養護教諭の授業から「思いが伝わる授業」という視点に気づく

市の養護教諭の研修会の授業研究でアドバイスを行いました。養護教諭の授業力向上のための研修です。

授業は1年生のストレスの学習です。保健・体育の教師がT2として参加しています。
授業者を縛っていたのが、保健には試験があることでした。試験に出る言葉の説明や定義を押さえておかなければいけないという意識があるため、目指すものと活動にずれが生じていたのです。例えば、ストレスに積極的に対処できることを最終ゴールにして、どのような活動をして何を考えさせればいいのかだけを考えると授業がすっきりしたのです。教科書に縛られず、養護教諭だからこそ伝えたいことを中心にして、そのことを説明するのではなく、子どもたちに考えさせ気づかせたいところでした。

どんな時にストレスを感じるかということを子どもたちに聞きます。「テストの時」といった言葉が出てきます。この後、ストレスとストレッサーの定義をして、ストレスには適度なストレスと過度なストレスがあること、ストレスによる心と体への影響について授業者が主体となって説明します。その上で、ストレスがあるとどうなるかを子どもたちに聞き、授業者がそれを心と体のどちらかに分類していきます。確かに教科書的な「ストレスとは、・・・心と体に負担がかかった状態」といった定義を知識として教えることから出発してもよいことなのですが、子どもたちがストレスを感じると言えるのですから、そこを起点として子どもたちに考えさせてもよかったでしょう。具体的には、「ストレスがかかっているってどうしてわかるの?」といった質問をすることで、ストレスによる心身の影響を子どもたちに気づかせることができます。「ストレスがなければいいよね。試験がなければ最高だね」とゆさぶって、適度なストレスの必要性に気づかせることもできると思います。ストレスへの対処を自分の身近な問題とするためには、教師から情報を与えるのではなく、子どもの体験から出発させることが大切です。その上で、定義を押さえればいいのです。

用語の説明を写させますが、そのねらいは何でしょう。大切だからとノートに写しても、覚えるのは試験前でしょう。教科書に線を引くことと変わりありません。覚えさせたければ、できるだけ教科書や黒板を見ずに写させるという方法もありますが、ここにあまり時間を使うのは意味があることには思えません。定義を知ったからといって、ストレスに対応できるようになるわけではないのです。

子どもたちにストレスへの対処法を考えさせるために事例が用意してありました。
同じ学級のAさんとBさんは仲のよい友だちです。Bさんに同じ学級で部活動が同じCさんという友だちができ、3人で行動するようになりました。Aさんは、BさんとCさんの部活動の話についていけなかったりします。Bさんが自分から離れていくのではないかと不安になりました。Cさんをじゃまに思ってしまう自分が嫌で仕方なくなり、腹痛などの体調不良が出てきました。

このような事例で、「ストレッサーは何?」問いかけたところ、すぐに「Cさん」という声が上がりました。授業者は思わず「そうだね」と答えて、そのまま、Aさんだったらどのように行動すればよいかを考えさせました。授業者としては、Cさんと仲よくするBさん、Cさんをじゃまに思う自分の気持ちなど、他のストレッサーも想定していたようでしたが、とっさのことで上手く広げることができなかったようです。
自分の考えを持たせてから、グループで話し合わせます。ここで、1つに絞るように指示します。1つに絞ることでよい考えが消えてしまう可能性が高くなります。ストレッサーをCさんとしたため、子どもたちの発表は、「Cさんのよいところを見つける」といったCさんとの関係をどうするかがほとんどでした。話を聞いてもらうといった、別の視点の対処もあったのですが、埋もれてしまいました。
こういう場合、グループでは友だちの考えでなるほどと思ったもの書き加えさせ、個人で一番納得したものを発表させるとよいでしょう。似た意見、ちょっと違うよという意見をつなぎながら焦点化したいところです。

子どもたちの発表を授業者がいいねと認めていくのですが、すぐに拍手をさせます。子どもたちは、拍手をすることでその意見を無批判で受け入れてしまい、考えを深めることをしなくなります。「どう、これでストレスは解消される?」といったゆさぶりが必要です。
発表が終わったあと、自分にストレスがたまったらどうするかという対処法を考えて発表させます。ストレッサーが具体的でないので、どうしても「素振りをする」「大きな声を出す」といった、気分転換、逃避的なものになってしまいます。試験のようにストレッサーが時間の経過で消えるものはいいのですが、乗り越えない限り逃れられないものはこういった対処ではなかなかうまくいきません。逆に言えば、こうすればうまく対処できるという万能の方法はないのです。その中で、解決に向かう可能性の高い方法の1つが「相談する」です。誰かに寄り添ってもらうことでストレスの負担が減ることが多いのです。授業者はこのことを子どもたちに話しました。しかし、教師からの説明なので子どもたちはあまり実感が持てなかったように見えました。子どもたちから言葉を引き出し、深めたかったところです。「いい対処法が見つからなかったからどうする?」「素振りをしてすっきりしても、すぐまたストレスがたまらない?」といったゆさぶりをすることで、「相談する」といった他の視点を引き出すことができたと思います。

授業後は時間の関係で検討会をせずに、私の解説が中心でした。場面ごとに授業技術と授業構成の両面から話しましたが、日ごろ授業をする機会の少ない方たちからすると、個々の要求度が高いように感じられたようです。いつも前向きに参加してくださる方たちなので、できるだけ参考になる情報を提供しようとしたのですが、参加者の声をもっと拾いながら、疑問に答える形にすべきだったのでしょう。養護教諭の方々は、日ごろから子どもたちの心と体の問題に直面されているので、伝えたい思いがたくさんあります。どのようにすればそれが伝わるのか、その視点で授業を解説することが必要だったと思います。授業者が私の話を前向きに受け止めてくれたことが救いでした。
毎日授業をしている一般の教諭でも授業力向上はそれほど簡単ではありません。養護教諭ではなおさらです。上手い授業ではなく、思いが伝わる授業という視点も必要であることにあらためて気づかせていただきました。よい機会をいただいたことに感謝です。

松浦克己先生の授業から、子どもの学習意欲の原動力を学ぶ

先日、小牧市立小牧西中学校の松浦克己先生にお願いして、GDMを活用した英語の授業を公開していただきました。私のかかわっている学校や知り合いの先生方に声をかけさせていただいたところ、20人ほどの方が参加してくださいました。

久しぶりに見せていただいた松浦先生の授業は、以前と同じくどの子どもも真剣に集中して授業に参加していました。基本的に”All English”の授業ですが、活動の指示の一部に日本語を使うこともあります。まだ学習していない言葉や言い方を無理に使う必要はないという考えです。大切なのは英語を日本語で理解するのではなく、”situation”で理解することです。”All English”の授業といっても、教え方や内容は従来と全く同じで、指示だけを英語に変えたものとは全く異なる考え方のものです。

松浦先生の授業は、大きく3つで構成されます。最初は実物を使いながら学習するライブです。できるだけ具体的な場面を何度も英語で表現し、その意味するところ、使い方を子どもたちが理解します。続いて、その状況を簡単な絵で表わし、英語で表現する練習をします。理解したことを活用する場面です。最後はワークシートを使って、個人で復習と書く練習です。基本的に、1時間の授業で学習する事項は1つのことです。場面を変えながら同じことを何度も繰り返して学習するのです。
また、GDMの手法を支えているのは、子どもたちが理解できなくても終始笑顔で受容的に接する松浦先生の姿勢と、子ども同士が聞きあい、助け合うことです。教室の中に広がる安心感が子どもたちの学習を下支えしているのです。うっかりすると見逃してしまいますが、GDMといった指導法とは別の、どんな授業にも共通の大切な要素です。

“All English”で、日本語による訳や説明が全くない授業なので、”Slow Lerner”の子どもは学習についていけないように思われがちなのですが、明らかに理解できていないと思える子どもも最後まで頑張っています。子どもたちは、今理解できなくても授業のどこかで理解できる瞬間が必ずくることを信じています。だから、最後まで集中して参加するのです。
子どもたちはわかりたい、できるようになりたいのです。しかし、努力しても結果がでなければ、すぐにあきらめてしまいます。教師が「やればできる」と言っても、その実感がなければ続きません。結果のでる努力をさせる必要があります。松浦先生の授業では、全員同時ではありませんが、どの子どもにも1時間のどこかで「わかる」瞬間が訪れます。そのことを経験的に知っている子どもたちは、学習から脱落しないのです。ですから、”Slow Lerner”の子どもたちにも学力がつくのです。そのことは、データにも表れています。ある年の3年生の標準テストの評定を見ると、3以下の子どもはほんの数人だけです。5の生徒が過半数で、残りが4の生徒です。
子どもたちが自分でわかろうとする意欲を英語の授業で持ち続けることが、他の教科にもよい影響を与えています。やればできるという自信が他の教科の学習意欲にもつながっていくのです。この学校では、他の教科の成績も確実に伸びているようです。

授業後も長時間にわたり参加者からの質問に熱心に答えてくださいました。1度見れば誰でもできるというものではありませんが、その考え方は他教科であってもとても役に立つものです。
松浦先生は、自分が実践の中で培い得てきたものを惜しげもなく提供してくださいます。今回の授業公開にあたってもたくさんの資料を事前に参加者に送ってくださいました。簡単にまねのできる授業ではありませんが、中学校のカリキュラムの中できちんと体系化されています。やる気さえあればだれもが実践できるような材料が用意されています。
今年度いっぱいで退職されるので、このような教室での実践を見せていただく機会はもうないかもしれません。しかし、松浦先生の蒔かれた種は確実に芽吹いています。この芽が大きく育つよう、また、もっともっと広がるようにお手伝いをしたいと思っています。
貴重な時間を割いてたくさんのことを教えていただいたことを感謝します。松浦先生、本当にありがとうございました。

地域と子どもたちのかかわり方を考えさせられたフェスティバル

先日、学校評議員をさせていただいている中学校で行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」を見学してきました。このフェスティバルを見学するのも11年目です。形を変えながらもこれだけの長きにわたって続いているのは、地域の方が自分たちの行事だと意識してくれているからに違いありません。

すぐに気づいたのは、模擬店の数が増えていることです。子ども目線の食べ物が増えています。これに限らず、展示なども全体的に子ども目線のものが増えているように思います。中学生の目線で、お客として来てくれる小さな子どもたちを意識しているといった感じです。子どもたちに楽しんでもらいたいという気持ちを強く感じました。それと合わせて、会場で出会う中学生の姿に、自分たちも楽しもうという気持ちが以前よりも強いように思いました。このフェスティバルの目指すところが、「楽しむこと」に変わっているのかはわかりませんが、以前と比べると楽しむという要素が強くなっているように感じました。

フェスティバルの企画は地域の方と中学生で会議を持って行うのですが、中学生の考えが以前より強く反映されているように感じました。昨年は、地域の方が一歩下がって子どもたちを前面で活躍させ後ろを支えているという構図を感じましたが、今年度はちょっと違う空気を感じました。気のせいかもしれませんが、子どもたちを育てるために一歩下がっているというよりも、自分たちに割り当てられた仕事をこなしているように感じたのです。これは全くの想像ですが、中学生が積極的になり、自分たちの考える企画をやりたいという気持ちが強くなった結果、地域の方が子どもたちのやりたいようにやらせてやろうとしたように見えました。「フェスティバルの趣旨からいってこの企画はどうだろうか?」といった地域の方と中学生がぶつかる場面が減っているのではないかと感じたのです。

また、先生方が裏方で子どもたち以上に働いているように見える場面もいくつか目にしました。先生もこのフェスティバルを支える一員であることは間違いないのですが、そのそばで中学生がおしゃべりをしているのを見ると、どうあるべきなのかちょっと考えてしまいます。それぞれの役割が割り振られているのですから、その役割を果たせばいいという考えもあります。先生もこのフェスティバルに関しては、指導者というよりは生徒たちと同じ立場と考えているのかもしれません。このフェスティバルで目指すものは何かを考えさせられました。
このフェスティバルを通じて、地域と学校が一体となってどう子どもたちをどう育てていくのか?いや子どもたち自身で成長していくのだから、育てるという発想ではなく、子どもたちに場を与えて見守ればいい。いろいろな考えがあると思います。このフェスティバルの目指すところを再度確認することが必要な時期になったのかもしれません。

介護の仕事と授業の共通点を考える

先日、介護関係の研修の打ち合わせを行いました。研修の参加者に考えてもらう内容を検討していると、介護の仕事には授業と共通のことがたくさんあることに気づきます。

介護では、利用者の身にどんなことが起きるか、予想して行動することが大切になります。今の状況にどんな危険があるかを想像することが重要です。授業でも、子どもたちがどのような行動をとるか、どのようなことを考えるか、どのようなことでつまずくか、常に考えておく必要があります。
また、介護の現場では予想もしない事故が起こることもあります。そんな時も素早く正しい対応が求められます。授業中に事故ということはあまりありませんが(もちろんないわけではありません)、こちらが全く予想もしない反応を子どもがすることがあります。そんな時にも、その反応をきちんと受け止めることが大切です。これもよく似ています。

さて、介護施設の利用者は、一人ひとりその状況は異なります。全員を同じように扱うことありません。食事一つとっても、個別の対応が求められます。一人ひとりの利用者の状況をしっかりと把握していないととんでもない事故が起こってしまいます。常にそういう緊張を持って仕事をしているのです。学校でも、子どもたち一人ひとりの状況は違います。「みんな」という言葉で同じように対応をすることは、一人ひとりの成長を考えたときにとても危険です。子どもたちの能力や発達に応じて柔軟な対応が教師には求められますが、その対応が間違っていても介護現場のように目に見える事故は起こりません。その結果は子どもたちに学力がつかないといった形で現れますが、教師はそれを自分のせいだとはあまり思いません。子どもの能力の問題だと考えてしまうのです。そうではなく、自分の授業が原因だと認識することが必要です。

介護職員と同じように、教師もよい意味での緊張と責任を感じて教壇に立ってほしいと思いました。

教科の先生同士が学び合う

昨日の日記の続きです。

英語の授業研究は、3年生の間接疑問文の学習の最初の時間でした。
とにかく子どもたちが楽しそうに授業に参加しているのが印象的でした。一つひとつの活動における授業者のねらいが明確です。いろいろな音読の活動をすることで基本表現を定着させたいと考えていました。
”We Are The World”を聞いてウォームアップします。退屈そうにしている子どもほとんどいません。歌詞をしっかり目で追っている子ども、一緒に口ずさむ子ども、それぞれのやり方でしっかりと聞いていました。
続いてこの日の主となる文章のリスニングです。1回聞かせて何語聞き取れたかを隣同士で確認し合います。一連の活動の後、再度リスニングした時に自分たちが進歩していることを感じ取るための布石です。
単語の読みをフラッシュカードで練習します。子どもたちがしっかりと口を開けています。ペアでの練習も、男女の組み合わせであってもすぐに取り組みます。これに限らず授業者の指示に子どもが素早く動きます。よい意味でのワンパターンで、一連の学習の進め方を子どもがしっかりと理解しているので、安心して学習に取り組んでいることがよい状況をつくっています。基本的に全体練習とペア練習を組み合わせて、子どもたちの活動量を確保しようとしています。
一方が日本語の文を言って、相手がそれに対応する基本英文を答えるペア練習がありました。訳と英文を対応付けるにはよい練習なのですが、子どもたちは覚えることに注力してしまいます。英文と日本語訳が1対1に対応してしまいます。関節疑問文を教えるのであれば、”What is ○○?” に対して、”I don’t know what ○○ is.” “Oh, you don’t know what ○○ is.” といったやり取りの練習を取り入れると、日本語訳に頼らなくても意味の理解ができると思います。
どの子どもも授業に参加しようとしています。子どもたちの活動量を確保しようとする授業者の意図は達成されていると思いました。
英語の教科部会での授業検討では、子どもたちがしっかり育っていることが話題になりました。4月からきちんと育ててきているからこそ、今のこの状態があることが確認されました。互いによさを認め合いながら、授業について忌憚のない意見を出し合えるとてもよい雰囲気の検討会でした。
私からは、次のステップとして、子どもたちの英語力をつけるための活動を工夫することを指摘させていただきました。日本語と英語を対応させて覚えるのではなく、実際の“situation”に応じて英語を使う活動をどう組み込むかが課題だと思います。互いに学び合える先生方なので、きっと更なる進化を見せてくれることと思います

経験2年目の先生の数学の授業研究は1年生の反比例の導入部分でした。
子どもたちとの関係ができていることが感じられました。比例で「何をやってきた?」と問いかけて子どもたちに思いつくことを発表させます。テンポよく進めたいのでしょうが、1人発表させては、先生がそれを拾って説明します。ここは復習です。同じ答が何度出てもいいのでどんどん指名して活動させたいところです。また、教科書やノートを見て調べている子どももいます。こういった子どもを評価することも大切です。
続いて「比例以外の関係あるかな?」と問いかけます。ここは「関係」と問いかけるのではなく、「関数」と問いかけなければいけません。そのためには、関数とは何かをきちんと押さえる必要があるのですが、押さえが甘いままです。
反比例を導入するために、1cmきざみの方眼を配り、「面積が6cm2 になる長方形を探してみてください」と課題を提示しました。探すという言葉では、方眼紙の中で見つけるというようにも取れますし、目盛りが1cm刻みですので、辺の長さが整数のものしか見つけない可能性もあります。教科書は頂点を方眼紙の左下に固定して長方形を書かせます。グラフを意識してのことです。授業者は次の時間に長方形を貼ってグラフをつくるつもりでこのように変えたようです。しかし、この課題では長方形を方眼紙でつくる必然性がありません。面積が6cm2 の長方形の2辺は計算ですぐに出せます。連続性を意識させることも考えると、「(辺の長さが異なる長方形を)できるだけたくさんつくって」といった発問にすべきだったかもしれません。たくさんの値が出てくることで、見つけた規則性が「いつでも」成り立っていることを実感できますが、逆に規則性を見つけにくくなる可能性もあります。しかし、小学校で反比例は扱っているので、ハードルを少し上げてもよいとは思います。
いろいろな場面で子どもがつぶやいたことをよく拾うのですが、それをすぐに自分で説明してしまいます。一部の子どもの発言で授業が進んでしまいます。いかに、発言を他の子どもにつなぐかが課題です。「同じように考えた人」「なるほどと思った人」「ちょっと違うよという人」とつなぐことで、考えを広げたり、深めたりする必要があります。
また、数学用語の使い方が少し雑なことが気になります。反比例の定義を「y=a/xの関係があるとき、yはxに反比例する」と定義します。一番肝心の「yがxの関数であるとき」が抜け落ちています。また、小学校では、xが2倍、3倍、・・・となる時、yが1/2倍、1/3倍、・・・となるものを反比例と定義しています。この違いを整理しておく必要があります。y=a/xの関係があれば、xが2倍、3倍、・・・となればyが1/2倍、1/3倍、・・・と必ずなることを押さえることで、小学校での学習とつなげ、関係式を使って定義することのよさを感じさせることが大切です。反比例のように小学校で学習した事項は、その内容を踏まえた上で授業を構成する必要があります。小学校の学習内容を授業者は確認していなかったのかもしれません。何をもとにして、何をつけ足す、変えていくのかを意識することが大切です。
いろいろと課題はたくさんありますが、1年前と比べればずいぶん進歩したと思います。板書も自分なりのポイントを意識できるようになってきました。子どもの発言を受け止めることができるようになっただけでも、子どもとの関係が変わってきます。次の課題として子ども同士をつなげること意識してほしいと思います。
教科内容の点では、まずは基本事項を自分できちんと整理することが必要です。合わせて、子どもの今までの学習の軌跡をしっかりと意識することが大切です。特に小学校の教科書の関連部分はしっかり押さえておく必要があります。

今回の3つの授業研究はそれぞれの教科の先生方を中心に行っていました。検討会終了後に、数学の1年生担当が授業者と共に教務主任の指導を受けていました。こういった互いに学ぼうとする姿勢が見られることはとてもよいことです。
同じ教科の先生同士の結びつきが以前と比べて強くなってきているように感じます。教科として、授業力向上の意識が高まってくれることを期待します。

中学校で学年の課題について考える

先週末に中学校で授業アドバイスを行ってきました。合唱祭が終わったばかりだったので、子どもたちがどんな様子か楽しみでした。

1時間学校全体の様子を見た後、3つの授業研究に参加しました。
3年生はさすがに見事に切り替えができていました。どの学級も圧巻の歌声を聴かせてくれたそうですが、力を出し切ったからこそ学習に集中できていたのだと思います。
2年生は、学校全体を見た時の授業についてはとてもよい状態でした。3年生と比べても遜色ないように見えます。授業者が教室を離れなければならないことがあった学級がありましたが、子どもたちは全員きちんと自習をしていました。しかし、同じ学級でも、授業によってこれとはまったく違う姿を見せることが気になります。一部の教師と人間関係ができていないことが色々なところで目につきます。これが担任とであると学級経営にも大きな影響が出てきます。こういった場合、授業に入っている先生で人間関係がうまくいっている方が、担任の子どもたちへの思いなどを伝えて子どもとの間をつなぐような働きかけをすることが有効なのですが、他の先生方にも余裕がないため、なかなかこのような動きが見られません。苦しいことも多いでしょうが、チームワークで乗り切ってほしいと思います。また、基本的に子ども同士の関係はよいのですが、一部の子どもと他の子どもがうまくかかわれていないことも課題です。子ども同士がかかわる機会が多い教科の時間になると保健室で過ごす子どももいます。普通の子どもたちが意識せずに友だちを傷つけるような言葉を発していたり、参加できない友だちに対してかかわろうとしなかったりしている可能性があります。子どもたちの関係づくり、ソーシャルスキルのトレーニングなどが必要になるように思えます。
1年生は、合唱祭の疲れが出たのでしょうか、集中力を失くしている子どもが少し目につきました。とはいえ、全体としてはそれほどではありません。気持ちの切り替えをうまくうながせば、またよい姿を見せてくれると思います。

2年生の理科での授業研究は、回路図の学習場面でした。授業者は参観者がいるのでちょっと緊張していたのでしょうか、表情がかたいことが気になりました。
回路図は技術の時間でも一部学習しています。子どもたちに知識があるので、復習をうまくいれながら授業をすることになります。知識の確認で、子どもを1人指名して正解であれば、それで終わってしまいます。時間が気になるかもしれませんが、テンポよく何人にも答えさせて子どもの発言機会を増やしたいところです。
電池を直列につないだ時にどのように書くかを問いかけました。子どもが電源を直列につなぐ図を考えました。答は、電池をいくつつないでも電源は1つです。授業者はいくつつないでも1つしか書かないと説明します。子どもの中では電池と電源の意味が混乱したままです。電池がいくつあっても電源としては1つだからと、電源と電池の関係を説明して、納得させる必要があると思いました。
実物を使って回路図の書き方と実際の関係を説明しますが、後ろの方の子どもには小さくてよく見えません。せっかく大型のディスプレイがあるのですから、実物投影機を使って大きく見せたいところです。ちょっとしたことですが、子どもたちの目線で授業を考える必要があります。
回路図を見ながら、電流計を入れることのできるところが何か所あるかたずねます。指名した子どもは3か所と答えました。授業者は「ありがとう」と言ってどこに入れられるかを説明し始めました。子どもを受容はしているのですが、具体的にどこかはまだ子どもに聞いていません。3か所はあっていても、入れる場所を間違えている可能性だってあります。「それはどこ?」と本人に確認したり、「○○さんは3か所と言ってくれたけれど、どこかわかる?」と他の子どもに問いかけたりして、確認することや考えさせることが必要です。挙手しない子どもは、先生が答を説明してくれるので友だちの発言を聞く必要がありません。全員参加させることをもっと意識する必要があります。
電流計のつなぎ方を変えて測定する実験をしますが、実験そのものが目的なのか、回路図から正しく配線できることが目的なのかがはっきりしません。後者であれば、グループで誰かが仕切ってつないでしまえば、他の子どもは考えることができないので注意が必要です。3回測定するのですから、毎回人を変えて配線し直すといったことを考えてもよかったと思います。前者であれば、実験の目的・目標を明確にすることや、前回までにやったモデルを使って結果を予想させることなどをして、実験する必然性を子どもたちに与える必要があります。そうでないと指示に従って実験をするだけになってしまいます。
どちらも意識したいのであれば、活動を2段階に分けるとよいでしょう。回路図をもとに実験器具を配線した段階でいったん活動を止め、正しくできたかどうか評価してから、実験に入るのです。
また、目盛りは1/10まで読むようにと指示しますが、後から結果は3桁で書くようにと注意します。よくわかっていない子どもは、別の指示をされたように思います。小数点以下1桁まで書くようにと言った方が混乱を少なくできるでしょう。
一つひとつの場面を取り上げてみれば、ていねいに指示をして子どもたちを受容しているのですが、全員を参加させることや子ども目線で授業を組み立てる意識が弱いように感じました。子どもたち一人ひとりに寄り添えていないと言ってもいいでしょう。
授業者と学級経営について少し話す時間がありました。合唱大会の練習の時に、関係がうまくつくれなかった子どもたちと積極的に話すようにしたそうです。その結果すこし関係が改善されてきたそうです。自分で課題がどこにあったのか気づけたようです。授業でも同じです。漠然とした「みんな」に対して授業を進めていくのではなく、一人ひとりの子どもを意識して授業を進めていくことが大切です。ここに気づいてくれることを期待したいと思います。

他の2つの授業研究については明日の日記で。

授業評価アンケートの打ち合わせ

私立の中高等学校で、授業評価のためのアンケートに関する打ち合わせを行ってきました。
今までは他の会社が引き受けていたのですが、今年度から私どもでやらせていただくことになりました。昨年度までとの比較もあるので、今年度は大きく変えることはしませんが、今進めている授業改善に関連した項目をいくつか入れさせていただきました。評価は目指すものがあって活きてくるものです。逆に、学校として目指すべき授業像を今後明確にしていくためにも、このアンケートの結果を活かしたいと考えています。

今回検討に参加された先生から、従来の授業評価アンケートの分析に対する問題点がいくつか指摘されました。「表面的な数値だけを見て、いい悪い云々されても受け入れがたい」「設問を単独で見るのではなく、他の設問と組み合わせて分析する必要がある」など、どれも納得のできることです。数値をどのように読み取るかは、実態と合わせて考える必要があります。先生方に考える資料を提示させていただき、一緒に考えるスタンスを大事にしていきたいと思っています。
学校評議員としてこういった授業評価にもかかわっていますが、アンケートの結果で気になることを先生方におたずねすると、間違いなくその原因や隠れている課題を教えていただくことができます。先生方が子どもたちの実態をよく把握しているからです。今回の学校でも、データを前にして先生方とこのようなやり取りができる関係をつくりたいと思っています。以前は指摘だけで、具体的な解決方法は提示されなかったようです。スコアが悪かった時に解決方法がわからないような設問を入れても、改善にはつながりません。アンケートを意味のあるものにするためにも、出てきた課題を先生方と一緒に解決することを目指していきます。
先生方にとって納得性がある、授業改善につながっていくような授業評価アンケートにしたいと思います。

若手の授業で考える

小学校で授業アドバイスを行ってきました。3週間前に引き続き2回目の訪問です。体育の授業研究と前回見た2人の授業の参観でした。

1年生の授業は国語です。前回訪問から日が浅いのですから大きな変化は望めません。というか、期間というよりも、前回の私の指摘を含めやらなければいけないと思うことが頭の中で整理できていないことが問題と感じました。子どもをほめる、受容することをしたり、指示を徹底させようとしたりする場面があるのですが、それが一過性に終わってしまうのです。笑顔をつくることや子どもたちを見ることをしても、次の場面ではそれを忘れてしまいます。授業を進めることで手一杯で、視線が指導書からなかなか離れません。意識することを絞って、まずはそれを徹底することから始めることが必要でしょう。
「かばんのなかにかばがいる」というように言葉の中に隠れた言葉を探すのですが、教科書の問題には、「○○がいる」と「○○がある」となっているものが混じっています。授業者はこのことに触れずに子どもたち取り組ませます。「いる」と「ある」の違いに頓着しない子どもと、意識する子どもがいます。授業者は、「いる」「ある」という言葉を無視し、隠れている言葉だけを発表させていきます。その後で、「いる」と「ある」の違いについて考えさせますが、そうであれば、教科書をそのまま使ってはいけません。意識しなかった子どもは、最初は正解だと思っていたのに、あとから不正解になってしまい、釈然としないことになります。言葉だけを書いたワークシートか黒板で取り組ませるとよかったでしょう。
授業の構成が、教師の都合で考えられています。子どもの目線で課題や活動を見直す必要があります。教材研究では、子どもはどう思うか、子どもはどんな反応をするかを想像するようにしてほしいと思います。

3年生の国語は、同じ音の言葉を漢字で書くことで状況を明確にできることの学習でした。前回見たように、授業規律や指示の出し方には素晴らしいものがあります。
子どもの発表場面では、しっかりと受容して何人も指名するのですが、その言葉を他の子どもにつなぐことはまだできません。授業者が納得すればそれでよいと子どもが思っています。友だちに伝えようとするのではなく、先生にわかってもらおうとしています。
私たちが見た場面は、同じ読みをする漢字を区別がつくように伝える場面でした。「はっぱの葉」「はごいたの羽」に続いて「ひにあたるのひ」と答えた子どもがいました。授業者は「火」も「陽」も使えるから「ひにあたるではわかりません」と優しく言いました。しかし、言い方が優しくても否定は否定です。発言した子どもは場面が変わるまで下を向いていました。こういう場合は、授業者が判断するのではなく、「どう、どんな漢字かわかるかな?」と他の子どもたちに問い返し、これではわからないことを指摘させてから「区別がつかないって。どう言えば、区別ができるかな?」と本人に修正させるのです。そうすれば、決して否定された気持ちにはなりません。
授業の前半では、「人形に、はながついている」という表記では「花」のことか「鼻」のことかよくわからないが、漢字を使えば区別がはっきりつくことを学習しています。今度はどのように表現すれば、区別がつくかを考えます。「顔にある鼻」「髪の毛に花をつける」といった言葉を子どもたちから出させました。ねらいが、漢字を使うよさから、どの漢字なのかの伝え方、情報を付加することで正しく伝えることに変わっていきました。漢字は音だけでなく意味があるのでよく伝わることと、情報を付け加えて正しく伝えることの2つのことが同じ「人形のはな」を使って学習しています。ねらいの違いが明確になっていいなかったので、子どもたちは今何を学習しているのかよくわからなかったように思いました。授業者としては、このあと同じ読みの漢字を調べさせて、次時に正しい漢字を入れるクイズをつくらせるので、そのための布石と考えていたようですが、それならそれで、そのことをはっきりさせて見通しを持たせた方がよかったと思います。
同じ読みの漢字調べは、教科書についている漢字の一覧を使っても、漢字字典を使ってもよかったのですが、ほとんどの子どもは漢字字典を使っていませんでした。せっかくですから、試しに1回漢字字典を全体で使ってから課題に取り組ませてもよかっと思います。漢字字典はどのようなことに役に立つか、そのよさを共有したいところでした。活動の後、いくつ見つけたか数を確認し、たくさん見つけた子どもに拍手をします。しかし、活動の前に目標は明確にされていません。中には、1つの読みに対して異なる漢字をたくさん見つけようとした子どももいるでしょう。いろいろな観点で評価することを含め、目標や評価の基準を明確にしてから活動させたいところでした。
2年目の先生ですが、基本がかなりできています。だからこそ、課題もたくさん浮かび上がります。前向きに一つひとつ課題をクリアしていってほしいと思います。

授業研究は5年生の体育の授業でした。短距離走でリレーのタッチの練習が活動の中心でした。
子どもたちは走って集合ができます。授業規律がきちんとしているようですが、話をしている時に顔が上がらない子どもがいることが気になります。授業者は一連の指示をしても確認をしません。ちゃんと聞かなくてもまわりを見て行動すれば何とかなるのでしょう。そのせいもあってか、単純な集合の時には走って移動するのですが、何かを取ってくるというように移動以外にいくつかの指示が組み合わさると走らない子どもが目につきます。子どもが指示を実行することで手一杯になっているのでしょう。指示した後に「今から何をするか、言ってくれるかな?」と指名をし、もし言えなければ他の子どもに説明させてから、もう一度確認するといったことが必要になります。頭の中に次の行動がはっきり意識できていれば、走って移動することに気がつくと思います。
3秒と時間決めて、自分がゴールできそうなギリギリまでスタート位置を下げて走る。腕を大きく振って走る。足を高く上げて走るといった、バリエーション豊富なウォームアップをします。子どもたちは意欲的に取り組みますが、友だちの走っているところを見ている子どもはあまりいません。活動そのものが目的化しているので、その目標や評価がはっきせず、自分の順番でない時の役割がはっきりしていないのです。授業者は、「○○さん腕の振りがいいよ」と評価していますが、本人は全力疾走しているので、なかなか伝わりません。観点を明確にして子ども同士で評価し合うことでちゃんと伝わりますし、自分が走る時にもポイントを意識できます。また授業者は、どうしても走っている子どもに目がいきますので、待っている時の子どもの様子まではなかなか把握できていません。順番を待っている時の様子も評価したいところです。
バトンタッチの練習はチームごとに前の走者がどこまで近づいたらスタートすればよいかを見つける活動です。スタートする目安のマークを調整しながら互いの速度をバトンゾーンの中で合わせる練習をします。子どもたちはスタートの位置ばかりに気がいっています。絶対的な速度差があるため、ギリギリまで待っても瞬間的に置いて行かれ、上手くタッチできないペアもあります。腕を振って走るので、後ろの走者が手を伸ばしているのに腕が逃げてタッチできないペアもあります。しかし、なかなか修正することができません。友だちの走りに意見を言う子どもと何も言わずにぼうっとしている子どもがいます。見ている時の役割が明確ではないのです。
授業者はチームの中に入って指導をしたりしていますが、全体の課題に気づけていません。活動を一度止め、困っていることを共有させて、どうすればいいか考える時間を与える必要があったと思います。上手くいっていないペアと上手くいっているペアを比較させたりして、どこを改善したらいいか意見を出し合うといった活動です。また、一連のウォームアップとバトンタッチの練習との関連をはっきりさせておくとよかったでしょう。その場で高速で足踏みをしてダッシュすることが、遅い相手にスピードを合わせてもすぐにトップスピードにもっていけることにつながるとを知っていれば、自分たちで修正することができます。走る順番は子どもたちで決めていましたが、どういう順番にすればいいのかも共有しておく必要があったでしょう。子どもたちが考えるための材料を意識しておくことが大切なのです。
最後に目標タイムを意識してチームごとに順番に走ります。タイムは結果なので、何に注意すればいいのかの確認が必要です。子どもたちはこの日練習したタッチ以外はあまり意識していなかったようです。走り終わった子どもたちがリラックスしています。中には、マーク用のコーンで遊んでいる子どももいます。友だちのチームの走りを見ていません。こういった場面では、他のチームのタイムアップのためにどんなアドバイスをすればいいのかを考えさせるといったことが必要なのです。コーナーで体が外に振られている。トップスピードでのタッチを意識すぎて、タッチが終わった時にはすぐにコーナーが近づいてしまい、大きく膨らんでしまっている。改善点がたくさん見つかるはずです。こういう子ども同士がかかわり合えるような課題を、見ている子どもに与えることが体育では大切なのです。

全体に対しては、考えるための材料、知識を意識することを中心にアドバイスさせていただきました。その知識を「教えるのか」「調べさせるのか」「復習するのか」と、考えるための足場をどのようにしてつくるのかを考えておくことが必要です。また、活動中に子どもの差が広がっていきます。途中で困っていることを共有して、全体で解決する時間を取ることも有効です。スモールステップを意識しながら、少し高いところに足場をそろえるのです。

この2回の訪問では若手の授業しか見なかったので、私のアドバイスがこの学校全体に対して有効なものであったかは確信が持てません。しかし、多くの先生方がしっかり聞いてくださっていました。何か1つでも参考になるものがあれば幸いです。
今回も若手の授業からたくさんのことを考え学ぶことができました。ありがとうございました。

課題が明確で学びが多かった研修会

市の授業力向上研修会でアドバイスを行ってきました。夏休みに行なった研修での模擬授業の本番です。指導案がどのように変わっているのか、子どもたちの反応はどうか、楽しみにして参加しました。

中学校3年生の理科で、流星群が毎年同じ時期にやってくることを考える授業でした。
子どもたちの表情がとてもよいことが印象的でした。この学級に限らず廊下で出会った子どもたちの挨拶と表情はとても素晴らしいと感じました。学校全体がよい状態にあるようです。
これまでにどのような学習をしてきたか復習をします。子どもたちは全員が手を挙げました。指名した子どもが答えると、パソコンに打ち込みディスプレイに残します。子どもに発言させるのですが、出てきた用語については授業者が説明します。これだけ挙手しているのですから、子どもに説明させたり、まわりと確認したりして、もっと子どもに活動させてもよかったと思います。子どもたちがよく聞いてくれるので、どうしても教師のしゃべりが多くなります。

この日の課題である流れ星をディスプレイで見せます。瞬間的なので見落とした子どももいます。どこで光ったかを見えた子どもに確認して、そこを見るようにと言って再度見せました。何気ない対応ですが、とても大切なことです。観察や実験は自分の目で見ることが大切です。見えなかった者にも自分の目で確認する機会を与えることが必要です。授業者は流れ星の正体を宇宙の「塵」だと言って説明します。知識ですのでムダな問答は避けて説明しました。よい判断です。塵が地球の引力に引かれて落ちてくることを地球の模型と塵に見立てたプラスチックを使って説明し、塵が引かれた先に何があるかを問いかけます。前時までに惑星についてグループごとに学習して発表しています。子どもたちが知っているはずの知識です。しかし、数人しか挙手しません。指名された子どもは「磁場」と答えました。授業者は「もちろんあるけど」と他の答を求めます。子どもからすると、これは教師の求める答ではなかったと感じます。ここは、「そうだね。磁場があるね。よく覚えていたね」と認め、他に挙手している子どもに「同じ?」と問いかけるといった対応がよいでしょう。ここで、ノートを見ている子どもが増えました。よいことなのですから、挙手していなくても「ノートを見ているね、いいね。何が書いてあった?」と問いかけて認めることで、よい行動を広げるようにしたいところです。
「大気」が子どもから出てきたところで、流れ星が光るのは塵と大気がぶつかって起こる現象だと伝え、黒板に図を描いてまとめました。子どもたちは、授業者の指示がなくても板書をすぐに写します。この知識そのものはそれほど大切なことではありません。この日の課題を考えるための手掛かりです。自分の手でノートに写す意味はあまりありません。板書も図を手で描くので時間がかかっています。あらかじめ用意しておいたものをディスプレイに映して時間を節約したかったところです。
ふたご座流星群をディスプレイで見せて、この流星群が現れた時期を数年にわたって示し、予測できそうなことに気づかせます。そこで、この日の課題である、「流星群が毎年同じ時期に発生するのはなぜか?」と「たくさん見えるのはなぜか?」が示されました。ここまでに、授業時間の半分ほどを使っています。以前の指導案と比べてずいぶん簡略されていましたが、まだムダが多いようです。この課題の解決に必要な情報は、流れ星の正体が宇宙にある「塵」であることと、それが地球の引力に引かれて大気とぶつかって光ることです。先ほど述べたようにICTを活用したり、説明をまとめたものを課題提示の後に配ったりすることで時間をもっと節約できたと思います。

個人で考えをまとめさせた後に、グループで考えさせます。子どもたちの関係がよいのでしょう。個人でと言われても、自然にまわりに相談する子どもがいます。グループ活動に移ってから、子どもたちから最初に出させてまとめた、これまで学習した知識をディスプレイに映します。「困ったら画面を見るように」とヒントを出します。ヒントをディスプレイに提示するのはいいのですが、活動中に示すよりは、活動の前に整理しておくとよかったでしょう。また、根拠となるものがディスプレイと黒板に分かれていたので、「みんなが根拠として使える知識は」と、最初の復習と今日学習した流れ星に関する知識を同時に表示して根拠となる材料をまとめて見られるようにするとよかったと思います。
グループになると子どもの活性度が上がりました。個人ではなかなか考えをまとめることができなかったことと、子ども同士の関係がよいからでしょう。しかし、テンションが高めです。何となく思いついたことを話すのですが、根拠を持って説明ができていないようです。いくつかのグループは以前に学習した彗星にこだわっているようでした。子どもたちは、「塵」の正体がとても小さいものであるといった、流れ星の情報をあまり意識した話し合いをしていませんでした。ディスプレイと板書に情報が分かれていたことと無関係ではないように思います。根拠となる情報が多いので、議論が拡散していきます。地球や塵の模型も与えるのですが、考えを絞り切れません。

時間がきて発表です。各グループの考えを書いたパネルを黒板に貼って、子どもたちを前に集合させます。距離が近いので子ども同士がかかわりやすくなります。その場で指名して考えを発表させます。小惑星が引力でぶつかってできた塵が地球に引き寄せられるという考えが出てきます。説明したのがよくできる子どもだったので子どもたちはゆさぶられます。しかし言っていることがよくわかりません。授業者が補足して、次のグループに発表させます。時間がないために、一つひとつの発表について、納得したかどうか深く検討できません。「彗星が毎年同じ時期に近づく」というように、いろいろな考えが出てきます。全部のグループに発表させる時間がなくなりました。結論は、次回ということになったのですが、子どもたちは早く知りたそうでした。

モデルを考える時には、そのモデルで何を説明できる必要があるかを明確にしなければいけません。今回であれば、「毎年同じ時期」「たくさんの流れ星」を説明できることです。「毎年同じ時期であることが納得できた?」「流れ星がたくさんできることは?」と子どもたちの説明に問い返すことが必要です。そうすることで、考えを整理でき議論を焦点化できます。他のグループの発表に対して子どもたちはいろいろと考えているようでしたが、自分でも整理できていないのでなかなか言葉になりませんでした。多様な考えが出て来て非常に面白かったのですが、時間がないためここで終わったのは残念でした。

授業検討は3つのグループに分かれて行いました。子どもたちを中心に見てもらっていたのですが、議論はどのグループもほぼ同じところに集約されました。復習した内容が多かったため、子どもたちが手掛かりを絞り切れなかったことです。小学校の先生が多いこともあり、今回の授業で必要な内容に絞って復習すれば見通しを持ちやすかったのではないかという意見が多く出ました。皆さんよく子どもたちの状況を把握しています。対応策もその通りだと思います。しかし、授業者はあえていろいろな知識から必要な情報を選んで課題を解決してほしいと思ったのです。この情報選択能力も大切な能力です。中学校の3年生であれば、これもねらいとしては妥当だと思います。では、どうすればよかったのでしょうか?方法の一つは、一度中間で発表させて議論を焦点化させることです。途中で発表させた後、「同じ時期」「たくさん」に注目して、「小惑星がぶつかって塵ができたらたくさんできそうだけど、毎年同じ時期に流星が見える?」「彗星と地球が毎年同じ時期に出会うなら、彗星の公転周期はどうなる?」といった疑問を子どもから引き出します。いろいろな考えに出会わせてからもう一度グループで考えさせるのです。考えを整理できない時は、全体で発表できなくても、グループでは相談できます。グル―で考えを整理し深めることができるのです。そのためには、導入と課題設定までの時間を極力短くする必要があります。グループ活動は、1度発表して全体で追究して終わりではなく、もう1度戻す時間を確保することも考えておく必要があります。
授業者は、次の時間各グループの発表をもとにもう1度考えさせたいと言ってくれました。子どもたちの考えがどう深まるか楽しみです。

指導案を見る限り、夏の模擬授業と比べてあまり変わっていないようでしたが、ムダを省き、教えることと考えさせたいことがずいぶん整理されていました。他の学級で授業をしたフィードバックも入っているのでしょう。そのおかげで今回の授業の課題がとても明確になったと思います。授業検討も質の高いものだったと思います。
私にとってもとても楽しく、考えること、学ぶことの多かった研修でした。
この授業力向上研修会は来年度も継続されるようです。どのような先生方と出会えるか、今からとても楽しみです。

中学校で授業アドバイス

中学校で授業アドバイスを行ってきました。先週に続き2週連続での訪問です。

今年異動してきたばかりの、経験6年目の先生の理科の授業です。3年生の天体の年周運動の学習でした。子どもたちとの人間関係は悪くはないのですが、接し方がやや高圧的で先生のテンションが高めの傾向があります。子どもの発言を聞いている時には柔らかい表情もでますが、全体に話す時はやや表情が硬いようです。
定期試験が近いことや受験のことを意識しているのか、日周、年周運動に関する問題の解き方を教師が説明して教えています。日周運動や年周運動の問題は、天体の動きを理解してもそれが地球からどのように見えるかを理解することにギャップがあります。空間を相対的に見ることは難しいのです。特に年周運動は、時刻の定義や地球の自転周期と1日の長さ(南中から南中までの時間)の違いを子どもたちが理解する必要があります。このこと自体が難しい上に、そのことを根拠として実際に夜空の星がどのように動くかを想像することも簡単ではありません。子どもにとっては理解しにくい学習内容の一つです。とにかく点数を取らせたいという思いが強いため、根拠をもとに子どもたちが解き方を考えるのではなく、教師が一方的に解き方を教える授業になってしまいました。3年生のこの時期ですから、授業者の気持ちもわかります。子どもたちは頑張って食いついているのですがよくわからないのでしょう、問題の答を写すことで解き方を覚えている子どもの姿が目につきました。授業が終わった瞬間、大きく伸びをしたり体を動かしたりする子どもが目立ったことからも、受け身で苦しい子どもがいたことがわかります。
以前の学校では授業規律を維持させることにエネルギーを使わなければいけない状態だったようです。決して力がない先生ではありません。この学校では、威圧的でなくても授業規律を維持させることができます。子どもたちを活躍させ、子どもたちの言葉で進める授業に挑戦することをお願いしました。

2年生の理科の電力の学習の授業は、実験結果から発熱と電力の関係を考える場面でした。子どもたちは何を知るための実験をしたかがよくわかっていません。指示されたことを実験しただけです。仮説や予想といったことが全くないまま実験しているので、考察を書けと言われても何を書いていいのかわからないのです。いや、そもそも考察とは何かがしっかりと押さえられていないのです。結局、授業者が実験とは関係なく電力や電気による発熱について説明をして、その説明と実験の結果が一致していることを確認することの繰り返しになってしまいました。子どもたちから、電力についての説明の板書を考察のところに書くかどうかを質問する声が上がりました。今何をしているのかよくわかっていなかったのです。
子どもたちの多くが、何を考えればいいのかわからないために参加しなくなっていきます。結局板書を写すだけの活動になっていました。
授業者は、子どもをあまり見ていません。この授業を通じて子どもたちにどうなってほしいかという目標や求める子どもの姿がはっきりしていないのです。子どもを見るという行為は、子どもにどうなってほしいかということと対になっています。授業で目指すものを明確にすることをお願いしました。

前回アドバイスした数学の初任者と一緒に3年生の数学の授業を見ました。前回、玉置崇先生の「スペシャリスト直伝!中学校数学科授業成功の極意」「わかる!楽しい!中学校数学授業のネタ100」を紹介したところ、この学校で既に購入されていました。それからすぐにこの本を読んでくれたようです。この先生が自分の授業を考え直すきっかけになったようです。
今回は、子どもの姿を見ながら、どの子どもが参加できているのか、どのような場面であれば参加するのかといったことを解説し、子どもを受容することや子ども同士をつなぐことの大切さを伝えました。「グループで考えて」と言っても、簡単な問題であればすぐにできた子どもが説明を始め、他の子どもに教えてしまいます。グループ活動に適した課題を与える必要もあります。練習問題程度であれば、グループの隊形のまま個人で解かせればいいのです。「わからなければ聞いてもいいよ」とするだけで、子どもは自力で問題に挑戦し、困れば友だちに聞きます。こういったグループ活動のポイントについても、実際の子どもの姿をもとに伝えました。
第三者の視点で授業中の子どもたちの様子を見ることが新鮮だったようです。子どもたちの様子から多くのことがわかることに気づいてくれたようです。年明け後にまた訪問する予定です。進歩を見せてくれることを期待しています。

前回授業を見ただけで、アドバイスをできなかった2人とも話すことができました。特にGDMを取り入れている先生からは、「何とか全員が落ちずについてきているが、書くことが苦手な子どもをどうしたらよいか」という相談をされました。話すことはできるようになっても試験などで英文を書けないというのです。
子どもの状態をきちんと把握する必要がありそうです。ワークシートに書けないのは、英文が浮かばないのか、文字にすることができないのかを明確にするのです。例えば、正解を板書する前に、答の英文を話す時間をとってみるのです。ペアで確認してもいいでしょう。言えるようになってから、再度書く時間を取ります。それで、書けるのなら、まだこの日の学習事項の理解が足りなかったのです。英文を理解しても書けないのであれば、単語を知らないといった問題があります。中間段階として、必要な単語を黒板に貼っておくといった方法もあります。「できるだけ見ないで書くように」といった指示をしておくことで、子どもたちがどれくらい単語を書けるのかも把握出ます。このようなことを一緒に考えました。
授業にとても真摯に向き合っている先生です。こうして一緒に授業を考えることは、私にとってもよい刺激になります。この日もとてもよい学びをさせていただきました。

校長、教務主任と現状の課題とそれをどう解決していくかについて少し話す時間がありました。小さい学校なので教員の異動で学校の様子が大きく変わることもあります。今年度は、この点に関して対応が少し遅れてしまったようです。来年に向けて、今から少しずつ手を打っていく必要がありそうです。学校としてどんな授業を目指すのかについて、授業研究などを通じてもう一度全体で共有するといったことから始めることが必要でしょう。
校長や教務主任が学校の課題を理解されているので、きっとよい方向に動き出すと思います。

和田裕枝先生から、多くのことを学ぶ

先週末は、今年度第5回の教師力アップセミナーでした。豊田市立小清水小学校長の和田裕枝先生の「45分の授業モデルを作ろう」という講演です。和田先生は私の算数の授業の師匠のような方です。

今回はどのようにして算数の授業を組み立てるかというお話が中心でした。
和田先生は、授業の時間配分と流れを、導入は7分で子どもたちにこの日の自力解決の見通しを持たせ、5分程度で自力解決、集団解決を20分〜23分程度で行い、最後に10分間の振り返りの時間を持つといった構成で考えられています。
導入では、本時の課題解決に必要な基礎・基本を確認し、そことつなげることで、自力解決の見通しを持たせます。和田先生のすごいところは、5分程度の自力解決の場面で個別指導を行ってしまうところです。課題に対する子どもの実態把握をしながら、つまずきを見つけ、短い言葉で支援の言葉をかけます。これを全員に行うのです。私はあまり個人指導にエネルギーをかけないように先生方にアドバイスをしています。それは、多くの場合1人の子どもに時間をかけすぎて、全体を見ることができなくなるからです。和田先生は、必ず全員に声をかけます。そのためには、子どものつまずきを予想し、それに対して短い言葉でどのような声かけをするのかを考えておくことが必要になります。こういった教材研究と子どもたちの実態を素早く把握してどの言葉をかけるかを即時に判断する力があってはじめて授業時間中に個人指導が可能になるのです。
集団解決では、「学び合い」を強く意識されています。最近よく行われているグループやペア活動を活かした学び合いではありません。形や仕掛けに頼らず、子どもの言葉を拾い、つなげ、深めていくことで確かな学び合いを実現されています。ここで大切になるのは教師の方針です。どの考えを活かして授業を進めるのか?どの考えとどの考えを比較するのか?どの考えを次回に回すのか?また、受容だけして扱わないのか?こういった方向性を予め持っていないと、即時に子どもの発言を評価して、切り返したりつなげたりすることはできないのです。すぐに和田先生のような即時判断ができるようにはなりませんが、このことを意識して毎日の授業に臨むことが大切だと思います。
振り返りの時間が足りなくなる授業によく出会いますが、この日の学習内容を定着させるためにも、適用問題の演習や課題に対するまとめの時間を確保することが大切になります。数学的な思考を身につけさせるために、本時の課題に対してのまとめを「書く」ことを習慣づけることが大切です。課題からわかったことを整理、補充し、その前提となる条件や一般化などの数学的な思考をすることを求めます。具体的な数値や図を入れて「算数のノートだとわかるように書く」ことを求めるのです。高学力の子どもには、そういった数値などを使わず、より抽象化された、メタなものを書くこと求めていきます。和田先生は、全員に同じ高さを求めません。一人ひとりが成長することを求めます。低位の子どもには低位の子どもに応じたものを求めるのです。学び合いを意識される方に共通の発想のように思います。

子どもたちの実態に応じた対応することが、和田先生が授業の流れをつくる基本的な発想になっています。具体的には、その日の課題に出会った時に子どもたちがどのように考え、反応するかを予想することから始まります。その反応が授業を進めるうえで障害になるようなものであればそういったことを起こさないですむような導入を考える。本時で活かしたい考え、見通しにつながるものであれば、それをより引き出しやすいような活動を導入で行う。こういう考え方です。自力解決に取り組んだ時にどの子どもも鉛筆が動くような導入を心がけておられます。
集団解決の方向性は、子どもに言わせたい言葉は何かを意識することで決めていきます。振り返りで子どもに書かせたいことと言ってもいいでしょう。そのために、何を共有し、どこに時間をかけるかを考えるのです。解き方そのものではなく、どのような考え方をすれば解くことができるかということを子どもに身につけさせるのです。「授業でやっていないからできません」と言わせない授業、見たことにない問題を解ける力をつけることを目指すのです。

こういった話に続いて、5年「整数」の単元の最小公倍数の応用の問題をもとに具体的な授業のつくり方を考えました。教科書の課題をもとに、参加者に子どもの実態を予想してもらったうえで、和田先生の考える授業を模擬授業で教えていただきました。
今回改めて学ばせていただいたのは、子どもの学力差に応じた対応の仕方です。和田先生は全員参加を大切にされますが、それは全員が同じことをすることではありません。例えば、子どもの発言への対応であれば、言葉が足りない、上手く説明できないのが低位の子どもの場合には、質問を返したりはしません。他の子どもに言葉を足させます。中高位の子どもであれば、発言に責任を持たせます。他の子どもを納得させることを求めるのです。補助線の説明であればその説明をもう一度言わせて、それに合わせて他の子ども(低位の子どもを活躍させる)に書かせたりします。自分が考えた線を他の子どもでも書くことができるような説明を求めることで、説明する力をつけるのです。低位の子どもには、説明を理解することを求めます。高位の子どもには考え方の説明や他の子どもを助けることを求めます。それぞれに応じた役割を与えるのです。
また、和田先生の授業では常に子どもに反応を求めます。その反応を拾い、共有し、価値づけをします。「大切なことは子どもに言わせたい」のなら、子どもが反応することが必要だからです。首をかしげるといった些細な反応でも、それを拾い「どういうこと?」「何か困った?」と問いかけることで、子どもの言葉を引き出せます。その言葉をつないでいくことで、目指す考えに近づけていくのです。

今回、課題の与え方についてもよい視点をいただきました。教科書では、長方形のタイルを並べて、「できるだけ小さい」正方形をつくることが課題となっています。「できるだけ小さい」という条件は、「最小」公倍数を考えるためのものですが、この条件を空欄にした課題にまず取り組むことで、いろいろな大きさの正方形を考えさせることができます。1辺の長さが「公倍数」であればいいことに気づかせることができます。正方形をつくることは縦と横の公倍数(縦と横の長さが整数の場合)を1辺とすればいいことが基本であって、そこに「できるだけ小さい」という条件をあたえることで、「最小」公倍数の必然性が生まれてくるのです。2段階の課題とすることで、公倍数は最小公倍数の倍数になっていることも実感させることができます。条件を順番に与えることで思考を広げることができるのです。

お話を聞くたびに新たな視点が加わっていることや説明の言葉がより明解になっていることを感じます。管理職として日々先生方を育てることを通じて、ご自身のこれまでの授業を客観的に見つめて整理されていることがよくわかります。和田先生と出会ってからもう10数年になります。未だお会いするたびに新たな学びがあります。この日も、いつも以上に多くのことを学ばせていただきました。本当にありがとうございました。

私立の中高等学校で、達成感の必要性を感じる

先週末に私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。
その前の週が文化祭だったため、子どもたちが浮ついていないか気になりましたが、その影響をあまり受けていませんでした。高校は推薦で進学先が決まってきているので、授業に集中しない子どもが増えているのではないかとも思いましたが、それほど目立っていませんでした。総じて学校は落ち着いていました。
この日は主に中学校を中心に授業を見させていただきました。

中学校は全体として、一部の反応する子ども、参加する子どもだけで授業が進んでいく傾向がありました。どの子どもも板書を写すことはしますが、授業者の問いかけに反応する子どもは限られています。授業者も一部の子どもの反応を拾って授業を進めていきます。授業における子ども同士の関係性が薄いことが気になります。
また、授業や個々の活動のゴールが明確でないために、子どもたちは指示に従っているのですが、何をしているのかよくわかっていない場面がいくつかありました。子どもたちの活動意欲はどうしても下がってしまいます。子ども自身が評価できる目標が必要になります。
この状態が進んでしまって、授業規律が崩れかかっている教室もありました。指示と活動、その評価の間に時間が空いてしまうと、集中力が続かないのでどうしても規律が乱れてしまうのです。連続した活動であっても、ところどころチェックポイントを設けて、子どもたちを評価する場面をつくることが大切です。
次回の模擬授業による研修は、多くの中学校の先生が子ども役になってくださるので、このあたりのことを伝えることができればと考えています。

中高等学校全体の傾向として、教科として子どもたちどのような力をつけたいという目指す姿が授業からあまり感じられません。教師によってばらばらな教科も目立ちます。教師にも子どもにもわかりやすい目標が必要です。目標が明確でないために、子どもたちは達成感を味わえていないように感じます。逆に子どもなりに何か達成できたと思える授業に対しては、非常に前向きになっています。教科ごとに子どもたちが達成感を味わえる目標を設定することが必要でしょう。来年に向けて、この点についても詰めていきたいと考えています。

スモールステップの大切さを考えさせられた授業

昨日の日記の続きです。

もう1つの授業研究は、3年生のかけ算の筆算の授業でした。12×7の計算でかけ算の筆算のやり方を考えるというものです。
前時は12×4の計算で、12を10と2に分ける、6と6に分けて考えるという2つのやり方が出てきたようです。6と6に分けるという発想は12を2×6として、交換法則や結合法則を活用する時に使えますが、ここでは位取り記数法をもとにした計算を考えるのですからちょっと困ります。
授業者は「どんな数字(数とすべき)でも上手くできるやり方で考えて」と問いかけましたが、その意味は子どもにはよくわかりません。12を6と6に分けて考える子どももいました。ここでは、6と6に分ける考えを引きずらずに、最初から10と2に分けて考えさせるべきだったと思います。

2×7=14、10×7=70、14+70=84という式と計算を縦に並べて書きます。14、70、84が縦に並ぶことで筆算を想起させようというねらいです。授業者はそこからではなく、「もっとやりやすいやり方を考えていく」と、最後に子どもたちに言わせたいことから出発しました。筆算という言葉を前時に言った子どもがいたようなので、そのことを思い出させて、「かけ算にも筆算があります」と結論づけました。筆算がどんな形か予想させます。子どもたちが根拠を持って考えるわけではないので、あまり意味のある活動ではありません。
結局、授業者が答を書きます。筆算の形で12×7を書いてその下に「答はわかっているから」といって84と書きます。「なんでこうなるか言える?」と問いかけますが、子どもは混乱していきます。説明できる子どもは、知っている子どもです。その子どもは、繰り上がりを使って、「2かける7で14で、1が繰り上がって7と足して・・・」と説明し始めます。1段で書いているので、14と70を積んで考える段階をとばしてしまいます。ますます、混乱に拍車がかかります。授業者が「筆算の前にやったやり方で・・・」と別の説明を始めました。

ここで、「書く時に決まりがあったね」と問いかけます。子どもたちは、「定規を使う」「繰り上がりを忘れない」「1の位からやる」「位をそろえる」と筆算のポイントを答えます。授業者は、「『位をそろえる』だね」と自分の求めていたものが「位をそろえる」であることを伝えます。発問の意図が子どもたちによく理解されていなかったので、子どもたちは筆算に関して注意してきたことを思いつくままに答えました。ここで教師が自分の求めていたものを示すことで、子どもたちは教師の求める答探しをするようになってしまいます。
14と70を並べて書いたのですがから、「1は何が1つ」、「7は何が7つ」といった問いかけをし、同じ列に書かれているものは同じ固まりであることを押さえて、位をそろえると簡単に足せることを確認すればよかったと思います。
授業者は、「14をどこに書く?」と問いかけますが、子どもからは「どういうこと?」という声が出てきます。「14と70」を足すという計算をすればいいということを押さえずに、やり方(書き方)を先に教えようとするので混乱しているのです。14と70を足す計算するには位をそろえて筆算すればいいので、書き方が決まっていくのです。論理の流れが逆なのです。
ここで、数え棒を出して、筆算を書いた紙の上に置いて筆算の意味を考えさせました。ここで大切なのは、それぞれの数字が表すのがその位の数であることを押さえることです。70の10の位だから書かなくていいと説明しますが、子どもにはよくわかりません。位をそろえて書いてあるから、0がなくても10が7つあることがわかることを子どもに問いかけながら、言わせたいところです。

授業者は、教科書の流れを変えて、一気に筆算のやり方を子どもに気づかせようとしたのですが、子どもにとっての筆算の必然性がないまま、結局やり方を教えることになってしまいました。最初の友だちの「繰り上り」という言葉に引っかかって、14と70を積んで書いているのに、繰り上がりの1を足そうとしている子どももいました。「繰り上り」という言葉が余計な情報として子どもの頭に残ってしまったのです。
授業を組み立てるのに、スモールステップを意識して、1つずつクリアする必要があります。この授業では、「14と70を足せばいいこと」「14と70を、位をそろえて積めばいいこと」「1と7と数字だけをかけても、位を意識して書けばいいこと」を1つずつ押さえることが重要です。

授業検討会では、それぞれの授業ごとにグループに分かれて検討をしたのち、全体で発表しました。そこで出た皆さんの疑問に答える形で、私がアドバイスをさせていただきました。
授業者からは、「算数的な見方を子どもたち育てるためにどうすればいいのか?」「筆算のやり方は12×4、12×7、12×9のどの計算で考えればよかったのか?」という質問が出ました。
算数的な見方を育てるために意識してほしいことは、価値づけです。子どもたちの活動を通じてでてきた考え方や視点を、ただ「いい考えだね」とほめるのでなく、どこがどのようにいいのか価値づけするのです。価値づけを教師がしてもいいですが、育ってくれば子どもたちにさせることもとてもよい方法です。三角形をはさみで切って2つに分ける活動であれば、「切り方によっていろいろな形ができるけれど、辺か、頂点か、どっちを通る直線で切るかに『注目』すると、2つの三角形ができるか、三角形と四角形ができるかは『必ず決まるね』。」というような価値づけを子どもたちから出させるのです。振り返りで書くことねらってもいいでしょう。

筆算のやり方を考える時、12×4は、12を10と2に分けて考えれば計算ができることを考えさせるための問題です。12×7は2つに分けた計算を積んで計算する(筆算)必然性のある計算です。12×9は、計算を1段でやる(暗算)時に、2×7で14というかけ算による繰上りだけではなく、1+9という足し算により繰り上がりも起こることを考える問題です。子どもたちにとって異なって見えるステップが筆算のやり方を考えるためにあるのです。教科書は1度に1つのステップだけを登るように作られています。授業者は、本当は12×4の次に、12×9で筆算のやり方を考えさせたかったようですが、この間にある2つのステップをどう子どもたちにクリアさせるのかという道筋を明確にする必要があります。いつも述べていますが、教科書のやり方に縛られる必要はありません。しかし、教科書がなぜそのような組み立てをしているのかを理解した上で、子どもたちの実態に合わせて進め方を工夫してほしいのです。

授業者が、子どもの発言を途中で黒板に向かったまま書いている場面がありました。子どもを一切見ない状態が続いてしまいます。このことが気になったのですが、今回は算数の研究が主体ということと、時間の関係もあって触れることはしませんでした。代わりに教務主任にフォローをお願いしておきました。ところが、「そのあとすぐにその先生の授業を参観したところ、子どもの発言中に板書することはなく、意見をうなずきながら聞いていた」というメールをいただきました。教務主任は、まだ一言もアドバイスをしていなかったそうです。誰かが指摘してくれていたのでしょう。互いに指摘し合い、それを受け入れられる関係はとても素晴らしいことです。授業研究が確実に先生方の力量向上につながることと思います。
また訪問する機会があれば、ぜひ先生方の進歩を見させていただきたいと思います。

小規模校で、子どもの言葉を引き出す授業を見る

小規模校で2つの授業研究のアドバイスをさせていただきました。昨年度まで2年間、継続的に授業アドバイスをさせていただいた学校です。今年度は算数をテーマに授業研究に取り組んでいるということです。

1つは2年生の算数で、三角形、四角形を直線で切ってできる図形について考える授業でした。
授業者が子どもたちの言葉をできるだけ活かそうとしているのが印象的でした。「三角形、四角形を切るとどんな形になるか?」という授業者の問いかけに対して、子どもが何かよくわからないことを言っています。授業者はそれを無視せずに子どもに説明をさせました。前時までに使ったパズルの1つの長方形を示しこの形になると説明します。授業者はよく理解できません。しかし、しっかりと受け止めます。他の子どもたちも一生懸命に聞いています。どうやら、大きな正方形(?)を半分に切ると、その長方形ができることを言いたかったようです。そのことを理解した他の子どもが、今度は三角形2つで長方形ができることを説明しました。授業者は予想外であっても子どもたちの考えを受け止め、認め、ほめてからこの日の課題に入りました。日ごろから、子どもたちの発言をしっかり受容しているのでしょう。子どもたちが積極的に発言してくれます。

三角形の紙を用意して、子どもたちにはさみで切らせます。この時直線を強調し、直線はどんな線かを問いかけます。「まっすぐな線」という子どものつぶやきで確認して、定規で直線を引いてから切ることを押さえました。このまっすぐな線という言葉は大切なので、もう一度全体に向かって発表させて共有し、全員に言わせたいところでした。

どんな形ができたか、前に出て発表させます。しっかりと発表できますし、聞くこともできています。「どんな形」に対して、「すべり台の形」「オニ(の角)の形」といった言葉で説明します。授業者は、最初の子どもには「算数の言葉でいうと?」と問い返し、三角形という言葉を引き出しましたが、他の子どもには「あっち(以前の時間に学習をまとめたホワイトボード)の言葉」や「前の時間で習った」といった聞き方に変わりました。算数の用語を意識させるのであれば、「算数の言葉」にこだわりたいところです。前の時間にやった三角形の定義を子どもたちに確認して、「すべり台の形は三角形」「オニの形も三角形」というように、三角形の概念を具体的な例で押さえていくとよかったでしょう。

できた図形を黒板に貼りながら、どこで切ったかを説明させます。2つの三角形に分ける子どもが続きましたが、最後の1人が三角形と四角形に分けていました。この子どもがいてくれたので助かりましたが、小規模校ですから全員が2つの三角形に分けてしまうこともありえます。そのような時は、「みんな2つの三角形ができたね。いつでも、2つの三角形ができるかな?」というように問い返す必要があります。逆に普通の規模の学級であれば全員に発表させることができませんから、同じ考えの子どもたちをつないでから、他の考えの子どもに発表させる必要があります。
続いてこの切り分けの「今までの人と違うところ」と問いかけて、「四角形」という言葉を引き出します。授業者は「四角形だけではわからないから最後まで言ってほしいなあ」と切り返し、「四角形と三角形になっている。他の人は三角形だけ」と言葉を足させました。上手い対応でした。
ここで、これまでに発表した図形を見て気づいたことがないかを問いかけます。「気づいたこと」ではなかなか気づけません。「ちょっと形が違うと仲間に入れない」という言葉で、「ここが頂点になっていない」という気づきを引き出しました。実は、切り口が頂点から少しずれているものがあったのです。授業者はこのことに気づいていて、あえてその場では指摘をせずにここで取り上げたのです。続いて2人の子どもが同時に言葉を発しました。1人の子どもの「辺になっている」という言葉を取り上げて、「いいこといったね。どうなっているって?」と再度「ここが辺になっていると」説明させました。授業者が余計な言葉を足さずに子どもの言葉で重ねさせているのはとてもよいことです。前時で学習した「頂点」や「辺」という用語を子どもたちが使っています。また、さきほど言葉を発したもう1人の子どもにも「お待たせしました」とちゃんと発表させました。子どもたちが落ち着いて友だちの話を聞けるのは、こうして活躍の機会を確保しているからでしょう。

授業者は続いて四角形を切る課題に移りましたが、先ほどの頂点を通っていない切り方を「はさみが頂点を通っていない」「辺を切っていると」と押さえ、それぞれの切り方を「頂点と辺で切っている」「辺と辺で切っている」と整理することで、頂点、辺のどちらを切るかに注目させても面白かったと思います。ここは、算数的な見方を広げるよい機会でした。

四角形を切った時の説明では、子どもたちは最初から四角形と三角形、四角形と四角形と説明します。課題の視点を理解しています。切り方の具体的な説明をしている時に、「頂点がずれている」といった指摘も出てきます。ここで、授業者は指摘した子どもではなく、ちゃんと本人に修正させました。子どもをネガティブな気持ちにさせないことを意識しています。また、「○○さんとちょっと違って」とよく似ているが頂点を通らない切り方をした子どもの発表を、「○○さんとちょっと違うだけで四角形2つになるんだね」と評価しました。こういった評価するのはとてもよいことです。「どこが違う」「通るところが違う」「頂点と辺」というように発言をつなげて、「よく似ているけど、頂点を通るか辺を通るかでできる形が違うね」と算数的な評価にするともっとよかったと思います。

三角形と五角形に分けた子どもが発表しました。ところが、三角形と四角形と説明してしまいました。聞いていた子どもが五角形だよと、辺を「1、2、……、5」と数えました。発表した子どもは間違いを指摘されて、今にも泣き出しそうな表情になりました。授業者が「すごい発見!」と子どもを何度も評価し、気持ちが落ち込まないようにすることで、何とか持ち直してくれました。こういった対応も立派です。
五角形はまだ学習していませんが、子どもたちは類推しています。ここも評価し、価値づけしたいところです。三角形の定義と四角形の定義を復習して、「五角形は?」「六角形は?」「じゃあ百角形は?」というように拡張することを経験することも算数的な見方です。

全員発表しましたが、三角形と三角形に分けるやり方が出てきませんでした。ここで授業者は「実はもう1組ある」と誘導しましたが、先ほど述べたように、「これで全部?本当?」といった問いかけの方がよかったように思います。また、授業の最初に子どもたちが見つけた、長方形を2つの三角形に分けたものを使って気づかせてもよかったかもしれません。
三角形の時にどこを通るかという視点でもう少し整理しておけば、子どもたちが気づきやすくなっていかもしれません。「頂点と辺」「辺と辺」という切り方しかないかと問いかけることで、「頂点と頂点」に気づいてくれると思います。また、同じように「辺と辺」で切っても、2つの四角形に分かれる時と三角形と五角形に分かれる時があることを「どう違うのか?」とを問うことで、隣同士の辺や向かい合う辺といった言葉を引き出すことができるかもしれません。平行四辺形の学習などの布石になります。

以前と比べて、授業者の言葉が減って子どもたちの発言がとても増えています。子どもたちをしっかり受け止めているだけでなく、子ども同士のかかわり合いも増やそうとしています。子どもたちのよさを引き出すことを意識して授業をし続けていることがとてもよくわかります。そのことをとてもうれしく思いました。
だからこそ、算数の授業としてどうであったかということが問われます。算数の授業として見れば、この授業で子どもたちにどのような算数の力をつけたかったのかが明確になっていなかったことが、課題です。逆に言えば、目標さえ明確になっていれば、子どもたちから言葉を引き出すことはできるので、素晴らしい授業になると思います。次のステップが明確になったと思います。

もう1つの授業研究と検討会については明日の日記で。

私立の中高等学校で授業改善の打ち合わせ

一昨日は、私立の中高等学校で授業改善に向けての打ち合わせと授業観察を行ってきました。

この日は、3人の先生方と高等学校を中心に子どもたちの様子を見て回りました。子どもたちの姿が教師によって大きく違っていることを実感していただけました。子どもたちがよく集中している授業、ほとんど参加していない授業というように顕著な差があります。同じ学級でも授業者によって大きく違っていることが課題です。また、1年生は比較的子どもたちの姿がそろっているのですが、学年が上がるにつれてバラバラになっていきます。学年が上がるにつれて授業に対する前向きな気持ちを失くしているように感じます。また、もう一つ気になるのが、教科として子どもたちにどのような力をつけようとしているのかが、教師個人によって異なっているように感じることと、教師が目指すものと子どもたちの実態がずれてしまっていることです。

授業が上手くいっていない教師は自分の授業力に問題があると考えたり、逆に子どもたちが悪いせいだと考えたりします。どちらの考えもあまり建設的ではありません。上手くいっている授業があることからも、子どもたちは決して悪くないことがわかります。要は、どうすれば子どもたちのよさを引き出せるかです。上手くいくいかないを個人の問題とせずに学校の組織の問題とすることが大切です。学校全体でどのようなことに取り組むかを考える必要があります。
また、学年が上がるにつれて前向きさを失くしているように感じるのは、やればできるという実感を持てていない、自信がないことも関係しているように思います。簡単なことでいいので、「やった」「できた」という実感を持たせることが大切になります。

学校の授業改善の方策として、「共通の授業規律を明確にすることと、その具体的な実現方法を考えること」「教科として子どもたちにどのような力をつけるのかを明確にすること」「子どもたちに、できることをやらせてほめ、自信をつけさせること」の3つの柱を提案しました。
今回の3人の先生方は、その改革の柱になってもらおうという方々です。学校の実態を客観的に見ていただき、まずは自分の授業を通じて子どもたちのよい面を引き出していただくことをお願いしました。この中のベテランの方は授業中に子どもたちの言葉を引き出さそうとされていました。子どもたちとの人間関係もとても良好です。とても素敵な表情で子どもたちを受容されています。子どもたちもよく言葉を発してくれます。私からの、「私的な発言が目立ちますので、それを公的なものにするとよいでしょう」といったアドバイスも素直に受け止めてくださいます。もちろん他の2人もとても素直に、子どもたちの姿から学ぼうとしてくれますし、学校をよくしたいという強い思いを感じます。今後に期待が持てます。
来年度によいスタートができるように今からできるだけ準備を進めていきたいと思います。

久しぶりの中学校で、子どもの様子が気になる

今週の初めに中学校で授業アドバイスをさせていただきました。今年度初めての訪問で、1、2年生中心に参観しました。

全体的に感じたのは、以前と比べて子どもたちの集中が落ちていることです。その原因の一つが、授業規律が緩くなっていることです。子どもたち全員が顔を上げていないのにしゃべる場面を目にします。グループ活動などでは子ども同士がかかわることはできるのですが、全体の場面では子ども同士をつなぐことをしない先生が目立ちました。数年前の状態に戻ったように思います。教師の異動も少なからずあったので、もう一度基本的なことを学校全体で確認することが必要だと思いました。

経験6年目の先生の英語の授業は1年生で、定冠詞の”the”を学習する場面でした。GDMを使った授業です。
前時の復習は”other” ”another”の使い方です。手に持ったペンの色の組み合わせを変えながら練習します、”One is red. Other is blue.” “One is red. Others are blue. Another is green.”というように子どもたちに説明させます。子どもたちは集中し、しっかり考えて答えます。個別に指名した子どもが答えられなかった時には、全体に答えさせてから再度言わせます。失敗で終わらせないようにしています。わからない子どもがあきらめずに参加していることが印象的です。
日本語で説明をせずに、”the”の使い方を理解させます。脚と足が4つずつの椅子、脚が2つで足が4つの掲示板、脚が1つで足が4つの椅子を使って練習します。”This is a leg of the seat.” “These are legs of the seat.” “These are the legs of the seat.” “These is the leg of the seat.”の違いを、脚を指で指定しながら言うことで考えさせます。子どもたちはどのような時に”the”が使われるのか一生懸命に考えていました。何度も繰り返すことで次第に理解していきます。ある程度理解できたところで、ペアで確認の練習をします。子どもたちはよくかかわれています。ここで、挑戦してくれる子どもを挙手で指名しますが、思ったほどは手が挙がりません。手が挙がらない子どもも、友だちの挑戦を一生懸命に聞いていました。
続いてドアについている窓を指さします。子どもたちは、窓の単語が出てきません。授業者が”window”を教えても、どう言えばいいのかわかりません。”That is the window of the door.”と言わせたかったのですが、状況を理解できていませんでした。ここは、まず”This is a door.”と何について説明するのかを理解させておくとよかったでしょう。今度は窓の数が違う戸の図を書いて練習させます。同じことを、場面を変えて練習することで、よくわからない子どもには理解する機会を増やし、わかった子どもには練習量を確保します。GDMのよさです。
ペアでの練習で、相手の子どもがしゃべってくれないために困っている子どもがいました。こういう時に助けてくれる相手をつくっておくとよいでしょう。
最後にワークシートを使って、英文を書きます。先ほどはしっかり口を開けていたのに、書けない子どもが目立ちました。英文を作れないのか綴りがわからないのかどちらなのか気になりました。答の確認の時に、授業者がすぐに英文を書きましたが、まず言えるかどうかを何人かを指名して確認したいところです。答を写すことにかかりきりで、友だちの発言を聞けない子どもが少し目立ちました。このあたりをどうするかが課題です。
子どもに対する表情が初任者のころと比べると、とても柔らかくなっていました。日本語が全くない、大人でも難しい活動ですが、授業者の受容的な姿勢のおかげで子どもたちがしっかりと参加したことに感心しました。

数学の初任者の授業は、多角形の内角の和の公式を考える場面でした。
授業者は、子どもを漠然としか見ていません。授業規律も徹底できていません。子どもの顔が上がっていないのに平気で説明を始めます。前時の復習で「鋭角」「直角」「鈍角」の確認をしますが、子どもが反応しません。わかっていないように見える子どもも、ノートや教科書で確認しようとしません。他人事のような態度の子どもが目立ちます。「鋭角は90°より小さい角」という子どもの説明に対して、「0°より小さい」ものは除くといった補足をします。「0°より大きくなければいけない」という意味で言ったのかどうかはわかりませんが、0°より小さい角すなわち負の角は中学校では扱いません。数学は曖昧さを回避するために用語の定義にこだわる必要があるのですが、こういった数学用語の曖昧さが随所に見られたことがとても気になりました。
基本的に一問一答で進んでいきます。教師が必ず説明するので、指名されなければ自分に関係ないと、友だちの話を聞きません。学び合いを進めている学校です。友だちの話を聞くことができていたはずですが、教師が求めないのでできなくなってしまったのでしょうか?とても気になります。
六角形の内角の和の考え方を個人で考えるように指示します。子どもたちは、自然に友だちと確認しています。相談することに慣れている子どもたちなので、あえて個人にこだわる必要がないのです。
子どもたちはいろいろと線を引いて考えますが、授業者は三角形に分ける方法を1つ発表させると、他の三角形に分ける方法は同じものとして取り上げません。また、三角形の内角を集めると、六角形の内角と過不足ないことの確認もしません。初めに結論ありきの説明です。四角形を2つに分ける方法も発表させますが、1つの頂点から他の頂点を結んで三角形をつくる方法がどんな多角形でも使えるよい方法だと教師主導で結論づけ、それ以上は扱いません。子ども自身に評価させないのであれば、自由に考えさせる意味はありません。アイデアを評価する力をつけなければ、問題解決はできるようになりません。解き方のパターンを覚えるしかなくなるのです。ちなみに、凹多角形までを考えると、内部の点から各頂点を結んだ三角形の内角の和から、中心の360°を引くという考え方の方がより汎用的です。星形多角形までを考えれば、外角の和をもとに考える方が本質的です。それなのに、教科書が異なる方法を取っていることの意味を考えてほしいと思います。
n角形はn−2個の三角形に分割できることを、具体例をもとに言わせますが、それはあくまでも予想です。いつでも言えることを中学生なりの論理で説明させることが必要です。教科書では、表を作りながら帰納的に考えさせています。五角形は四角形と三角形、六角形は五角形と三角形というように分割できることから、三角形が1つずつ増えていくことを押さえておく必要があるでしょう。もちろん1つの頂点から対角線を引くと、両隣の頂点以外と結ぶことになるので、n−2本引けることから演繹的に考えてもいいのですが、ここでは帰納的な考え方に触れさせておきたいところです。
公式を出したところで、大切だから覚えておくようにと言います。説明なしで使っていいのが公式です。実際にはn−2個の三角形に分割できることから作ればいいのです。大切かどうかは、子どもたち自身で評価すればいいのです。
内角の和が900°になるのは何角形かという演習問題で、180×(7−2)=900から七角形という解答がありました。授業者は本人に確認することなく勝手に「地道にやったんだね」と決めつけて、大きくなったら大変だから、方程式で解くのが一番いいと結論づけました。しかし、900を180で割って三角形が5個だからと考えたのかもしれません。というか、そっちの可能性の方が高いように思います。また、必要条件と十分条件の考え方を意識することも大切です。「7を入れると条件を満たすから七角形は答になるね。それ以外はあり得ない?」といった、やり取りをしてもいいでしょう。
常に、教師が考える説明や解き方を子どもに求めています。子どもたちは、教師の求める答探しをするようになってしまいます。教え込みの典型になっていました。
授業者からは、どのような授業を目指すのかのという具体的なものが感じられませんでした。他の先生の授業を見たり、本で学んだりしながら、自分の目指す授業像を見つけようとしてほしいと伝えました。

もう一人の経験6年目の英語の先生の授業は、2年生の相対的な位置の表現を活用する場面でした。
位置を表わす前置詞の復習から始まります。一部の子どもがよい反応をしますが、反応をしない子どもが目立ちます。授業者は反応をすぐに拾って授業を進めていきます。反応しない子どもはわかっていないのかと思ったのですが、どうもそうではありません。この場面で参加する意思がないのです。わかっているからいいと思っているのか、授業者との人間関係の問題なのか、テンションを上げて参加する子どもと参加しない子どもの温度差が気になります。
この日の主課題は、位置を表わす”near” ”around” ”in front of” “next to” “by” “between”などを使って建物の位置を表現することです。2人ずつのチームで地図の決められた位置に建物のカードを置いて、互いに相手がどこに置いたかをあてあうゲームを行います。”Is there ○○ in front of ××?”というように聞いて、”Yes”か”No”で答えてもらいます。子どもたちは、どうしても勝負にこだわります。一見活発に見えますが、英語を話す、聞くといった活動量はあまり多くありません。子どもたちの目標がゲームに勝つことになっていることも問題があります。英語としての目標をどうするかが課題です。
例えば、次のようなやり方が考えられます。正解ならば、”Yes, there is ○○ in front of ××.”、不正解なら、”No. It is near the △△.”というように答えさせて、いずれにしても正しい位置がわかるようにして、一つずつ埋めていきます。間違えれば相手の言う正解をきちんと聞くことが必要になり、会話が成り立っていきます。正しく聞き取れたかどうかを相手が正しい位置に建物を置いたかで判断し、もし間違えていればもう一度英語で伝え訂正するように求めます。全部を正しく置ければ交代です。目標をグループ全体で何回やれたかにすれば、互いに協力し合う関係になります。できるだけポジティブなかかわりをつくるような活動にするとよいと思います。

この日は、私に次の予定があったため初任者にしかアドバイスができませんでした。来週訪問する時に、他の2人とは話をする予定です。
この日見た子どもたちの様子に気になる点がありました。次回の訪問の時には学校全体で何が起こっているのかしっかりと見極めたいと思います。

教務主任の研修で「学び合い」についてお話をする

先週末は、市の教務主任の研修で講師を務めました。この市では学び合いを取り入れようとしているのですが、まだ現場に浸透していないということで、他の市での実例の紹介とその意義やポイント等をお伝えしました。

「学び合い」というと特定の活動をイメージする方も多いのですが、子どもたちが「学び合う」という求める姿と、その実現手段を分けて考える必要があります。
教師が一方的にしゃべり続け、子どもは受け身で教えられたことを覚えようとしている教師主導の授業から、子どもが友だちとかかわり合いながら、自ら学ぼうとする子ども主体への授業へと変えることが求められています。子ども同士がかかわり合い学び合う授業の実現には様々な方法、要素がありますが、大切なことは、子どもたちが「互いに考えを聞き合う」「相手の考えを尊重する」ことです。
学び合いを進めることで、教師の学級経営力、授業力、指導力に頼らなくても、どんな教師の授業でも崩れない子どもの集団をつくることができます。その実現のためには、教師の授業技術を高めることよりも、子どもが変わる状況をつくることの方が大切だとよく言われます。ちょっと意地悪な見方をすれば、教師もよりも子どもの方が柔軟なので、子どもを変える方が速いということです。
グループ活動などの場面を授業の中につくることで、子ども自身が友だちから学ぶよさを身につけてくれます。教師の授業技術を高めることを求めなければ、そのルール等には工夫は必要です。4人組で、男女市松模様にする。グループで考えを1つにまとめない。グループに司会役などを設けない。聞かれていないのに勝手に教えない。教師は困っている子どもに対して個人指導をするのではなく、グループの仲間につなぐ。こういったことです。

「学び合い」がうまく機能している学校では、教師と子ども、子ども同士の関係がよくなり、授業中に笑顔がたくさん見られるようになります。学校の荒れもおさまり、不登校も少なくなるようです。落ち着いて授業に参加することで下位の子どもの学力も上がりますが、そこまで達成したところで壁に当たっている学校も目にします。子どもの学力を保障するためには、教材や課題が大切になります。これは、教師の教材研究とは切り離すことができません。状況をつくるだけでは足りないのです。また、教師が授業の進め方に困った時に、「相談して」とグループ活動にすれば取り敢えず子どもたちは活動をしてくれます。もちろんそれで学力がつくわけではありませんが、力のない教師でも授業が成立してしまいます。子どもが集中して授業に参加しているのに、学力が今一つ伸びないということになってしまうのです。

学校全体で「学び合い」に取り組むためには、ある程度共通の形をつくる必要があります。全員の先生に納得して実行してもらうことはとても難しいことです。従来の教師主導型で困っていない人に、やり方を変えろと言ってもなかなか聞いてもらうことはできません。しかし、力のある教師が学び合いを意識することで、今まで以上に素晴らしい授業に進化することもよくあることです。基礎があるからこそより高いとところに到達できるのです。
形をつくるために、校長の強いリーダーシップで強制する方法があります。まずは、若手で実践して子どもが変化する手ごたえを感じてもらって、学校全体に広げていく方法もあります。子どもたちの状況、先生方の意識によってその戦略は変わってくると思います。いずれにしても、授業改善の要である教務主任には、「学び合い」で目指す子どもの姿をまずしっかりとイメージし、現実とのギャップとその要因を探ることが求められます。今回の研修が「学び合い」を学校に広げることにつながれば幸いです。

向上し続けようという意欲を感じた懇親会

前回の日記の続きです。研究発表会の懇親会に参加させていただき、たくさんの先生と授業や学級経営についてお話をさせていただきました。研究発表会が終わるとほっと一息という学校も多いのですが、先生方からは授業をもっとよくしたいという意欲を強く感じました。

研究会当日に話をできなかった先生方ともお話をすることができました。
国語の若手の先生の授業は、題名に込めた筆者の思いを考えさせるものでした。一つ間違えると子どもたちに想像させるだけの展開になってしまいます。根拠を明確にすることが大切です。今までの読み取りをもとに考えるのか、本文の記述をもとに考えるのか、大きく2つの方法があります。授業者は本文をもとに考えさせたかったようです。題名に書かれている言葉を取り上げ、子どもたちに意識させましたが、子どもたちはそこから本文につなげて考えようとはせず、感覚的にとらえていたように見えました。その言葉に関しての記述をいったん本文から拾い出す作業をさせ、その文をグループで共有させてから考えるといったステップを踏むとよかったかもしれません。
他の授業と同じように、子どもとの関係がよくなっているので、子どもたちが気軽に発言します。授業者は子どものつぶやきを受け止めて説明しますが、子ども同士を直接かかわり合せるようにしてほしいと思います。まずは発言者に対して全体に向けて発言し直すように指導し、友だち伝える、友だちの言葉を聞くことを互いに意識させることが大切です。
3年生の国語の授業では、子どもが何度も何度も本文を見直している姿を見ることができました。本文を根拠に考えることが身についているようです。国語科として、本文を根拠として考えることを意識できていると感じました。

社会科はどの先生も課題を工夫していました。
1年生では、中部地方の各地の農業の写真を見せてどの地方のものかを考えさせる課題にグループで取り組んでいました。子どもたちが集中していたのが印象的でした。この問題を解決するには、各地方の農業の特色を知ることと、写真から特徴を読み取ることの2つの要素が必要です。子どもたちが育っていれば一気に取り組んでもいいのですが、場合によっては1つずつ取り組んだ方がよいかもしれません。写真を比較してどんな特徴があるかを言わせてから取り組む。逆に、中部地方の各地方の農業の特色をまとめさせてから、写真を見せる。こういうやり方です。一気に取り組ませて、途中でどのようにして考えているかを発表させても面白いでしょう。課題を工夫するだけでなく、子どもたちの成長に応じて進め方もいろいろと工夫してほしいと思います。
もう1つの1年生の授業は、中国の「経済成長によって抱えた課題」について考える授業でした。他の地域の学習でも同様のことをしていたようです。対象を変えて同じ課題に取り組むというのは、視点を育てるためによいことです。繰り返すということは、経験を活かすことでもあります。子どもたちに前回の活動で得た視点を事前に整理させたり、新たな視点を見つけさせたりすることを意識してほしいと思います。中国に関することは新聞記事などでよく目にするので、教科書や資料集だけではなく、最新の記事を用意するとよいでしょう。中国政府が最近とった政策やつくられた法律などのねらいから迫っても面白かったかもしれません。
気になったのが、グループでまとめる時に、ペンを持っている子どもが1人で書いていることでした。書いているのを他の子どもが全く見ていないグループもあります。まとめを1枚のボードに書かせるというのは、子どものかかわりをかえって失くすことになってしまうこともあるのです。実物投影機を使うことで、グループの考えをまとめさせてボードや模造紙に書く作業をなくすという方法もあります。それぞれのグループで話し合ったことを、各自のノートにまとめさせればいいのです。発表は口頭では難しければ、実物投影機でノートを映せば問題ありません。グループの他のメンバーに補足させることをすればまとめとして十分なものになるはずです。
3年生は、売り上げ不振に苦しんでいるマクドナルドの売り上げを伸ばす戦略を考えることが課題でした。以前にも戦略を考えることは経験しているそうですが、子どもたちは見通しを持てずに困っているように見えました。授業者は、マクドナルドに問い合わせをして用意した資料を与えていましたが、子どもたちはどこから手をつけていいのかわからなかったようです。以前の経験から、戦略を立てるためにどんな手順を踏んで考えるかをまず整理させてから始めるとよかったのではないかと思います。戦略を立てるために、どんなことを知る必要があるか、どんな資料が必要かを考えるのです。授業者は子どもたちから出てきそうなことをあらかじめ予想して資料を用意する必要がありますが、子どもたちが自ら求めた資料であれば、そこから発想しやすくなると思います。また、マクドナルドが過去に行った売り上げ増への方策とその結果がどうだったかを一覧にしても面白かったかもしれません。子どもたちが思いつきそうなことは取り組んでいるはずです。上手くいかなかった原因を考えることから、新たな発想をさせるのです。とはいえ、オリジナリティのある戦略を子どもたちがそうそう立てられるわけはありません。考えた後に、この一覧を見せて比較させても面白いかもしれません。
どれも意欲的な課題ですが、進め方の工夫の仕方で子どもたちの活動の結果は大きく変わってくると思います。互いの事例を共有し、学び合ってよりよい授業にしていってほしいと思います。

家庭科の先生の授業は、ボタンつけのポイントを自作のビデオで教える場面を見ました。子どもたちはとても集中して見ていますが、一部の子どもの集中が切れる時がありました。授業者もディスプレイの画面を見ていたため、そのことに気づいていないようでした。子どもの反応によって次の場面の展開は変わってきます。内容はよくわかっているのですから、子どもを見ることに専念してほしいと思いました。
ビデオを見せた後、復習として大きなサンプルで実際にやって見せます。ここでも子どもに背中を向けて実演していました。子どもたちはビデオを見た後はすぐにやってみたくなるはずです。この復習は子どもの意欲をかえって削いでしまう危険性もあります。ビデオを見せる時は、見終わった後に何をするのかをあらかじめ伝えておく必要があります。この場合であれば、見た後で実際にこのサンプルを使って誰かにやってもらうことにし、その
ことを伝えるだけでより意識してビデオを見ると思います。「みんなに聞きながらサンプルで実演するかから、よく見ておいてね」といったやり方もあるでしょう。ビデオの活用は見た後の課題を明確にしておくことが大切です。

時間の関係で授業を見ることができなかった先生が、何人もアドバイスを聞きに来てくれました。授業場面をもとに話ができなかったことはとても申し訳ありませんでした。今回の授業でどのようなことをねらったのか、実際はどうだったのかをお聞きしながらコメントしました。どの先生からも、子どもたちこうなってほしいという強い思いを感じることができます。こういう思いを持って実践を続けていくことが授業力向上への第一歩です。前向きなエネルギーを感じることができました。

3学期にも授業研究を行うとのことです。研究発表が終わっても、向上し続けようとする強い意欲が先生方からあふれています。楽しい時間を過ごすとともに、たくさんの元気をいただきました。このような先生方に出会えたことに心から感謝します。
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