授業力向上に前向きな先生方

中学校で、授業アドバイスを行いました。この日は国語の授業研究がありましたが、その前に学校全体の様子を見せていただきました。うれしかったのが、たくさんの先生が私と一緒に授業を参観してくれたことでした。他の先生方の授業、特に子どもの姿から学ぼうとする姿勢はこの学校の授業力向上への意欲の強さの表れでもあります。授業を見ることでたくさんのことが学べたとの感想を聞くことができました。次のステップとして、私の解説抜きでも、互いに授業を見あって学び合うようになってくれることを願っています。

全体的に感じたのは、以前と比べて2年生がずいぶん落ち着いたことです。教師と子どもの関係もぐっとよくなったと感じました。懇親会でその秘密がわかりました。以前私がアドバイスした、「気になる子どもではなく、きちんとできている子どもたちとかかわることを優先すること」を2学期は意識したそうです。体育大会では全体から外れた行動をとる子どもにはかかわらず、そのほかの普通の子どもを大切にしたそうです。結果的には外れた行動をとる子どもも、みんなの様子が気になるのか、どこかへ行ってしまうのではなく、次第に集団の中に入るようになったそうです。その結果、合唱大会では、そういった子どもも口を開けて参加するようになったとのことでした。私のアドバイスがよかったということではありません。あくまでも私は、方向性を示しただけです。先生方が自分たちで考えて行動し、修正していったことが上手くいったのです。外部の意見を参考にする素直さと、子どもたちの実際の様子を見ながら学年で歩調をそろえて指導することができたチームワークが決め手です。次の課題も視野に入れています。子どもたちが3年生になれば、今よりもっと素晴らしい姿を見せてくれることでしょう。
もちろん、3年生も1年生もよい姿を見せてくれました。先生方の柔らかい雰囲気が子どもたちを包んでいることを感じます。

授業研究は2年生の国語で、古典の扇の的でした。
音読の練習場面では、子どもたちは大きな声を出して読みます。ペアで交互に音読したりしますが、そのことの良し悪しは別として、音読に何を求めているのかがはっきりしませんでした。単語や文節の区切りを意識して読むのか、仮名遣いや言い回しを意識して読むのかといったことがよくわからないのです。前時までに意識すべきことを指導してあったのかもしれませんが、子どもたちの音読からはそれがわかりませんでした。音読する前に確認をすべきでした。
この日の主課題は、与一が扇を射た後に平家の男を射ぬいたことに対するまわりの反応、「あ、射たり」と「情けなし」に込められた「その時代の人の思い」を考えるというものです。考える前に登場人物の関係を図示し、与一が義経の命に従って男を射ぬいたことを確認しました。
個人で考えた後、グループで意見を聞き合います。子どもたちは意見を言いますが、その根拠を明確にした議論はできません。「その時代の人の思い」といっても、当時の人の思想を子どもたちはわかっていないからです。「あ、射たり」には、与一の腕前のすごさ、源氏を勢いづけたことを称賛するといった意見が、「情けなし」には、自分のために舞ってくれた人にそこまでしなくてもいい、与一がためらないなく殺したのはひどいといった意見が出てきました。が、どれも根拠が明確になっていません。本文を読み取ることと関係なしに、現代語訳から子どもたちが想像した以上のものにはなっていないのです。
ここでは、「あ、射たり」「情けなし」という言葉から当時の人の考え方を知ろうといった課題にすることで、子どもの意見はかなり違ったものになったと思います。今の時代ならこの行為はどう評価されるかを考えさせれば、それと比べることで当時の人の考え方を明確にすることもできます。作品を通じて当時の人の考え方を知るという古典の学習の目的の1つがが明確になります。また、当時の人の考え方を知るのであれば、それ以前に、平家が扇を的として源氏を挑発した場面や与一が扇を射た時に敵も味方も称賛した場面も押さえておかなければなりません。それを踏まえた上でこの場面を考えることで、当時の人の考えがより明確になるはずです。何を目標とする活動かが明確でないため、子どもたちがただ想像するだけのものになってしまい、読みが深まっていかないのです。
グループの活動で、ワークシートを回し読みしている姿が見られました。ワークシートに頼りすぎるとこのようなことが起こります。ワークシートを見せたり読んだりするのではなく、必ず自分の口でしゃべらせてかかわり合わせることが大切です。話し合いを深めるためには、1つの意見をもとにして、その場で質問したり、自分の考えを述べたりすることが必要なのです。
全体追究の場面では授業者は子どもの意見をすぐに板書します。よいと思ったら写すようと言いますが、子どもたちは板書されると条件反射的に写します。板書に頼らず、なるほどと思った、似た意見だという子どもを指名してつなげていくことが必要です。
指名した子どもの説明がちょっと混乱してよくわからない場面がありました。「どういうこと?」と子どもから声が上がります。自然にこういう疑問を口に出せるのは学級の雰囲気がよい証拠です。授業者はまわりの人と相談させ、他の子どもに説明をさせました。子どもたちは納得したのか、拍手が起こりました。子どもたちが安心して暮らせる学級になっています。
最後に意見を聞いて、もう一度自分の考えをまとめます。発表に対して授業者がいい意見と評価すると、子どもたちが拍手をします、しかし、子どもたちは何がいい意見かを判断する基準を持っていないので、教師の判断に従って拍手をしただけです。結局、現代人が当時の人を非難しているだけの意見のように感じられました。
子どもたちはとても集中して授業に参加していました。だからこそ、教材研究の大切さを強く感じることになりました。

授業検討会では、若手が積極的に意見を発表してくれます。授業検討会が機能しています。互いに学ぼうとする雰囲気を感じることができます。私からは、全体に共通の課題として、活動に対して目標とその評価基準が子どもにわかる言葉で伝えられていないことを指摘しました。このことが課題となるということは、授業規律がしっかりしてきて、子どもたちが集中して授業に参加できるようになってきているということです。

懇親会では、この日授業を見せていただいたほとんどの先生がアドバイスを聞きにきてくれました。授業力の向上に前向きな先生ばかりです。休む間もなく先生方とお話ができとても楽しい時間を過ごすことができました。
研究発表まであと2年ですが、素直で前向きな先生方ばかりなので、この先がとても楽しみです。
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