「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第12回公開幾何ツールの研究会で学ぶ
先月、幾何ツールを使った中学校数学の授業研究会で、検討会の司会を務めてきました。
この授業研究会の特徴は、一度授業を行って検討会をした後、それを受けてもう一度別の学級で修正した授業をすることです。授業者にとってはとても厳しい授業研究会です。 今回の課題は平行四辺形をもとにある条件でつくった三角形が、その平行四辺形を変形するとどんな形になるかを考えるものです。その時の平行四辺形はどのような条件なのかを求め、最終的にはそれを説明するというものでした。 iPad上で動く幾何ツールを使って平行四辺形の形を変えて、どのような三角形ができるか調べることができます。4人1台のiPadを使って授業は進みました。 授業者は子どもたちを受容することを非常に意識していました。笑顔を絶やさないようにしていることが感じられました。 最初の授業では、課題となる図と条件の説明の時間をあまりとらずにすぐにiPadでのグループ活動になりました。子どもたちは、作業を始めますが取り敢えず動かす子ども、それをぼんやりと見ている子どもが多く、まだ会話は生まれません。何か見つかった子どもは意識的に動かし始めますが、一部の子どもだけで進んでいきます。iPadについているスタンド兼用のカバーのせいでしょうか、子どもたちはiPadを立てて使っています。そのため4人が同時に操作したり画面を見ることがやりにくくなっていることがその原因かもしれません。 多くの子どもたちは、平行四辺形を正方形にしたり、長方形にしたりしてできる三角形がどのような形かを考えます。続いて、逆に二等辺三角形や正三角形をつくろうとしますが、平行四辺形の中にある要素に注目してみるといった戦略的な動きはなかなか出てきません。数学的な視点を意識できていませんでした。途中で動きの止まっているグループ、ある三角形になる条件を一部の子どもだけで追究しているグループと状態がバラバラになっていました。 グループ活動を止めて、発表に移ります。平行四辺形がどんな形の時にどんな三角形になったかの発表をするのですが、子どもたちの視線が気になります。黒板に映しだされた説明の画面に向かう子ども、手元のiPadで確認する子ども、発表は無視して自分たちの追究を続けている子ども、バラバラなのです。手元に道具があるのですからそれを使って確認したくなる気持ちもわかります。自分たちも知っている結論を聞くことよりも、自らの追究を続けたくなるのも道理です。授業者がこの場面で子どもたちをどうしたかったのかが問われる場面でした。自分たちで確認させたいのならば、手元のiPadでそうなるか確認するように指示をすべきでしょう。黒板に注目させたければiPadを閉じさせるべきです。自分たちの追究を続けているグループに対しては、見つけた結果をもとに次にどのような課題を考えることになるのか、授業の展開の見通しを持たせるべきでした。 どんな時に○○三角形ができるか、条件をもっと明確にしてほしいと授業者が子どもたちに問いかけます。しかし、子どもたちにとってはどんな三角形がつくれるかが課題だったので、考える必然性が今一つありませんでした。幾何ツールを使って試行錯誤している場面から、いきなり数学的な説明を求められたのでついていけなかったのです。「iPadを使わずに、○○三角形になるような、平行四辺形を描いてくれる?」といった別の課題とした方がよかったのかもしれません。 この課題を通じてどのような数学的な力をつけたいのかが、よく伝わらない授業になってしまいました。 最初の検討会では、次の授業に向けて今回の授業の課題や疑問点が出されました。導入における課題の提示といった「授業の進め方」、グループにおける子どものかかわり方といった「グループの問題」、幾何ツールが数学的な力をつけることにつながったかいった「課題と幾何ツールの使い方」などが話題になりました。「グループの問題」については、グループの動きがどうあるべきか、教師がどうかかわるべきかに対する考えは、いろいろあります。「課題と幾何ツールの使い方」も子どもに自由に使わせて課題を見つけさせるといった使い方もあれば、授業者のねらいに沿って課題把握や課題解決の見通しを持たせるといった使い方もあります。ここで大切なことは、どれが正解かを見つけることではなく互いの考えを聞きながら参加者や授業者がどのように判断するかです。そのための材料は、参加者の皆さんの積極的な発言のおかげでたくさん出てきたと思います。しかし、授業者がそれらすべてを消化するには、時間は少し足りなかったように思います。 2回目の授業は、課題そのものは変えずに、課題提示の場面で条件をていねいに説明しました。理由も考えてほしいことを強調しましたが、子どもたちは今一つピンときていないようでした。初めにすぐにわかる例で理由の説明までやって見せてもよかったのかもしれません。 今回は早めに発表をしましたが、その時の子どもたちの動きは前回の授業とあまり大きな変化はありませんでした。自分たちの追究を続けるグループも目立ちます。中には、友だちの発表を受けて動き出す子どももいます。見つけたことを次々に発表するのではなく、取り上げたものについて、その場で追究させた方がよかったのかもしれません。 授業者は、子どもたちの追究を深めることを意識していました。共有した課題を再度考えさせる時間を取ります。この時、幾何ツールを使っている子どもと紙で考える子どもとに分かれていました。面白い場面です。自分の手で図を描くことで条件等が見えてくることもあります。こういった子どもの動きの違いを「紙で考えていたけど、どういうこと?」と問いかけて話題にしても面白いかもしれません。 短い時間で課題そのものを変えるといった大きな変更は難しいものがあります。その中で、授業者は課題の提示や発表の取り上げ方、つなぎ方などを変えて、子どもの追究をより焦点化しようとしていたように思いました。 2回目の検討会では、課題と幾何ツールの使い方についてより多くの時間を割きました。今回の授業研究会の後、この課題を自分の視点で再構成して、授業をされた先生がいらっしゃいました。こういった報告を聞けるのはうれしいことです。参加された皆さんにとって刺激の多い研究会だったと思います。 主催している大学の先生と授業者だけでなく、この学校の数学科の先生方全員でこの研究会に向けて研究し本番に臨んでいただいています。全国各地からいろいろな方が参加されています。いろいろな立場の方が一堂に会して授業を考えることのよさを味わうことができる会です。今回も授業を見せていただき、司会という役割をいただくことで多くのことを学ぶことができました。このような機会をいただけたことに感謝です。 企業の新人研修の打ち合わせ
昨日は、4月の企業での新人研修の打ち合わせを行ってきました。今回は、新たに2名の方を講師に迎えて、昨年まで私が1人で担当してきた教師の仕事、コミュニケーションに関する研修をより充実したものにすることになりました。そこで、研修の内容と分担についてのすり合わせを行いました。
私からは昨年行った研修の内容を簡単に説明しました。過去の研修参加者の特徴として、課題に正解があると考えて答探しをすること、物事を一面からだけしか見ないことがあります。また、講義であればメモはしっかりと取るのですが、メモした内容を実際の演習場面で使おうとしない、使えないということもあります。単純労働なら別ですが、会社では答のある仕事を与えられることはまずありません。課題を解決するために、仲間と相談しながら答を見つけていく力が求められます。その力を研修ですぐにつけることはできません。しかし、そのような力が求められていること、その大切さを感じてもらうことはできます。このことを目標として研修を行ってきたことをお伝えしました。 お二人ともとても力のある方なので、それぞれの経験と持ち味を活かした研修を組み立てられることと思います。私にとって新人以上に多くの学びのある研修になることと楽しみにしています。 このお二人とは25年以上おつきあいをいただいていますが、4月からこの研修以外にも新しいお仕事を一緒にさせていただくことになりました。この新しい仕事については、おいおいご紹介させていただきたいと思います。 4月からとても刺激的で楽しい仕事が始まりそうです。 頼りになる先輩のような本担任を持つと毎日学級の子どもたちの前で話をする機会があります。連絡事項だけで時間をつぶしてはもったいない時間です。しかし、「4月のこの時期一体何を話せばいいのだろうか?」「この行事に向けてどのようなことを語りかければいいのだろうか?」と悩む方も多いと思います。学級づくりを進めていくためには、いろいろな場面で担任の働きかけが大切になります。ターニングポイントに気づかず、後手に回ってしまうことがあります。そんな時、頼りになるのが先輩や同僚です。自らの経験をもとに、今学級づくりに何が必要かを教えてくれる人がいるかいないかで、大きく変わってきます。 私自身を振り返ってみると、初任者の時に副担任としてついた先輩の存在がとても大きなものでした。毎日の短学活に私を同行させて、この時期に何を話すべきか、どのような働きかけをするのか逐一具体的に見せてくれました。また、子どもたちや保護者との面接にも立ち会わせてくださいました。時には、発言の機会を与え、後からアドバイスもしていただきました。厳しく指導されたこともありましたが、そのおかげで今の私があると思っています。私のように素晴らしい先輩に出会えた方は幸せですが、現実は必ずしもそうとは限りません。若い先生で、自分の中学校時代の担任が何をしていたかを思い出しながら、手探りで学級経営をしている方にたくさん出会います。そんな方にとって、頼りになる先輩としてたくさんのアドバイスをしてくれる本です。 この本の素晴らしいところは、具体的なトークや取り組みの例、子どもたちに配る印刷物の写真など、すぐに使える物やアイデアが満載されていることです。しかし、人によってはマニュアルのように全く同じようにしゃべったり、そのまま使ったりして上手くいかないということもありえます。自分の学級の状況に応じて工夫する必要があるからです。その点、例えばトークであれば、なぜそのようなことを話すのか、話のポイントは何かを話に沿って解説しています。トークを公開してくれるだけでなくその裏側も伝えてくれる、頼りになる上にとても親切な先輩なのです。 今まで学級経営に関することを質問された時には、私なりの答を伝えるとともに、「先輩や同僚がどうしているか聞いたり、学級をのぞいて盗んでみたら」とアドバイスしていましが、これからは、「こんないい本があるよ」という言葉を付け加えたいと思います。 “授業アドバイザーが教える「授業改善」30秘訣”4月刊行4月刊行予定ですが、明治図書出版のホームページで予約が始まっています。 「日々の授業を改善したいがどこから手をつけていいかわからない」「若手に対してどのような授業アドバイスをすればいいのか」といった悩みを持っている方に、是非手に取っていただきたいと思っています。 愛される学校づくり研究会の来年度の活動予定
先週末は、「愛される学校づくり研究会」の役員会でした。来年度の日程や活動のテーマについて話し合いました。
今年度の考え方を引き継いで、私たちの日ごろの研究会の延長上にフォーラムを位置付けることはすぐに決まりましたが、来年度の研究テーマをどうするかについては、かなり白熱した意見交換が続きました。授業についてはこれまで同様にこだわり続けていきます。授業検討については、ICTを活用した「授業検討ツール」については、今後もその活用を通じてよりよいものにしていくことは確認できました。話題になったのはICTの活用についてです。私たちを取り巻くICT環境の変化に対応した活用方法の視点を学校は持つべきではないかということです。テーマとしては魅力的ですが、あまりに大きな課題で、まとまった形で発表できるのか、具体的な実践を提案できるのかが議論されました。フォーラムでどのような形で発表するのかは別にして、このことについて考えることは魅力的であることは一致しました。そこで、共通のテーマを「1人1台環境におけるICTの活用」として、子どもたちの授業や家庭での活用、教師の授業や校務での活用など様々な場面を考えることに落ち着きました。 話し合いの中で、最近の就活中の大学生が社会で必要とされる力に欠けていることが話題になりました。ネット環境を利用しても考えるための情報を集めるというよりは、答そのものを探そうとするというのです。こういった課題を知ることも「1人1台環境におけるICTの活用」を考える上で大切です。企業の方や研究会員以外の先進的に取り組んでいる方々をお招きしてお話をうかがうこともしていこうということになりました。 来年度の教育コラムは、たくさんの新連載が始まります。4月以降順次開始になりますので、楽しみにしていただきたいと思います。 たくさんの皆さんに参加いただいているフォーラムですが、来年も2月に開催する予定です。詳細の発表はまだ先ですが、楽しみにしていただきたいと思います。また、12月には第2回教育と笑いの会が名古屋で開催予定です。 来年度は大きなテーマに取り組みます。それなりの成果が見られまでには数年かかるのではないかと思っています。これまで以上に刺激的で学びの多い研究会になっていくことだと思います。 小学校で、新年度に向けての講演を行う
昨日は小学校で、「学級経営・授業の基本の確認−新学年のスタートにあたって−」と題した講演を行ってきました。年度末の忙しい時期ですが、新年度が始まってからでは時間が全く取れないということで、この日になりました。
4月は子どもたちも気持ちをリセットする時です。今年の担任はどんな先生だろうと興味を持って臨みます。前年度よい学校生活を送れなかった子どもも、「今年は!」と期待してやってきます。しかし、子どもたちのこの意欲の賞味期限はとても短いものです。維持できるのは最初の3日間くらいでしょう。この間に、「今年は楽しそう」「今年は頑張れそう」という気持ちを持たせることが大切です。常に笑顔を心がけ、子どもたちの気持ちを前向きにすることを意識してほしいと思います。具体的には子どもたちを認める、ほめる場面をたくさんつくることです。注意してほしいのは、子どもたちにおもねることとは違うということです。学級の規律をきちんとつくり、安心して暮らせる学級にするのです。 そのためには、学級のルールを明確にすることです。「時間を守る」という抽象的なルールではなく、「チャイムが鳴り終わる前には席につく」「席についたら、姿勢を正して号令を待つ」というように具体的で、できているかどうか明確に判断できるようなものにするのです。その上で、子どもが守れたら「ほめる」ようにするのです。全員できるまで待つことは大切ですが、たとえ一人でも、できた子どもを固有名詞でほめるのです。何をすればほめられるか、認められるかがわかれば、子どもは実行しようとします。悪い行動を減らそうとするのではなく、よい行動を増やす発想です。最初の1週間で、学級のルールが何かを子どもたちにしっかりと伝え理解させます。そして、たとえ不完全でもできたことを、たとえ一人でもできた子どもをほめながら、100%になるように徹底していくのです。ゴールデンウイークまでが勝負です。まずここまでに達成することを目標にしてほしいと思います。 また、教師が指示することが多い時期です。一方的に話を聞くばかりでは、子どもは受け身で疲れてしまいます。子どもが受け身にならないようにすることも意識しなければなりません。作業の指示をしたなら、子どもに「大丈夫?今から何をすればいいのか説明してくれる?」と確認し、聞けていれば「よく聞けていたね。ありがとう」とほめるというように、とにかく、子どもをほめる、認める場面をたくさんつくるのです。 授業では、子どもの発言に対して、まずは「なるほど」と認めることから始めます。この先生の授業では、どんな発言も認めてもらえる、間違えても恥をかかないという安心感を学級につくることが大切です。指名して答えられなくても、「ありがとう。また、聞くからね」と子どもが起立して答えようとしてくれたことを認めるといった対応をしてほしいのです。また、子どもたち一人ひとりをとにかくしっかり見ることが大切です。授業中に先生の温かい視線を感じるだけで、子どもたちは安心します。子どもたちを眺めるのでなく、一人ひとりに視線をしっかりと落とし、視線が合えば笑顔を返すことが大切です。 時間の関係で、子ども同士の関係をつくることはあまりお話しできませんでしたが、来年度は5回ほど訪問する機会をいただけましたので、次の機会にこのことはお伝えしたいと思います。 先生方は、若手もベテランもとても真剣に聞いていただけました。来年度に向けての意欲を感じました。先生方の4月がどのようなものになるのか、報告を聞くのが今から楽しみです。 志水廣先生「退官記念講演」と志水塾のこと
先週末は、愛知教育大学の志水廣教授の退官記念講演に参加させていただきました。全国から300名もの方が駆けつけられ、「笑瀾万丈」と題する講演を楽しく聞かせていただきました。
人との出会い、縁を大切にすること心がけている志水先生です。他者に対する感謝の気持ちを持つこと、他者に対してありがとうと言ってもらえるような行動をとることの大切さを、ご自身の人生を例に笑いを交えてお話しされました。 志水先生を塾長として活動してきた志水塾では本当にたくさんの方と素晴らしい出会いがありました。 私と志水塾との関係は、立ち上げ時の代表を務めていた先生から、是非手伝ってほしいという声をかけていただいたことから始まります。当時、志水先生が引退したら自分のメソッドを全国に広げる活動をしたいとおっしゃっておられたそうですが、その先生は先に延ばすのではなく、すぐに実現しましょうとまわりの先生方に声をかけ、自ら代表としてゼロから立ち上げられたのです。本部主催の研修会以外にも、各地区の先生方が研修会を開催するようになり、志水塾の活動は愛知県から全国に広がっていきました。その中でも、年1回行う本部での研修会は、他の規範となるものとすべく、毎年新しい内容を盛り込むことを旨としました。運営や準備だけでも大変な中、研修の進め方や授業メソッドなどの中身についても代表を中心に、愛知県をはじめ全国の先生方が手弁当で力を合わせてつくり上げていきました。私もその一人として研修をつくる過程を皆さんと共有させていただきました。また、研修会当日は、自ら学びたいという意欲のある先生方の研修場面に立ち会い、アドバイスをさせていただく機会も持たせていただきました。こうして先生方と学びを共有することができたことが、私の現在の仕事の基盤となっています。どれだけ感謝しても感謝しきれません。 本部での研修会は10年間にわたって続きました。しかし、その10年間で愛知県の中心となった先生方が次第に自由に動くことができない立場になってきました。次世代を育てられればよかったのですが、教員の年齢構成などの問題もあり、新しいものをつくりだす力を維持できなくなったのです。愛知県での本部研修会の開催を断念するにあたって、代表から相談があった時のことを今でも覚えています。苦しい胸の内を語られました。ゼロから立ち上げてここまでにしたのに、断腸の思いだったでしょう。 あれから、もう何年も経ちました。愛知県での活動は小さくなってしまいましたが、幸いにも全国各地の仲間は元気に志水塾を開催してくれています。そんな仲間と久しぶりに出会えたとても楽しい講演会でした。 ただ一つの心残りは、代表を務めた先生が全体でお話しする機会がなかったことです。こうして全国から集まった仲間の間違いなく中心にいた方だからです。時の流れの無常さも感じました。 活動主義的な授業が増えている中学校
先月のことですが、中学校で授業参加と来年度に向けてのアドバイスを行ってきました。
子どもたちは、落ち着いています。学力的にも大きな問題はないようです。しかし、授業を見ると、教師の話を聞いていない場面がたくさんあります。そういった時は、教師が子どもを見ていなかったり、見ても気にしていなかったりしているのです。子どもの問題ではありません。 この学校にかかわって5年以上になりますが、子どもたちにどうなってほしいかが伝わってこない授業が最近増えているのです。以前は、子どもたちの顔を上げよう、授業に集中させようといった共通の課題があったのですが、子どもたちの状態がよくなった結果、そういう意識が薄れてしまったようです。 その一方で、活動主義的な授業が増えています。子どもたちが活動すればよい授業と思っている教師が増えているのです。教師の一方的な説明では集中力を見せなくても、与えられた課題にはきちんと取り組む子どもたちです。興味を引く題材であれば、子どもたちは集中します。しかし、その活動を通じて教科としてどんな力がつくのか、教科を越えて意味のある力がつくのかが見えない授業が非常に多いのです。教材研究をしていないわけではありません。活動させるためのネタを考えることや、必要な準備もしています。しかし、子どもたちにつけたい力が意識されていないため、教師がかけているエネルギーの方向性が間違っているのです。 文部科学省が「アクティブラーニング」ということを言っています。教師が一方的に説明する講義形式の授業が蔓延していることに対する警鐘とも言えます。しかし、子どもが活動すれば何でも「アクティブラーニング」と言うのであれば、活動主義的な授業が今後増えていくのではないかと危惧します。授業を通じて子どもたちにどんな力をつけるのかという根本的なことを忘れないでほしいと願います。 教務主任と来年度に向けて何をしていくか相談しました。もう一度原点に戻り、先生方にどんな子どもの姿を目指すのか、教科として授業でつけたい力は何なのかを改めて確認していただくこと必要です。そのためには、教科で一つの授業をつくったり、互いの授業を見あったりして、そのことを意識する機会をつくることが有効だと思います。 この学校の苦しい時期からの立て直しを経験していない先生方が増えてきています。今の状態は、ちょっとしたことでまた崩れてくる危険性があります。教務主任はじめ管理職は危機感を持っています。この危機感を学校全体で共有することが大切です。表面的な落ち着きに惑わされず、子どもたちが真剣に学びに向き合う授業を再度目指していくことが必要だと思います。 私立の中高等学校で、来年度に向けての動きが始まる
昨日は、私立の中高等学校で来年度の打ち合わせを行ってきました。
たまたま先生方の授業改善への動きと重なったこともあり、この一年で英語科や社会科をはじめ授業によい変化が見られるようになりました。iPadなどのICT機器を活用する場面も目にするようになりました。まだまだ学校全体が変わったという訳ではありませんが、確実によい動きが出ています。 来年度の人事案もほぼ固まり、新旧の教科指導部の主任と来年度の打ち合わせの時間を持ちました。全体研修については、今までは個人で指導案を考えて行った授業をもとに検討会を行う形だったのですが、来年度は教科で新しい取り組みを提案してもらう形に変更しました。基礎力定着のための方策といったワンポイント的なものでもよいので、「授業」もしくは「模擬授業」の形で教科の考えや取り組みを全体に対して示してもらうのです。大学入試制度の変更や、新しい学力観に対応するためには、今後教科としてのチーム力がとても大切になります。教科で授業のことを話し合う機会をできるだけ持ってもらおうという意図です。 基礎力の定着について、各教科で新しい取り組みを考えていただいています。それに関連して、新高校一年生では、ネットを使った学習システムを取り入れるようです。その活用方法についても相談しました。基礎力定着といった時に、最終的に子どもたちにどのような力をつけさせたいのかを明確にすることがまず必要です。そこに至る道筋と、そのどこで子どもたちがつまずいているのかを知り、できるだけ根っこの部分をきちんと定着させることが必要です。この根っこの部分がその学校の子どもたちにとっての基礎と言ってもいいのかもしれません。この基礎を定着させるためには、きちんと達成度のチェックをすることが大切です。こういった一連のものを組み込んでいただけるようにお願いしました。 英語科の先生2名から来年度の英語科の方針について報告を受けました。子どもたちの基礎力の定着にGDMを組み込むことにしたそうです。英語科の多くの先生が自腹で外部の研修に参加して学んでいます。4月に向けて、毎日英語科で自主研修をしているそうです。とてもすごいエネルギーです。個の力がチーム力に変わりつつあるのを感じます。来年度早い時期に、授業の様子を見てもらいたいと依頼を受けました。どのような授業が展開されるかとても楽しみです。 来年度中学校から高等学校の担当に変わる理科の先生から、「科学と人間生活」をどのように展開したらよいか相談を受けました。簡単な実験が多い教科ですが、教科書にそって実験するだけでは、子どもたちはただ作業としてこなすだけで興味もわきませんし、科学的な思考が身につくわけでもありません。いかに子どもたちに主体的に実験に取り組んでもらうかが大切です。そのことについて具体的な例をもとに話をしました。例えば葉緑体の観察の実験であれば、「葉っぱは緑色しているけれどそれはなぜ?」といった質問から、「葉全体が緑色に見えるけれど、すべて緑色なの?」「違う?本当?」「なら、どうすればそれがわかる?」と問い返し、「拡大する」「顕微鏡で見る」といった反応を引き出します。「一部だとしたら、どんな風になっていると思う?」といくつかの例を見せて選ばせたり、子どもにどんなものが見えそうか書かせたりといった予想をさせてから実験をするというように、疑問を持たせることや予想をさせることから始めてほしいことを伝えました。予想を確かめるためには、どんな実験をすればよいかを考えさせることも大切です。教科書には短日植物の実験観察が載っていますが、短日植物だという前提で実験をしても面白くありません。例えば、「菊はいつ咲く?」「年中花屋さんに並んでいるけれどどうして?」と問いかけます。電照菊を知っている子どもは、照らす時間を調整していることを言うかもしれません。「花はみんな日照時間で季節がわかるのかな?」「桜は?」と問いかけ、「気温?」といった答が出てくるのを待ちます。「日照時間か気温かどちらで決まるのかを知るにはどんな実験をすればいい?」と実験を考えさせ、結果によって何が言えるのかを整理させます。実験を実際にはできないかもしれません。しかし、実験の結果を与えて、そこから結論を導き出させることでも、科学的なものの見方考え方を伝えることはできるはずです。教科書をめくりながら、こういったことをたくさん話させていただきました。先生自身もこういった授業の進め方を楽しく感じていただけたようでした。こういう発想で教科書を眺めていけばきっと自分なりの授業を楽しくつくりだすことができると思います。 この先生には、前回、子どもたちとのやり取りを増やすことをアドバイスしましたが、それから1月ほどそのことを意識して授業を続けてくれたようです。「まだまだ上手くいきませんが」と言いながら、子どもたちの顔が上がるようになったことを報告してくれました。一番成績の悪かった学級も向上が見られたそうです。手ごたえを感じてくれているようでした。素直な方です。来年度どのような変化を見せてくれるか、授業を見せていただくことがとても楽しみです。 来年度中学校の数学を担当する先生からは、中学校数学について相談をうけました。これまで高等学校ばかりを担当していたので、情報が欲しかったのでしょう。中学校の数学で大切にしてほしいことを思いつくままお話ししましたが、とても真剣に聞いていただけました。学校としては、中学校の数学がちょっと低迷していたので、タイプの違う方に受け持ってもらい、てこ入れをしようという意図なのでしょう。前向きに授業をどうしようか考えていただいているので、よい人事だったと思います。中高がつながっていることの利点を生かし、高等学校とのつながりを意識した授業展開を考えておられました。今まで高等学校を受け持っていた方だからこその発想です。私は常々、中学校の先生は小学校、高等学校の両方の教科内容をきちんと理解しておく必要があると思っていました。そういう意味では、高等学校経験豊富な先生なので、期待できると思います。いつか高等学校の担当に戻るとしても、この経験はとても生きることだと思います。 来年度はじっくり授業を見せていただくことをお約束して分かれました。 私学は公立校より人事異動がすくないため、次年度へ向けて素早く動くことができます。この時期、来年度に向けて多くの方が動きを始めていました。4月にはまた違った学校の姿が見られるのではないかと楽しみにしています。 介護研修で、債務不履行と個人情報について考える
一昨日、介護関係者向けに研修を行いました。介護の仕事における法的なリスクのお話しの2回目です。
今回は、賠償責任に関連して債務不履行について実例をもとにお話ししました。特に訪問介護では、どのような役務を提供することになっていたかを明確にしておかないと、債務不履行となる危険性があります。とはいえ、役務の内容をすべて細かく契約書に書き込むことは難しいので、コミュニケーションをきちんと取ることが求められます。また、例え食事の介助であっても、その時の利用者の様子を観察したり転倒などの防止に努めたりする責任があります。自分たちがどのような役務があり、どのような責任があるのかを常に意識することが必要です。 また、最近よく言われる個人情報の問題についても考えていただきました。例えば、身寄りがいないと思っていた方から子どもがいることをこっそり教えられたらどうすればいいのでしょう。個人の秘密ですから外部に漏らすのは論外ですが、自分一人の胸の中にしまっておけばいいのでしょうか。とても悩ましい問題です。しかし、利用者の安全や管理上必要な情報であれば、共有することも必要です。この例であれば、万が一のことを考えて機密度を高くして何らかの形で記録に残すべきでしょう。 介護の仕事は個人情報がとても重要になります。利用者の健康状態や生活習慣等の個人情報をたくさん集めることが求められます。個人情報保護を意識しすぎて、情報の収集やその共有を怠るのではなく、漏えいしないような対策をしっかりすることが求められます。 こういったことは学校でも同様です。特にカウンセリングなどについては、どこまで共有するかの判断が必要ですが、少なくとも記録は残しておく必要があります。養護教諭や担任個人の胸の中だけにしまっておくというのは、何かあった時に判断を間違えたり、対応が遅れたりする危険性があるのです。一方スクールカウンセラーのような外部の人間は、校内の人間とは立場が違います。学校に対して個人情報を守秘する義務があります。スクールカウンセラーの判断で情報開示することになります。どのような話があったかについては、こちらからはしつこく聞くことは避けなければいけません。 参加された皆さんは、とても真剣にいろいろなリスクを考えてくださいました。こうして考えることが、リスクを減らすことにつながっていくと思います。いつも思うことですが、介護分野で学んだことは必ず教育にもつながることが含まれています。自分の専門にこだわらずに他の分野に目を向けることの大切さを感じます。 研究発表の終わった中学校で、先生方の向上心を感じる
2月の中旬に、中学校の授業研究に参加してきました。昨年の秋に研究発表会が終わったばかりの学校ですが、まだまだ授業改善を続けなければいけないと、学年末ですが全体での授業研究を行いました。
授業研究に先立ち1時間校内の様子を見せていただきました。 3年生は高校受験で一部の生徒が抜けていて自習の教室が多かったのですが、ちょっと精神的に疲れている子どもが目につきました。これは私の想像ですが、頑張れという圧力がかかるばかりで、寄り添って支える者がいないようです。子ども同士の人間関係がよい学級では互いに支え合っているものですが、残念ながらこの日はそのような空気は感じることができませんでした。 2年生は、学級によって様子が異なっていました。先生が子どもたちをしっかりと受容している学級の子どもたちは落ち着いて集中しているのですが、先生が圧力をかけて無理に子どもを動かそうとしている学級では、子どもたちがその圧力から逃れようとしています。子どもたちは授業に積極的に参加せずに、引き気味のスタンスを取ります。取り敢えず指示されたことをやっておくという姿勢です。また、ゴールや目標が明確でなかったり、課題に魅力がなかったりするために、子どもたちから意欲が感じられない学級もありました。 1年生は、学習規律面でまだしっかりしていないと感じる学級が目立ちました。子どもたちの顔が上がらなかったり、無責任な発言が目立ったりするのです。隙あらばテンションを上げようとしている学級もあります。一つひとつの活動の区切りをきちんとつけ、子どもの視線を授業者に向けてから話し始めることを徹底してほしいと思います。 授業研究は、2年生の歴史の授業でした。明治政府が文明化開化を推し進めようとした理由を考えさせるものでした。 この日の課題が提示されます。「欧米から日本を守れ」です。これまでの授業で、明治政府が欧米の植民地政策に対抗しようとしていたといったことを学習していたのならまだよいのですが、そうでなければ子どもたちの思考を誘導してしまう危険性があります。明治政府の視点であれば「明治政府が欧化を進めた理由」、もっと広く考えさせたければ「文明開化はなぜ起こったか」といったものの方がよかったかもしれません。 明治の初期の銀座の風景画から、明治になってから入ってきたものを探させます。見つけたものを○で囲ませます。単に見つけるではなく、○をつけさせることで進捗が見える化されます。ちょっとしたことですが、日ごろからこういった活動を多用しているからこその工夫だと思います。 子どもたちに発言させ、「ほうほう」とうなずきながらしっかりと受容しています。他の子どもにも発表されたことを手元で確認させながら、ていねいに進めていきます。一通り発言させた後、何から何に変わったかを板書して整理します。しかし、ここは導入部分なのであまり時間をかける必要はないように思います。まわりと確認した後、全体でつぎつぎ指名すれば、もっと効率的になったように思います。こういった資料から見つける作業は軽く扱うかていねいに扱うかを意識し、それぞれに応じた進め方を決めておくとよいでしょう。 続いて、次の資料を配ります。2人で1枚です。こうすることで、隣同士がかかわり合う必然が生まれてきます。これもよい工夫です。机を自然に近づける子どもと近づけない子どもがいます。こういったところには子ども同士の関係や意欲が現れます。 「この絵のタイトルは何でしょうか?」と発問します。絵から子どもたちは見つけようとしますが、この時期であれば指示して探させるのはちょっともったいないと思います。「資料を見たら最初に何をする?」といった発問で、今まで学習してきた資料の見方の確認をするのです。「何の資料」「いつの資料」「出典」といったことを子どもから出させるのです。その上で活動に入ることで、資料を見る視点を整理させることができます。「開化因循興廃鏡」を確認し、「開化」「因循」「興廃」「鏡」の意味と明治6年の作品であることを説明します。ここで、明治6年ごろまでにどんなことがあったかを確認しておくとよかったと思います。世の中は同時にいろいろなことが起こっています。歴史はどうしても時代の流れにそった変化に目がいきやすいのですが、同時代の出来事の関係を見ることも大切です。年号が出てきた時にはそういった縦と横の関係を意識させるようにしたいものです。 「開化因循興廃鏡」は、西洋の物と日本の物が戦って、日本のものが負けている様子を描いたものです。説明しやすいように、それぞれに番号をつけたものを資料として使っています。授業者は、「開化因循興廃鏡からわかることを探して。いくつ見つかるかな?」と発問しました。この「わかること」というのは答えにくい問いかけです。それで子どもたちが答えられるのなら、資料の見方がわかっているということです。グループになって作業に入ります。ここでは、明治になって6年という短い時間で欧化が進んでいることを知ることが目的です。であれば、日本のものと西洋のものが戦っているということを早い時期に全体で確認して視点を与え、活動のスピードを上げたいところです。西洋のものが勝っていることを早く気づかせて、この日の主課題にすぐに移りたいところです。 授業者は、一つひとつの活動で子どもたちに考えさせ、きちんと発表させようとしています。できるだけ多くの子どもを活躍させようと笑顔で受容しながら指名しています。このことにはとても好感が持てますが、この日一番考えさせたいことに時間を多く取る必要があります。ここも時間をかけすぎです。軽重を意識してほしいのです。 西洋が勝っていることを確認しましたが、絵にはたくさんのものが描かれています。子どもたちはすべて確認したわけではありません。「本当?1つぐらいに日本が勝っているものはない?」と揺さぶっておきたいところです。うさぎと豚が戦って、うさぎが負けているといったよくわからないものもあります。当時(明治4年ごろ?)、うさぎを買うことが東京で流行していたことを知らないと理解できません(このことに触れるべきかどうかの判断は難しいですが、子どもが疑問を持つ可能性はあると思います)。 西洋が勝っていることを確認した後、「洋風の変化が広まっている」ということを授業者がまとめてしまいました。この「洋風の変化が広まっている」ということが課題の答、「この絵からわかること」です。このことを授業者が言ったしまったことは残念です。「じゃあ、この絵から何がわかるの?」として子どもたちに考え、答えさせたいところでした。 洋風に生活が変化していることを漢字四字で何というかを問いかけたところ反応が少ないので、教科書から探させました。こういう場面で子どもたちに調べさせることはよいことです。ただ、それでも挙手があまり増えません。隣同士と確認したりすることが必要だったようです。 ここで、この変化の速さの理由を問います。授業者は学制や徴兵制を例にして、社会の変化を明治政府がつくったことを示します。これまでの授業で、なぜそのような施策をとったのかの理由(強い軍隊の必要性)を押さえているはずですから、その確認もしたかったところです。そうすることで、今回の授業者のねらいにつなげることができます。ここで文明開化を明治政府が進めてきたと結論づけて、話が進みます。中学生ですので、文明開化という風潮や文化を政府主導で本当にできるのかどうかの議論をしたいところでした。 明治政府は文明開化を進めるためにどんな工夫をしてきたか、教科書や資料集からグループで探させます。子どもたちは、生活の変化をもたらすものがどのようなものかがよくわかっていないので、なかなか先に進みません。そこで、授業者はあらかじめ用意した「明治天皇の写真」「馬車だと2時間、これだと50分」といった異なるヒントカードをグループに配ります。ヒントは注意が必要です。子どもたちはヒントの示す答を見つけようとします。つまり、教師の求める答探しを始めてしまうのです。ここでは、生活の変化や流行はどうやって起きるのかを子どもたちと共有することが大切です。新幹線ができて生活はどのように変わったかを考える。芸能人のファッションが流行する例などに気づかせる。そのような活動を少し取り入れるだけで、動きがかなり変わったと思います。 子どもたちは自分たちの見つけたものを小型のホワイトボードにまとめて、発表をします。基本的には、教師のヒントをからでてきたものです。グループごとに異なるヒントなので内容はあまり重なりません。子どもたちはヒントの指すものを探しただけで、それと文明開化の関係やねらいとはまだ結び付いていません。互いの発表をつないで、そこに共通するものは何かを考えることが必要です。明治政府がこういった施策を行ったのは、庶民の生活を変えようとしてのことではないでしょう。結果的に文明開化につながった施策は何のためだったのかをきちんと押さえることが、この時間のねらいにつながるのですが、そこは結局押さえられませんでした。 この日のねらいに子どもたちが気づくためには、どのような発問と活動をすべきだったかをもう少し考えた授業展開をするべきだったと思います。活動に目を奪われて、何を目指すのかがぼやけてしまっていたように思います。 今回の授業をつくるにあたって、事前に指導案の検討や模擬授業を多くの先生方で行なっていたようです。全体での検討会でも、当事者意識を持った発言がたくさん出てきました。特に、若手がしっかりと子どもたちの様子を観察して、その事実に基づいた意見を発表してくれたのが印象的でした。 私からは、この授業以外にも学年の様子について感じたことを伝えました。検討会終了後に各学年団が学年経営に関して質問や相談に来てくれました。自分たちの学年をよくしたいという意欲を強く感じました。来年度は今よりよい状態になっていくことと思います。 若手の先生も、授業について困っていることを相談に来てくれました。向上心を感じます。 研究発表が終わると息を抜く学校が多いのです。少しで前進し続けようという先生方の意欲を感じることができました。来年度も引き続きかかわらせていただけそうなので、今後がとても楽しみです。 「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第11回公開
「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」の第11回「愛される学校づくりフォーラム2015in大阪」から学んだことが公開されました。
ぜひご一読ください。 LINEでのいじめが減少する!?
川崎の中学生殺害事件でLINEが事件解明の手掛かりになったことが盛んに報道されました。こういった事件では、情報サービスの固有名詞は出されないことが多いのですが、今回ははっきりと示されました。深読みすると、LINEでのやりとりは、タイムラインを削除したり、端末を処分したりしても、サーバーにデータが残っているので消すことができず、運営会社が警察に協力すればすべて明らかになることを知らせようとしているように見えます。
LINEでのやり取りは、そのグループに属していない人には見えないので、いじめが起きやすいと言われています。実際に、小中学校で子どもたちのLINE上のトラブルをよく耳にします。そういったいじめに対して、何か起こればすぐに証拠として明らかになることを周知することで、抑制しようという意図を感じたのです。 今回の報道でこのことに気づいた子どもは、LINEでの書き込みに注意を払うようになると思いますが、多くの子どもはそのことにまだ気づいてないでしょう。この事件を抑止力とするためには、そのことを積極的に子どもに伝える必要がありますが、その判断は学校によって分かれると思います。LINE上でのいじめを抑制したからといって、いじめ問題の根本的な解決にはなりません。しかし、LINEという環境があるからいじめが起やすいという考えに立てば、LINEでいじめをすれば最後にはわかってしまうことを子どもたちに伝えることは意味のあることのようにも思えます。問題はその伝え方でしょう。ストレートに言えば、子どもたちがいじめをしていることを疑っているように伝わってしまいます。情報教育の中で機会を見て、メディアの特性として伝えることが妥当のように思います。 今回の事件をLINEの活用の側面からとらえた時、学校関係者はどのように考えられたでしょうか。実際にLINEでのやりとりを開示してもらうのは、今回のような刑事事件でなければ難しいと思いますが、その可能性が明らかになっただけでLINEでの問題への対応に新たな切り口が生まれてきたように思います。 実際に各学校がどんな対応をするのかはわかりませんが、ひょっとすると今回の事件がLINE上でのいじめの減少につながるのかもしれません。 学校評議員会で学力向上が話題になる
昨日は、中学校の学校評議員会に参加してきました。毎回、学校の課題がよくわかる資料をしっかりと用意していただいているので、私としても忌憚のない意見を言わせていただけます。
学校評価に関するアンケートの集計は、前回との比較、学年比較、生徒・保護者・職員比較など非常に見やすい形で提供していただけます。学校全体としてはよい結果なのですが、ある学年が一部、学校生活に関する項目でスコアが下がっていました。といっても絶対的には悪くはありません。その一方で、子どもと教師との関係は向上していました。体育大会などでは子どもたちのとてもよい姿を見ることができていたので、子ども同士の関係もこれから変わっていき、それに伴いスコアもよくなっていくと思います。今回のデータは過渡期の状態を表わしているのだと思います。学年担当の先生方にはショックかもしれませんが、これからよい方向に変わっていくと確信しています。 今回、学校側からでてきた課題は学力の向上でした。以前は標準テストなどに表れる学力が市内でも高い地区でしたが、最近はそうでもなくなってきています。相対的な順位にこだわる必要はありませんが、子どもたちの授業に対する姿勢がよいだけに、もっと学力がついてもよいと考えられます。授業以外にも学力の定着を図るような活動をしようと、先生方に基礎学力コンクールを提案されたようですが、そもそも何が基礎かといったところから意見が分かれ、なかなかまとまっていないという報告でした。国語と数学の学力テストの分析について報告があったのですが、大きく4つ分野・領域での平均点の市、県、全国との比較だけでした。こういった資料や感覚だけで学力低下や基礎学力について話し合っても、議論は迷走してしまいます。 試験では同じ不正解という結果でも、どこでつまずいているか原因はいろいろ考えられます。正答率だけにとらわれずに、誤答の分析をきちんとした上で議論する必要があります。もっと言えば、日ごろから、子どもたちがどこまでついているのかきちんと判断できるような問題構成の試験をする必要があります。例えば、数学では計算力が弱いといっても、( )の外し方でつまずいている子どもが多いのか、分数の計算でつまずいている子どもが多いのかでは対応が異なります。それがわかるような試験を行い、客観的に見える化しておくことが大切です。何がボトルネックになっているかを明確にすれば、自然に議論は収束していくはずです。まずは、そこからだと思います。また、学習コンクールのようなものは、一般的に中位の子どもの学習意欲は高まりますが、下位の子どもは結果を出せないのであまり効果がないようです。下位の子どもにはスモールステップで一つひとつを確実にできるようにして、達成感を持たせることが必要です。こういったどの層をターゲットにするのかも議論すべき大切な要素です。先生方には厳しく聞こえたかもしれませんが、このようなことを話させていただきました。 校長はじめ学校側の皆さんは、私の言葉を真摯に受け止めてくださいました。会終了後も具体的にいくつか質問をしていただけました。情報を隠さずに出していただけるからこそ私たち評議員も真剣に考えることができ、真摯に受け止めてくださるので本音の意見を言うことができます。私にとってもよい学びをさせていただくことができるありがたい会です。 私学の英語科で授業改革が進む
先月のことですが、私立の中高等学校で授業アドバイスと次年度の打ち合わせを行ってきました。今回は英語を中心に授業を見せていただきました。英語科はこの1年間いろいろなことを模索してきていました。少しずつですが自分たちの目指す授業の姿がはっきりしてきたように思います。
高校1年生の英語で、若手の先生が歴史上の人物について子どもたちが英語でプレゼンテーションをする授業を行なっていました。100語くらいの短い文章ですが、彼らにとってはつくるのも発表するのも大変だったと思います。だからこそ、発表をする側も聞く側も真剣だったように思います。一生懸命に練習したことが伝わる発表でした。また、授業者は英語で雰囲気たっぷりに司会をしていました。場の雰囲気をつくり、盛り上げていたことも子どもたちのやる気を引き出していたと思います。時間数の確保は大変だと思いますが、司会や進行を子どもたちに任せたりして、活躍する経験をたくさん積ませることで学習に前向きになっていくはずです。この学校の英語学習の1つのスタイルとして定着してほしいと思います。 中堅の英語の先生は、GDMの手法を手探りで取り入れていました。GDMと出会ってまだ少ししか時間が経っていないのですが、来年度に向けて今から挑戦していました。もちろんすぐに上手くできるものではありません。しかし、失敗を恐れずによいと思ったことをすぐに取り入れる姿勢はとても素晴らしいと思います。そのエネルギーは子どもにも伝わっていくはずです。また、この先生が孤軍奮闘しているわけではなく、英語科の多くの先生が一緒に学んで挑戦しようとしています。この互いに学び支え合う雰囲気があれば、この挑戦がよい形で実を結ぶことでしょう。 TOEICを題材にした英語の授業は、単に問題をこなすのではなく、できるようになる過程をていねいに経験させていました。一度英語を聞いて解答した後、隣と確認します。よくわからなかった子どもには、友だちの解答や説明がヒントになります。友だちと答が違えば、どちらが正しいだろうかと考えます。その上でもう一度聞かせると、最初は聞けなかった言葉も聞き取れるようになります。1回目では内容がわからず表情が暗かった子どもも、自分で聞き取とれるとよい表情に変わります。教師から教えられるのではなく、自分で正解を見つけることができるので、子どもたちの集中力は落ちません。やる気が持続していました。 英語科の先生は「寝たりするのを子どものせいにしていたけれど、それは私たちの授業の問題だということがわかった」と言います。「教材研究をし、授業を工夫するのは大変だけれど、先が見えない苦労ではない」という前向きな言葉も出てきます。自分たちの工夫に対して子どもたちがよい姿を見せてくれるようになり、手ごたえを感じているからでしょう。来年度、英語科の先生方が授業にどのような工夫を見せてくれるか今からとても楽しみです。 中学校の理科の先生が授業について悩んでいるようでした。授業を見せていただいたところ、一つひとつの場面で子どもにどうなってほしいのかが不明確でした。板書一つとっても、教科書と同じことを書くのであればあまり意味はありません。子どもたちは単純作業として板書を写します。子どもたちに問いかけても、一部の子どもだけが反応し、それに対して授業者が説明して進むので、他の子どもが参加する場面がありません。授業を通じて子どもたちどうなってほしいのか、授業で目指すところを明確にすることが必要でしょう。とはいえ、自分の授業に困り感を持っていることはよいことです。変わろうとする意欲を感じます。焦らずに、まずは目指す授業の姿を共有するところから一緒に始めたいと思います。 そろそろ来年度のことを考える時期になりました。英語科でのよい動きを学校の中で点から線へと広げていきたいと思います。いくつかの教科でよい動きが出てきたので、なんとかつなぐことができればと思っています。ここからが知恵の出しどころです。しっかりと考えていきたいと思います。 おやじの会の皆さんに還暦を祝っていただく
昨日は、私が学校評議員をしている中学校のおやじの会の皆さんが、私の還暦を祝ってくれました。個人的には還暦になったことを素直に喜べないのですが、こうして縁のある方が祝ってくださることはとてもうれしいことです。
このおやじの会の皆さんと知り合って11年になります。当時の校長と一緒に懇親会に誘われるようになってからも、ずいぶん時間が経ちました。 学校と地域が協力する関係が大切だと言われます。しかし、その実態は、学校が地域の力を一方的に借りようとするものであったり、地域が学校に対して自分たちの要求を強く主張するものだったりすることが珍しくありません。協議会を作って一緒に学校を運営しているように見えても、形式的でだれが責任を持ってことにあたっているのだろうと疑問を持たざるを得ないような事例を目にすることもよくあります。学校と地域がどうすればよい形でかかわれるのか悩んでいました。そんな中で出会ったのがこのおやじの会です。 子どもたちを育てるために自分たちは何ができるだろうと、地域の住民の視点で真剣に考えています。学校と考えがぶつかる時もあります。そのことを恐れずに自分たちの考えをまっすぐに伝えます。子どもたちのためという点では、学校と一致していることがわかっているからです。学校と地域の協同のイベントに地域フェスティバルがあります。この変遷を10年以上にわたって間近で見ることができました。そこにあったのは、学校と地域が共に歩んでいくということは、単に仲良くやることでも対立することでもなく、互いに子どものために何ができるかを真剣に考え、相手に要求することより自分たちにできることを大切にすることだという姿勢です。その時々のフェスティバルには、形は違っても、その時点で子どもたちを育てるために何をしようとしているのかが伝わってくるものでした。学校と地域のかかわり方の答の一つをこの会の皆さんから教えてもらえたように思います。 また、この会の方々はこの中学校区のことだけではなく、市の児童館の運営など、市民として子どもたちの教育に積極的にかかわっておられます。地域が子どもたちを育てることにかかわるとはどういうことかを身を以て示していただいています。 このような方々と出会えた幸運に改めて感謝しています。そして、こんな皆さんに自身のことを祝っていただける幸せを心からかみしめた時間でした。本当にありがとうございました。 吉永幸司先生から学ぶ
今年度最後の教師力アップセミナーは元京都女子大学附属小学校長の吉永幸司先生の「国語力は人間力−言葉で考える子どもを育てる国語指導」というタイトルの講演でした。
国語の教科指導の話というよりは、国語指導を通じて子どもたちの人間関係をつくったお話しでした。吉永先生が校長に就任するまでは、「のびのび」をキーワードとしていたそうです。そのマイナス面として、まわりとの関係を考えずに好き勝手な態度をとるため、子どもたちの人間関係が悪かったようです。また、私立の小学校ということで、子どもたちは放課後住んでいる地域で他の子どもとの関係がありません。エネルギーの発散場所が学校に限定されていることが、子ども同士のトラブルを誘発しているようでした。吉永先生は、子どもたちが伝えるべきことをきちんと伝えることができていないことが、いろいろなトラブルの根底にあるとが感じられたようです。保護者とのトラブル一つとっても、子どもが保護者に状況を正しく伝えていないために行き違いが起こっているのです。そこで、子どもに「必要な時に必要なことを伝える力」をつけることに力を注がれました。 その第一歩は、日常の言葉をきちんとすることでした。まずは、教師が子どもをきちんと「さんづけ」で呼び、名前を呼ばれたら子どもが「はい」と返事をすることからです。「ていねい」をキーワードにすることで、まず先生の言葉づかいが変わりました。主語が「○○さん」に変わるとそれに伴って述語もていねいに変わっていきます。こうして、子どもにていねいな言葉で話をさせ、続いて正しく伝えることを徹底させました。保健室でも、きちんと伝えなければ利用させません。保健室をよく利用する子どもが、他の子どもに伝え方を教えるようになったそうです。子ども同士のけんかの聞き取りも、ていねいな言葉を使うように指導します。「○○が・・・」と言えば、「○○さんが・・・」と言い直させます。単文しか話さなければ、一つひとつ聞き返し、最後にそれをつなげて言い直させます。こうして、伝える力をつけていきました。 ノート指導も大切にされました。先生は子どものノートと同じように板書し、子どもがそれを同じように書くことを徹底しました。教師と同じということは、教師の指示を聞くことにつながります。ちゃんと聞けば上手くできる。そういう経験を積ませることで、達成感を持たせ、自己有用感につなげていったのです。 こうして子どもの伝える力をあげ、自己有用感を持たせることができるようになって、当然のことながらトラブルは減り、学校が変わっていったそうです。 吉永先生が最初にされたことは、コミュニケーションに関する基本的なことと、指示を聞かせるために具体的な活動と評価を意識することでした。こういった根っこの部分をまず徹底できでれば、その上に多くのものを見上げることができます。この後の京都女子大学附属小学校でのいろいろな取り組みは、まさにそのようなものであったと思います。 吉永先生の語り口は、「ていねい」をキーワードに学校の改革を進めたことがなるほど思えるものでした。この柔らかさで職員にも接したからこそ、学校を変えることができたのだと思います。吉永先生の姿から、学校を変えていくために大切なことをまた一つ教わったように思います。吉永先生ありがとうございました。 卒業式の「涙」に子どもたちの成長を見る
先週は、学校評議員をしている中学校の卒業式でした。
3年前の入学式で校長が、「涙をたくさん流せるような生活をしてください」という言葉を贈っていました。「うれし涙」「感動の涙」「悔し涙」をたくさん流せるように、一生懸命中学生活を送って欲しいとの願いです。 この日の卒業生の姿から、この言葉の通りの生活を彼らが送ってきたことがわかります。卒業生の「旅立ちの言葉」の中にも涙が何度も登場しました。3年間を振り返りながら感極まって涙を流す子どもがたくさんいます。子どもたちからの感謝の言葉に多くの先生が涙を流していました。 式後の校長の来賓への謝辞に、「教師の仕事は大変なことが多いが、いくつかのとても幸せな時がある。その一つが卒業式です」という一言がありました。その言葉に多くの来賓がうなずいていました。 ここ数年、以前と比べて卒業式の子どもたちの姿から3年間の成長を大きく感じるようになりました。卒業生の姿そのものが以前と比べて大きく変わっているようには思えません。ということは、入学時での姿が幼くなっているということなのでしょう。今年の卒業生についても、こんなことで大変だった、困った子たちだったという言葉が来賓控室で話題になります。それが、以前と比べて変わらないまでに成長するということは、先生をはじめとしてまわりの大人たちが本当によい形でかかわってきたのだと思います。 とかく私たち大人は「最近の子どもは・・・。若者は・・・」という言葉をよく使いがちです。しかし、彼らの姿は私たちがつくりあげているものでもあります。今の子どもたちの精神年齢は以前と比べて7掛けだという方もいます。例えそうだとして、私たちのかかわり方次第で大きく成長するはずです。その役割を学校にだけ求めるのではなく、この学校のように地域の方も一緒になって子どもたちの成長にかかわることが大切になります。文部科学省がコミュニティスクール(学校運営協議会制度)をより推進する姿勢を打ち出しました。子どもたちを多くの大人が見守り育てることはとても大切なことです。この制度がうまく機能するためには多くの課題があります。それぞれの地域で工夫をして、子どもたちがより成長できるような態勢が取れることを願っています。 ともあれ、子どもたちの3年間の成長を実感できた卒業式でした。毎年このような素晴らしい場に立ち会える機会をいただけていることに感謝です。 介護研修で賠償責任と過失について考える
先月に介護関係者向けに研修を行いました。今回から介護の仕事における法的なリスクのお話しです。
利用者が転倒したといった事故に対して、素早く正しい対応をすることはとても大切なことです。必要な技術や対応について十分身につけておく必要があります。特に訪問介護のヘルパーさんたちは、原則一人での訪問です。自分で的確に判断しなければなりません。プレッシャーのかかる仕事です。この日参加された方は意識の高い方ばかりで、事故の対応についての質問に対して的確なお答をいただけました。 しかし、事故に対して正しく対応できたからといって、法的な責任がないわけではありません。賠償責任を問われるケースもあります。具体的な例をもとに、どのような場合に賠償責任が発生するのか、説明させていただきました。 今回は主に不法行為に関連して、過失について詳しくお話ししました。過失に対しては、特に規定されていなければ刑事は問われませんが、民事上の賠償責任は問われる可能性があります。過失とは、「ある事実を認識・予見することができた(予見可能性)にもかかわらず、注意を怠って認識・予見しなかった心理状態、あるいは結果の回避が可能(結果回避可能性)だったにもかかわらず、回避するための行為を怠ったこと」をいいます。ここで、注意しなければならないのは、介護の専門職ではあれば予見可能性を厳しく問われることです。例え利用者が「大丈夫、介助はいらない」と言ったとしても、危険性を予見して説得して介助するか、しっかりと見守ることが必要になります。予見するために、利用者の既往症やその日の健康状態などの情報をきちんと把握しておくことも必要です。こういったことが厳しく問われるのです。 参加された皆さんは、漠然とは知っているのですが改めて問われるとあやふやな点もあったようです。この機会にしっかり学ぼうとする意欲を強く感じました。 賠償責任や過失についていえば、学校でも無縁のことではありません。事故を予見できたかどうか、結果を回避することができなかったのかが厳しく問われる事例を目にします。教師にとって、基本的な法知識も重要なものであることを改めて意識させられました。 |
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