介護研修で、チームと個の役割について考える
先日、介護現場で起こることとその対応について研修を行ってきました。
介護施設の職員で2グループ、訪問介護の職員で1グループの3グループでした。今回はグループごとにテーマを決めて、新人とベテラン、それぞれがする対応を代表者にロールプレイしていただきました。介護施設の職員グループには、「利用者がお風呂を利用中に動かなくなった」「食事中に下を向いて動かなくなった」、訪問介護の職員グループには「食事の準備をしていたら利用者が転んで、起き上がれなくなった」という設定です。どのグループも自分たちの経験を話し合いながら、しっかりと考えてくださいました。 面白かったのが、介護施設と訪問介護の状況の違いです。介護施設ではチームで仕事をしています。したがって、担当者が何もできなくてもだれかが気づいてくれることもありますし、助けを呼べば何とかなります。一方、訪問介護では基本は1人ですから個人で対応することになります。皆さんのロールプレイはその状況の違いの中で何が大切かを見事に浮かび上がらせます。 介護施設では、すぐに助けを呼ぶと同時に、今自分ができることを素早く実行します。そのとき他の職員は利用者さんの視線を現場から外れるように誘導したりして、できるだけ他に影響がないように動きます。それぞれの立場で自分がなすべきことをするのです。 一方、訪問介護では、料理をつくっている時から、利用者さんの状況を把握しようとしています。声をかけて会話をすることで、利用者さんの異変をすぐに察知できるようにしています。トラブルに対して素早く状況の把握をしますが、それと同時に本部に電話連絡し指示を仰ぎます。現場での対応は自分一人ですが、きちんとチームとして事にあたるようになっているのです。 チームだからこそ、協調的な個の判断が求められる。個人だからこそ連絡と相談が大切になる。このことは学校現場でも同じです。学級の問題を担任の責任として一人で対応していては、判断ミスや対応の間違いがあっても修正できません。ことが大きくなってから初めてまわりが知っては遅いのです。中学校では複数の教師が1つの学級に入るので、それぞれの役割を意識した協調的な指導が大切です。教科担任には学級担任とは違った視点でフォローすることが求められます。 こういった事故を予見するために必要なことは、利用者一人ひとりの情報の伝達、共有です。このことについても、グループで考えてもらいました。参加されている方は力のある方ばかりです。手にした情報を伝えることや自分が担当する利用者の情報を得ることをしっかり意識しできていました。しかし、リーダーに伝えた、連絡帳に記入したで終わってはいけません。残念ながら、すべての職員がここに参加された方と同じレベルに達しているわけではありません。情報がきちんと伝わっているかチェックする、担当者に任せっぱなしではなくそれとなく意識して見守るといったことも必要なのです。このことをお伝えしました。 今回は、介護施設と訪問介護、それぞれの状況の違いを理解し合うことができました。互いに学ぶべきことは多かったようです。人のお世話をするという点で、介護は教育と似たところがあります。私も研修を通じてよい学びをすることができました。ありがとうございました。 「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第8回公開個から始めるのか、全体で取り組むのかを考える
小学校で終日授業アドバイスをしてきました。この日は低学年を中心とした個別アドバイスと、全体に対してのアドバイスの時間を取っていただきました。
基本的に子どもたちは落ち着いています。前回訪問からそれほど時間は立っていないので大きな変化があるわけではありませんが、子どもたちを受容することや子どもたちが互いに聞き合うことを大切にしようとする姿勢が感じられました。しかし、その実現については学級差を感じます。子どもとの関係に苦労している学級も目にしました。個々の学級のよさが学校全体のものになっていません。授業研究などを通じて、気軽に授業について話し合う雰囲気をつくることで互いのよさを共有するとよいと思いました。 一方、発問や授業の進め方、教材研究といったことについては、甘いと感じる授業が多くありました。特に気になったのが、目標や評価を教師自身が意識していない活動が目立ったことでした。当然子どもたちにも目標や評価の基準は明確になっていません。活動そのものが目的となり、よく言われる「活動あって学びなし」となってしまいます。また、目標がある程度明確になっていても、その達成のために何が必要なのかを意識していないため、子どもがうまく活動できない場面も目にします。例えば、「資料を見て気づいたこと」と問いかけても、子どもの活動はシャープになりません。資料から気づくためには、資料には何が書かれているかを確認したり、○○と比較するといった視点を明確にしたりすることが必要です。どのような視点を持つ必要があるのか、それは教えるのか気づかせるのかといったことを意識して授業を組み立てる必要があるのです。 今回は、このような子どもの活動に関することについて、全体に対してお話をさせていただきました。 「個々の教師を伸ばすことから始めるのか」「学校全体で取り組むことを明確にして推し進めるのか」といった方向性を学校としてはっきりさせることが必要だと感じました。前者であれば、「個々の教師の成長を全体のものとするために、共有する場面をつくる」、後者であれば、「4月のスタート時点で今年度学校として取り組むことが具体的になっている」ことが必要になります。このようなことを校長にはお伝えしました。 どのような判断をされたのか教えていただく機会を楽しみにしています。 中学校長会で講演
市立中学校の校長会で「みんなが元気になる学校づくり」と題した講演を行いました。校長がどのような動きや仕掛けをすると学校が元気になるかということを具体的な事例をもとにお話しさせていただきました。
あたりまえのことですが、校長の仕事の第一は学校として何を目指していくのかをできるだけ具体的にすることです。「自ら進んで学ぶ子」というような抽象的な表現ではなく、「わからないときに、教えてと聞ける子」というような具体的に評価しやすい行動で表現することが大切です。また、こういう目指す子どもの姿が校内の誰に聞いてもぶれることがないことも大切です。機会を見ては校長が発信し続けることを意識してほしいと思います。 学校ホームページは校長が発信するための大きな武器となります。外向きだけでなく先生方に対しても校長が目指すものを伝える有効な手段です。目指す子どもの具体的な姿や学校のよい取り組みを発信することは、先生方にどのような子どもを育ててほしいかを伝えると同時に、こういうことをしてほしいというよい意味でのプレッシャーを与えることになります。 学校がよい方向に変わる条件として、「戦略性がある」「授業を大切にしている」「管理職・主任が授業をたくさん見ている」「同僚性がある」が挙げられます。何を変えるか、どこから始めるかというゴールとステップが明確であること。子どもたちが過ごす時間の大半を占める授業を大切にし、そこで生活指導や人間関係づくりをすること。学校の授業の実態を把握し、具体的な場面で先生方に寄り添って指導すること。先生方を孤立させないように、互いに支え合い、相談し合い、一緒に考え合える人間関係をつくること。こういうことが大切です。 特に若手を育てるためには、以前のように「自分で盗みなさい」ではうまくいきません。管理職や主任の働きかけが大切になります。個別に対応するのか、小グループで育てるのか。小グループは若手だけなのか、ベテランも加えるのか。いくつかのやり方がありますが、どれが正解というわけではありません。学校規模や人事構成によって適切な方法は違ってくるのです。大切にしてほしいことは、メンタルケアです。一緒に考える仲間、寄り添ってくれる先輩、見守ってくれる管理職の存在が必要です。そして、言葉で言ってもなかなか伝わりませんから、実際の場面を見せてあげることも必要です。グループで指導案を検討し、授業研究を行うといった方法は、主体的に考えた授業を客観的に見ることができるので有効な方法の一つです。また、先生方もある意味子どもと同じです。成果を認めてほめることが大切です。しかし、必ずしも結果がすぐに出てくるわけではありません。取り組もうとしている意欲を認めてはげますことも校長の大切な仕事です。 ベテランを変えることはとても難しいと感じている方が多いと思います。確かに、長年やってきたことを変えさえようとしても抵抗があります。しかし、ちょっとしたきっかけで大きく変わるのもベテランです。自信を持っているベテランばかりではありません。ベテランであるが故に、授業はうまくなければいけない、指導ができなければいけないというプレッシャーがあります。自分の課題を指摘されることに若者以上に過敏な方もたくさんいるのです。ベテランには直接指導するのではなく、他の先生の授業を見せることが効果的です。他の先生の授業の課題に気づくことで、自分の授業を振り返ることができるからです。また、ベテランに変わってほしい時は、まずベテランのよいところを認めてほめることが大切です。その上で、新しいことに挑戦しましょうと次のステップを提示するのです。「新しいこと」「挑戦」という言葉を使って、欠点の改善ではなくレベルアップという肯定的なイメージで前向きになってもらうのです。「上手くいかなければまた以前のようにやれば大丈夫ですから」と失うものがないことを伝えておくのもよいでしょう。もともと、若手と違って基本的な力はあるのですから、新しいやり方を上手く取り入れることができれば素早く変化するのです。 こういった学校の取り組みを支える要は教務主任です。校長が直接指導するとある意味命令になってしまいます。そこで教務主任の出番です。教務主任が上手く機能するためには、校長が目指しているものをきちんと伝えることが大切です。言葉で伝えるだけでなく、一緒に学校を回り、授業を見ながら感想を言い合うといったことも理解してもらう一つの方法です。そして、教務主任には若手に寄り添う、支えることを求めます。学級の問題や授業に関してこうしなさいと指導するのではなく、どうしたらいいだろうか一緒に考える姿勢を持ってもらうのです。規模の大きい中学校などでは、この役割の一部を学年主任に求めることになるかもしれません。校長は、教務主任や学年主任に対して、どのような役割を求めているかをしっかり伝えることが必要です。 時間の関係で地域とのかかわりについてあまりお話はできませんでしたが、学校のことをまずよく知ってもらうことと、相談する姿勢が大切であることをお伝えしました。「○○してください」「手伝ってください」とお願いするのではなく、「○○について困っています」といった本当のことを伝え、どうすればいいのか一緒に考えてくださいと相談するのです。学校に対する要望については、真摯に受け止めていることを伝えることが大切です。結論に時間がかかるのであれば、いつまでに出すと伝える。要望に応えられなければその理由をていねいに説明する。こういうことが学校に対する信頼につながり、一緒に子どもを育てるという関係を構築することになるのです。 どなたもとても熱心に話を聞いていただけました。明日から早速やってみたいことが見つかったという言葉をいただけたことをとてもうれしく思いました。みなさんにとっても何か一つでも得るものがあったのであれば幸いです。 私立学校の研修で、新しい授業スタイルへの思いを新たにする
私立の中高等学校の研修で講師を務めました。模擬授業を行ない、私が解説をする形式です。
今回は若手の英語の先生が授業者をかってでてくださいました。自分の授業の今を伝えようという意欲的なものでした。 子どもたちの活動量を大切にしています。面白いのが、子ども役の先生たちです。子どもたちの実態を意識してのことでしょうか、授業に集中しない方、それこそ真剣に参加する方いろいろです。これだけバラエティにあふれる子ども役に出会ったのは初めてです。先生方の温度差の現れなのかもしれません。 授業者は実際の授業でもそうなのでしょう、子どもたちを叱るようなことはしません。明るい表情で、次々に活動を仕掛けます。簡単な確認は何人にも指名し、学力低位の子どもも聞いていれば答えられるようにします。答えられなかった子どもはまた指名して、挽回する機会を与えます。子どもたちに対する姿勢のよさがよく出ていました。 今回の授業は、基本となる英文をもとにペアでオリジナルの対話をつくり実演することが主活動です。あまり授業に参加しなかった方も、相手がいなければできない活動ですからちゃんと参加します。子どもたちの実際の動きとよく似ています。もちろん実際の子どもたちは本当にわからなくて参加できないこともありますので、そのような子どものために基本的な文も準備されています。基本パターンを崩して新しい要素を入れると評価が高いといった基準も示されています。 この学校の英語科で行おうとしている授業改革の一つの形を見せてくれました。 手慣れた授業に見えますが、その裏では授業者はいろいろと思考錯誤していることがよくわかります。よりよい授業を目指して日々工夫を重ねていることがよくわかります。ちょっとした場面にも授業者のオリジナリティを感じました。 うれしかったのが、今回子ども役にならなったかった方です。皆さん1度は模擬授業形式の研修に参加されていたのですが、若手の授業を非常に真剣に見ておられたのです。授業改善に前向きな先生がたくさんおられることを心強く感じました。 最後に、この授業を見て学んだことをグループで話し合っていただきました。中には、子どもたちがこのように活動する授業は楽しそうだが、学力がつくのかといった疑問を持たれる方がいました。特に高等学校ではこのような授業観が多いようです。しかし、このような授業が楽しいと思っていただけただけで今回の模擬授業はよかったと思います。教師が一方的に説明する授業や子どもたちが寝ている授業で学力がつくことはありません。教師が説明をしたというのは、自己満足であり、それでできないのは子どもが悪いという言い訳の授業です。そのことを実はおそらく気づいているのではないかと思います。だからこそ、そのことを認めたくないのではないでしょうか。 大学受験者の急増時期に、高等学校の教師は受験に必要な知識を伝えれば授業が成り立つことを知りました。これが受験に役立つという言葉で子どもを引っぱることができたからです。そのため、授業に対する工夫や授業技術の習得をほとんどしなくなってしまいました。小中高大で一番変わっていないのは高等学校という説もうなずけます。しかし、大学入試制度が変わることはほぼ間違いないようです。文部科学省も高等学校の授業改革に本腰を入れるようです。変化の波は確実に高等学校にも押し寄せてきています。新しい学力観、授業観に変わることが求められているのです。 高等学校でも子ども同士がかかわり合う授業に取り組む学校が増えています。そのことが学力向上に有効であるという報告も目にするようになりました。この学校にあった、新しい授業スタイル、学習スタイルをつくりだしてほしいと思っています。そのために少しでもお力になれればという思いを新たにしました。 授業力向上に前向きな先生方
中学校で、授業アドバイスを行いました。この日は国語の授業研究がありましたが、その前に学校全体の様子を見せていただきました。うれしかったのが、たくさんの先生が私と一緒に授業を参観してくれたことでした。他の先生方の授業、特に子どもの姿から学ぼうとする姿勢はこの学校の授業力向上への意欲の強さの表れでもあります。授業を見ることでたくさんのことが学べたとの感想を聞くことができました。次のステップとして、私の解説抜きでも、互いに授業を見あって学び合うようになってくれることを願っています。
全体的に感じたのは、以前と比べて2年生がずいぶん落ち着いたことです。教師と子どもの関係もぐっとよくなったと感じました。懇親会でその秘密がわかりました。以前私がアドバイスした、「気になる子どもではなく、きちんとできている子どもたちとかかわることを優先すること」を2学期は意識したそうです。体育大会では全体から外れた行動をとる子どもにはかかわらず、そのほかの普通の子どもを大切にしたそうです。結果的には外れた行動をとる子どもも、みんなの様子が気になるのか、どこかへ行ってしまうのではなく、次第に集団の中に入るようになったそうです。その結果、合唱大会では、そういった子どもも口を開けて参加するようになったとのことでした。私のアドバイスがよかったということではありません。あくまでも私は、方向性を示しただけです。先生方が自分たちで考えて行動し、修正していったことが上手くいったのです。外部の意見を参考にする素直さと、子どもたちの実際の様子を見ながら学年で歩調をそろえて指導することができたチームワークが決め手です。次の課題も視野に入れています。子どもたちが3年生になれば、今よりもっと素晴らしい姿を見せてくれることでしょう。 もちろん、3年生も1年生もよい姿を見せてくれました。先生方の柔らかい雰囲気が子どもたちを包んでいることを感じます。 授業研究は2年生の国語で、古典の扇の的でした。 音読の練習場面では、子どもたちは大きな声を出して読みます。ペアで交互に音読したりしますが、そのことの良し悪しは別として、音読に何を求めているのかがはっきりしませんでした。単語や文節の区切りを意識して読むのか、仮名遣いや言い回しを意識して読むのかといったことがよくわからないのです。前時までに意識すべきことを指導してあったのかもしれませんが、子どもたちの音読からはそれがわかりませんでした。音読する前に確認をすべきでした。 この日の主課題は、与一が扇を射た後に平家の男を射ぬいたことに対するまわりの反応、「あ、射たり」と「情けなし」に込められた「その時代の人の思い」を考えるというものです。考える前に登場人物の関係を図示し、与一が義経の命に従って男を射ぬいたことを確認しました。 個人で考えた後、グループで意見を聞き合います。子どもたちは意見を言いますが、その根拠を明確にした議論はできません。「その時代の人の思い」といっても、当時の人の思想を子どもたちはわかっていないからです。「あ、射たり」には、与一の腕前のすごさ、源氏を勢いづけたことを称賛するといった意見が、「情けなし」には、自分のために舞ってくれた人にそこまでしなくてもいい、与一がためらないなく殺したのはひどいといった意見が出てきました。が、どれも根拠が明確になっていません。本文を読み取ることと関係なしに、現代語訳から子どもたちが想像した以上のものにはなっていないのです。 ここでは、「あ、射たり」「情けなし」という言葉から当時の人の考え方を知ろうといった課題にすることで、子どもの意見はかなり違ったものになったと思います。今の時代ならこの行為はどう評価されるかを考えさせれば、それと比べることで当時の人の考え方を明確にすることもできます。作品を通じて当時の人の考え方を知るという古典の学習の目的の1つがが明確になります。また、当時の人の考え方を知るのであれば、それ以前に、平家が扇を的として源氏を挑発した場面や与一が扇を射た時に敵も味方も称賛した場面も押さえておかなければなりません。それを踏まえた上でこの場面を考えることで、当時の人の考えがより明確になるはずです。何を目標とする活動かが明確でないため、子どもたちがただ想像するだけのものになってしまい、読みが深まっていかないのです。 グループの活動で、ワークシートを回し読みしている姿が見られました。ワークシートに頼りすぎるとこのようなことが起こります。ワークシートを見せたり読んだりするのではなく、必ず自分の口でしゃべらせてかかわり合わせることが大切です。話し合いを深めるためには、1つの意見をもとにして、その場で質問したり、自分の考えを述べたりすることが必要なのです。 全体追究の場面では授業者は子どもの意見をすぐに板書します。よいと思ったら写すようと言いますが、子どもたちは板書されると条件反射的に写します。板書に頼らず、なるほどと思った、似た意見だという子どもを指名してつなげていくことが必要です。 指名した子どもの説明がちょっと混乱してよくわからない場面がありました。「どういうこと?」と子どもから声が上がります。自然にこういう疑問を口に出せるのは学級の雰囲気がよい証拠です。授業者はまわりの人と相談させ、他の子どもに説明をさせました。子どもたちは納得したのか、拍手が起こりました。子どもたちが安心して暮らせる学級になっています。 最後に意見を聞いて、もう一度自分の考えをまとめます。発表に対して授業者がいい意見と評価すると、子どもたちが拍手をします、しかし、子どもたちは何がいい意見かを判断する基準を持っていないので、教師の判断に従って拍手をしただけです。結局、現代人が当時の人を非難しているだけの意見のように感じられました。 子どもたちはとても集中して授業に参加していました。だからこそ、教材研究の大切さを強く感じることになりました。 授業検討会では、若手が積極的に意見を発表してくれます。授業検討会が機能しています。互いに学ぼうとする雰囲気を感じることができます。私からは、全体に共通の課題として、活動に対して目標とその評価基準が子どもにわかる言葉で伝えられていないことを指摘しました。このことが課題となるということは、授業規律がしっかりしてきて、子どもたちが集中して授業に参加できるようになってきているということです。 懇親会では、この日授業を見せていただいたほとんどの先生がアドバイスを聞きにきてくれました。授業力の向上に前向きな先生ばかりです。休む間もなく先生方とお話ができとても楽しい時間を過ごすことができました。 研究発表まであと2年ですが、素直で前向きな先生方ばかりなので、この先がとても楽しみです。 |
|