介護研修で自分たちのよさに気づいていただく
先日、介護現場の組織力を考える研修を行ってきました。
参加された方々は自分の仕事をきちんとこなせる人ばかりです。しかし、研修に参加できない方も含めた、組織としてのレベルアップを考えることが必要です。 最初に、新人が仲間として加わった時に、どのようなことを意識するかを考えていただきました。皆さんが一番気をつけていたのは、コミュニケーションでした。個々の仕事の進め方、利用者の情報を教えるといったことも当然ありますが、新しいメンバーとコミュニケーションをとることが大切だと考えているということです。この答を聞いて、とてもうれしく思いました。介護の仕事は自分に与えられた仕事をこなせばいいという発想では、上手く回っていきません。不測の事態も多くあり、互いにカバーし合うことが大切です。その基本となる職員間のコミュニケーションを一番に考えているということは、カバーし合うことを意識できているということです。 続いて、新しい仲間に伝えたいこと、教えたいことについて話し合ってもらいました。もちろん基本的な介護のことを知っていることは前提です。そこで話し合われる内容は、自分たちの施設で大切にしていること、自分たちのよさになるはずです。日ごろは意識していない自分たちのよさがたくさん出てきました。意識することで、自分たちがとるべき行動がより明確になり、質が向上します。このこともこの活動のねらいです。 「あなたの所見は○○が素晴らしいので、若い先生に参考にするように指導しました」とベテランに伝えると、その方の所見がますますよくなるといった話をよく聞きます。それと同じことです。 最後に、どうやって伝えればよいかを考えていただきました。実際にそのように行動してもらうためには、相手に話すだけではうまくいきません。このことを皆さんはよく理解していました。 日ごろ自分がやっていること、意識していることがたくさん出てきます。その中でも多かったのが、「自分がやって見せる」「相手ができていないことを注意するのではなく、考えてもらう」「ほめてよい行動を増やしてもらう」といったことです。この施設の評判がよい理由がわかる気がします。 私から、いくつかアドバイスをさせていただきました。やって見せているつもりでも、相手が気づいてくれなければうまくいきません。仲間のよい行動を目にした時に、そのよさを伝え合うことで、気づかせること、意識させることができるようになります。また、そのような行動をすると認められる、ほめられることを知ると自分もやろうという気持ちになります。 ただ「考えて」と言われても、叱責されたように感じることもあります。「私は答を知っているけれど、あなたは知らないのだから考えなさい」と言われているようにも思います。そうではなく、「一緒に考えてみようか」という寄りそう姿勢を見せることが大切です。 ほめるためには、ほめられる行動をとってもらうことが必要です。時には、ほめるためにその人の得意な仕事をさせるという発想も大切です。よい行動をしたらほめようというのではなく、ほめられる場面をつくろうという発想も時には必要なのです。 日ごろ意識していない自分たちのよさに気づいていただくことができた研修になったと思います。自分たちのよさを、自信を持って伝えあうことができる職場であってほしいと思います。 この日も皆さんの考えから、私もいろいろなことを考え、学ぶことができました。とてもよい機会をいただいていることに感謝です。 タブレットPCを活用した授業実践から学ぶ
愛される学校づくり研究会の例会がありました。今回は、「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪」の内容の決定と、タブレットPCを活用した授業の報告でした。フォーラムの内容については、「「愛される学校づくりフォーラム2015 in大阪」の申込み開始」でお知らせしたとおりです。
最近、タブレットPC1人1台の環境での活用研究が多く行われています。特に協働学習での活用を視野に入れたものが増えているように思います。今回の会員の授業実践も、数学の図形領域における、情報の共有を意識したものでした。 四角形の各辺の中点を結んでできた図形について、どんなことが言えるかを考える授業でした。タブレットPCの活用はちょっと横に置いておいて、数学の授業という視点で見れば、子どもたちを揺さぶりながら四角形の定義を確認したり、「数学で成り立つというのはいつでも成り立つということで、1つでも反例があれば成り立つと言えない」という基本をしっかり押さえたりと、数学的なものの見方・考え方が意識された骨太なものでした。力のある授業者であるが故に、タブレットPCを活用することによって、使わない時と比べて授業が本当によくなったかどうかが問われます。 タブレットPC上で描いた図を自分のタブレットPCで全員分見られるというソフトの機能を使って授業を進めました。しかし、子どもたちが全員分の情報を処理する時間を授業時間内に取れるかどうか疑問に感じました。視点を持って見ることをしなければ、それ程早く処理できません。この機能を活かすための前提は何かがまだはっきりと見えていないのです。もちろんそれをするのが研究なのですが・・・。 別の授業で子どもから「○○さんの意見を見ろ」という言葉が出たそうです。なかなか素敵な言葉です。友だちの考えを共有することのよさが現れています。グループでまとめてしまえば、よい考えが埋もれてしまう可能性もあります。そういう点で、全員の考えを共有できるのは魅力的です。しかし、情報量が多すぎて一つひとつの考えの理解が薄まって、かえってよい考えに気づけない可能性もあります。ただ共有するだけで「○○さんの意見を見ろ」という声が引き出せるのかは疑問があります。そのために必要な条件がきっとあるはずです。この条件を考えてみたいと思いました。よい視点をいただきました。 授業の一部分を見ただけですので、正確なところは何とも言えませんが、今回の授業であれば「グループでたくさんの図を描かせて、共通していることを発表させる」ことをしたのち、「他のグループの意見が本当に成り立っているかどうか、成り立たない例があるか確かめるために、成り立ちそうもない図を描かせてみる」といった、意図的に図を描く活動をさせた方が面白かったように思います。これであれば、タブレットPCにこだわらず、紙と鉛筆、実物投影機でも十分にできます。今回の教材でタブレットPCを活用するのであれば、幾何ツールのように動的に形を変えることができるものを利用した方が、ICTのよさを活かせるように思いました。 また、今回は利用しませんでしたが、使用したソフトにはキーワードで分類するといった機能もあるようです。何となく面白そうな機能です。しかし、実際の授業を考えると、この機能を使ってキーワードで分類して整理する力をつけるのか、キーワードで分類することで問題解決する力をつけるのかといった、どのような力をつけようとするのかが問われます。 授業で子どもたちにつけたい力とソフトの関係が明確でなければいけません。どんな授業を想定しているのか興味がわきます。 タブレットPCの活用を否定するつもりも、今回の授業を否定するつもりもありません。いや、むしろ期待しているのです。授業実践を積み重ねて初めて見えてくるものがあります。今回利用したソフトの開発会社は、素晴らしい先生方に実践をお願いしているようです。教育ソフトの開発に長年携わっていた者としては、これらの実践を通じて、タブレットPCが子どもたちの学びにとってなくてはならない道具へと進化していくことを願っています。 今回のような学びの多い情報提供をもとに意見を交換ができるのも、この研究会の魅力の1つです。「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪」のコンセプトは、愛される学校づくり研究会の公開研究会です。学びあえる研究会のよさをお伝えできればと思っています。 来年度教師力アップセミナーの講師選定会議
来年度の教師力アップセミナーの講師を決める、運営委員会を行いました。この話が出てくると年末を実感します。
どのような方をお呼びするといいのか、今話題にすべきテーマは何かという視点から検討します。道徳の教科化をにらんで、道徳の授業の充実を考える必要があることが話題になりました。しかし、今道徳を話題にすると、評価が論点になってしまうのではないかという懸念もあります。今年の講演で野口芳宏先生がこのことについて明快な考えを示していただけたので、来年度は道徳を特に扱う必要はないという結論になりました。 小学校英語がゲームを主体とする単なる活動になっていて、英語の習得につながっていない例をたくさん目にします。外国語活動の中学年への拡大、教科化への流れを考えると、その内容を見直すようなことも必要ではないかという考えも出されました。しかし、曲りなりも外国語活動が定着して授業が成立している中で、その見直しを提案しても先生方はその必要性を感じないだろうという結論になりました。私たちが考える課題と先生方が感じる課題が一致するわけではありません。皆さんに聞きたいと思っていただくようなテーマを決めることはなかなか難しいことです。 特別支援を必要とする子どもを普通教室でどのように対応していくかというのは、先生方にとって関心の深い話題です。それと関連して教科書がユニバーサルデザインを意識したものに変わったということが話題になりました。授業にもユニバーサルデザインの考え方を取り入れることが大切です。普通教室における特別支援の他に、ユニバーサルデザインを意識した授業についても企画しました。 また、若い先生が増えている昨今、彼らにとって関心の高いテーマを扱うことも大切です。中でも学級経営は切実な問題です。これを外すわけにはいきません。同時に、成長していただくことを意識して、教師修行についての講演も企画しました。 最終的は、国語、社会、算数(ユニバーサルデザインと合わせて)、理科の各教科、学級経営、特別支援、教師修行というテーマで講師の候補者を選びました。 何人かの方にはもうすでに快諾をいただいています。2月の初旬には皆さんに詳細をお知らせできると思います。 学級経営の大切さを思わぬ形で実感する
現在研究中のコンピュータを利用した能力診断・開発のプログラムを試していただいている小学校で、授業を参観させていただきました。診断結果や能力の変化の様子に、学級間でばらつきがあるので、実際に子どもの姿を見てみたいと考えたからです。
この学年は3学級なのですが、1つの学級は積極的に取り組み、ほぼ全員の能力が順調に向上しています。次の学級は比較的能力の高い子どもたちの伸びが大きく、もう1つの学級は取り組みが消極的で伸びのばらつきが大きく、能力が下がっている子どもも目立ちます。この違いがどこから来ているのか興味があったのです。 今年度の学級編成の時には、ほぼ均一になるように分けたそうですが、学級の様子を見ると明らかに違いがわかります。順調に子どもたちが伸びている学級は授業規律が比較的よい状態で、授業者の指示に子どもたちがよく従っています。一方、ばらつきの大きい学級は、授業でも子どもたちの様子がばらばらです。子どもたちの集中力が続かず、ごそごそする子どもが目立ちます。それも特定の子どもというより、入れ代り立ち代りです。その中間の学級は、授業者が意識していることはきちんとできているのですが、気にしていないことはあまりきちんとできません。どちらかというと放任のように見えます。能力の高い子どもの伸びが大きいのは、彼らの意欲がもともと高かったからかもしれません。 今回試していただいたものは、ゲームや作業を通じて能力診断・開発を行うものです。このようなものであれば、子ども一人ひとりの興味関心で取り組む姿勢が決まるのではないかと考えていたのですが、どうやらそうではなさそうです。コンピュータ教室で一斉に利用するといったやり方だったので、学級の雰囲気が大きく影響したようです。 あたりまえのことかもしれませんが、同じプログラムでも学級としての取り組む姿勢がその効果に大きな影響を与えることがわかりました。逆に子どもたちの変化から、学級経営の状態がわかると言えるかもしれません。本来のねらいとは違うのですが、学級の状況の診断に利用できる可能性もありそうです。 今回、この学校に協力いただくことで、とても興味深い知見を得ることができました。今後他の検査との相関も調べたりしながら、役立つ情報を還元したいと思います。 若い先生方のエネルギーを感じる
先日私立の中高等学校で授業アドバイスと打ち合わせを行ってきました。打ち合わせは、2学期も終わりに近づき、来年度に向けてどのように研修を進めていくかという内容です。
文部科学省がアクティブ・ラーニングを提唱しています。大学入試制度も大きく変化しそうです。しかし、そのような流れの中にあっても、特に高等学校の先生方は知識をいかに伝えるかという授業観からなかなか離れることができていません。自分の経験したことのないものに挑戦するには勇気を必要とします。特にそのような経験をせずに歳をとった方に、変われと言うのはかなり厳しい要求です。少なくとも具体的にどのようにすればよいのかを示す必要があります。また、当然のことですが、その必要性も納得しなければいけません。大学入試制度が明確になってから、他の学校の様子を見てからという日和見的な発想ではなかなか動き出すことができません。大学入試制度の変更に対応するためには、その制度の対象になる生徒が高等学校に入学する時点で準備を済ませている必要があります。あと2年しか準備期間はありません。先生方にその意識を持ってもらうことから始める必要があるでしょう。 2年間で、先生方の学力観、授業観を変えていくとともに、授業の目指すべき具体的な姿を共有できるようにするためには、積極的に新しい授業に挑戦し、互いに学び合うことが大切です。大きな所帯の学校ですからていねいに進めることが求められます。まずは、中心となる先生方でこの方向性を確認することから始めることになります。しかし、それと同時に迅速な対応をしていかなければ出遅れてしまいます。知恵の出しどころです。 この日もいくつかの授業を見ました。若い先生が変わろうとしてくれていることを感じます。本人はまだまだその成果を実感できていないかもしれませんが、子どもとの基本的な関係は確実によい方向に向かっています。教材研究やちょっとした工夫が活きるための基盤ができつつあると思います。焦らずに授業改善に挑戦し続けてほしいと思います。 新しいスタイルの授業に挑戦している英語の授業は、子どもたちの姿がとてもよくなっていることを感じました。絵の示している状況を英語で表現する課題にペアで挑戦します。互いに体をしっかり向け合って取り組みます。詰まった相手に対して、一生懸命説明する姿が見られます。互いに助け合う関係になっています。教室全体に安心感があふれているのが印象的です。 教師の代わりに子どもが前に出て、授業を進めます。絵で示される状況を指名された子どもが答えます。詰まった時は、まわりの子どもが助けます。しかし、内容が復習なので、わかるようになった子どもは集中力が落ちています。一問一答ではなく、せめて確認のために全員がリピートするといったことをする必要があると思います。下位の子どもたちということもあってこの時間は復習がほとんどでした。子どもたちは英語に対する苦手意識が薄れています。やればできるという、自信も育ちつつあります。毎時間1つでいいので、新しいことを習得するようにカリキュラムを工夫するとよいでしょう。適度なプレッシャーが子どもたちをより伸ばしてくれると思います。 この学校の学力観、授業観を変えてくれると期待しているのが英語科です。この日も授業後に、これからの英語の授業の方向性について、若手の先生が何人か相談に来てくれました。文法中心ではない授業へと本当に変化していいのか、悩んでいるようでした。今までのやり方を否定することはとても大変なことです。しかし、さすがに若い方は柔軟です。新しいスタイルに挑戦しようとしてくれています。彼らのエネルギーが教科の先生方を変え、それが全教科、学校全体に広がっていくことが理想です。 この先、まだまだ困難はあると思いますが、きっとこの学校全体がよい方向へ変わっていくと思いました。 これからが楽しみな若い先生の課題を考える
先日、小学校で今年度2回目の授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。この日は、3人の若手の授業アドバイスを行いました。
1年生の算数は、繰り下がりのある引き算の授業でした。 13個なっている柿の実から9個取った残りはいくつという問題をデジタル教科書の図を見ながら把握します。「何をした?」と子どもに問いかけます。「柿を採った」という発言を認め、他にはないかと聞いたところ、「柿狩り」という言葉が出ました。授業者は柿「狩り」の説明をして、発言を「ありがとうございます」と認めました。同じことだと軽く扱わずに、きちんと受け止めて認めていることに、子どもたちに対する授業者の姿勢を感じました。こういった難しい言葉を子どもが使った場合は、その説明を発言者にさせるとよいのですが、この時間は算数であることや授業のねらいには直接つながらないことなので、このような扱いでよかったと思います。 数図ブロックについて、「何に使うか?」と問いかけるのですが子どもたちは戸惑います。どう答えていいかわからないのです。数図ブロックを使って「何をした?」とより具体的に聞くと子どもは答えやすかったと思います。特に低学年では、ちょっとした言葉の使い方で子どもの思考や発言は影響されます。授業者がねらう言葉を引き出すためにはどのような言葉を使って問いかけるとよいのかを子どももの目線で考えることが大切です。 何算かを考えるのに問題文のキーワードから考えさせます。文中に「のこり」という言葉があるから引き算という説明です。このように問題文の単語から演算を考えさせるという教え方をよく見ますが、これは注意してほしいと思います。キーワードだけを頼って、問題文を理解しようとしなくなるのです。問題文を理解して、その表わす状況からどういう計算をすればいいのかを考えるようしなければいけません。今回であれば、柿の実が全部で13個ある、そこから9個を採るということを問題文の絵をもとに操作し、求めるものは13個から9個を取り去った残りであることを確認して、引き算だと考えるのです。いきなり問題文から式を出すのではなく、間に具象をはさむのです。この具象を、必要に応じて半具象の数図ブロックやリボン図に置き換えて考えます。計算そのもののやり方を考えるのであれば、数と対応がつく数図ブロックを使いますし、演算だけに注目するのであれば、数が抽象化されているリボン図が使われます。 13−9で、3から9は引けないことを簡単に押さえました。これは大切なことです。「13は10と3、3から9は引けないね、どこから引こうか?」というように考えるヒントとなる視点を与えてもよいでしょう。数図ブロックをもとに計算の仕方を考える時に、思考の方向性を与えることができます。 数図ブロックを使って考えたやり方を、指名して前で発表させます。最初の子どもが10から6を取りました。減減法です。授業者は減減法が出てくることを予想していなかったようです。6の説明をせずに、3から順番に取っていってと説明をしました。中途半端に説明するよりは、同じように考えた人がいるかどうかだけ確認して、説明は後に回した方がよかったでしょう。 次の子どもは、10から9を取って残った1と3を足します。次に指名した子どもは、10から1を取って3に足しました。子どもからすごいと拍手が起こりました。ここは、しっかり押さえたいところです。どこがすごいかを子どもに問いかけ、1はどこからでてきたかを確認して、「10は9と1」と補数につながる言葉を出させたいところでした。この考え方を全員に納得させることが必要だったと思います。 せっかく子どもから出てきた考えですが、操作をさせて確認はしませんでした。ここまで数図ブロックで考えてきたのですから、それぞれの考え方を実際に操作することで理解させることが必要だと思います。 10から9を「取って」1、1と3を足して4という操作を式に戻って説明する時には、10から9を「引いて」となっていました。おそらく授業者は意識せずに言葉を置き換えてしまっていたように思います。また、10をさくらんぼ図で1と9に分けてから計算する練習をいきなりするのですが、10から1を引くのと、10を9と1に分けることの間にはギャップがあります。大人から見るとギャップにも思えないことを、子どもに寄り添い、子ども目線でクリアしようとすることが大切です。 5年生の国語は、論語でした。授業者は日ごろから子どもをしっかりと受け止めているようです。子どもたちはよい表情で授業に参加していました。ただ気になったのが、子どもが発言している友だちの方を見ないことです。子どもの言葉をつなぐことを意識して、聞く姿勢をつくることが大切です。 教科書では書き下し文しか扱いませんが、授業者は白文を用意しました。ディスプレイに映し出します。漢字ばかりであることを押さえて、漢字について学習したことを確認します。「漢字について前に勉強したね」という授業者の言葉に「あー」と反応する子どもがいました。しかし、授業者は自分で説明をします。せっかくの反応ですから、これを活かしたいところでした。 続いて、ワークシートで書き下し文を与えて音読します。せっかく白文を提示したのですから、白文と書き下し文の関係を説明したいところです。「もともとは、中国語でそのまま読むもの」「日本には中国から漢字が伝わっていたので、漢字の意味と読みはわかる」「中国の言葉を日本語で読めるようにして考えられたのが書き下し文」「これによって、当時の人は中国語を読めるようになった」。こういったことを押さえておきたいところです。 子どもたちに音読をさせますが、目標がはっきりしていません。すらすらと読むのか、言葉の区切りを意識するのかといったことを明確にするとよいでしょう。 続いて、国語辞典を与えて文の内容(意味)を考えさせます。目指すところが、書き下し文から言っていることをなんとなく理解することなのか、書かれていることを理解してその上で解釈することなのか、はっきりしていません。白文を使ったのであれば、漢字事典を使ってもよかったかもしれません。白文の漢字の中で、書き下し文でそのまま使われているものとそうでないものがあることに気づかせても面白いかもしれません。どうあるべきということではなく、何をさせたいかです。 現代語の辞典なので出てこない言葉もあります。「ず」といった古語の助動詞についてはある程度情報を与えるか、白文の漢字「不」の意味から想像させるといったことも必要かもしれません。 子どもに発表させますが、どこでそう思ったのか、調べたのか、想像したのかといった手段を共有しません。せっかく辞典という道具を与えたのですから、どう使ったかを共有したいところです。何人かの意見を発表させますが、同じように考えた人がいるのか、根拠を聞いて納得したのかといった、つなぐことをしません。最後に教科書の説明を読んでこの活動は終わりました。子どもたちは頑張って活動しましたが、その目標や評価ははっきりとされないままでした。 続いて音読の練習をさせますが、やはり目標や評価基準がはっきりしません。グループで発表し合う時になって評価カードが配られ、基準が示されました。これでは後出しじゃんけんです。子どもたちは、評価基準を意識せずに音読して、それ評価されるのであまり緊張しません。テンションが上がります。グループの代表を選んで発表させますが、評価を意識した音読でないので、だれが代表になるか選べません。代表の音読もあまり集中して聞いていませんでした。 1時間に内容を詰め込み過ぎたため、一つひとつの活動のねらいがぼやけたものになってしまいした。 6年生の英語は、カリキュラムがこの市の共通のものなので、授業者が工夫できることはないかという視点で見ました。6年生になるとある程度慣れているのか、子どもの参加の姿勢に差を感じます。ビデオを見ながら発音練習する場面などは、きちんと発音しない子どももいます。全員が口を開けるようにするためには、何度も繰り返すことが必要です。ビデオではなかなか難しいのですが、リモコンで一時停止させて、教師が再度言わせるといったことが必要です。 授業者はALTが主の場面でも、常に笑顔で子どもたちを見ていました、この学級の雰囲気がよい理由がよくわかります。 授業者は、外国語活動に対して前向きです。うまく授業に取り入れられるかわかりませんが、具体物で”situation”をつくって英語の意味を考えることや、逆に与えられた”situation”を英語に直すといったやり方があることを具体例で伝えました。また、単語の練習で絵と文字が一緒になっていることが気になることも伝えました。言葉を覚えこととスペルを覚えることは違います。「話す・聞く」と「読む・書く」の順番を意識することをお願いしました。 3人ともとても素直で、前向きでした。子どもたちの関係もよいようです。一つひとつの活動で子どもにどうあってほしいのか、何が目標なのかを意識して授業に臨むことで大きく進歩すると思います。これからが楽しみな若い先生方でした。 「愛される学校づくりフォーラム2015 in大阪」の申込み開始午前の部は、「愛される学校づくり研究会」の定例会で校長職(経験者を含む)である会員19名が発表した「私の愛される学校のつくり方」の中から、特に外部の方にも聞いていただきたい5名の実践を提案します。提案をもとに、今回は外部の方も交えて「愛される学校のつくり方」について協議を行います。参加された皆さんの愛される学校づくりにきっと役立つことと思います。 午後の部は、私たち会員の授業者による道徳、算数のミニ提案模擬授業をもとに、2つの授業検討法を活用して授業研究を行います。提案授業を見るだけでも損はさせませんが、今年度は、参加者にも私たちの提案する授業検討法を体験していただくことや昨年度から大きく進化したICTを活用したシステムによる新しい授業検討のあり方の可能性を実感していただくことで、「楽しく、手軽に授業改善」するための具体的なヒントをつかんでいただけると思います。 引き続き、2つの授業研究をもとに、「楽しく、手軽に授業改善」するためのポイントについて、授業者とコーディネーターでまとめます。学校だけでなく、個人レベルでの授業改善を目指す方にも役立つ内容になると思います。私が連載している教育コラム「楽しく、手軽に授業研究をしよう」をお読みいただければ、当日はより楽しめることと思います。 なお、昨年度、一昨年度とも申込み締め切り前に定員となりました。お早目の申込みをお勧めします。 日 時 平成27年2月21日(土) 10:00〜16:30(受付開始 9:30) 会 場 梅田スカイビル(タワーウエスト3F「ステラホール」) 参加費 1人 3,000円 なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2015」の招待券が届きます。この招待券は、当日昼食券と引き換えができます。 詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPのフォーラムのコーナーをご覧ください。 学校評価の進め方について学ぶ
先日、平成26年度「学校の総合マネジメント力の強化に関する調査研究」中間成果報告会に参加しました。この日は、国際大学CLOCOMの准教授の豊福晋平先生からの「教育委員会による学校評価支援の方策」についての報告でした。
詳しくは書くことができませんが、ある教育委員会における学校評価のデータの分析を例にして、とても興味深い話をたくさん聞くことができました。 お話をうかがって感じたのは、アンケートなど有用なデータを得ても、それを基にどう評価するかの方法論が明確でないと活かすことができないということです。極端に言えば評価者の能力で、その価値が変わってしまうのです。とはいえ、学校や教育委員会にはそういった専門的なスキルをもった方はいません。何とか現場でもできる標準的な評価の手法を確立する必要があると思います。 専門的な評価分析については、その方法を含めていろいろあるとは思いますが、今回豊福先生が行われた因子分析はとてもおもしろい結果と考える視点を提供してくれました。豊福先生はあえて現場の様子を見ずにデータだけから客観的に言えることを提供します。それを受けてその結果をどう解釈するかは現場の人間の仕事です。そのような結果が出た原因を考えると、現場の人間には必ず思いあたることがあると思います。その視点をもとに考えることで有効な改善策を導き出すことができるはずです。予算的な問題もあるかもしれませんが、地元の大学と協力し合うことで、こういうよい分業ができる可能性があるとの提案は納得できるものです。 豊福先生の提案された、評価モデルの構造化も納得性のあることでした。 「学校はどうなりたいのか 評価観点・カテゴリの決定」「到達度・進捗度を何で知るか 評価根拠の設定」「結果はどうか・何を対策・提案したか エビデンスログの収集」「次にどうあるべきか 学校活動の総括と提言」とフェイズを明確にして何をすればよいかを明らかにするのです。特に、意識したいことが学校の教育活動で得られた成果です。学校が何をやってそれがどのような成果を出したのか、そのことを第三者にわかるようにすることが大切です。これがエビデンスログです。学校にはこういった発想はありませんから、これを意図的、かつ効率的におこなう方法を具体的にすることが大切です。豊福先生からの具体的な提案は、大いに参考になりました。 学校評価を効率的、かつ有効なものにするための視点やヒントをたくさん得ることができました。よい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。 道徳で子どもたちが話を創ってしまう
昨日の日記の続きです。
授業研究は6年生の道徳をTTで行いました。若手がT1、ベテランの教務主任がT2です。 読み物は、大舞台に立つことを夢見ている売れない手品師の話です。父親を失くし、母親が夜遅くまで働いているため、さびしくて夜中にしょんぼりしゃがんでいる男の子に出会った手品師は、自分の手品でその子を慰めてやります。すっかり元気になった男の子と翌日も手品を見せることを約束しましたが、思いもかけず大劇場の舞台に立つチャンスがやってきました。しかし、その舞台に立てば男の子との約束を破ることになります。悩んだ末手品師は男の子との約束を選びました。こういう内容です。 最初に友だちと約束をして守れなかった経験を子どもたちに聞きます。T1は子どもの発言を共感しながらしっかりと受け止めます。子どもたちに何を言っても受け止めてもらえるという安心感を与えてから、資料を配りました。子どもたちに配ったものは、手品師が大舞台に立つか男の子との約束を守るかで悩むところまでしかありません。T1は範読した後、内容の確認を行います。手品師に夢があったことを押さえ、男の子に手品を見せた時、翌日の約束をした時の手品師の気持ちを聞きます。子どもたちの発言に対して余計な言葉は足さずに進めていきます。発表後またすぐに挙手した子どもがいます。T1は、また手を挙げてくれたことをほめました。発表したらもう自分の出番はないといった雰囲気にならないように意識してのことでしょう。常に参加することを子どもたちに求めようとしていること感じます。 感心したのが、内容の確認が終わるまでの時間を非常に短くしていることです。押さえるべきことを、手品師はどちらを選ぶかという主課題を考えさせるために必要な最小限のことに絞っています。教師の発言もしっかり削ぎ落しています。事前に模擬授業等を通じてずいぶん研究をしたであろうことは想像できます。おかげで主課題に十分な時間を取ることができました。 子どもたちに手品師がどちらを選ぶか考えさせ、「約束を守る」「迷っている」「大劇場の舞台に立つ」かを反応器として準備した紙コップの色で示させます。意見を聞いて考えが変わった子どもを指名することで深めていこうという訳です。 子どもたちの意見は、物語の結末としてどのようなものがよいかを考えたように見えるものがほとんどです。他人事、妄想、ご都合主義と言ってもいいものです。「自分の実力を磨いていればチャンスは来るはずだから、約束を守る」「大舞台で成功して有名になれば、男の子も喜んでくれる」・・・、子どもたちは勝手にハッピーエンドになるような話を創るのです。中には「自分だったら」と自分に引き寄せて意見を言う子どももいましたが、T1はそのことを意図的に取り上げませんでした。「自分だったらと言ってくれたけれど、自分でも同じようにする?」と投げかけてもよかったかもしれません。 結局、どちらの意見も手品師にとって都合のいいように話を創っているだけでした。このようなやり取りであれば、反応器で意見が変わった子どもを指名しても本時で考えさせたい「誠実」にはつながっていきません。自分の都合や相手がどうであるかに関係なく、約束したことは守るのが「誠実」です。T1は子どもの意見を受容することを意識するあまりに、揺さぶることをしませんでした。「もう一生チャンスはないかもしれないよ」「男の子はずっと待っているかもしれないよ」「それでもいい?」といった言葉を返してもよかったと思います。 「じゃあ、みんなが思った行動を取ったあと、手品師はどんなことを思うかな?男の子はどう思うかな?」という問い返しもあります。 また、前提を変えるという方法もあります。「もし、男の子が両親もそろっていてさびしい思いをしていないとしたら、どうだろうか。意見を変える?」と聞いて、もう一度考えさせると、ねらいである「誠実」につながる意見が出てくるかもしれません。それでも約束を守るという子どもは、「約束したことだから」という理由を言ってくれる可能性が高くなります。 道徳では、子どもたちは他人事の意見、教師が求めそうな答をとりあえず言う傾向があります。本音を引き出すためには、焦点化したり、揺さぶったりともうひと押しして再度考えさせることが必要です。 この後、後半の結論部分を読んで手品師の気持ちを言わせました。この展開であれば、後半を与える必要はなかったかもしれません。 子どもたちに「うそやごまかしのない正直な行動をとってよかったこと」を書かせて発表します。子どもたちは「正直に言ってよかった」というような「正直」に引っぱられたことを書いていますが、「正直」であることと「誠実」は少し違うように思います。この話で考えたことと子どもたちの書いたことがずれていたことが気になります。もちろん、そのような経験がなかったのかもしれませんし、問の文言に問題があるのかもしれません。が、とにかくこの時間に考えたことが子どもたちの振り返りに影響していないのです。子どもたちはこの時間で変容したのかどうかよくわからなくなりました。似たような経験がなさそうなことであれば、やはり過去を振り返るのではなく、これからどうしたいのか、どうするのかを考えさせるとよいでしょう。最初と最後に全く同じ問いに対する考えを書かせてもよいでしょう。比較することで変容に気づくことができます。 T1の説話も子どもたちと同じく「正直」に焦点があたったものでした。「誠実」というのは伝えにくいものなのかもしれません。道徳のむずかしさを感じさせられました。 授業者は、展開例をなぞるのではなく読み物の結論を主人公の気持ちになって考えさせるというやり方に挑戦しました。この学校で今進めている道徳の殻を破ろうとしてくれました。このことで、子どもたちが読み物の続きを考える時、話を創作してしまうことに気づくことができました。とても大切な情報です。子どもたちに自分のこととして考えさせるためにはもう一工夫必要であることがわかりました。このことが授業研究なのです。次回の授業研究がこの気づきを活かしたものになってくれることを願います。 道徳の授業の進め方を考える
小学校で授業アドバイスを行ってきました。今年3回目の訪問です。今回は通常学級の6名と特別支援の先生の授業アドバイスと若手の授業研究でした。特別支援以外はすべて道徳の授業でした。
道徳の授業はどの学級も副読本の「明るい心」を使い、展開例に従って授業を進めていました。資料の読み取りを助ける、場面の絵が全学年分そろっているので、それを上手く活用していました。ただ、この副読本では最後に自分の経験を振り返って終わるというのが基本的な流れです。しかし、過去ではなく明日からどのように行動するかということが大切になります。このことを子どもに迫ることを意識してほしいと思います。 1年生はまだ経験の浅い講師の授業でした。しかし、子どもたちによい表情が見られます。授業者が笑顔で子どもたちと接することを意識するようになった結果でしょう。子どもたちが集中したよい状態で授業は始まりました。 私たちが見ているので緊張したのでしょうか。授業者はしゃべりが少し早く、子どもたちの理解を超えたスピードです。また、資料の読み取りで説明が続くのでせっかくの子どもたちの集中が切れてしまいました。特に1年生は受け身の時間が長いとだれてしまいます。子どもたちはよく反応してくれるので、子どもとのやり取りを増やし、子ども同士をつなぐことを意識するとよいと思います。 5年生の授業は、主人公と母親とのやり取りを何組かの子どもたちに前で実際に演じさせていました。子どもたちはとても楽しそうに、集中して見ています。演技終了後に主人公の気持ちを子ども役に聞きます。子どもたちに感情移入させるよい方法の一つでしょう。ただ注意したいのは、この時の主人公の気持ちを全員に考えさせたいのかどうかです。もし、全員に考えさせたいのであれば、何人も指名して意見を言わせたり、互いに聞き合ったりする場面が必要になると思います。 この授業のねらいとはずれるかもしれませんが、主人公以外の視点で考えることも子どもたちに客観的に自分を見つめさせる有効な方法です。この読み物の主人公は母親の言葉をちゃんと聞かずに約束を破ることになったのですが、母親はどんな気持ちで声をかけたかを考えさせるのです。 授業の一部分しか見ていないので何とも言えないのですが、授業者はどこに時間をかけたかったのか、ちょっと疑問に思いました。というのは、子どもたちが演技をしていたのは読み物の最初の方です。経過時間から言って、後半の場面について考えさせる時間が足りなくなるのではないかと思ったからです。道徳では、読み物の内容理解よりは、子どもが自分のこととして考える時間の方が大切です。限られた時間の中でどうバランスを取るかを意識してほしいと思います。 副読本の展開例を参考にしながらも演技をさせるといった独自の工夫をしていることはとてもよいことと思います。子どもたちとの人間関係がよいこともあって、こういう工夫が有効と感じることが多いと思いますが、それとは別の視点、この工夫が授業のねらいにつながっていったかどうかも意識することもできると、より有効な場面で活用できるようになると思います。 4年生は自らを律することを意識させる課題でした。 子どもが主人公の気持ちを考えて発表するのですが他人事のようです。この主人公はこう考えたという読み取りになっていて、自分のことになっていません。子どもたちの内面に迫ることが大切です。主人公のした行動にそって考えるだけでなく、「あなたならどうする?」と考えさせたり、「状況が違ったらどうだろう?」と別の条件で主人公の行動を想像させたりすることも視野に入れてほしいと思います。 3年生は、ちょっと落ち着かない子どもがいる学級です。面白いのは私たちの姿を見て、子どもたちの様子が変わったことです。見られていることを意識したようです。 授業者は子どもたちに作業をさせている問など、すぐに机間指導をします。落ち着かない子どもが気になりすぎて、その子に素早く対応できるようにしているのです。この学級の子どもたちと授業者の関係は悪くありません。子どもたちの多くは、それほど問題はないのです。過敏にならずにゆったりと構え、普通の子どもをしっかり見守ることの方を優先してほしいと思います。この学級の子どもたちは、受け身の時間が続くと集中力が切れます。反応はするので、どんどん指名して意見を言わせると積極的に参加するはずです。思い切って子どもたちにたくさん活動させることを意識するとよいと思います。 2年生の1つ目の学級は、子どもたちにとって、この課題が自分のものとなっていないことが気になりました。一部に友だちの意見をちゃんと聞いていない子どもがいるのです。 授業者は子どもの意見をしっかり聞くのですが、それを受けてすぐに板書をしてしまいます。授業者が板書して黒板に向いている時に子どもたちの集中力が切れることも気になります。道徳では板書を写す必要がないからでしょうか、板書中は子どもたちにとってはリラックスタイムになっています。もっと子どもを指名して意見を言わせ、その上で子どもたちを揺さぶって自分に引き寄せて考えさせることが必要です。自分のこととして考えると、友だちの意見が気になります。子どもたちは、表面的に主人公の気持ちをなぞっているだけだったのです。 2年生のもう1つの授業は、子どもたちと授業者の関係のよさが印象的でした。 子どもたちは一生懸命に意見を言います。どんな意見でも授業者が温かく受け止めるので、そのことで子どもたちは満足してしまいます。発表して先生に認めてもらうことが目的化しているのです。ただ受容するだけでなく評価することで、その中身を意識させることも大切になります。この授業は道徳ですので評価は必要ではありませんが、「○○さんと似た意見の人?」と子ども同士をつなぐなどするとよいでしょう。教師と子どもだけでなく、子ども同士で認められることを意識するようになり、子ども同士の関係もよくなります。また、友だちの意見を聞こうとするようになり、意見や考えがつながって深まるようになります。 特別支援は、算数の授業でした。授業者は根気よく笑顔で子どもに接しています。子どもは序数と基数の違いや関係がよく理解できていないようです。1、2と物の数を数えることはできるのですが、数の大小がよくわかりません。7と8ではどちらの数が大きいかわからないのです。授業者はどう教えればいいか悩んでいました。 物を数えることはできますから、7つと8つの物を用意して、1つ、2つと声を出しながらそれぞれから同時に移動させます。7つまで来たところで、一方が7つあることとどちらが多いかを確認します。確認したところで8と数え、8つあることを確認して、8の方が多いことを納得させます。この方法で上手くいくかどうかわかりませんが、実物を使いながら、序数と基数をつなぐことをする必要があると思います。 見せていた方々それぞれに進歩している部分があり、だからこそ個々の課題が明確になっているように思いました。 授業研究については明日の日記で。 北原延晃先生から学ぶ
先日、英語の授業実践で定評のある東京都港区立赤坂中学校の北原延晃先生の研修会に出かけました。3回シリーズの第3回目でやっと時間を取って参加することができました。
今回は、今までの研修をもとに若手が行った実践発表とそれを受けての北原先生の指導と講演でした。 3名の方の授業実践を見て感じたのが、北原先生の授業を参考にしたかどうかは置いておいて、子どもを見ていない、活動の目標が明確でないというように、授業の基本に関してできていないことが多かったことです。また、”situation”で理解させるのではなく、英語を日本語に対応させて教えていることも気になりました。子どもが英文をオウム返しで覚える活動が中心では、英語を使えるようにはなりません。自分の伝えたい”situation”を英語にすることが大切です。 北原先生は私が感じたことと近い視点で指導され、私にとってとても納得できるものでした。ということは、北原先生は活動の目標を明確にして、”situation”で理解させようとしているということです。前2回の研修で彼らは北原先生からそういったことを学べていなかったのです。話を聞いたり、実践を見たりしても、そこから何を学ぶかは人によって違います。表面的な技術ではなく、本質をつかみ取ることはそう簡単ではないようです。このことは私も授業アドバイスをする上で、心しておかなければいけないことです。 講演では、文法の導入と練習の授業をどうつくるかということを具体的に教えていただきました。 北原先生の授業では、子どもたちは英文を読みながらジェスチャをします。基本的に英単語とジェスチャは1対1です。こうすることで英語の構造が身につきます。田尻悟郎先生の単語と絵を対応させた英作文練習やGDMのライブに通じるものがあります。 また、次にどのような文の練習をするか予想させます。過去の学習内容から予想させるというのは、「次に先生は何て言うと思う?」といった子どもたちを能動的にするためによく使われる発問と似た発想です。教科を越えて使えるやり方がたくさんあることを実感します。また、復習している内容をどこで学習したかを意識させることもしています。これも、大切な発想です。答を聞くだけでは、「ああそうだった」と一瞬思い出すだけですぐに記憶から消えていきます。どこで学習したかを意識させそこに戻ることで、その文という点ではなく、そこで学習した一連のことを思いださせることができます。これも教科を越えてよく使われるやり方です。 “I ○ dinner every Sunday.”という文の○にあてはまる単語を考えさせます。”have”では日曜日にしか夕食を取らないことになりますから、ちょっと変です。”situation”を考えると、”cook”が答だとわかります。食事当番の表を与えて、文を作らせます。単に覚えさせる英語ではなく、”situation”と連動させています。基本的に優れた英語の授業に共通する考え方です。 考えてもわからないと時には、”Hint please.”と子どもに言わせ、わからなければ聞くという姿勢を身につけさせようとしています。これも、教科を越えて子どもたちに教えたいことです。また、できる子どもを活かしながら、最後の一人ができるまで待つという、全員参加の姿勢も素晴らしいと思います。 北原先生の授業は英語という教科面の工夫に目を奪われそうになりますが、教科を超えた基本的な姿勢にその本質があるように思いました。英語の授業としてだけでなく、子どもが全員参加し、考える授業はどうやってつくるのかという点でも大いに学ぶことができました。よい学びの機会を持てたことを感謝します。 授業アドバイスの手ごたえを感じる(長文)
先日、小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度第2回目でした。
6年生の算数は、順列の学習でした。子どもの表情がとてもよいことが印象的でした。子どもたちと先生の関係がよいことがよくわかります。授業者は笑顔で、とにかく子どもたちをよく見ようとしています。子どもたちが安心して授業に参加している理由がよくわかります。 先輩に教わったということですが、算数の授業では子どもたちに「算数博士になる」という目標を意識させていました。「は」は「はや(速)く」、「か」は「かんたん(簡単)に」、「せ」は「せいかく(正確)に」で「はかせ」です。算数的なものの見方考え方を子どもたちに意識させるよい方法の一つだと思います。 子どもたちの考えを大切にして授業を進めていきます。3人がリレーをする時の走る順番が何通りあるかを個人で考えさせた後、グループで話し合わせます。グループになると止まっていた子どもも動き出します。どの考え方がいいかを「このやり方は速いけれど、簡単なのはこちらだ」と「は・か・せ」で議論しています。子どもたちが評価の基準を持っていることのよさを感じることができました。 指名した子どもに考え方を説明させます。子どもは友だちの説明に対してしっかり反応できます。授業者は上手く説明できない時には他の子どもに説明をさせますが、きちんと本人にそれでよいか確認します。基本がきちんと押さえられています。わからない子どもに対して、友だちの説明がわかったかの確認もしっかりします。「わかった」と答えたあと、「自分の言葉で言ってくれる?」と言わせました。一瞬緊張しましたが、たどたどしいながらもなんとか自分の言葉で説明し、終わったあと笑顔になったのが印象的でした。 3つの順列の適用題はすぐにできたのですが、4つの順列の問題で子どもたちがつまずいています。2番目がそれぞれ3つあるのに、2つになってしまっています。3番目で止まっている子どももいます。授業者には予想外だったようですが、できる子どもを指名して板書しながら説明させました。よいヒントになったのですが、指名された子どもは最後まで書いてしまいました。ここは、途中で止めた方がよかったでしょう。 子どもたちが4つの順列の樹形図を書けなかったのは、3つの順列の時に「は・か・せ」の「せ(正確)」を確認しなかったことが原因と思われます。授業者は、指導案では漏れがないか確認することを意識していたのですが、実際にはきちんと押さえませんでした。「正確であること」=「正しい」=「漏れがない」をきちんと確認する必要があったのです。第1走者をリストアップした時に、「これで全部?」「他にはない?」「絶対?」と確認し、理由を言わせます。第2走者でも同様です。1番目、2番目、3番目と順番を意識しながら、「これで全部か」をしつこく確認するのです。子どもたちは1番目、2番目、3番目と樹形図を横に追いかけて書いています。そうではなく、1番目はこれで全部、2番目は・・・と縦に書かせることが必要だったのです。一つひとつの順列を書くことではなく、もれなく書きだす書き方を意識させなければいけなかったのです。3つの場合で子どもたちがあまり抵抗なく正解を出せたので、授業者は確認を怠ってしまったようです。 とはいえ、子どもたちはとてもよい雰囲気で学習していました。だからこそ、教師が何を押さえ、焦点化し、共有するかが問われるのです。 3年生の体育の授業は、ポートボールでした。 子どもたちは準備運動をしっかりとやっています。集合解散も素早く行えます。次の練習のためにボールを取りに行かせたところ、かごへは素早く移動しましたがそこで困ってしまいました。ボールがどれだけ必要かわからなかったのです。指示があいまいでした。指示をし直した後、子どもがボールを持って戻ってくるのに、移動が遅くなっていました。子どもたちは、今度は早く移動することを意識していなかったようです。 これに限らず、授業者が明確に指示をしなかったことや、子どもにこうなってほしいと意識していないことを子どもたちはできません。あたりまえと言えばあたりまえですが、一つひとつの場面で目指す子どもの姿がはっきりさせることが大切です。 例えば、ドリブルの練習一つとっても、毬つきをしている子どもがほとんどです。ドリブルのポイントを意識して練習している子どもはいません。バウンズパスもどんな場面で利用するのかを教えていません。ただ、活動しているだけの練習でした。 この日は試合形式の練習です。ドリブルなしで全員がボールをキャッチするまで、シュートをしてはいけないという特別ルールですが、違反した時にどうやって再開するといったことは説明しません。子どもたちはゲーム中に戸惑ってしまいました。 子どもたちはやみくもに動いています。授業者は試合中に「シュート」といった指示を出しますが、子どもたちは指示されたことをとっさにやっているだけで、自分で判断したわけではありません。これでは技術は向上しません。また、試合のないチームの子どもはぼんやりとしているだけです。 最初に今日の試合形式の練習でのポイントが何かを説明することが必要です。もし説明しないのであれば、短い時間で全員に経験させ、他のチームのプレイも見せて、どうすればうまくゲームを進められるか相談させることが大切です。 授業者は自分が意識したことは子どもに徹底できる力はあると思います。要は、何が大切か、子どもたちにどうなってほしいかをきちんと意識することです。このことを強くお願いしました。 この市では5、6年生以外も外国活動を行っています。4年生の外国語活動を見ました。この日は家族を表わす単語を家族の写真や絵を使って”Who is this?”に答えることで練習するものでした。市全体で共通のカリキュラムがあるので、授業者の問題ではないのですが、英語を習得するという意味では、非常に問題のある授業でした。 語学の習得の初期段階では、「聞く話す」と「読む書く」は混在しない方がよいと言われています。単語書かれた絵で発音練習していることが気になります。文字を覚えてくれればラッキーという程度だとは思いますが、単語を覚えるのにはノイズとなります。また、Classroom Englishを使うのですが、肝心の言葉の説明は日本語でします。”brother”や”sister”は日本語で説明するとおかしくなります。兄と弟、姉と妹の区別がないからです。英語を日本語に1対1で対応付けることは避けるべきです。”situation”を理解することで身につけることが大切です。All Englishでねらうべきはこの部分なのです。ここで日本語を使ってしまっては意味がありません。 “What is this?”に対して”This is ○○.”という会話も気になります。確かに写真や絵を間にはさんでの会話は”this”でやり取りできますが通常は”situation”で変わります。”it”になることもあります。同じパターンだけで練習して習得してしまうと、混乱して修正しにくくなります。きちんと”this” ”that” “it”の違いを身につけさせる必要があります。 また、単語の練習で班ごとに列で順番に”father” “mother” と一つずつ順番に答えさせる場面がありました。一人が一つの単語言うだけです。他の班はそれすらもなく聞いているだけです。活動量の余りの低さにびっくりします 最後はいつものようにゲームです。この日は各自が描いた家族の絵をもとに、じゃんけんに勝った人が“What is this?”と絵を指さして、相手が”This is ○○.”と答えるものです。交代して終わりますが、ゲームのポイントを得るのはじゃんけんに勝った人だけです。英語の活用と関係のないところでゲームの勝敗が決まります。外国活動の目標が外国語と関係のないところに行ってしまいます。 担任がだれであっても外国語活動の授業ができることを目標にしたカリキュラムということはわかるのですが、ぼつぼつ次のフェーズに行くことを考えてほしいと思います。私が言うべきことではないかもしれませんが、そのことを教育委員会や校長会にはお願いしたいと思います。 6年生の音楽の授業は、かなり教材研究をしたと思わせるものでした。 授業の最初に全員で合唱しますが、歌う前にポイントを具体的に確認します。子どもたちは笑顔でとてもよい姿勢で歌っていました。ポイントを意識していることがよくわかるものでした。 この日はホルストの組曲惑星から木星の鑑賞でした。曲想の変化に注目させるのですが、「曲想」が何かが明確になっていません。この時間を通じて理解することでもよいのですが、音楽の用語をきちんと押さえながら進めることが大切です。曲を聞かせてから、子どもに感想を言わせます。つぶやきを拾ったときは、きちんと全体に対して発表をし直させます。とてもよい対応です。しかし、そこで自分で説明を始めてしまいます。もう少し他の子どもにつなぐことをしてほしいと思います。 ホルンの音が前に出ていることを説明して、再度聞かせます。説明で終わってしまっては気づけなかった子どもはそのままです。これもよい対応です。ただ、その場面を子どもたちで気づけるようにすることを意識するとよかったと思います。具体的には、ホルンの音が出てきたら手を挙げるといった指示です。 ホルンが6本と多いことを説明するのですが、子どもたちはピンときません。そもそも通常何本か知らないからです。教えてもいいですが、通常のオーケストラの写真と惑星を演奏しているオーケストラの写真を比べて見せても面白いかもしれません。特徴である、ホルンとティンパニーの構成の違いに気づくことができたかもしれません。 曲の感想をイメージで答えさせます。ここから音楽的な表現につなぎたいところです。子どもからは、「音が低いから」「ゆったり」という音楽表現につながる言葉が出てきますが、その場では深めたりつなげたりはしませんでした。 子どもたちの発言が終わったあと、そのイメージがどこから来ているか音楽表現に関する用語を出して、音楽的な根拠を求めました。視点を与えるのはいいのですが、用語の意味が全員に理解されていなければいけません。まずは、簡単に説明するか、子どもに確認したいところでした。何度も聞かせて鑑賞を深めさせようとしているのですが、友だちのイメージを聞くだけではなかなか深まりません。授業者は過程や根拠をつなぐことを意識せずに、子どもの感想を聞いては自分で説明をしてしまいます。結局教師がしゃべりすぎの授業になってしまいました。子どもはしっかりと感想を書いています。その感想をつなげることを意識すべきでした。 「同じような感想を持った人いる?」「それって曲のどういうところで感じた?」「同じようなことを感じた人いる?」「あなたはどんな感想を持った?」と根拠となる表現と感想をつないでいくのです。その上で、もう一度聞くと曲に対する理解が深くなったと思います。 どんなことを感じたというアプローチもいいのですが、逆に「作者は、木星はどんな星というイメージをもっているのか?」を課題としてもよかったかもしれません。より作者の表現を意識することになるからです。 「木星」という曲について本当によく教材研究をしていました。教材研究をするとどうしてもそのことをしゃべりたくなるのが人情です。そうではなく、子どもの言葉をつないだり深めたりする過程で教材研究を活かすという発想をしてほしいと思います。あくまで、子どもに気づかせることを基本とするのです。 授業後、個別に授業アドバイスをしました。どなたもとても素直に聞いていただけます。この姿勢であれば、必ず進歩すると思います。事実、前回に引き続き授業を見せていただいた方は、私のアドバイスを確実に自分のものにしていると感じました。私も自分のアドバイスに手ごたえを感じることのできた授業でした。こういう経験をさせていただくと私も元気が出ます。ありがとうございました。 介護研修で、チームと個の役割について考える
先日、介護現場で起こることとその対応について研修を行ってきました。
介護施設の職員で2グループ、訪問介護の職員で1グループの3グループでした。今回はグループごとにテーマを決めて、新人とベテラン、それぞれがする対応を代表者にロールプレイしていただきました。介護施設の職員グループには、「利用者がお風呂を利用中に動かなくなった」「食事中に下を向いて動かなくなった」、訪問介護の職員グループには「食事の準備をしていたら利用者が転んで、起き上がれなくなった」という設定です。どのグループも自分たちの経験を話し合いながら、しっかりと考えてくださいました。 面白かったのが、介護施設と訪問介護の状況の違いです。介護施設ではチームで仕事をしています。したがって、担当者が何もできなくてもだれかが気づいてくれることもありますし、助けを呼べば何とかなります。一方、訪問介護では基本は1人ですから個人で対応することになります。皆さんのロールプレイはその状況の違いの中で何が大切かを見事に浮かび上がらせます。 介護施設では、すぐに助けを呼ぶと同時に、今自分ができることを素早く実行します。そのとき他の職員は利用者さんの視線を現場から外れるように誘導したりして、できるだけ他に影響がないように動きます。それぞれの立場で自分がなすべきことをするのです。 一方、訪問介護では、料理をつくっている時から、利用者さんの状況を把握しようとしています。声をかけて会話をすることで、利用者さんの異変をすぐに察知できるようにしています。トラブルに対して素早く状況の把握をしますが、それと同時に本部に電話連絡し指示を仰ぎます。現場での対応は自分一人ですが、きちんとチームとして事にあたるようになっているのです。 チームだからこそ、協調的な個の判断が求められる。個人だからこそ連絡と相談が大切になる。このことは学校現場でも同じです。学級の問題を担任の責任として一人で対応していては、判断ミスや対応の間違いがあっても修正できません。ことが大きくなってから初めてまわりが知っては遅いのです。中学校では複数の教師が1つの学級に入るので、それぞれの役割を意識した協調的な指導が大切です。教科担任には学級担任とは違った視点でフォローすることが求められます。 こういった事故を予見するために必要なことは、利用者一人ひとりの情報の伝達、共有です。このことについても、グループで考えてもらいました。参加されている方は力のある方ばかりです。手にした情報を伝えることや自分が担当する利用者の情報を得ることをしっかり意識しできていました。しかし、リーダーに伝えた、連絡帳に記入したで終わってはいけません。残念ながら、すべての職員がここに参加された方と同じレベルに達しているわけではありません。情報がきちんと伝わっているかチェックする、担当者に任せっぱなしではなくそれとなく意識して見守るといったことも必要なのです。このことをお伝えしました。 今回は、介護施設と訪問介護、それぞれの状況の違いを理解し合うことができました。互いに学ぶべきことは多かったようです。人のお世話をするという点で、介護は教育と似たところがあります。私も研修を通じてよい学びをすることができました。ありがとうございました。 「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第8回公開個から始めるのか、全体で取り組むのかを考える
小学校で終日授業アドバイスをしてきました。この日は低学年を中心とした個別アドバイスと、全体に対してのアドバイスの時間を取っていただきました。
基本的に子どもたちは落ち着いています。前回訪問からそれほど時間は立っていないので大きな変化があるわけではありませんが、子どもたちを受容することや子どもたちが互いに聞き合うことを大切にしようとする姿勢が感じられました。しかし、その実現については学級差を感じます。子どもとの関係に苦労している学級も目にしました。個々の学級のよさが学校全体のものになっていません。授業研究などを通じて、気軽に授業について話し合う雰囲気をつくることで互いのよさを共有するとよいと思いました。 一方、発問や授業の進め方、教材研究といったことについては、甘いと感じる授業が多くありました。特に気になったのが、目標や評価を教師自身が意識していない活動が目立ったことでした。当然子どもたちにも目標や評価の基準は明確になっていません。活動そのものが目的となり、よく言われる「活動あって学びなし」となってしまいます。また、目標がある程度明確になっていても、その達成のために何が必要なのかを意識していないため、子どもがうまく活動できない場面も目にします。例えば、「資料を見て気づいたこと」と問いかけても、子どもの活動はシャープになりません。資料から気づくためには、資料には何が書かれているかを確認したり、○○と比較するといった視点を明確にしたりすることが必要です。どのような視点を持つ必要があるのか、それは教えるのか気づかせるのかといったことを意識して授業を組み立てる必要があるのです。 今回は、このような子どもの活動に関することについて、全体に対してお話をさせていただきました。 「個々の教師を伸ばすことから始めるのか」「学校全体で取り組むことを明確にして推し進めるのか」といった方向性を学校としてはっきりさせることが必要だと感じました。前者であれば、「個々の教師の成長を全体のものとするために、共有する場面をつくる」、後者であれば、「4月のスタート時点で今年度学校として取り組むことが具体的になっている」ことが必要になります。このようなことを校長にはお伝えしました。 どのような判断をされたのか教えていただく機会を楽しみにしています。 中学校長会で講演
市立中学校の校長会で「みんなが元気になる学校づくり」と題した講演を行いました。校長がどのような動きや仕掛けをすると学校が元気になるかということを具体的な事例をもとにお話しさせていただきました。
あたりまえのことですが、校長の仕事の第一は学校として何を目指していくのかをできるだけ具体的にすることです。「自ら進んで学ぶ子」というような抽象的な表現ではなく、「わからないときに、教えてと聞ける子」というような具体的に評価しやすい行動で表現することが大切です。また、こういう目指す子どもの姿が校内の誰に聞いてもぶれることがないことも大切です。機会を見ては校長が発信し続けることを意識してほしいと思います。 学校ホームページは校長が発信するための大きな武器となります。外向きだけでなく先生方に対しても校長が目指すものを伝える有効な手段です。目指す子どもの具体的な姿や学校のよい取り組みを発信することは、先生方にどのような子どもを育ててほしいかを伝えると同時に、こういうことをしてほしいというよい意味でのプレッシャーを与えることになります。 学校がよい方向に変わる条件として、「戦略性がある」「授業を大切にしている」「管理職・主任が授業をたくさん見ている」「同僚性がある」が挙げられます。何を変えるか、どこから始めるかというゴールとステップが明確であること。子どもたちが過ごす時間の大半を占める授業を大切にし、そこで生活指導や人間関係づくりをすること。学校の授業の実態を把握し、具体的な場面で先生方に寄り添って指導すること。先生方を孤立させないように、互いに支え合い、相談し合い、一緒に考え合える人間関係をつくること。こういうことが大切です。 特に若手を育てるためには、以前のように「自分で盗みなさい」ではうまくいきません。管理職や主任の働きかけが大切になります。個別に対応するのか、小グループで育てるのか。小グループは若手だけなのか、ベテランも加えるのか。いくつかのやり方がありますが、どれが正解というわけではありません。学校規模や人事構成によって適切な方法は違ってくるのです。大切にしてほしいことは、メンタルケアです。一緒に考える仲間、寄り添ってくれる先輩、見守ってくれる管理職の存在が必要です。そして、言葉で言ってもなかなか伝わりませんから、実際の場面を見せてあげることも必要です。グループで指導案を検討し、授業研究を行うといった方法は、主体的に考えた授業を客観的に見ることができるので有効な方法の一つです。また、先生方もある意味子どもと同じです。成果を認めてほめることが大切です。しかし、必ずしも結果がすぐに出てくるわけではありません。取り組もうとしている意欲を認めてはげますことも校長の大切な仕事です。 ベテランを変えることはとても難しいと感じている方が多いと思います。確かに、長年やってきたことを変えさえようとしても抵抗があります。しかし、ちょっとしたきっかけで大きく変わるのもベテランです。自信を持っているベテランばかりではありません。ベテランであるが故に、授業はうまくなければいけない、指導ができなければいけないというプレッシャーがあります。自分の課題を指摘されることに若者以上に過敏な方もたくさんいるのです。ベテランには直接指導するのではなく、他の先生の授業を見せることが効果的です。他の先生の授業の課題に気づくことで、自分の授業を振り返ることができるからです。また、ベテランに変わってほしい時は、まずベテランのよいところを認めてほめることが大切です。その上で、新しいことに挑戦しましょうと次のステップを提示するのです。「新しいこと」「挑戦」という言葉を使って、欠点の改善ではなくレベルアップという肯定的なイメージで前向きになってもらうのです。「上手くいかなければまた以前のようにやれば大丈夫ですから」と失うものがないことを伝えておくのもよいでしょう。もともと、若手と違って基本的な力はあるのですから、新しいやり方を上手く取り入れることができれば素早く変化するのです。 こういった学校の取り組みを支える要は教務主任です。校長が直接指導するとある意味命令になってしまいます。そこで教務主任の出番です。教務主任が上手く機能するためには、校長が目指しているものをきちんと伝えることが大切です。言葉で伝えるだけでなく、一緒に学校を回り、授業を見ながら感想を言い合うといったことも理解してもらう一つの方法です。そして、教務主任には若手に寄り添う、支えることを求めます。学級の問題や授業に関してこうしなさいと指導するのではなく、どうしたらいいだろうか一緒に考える姿勢を持ってもらうのです。規模の大きい中学校などでは、この役割の一部を学年主任に求めることになるかもしれません。校長は、教務主任や学年主任に対して、どのような役割を求めているかをしっかり伝えることが必要です。 時間の関係で地域とのかかわりについてあまりお話はできませんでしたが、学校のことをまずよく知ってもらうことと、相談する姿勢が大切であることをお伝えしました。「○○してください」「手伝ってください」とお願いするのではなく、「○○について困っています」といった本当のことを伝え、どうすればいいのか一緒に考えてくださいと相談するのです。学校に対する要望については、真摯に受け止めていることを伝えることが大切です。結論に時間がかかるのであれば、いつまでに出すと伝える。要望に応えられなければその理由をていねいに説明する。こういうことが学校に対する信頼につながり、一緒に子どもを育てるという関係を構築することになるのです。 どなたもとても熱心に話を聞いていただけました。明日から早速やってみたいことが見つかったという言葉をいただけたことをとてもうれしく思いました。みなさんにとっても何か一つでも得るものがあったのであれば幸いです。 私立学校の研修で、新しい授業スタイルへの思いを新たにする
私立の中高等学校の研修で講師を務めました。模擬授業を行ない、私が解説をする形式です。
今回は若手の英語の先生が授業者をかってでてくださいました。自分の授業の今を伝えようという意欲的なものでした。 子どもたちの活動量を大切にしています。面白いのが、子ども役の先生たちです。子どもたちの実態を意識してのことでしょうか、授業に集中しない方、それこそ真剣に参加する方いろいろです。これだけバラエティにあふれる子ども役に出会ったのは初めてです。先生方の温度差の現れなのかもしれません。 授業者は実際の授業でもそうなのでしょう、子どもたちを叱るようなことはしません。明るい表情で、次々に活動を仕掛けます。簡単な確認は何人にも指名し、学力低位の子どもも聞いていれば答えられるようにします。答えられなかった子どもはまた指名して、挽回する機会を与えます。子どもたちに対する姿勢のよさがよく出ていました。 今回の授業は、基本となる英文をもとにペアでオリジナルの対話をつくり実演することが主活動です。あまり授業に参加しなかった方も、相手がいなければできない活動ですからちゃんと参加します。子どもたちの実際の動きとよく似ています。もちろん実際の子どもたちは本当にわからなくて参加できないこともありますので、そのような子どものために基本的な文も準備されています。基本パターンを崩して新しい要素を入れると評価が高いといった基準も示されています。 この学校の英語科で行おうとしている授業改革の一つの形を見せてくれました。 手慣れた授業に見えますが、その裏では授業者はいろいろと思考錯誤していることがよくわかります。よりよい授業を目指して日々工夫を重ねていることがよくわかります。ちょっとした場面にも授業者のオリジナリティを感じました。 うれしかったのが、今回子ども役にならなったかった方です。皆さん1度は模擬授業形式の研修に参加されていたのですが、若手の授業を非常に真剣に見ておられたのです。授業改善に前向きな先生がたくさんおられることを心強く感じました。 最後に、この授業を見て学んだことをグループで話し合っていただきました。中には、子どもたちがこのように活動する授業は楽しそうだが、学力がつくのかといった疑問を持たれる方がいました。特に高等学校ではこのような授業観が多いようです。しかし、このような授業が楽しいと思っていただけただけで今回の模擬授業はよかったと思います。教師が一方的に説明する授業や子どもたちが寝ている授業で学力がつくことはありません。教師が説明をしたというのは、自己満足であり、それでできないのは子どもが悪いという言い訳の授業です。そのことを実はおそらく気づいているのではないかと思います。だからこそ、そのことを認めたくないのではないでしょうか。 大学受験者の急増時期に、高等学校の教師は受験に必要な知識を伝えれば授業が成り立つことを知りました。これが受験に役立つという言葉で子どもを引っぱることができたからです。そのため、授業に対する工夫や授業技術の習得をほとんどしなくなってしまいました。小中高大で一番変わっていないのは高等学校という説もうなずけます。しかし、大学入試制度が変わることはほぼ間違いないようです。文部科学省も高等学校の授業改革に本腰を入れるようです。変化の波は確実に高等学校にも押し寄せてきています。新しい学力観、授業観に変わることが求められているのです。 高等学校でも子ども同士がかかわり合う授業に取り組む学校が増えています。そのことが学力向上に有効であるという報告も目にするようになりました。この学校にあった、新しい授業スタイル、学習スタイルをつくりだしてほしいと思っています。そのために少しでもお力になれればという思いを新たにしました。 授業力向上に前向きな先生方
中学校で、授業アドバイスを行いました。この日は国語の授業研究がありましたが、その前に学校全体の様子を見せていただきました。うれしかったのが、たくさんの先生が私と一緒に授業を参観してくれたことでした。他の先生方の授業、特に子どもの姿から学ぼうとする姿勢はこの学校の授業力向上への意欲の強さの表れでもあります。授業を見ることでたくさんのことが学べたとの感想を聞くことができました。次のステップとして、私の解説抜きでも、互いに授業を見あって学び合うようになってくれることを願っています。
全体的に感じたのは、以前と比べて2年生がずいぶん落ち着いたことです。教師と子どもの関係もぐっとよくなったと感じました。懇親会でその秘密がわかりました。以前私がアドバイスした、「気になる子どもではなく、きちんとできている子どもたちとかかわることを優先すること」を2学期は意識したそうです。体育大会では全体から外れた行動をとる子どもにはかかわらず、そのほかの普通の子どもを大切にしたそうです。結果的には外れた行動をとる子どもも、みんなの様子が気になるのか、どこかへ行ってしまうのではなく、次第に集団の中に入るようになったそうです。その結果、合唱大会では、そういった子どもも口を開けて参加するようになったとのことでした。私のアドバイスがよかったということではありません。あくまでも私は、方向性を示しただけです。先生方が自分たちで考えて行動し、修正していったことが上手くいったのです。外部の意見を参考にする素直さと、子どもたちの実際の様子を見ながら学年で歩調をそろえて指導することができたチームワークが決め手です。次の課題も視野に入れています。子どもたちが3年生になれば、今よりもっと素晴らしい姿を見せてくれることでしょう。 もちろん、3年生も1年生もよい姿を見せてくれました。先生方の柔らかい雰囲気が子どもたちを包んでいることを感じます。 授業研究は2年生の国語で、古典の扇の的でした。 音読の練習場面では、子どもたちは大きな声を出して読みます。ペアで交互に音読したりしますが、そのことの良し悪しは別として、音読に何を求めているのかがはっきりしませんでした。単語や文節の区切りを意識して読むのか、仮名遣いや言い回しを意識して読むのかといったことがよくわからないのです。前時までに意識すべきことを指導してあったのかもしれませんが、子どもたちの音読からはそれがわかりませんでした。音読する前に確認をすべきでした。 この日の主課題は、与一が扇を射た後に平家の男を射ぬいたことに対するまわりの反応、「あ、射たり」と「情けなし」に込められた「その時代の人の思い」を考えるというものです。考える前に登場人物の関係を図示し、与一が義経の命に従って男を射ぬいたことを確認しました。 個人で考えた後、グループで意見を聞き合います。子どもたちは意見を言いますが、その根拠を明確にした議論はできません。「その時代の人の思い」といっても、当時の人の思想を子どもたちはわかっていないからです。「あ、射たり」には、与一の腕前のすごさ、源氏を勢いづけたことを称賛するといった意見が、「情けなし」には、自分のために舞ってくれた人にそこまでしなくてもいい、与一がためらないなく殺したのはひどいといった意見が出てきました。が、どれも根拠が明確になっていません。本文を読み取ることと関係なしに、現代語訳から子どもたちが想像した以上のものにはなっていないのです。 ここでは、「あ、射たり」「情けなし」という言葉から当時の人の考え方を知ろうといった課題にすることで、子どもの意見はかなり違ったものになったと思います。今の時代ならこの行為はどう評価されるかを考えさせれば、それと比べることで当時の人の考え方を明確にすることもできます。作品を通じて当時の人の考え方を知るという古典の学習の目的の1つがが明確になります。また、当時の人の考え方を知るのであれば、それ以前に、平家が扇を的として源氏を挑発した場面や与一が扇を射た時に敵も味方も称賛した場面も押さえておかなければなりません。それを踏まえた上でこの場面を考えることで、当時の人の考えがより明確になるはずです。何を目標とする活動かが明確でないため、子どもたちがただ想像するだけのものになってしまい、読みが深まっていかないのです。 グループの活動で、ワークシートを回し読みしている姿が見られました。ワークシートに頼りすぎるとこのようなことが起こります。ワークシートを見せたり読んだりするのではなく、必ず自分の口でしゃべらせてかかわり合わせることが大切です。話し合いを深めるためには、1つの意見をもとにして、その場で質問したり、自分の考えを述べたりすることが必要なのです。 全体追究の場面では授業者は子どもの意見をすぐに板書します。よいと思ったら写すようと言いますが、子どもたちは板書されると条件反射的に写します。板書に頼らず、なるほどと思った、似た意見だという子どもを指名してつなげていくことが必要です。 指名した子どもの説明がちょっと混乱してよくわからない場面がありました。「どういうこと?」と子どもから声が上がります。自然にこういう疑問を口に出せるのは学級の雰囲気がよい証拠です。授業者はまわりの人と相談させ、他の子どもに説明をさせました。子どもたちは納得したのか、拍手が起こりました。子どもたちが安心して暮らせる学級になっています。 最後に意見を聞いて、もう一度自分の考えをまとめます。発表に対して授業者がいい意見と評価すると、子どもたちが拍手をします、しかし、子どもたちは何がいい意見かを判断する基準を持っていないので、教師の判断に従って拍手をしただけです。結局、現代人が当時の人を非難しているだけの意見のように感じられました。 子どもたちはとても集中して授業に参加していました。だからこそ、教材研究の大切さを強く感じることになりました。 授業検討会では、若手が積極的に意見を発表してくれます。授業検討会が機能しています。互いに学ぼうとする雰囲気を感じることができます。私からは、全体に共通の課題として、活動に対して目標とその評価基準が子どもにわかる言葉で伝えられていないことを指摘しました。このことが課題となるということは、授業規律がしっかりしてきて、子どもたちが集中して授業に参加できるようになってきているということです。 懇親会では、この日授業を見せていただいたほとんどの先生がアドバイスを聞きにきてくれました。授業力の向上に前向きな先生ばかりです。休む間もなく先生方とお話ができとても楽しい時間を過ごすことができました。 研究発表まであと2年ですが、素直で前向きな先生方ばかりなので、この先がとても楽しみです。 養護教諭の授業から「思いが伝わる授業」という視点に気づく
市の養護教諭の研修会の授業研究でアドバイスを行いました。養護教諭の授業力向上のための研修です。
授業は1年生のストレスの学習です。保健・体育の教師がT2として参加しています。 授業者を縛っていたのが、保健には試験があることでした。試験に出る言葉の説明や定義を押さえておかなければいけないという意識があるため、目指すものと活動にずれが生じていたのです。例えば、ストレスに積極的に対処できることを最終ゴールにして、どのような活動をして何を考えさせればいいのかだけを考えると授業がすっきりしたのです。教科書に縛られず、養護教諭だからこそ伝えたいことを中心にして、そのことを説明するのではなく、子どもたちに考えさせ気づかせたいところでした。 どんな時にストレスを感じるかということを子どもたちに聞きます。「テストの時」といった言葉が出てきます。この後、ストレスとストレッサーの定義をして、ストレスには適度なストレスと過度なストレスがあること、ストレスによる心と体への影響について授業者が主体となって説明します。その上で、ストレスがあるとどうなるかを子どもたちに聞き、授業者がそれを心と体のどちらかに分類していきます。確かに教科書的な「ストレスとは、・・・心と体に負担がかかった状態」といった定義を知識として教えることから出発してもよいことなのですが、子どもたちがストレスを感じると言えるのですから、そこを起点として子どもたちに考えさせてもよかったでしょう。具体的には、「ストレスがかかっているってどうしてわかるの?」といった質問をすることで、ストレスによる心身の影響を子どもたちに気づかせることができます。「ストレスがなければいいよね。試験がなければ最高だね」とゆさぶって、適度なストレスの必要性に気づかせることもできると思います。ストレスへの対処を自分の身近な問題とするためには、教師から情報を与えるのではなく、子どもの体験から出発させることが大切です。その上で、定義を押さえればいいのです。 用語の説明を写させますが、そのねらいは何でしょう。大切だからとノートに写しても、覚えるのは試験前でしょう。教科書に線を引くことと変わりありません。覚えさせたければ、できるだけ教科書や黒板を見ずに写させるという方法もありますが、ここにあまり時間を使うのは意味があることには思えません。定義を知ったからといって、ストレスに対応できるようになるわけではないのです。 子どもたちにストレスへの対処法を考えさせるために事例が用意してありました。 同じ学級のAさんとBさんは仲のよい友だちです。Bさんに同じ学級で部活動が同じCさんという友だちができ、3人で行動するようになりました。Aさんは、BさんとCさんの部活動の話についていけなかったりします。Bさんが自分から離れていくのではないかと不安になりました。Cさんをじゃまに思ってしまう自分が嫌で仕方なくなり、腹痛などの体調不良が出てきました。 このような事例で、「ストレッサーは何?」問いかけたところ、すぐに「Cさん」という声が上がりました。授業者は思わず「そうだね」と答えて、そのまま、Aさんだったらどのように行動すればよいかを考えさせました。授業者としては、Cさんと仲よくするBさん、Cさんをじゃまに思う自分の気持ちなど、他のストレッサーも想定していたようでしたが、とっさのことで上手く広げることができなかったようです。 自分の考えを持たせてから、グループで話し合わせます。ここで、1つに絞るように指示します。1つに絞ることでよい考えが消えてしまう可能性が高くなります。ストレッサーをCさんとしたため、子どもたちの発表は、「Cさんのよいところを見つける」といったCさんとの関係をどうするかがほとんどでした。話を聞いてもらうといった、別の視点の対処もあったのですが、埋もれてしまいました。 こういう場合、グループでは友だちの考えでなるほどと思ったもの書き加えさせ、個人で一番納得したものを発表させるとよいでしょう。似た意見、ちょっと違うよという意見をつなぎながら焦点化したいところです。 子どもたちの発表を授業者がいいねと認めていくのですが、すぐに拍手をさせます。子どもたちは、拍手をすることでその意見を無批判で受け入れてしまい、考えを深めることをしなくなります。「どう、これでストレスは解消される?」といったゆさぶりが必要です。 発表が終わったあと、自分にストレスがたまったらどうするかという対処法を考えて発表させます。ストレッサーが具体的でないので、どうしても「素振りをする」「大きな声を出す」といった、気分転換、逃避的なものになってしまいます。試験のようにストレッサーが時間の経過で消えるものはいいのですが、乗り越えない限り逃れられないものはこういった対処ではなかなかうまくいきません。逆に言えば、こうすればうまく対処できるという万能の方法はないのです。その中で、解決に向かう可能性の高い方法の1つが「相談する」です。誰かに寄り添ってもらうことでストレスの負担が減ることが多いのです。授業者はこのことを子どもたちに話しました。しかし、教師からの説明なので子どもたちはあまり実感が持てなかったように見えました。子どもたちから言葉を引き出し、深めたかったところです。「いい対処法が見つからなかったからどうする?」「素振りをしてすっきりしても、すぐまたストレスがたまらない?」といったゆさぶりをすることで、「相談する」といった他の視点を引き出すことができたと思います。 授業後は時間の関係で検討会をせずに、私の解説が中心でした。場面ごとに授業技術と授業構成の両面から話しましたが、日ごろ授業をする機会の少ない方たちからすると、個々の要求度が高いように感じられたようです。いつも前向きに参加してくださる方たちなので、できるだけ参考になる情報を提供しようとしたのですが、参加者の声をもっと拾いながら、疑問に答える形にすべきだったのでしょう。養護教諭の方々は、日ごろから子どもたちの心と体の問題に直面されているので、伝えたい思いがたくさんあります。どのようにすればそれが伝わるのか、その視点で授業を解説することが必要だったと思います。授業者が私の話を前向きに受け止めてくれたことが救いでした。 毎日授業をしている一般の教諭でも授業力向上はそれほど簡単ではありません。養護教諭ではなおさらです。上手い授業ではなく、思いが伝わる授業という視点も必要であることにあらためて気づかせていただきました。よい機会をいただいたことに感謝です。 松浦克己先生の授業から、子どもの学習意欲の原動力を学ぶ
先日、小牧市立小牧西中学校の松浦克己先生にお願いして、GDMを活用した英語の授業を公開していただきました。私のかかわっている学校や知り合いの先生方に声をかけさせていただいたところ、20人ほどの方が参加してくださいました。
久しぶりに見せていただいた松浦先生の授業は、以前と同じくどの子どもも真剣に集中して授業に参加していました。基本的に”All English”の授業ですが、活動の指示の一部に日本語を使うこともあります。まだ学習していない言葉や言い方を無理に使う必要はないという考えです。大切なのは英語を日本語で理解するのではなく、”situation”で理解することです。”All English”の授業といっても、教え方や内容は従来と全く同じで、指示だけを英語に変えたものとは全く異なる考え方のものです。 松浦先生の授業は、大きく3つで構成されます。最初は実物を使いながら学習するライブです。できるだけ具体的な場面を何度も英語で表現し、その意味するところ、使い方を子どもたちが理解します。続いて、その状況を簡単な絵で表わし、英語で表現する練習をします。理解したことを活用する場面です。最後はワークシートを使って、個人で復習と書く練習です。基本的に、1時間の授業で学習する事項は1つのことです。場面を変えながら同じことを何度も繰り返して学習するのです。 また、GDMの手法を支えているのは、子どもたちが理解できなくても終始笑顔で受容的に接する松浦先生の姿勢と、子ども同士が聞きあい、助け合うことです。教室の中に広がる安心感が子どもたちの学習を下支えしているのです。うっかりすると見逃してしまいますが、GDMといった指導法とは別の、どんな授業にも共通の大切な要素です。 “All English”で、日本語による訳や説明が全くない授業なので、”Slow Lerner”の子どもは学習についていけないように思われがちなのですが、明らかに理解できていないと思える子どもも最後まで頑張っています。子どもたちは、今理解できなくても授業のどこかで理解できる瞬間が必ずくることを信じています。だから、最後まで集中して参加するのです。 子どもたちはわかりたい、できるようになりたいのです。しかし、努力しても結果がでなければ、すぐにあきらめてしまいます。教師が「やればできる」と言っても、その実感がなければ続きません。結果のでる努力をさせる必要があります。松浦先生の授業では、全員同時ではありませんが、どの子どもにも1時間のどこかで「わかる」瞬間が訪れます。そのことを経験的に知っている子どもたちは、学習から脱落しないのです。ですから、”Slow Lerner”の子どもたちにも学力がつくのです。そのことは、データにも表れています。ある年の3年生の標準テストの評定を見ると、3以下の子どもはほんの数人だけです。5の生徒が過半数で、残りが4の生徒です。 子どもたちが自分でわかろうとする意欲を英語の授業で持ち続けることが、他の教科にもよい影響を与えています。やればできるという自信が他の教科の学習意欲にもつながっていくのです。この学校では、他の教科の成績も確実に伸びているようです。 授業後も長時間にわたり参加者からの質問に熱心に答えてくださいました。1度見れば誰でもできるというものではありませんが、その考え方は他教科であってもとても役に立つものです。 松浦先生は、自分が実践の中で培い得てきたものを惜しげもなく提供してくださいます。今回の授業公開にあたってもたくさんの資料を事前に参加者に送ってくださいました。簡単にまねのできる授業ではありませんが、中学校のカリキュラムの中できちんと体系化されています。やる気さえあればだれもが実践できるような材料が用意されています。 今年度いっぱいで退職されるので、このような教室での実践を見せていただく機会はもうないかもしれません。しかし、松浦先生の蒔かれた種は確実に芽吹いています。この芽が大きく育つよう、また、もっともっと広がるようにお手伝いをしたいと思っています。 貴重な時間を割いてたくさんのことを教えていただいたことを感謝します。松浦先生、本当にありがとうございました。 |
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