野口芳宏先生から、いつも以上に多くを学ぶ

3連休の最終日は、今年度第4回の教師力アップセミナーでした。国語の授業名人野口芳宏先生の講演です。台風19号が近づいている中、多くの皆さんが参加してくださいました。それだけ、皆さん野口先生のお話に期待されているのでしょう。私もその一人です。教師力アップセミナー開始以来、毎年一度も欠かさず講師としてご登壇いただいています。そのぶれないお話にはいつも元気をいただいています。

午前中は、「海の命」をもとに野口先生が考える物語授業の進め方を具体的に教えていただけました。野口先生は学習用語を教えることを大切にされています。国語の学力には教材内容と教科内容があります。教科内容の大切な要素として、学習用語を挙げられます。作品の最初の1行からも、「題名」「作者」「作家」「筆名」と教えるべき学習用語がたくさんある。「会話文」と「地の文」、「段落」などもきちんと定義をして教えるべきだと語られます。
音読も、題名は大きく、作者名は小さく、題名と本文の間の空白行はびっくりするほどとって静かに読み始めるというように、教えるべきことをきちんと教えるようにと主張されます。

野口先生の全員参加の考え方が、この日はいつも以上に詳しく語られました。挙手に頼ると全員参加できない。「○か×」と全員に判断を求める。短い言葉で「書かせる」。「主人公の性格を2字熟語で書きなさい」というように、時には2字熟語で表現させるといったやり方も示されます。作品にそって発問されるので、とてもよく理解できます。しかし、こういった技術を活かすためには、作品のどの部分を取り上げるべきかの判断が大切です。教材研究が大切なのです。

子どもの読み取りを助けるのに言葉を足しながら読む方法があります。道徳でよく使われる手法です。この言葉を足すことを「着後」、こうやって授業する方法を「着語法」と言うのだそうです。この言葉を今まで私は知りませんでした。どこかで目にしていたはずなのでしょうが、記憶にありません。お恥ずかしい限りです。
この方法を活用するのであれば、授業でどの表現を扱うがはっきりしていなければ、どこで言葉を足すべきか判断できません。こういった手法を活かすにも、やはり教材研究が大切です。この日、野口先生が模擬授業で伝えられたことの裏には、常に深い教材の読み取りがありました。表面的に野口先生の授業をまねようとしてもそれほど簡単ではない理由はそこにあります。

作品に書かれた「現象」「会話」「事実」から「合理的に推論」することが鑑賞力と定義されます。国語の授業で、私がいつも「本文を根拠として答えることを求めてください」と先生方にお話しすることは、この野口先生のお考えの影響です。
この解釈を助ける方法の一つが比較です。この言葉がなければどうだろう、この表現を他の表現に変えるとどう違うと問いかけることで、作者の意図や表現したいことがよくわかります。このことを具体的な例でわかりやすく伝えられます。
解釈で大切なことは、表の意味「表層義」ではなく裏の意味「深層義」であると話されます。私たちはこのことを明確に意識することなく問いかけ、答えさせることが多いように思います。子どもから「表層義」しか出てこなかった時にどう対応するかが教師に問われますが、この「表層義」「深層義」という言葉を象徴的使うことで、問い返しやすくなると思いました。

この日の模擬授業で、野口先生は参加者に何度も短く端的に答えるように迫りました。考えが明確になっていないと、言葉がどんどん足され言っていることが揺れていきます。聞いている方は何を言いたいのかよくわかりません。短く端的に伝える訓練をする必要があるという主張はその通りだと思います。
ともすると、子どもがたくさんしゃべったことを評価する傾向があります。そのこと自体を否定する気はありませんが、教師が問い返すことで、その内容を明確にさせていくことが大切だと思います。

この日、野口先生は「問われて気づく」ということを何度も強調されました。教師が問わなければそのまま気づかずに済んでしまうことがたくさんあるということです。子どもに「問いかける」のは教師の大切な役割です。では、何を問いかけるのか。やはり教師に求められるのは教材研究ということになります。どこまで行っても、そのことから逃れられません。だから、野口先生のお話をうかがうと、いつも「お前はきちんと教材に向き合っているか」「教師たる者、学び続けているか」と迫られている気持ちになるのでしょう。

午後の第一弾は、若手の授業ビデオをもとに野口先生が講評をするというものです。野口先生が批判される「学び合い」に取り組んでいる学校です。司会はその学校の校長です。授業自体は学び合い以前に国語の授業として課題の多いものでしたが、司会者は批判ではなくどうすれば授業がよくなるかという視点で野口先生の言葉を上手く引き出します。
このやり取りの中で、野口先生が話し合いそのものを批判しているのではなく、子どもたちが何を話し合うのか、その内容を問題にしていることがよくわかりました。いつか、野口先生にこういう学び合いならいいという授業をお見せしたいという司会者の言葉で終わりました(自校でと言わないところがずるい(笑))。

最後は、道徳の教科化とそれに伴う評価のお話しでした。教えるべきことは教えるべきだという野口先生の主張はその通りだと思います。教科化で何を教えるべきかが明確になるのならそれはとてもよいことだと思います。社会の誰もが納得する当然のこと(ルールは守る、人を傷つけてはいけない等)を学校で教えるのかということには、何か釈然としないものがあります。本来家庭で教えるべきことを学校で教えなければならなくなってきたということでしょう。では、価値観が分かれそうなことはどうでしょうか。それに対して教師は自分の考えを強く言うことに臆病になっています。保護者から批判も来るかもしれません。教科化でそのことも明確になるのなら少しは精神的に楽になるのかもしれません。しかし、野口先生は教科とは関係なく、教師が堂々と伝えるべきだと考えられていることが言葉の端々から伝わってきます。制度では教育の質を変えられない、それを変えることができるのは教師の質である。野口先生の言葉はいつも教師であることの意味を私たちに問いかけます。

東京大学名誉教授の東洋先生の「評価は有限である」という言葉を例に出し、評価することを恐れるなと話されます。所詮評価は有限である。野口の評価は野口個人の評価であって絶対ではない。別のものが評価すればまた変わる。そういうものだと。
そこには、批判を受けても堂々と答えるという強い意志が隠されています。私が胸を張ってこう言えるようにまでには、まだまだ自分を高める必要があると痛感させられます。

最後に野口先生の道徳の視点を少し話されました。見方・考え方・受け止め方である「観」をもとに考えるというものです。同じ事実に対して「非」観するのか「楽」観するのかでその後の行動は変わってきます。どうとらえるのかで生き方は変わってくるということです。次回は、具体的な道徳の授業を見せてくださるということです。とても楽しみです。

この日も、いつも以上に多くのことを考え学ぶことのできた1日です。いつ聞いても、何度聞いてもぶれない野口先生の姿に元気をいただくと同時に、わが身の至らなさを思い知らされます。まだまだ修行中の身であることを痛感します。

介護研修で組織にとって大切なことに気づく

先週末、介護関係者の研修を行ってきました。今回からは、自分たちの考える介護のスタイルについて考え、共有してもらうという内容です。

介護施設で皆さんが行っている仕事をグループでできるだけ細かく出していただきました。午前中だけに絞ってもものすごくたくさんの仕事です。素直に「忘れてしまうこともある」という言葉がでてきます。全体の場でこのようなことを正直に言うのは、実はなかなか勇気のいることです。これができるということは、互いに信頼関係ができているということです。
ここで、これらの仕事を進めるにあたって大切なこと、ポイントは何かを話し合っていただきました。いくつかのポイントが出てくるのですが、介護の技術的なことは出てきません。この施設では技術面での不安や心配はないので上がってこないのです。出てくるのは、コミュニケーションの問題と利用者を見守るという姿勢の問題です。前者は、利用者の情報や大切なことを全員が知っておかなければならないという当たり前のことを問題にしていたのですが、それが現実には難しいことがわかります。今回は、この問題についてどのようにすればいいのかをグループで考えてもらいました。

最初に、ミーティングで共有する、見やすいところに情報を貼っておくといったシステム的なものと、その日必要な情報のメモをつくって常に手元に置いておくといった個人の対応がでてきました。しかし、それではちゃんと見ない人、やらない人には通用しないという意見が出てきます。みなさん、自分が与えられた仕事をミスのないようにしているだけではダメだと気づきはじめます。申し送りのノートに書くだけでなく口頭で伝える。忘れていることやミスに気づいたら、立場に関係なく声をかけるといったことが出てきました。そこには仕事をこなせばいいという受け身ではなく、自分たちの施設、自分たちの問題だという意識があります。これができることが組織としての力です。とてもよいことに気づいてくれました。素晴らしいと思います。

「忘れていたことを指摘された時にどう反応しますか?」という問いかけに、ある職員の方が、最後に「ありがとう」の言葉を足されました。多くの場合は謝るか、言い訳です。自分の身を守る対応です。この方は指摘されたことに対して「ありがとう」と感謝を伝えました。なかなかすぐに出てくる言葉ではありません。指摘する方も勇気がいります。謝られると相手に嫌な思いをさせたと暗い気持ちになります。「ありがとう」の言葉は相手の気持ちも軽くしてくれます。
こういった職員一人ひとりの持つよさがどんどん広がることを願っています。

介護の専門知識のない私には直接皆さんのお役に立つ話ができるわけでありません。こうして皆さんの中にある素晴らしいものを引き出すことしかできません。これは、学校の教師にも通じることかもしれません。子どもたちに教えるだけでなく、子どもたちの中にあるよさを引き出し、共有させることです。特に教科化が決まりそうな道徳では大事にしたいことだと思っています。
この日も参加者の皆さんから大切なことにたくさん気づかせていただきました。感謝です。

基本がしっかりとできていて、学ぶことの多かった授業

前回の日記の続きです。

授業研究は1年生の国語でした。今年異動して来たばかりの方です。
第一印象は、子どもたちの笑顔がとても多いことでした。学級経営が上手くいっている証拠です。授業者が子どもたちをよく見ていて、受容する態度にあふれています。雰囲気のよいのは当然のことかもしれません。
この日の授業は、今まで学習した自動車を比べる文章をもとに、はしご車の説明の文章を書く場面でした。

まず、廊下側の窓に貼ってある模造紙に書いてある、これまでに学習した文章を見せながら、車の「つくり」に関する修飾語の違いを見つけるクイズを出します。この日の授業は、はしご車の「つくり」について文を書くのですが、そのために修飾語を意識させようというわけです。子どもたちは素早く廊下側に体を向けます。子どもを指名すると、すぐにそちらに体を向けます。授業規律がしっかりしていることがよくわかります。
次に、前時で学習したはしご車の「しごと」を問いかけます。手の挙がらない子どもがいます。「全員手が挙がるといいね」と声をかけ、思い出せない子どもには手元にある今まで学習した車について書いたカードを見てもいいことを伝えます。とてもよい対応です。思い出せなければ調べればいいということをきちんと伝えています。

はしご車に何がついているかという問いかけに、「鏡」と答えた子どもがいました。子どもたちも授業者もよくわかりません。発言者は「教科書に載っていた」と付け加えます。すると子どもたちが一斉に教科書を開きました。とてもよい場面です。どうやらバックミラーのことを言っていたようです。そのことを全員が確認できたところで、「どの車にもついている」という声が上がってきます。授業者は鏡を「つくり」の説明に取り上げるべきかどうか子どもたちに問いかけます。入れないという意見が多いことを確認した上で、発言者に声をかけます。発言者は納得してくれました。授業者が子どもたち一人ひとりに寄り添おうとしていることがよくわかります。「はしご」「あし」「かご」「ホース」の4つが出てきました。

子どもたちにはしご車の動画を見せることを伝えます。子どもたちのテンションが上がります。「これは危ないな」と思いました。しかし、授業者は続けてはしご車に必要な「つくり」は何かを考えるように指示をしました。ちゃんと動画を見る目的を持たせたのです。子どもたちは体をしっかり前に傾けて真剣に見ています。見ていて気づいたことをつぶやく子どももいます。授業者は画面ではなく、ちゃんと子どもを見ています。子どもたちは最後まで集中を切らしませんでした。
続いて、はしご車の仕事に何が必要かを確認します。動画のはしご車にはホースはあるのですが活躍しません。ホースを入れるかどうかは意見が分かれます。一人の子どもがホースの必要性にとてもこだわっています。授業者は無理にこの子どもを説得しようとはしません。残しておくという選択をしました。ここでは、選ぶための基準が明確になっていないので、根拠を持って説得することは不可能です。正しい判断だと思います。4つの中から好きなものを2つ選んで書くことを指示しました。

いよいよ本時の主となる活動である文書を書くことが課題として前面にでてきます。途中で動画の再生がうまくいかなかったこともあり、時間が押しています。「つくりの文章の終わりはどうなっている」とたずねながら、これまで学習した文章に、つなぐための言葉「そのために」と文末表現「・・・があります。」「・・・が、ついています。」が使われていることを確認します。ちょっと誘導的です。文の構造を意識させるのであれば、これまでの文章に同じ言葉(表現)はあるかと問いかければいいでしょう。
これらの言葉ともの以外をマスキングする(隠す)紙を模造紙の文章に重ねて、隠れているところに何が書かれているか考えさせます。子どもたちに修飾する言葉を意識させるためです。印象付けるためにはなかなか面白いやり方です。ここがしっかり書かれているのが「(車)博士の文章」だと伝えます。子ども目線の言葉で目標を与えているのもなかなかです。子どもが「詳しく」「どんな」といった博士の文章を説明するつぶやきが出ます。授業者は「いいこと言ってくれたね」と拾うのですが、全体にきちんと共有することはしませんでした。時間がないので焦っていたのでしょう。子どもたちに「やれそう?」と確認して、「やれそう」と返事が返ってきたので、活動を開始しました。

授業者はすぐに気になる子どものところへ支援に行きました。子どもたちは素早く鉛筆を持ちます。やる気十分です。ところが、ほとんどの子どもの手が動きません。活動を始めてすぐに支援に行くのは注意が必要です。ほんの少しの間でいいので、全体の状況を確認するのです。30秒も見ていれば、このまま進めても子どもたちが書くのは難しいと判断できたと思います。活動を止めて、全体で試しに一文をつくってみるといった対応をすればいいのです。
授業者は、一生懸命あちこちに支援に行きますが、それではとても追いつきません。作業をいったん止め、ペアで助け合って「つくり」の文章を1つだけでいいので、完成させるように指示しました。しかし、そもそもほとんど手がついていないので子どもたちは何を相談していいかよくわかりません。完成できなかった子どもがかなりになりました。

この単元は何を学習するのが目的だったかを問い直す必要があるでしょう。説明文の入門です。説明文の構造、書き方といった形式を身につけることが主の目的だと思います。「そのためには」「どんな(働きをする)」「もの」「・・・があります。・・・がついています。」という構造を意識させることが大切です。子どもたちは、この構造を理解していたと思います。だから、すぐに取りかかろうとしたのです。しかし、「どんな」の言葉が出てこなかったのです。語彙が少ないこともその原因の一つだと思います。この単元の目的からすると、この修飾する言葉についての壁はもっと低くしておく必要があったのでしょう。動画を見ることの活用を含めて、授業の流れを見直さなければいけません。
この日の目標である「博士の文書」はどのようなものか、早くから意識しておくとよいでしょう。文章の構造の確認は書く直前でよいと思いますが、「詳しい」ということが「博士の文章」であることを、動画を見る前に押さえておくのです。「詳しい」ということは、文章のどこの部分かを子どもに確認し、「どんな」の部分であることを共有します。その上で、動画を見る目的を「どんなという説明の言葉をたくさん見つける」にするのです。動画を見た後、「どんな○○だった?」とできるだけたくさんの子どもに聞きます。特に板書も必要ないでしょう。子どもの頭の中に言葉が生まれればいいのです。その後で、文章を書かせればいいのです。

検討会での授業者の反省は、実に冷静に自分の授業を分析できています。私のアドバイスは必要がないと思えるほどです。
グループによる授業検討が行われます。この市ではグループでの授業検討が定着してきたようです。うれしいことです。
この授業のよい点がたくさん出てきます。また、子どもたちが文を書けなかったことについてどのようにすればよかったのか、よいアイデアがたくさん出てきます。しかし、どうしても視点が、「この授業」なのです。この授業から「他の授業」に活かせることや「共通の課題」に学びが広がっていかないのです。そのことが残念です。
私からは、皆さんが気づいたことをもとに、どのような視点で授業をとらえ、つくっていくといいのかを具体的な授業技術と共にお話ししました。限られた時間なので、私の一方的な話になったことが悔やまれます。この学校が目指している「つなぐ」ことを意識して、先生方の考えをつないで見せるべきだったと思います。

検討会終了後、この日授業参観した先生方とお話をしました。皆さんとても素直で前向きだと感じました。きっと大きく進歩していくことと思います。
真剣に聞いていただけるので、ついつい余計なことまで話してしまいました。とても楽しく、私にとっても学びの多い一日でした。
また、訪問する機会があることを願っています。

幅広い層が授業を公開する

昨日は、小学校で授業アドバイスを行ってきました。事前にいただいた資料を見ると、学校として、毎日の授業でどのようなことを意識しようとしているのかよくわかります。授業検討では、「子どもたちの考えをつなぐ」ために、手立て・具体的な手法を協議しようとしています。

授業研究の前に、4つの学級の授業を見せていただきました。教室を移動する時に廊下から各教室の様子も観察しましたが、全体的に感じたのは、子どもたちの姿がバラバラだということです。教師の指示が徹底できていないということもそうですが、教師がこの場面で子どもたちにどういう姿を望むのかがはっきりしていないことが大きな要因と思います。
また、一問一答がとても多いことが気になります。子どもから意見が出ると、すぐに教師が説明を始めます。「子どもたちの考えをつなぐ」ことを意識して子どものつぶやきを拾うのですが、「○○さんがいいことを言ってくれた」とそこからは教師が引き継いで説明をしてしまいます。子どもたちの指名も挙手に頼りすぎでした。

6年生の若手の担任は社会科の授業でした。資料を見て気づいたことを子どもに問いかける場面です。「江戸時代の人々の暮らし」というテーマです。子どもたちに「気づいたこと」と問いかけますが、子どもが資料を確認する間もなく「どんな身分の人がいる」と畳みかけます。すぐに手を挙げた子どもを指名します。子どもが考える間がありません。すぐに反応する一部の子どもだけが活躍して、他の子どもは参加する間もありません。次第に集中力を失くす子どもが目立ってきます。
見つけたものが資料のどこにあるかを授業者が発表者のところに行って確認します。このような対応をすると、子どもたちは教師に対して発表するという意識しか持ちません。みんなに伝えようとしなくなります。
「どんな身分」から「どんな店」と教師が指示して視点が変わっていきます。なぜ、そこに注目する必要があるのか、そもそも何が目的なのか子どもたちはわからないまま引きずり回されます。典型的なミステリーツアーの授業でした。
江戸時代の暮らしを知るのなら、比較の対象があると考えやすくなります。今の暮らしと比べてもいいですし、過去に学習した時代と比べてもいいでしょう。教師に指示されたことをするのではなく、子どもたち自身が見つけよう、知ろうとすることを大切にしてほしいと思います。

2年生の授業は新卒の先生の国語でした。子どもたちのテンションが上がりやすい傾向にあります。授業者は子どもを制するためにテンションを上げて指示をします。子どもを見るのもチェックする視線です。例えば席の移動を指示すると、子どもはすぐにテンションを上げます。移動することしか指示していないので、それ以外のことは意識しないのです。チェックされないことは気にしません。「口を閉じて素早く」といったことも指示することが必要です。そして、できている子どもを固有名詞でほめることで、よい行動を広げるのです。
学習活動は、その目標と評価の基準が明確ではありませんでした。そのため、子どもたちはただ活動するだけになります。当然テンションは上がってしまうのです。

5年生の算数は中堅の先生の約数の授業です。自分の答を書いて見せることのできるノート大のボードを持たせています。前時の時間の復習で「8を割り切ることのできる数はどんな数?」と質問します。子どもたちは先ほどのボードに自分の答を書いて頭の上に出します。これは全員の考えを知るのにとてもよいアイデアだと思いました。「偶数」と書いてある子どもがたくさんいます。授業者にとって予想外の答だったようです。「8の約数」と答えてほしかったのですが、子どもにとってどう答えていいかわかりにくい発問でした。間違えた子どもは約数の定義ではなく、「8の約数はどんな数か」と問われたと思ったのです。約数の定義を問うのなら「どんな数?」ではなく「なんという?」と聞くべきだったのです。約数は数ではなく、そのような数の名前なのです。
授業者は、8の約数に1が入っていることに気づいて、1があるから偶数は間違いと言って次に進みました。予想外の答で落ち着いて対応できなかったのです。せめて、偶数と答えた子どもに「それってどういうこと」と聞くべきでしょう。子ども自身で間違いに気づかせて修正させたいところです。
約数の見つけ方で「ペアで見つける」という言葉が子どもから出てきました。教師はすぐに板書をしてから、子どもたちに理解したかをたずね、発表者に説明させました。板書をした時点で写す子どももいます。子どもはこれを受け入れるべきものとして認識しています。まずは、この言葉を全体で理解して共有することをするべきです。「それってどういうこと?」と問いかけて説明させ、納得した子どもにもう一度説明させる。何人にも説明させて、最後もう一度まわりと確認するくらいで、やっと全員が理解するのではないでしょうか。割る数と商がともに約数になることはそれほど自明ではありません。このことをていねいに確認したあと、割る数と商を線で結んで「ペアだね」と押させたいところでした。

もう一つの6年生の学級はベテランの担任で、算数の速さの授業でした。テンションが上がりやすそうな学級ですが、授業者はよくコントロールしているように感じました。笑顔をよくつくっています。
子どもの言葉を活かそうとする意識はあるのですが、どうしても自分で説明してしまいます。また、問題を解かせる前に、「これを使えばいいね」と教師が見通しを持たせてしまいます。「何を使えば解けそう?」と子どもに問いかけたいところです。
答を発表する場面のことです。勘違いをしてちょっとズレたことを言ってしまった子どもに対して、揶揄するような声が上がりました。ちょっと心配です。エスカレートしないうちにたしなめることが必要です。また、発言者が修正した時点でしっかりとほめて、揶揄されたことを打ち消すようにするとよいでしょう。

若手だけでなく、中堅からベテランまでが授業を公開してくれました。各年代層が積極的に授業アドバイスを受けようとしてくださる学校は、進歩も早い傾向があります。この学校も間違いなく大きく進歩すると思います。

授業研究については次回の日記で。

「授業検討ツール」を使った授業検討のための授業で考える(一部削除)

一昨日は、市の教育研究会にオブザーバーとして「授業検討ツール」(教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第6回「大きく進化した授業検討ツール」参照)を使った授業検討会に参加しました(「授業検討ツール」を使った授業検討の打ち合わせ参照)。授業は中学校3年生の数学の関数の締めくくりの授業でした。

この日の目的は、授業検討ツールの検証です。司会者の方は私以上にこの授業の問題点を理解されています。メモ用紙には「?」がいたるところに書かれています。どのような問題点が浮かび上がるだろうと楽しみにしていたのですが、市の教育研究会ということで遠慮していたのか、みなさん課題を指摘しません。そんな中で司会者は、話題にすべき場所をクローズアップされました。さすがでした。
検討会については、愛される学校づくり研究会の教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」で紹介しますので、ここではこのくらいにしておきます。

終了後、司会者と検討会について振り返りました。非常に多くのことが明らかになってきました。このツールのよさと、誰でもが活用できるためにどんな条件が必要か、どうすればその条件がクリアできるのかといったことをたくさん気づくことができました。このような機会を得られたことを本当にありがたく思います。

学校が新たな一歩を踏み出す胎動を感じる

昨日の日記の続きです。

社会科の授業研究は、1年生のヨーロッパ州の最初の時間でした。授業者は今年この学校に異動したばかりの方です。指示の言葉が短く非常に明確です。子どもたちは素早く反応します。ムダな時間がほとんどないのが印象的です。非常に落ち着いた雰囲気で子どもたちは学習に集中していました。授業者は新しい環境で4月5月は苦しんでいましたが、この学校に合わせた自分のスタイルが見つかったようです。
この日の授業は、ヨーロッパ州を概観する内容です。ヨーロッパを自然環境、人口・民族、農業、工業の4つの視点で調べて、どのような地域であるかまとめるというものです。
今回はジグソー学習の形を取っていました。課題をいくつかに分割してそれぞれで取り組み、後で組み合わせて1つにしてくという、協働学習の手法です。
グループの中で担当を割り振り、授業者が準備した資料とキーワードをもとに個人で調べてまとめます。中には教科書や資料集を見ている子どもがいます。用意された資料と同じような内容を探して、そこに書かれている記述を写しているのです。それならば、最初から教科書や資料集をもとに調べさせればいいでしょう。授業者としては、与えられた資料から読み取ってほしかったのでしょうから、教科書や資料集は使わないという指示を出せばよかったと思います。
グループの隊形での作業ですが、子どもたちは互いに違うことを調べているのでかかわり合うことはありません。集中して取り組んでいるからこそ、かかわり合わないのはもったいないように思いました。授業者は最初10分間と言っていたのですが、ここで時間を使いすぎない方がよいと判断して、早めに切り上げ次の活動に移りました。よい判断です。同じ項目を調べている子ども同士で新たにグループを作り、そこで情報を交換して元のグループで発表するための内容を深めるのです。いつもと違うグループで話をすることは、人間関係をつくるためにもよいことです。子どもたちは、この活動の目的を理解しているので、友だちの言葉をよく聞いているようでした。
次の活動に移ります。授業者はまず、元のグループに戻るように指示をします。こういった移動も実にスムーズに素早く行えます。移動が終わってから次の指示を出します。このように指示を分割していることも、子どもたちの動きのよさにつながっているように思います。自分の担当の内容を説明する時には、どこから言えるかの根拠を必ず話す、聞く側は、発表をそのまま写すのではなく、重要だと思ったことだけを書くようにと指示します。特に聞く側に考えることが必要な条件をつけることで、受け身でなくすことを意識しています。ちょっとしたことですがとても大切なことです。
子どもたちはしっかりと活動していますが、ちょっと空気が重たいように感じました。ところが次第に子どもたちのかかわり合いが増えてきます。聞く側に対する指示が効いているようです。しっかりと聞いてもらえるので、発表した後の子どもの動きがよくなるのです。ただ、発表者の中には「資料から・・・」と具体的に資料のどこからかを言えない子どももいました。時間の関係もあり、子どもたちが根拠を共有していないことが気になりました。
ヨーロッパ州とはどういう地域かをまとめた文章の穴埋めが最後の課題でした。事前に行なった他の学級の授業で、自分たちでまとめさせる時間があまり取れなかったので、このように変更したのだそうです。子どもたちはグループの中で自然に相談しています。気軽に聞き合える関係になっていることがよくわかります。授業者が子どもたちに問いかけながら正解を発表していきます。正解だった子どもはうれしそうに反応します。しかし、最後の活動が穴埋めになっているので、子どもたちは自分たちの活動が教師の求める答を導き出す活動だったと思うかもしれません。このことはちょっと気になる所です。
ここでのまとめは、「高緯度だが温暖」「複数の民族や言語が存在している国がある」「気候によってさまざまな農業が行われている」「資源や工業で国同士が結びついている」という4つの視点からのものですが、これらは結論、結果です。「なぜ高緯度なのに温暖なのか?」「複数の民族や言語が存在している国があるけれど、日本はどう?いろいろあって問題ないの?」「さまざまな農業というけれど、いろいろなものがつくられていることは、いいの?悪いの?」「資源や工業で国同士が結びつく必要がどうしてあるの?」といった質問をしたり、疑問を持たせたりしたいところです。こういった疑問は次の課題のEUにつながっていきます。EUについて学習する前にこのまとめを扱ってもよいかもしれません。

この授業の前に、2年目の先生がいっしょに授業を見たいと言ってくれました。素直に今苦しんでいることを伝えてくれました。自ら助けを求めることができることはとてもよいことです。教科が違うので直接参考にすることはできないかもしれませんが、この授業の課題や子どもたちの動きのよさの理由などをできるだけその先生の授業と比較しながら話をしました。今は苦しいかもしれませんが、学ぶ姿勢があれば必ずそれを糧とすることができます。成長が楽しみです。
また、養護教諭も一緒に授業を見てくれました。この日、11月に研究授業をする他校の養護教諭と打ち合わせをするので、この授業から学んでその先生に伝えたいというのです。この市の養護教諭のチームワークのよさ感じさせられました。どんな授業になるかとても楽しみです。

授業検討会では、授業者としては何をねらいたかったということが話題になりました。一番のねらいに時間をかけることが大切だからです。ヨーロッパ州を概観するといっても、1時間しか配当できないので時間があまりありません。子どもたちの活動で授業を進めるためにジグソー学習を取り入れて効率化したのですが、それでもまとめる時間が足りなくて、最後は穴埋め問題にしたのです。しかし、授業者は、本当は子どもたち自身でまとめさせたいと思っていたようです。ならば、この流れの中でその時間どうつくるかです。できるだけ効率的に、考えるために必要な情報を与えることが求められます。ジグソー学習を活かすのであれば、グループごとに項目を割り振って調べさせます。それを全体で共有するのです。この時、今回のグループでの報告で指示したように根拠を言わせるだけでなく、実際に資料を確認する活動を必ず入れるようにします。社会科として資料を見る力をつけることを意識する必要があるからです。ここを足場にして、子どもたちにヨーロッパ州はどんな地域かをまとめさせるのです。この流れならば考える時間をつくることができると思います。各項目を調べてまとめる時、これまでやってきたアジア州はどうだったか簡単に確認してから進めてもよいでしょう。まとめ方も明確になりますし、自然にヨーロッパとアジアを比較することにもなるので、特徴を見つけやすくなると思います。
この学校の社会科もチームワークがとてもよく、指導案もみんなが意見を出して一緒につくり上げています。そのため、授業検討会も第三者的な批判などはなく、当事者意識を持ってどこが課題か、どうすればいいのかと考えています。互いに学び合い成長できる関係だと思います。

6時間目の学活の時間の1、2年生のようすをざっと見ました。
1年生はとてもよい雰囲気でした。ただ、一部の学級で担任との関係がぎくしゃくしているように感じました。担任は何とかしようと動いているようですが、ちょっと過敏に反応しすぎているように思います。もう少し余裕を持って子どもたちを見守ることも必要だと思います。
2年生は、学級によって雰囲気の差があるように感じました。担任との関係がまだうまくできていない学級があるようです。しかし、それよりも気になるのが学級の中で友だちとかかわれていない子どもが以前よりもはっきりとしてきたように感じることです。体育大会などの行事をきっかけに学級の子ども同士の関係が密になる時期です。しかし、人間関係をうまくつくれていない子どもにとっては、より疎外されやすい状況とも言えます。どうも行事がそのように作用したのではないかと思います。人間関係がうまくつくれない子どもがいる時は、担任は子どもたちと一緒になって行事を盛り上げようとするよりも、ちょっと距離を取って子どもたちの人間関係を見守っている必要があります。こんなことを思い出しました。
また、この学校では、半年間固定の班を基本としていろいろな活動が行われています。教室の座席も班でかたまっているので、授業での人間関係も班にしばられます。人間関係が固定されるので、うまくかかわれない子どもが孤立しやすくなります。生活の班と、授業でのグループは別にした方がよいように思います。

この日も数学科の有志と勉強会を行いました。台風で実施できなかった授業研究の内容について話しました。関数のグラフと方程式のグラフがうまく結びつかない子どもがいて、それをどうしたらいいかを授業研究で話題にしたかったそうです。私なりのアドバイスをして納得はしてもらえましたが、実際に授業を見ていないので、あくまでも子どもの状況を推測しての話です。中止になったことがとても残念でした。

学校内で授業研究に対するエネルギーが少し上がってきたように思います。校長や教務主任が授業を大切にするように働きかけていることの効果が出てきているようです。ここのところ先生の異動が多かったため、現状維持に精一杯だった面もあったのですが、次の一歩を踏み出すような胎動を感じます。この動きを本物にしていかなければと思っています。

意欲的な初任者の授業

昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。台風18号の影響で3限目までの授業がカットされ、予定していた数学の授業研究がカットされたのが残念でした。英語と社会科の授業研究と学級活動の時間を参観しました。

初任者の授業はTTで行う2年生の英語でした。授業者の笑顔がとても印象的です。授業中一度も笑顔を絶やしませんでした。ちょっと癖のある子どもや授業に集中しない子どももいる学級ですが、きちんと授業が成立していました。この半年間で立派に成長しています。
この日の授業は音読を中心にしたものでした。最初にこの日のテキストをリスニングします。子どもたちはなかなか聞き取れないようすです。この日初めて学習する単語や語句もたくさんあるからです。よく言われるのが「読めない言葉は聞けない」です。少なくとも知らない単語を聞き取るのはとても難しいことです。
聞き取れた単語を子どもたちに聞きます。数人の手が挙がります。文全体や内容を聞き取るのが難しくても、単語なら聞き取れる可能性は増えます。子どもたちが参加しやすいように考えられた発問です。それでも、あまり手が挙がらなかったので、授業者は困った表情をするかと思ったのですが、笑顔を崩しませんでした。順番に指名していきます。最後の一人になった時に、それまで指名されなかった子どもは全部言われたとつぶやきました。一問一答になっていたので、参加できなかったのです。同じ単語を聞けた子どもをつないだり、「その単語の前後は何て言ってか聞き取れた?」「その単語の前後にはどんな言葉がありそう?」と他の子どもをつないだりして、少しでも多くの子どもが参加できるようにすればよかったと思います。
最後の一人はメモを見ながら数を発表します。電話番号があったのです。それを見て、「メモしている」というつぶやきがありました。メモをしているのはずるいと思ったのでしょう。授業者はそれに対してコメントしませんでした。授業者としては子どもにメモを取ってもらいたかったのでしょうか、それともメモを取らずに記憶してもらいたかったのでしょうか。いずれにしても、「メモを取っていたんだ。大事な言葉をメモできるといいね」というように評価するか、「メモを取っていたんだ。メモを取らずに頭に覚えておけるともっといいね」というように返すかして、どうしてほしいのか伝えてあげなければいけません。
聞き取れた単語が本当にあったのか確認することも必要です。聞き取れなかった子どもは、自分で確認できるすべがありません。友だちが言ったことをそのまま信じるしかありません。自分で確認して、できるようになる場面をつくることが必要なのです。子どもたちが発表した単語を意識できているうちに、もう一度挑戦し、1つでも聞き取ることを経験することがやる気につながるのです。

続いて、新出単語と語句の意味です。予習をすることになっていたので、子どもに意味を聞きます。何人かの子どもがその場ですぐに答えます。意欲のある子ども、活発な子どもが場を仕切っています。他の子どもは参加することができません。一部の子どもと他の子どもたちの関係が悪くなります。予習をしてこなかった子どもは、教師が教えてくれて練習するので特に困ることはありません。一部の子どものためにだけある場面になっています。こういう時は、単語の意味をまわりの子どもと確認させるのです。予習をしていた子どもは、活躍できます。してこなかった子どもは友だちに教えてもらい、予習をしてきた方がよかったかなと思ったりします。こうすることで子どもの関係をつくりながら、予習に対する意欲を上げていきます。
T2がフラッシュカードを使いながら練習をさせます。先ほどのリスニングは、この後に行なえばいいのです。練習したばかりの単語だから意識をすれば聞けるはずです。まずは、聞き取れたという達成感を与えてあげることが大切です。

チャンクリーディング(短文、語句単位で読ませる)、1文読み、部分リピート、・・・とたくさんの読む活動をします。しかし、これらの活動の目標がよくわからないのです。この日の最終目標は何か、一つひとつの読む活動の目標は何かを子どもたちは意識していません。ただ、指示に従って活動しているだけです。活動量は多くても子どもたちに達成感がありません。どんな力がついたか自分でよくわからないのです。目標を明確にし、子ども自身で達成できたかどうか評価できる場面が必要なのです。
教科書を見ながらのリーピートリーディングでは、ある子どもは教科書を見ながら、別の子どもは教科書から目を離し、授業者を見ながら発音しています。どちらも真剣です。最終目標は暗唱できることでしょうか、英文を読めるようになることでしょか、それともリスニング力をつけることなのでしょうか。それらすべてと言うのなら、この活動では何をねらっているのでしょうか。このことを授業者が意識していれば、子どもの姿がバラバラにはなりません。暗唱が最終目標であれば、「教科書を見ないで声を出してね。難しければ見ていいからね」と指示をし、次のステップでは、教師は最初の単語だけ発音すればいいのです。リスニングを意識するのなら、教科書は使わずにリピートさせ、聞き取れていなければスピードを落として、何度も聞かせるようにすればいいと思います。授業者が意識できていないので、当然子どもたちも意識しないのです。
また、読み方も意識してほしいと思います。最初はナチュラルスピードではうまく聴き取れません。当然少しゆっくりです。ゆっくり読むと単語単位の読みになって言葉のつながりが切れてしまい、文として読んだ時とは違って聞こえます。ゆっくりでも言葉のつながりがわかるように読む必要があります。これは、実は訓練しないとなかなかできないのです。こんなことも意識してほしいともいます。

シャドーウイング(相手の読みのすぐあとをついて読む)やジャスチャーリーディング(シチュエーションを表わすジェスチャーに合わせて読む)にも挑戦しています。ジェスチャーリーディングは9月に受けた東京都港区立赤坂中学校の北原延晃先生の研修に参加しての挑戦です。この意欲は称賛に値します。しかし、まだまだ消化できていません。当然です。実際にやることで、ポイントがわかり、上手く使えるようになるのです。しり込みしていてはいつまでたっても使えるようにはなりません。この挑戦する姿勢が大切なのです。

シャドーウイングは、まだ始めて日が浅いので子どもたちが追いかけて読み始めるタイミングがつかめません。こういう場面こそTTをうまく活用するのです。どちらか一方が最初に読み、もう一方が、追いかけて読むきっかけを出すのです。慣れるまでは、こういったことも必要なのです。

ジェスチャーリーディングは、ジャスチャーが何を表わしているのか子どもがわかっていません。「もし」といった抽象的な言葉はジェスチャーで表わしにくいからです。原則、ジェスチャーは1単語、1語句と対応するようにしなければ、語順などがわからなくなります。授業者のジェスチャーはそういう点でもおおざっぱでした。ジェスチャーの表わすシチュエーションを意識ながら言葉を紡ぐことで、英文の表すシチュエーションを子どもたちが理解するのがねらいの一つですが、子どもたちは英文と授業者のジェスチャーを対応させているだけです。これでは、ジェスチャーを使う意味はあまりありません。単語や語句と一つひとつのジェスチャーを対応させ、そのシチュエーションをきちんと理解させ、教えた上で活動することが必要です。

ペア活動がいくつかあったのですが、その様子が気になります。互いに相手の方を向いて目を合わせているペアの数が非常に少ないのです。子どもたちの人間関係が上手くつくれていない可能性があります。一方が教師役で教科書を読み、それに合わせてもう一方がリピートをする活動では、上手くできない子どもを教師役が助けようとしません。自分の役目は教科書を読むことだけだと思っているようです。このような場面にたくさん遭遇しました。子どもたちの関係をつくることを意識した指示が必要です。「先生だったら、どんなことに気をつける?」といった発問をして、子どもたちに相手を助けることをしなければいけないことを気づかせてから活動に入るといったことが必要です。

課題はたくさんあります。それはとてもいいことです。それに気づけば、一つひとつ解決していけばいいだけです。基本的な授業規律はできています。授業者は子どもたちをとてもよく見ています。だから、教科の内容や教材研究に関する課題がたくさん出てくるのです。
そして、素晴らしいのが英語科全体として一緒に授業を考える、つくるという教科のチームワークです。検討会の参加者の様子からそのことが伝わってきます。この学校の英語の授業はこれから大きく伸びていくと思っています。今後がとても楽しみです。

社会科の授業研究については、明日の日記で。

小学校で学校全体の授業がよくなるには

授業アドバイスをし始めたころ、学校全体の授業がよい方向へ変わるのは小学校の方が早いだろうと思っていました。小学校は学級担任が子どもに接する時間が長いので、先生がその気になれば、すぐに子どもたちが変わっていくからです。ところが、どうも中学校の方が、変化が早いのです。その理由が最初はわかりませんでした。素直に変わろうとする先生の数が中学校の方が多いわけではありません。むしろ小学校の方が多いくらいです。中学生が小学生以上に先生の影響を受けやすいとも思えません。しかし、ある程度の割合で先生が変わると、子どもたちの様子が大きく変わってくるのです。
その秘密は教科担任制にありました。1人の先生がいくつもの学級で授業をするので、多くの学級に影響力を持つのです。全員の授業が変わらなくても、一定の先生が変われば子どもがよい方向に変わりだします。子どもがよい方向へ変わりだせば、他の先生にとっても授業がやりやすくなり、結果的に授業がよくなっていきます。また、子どもの変化に気づくと、自分もまねをして見ようかと思うこともあります。よい取り組みが広がりだします。どうやら、こういうメカニズムのようです。

小学校は、1人の先生の変化の影響は1学級だけです。その学級のことを他の先生は見る機会がほとんどないので、子どもの変化に気づきません。広がっていかないのです。小学校を変えるのは難しい。そのように思うようになりました。
ところが、最近いくつもの小学校が、大きく変わることを経験しました。しかし、今度はその理由はすぐにわかりました。管理職や教務主任が積極的に先生方に働きかけているのです。授業の改善点や新しく取り組むことが学校全体に共有されるように強いメッセージを送っています。また、授業をよく見て、先生一人ひとりにきめ細かくアドバイスやフォローをしています。時には、「このようにやりましょう」と強制力を発揮していることもあります。小学校は学級担任が一日中子どもと接しますから、先生が変化すればすぐに子どもにも変化が出ます。アドバイスを1つでも実行してよい結果が出れば、また次のアドバイスを実行しようと思います。よいサイクルが回りだします。このよい取り組みを上手に学校に広げているのです。

この視点に立てば、小学校では先生方に対して個別にアドバイスすることも必要ですが、管理職や教務主任にその気になっていただくことがより重要だということです。中学校、高等学校では、何人かの先生に対して重点的にアドバイスをして、よい実践例を学校内につくってもらうこと優先してきましたが、小学校ではちょっと違うアプローチをした方がよさそうだと気づきました。学校経営の奥深さを改めて知らされました。

小学校の先生方の教材研究を考える

指導用教科書(赤刷り)を使って授業をしている先生が多いことに気がつきます。中学校ではそれほどでもないのですが、小学校ではかなりの割合のように感じます(ひょっとして先生方に児童・生徒用の教科書が支給されていないのかもしれないのですが・・・)。これ自体は決して悪いことではないのですが、どうもこの指導用教科書や指導書の使い方に問題があるのではないかと思うようになってきました。

小学校の先生は、1人で何教科も受け持ちます。中学校のように教科担任制であれば、1時間のための授業研究をすればそれが何回も活かせますが、1回授業をすればすぐに次の準備です。しかも、中学校であれば3学年しかありませんが、小学校は6学年あります。同じ学年を担当して以前の経験を活かせる確率は少なくなります。久しぶりに経験のある学年を担当したと思ったら、指導要領が改訂になっていてまたやり直しということもよくある話です。同じ学年の先生同士で教え合うことができればまだいいのですが、そんな時間もなかなか取ることができません。小規模校では1学年1人のこともよくあります。
小学校の先生の負担が大きいことはとてもよくわかります。だからこそ、効率的に教材研究をしようとするのは当然のことです。そしてその実態が、事前に指導書と指導用教科書を読んで、当日は指導用教科書を見ながら授業をするというものではないかと想像するのです。効率的に思えますが、そこには大きな問題があるように思います。最初から解説付きで見るために、教科書の内容に対して、どう扱えばいいのか、なぜこのような記述になっているのか疑問を持たなくなるのです。例えて言うならば、数学の問題を自分で解く前に解答を見ているようなものです。答はわかった気になりますが、自分で問題を解く力はつきません。
まずは、解説なしで教科書を読んでほしいのです。そして、子どもの視点で疑問を持ってほしいのです。疑問を解決するために長い時間をかける必要はありません。解決するのには指導書や指導用教科書を利用すればよいのです。自分で考えるというほんのちょっとしたことをするかどうかで、授業で押さえるべきポイントが見えてくるはずです。

このところ算数の授業を見るたびに、先生方が教科書を理解していないと感じさせられます。その原因は先生方の力量以前に、このような教材研究のやり方をしているせいなのではないかと思うようになりました。私の想像が正しいかどうか、先生方がどのようにして教材研究をしているのか聞いてみたいと思います。

「ほめる」と「甘やかす」

以前は、子どもたちをほめるようにしてくださいとお願いすると、今一つピンとこない表情をする方がよくいらっしゃいました。最近では少なくなりましたが、それでも納得されない方が時々いらっしゃいます。話を聞いてみると、どうも「ほめる」ことを「甘やかす」と勘違いされているようです。悪いことをしても叱らないのでは、子どもがダメになってしまうと考えているようなのです。
悪いことをしてもほうっておけと言っているのではありません。子どもによい行動をとるように仕向けて、よい行動をとった時にすかさずほめるのです。そのためには、強く叱って反省させるのではなく、次にどのような行動をすればよいのかを考えさせるのです。そして、よい行動にかわったらうんとほめるのです。

悪い行動を叱っても、他の子どもは他人事です。そのため、叱って矯正しようとすると、どうしても見せしめ的にならざるを得ません。悪い行動をしないように考えるようになるかもしれませんが、嫌な思いをすることを回避するだけで、ポジティブにはなりません。結果的に、よい行動には結びついていきません。
一方ほめられることは子どもにとっては、望ましいことです。友だちがほめられるのを見て自分もほめられたいと思います。ほめられるような行動をとろうとするのです。よい行動が増えていきます。
遅刻を例に考えてみましょう。叱ることで遅刻が減ったとしても、子どもは時間までに集合するだけです。それに対して、早く来て準備をして待っている子どもをほめると、早く来ようとするようになります。結果として遅刻がなくなるだけでなく集合も早くなります。子どもたちの行動がよい方向へ変わっていくのです。

「甘やかす」のは、ただ放任しているだけです。「ほめる」ということは、ほめるような行動を子どもたちがするような働きかけをすることです。ほめる観点を持って、子どもたちがそのような行動をしてくれるのをよく見ることです。そこには教師の積極的な関与があるのです。

互いが向上する組織づくりを考える

先日、介護職員の研修について打ち合わせを行ってきました。そこで、研修に参加しない職員に対してどのようにアプローチするかが話題になりました。研修に参加しない方に不手際が多いというのです。参加されない方には研修がツールとして機能しません。かといって、上司から個別に指導していてもモグラたたきです。日ごろの仕事を通じて互いが向上する組織づくりを目指す必要があります。

そのための第一歩はミスに気づいた時にフォローし、注意し合える関係をつくることです。口で言うのは簡単ですが、現実にはそれほど簡単なことではありません。ミスを指摘されることはあまり気持ちのいいことではありません。指摘する方は、フォローはしても、相手に嫌われることをおそれて注意まではしづらいものです。互いに注意し合いましょうでは、実効性は低いのです。
では、どのようにすれば指摘し合える関係ができるのでしょうか。なかなかよい答は浮かびませんが、対策の一つとして心理的な障壁を下げることを考えてみることにしました。具体的には、ネガティブな言葉を使わないようにすることです。「○○しないように」ではなく、「○○しましょう」と言い換える。「ありがとう」の言葉を必ず添える。こういう習慣をつけるというより、もうルールにしてしまうのです。形だけで中身が伴わなければ意味はないという意見もあると思います。その通りです。しかし、形をつくることで中身が伴ってくることも事実です。
管理する立場の方には、指摘した方に「ありがとう」と声をかけるようにお願いします。指摘する側の方が心理的には厳しいものがあるからです。

これは学級集団づくりとも共通することです。ソーシャルスキルを身につけさせることで、互いの人間関係をつくり、よい行動をほめて強化するペアレントトレーニングを活用するのです。
大人の集団でうまく機能するかわかりませんが、挑戦してみたいと思います。

「授業検討ツール」を使った授業検討の打ち合わせ

先週は、ICTを活用した「授業検討ツール」を使った授業検討の打ち合わせに出かけてきました(教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第6回「大きく進化した授業検討ツール」参照)。愛される学校づくり研究会で研究しているものです。

今までは、研究会の模擬授業でこのツールを試してきたのですが、いよいよ実際の授業で実験をすることになりました。今回は、ある市の教育研究会で研究授業の検討会の一部分をこのツールを使って行っていただくことになりました。実際の授業で使っていただくことの他に新たな試みがあります。それは検討会の司会を私以外の方が行うということです。司会者の大きな役目に参観者の反応と授業の様子をもとに、どの場面を取り上げるのかを判断することがあります。個人の力量によらないように、できるだけ客観的な判断の基準をつくることで、誰にとっても気軽に使えるツールとなります。司会者によってデータを見る視点が変わってきますので、いろいろな方に使っていただくことでノウハウを集めたいのです。

今回の司会者は研究会のメンバーで、力量的には何の不安もありません。前回の検討会で私が考えたことをお伝えして、参考にしてもらえばあとはおまかせで何も問題はありません。ただ、公的な場をお借りしてのことなので、ツールがうまく動作しなかったり、設定にもたついて貴重な時間をムダにしたりするわけにはいきません。準備物や電源の確認も必要なので、その点も合わせて打ち合わせを行いました。

この授業については、この日記と愛される学校づくり研究会のコラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第7回で報告します。楽しみにしていてください。

「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第6回公開

愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」の第6回「大きく進化した授業検討ツール」が公開されました。

ぜひご一読ください。

進歩の影には地道な努力がある

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、今年度第2回目でした。

前回訪問は5月で運動会の直前だったこともあり、子どもたちが落ち着いていないと感じた場面が多かったのですが、今回は全体的にとても落ち着いた印象でした。

前回、授業規律が確立していないと感じた1年生の学級は、印象が大きく変わっていました。子どもたちは元気がいいのですが、きちんと指示に従っています。授業者は子どもをよくほめ、よく子どもを見ています。子どもたちの表情がとてもよくなっています。一度にたくさんの指示をしないように意識していることもよくわかります。
また、ちょっと落ち着きのない子どもに対しても、様子を見ています。一時的に集中できなくても、場面が変われば参加することを知っているようです。どこで声をかけるべきかを考えています。また、直接授業に関係ないことを言う子どもに対しても、「あとでね」と無視をせずに上手にかわしています。
授業者と個別に話をしましたが、前回のアドバイス一つひとつを本当に意識していたようです。今回は授業の導入場面しか見ませんでしたが、おそらく次の課題となるであろうことをアドバイスしました。子どもたちに本当に考えさせたいのはどこか、考えるために必要なことは何かをしっかりと教材研究をすることです。これは意識したからといってすぐにできるわけではありません。時間はかかると思いますが、前回のアドバイスを意識して実行し続けた方ですので、きっと着実に前進してくれると思います。

前回道徳の授業を見せてくれた4年生の担任の初任者は、今回も道徳の授業を見せてくれました。テーマは正直に行動することでした。10回100点を取るとサッカーシューズを買ってもらえる約束を母親とした主人公が10回100点を取れた。しかし、採点ミスがあって実は100点ではなかった。言おうかどうか悩んだが正直に申し出て、先生にほめられ、サッカーシューズも買ってもらえてよかったという話です。
子どもたちから事前に取ったアンケートを紹介します。嘘をついた時とその理由です。子どもたちがとてもよく話を聞いています。続いて資料を範読します。100点が間違いだったところまでで止め、内容の読み取りを素早くします。100点を取ったらサッカーシューズを買ってもらえることになった時の気持ちを子どもたちに発表させます。
前回は子どもたちが友だちの話を聞いていないということを指摘したのですが、今回は違います。どの子どもも友だちの方を向いてしっかり発言を聞いています。しっかりと反応もできます。授業者に聞いたところ、前回のアドバイスの後、聞くことをとても意識したそうです。しかし、ただ「聞こう」というだけでは、子どもたちは友だちの方を向くようになるだけで、実は聞いていないことが多いことに気づいたそうです。そこで、「聞く」とはどういうことか話し合わせたりして、子どもたちに考えさせたそうです。時間をかけてここまで育てたようです。
子どもたちの意見を、「頑張ってサッカーシューズをもらう」「ライバルの友だちには負けない」「お母さんを喜ばせよう」の3つに整理しました。「自分」「友だち」「母親」の3つの視点です。
ここで、自分ならどうするかとその理由を考えさせ、発表させます。「嘘をつく」という子どもはいないのではないかと心配したのですが、正直に意見を言ってくれます。「なるほど」とその理由を聞いて意見を変える子どもがいます。別にどうということのないことのように思えますが、そうではありません。間違えたり、モラル的に問題のある発言をしたとしても、バカにされたり非難されたりしないという安心がなければ、こういった自分の考えを発表することができません。そういう学級をつくることができているのです。子どもたちの表情のよさの理由がわかった気がします。
授業者は、子どもたちの意見をしっかりと受容します。中には「サッカーシューズを買ってもらってから、正直に言う」というなかなかの意見もあります。嘘もつかない、サッカーシューズも手に入るという、自分的にはよい考えです。授業者はこれも受容しましたが、ここは揺さぶりが必要なところだと思います。最初の「お母さんを喜ばせたい」という気持ちに戻るのです。「お母さんはどう思うだろうか?」と問い返すことで、もう一度考え直してくれると思います。
また、子どもの言葉がよく理解できない場面がありました。その時、「ああって言ってくれたね。助けてくれる」と反応した子どもに助けを求めました。その子どもは、しっかりと友だちの考えを説明してくれました。よいつなぎです。こういったところにも授業者の成長を感じました。
資料の後半を読んで、主人公が正直に話したところで、子どもたちが拍手をしました。自分の考えと同じだったから、正解だったからと拍手したのか、主人公が正直だったことへの称賛の拍手だったのか、よくわかりませんでした。ちょっと子どもたちに聞いてみたいところでした。しかし、このあと明らかに「嘘をつく派」の子どもたちの表情が変わってしまいました。元気がありません。ここは、何らかの対応が必要なところでしょう。
続いて、正直に話した後の主人公、母親や先生の気持ちを聞きます。よい結末になっているので、「よかった」「すっきりした」「うれしい」というポジティブな言葉が出てきます。4年生なのでこれでよいのかもしれませんが、「サッカーシューズを買ってもらえなかったらどう?」「ミスを指摘されて先生が機嫌を悪くしたらどう?」といった揺さぶりがあってもよかったでしょう。
ここで心情を問うのであれば、先ほどの「どうするか」と「理由」に対してその時「どんな気持ちがするか」も続けて聞いてもよかったかもしれません。また、最初のアンケートも嘘をついた時の気持ちを書かせておいた方がよかったかもしれません。道徳の授業としては心情面にもう少し迫りたかったところです。
「嘘をつく派」のいた状態で最後はどうまとめるのか注目していましたが、なかなかよいまとめ方をしてくれました。自分が採点ミスをした時、点数が下がるのに申告してくれた子どもがいてとてもうれしかった話をして終わったのです。説教的なまとめではなく、授業者の気持ちであれば、素直に聞くことができます。子どもたちに「嘘をつくな」ではなく、「正直であれば、相手がうれしく思ってくれる」ことを伝えたのはとてもよいと思います。
授業技術の進歩も大きいと思いましたが、道徳の授業としても進歩の跡が見えます。毎週の道徳の授業を大切にして研究し続けたことがよくわかりました。

5年生の社会科の授業は日本の漁業の問題を考える場面でした。前時の復習をしますが、子どもたちには教科書やノートを開かせません。これでは自信を持っている子どもしか発言できません。忘れたら思い出せばいいのです。それの繰り返しで定着するのです。
子どもたちは発言者の方を見るのですが、発言者は授業者を見ています。授業者は子どもの言葉をしっかり聞いて受容しますが、他の子どもを意識できていません。どうしても一問一答になってしまいます。ある程度時間をかけて子どもから聞き出した後、最後に「4つの漁業」と用意したまとめを黒板に貼ります。考える場面ではありません。参加できない子どもにしてみれば、早くそれを見せてくれればいいのにという気持ちでしょう。あまり時間を書ける意味はありませんでした。
資料をもとに「何でもいいから気づいたこと」をワークシートにまとめて発表させます。社会としての資料の見方をきちんと指導しておくことが必要です。それが意識できていて初めて「気づいたこと」という発問が意味を持ちます。子どもたちの考えを板書しますが、結果のみが残ります。どこからそれがわかったのか、きちんと資料で確認して共有することが必要です。ここでも一問一答になっています。つなぐことを意識してほしいと思います。
授業者には、資料の活用には「必要な資料を見つける」「資料を読み取る」「読み取った内容をもとに考える」の3つのフェーズがあること、それをどう意識して授業をつくるかをお話ししました(資料集をどう活用する資料の共有社会で資料を見る力を育てる参照)。時間の関係で「必要な資料を見つける」は難しいこともあります。そういう時は、「どんな資料があるといい?」と子どもたちに問いかけ、それに応じて準備した資料を見せるという方法もあります。このような方法を知っていると授業の幅が広がると思います。

ベテランの算数の授業は4年生の(何百何十)÷(何十)の計算の仕方の場面でした。ベテランらしく子どもを引き付けるようなちょっとして工夫もたくさんありましたが、押さえるポイントに疑問を感じました。授業者は10の固まりをもとに計算することを大切にしているのですが、この教材はこの後の2桁の数で割る計算のための足場となるものです。そのため、120÷20の計算の説明で、わざわざ12÷2で答が6と「見当」をつけるという言葉を使うのです。そして、「20×6=120となって」と商が6であると確認をします。余りのある場合も同様で、150÷20も15÷2=7あまり1となって商が7と「見当」をつけます。20×7=140で150−140を計算してあまりが10でよさそうです。ここで「よさそう」という確認が大切なのです。そのために、商と余りの関係を教科書では押さえているはずです。ここで大切なのは、割る数より余りが小さいことです。あたりまえですが、これを押さえておかないと、2桁の数で割る時に「見当」を間違えた時におかしなことが起こるのです。この日の課題であれば「見当」ではなく、答でもよいのです。あえて「見当」を使っている意味を分かってほしいと思いました。

全体に対して「子どもたちと先生の関係はよいのですが、子どもの発言場面では発言者と先生の1対1の関係になってしまっていること」、「一問一答で子ども同士をつないでいないこと」「挙手指名が中心の、参加できる子どもだけで進む授業になっていること」を指摘しました。子ども同士をつなぎ、全員参加の授業を目指してほしいことをお願いしました。
そして、教科書(特に算数)をしっかり読みこんで授業をしてほしいことを2学期の教材を例にして具体的に話させていただきました。
校長は、前回のアドバイスから「ほめる」「認める」というキーワードを抽出して学校に浸透させてくださいました。今回は「つなぐ」「全員参加」をキーワードとされました。こうした管理職の働きかけが、学校が進化するためにはとても重要です。この学校の授業が改善されている裏にはこのような動きがあったのです。
今回の公開授業を、この前の週に訪問した学校の先生が1名参観に来ました(校長の働きかけの大切さを感じる参照)。何がこの先生に必要なのかを考えての校長の指示です。真剣に育てようとしていることがよくわかります。2つの授業を私の解説を聞きながらしっかりと見てくれました。
こういった校長のいる学校は必ず進化していきます。2校続けて改善が見られるということは、この市の管理職の力なのかもしれません。次の学校はどのように変わっているか、ととても楽しみです。

喉元過ぎれば熱さを忘れる

先日、中学校で授業アドバイスを行ってきました。昨年の秋に研究発表が終わってからは、初めての訪問です。学校の変化が気になりました。

以前は授業に参加できない子どももいたりして、落ち着かない雰囲気もあったのですが、そのことをあまり感じなくなっていました。しかし、子どもが落ち着いたために、先生方はこの学校が目指していた「子どもたちの学び合い」を以前より意識できなくなっていました。あえて厳しいことを言えば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということになっていました。明らかに先生がしゃべりすぎです。子どもたちが大人しく聞いているようなので、気持ちよく話を続けてしまうのです。そのため、子どもたちが受け身の時間が増えています。それでも、子どもたちがごそごそしないので、気にならないのです。しかし、よく見ると視線が宙を浮いている子どもがいます。上体を背もたれにつけて先生を眺めている子どもがいます。子どもは派手にごそごそしませんが、決して集中しているわけではないのです。個人作業などでは集中を見せますが、話をしっかり聞いているようには見えません。また、子どもたちが話し合う場面が少なくなっていました。学校を回っていて、子どもたちの声があまり聞こえてきません。以前は意識できたいたことができなくなっています。子どもがよくなった分、先生方が後戻りしてしまったのです。教師の求めに対して子どもたちが応えている場面も目にします。問題は、教師が落ち着いて座っている以上のことを求めていないことにあるのです。
このことは、学校がよい状態になっていく過程でよく起こることです。ここで、もう一歩前進しようとするのか、満足してそこに留まるかで、この後が大きく変わります。前者の場合、よい状態が長く続くのですが、後者の場合、また子どもたちが落ち着きをなくし、その対策を取ることの繰り返しになって、なかなか学校が安定しません。この学校はその岐路に立っていると感じました。

新しい先生も増えていました。この学校で目指してきたことがまだよく理解できていないと感じる方が多くいます。中には、子どもたちをしっかり受容できて、この学校が目指してきたものに近い授業をされる方もいらっしゃるのですが、それはこの学校に合わせたというより、以前からのその方のスタイルのように見えます。この学校で共通して行おうとしていたものが、見えなくなっていました。

以前のようにグループを使った活動をしている方もいるのですが、活動のねらいがはっきりしていません。この活動で子どもたちが何を考えるのか、そのために必要な知識は何かが明確になっていません。ただ活動をしているだけのように見えました。いろいろなことが甘くなっています。これまで意識できていたことができなくなっていました。
これまで先生方が頑張ってこられたから、今の子どもたちの状態があります。研究発表も終わってホッとする気持ちもよくわかります。しかしここまで頑張ってきたのですから、それをムダにしないためにも、当初目指していたことに向かって次の一歩を進めてほしいのです。今の子どもたちであれば、先生方が求めれば必ず次のステージに立てると思います。
全体に対してはこのようなことをお願いしました。

たくさんの方が全体会の後集まってくださいました。全体でお話したこと以外の個別の課題について一人ずつお話ししましたが、同席している皆さんも他人事ではなく自分のこととして聞いてくださいました。強い向上心を感じました。研究発表が終わり、子どもたちも落ち着いたため、自分たちの目指していたことの意識が薄くなっていただけだと思いました。学校で目指すもの、自分の課題を再度認識して次の一歩を踏み出してくれることでしょう。
また訪問する機会があれば、きっと大きく進歩した姿を見せてくれることと思います。その機会があることを楽しみにしています。

新たな伝統がつくられつつあるのを感じた体育大会

先週末は学校評議員を務めている中学校の体育大会でした。

入学式や1学期の学校公開時に見た1年生の様子が気になったので、どのように変化しているか注目していました。開会式は校長や来賓の挨拶はじめ、子どもたちが受け身で立たされている時間が長く、集中が続かない子どもが目立つものです。ましてや、落ち着きのない子どもが多かった1年生ですから、どうなるかとドキドキしていたのですが、驚くほど集中できていました。時々頭が動く子がいるくらいで、どの子どもも顔を上げて話を聞けていました。半年足らずで子どもたちがずいぶん成長していました。もちろん2年生、3年生もしっかり集中できています。この後どんな姿を見せてくれるのか、期待できます。

競技ではどの子どもも全力を出していますが、それよりも気になるのは観戦風景です。その姿に日ごろの学級経営が表れると思うからです。1年生は1学級が競技に集中していないようでした。まわりの友だちとしゃべったり、体があらぬ方向を向いていたりする子どもが目立ちます。しかし、他の2学級はしっかりと競技を見て応援できていました。特筆すべきは2年生でしょう。昨年以上に集中して、学年を越えて応援できていました。2年生と3年生の差が無くなっていました。集中していないように思えた学級もふと気づくと、他の学級と同じように集中して観戦するようになっていました。よく見ると先生が子どもたちのそばにいます。これは想像ですが、先生が指導したのか先生が来たので子どもたちが意識して集中したのでしょう。子どもたちが成長途中であることと教師が意識して子どもたちを育てようとしていることがわかる場面だと思いました。

これもいつも気にして見ているのですが、トラックの審判をやっている子どもたちの姿はとても素晴らしいものでした。責任を持って自分の仕事をしていることがよくわかります。旗をさっと上げる手が気持ちよく上まで伸びています。だらだらしている子どもはいません。昨年同様見ていて気持ちがよくなる姿でした。審判以外の補助の子どもたちもきびきびと仕事をしています。子どもたちを指示している先生の姿が目立たないことが、子どもたちの力を表わしています。

大会の目玉はクラスマス(ゲーム)です。体育大会は個人競技が基本ですが、クラスマスは集団の力が求められます。学級としての力を問われる、担任の先生方が力を入れるところです。
ここでも1年生の成長を感じました。中学生、特に1年生では動きを覚えたりそろえたりすることに精一杯で、指先まで意識して手を伸ばしたり、角度や高さをそろえるところまではとてもできません。ところが、1年生の演技を見て驚きました。指先までしっかり伸ばしていたり、足を上げる高さをしっかりとそろえたりできているのです。これまで見たどの1年生の演技よりも素晴らしいものでした。子どもだけでここまでの演技を仕上げることはまず無理でしょう。担任が相当指導したに違いない、そう思いました。ところが、話を聞いてみると、担任はそれほど前面には出ていないというのです。子どもたちが、先輩の話を聞いたり、練習の様子を見たりして自分たちで工夫したというのです。先生方が子どもたちとの距離を上手く調整することで子どもたちのやる気と力を引き出したのです。子どもたち自身で考えて行動することで、先生が指導する以上のものになったのです。引っぱるタイプの主任の学年ですが、主任をはじめとする担任の先生方の成長も感じられました。
これでは2年生は1年生と比べて見劣りがするのではないかと思いましたが、いやいや、これも1年生以上に素晴らしいものでした。昨年の演技と比べてその成長は素晴らしいものでした。子どもたちとっての1年間がどれほど大きなものか、あらためて実感しました。
都合で午後の3年生の演技を見ることができませんでしたが、2年生を上回る素晴らしい演技を見せてくれたに違いありません。

もう10年ほどこの学校の体育大会を見続けています。入学してくる子どもたちは年によっていろいろです。それでも、3年間できちんと素晴らしい姿を見せてくれます。最近では、先生方の表立った動きが目につかなくなっています。先生方が体育大会を子どもたち自身でつくり上げることを目指し、子どもたちもそれに応えているのがわかります。子どもたちでつくり上げることがこの学校の新たな伝統なりつつあるのを感じます。今年で創立25周年だそうです。先生方と子どもたちが日々向上を目指していく中で伝統がつくられてきていることを実感した1日でした。

算数の教科書を理解することの大切さを感じる

小学校の授業アドバイスを行ってきました。初めて訪問する学校で、全学級の授業を見せていただきました。

私に見せる授業はどの教科でもよいということだったそうですが、普通学級はすべて算数の授業でした。算数は教えやすいと思っている方が多いように感じられます。答を教えることは誰にでもできますが、考える力や問題解決の力をつけることは、教材研究がしっかりできていないととても難しい教科です。そのための第一歩は、教科書をしっかり読んで、教科書の意図を理解することです。残念ながら、この教科書を理解することができていないと感じる授業が多くありました。

1年生の20までの数を扱う単元で、「12−2」と「15−3」の計算を考える場面のことです。教科書では、12−2は10枚がセットになった折り紙とばらの折り紙2枚から2枚を取った残りを考えます。折り紙が10枚セットになっているので、具体物で考えても自然にばらから取ることに気づけます。授業者はここでブロックを使って確認をします。しかし、教科書では次の15−3で初めてブロックを使います。この意味を授業者は考えていませんでした。折り紙は最初から10の固まりと2になっています。それをブロックでわざわざ表現すると、10と2で12になると固まりを「合わせる」ことになります。ところが次の15では、15の固まりを10と5に「分けて」考えます。ブロックの扱いが違うのです。子どもたちを混乱させないために、ブロックの利用を固まりに分けることだけにしたのです。また、折り紙で10枚セットにしているのは、10枚から取らせないためです。授業者に確認したところ、そのことに気づいていませんでした。教科書の意図を理解した上でアレンジするのは悪いことではありません。むしろ、子どもの実態に合わせてどんどん工夫してほしいのです。しかし、そのためにも、教科書をよく理解することが必要になります。

3年生のあまりのある割り算の導入では、お菓子を皿に分けるのに教科書はあまったお菓子は皿に載せていません。これは、あまっていることを意識させるためです。このことはわかった上で、授業者はあまったお菓子を皿に載せて進めました。子どもに、あまりが載った1皿をどう扱うかを考えさせたいのです。このことは決して悪いことではありません。しかし、きちんと理解させないと混乱する可能性があります。子どもたちがこの皿は勘定に入れないことを納得できた段階で、「じゃあ、このお菓子は皿に載せてはいけないね」とあまったお菓子を皿の外に出すといった動作をさせたりする必要があります。「このお菓子は皿に載せない」つまり「あまった」ということを動作させることで強く印象付けるのです。残念ながら、そういった活動はありませんでした。もう一歩踏み込んで教科書の意図を活かすこと考えれば、とてもよい授業になったと思います。

6年生の変わり方を調べて考える授業も、教科書(指導要領)の意図がわかっていない授業でした。2人が道の両方から歩いていつ出会うかという、いわゆる出会い算の問題です。ここでは、表を使って規則性を見つけその関係から答えを導く流れです。帰納的な考えを大切にする教材です。しかし、授業者は、双方の距離が毎分どれだけ減るかを説明して考えさせます。その上で、表を埋めて考えるように指示します。演繹的に考えるのなら表は必要ありません。かえって混乱します。この単元では、与えられた条件を理解して、いくつかの関係を表に表わす力をつけることが必要ですが、その説明や練習はありませんでした。関数の考え方や活用する力を身につける単元なのですが、まったくそのことを理解していませんでした。

この他にも、教科書の意図を理解していないと思える場面が多くありました。下手にアレンジするぐらいなら、教科書を忠実になぞる授業の方がまだよいように思います。もちろん、教科書のキャラクターの吹き出しは、自学を意識したものですから、そこは子どもから引き出したり、子どもの言葉でまとめたりするようにしてほしいのですが・・・。

全体に先生方の表情がかたいことが気になりました。笑顔をあまり見ることができません。先生方と話していて、どうやら私に授業を見られるということで相当緊張していたということがわかりました。子どもたちにもそれが移って、いつもより雰囲気が重たかったのかもしれません。

共通していたのが、子どもをほめる言葉があまりなかったことです。どうしても、気になる子どもを注意することに意識が向くようです。
指示を徹底させることもあまりできていません。子どもたちの動きをいったん止めることができないまま、指示を出している場面に多く出会いました。また、子どもの言葉を拾うのですが、全体で共有しません。それを受けてすぐに説明を始めます。基本的に、わかる子どもの言葉と教師の説明だけで授業が進みます。ハンドサインも一部の学年を除いてほとんど機能していません。子どもたち全員が意志表示していないのに、先に進んでいきます。ハンドサインに限らず全員参加が意識されていないと感じる場面が多くありました。

中には、子どもたちの困ったことを共有して進めようとしている先生もいらっしゃいました。この先生は笑顔がとても多く、子どもたちをしっかり受容しようとしていました。子どもに対して「ありがとう」の言葉も出てきます。ただ、困っているところの解決を先生が説明したのが残念でした。困っていない子どもにとっては、この時間は退屈に感じる可能性があります。わかった子ども、困っている子どもをつなぎながら双方を活躍させることを意識すれば、とても素晴らしい授業になると思います。

また、ある場面を指摘するだけで、自分で何が課題か、どうすればよかったかに気づける方もいました。素直で前向きな方です。経験が浅くても、今後大きく伸びてくれることと思います。

気になる子どもにかかわりすぎて、他の子どもとかかわる余裕を失くし、子どもたちとの関係が上手くいっていない方がいました。まじめな方なので、気になる子どもをなかなか無視できないのでしょう。しかし、まずは全体との関係をつくることが優先です。思い切って気になる子どもにかかわる時間を減らして、他の子どもとの関係をつくることを意識するようにお願いしました。

特別支援学級は、この日は担当の先生2人でそれぞれ2人の子どもを教えていました。一人は、昨年まで別の学校でアドバイスをさせていただいた方でした。以前の学校でも特別支援を担当されていたのですが、着実に進歩していることを感じました。子どもを笑顔でしっかりと受け入れ、よくほめています。子どもに寄り添い、子ども同士もつなげようという姿勢を強く感じます。子どもが安心して暮らせていることがよくわかります。
もう一人の方は、2人の子どものうちどちらか一方に注意が集中する傾向がありました。子どもが発表する場面では、どうしても発表者に注意がいってしまいます。もう一方の子どもがきちんと聞けているのであれば、それを評価してあげてほしいと思います。評価することで、子どもと教師の関係だけでなく、子ども同士の関係もつくることができます。

外部の人間に授業を評価されることは初めての経験なので、皆さんやや緊張気味でしたが、とても素直に私のアドバイスを聞いていただけました。教科内容についてのアドバイスをすぐに活かすことは難しいかもしれませんが、学習規律や全員参加については比較的取り組みやすいことが多いので、少しでも意識していただけたらと思います。
次回の訪問では、緊張も少し緩んで、先生方のよいところたくさん見られるのではないかと期待しています。

習熟度が下位の子どもたちが全員参加する授業

私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

中学で、教師が一方的にしゃべっている授業が多いことが気になりました。きちん起立して発言することを求めず、一部の子どもの反応だけを拾って進めていることも気になります。子どもが思いついたことを教師にしゃべり、それを受けて教師がすぐに説明をします。子どもの発言を全体で共有する場面がないのです。子どもの視線がバラバラで、集中していません。4月当初、1年生は授業に積極的参加しようとしていると感じたのですが、そのエネルギーが感じられなくなっています。
一方高等学校は、全体的に落ち着いています。ただ、教師による授業中の子ども姿の差が顕著になってきたのを感じます。子どもたちの様子をよく見ようとしている方の授業では子どもの参加度が高くなっているように思います。
教師間の情報交換、交流が進んでほしいと思います。

授業を見てほしいというリクエストが2人の英語の先生からありました。新しいことに挑戦しているので、外部の意見もほしいのでしょう。
1つの授業は、会話文をつくって練習する場面でした。高校3年生です。子どもたちは何時間かかけて与えられたテンプレートをもとにペアで会話文をつくり、それを暗記して発表できるようにします。1時間で完結しないので、相方が休むと個人では作業ができません。そのような子どもが気になりました。例え発表はペアでも何回か連続する活動であれば、グループでの活動にした方がよいでしょう。
1時間の授業での進度の目標はあるのですが、明確なチェックはありません。また、ペアで1時間の授業中ずっと集中するのは、彼らには難しそうです。集中力が切れて途中で雑談になったり、作業が止まったりしているペアが目につきました。ペアで行き詰った時には、助けを求める相手がいないので教師を呼んでたずねます。こういったことを考慮すると、グループで活動の形にし、中間発表の時間を毎回設けて子どもたちが相談したり、出力したりする場面をつくるとよいと思います。子どもたちの集中力を教師がコントロールする発想も大切です。

もう一つの授業は、3つに分けた習熟度編成で一番下のグループに対して、”ENHLISH THROUGH PICTURES”という、米国で使われている第2外国語としての英語指導法を取り入れることに挑戦したものでした。まだ、始めて数回でしたが、何より驚いたのが子どもたちの集中度でした。高校1年生ですが、”you”のスペルも怪しい子どもたちです。先生役の子どもは指示棒でスクリーンに映し出された4枚の絵を示して、子どもたちにその絵の状況を英語で言わせます。リモコンを使って順番に正解を示しながら進んでいきます。子どもたちで進めているのは、その方が集中度が高いからです。授業者は子どもたちの様子をよく見ています。反応した子どもを指名するように先生役の子どもに声をかけたりします。代名詞の使い方といった本当に基本的なことですが、子どもたちにとってはかなり難度が高いのです。真剣に考えないと何を答えればいいのかよくわかりません。しかし、どの子どももわかろうと必死です。なかなか口を開けない子どもを指名すると、それでも何とか答えようとします。子どもたちはこの授業であれば参加できる、何度も聞いていればわかると信じでいるようでした。
1通り終わってから、この日学習したことを書かせます。英語を書くことは彼らにとっても、もう1つの壁でのようです。ある子どもが、自分たちはもう1回やらないとできないと声を出します。できないからと教えてもらうのを待とうとするのではなく、自らできるようになるためにどうしたいかを伝えます。とても前向きになっているのを感じます。別の子どもが先生役になってもう一度進めました。最後まで誰一人集中力を失くしませんでした。
書くことに関しては、この日使った英語の単語を一覧にしたスライドを映すとよいと思います。「できるだけ見ないで」と指示をすれば、どの程度定着しているかもよくわかります。また、子どもたちは友だちの発言を聞いていますが、全体でリピートする時間をもっととるようにする必要があります。子どもが先生役では難しいところもありますが、工夫すれば可能だと思います。
この先生の行動力には毎回驚かされます。よいと思ったことはすぐに実行します。もちろん、初めから完璧にはいきません。しかし、実行するからこそ見える改善点もたくさんあります。急速に力をつけていることがわかります。

この授業に関して、英語科では賛否が分かれているようです。従来の文法的なことを教えたい先生もいるのです。大切なことは最終的に子どもがどうなっていくかです。この学校として目指す子どもの姿を再度共有して、そのためにはどのような授業が必要かを真剣に議論してほしいと思います。この学校が進化していくためには、このような過程が最も必要なものだと思います。

この学校から得られる刺激や学びが次第に大きくなっています。次回は、模擬授業を使った授業研究を有志で行う予定です。どんなものになるか、今からとても楽しみです。

校長の働きかけの大切さを感じる

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環で、この学校から今年度第2回目となります。

1学年1学級の学校ですが、今回は全学級の授業を見た後、全員に個別アドバイスをしました。
前回の訪問から夏休みを挟んで3ヶ月しか経っていませんが、子どもたちの様子はずいぶん違って見えました。以前は教師が板書すると写すことに意識がいって、話を聞いていない子どもが目立ちました。しかし、この日はほとんどの学級でそのような姿は見られなくなりました。特に指示をしなくても教師の話を集中して聞いています。もともと子どもたちを受容できる先生が多かったのですが、先生方が子どもたちをよく見るようになったことがよい影響をもたらしているように思いました。

前回訪問時に子どもたちの授業規律がうまくつくれなくて苦しんでいた1年生の学級は、この日見た算数の導入場面では、全員が集中して参加していました。子どもたち全員をよく見て、発言をしっかり受け止めていたのが印象的です。子どもたちの変化の手ごたえを感じていると同時に、今の自分に足りないところをきちんと認識していました。これからも、進歩していくことと思います。

2年生の担任は、基本がしっかりとできている先生ですが、前回訪問時に子どもたちをつなぐことを課題と指摘しました。今回見た国語の授業では、つなぐことを含め前回指摘したことを改善しようと意識していることがよくわかりました。隣同士で伝えあったり、わからなかった子どもを参加させようとしたりしています。ただ、まだ挙手する子どもが主体になって進む場面があるので、挙手しない子どもを参加させることをもっと意識してほしいと思いました。
利き腕をケガしている子どもがいました。左手でワークシートに書こうとするのですが、うまく書けません。授業後悔しくて泣いていたそうです。授業者はどう対応すればよかったのか悩んでいました。できないことを無理してやらせるのではなく、できることで活躍させる場面をつくってあげることが重要です。ワークシートに書けなくても考えることはできます。「ワークシートは書かなくていいけれど、発表できるようにしっかり考えてね。あとで発表してもらうからね」とできることで頑張らせるのです。「ワークシートなしでも、しっかり発表できたね。よく頑張ったね」とほめてあげれば、これからも積極的に授業に参加できるはずです。

3年の担任は子どもたちをしっかり受容できる方です。ほめることもできます。ただ、全体に対してほめることや「○○している人がいるね。いいね」といったほめ方が多く、固有名詞があまり出てきません。3年生くらいになると、だんだん自分がほめられたとは思わなくなるので、固有名詞でほめることを意識してほしいと思います。指示に対して子どもたちは素早く対応します。しかし、それでも若干の個人差があります。授業者は最後の子どもまで確認せずに次の指示を出すことがありました。動きの遅い子どもがついていけなくなる可能性があります。早い行動をうながすことと全員の確認をセットにしていただければと思います。

4年生の担任は、子どもにどうあってほしいかを意識でいる場面とできていない場面でのギャップが大きいことが気になりました。子どもにこちらを向かせたい時は、「おへそをこちらに向けて」と指示をすれば子どもはすぐに従います。「いいね」とほめる言葉もでてきます。しかし、授業者が意識していない場面では集中力がすぐに落ちます。
子どもに発表させた後、子どもに「いいですか」と確認します。答を板書して次の子どもを指名すると子どもたちは板書を写していて、友だちの発言を意識していません。授業者もそのことを気にせず、「いいですか」と確認もしませんでした。この場面でどうあってほしいかがしっかりと意識されず、指示が恣意的になっているのです。
また、作業でどのシールを貼るかという確認の場面で、子どもが口にした言葉が分かれました。前の時間に伝えてあることですから、子どもたちに活動させるよい機会です。しかし、授業者自身が確認して答を言ってしまいました。子どもたちで解決させることをしないと受け身になって、学習意欲が高まりません。この後グループでの作業に移ったのですが、子どもの動きが鈍いことも気になりました。子どもの意欲を引き出すことを意識してほしいと思います。

5年生の授業は、お弁当のミニチュアをつくる図工の授業でした。子どもたちにどんなものを作ればよいか考えを出し合い、まとめていく場面です。いろいろな弁当の写真をサンプルとして黒板に貼って進めます。子どもたちがよいと思う弁当の下にはそれを選んだ子どもの名前が貼ってあります。
子どもたちは自分の考えを思いつくままに言います。それを授業者がひろうのですが、他の子どもにつなぎません。次第に一部の子どものテンションが上がっていき、他の子どもとの差が顕著になります。
「彩りのいい弁当」という視点を与え、子どもたちに彩りがいいとはどういうことかを問いますが、どう答えていいかわからない子どももたくさんいます。どうしても一部の子どもだけで授業が進んでいきます。具体的に答えやすい発問でできるだけ多くの子どもが参加するようにする必要があります。例えば、「この中で。彩りがいいと思う弁当を教えて?」「じゃあ、彩りが悪いと思う弁当は?」と具体的に比較する対象を明確にして、その2つについてどう違うかを子どもに言わせれば、多くの子どもが参加できると思いました。

6年生の授業は、用意された例文を正しい敬語表現に直すものでした。授業者は子どもを見ることをとても強く意識していました。子どもの反応を見逃しません。「首をひねっている○○さん」と言って指名します。いろいろな場面で反応を求めています。授業者は子どもの発言を板書していても、ときどき首をひねって子どもたちの様子を見ています。子どもたちはしっかり板書を見ていますが、だれも写しません。授業者が求める子どもの姿がとてもよくわかる場面でした。
ちょっと話を脱線して子どもたちのテンションが上がっても、「(話を)戻すよ」と言うだけですぐに子どもは落ち着きます。とてもよい関係をつくれています。
また、発言者を見る子どもが増えていますが、まだ授業者を見ている子どもがいます。この授業者であれば、子どもたちにどういう姿になってほしいかを意識すればすぐにそろっていくと思います。
子どもの発言をつなぐことも意識できていますが、発言を全体に共有する場面がありません。そのため、どうしても一部の子どもの意見だけで進む傾向があります。話し合いの足場になるような発言は、何人にも繰り返して言わせて共有化してから、次に進む必要あります。

どの先生も、自分なりの課題を持って授業に取り組んでいることがよくわかります。個別にアドバイスする時に、意識していることをおたずねするのですが、どなたも非常に明確に答が返ってきます。前回ベテランの方には個別にはアドバイスの時間を取っていなかったと思うのですが、全体に対して指摘したことも含め、細かいところまで意識されていました。不思議に思っていたのですが、校長のお話を聞いて納得しました。前回の私のアドバイスをそれぞれにまとめさせて、全体で共有したということです。学校全体が一度に変わることは非常に珍しいのですが、このような手立てをしていたことがうまく作用したようです。
今回も、全員のアドバイスの場面に校長が同席してくださいました。時として、私のアドバイスに対して補足の説明をしてくださいます。口を挟むというのではありません。私が先生方の性格や個性をしっかりと把握できているわけではないので、ストレートに伝えた方がいいかどうか判断しかねるところがあります。そんな時に、一人ひとりをよく理解している校長が、より伝わりやすようにと補足をしてくださるのです。この学校をよくしたい、先生一人ひとりに成長してほしいという校長の思いを強く感じます。この思いが学校を変革していく原動力になっているように思います。

共通してできていることが増えてきたので、次の共通の課題がより明確になってきました。子どもの発言を共有し、考えをつなげ、全員参加を目指すことです。ここで、ポイントとなるのが、考えを深めるための足場となる発言は、意図的に何度も繰り返し言わせたりして確実に共有しなければならないことです。教師がどのような発言が足場となるのかを瞬時に判断する必要があります。そのためには、単なる授業技術だけでなく、教材研究が不可欠です。ハードルがより高くなります。
しかし、この校長と先生方であれば確実にクリアしていくことと思います。今後が楽しみな学校がまた一つ増えました。

今年もDr.横山から大いに学ぶ

先週末は、今年度第3回の教師力アップセミナーでした。今回は山形大学医学部看護学科教授横山浩之先生の「行動異常がある子どもにも対応した授業を探る〜発達障害や愛着障害がある子どもは何がわからないのか」と題した講演です。

Dr.横山の登壇は4回目です、今回は2年連続となり昨年の内容(Dr.横山から学ぶ参照)を前提としたお話でした。
教育目標の分類について最初に解説されました。認知領域(=知識)、情意領域(=態度・習慣)、精神運動領域(=技能)に分け、それぞれの領域を容易なレベルから熟練したレベルに分けてとらえます。そして、子どもの発達段階に応じて求めるべきレベルが異なることを、具体例をもとに説明されました。
一般目標(=めあて)と行動目標(=てだて)を分けて考える必要があること。教育目標を記載する時に留意すべきことなどをわかりやすく解説された上で、立ち歩く子どもが何人もいるような学級でDr.横山が実践された授業ビデオを見せていただきました。小学校1年生算数の「20までの数」でした。

Dr.横山は、授業案を作成する時に次のようなことを心がけておられるそうです。

・子どもが情報を得るところから始める(スタートラインをそろえる)
・最初はだれでもできる発問から始める(情意面への配慮)
・子どもの作業をできるだけ多くする(技能領域への配慮と退屈させないための工夫)
・できるだけ説明しない(作業をたくさんさせて子どもに自分で気づかせる)
・評価は、教育目標を達成できたかどうかによる(特別支援の必要な子どもは教育目標が違ってもよい)
・子どもの反応は予測できないことを、あらかじめ織り込んでおく(同じ目的を果たせる発問を複数用意)
・クライマックスとなる発問はひとつに絞る(主発問に相当する発問を連発すると、できる子どもも混乱)
・できない子対策を考えると同時に、できる子対策を考えておく(できる子が課題を終わって退屈する時間があるとざわつく原因)

これらのことは、特別支援の必要な子どもが学級にいるかいないかにかかわらず、授業の基本です。Dr.横山の授業を見せていただくと「あたりまえのことをあたりまえに行っている」と感じる理由がよくわかります。今回の授業も、けれんみのない、基本を外さない、まさに教科書にしたいような授業でした。
ペアで指を折って数を数える場面では、やろうとしない子どもがいます。やろうとしていない子どもに声をかけるのではなく、やっている子ども、かかわろうとしている子どもをほめます。ペアレントトレーニングの発想です。
普段立ち歩きする子どもを前に出して、指を折って数を唱えさせます。ほめてやる気を出させるためには、ほめる場面が必要です。この子どもを大いにほめることで、この後しっかり授業に参加してくれました。
絵のライオンを数えます。10まで印をつけて数えた後、10匹目に10と書き込みます。数字を書くのは10だけです。序数と基数の違いをきちんと意識しています。10の「固まり」で考えるための布石になっています。
「わからない」という子どもには、うすく印をつけてなぞればいいようにして対応します。「わからない」とっているのは認知面ではなく、できないからです。できるようにしてあげれば、説明は必要ないのです。
できた子どもにはシールを貼っていきます。全員に貼ります。これはできた子どもへのごほうびであり、全員ができたという教師の確認でもあります。○つけの原則と一致しています。
子どもに活動をさせる時に、常に全員参加しているかの確認をしています。
前に出した子ども2人で、ライオンの数13を、指で10と3に分けてつくらせます。13を表わすように、2つの枠にそれぞれに数を書かせますが、10をつくった子どもは10と書きます。103ではおかしいことを子どもたちが指摘をします。「助けてあげて」と他の子どもを指名します。0を消してくれました。「なぜ0を消すの?」「たくさんになるから」「0をつけたら何になるの?」「103」とやりとりをしたうえで、もう一度間違えた子どもにやり直させました。本人に修正させることが大切です。最後に10をやっている人が1人だからここに1を書くと説明しました。
できた子どもに先生役をさせて、活躍の場面をつくっています。授業中に集中力を失くしている多くが、課題ができてしまってすることのない子どもです。できる子どものやる気をどう出させるかはとても大切なことです。
どのことも、特別支援の必要な子どもがいなくても大切なことです。特別支援の必要な子どもいるからとかまえるのではなく、基本どおりに授業をこなすことが大切です。問題は、子どもにどこまでを求めるかです。一人ひとりが成長することが大切だと考えれば、全員が同じ目標である必要はないと私は思います。

今回は虐待が子どもに与える影響についてもお話しいただきました。
虐待と言ってもいろいろありますが、ご飯を食べさせない、着ている服が汚いといったことも立派なネグレクトです。言葉の暴力や無視することによる心理的な虐待もあります。また、性的な虐待は母親によるものが多いそうです。子どもの裸の写真を撮って売ったり、子どもの前で性行為を見せたりすることも性的虐待ですが、子どもはその意味が分かりません。思春期になってその意味が分かっても、恥ずかしくて相談ができません。性的虐待は50人に1人くらいの割合でいるという説もあるそうです。
虐待を受けている子どもは愛着形成ができていないため人を信用しません。こういう子どもが、友だちをいじめるといった問題行動を起こしやすいのです。しかし、「・・・してはだめ」「・・・しなさい」と言っても、人を信用していないのだから意味はありません。いかに信用させるようにするかがポイントです。最近は発達障害ということで外来に来る子どもの多くがこのパターンだそうです。
愛着形成を取り戻すためには、ペアレントトレーニングが有効だということです(参考図書「マンガでわかる 魔法のほめ方 PT」)。認める、ほめることの大切さを改めて認識しました。

Dr.横山は医師の視点から教育について話をされるのですが、現場の人間にとって全く違和感のない納得できるものばかりです。理屈だけでなく、実際に授業までもするという実践を伴っているからでしょう。また、「算数の学習内容やそのポイントも本当によく理解されていることに感心した」とお伝えしたところ、「LDの子どもたちと20年つき合っていれば、そのぐらいはわかりますよ」と笑って答えられました。子どもたちと真剣に向き合い勉強されているからこそ、そのような力がつくのでしょう。20年教壇に立っていても、そこまで理解していない教師に出会うことの多い私には、笑ってすまないことでした。
この日も、Dr.横山から多くのことを学びましたが、その理論や実践だけでなくその姿勢も心に残るものでした。ありがとうございました。
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