会員の「すごさ」を実感した研究会

先週末は、愛される学校づくり研究会に参加してきました。
来年2月21日(土)に行われる「愛される学校づくりフォーラム2015 in 大阪」の午前の部は、「愛される学校のつくり方」について会員の代表が発表し、それを基に意見の交換を行うというものです。その発表者を決めるためのプレゼンを行いました。

発表者は、会員の内、校長および校長経験者全員です。欠席者はレポートでの参加です。出席者は全員が3分(ほとんどの人が超過)で実践の報告をします。今回、私は聞き役です。久しぶりにプレッシャーのまったくない研究会でした。感想は、とにかくみなさん「すごい!」の一言です。改めてこの研究会の会員の質の高さを実感しました。
どこかで聞いたような発表はありません。それぞれが、自分の学校や職場において何を課題として、具体的にどうようにして解決していったのかが語られます。また、プレゼン技術の高さも特筆に値します。先生のプレゼンはお世辞にも上手とは言えないものが多いのですが、さすがと言えるものばかりです。日ごろから「伝える」ことを大切にしていることがよくわかります。どなたの発表も、もっと詳細を聞かせてほしいと思うものばかりです。この中から5本に絞るのですから大変です。参加者にとって参考になるもの、取り組みの視点はバラエティーに富むようにと、皆で意見を出し合います。選ばれた5本はどれも皆さんになるほどと納得していただけるものばかりだと思います。

今回のフォーラムのコンセプトは、公開研究会です。私たちが日ごろやっている研究会の内容をそのままフォーラムにしてしまうというものです。ということは、予定調和は一切ありません。いつもと同じく参加者が自分の考えや意見を発表し合い、考えを深めていく会です。毎回、刺激的で多くの学びがあります。もちろん、楽しい会であることも間違いありません。フォーラムの参加者にもきっと満足していただけると確信しています。
この日の研究会とフォーラムに関連して会員の一人がブログで発信しています(“校長が「予選会」に挑戦する”、“「ライブ感」を大切に”参照)。これを読んでいただけると、私の確信の理由がよくわかると思います。
年内にはフォーラムの申込みが始まりますが、皆さんこの日は是非あけておいてください。

先生方の予想以上の変化に驚く(長文)

先週末に、小規模校で授業アドバイスを行ってきました。2回目の訪問です。

びっくりしたのが、前回のアドバイスを忠実に実行している先生がとても多かったことです。少人数の学級ではその影響は見えにくいのですが、比較的人数が多い学級では子どもたちの様子が大きく異なっていました。

2年生はベテランの国語の授業です。
子どもたちを笑顔で受容することができ、やる気を引き出すのがうまい方です。何枚かの連続した絵にセリフをつける活動をしていました。絵と絵のつながりを考えていう条件が付いています。子どもたちは既に1枚目を終えているので、それを思い出してから取りかかりました。前回は1枚目だったのであまりつながりを意識していないはずです。2枚目となる今回は、作業を開始する前に、話がつながるとはどういうことかを押さえておく必要があったのではないかと思います。
2枚目の絵だけを見てセリフを考えます。あとから修正する活動を設けて、そこで考えさせるというのならよいのですが、つながりを考えるのであればと少なくとも前後の絵を見ながらでないと、上手くいかないと思います。「つながる」というキーワードと目標や評価基準の関係を明確にするとよいでしょう。
子どもたちは、すぐに手が動きます。前向きです。日ごろからこういった活動を通じて、子どもたちをポジティブに評価していることがこの姿をつくり出しているのだと思います。わずかな時間見ただけで、言うべきことではないかもしれませんが、指示や説明が伝わらなかった時の補足やアドバイスを個別の指導に頼るところがあります。子どもが困ればすぐに先生が助けます。子ども同士のかかわり合いを意識してほしいと思います。

3年生は算数の授業でした。
前回訪問した時は、授業者が一方的に説明する場面が目についたのですが、今回は全く別人のようでした。同じことを何人もの子どもに説明させています。子どもの発言をうなずいて聞き、しっかり待つこともできています。いつも、子どもを見ることを意識しています。子どもたちも、集中して発言を聞いていました。
指名されてどうしても発言ができなかった子どもがいた場面で、授業者は「助けてくれる人?」としました。他の子どもが手を挙げて説明をしたのですが、答えられなかった子どもはその後しばらく元気がありませんでした。助けてもらったというより、失敗したという思いの方が強いのだと思います。「助けてくれる人?」ではなく、「まわりの人助けてくれる?」として、まわりの子どもが発言者を助けて本人の口で説明させるようにするとよいでしょう。たとえオウム返しでもいいのです。本人が発言して、「よく言えたね」とほめられることが必要なのです。「助けてくれてありがとう」「助けてもらってよかったね」と双方に声をかけて、助け合えることを肯定的にとらえる空気を学級につくるようにします。
また、教科書のキャラクターの言っていることを説明させる場面がありました。キャラクターの言葉は、自習や子どもから考えが出なかった時のためにあるものです。子どもからそういった考えを引き出すようにしてほしいと思いました。

4年生は、初任者の国語の授業でした。
自作の詩の朗読の仕方を考えて練習する場面でした。グループで互いに朗読の仕方をアドバイスし合っています。子どもたちとの関係が上手くいっているのが、授業者がグループとかかわると、子どもが友だちへのアドバイスなのに一生懸命教師に向かってしゃべることでわかります。先生に聞いてほしいのです。しかし、このような行動は望ましものでありません。授業者がその場を離れると、今度は友だち向かって一生懸命に説明していました。教師が子ども同士のかかわり合いを結果としてじゃましていたのです。グループ活動なのに教師に向かってしゃべるような時は、笑顔で軽く首を振って友だちに向かうようにうながすとよいでしょう。また、すぐに子どもたちの活動を見に行くのではなく、少し離れたところで見ていることも大切です。
詩の朗読に関して、どのような工夫があるか、過去どのようなことを意識して朗読したかかといったことを全体で確認してから活動するとよいでしょう。工夫するための足場をつくることが必要です。また、朗読の目標も明確にするとよいでしょう。聞いた人にどのように感じてもらいたいかを意識することで、発表の後の評価もしやすくなります。
初任者指導の先生の指導のおかげもあり、前回の訪問時と比べると確実に進歩していることをうれしく思います。

6年生は算数の授業でした。
子どもが説明した後、納得できたかどうか聞きます。子どもたちはしっかりと聞いて反応を示します。続いて別の子どもが説明し、納得した子どもが増えたことを評価します。最後に1人、なかなか納得できない子どもがいます。また別の子どもが説明に挑戦します。1人納得できない子どもは終始真剣に聞いています。説明が終わったあと、拍手が起こりました。納得できなかった子どももうれしそうに拍手をしています。何となくではありますが、納得できたと言ってくれました。他の子どもたちもとてもうれしそうでした。とてもよい場面に出会えました。授業者は、一問一答を止めて、子どもたち自身が何度も説明し合うことで理解する授業スタイルに変えてくれました。自分の今までのスタイルを変えることはなかなか難しいのですが、前向きに挑戦してくれたようです。とてもうれしいことです。

授業研究は。1年生の算数と5年生の国語で行われました。
1年生の算数は、繰り上がりのある足し算です。どちらの数でも10をつくることができることを考える場面でした。授業者は子どもたちの発言をしっかり受容しようとしています。子どもの考えをつないで、子どもたちの言葉で説明しようとしていました。子どもたちとの関係もよく、引き付けるための工夫もいろいろとしているので、どの子どもも積極的に授業に参加してくれました。
子どもたちの状況がよいので、算数の授業の進め方が気になりました。この日の課題は赤い箱に4個、青い箱に8個、おにぎりが入っていて、合わせて何個というものです。子どもに数字はどれと問いかけ、4と8に○をつけます。続いて大切な言葉を選ばせます。「あわせて」という言葉から足し算だとわかるので「あわせて」に○をつけます。こういったやり方をよく見るのですが、これはとても危険な教え方です。子どもは、数字を見つけて何算かを考えるのが算数の問題を解くことだと思ってしまいます。これでは、大切な問題を把握する力はつきませんし、教科書が意図的に赤い箱、青い箱と区別をし、それぞれの箱が10個入るような絵を描いていることがムダになってしまいます。問題文を読んで、その表わす状況を具体化できることが大切です。それを助けるために教科書は必ず図が描かれているのです。2つの箱におにぎりが入っていて、それを合わせるということはどういうことか、具体的に操作させてもいいでしょう。問題文の表わす状況を具象化することを通じて足し算になることが理解できるのです。「あわせて」と書いてあるから足し算ではなく、問題文の「あわせて」という言葉の表す状況から足し算であることがわかるのです。
合わせるという操作を赤い箱に詰めて行うのか、青い箱に詰めて行うのかで、10をつくる2つのやり方に気づかせるのです。ここまでで、10の補数を考えてきているので、4にいくつ足すと10になる、8にいくつ足すと10になるという発想を大切にする必要があります。授業者は数図ブロックを使って演算までさせましたが、ここは10の補数を考えるために使うにとどめるべきだと思います。
教科書は、「10の固まりをつくって考える」「操作活動を通じて、10の固まりをつくるために、もう一方の数から補数を持ってくる」「10の固まりをつくるために、補数を考え、補数を使ってもう一方の数を分解する」「補数がわかれば、すぐに計算ができる」「どちらの数をもとに10をつくってもよい」といった流れで考えるようになっています。前の時間にやったことをもとに積み重ねていくのですから、10の補数を使わずにブロックの操作活動に戻ることは避けたいのです。いつも言うように、教科書に縛られる必要はありませんが、教科書の意図は正しく理解してほしいのです。
また、「さくらんぼ図をどちらにつくってもいい」とさくらんぼ図を起点として説明をしました。これも問題です。どちらの数をもとに10をつくるか決めて、もう一方の数を、補数を使って分解するのです。「どちらに10をつくってもいい」とするべきなのです。

5年生の国語は、気持ちを上手く伝える言葉について考える授業でした。
気持ちが上手く伝わった、伝わらなかった経験を書いたカードをもとに、その原因をグループで考え、全体での発表の方法を考えるという場面でした。この日の流れとゴールがはっきり示されないまま、一つひとつの活動が進みます。子どもは原因を話し合うのですが、その目的がよくわかりません。何となく話しているのです。
子どもたちは自分の経験を、カードをもとにして話すのではなく、順番に回して読み合っていました。ワークシートやカードを使った時によく起こることです。書かれたものに頼らず話せるようにすることが大切です。
授業者は順番にグループを回ります。そこで、個別に指導を始めてしまいます。個別指導を多用すると子どもたちはわからなかったり苦しくなったりした時に自分たちで考えずにすぐに教師に頼るようになってしまいます。活動が止まってしまうような状態であれば、いったんグループ活動を止めて、全体で困っていることを共有し、子どもたちで解決できるようにするとよいでしょう。
続いて、どうすれば伝わるのかを発表する方法を「選ばせ」ます。教科書に書いてある例を読んで、それをもとに選ぶというのです。発表方法を選ぶのは何のためかという目的が明確ではありません。子どもは自分がやりたいかやりたくないかを主張します。まず、選ぶのではなく考えることが大切です。聞いている人にどうなってほしいか、そのためにはどんな方法があるか、過去の経験を発表させる、小規模な学級なので、あまり出てこないようであれば、教科書の例も参考にする。与えられたものから選ぶのではなく、目的から方法を選ぶという決定方法を取らないと、根拠のない話し合いになってしまいます。
授業者は、子どもとの関係もよく、指示も徹底できます。だからこそ、単なる作業ではなく子どもたちが考えるためにどのような課題や指示をすべきかを考える必要があると思います。
授業の最後に漢字の学習をしました。こういった練習や小テストは授業の最初におこなうことが多いのですが、子どもが一番やる気のある時間を練習に使うのはちょっともったいない気がします。声を出したりして脳を活性化するという意味で最初にやることは否定しませんが、本時の学習が一通り終わった後でこういった学習ができるのであれば、とてもよいことだと思います。問題は、そこで子どもたちが集中できるかです。この学級では、子どもたちはとても素晴らしい集中を見せてくれました。これであれば、最後にやった方がいいと思えるものでした。

授業検討会の場では、教科書の意図を読み取ってほしいことを先ほどの算数の単元を例に、具体的に話しました。算数に限らず、教科書のキャラクターや子どもの発言は、それを前提とするのではなく、子どもたちから出させたいことであることにも注意してほしいことを伝えました。
単元、1時間の授業、一つひとつの活動、それぞれに目標となるゴールと評価の基準を子どもたちにわかる言葉で明確にすることが必要です。また、個別指導に頼らず子ども同士のかかわり合いを大切にすることもお願いしました。

私の予想以上に多くの先生がよい方向に変わっていました。この素直な気持ちを忘れずに研究に取り組んでいただければ、とてもよい授業スタイルがこの学校に根付いていくと思います。

「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第7回公開

愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」の第7回「授業検討ツール」の実践からわかったことが公開されました。

ぜひご一読ください。

子どもたちや先生の姿から元気をもらう

授業アドバイスを始めて3年目の小学校を訪問しました。今年度2回目です。これまでは算数を中心に授業を参観してきましたが、今回は、他の教科の授業もいくつか見せていただけました。

5年生の授業は今年2年目の先生の算数の授業でした。
子どもたちは誰もがしっかりと集中しています。子どもの発言を問い返したり、ゆさぶったりするので、どの子どももしっかりと発言を聞いて考えようとしています。授業者の言葉が少ないことがとても印象的です。この授業でポイントとなることは何か、押さえるべき用語は何かをきちんと意識しているからできるのです。授業全体の雰囲気が他の若手の授業ととてもよく似ています。若手が互いに授業を見あって切磋琢磨していることがよくわかります。
まだ、挙手をする子どもが少ない場面ですぐに指名することがあります。挙手を増やすのか、挙手に頼らず指名していくのか、そういうことも考えて今以上に全員参加を目指してほしいと思います。

特別支援は校務主任が担当しています。2人の子どもに1年生の算数の足し算を教えていました。授業者は前を向いて2人の間に座っています。子どもに威圧感を与えないよう、寄り添うようにしているようです。子どもが落ち着いて考えられるように、自身のテンションを上げないようにコントロールしています。子どもたちは集中して取り組んでいます。指で計算しなくてもいいようにするため、小型のホワイトボードに数直線を書いたものを用意し、それを利用して計算をさせています。問題をやらせて、全問正解になっている状態で答え合わせをしました。今度は少しテンションを上げています。意欲を持たせるためでしょう。子どもたちに力をつけようといろいろと工夫しているのが印象的でした。

再任用の方の授業は4年生の理科の実験の授業でした。
落ち着いた口調で、ていねいに授業を進めていきますが、どうしても一方的にしゃべることが中心になります。子どもたちはよく聞いているのですが、受け身の時間が長くなるとどうしても集中力が切れてしまいます。
実験について、結果を想像するようにと言うのですが、疑問や課題と実験の関係が明確ではありません。この日は、気体の体積と温度との関係を知ることが課題ですが、そのためにどのような実験をすればいいかと考えるわけではありません。天下りで教科書の実験が出て来て、その結果を想像しようというのです。どうして、この実験で気体の体積の変化と温度の関係がわかるのかといったことは確認されません。子どもたちに何を根拠に何を考えさせるのかを明確にするよいと思いました。

1年生の道徳の授業は昨年異動してきた先生でした。
この1年でしっかりと子どもを受容できるようになっています。1年生としてはとてもよく集中できています。また、授業者は子どもたちにうなずいて反応するように指導していますが、子どもたちは無責任に反応しません。納得した時には大きくうなずきますし、そうでなければうなずきません。形式的にはなっていないのです。授業者がうなずいた子どもを指名することを知っているからです。また、先生に相手をしてほしくて、なかなか我慢できない子どもがいますが、決して否定せずに受け止めています。学級全体が落ち着いている理由がわかった気がします。
授業の内容は、自分が散らかしたものでなくても片づける友だちを見て不思議に思う主人公の話です。読み物ではなく絵をもとに考えさせます。主人公のせりふから気持ちを考えさせるので、不思議だと思う理由に意見が集中してしまいます。主人公が「不思議」と思っていることを押さえれば、今度は「あなたたちは、不思議だと思う?」と自分の問題として考えさせるとよかったと思います。不思議と思う子どもと、そうでない子どもの考えをつなぐことができて、早く考えが深まったと思います。

5年生の音楽の授業は、専科の先生でした。
前回の算数の研究授業でT2だった方です。最初授業を見た時、その時の先生だと気づきませんでした。実に落ち着いて、子どもたちをしっかり見ることができています。大きく成長していました。実物投影機でワークシートを映しながら、旋律の特徴を発表させます。子どもたちはしっかりと発表できるだけでなく、よく聞くこともできます。発表が終わると自然と拍手が起こりますが、拍手で認めることより、具体的にどこがよかったかを聞いてみるといいでしょう。この子どもたちならば、ちゃんと評価できると思います。また、発表を授業者がまとめていたのも残念です。「○○さんの考えを説明してくれる?」と子どもに問いかけてもよかったと思います。
確認のために子どもたちに歌わせる場面がありました。授業者は立ってピアノを演奏します。子どもたちの様子を見ようとしているのがよくわかります。子どもたちは座って歌っていたのですが、その姿勢が気になりました。顔を上げて胸を張って歌っている子どももいますし、机の上に譜面を置いて体が前にかがんで歌っている子どももいます。たとえ座っていても、歌う時には姿勢をよくさせたいものです。先ほど利用していた実物投影機で譜面を映して子どもたちの視線を上げるとよかったでしょう。
子どもが自分のワークシートを整理している時に、授業者が机間指導してここがいいと声をかけているのが気になりました。というのは、そのあとすぐにグループで相談するからです。自信がなくて話せない子どもかもしれませんが、この学級であれば子ども同士で聞き合うことができると思います。もし、自分の考えを言えていないようであれば、その時「○○さんのも聞いてみようよ」と働きかければいいのです。
子どもとのかかわり方に課題がありますが、わずかの間にずいぶん成長しているのにびっくりしました。先生方が互いによい影響を与え合っていることがよくわかります。

6年生の算数の授業は円の面積の公式を考える場面でした。最後の2分しか見ることができませんでしたが、板書を見れば進歩がよくわかります。最初に、この授業で必要となる考え方をきちんと復習しています。円を細かく切って組み合わせていくところで、子どもたちの言葉を拾っていたことがわかります。授業の流れがよくわかると同時に、子どもに意識させたいことが何かがよく整理されていました。次回はこの先生が授業研究を行いますので、じっくり見せていただきたいと思います。

授業研究は4年生の道徳でした。今年異動して来られた新任の教務主任とベテランの担任のTTでした。この日の授業は消防士の仕事を通じて公共の仕事に携わる人への感謝の気持ちを持つというものでした。
T1の教務主任と子どもたちはしっかり関係ができています。子どもたちをしっかり受容し、誰もが安心して答えられる雰囲気です。最初に自分たちの生活を支えてくれる人を子どもたちに聞きます。家族や交通ボランティアといった方が挙がります。ここで、この日の資料を配って範読します。子どもたちには読んでいるところを指で追わせます。中には先読みをしている子どももいます。
内容は、「消防署に病人から電話がかかるが、住所と名前を言うのがやっとで、確認しても地図にはその名前がなかった。救急隊員が1軒1軒確認していたところ、たまたま主人公がその人を知っていたので急いで案内をすることができた。あと30分遅れれば危ないところだった」というものです。
範読終了後、内容の確認とその時の主人公の気持ちの確認を行います。子どもたちは、国語の授業のように、本文のどこからそう言えるのかをしっかりと発表します。国語の授業で鍛えられていることがよくわかりますが、道徳ですので、読み取りがねらいではありません。
救急隊の人はすごいといった、当たり前のことが出てくるだけです。資料をもう一度確認することでかなりの時間を使いました。この後、担任が消防士さんからの「大変だが人々の役に立っている大切な仕事である」という手紙を読みます。しかし、4年生であればこのようなことは知っている子どもがほとんどでしょう。そこから深める時間はなく、最後に生活を支えてくれる人への感謝の気持ちを手紙に書いて終わりました。子どもたちが選んだ人は最初とあまり変わりません。書かれた文章も、この授業を受けなくても内容はあまり変わらなかったのではないかと思われるものでした。
この資料で何をねらうのか、授業者も明確にできていないので、子どもの心をゆさぶったり、考えを深めたりするための発問や活動が用意できていませんでした。主人公は、一生懸命に救急隊員を案内します。そこを意識するのなら「奉仕」を考える授業として、助けてもらった人の気持ちを取り上げるという進め方もあります。救急隊員だけでなく、主人公への感謝の気持ちから、子どもでも人のために役に立てることがあることを意識させ、人の役に立つために「どんなことをしているか?」「どんなことができるだろうか?」と問いかけるのです。
予定通り「感謝」をねらいとするのなら、ゆさぶることが必要でしょう。「危険だけれどなくてはならない仕事にどんなものがある?」「その仕事を自分がやりたいと思う人は○、そうでない人は×」と子どもの立場をはっきりさせ、その理由を聞きあい、時には「大けがするかもしれない、死んじゃうかもしれない。それでもやる?」とゆさぶり、自分たちの生活を支えてくれる人への感謝の気持ちを深める。こういった進め方です。

授業研究は、グループでの検討が中心でした。どのグループも授業規律や子どもたちとの人間関係のよさと展開がねらいに迫るものだったかという疑問が取り上げられていました。読み取り、確認の時間が長いという意見も出てきます。皆さん間違いのない視点で授業を見ています。
私からは、国語の読み取りにならないためにも、できるだけ素早く説明をして子どもたちに読み取らせるようにしたいことを説明し、具体例として私流の範読をお見せしました。途中で簡単な解説を入れたり、子どもに問いかけたりしながら読むことで、できるだけ素早く子どもたちに教材の世界に入ってもらうのです。その後の展開については、先ほどのゆさぶりを例に話させていただきました。

異動して来られた方や新人の方も、この学校の目指すものを理解して、子どもたちが笑顔で集中できる学級をつくっています。先生同士が互いに授業を見あったりして学び合っていることが大きな要素だと思います。子どもたちが集中して学習に取り組んでいるので、当然のことですが学力面でもよい結果が出ています。
この学校では多くのことを学ばせていただいていますが、それ以上に、子どもたちや先生の姿から元気をいただいています。この日も、この学校と出会えてよかったと思える1日でした。

先生方の意欲を感じる学校

一昨日は、初めておじゃまする小学校で授業アドバイスを行いました。「考える力を育てる学習指導」を努力点としている学校です。この日は、若手2人の授業を見せていただきました。そのうちの1つは研究授業でした。

1年生の授業は、算数の繰上がりのある足し算でした。
ちょっと気になる子どもがいます。なかなか指示に従えないので、子どものそばに行って直接指導します。すぐに指示に従っていた子どもは、その間ほっておかれるので集中力を失くします。個別指導をしている時でも常に全体を見ようとすることが大切です。子どもたちが集中力を失くしているのに気づくことができれば、対応することができます。
授業者の表情が硬いことが気になります。しかし、「いい返事だね」というように子どもをほめることはできます。何をほめるかという視点からも、自分なりの授業規律のイメージを持っていることがわかります。そのギャップがどうにも引っかかります。その疑問は授業後に解けました。私は教室の前方から授業を見ますが、教師から見ると横から見られていることになります。その位置から見られた経験がないので、極度に緊張したというのです。授業者の視点に入らないようにしているのですが、それがかえって気になる方もいるということに気づかされました。
授業者は算数が苦手だということでした。自分でいろいろと研究したのでしょう。10の補数を素早く出せるように、9なら1、8なら2というように声に出して練習するような場面がありました。しかし、なぜ10の補数を練習するのか、いや、そもそもこの数の関係が足して10になるのだということもしっかりと押さえていません。算数的な思考の流れが切れていて、子どもは指示に従って練習をしているだけで、何を思考するのか明確になっていませんでした。まずは、教科書の流れがどうしてこうなっているのか考えることが始めることをお話ししました。例えば、教科書にはこのあと、赤い箱に4個と青い箱に8個おにぎりが入っているという問題があります。「なぜ箱なのか?」「なぜ色が分けてあるのか?」「なぜ4と8なのか?」といった疑問を持つことから、この授業の流れを考えることができます。こういったことを考えることがなかなか難しいようでしたが、疑問さえ持てれば聞くこともできます。教えてもらうことも立派な解決手段です。臆せず聞くようにアドバイスしました。

授業研究は、経験2年目の先生です。社会科のスーパーマーケットの工夫を考える授業でした。
授業開始前の活動から見せていただきました。子どもたちと合唱をしています。子どもたちの様子をずっと笑顔で見続けています。子どもたちの笑顔がとても素敵です。学級経営がしっかりできていることが想像できます。
その後、ウォーミングアップとして、グループでの地図記号かるたです。地図記号を取り札として、教師が言ったものの地図記号を取るという活動です。読み方も見事です。「昨日やったものから出そうかな」と言って、少し間を取ります。子どもに予想させて札を探す時間を与えているのです。単なるゲームにしていません。ただ、グループ内での競争なので子どもたちのテンションが上がってしまいます。できれば、競争ではなくて協力で盛り上がるようなものにしてほしいと思います。
テンションがどうなるか気になりますが、挨拶のために起立すればちゃんと落ち着きます。授業規律がしっかりできていることがわかります。
子どもを指名した時の他の子どもの様子も気になりました。発言者を意識しないのです。子どもたちと授業者との関係が強いことがよくわかります。一問一答になっていることもその一因です。子どもをつなぐことを意識してほしいと思います。
この日の活動は、前時までに付箋に書いておいたスーパーマーケットの工夫をもとに、グループで視点を整理し、それをもとにどうしてスーパーマーケットに多くの人がいくのかをまとめ直すことです。子どもたちを教室の前方に集め、スライドをディスプレイに映してグループでの作業を説明します。子どもたちは集中してディスプレイを見ます。授業者はディスプレイではなく子どもたちをちゃんと見ています。子どもも見るということが身についています。説明が長くなって集中が切れてきたことに気づき、子どもに問いかけて活動させます。このあたりも見事です。
子どもたちはグループに戻って作業を開始します。その移動の速さが印象的でした。やる気があることがよくわかります。小型のホワイトボードに付箋を貼り、同じ工夫の視点ごとにまとめてラベリングをするのですが、ここで、どのグループもホワイトボードが特定の子どもの前に固定されます。仕切っている子どもがいるのです。子どもたちの声が大きくなっていくのがわかります。仕切っている子どもが他の子どもに説明をしている声のようです。わかっている子ども、できる子どもが他の子どもを説得する場になっているようです。
まとまったものをもとに、自分の考えをまとめ直すのですが、ここでいったん作業を止めてゴールの確認をします。最初にゴールを明確にしていますが、その活動に入る前に再度確認したのです。流れの中で説明する方が多いのですが、きちんと作業を止めたことは立派です。が、この目標が微妙にずれることが気になります。「書き直す」のか、「書き足す」のか。評価の基準はたくさん書くことか、内容を詳しくすることかはっきりしません。子どもたちはどうなればよいのかを明確に意識せずに作業をしています。そのことが、発表の時に表れます。子どもたちが友だちの発表にあまり興味を示さないのです。真剣に考えたときは友だちの考えが気になるものです。ところが、あまり反応しないのです。子どもたちは、この活動で書き直すことをあまりしなかったのではないでしょうか。書き足した子どもにとっては、どれだけ足したかが評価基準です。話す内容とは関係ないのです。
視点を増やす、なるほど納得させるといった、評価基準がわかりやすい目標を設定することが大切です。また、時間の関係でほとんど発表を聞くことができませんでした。最初の付箋での作業に時間をかけるのではなく、まとめを発表する時間を確保した方がよかったと思います。発表も全体ではなくグループで聞き合い、なるほどと思ったことを書き足すことで詳しいものにするという活動を入れると、子ども同士がもっとかかわれると思いました。
社会科の授業としては課題がいくつかありましたが、授業規律や指示の出し方といった基本的なことがしっかりできているのは本当に素晴らしいと思いました。

授業後の全体会では、この授業をもとに、「発表することよりも聞くことを中心に指導してほしいこと」「子どもたちの活動、特にグループやペアでは子ども目線の目標と評価基準を明確にすること」「全員参加を求めてほしいこと」「子どもの意見を結果や根拠でつなぐこと」などを話しました。
どの先生方もとてもよく反応してくださいました。素直に受け止めていただけていることを感じました。先生方にとって参考なることが少しでもあれば幸いです。

授業研究の折に、先ほどの1年の担任と次回研究授業を予定している先生が私の横で話を聞いてくれました。学ぼうとする意欲を2人から感じることができました。次回の授業者は、いくつか質問をしてくれました。まだあるということなので、この日見た授業者へのアドバイスの後に時間を持つことにしました。「次回の授業でどのようにすれば子どもが自分たちで考えることができるのか?」「不登校傾向の子どもへの対応」「保護者への接し方」と多岐にわたってたくさんの質問をしてくれました。そのどれもが、単に教えてくださいではなく、「自分は今こうしている、こう考えているが、ここに課題を感じている。どうすればいいのか?」というレベルの高い質問です。本当に真剣に毎日子どもたちや保護者と向き合っていることがよくわかります。私も一緒になって考え、よい学びをさせていただきました。次回の授業が楽しみです。
また、この日見た2人も、再度授業を見せてくれるということでした。ますます次回の訪問が楽しみです。先生方のやる気をうれしく思います。
先生方によい刺激と学ぶ機会をいただけた1日でした。

次に訪問するのが楽しみな先生たち

昨日の日記の続きです。

3年生の初任者の授業は国語でした。文を、「主語」「述語」「修飾語」に分ける授業です。子どもたちは落ち着いていますが、授業規律はまだ徹底できていません。例えば音読で教科書をきちんと持てていない子どもを注意した時です。一部の子どもの反応が遅れます。それでも、授業者は先に授業を進めてしまいます。全員ができるまで待たないのです。最初のうちは時間がかかりますが、指示したことを徹底することが大切です。
基本的に、子どもが発言するとすぐに教師が説明する、一問一答で授業が進みます。教師が説明することを知っているので、子どもは友だちの発言を聞こうとはしません。発言してもほめられることがあまりないので、あえて挙手しようとしない子どもが多いようです。また、一部のできる子どもの発言を拾って進めていきますが、その発言を全体で共有することをしません。子どもの発言は教師が説明するためのきっかけでしかないのです。全員参加を目指すことが必要です。
「主語」「述語」「修飾語」の定義が明確でないまま授業は進んでいきます。教師がしゃべっている時間が多く、子どもは自分で考えてはいません。教師の説明を聞いて何となくわかったような気になっているだけです。最後の問題演習の場面では、子どもたちは素早く鉛筆を持ってやろうとするのですが、すぐに手が止まります。鉛筆を置いて考え込む子どもが目立ちます。説明を聞いてわかった気になっていただけだったのです。教師が説明を重ねることよりも、子どもにわかる言葉で明確に定義をして、それを根拠にして練習をする必要があったのです。
授業者は演習の場面で子どもたちがわかっていないことには気づいていました。子どもの様子を見ることはできるのです。しかし、机間指導で個別に対応することしかできませんでした。もちろん、それで対応できる数ではありません。いったん作業を止めて、もう一度やり直す必要がありました。
授業者は自分の授業に対する指摘を素直に受け止めることができます。この素直さは大切な資質です。他の先生の授業を一緒に参観していた時も、私の指摘を他人事ではなく自分のこととして聞いてくれました。次回はきっと進歩した姿を見せてくれることでしょう。

5年生の国語の授業では、ちょっと気になる場面を見ることになりました。
漢字のテストで、頑張った子どもたちをほめています。しかし、できなかった子どもが勉強をしていなかったことを厳しく責めるのです。子どもたちを受容することができる先生がこのような見せしめ的なことをするのですから、わけがあるはずです。昨年度、授業規律や生活態度に問題があった学年なので、厳しく接しなければいけないと考えての行動だったのでしょう。できた子ども、頑張った子どもをしっかり認めてほめますが、そうでない子どもには先生の笑顔は与えられません。頑張れなかった子どもは全体の場で叱られ追いつめられます。また、何かあれば厳しく叱られるので子どもたちは先生の顔色を窺うようになっていきます。学級の授業規律はしっかりとできていたのですが、子どもたちの集中よりも緊張が強く感じられました。
この日、会議があるため授業後直接アドバイスをする時間が取れませんでした。しかし、昼の休み時間に都合をつけて話を聞きに来てくれました。セミナーでもよく顔を見る、勉強熱心な先生です。おそらく、自分でも今のやり方に疑問を感じていたのではないでしょうか。私の指摘を素直に受け止めます。やり方を変えるきっかけを求めていたようにも感じました。
やってしまったことを反省させるより、次の行動を考えさせることが大切です。失敗や間違いを責めることより、次の一歩を踏み出すきっかけを笑顔で与えることを意識してほしいと思います。この先生なら、きっとできると信じています。

もう一人の5年生の先生の授業は理科でした。富山平野の写真を見て気づいたことを書き出して発表する場面です。理科的な視点が育っていないと、「気づいたこと」では何を書いていいかわかりません。子どもたちはいくつか書くと手が止まってしまいます。視点をどのように持たせるかが課題です。一つの方法は、この写真に何があるかをまず全体で確認することです。川、岩、海などを出させて、それぞれについてどんなことが言えそうか問うのです。また、何かと比較するという方法もあります。扇状地を学習した後なら、それと比較するといったやり方です。どこが同じ、どこが違うと問いかけるのです。より具体的に、ある部分を指摘して「同じものがある?」と投げかけるといった方法もあります。まとめとして、気づいた視点を整理して理科的なものの見方を育てていくことも必要です。
授業者は机間指導で○つけしていました。声かけもきちんとできています。しかし、ちょっとスピードが遅かったようです。全員を見る時間がありませんでした。スピードアップが課題です。
全体での発表は、子どもの発言を受けて電子黒板を使って確認します。しかし、授業者が確認するので、気づかなかった子どもは結論を聞かされるだけです。発言を受けて、「本当に○○となっている?」と他の子どもたちにつなぎ、気づけなかった子どもにも機会を与えるとよいでしょう。他の子どもを指名して確認させて、発言者に「あなたの言っていたのはここのこと?」と問いかけます。同じであれば「ちゃんと気づけたね」「ちゃんと伝わったね」、もし違っていれば「新しいことに気づけたね」「あなたの意見をきっかけに気づきが広がったね」というようにつないでいくと、子どもの気づきが広がり、深まります。
授業者も「気づいたこと」では、子どもが答えにくいことに気づいていました。私のアドバイスが参考になれば幸いです。

4年生の体育は、途中で雨が降ってきたので急遽体育館に移動しての授業でした。授業者は指示をしますが、子どもたちに確認をしていません。子どもは4隅に分かれて活動を始めるのですが、動きがバラバラです。素早くボールを取りに行くグループもありますが、なかなか動き始めないグループもあります。
ソフトバレーの練習をペアで行うのですが、目標が明確ではありません。また、子どもたちは互いに声をかけ合いません。目標がないまま活動をするので、一部の子どもはテンションが上がっていきます。本来この時間は陸上競技の練習だったのでしかたがない面もあるのですが、練習のポイントや目標、評価基準を明確にすることが大切です。
気になるグループのところへ指導に行きますが、体の向きが気になりました。体育館であれば、壁を背中にして体育館の中央に向かって指導するとよいでしょう。体育の授業は特に全体を見ることが大切になるからです。
また、体育の授業に限りませんが、「移動は走る」「集合したら整列して座り、口を閉じて教師を見る」といった基本となるルールは言わなくてもできるようにしておくことが大切です。指示に余分な言葉がなくなれば、簡潔になり徹底しやすくなります。

6年生の授業は社会科の明治時代のまとめでした。明治時代の人物へのインタビューにその人になったつもりで答えるのですが、子どもたちには難しかったようです。なかなか手がつきません。授業者も苦しんでいました。その人物がどんなことをしたかも確認はしていたようですが、インタビューに答えるのはそれほど簡単ではありません。その人物が行ったことだけではなく、だれ(何)のために、どうなることを願って行動したのかといったことを考えなければいけないからです。日ごろからそういう視点を持たせるような授業をしていないと、この時間だけでは考えられないのです。
個別に取り組む前に、インタビューに対してどんなことを答えればいいかという視点だけでも共有しておくと、手がつきやすくなると思います。また、グループで聞き合うということもこのような問題には有効だと思います。
授業はどうしても特定の子どもが中心となって進みます。人物は何人かあるので、一人目は無理でも、次の人物では書けるようにしようという発想もあります。「どうやって考えた?」と問いかけ、答ではなく視点を共有するのです。この問が難しいようであれば、答を発表させて、教師が「○○さんの答は、・・・というところがいいね」と評価することで視点を伝えるというやり方もあります。いずれにしても、こういったまとめの問題は総合的な力が要求されます。時間をかけて社会科的なものの見方・考え方を育てることが大切になります。

たくさんの授業を比較的時間をかけて見ることができました。また、多くの方が一緒に参観してくれました。どの先生もとても素直に話を聞いてくれます。昨年からの先生は確実に進歩しています。次回は2月に訪問予定です。新しい先生方もそれまでにきっと進歩してくれることでしょう。今からとても楽しみです。

先生方の1年の進歩を感じる

一昨日は、小学校で若手を中心に授業アドバイスを行いました。この学校では、夏休みに模擬授業で解説を行いましたが、子どもたちの様子を見るのは今年度初めてです。昨年度アドバイスをした先生方がどのように変わっているかとても楽しみでした。

1年生の授業は国語で、文章の流れを整理する教材でした。学級には気になる子どもが数人いますが、それ程目立つことはありません。学級の雰囲気は1年生としてはよい状態です。授業者は子どものつぶやきも上手に拾い、よくほめています。授業規律も確立できています。
学級の状態がよいので授業内容についての課題を考えることができます。授業者は、話の「ながれ」という言葉を使いますが、その説明はしません。何となくはわかるかもしれませんが、学習用語としては定義されていないことが問題です。話の「場面」という言葉も明確ではありません。1年生ですので、「(いつ、)だれが、(どこで、)どうした」といった説明でよいと思います。「ながれ」は、「場面がどのように変わっていくか」といように、できるだけ子どもの言葉で定義することが必要です。
授業者は、場面ごとの絵を用意してそれを順番に並べ替えさせます。子どもに絵を選ばせるのですが、意見が分かれます。違った意見(間違いだった)を出した子どもに対して、いろんな意見が出ることはいいことだと、しっかりと認めています。よい対応です。教科書の記述を根拠にして全体で結論を出させたのはよいのですが、間違えた子どもに、納得したかどうかの確認をしませんでした。間違いは必ず本人に修正させるようにするとよいでしょう。
絵を選ばせることから出発するのであれば、意見が分かれた時点で2枚の絵を比較するとよかったと思います。「何が書かれている?何をしているところ?」と違いを明確にし、教科書でその場面を探すのです。こうすることで、場面を明確に意識することができます。違いから変化を意識できますので、これが「ながれ」つながっていきます。
授業者は国語が苦手だと言っていましたが、授業を組み立てる視点を意識すると上手く組み立てることができます。学習用語の定義を意識し、何を根拠にして考えさせるかを明確にするとよいでしょう。

4年生の算数は資料から情報を読み取り問題を解く場面でした。授業者は苦しい場面でも笑顔を絶やしません。否定的な言葉もつかいません。子どもたちは授業に前向きに取り組んでいました。
グループで問題に取り組んでいます。授業者が指示を出している時に、早く問題を解きたくてうずうずしている子どもがいます。やる気があっていいように見えたのですが、ちょっと様子が気になります。グループ活動になるとすぐにしゃべり始めるのです。どうやらよくわかっている子どもが自分の考えをしゃべりたいのです。教える側が主導権を握っています。生活班と学習のグループが一緒のために、普段の生活でリーダシップを取っている子どもが仕切ってしまうのです。生活の人間関係を授業に持ち込まない方がよいと思います。
教える子どもがわからせようと説得するので、どうしても声が大きくなり教室のテンションが上がってしまいます。そうではなく、わからない子どもが主体となって「教えて」と聞けるようにすることが大切です。教える側が主体とならないように注意してほしいと思います。
この教材では、「どの資料を利用するか」という資料選択の問題と、その資料の情報を使ってどのように問題を解くかの2つのステップに大きく分かれます。この授業ではこれを1度に進めていました。この問題を解くにはどんなことがわからなければいけないかをまず引き出す。それをもとに資料を選ぶ。ここまでをいったん全体で共有して、足場をそろえたいところです。
指名した子どもに解き方を説明させたところ、言っていることが長くてよくわかりませんでした。ノートを見るといっぱい書いてあるのですが、一度にしゃべるのでついていけません。授業者もよくわからなくて、もう一度説明させますが、状況はあまり変わりませんでした。困っているところで時間がきてしまいました。
このような場合はいくつのオプションがあります。1つは、ノートに書いてあるので、実物投影機で映してそれをもとに説明させるという方法です。言葉と違って振り返ることができるのでずいぶんわかりやすくなります。
長い説明は、2度目の説明を途中で区切るという方法があります。「ここまで、どう、納得した?」と確認し、共有させながら進めることで、理解しやすくなります。
もう1つの方法は、子どもに助けを求めることです。教師が理解できない説明も、意外と子どもにはわかることがあります。「先生よくわからなかったけど、誰か助けてくれる?」と子どもに問いかけるのです。子どもの言葉をつないで重ねることで次第に明確になっていくものです。この過程を経ることで、より多くの子どもが理解できるようになります。ここで注意してほしいのが、「どう、○○さんの説明でいい?」と必ず最初に説明をした子どもに確認をすることです。自分の考えと違っている説明で進んでいくと、否定されているように感じるからです。

2年生の算数の授業は初任者でした。子どもが落ち着かないことが気になります。昨年度落ち着かない状態の学年だったのですが、それがそのまま続いているように見えました。
複数のことが整理されずに指示され、また確認もされていません。教科書をスクリーンに映すのですが、その前に子どもたちに教科書を開かせています。子どもの視線がバラバラになります。活動の目標や評価基準もはっきりせず、一つひとつの活動にけじめがついていないため、なんとなく授業が進んでいます。気になる子どもを注意しますが、子どもが行動を正してもそのことを評価しません。ほめ言葉、ポジティブな評価が少ないのです。まずは授業規律を確立することから始めなければいけません。
子どもに作業をさせている時に、何かと次の準備をしています。こういうときに子どもたちを見守っていることが大切です。集中力が切れて子どもが顔を上げた時に教師と目が合うことで、「先生は自分を見ていてくれているんだ」と安心感を持ちます。このことが信頼につながり、人間関係がよくなっていくのです。子どもを見守る姿勢を大切にしてほしいと思います。

もう1つの2年生の授業も算数でした。先ほどの初任者も一緒に参観しました。
休み時間の子どもたちはテンションが高く、この学級も先ほどの学級と同じく大変だろうと想像しました。教室に入っても落ち着きません。授業者は子どもたちをじっと見守っています。次第に子どもたちが落ち着いてきます。そこで授業を開始しました。若手ですが、見事だと思いました。とにかく、板書している時でも説明している時でも子どもたちをとてもよく見ています。注意をした子どもが行動を正せば、笑顔を向けます。なかなか大変な子どもたちだと思いますが、見事に集中させていました。教科書をスクリーンに映すので、教科書は開かせません。子どもたちは全員スクリーンに集中します。こういった基本がしっかりと押さえられています。
意見が分かれた時に、どちらの考えか挙手させます。決めかねている子どもには、「困っている子?」と聞くことで、全員に手を挙げさせます。こういうところもよく考えています。
以前のことを思いださせるのにノートを確認させますが、子どもの反応がよくないので教科書のそのページをスクリーンに映します。子どもから「あー」という反応が返ってきます。各自に教科書を探させたり、指示して開かせたりするよりも時間がかからない方法です。復習なので効率的な進め方が大切なのです。
ただ、子どもの指名がまだ単発で、参加していない子どもがいることが気になります。何人も指名して、手を挙げない子どもも参加させることを意識するとよいと思いました。
昨年と比べて、基本がずいぶんしっかりしてきたと思います。同行した初任者にとっての課題をしっかりとクリアした授業だったので、同じ学年だったこともあり、学ぶことがとても多い授業だった思います。

昨年からの先生がどなたも進歩していたことをとてもうれしく思いました。

残りの5人の授業については明日の日記で。

活動の目標や評価について考えた授業(長文)

小学校で授業アドバイスを行ってきました。先月に続いて2回目の訪問です。前回訪問から日が浅かったのですが、私からのアドバイスを意識してくださっている方がたくさんいらっしゃいました。

5年生の体育の授業はいろいろなルールがきちんと確立していました。走って集合する、集合すれば口を閉じて待機をする、友だちのプレイを見るといったことが何も指示をしなくてもできています。子どもたちにどうなってほしいのかが明確にわかる授業でした。また、指示が簡潔になるのでよく伝わります。子どもたちの動きにムダがないのが印象的でした。
今回の活動は「楽しく体を動かす」というめあてで、子どもにいろいろな動きをつけて歩かせていたのですが、何を意識して歩けばよいのかがよくわかりませんでした。子どもたちは指示に従って動きますが、一つひとつの活動の目標や評価がよくわからないのです。授業者は子どもたちにどんなことを意識しているか聞いたりするのですが、ちょっと目標がはっきりしないので無理があります。活動の前に明確にしておくべきだと思います。

6年生の先生は、前回と同じく算数の授業でした。私のアドバイスを受けて、あえて同じ教科に挑戦してくれたのです。その気持ちをうれしく思います。子どもたちの話し合いの持ち方や発表についてもこの日まで意識して指導してきたようです。子どもたちの聞く姿勢がよくなっているのを感じました。板書も思考の跡が残るように意識していました。反比例の関係を表で考える場面でしたが、表を横に見るか、縦に見るかといった視点を明確にしていました。横に見た時に1/2倍、1/3倍という説明が子どもから出てきました。授業者は「一緒だけど違う言い方の人?」と問いかけました。子どもからいろいろな言葉を出させようとするのはいいのですが、ここは、単に「同じように考えた人?」と聞きたいところです。違う言い方と限定しないことで、できるだけ多くの子どもが参加できるからです。何人かに聞くことで、授業者が期待していた÷2、÷3という言葉を引き出すことはできると思います。授業者は「どっちが正解?」と子どもたちを揺さぶります。これもなかなかよい対応ですが、子どもから「同じ」という声がでたあと、すぐに授業者が説明をしてしまいました。ここも、子どもに説明させたかったところです。また、「正解?」より、「同じ?」「違う?」といった聞き方の方が考えやすいように思います。
表を横に見た時、縦に見た時の性質を教師がまとめます。せっかく子どもたちに発言させたので、子どもの言葉でまとめさせたいところでした。まだまだ、しゃべりすぎのところがあります。
指摘すべきことはありますが、前回と比べていろいろなことを意識できていました。謙虚にアドバイスを受け止めたことは立派だと思います。機会を見つけて自ら学ぼうとしてくれるときっと大きく進歩すると思いました。

この日見た他の先生方も、前回のアドバイスを活かそうとしてくれていました。子どもを受容しようとすることは意識されています。が、まだポジティブに評価することはできていません。発言者と教師の1対1の関係になる場面も目立ちます。子どもの発言をつなぐことも次の課題でしょう。また、授業規律という点では、子どもが全員指示に従っていないのに次の活動に移る場面が目につきました。徹底することを大切にしてほしいと思います。
ベテランの先生方が一緒に授業を参観してくれました。私の指摘をすぐに理解してくださる方ばかりです。さすがです。若手の授業を見ることで、自分たちの授業を再点検してくださっているのを感じます。きっと、若手によいアドバイスをしてくださることと思います。

この日は、1年生の国語で授業研究を行いました。学校で見つけた生き物や物を家の人に紹介する文章を書く教材です。前時までに「知らせたいカード」に、見つけたものの絵を描き、見つけたことを絵から線を引いて短い言葉で表現しています。
最初に、指名した子どもに、家の人に知らせたいことを実物投影機で「知らせたいカード」を映しながら発表させます。実物投影機は教室の廊下側、スクリーンは黒板の窓側です。発表者は機械の前で、絵を指さしながら説明します。子どもたちはスクリーンか発表者かどちらを見ていいかちょっと戸惑いました。この発表の形は不自然です。発表者が機械を操作する必要性がなければ、スクリーンの横に立たせて発表させるべきでしょう。スクリーンを指で指すのは難しいので、指示棒を準備するとよいと思います。
この後、ペアで家の人に知らせたいことを「話します」。子どもたちは話すことが目的なので、自分の前にカードを置いて勝手にしゃべっています。2人の間にカードを置いて説明する子どもはほとんどいません。聞く側には目的がないので漫然と聞いています。話す側、聞く側双方に目的や目標、評価の基準が必要になります。授業者は質問があればたずねてもいいとは言っていますが、子どもにはその必然性がありません。相手に伝わるように話す。伝わったかどうかの確認も含めて聞き手が、何らかの評価をする。単純に復唱してもいいでしょう。こういった目標が必要になります。
文章を書くための途中の段階として、何について書くかを決め、「知らせたいカード」に書いた短い言葉をもとに文をつくって「短冊カード」に書きます。1つにつき、1枚の「短冊カード」に説明を書きます。あとでカードを並べて文章にしていこうというわけです。
授業者は拡大コピーした短冊カードを準備していたようですが、うっかりして持ってくるのを忘れてしまったようです。ちょっとパニックになってしまいました。あせる気持ちはわかりますが、実物投影機を使えばすぐに対処できたことです。余裕がなかったようです。
短冊カードの使い方を授業者が用意したモルモットの「知らせたいカード」を使って説明します。目について、「まるくてくらい」という言葉が子どもから出てきます。授業者はすぐに「目はまるくてくらい」と言い直します。「〜は(が)〜です(ます)」と主語と述語を意識した文型を使いたいので、「目は」としたのです。しかし、主語を意識させるのであれば、「何が?」と質問して子どもに答えさせることで主語の必要性に気づかせたいところです。
短冊カードの一番上には何についての説明かを書く欄があります。その下にマスが書いてあります。最初の1マスが斜線でつぶされています。ここで、先ほどの文型の他に、最後に句点をつけること。書き始めは1字下げること注意します。字下げを意識させるのであれば、あえてマスをつぶさないという選択肢もあります。
形式や注意点を指示はしますが、この文をつくる目的の確認をすることや、目標が明確にすることはないままに、「短冊カード」が4枚(?)入った袋を配ります。子どもたちはすぐに短冊カードを取り出し、何枚もあることに気づきます。ここで、どんどん書いていいことを伝えます。もう一度指示の確認をして作業に入りました。短冊カードが配られてからまた説明があったので子どもの集中はいったん切れました。配る前に説明は終えておきたいものです。
明確な目標がないまま作業に入ったので、子どもたちは1文書くとすぐ次の「短冊カード」に取りかかります。子どもたちの目標は自然に何枚書くかになっていました。この作業に入る前に、家の人に伝える文章を書くという目的を再度押さえておく必要があると思います。絵を見せなくてもどんなものか伝わる文章にすることを目的として明確にするのです。モルモットの例を使って、1文と2文、修飾語が複数あるものなどを比較して、どれがよく伝わるかを考えさせます。こうすることで、詳しく書く、修飾語や説明の文の数を増やすことが目標として浮かび上がってきます。短冊カードをたくさん書くことではなく、1枚の短冊カードの中身を充実することを意識させるのです。
ここで、いくつかの問題が起きます。主語と述語の文型にこだわると、2文ある場合に困るのです。教科書の例は1つの項目(段落)が2文で構成されています。2つ目の文の主語は省略されます。連続する文の主語が同じ場合は原則として省略する方が読みやすいからです。教科書に主語と述語を使った文型が書かれていない理由です。このことを押さえなければいけません。1年生ですから、例をもとに、「2つ目は同じことについて言っているから『目は』と書かなくてもわかるね」といった程度の説明をすればいいと思います。
また、行頭の1字下げも正しくは文ではなく段落の最初です。1年生で段落という学習用語を説明するべきかどうかの判断は迷うところです。逆に段落の説明の前段館として、この短冊カードを使うという発想もあります。「短冊カードは同じことについて1枚使うよ。1つのことについて書く固まりごとに最初は1字下げる規則だよ」と「同じことについて書かれた1固まり」と押さえて「短冊カード」1枚を1段落とするのです。最初の1マスをつぶしておく意味もよくわかります。段落を定義する時に、この例を思い出させることでわかりやすくなると思います。
この教材は、説明文の構造を学習することが大きなねらいです。文の中身をつくることにあまり苦労はさせたくありません。そのために絵を描き、短い言葉で説明を書いておいたのです。初めに「知らせたいカード」の利用を具体的にやってみると文をつくる壁が低くなったと思います。「知らせたいカード」の短い言葉に主語と述語をつけて1文をつくってみるのです。1文をつくったあとで、もっと詳しくしようと、修飾語を増やす、別の文をつけ足すといったことをするとよいでしょう。
短冊を何枚も続けて書かせるのではなく、1枚だけ書かせてから子どもの文をもとに全体でどうやって詳しくするのかを共有してもよかったでしょう。
「短冊カード」をペアで読み合い、友だちのよいところを話し合わせます。「よいところ」とは何かが明確ではありません。どんなことを話したかを全体で発表させても、自分の文を読んでしまいます。文を書く時に子どもたちはよい文を意識していないから、よいところについて話していなかったのです。この授業で何をねらい、そのためにどんな目標で活動させ、どのように評価するのかが明確でなかったために、子どもたちはただ文を書いただけだったのです。
授業者は前回のアドバイスを意識して子どもたちを受容しようとしていることがよくわかりました。ただ、緊張していたので、表情に余裕がありません。経験の少ない先生ですから、仕方のないことです。また指導案を他の先生方の協力でつくっているのでどうしてもその通りに進めなければならないとプレッシャーがかかります。あくまでも指導「案」なので、時には思い切って捨ててよいのですが、それもなかなか難しいことです。
学校訪問で同じところを指定授業として見ていただくそうです。よいところがたくさんある先生ですので、そのよさが少しでもたくさん出ることを願っています。

検討会はグループ形式でした。「知らせたいカード」や「短冊カード」の使い方、実物投影機の使い方など、この授業のよいところをたくさん見つけてくれます。また、改善点の指摘も納得のできることばかりです。先生方に授業を見る力があることがよくわかります。
私からは、実物投影機の使い方と活動における子ども目線の目標、評価基準の必要性についてお話ししました。皆さん、とても真剣に話を聞いていただけました。

今回の訪問でも、多くのことを学ぶことができました。また、来年は早い時期おじゃまして年度初めのポイントについてお話しする機会をいただけることになりました。先生方にまたお会いできるのがとても楽しみです。

授業改善の芽が育ちつつあることを感じた模擬授業

先日、私立の中高等学校で模擬授業でのアドバイスを行ってきました。若手の先生による中学校の理科の唾液の働きの実験でした。多くの方が自主的に参加してくださいました。

授業は導入で朝ご飯を食べたか、なぜ食事をするのかといったことを子ども役とていねいにやり取りをします。しかし、肝心の、唾液の働きの実験をなぜ行うのかという疑問を子ども役に持たせることはできていません。「ご飯をよく噛めと言うけど、なんか意味がある?」と問いかけてみる。「じゃあ、肉はどうなの?」というように疑問や考えを持たせることが大切です。例え知識として知っている子どもがいても、「本当?絶対?」と揺さぶり、「どうすればそのことが言える?」とすれば、実験につなげることができます。この実験では唾液とデンプンを混ぜた液体を体温に近い温度にする必要があります。何らかの形でその必然性を問いたいところですが、天下り的に指示されます。
教科書的には、唾液のデンプンに対する働きだけを調べる実験ですが、タンパク質についても可能であれば確かめたいところです。唾液はデンプンにしか作用しないことを確認することも大切だからです。

授業者は、実験の全体像を見せずに個々に説明をします。これでは、子どもは指示に従って作業するだけです。まずは、何を知る実験か、結果はどうなるかの予測をさせるとよいでしょう。ここでは根拠を求める必要はありません。時間をかけずに予測させ、自分の立場を決めさせるのです。こうするだけで、実験の結果に対して興味を持たせることができます。この実験では、デンプンが唾液によってどうなるかを予測させます。デンプンは糖が長くつながったものだということは知識ですので教えてしまえばいいのです。そのデンプンが変化するのであれば、デンプンでなくなる。デンプンがバラバラになるのであれば、糖ができるはずだ。こういったことを実験の前に押さえておくのです。試薬の説明も最初にしておくとよいでしょう。デンプンがあるかどうかはヨウ素液、糖(正しくは還元性の糖)があるかどうかはベネジクト液を使って調べることができることを説明した上で、実験の細かい指示を与えるのです。結果の予想は、デンプンは「そのまま」「分解されて糖ができる」「変化するが糖以外のものになる」の3つです。それぞれの場合に実験の結果がどうなるかを整理しておくとよいでしょう(これとは別の軸で温度がありますが・・・)。

授業者は、準備の時間を短くするために、生徒の実験机の上に道具を準備していました。自分の手元の道具で説明するのですが、子ども役が目の前の道具を触って液をこぼしてしまいました。子どもがやりそうなことです。見事に子どもになりきっていました。目の前に道具があれば触りたくなるのが人情です。必要な道具をセットにしておいて、実験の直前に配るとよいでしょう。

全体像がわからないまま、知らない試薬を使うよう指示され、その説明は後からされるので、子ども役の先生方は混乱します。いくつもの指示が続くと集中力が切れます。先生方は、この授業がいい悪いと評価するのではなく、自分たちの授業でも同じようなことが起こっていることに気づかれます。子どもの立場で聞くとよくわかるのです。指示が複数ある時は、最初にいくつの指示をするかを言っておくだけで、心の準備ができます。そんなちょっとしたことが大切であることに気づいていただけました。みなさん、とても真剣にかつ前向きに参加してくださいました。

授業者はとても素直な方で、指摘されたことをできるだけその場で修正しようとします。私の指摘にも終始笑顔を絶やしません。これはなかなかできることではありません。この方なら、ちょっと意識をするだけで大きく進歩するはずです。次回は今回の模擬授業で気づいたことを意識した授業をしてくれることと思います。1時間じっくりと授業を見せていただいた後、どのように具体化すればいいのかを一緒に検討したいと思っています。

授業改善への意欲を持った先生が増えつつあることを感じます。授業改善の芽が育っていくのが楽しみです。

学校としての課題が明確な小学校で授業アドバイス

先日、小学校で授業アドバイスを行ってきました。午前中に学校全体の様子を見せていただき、午後は授業研究でした。

学級ごとの様子がかなり異なる学年と、ほとんど同じ学年がありました。同じような状態の学年はいろいろなことが統一できているのでしょう。少なくとも学年として学習ルールや指導内容が統一できていると、次年度の学級編成が変わってもスタートがとてもやりやすくなります。理想は学校として統一できることです。なかなか難しいのですが、その必要性を感じました。

全体として、先生方は子どもをよく受容できていると思いました。子どもたちとの関係も良好に見えます。その一方で、授業規律については少し曖昧になっているように感じます。子どもに鉛筆を置くように指示しても、全員が従っていないのに話を始めたりします。また、子ども同士をつなぐ意識も低いように思います。教師は発表者を見て話をしっかり聞くのですが、教室全体を見ようとはしません。1人発言するとすぐに説明を始めます。一問一答の授業です。そのためにどうしても教師のしゃべりが多くなります。子どもに反応を求めないので、子どもたちも自分が指名されないと参加する意味がないので、友だちの発言の間は集中力を失くします。教師の話も長くなると聞けなくなる子どもが出てきます。しかし、板書を写すなどの作業はきちんとやることができます。教師が子どもたちに聞くことを求めていない、聞くことの価値を与えていない授業とも言えます。「同じ考えの人いる?」「なるほどと思った人?」というように、常に子どもの発言に対して反応を求めることが必要です。
また、挙手で授業を進める傾向が強いのも印象に残りました。挙手しない子どもは参加しません。「困っている人?」と困っている子どもに参加を求める、子ども同士に相談させ考えを持たせる。野口先生流に、全員に答を選択させ立場をはっきりさせるといった工夫で全員を参加させるようにすることが大切です。
「なるほど」と子どもたちを受容する言葉が出てくるのに対してほめる言葉、評価する言葉が少なかったのも気になりました。子どもを受容するだけでなく、よい発言、よい行動を評価することで子どもたちによい価値観が広がります。
学校としての課題がはっきりしていると感じました。

この日見たいくつかの算数の授業では、教科書では押さえてあるポイントを外していました。また、考えることよりも答の出し方を重視していることが目立ちました。次回11月8日(土)の教師力アップセミナーでは、豊田市立小清水小学校の和田裕枝校長が算数の教材研究のやり方について具体的にお話ししてくださいます。算数の授業力向上に間違いなく役立つ話が聞けますので、多くの小学校の先生に参加していただきたいと思います。

研究授業は5年生の社会科で子どもたちが今まで学習したことをもとに、自分たちがよいと思う機能を持った車を提案します。
この日はまず、これまで調べた車の工夫の発表から始まりました。3つの班がそれぞれ事故を防ぐ(パッシブセーフティ)、人の命を守る(アクティブセーフティ)、誰にでもやさしい(福祉・ドライブアシスト)というテーマで発表します。これらのテーマにそった車の機能を、1人が1つ、原稿を見ないで発表します。しかし、子どもたちは資料の内容をただ覚えて発表するだけです。発表者自身もその意味はほとんどわかっていません。車のパンフレット暗唱しているようでした。聞いている子どもたちも、メモをすることに一生懸命で顔が上がりません。理解できない内容で何をメモしているのか気になります。発表の言葉のいくつかをそのまま書いているだけでした。細かい機能や原理ではなく、これまで学習した車社会の課題とそれを解決しようとしているのかといった視点での発表にした方がよかったのかもしれません。
発表で聞いたことをもとに自分たちの車にどんな機能を持たせるか、そしてそのキャッチコピーをどうするかを考えて、班で1つに決めます。話し合い活動の前に個人の考えを持たせようとします。自分の考えを持たせることにこだわるのは、持っていないとグループで発表できない。そして、答を1つに決めるので、自分の考えを持てないと参加しにくくなるからです。しかし、友だちの考えを参考にして自分の考えを持つのであれば、そこにこだわる必要はありません。グループ活動にはこういう考え方があることも知ってほしいと思います。
6人の班なのですが、なぜか端にいる子どもがペンを持って仕切っているところが多くありました。反対側の子どもは立ち上がって身を乗り出して参加しています。やる気があってよいのですが、やはりこの人数、隊形は無理があるように思いました。
そもそもこの活動は、どうなればよいという目標がはっきりしません。子どもたちは機能をたくさんつけて、どこかで見たようなコピーをつくりますが、この発表を聞いて誰がどうなればいいのでしょうか?結局、根拠のない作業になっています。子どもたちの目線、言葉で目標と評価規準を与えるべきでしょう。
また、キャッチコピーとはどのようなものであるか明確にされていません。3年生で学習したお店の工夫で見たポップなどを思い出すといったことをしてもよかったかもしれません。
もう一度車社会の課題を整理して、今どんな車が必要なのかというように、もう少し自分たちが考える車のねらいを意識させるとよいでしょう。また、搭載する機能の数に制限をつけるといった発想もあります。3つなら、6つならというように2段階にすると、何がより大切なのかを考えることにもつながります。数が少なければ少ないほど、安全に関する機能に集中するはずです。これは1つの例ですが、子どもたちが考えるような仕掛けが課題には必要です。
最後に授業者は死亡事故のグラフを提示し、車づくりの工夫によって事故が減っていることを示しました。これも子どもたちが考える材料になっていません。まず、死亡事故を減らすためにどんなことをするといいか考えさせることが大切です。事故防止のためにインフラや法整備などもされています。車づくりの工夫にしか視点がいかないようでは困ります。社会全体でいろいろな工夫をしている中で、自動車会社は何をしているのだろう。君たちは何ができるといったアプローチもあると思います。

全体の場では、この日見た授業からどのようなことを意識すれば授業がもっとよくなるかという話をしました。また、研究授業をもとに、活動における子ども目線の目標、評価規準の大切さと、グループ活動の原則についてもお伝えしました。参加された皆さんがとても真剣な表情で話を聞いてくださったのをとてもうれしく思いました。
私の話から何か1つでもヒントになることを見つけていただけたら幸いです。また、先生方にお会いする機会があることを願っています。

野口芳宏先生から、いつも以上に多くを学ぶ

3連休の最終日は、今年度第4回の教師力アップセミナーでした。国語の授業名人野口芳宏先生の講演です。台風19号が近づいている中、多くの皆さんが参加してくださいました。それだけ、皆さん野口先生のお話に期待されているのでしょう。私もその一人です。教師力アップセミナー開始以来、毎年一度も欠かさず講師としてご登壇いただいています。そのぶれないお話にはいつも元気をいただいています。

午前中は、「海の命」をもとに野口先生が考える物語授業の進め方を具体的に教えていただけました。野口先生は学習用語を教えることを大切にされています。国語の学力には教材内容と教科内容があります。教科内容の大切な要素として、学習用語を挙げられます。作品の最初の1行からも、「題名」「作者」「作家」「筆名」と教えるべき学習用語がたくさんある。「会話文」と「地の文」、「段落」などもきちんと定義をして教えるべきだと語られます。
音読も、題名は大きく、作者名は小さく、題名と本文の間の空白行はびっくりするほどとって静かに読み始めるというように、教えるべきことをきちんと教えるようにと主張されます。

野口先生の全員参加の考え方が、この日はいつも以上に詳しく語られました。挙手に頼ると全員参加できない。「○か×」と全員に判断を求める。短い言葉で「書かせる」。「主人公の性格を2字熟語で書きなさい」というように、時には2字熟語で表現させるといったやり方も示されます。作品にそって発問されるので、とてもよく理解できます。しかし、こういった技術を活かすためには、作品のどの部分を取り上げるべきかの判断が大切です。教材研究が大切なのです。

子どもの読み取りを助けるのに言葉を足しながら読む方法があります。道徳でよく使われる手法です。この言葉を足すことを「着後」、こうやって授業する方法を「着語法」と言うのだそうです。この言葉を今まで私は知りませんでした。どこかで目にしていたはずなのでしょうが、記憶にありません。お恥ずかしい限りです。
この方法を活用するのであれば、授業でどの表現を扱うがはっきりしていなければ、どこで言葉を足すべきか判断できません。こういった手法を活かすにも、やはり教材研究が大切です。この日、野口先生が模擬授業で伝えられたことの裏には、常に深い教材の読み取りがありました。表面的に野口先生の授業をまねようとしてもそれほど簡単ではない理由はそこにあります。

作品に書かれた「現象」「会話」「事実」から「合理的に推論」することが鑑賞力と定義されます。国語の授業で、私がいつも「本文を根拠として答えることを求めてください」と先生方にお話しすることは、この野口先生のお考えの影響です。
この解釈を助ける方法の一つが比較です。この言葉がなければどうだろう、この表現を他の表現に変えるとどう違うと問いかけることで、作者の意図や表現したいことがよくわかります。このことを具体的な例でわかりやすく伝えられます。
解釈で大切なことは、表の意味「表層義」ではなく裏の意味「深層義」であると話されます。私たちはこのことを明確に意識することなく問いかけ、答えさせることが多いように思います。子どもから「表層義」しか出てこなかった時にどう対応するかが教師に問われますが、この「表層義」「深層義」という言葉を象徴的使うことで、問い返しやすくなると思いました。

この日の模擬授業で、野口先生は参加者に何度も短く端的に答えるように迫りました。考えが明確になっていないと、言葉がどんどん足され言っていることが揺れていきます。聞いている方は何を言いたいのかよくわかりません。短く端的に伝える訓練をする必要があるという主張はその通りだと思います。
ともすると、子どもがたくさんしゃべったことを評価する傾向があります。そのこと自体を否定する気はありませんが、教師が問い返すことで、その内容を明確にさせていくことが大切だと思います。

この日、野口先生は「問われて気づく」ということを何度も強調されました。教師が問わなければそのまま気づかずに済んでしまうことがたくさんあるということです。子どもに「問いかける」のは教師の大切な役割です。では、何を問いかけるのか。やはり教師に求められるのは教材研究ということになります。どこまで行っても、そのことから逃れられません。だから、野口先生のお話をうかがうと、いつも「お前はきちんと教材に向き合っているか」「教師たる者、学び続けているか」と迫られている気持ちになるのでしょう。

午後の第一弾は、若手の授業ビデオをもとに野口先生が講評をするというものです。野口先生が批判される「学び合い」に取り組んでいる学校です。司会はその学校の校長です。授業自体は学び合い以前に国語の授業として課題の多いものでしたが、司会者は批判ではなくどうすれば授業がよくなるかという視点で野口先生の言葉を上手く引き出します。
このやり取りの中で、野口先生が話し合いそのものを批判しているのではなく、子どもたちが何を話し合うのか、その内容を問題にしていることがよくわかりました。いつか、野口先生にこういう学び合いならいいという授業をお見せしたいという司会者の言葉で終わりました(自校でと言わないところがずるい(笑))。

最後は、道徳の教科化とそれに伴う評価のお話しでした。教えるべきことは教えるべきだという野口先生の主張はその通りだと思います。教科化で何を教えるべきかが明確になるのならそれはとてもよいことだと思います。社会の誰もが納得する当然のこと(ルールは守る、人を傷つけてはいけない等)を学校で教えるのかということには、何か釈然としないものがあります。本来家庭で教えるべきことを学校で教えなければならなくなってきたということでしょう。では、価値観が分かれそうなことはどうでしょうか。それに対して教師は自分の考えを強く言うことに臆病になっています。保護者から批判も来るかもしれません。教科化でそのことも明確になるのなら少しは精神的に楽になるのかもしれません。しかし、野口先生は教科とは関係なく、教師が堂々と伝えるべきだと考えられていることが言葉の端々から伝わってきます。制度では教育の質を変えられない、それを変えることができるのは教師の質である。野口先生の言葉はいつも教師であることの意味を私たちに問いかけます。

東京大学名誉教授の東洋先生の「評価は有限である」という言葉を例に出し、評価することを恐れるなと話されます。所詮評価は有限である。野口の評価は野口個人の評価であって絶対ではない。別のものが評価すればまた変わる。そういうものだと。
そこには、批判を受けても堂々と答えるという強い意志が隠されています。私が胸を張ってこう言えるようにまでには、まだまだ自分を高める必要があると痛感させられます。

最後に野口先生の道徳の視点を少し話されました。見方・考え方・受け止め方である「観」をもとに考えるというものです。同じ事実に対して「非」観するのか「楽」観するのかでその後の行動は変わってきます。どうとらえるのかで生き方は変わってくるということです。次回は、具体的な道徳の授業を見せてくださるということです。とても楽しみです。

この日も、いつも以上に多くのことを考え学ぶことのできた1日です。いつ聞いても、何度聞いてもぶれない野口先生の姿に元気をいただくと同時に、わが身の至らなさを思い知らされます。まだまだ修行中の身であることを痛感します。

介護研修で組織にとって大切なことに気づく

先週末、介護関係者の研修を行ってきました。今回からは、自分たちの考える介護のスタイルについて考え、共有してもらうという内容です。

介護施設で皆さんが行っている仕事をグループでできるだけ細かく出していただきました。午前中だけに絞ってもものすごくたくさんの仕事です。素直に「忘れてしまうこともある」という言葉がでてきます。全体の場でこのようなことを正直に言うのは、実はなかなか勇気のいることです。これができるということは、互いに信頼関係ができているということです。
ここで、これらの仕事を進めるにあたって大切なこと、ポイントは何かを話し合っていただきました。いくつかのポイントが出てくるのですが、介護の技術的なことは出てきません。この施設では技術面での不安や心配はないので上がってこないのです。出てくるのは、コミュニケーションの問題と利用者を見守るという姿勢の問題です。前者は、利用者の情報や大切なことを全員が知っておかなければならないという当たり前のことを問題にしていたのですが、それが現実には難しいことがわかります。今回は、この問題についてどのようにすればいいのかをグループで考えてもらいました。

最初に、ミーティングで共有する、見やすいところに情報を貼っておくといったシステム的なものと、その日必要な情報のメモをつくって常に手元に置いておくといった個人の対応がでてきました。しかし、それではちゃんと見ない人、やらない人には通用しないという意見が出てきます。みなさん、自分が与えられた仕事をミスのないようにしているだけではダメだと気づきはじめます。申し送りのノートに書くだけでなく口頭で伝える。忘れていることやミスに気づいたら、立場に関係なく声をかけるといったことが出てきました。そこには仕事をこなせばいいという受け身ではなく、自分たちの施設、自分たちの問題だという意識があります。これができることが組織としての力です。とてもよいことに気づいてくれました。素晴らしいと思います。

「忘れていたことを指摘された時にどう反応しますか?」という問いかけに、ある職員の方が、最後に「ありがとう」の言葉を足されました。多くの場合は謝るか、言い訳です。自分の身を守る対応です。この方は指摘されたことに対して「ありがとう」と感謝を伝えました。なかなかすぐに出てくる言葉ではありません。指摘する方も勇気がいります。謝られると相手に嫌な思いをさせたと暗い気持ちになります。「ありがとう」の言葉は相手の気持ちも軽くしてくれます。
こういった職員一人ひとりの持つよさがどんどん広がることを願っています。

介護の専門知識のない私には直接皆さんのお役に立つ話ができるわけでありません。こうして皆さんの中にある素晴らしいものを引き出すことしかできません。これは、学校の教師にも通じることかもしれません。子どもたちに教えるだけでなく、子どもたちの中にあるよさを引き出し、共有させることです。特に教科化が決まりそうな道徳では大事にしたいことだと思っています。
この日も参加者の皆さんから大切なことにたくさん気づかせていただきました。感謝です。

基本がしっかりとできていて、学ぶことの多かった授業

前回の日記の続きです。

授業研究は1年生の国語でした。今年異動して来たばかりの方です。
第一印象は、子どもたちの笑顔がとても多いことでした。学級経営が上手くいっている証拠です。授業者が子どもたちをよく見ていて、受容する態度にあふれています。雰囲気のよいのは当然のことかもしれません。
この日の授業は、今まで学習した自動車を比べる文章をもとに、はしご車の説明の文章を書く場面でした。

まず、廊下側の窓に貼ってある模造紙に書いてある、これまでに学習した文章を見せながら、車の「つくり」に関する修飾語の違いを見つけるクイズを出します。この日の授業は、はしご車の「つくり」について文を書くのですが、そのために修飾語を意識させようというわけです。子どもたちは素早く廊下側に体を向けます。子どもを指名すると、すぐにそちらに体を向けます。授業規律がしっかりしていることがよくわかります。
次に、前時で学習したはしご車の「しごと」を問いかけます。手の挙がらない子どもがいます。「全員手が挙がるといいね」と声をかけ、思い出せない子どもには手元にある今まで学習した車について書いたカードを見てもいいことを伝えます。とてもよい対応です。思い出せなければ調べればいいということをきちんと伝えています。

はしご車に何がついているかという問いかけに、「鏡」と答えた子どもがいました。子どもたちも授業者もよくわかりません。発言者は「教科書に載っていた」と付け加えます。すると子どもたちが一斉に教科書を開きました。とてもよい場面です。どうやらバックミラーのことを言っていたようです。そのことを全員が確認できたところで、「どの車にもついている」という声が上がってきます。授業者は鏡を「つくり」の説明に取り上げるべきかどうか子どもたちに問いかけます。入れないという意見が多いことを確認した上で、発言者に声をかけます。発言者は納得してくれました。授業者が子どもたち一人ひとりに寄り添おうとしていることがよくわかります。「はしご」「あし」「かご」「ホース」の4つが出てきました。

子どもたちにはしご車の動画を見せることを伝えます。子どもたちのテンションが上がります。「これは危ないな」と思いました。しかし、授業者は続けてはしご車に必要な「つくり」は何かを考えるように指示をしました。ちゃんと動画を見る目的を持たせたのです。子どもたちは体をしっかり前に傾けて真剣に見ています。見ていて気づいたことをつぶやく子どももいます。授業者は画面ではなく、ちゃんと子どもを見ています。子どもたちは最後まで集中を切らしませんでした。
続いて、はしご車の仕事に何が必要かを確認します。動画のはしご車にはホースはあるのですが活躍しません。ホースを入れるかどうかは意見が分かれます。一人の子どもがホースの必要性にとてもこだわっています。授業者は無理にこの子どもを説得しようとはしません。残しておくという選択をしました。ここでは、選ぶための基準が明確になっていないので、根拠を持って説得することは不可能です。正しい判断だと思います。4つの中から好きなものを2つ選んで書くことを指示しました。

いよいよ本時の主となる活動である文書を書くことが課題として前面にでてきます。途中で動画の再生がうまくいかなかったこともあり、時間が押しています。「つくりの文章の終わりはどうなっている」とたずねながら、これまで学習した文章に、つなぐための言葉「そのために」と文末表現「・・・があります。」「・・・が、ついています。」が使われていることを確認します。ちょっと誘導的です。文の構造を意識させるのであれば、これまでの文章に同じ言葉(表現)はあるかと問いかければいいでしょう。
これらの言葉ともの以外をマスキングする(隠す)紙を模造紙の文章に重ねて、隠れているところに何が書かれているか考えさせます。子どもたちに修飾する言葉を意識させるためです。印象付けるためにはなかなか面白いやり方です。ここがしっかり書かれているのが「(車)博士の文章」だと伝えます。子ども目線の言葉で目標を与えているのもなかなかです。子どもが「詳しく」「どんな」といった博士の文章を説明するつぶやきが出ます。授業者は「いいこと言ってくれたね」と拾うのですが、全体にきちんと共有することはしませんでした。時間がないので焦っていたのでしょう。子どもたちに「やれそう?」と確認して、「やれそう」と返事が返ってきたので、活動を開始しました。

授業者はすぐに気になる子どものところへ支援に行きました。子どもたちは素早く鉛筆を持ちます。やる気十分です。ところが、ほとんどの子どもの手が動きません。活動を始めてすぐに支援に行くのは注意が必要です。ほんの少しの間でいいので、全体の状況を確認するのです。30秒も見ていれば、このまま進めても子どもたちが書くのは難しいと判断できたと思います。活動を止めて、全体で試しに一文をつくってみるといった対応をすればいいのです。
授業者は、一生懸命あちこちに支援に行きますが、それではとても追いつきません。作業をいったん止め、ペアで助け合って「つくり」の文章を1つだけでいいので、完成させるように指示しました。しかし、そもそもほとんど手がついていないので子どもたちは何を相談していいかよくわかりません。完成できなかった子どもがかなりになりました。

この単元は何を学習するのが目的だったかを問い直す必要があるでしょう。説明文の入門です。説明文の構造、書き方といった形式を身につけることが主の目的だと思います。「そのためには」「どんな(働きをする)」「もの」「・・・があります。・・・がついています。」という構造を意識させることが大切です。子どもたちは、この構造を理解していたと思います。だから、すぐに取りかかろうとしたのです。しかし、「どんな」の言葉が出てこなかったのです。語彙が少ないこともその原因の一つだと思います。この単元の目的からすると、この修飾する言葉についての壁はもっと低くしておく必要があったのでしょう。動画を見ることの活用を含めて、授業の流れを見直さなければいけません。
この日の目標である「博士の文書」はどのようなものか、早くから意識しておくとよいでしょう。文章の構造の確認は書く直前でよいと思いますが、「詳しい」ということが「博士の文章」であることを、動画を見る前に押さえておくのです。「詳しい」ということは、文章のどこの部分かを子どもに確認し、「どんな」の部分であることを共有します。その上で、動画を見る目的を「どんなという説明の言葉をたくさん見つける」にするのです。動画を見た後、「どんな○○だった?」とできるだけたくさんの子どもに聞きます。特に板書も必要ないでしょう。子どもの頭の中に言葉が生まれればいいのです。その後で、文章を書かせればいいのです。

検討会での授業者の反省は、実に冷静に自分の授業を分析できています。私のアドバイスは必要がないと思えるほどです。
グループによる授業検討が行われます。この市ではグループでの授業検討が定着してきたようです。うれしいことです。
この授業のよい点がたくさん出てきます。また、子どもたちが文を書けなかったことについてどのようにすればよかったのか、よいアイデアがたくさん出てきます。しかし、どうしても視点が、「この授業」なのです。この授業から「他の授業」に活かせることや「共通の課題」に学びが広がっていかないのです。そのことが残念です。
私からは、皆さんが気づいたことをもとに、どのような視点で授業をとらえ、つくっていくといいのかを具体的な授業技術と共にお話ししました。限られた時間なので、私の一方的な話になったことが悔やまれます。この学校が目指している「つなぐ」ことを意識して、先生方の考えをつないで見せるべきだったと思います。

検討会終了後、この日授業参観した先生方とお話をしました。皆さんとても素直で前向きだと感じました。きっと大きく進歩していくことと思います。
真剣に聞いていただけるので、ついつい余計なことまで話してしまいました。とても楽しく、私にとっても学びの多い一日でした。
また、訪問する機会があることを願っています。

幅広い層が授業を公開する

昨日は、小学校で授業アドバイスを行ってきました。事前にいただいた資料を見ると、学校として、毎日の授業でどのようなことを意識しようとしているのかよくわかります。授業検討では、「子どもたちの考えをつなぐ」ために、手立て・具体的な手法を協議しようとしています。

授業研究の前に、4つの学級の授業を見せていただきました。教室を移動する時に廊下から各教室の様子も観察しましたが、全体的に感じたのは、子どもたちの姿がバラバラだということです。教師の指示が徹底できていないということもそうですが、教師がこの場面で子どもたちにどういう姿を望むのかがはっきりしていないことが大きな要因と思います。
また、一問一答がとても多いことが気になります。子どもから意見が出ると、すぐに教師が説明を始めます。「子どもたちの考えをつなぐ」ことを意識して子どものつぶやきを拾うのですが、「○○さんがいいことを言ってくれた」とそこからは教師が引き継いで説明をしてしまいます。子どもたちの指名も挙手に頼りすぎでした。

6年生の若手の担任は社会科の授業でした。資料を見て気づいたことを子どもに問いかける場面です。「江戸時代の人々の暮らし」というテーマです。子どもたちに「気づいたこと」と問いかけますが、子どもが資料を確認する間もなく「どんな身分の人がいる」と畳みかけます。すぐに手を挙げた子どもを指名します。子どもが考える間がありません。すぐに反応する一部の子どもだけが活躍して、他の子どもは参加する間もありません。次第に集中力を失くす子どもが目立ってきます。
見つけたものが資料のどこにあるかを授業者が発表者のところに行って確認します。このような対応をすると、子どもたちは教師に対して発表するという意識しか持ちません。みんなに伝えようとしなくなります。
「どんな身分」から「どんな店」と教師が指示して視点が変わっていきます。なぜ、そこに注目する必要があるのか、そもそも何が目的なのか子どもたちはわからないまま引きずり回されます。典型的なミステリーツアーの授業でした。
江戸時代の暮らしを知るのなら、比較の対象があると考えやすくなります。今の暮らしと比べてもいいですし、過去に学習した時代と比べてもいいでしょう。教師に指示されたことをするのではなく、子どもたち自身が見つけよう、知ろうとすることを大切にしてほしいと思います。

2年生の授業は新卒の先生の国語でした。子どもたちのテンションが上がりやすい傾向にあります。授業者は子どもを制するためにテンションを上げて指示をします。子どもを見るのもチェックする視線です。例えば席の移動を指示すると、子どもはすぐにテンションを上げます。移動することしか指示していないので、それ以外のことは意識しないのです。チェックされないことは気にしません。「口を閉じて素早く」といったことも指示することが必要です。そして、できている子どもを固有名詞でほめることで、よい行動を広げるのです。
学習活動は、その目標と評価の基準が明確ではありませんでした。そのため、子どもたちはただ活動するだけになります。当然テンションは上がってしまうのです。

5年生の算数は中堅の先生の約数の授業です。自分の答を書いて見せることのできるノート大のボードを持たせています。前時の時間の復習で「8を割り切ることのできる数はどんな数?」と質問します。子どもたちは先ほどのボードに自分の答を書いて頭の上に出します。これは全員の考えを知るのにとてもよいアイデアだと思いました。「偶数」と書いてある子どもがたくさんいます。授業者にとって予想外の答だったようです。「8の約数」と答えてほしかったのですが、子どもにとってどう答えていいかわかりにくい発問でした。間違えた子どもは約数の定義ではなく、「8の約数はどんな数か」と問われたと思ったのです。約数の定義を問うのなら「どんな数?」ではなく「なんという?」と聞くべきだったのです。約数は数ではなく、そのような数の名前なのです。
授業者は、8の約数に1が入っていることに気づいて、1があるから偶数は間違いと言って次に進みました。予想外の答で落ち着いて対応できなかったのです。せめて、偶数と答えた子どもに「それってどういうこと」と聞くべきでしょう。子ども自身で間違いに気づかせて修正させたいところです。
約数の見つけ方で「ペアで見つける」という言葉が子どもから出てきました。教師はすぐに板書をしてから、子どもたちに理解したかをたずね、発表者に説明させました。板書をした時点で写す子どももいます。子どもはこれを受け入れるべきものとして認識しています。まずは、この言葉を全体で理解して共有することをするべきです。「それってどういうこと?」と問いかけて説明させ、納得した子どもにもう一度説明させる。何人にも説明させて、最後もう一度まわりと確認するくらいで、やっと全員が理解するのではないでしょうか。割る数と商がともに約数になることはそれほど自明ではありません。このことをていねいに確認したあと、割る数と商を線で結んで「ペアだね」と押させたいところでした。

もう一つの6年生の学級はベテランの担任で、算数の速さの授業でした。テンションが上がりやすそうな学級ですが、授業者はよくコントロールしているように感じました。笑顔をよくつくっています。
子どもの言葉を活かそうとする意識はあるのですが、どうしても自分で説明してしまいます。また、問題を解かせる前に、「これを使えばいいね」と教師が見通しを持たせてしまいます。「何を使えば解けそう?」と子どもに問いかけたいところです。
答を発表する場面のことです。勘違いをしてちょっとズレたことを言ってしまった子どもに対して、揶揄するような声が上がりました。ちょっと心配です。エスカレートしないうちにたしなめることが必要です。また、発言者が修正した時点でしっかりとほめて、揶揄されたことを打ち消すようにするとよいでしょう。

若手だけでなく、中堅からベテランまでが授業を公開してくれました。各年代層が積極的に授業アドバイスを受けようとしてくださる学校は、進歩も早い傾向があります。この学校も間違いなく大きく進歩すると思います。

授業研究については次回の日記で。

「授業検討ツール」を使った授業検討のための授業で考える(一部削除)

一昨日は、市の教育研究会にオブザーバーとして「授業検討ツール」(教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第6回「大きく進化した授業検討ツール」参照)を使った授業検討会に参加しました(「授業検討ツール」を使った授業検討の打ち合わせ参照)。授業は中学校3年生の数学の関数の締めくくりの授業でした。

この日の目的は、授業検討ツールの検証です。司会者の方は私以上にこの授業の問題点を理解されています。メモ用紙には「?」がいたるところに書かれています。どのような問題点が浮かび上がるだろうと楽しみにしていたのですが、市の教育研究会ということで遠慮していたのか、みなさん課題を指摘しません。そんな中で司会者は、話題にすべき場所をクローズアップされました。さすがでした。
検討会については、愛される学校づくり研究会の教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」で紹介しますので、ここではこのくらいにしておきます。

終了後、司会者と検討会について振り返りました。非常に多くのことが明らかになってきました。このツールのよさと、誰でもが活用できるためにどんな条件が必要か、どうすればその条件がクリアできるのかといったことをたくさん気づくことができました。このような機会を得られたことを本当にありがたく思います。

学校が新たな一歩を踏み出す胎動を感じる

昨日の日記の続きです。

社会科の授業研究は、1年生のヨーロッパ州の最初の時間でした。授業者は今年この学校に異動したばかりの方です。指示の言葉が短く非常に明確です。子どもたちは素早く反応します。ムダな時間がほとんどないのが印象的です。非常に落ち着いた雰囲気で子どもたちは学習に集中していました。授業者は新しい環境で4月5月は苦しんでいましたが、この学校に合わせた自分のスタイルが見つかったようです。
この日の授業は、ヨーロッパ州を概観する内容です。ヨーロッパを自然環境、人口・民族、農業、工業の4つの視点で調べて、どのような地域であるかまとめるというものです。
今回はジグソー学習の形を取っていました。課題をいくつかに分割してそれぞれで取り組み、後で組み合わせて1つにしてくという、協働学習の手法です。
グループの中で担当を割り振り、授業者が準備した資料とキーワードをもとに個人で調べてまとめます。中には教科書や資料集を見ている子どもがいます。用意された資料と同じような内容を探して、そこに書かれている記述を写しているのです。それならば、最初から教科書や資料集をもとに調べさせればいいでしょう。授業者としては、与えられた資料から読み取ってほしかったのでしょうから、教科書や資料集は使わないという指示を出せばよかったと思います。
グループの隊形での作業ですが、子どもたちは互いに違うことを調べているのでかかわり合うことはありません。集中して取り組んでいるからこそ、かかわり合わないのはもったいないように思いました。授業者は最初10分間と言っていたのですが、ここで時間を使いすぎない方がよいと判断して、早めに切り上げ次の活動に移りました。よい判断です。同じ項目を調べている子ども同士で新たにグループを作り、そこで情報を交換して元のグループで発表するための内容を深めるのです。いつもと違うグループで話をすることは、人間関係をつくるためにもよいことです。子どもたちは、この活動の目的を理解しているので、友だちの言葉をよく聞いているようでした。
次の活動に移ります。授業者はまず、元のグループに戻るように指示をします。こういった移動も実にスムーズに素早く行えます。移動が終わってから次の指示を出します。このように指示を分割していることも、子どもたちの動きのよさにつながっているように思います。自分の担当の内容を説明する時には、どこから言えるかの根拠を必ず話す、聞く側は、発表をそのまま写すのではなく、重要だと思ったことだけを書くようにと指示します。特に聞く側に考えることが必要な条件をつけることで、受け身でなくすことを意識しています。ちょっとしたことですがとても大切なことです。
子どもたちはしっかりと活動していますが、ちょっと空気が重たいように感じました。ところが次第に子どもたちのかかわり合いが増えてきます。聞く側に対する指示が効いているようです。しっかりと聞いてもらえるので、発表した後の子どもの動きがよくなるのです。ただ、発表者の中には「資料から・・・」と具体的に資料のどこからかを言えない子どももいました。時間の関係もあり、子どもたちが根拠を共有していないことが気になりました。
ヨーロッパ州とはどういう地域かをまとめた文章の穴埋めが最後の課題でした。事前に行なった他の学級の授業で、自分たちでまとめさせる時間があまり取れなかったので、このように変更したのだそうです。子どもたちはグループの中で自然に相談しています。気軽に聞き合える関係になっていることがよくわかります。授業者が子どもたちに問いかけながら正解を発表していきます。正解だった子どもはうれしそうに反応します。しかし、最後の活動が穴埋めになっているので、子どもたちは自分たちの活動が教師の求める答を導き出す活動だったと思うかもしれません。このことはちょっと気になる所です。
ここでのまとめは、「高緯度だが温暖」「複数の民族や言語が存在している国がある」「気候によってさまざまな農業が行われている」「資源や工業で国同士が結びついている」という4つの視点からのものですが、これらは結論、結果です。「なぜ高緯度なのに温暖なのか?」「複数の民族や言語が存在している国があるけれど、日本はどう?いろいろあって問題ないの?」「さまざまな農業というけれど、いろいろなものがつくられていることは、いいの?悪いの?」「資源や工業で国同士が結びつく必要がどうしてあるの?」といった質問をしたり、疑問を持たせたりしたいところです。こういった疑問は次の課題のEUにつながっていきます。EUについて学習する前にこのまとめを扱ってもよいかもしれません。

この授業の前に、2年目の先生がいっしょに授業を見たいと言ってくれました。素直に今苦しんでいることを伝えてくれました。自ら助けを求めることができることはとてもよいことです。教科が違うので直接参考にすることはできないかもしれませんが、この授業の課題や子どもたちの動きのよさの理由などをできるだけその先生の授業と比較しながら話をしました。今は苦しいかもしれませんが、学ぶ姿勢があれば必ずそれを糧とすることができます。成長が楽しみです。
また、養護教諭も一緒に授業を見てくれました。この日、11月に研究授業をする他校の養護教諭と打ち合わせをするので、この授業から学んでその先生に伝えたいというのです。この市の養護教諭のチームワークのよさ感じさせられました。どんな授業になるかとても楽しみです。

授業検討会では、授業者としては何をねらいたかったということが話題になりました。一番のねらいに時間をかけることが大切だからです。ヨーロッパ州を概観するといっても、1時間しか配当できないので時間があまりありません。子どもたちの活動で授業を進めるためにジグソー学習を取り入れて効率化したのですが、それでもまとめる時間が足りなくて、最後は穴埋め問題にしたのです。しかし、授業者は、本当は子どもたち自身でまとめさせたいと思っていたようです。ならば、この流れの中でその時間どうつくるかです。できるだけ効率的に、考えるために必要な情報を与えることが求められます。ジグソー学習を活かすのであれば、グループごとに項目を割り振って調べさせます。それを全体で共有するのです。この時、今回のグループでの報告で指示したように根拠を言わせるだけでなく、実際に資料を確認する活動を必ず入れるようにします。社会科として資料を見る力をつけることを意識する必要があるからです。ここを足場にして、子どもたちにヨーロッパ州はどんな地域かをまとめさせるのです。この流れならば考える時間をつくることができると思います。各項目を調べてまとめる時、これまでやってきたアジア州はどうだったか簡単に確認してから進めてもよいでしょう。まとめ方も明確になりますし、自然にヨーロッパとアジアを比較することにもなるので、特徴を見つけやすくなると思います。
この学校の社会科もチームワークがとてもよく、指導案もみんなが意見を出して一緒につくり上げています。そのため、授業検討会も第三者的な批判などはなく、当事者意識を持ってどこが課題か、どうすればいいのかと考えています。互いに学び合い成長できる関係だと思います。

6時間目の学活の時間の1、2年生のようすをざっと見ました。
1年生はとてもよい雰囲気でした。ただ、一部の学級で担任との関係がぎくしゃくしているように感じました。担任は何とかしようと動いているようですが、ちょっと過敏に反応しすぎているように思います。もう少し余裕を持って子どもたちを見守ることも必要だと思います。
2年生は、学級によって雰囲気の差があるように感じました。担任との関係がまだうまくできていない学級があるようです。しかし、それよりも気になるのが学級の中で友だちとかかわれていない子どもが以前よりもはっきりとしてきたように感じることです。体育大会などの行事をきっかけに学級の子ども同士の関係が密になる時期です。しかし、人間関係をうまくつくれていない子どもにとっては、より疎外されやすい状況とも言えます。どうも行事がそのように作用したのではないかと思います。人間関係がうまくつくれない子どもがいる時は、担任は子どもたちと一緒になって行事を盛り上げようとするよりも、ちょっと距離を取って子どもたちの人間関係を見守っている必要があります。こんなことを思い出しました。
また、この学校では、半年間固定の班を基本としていろいろな活動が行われています。教室の座席も班でかたまっているので、授業での人間関係も班にしばられます。人間関係が固定されるので、うまくかかわれない子どもが孤立しやすくなります。生活の班と、授業でのグループは別にした方がよいように思います。

この日も数学科の有志と勉強会を行いました。台風で実施できなかった授業研究の内容について話しました。関数のグラフと方程式のグラフがうまく結びつかない子どもがいて、それをどうしたらいいかを授業研究で話題にしたかったそうです。私なりのアドバイスをして納得はしてもらえましたが、実際に授業を見ていないので、あくまでも子どもの状況を推測しての話です。中止になったことがとても残念でした。

学校内で授業研究に対するエネルギーが少し上がってきたように思います。校長や教務主任が授業を大切にするように働きかけていることの効果が出てきているようです。ここのところ先生の異動が多かったため、現状維持に精一杯だった面もあったのですが、次の一歩を踏み出すような胎動を感じます。この動きを本物にしていかなければと思っています。

意欲的な初任者の授業

昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。台風18号の影響で3限目までの授業がカットされ、予定していた数学の授業研究がカットされたのが残念でした。英語と社会科の授業研究と学級活動の時間を参観しました。

初任者の授業はTTで行う2年生の英語でした。授業者の笑顔がとても印象的です。授業中一度も笑顔を絶やしませんでした。ちょっと癖のある子どもや授業に集中しない子どももいる学級ですが、きちんと授業が成立していました。この半年間で立派に成長しています。
この日の授業は音読を中心にしたものでした。最初にこの日のテキストをリスニングします。子どもたちはなかなか聞き取れないようすです。この日初めて学習する単語や語句もたくさんあるからです。よく言われるのが「読めない言葉は聞けない」です。少なくとも知らない単語を聞き取るのはとても難しいことです。
聞き取れた単語を子どもたちに聞きます。数人の手が挙がります。文全体や内容を聞き取るのが難しくても、単語なら聞き取れる可能性は増えます。子どもたちが参加しやすいように考えられた発問です。それでも、あまり手が挙がらなかったので、授業者は困った表情をするかと思ったのですが、笑顔を崩しませんでした。順番に指名していきます。最後の一人になった時に、それまで指名されなかった子どもは全部言われたとつぶやきました。一問一答になっていたので、参加できなかったのです。同じ単語を聞けた子どもをつないだり、「その単語の前後は何て言ってか聞き取れた?」「その単語の前後にはどんな言葉がありそう?」と他の子どもをつないだりして、少しでも多くの子どもが参加できるようにすればよかったと思います。
最後の一人はメモを見ながら数を発表します。電話番号があったのです。それを見て、「メモしている」というつぶやきがありました。メモをしているのはずるいと思ったのでしょう。授業者はそれに対してコメントしませんでした。授業者としては子どもにメモを取ってもらいたかったのでしょうか、それともメモを取らずに記憶してもらいたかったのでしょうか。いずれにしても、「メモを取っていたんだ。大事な言葉をメモできるといいね」というように評価するか、「メモを取っていたんだ。メモを取らずに頭に覚えておけるともっといいね」というように返すかして、どうしてほしいのか伝えてあげなければいけません。
聞き取れた単語が本当にあったのか確認することも必要です。聞き取れなかった子どもは、自分で確認できるすべがありません。友だちが言ったことをそのまま信じるしかありません。自分で確認して、できるようになる場面をつくることが必要なのです。子どもたちが発表した単語を意識できているうちに、もう一度挑戦し、1つでも聞き取ることを経験することがやる気につながるのです。

続いて、新出単語と語句の意味です。予習をすることになっていたので、子どもに意味を聞きます。何人かの子どもがその場ですぐに答えます。意欲のある子ども、活発な子どもが場を仕切っています。他の子どもは参加することができません。一部の子どもと他の子どもたちの関係が悪くなります。予習をしてこなかった子どもは、教師が教えてくれて練習するので特に困ることはありません。一部の子どものためにだけある場面になっています。こういう時は、単語の意味をまわりの子どもと確認させるのです。予習をしていた子どもは、活躍できます。してこなかった子どもは友だちに教えてもらい、予習をしてきた方がよかったかなと思ったりします。こうすることで子どもの関係をつくりながら、予習に対する意欲を上げていきます。
T2がフラッシュカードを使いながら練習をさせます。先ほどのリスニングは、この後に行なえばいいのです。練習したばかりの単語だから意識をすれば聞けるはずです。まずは、聞き取れたという達成感を与えてあげることが大切です。

チャンクリーディング(短文、語句単位で読ませる)、1文読み、部分リピート、・・・とたくさんの読む活動をします。しかし、これらの活動の目標がよくわからないのです。この日の最終目標は何か、一つひとつの読む活動の目標は何かを子どもたちは意識していません。ただ、指示に従って活動しているだけです。活動量は多くても子どもたちに達成感がありません。どんな力がついたか自分でよくわからないのです。目標を明確にし、子ども自身で達成できたかどうか評価できる場面が必要なのです。
教科書を見ながらのリーピートリーディングでは、ある子どもは教科書を見ながら、別の子どもは教科書から目を離し、授業者を見ながら発音しています。どちらも真剣です。最終目標は暗唱できることでしょうか、英文を読めるようになることでしょか、それともリスニング力をつけることなのでしょうか。それらすべてと言うのなら、この活動では何をねらっているのでしょうか。このことを授業者が意識していれば、子どもの姿がバラバラにはなりません。暗唱が最終目標であれば、「教科書を見ないで声を出してね。難しければ見ていいからね」と指示をし、次のステップでは、教師は最初の単語だけ発音すればいいのです。リスニングを意識するのなら、教科書は使わずにリピートさせ、聞き取れていなければスピードを落として、何度も聞かせるようにすればいいと思います。授業者が意識できていないので、当然子どもたちも意識しないのです。
また、読み方も意識してほしいと思います。最初はナチュラルスピードではうまく聴き取れません。当然少しゆっくりです。ゆっくり読むと単語単位の読みになって言葉のつながりが切れてしまい、文として読んだ時とは違って聞こえます。ゆっくりでも言葉のつながりがわかるように読む必要があります。これは、実は訓練しないとなかなかできないのです。こんなことも意識してほしいともいます。

シャドーウイング(相手の読みのすぐあとをついて読む)やジャスチャーリーディング(シチュエーションを表わすジェスチャーに合わせて読む)にも挑戦しています。ジェスチャーリーディングは9月に受けた東京都港区立赤坂中学校の北原延晃先生の研修に参加しての挑戦です。この意欲は称賛に値します。しかし、まだまだ消化できていません。当然です。実際にやることで、ポイントがわかり、上手く使えるようになるのです。しり込みしていてはいつまでたっても使えるようにはなりません。この挑戦する姿勢が大切なのです。

シャドーウイングは、まだ始めて日が浅いので子どもたちが追いかけて読み始めるタイミングがつかめません。こういう場面こそTTをうまく活用するのです。どちらか一方が最初に読み、もう一方が、追いかけて読むきっかけを出すのです。慣れるまでは、こういったことも必要なのです。

ジェスチャーリーディングは、ジャスチャーが何を表わしているのか子どもがわかっていません。「もし」といった抽象的な言葉はジェスチャーで表わしにくいからです。原則、ジェスチャーは1単語、1語句と対応するようにしなければ、語順などがわからなくなります。授業者のジェスチャーはそういう点でもおおざっぱでした。ジェスチャーの表わすシチュエーションを意識ながら言葉を紡ぐことで、英文の表すシチュエーションを子どもたちが理解するのがねらいの一つですが、子どもたちは英文と授業者のジェスチャーを対応させているだけです。これでは、ジェスチャーを使う意味はあまりありません。単語や語句と一つひとつのジェスチャーを対応させ、そのシチュエーションをきちんと理解させ、教えた上で活動することが必要です。

ペア活動がいくつかあったのですが、その様子が気になります。互いに相手の方を向いて目を合わせているペアの数が非常に少ないのです。子どもたちの人間関係が上手くつくれていない可能性があります。一方が教師役で教科書を読み、それに合わせてもう一方がリピートをする活動では、上手くできない子どもを教師役が助けようとしません。自分の役目は教科書を読むことだけだと思っているようです。このような場面にたくさん遭遇しました。子どもたちの関係をつくることを意識した指示が必要です。「先生だったら、どんなことに気をつける?」といった発問をして、子どもたちに相手を助けることをしなければいけないことを気づかせてから活動に入るといったことが必要です。

課題はたくさんあります。それはとてもいいことです。それに気づけば、一つひとつ解決していけばいいだけです。基本的な授業規律はできています。授業者は子どもたちをとてもよく見ています。だから、教科の内容や教材研究に関する課題がたくさん出てくるのです。
そして、素晴らしいのが英語科全体として一緒に授業を考える、つくるという教科のチームワークです。検討会の参加者の様子からそのことが伝わってきます。この学校の英語の授業はこれから大きく伸びていくと思っています。今後がとても楽しみです。

社会科の授業研究については、明日の日記で。

小学校で学校全体の授業がよくなるには

授業アドバイスをし始めたころ、学校全体の授業がよい方向へ変わるのは小学校の方が早いだろうと思っていました。小学校は学級担任が子どもに接する時間が長いので、先生がその気になれば、すぐに子どもたちが変わっていくからです。ところが、どうも中学校の方が、変化が早いのです。その理由が最初はわかりませんでした。素直に変わろうとする先生の数が中学校の方が多いわけではありません。むしろ小学校の方が多いくらいです。中学生が小学生以上に先生の影響を受けやすいとも思えません。しかし、ある程度の割合で先生が変わると、子どもたちの様子が大きく変わってくるのです。
その秘密は教科担任制にありました。1人の先生がいくつもの学級で授業をするので、多くの学級に影響力を持つのです。全員の授業が変わらなくても、一定の先生が変われば子どもがよい方向に変わりだします。子どもがよい方向へ変わりだせば、他の先生にとっても授業がやりやすくなり、結果的に授業がよくなっていきます。また、子どもの変化に気づくと、自分もまねをして見ようかと思うこともあります。よい取り組みが広がりだします。どうやら、こういうメカニズムのようです。

小学校は、1人の先生の変化の影響は1学級だけです。その学級のことを他の先生は見る機会がほとんどないので、子どもの変化に気づきません。広がっていかないのです。小学校を変えるのは難しい。そのように思うようになりました。
ところが、最近いくつもの小学校が、大きく変わることを経験しました。しかし、今度はその理由はすぐにわかりました。管理職や教務主任が積極的に先生方に働きかけているのです。授業の改善点や新しく取り組むことが学校全体に共有されるように強いメッセージを送っています。また、授業をよく見て、先生一人ひとりにきめ細かくアドバイスやフォローをしています。時には、「このようにやりましょう」と強制力を発揮していることもあります。小学校は学級担任が一日中子どもと接しますから、先生が変化すればすぐに子どもにも変化が出ます。アドバイスを1つでも実行してよい結果が出れば、また次のアドバイスを実行しようと思います。よいサイクルが回りだします。このよい取り組みを上手に学校に広げているのです。

この視点に立てば、小学校では先生方に対して個別にアドバイスすることも必要ですが、管理職や教務主任にその気になっていただくことがより重要だということです。中学校、高等学校では、何人かの先生に対して重点的にアドバイスをして、よい実践例を学校内につくってもらうこと優先してきましたが、小学校ではちょっと違うアプローチをした方がよさそうだと気づきました。学校経営の奥深さを改めて知らされました。

小学校の先生方の教材研究を考える

指導用教科書(赤刷り)を使って授業をしている先生が多いことに気がつきます。中学校ではそれほどでもないのですが、小学校ではかなりの割合のように感じます(ひょっとして先生方に児童・生徒用の教科書が支給されていないのかもしれないのですが・・・)。これ自体は決して悪いことではないのですが、どうもこの指導用教科書や指導書の使い方に問題があるのではないかと思うようになってきました。

小学校の先生は、1人で何教科も受け持ちます。中学校のように教科担任制であれば、1時間のための授業研究をすればそれが何回も活かせますが、1回授業をすればすぐに次の準備です。しかも、中学校であれば3学年しかありませんが、小学校は6学年あります。同じ学年を担当して以前の経験を活かせる確率は少なくなります。久しぶりに経験のある学年を担当したと思ったら、指導要領が改訂になっていてまたやり直しということもよくある話です。同じ学年の先生同士で教え合うことができればまだいいのですが、そんな時間もなかなか取ることができません。小規模校では1学年1人のこともよくあります。
小学校の先生の負担が大きいことはとてもよくわかります。だからこそ、効率的に教材研究をしようとするのは当然のことです。そしてその実態が、事前に指導書と指導用教科書を読んで、当日は指導用教科書を見ながら授業をするというものではないかと想像するのです。効率的に思えますが、そこには大きな問題があるように思います。最初から解説付きで見るために、教科書の内容に対して、どう扱えばいいのか、なぜこのような記述になっているのか疑問を持たなくなるのです。例えて言うならば、数学の問題を自分で解く前に解答を見ているようなものです。答はわかった気になりますが、自分で問題を解く力はつきません。
まずは、解説なしで教科書を読んでほしいのです。そして、子どもの視点で疑問を持ってほしいのです。疑問を解決するために長い時間をかける必要はありません。解決するのには指導書や指導用教科書を利用すればよいのです。自分で考えるというほんのちょっとしたことをするかどうかで、授業で押さえるべきポイントが見えてくるはずです。

このところ算数の授業を見るたびに、先生方が教科書を理解していないと感じさせられます。その原因は先生方の力量以前に、このような教材研究のやり方をしているせいなのではないかと思うようになりました。私の想像が正しいかどうか、先生方がどのようにして教材研究をしているのか聞いてみたいと思います。

「ほめる」と「甘やかす」

以前は、子どもたちをほめるようにしてくださいとお願いすると、今一つピンとこない表情をする方がよくいらっしゃいました。最近では少なくなりましたが、それでも納得されない方が時々いらっしゃいます。話を聞いてみると、どうも「ほめる」ことを「甘やかす」と勘違いされているようです。悪いことをしても叱らないのでは、子どもがダメになってしまうと考えているようなのです。
悪いことをしてもほうっておけと言っているのではありません。子どもによい行動をとるように仕向けて、よい行動をとった時にすかさずほめるのです。そのためには、強く叱って反省させるのではなく、次にどのような行動をすればよいのかを考えさせるのです。そして、よい行動にかわったらうんとほめるのです。

悪い行動を叱っても、他の子どもは他人事です。そのため、叱って矯正しようとすると、どうしても見せしめ的にならざるを得ません。悪い行動をしないように考えるようになるかもしれませんが、嫌な思いをすることを回避するだけで、ポジティブにはなりません。結果的に、よい行動には結びついていきません。
一方ほめられることは子どもにとっては、望ましいことです。友だちがほめられるのを見て自分もほめられたいと思います。ほめられるような行動をとろうとするのです。よい行動が増えていきます。
遅刻を例に考えてみましょう。叱ることで遅刻が減ったとしても、子どもは時間までに集合するだけです。それに対して、早く来て準備をして待っている子どもをほめると、早く来ようとするようになります。結果として遅刻がなくなるだけでなく集合も早くなります。子どもたちの行動がよい方向へ変わっていくのです。

「甘やかす」のは、ただ放任しているだけです。「ほめる」ということは、ほめるような行動を子どもたちがするような働きかけをすることです。ほめる観点を持って、子どもたちがそのような行動をしてくれるのをよく見ることです。そこには教師の積極的な関与があるのです。
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