私立の中高等学校で、来年度に向けての動きが始まる
昨日は、私立の中高等学校で来年度の打ち合わせを行ってきました。
たまたま先生方の授業改善への動きと重なったこともあり、この一年で英語科や社会科をはじめ授業によい変化が見られるようになりました。iPadなどのICT機器を活用する場面も目にするようになりました。まだまだ学校全体が変わったという訳ではありませんが、確実によい動きが出ています。 来年度の人事案もほぼ固まり、新旧の教科指導部の主任と来年度の打ち合わせの時間を持ちました。全体研修については、今までは個人で指導案を考えて行った授業をもとに検討会を行う形だったのですが、来年度は教科で新しい取り組みを提案してもらう形に変更しました。基礎力定着のための方策といったワンポイント的なものでもよいので、「授業」もしくは「模擬授業」の形で教科の考えや取り組みを全体に対して示してもらうのです。大学入試制度の変更や、新しい学力観に対応するためには、今後教科としてのチーム力がとても大切になります。教科で授業のことを話し合う機会をできるだけ持ってもらおうという意図です。 基礎力の定着について、各教科で新しい取り組みを考えていただいています。それに関連して、新高校一年生では、ネットを使った学習システムを取り入れるようです。その活用方法についても相談しました。基礎力定着といった時に、最終的に子どもたちにどのような力をつけさせたいのかを明確にすることがまず必要です。そこに至る道筋と、そのどこで子どもたちがつまずいているのかを知り、できるだけ根っこの部分をきちんと定着させることが必要です。この根っこの部分がその学校の子どもたちにとっての基礎と言ってもいいのかもしれません。この基礎を定着させるためには、きちんと達成度のチェックをすることが大切です。こういった一連のものを組み込んでいただけるようにお願いしました。 英語科の先生2名から来年度の英語科の方針について報告を受けました。子どもたちの基礎力の定着にGDMを組み込むことにしたそうです。英語科の多くの先生が自腹で外部の研修に参加して学んでいます。4月に向けて、毎日英語科で自主研修をしているそうです。とてもすごいエネルギーです。個の力がチーム力に変わりつつあるのを感じます。来年度早い時期に、授業の様子を見てもらいたいと依頼を受けました。どのような授業が展開されるかとても楽しみです。 来年度中学校から高等学校の担当に変わる理科の先生から、「科学と人間生活」をどのように展開したらよいか相談を受けました。簡単な実験が多い教科ですが、教科書にそって実験するだけでは、子どもたちはただ作業としてこなすだけで興味もわきませんし、科学的な思考が身につくわけでもありません。いかに子どもたちに主体的に実験に取り組んでもらうかが大切です。そのことについて具体的な例をもとに話をしました。例えば葉緑体の観察の実験であれば、「葉っぱは緑色しているけれどそれはなぜ?」といった質問から、「葉全体が緑色に見えるけれど、すべて緑色なの?」「違う?本当?」「なら、どうすればそれがわかる?」と問い返し、「拡大する」「顕微鏡で見る」といった反応を引き出します。「一部だとしたら、どんな風になっていると思う?」といくつかの例を見せて選ばせたり、子どもにどんなものが見えそうか書かせたりといった予想をさせてから実験をするというように、疑問を持たせることや予想をさせることから始めてほしいことを伝えました。予想を確かめるためには、どんな実験をすればよいかを考えさせることも大切です。教科書には短日植物の実験観察が載っていますが、短日植物だという前提で実験をしても面白くありません。例えば、「菊はいつ咲く?」「年中花屋さんに並んでいるけれどどうして?」と問いかけます。電照菊を知っている子どもは、照らす時間を調整していることを言うかもしれません。「花はみんな日照時間で季節がわかるのかな?」「桜は?」と問いかけ、「気温?」といった答が出てくるのを待ちます。「日照時間か気温かどちらで決まるのかを知るにはどんな実験をすればいい?」と実験を考えさせ、結果によって何が言えるのかを整理させます。実験を実際にはできないかもしれません。しかし、実験の結果を与えて、そこから結論を導き出させることでも、科学的なものの見方考え方を伝えることはできるはずです。教科書をめくりながら、こういったことをたくさん話させていただきました。先生自身もこういった授業の進め方を楽しく感じていただけたようでした。こういう発想で教科書を眺めていけばきっと自分なりの授業を楽しくつくりだすことができると思います。 この先生には、前回、子どもたちとのやり取りを増やすことをアドバイスしましたが、それから1月ほどそのことを意識して授業を続けてくれたようです。「まだまだ上手くいきませんが」と言いながら、子どもたちの顔が上がるようになったことを報告してくれました。一番成績の悪かった学級も向上が見られたそうです。手ごたえを感じてくれているようでした。素直な方です。来年度どのような変化を見せてくれるか、授業を見せていただくことがとても楽しみです。 来年度中学校の数学を担当する先生からは、中学校数学について相談をうけました。これまで高等学校ばかりを担当していたので、情報が欲しかったのでしょう。中学校の数学で大切にしてほしいことを思いつくままお話ししましたが、とても真剣に聞いていただけました。学校としては、中学校の数学がちょっと低迷していたので、タイプの違う方に受け持ってもらい、てこ入れをしようという意図なのでしょう。前向きに授業をどうしようか考えていただいているので、よい人事だったと思います。中高がつながっていることの利点を生かし、高等学校とのつながりを意識した授業展開を考えておられました。今まで高等学校を受け持っていた方だからこその発想です。私は常々、中学校の先生は小学校、高等学校の両方の教科内容をきちんと理解しておく必要があると思っていました。そういう意味では、高等学校経験豊富な先生なので、期待できると思います。いつか高等学校の担当に戻るとしても、この経験はとても生きることだと思います。 来年度はじっくり授業を見せていただくことをお約束して分かれました。 私学は公立校より人事異動がすくないため、次年度へ向けて素早く動くことができます。この時期、来年度に向けて多くの方が動きを始めていました。4月にはまた違った学校の姿が見られるのではないかと楽しみにしています。 介護研修で、債務不履行と個人情報について考える
一昨日、介護関係者向けに研修を行いました。介護の仕事における法的なリスクのお話しの2回目です。
今回は、賠償責任に関連して債務不履行について実例をもとにお話ししました。特に訪問介護では、どのような役務を提供することになっていたかを明確にしておかないと、債務不履行となる危険性があります。とはいえ、役務の内容をすべて細かく契約書に書き込むことは難しいので、コミュニケーションをきちんと取ることが求められます。また、例え食事の介助であっても、その時の利用者の様子を観察したり転倒などの防止に努めたりする責任があります。自分たちがどのような役務があり、どのような責任があるのかを常に意識することが必要です。 また、最近よく言われる個人情報の問題についても考えていただきました。例えば、身寄りがいないと思っていた方から子どもがいることをこっそり教えられたらどうすればいいのでしょう。個人の秘密ですから外部に漏らすのは論外ですが、自分一人の胸の中にしまっておけばいいのでしょうか。とても悩ましい問題です。しかし、利用者の安全や管理上必要な情報であれば、共有することも必要です。この例であれば、万が一のことを考えて機密度を高くして何らかの形で記録に残すべきでしょう。 介護の仕事は個人情報がとても重要になります。利用者の健康状態や生活習慣等の個人情報をたくさん集めることが求められます。個人情報保護を意識しすぎて、情報の収集やその共有を怠るのではなく、漏えいしないような対策をしっかりすることが求められます。 こういったことは学校でも同様です。特にカウンセリングなどについては、どこまで共有するかの判断が必要ですが、少なくとも記録は残しておく必要があります。養護教諭や担任個人の胸の中だけにしまっておくというのは、何かあった時に判断を間違えたり、対応が遅れたりする危険性があるのです。一方スクールカウンセラーのような外部の人間は、校内の人間とは立場が違います。学校に対して個人情報を守秘する義務があります。スクールカウンセラーの判断で情報開示することになります。どのような話があったかについては、こちらからはしつこく聞くことは避けなければいけません。 参加された皆さんは、とても真剣にいろいろなリスクを考えてくださいました。こうして考えることが、リスクを減らすことにつながっていくと思います。いつも思うことですが、介護分野で学んだことは必ず教育にもつながることが含まれています。自分の専門にこだわらずに他の分野に目を向けることの大切さを感じます。 研究発表の終わった中学校で、先生方の向上心を感じる
2月の中旬に、中学校の授業研究に参加してきました。昨年の秋に研究発表会が終わったばかりの学校ですが、まだまだ授業改善を続けなければいけないと、学年末ですが全体での授業研究を行いました。
授業研究に先立ち1時間校内の様子を見せていただきました。 3年生は高校受験で一部の生徒が抜けていて自習の教室が多かったのですが、ちょっと精神的に疲れている子どもが目につきました。これは私の想像ですが、頑張れという圧力がかかるばかりで、寄り添って支える者がいないようです。子ども同士の人間関係がよい学級では互いに支え合っているものですが、残念ながらこの日はそのような空気は感じることができませんでした。 2年生は、学級によって様子が異なっていました。先生が子どもたちをしっかりと受容している学級の子どもたちは落ち着いて集中しているのですが、先生が圧力をかけて無理に子どもを動かそうとしている学級では、子どもたちがその圧力から逃れようとしています。子どもたちは授業に積極的に参加せずに、引き気味のスタンスを取ります。取り敢えず指示されたことをやっておくという姿勢です。また、ゴールや目標が明確でなかったり、課題に魅力がなかったりするために、子どもたちから意欲が感じられない学級もありました。 1年生は、学習規律面でまだしっかりしていないと感じる学級が目立ちました。子どもたちの顔が上がらなかったり、無責任な発言が目立ったりするのです。隙あらばテンションを上げようとしている学級もあります。一つひとつの活動の区切りをきちんとつけ、子どもの視線を授業者に向けてから話し始めることを徹底してほしいと思います。 授業研究は、2年生の歴史の授業でした。明治政府が文明化開化を推し進めようとした理由を考えさせるものでした。 この日の課題が提示されます。「欧米から日本を守れ」です。これまでの授業で、明治政府が欧米の植民地政策に対抗しようとしていたといったことを学習していたのならまだよいのですが、そうでなければ子どもたちの思考を誘導してしまう危険性があります。明治政府の視点であれば「明治政府が欧化を進めた理由」、もっと広く考えさせたければ「文明開化はなぜ起こったか」といったものの方がよかったかもしれません。 明治の初期の銀座の風景画から、明治になってから入ってきたものを探させます。見つけたものを○で囲ませます。単に見つけるではなく、○をつけさせることで進捗が見える化されます。ちょっとしたことですが、日ごろからこういった活動を多用しているからこその工夫だと思います。 子どもたちに発言させ、「ほうほう」とうなずきながらしっかりと受容しています。他の子どもにも発表されたことを手元で確認させながら、ていねいに進めていきます。一通り発言させた後、何から何に変わったかを板書して整理します。しかし、ここは導入部分なのであまり時間をかける必要はないように思います。まわりと確認した後、全体でつぎつぎ指名すれば、もっと効率的になったように思います。こういった資料から見つける作業は軽く扱うかていねいに扱うかを意識し、それぞれに応じた進め方を決めておくとよいでしょう。 続いて、次の資料を配ります。2人で1枚です。こうすることで、隣同士がかかわり合う必然が生まれてきます。これもよい工夫です。机を自然に近づける子どもと近づけない子どもがいます。こういったところには子ども同士の関係や意欲が現れます。 「この絵のタイトルは何でしょうか?」と発問します。絵から子どもたちは見つけようとしますが、この時期であれば指示して探させるのはちょっともったいないと思います。「資料を見たら最初に何をする?」といった発問で、今まで学習してきた資料の見方の確認をするのです。「何の資料」「いつの資料」「出典」といったことを子どもから出させるのです。その上で活動に入ることで、資料を見る視点を整理させることができます。「開化因循興廃鏡」を確認し、「開化」「因循」「興廃」「鏡」の意味と明治6年の作品であることを説明します。ここで、明治6年ごろまでにどんなことがあったかを確認しておくとよかったと思います。世の中は同時にいろいろなことが起こっています。歴史はどうしても時代の流れにそった変化に目がいきやすいのですが、同時代の出来事の関係を見ることも大切です。年号が出てきた時にはそういった縦と横の関係を意識させるようにしたいものです。 「開化因循興廃鏡」は、西洋の物と日本の物が戦って、日本のものが負けている様子を描いたものです。説明しやすいように、それぞれに番号をつけたものを資料として使っています。授業者は、「開化因循興廃鏡からわかることを探して。いくつ見つかるかな?」と発問しました。この「わかること」というのは答えにくい問いかけです。それで子どもたちが答えられるのなら、資料の見方がわかっているということです。グループになって作業に入ります。ここでは、明治になって6年という短い時間で欧化が進んでいることを知ることが目的です。であれば、日本のものと西洋のものが戦っているということを早い時期に全体で確認して視点を与え、活動のスピードを上げたいところです。西洋のものが勝っていることを早く気づかせて、この日の主課題にすぐに移りたいところです。 授業者は、一つひとつの活動で子どもたちに考えさせ、きちんと発表させようとしています。できるだけ多くの子どもを活躍させようと笑顔で受容しながら指名しています。このことにはとても好感が持てますが、この日一番考えさせたいことに時間を多く取る必要があります。ここも時間をかけすぎです。軽重を意識してほしいのです。 西洋が勝っていることを確認しましたが、絵にはたくさんのものが描かれています。子どもたちはすべて確認したわけではありません。「本当?1つぐらいに日本が勝っているものはない?」と揺さぶっておきたいところです。うさぎと豚が戦って、うさぎが負けているといったよくわからないものもあります。当時(明治4年ごろ?)、うさぎを買うことが東京で流行していたことを知らないと理解できません(このことに触れるべきかどうかの判断は難しいですが、子どもが疑問を持つ可能性はあると思います)。 西洋が勝っていることを確認した後、「洋風の変化が広まっている」ということを授業者がまとめてしまいました。この「洋風の変化が広まっている」ということが課題の答、「この絵からわかること」です。このことを授業者が言ったしまったことは残念です。「じゃあ、この絵から何がわかるの?」として子どもたちに考え、答えさせたいところでした。 洋風に生活が変化していることを漢字四字で何というかを問いかけたところ反応が少ないので、教科書から探させました。こういう場面で子どもたちに調べさせることはよいことです。ただ、それでも挙手があまり増えません。隣同士と確認したりすることが必要だったようです。 ここで、この変化の速さの理由を問います。授業者は学制や徴兵制を例にして、社会の変化を明治政府がつくったことを示します。これまでの授業で、なぜそのような施策をとったのかの理由(強い軍隊の必要性)を押さえているはずですから、その確認もしたかったところです。そうすることで、今回の授業者のねらいにつなげることができます。ここで文明開化を明治政府が進めてきたと結論づけて、話が進みます。中学生ですので、文明開化という風潮や文化を政府主導で本当にできるのかどうかの議論をしたいところでした。 明治政府は文明開化を進めるためにどんな工夫をしてきたか、教科書や資料集からグループで探させます。子どもたちは、生活の変化をもたらすものがどのようなものかがよくわかっていないので、なかなか先に進みません。そこで、授業者はあらかじめ用意した「明治天皇の写真」「馬車だと2時間、これだと50分」といった異なるヒントカードをグループに配ります。ヒントは注意が必要です。子どもたちはヒントの示す答を見つけようとします。つまり、教師の求める答探しを始めてしまうのです。ここでは、生活の変化や流行はどうやって起きるのかを子どもたちと共有することが大切です。新幹線ができて生活はどのように変わったかを考える。芸能人のファッションが流行する例などに気づかせる。そのような活動を少し取り入れるだけで、動きがかなり変わったと思います。 子どもたちは自分たちの見つけたものを小型のホワイトボードにまとめて、発表をします。基本的には、教師のヒントをからでてきたものです。グループごとに異なるヒントなので内容はあまり重なりません。子どもたちはヒントの指すものを探しただけで、それと文明開化の関係やねらいとはまだ結び付いていません。互いの発表をつないで、そこに共通するものは何かを考えることが必要です。明治政府がこういった施策を行ったのは、庶民の生活を変えようとしてのことではないでしょう。結果的に文明開化につながった施策は何のためだったのかをきちんと押さえることが、この時間のねらいにつながるのですが、そこは結局押さえられませんでした。 この日のねらいに子どもたちが気づくためには、どのような発問と活動をすべきだったかをもう少し考えた授業展開をするべきだったと思います。活動に目を奪われて、何を目指すのかがぼやけてしまっていたように思います。 今回の授業をつくるにあたって、事前に指導案の検討や模擬授業を多くの先生方で行なっていたようです。全体での検討会でも、当事者意識を持った発言がたくさん出てきました。特に、若手がしっかりと子どもたちの様子を観察して、その事実に基づいた意見を発表してくれたのが印象的でした。 私からは、この授業以外にも学年の様子について感じたことを伝えました。検討会終了後に各学年団が学年経営に関して質問や相談に来てくれました。自分たちの学年をよくしたいという意欲を強く感じました。来年度は今よりよい状態になっていくことと思います。 若手の先生も、授業について困っていることを相談に来てくれました。向上心を感じます。 研究発表が終わると息を抜く学校が多いのです。少しで前進し続けようという先生方の意欲を感じることができました。来年度も引き続きかかわらせていただけそうなので、今後がとても楽しみです。 「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第11回公開
「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」の第11回「愛される学校づくりフォーラム2015in大阪」から学んだことが公開されました。
ぜひご一読ください。 LINEでのいじめが減少する!?
川崎の中学生殺害事件でLINEが事件解明の手掛かりになったことが盛んに報道されました。こういった事件では、情報サービスの固有名詞は出されないことが多いのですが、今回ははっきりと示されました。深読みすると、LINEでのやりとりは、タイムラインを削除したり、端末を処分したりしても、サーバーにデータが残っているので消すことができず、運営会社が警察に協力すればすべて明らかになることを知らせようとしているように見えます。
LINEでのやり取りは、そのグループに属していない人には見えないので、いじめが起きやすいと言われています。実際に、小中学校で子どもたちのLINE上のトラブルをよく耳にします。そういったいじめに対して、何か起こればすぐに証拠として明らかになることを周知することで、抑制しようという意図を感じたのです。 今回の報道でこのことに気づいた子どもは、LINEでの書き込みに注意を払うようになると思いますが、多くの子どもはそのことにまだ気づいてないでしょう。この事件を抑止力とするためには、そのことを積極的に子どもに伝える必要がありますが、その判断は学校によって分かれると思います。LINE上でのいじめを抑制したからといって、いじめ問題の根本的な解決にはなりません。しかし、LINEという環境があるからいじめが起やすいという考えに立てば、LINEでいじめをすれば最後にはわかってしまうことを子どもたちに伝えることは意味のあることのようにも思えます。問題はその伝え方でしょう。ストレートに言えば、子どもたちがいじめをしていることを疑っているように伝わってしまいます。情報教育の中で機会を見て、メディアの特性として伝えることが妥当のように思います。 今回の事件をLINEの活用の側面からとらえた時、学校関係者はどのように考えられたでしょうか。実際にLINEでのやりとりを開示してもらうのは、今回のような刑事事件でなければ難しいと思いますが、その可能性が明らかになっただけでLINEでの問題への対応に新たな切り口が生まれてきたように思います。 実際に各学校がどんな対応をするのかはわかりませんが、ひょっとすると今回の事件がLINE上でのいじめの減少につながるのかもしれません。 学校評議員会で学力向上が話題になる
昨日は、中学校の学校評議員会に参加してきました。毎回、学校の課題がよくわかる資料をしっかりと用意していただいているので、私としても忌憚のない意見を言わせていただけます。
学校評価に関するアンケートの集計は、前回との比較、学年比較、生徒・保護者・職員比較など非常に見やすい形で提供していただけます。学校全体としてはよい結果なのですが、ある学年が一部、学校生活に関する項目でスコアが下がっていました。といっても絶対的には悪くはありません。その一方で、子どもと教師との関係は向上していました。体育大会などでは子どもたちのとてもよい姿を見ることができていたので、子ども同士の関係もこれから変わっていき、それに伴いスコアもよくなっていくと思います。今回のデータは過渡期の状態を表わしているのだと思います。学年担当の先生方にはショックかもしれませんが、これからよい方向に変わっていくと確信しています。 今回、学校側からでてきた課題は学力の向上でした。以前は標準テストなどに表れる学力が市内でも高い地区でしたが、最近はそうでもなくなってきています。相対的な順位にこだわる必要はありませんが、子どもたちの授業に対する姿勢がよいだけに、もっと学力がついてもよいと考えられます。授業以外にも学力の定着を図るような活動をしようと、先生方に基礎学力コンクールを提案されたようですが、そもそも何が基礎かといったところから意見が分かれ、なかなかまとまっていないという報告でした。国語と数学の学力テストの分析について報告があったのですが、大きく4つ分野・領域での平均点の市、県、全国との比較だけでした。こういった資料や感覚だけで学力低下や基礎学力について話し合っても、議論は迷走してしまいます。 試験では同じ不正解という結果でも、どこでつまずいているか原因はいろいろ考えられます。正答率だけにとらわれずに、誤答の分析をきちんとした上で議論する必要があります。もっと言えば、日ごろから、子どもたちがどこまでついているのかきちんと判断できるような問題構成の試験をする必要があります。例えば、数学では計算力が弱いといっても、( )の外し方でつまずいている子どもが多いのか、分数の計算でつまずいている子どもが多いのかでは対応が異なります。それがわかるような試験を行い、客観的に見える化しておくことが大切です。何がボトルネックになっているかを明確にすれば、自然に議論は収束していくはずです。まずは、そこからだと思います。また、学習コンクールのようなものは、一般的に中位の子どもの学習意欲は高まりますが、下位の子どもは結果を出せないのであまり効果がないようです。下位の子どもにはスモールステップで一つひとつを確実にできるようにして、達成感を持たせることが必要です。こういったどの層をターゲットにするのかも議論すべき大切な要素です。先生方には厳しく聞こえたかもしれませんが、このようなことを話させていただきました。 校長はじめ学校側の皆さんは、私の言葉を真摯に受け止めてくださいました。会終了後も具体的にいくつか質問をしていただけました。情報を隠さずに出していただけるからこそ私たち評議員も真剣に考えることができ、真摯に受け止めてくださるので本音の意見を言うことができます。私にとってもよい学びをさせていただくことができるありがたい会です。 私学の英語科で授業改革が進む
先月のことですが、私立の中高等学校で授業アドバイスと次年度の打ち合わせを行ってきました。今回は英語を中心に授業を見せていただきました。英語科はこの1年間いろいろなことを模索してきていました。少しずつですが自分たちの目指す授業の姿がはっきりしてきたように思います。
高校1年生の英語で、若手の先生が歴史上の人物について子どもたちが英語でプレゼンテーションをする授業を行なっていました。100語くらいの短い文章ですが、彼らにとってはつくるのも発表するのも大変だったと思います。だからこそ、発表をする側も聞く側も真剣だったように思います。一生懸命に練習したことが伝わる発表でした。また、授業者は英語で雰囲気たっぷりに司会をしていました。場の雰囲気をつくり、盛り上げていたことも子どもたちのやる気を引き出していたと思います。時間数の確保は大変だと思いますが、司会や進行を子どもたちに任せたりして、活躍する経験をたくさん積ませることで学習に前向きになっていくはずです。この学校の英語学習の1つのスタイルとして定着してほしいと思います。 中堅の英語の先生は、GDMの手法を手探りで取り入れていました。GDMと出会ってまだ少ししか時間が経っていないのですが、来年度に向けて今から挑戦していました。もちろんすぐに上手くできるものではありません。しかし、失敗を恐れずによいと思ったことをすぐに取り入れる姿勢はとても素晴らしいと思います。そのエネルギーは子どもにも伝わっていくはずです。また、この先生が孤軍奮闘しているわけではなく、英語科の多くの先生が一緒に学んで挑戦しようとしています。この互いに学び支え合う雰囲気があれば、この挑戦がよい形で実を結ぶことでしょう。 TOEICを題材にした英語の授業は、単に問題をこなすのではなく、できるようになる過程をていねいに経験させていました。一度英語を聞いて解答した後、隣と確認します。よくわからなかった子どもには、友だちの解答や説明がヒントになります。友だちと答が違えば、どちらが正しいだろうかと考えます。その上でもう一度聞かせると、最初は聞けなかった言葉も聞き取れるようになります。1回目では内容がわからず表情が暗かった子どもも、自分で聞き取とれるとよい表情に変わります。教師から教えられるのではなく、自分で正解を見つけることができるので、子どもたちの集中力は落ちません。やる気が持続していました。 英語科の先生は「寝たりするのを子どものせいにしていたけれど、それは私たちの授業の問題だということがわかった」と言います。「教材研究をし、授業を工夫するのは大変だけれど、先が見えない苦労ではない」という前向きな言葉も出てきます。自分たちの工夫に対して子どもたちがよい姿を見せてくれるようになり、手ごたえを感じているからでしょう。来年度、英語科の先生方が授業にどのような工夫を見せてくれるか今からとても楽しみです。 中学校の理科の先生が授業について悩んでいるようでした。授業を見せていただいたところ、一つひとつの場面で子どもにどうなってほしいのかが不明確でした。板書一つとっても、教科書と同じことを書くのであればあまり意味はありません。子どもたちは単純作業として板書を写します。子どもたちに問いかけても、一部の子どもだけが反応し、それに対して授業者が説明して進むので、他の子どもが参加する場面がありません。授業を通じて子どもたちどうなってほしいのか、授業で目指すところを明確にすることが必要でしょう。とはいえ、自分の授業に困り感を持っていることはよいことです。変わろうとする意欲を感じます。焦らずに、まずは目指す授業の姿を共有するところから一緒に始めたいと思います。 そろそろ来年度のことを考える時期になりました。英語科でのよい動きを学校の中で点から線へと広げていきたいと思います。いくつかの教科でよい動きが出てきたので、なんとかつなぐことができればと思っています。ここからが知恵の出しどころです。しっかりと考えていきたいと思います。 おやじの会の皆さんに還暦を祝っていただく
昨日は、私が学校評議員をしている中学校のおやじの会の皆さんが、私の還暦を祝ってくれました。個人的には還暦になったことを素直に喜べないのですが、こうして縁のある方が祝ってくださることはとてもうれしいことです。
このおやじの会の皆さんと知り合って11年になります。当時の校長と一緒に懇親会に誘われるようになってからも、ずいぶん時間が経ちました。 学校と地域が協力する関係が大切だと言われます。しかし、その実態は、学校が地域の力を一方的に借りようとするものであったり、地域が学校に対して自分たちの要求を強く主張するものだったりすることが珍しくありません。協議会を作って一緒に学校を運営しているように見えても、形式的でだれが責任を持ってことにあたっているのだろうと疑問を持たざるを得ないような事例を目にすることもよくあります。学校と地域がどうすればよい形でかかわれるのか悩んでいました。そんな中で出会ったのがこのおやじの会です。 子どもたちを育てるために自分たちは何ができるだろうと、地域の住民の視点で真剣に考えています。学校と考えがぶつかる時もあります。そのことを恐れずに自分たちの考えをまっすぐに伝えます。子どもたちのためという点では、学校と一致していることがわかっているからです。学校と地域の協同のイベントに地域フェスティバルがあります。この変遷を10年以上にわたって間近で見ることができました。そこにあったのは、学校と地域が共に歩んでいくということは、単に仲良くやることでも対立することでもなく、互いに子どものために何ができるかを真剣に考え、相手に要求することより自分たちにできることを大切にすることだという姿勢です。その時々のフェスティバルには、形は違っても、その時点で子どもたちを育てるために何をしようとしているのかが伝わってくるものでした。学校と地域のかかわり方の答の一つをこの会の皆さんから教えてもらえたように思います。 また、この会の方々はこの中学校区のことだけではなく、市の児童館の運営など、市民として子どもたちの教育に積極的にかかわっておられます。地域が子どもたちを育てることにかかわるとはどういうことかを身を以て示していただいています。 このような方々と出会えた幸運に改めて感謝しています。そして、こんな皆さんに自身のことを祝っていただける幸せを心からかみしめた時間でした。本当にありがとうございました。 吉永幸司先生から学ぶ
今年度最後の教師力アップセミナーは元京都女子大学附属小学校長の吉永幸司先生の「国語力は人間力−言葉で考える子どもを育てる国語指導」というタイトルの講演でした。
国語の教科指導の話というよりは、国語指導を通じて子どもたちの人間関係をつくったお話しでした。吉永先生が校長に就任するまでは、「のびのび」をキーワードとしていたそうです。そのマイナス面として、まわりとの関係を考えずに好き勝手な態度をとるため、子どもたちの人間関係が悪かったようです。また、私立の小学校ということで、子どもたちは放課後住んでいる地域で他の子どもとの関係がありません。エネルギーの発散場所が学校に限定されていることが、子ども同士のトラブルを誘発しているようでした。吉永先生は、子どもたちが伝えるべきことをきちんと伝えることができていないことが、いろいろなトラブルの根底にあるとが感じられたようです。保護者とのトラブル一つとっても、子どもが保護者に状況を正しく伝えていないために行き違いが起こっているのです。そこで、子どもに「必要な時に必要なことを伝える力」をつけることに力を注がれました。 その第一歩は、日常の言葉をきちんとすることでした。まずは、教師が子どもをきちんと「さんづけ」で呼び、名前を呼ばれたら子どもが「はい」と返事をすることからです。「ていねい」をキーワードにすることで、まず先生の言葉づかいが変わりました。主語が「○○さん」に変わるとそれに伴って述語もていねいに変わっていきます。こうして、子どもにていねいな言葉で話をさせ、続いて正しく伝えることを徹底させました。保健室でも、きちんと伝えなければ利用させません。保健室をよく利用する子どもが、他の子どもに伝え方を教えるようになったそうです。子ども同士のけんかの聞き取りも、ていねいな言葉を使うように指導します。「○○が・・・」と言えば、「○○さんが・・・」と言い直させます。単文しか話さなければ、一つひとつ聞き返し、最後にそれをつなげて言い直させます。こうして、伝える力をつけていきました。 ノート指導も大切にされました。先生は子どものノートと同じように板書し、子どもがそれを同じように書くことを徹底しました。教師と同じということは、教師の指示を聞くことにつながります。ちゃんと聞けば上手くできる。そういう経験を積ませることで、達成感を持たせ、自己有用感につなげていったのです。 こうして子どもの伝える力をあげ、自己有用感を持たせることができるようになって、当然のことながらトラブルは減り、学校が変わっていったそうです。 吉永先生が最初にされたことは、コミュニケーションに関する基本的なことと、指示を聞かせるために具体的な活動と評価を意識することでした。こういった根っこの部分をまず徹底できでれば、その上に多くのものを見上げることができます。この後の京都女子大学附属小学校でのいろいろな取り組みは、まさにそのようなものであったと思います。 吉永先生の語り口は、「ていねい」をキーワードに学校の改革を進めたことがなるほど思えるものでした。この柔らかさで職員にも接したからこそ、学校を変えることができたのだと思います。吉永先生の姿から、学校を変えていくために大切なことをまた一つ教わったように思います。吉永先生ありがとうございました。 卒業式の「涙」に子どもたちの成長を見る
先週は、学校評議員をしている中学校の卒業式でした。
3年前の入学式で校長が、「涙をたくさん流せるような生活をしてください」という言葉を贈っていました。「うれし涙」「感動の涙」「悔し涙」をたくさん流せるように、一生懸命中学生活を送って欲しいとの願いです。 この日の卒業生の姿から、この言葉の通りの生活を彼らが送ってきたことがわかります。卒業生の「旅立ちの言葉」の中にも涙が何度も登場しました。3年間を振り返りながら感極まって涙を流す子どもがたくさんいます。子どもたちからの感謝の言葉に多くの先生が涙を流していました。 式後の校長の来賓への謝辞に、「教師の仕事は大変なことが多いが、いくつかのとても幸せな時がある。その一つが卒業式です」という一言がありました。その言葉に多くの来賓がうなずいていました。 ここ数年、以前と比べて卒業式の子どもたちの姿から3年間の成長を大きく感じるようになりました。卒業生の姿そのものが以前と比べて大きく変わっているようには思えません。ということは、入学時での姿が幼くなっているということなのでしょう。今年の卒業生についても、こんなことで大変だった、困った子たちだったという言葉が来賓控室で話題になります。それが、以前と比べて変わらないまでに成長するということは、先生をはじめとしてまわりの大人たちが本当によい形でかかわってきたのだと思います。 とかく私たち大人は「最近の子どもは・・・。若者は・・・」という言葉をよく使いがちです。しかし、彼らの姿は私たちがつくりあげているものでもあります。今の子どもたちの精神年齢は以前と比べて7掛けだという方もいます。例えそうだとして、私たちのかかわり方次第で大きく成長するはずです。その役割を学校にだけ求めるのではなく、この学校のように地域の方も一緒になって子どもたちの成長にかかわることが大切になります。文部科学省がコミュニティスクール(学校運営協議会制度)をより推進する姿勢を打ち出しました。子どもたちを多くの大人が見守り育てることはとても大切なことです。この制度がうまく機能するためには多くの課題があります。それぞれの地域で工夫をして、子どもたちがより成長できるような態勢が取れることを願っています。 ともあれ、子どもたちの3年間の成長を実感できた卒業式でした。毎年このような素晴らしい場に立ち会える機会をいただけていることに感謝です。 介護研修で賠償責任と過失について考える
先月に介護関係者向けに研修を行いました。今回から介護の仕事における法的なリスクのお話しです。
利用者が転倒したといった事故に対して、素早く正しい対応をすることはとても大切なことです。必要な技術や対応について十分身につけておく必要があります。特に訪問介護のヘルパーさんたちは、原則一人での訪問です。自分で的確に判断しなければなりません。プレッシャーのかかる仕事です。この日参加された方は意識の高い方ばかりで、事故の対応についての質問に対して的確なお答をいただけました。 しかし、事故に対して正しく対応できたからといって、法的な責任がないわけではありません。賠償責任を問われるケースもあります。具体的な例をもとに、どのような場合に賠償責任が発生するのか、説明させていただきました。 今回は主に不法行為に関連して、過失について詳しくお話ししました。過失に対しては、特に規定されていなければ刑事は問われませんが、民事上の賠償責任は問われる可能性があります。過失とは、「ある事実を認識・予見することができた(予見可能性)にもかかわらず、注意を怠って認識・予見しなかった心理状態、あるいは結果の回避が可能(結果回避可能性)だったにもかかわらず、回避するための行為を怠ったこと」をいいます。ここで、注意しなければならないのは、介護の専門職ではあれば予見可能性を厳しく問われることです。例え利用者が「大丈夫、介助はいらない」と言ったとしても、危険性を予見して説得して介助するか、しっかりと見守ることが必要になります。予見するために、利用者の既往症やその日の健康状態などの情報をきちんと把握しておくことも必要です。こういったことが厳しく問われるのです。 参加された皆さんは、漠然とは知っているのですが改めて問われるとあやふやな点もあったようです。この機会にしっかり学ぼうとする意欲を強く感じました。 賠償責任や過失についていえば、学校でも無縁のことではありません。事故を予見できたかどうか、結果を回避することができなかったのかが厳しく問われる事例を目にします。教師にとって、基本的な法知識も重要なものであることを改めて意識させられました。 子どもと教師の関係がよい学級で授業研究
昨日の日記の続きです。
授業研究は2年目の先生の2年生の国語の授業です。 授業者はちょっと緊張気味でしたが、子どもたちはとてもよい表情です。授業者が子どもたちのことをとてもよく見ているのが印象的でした。子どもと目が合うと優しくうなずきます。子どもたちの表情がよい理由がわかる気がします。子どもたちの挙手が少ない時には、いったん手を下げさせて考える時間を与えていました。子どもたちの全員参加を目指していることがよくわかります。 この学級では、4月から1年間「1分間スピーチ」を続けていますが、まだまだ体験だけを箇条書きにした話に留まっているそうです。今回はグループで友だちの文章を読み合って、もっと詳しく知りたいことを質問し、それに答えながらメモをして、文章につけ足していくという活動です。 授業者が自分の飼っている猫の話を例にして、全体の場で子どもたちに質問をさせて答えていきます。活動を具体的にやって見せることで何をすればいいのかよくわかりますし、意欲もわきます。子どもたちが素早くグループの隊形になったことでもそのことがよくわかります。タイマーを実物投影機で拡大して見せました。ちょっとした工夫ですが、時間が後どれだけ残っているかよくわかるよい方法です。子どもたちはとても集中して質問を聞いていました。ここで、質問される側には、質問に答えて自分の文章をよくするというモチベーションがありますが、質問する側はそういったものがないことが気になります。質問が止まっているグループがいくつかありました。質問をたくさんする、いくつ以上するといった目標を与えるとよかったように思います。 続いて質問をもとに文章を修正するのですが、授業者が修正例を見せるのではなく、授業者の答えをもとに、子どもに修正させてみるとやり方がよくわかったのではないかと思いました。また、全体でどんな質問があったかを少し共有する時間を取って、質問が少なかった子どものためにつけ足すネタを考えるヒントを与えてもよかったと思います。 下書きを友だちと見せ合い、必要に応じて修正して清書します。清書についての説明の時に子どもたちの集中力が他の場面と比べて低かったことが気になりました。これは想像ですが、うまくつけ足したり修正ができていなかったりしたため、書こうという意欲があまり湧かなかったためではないかと思います。 一連の活動で、子どもたちが書くことに抵抗がないことが印象的でした。実によく手が動きます。1年間よく鍛えられていることがわかります。子どもたちは、とても頑張ってくれましたが、活動の最終的な評価がはっきりとしませんでした。詳しい文にすることがゴールなのですが、具体的な目標が明確でないため、自己評価できないのです。あまりよい目標ではないかもしれませんが、長くする、文を増やすといった指標が必要だったように思います。 1時間を通じて子どもたちがとても安心して授業に参加していることがよくわかりました。学習規律が明確で次にどのような活動があるかがよくわかっていることが伝わります。この日見た中で、1、2を争うほど子どもとの人間関係がよい学級でした。 授業検討会は小グループで行われました。私も授業者や初任者のいるグループで一緒に話をしました。初任者が、先輩の授業から多くのことを学ぼうとしていることがよくわかりました。よく観察していて、子どもたちとのやり取りから授業規律がしっかりとできている理由をつかんでいました。 若手の授業でしたが、先生方にとってとても学びの多い授業だったと思います。この学級の子どもたちの姿から、1年間で目標とすべきものがはっきりとした方もたくさんいたのではないでしょうか。 検討会終了後、数人と懇談をしました。学習規律がしっかりとできていた1年生の担任からの相談が具体的で印象に残りました。毎日の授業の中で常に課題を意識していることがよくわかります。中でも、計算だけが異常に苦手な子どもの対応について苦労しているようでした。何とかしてあげたくて、放課後残して補充をしているようですが、ちっともできるようにならないのでその子はつらい思いをしているようです。先生も効果がないのに無理やりやらせ続けていいものか悩んでいました。他の能力に問題がないことから、LDではないかと思われます。実際にその子どもの様子を直接見ているわけではないので、何とも言えませんが、ディスカリキュラス(計算障害)の可能性がありそうです。今は昔と違ってLD関連の情報も増えているので、少し勉強してみることを勧めました。素直で前向きな先生なので、きっと一歩前に進めると思います。 若手を中心として、よい変化が現れています。しかし、これを学校全体とするにはまだしばらく時間がかかりそうです。若手の成長を学校全体で共有できるような動きが来年度は必要になると思います。この日はたくさんの先生方の授業を見せていただきとても勉強になりました。ありがとうございました。 いろいろな課題が見えてきた授業アドバイス
昨日の日記の続きです。
5年生の理科の授業は、電磁石を永久磁石と比較する場面でした。 授業者は子どもを受容しながら進めようとはしていますが、子どもたちは今一つ集中しません。まだ板書を写している子どもがいるのに説明を始めてしまいます。一つひとつの活動のけじめがついていません。時間的な余裕がないのかもしれませんが、気をつけたいところです。 子どもたちに意見を言わせますが、「電池が通っていないから」といった間違いをそのままにしています。受容することと修正しないということは違います。「で、ん、ちが通っていないから」と復唱すれば、子どもが自分で修正すると思います。 何人かの意見が出た後、子どもたちの考えを授業者が解釈して授業者の言葉でまとめていきます。これだと、意見を言いたい子どもだけが無責任に発言し、他の子どもは授業者のまとめを待てばいいことになります。集中度が低いと感じた理由は、このあたりにありそうです。友だちの意見に対してどう思うかを問いかけたり、どんな考えが出てきたかを子どもたちにまとめさせたりすることが必要です。 5年生のもう一つの授業は、算数の円周率を求めて利用する場面でした。 円周を計測した結果をもとに、円周率が一定であることを確認するのですが、きちんと自分で計算していない子どもがいます。計測結果と円周率を計算した値を指名して聞いていきますが、授業者が表に答を書き込むとすぐにそれを写す子どもが目立ちました。自分の結果と同じになったかを確認するのですが、あらかじめ円周率は一定であることを知っているのか、写した子どもも「いいです」と挙手します。まず、隣同士で確認させたりすることで、きちんと参加させたいところです。 表を見て思うことを発表させます。3.15を「さんてんじゅうご」と読んだ子どもがいましたが、授業者はスルーしてしまいました。ここは「さんてんじゅうご?」と聞き返して修正させたいところです。誤差がありますので、円周率は一定にはなりません。しかし、「偶数のときに3.15」と直径の値が偶数のときに3.15になっていることに気づいた子どもがいます。子どもから「すげえ」といった反応が出ます。しかし、何が偶数かといったことが明確でないので、すべての子どもが理解したわけではありません。「それってどういうこと」と発表者に聞いたり、反応した子どもに「何がすげえの?」と聞いたりして直径の値が偶数のときに同じ値3.15になっていることを子どもの発言で共有したいところです。 子どもに気づいたことを言わせますが、円周率はどんな円でも一定であることを押さえる必要があります。このことを小学生に演繹的、論理的に説明することはできません。帰納的、感覚的に納得できれば、あとは知識として与えればいいのです。その上で、円周÷直径(=円周率)が一定であることがわかれば、どんなよいことあるのかを考えさせることが必要です。単純に公式として円周=直径×円周率を教えるのではなく、「みんながつくってくれた表を使えば、直径4cmの円の円周はすぐにわかるね」といったやり取りをして、「じゃあ、表にない大きさの円の円周はどうすれば求められる?」「すべての場合を表にできる?」と問いかけたりして、円周率の持つ意味やその使い方を子どもたちに気づかせたいところでした。 ADHDの子どもでしょうか、授業中にずっと足踏みをしている子どもがいました。まわりの子どもが我慢しているのですが、次第に動きが大きくなって、とうとう一人の子どもが「やめて」と強い口調で抗議しました。しかし、それで止めるわけではありません。その場の雰囲気が悪くなってきました。しばらくして、授業者が「足をパタパタしない」と強く何度も注意をして止めさせました。そのやり取りの間に子どもたちの集中力が落ちてしまいました。 こういった子どもにかかりきりでは授業は成り立ちません。とはいえ、ずっと無視しているわけにもいきません。どこまで、放っておくのか難しいところです。大切にしてほしいのは、影響を受けるまわりの子どもたちのことです。「君たちが我慢しているのを知っているよ」「我慢してくれてありがとう」というメッセージを、先生がまわりの子どもたちに与えることが大切になります。また、足踏みが大きくなってきたことは相手をしてほしいという欲求が高まってきたことの表れかもしれません。うまくいくという保証はありませんが、そばに行って、言葉ではなく手でそっと体を押さえて落ち着くように伝えながら授業を続け、もし落ち着いたら声に出してほめる、といったペアレントトレーニングの手法をとるとよいでしょう。 6年生の家庭科の授業は暖房や照明の工夫についての授業でした。 グループで相談した後の発表場面でした。どんな暖房器具があるかを問いかけていきます。中には「床暖房」のように子どもたちがよく知らないものもあります。知っている子どもに説明させるのですが、こたつと間違えていました。知識ですので難しいところです。このあと長所と短所を整理させるのですが、器具そのものを調べさせる時間がないので、この流れであれば軽く流したいところでした。 長所と短所の発表はいろいろな意見が出てきましたが、視点がばらばらで議論を焦点化しづらい状態でした。こういう場合の進め方はいくつかあります。最初にどんなところに注目するか視点を出し合って共有してから考える。途中でいくつか発表させて、出てきた意見から視点を整理して、再度考えさせる。自由に考えたあとで議論させ、最後に子どもたちが考えた視点を別の場面でも活かせるようにまとめて終わる。どのやり方がよいという訳ではありませんが、ある程度経験を積んでいれば、今までの活動を振り返らせて最初に視点を整理することも難しくはないと思います。 6年生のもう一つの授業は、算数の図形の学習のまとめでした。 授業者の視線が子どもたちに向かっていないことが気になりました。子どもたちから意見が出ないことに対して「あれだけ話し合ってこれだけ?」と挑発します。挑発は、考えさせたり、活動させたりするためによく使う手法なのですが、使い方を間違えると子どもたちをネガティブに評価していることになってしまいます。ちょっとした違いなのですが、「きっとまだあるはずだよね。聞かせてほしいな」というような言葉を付け加えるとずいぶん印象が変わると思います。 子どもに意見を発表させるのですが、自分の求める答を導き出そうとしているように感じます。合同な2つの図形を頂点の記号を対応させずに表現した子どもがいましたが、すぐにその子どもに問い返します。そうではなく、他の子どもに聞けば必ず違う答がでてくるはずです。その違いを焦点化することで、合同な図形を表現する時のルールを子どもたちで思い出すことができます。先生が切り返して考えを修正させようとしすぎると、子どもは先生の求める答探しをするようになる危険性があります。このことを意識してほしいと思います。 特別支援学級を2つ見ました。 共通していたのは子どもをほめる言葉が少なかったことです。子どもたちの表情がかたいことが気になりました。正解にいたってなくても、途中までできていれば、そこまでを部分肯定する姿勢が大切です。特別支援教育では、子どもたちが将来社会に出て自立することを考えてコミュニケーション能力をつけることが重要になります。そのためにも、教師が子どもたちと常にポジティブなかかわりを持つことを意識してほしいと思います。 授業研究については、明日の日記で。 小学校での授業アドバイス
ずいぶん遅くなりましたが、先月訪問した小学校での授業アドバイスと授業研究の話です。
学校全体として見ると若手の成長を感じることができました。子どもたちとの関係ができていて、授業規律もよい状態です。この日見た中で子どもたちの状態がとてもよいと感じたのは、2年目の若手2人の授業でした。一方ベテランの中には、叱って授業規律を保とうとしている方もいました。子どもたちが面従腹背しているのが感じられます。子どもたちとの接し方を工夫してほしいと思いました。 若手の1年生の国語の授業は、授業者に余裕が出てきたのを感じました。子どもたちをよく見ています。指示に対して素早く動ける子どもが増えていました。動きの遅い子どもも作業の指示があればすぐに取り組みます。 音読の場面では、子どもたちは一生懸命に取り組んでいましたが、音読のルールを明確にするとよいと思いました。表題や作者名を読む時の声の大きさ、間の空け方、地の文と会話文の区別などを指導するとよいでしょう。 1年生のベテランの先生はよい表情で授業を進めていました。 「何でもいいから思ったことを書いて」という指示のあと、子どもたちはまわりを覗いていました。何を書いていいのかよくわからなかったのでしょう。具体的な指示をしないと子どもたちは「何でもいい」では動くことができません。「どんなことを思った?」と何人かを指名して、具体例を出させるといったことをしてから、書かせるとよいでしょう。 子どもたちに集中させる場面で、ちょっと高圧的に「まだ、声がするんだけど」「鉛筆を置いてください」と声をかけていました。「おしゃべりしないで」「黙って書いて」といった言葉で子どもたちにプレッシャーをかける場面もありました。せっかくよい表情で子どもたちに接しているので、もう少し柔らかい、ポジティブな言葉で声かけをしてほしいところです。 「○○さん、すぐに書き始めている」と固有名詞で行動をほめている場面もありました。これはよいことなのですが、この場面では、「○○を書いているね」と中身をほめることで、まわりの子どもたちにどんなことを書けばよいかを知らせるともっとよかったでしょう。 初任者の2年生の算数は、子どもたちが落ち着いて授業に参加していました。指名して正解であっても必ずあと2人は指名します。子どもたちはそのことを知っているので、落ち着いて友だちの答を聞いています。ただ、毎回挙手させるので、テンポが悪くなってしまいます。最初に指名した後は、挙手に頼らなくてもよいでしょう。意図的に、挙手していなかった子どもを指名することも大切です。 3200は100がいくつかを問います。3人の子どもの答は「32個」「32枚」「32」でした。とてもよい場面ですが、授業者はその違いにこだわりません。それぞれ、100の「束」「お金(?)」「数」としていくつあるかを答えています。その違いを明確にしておきたかったところです。「個」を強調して、「32個!何が?」いうように問い返したいところでした。いきなり100が32ではなく、「3は1000が3ある」「1000は100が10あるから、10が3つで100が30」といった確認も必要だったかもしれません。 言葉の使い方が雑なことが気になりました。「○○が○○、○○が○○であわせて○○」の○○に数を入れるのですが、次の別のことを問う問題では「○○は○○こ、○○は○○こ、あわせて○○」です。子どもたちにはこの違いはよく判りません。もちろん問題そのものの説明も解答も口頭では終わっていて、最後に書き込ませるのですが、前の問題と同じように解答する子どもがかなりいました。子どもの視点で明確に違いがわかるように意識することが大切です。 2年生の他の学級は国語の漢字の練習の場面でした。練習問題が終わった子どもが手持ち無沙汰で遊んでいます。それに気づいて授業者が書き順の練習をするように指示をしました。ところが子どもたちは、やろうとはしません。やっても2、3回で止めてしまいます。追加の活動は子どもたちにとって評価されない活動という意識があるようです。活動が終わった時に、書き順の練習を何回したかを聞くといったことが必要になりそうです。これに限らず、子どもの発言や活動に対する評価が少ないように感じました。子ども同士が認め合う場面もありませんでした。子どもから友だちに対してネガティブな言葉が発せられていたのも気になりました。また、授業者が板書中に子どもたちの集中力が明らかに落ちていました。教師が子どもたちを見る、認める、子ども同士が認めあうことを意識することが必要です。 3年生の調べ学習の発表の場面です。 発表者の声が小さいことに対して「大きくないと聞こえない」と注意をします。こういう指摘の仕方では、子どもはプレッシャーを感じます。また、このように教師目線で注意をすると、聞き手ではなく教師を意識して話すようになります。こういった場面では、「後ろの人、聞こえる?」と確認した上で、「聞こえないようだから、大きい声をだそう」とすることで、聞き手を意識するようになり、また気持ちも前向きになりやすくなります。 発表が終わったあと形式的に拍手しますが、発表者の表情はうれしそうではありません。発表することに対して前向きにするためには、ポジティブな評価が必要です。発表を評価する観点を明確にして、できるだけ即時に評価することが大切です。ここで、「声『は』大きかった」という授業者の評価ありました。確かに即時の評価ですが、この言い方では他は悪かったと言わんばかりです。足りないことを指摘されていることになってしまいます。子ども同士でよかったことを評価させたいところです。出てこなければ、「声の大きさどうだった?先生は、大きくてよかったと思ったんだけど、どう?」と子どもに振ってもよいでしょう。 発表の場面では、発表の目的、目標と評価の基準を意識して、子どもたちを前向きにさせたいものです。 3年生の初任者の授業は算数の授業でした。 以前にアドバイスしたことを意識してくれていることがわかる授業でした。板書をして説明する場面で、子どもたちは写さずに聞いています。指示がなければ写さないことが授業規律となっています。板書を写すタイミングをコントロールできていました。他の場面でも、こういった授業規律が意識されているのを感じました。子ども同士で、相手のよいところを言わせるということもできています。着実に進歩していることを感じました。 「しかたを説明する」場面がありました。手順そのものではなく、その手順でよい理由を問う必要があります。手順と理由の関係を意識して問いかけ、きちんと理由を説明できるようになることを目指してほしいと思いました。 4年生は理科の金属の熱の伝わり方の実験でした。 子どもがきちんと集中できていないのに、説明が進んでいきます。子どもたちは、集中していなくても注意されないことを知っているようです。子どもたちは授業者がこういった場面で集中を求めていないと思っているようでした。 実験の説明をしてすぐに子どもたちを動かします。しかし、何のための実験か、その目的が明確になっていません。子どもたちにとってこの実験をする必然性がないのです。極端に言えば実験の結果は参加しなくてもわかるから、意欲的に取り組まないのです。「ろうを指示された順番に溶けるようにするためにはアルコールランプをどこにおけばいいだろうか?」といった課題の工夫が必要でしょう。 実験の方法や注意事項についてもきちんと確認をしませんでした。板書にも残っていません。火を使う実験なので、くどいくらいの確認でもよいと思います。また、子どもたちの実験中に板書をしていたのも気になります。実験中はできるだけ子どもたちから目を離さないようにする必要があります。板書するにしても、子どもたちに対する注意を怠らないようにしてほしいと思いました。 この続きは、明日の日記で。 愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その3)
「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その2)」の続きです。
フォーラムの最後は、模擬授業の授業者と玉置先生と私の4人がパネラーになって、石川先生の司会で午後の授業検討の振り返りと授業改善についてのまとめを行いました。 「3+1授業検討法」については、玉置先生から道徳の授業にもかかわらず道徳に関することが発表されなかったことが指摘されました。「3+1」の3(よいところ、参考になる所)の中に必ず1つ入れるようにというルールを設けたらよいのではないかという提案もされました。会場からは、これに関連して教科に関することは1(疑問点、改善点)の中に出てくるのではないかという意見が出てきました。授業検討としては疑問点や改善点こそ増やすべきではないかと考えられたのかもしれません。なるほどと思います。私の経験では、グループでの検討はそのメンバーが関心を持っているところが話題になります。今回の授業で言えば、授業者の山田先生の範読や子ども役との受け、返しといった授業技術が見事だったのでどうしてもそこに魅かれた話し合いになったのだと思います。これは、山田先生が日ごろから意図的にこういった授業技術をわかりやすい形で見せて、先生方に学んでもらおうとしていることと無関係ではないでしょう。 また、学校でその時課題となっていることが異なれば、検討会の内容も変わっていきます。例えば、学習規律が課題であった学校では、最初の内は授業規律についての話題が多く出ました。しかし、学校内の授業規律が確立してくると、授業規律はしっかりできていることの確認で終わり、教科内容が話題の中心となるようになりました。ある意味、この検討法は先生方の今を映し出すものでもあります。 検討会におけるルールの追加は、学校の状況に応じて自由に考えればいいものだと思います。学校の研究テーマや授業者がこだわったことにかかわることを必ず1つは入れるといったようにすればいいのです。グループも異質なメンバーで構成した方よいでしょう。年齢、学年、教科を変えることで、いろいろな視点での気づきが語られることになります。異なった視点に触れることが学びを深めることになるのです。 ICTを活用した「授業検討ツール」での授業検討については、いきなり玉置先生が「司会が悪い」と強烈な一言を浴びせました。あとで参加者に聞いたところ、これにはびっくりしたそうです。公開研究会ですから、普段の研究会と同じように率直なところを述べたのです。反論を期待してのことなのですが、指摘された石川先生はこのディスカッションの司会者でもあったので、特に反論されませんでした。石川先生としては、このツールを使った授業検討法を理解してもらいたいという思いも強かったので、どうしても解説的になってしまったのでしょう。会場からは、「いいね」「疑問」の両方のボタンがたくさん押されていた場面を再生して検討すべきだったという意見が出てきました。その通りだと思います。おそらく、その場面を再生して議論することで「授業検討ツール」のよさも実感できたはずです。 授業検討において話題となる授業場面を即再生できることのメリットは大きなものがあります。それを手軽に実現させたことは大きな評価をいただけたと思います。また、授業者は、ボタンの押された場面を確認して授業を見なおすことで、より深い振り返りをすることができます。このことを授業者の小西先生はフォーラム終了後に実感されたようです。また、昨年も参加された方から、ボタンの押された回数の表示を数字からグラフすることでとても見やすく使いやすいものになったと評価いただけました。 私以外の登壇者はみな校長です。学校長として先生方の授業改善にどのように取り組んでいるか話題になりました。授業研究を充実させているのは共通していますが、そのほかにも若手を中心として先生方の授業を見てのアドバイスを日常的に行っているそうです。ホームページを使って授業の学ぶべき点を共有したり、授業風景の写真をもとに具体的に個別アドバイスをされたりするようです。授業検討ツールは、簡単にねらった場面を再生できるので、個別の授業アドバイスにも役立つ可能性がありそうです。 こういった授業を見ることに関連して、玉置先生から実際に私がどのようにして授業を見ているかという質問がありました。壇上で、日ごろ私が、どこから何を見ているのかを実演させていただきました。1時間じっくり見る時は別ですが、ほとんどの場合、廊下から見せていただきます。前の扉の窓から教室を覗くと子どもたちの反応や様子がよくわかります。授業は授業者ではなく子どもの姿にその本質が現れると思っています。授業者を特に見なくても、子どもたちの様子から授業で何が起こっているのかがわかります。子どもたちの様子がばらばらであれば、授業者が子どもたちどうなってほしいのかが明確になっていないことの現れです。そういう時は、位置を変えて授業者の様子を見るようにしています。 日々の学校の授業改善につながるまとめの話し合いができたと思います。 あっという間にフォーラムの終了時間となっていました。今回のコンセプト、「研究会を公開する」が参加者の皆さんにどのように受け止められるか不安な面もありました。自画自賛になりますが、私たち研究会員から見ても、学ぶべきことが多いとても楽しいフォーラムになったと思います。帰り際の参加者の方々の満足そうな表情をとてもうれしく思いました。 最後になりましたが、(株)EDUCOM様には、会場の準備から当日の運営まですべてにわたって多大な協力をいただきました。私たち登壇者が自分の役割だけに集中できるのも、陰で支えてくださるEDUCOMの皆さんのおかげです。心より感謝いたします。ありがとうございました。 愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その2)
「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その1)」の続きです。
続いては、新城市立作手小学校の小西祥二校長の算数の模擬授業を、小牧市立岩崎中学校の石川学校長のコーディネートでICTを活用した授業検討ツールを使って検討を行いました。 授業は小学校6年生の最後のまとめでした。 授業の導入は道の両側に柵のある写真を見せて始まりました。これが何の写真かを問いかけます。実はこれは鹿よけの柵だったのです。人よりも鹿や猪の数が多いということを、不等号を使って表わします。ここで、不等号をいつ学習したかを問います。子ども役に、それとなく今日は小学校で6年間学習してきたことを復習するんだなと気づかせる導入でした。 正三角形の3辺の中点を結んだ、正三角形の中に4つの正三角形がある図形を4隅に向きを変えて置いてある図を見せます。ここから「見つけてください」という発問をします。子ども役はわけがわからないのですが、取り敢えず取りかかろうとします。子どもなら、わけがわからなくて、質問するところです。授業者も、質問が出ないので内心困ったのではないでしょうか。子ども役の一人が何を見つけるのかを問いかけます。この問いかけでねらいを明確にする機会をつくり、授業者を助けようという思いがあったのかもしれません。しかし、授業者はそこをあいまいにしたまま進めていきます。おそらく子ども相手の授業ではこのような進め方はしないと思います。子ども役や参加者にストレスをかけ、展開を読ませないためにあえてわかりにくくしたのでしょう。 プリントをもとに、見つけたことを書かせ、隣と確かめ合わせます。しかし、ねらいがわからないので、互いに評価はできません。会場全体にストレスがたまっていきます。続いて全体での発表です。「正三角形が3つ」という言葉から、「ひし形」「台形」「小さな三角形」とつないでいきます。形を見つけるのかと思うと、数にもこだわります。長さに視点が行くこともあります。角度も出てきます。こちらの方向かなと思うと別のところに向かい、はぐらかされます。子ども役の姿勢が悪くなっていきます。方向性が見えずに集中力が切れかかっているのです。授業者は、出てきた言葉を板書します。カテゴリーに分かれているようなのですが、わざとわかりにくく書いているようにも思えます。大きな三角形と三角形の間の何もないところに図形が見えるという発言がありました。「線を引くと新しいものが見える」という言葉が授業者からでてきます。子どもからいろいろな意見が出てきましたが、発散し続けます。最後に授業者がいろいろな見方をすることで「見えないものを見ることができる」とまとめて終わりました。この言葉で、なんとなくゴールはこれだったのかと、会場全体の緊張が弛んだように感じました。 授業検討会は授業検討ツールを活用して行われます。授業中に検討者が押した端末の「いいね」「疑問」の2つのボタンがどの時点で押されたかがグラフとなって示されます。今までこのツールを使って検討会を行ったどの授業とも違って、ボタンを押されたピークが細かく現れます。コーディネーターの石川先生は、かなり戸惑ったようです。石川先生としては、通常みられる、前半はボタンがたくさん押されるが後半はあまり押されないという現象を意識して、その点に触れながらの検討を考えていたようです。一方授業者の小西先生は、授業の流れが見えてしまうとボタンが押されなくなることを嫌って、ボタンがたくさん押され続けるように、先の見えにくいストレスのかかる展開を考えられました。授業検討ツールの活用を互いに意識し合った結果、ずれが生じてしまいました。小西先生の予定通りにボタンは押され続けましたが、授業としては疑問の残るものになってしまいました。 石川先生は、たくさんのピークの中でも一番大きなピークに目をつけました。授業の最後の場面、授業者がこの日のまとめを行ったところです。ビデオを再生して、授業検討者の意見を聞きます。どなたも授業のねらいがわからなくて困惑したことが語られます。この後、ビデオを見ずに、授業全体についての意見やどういう時にボタンを押したのかを問いかけますが、よく覚えていなかったりで、中々議論が明確になりませんでした。コーディネーターとしては、あまりにピークが多すぎて、どこと絞ることができなかったかもしれません。グラフの意味することを考えたり、授業検討ツールやその使い方の解説になったりが続きました。 ボタンが押されたのは、子どもと授業者のやりとりがあったところのように思います。そこで必ずボタンが押されるのは、そのやり取りから授業者のねらいが見えたように思ったからではないでしょうか。授業者が視点を変化させたところでは、「いいね」「疑問」が混在しています。授業検討ツールでは、ビデオを再生すると、自分がボタンを押した場面でそのボタンが光りますので、その時の気持ちを思い出すことができます。この場面を再生して検討をすれば、授業者の意図や課題が明確になり、そこから授業の改善の方向が見えてきたと思います。 フォーラム後、授業者はこの授業を振り返って新しい指導案をつくりました。今度は正三角柱の側面を下にして4つ積み上げ、大きな正三角柱をつくります。底面はフォーラムで使った正三角形の中に正三角形が4つある形になります。最初の課題は、小学校で学習したことをたくさん使って説明をしよう(※1時間で「10個以上」使おう)です。「正三角形」「長方形」「側面」「底面」「高さ」「台形」「ひし形」といった学習用語をたくさん引き出し、例えば、「三角形の底辺がひし形の対角線になっている」といった説明をさせようというのです。この課題を行った後に、フォーラムで使った図形を使い、この図からどのような説明ができるかを問いかけるという展開です。1ステップ入れることで何をすればよいのか明確になり、活動のねらいがはっきりしてきます。授業検討することによって、授業が進化することがよくわかるものでした。 まとめのディスカッションは、「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その3)」で。 愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その1)
「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その2)」の続きです。
午後の部は「楽しく、手軽に授業研究しよう」で会員の模擬授業をもとに授業研究を行います。子ども役は、会員と会場から抽選で選ばれた先生方です。最初は、一宮市立大和中学校の山田貞二校長の道徳の模擬授業と「3+1授業検討法」による公開授業検討です。コーディネーターは私が務めました。 「いつわりのバイオリン」という資料を利用した「人の支えによって生きる喜び」を考える授業です。いつわりのバイオリンというタイトルを示し、「いつわり」という言葉から連想するものを問います。子ども役から出てくる「うそ」「だます」といった言葉を柔らかく受け止め、何人にもたずねます。「うそをついたことがあるか?」と確認したあとで、その時の気持ちを問います。「しまった」といった子ども役の言葉を上手く引き出し、罪悪感につなげていきます。「そんな時に自分を元気づける」と続けてから、この日の授業のめあて「生きる喜びについて考える」を示しました。罪悪感に対して「元気づける」と前向きな言葉でつないでいることが素晴らしいと思いました。道徳はともすると振り返って反省をさせるばかりになりがちなのですが、そうではなく、その後どうするかが大切です。さりげない一言でしたが、残る言葉でした。短い時間で子ども役にしっかりと活動させ、ゴールのイメージと期待感を持たせる導入でした。 資料は与えずに、山田先生が範読します。実に見事な読みです。地の文は抑え気味に、感情や会話は少しテンション上げます。基本はゆったりですが、場面によってテンポを速くして飽きさせません。しかし、山田先生は読むことに集中しているわけではありません。常に子ども役に視線を送っています。子ども役は受け身で聞いているだけですので、集中力が落ちやすくなります。そこで、しっかり見るだけでなく、ICTも効果的に活用します。ディスプレイに挿絵を映しているのですが、実にタイミングよく切り替え、適度な刺激を与えます。 バイオリンづくりの名人が有名なバイオリニストに依頼を受けたが期限に間に合わせることができずに、優秀な弟子の作品を自分のものと偽ってしまいます。ここで弟子の作品に手を伸ばした時の主人公の気持ちを子ども役に問いかけます。1分間目をつぶらせることで、集中させます。上手に活動を入れます。子ども役に発言をさせますが、ここは、あまり時間をかけずに次に進みます。 作品を偽られた弟子は、バイオリンの音を聞いてそれが自分のものだと気づきますが何も言いません。自分のしたことに悶々とした日々を送る師を見て、自分の存在が師を苦しめていると気づき工房を去ります。やがてほかの弟子たちもいなくなって、主人公の工房は活気を失くしてしまいました。ここで、主人公はどのようなことを考えているかが次の発問です。子ども役の発言を受容し、「裏切ってしまった」といった足りない言葉には、「だれを?」と問い返します。「後悔の念」「さびしさ」「告白しよう」といったことが、子ども役それぞれの言葉で語られます。ここでは、主人公が嘘をついたためにつらい状況になっていることをできるだけ自分に引き寄せてもらいたい場面です。山田先生は、あえて板書や整理をせずに次々指名していきます。しっかりと聞いているので、集中力を乱したくないからです。発表が終わってから整理をして板書しました。 主人公のもとに、成功した弟子から1通の手紙が届きます。師が自分の作品を偽ったことには触れず、師のバイオリンが今でも自分の目標であることを伝えるものです。その手紙を読んで涙を流した主人公の気持ちを考えるのが最後の発問でした。 自分の考えを持たせる時間をじっくりと取ったあと、4人グループで聞き合います。大人ということもありますが、素早くグループ活動に入り、落ち着いたテンションで聞き合います。この展開であれば課題にしっかりと入り込めるので、おそらく子どもたちでも同じような姿になったと思います。グループ活動を終えても、後ろ向いて話している子ども役がいますが、「体をこちらに向けましょう」と優しく声をかけます。決して否定的な言葉を使いません。子ども役にどのようなことを話したかを聞きます。子ども役の発表に対して、「力いっぱい言ってくれた」「自分の気持ちになっている」と評価します。道徳ですので、考えた内容の是非を評価するのは危険ですが、こういった態度面や視点を評価することは有効です。子ども役から「本当のことを言ってもう一度やり直す」「自分のバイオリンを評価してくれてうれしい」といった言葉が出てきます。中には「・・・澄み切った音は心が澄み切った人が・・・」といった、ちょっと子どもからはでてきそうもない言葉もあります。一つひとつの発言がある程度完結していることもあり、つなぐ場面はあまりありませんでした。途中から子どもの発言に対して、「謝って、前に進みたい」という言葉でまとめることが続きました。ちょっと強引に感じます。ここは、最後に子どもたちに言わせたいところです。時間があまりなかったこともあって、少し焦ったのだと思います。 「謝罪」「感謝」「希望」という3つにまとめられましたが、今回のねらい「人の支えによって生きる喜び」の「人の支え」がまだ弱いように感じました。本来の授業であれば、この後弟子へ手紙を書くのですが、時間がないため省略されました。おそらく、そこで弟子への思いの形で「人の支え」が浮かび上がったのだと思います。 最後に、1編の詩を朗読して終わりました。人の支えや感謝の気持ちが伝わるよい詩です。この詩が、欠けたピースを埋めてくれました。 普段から校長自ら道徳授業を行っているということです。子どもたちを自らの授業で育てたいという思いがこの授業からも感じられました。一方で、これは校長の授業だとも思いました。先生方に、授業技術を伝えることが意識されているのです。「子どもたちを見る」「子どもたちを受容する」「発言を深める」といったことの大切さや、そのための技術が明示的に示されているように思ったのです。 今回は、授業検討を会場の皆さんにもまわりの方と行ってもらいました。授業が素晴らしかったこともあり、どなたも本当に熱心に検討されていました。 壇上での検討は、研究会の会員で行いました。あらかじめ配られた2色の付箋紙に気づいたことを「よかったこと、参考になったこと」と「疑問点、改善点」に分けて書き、模造紙に貼りながら検討して、よい点を3つ、改善を1つ(3+1)に絞ってまとめます。今回の検討会は、模造紙を前に貼ってもらい、それをもとに私が質問する形で進めました。よい点はたくさんありますが、「資料の範読」「子どもたちの受容」「言葉の切り返し」といった授業技術に偏りました。改善点はほとんどないという意見でしたが、子どもの言葉を「謝って、前に進みたい」と教師がまとめようとしていたことが挙げられました。模造紙に書かれていることについて、そのグループでどんなことが話されたかを個別に聞きました。発表のための整理された言葉ではないので、話し合いの内容や考えがより具体的に伝わってきます。他のグループでも同様のことが話されていれば、それを聞くことで学びが深まっていきます。代表が全体で発表する以外にも、このような進め方もあることを知ってもらおうとこの方法をとりました。参考になれば幸いです。 この検討会では、道徳の授業にもかかわらず道徳の話題は上がってきませんでした。このことが、最後のまとめのパネルディスカッションで話題になりました。次回以降で触れたいと思います。 続きは、「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その2)」で。 愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その2)
「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その1)」の続きです。
4人目は、知多市立八幡小学校の山田純一郎校長の「授業を基盤とした学校づくり」でした。山田先生の考える愛される学校とは、「子どもが通いたい」「保護者が通わせたい」「教職員が勤めたい」と思う学校です。授業を基盤として愛される学校をつくろうと、リーダーシップを発揮されます。今年度異動して来られた山田先生は、まず学校の実態把握に取り組まれました。4月の最初の2週間、毎日学級を巡回したり、先生方と話したりしたのです。異動直後は様子見の校長が多い中、素早く行動を起こすというのはなかなかできることではありません。山田先生は、こうして学校の実態把握を行った結果、授業の課題を2つに絞り込んだのです。1つは、学習規律が先生によって違い、学校として統一されていないこと。もう1つは文章の読み取りの弱さでした。 学習規律については、全体の問題点を把握できているのはこの時点で校長しかいません。そこで、全体で話し合うということをせずに、自らルールを決めました。発達障害の子どもが多いこともあり、ユニバーサルデザインの考えを取り入れて次の5点に絞ります。 ・机の中、机のまわり、ロッカーの整理整頓をする。 ・授業中の机上の整理をする。 ・授業を進めるにあたり、「単元」「めあて」を記入する。 ・全面黒板に授業以外のことを書かない。 ・背面黒板を活用する。 この内容がよかったかどうかは問題ではありません。校長が素早く判断して、この学習規律を示したことが素晴らしいのです。4月のスタート時点で共通のルールをつくらなければ間に合いません。先生方に諮って検討していては大切な時期を逃してしまいます。独善と見えても校長がリーダーシップを取ることが必要になることがあるのです。 一方、文章の読み取りの弱さの克服は、赴任以前に決まっていた現職教育のテーマ「読みを深め、自分の考えを表現する児童の育成」とも合致していたので、現職教育推進委員会に任せました。この使い分けが見事です。先生方の組織に任せられることは任せてしまうことも大切です。ここでは、校長はアドバイスだけに徹しています。そして、先生方のアシストをするために、外部の研究会や講習会、書籍の紹介を行います。また、必要に応じて外部講師を招くこともしています。先生方の学びを助けるための動きを行っています。講師の話を聞いて、すぐに活かそうとする先生がたくさんいたことに驚いたそうです。先生方は授業が上手くなりたいと思っているのです。 赴任1年目から素早く学校の課題を把握し、すぐにリーダーシップを発揮した行動力に感心すると共に、先生方のやる気を引き出そうとするきめの細やかさにも学ぶことが多い発表でした。 最後は、元校長で津市立倭小学校・拠点校初任者指導員の中林則孝先生の初任者指導の発表でした。 有田先生の「材料3分、腕7分」に対して、初任者に「腕3分、根気7分」と説かれています。小学校の初任者が対象です。小学校では、子どもたちに1度指示をしたからといってすぐに徹底できることはあり得ません。「繰り返しの言葉かけ」とその「確認」が大切になります。根気よく繰り返させることが大切だということです。このことについては、全く同感です。中林先生は、「教材研究が不十分では授業ができない」という論調に対して、痛烈な一撃を与えます。教材研究の仕方も教えずにやれと言うのはナンセンスだというのです。教材研究の大切さもやり方もわからない初任者を追い詰めても潰すだけです。バランスを意識し、まずは日常授業の質を高めることから始めるべきです。聞いていて私も大きくうなずきました。 中林先生がこだわる「全員参加の授業」「発問より受け」「子どもを常に見る」「無理のないICT活用」、どれも本当に大切なことです。中林先生の素晴らしいところは、これらを単に言葉で説明するのではなく、視覚に訴えて伝えることです。授業中にデジカメで撮った写真を見せて、どこに問題があるのかを伝えるのです。例として見せられた写真は、どれも一目で問題に気づけるものでした。教師の視線が向いている子どもたちはしっかり聞いているが、死角にいる子どもはだれている様子。教師がICT機器を使って一生懸命説明しているが、スクリーンを指さしているため、子どもを見ることができていない姿。子どもと教師の姿を見事にとらえている写真ばかりです。私は先生方のアドバイスに写真は使いませんが、利用を検討しなければいけないかと考えさせられるものでした。会場の先生方も、写真を見てうなずいています。午前の部は学校経営に関する発表が多かったので、参加された若い先生方には興味を持てなかったかもしれませんが、この発表はとても参考になったと思います。 さらに中林先生の素晴らしいところは、指導している4人の初任者をつないでいることです。こういった写真を他の初任者にも見せて考えさせます。それぞれの様子を「教室はドラマ」という新聞にして共有します。4人が仲間として一緒に成長しているのです。ともすると若い先生は孤独になりやすいのですが、そこのところも意識されています。時には、4人一緒に食事に出かけたりもしているのです。多くの若い先生が、こんな指導員に出会えていたらと思っていたことでしょう。 進行役の玉置先生は、毎回発表の後にツッコミを入れますが、中林先生には、初任者指導員で集まった時に初任者指導の仕方を話したりするのかとたずねました。残念ながら答は「ノー」です。幸いにも私は中林先生と知合いですので、しっかりとノウハウをいただいているのですが、初任者指導員が共有していないのはもったいない話です。 続いて、発表者にパネラーを加えて協議が始まります。ここからが面白いところです。進行役の玉置先生が、いきなりゲストの小牧市立小牧中学校のPTA会長の斎藤早苗さんに振ります。保護者として選べるならどの校長の学校がいいかという質問です。流石に斎藤さん、全部が一つになった学校と答えます。欲張りな答えです。でも、それが本音です。もう1人のゲストの大阪市教育委員会の山本圭作さんには、行政として校長を1人選ぶならだれかと問います。容赦ありません。新城市立千郷中学校の川本篤史先生には、どの校長のもとで働きたいか、国際大学GLOCOMの豊福晋平先生には学校評価の視点で、(株)EDUCOMの柳瀬貴夫社長には企業の経営者の視点で、津島市立南小学校の浅井厚視校長には同じ校長の視点で誰がよいか、共感するかといったことが問われます。 アンケートの理不尽な回答を公開するかどうか、学校評価の専門家である豊福先生に問いかけます。それぞれのメリット、デメリットを挙げて、素直に難しいと答えます。専門家でも即答できないことを校長は自ら判断しているのです。こういったやり取りを通じてそれぞれの取り組みのよさや独自性を価値づけしていきます。 玉置先生は、ストレートな質問で、曖昧な答は許しません。ズバリと答えてもらうことで議論がシャープになるからです。まな板に載せられる発表者も普通ならたまらないでしょう。しかし、人間関係ができているからこそ、比較されたり、切られたりしても笑顔で対応できるのです。もちろん日ごろの会で鍛えられていることもありますが・・・。いずれにしても、この研究会の素晴らしいところです。 いつも通り笑いの絶えない絶妙な玉置先生の進行で、あっという間に時間が来ました。校長や管理職だけでなく、参加されたどなたも楽しみながらいろいろなことを考えることができたパネルディスカッションでした。知り合いの若い先生方も、面白かった、勉強になったと感想を述べてくださいました。 実は、今回のフォーラムの午前の部に私の出番はありませんでした。こんなこと初めてです。純粋に観客として参加することでたっぷり2時間、本当に楽しむことができました。途中メモも忘れて聞き入っていました。多くのリピーターがいる理由を理解できた気がします。 午後の部については、「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その1)」で。 愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その1)
先週末に「愛される学校づくりフォーラム2015 in大阪」が開催されました。今回は愛される学校づくり研究会の日ごろの研究の様子を見ていただくという、公開研究会というコンセプトでした。
午前の部は、「愛される学校のつくり方」と題して、会員代表の5人による提案とそれを受けてのパネルディスカッションでした。小牧市立小牧中学校の玉置崇校長の絶妙な進行で進んでいきます。 1人目の岩倉市立岩倉中学校の野木森広校長の発表は、「まずは従業員満足度」と子どもたちや保護者ではなく、教職員にスポットを当てて愛される学校づくりに取り組んだというものです。「教職員」と言わずあえて「従業員」としているところに、野木森先生の思いがあります。教師には子どものためにはどれだけでも頑張らなければならないというプレッシャーがあるように思います。これは私の想像ですが、「教師なんだから頑張ってほしい」という校長の甘えを排除し、純粋に自分のもとで学校を支えてくれる大切なスタッフ(=従業員)に「頑張ろう」と思ってもらえるような学校づくりを意識して、あえて従業員としたのではないでしょうか。 先生方の多忙感を解消して、授業を中心とした教育活動に専念してもらう。先生方の努力を発信することで、肯定的な評価を得て広げていく。公募のプロジェクトを立ち上げ参画意識を高める。こういったことに取り組んだそうです。ボトムアップを意識した公募のプロジェクトは、昨年度は「生産性向上」、今年度は「ICT活用」「将来ビジョンの作成」と続いていますが、若手を含む多くの先生方が手を挙げて参加しています。 野木森先生は教師の「多忙」ではなく、あえて「多忙感」としています。それは先生方が自分のやっていることが子どもたちのために役立っていると感じれば、どれだけ忙しくても苦にならない、逆に教育以外のことに時間をつぶされれば実際に以上に多忙を感じるからだと思います。自分の仕事に満足していれば、頑張れと言わなくても頑張るものです。教師の満足度が上がることが、教育の質の向上という形で子どもたちに還元され、愛される学校につながっていくと考えてのことだと思います。 多くの方に新しい視点を与える発表だったと思います。 続いて登場した一宮市立木曽川中学校の平林哲也校長は、校長になって現在3校目ですが、その10年間1日も欠かさず学校ホームページを更新し続けた方です。「発信なければ受信なし」が平林先生のモットーです。学校の目指す方向をシンプルな言葉で示すことが大切だと主張します。木曽川中学校では、「凡事徹底」「参画」「千人力(生徒数が約千人なので)」です。こういったキーワードは、ともするとお題目に止まり具体化されないで終わってしまうことがよくあります。その具体的なイメージを共有するためには「見える化」が必要です。平林先生はそのツールとして学校ホームページを活用されているのです。 更新されない学校ホームページは、繰り返し見てもらえません。見てもらうためには毎日更新することが欠かせません。情報発信がなく、学校の様子が見えなければ保護者や地域の信頼を得ることもできません。学校の日常の地味でベタな情報を発信し続けることが大切になります。そこに、平林先生は1つの工夫をしています。学校ホームページのトップにそれまでに発信した記事が、先ほどの3つのキーワードでまとめられているのです。それぞれについてすぐに閲覧できるので、学校の目指しているところが具体的によくわかるようになっています。学校が何を考え、何を求めているかを保護者や地域の方に理解していただくことで、平林先生の願いである「サポーターからパートナー」が実現するということです。 また、保護者や地域の方が学校に肯定的になれば、当然子どもたちにもそのことが伝わります。学校への肯定は子どもたちに対する肯定につながります。子どもたちの自発的な行動や社会参画への動きは、価値づけをして行動を強化することが大切です。その様子を発信することで子どもたちを取り囲む大人たちがそのことを認めてくれます。こういったことが安心感や自信につながり、子どもたちの意識を高めてくれるのです。 平林先生が学校ホームページの活用を通じて何を目指してきたのかがよくわかる発表でした。 3人目は一宮市立尾西第三中学校の長谷川濃里校長の学校の見える化への取り組みでした。 学校が愛されるためにはまず信頼されることが大切です。そのために、学校に対して「やや批判的な層」や「どちらでもなり層」な保護者に対して、「ああ、そうだったのか」と学校のことを「理解してくれる層」になってもらうのです。長谷川先生が考える従来の保護者は、協力層1割、理解層2割、どちらでもない4割、やや批判層2割、批判層1割という分布です。それを協力層1割、理解層6割、どちらでもない2割、批判層1割にすることを目指すというものです。保護者に、学校の子どもに対する思いは保護者と同じであることを理解してもらい、学校のことをよく知ってもらいたい。そして、職員にありがとうと言ってもらえるようになりたい。それを実現するための見える化です。特に意識をされたことが、保護者に見えないものを見える化するということです。別の言い方をするとネガティブなこともすべて公開するということです。 子どもたちの学校生活の様子などを日常的に学校ホームページやたよりで紹介するのは当然として、行事の度にメールを使ったアンケートを実施し、選択肢の集計だけでなく記述内容もすべて公開しています。ポジティブな意見ばかりではありません。ネガティブなものもあえて公開し、その上で学校の考えを示しています(すべての意見を公開することは事前に了承を取ってあります)。一宮市はコミュニティスクールとなっていますので、学校運営協議会があります。その内容も個人情報にかかわること以外はすべて公開しています。PTAや地域の会合では、学校活動の様子だけでなく、現在の問題点や困っていることも伝えています。学校ホームページでも、学校経営の考え方すなわち学校の願いを見える化することを大切にしています。 学校に対する疑問や問題提起、課題に対して改善への取り組みを見える化することで理解が深まっていきます。その結果、行事アンケートで先生方へのねぎらいの言葉も見られるようになってきたそうです。多様な意見が出て楽しいといったすべての意見を公開することに対する肯定的な言葉も見られるようです。問題点を厳しく指摘する言葉もありますが、それを「説明するチャンスととらえる」という長谷川先生の言葉が印象的でした。 学校に対するネガティブを学校の改善への取り組みも含めて公開することで、信頼を得るというのは、口で言うほど簡単なことではありません。しかし、それを実行することで保護者の目が変わってきたという発表は、先生方に一歩踏み出す勇気を与えるものだったと思います。 この続きは「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午前の部)(その2)」で。 課題のよさを活かす難しさを感じる授業
前回の日記の続きです。
3年生の社会科は、経済分野のまとめ的な授業でした。 子どもたちは授業者の言葉によく反応します。授業への参加意欲を感じます。この日の課題は「日本の国別幸福度ランキングの順位を上げるためにどうするか」です。国連とOECDの国別幸福度の日本のランキングを示し、経済力に対してその低さを意識させます。 「どんな国なら幸せ?」という問いに対して、「信号の長さ(間隔?)が程よい」「就職しやすい」「税が少ない」「人間として生きていける」「助け合いができる国」というように、子どもたちは自由な発想で発言します。どの子どもも安心して発言できる雰囲気が学級にあります。ここで、国連、OECDそれぞれの幸福度を測る視点を提示します。ランキングを上げるのが目的ですから、これが考えるための根拠となります。しかし、日本に関して、各視点のどこの評価が高いのか低いのかについては、あまり詳しく触れませんでした。 グループで相談しますが、子どもたちの動きがあまりよくありません。考える手がかりがはっきりしないようです。ランキングを上げるためには、「何を」「どうやって」という2つのステップがあります。これを一度に扱っているので、少し混乱しているようです。まずどこを改善したらよいかを出し合ってから考えるとずいぶん違ったのではないかと思います。 子どもたちに発表させます。「少子高齢化の解消」という意見に対して、他の子どもとつなごうとします。それに対して、「子どもをたくさん産めない」という原因を言う子どもや「保育園をつくる」という解決策を言う子どもがいます。意見の視点がばらばらです。一部の子どもの意見が続き、どんどん拡散していきます。他の子どもは、何を話していいのかわからずに、参加できない状態です。そもそも、「少子高齢化」を解消すれば国別幸福度のランキングが上がるのでしょうか?そういった議論もありません。子どもの発表を受容するだけでは、考えは深まりません。そこに教師の適切なかかわりが必要なのです。続いて、「観光客を増やす」「就職難を解消する」といった各グループでの話し合いの結果を発表しますが、お互いの考えがつながることはありません。子どもたちは自分たちが考える幸福という視点で考えていたので、共通に議論する根拠がなかったのです。 この授業であれば、日本の幸福度が低いのは、どこに原因があるのかを考える。それに対して今まで学習したことをもとに、どのような政策がとられているかを確認する。それでうまくいくのか、それではまだ足りないのか、足りなければ何をすればよいのかを考える。こういうステップが必要です。子どもたちが育っていれば、これらのステップをまとめてジャンプの課題とできるのですが、そこにはまだ至っていないようです。 また、子どもたちは自分の視点で幸福度をとらえていました。もう少し発想を変えて、「子ども」「若者」「子育て世代」「子育てが終わった世代」「高齢者」にとって「幸福な国とは?」というように、立場を明確にして考えさせる方法もあったかもしれません。 課題は面白かったのですが、その後の展開をもう少し工夫するとよかったように思います。 授業者は初任者のころと比べるとムダな話も減り、子どもたちが考える社会科を目指して課題も工夫しています。この学校の社会科は、教科で指導案を検討します。今回ベテランからこんな課題はどうかと提示されたのですが、自分で考えたいと教材研究してこの国別幸福度に行き着いたそうです。その姿勢は素晴らしいと思います。検討会では、他の先生方もやってみたい課題だと言っていました。しかし、たくさんの視点が出てくるので、1時間で扱うのは難しいという意見もありました。それよりも、単元の導入場面で扱って、経済や福祉などの課題や政策などを学習する動機づけとした方が面白いのではないかということです。互いの授業が見て学びあっています。教科の先生方全員の力が伸びていく環境になってきたと思います。 この日は、全体に対して、私がこの学校の現状をどうとらえているかをお話ししました。 子どもの見せる姿が、学年で違うことが気になります。大規模校ですので、学年ごとに別の学校のようになってしまうことはやむを得ないところがあります。どんな教師が授業をしてもしっかり集中して授業に参加する学年もあれば、逆に教師によってその様子が大きく変わる学年もあります。そういった学年ごとの課題を客観的事実として受け止め、どう対応すればよいのかを学校として考えることが大切です。他の学年ことだからとかかわらなかったり、問題点の指摘ばかりだったりではなく、こうしたらどうだろうと互いにアドバイスしてほしいと思います。一方、他の学年からの指摘は非難されているように感じやすいものです。反論や反発をするのではなく、まず素直に受け止める姿勢が必要です。こういったことは、学級経営にも言えることです。ある学級が上手くいってない時に、あなたの学級はよくない状態だと指摘するだけでなく、どうすればよいのかを一緒に考えることもしてほしいと思います。その学級に授業に行っているのであれば、フォローすることもできるはずです。教科内も同じです。教師同士がしっかり支え合うことが大切です。 子どもたちを受容できる教師が増えています。しかし、授業の中で子ども同士をつなぐ場面がまだ少ないように思います。教師が友だちの言葉をしっかり聞くことを求め、聞いたことを評価することが必要です。子どもが友だちの考えをポジティブに評価する場面をつくることも大切です。人事異動で教師の入れ替わりが多かったため、学校全体としてこういう基本に対する意識が薄れてきているようです。 いろいろな意味で、来年度のスタートが勝負となるように思っています。そのことを意識して、残り1か月を大切にしてほしいと思います。 |
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