子どもの関係がよいからこそ、考えを深めたい
前回の日記の続きです。
4年生の授業は社会科の愛知県についての学習で、住みたいところランキングを行う場面でした。授業者は明るいキャラクターで、楽しい雰囲気で授業を進めていきます。 黒板に愛知県の白地図を貼って、前時までにどんなことを学習したか子どもたちに問いかけます。初めのうちはあまり手が挙がりませんが、「知多半島」といった単語だけでの答も受容するので、最後はほぼ全員の手が挙がりました。最後まで手の挙がらなかった子どももいましたが、授業者に確認したところ、発表するのが苦手な子どものようです。こういった子どもの活躍の場面をどう確保するかも意識したいところです。 思い出すことが目的なので、時間を使いたくないのはわかるのですが、「交通」といった発言に対して、「それってどういうこと?」「交通って何?」といった切り返しも必要でしょう。 教科書やノートで確認しようとしている子どもに対して、「カンニングなし」と制しました。しかし、思い出せない時にはノートを確認するのは悪いことではありません。過去の学習とつなげることは大切なことです。ここは、「いいね」とほめて、他の子どもにも広げたいところでした。 ワークシートを使って、これまで学習した4つの地域から住みたいところの1位と2位決めて、その理由を書きだします。ワークシートの説明が不足していたので、作業を止めて注目させてから補足しました。作業を続けている状態で指示をしないことは大切ですが、これは意外とできないものです。若い先生ですが基本ができています。 机間指導しながら、子どもたちをよくほめます。明るいキャラクターと相まって、学級の雰囲気をよくすることにつながっています。 グループで友だちの考えを聞き合う場面では、子どもたちは素早くグループをつくります。グループ活動に積極的です。友だちの発表を、賛成○、反対×、ちょっと疑問△の記号で評価するのですが、淡々と進んでいきます。ほとんどの子どもは○しかつけません。ある意味これは当然です。個人の嗜好ですから、基本納得するしかありません。これに対して疑問や反対を言うようであれば、人間関係が悪くなります。子どもたちはただ発表するだけで、聞き合う意味はあまりありませんでした。 全体での発表場面は、発表者にきちんと視線が集まります。人間関係のよさを感じます。子どもの発表する選んだ理由を、あらかじめ用意したカードの中から貼ります。こういうことが続くと、子どもたちは教師のねらいを読もうとします。用意したものと違う理由を言ってくれたことを「予想していなかった」と評価していましたが、このことを子どもたちがポジティブにとらえたかどうかは、よくわかりませんでした。「都会だから」といった簡単な言葉でもそれ以上は問いかけません。拍手をして終わります。発表することが目的となっています。「それってどういうことかもう少し聞かせて?」と詳しく聞きたいところでした。発表することで深まる場面がありませんでした。 発表を聞いている子どもたちの役割がありません。発表が続くうちに子どもたちの視線が下がっていきました。住みたいというのは個人的なことですから、「そうなんだ」としか反応できないからです。友だちの発表を聞いて、ランキングを再度付け直すのですが、あまり意味のある活動とは思えませんでした。 最後に、子どもたち一人ひとりに磁石を持たせ、ランキング1位にした地域の地図の上に置かせます。思った以上に偏りがありました。実際の人口分布と比較しながらまとめるつもりだったようですが、時間が足りないために次の時間に残しました。 実際の人口分布と比較するのであれば、自分が住みたいところではなく、世代ごとに住みたい地域とするとよいと思います。子育て世代であれば、「職場と少し離れていて、交通の便がよいところ」に住む、お年寄りであれば、「気候のよいところ」「便利な都会」といった根拠に基づいて話し合えます。最後に、実際の地域ごとの世代別人口と比べることで、自分たちの考えを検証することができます。 「自分が住みたいところ」という課題を活かすのであれば、単元の最初の課題として、自分たちで資料を調べさせてもよいでしょう。調べることに必然性がでてきます。子どもたちが調べたことの視点を整理したあとで、最後に世代別に住みたいところとしてまとめにつなげるとすっきりすると思います。 この学級も子どもたちの関係がよく、発表で失敗しても笑い飛ばせていました。くどいですが、だからこそ子どもの発言を受容するだけでなく、切り返し、つなげることで考えを深めることを目指す必要があります。そのためにも、より深い教材研究が求められるのです。 最後の授業と全体へのお話しは、明日の日記で。 人間関係のよい学級
昨日の日記の続きです。
5年生の国語は、係になって連絡をメモと口頭の説明をもとに書いて伝えるというものでした。 教師と子どもたち、子ども同士の関係のよさを随所に感じる授業でした。指示に対して素早く動いた子どもを固有名詞でほめます。教室全体の雰囲気のよさが印象に残ります。 学級の半分ずつを集めてメモを渡し、口頭で補足説明をします。それぞれ違う内容で、情報を知らない相手に伝達するという設定です(実は同じ内容だったのですが)。 伝えるのにどういう方法があるかを子ども同士で相談させたあと発表させます。「会話」「動作」といった子どもたちの発言を素早く認めていきます。「紙に書いて」という発言に対して「ああ」という声が上がります。こういった反応が出ることはよいことです。その言葉の意味するところを聞いてみたいところでした。今日は書いて伝えることを説明しますが、なぜ書くことなのかがはっきりしません。書いて伝えることのよさをわかるためにも、条件やゴールが必要になります。素早く伝える、確実に伝える、全員に伝えるといった条件によっても、選ぶべき方法は変わります。余談ですが、LINEは先ほどの条件をほぼすべて(参加している者という限定がある)を満たしています。中高校生が伝言手段としてLINEを使う理由がよくわかります。 伝えるということは、誰に対していうことがとても大切です。ワークシートの記入欄は黒板の絵になっています。教室の黒板で学級の全員に伝えることを意識しています。しかし、そのことを子どもたちに確認はしませんでした。誰に伝えるのかをはっきりとさせておいた方がよかったでしょう。 子どもたちは、いろいろと工夫をしています。机間指導をしながら、「○で囲んでいるね」というようによいところをまわりの子どもに聞こえるようにほめています。オープンカンニングです。ただ、ちょっと多すぎるように思いました。次々と聞こえてくるので、集中を乱す可能性があります。 書き終ると、ペアで相手のよいところを見つけて交互に伝え合います。「いいところしりとり」というようです。意見が言えなく時は2回までパスができます。続かなくなったら終わりです。終わったあと、出てきた意見をワークシートにまとめます。子どもたちはとてもよい表情を見せてくれます。よいところをたくさん見つけさせるにはよい方法だと思いました。 よいところを言い合うのはよいのですが、「大切なところがすぐにわかる」といったその理由を明確にする場面がほしいように思います。こういったことを意識することが、他の場面でもその工夫を活かせるという再現性につながります。 全体での発表は、たくさん言い合っているので次々手が挙がります。時々授業者が子どもの言葉を言い換えているのが気になります。「いつまで」を「期限」、「短くまとまっている」を「省略」という具合です。こういう言葉を使うことはとてもよいことですが、「短い言葉で言えない?」「熟語で言うと?」と言った問いかけをして子どもに言わせたいところです。もし、今まで学習していない言葉であれば、「このことを○○と言います」と明確に知識として示すとよいでしょう。 子どもの意見を板書していきますが、その意見をもとにつなぐことはしません。つながないのであれば。子どもの発言意欲を削がないためにも、どんどん指名していった方がよいように思います。出尽くしたところで、「いろいろの意見が出てきたね、まとめようか」と子どもたちまとめさせます。この場面であれば、子どもたちに言わせて板書すればいいでしょう。その時、「似たような工夫はどんなものがあった?」というようにつなげて、「これらの工夫をするとどんなよいことがある?」というようにして、ラベルをつけてまとめていくとよいでしょう。このような進め方をすると、これまでの意見のうちあまり意味のないものをそぎ落とすこともできます。 書くことのよさを考えますが、最初に出てきた他の伝え方と比較するとよかったでしょう。以前の手紙の学習で「○○さんが言ってくれたこと覚えている?」とつなぐことしました。固有名詞で取り上げることはとてもよいことです。よくあることですが、本人はよく覚えていません。友だちが言ってくれて思い出しました。自分が忘れていることを友だちが覚えていたのでとてもうれしそうでした。ノートを見ている子どもに対して「前のノートを見るのもいいね」とほめて広げます。 子ども同士相談させたあと、話し合ったことを発表させます。ほとんどの子どもが挙手します。逆に挙手していない子どもが気になりました。理由はわかりませんが、もし発言できそうな子どもであれば指名して発表させたいところです。挙手を求めずに何人か発表させた後、「○○さんはどんなことを聞きあった?」と指名してもよいでしょう。 最後のまとめとして教科書の解説を読みます。「みんなが見つけたことが教科書にも書いてあるね。教科書に書いていないことも自分たちで見つけられたね。すごい!」と自分たちで考え見つけることを評価することが大切です。教科書が正解と思うと、教科書に書いてある答探しをするようになります。このことに注意をする必要があります。 つまずいたり間違えたりすると次の人に交代する「リレー読み」で教科書を読ませました。緊張するのか、意外と間違えてしまいます。失敗しても互いに笑い飛ばしているのが印象的でした。間違えてもばかにされない、安心な学級をつくることが大切ですが、もっと素晴らしいのが、間違えても笑い飛ばせる学級です。子どもたちの関係がよい、とても素晴らしい学級でした。 「相手にわかるような書き方の工夫」と「書いて伝えることのよさ」と2つのねらいがある授業でした、2つあるために活動がとねらいがうまくかみ合っていないように思いました。「相手にわかるような書き方」であれば、どんなことが大切かを出し合い、そのことを意識して書かせることで、より工夫が明確になったと思います。「書いて伝えることのよさ」を意識するのであれば、話すことなどの他の方法も実際にやってみて、その違いを明確にして考えることが必要です。ちょっと欲張りすぎたようです。 よい行動を広げるという発想が徹底していました。机間指導での声かけも多く、子どもたちは認められているという気持ちになります。子どもたちのつぶやきもよく拾いますが、そのため子どもが挙手せずに発言することも多いように感じました。どんな言葉も同じように拾うのではなく、「授業で活かせる言葉は全体に対して再度発言させる」「個別の問題であればあとで対応する」「授業に関係のないものであればそっと制して取り上げない」といった区別が必要です。 学級づくり、授業規律はきちんとできているので、授業の中身が勝負です。目標と評価を明確にして、目標を達成するためには何が必要か、どのような活動をさせるとよいかを意識して教材研究をしてほしいと思います。力のある方なので、今後の成長が大いに期待できそうです。 この続きは、次回の日記で。 子どもたちと教師の関係がよいからこその課題
小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度2回目の訪問でした。4人の先生に授業アドバイスを行いました。
2年生の授業は生活科で、子ども郵便局の仕事を振り返り、レベルアップの作戦を考える場面でした。 子どもと先生の関係のよさが目を引きます。子どもの表情がとてもよく、先生をしっかりと見ていました。子ども郵便局でどんな仕事があったか子どもたちに問いかけます。子どもの発表に対して、その仕事をしている場面の写真を黒板に貼ります。子どもたちは自分たちが写っているのでテンションが上がりますが、授業者が子どもたちの注意を引くとすぐに落ち着きます。しっかりとコントロールできています。ここで注意してほしいことがあります。写真をあらかじめ準備しているということは、教師が答を予定しているということです。子どもたちが先生の求める答探しをする可能性があります。「みんなから出てくるものを予想して準備したよ。先生の予想が当たるかな?」と予想する立場を逆に教師にするといった工夫が必要になります。授業者は子どもの発言をしっかりと受け止めますが、すべて自分で受け止めます。「同じ意見の人?」などと、子ども同士をつなぐことを意識してほしいと思います。 この日の課題は、「ゆうびんきょくレベルアップ作戦会議をしよう」です。レベルアップと言う時に、指を頭の横に鬼の角のように出して上下に動かします。この日は節分が近いこともあり、子どもたちが「鬼だ!」と反応します。子どもの気持ちを引き付けるのがとても上手ですが、このノリに一部の子どもがついていけていません。こういった子どもに注意を払うことも忘れないでほしいと思います。 この課題は、会議をすることが目標になっています。授業者はどんな「いいことあった?」「困ったことあった?」問いかけますが、このこととレベルアップの関係ははっきりしません。子どもたちは単に、「いいこと」「困ったこと」を言えばいいと思ってしまいました。レベルアップ作戦会議をして「改善点を見つける」といった課題にして、どうすればレベルアップするのかを考えることを目標にし、そのためにまず「いいこと」「困ったこと」を書き出そうとゴールへの道筋を意識させるとよかったと思います。 活動の目標は、1つの仕事に1枚はカードを書こうです。最初の場面で発表させた仕事を意識しているのですが、黒板に残っているのは写真だけです。その写真が何の場面かは書かれていません。写真を見ている子どもはいませんでした。これまでの活動で毎回子どもたちが書いた日記を手元に置いて考えさせます。考えるための手がかかりを持たせるのはよいことです。この日記にはたくさんのアンダーラインと花丸がついていました。これを見るだけで、子どもたちはやる気が出てくることでしょう。しかし、どのようにして使うのかは具体的に示していません。鉛筆を持ったものの手が動かない子どもの姿が目につきます。 授業者は、机間指導で個別に日記のここのことを書こうといった指示に追われています。個に深くかかわりすぎて、全体が見えなくなっていました。質問しようと手を挙げている子どもに気がつきません。なかなか先生が気づいてくれないのでその子どもは手をおろしてしまいました。仕事と日記をどうつなげて書くとよいのかを全体で共有してから活動に入るべきでした。 何枚か書いて、手が止まっている子どもがいます。仕事がどれだけあったかが明確になっていないので、1つの仕事に1枚という目標が曖昧になっていたのです。 全体での発表では、子どもは先生に聞いてもらおうとします。子ども同士をつなぐことが少ないからです。子どもが「来てくれない人がいる」と困ったことを発表すると「来てほしいんだね」と教師が足してしまいます。こういったところを子どもに言わせるようにしてほしいと思います。子どもの発言の一部分だけを取り上げることもありました。教師にとって都合のいいところだけを選んでいるのです。呼び込みの仕事に関する意見が出た時に、このことについて書いた子どもを立たせてつなぎました。よい対応です。しかし、聞いている子どもとつなぐことがありません。また、発言の評価がないことも気になります。困ったことだけでなく、こうしたらいいという改善についても意見を言う子どももいます。「困ったことだけでなく、どうしたらいいかも言ってくれたね。レベルアップにつながるね」というように、この日のねらいとつなげて評価するのです。レベルアップのためには「よいところを増やす」「困ったことを減らす」という視点があることを子どもたちに意識させたいところです。 同じような意見のカードを黒板に貼りに行かせます。子ども同士をつないでいるのですが、小さすぎて内容は見えません。せっかく書いたことが評価されないのが残念です。発表した子ども以外は、カードを書いたことに対して達成感を味わうことができません。同じようなことを書いてなければ貼ることもできません。次第に集中力を失くす子どもが目立ってきました。また、カードを貼る時に、「これ貼っていい?」と先生に聞きに来る子どもが何人もいます。出番がなく先生とかかわりたいのでしょう、明らかに関係ないと思われるものまで聞きに来ます。 発言内容の適否の判断は常に授業者です。結論は、授業者と発言者のやり取りだけで導かれます。他の子どもの出番はありません。聞いている子どもの集中力はどうしても下がっていくのです。「○○さんの意見、なるほどと思った人?」というように、聞いている子どもたちに判断を求めることも必要です。 これまでと違う仕事についての意見を求めると、異常にテンションが上がりました。今までの仕事に関しては発言することがなくなって集中力が落ちていたのが、別の仕事になって発言のチャンスが巡ってきたからです。発言したい、先生に認められたいという気持ちがとても強いのです。このこと自体は決して悪いことではないのですが、テンションの高さは気になります。理由の一つに、授業者の物わかりがよすぎることが挙げられます。「言葉が足りなくても、先生が補足してくれる」「考えを整理できなくても、こういうことだねとまとめてくれる」「発表すれば受容して正解にしてくれる」ので、ちょっと言葉は悪いですが無責任に発言をするのです。子どもの発言に対して、授業者が補足や説明をその何倍もしています。子どもの足りない言葉に対して、「それってどういうこと?」、「○○さんにもう少し聞きたいことある?」というように切り返すことも必要です。こういったことが、発言内容に責任を持たせ、子どもの言葉で授業をつくることにつながっていくのです。 結局、どうすればレベルアップするかについては整理されないままこの時間は終わってしまいました。カードを書かせることよりも、それをもとにグループで「いいこと」「困ったこと」を出し合い、「よいことを増やす」「困ったことを減らす」という視点を与えて、レベルアップ作戦としてまとめるといった活動に時間をかけた方がよかったように思います。グループ活動がカードを書いたことの評価場面にもなります。 授業者と子どもの関係がよいからこそ、子ども同士のかかわり合いをどう増やすかを考える必要があります。子どもたちが意欲的だからこそ、活動の目標や評価を明確にして、そこにたどり着くための手段を子どもたちに与えることが必要です。授業の基本ができてきているからこそ、次のレベルに挑戦してほしいと思います。 この続きは、明日の日記で。 活動と目標や思考の関係を考える
昨日の日記の続きです。
5年生の国語の授業は、インターネットについての説明文で学んだことを活かして、自分の考えを書く場面でした。 前時の復習で、インターネットのメリット、デメリットを子どもたちに問いかけますが、挙手は数人です。しかし、子どもたちはノートを開いて確認しようとします。答えようという意欲を感じます。しかし、授業者はその動きが広がってきたところで、挙手した子どもを指名しました。時間が気になる所だとは思いますが、子どもたちの意欲を認めたいところでした。「見つかった?」と声をかける、隣同士で確認させるといったことをするとよかったと思います。もちろん、最初に手を挙げた子どもに対しても、「○○さんすぐに手を挙げてくれたね。聞かせてくれる」と認める場面をつくることも必要です。 子どもの発表の内容の適否を教師が判断していました。子どもがノートを調べていたので、「○○さん、それでいい?」と子どもに判断させたいところです。 与えられた2つのテーマから1つを選んで自分の考えを150字程度で書かせますが、その目標や評価基準がはっきりしません。子どもたちにわかる形で明確になっていないのです。授業者は読みやすく書けることを意識しているようでしたが、グループでの発表は口頭です。これでは、書くことの評価ははっきりしません。観点を決めて互いに回し読みをして、よいところに線を引いたり、コメントを書いたりするといった活動が必要になります。 伝えることを意識するのであれば、どのように話すのかを意識しなければなりません。しかし、子どもたちはただ書いたものを読んでいます。伝えるということも目標として意識されていませんでした。 書くということを大切にするのであれば、この説明文で筆者がどのような構成で書いていたかを確認し、それをもとに書くといった活動にするとよかったでしょう。構成を意識することで、わかりやすい文をつくることができますし、説明文を読み取る力もつくはずです。 伝わる話し方という視点を大切にするのであれば、相手に伝える時にどのようなことを意識すればよいかを過去の経験から整理しておく、逆にグループでの発表でよかったところを全体で共有するといった活動をするとよいでしょう。 グループの意見をまとめるのですが、グループで1つにまとめるのではなく、一人ひとりが自分の考えでグループの意見をまとめることを課題としていました。このやり方はとてもよいと思います。無理やりグループでまとめてしまうことはよくありません。強い子どもの意見が通ってしまうからです。ただ、まとめたことの評価をどうするかが難しいところです。きちんと伝えるための工夫、伝わったかどうかを評価したいところですが、全員に発表させるのは難しいからです。少々時間はかかりますが、各グループから1名ずつ集めて発表の場をつくるという方法があります。それぞれが自分のグループのまとめを発表して、評価の場とするのです。 ここで紹介した活動をすべて行うことは時間的に不可能です。授業の目標や評価に合わせて、どのような活動をするべきかが決定されます。授業の目的や目標が明確になっている必要があるということです。 子どもたちに発表させますが、その内容を板書しません。子どもたちは、発表を聞きながら手を動かしています。自分で聞いて、必要なことを書いたり自分のまとめと同じところに線を引いたりしているのです。とてもよい姿でした。 発表者と他の子どもがかかわる場面が少なかったことが残念でした。同じようなことを話したグループをつないだりして、子ども同士をつなぐことを意識してほしいと思います。全体追究の場では、発言できる子どもが中心となって進んでいきますが、どの子どもにも発表の機会をつくることや子ども同士をつなぐことが次の課題でしょう。 4年生の国語の授業は、漢字の訓をもとに熟語の意味を考えるものでした。 子どもたちの姿勢はよいのですが、公開授業だったのでやや緊張気味です。気になったのが、背筋は伸びていても、視線が上がっていない子どもがいることでした。一人ひとりと視線を合わせることを意識してほしいと思います。 いくつかの熟語を与えて読みを予想させます。「考えて」という言葉を使いますが、考えるための材料を子どもが持っていないことが問題です。漢字の音、訓を与えていればまだしも、何もなければ知識のある子どもしか答えられません。漢字練習で学習したものだということですが、それならば、練習帳を調べるといったことをした方がよかったでしょう。熟語の読み方は、音読みが基本であることや、重箱読みや湯桶読みといった変則があることを知識として与えてそれを活用する場面にしてもよかったかもしれません。 知識を問う場面で「考えて」と言ってしまうと、子どもたちは知識を覚えること、覚えたことを思いだすことを考えることだと思ってしまいます。根拠を意識した活動と知識を問う活動を区別することが大切です。また、知識を問う場面で時間をかけることにあまり意味はありません。知らなければ答は出せないので、できていないからといって時間を延長したりするのはムダなことです。 熟語の意味を訓から考えることは、その漢字の訓を知らなければ何ともなりません。漢和辞典を引けば読み方はわかりますが、その意味もわかってしまいます。訓から予測する意味はあまりありません。国語辞典を引くことも同様です。この課題では、知らない漢字を使った熟語の場合、意味のある活動ができないのです。したがって扱う漢字は既習のものする必要があります。訓と漢字の意味の関係(もともと中国の表意文字である漢字の意味を日本の言葉に置き換えて読んだ)を押さえた上で、既習の漢字でつくられた熟語の訓を確認して、意味を考えさせるといった活動にするとよいでしょう。 似た意味を持つ漢字、反対の意味を持つ漢字、上の漢字が下の漢字を修飾するといった組み合わせの熟語を穴埋めでつくる課題を与えましたが、その前に、既習の熟語たくさん集めて分類する作業を子どもたちにさせた方がよかったと思います。教師から一方的に成り立ちの情報を示されて穴埋めを考えても、基本的にその熟語を知らないと何ともなりません。 似た漢字でつくる熟語で「○画」とい問題がありました。正解は「絵画」ですが、画の訓「えがく」は押さえていません。また、絵画の場合、訓の動詞ではなく画いた物という名詞で使われていますから、訓から考えるというこの授業のねらいともずれています。漢字の意味から考えるのであれば、訓をたよりに漢字の意味を考えるというステップを明確にして、「漢字の意味をたよりに熟語の意味を考える」という課題にすべきだったでしょう。 逆の発想で、新しい熟語を自分たちでつくるといった活動が面白かったかもしれません。 子どもがわかる瞬間、できるようなるための手段を意識した活動にしないと、単に知識を問うだけ、答を探す、調べるといった活動になってしまいます。授業の構成には、論理の流れ、思考の流れが大切です。教材研究が欠かせないのです。 全体の場では、教師と子どもの関係ができてきたので、授業の中で子どもたちをつなぐことを意識してほしいことを具体例と共にお話ししました。素直な先生方ですので、次の機会には進歩した姿を見せてくださると思います。 受容だけではテンションが上がる
小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度2回目の訪問でした。3人の先生の授業を見せていただきました。
1年生の授業は算数の数の大小の応用の問題でした。 子どもたちの授業規律は悪くないのですが、授業者がしゃべる時間が長いと子どもたちの視線が下がることが気になります。子どもたちの発表の場面では逆にテンションが上がりすぎます。授業者が子どもたちをしっかりと受容しているので、子どもたちの発言意欲が高いのです。ただ、これだけテンションが上がるのには理由があるはずです。どうやらそれは、子どもの発言が不十分でも授業者が修正して認めてしまうことにあるようでした。例えば、数の大小の理由を「4と5を比べた」と子どもが説明すると、「いいね、10の位を比べたんだね」とすぐに修正して認めます。通常子どもは、自分の言葉を勝手に変えられると認められたように思わないのですが、授業者がしっかりと受容するので気にならないようです。とにかく発言すれば認めてもらえるのでどんどん発言しようとするのです。この場合であれば、「4と5を比べたって、どういうこと?」と問い返し、本人に言葉を足させる必要があります。発言しっぱなしにさせずに、適度なストレスをかけるのです。こうすることで、テンションは下がるはずです。 子どもの発言を認めますが、結局説明は教師がしています。しゃべる時間が長いのです。子どもたちは先生の説明の間は活躍する場面がないことを知っているので、受け身が続くと集中力を失くし視線が下がるのです。 授業者は上がったテンションをすぐに下げることもできるの、騒がしくて収拾がつかなくなるということはありません。子どもの発言を「それってどういうこと?」と聞き返す、「今の意見になるほどと思った人?」とつなぐようにすると、子どもたちの様子は変わると思います。 お店の商品を50円で買えるかどうかが課題です。「買える」「買えない」の理由を問うのですが、どのレベルを求めるのかが問題です。「○○は50より大きい」「小さい」、「50が○○より大きい」「小さい」という答でよしとしています。ここは、もう少し深める必要があります。「商品の値段より持っているお金が大きいか同じでないと買えない」ことを押さえる必要があります。「買える」「買えない」といった生活に即した問題を算数の抽象の世界につなげる過程を大切にすることで応用力をつけるのです。では、どのようにすればよいのでしょうか。よく使われるのが「何?」で聞くことです。「○○って何?」「△△の値段」「50って何?」「持っているお金」「△△の値段と持っているお金がどうなの?」「△△の値段より持っているお金が大きい」「△△の値段より持っているお金が大きければ買えるんだ」「同じだったら?」「同じでも買える」「△△の値段より持っているお金が?」「大きいか同じだったら買える」といったやり取りを発言者や他の子どもたちとするのです。 うっかり数の大小を間違った子どもがいました。他の子どもに確認し、「間違っちゃったね」と指摘しました。その後、間違ってもいいんだよということを繰り返してフォローしましたが、その子どもは席につくと伏せってしまいました。発言すれば絶対認めてもらえる予定だったのにその逆の結果になったからです。授業者はフォローしたつもりだったのですが、「間違った」という言葉を何回も使ったので、逆に強調したことになってしまいました。「間違い」はそのことを指摘するのではなく、自分で気づかせ修正させることが基本です。例えば、「48は50より大きい」と間違えたのなら「48は50より、お、お、き、いんだ」とちょっとゆっくり繰り返せば、本人が気づいて修正すると思います。修正したら「ああ、小さいんだね」と笑顔で返してあげれば、本人は失敗したと思いません。ちょっとしたことですが、大切にしてほしいことです。この後、隣の席の子どもが、何度も声をかけていたことが印象的でした。声をかけられても、なかなか反応できませんでしたが、こういう声かけをしてくれる子どもがいるのはとてもよいことです。机間指導の時などに、「声をかけてくれてありがとう」と伝えておくとよいでしょう。 授業者には、次のステップとして、自分ですべて説明しようとせずに子どもの言葉を活かすこと、子どもに返す、子ども同士をつなぐことを意識してほしいことをお願いしました。素直な方なので、きっと大きく成長してくれると思います。 この続きは明日の日記で。 総合的な学習の時間について考える
中学校の学校公開日で、授業を参観してきました。
子どもたちは落ち着いているのですが、若手の授業で集中力が感じられません。顔を上げているのですが、視線が先生に向かっていません。授業者も全体を見てはいるのですが、子どもたち一人ひとりに視線を送っていません。形だけの授業規律に終わっています。 子ども同士の関係はよいので、グループにすればかかわり合うこともできるのですが、理解したい、解決したいというエネルギーを感じません。取り敢えず相談しているという印象をぬぐえませんでした。 1、2年生の総合的な学習の時間の発表がありました。 1年生は、職業について自分たちが調べたことを学級全体に対してグループごとに発表します。子どもたちは、取り敢えず前を向いているのですが、友だちの発表を理解しようという感じではありません。ここでも視線が上がらない子どもが目立つのです。発表者も用意した原稿を読んでいるだけなので、顔が上がりません。この発表会の目的や目標が子どもたちに意識されていないことが気になりました。 発表者は、誰に何を伝えるのかを明確に意識しなければいけません。同じように活動した学級の仲間なのか、この日来られた参観者の方なのかがよくわかりません。また、発表は原稿を読むことではありません。例え原稿を見ながらでも、口を開く時は聞き手と目を合わせることが大切です。こういった指導がされていませんでした。対象が参観者であっても、そこにいる子どもたちが聞く意味がなければ、ただ何も考えずに座っているだけになります。自分たちがそこに存在する意味を明確にすることが大切です。 仲間に伝えるのであれば、仲間が知らなかった情報を提供する、自分たちと一緒に考えてもらうといった目標が必要です。聞き手もそのことを意識することで、仲間の発表を評価できます。参観者を対象とするのであれば、発表者以外の子どもたちの役割が不明確です。こういう場合は、参観者の立場で聞き合う発表練習を事前に行い、互いの発表をブラッシュアップするとよいでしょう。どうすればよくなるかを伝え合って、本番までに発表をバージョンアップするのです。本番では、自分たちが意見を言ったので、発表がどのように変わったかが気になるはずです。よくなったことを見つけるという目標が生まれます。 2年生は、職場体験をもとに、「なんのために働くのか」というテーマで、学級の代表者によるパネルディスカッションを子どもの司会で行いました。お世話になった職場の方もお呼びして最後にコメントをいただくというものです。 子どもたちは自分の考えを発表します。中学生らしい意見が発表されます。発表後、相手の意見に対して質問をしていきます。上げ足の取り合いに見えるものもあります。わからないことを質問するのはよいのですが、ディスカッションはディベートではないので相手の考えを否定して自説を通すことが目的ではありません。意見を交換することを通じて課題を解決したり、考えを深めたりすることが目的です。その方向性がはっきりしていないことが気になりました。ディスカッションでは司会の役目が大切です。パネラー同士で勝手に話が進んでいたのですが、話の要点をまとめながら話題を焦点化することが必要でした。中学2年生にこれを求めるのはかなり無理があります。1回や2回リハーサルしたくらいではできるものではありません。日常的に経験を積ませることが必要です。司会だけは教師がするという選択もあるかもしれません。 参観している保護者に意見を求めることで盛り上がりますが、それと子どもたちの意見をつなぐことはできませんでした。授業と同じく、つなぐということは難しいと改めて実感しました。 最後に職場体験の企業の方が自分の考えを含めてコメントしてくださいました。子どもたちの議論を深めるように意識されています。子どもたちは大人のすごさを感じてくれたと思います。ディスカッションの途中で一度コメントいただいて、それをもとにしてディスカッションを続けても面白かったと思います。 総合的な学習の時間でどのような力をつけるのかの議論をあまり聞かなくなりました、活動することで取り敢えずよしとする学校が多いような気がします。子どもたちにつけたい力を意識することで、今回の活動でも違った形になったはずです。総合的な学習の時間が始まってかなりの時間が経ちました。もう一度原点に立ち返る時が来ているのかもしれません。 この日見せていただいた授業について、旧知の社会科の先生とお話ししました。授業アドバイスというよりも授業談義です。この単元をどのように進めていくとよいのかを一緒に考えました。とても楽しい時間でした。 GDMに取り組んでいる若手の先生から、質問を受けました。許可を求める”Can you 〜?”をどのようにして教えればいいのか悩んでいました。”can”の”root sense”から許可の意味を気づかせる”situation”が思い浮かばないようです。一緒に考えているうちに、カップラーメンは使うことを思いつきました。カップラーメンをつくる場面で、タイマーをセットしておいて、”Can I eat?”と聞くことで、3分経たなければ”No, you can’t.”、3分経てば”Yes, you can.”です。こうすることで、「できる、できない」から「許可」へとつながっていくと思います。授業のヒントになったようでした。うれしいことです。 こういった時間は私にとってもとても楽しいものでした。しかし、先生同士でこういう時間が日常的に取れていないように感じました。忙しいこともあるのでしょうが、授業について気軽に相談し合ってほしいと思います。 この日は行事が盛りだくさんな1日で、教務主任や管理職の方とゆっくり話をする時間をあまり取れませんでした。次回訪問時に、学校の課題について相談したいと思います。 ノウハウを伝えることを考える
介護研修の打ち合わせを行ってきました。
介護の現場にはいろいろなノウハウを持った方がいます。そのノウハウをどのような方法で共有化するかが話題になりました。本人が直接教えるという方法がありますが、それでは広がりは限られています。マニュアルにするというようなことが必要になります。 介護の現場では働かれている方にノウハウをマニュアルの形にしろというのはあまり現実的ではありません。ちょっとしたコツをメモ書き程度でもいいのでといってもなかなか難しいものがあります。自分のやっていることのポイントを抜き出すというのは、だらだら書くことよりもよほど難しいからです。こういった場合はライターが第三者の立場で聞き取りを行い、それをもとに書き起こすという方法があります。言葉として語られないところを補いながらどう伝わるものするのかがポイントです。介護に詳しいことよりも、相手から聞き取る能力、聞き出す能力が要求されます。このようなライターを見つけることが近道であろうという結論でした。介護ノウハウの共有化をプロデュースするという仕事について、今まで以上に考えることになりそうです。 一方、学校現場ではたくさんの方が授業に関する本を書かれていますが、それでもほんの一部の方です。しかし、素晴らしい授業技術を持った方はもっとたくさんいらっしゃいます。それを埋もれさせるのは惜しいことです。多くの先生がこれから学校現場を去っていかれます。彼らの持っているノウハウをどのような形で残し伝えていくかは大きな課題です。この学校現場のノウハウを形にするということは、私の中で大切な仕事となっています。一人ひとりの先生方が持っているノウハウをその授業から学び、整理し、具体的な場面に即して伝えるのです。どれほど伝わっているかわかりませんが、この日記もその一環です。学校現場に埋もれているいろいろなノウハウを明確な形にして、多くの先生方に伝えたいのです。 以前にもお伝えしましたが、昨年に書き下ろした授業改善に関する本が現在著者校正の段階です。脱稿してからも、新しく学んだことがたくさんありますが、ひとまずは、その時点でお伝えできることをまとめたものになっています。多くの先生の手元に届くことを願いながら、最後の仕上げに取り掛かります。 私の仕事は、介護を含め、そのノウハウや技術を形にして伝えることです。人と出会い、その方の持っているよさを見つけることと言ってもよいでしょう。「よさ」を見る、見つけるという視点を常に忘れずにいたいと思っています。 学力がつくために必要なことに気づけた授業
先日、小牧市立小牧西中学校の松浦克己先生の英語の公開授業を参観してきました。前回はGDMの授業を見せていただいたのですが、今回の授業は、教科書の内容をGDMの手法を活用して行うというものでした。松浦先生のGDMの授業は何度も見せていただいているのですが、教科書を教える場面を見せていただくのは初めてのことです。
1年生の授業で、学校生活の紹介の場面でした。 授業の前半は通常のGDMと同じく”All English”でのライブです。数のカードを使って、”before”、”after”、”from 〜 to 〜”、”between 〜 and 〜”など、既習事項の復習を行います。これらは教科書の内容と関連するような例を使って行います。国名を復習し、”Japan”に対して”Japanese” というように、言語につなげていきます。”Japanese”と板書する時に、”Japan”でいったん手を止めてから、”ese”と書き足します。単語の成り立ちを意識させています。続いて、単語を言語から教科に広げます。自分の大学時代の語学の選択を、黒板に書いた言語をつかみ取る動作をすることで”take”で表現することを伝えます。 こういった既習事項は、すぐに思い出せない子どものためにどこで学習したかを伝えます。子どもたちは、自分のファイルからその学習のプリントを探して見る習慣がついています。過去の学習と現在を結びつけることを意識させています。 板書された単語を”country”、”language”、”subject”というようにカテゴリーを示して○で囲みます。”What do you like?”と全体を囲んで、広く訊かれていることを示し、続いて”What subject do you like?”と訊く範囲を黒板で示しながら、限定した範囲でのたずね方を伝えます。 新出の”each”をGDMの手法を使って学習します。”There are two persons.”、”They have four bags.”という状況を絵に描かせます。それぞれが2個ずつ持っている場合もあれば、1個と3個の場合もあります。いろいろな場合があることを確認して、2個ずつ持っている場合をどう表現するかを考えさせます。表現する必然性をきちんとつくるのです。これがGDMのよいところです。”One has two bags.”、”Another has two bags.”と”one”、”another”の復習をします。続いて、いくつも同じものがある場合を提示し、”One 〜.”、”Another 〜.”、 ”Another 〜.”、・・・と何回も表現させ、これでは伝えるのが大変だと感じさせます。ここで”Each 〜.”という表現を導入して、”each”の意味と使い方を教えます。この導入であれば、”Each has two bags.”というように”each”が単数であることを説明しなくても自然に理解します。今回は”every”は学習しませんでしたが、この”situation”で学習すれば”each”と”every”の違いを理解しやすいと思いました。 ペアで学習したことの確認をさせます。ここで机間指導はしません。個々に教師が確認することは時間的に無理でしょう。ここは、通常であれば全体の様子を見るべき時なのですが、黒板を消したり、掲示したものを片付けたり、次の場面への仕込みに時間をかけています。なぜでしょう?ライブ中は子どもたちが必死に考えています。こういった意味のないことに時間がとられて間が空くと集中力が切れてしまいます。こういった間はGDMのライブにとって致命的なものになってしまうので、ペア活動の間に済ませておくのです。松浦先生の授業におけるペア活動の時間にはそういう側面もあるのです。ですから、ペアでの学習は子どもたちの関係がしっかりできていることもあり、子どもたちに任せておきます。もちろん、間違えて修正できないペアもあります。それは、全体での確認で修正するのです。といっても特別なことをするわけではありません。指名して言わせたり、全体で練習したりすることで十分なのです。子どもたちが、わかろう、わかりたいと思ってしっかりと聞いているから自分で修正できるのです。子どもがしっかりと参加している授業だから成り立つことです。 この後、新出の単語の確認をして、教科書の本文に入ります。会話文のテキストをただ読むだけでは、GDMのライブのように”situation”が子どもたちにわからないので理解が進みません。松浦先生は、どんな場面であるかといった会話の簡単な状況を補足しながら、文を読みます。ちょっとしたことが子どもの理解を助けます。”natural speed”にこだわることや暗唱などはせずに、子どもたちが読みながら理解することを目指します。本文を理解するために必要なことは、最初のライブの場面の既習や新出事項で網羅されています。英文の表わす”situation”を共有することで、特に解説がなくても子どもたちは理解していきます。 ”change classrooms”を子どもが「移動教室」と言っていたのが印象的でした。この言葉が一般的な言葉なのかよくわかりませんが、教室を移動して学習することを「移動教室」と言うようです。英語の表わす”situation”を理解して、その”situation”を「移動教室」と自分たちの言葉で表現したのです。英語を正しく理解しているということです。英語を訳して日本語で理解する子どもからは出てこない言葉でしょう。”change”に引きずられて教室を「交換」、「変える」といった訳をする子どもがほとんどだと思います。まだ1年生ですが、子どもたちに力がついていることがよくわかる場面でした。 通常の授業では、テキストを使って教えていきますが、松浦先生の授業では逆です。授業のほとんどはテキストを理解するためのベースになることの学習、練習です。最後にそれを活用してテキストを理解するのです。これは、他の教科の学習、特に数学とよく似ていると思いました。これまで学習したことや新しい知識を組み合わせた問題をいきなり解くことはしません。授業の初めにこの日必要となる既習事項を確認する。続いて新しい知識を学習し適用問題である程度定着させる。そこで初めて、応用的な問題を解きます。松浦先生の授業では、前半のライブが既習事項の確認、新しい知識の学習と定着になっています。それらの応用の場面が教科書のテキストなのです。 これだけで授業時間はいっぱいなので、書く時間はほとんどありません。ムダのない密度の濃い授業でも、そこまでは無理です。書くことは、毎日出される1Pと呼ばれる宿題で補います。ノートの1ページを使って自由に学習して提出するものです。この日の例文の単語を入れ替えて練習する子どももいれば、過去の学習とつなげて新しい文をつくってくる子どももいます。予習をする子どももいれば、単語を書くだけの子どももいます。松浦先生は授業の合間に、「こういったことをやっている人がいる」とよい学習をほめ、どういう学習がよいかそれとなく教えます。「授業をしっかり聞いていればわかるから」と予習はしなくてもいいことも伝えます。自由と言いながら、ちゃんと学習の方法を伝えています。また、教科書のワークブックも宿題にしますが、それもノートに書かせます。ワークブックはきれいなままなので、試験前にもう一度復習に使えます。こうして、子どもたちの学習量を保障しているのです。集めたノートは簡単なコメントをつけたり添削したりします。ただ、検印を押すのと違って、子どもは先生が自分を見てくれているのだと思います。こうしたことも、子どもたちの学習意欲を高めることにつながるのです。 今回の授業から、松浦先生の授業で子どもたちの学力がつく理由がよくわかりました。また、松浦先生の学年では、英語以外の教科の学力も必ずと言っていいほど伸びるのですが、その秘密も見えてきたように思います。これまでは、「やればできる」という気持ちになることが子どもたちの学習意欲につながり、それが学力向上の要因だと思っていました。それだけではなかったのです。過去の学習とつなぐことを意識させる、自分で復習内容を考えさせるなど、英語に限らずすべての教科に共通する学習の仕方をきちんと教えています。宿題のノートの内容を見ているので、子どもたちの意欲の状況や変化もわかります。子どもたちの学習意欲や定着度をしっかり把握しているので、学年経営にすばやくフィードバックすることができます。 また、松浦先生の授業に対する子どもたちのアンケートの結果も面白いものでした。「授業が楽しい」に肯定的な回答(5段階の5と4)が67%、「授業が難しい」に肯定的な回答が65%に対して、「授業がわかる」に肯定的な回答が73%です。「難しく」ても、「わかる」から「楽しい」という図式が見えてきます。「易しい」ことをわかるのではなく「難しい」ことをわかるから楽しいのだとも言えそうです。このことも、子どもたちが自信を持って学習に臨むための大切な要素だと思います。 検討会では、参加された先生方からたくさんの質問がされました。その一つひとつに対する松浦先生の回答も大変参考になるものでした。私を含め参加者の多くがたくさんのことを学べた授業でした。松浦先生は今年で退職されるので、このような機会を持つことがこれからは難しくなります。貴重な機会を得られたことに感謝です。 |
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