います。基本的にほめられることがないのです。
「砂子」は国語辞書には載っていません。そこで、授業者が写真を見せて説明しますが、載っていないことを調べさせる意味は何でしょう。結局わからなければ授業者に教えてもらうという姿勢をつくってしまいます。辞書には種類があることと、百科事典と国語辞典との違いを教えて、百科事典で「砂子」調べた結果を見せたいところでした。
七夕がもともとどんな行事だったかを子どもに問います。知っていなければわかりません。ヒントを出して考えさせます。かつては習字を上手くなるように願っていたということを説明しますが、あまり意味のあることではありません。さっさと説明すればいいのです。
子どもたちに短冊を書いてもらうと言うと、何を書くのかを明確にしていないのでテンションが上がります。授業者は「聞きなさい」と強い声で制止をします。コントロールできないと上から押さえつけようとします。これでは、子どもたちとの人間関係が崩れていきます。
この後で、短冊に書くテーマを提示します。「クラスをよくするための願い事」です。子どもは、「自分の願いがいい」と反発します。子どもにとって、その必然性がないのです。国語の授業としてこの活動の目標は何かわかりません。学級の状況がよくないのでこういう課題にしたのなら、まず子どもたち自身がそのことが課題と感じるような場面が必要です。
子どもが書き始めると、下書きをするように指示を追加します。これでは徹底しません。指示に従えてない子どものミスを指摘する子どもがいます。助けるというよりも非難という感じです。あとから、名前を書くように指示しますが、どこに書くかよくわかりません。そもそも授業者が貼った見本には名前がないのです。
授業後の挨拶は、だれも授業者を見ていないまま終わりました。このことが象徴的でした。
授業者の視線の先には、子どもの姿がありません。自分の感覚で、「これでわかるだろう」と思って授業を進めています。経験の少ないうちはそうかもしれませんが、授業中の子どもの姿を見て修正されていくものです。3ヶ月経とうとするこの時期でも、それができていないのです。子どもの視点で授業を見ることができていません。自分の言葉が子どもにどう受け取られるか、子どもはどのような過程で理解するのかといったことを考慮できていないのです。
基本的なことでも、それをきちんと実行することは初任者にとっては難しいものです。ゆっくり時間をかけて成長すればいいのです。とはいえ、当面は急いで学級の状態を落ち着かせる必要があると思います。子どもたちの中にあった、昨年までの貯金がなくなっているのです。授業規律を、子どもを認め、ほめることでつくることから始める必要があると思います。それと並行して、授業者にはどのような子どもを育てたいのか、どのような子どもの姿を見たいのかを自身に問いかけてほしいと思います。
管理職を含め、多くの先生方がこの先生にアドバイスをしています。何を言われているのか、具体的にどのようにすればいいのか、もしわからなければ自分から何度も聞きに行くことが大切です。アドバイスを素直に受け止め、前向きに取り組んでほしいと思います。

学校全体としては、先生方は子どもを受容することができています。先生と子どもの1対1の関係は良好だと思います。次の課題は、子ども同士をつなぐことと、活動の目標を子どもにわかる言葉にして自己評価の場面をつくることです。校長は個々の学級、先生方の課題をよく把握されています。昨年は先生方が課題を共有して、短い期間で大きく進歩しました。今年も次回訪問時にはよい変化を見ることができると期待しています。

できているからこそ次の課題がよく見える

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。1学年1学級の小規模校です。昨年度、先生方がとても大きく変化した学校でした。
この日は、初任者の授業を1時間見て、他の時間で全員の授業を見せていただきました。

1年生の授業は国語の物語の内容の読み取りの場面でした。
子どもは落ち着いて授業に参加しています。授業者との人間関係も悪くありません。子どもたちは指示に従いますが、授業者はそのことを評価しません。できたことを認めることを意識してほしいと思います。
指名した子どもが発表している時に、他の子どもの顔がなかなか上がらないことが気になりました。指名した子どもと授業者だけで進みます。一問一答になっているので、指名した子どもが自分と同じ答を言うと「言われた〜」と残念がる声が聞こえます。同じ答でいいので、何人も指名するようにしてほしいと思います。
タオルで遊んでいる子どもがいました。授業者は「タオルしまっておこうか」と声をかけましたが、しまうところまで確認しませんでした。子どもは動きが遅いので待ちきれなかったのだと思います。先に進んでもいいので、その子どもがしまえた時に、「しまえたね」と笑顔でうなずいてあげてほしいところでした。
もう少していねいに子どもを見る余裕ができると、子どもたちの様子が大きく変わると思います。

2年生の授業は国語の読み取りの場面でした。
子どもたちと授業者の関係がよく、子どもは指名されたいと意欲的です。子どものつぶやきもよく拾いますが、それを受けて授業者が言葉を足したり、しゃべりすぎたりしているように思います。子どもの言葉を受容して、全体に返すことができるのですが、必ず自分で対応しています。「今の意見どう思う?」「なるほどと思った人?」と直接子どもにつなぐことも必要です。子どもはうなずくといった反応ができるので、「うなずいてくれたね。反応してくれてうれしいな。それってどういうこと?」と反応したことを評価し、子どもから言葉を引き出すようにしたいところです。
個人作業に移ってすぐに、子どもが先生を呼びます。どうしていいかよくわからないのです。個別に対応するにも限界があります。その間にできた子どもがだれてしまいます。課題に取り組む前に、子どもに見通しを持たせることを意識するとよいと思いました。本文中に「・・・のように」と比喩表現が使われています。「たとえを表わす言葉に注目して」といった指示を付け加えることで根拠を持って考えることができ、手がつきやすくなると思います。

4年生は国語の同音異義語の学習でした。
同音の言葉を使った定型詩の同音の部分を抜いたものを提示して、そこに入る同じ言葉を考えさせます。指名した子から「とる」という答がでると、「いいです」と声が上がります。授業者は「大正解です」と「正解」を自分で判断します。ここは、何人かに言わせた後、「とる」をいれて、上手く通じるか全員で確認することが必要です。自分たちで正解かどうかを判断する力をつけることが大切です。
これに限らず、子どもの発言をすぐに正解と判断したり、子どもの言葉を「すごい、すごい」と評価してすぐに解説したりします。他の子どもが友だちの発言を理解し、評価するための時間や、場面が必要です。立ち止まることなく、一部の子どもとのやり取りだけで授業が進んでいくので、ついていけない子どもが増えていきます。10分ほどで子どもたちの集中がなくなってしまいました。
「今日、習っていくのは・・・」とめあてを示しますが、「習う」という言葉が引っかかります。子どもたちは、無意識のうちに授業は「教えてもらう」ものだと思ってしまいます。「正解」「わかった人」という言葉が多用されることと合わせて、気をつけたいところです。
課題ができた子どもに対して○をつけに行きます。子どもの手が挙がると、教室の中を行ったり来たりしています。効率が悪いのも問題ですが、何よりできた子どもしか評価されません。もし○をつけるのなら、全員に○をつけることが大切です。挙手に頼らず、間違えていても×はつけずにできているところまで○をつける部分肯定の発想で、端から順番に○をつけていくのです。
全体では答の確認で進みます。結果だけを聞いても、できなかった子どもができるようにはなりません。できなかった子どもができるようになる場面を授業の中で組み込むことが大切です。
授業者が教卓から物を落としたときに、子どもが「落ちた」と教えてくれました。授業者「ありがとう」とその子どもに返しました。あたりまえのことですが、子どもに「ありがとう」をきちんと言えることは大切なことです。子どもに向き合う姿勢はできていると思います。子どもたちとの関係の上に、どのような授業をつくっていくのかを考えてみてほしいと思います。

5年生は道徳の授業でした。
子どもたちが安心して意見を言える学級がつくられています。授業者は笑顔いっぱいで子どもたちの言葉を受容します。子どもたちは、友だちの考えに対してどんどんツッコミを入れることができます。道徳的にはどうかなと言う意見は、思っても全体の場で言わないのが普通です。しかし、この学級では気にせずに言うことができます。とてもよい人間関係がつくられているように思いました。失敗しても笑われない、バカにされない、恥ずかしくない学級づくりが大切です。この学級は失敗しても「笑い飛ばせる」、もう一つ上の状態に感じました。
マジシャンが、さびしい子どもとの約束を守るか、夢をつかむチャンスを取るかで悩む話です。主発問は「どちらに行くべきか?」です。「行くべき」という表現は、客観的な答を求めるものです。どうしても建前になりやすいのですが、子どもたちは「子ども」「マジシャン」の気持ちや立場になって意見を言います。よい状態で授業が進んでいます。しかし、自分や相手の都合が話題の中心です。この題材では、「約束を守る」ということの大切さ考えることがねらいなので論点がずれています。授業者は「約束」という言葉を意識させようとしましたが、なかなか修正ができませんでした。ここでは、「子どもが、温かい家庭でさびしくなかったらどう?」と条件を変えてみるとよかったと思います。揺さぶることで、「自分や相手の都合に関係なく、約束は守るものだ」という考えも出てくるのではないかと思います。

6年生は外国語活動の時間でした。授業者は、穏やかな表情で子どもたちをしっかりと受容できる方です。
街の地図で、目的地を”go” “turn” ”right” “left”を使って誘導するという課題です。”Go!”で一ブロックを進みますが、実際の道案内とは違う表現です。2ブロックを進むには2回”Go!”を言います。ゲームとして構成されているの、それでよいという考えもありますが、実際とは違う表現は問題があると思います。
指名された子どもが順番に英語で指示して、自分の家へ誘導するという設定です。場所を確認したら、友だちの顔写真をその場所に貼ります。子どもたちの活動時間の多くは、顔が印刷された紙から友だちの写真を切り抜いて貼ることです。楽しんでいる子どももいますが、ばかばかしいという顔で、ただ作業をしている子どもも目立ちます。やっている内容は、どう考えても小学校の低学年か幼稚園児レベルだからです。
これはこの市のカリキュラムの問題で、授業者の問題ではありません。英語の教科化も見据えて、この市として見直しが必要だと思います。

特別支援学級は、3人の先生が担当されていました。ベテラン2人と若手です。
若手は、子どもに寄り添うことをとても意識していました。寄り添うことを意識して子どもと接する経験を積むことは、普通学級を担任する時にも生きることです。よい経験を積んでほしいと思います。
ベテラン2人は力のある方だと感じました。とてもよい表情で、子どもと上手に接しています。人事面の都合で、どちらかと言えば力のない方が特別支援を担当することもあるようですが、この学校は力のある方を担当させています。普通学級か特別支援学級か悩んでいる保護者に、安心して特別支援学級を選んでもらいたいという校長の発想です。慧眼だと思いました。

どの先生も子どもを受容することができています。だからこそ、次の課題が明確になってきたと思います。

この続きは次回の日記で。

誰にとっても学びの多い授業

夏休みの教務主任対象の研修で利用する小学5年生の算数の授業のビデオ撮影を行いました。授業者は昨年のこの市の授業力向上研修に参加した方です。快く授業を公開してくださいました。

授業は、図と式を結びつけて考える場面でした。4列の十字型に並んだ苺の数の数え方を式から考えさせます。
何と言っても子どもたちの表情のよさが印象に残ります。授業者との人間関係が良好なことがいろいろな場面でよくわかります。授業規律もしっかりと確立しています。どのようにしてこういう学級をつくり上げているのかよくわかる、参観者にとって学びの多い授業でした。
4つずつを正方形で囲んで、4×5の式をつくります。「何の4?」と問いかけると子どもがつぶやきます。授業者は「みんなに説明して」と子どもの言葉を全体につなぎます。
子どもたちは友だちの発言に対してハンドサインで答えますが、よく見られる、大きな声で「いいです」「賛成」と言うようなテンションの高さはありません。全員がすっとハンドサインを出します。授業者が全員参加を意識して指導していることがよくわかります。「賛成」に対して、「同じでも言って」と指名します。子どもたちが指名されたいとテンションを上げずに落ち着いている理由がよくわかります。一問一答では、自分と同じ考えが発表されれば指名してもらう機会がなくなりますが、このような進め方であれば同じ考えでもまた指名してもらえる機会があることがわかっているからです。
指名した子どもが返事をしないことがありました。授業者は名前をもう一度呼んで返事を促します。返事ができると「いい返事です」とほめます。行動を修正すればほめるにようにすれば、子どもは注意されたとは思いません。認められたと感じて、よい行動をとるようになります。上手に授業規律をつくっています。
3種類の考え方の図と式を提示します。式を書いたワークシートと図を描いた紙が配られます。子どもたちは式に対応する図をワークシートに置きます。図ごとに紙の色が変えてあり、子どもの手元の色の並びを見れば、正しく置けているかどうか机間指導をしなくても一目でわかります。なかなかよいやり方です。
式と図をもとに、考え方を言葉で説明するのが課題です。算数・数学の世界では式や図も言語と考えることができます。それぞれを自由に行き来できることが大切です。両方を与えるのではなく、「図から式を自分でつくって説明する」「式から考え方を説明する図を描く」といった活動もあります。この授業ではグループ内で式を分担して説明しあうのですが、それであれば、いくつもの図や考え方がでてくるような式で考えを聞き合う方が、かかわり合いを通じて思考が広がるのでグループ活動に向いているように思いました。
子どもたちは自分の担当の説明を考えます。終わったら他の式も考えるように指示していますが、ほとんどの子どもは手をつけていません。担当を決めた時点で、それ以外は自分に関係がないと思っているようです。「全員が同じ問題に取り組む」ことや、「友だちの説明を聞いて最後は自分の言葉で書く」というように担当以外の問題を解くことに価値を与えるといったやり方もあります。
子どもが作業をしている時に、指示を出すことがありました。きちんと作業を止めてからするようにしないと徹底できません。このことを忘れないでほしいと思います。
子どもたちに、作業を終えて授業者に注目するように指示しました。「切りかえ速くなったよね」と評価します。子どもたちのいい姿を2人いると紹介します。名前を言わなかったのですが、まわりの子どもがその子どもの名前を「○○」と言います。子どもたちの間に笑顔が広がります。とても気持ちのよい場面でした。これに限らず、子どもたちの行動をよく評価しています。ここにも授業規律のよい理由があります。
グループ活動に移りますが、「声の物差しを考えて」と指示します。テンションが上がりやすいのでしょう。確かに、グループになって最初はテンションが上がりました。無責任に取り組んでいるので上がったのではなく、活動に対する意欲の表れのように見えました。すぐにテンションが下がったからです。
全体での発表です。子どもたちは友だちの発表に対して実によく反応します。「○○じゃないの」「どうして○○になるの?」「ちょっと言いたい」といった言葉が次々に出てきます。黒板の前で子どもに発表させると授業者はどうしても発表者ばかりを見てしまいます。しかし、この授業者は実によく子どもたちを見ています。こういった子どもたちの反応を見逃さずにつないできます。まだ若い方ですが、なかなかできるものではありません。
「○○さんの意見と違って」とある子どもの意見に対して違う意見が出されました。このこと自体はよいことなのですが、言われた子どもの表情は少し暗くなりました。ここは、もう一度その子どもに「○○さん、今の意見を聞いてどう?」と確認をしたいところでした。認めればそのことをほめ、もし納得しなければ自分の考えを再度発表する機会を与えるべきなのです。
同じ図と式で、異なった考え方が出てきました。1枚の紙に考え方を書き込んだために、ごちゃごちゃしてしまいました。別に図を描き直して説明させたいところでした。
教科書の練習問題に取り組みます。説明をする前に「いい姿勢になってください」と前の活動をいったんきちんと終了します。こういうところも見習うべきところです。
「(答を)書けたらいい姿勢で教えてください」と指示します。こういった指示は悪くないのですが、問題を解くような場合は速さに差が出ます。早くできた子どもはかなりの時間待たされることになります。できれば、次の課題を準備しておきたいところでした。
この問題の説明場面でも、子どもはとてもよく反応しました。「すごい」といった言葉が聞こえてきます。子ども同士がよくかかわれている授業でした。

この授業は、愛される学校づくり研究会で企業と共同開発しているICTを活用した授業検討ツールを使って撮影しました。参観された先生方には端末を持っていただき、「★ いいね」「? 疑問」のボタンを押してもらいました。この学校では毎月授業研究が行われています。この学校から授業力向上研修に参加される先生は、レベルの高い参加者の中でも授業を見る力が高いと感じる方ばかりです。この学校の教務主任は以前からよく知っている力のある方ですが、よい研修を校内で行っているのだと思います。そのことが、今回の授業検討ツールでの先生方の反応に表れていました。このツールを初めて使った方は、多くの場合途中でボタンを押すのを忘れてしまいます。しかし、この授業の参観者は最後までしっかりと反応していました。意識して授業を見る習慣がついているからだと思います。また、同じ学年の先生が全員参観していることもよかったのだと思います。自分たちもかかわって授業をつくってきたので、意識して各場面を見ていたのでしょう。
夏休みの研修に向けてとてもよい題材を提供していただけました。この学校の先生方に感謝です。

授業者と、同学年で夏以降の授業力向上研修で模擬授業と研究授業の授業者となっている先生が、次の時間をあらかじめ空けておいて、私の話を聞きに来てくださいました。素直にアドバイスを聞き、自分の授業に活かそうとする意欲と、グングン伸びていくエネルギーを感じます。この2人からたくさんのエネルギーをいただきました。次回の授業力向上研修がとても楽しみになりました。こういった機会をいただけたことをとてもうれしく思います。ありがとうございました。

学校の次のステップが見えてくる(長文)

昨日の日記の続きです。

4年生の算数は、長方形を平行、垂直を使って作図する授業でした。
指示に対して子どもの動きが遅い場面が気になります。「あと10秒で」といった後、「10秒経ちましたので」と説明を始めますが、まだ準備ができていない子どもがいます。「教科書を閉じて」と何人も個別に指示をする場面もありました。
子どもが席を立って何かを取りに行こうとしました。授業者は「後にしてください」と言って止めさせます。子どもが何か言いたそうにしているのに対して「それは大事なことですか?」と子どもの言葉を封じました。授業者に余裕がありません。そのことが子どもにも伝わっているように思います。ここは、「どうしたの?」と子どもが何をしようとしているか聞いてあげて、「なるほど」と受けた上で、「みんなが待っているから、後にしてくれる」と席に着かせるといいでしょう。席についたら「ありがとう」と一言足すことを忘れないようにします。
長方形を提示して、どんな形か子どもに問いかけます。「長方形」という答に対して子どもたちから「いいです」と反応が返ってきます。しかし、この授業では長方形を作図することが目標です。そのためには、長方形の定義や性質が重要になります。これを復習しなければ意味がありません。「本当?そう見えるだけじゃない?」と揺さぶり、「どうすれば長方形だと確かめられる?」と発問して、定義や性質につなげたいところです。
平行や垂直の言葉を簡単に確認して、長方形の中の垂直な辺、平行な辺の組を問いかけます。前時にやったことなのですが、子どもたちは挙手しません。教科書やノートで確認させて発表させますが、子どもたちはノートに書いてある答を読み上げます。発言に合わせて授業者が黒板で確認するので、子どもは友だちを見ずに黒板を見ています。ここは、平行や垂直の定義を確認して、「この辺と垂直な辺は?平行な辺は?」と定義からもう一度復習するべきだったと思います。
子どもが発言の途中で混乱する場面がありました。授業者は「誰か助けてくれる」といって他の子どもを指名しました。こういう場面では多くの場合子どもの表情は悪くなります。「助けてもらう」といっても、自分の代わりに誰かに発言の機会が移り、自分の活躍の機会はなくなります。「外した」「失敗した」という気持ちになってしまうのです。このあと、授業者はその子どもに「思い出したよね」とわかることを強制しています。わからなければ置いていくわけにはいかないので、何とか思い出してもらわないと困るのです。隣の子どもが、「(その子は)わかっていない」と言います。本人も「わからない」とつぶやいていました。その子どものことがよくわからないので何とも言えないのですが、少なくとも本人の口から再度答を言えるまではかかわりたいところでした。
全体的に授業者が何かに追われているように見えました。子どもたちとじっくり考える時間を持つ余裕がほしいところです。進度などが気になるのかもしれませんが、まずは子どもがしっかりと理解することが優先です。子どもの理解が進めば、授業のペースを上げることもできるようになるはずです。

4年生のもう一人の先生は、理科と社会科の授業を見せていただきました。
理科はNHKの動画を使って電池のつなぎ方と電気自動車の動きとの関係を考えさせる場面でした。子どもたちから問いかけがあっても考える時間はありません。授業者は動画を見ながら子どもたちに問いかけて考えさせようとしますが、動画はお構いなしに進んでいきます。発問する前に再生を止めて、通常の授業のようにやり取りをすればいいのです。必要に応じて続きを再生したり、場面をとばしたりといった使い方をするとよいでしょう。
面白かったのが、黒板の横に乾電池と豆球がぶら下がっていたことです。電池が直列だと1個の時と比べて明るいことがすぐにわかるのですが、並列だと違いがわかりません。そこで、子どもたちから、時間が経ったら違いが出るか見てみたいということになったようです。直列は数日で豆電球が消えたようですが、並列は1週間ほどたってもまだ点いています。こういう実験を子どもたちとしているのはとてもよいことだと思いました。
社会科は水の大切さを考える場面でした。
砂漠地帯の写真などを見せながら、「森がない」といった言葉を引き出します。世界には水が不足しているところがあるということに気づく活動ですが、森がないことと水の関係を明確にしていないようだったのが気になります。相関関係と因果関係の違いを意識したいところです。
「限りある水を使い続けるために私たちはどんなことができるだろうか」とう課題で資料をもとに考えさせます。「限りある」という言葉にはちょっと抵抗がありました。水は循環しています。節水につなげたいのでしょうが、子どもたちは水が不足した経験があまりありません。ここで言う「限りある」とは上水の供給能力です。このことをまずどこかで押さえておきたいところでした。「私たち」という言葉も注意が必要です。導入で他の国を取り上げています。そのため、「私たち」は人類という大きな枠でとらえる可能性もあります。この授業では、この市の資料をもとに考えたので、自然に身近な自分たちの意味になりましたが、ちょっと気をつけたいところです。
資料はこの市の人口の変化と、水の使用量の変化の2つのグラフです。このグラフを見てわかることを書かせます。一つ書いて終わる子どももいます。「できるだけたくさん」といった量的な目標、「水を使い続けるために何をしているのか、グラフから読み取ろう」といった質的な目標などを与えることも必要でしょう。
友だちに自分のわかったことを「言う」場面がありますが、子どもはノートを読んでいます。「聞き合う」として、ノートは困った時に見ることにし、できるだけ互いの顔を見ながら聞き合うようにさせたいところです。資料を読み取った後、それをもとに考える時間を取る必要がありますが、読み取りに時間をかけすぎたように思いました。
資料の読み取りについては、視点を持つことが大切です。資料を読む時には「何に注目するとよいかを今までの経験から言わせてから始める」「子どもの読み取りの視点を価値づけする」といったことが必要です。今回であれば、市の人口の増加に対して水の使用量の増加が少ないことがポイントです。複数の資料に対しては「どんな関係がありそうか考える」「変化の違いに注目する」といった視点がありますが、どこかでそのことを整理したいところでした。
授業者は子どもの言ったことをすぐに板書しません。姿勢を低くして発表を聞いています。子どもが発表者に注目するように意識しています。とてもよいことだと思います。基礎的な授業技術がついてきているように思います。これからは教材研究の力が求められてくると思います。子どもたちにどんな力をつけたいのか、そのためにはどのような活動が必要で、どんな目標を与えればいいのか。こういうことを大切にしてほしいと思います。

5年生の算数の授業は、4列の十字型に並んだ苺の数を、区切り方を変えて式を考える場面でした。
子どもたちは、授業者が準備したその図を描いた紙に、自分が考えた数え方の区切りを書き込み、その裏に式を書きます。なかなか面白いやり方です。
自分と同じ図を描いている人を探させます。子どもたちはうれしそうに教室の中を移動します。通常このような場面はテンションが上がりやすいのですが、落ち着いた状態で活動します。自分と同じ図を探すのではなく、同じ考えの人を探す感覚だったのかもしれません。同じ図の人とは式を比べてみるとよかったと思います。同じ考え方でも式はいろいろと出てくる可能性があるからです。子どもたちの考えを広げることができます。
友だちの発表に対して、「賛成」「なるほど」といった声が上がります。ここで注意してほしいのは、同じ答でも、違う答でもこのような声が上がる可能性があるということです。ここは、子どもたちに「○○さん、賛成って言ってくれたけど、あなたは同じ式?」と聞き返して、いろいろな式や考えを出させてもよかったと思います。また、ハンドサインを全員が出していないことがあります。そういう時には、出していない子どもに「あなた、どうだったの?」と参加を求める声かけをすることも必要です。
いろいろな図を発表させるのに、お隣の紹介をさせました。ペアでの活動を活かすよい方法だと思います。隣の人と説明し合ったりと、子ども同士をかかわらせ、活動量を増やそうとしていました。
同じ図に対して、式を一つひとつ書いている子ども、かっこを使って一つにまとめている子どもがいます。それらを紹介して、「どの式がいい」と問いかけます。式が「いい」とはどういうことでしょうか?この評価の基準がないので答えることはできません。それぞれの式のよさを子どもに言わせて比較したいところでした。そのよさのどれを選ぶかは子どもに任せればいいのです。
授業にいろいろな工夫が見られます。授業者の向上心が感じられます。これからますます力をつけることを期待します。

6年生の算数は、分数÷分数の計算のまとめの問題練習の場面でした。
「小数は分数のかけ算にする」とまとめていました。これは要注意です。確かにこの時間の計算問題はこのやり方で解けます。しかし、小数のまま計算した方がよい場合もあります。教科書は「・・・することができる」という表現をしています。考え方、やり方の選択肢の一つなのです。手順を教えるだけでは思考力はつきません。数学的・算数的なものの見方・考え方を意識することが大切です。
この日の練習問題は複雑で長い問題です。グループで考えさせますが、これは個人でやるべき問題です。個人作業のグループ化で、わからなかったら友だちに聞きながらやればいいのです。グループで答を出すことではなく、一人ひとりが友だちの助けを借りながら自分の答を出すことが大切なのです。
この計算をするためにはいくつかのステップがあります。途中でつまずいてしまうとそこから先がおかしくなります。小数と分数が混じっていることをまず意識させ、小数を分数に直すところまでを確認する。続いて分数÷分数を分数×分数に直す、約分するといったスモールステップに分けて考えることが必要です。しかし、これを手順として教えるのは疑問です。ステップごとに式をみて、「分数だけの計算になったね?この計算はどうすればいい?」と式を見ながらどのように計算するのかをその場で考えることが大切です。手順として機械的に計算する癖をつけると、それが通用しない時におかしなことになってしまうからです。
教科書の「・・・することができる」といった表現を大切にしてほしいと思います。教科書は一字一句よく考えられています。読み込むことで授業のポイントが明確になることを知ってください。

この学校では算数の時間に少人数授業を取り入れています。少人数の利点を、一人ひとりを個別に指導する機会が増えることととらえる方が多いのですが、いくら子どもの数が半分になってもそこには限界があります。子どもが全体で発言する機会が倍になったと思ってください。全員が全体の場で発言することができるように授業を組み立ててほしいと思います。

この日は中学校区の研修会になっていました。中学校と小学校で同じ授業ルールにしていることもあり、この小学校に同じ中学校区の先生方が集まって全学級の公開授業を見あうのです。とてもよい取り組みだと思います。しかし、廊下の教室と反対側のじゃまにならない場所でぼんやりしていたり、小声で話をしたりしている方が目につきました。ちょっと残念な光景でした。
この校区の中学校は授業規律の形にこだわっていますが、この小学校は形ではなく、その中身を問うフェーズに入ってきていると思います。校長はそのことを強く意識されていました。授業を大切に考え、どのようにすれば学校がよりよくなるか、常に次のステップを考えておられます。お話ししていて私もよい刺激を受けています。この学校のこれからが楽しみです。
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