吉永幸司先生から学ぶ
今年度最後の教師力アップセミナーは元京都女子大学附属小学校長の吉永幸司先生の「国語力は人間力−言葉で考える子どもを育てる国語指導」というタイトルの講演でした。
国語の教科指導の話というよりは、国語指導を通じて子どもたちの人間関係をつくったお話しでした。吉永先生が校長に就任するまでは、「のびのび」をキーワードとしていたそうです。そのマイナス面として、まわりとの関係を考えずに好き勝手な態度をとるため、子どもたちの人間関係が悪かったようです。また、私立の小学校ということで、子どもたちは放課後住んでいる地域で他の子どもとの関係がありません。エネルギーの発散場所が学校に限定されていることが、子ども同士のトラブルを誘発しているようでした。吉永先生は、子どもたちが伝えるべきことをきちんと伝えることができていないことが、いろいろなトラブルの根底にあるとが感じられたようです。保護者とのトラブル一つとっても、子どもが保護者に状況を正しく伝えていないために行き違いが起こっているのです。そこで、子どもに「必要な時に必要なことを伝える力」をつけることに力を注がれました。 その第一歩は、日常の言葉をきちんとすることでした。まずは、教師が子どもをきちんと「さんづけ」で呼び、名前を呼ばれたら子どもが「はい」と返事をすることからです。「ていねい」をキーワードにすることで、まず先生の言葉づかいが変わりました。主語が「○○さん」に変わるとそれに伴って述語もていねいに変わっていきます。こうして、子どもにていねいな言葉で話をさせ、続いて正しく伝えることを徹底させました。保健室でも、きちんと伝えなければ利用させません。保健室をよく利用する子どもが、他の子どもに伝え方を教えるようになったそうです。子ども同士のけんかの聞き取りも、ていねいな言葉を使うように指導します。「○○が・・・」と言えば、「○○さんが・・・」と言い直させます。単文しか話さなければ、一つひとつ聞き返し、最後にそれをつなげて言い直させます。こうして、伝える力をつけていきました。 ノート指導も大切にされました。先生は子どものノートと同じように板書し、子どもがそれを同じように書くことを徹底しました。教師と同じということは、教師の指示を聞くことにつながります。ちゃんと聞けば上手くできる。そういう経験を積ませることで、達成感を持たせ、自己有用感につなげていったのです。 こうして子どもの伝える力をあげ、自己有用感を持たせることができるようになって、当然のことながらトラブルは減り、学校が変わっていったそうです。 吉永先生が最初にされたことは、コミュニケーションに関する基本的なことと、指示を聞かせるために具体的な活動と評価を意識することでした。こういった根っこの部分をまず徹底できでれば、その上に多くのものを見上げることができます。この後の京都女子大学附属小学校でのいろいろな取り組みは、まさにそのようなものであったと思います。 吉永先生の語り口は、「ていねい」をキーワードに学校の改革を進めたことがなるほど思えるものでした。この柔らかさで職員にも接したからこそ、学校を変えることができたのだと思います。吉永先生の姿から、学校を変えていくために大切なことをまた一つ教わったように思います。吉永先生ありがとうございました。 卒業式の「涙」に子どもたちの成長を見る
先週は、学校評議員をしている中学校の卒業式でした。
3年前の入学式で校長が、「涙をたくさん流せるような生活をしてください」という言葉を贈っていました。「うれし涙」「感動の涙」「悔し涙」をたくさん流せるように、一生懸命中学生活を送って欲しいとの願いです。 この日の卒業生の姿から、この言葉の通りの生活を彼らが送ってきたことがわかります。卒業生の「旅立ちの言葉」の中にも涙が何度も登場しました。3年間を振り返りながら感極まって涙を流す子どもがたくさんいます。子どもたちからの感謝の言葉に多くの先生が涙を流していました。 式後の校長の来賓への謝辞に、「教師の仕事は大変なことが多いが、いくつかのとても幸せな時がある。その一つが卒業式です」という一言がありました。その言葉に多くの来賓がうなずいていました。 ここ数年、以前と比べて卒業式の子どもたちの姿から3年間の成長を大きく感じるようになりました。卒業生の姿そのものが以前と比べて大きく変わっているようには思えません。ということは、入学時での姿が幼くなっているということなのでしょう。今年の卒業生についても、こんなことで大変だった、困った子たちだったという言葉が来賓控室で話題になります。それが、以前と比べて変わらないまでに成長するということは、先生をはじめとしてまわりの大人たちが本当によい形でかかわってきたのだと思います。 とかく私たち大人は「最近の子どもは・・・。若者は・・・」という言葉をよく使いがちです。しかし、彼らの姿は私たちがつくりあげているものでもあります。今の子どもたちの精神年齢は以前と比べて7掛けだという方もいます。例えそうだとして、私たちのかかわり方次第で大きく成長するはずです。その役割を学校にだけ求めるのではなく、この学校のように地域の方も一緒になって子どもたちの成長にかかわることが大切になります。文部科学省がコミュニティスクール(学校運営協議会制度)をより推進する姿勢を打ち出しました。子どもたちを多くの大人が見守り育てることはとても大切なことです。この制度がうまく機能するためには多くの課題があります。それぞれの地域で工夫をして、子どもたちがより成長できるような態勢が取れることを願っています。 ともあれ、子どもたちの3年間の成長を実感できた卒業式でした。毎年このような素晴らしい場に立ち会える機会をいただけていることに感謝です。 介護研修で賠償責任と過失について考える
先月に介護関係者向けに研修を行いました。今回から介護の仕事における法的なリスクのお話しです。
利用者が転倒したといった事故に対して、素早く正しい対応をすることはとても大切なことです。必要な技術や対応について十分身につけておく必要があります。特に訪問介護のヘルパーさんたちは、原則一人での訪問です。自分で的確に判断しなければなりません。プレッシャーのかかる仕事です。この日参加された方は意識の高い方ばかりで、事故の対応についての質問に対して的確なお答をいただけました。 しかし、事故に対して正しく対応できたからといって、法的な責任がないわけではありません。賠償責任を問われるケースもあります。具体的な例をもとに、どのような場合に賠償責任が発生するのか、説明させていただきました。 今回は主に不法行為に関連して、過失について詳しくお話ししました。過失に対しては、特に規定されていなければ刑事は問われませんが、民事上の賠償責任は問われる可能性があります。過失とは、「ある事実を認識・予見することができた(予見可能性)にもかかわらず、注意を怠って認識・予見しなかった心理状態、あるいは結果の回避が可能(結果回避可能性)だったにもかかわらず、回避するための行為を怠ったこと」をいいます。ここで、注意しなければならないのは、介護の専門職ではあれば予見可能性を厳しく問われることです。例え利用者が「大丈夫、介助はいらない」と言ったとしても、危険性を予見して説得して介助するか、しっかりと見守ることが必要になります。予見するために、利用者の既往症やその日の健康状態などの情報をきちんと把握しておくことも必要です。こういったことが厳しく問われるのです。 参加された皆さんは、漠然とは知っているのですが改めて問われるとあやふやな点もあったようです。この機会にしっかり学ぼうとする意欲を強く感じました。 賠償責任や過失についていえば、学校でも無縁のことではありません。事故を予見できたかどうか、結果を回避することができなかったのかが厳しく問われる事例を目にします。教師にとって、基本的な法知識も重要なものであることを改めて意識させられました。 子どもと教師の関係がよい学級で授業研究
昨日の日記の続きです。
授業研究は2年目の先生の2年生の国語の授業です。 授業者はちょっと緊張気味でしたが、子どもたちはとてもよい表情です。授業者が子どもたちのことをとてもよく見ているのが印象的でした。子どもと目が合うと優しくうなずきます。子どもたちの表情がよい理由がわかる気がします。子どもたちの挙手が少ない時には、いったん手を下げさせて考える時間を与えていました。子どもたちの全員参加を目指していることがよくわかります。 この学級では、4月から1年間「1分間スピーチ」を続けていますが、まだまだ体験だけを箇条書きにした話に留まっているそうです。今回はグループで友だちの文章を読み合って、もっと詳しく知りたいことを質問し、それに答えながらメモをして、文章につけ足していくという活動です。 授業者が自分の飼っている猫の話を例にして、全体の場で子どもたちに質問をさせて答えていきます。活動を具体的にやって見せることで何をすればいいのかよくわかりますし、意欲もわきます。子どもたちが素早くグループの隊形になったことでもそのことがよくわかります。タイマーを実物投影機で拡大して見せました。ちょっとした工夫ですが、時間が後どれだけ残っているかよくわかるよい方法です。子どもたちはとても集中して質問を聞いていました。ここで、質問される側には、質問に答えて自分の文章をよくするというモチベーションがありますが、質問する側はそういったものがないことが気になります。質問が止まっているグループがいくつかありました。質問をたくさんする、いくつ以上するといった目標を与えるとよかったように思います。 続いて質問をもとに文章を修正するのですが、授業者が修正例を見せるのではなく、授業者の答えをもとに、子どもに修正させてみるとやり方がよくわかったのではないかと思いました。また、全体でどんな質問があったかを少し共有する時間を取って、質問が少なかった子どものためにつけ足すネタを考えるヒントを与えてもよかったと思います。 下書きを友だちと見せ合い、必要に応じて修正して清書します。清書についての説明の時に子どもたちの集中力が他の場面と比べて低かったことが気になりました。これは想像ですが、うまくつけ足したり修正ができていなかったりしたため、書こうという意欲があまり湧かなかったためではないかと思います。 一連の活動で、子どもたちが書くことに抵抗がないことが印象的でした。実によく手が動きます。1年間よく鍛えられていることがわかります。子どもたちは、とても頑張ってくれましたが、活動の最終的な評価がはっきりとしませんでした。詳しい文にすることがゴールなのですが、具体的な目標が明確でないため、自己評価できないのです。あまりよい目標ではないかもしれませんが、長くする、文を増やすといった指標が必要だったように思います。 1時間を通じて子どもたちがとても安心して授業に参加していることがよくわかりました。学習規律が明確で次にどのような活動があるかがよくわかっていることが伝わります。この日見た中で、1、2を争うほど子どもとの人間関係がよい学級でした。 授業検討会は小グループで行われました。私も授業者や初任者のいるグループで一緒に話をしました。初任者が、先輩の授業から多くのことを学ぼうとしていることがよくわかりました。よく観察していて、子どもたちとのやり取りから授業規律がしっかりとできている理由をつかんでいました。 若手の授業でしたが、先生方にとってとても学びの多い授業だったと思います。この学級の子どもたちの姿から、1年間で目標とすべきものがはっきりとした方もたくさんいたのではないでしょうか。 検討会終了後、数人と懇談をしました。学習規律がしっかりとできていた1年生の担任からの相談が具体的で印象に残りました。毎日の授業の中で常に課題を意識していることがよくわかります。中でも、計算だけが異常に苦手な子どもの対応について苦労しているようでした。何とかしてあげたくて、放課後残して補充をしているようですが、ちっともできるようにならないのでその子はつらい思いをしているようです。先生も効果がないのに無理やりやらせ続けていいものか悩んでいました。他の能力に問題がないことから、LDではないかと思われます。実際にその子どもの様子を直接見ているわけではないので、何とも言えませんが、ディスカリキュラス(計算障害)の可能性がありそうです。今は昔と違ってLD関連の情報も増えているので、少し勉強してみることを勧めました。素直で前向きな先生なので、きっと一歩前に進めると思います。 若手を中心として、よい変化が現れています。しかし、これを学校全体とするにはまだしばらく時間がかかりそうです。若手の成長を学校全体で共有できるような動きが来年度は必要になると思います。この日はたくさんの先生方の授業を見せていただきとても勉強になりました。ありがとうございました。 いろいろな課題が見えてきた授業アドバイス
昨日の日記の続きです。
5年生の理科の授業は、電磁石を永久磁石と比較する場面でした。 授業者は子どもを受容しながら進めようとはしていますが、子どもたちは今一つ集中しません。まだ板書を写している子どもがいるのに説明を始めてしまいます。一つひとつの活動のけじめがついていません。時間的な余裕がないのかもしれませんが、気をつけたいところです。 子どもたちに意見を言わせますが、「電池が通っていないから」といった間違いをそのままにしています。受容することと修正しないということは違います。「で、ん、ちが通っていないから」と復唱すれば、子どもが自分で修正すると思います。 何人かの意見が出た後、子どもたちの考えを授業者が解釈して授業者の言葉でまとめていきます。これだと、意見を言いたい子どもだけが無責任に発言し、他の子どもは授業者のまとめを待てばいいことになります。集中度が低いと感じた理由は、このあたりにありそうです。友だちの意見に対してどう思うかを問いかけたり、どんな考えが出てきたかを子どもたちにまとめさせたりすることが必要です。 5年生のもう一つの授業は、算数の円周率を求めて利用する場面でした。 円周を計測した結果をもとに、円周率が一定であることを確認するのですが、きちんと自分で計算していない子どもがいます。計測結果と円周率を計算した値を指名して聞いていきますが、授業者が表に答を書き込むとすぐにそれを写す子どもが目立ちました。自分の結果と同じになったかを確認するのですが、あらかじめ円周率は一定であることを知っているのか、写した子どもも「いいです」と挙手します。まず、隣同士で確認させたりすることで、きちんと参加させたいところです。 表を見て思うことを発表させます。3.15を「さんてんじゅうご」と読んだ子どもがいましたが、授業者はスルーしてしまいました。ここは「さんてんじゅうご?」と聞き返して修正させたいところです。誤差がありますので、円周率は一定にはなりません。しかし、「偶数のときに3.15」と直径の値が偶数のときに3.15になっていることに気づいた子どもがいます。子どもから「すげえ」といった反応が出ます。しかし、何が偶数かといったことが明確でないので、すべての子どもが理解したわけではありません。「それってどういうこと」と発表者に聞いたり、反応した子どもに「何がすげえの?」と聞いたりして直径の値が偶数のときに同じ値3.15になっていることを子どもの発言で共有したいところです。 子どもに気づいたことを言わせますが、円周率はどんな円でも一定であることを押さえる必要があります。このことを小学生に演繹的、論理的に説明することはできません。帰納的、感覚的に納得できれば、あとは知識として与えればいいのです。その上で、円周÷直径(=円周率)が一定であることがわかれば、どんなよいことあるのかを考えさせることが必要です。単純に公式として円周=直径×円周率を教えるのではなく、「みんながつくってくれた表を使えば、直径4cmの円の円周はすぐにわかるね」といったやり取りをして、「じゃあ、表にない大きさの円の円周はどうすれば求められる?」「すべての場合を表にできる?」と問いかけたりして、円周率の持つ意味やその使い方を子どもたちに気づかせたいところでした。 ADHDの子どもでしょうか、授業中にずっと足踏みをしている子どもがいました。まわりの子どもが我慢しているのですが、次第に動きが大きくなって、とうとう一人の子どもが「やめて」と強い口調で抗議しました。しかし、それで止めるわけではありません。その場の雰囲気が悪くなってきました。しばらくして、授業者が「足をパタパタしない」と強く何度も注意をして止めさせました。そのやり取りの間に子どもたちの集中力が落ちてしまいました。 こういった子どもにかかりきりでは授業は成り立ちません。とはいえ、ずっと無視しているわけにもいきません。どこまで、放っておくのか難しいところです。大切にしてほしいのは、影響を受けるまわりの子どもたちのことです。「君たちが我慢しているのを知っているよ」「我慢してくれてありがとう」というメッセージを、先生がまわりの子どもたちに与えることが大切になります。また、足踏みが大きくなってきたことは相手をしてほしいという欲求が高まってきたことの表れかもしれません。うまくいくという保証はありませんが、そばに行って、言葉ではなく手でそっと体を押さえて落ち着くように伝えながら授業を続け、もし落ち着いたら声に出してほめる、といったペアレントトレーニングの手法をとるとよいでしょう。 6年生の家庭科の授業は暖房や照明の工夫についての授業でした。 グループで相談した後の発表場面でした。どんな暖房器具があるかを問いかけていきます。中には「床暖房」のように子どもたちがよく知らないものもあります。知っている子どもに説明させるのですが、こたつと間違えていました。知識ですので難しいところです。このあと長所と短所を整理させるのですが、器具そのものを調べさせる時間がないので、この流れであれば軽く流したいところでした。 長所と短所の発表はいろいろな意見が出てきましたが、視点がばらばらで議論を焦点化しづらい状態でした。こういう場合の進め方はいくつかあります。最初にどんなところに注目するか視点を出し合って共有してから考える。途中でいくつか発表させて、出てきた意見から視点を整理して、再度考えさせる。自由に考えたあとで議論させ、最後に子どもたちが考えた視点を別の場面でも活かせるようにまとめて終わる。どのやり方がよいという訳ではありませんが、ある程度経験を積んでいれば、今までの活動を振り返らせて最初に視点を整理することも難しくはないと思います。 6年生のもう一つの授業は、算数の図形の学習のまとめでした。 授業者の視線が子どもたちに向かっていないことが気になりました。子どもたちから意見が出ないことに対して「あれだけ話し合ってこれだけ?」と挑発します。挑発は、考えさせたり、活動させたりするためによく使う手法なのですが、使い方を間違えると子どもたちをネガティブに評価していることになってしまいます。ちょっとした違いなのですが、「きっとまだあるはずだよね。聞かせてほしいな」というような言葉を付け加えるとずいぶん印象が変わると思います。 子どもに意見を発表させるのですが、自分の求める答を導き出そうとしているように感じます。合同な2つの図形を頂点の記号を対応させずに表現した子どもがいましたが、すぐにその子どもに問い返します。そうではなく、他の子どもに聞けば必ず違う答がでてくるはずです。その違いを焦点化することで、合同な図形を表現する時のルールを子どもたちで思い出すことができます。先生が切り返して考えを修正させようとしすぎると、子どもは先生の求める答探しをするようになる危険性があります。このことを意識してほしいと思います。 特別支援学級を2つ見ました。 共通していたのは子どもをほめる言葉が少なかったことです。子どもたちの表情がかたいことが気になりました。正解にいたってなくても、途中までできていれば、そこまでを部分肯定する姿勢が大切です。特別支援教育では、子どもたちが将来社会に出て自立することを考えてコミュニケーション能力をつけることが重要になります。そのためにも、教師が子どもたちと常にポジティブなかかわりを持つことを意識してほしいと思います。 授業研究については、明日の日記で。 小学校での授業アドバイス
ずいぶん遅くなりましたが、先月訪問した小学校での授業アドバイスと授業研究の話です。
学校全体として見ると若手の成長を感じることができました。子どもたちとの関係ができていて、授業規律もよい状態です。この日見た中で子どもたちの状態がとてもよいと感じたのは、2年目の若手2人の授業でした。一方ベテランの中には、叱って授業規律を保とうとしている方もいました。子どもたちが面従腹背しているのが感じられます。子どもたちとの接し方を工夫してほしいと思いました。 若手の1年生の国語の授業は、授業者に余裕が出てきたのを感じました。子どもたちをよく見ています。指示に対して素早く動ける子どもが増えていました。動きの遅い子どもも作業の指示があればすぐに取り組みます。 音読の場面では、子どもたちは一生懸命に取り組んでいましたが、音読のルールを明確にするとよいと思いました。表題や作者名を読む時の声の大きさ、間の空け方、地の文と会話文の区別などを指導するとよいでしょう。 1年生のベテランの先生はよい表情で授業を進めていました。 「何でもいいから思ったことを書いて」という指示のあと、子どもたちはまわりを覗いていました。何を書いていいのかよくわからなかったのでしょう。具体的な指示をしないと子どもたちは「何でもいい」では動くことができません。「どんなことを思った?」と何人かを指名して、具体例を出させるといったことをしてから、書かせるとよいでしょう。 子どもたちに集中させる場面で、ちょっと高圧的に「まだ、声がするんだけど」「鉛筆を置いてください」と声をかけていました。「おしゃべりしないで」「黙って書いて」といった言葉で子どもたちにプレッシャーをかける場面もありました。せっかくよい表情で子どもたちに接しているので、もう少し柔らかい、ポジティブな言葉で声かけをしてほしいところです。 「○○さん、すぐに書き始めている」と固有名詞で行動をほめている場面もありました。これはよいことなのですが、この場面では、「○○を書いているね」と中身をほめることで、まわりの子どもたちにどんなことを書けばよいかを知らせるともっとよかったでしょう。 初任者の2年生の算数は、子どもたちが落ち着いて授業に参加していました。指名して正解であっても必ずあと2人は指名します。子どもたちはそのことを知っているので、落ち着いて友だちの答を聞いています。ただ、毎回挙手させるので、テンポが悪くなってしまいます。最初に指名した後は、挙手に頼らなくてもよいでしょう。意図的に、挙手していなかった子どもを指名することも大切です。 3200は100がいくつかを問います。3人の子どもの答は「32個」「32枚」「32」でした。とてもよい場面ですが、授業者はその違いにこだわりません。それぞれ、100の「束」「お金(?)」「数」としていくつあるかを答えています。その違いを明確にしておきたかったところです。「個」を強調して、「32個!何が?」いうように問い返したいところでした。いきなり100が32ではなく、「3は1000が3ある」「1000は100が10あるから、10が3つで100が30」といった確認も必要だったかもしれません。 言葉の使い方が雑なことが気になりました。「○○が○○、○○が○○であわせて○○」の○○に数を入れるのですが、次の別のことを問う問題では「○○は○○こ、○○は○○こ、あわせて○○」です。子どもたちにはこの違いはよく判りません。もちろん問題そのものの説明も解答も口頭では終わっていて、最後に書き込ませるのですが、前の問題と同じように解答する子どもがかなりいました。子どもの視点で明確に違いがわかるように意識することが大切です。 2年生の他の学級は国語の漢字の練習の場面でした。練習問題が終わった子どもが手持ち無沙汰で遊んでいます。それに気づいて授業者が書き順の練習をするように指示をしました。ところが子どもたちは、やろうとはしません。やっても2、3回で止めてしまいます。追加の活動は子どもたちにとって評価されない活動という意識があるようです。活動が終わった時に、書き順の練習を何回したかを聞くといったことが必要になりそうです。これに限らず、子どもの発言や活動に対する評価が少ないように感じました。子ども同士が認め合う場面もありませんでした。子どもから友だちに対してネガティブな言葉が発せられていたのも気になりました。また、授業者が板書中に子どもたちの集中力が明らかに落ちていました。教師が子どもたちを見る、認める、子ども同士が認めあうことを意識することが必要です。 3年生の調べ学習の発表の場面です。 発表者の声が小さいことに対して「大きくないと聞こえない」と注意をします。こういう指摘の仕方では、子どもはプレッシャーを感じます。また、このように教師目線で注意をすると、聞き手ではなく教師を意識して話すようになります。こういった場面では、「後ろの人、聞こえる?」と確認した上で、「聞こえないようだから、大きい声をだそう」とすることで、聞き手を意識するようになり、また気持ちも前向きになりやすくなります。 発表が終わったあと形式的に拍手しますが、発表者の表情はうれしそうではありません。発表することに対して前向きにするためには、ポジティブな評価が必要です。発表を評価する観点を明確にして、できるだけ即時に評価することが大切です。ここで、「声『は』大きかった」という授業者の評価ありました。確かに即時の評価ですが、この言い方では他は悪かったと言わんばかりです。足りないことを指摘されていることになってしまいます。子ども同士でよかったことを評価させたいところです。出てこなければ、「声の大きさどうだった?先生は、大きくてよかったと思ったんだけど、どう?」と子どもに振ってもよいでしょう。 発表の場面では、発表の目的、目標と評価の基準を意識して、子どもたちを前向きにさせたいものです。 3年生の初任者の授業は算数の授業でした。 以前にアドバイスしたことを意識してくれていることがわかる授業でした。板書をして説明する場面で、子どもたちは写さずに聞いています。指示がなければ写さないことが授業規律となっています。板書を写すタイミングをコントロールできていました。他の場面でも、こういった授業規律が意識されているのを感じました。子ども同士で、相手のよいところを言わせるということもできています。着実に進歩していることを感じました。 「しかたを説明する」場面がありました。手順そのものではなく、その手順でよい理由を問う必要があります。手順と理由の関係を意識して問いかけ、きちんと理由を説明できるようになることを目指してほしいと思いました。 4年生は理科の金属の熱の伝わり方の実験でした。 子どもがきちんと集中できていないのに、説明が進んでいきます。子どもたちは、集中していなくても注意されないことを知っているようです。子どもたちは授業者がこういった場面で集中を求めていないと思っているようでした。 実験の説明をしてすぐに子どもたちを動かします。しかし、何のための実験か、その目的が明確になっていません。子どもたちにとってこの実験をする必然性がないのです。極端に言えば実験の結果は参加しなくてもわかるから、意欲的に取り組まないのです。「ろうを指示された順番に溶けるようにするためにはアルコールランプをどこにおけばいいだろうか?」といった課題の工夫が必要でしょう。 実験の方法や注意事項についてもきちんと確認をしませんでした。板書にも残っていません。火を使う実験なので、くどいくらいの確認でもよいと思います。また、子どもたちの実験中に板書をしていたのも気になります。実験中はできるだけ子どもたちから目を離さないようにする必要があります。板書するにしても、子どもたちに対する注意を怠らないようにしてほしいと思いました。 この続きは、明日の日記で。 愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その3)
「愛される学校づくりフォーラム 2015 in大阪(午後の部)(その2)」の続きです。
フォーラムの最後は、模擬授業の授業者と玉置先生と私の4人がパネラーになって、石川先生の司会で午後の授業検討の振り返りと授業改善についてのまとめを行いました。 「3+1授業検討法」については、玉置先生から道徳の授業にもかかわらず道徳に関することが発表されなかったことが指摘されました。「3+1」の3(よいところ、参考になる所)の中に必ず1つ入れるようにというルールを設けたらよいのではないかという提案もされました。会場からは、これに関連して教科に関することは1(疑問点、改善点)の中に出てくるのではないかという意見が出てきました。授業検討としては疑問点や改善点こそ増やすべきではないかと考えられたのかもしれません。なるほどと思います。私の経験では、グループでの検討はそのメンバーが関心を持っているところが話題になります。今回の授業で言えば、授業者の山田先生の範読や子ども役との受け、返しといった授業技術が見事だったのでどうしてもそこに魅かれた話し合いになったのだと思います。これは、山田先生が日ごろから意図的にこういった授業技術をわかりやすい形で見せて、先生方に学んでもらおうとしていることと無関係ではないでしょう。 また、学校でその時課題となっていることが異なれば、検討会の内容も変わっていきます。例えば、学習規律が課題であった学校では、最初の内は授業規律についての話題が多く出ました。しかし、学校内の授業規律が確立してくると、授業規律はしっかりできていることの確認で終わり、教科内容が話題の中心となるようになりました。ある意味、この検討法は先生方の今を映し出すものでもあります。 検討会におけるルールの追加は、学校の状況に応じて自由に考えればいいものだと思います。学校の研究テーマや授業者がこだわったことにかかわることを必ず1つは入れるといったようにすればいいのです。グループも異質なメンバーで構成した方よいでしょう。年齢、学年、教科を変えることで、いろいろな視点での気づきが語られることになります。異なった視点に触れることが学びを深めることになるのです。 ICTを活用した「授業検討ツール」での授業検討については、いきなり玉置先生が「司会が悪い」と強烈な一言を浴びせました。あとで参加者に聞いたところ、これにはびっくりしたそうです。公開研究会ですから、普段の研究会と同じように率直なところを述べたのです。反論を期待してのことなのですが、指摘された石川先生はこのディスカッションの司会者でもあったので、特に反論されませんでした。石川先生としては、このツールを使った授業検討法を理解してもらいたいという思いも強かったので、どうしても解説的になってしまったのでしょう。会場からは、「いいね」「疑問」の両方のボタンがたくさん押されていた場面を再生して検討すべきだったという意見が出てきました。その通りだと思います。おそらく、その場面を再生して議論することで「授業検討ツール」のよさも実感できたはずです。 授業検討において話題となる授業場面を即再生できることのメリットは大きなものがあります。それを手軽に実現させたことは大きな評価をいただけたと思います。また、授業者は、ボタンの押された場面を確認して授業を見なおすことで、より深い振り返りをすることができます。このことを授業者の小西先生はフォーラム終了後に実感されたようです。また、昨年も参加された方から、ボタンの押された回数の表示を数字からグラフすることでとても見やすく使いやすいものになったと評価いただけました。 私以外の登壇者はみな校長です。学校長として先生方の授業改善にどのように取り組んでいるか話題になりました。授業研究を充実させているのは共通していますが、そのほかにも若手を中心として先生方の授業を見てのアドバイスを日常的に行っているそうです。ホームページを使って授業の学ぶべき点を共有したり、授業風景の写真をもとに具体的に個別アドバイスをされたりするようです。授業検討ツールは、簡単にねらった場面を再生できるので、個別の授業アドバイスにも役立つ可能性がありそうです。 こういった授業を見ることに関連して、玉置先生から実際に私がどのようにして授業を見ているかという質問がありました。壇上で、日ごろ私が、どこから何を見ているのかを実演させていただきました。1時間じっくり見る時は別ですが、ほとんどの場合、廊下から見せていただきます。前の扉の窓から教室を覗くと子どもたちの反応や様子がよくわかります。授業は授業者ではなく子どもの姿にその本質が現れると思っています。授業者を特に見なくても、子どもたちの様子から授業で何が起こっているのかがわかります。子どもたちの様子がばらばらであれば、授業者が子どもたちどうなってほしいのかが明確になっていないことの現れです。そういう時は、位置を変えて授業者の様子を見るようにしています。 日々の学校の授業改善につながるまとめの話し合いができたと思います。 あっという間にフォーラムの終了時間となっていました。今回のコンセプト、「研究会を公開する」が参加者の皆さんにどのように受け止められるか不安な面もありました。自画自賛になりますが、私たち研究会員から見ても、学ぶべきことが多いとても楽しいフォーラムになったと思います。帰り際の参加者の方々の満足そうな表情をとてもうれしく思いました。 最後になりましたが、(株)EDUCOM様には、会場の準備から当日の運営まですべてにわたって多大な協力をいただきました。私たち登壇者が自分の役割だけに集中できるのも、陰で支えてくださるEDUCOMの皆さんのおかげです。心より感謝いたします。ありがとうございました。 |
|