受容だけではテンションが上がる

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度2回目の訪問でした。3人の先生の授業を見せていただきました。

1年生の授業は算数の数の大小の応用の問題でした。
子どもたちの授業規律は悪くないのですが、授業者がしゃべる時間が長いと子どもたちの視線が下がることが気になります。子どもたちの発表の場面では逆にテンションが上がりすぎます。授業者が子どもたちをしっかりと受容しているので、子どもたちの発言意欲が高いのです。ただ、これだけテンションが上がるのには理由があるはずです。どうやらそれは、子どもの発言が不十分でも授業者が修正して認めてしまうことにあるようでした。例えば、数の大小の理由を「4と5を比べた」と子どもが説明すると、「いいね、10の位を比べたんだね」とすぐに修正して認めます。通常子どもは、自分の言葉を勝手に変えられると認められたように思わないのですが、授業者がしっかりと受容するので気にならないようです。とにかく発言すれば認めてもらえるのでどんどん発言しようとするのです。この場合であれば、「4と5を比べたって、どういうこと?」と問い返し、本人に言葉を足させる必要があります。発言しっぱなしにさせずに、適度なストレスをかけるのです。こうすることで、テンションは下がるはずです。
子どもの発言を認めますが、結局説明は教師がしています。しゃべる時間が長いのです。子どもたちは先生の説明の間は活躍する場面がないことを知っているので、受け身が続くと集中力を失くし視線が下がるのです。
授業者は上がったテンションをすぐに下げることもできるの、騒がしくて収拾がつかなくなるということはありません。子どもの発言を「それってどういうこと?」と聞き返す、「今の意見になるほどと思った人?」とつなぐようにすると、子どもたちの様子は変わると思います。
お店の商品を50円で買えるかどうかが課題です。「買える」「買えない」の理由を問うのですが、どのレベルを求めるのかが問題です。「○○は50より大きい」「小さい」、「50が○○より大きい」「小さい」という答でよしとしています。ここは、もう少し深める必要があります。「商品の値段より持っているお金が大きいか同じでないと買えない」ことを押さえる必要があります。「買える」「買えない」といった生活に即した問題を算数の抽象の世界につなげる過程を大切にすることで応用力をつけるのです。では、どのようにすればよいのでしょうか。よく使われるのが「何?」で聞くことです。「○○って何?」「△△の値段」「50って何?」「持っているお金」「△△の値段と持っているお金がどうなの?」「△△の値段より持っているお金が大きい」「△△の値段より持っているお金が大きければ買えるんだ」「同じだったら?」「同じでも買える」「△△の値段より持っているお金が?」「大きいか同じだったら買える」といったやり取りを発言者や他の子どもたちとするのです。
うっかり数の大小を間違った子どもがいました。他の子どもに確認し、「間違っちゃったね」と指摘しました。その後、間違ってもいいんだよということを繰り返してフォローしましたが、その子どもは席につくと伏せってしまいました。発言すれば絶対認めてもらえる予定だったのにその逆の結果になったからです。授業者はフォローしたつもりだったのですが、「間違った」という言葉を何回も使ったので、逆に強調したことになってしまいました。「間違い」はそのことを指摘するのではなく、自分で気づかせ修正させることが基本です。例えば、「48は50より大きい」と間違えたのなら「48は50より、お、お、き、いんだ」とちょっとゆっくり繰り返せば、本人が気づいて修正すると思います。修正したら「ああ、小さいんだね」と笑顔で返してあげれば、本人は失敗したと思いません。ちょっとしたことですが、大切にしてほしいことです。この後、隣の席の子どもが、何度も声をかけていたことが印象的でした。声をかけられても、なかなか反応できませんでしたが、こういう声かけをしてくれる子どもがいるのはとてもよいことです。机間指導の時などに、「声をかけてくれてありがとう」と伝えておくとよいでしょう。

授業者には、次のステップとして、自分ですべて説明しようとせずに子どもの言葉を活かすこと、子どもに返す、子ども同士をつなぐことを意識してほしいことをお願いしました。素直な方なので、きっと大きく成長してくれると思います。

この続きは明日の日記で。

総合的な学習の時間について考える

中学校の学校公開日で、授業を参観してきました。

子どもたちは落ち着いているのですが、若手の授業で集中力が感じられません。顔を上げているのですが、視線が先生に向かっていません。授業者も全体を見てはいるのですが、子どもたち一人ひとりに視線を送っていません。形だけの授業規律に終わっています。
子ども同士の関係はよいので、グループにすればかかわり合うこともできるのですが、理解したい、解決したいというエネルギーを感じません。取り敢えず相談しているという印象をぬぐえませんでした。

1、2年生の総合的な学習の時間の発表がありました。
1年生は、職業について自分たちが調べたことを学級全体に対してグループごとに発表します。子どもたちは、取り敢えず前を向いているのですが、友だちの発表を理解しようという感じではありません。ここでも視線が上がらない子どもが目立つのです。発表者も用意した原稿を読んでいるだけなので、顔が上がりません。この発表会の目的や目標が子どもたちに意識されていないことが気になりました。
発表者は、誰に何を伝えるのかを明確に意識しなければいけません。同じように活動した学級の仲間なのか、この日来られた参観者の方なのかがよくわかりません。また、発表は原稿を読むことではありません。例え原稿を見ながらでも、口を開く時は聞き手と目を合わせることが大切です。こういった指導がされていませんでした。対象が参観者であっても、そこにいる子どもたちが聞く意味がなければ、ただ何も考えずに座っているだけになります。自分たちがそこに存在する意味を明確にすることが大切です。
仲間に伝えるのであれば、仲間が知らなかった情報を提供する、自分たちと一緒に考えてもらうといった目標が必要です。聞き手もそのことを意識することで、仲間の発表を評価できます。参観者を対象とするのであれば、発表者以外の子どもたちの役割が不明確です。こういう場合は、参観者の立場で聞き合う発表練習を事前に行い、互いの発表をブラッシュアップするとよいでしょう。どうすればよくなるかを伝え合って、本番までに発表をバージョンアップするのです。本番では、自分たちが意見を言ったので、発表がどのように変わったかが気になるはずです。よくなったことを見つけるという目標が生まれます。

2年生は、職場体験をもとに、「なんのために働くのか」というテーマで、学級の代表者によるパネルディスカッションを子どもの司会で行いました。お世話になった職場の方もお呼びして最後にコメントをいただくというものです。
子どもたちは自分の考えを発表します。中学生らしい意見が発表されます。発表後、相手の意見に対して質問をしていきます。上げ足の取り合いに見えるものもあります。わからないことを質問するのはよいのですが、ディスカッションはディベートではないので相手の考えを否定して自説を通すことが目的ではありません。意見を交換することを通じて課題を解決したり、考えを深めたりすることが目的です。その方向性がはっきりしていないことが気になりました。ディスカッションでは司会の役目が大切です。パネラー同士で勝手に話が進んでいたのですが、話の要点をまとめながら話題を焦点化することが必要でした。中学2年生にこれを求めるのはかなり無理があります。1回や2回リハーサルしたくらいではできるものではありません。日常的に経験を積ませることが必要です。司会だけは教師がするという選択もあるかもしれません。
参観している保護者に意見を求めることで盛り上がりますが、それと子どもたちの意見をつなぐことはできませんでした。授業と同じく、つなぐということは難しいと改めて実感しました。
最後に職場体験の企業の方が自分の考えを含めてコメントしてくださいました。子どもたちの議論を深めるように意識されています。子どもたちは大人のすごさを感じてくれたと思います。ディスカッションの途中で一度コメントいただいて、それをもとにしてディスカッションを続けても面白かったと思います。

総合的な学習の時間でどのような力をつけるのかの議論をあまり聞かなくなりました、活動することで取り敢えずよしとする学校が多いような気がします。子どもたちにつけたい力を意識することで、今回の活動でも違った形になったはずです。総合的な学習の時間が始まってかなりの時間が経ちました。もう一度原点に立ち返る時が来ているのかもしれません。

この日見せていただいた授業について、旧知の社会科の先生とお話ししました。授業アドバイスというよりも授業談義です。この単元をどのように進めていくとよいのかを一緒に考えました。とても楽しい時間でした。
GDMに取り組んでいる若手の先生から、質問を受けました。許可を求める”Can you 〜?”をどのようにして教えればいいのか悩んでいました。”can”の”root sense”から許可の意味を気づかせる”situation”が思い浮かばないようです。一緒に考えているうちに、カップラーメンは使うことを思いつきました。カップラーメンをつくる場面で、タイマーをセットしておいて、”Can I eat?”と聞くことで、3分経たなければ”No, you can’t.”、3分経てば”Yes, you can.”です。こうすることで、「できる、できない」から「許可」へとつながっていくと思います。授業のヒントになったようでした。うれしいことです。
こういった時間は私にとってもとても楽しいものでした。しかし、先生同士でこういう時間が日常的に取れていないように感じました。忙しいこともあるのでしょうが、授業について気軽に相談し合ってほしいと思います。

この日は行事が盛りだくさんな1日で、教務主任や管理職の方とゆっくり話をする時間をあまり取れませんでした。次回訪問時に、学校の課題について相談したいと思います。

ノウハウを伝えることを考える

介護研修の打ち合わせを行ってきました。

介護の現場にはいろいろなノウハウを持った方がいます。そのノウハウをどのような方法で共有化するかが話題になりました。本人が直接教えるという方法がありますが、それでは広がりは限られています。マニュアルにするというようなことが必要になります。
介護の現場では働かれている方にノウハウをマニュアルの形にしろというのはあまり現実的ではありません。ちょっとしたコツをメモ書き程度でもいいのでといってもなかなか難しいものがあります。自分のやっていることのポイントを抜き出すというのは、だらだら書くことよりもよほど難しいからです。こういった場合はライターが第三者の立場で聞き取りを行い、それをもとに書き起こすという方法があります。言葉として語られないところを補いながらどう伝わるものするのかがポイントです。介護に詳しいことよりも、相手から聞き取る能力、聞き出す能力が要求されます。このようなライターを見つけることが近道であろうという結論でした。介護ノウハウの共有化をプロデュースするという仕事について、今まで以上に考えることになりそうです。

一方、学校現場ではたくさんの方が授業に関する本を書かれていますが、それでもほんの一部の方です。しかし、素晴らしい授業技術を持った方はもっとたくさんいらっしゃいます。それを埋もれさせるのは惜しいことです。多くの先生がこれから学校現場を去っていかれます。彼らの持っているノウハウをどのような形で残し伝えていくかは大きな課題です。この学校現場のノウハウを形にするということは、私の中で大切な仕事となっています。一人ひとりの先生方が持っているノウハウをその授業から学び、整理し、具体的な場面に即して伝えるのです。どれほど伝わっているかわかりませんが、この日記もその一環です。学校現場に埋もれているいろいろなノウハウを明確な形にして、多くの先生方に伝えたいのです。
以前にもお伝えしましたが、昨年に書き下ろした授業改善に関する本が現在著者校正の段階です。脱稿してからも、新しく学んだことがたくさんありますが、ひとまずは、その時点でお伝えできることをまとめたものになっています。多くの先生の手元に届くことを願いながら、最後の仕上げに取り掛かります。

私の仕事は、介護を含め、そのノウハウや技術を形にして伝えることです。人と出会い、その方の持っているよさを見つけることと言ってもよいでしょう。「よさ」を見る、見つけるという視点を常に忘れずにいたいと思っています。

学力がつくために必要なことに気づけた授業

先日、小牧市立小牧西中学校の松浦克己先生の英語の公開授業を参観してきました。前回はGDMの授業を見せていただいたのですが、今回の授業は、教科書の内容をGDMの手法を活用して行うというものでした。松浦先生のGDMの授業は何度も見せていただいているのですが、教科書を教える場面を見せていただくのは初めてのことです。

1年生の授業で、学校生活の紹介の場面でした。
授業の前半は通常のGDMと同じく”All English”でのライブです。数のカードを使って、”before”、”after”、”from 〜 to 〜”、”between 〜 and 〜”など、既習事項の復習を行います。これらは教科書の内容と関連するような例を使って行います。国名を復習し、”Japan”に対して”Japanese” というように、言語につなげていきます。”Japanese”と板書する時に、”Japan”でいったん手を止めてから、”ese”と書き足します。単語の成り立ちを意識させています。続いて、単語を言語から教科に広げます。自分の大学時代の語学の選択を、黒板に書いた言語をつかみ取る動作をすることで”take”で表現することを伝えます。
こういった既習事項は、すぐに思い出せない子どものためにどこで学習したかを伝えます。子どもたちは、自分のファイルからその学習のプリントを探して見る習慣がついています。過去の学習と現在を結びつけることを意識させています。
板書された単語を”country”、”language”、”subject”というようにカテゴリーを示して○で囲みます。”What do you like?”と全体を囲んで、広く訊かれていることを示し、続いて”What subject do you like?”と訊く範囲を黒板で示しながら、限定した範囲でのたずね方を伝えます。

新出の”each”をGDMの手法を使って学習します。”There are two persons.”、”They have four bags.”という状況を絵に描かせます。それぞれが2個ずつ持っている場合もあれば、1個と3個の場合もあります。いろいろな場合があることを確認して、2個ずつ持っている場合をどう表現するかを考えさせます。表現する必然性をきちんとつくるのです。これがGDMのよいところです。”One has two bags.”、”Another has two bags.”と”one”、”another”の復習をします。続いて、いくつも同じものがある場合を提示し、”One 〜.”、”Another 〜.”、 ”Another 〜.”、・・・と何回も表現させ、これでは伝えるのが大変だと感じさせます。ここで”Each 〜.”という表現を導入して、”each”の意味と使い方を教えます。この導入であれば、”Each has two bags.”というように”each”が単数であることを説明しなくても自然に理解します。今回は”every”は学習しませんでしたが、この”situation”で学習すれば”each”と”every”の違いを理解しやすいと思いました。

ペアで学習したことの確認をさせます。ここで机間指導はしません。個々に教師が確認することは時間的に無理でしょう。ここは、通常であれば全体の様子を見るべき時なのですが、黒板を消したり、掲示したものを片付けたり、次の場面への仕込みに時間をかけています。なぜでしょう?ライブ中は子どもたちが必死に考えています。こういった意味のないことに時間がとられて間が空くと集中力が切れてしまいます。こういった間はGDMのライブにとって致命的なものになってしまうので、ペア活動の間に済ませておくのです。松浦先生の授業におけるペア活動の時間にはそういう側面もあるのです。ですから、ペアでの学習は子どもたちの関係がしっかりできていることもあり、子どもたちに任せておきます。もちろん、間違えて修正できないペアもあります。それは、全体での確認で修正するのです。といっても特別なことをするわけではありません。指名して言わせたり、全体で練習したりすることで十分なのです。子どもたちが、わかろう、わかりたいと思ってしっかりと聞いているから自分で修正できるのです。子どもがしっかりと参加している授業だから成り立つことです。

この後、新出の単語の確認をして、教科書の本文に入ります。会話文のテキストをただ読むだけでは、GDMのライブのように”situation”が子どもたちにわからないので理解が進みません。松浦先生は、どんな場面であるかといった会話の簡単な状況を補足しながら、文を読みます。ちょっとしたことが子どもの理解を助けます。”natural speed”にこだわることや暗唱などはせずに、子どもたちが読みながら理解することを目指します。本文を理解するために必要なことは、最初のライブの場面の既習や新出事項で網羅されています。英文の表わす”situation”を共有することで、特に解説がなくても子どもたちは理解していきます。
”change classrooms”を子どもが「移動教室」と言っていたのが印象的でした。この言葉が一般的な言葉なのかよくわかりませんが、教室を移動して学習することを「移動教室」と言うようです。英語の表わす”situation”を理解して、その”situation”を「移動教室」と自分たちの言葉で表現したのです。英語を正しく理解しているということです。英語を訳して日本語で理解する子どもからは出てこない言葉でしょう。”change”に引きずられて教室を「交換」、「変える」といった訳をする子どもがほとんどだと思います。まだ1年生ですが、子どもたちに力がついていることがよくわかる場面でした。

通常の授業では、テキストを使って教えていきますが、松浦先生の授業では逆です。授業のほとんどはテキストを理解するためのベースになることの学習、練習です。最後にそれを活用してテキストを理解するのです。これは、他の教科の学習、特に数学とよく似ていると思いました。これまで学習したことや新しい知識を組み合わせた問題をいきなり解くことはしません。授業の初めにこの日必要となる既習事項を確認する。続いて新しい知識を学習し適用問題である程度定着させる。そこで初めて、応用的な問題を解きます。松浦先生の授業では、前半のライブが既習事項の確認、新しい知識の学習と定着になっています。それらの応用の場面が教科書のテキストなのです。

これだけで授業時間はいっぱいなので、書く時間はほとんどありません。ムダのない密度の濃い授業でも、そこまでは無理です。書くことは、毎日出される1Pと呼ばれる宿題で補います。ノートの1ページを使って自由に学習して提出するものです。この日の例文の単語を入れ替えて練習する子どももいれば、過去の学習とつなげて新しい文をつくってくる子どももいます。予習をする子どももいれば、単語を書くだけの子どももいます。松浦先生は授業の合間に、「こういったことをやっている人がいる」とよい学習をほめ、どういう学習がよいかそれとなく教えます。「授業をしっかり聞いていればわかるから」と予習はしなくてもいいことも伝えます。自由と言いながら、ちゃんと学習の方法を伝えています。また、教科書のワークブックも宿題にしますが、それもノートに書かせます。ワークブックはきれいなままなので、試験前にもう一度復習に使えます。こうして、子どもたちの学習量を保障しているのです。集めたノートは簡単なコメントをつけたり添削したりします。ただ、検印を押すのと違って、子どもは先生が自分を見てくれているのだと思います。こうしたことも、子どもたちの学習意欲を高めることにつながるのです。

今回の授業から、松浦先生の授業で子どもたちの学力がつく理由がよくわかりました。また、松浦先生の学年では、英語以外の教科の学力も必ずと言っていいほど伸びるのですが、その秘密も見えてきたように思います。これまでは、「やればできる」という気持ちになることが子どもたちの学習意欲につながり、それが学力向上の要因だと思っていました。それだけではなかったのです。過去の学習とつなぐことを意識させる、自分で復習内容を考えさせるなど、英語に限らずすべての教科に共通する学習の仕方をきちんと教えています。宿題のノートの内容を見ているので、子どもたちの意欲の状況や変化もわかります。子どもたちの学習意欲や定着度をしっかり把握しているので、学年経営にすばやくフィードバックすることができます。
また、松浦先生の授業に対する子どもたちのアンケートの結果も面白いものでした。「授業が楽しい」に肯定的な回答(5段階の5と4)が67%、「授業が難しい」に肯定的な回答が65%に対して、「授業がわかる」に肯定的な回答が73%です。「難しく」ても、「わかる」から「楽しい」という図式が見えてきます。「易しい」ことをわかるのではなく「難しい」ことをわかるから楽しいのだとも言えそうです。このことも、子どもたちが自信を持って学習に臨むための大切な要素だと思います。

検討会では、参加された先生方からたくさんの質問がされました。その一つひとつに対する松浦先生の回答も大変参考になるものでした。私を含め参加者の多くがたくさんのことを学べた授業でした。松浦先生は今年で退職されるので、このような機会を持つことがこれからは難しくなります。貴重な機会を得られたことに感謝です。
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