国語の授業とは何かを問い直したい授業

教師力アップセミナーで野口芳宏先生にご指導いただくための授業撮影を中学校で行いました。一人の若手教師が同じ国語の授業を2つの学級で行いました。

市全体で学び合いを進めています。子どもたちは人の話を集中して聞くことができます。どんな先生でも落ち着いた授業が成立します。それだけに子どもたちにどれだけの力をつけたかが問われます。
授業者は「言葉の力」と板書して、言葉の力とはどんなことか「予想」させます。予想ですので根拠のあることを話すわけではありません。筆者の言う「言葉の力」とはどういうことかを課題として読み進めるのであるなら別ですが、興味を持たせるためだけのものであるならば、テンポよく進めたいところです。しかし、他の場面とまったく同じように時間をかけます。
本時の学習のめあて「1段落の要点をまとめよう」を板書しながら、顔上げ1回で書くように指示します。板書の間、子どもたちを見ていません。指示する前に写している子どもがほとんどです。何のための指示なのかよくわかりません。また、このめあてを強く意識させたいということなら、これに続く活動もそのことを意識したものになってしかるべきですが、どうもそういうわけでもなさそうです。

全文を教師が範読します。途中、ページをめくらないように指示します。桜から桜色の染料取り出したという記述まで読んだところで、色をどのようにして取り出したかを「予想」させます。そのために答えが書かれているページを読まないように指示したのです。わざわざめくらないようにと注意をしたので、一生懸命読んでいる子どもがいたのはご愛嬌です。ここでも予想です。予想することで答の意外さを感じさせたいのでしょうが、国語の力とは何の関係もありません。それとも、文章を読みながら次はどう展開するか予想しながら読む力をつけたいのでしょうか。こういう力も必要なことはわかりますが、それにしても根拠なく予想させてもあまり意味がありません。想像しているだけです。わざわざ取り上げるのだから意外なことが答のはずだと樹皮を予想させようというのでしょうか。国語という教科は、数学と同じように論理的な教科だと思っています。読書とは違うのです。授業者は想像を根拠に基づいて考えることと勘違いしているのでしょうか。国語という教科をどうとらえているのか聞きたいところです。
子どもたちは何を意識して授業者の範読を聞けばよかったのでしょうか。この活動が「1段落の要点をまとめる」ということとどうつながるのかよくわかりません。本来要約や要点は該当箇所だけから読み取るべきものです。他の部分を受けたり、つなげたりすることもありますが、1段落では受けることはありません。1段落の内容を理解するのに後から出てくる具体例を使おうという展開もありえるのですが、そうではありませんでした。

読み終わったところで、この文のジャンルを問います。「説明文」という答に「ちょっと違う」と返します。なぜ説明文と考えたのか、なぜ違うのか根拠がまったく問われません。随筆という答が出たころで、正解となります。なぜ随筆なのかという根拠は説明されませんでした。別の学級では、数人指名して「説明文」という答が続いた後、「他にはどんなものがあったか」と問い返し、「随筆」という答が何人かでたところで、授業者が随筆だと断定しました。これでは、子どもは教師の求める答探しをしているだけです。わかる、できるようになる手立てがありません。愕然としました。

続いて、形式段落の数を問いかけます。形式段落の定義がわかっていれば小学生でもすぐにできることです。しかし、このことにも時間をかけます。ここまで、子どもたちは、国語の力をつけるための活動を何一つしていません。
1段落の内容を読み取るために、各自で音読させます。子どもたちは恐るべき速さで読みます。私でもこの速さで音読して内容を理解できるとは思えません。授業者は日ごろから早く読むことを求めているのでしょうか?活動の目的がわかりません。
読み終わった後で、1段落で言っていることがわかるかどうか問いかけます。めあてと微妙に異なっています。野口先生方式で、わかる人は○、わからない人は×を書かせ確認します。わからない人がほとんどです。そもそも、筆者が言っていることがわかるとはどういうことなのでしょうか。説明文であれば要旨を正しくまとめることができることと言えますが、この文章の場合はどうとらえればいいのでしょうか。わかっているかをどう確認するのでしょうか。それとめあてとの関係はどうなのでしょうか。そんな私の疑問をよそに、唐突に「1段落に表現技法が使われている。気づいた人」と問いかけます。わかることと何の関係があるのかわかりません。せめてどんな表現技法があるか、それはどういうものかを整理してから問いかければ、少しは意味のある活動になったのですが、それも無しに、ただまわりと相談させます。挙手させますが数人です。結局、気づいた子どもが答を伝えて終わりです。そのあと、擬人法について説明します。擬人法とめあてにどういう関係があるか最後までわかりませんでした

1段落でどの文が一番大切かを問いかけ、擬人法が使われている第4文であることを確認して、1段落を「要約」させます。「要点をまとめる」ということは要約のことだったようです。国語の教師は言葉を大切にすることが求められますが、非常に雑に言葉を使います。要約にするにあたって、「ムダなものを省いて、膨らませる」といったとんでもないことを言います。筆者の書いていることを簡単にまとめるのであって、勝手に言葉を足すというのはあってはならないことです。読書ではないのです。感想でもないのです。読解です。こういう授業を日ごろからしているのでしょう。子どもたちは本文とは直接関係のない言葉を勝手に足します。世に言う空中戦です。子どもたちの勝手な解釈で話は進みますが、授業者は「意味がわかってきた」と評価します。意味がわかるとはどういうことなのか授業を止めて聞きたいと思いました。最後に、子どもたちにもう一度言っていることがわかったか確認します。ほとんどの子どもがわかったと手を挙げます。本当にわかっているのでしょうか。そう思っているのなら恐ろしいことです。高校では、根拠なく文章を自分勝手に解釈する子どもたちに閉口するということをよく聞きますが、こうやって作られているのかもしれません。もし、わかっていないのにわかったと言っているのなら、授業者への気遣い、礼儀なのかもしれません。いずれにしても、活動あって学びなしという授業でした。国語という教科はどういう教科か問い直してほしいと思いました。

子どもたちがとてもよい状態なだけに、「もったいない」という言葉が頭から離れません。この学校の校長が「鍛える」ということを意識するのは当然です。しかし、その思いはなかなか伝わらないようです。校長の苦しみが伝わってくるような授業でした。
後日聞いたところ、授業者も自分の授業を変えなければと反省しているようです。まだ若い先生なので、これからいくらでも変わっていけると思います。成長を待ちたいと思います。
また、私がこの授業者を直接指導するとすれば、どうアドバイスすればいいのだろうかと、とても悩みます。不謹慎なことですが、野口先生がどのような指導をされるかとても楽しみです。今年も野口先生のセミナーからたくさんのことが学べることと期待しています。

若手の授業で考える(その2)

前回の日記の続きです。

6年生の国語は同じ部分と同じ音を持つ漢字(形声文字)の学習でした。
授業者は明るい表情で、子どもたちを受容する雰囲気があります。パソコンをフラッシュカードとして利用して漢字の読みの練習をします。上手な使い方なのですが、パソコンにくっついて操作していることが気になります。ワイヤレスマウスを活用したいところです。
同じ部分を持つ漢字が入る穴埋め問題に取り組ませます。子どもはそのことを意識していません。手詰まりになった子どもは集中力が落ちます。そこで授業者がヒントを出すことで子どもの集中力は戻りました。全体で1問解いて、共通点を意識させてから取り組むとよかったかもしれません。
同じ部分や同じ音を持つ漢字を調べようという課題ですが、授業者は部首やつくり、音や訓という国語の用語をきちんと確認していません。また、これまで学習した漢字の成り立ちと関連付けていません。形声文字という言葉を最初に出す必要があるかどうかは別にして、どこかで押さえたいところです。
授業者は指示を出した後、ちゃんと確認していました。「早い人がいますね」とほめることも意識しています。しかし、6年生ともなると自我が発達していますから、漠然とほめても自分がほめられたとは意識しません。「○○さん早いね」と固有名詞でほめるようにするとよいでしょう。
男子のテンションが上がり気味です。授業者が反応を受け止めてくれるのでつい調子に乗るようです。男子のテンションに反比例して女子のテンションが下がります。何でも受け止めるのではなく、授業に生かせることは、全体の場で公的に発言させ、そうでなければ無視をすることも必要だと思います。
教科書の問題を解いた後、グループで穴埋め問題を作ります。漢字辞典を全員に配ります。漢字辞典を使う必然性があるよい課題です。漢字辞典の音訓索引を使うとよいとヒントを言います。ここでも音訓という用語をきちんと押さえませんでした。グループの代表を集めて発表用の用紙を配り、どのように使うかの指示をします。この間他の子どもは何もすることがありません。たとえ代表が書記の仕事をするにしても、全員が理解しておく必要はあると思います。全体に説明すればよいのです。
グループで発表するといっても、みんなで考える必然性はありません。どの問題がよいかという評価基準もありません。どうしても子どもたちのテンションは上がってしまいます。それぞれが作った問題がちゃんと条件にあっているか確認をするといった役割を互いに持つことが必要だと思います。
子どもたちは音訓表を見るだけで問題を作っています。一つひとつの漢字を調べてはいません。全体で一度、漢字辞典にどのような情報が載っているかを確認するとよかったでしょう。「形声」という漢字の成り立ちの種類も書かれています。音、訓、部首といった情報もあります。それぞれの用語を確認すれば、形声文字について理解でき、辞典を引く必然性がより大きくなったと思います。音と訓を混乱して、「会」うと「合」うで問題を作っている子どももいましたが、こういった勘違いも減ったと思います。
各グループが作った問題を全体で解くのですが、正解かどうかを授業者が行っていました。これは出題者にさせたいところでした。
授業者は子どもとの関係がよく、しっかり受け止めることができますが、まだ発言者や反応する子どもにしか視線がいきません。全体をよく見て、全員が参加できることを意識してほしいと思います。

授業研究は5年生の社会科の授業で行われました。日本の米作りの課題について考えるものでした。
子どもたちに朝食で何を食べたかをたずね、パンを食べている家庭が多いことに気づかせます。そこで、田んぼの一部が休耕田となっている写真をディスプレイに表示させ、気づいたことを発表させました。稲が植えられていないという発言に対して、授業者はうなずきながら「なるほど」としっかり受け止めます。何人かに意見を聞きますが、どの意見に対してもきちんと受容ができています。なかなかのものです。友だちの意見に対して、鳥がたくさんいることを付け加えた子どもがいました。授業者はその意見もちゃんと受け止めたのですが、最後に「みんな同じことを言ってくれた」とまとめました。みんな同じと言われると、違うことを言ったつもりの子どもにとっては、自分の意見が認められなかったと感じてしまいます。ここは、「共通して言っていることがあったね」とまとめるとよかったでしょう。
授業者はなぜ米を作らないのかという疑問を持たせた後、「三ちゃん農業」という言葉を表示しました。もちろん何のことか子どもにはわかりません。授業者はこの授業でわかるようになると、子どもたちに意識をさせるだけにして先に進みました。「三ちゃん農業」がキーワードとなって、この言葉を理解することがこの授業のねらいにつながるのなら、こういう提示もあると思います。
子どもたちにワークシートを配ります。ワークシートには「年齢別農業人口のうつり変わり」「農家数のうつり変わり」「米の生産量・消費量と古米の在庫量のうつり変わり」のグラフが印刷されています。資料を見て気づいたことをワークシートに書かせます。「気づいたこと」という発問では、よほど鍛えていないとなかなか資料を読み取ることができません。資料を読み取るための視点を明確にしておく必要があります。「グラフを見るときは、どこに注目すればよかった?」と問いかけ、今までの学習から「一番大きいところ、小さいところ」「増えているか減っているか」「変化の大きいところ、少ないところ」といったことを事前に整理しておきます。また、資料に使われている用語の意味などの確認も必要です。読み取るための足場を作っておくことが大切です。
授業者は気づいたことと言いながら、活動に入る前に「日本の農業のかかえている問題点の本質」を考えてほしいと付け加えます。資料を読み取ることと、読み取ったことをもとに考えることは別のステップです。今はどちらの活動かを明確にしないといけません。できた子への指示というのならよいのですが。
グループで気づいたことを聞きあうのですが、その活動の目標がはっきりしません。友だちの意見を聞いて自分のものに付け足すのか、意見を出し合って、その上で何かを考えるのかといったことが明確でないので、ただワークシートを読みあっています。子どもの目線が交わりません。
資料が3つなので時間が足りなかったようです。子どもたちから時間がほしいという声が上がりましたが、授業者は予定の時間で切り上げました。資料の読み取りがこの日の主課題ではないので、よい判断です。
子どもに気づいたことを発表させますが、子どもの言葉が足りなくても授業者がまとめて板書します。発表者も、他の子どもも授業者を見ています。授業者がまとめるので、聞く必要がないのです。授業者は「同じような意見の人」とつなごうとしますが、一部の子どもが手を挙げるだけでなかなかつながりません。気づいた結果だけを発表するので、つながらないのです。どこでそう考えたのか、資料に戻ることが大切です。その根拠を共有することで、「納得した?」「そう言える?」と気づかなかった子どもにも参加をうながせますし、「資料の同じところから別のことに気づいた人いる?」とさらに深めていくこともできます。
一人の子どもが、手元の資料を見ながら長い説明をしてくれました。しかし、ただ聞いていても何が言いたいのかよくわかりません。授業者は受容だけして、次の子どもを指名しました。これでは、子どもたちは友だちの考えを理解しようとしなくなります。本人を前に出させ、資料を一つひとつ確認しながら説明させてほしいと思います。
授業者は農業従事者が老齢化していることを押さえて、「三ちゃん農業」の説明をしました。ここでこの日の主課題「今後、米作りは必要なのでしょうか?」に取り組ませます。「日本の未来を考える」ことにつながると言いますが、子どもにとってはどういうことかわかりません。また子どもたちから出てきた疑問でもありません。「このままいったら、誰も米を作らなくなる?」「休耕田があったけれど、農家の人は米を作りたくないの?」といった揺さぶりをしてから、課題を提示したいところです。
さて、ここまで資料から読み取ったのは、農業人口が減っていること、老齢化していること、米の生産量も消費量も減っていることです。この日の主課題を考えるには、内容的にはかなり偏っています。輸入や自給率についての資料も必要です。子どもたちは資料をもとに考えをまとめることはできません。グループで活動しますが、客観的な根拠がないので、テンションが上がります。
子どもたちに考えを発表させます。「米を作らないとおすし屋がつぶれる」「米のパンを作れるから、米を作ればいい」といった面白い意見も出ますが、思いつきの域を超えていませんでした。授業者はここで、米の輸入のグラフを見せます。授業者がおいしいところを持っていきます。どんな資料がほしいかを聞いてから出すのならいいのですが、あとから出すくらいなら最初から出してほしいと子どもは思います。ここからは、まったく考えていなかった視点からの展開なので、多くの子どもは話し合いについていけません。手遊びが増えていきます。課題を焦点化してもう一度グループに戻して考えさせたいところですが、その時間も深めるための資料もありませんでした。授業者は、「(米作りを)変えていかなくてはならない」とまとめましたが、何が問題かは明らかにならないままでした。
最初に3つもの資料の読み取りをしないで、どれかひとつに絞って、先ほど述べたように、「誰も米を作らなくなるんじゃないの?」と問いかけ、おすし屋がつぶれるといった言葉を引き出し、そこから「米を輸入すればいい」「売ってくれないと困る」とつなげ、「米を作りが必要」「不要」についてそれぞれ何が問題なのかを資料をもとに考えさせればよかったように思います。
社会科の授業として何を考えさせたいのか、そのためにどのような資料が必要なのか、こういったことを意識して授業を組み立ててほしいと思います。

授業検討会では、この授業をもとに資料の使い方、グループ活動における必然性や目標、評価基準を明確にすることなどをお話しました。また、全体に共通なこととして、全員参加を意識してほしいことなどもお話しました。
皆さんとても前向きに話を聞いていただけました。この日お伝えしたことを何か1つでもいいのでやってみようと思っていただければ幸いです。

若手の授業で考える(その1)

今週の頭に、小学校で若手中心に4人の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。この学校で一巡しました。

2年生の算数の授業は、dLの導入の場面でした。授業者は私たちが見ているのでかなり緊張しているようでした。落ち着かない子どもや支援の必要な子どもがいますが、授業者はこの子どもたちにかなりエネルギーをとられていました。机間指導も気になる子どもたちのところを回って指導をして終わってしまいます。そのため、他の子どもとのかかわる時間が少なくなっていました。
子どもたちが勝手に発言する場面が目につきますが、授業者はその発言をすぐに拾ってしまいます。きちんと全体に対して発言させ、共有することが必要でしょう。
1Lを10に分けた1つ分を1dLと定義します。1Lますに色水を途中まで入れて、目盛りを確認させます。小さくて見にくいので全員を前に並ばせて順番に見せましたが、時間のムダです。実物投影機があるのですから、ここは活用したいところでした。授業者が前に座って○付けをしました。順番待ちの間子どもが落ち着きません。○をもらった後、席のところでごそごそして他の子どもの集中を乱している子どももいます。授業者は○付けに集中して全体を見ることができていないので、適切な指導ができませんでした。教師が全員を回って○付けをするようにした方がよいでしょう。
与えた厚紙を1Lとみて、dL単位の目盛りを書かせるために、目盛りを9個書くように指示しました。子どもから「9目盛り?」という声がでました。納得できる疑問です。しかし、授業者は取り上げませんでした。発言した子ども以外にも同じ疑問を持った子どももいるはずです。子どもたちは指示されたとおりに活動することを求められていると感じてしまいます。これでは、次第に考えることをやめてしまう危険性があります。
1L=10dLとLとdLの関係を確認し、大切だから覚えるように指導しました。1Lを10に分けた1つ分を1dLと定義したのですから、そこから出てくる性質です。定義から導き出すことが必要です。大切だから覚えることではないのです。
授業者は授業後の全体会ではとてもよい表情を見せてくれました。緊張していたためいつものように授業を進められなかったようです。悪い言い方ですが、気になる子どもはちょっと放って置いて、まず大多数の子どもたちとの関係をしっかりつくることをお願いしました。2学期からもう一度関係を作り直すことをしてほしいと思います。

1年生の授業は音楽でした。
授業者はピアノを立って弾くことで、子どもたちの活動をよく見ていました。音楽が専門教科ということですが、納得させられます。
子どもたちはとても楽しそうに集中して活動します。全員がしっかり参加しています。1年生とは思えないほどです。
授業者は前でしゃべらずに子どもの中に入って指示をすることがあります。子どもとの距離を縮めようとしているのでしょう。死角に入る子どもたちは姿勢を変えて授業者を追いかけようとします。ところが、途中で追いきれなくなって集中力をなくします。これに限らず、黒板を向いている時など、授業者が子どもを見ていないと集中力が落ちます。そのため、板書を終わって前を向いた後すぐの活動は、必ずといっていいほど子どもたちがばらばらになります。活動に入る前にちょっと間をおき、集中させる必要があります。教師が見ていないと集中力が落ちるのは、教師がプレッシャーをかけていることが多いのですが、この授業者の場合はそうではありません。子どもは授業者との関係がよいので、見てくれている時に一生懸命に頑張ろうとしています。しっかり集中しているので、その反動で見ていない時は力を抜くのです。このことは悪いことではありません。ずっと集中することは、低学年では無理があります。授業者が理解して適切に対応すればよいのです。
一問一答の場面が多いことが気になりました。子どもたちは指名されたいので一生懸命に手を挙げますが、指名されないとがっかりします。ため息も聞こえてきます。子どもは友だちの発言をあまり聞いてはいません。授業者がすぐに発言を板書するからです。また、板書をしている間は先ほど述べたように集中力が落ちます。他の子どもにつなぎ、発言の内容を全体で共有し、もし板書するならその後にするとよいでしょう。また、たくさんの子どもが挙手をする場面でも1割くらいの子どもは手を挙げません。ここで指名しても数人しか活躍ができませんし、挙手しなかった子どもは参加することはありません。このような時は、隣同士やまわりで確認させるとよいでしょう。子どものしゃべりたいという欲求を満たすことができますし、わからなかった子どもも友だちの答えを聞くことでわかるようになります。
言葉にリズムつける活動で、子どもたちに好きな言葉を選ばせました。テンションが上がります。字数の制限などをつけるとテンションの上がりすぎを抑えることができます。思いつくままの活動はテンションが上がりやすいことに気をつけることが必要です。
リズムを手で打ちながら言葉を言うのですが、友だちの発表がよくわからないことがありました。授業者は「どう」と聞きますが、反応はいまひとつでした。そこで授業者は「タン」「タ」と書いた丸い色紙を言葉の下に貼りました。リズムを視覚化することで子どもたちは一気に集中が戻りました。うまい方法です。
この活動の途中で、支援を必要とする子どもが「言えない」と軽いパニックになりました。これまでは短い言葉だったのでリズムをとって言うことができたのですが、長い言葉になってうまくできなくなったのです。授業者は子どものそばに行って落ち着かせました。あまり長くかかわると他の子どもが嫌になってしまうので、きりをつけて先に進みます。よい判断だと思います。次は今まで練習していたいくつかの言葉を続けてリズムをとる活動です。4つの言葉の順番を子どもに決めさせます。指名した子どもは一番長い言葉を最初にしました。この活動のとき先ほどの子どもは気を取り直して参加しました。一生懸命にリズムを取ろうとしたのですが、長い言葉の途中で挫折してしまいました。結果論ですが、最初は短い言葉から順番に言うように授業者が指示して活動すれば、その子ども最初はうまくやれて気分が変わったかもしれません。支援を要する子どもの対応は難しいのですが、どのような活動なら参加できる、どれくらいまで相手をしなくても我慢ができるかといったことを把握し、学級全体とのバランスを意識してあまりかかわり過ぎないようにすることが大切です。
授業者は子どものつぶやきをうまく拾います。「○○さん、いいことを言った。みんなに言って」と全体に対して言わせます。できれば、「言って」ではなく、「聞かせて」とIメッセージにした上で、「みんなで聞こう」と全体に声をかけたいところでした。
子どもが間違えたことを発言したときに、「ちょっと違う、おしい」とフォローして座らせましたが、発言した子どもの表情は少し暗くなりました。しばらく顔が上がりません。次の問いに移るまでちょっと沈んでいました。こういう場面は、「なるほど、・・・と考えたんだね」と受容して、他の子どもを指名します。子どもの考えを対比して、間違えた子どもに再度確認し本人に修正させるのです。間違えたままにせず、最後は必ず自分で修正したことをほめて終わるようにします。低学年では子どもの立ち直りは早く、この子どもも次の問いには元気よく手を挙げていましたが、自我が発達してくる中学年以降は間違えることを嫌がるようになります。このようなことが続くと積極的に挙手をしなくなるので注意が必要です。
音楽教室からの移動は番号順に整列してから授業者が先導して行います。学校のルールか授業者のルールかわかりませんが、低学年では必要なことだと思いました。
授業者は、経験年数は少ないのですが、基本的なことがよくできていました。その分、指摘すべきことがたくさん見えます。とても前向きな方なので、アドバイスをしっかりと受け止めてくれたように思います。あせらず、できそうなことから試してみてほしいと思います。

残り2人の授業については次回の日記で。

介護研修で、コミュニケーションスキルの共通性を考える

先週末に、介護技術の研修をおこなってきました。今回は「排泄介助」がテーマです。実務担当者の助けを借りながらの研修です。

排泄は非常にプライベートな行為です。他と比べてもより利用者の気持ちに配慮した介助が求められます。また、老化や病気などにともない、失禁といった排泄の失敗はどうしても起こってしまいます。排泄の失敗は精神的にもこたえます。よく観察し予見することで、できるだけ未然に対応したいものです。そのためには、何が原因でどのようなことが起こるかの知識は欠かせません。失禁一つとっても様々な原因が考えられます。介護職員の方には多くの知識が求められることを改めて感じました。

今回は、おむつ交換のポイントを、訪問介護のエキスパートの方に実演しながら教えていただきました。その技術もさることながら、利用者とのコミュニケーションの取り方に感心しました。オムツ交換は、利用者にとっては恥ずかしい気持ち、申し訳ない気持ちなどが混じって精神的な負担の多いものです。利用者の精神的な負担を少しでも軽くするような声かけに感心しました。同じことを伝えるのにもちょっとした言葉の使い方で、命令に聞こえたり、こちらの意向を聞いてくれているように感じたりします。利用者の「嫌だ」という言葉に対しても、「そうだね」と受容して、「できるだけ早くするから、きれいにしましょうね」と前向きな言葉をかけます。そして、協力に対して「ありがとう」の言葉を忘れません。
このような接し方は、教師の子どもに対する接し方とも共通するものがあります。子どものよい面を引き出し、よい行動を増やしていくことは、「○○しろ」という命令では決してできません。「○○しよう」「やってみよう」と、子どもに寄り添い、一緒にやろうという姿勢が大切です。
コミュニケーションスキルには、仕事や対象にかかわらず共通のものがあることを、いつものことながら感じさせられました。

今回、利用者役も訪問介護のエキスパートの方がやってくださいました。なるほど、利用者はこういう反応をするのかと納得させられます。毎回、実務担当の方の力添えのおかげで、私のような素人でも研修が成り立っています。皆さんの協力に感謝です。

チームで考える英語科

先週、私立の中高等学校で授業アドバイスを行ってきました。

夏休み前ということで、子どもたちの様子が気になります。朝から集中力を失くしている子どもが目立つ学級と、ほぼ全員が集中している学級があります。1年生のように学年全体が比較的よい状態であっても、学級差があるのです。実はこの学級差は教師の差でもあります。授業者が一方的にしゃべっている授業では子どもは厳しい状態です。この学校の子どもたちは、受け身の時間が長いと集中力が持たないのです。国語科の若手がグループを使った授業に挑戦していました。まだ、始めて2回目ということでしたが、子どもたちはよく参加していました。グループ活動の有効性を実感してくれたようです。グループ活動のポイントはまだわかっていませんでしたが、前向きな姿勢が評価できます。ゴールや目標、評価基準を意識し、グループになる必然性のある活動を目指すことで、きっと大きく進歩していくと思います。

気になる子どもが何人かいるために授業が進めにくいという学級を観察しました。確かに目につく子どもがいますが、この日は、たまたま落ち着いていたということで、それほど問題となる状態ではありませんでした。それよりも、意欲のある子どももたくさんいるのに、その子どもたちが活躍する場面があまりないのが気になりました。受け身の時間が続き、次第に集中力が落ちてきます。活動を小刻みにして、作業を適宜入れるといった変化を与えることが、この子どもたちの集中力の持続に効果的だと思います。便覧などを使って活動をさせようと思っても、手元に準備していない子どもがその度にロッカーに取りに行きテンポが悪くなります。実物投影機などを使うことで解決できる問題ではありますが、各教室ですぐに利用できる状況ではないので、なかなか活用が進みません。この点を改善できるように働きかけたいと思います。
気になる子どもは、先生が注意をすると、かえってその後まわりの子どもに声をかけたりしてじゃまをします。ペアレントトレーニングの発想で、気になる行動でも他者に影響を与えないものはできるだけ無視して、その行動が収まった時にほめ言葉をかけることを提案しました。やる気のある子どもがたくさんいる学級なので、その子どもたちにとってよい授業をまず目指すことが大切だと思います。

この日は英語の授業のアドバイスが主目的でした。授業前に英語科の先生からGDMについて質問が出ました。以前に紹介したことがあったのですが、今回は非常に熱心です。学力は全般的に低いのに英語力だけが非常に高い子どもがいて、聞いてみると中学校時代はGDMで学習していたというのです。この子どもにこれだけの力をつけるということは本物だと興味を持ったのです。同じ学校の出身者が何人かいるようですが、英語力はみな高いようです。子どもたちから授業で使っていたワークシートを手に入れたりもしていました。英語科で話を聞きに行きたいと非常に前向きです。先生方は授業スタイルがよくわかっていなかったために、ワークシートが主体だと思われていたようです。私から、授業のスタイルを説明した上で、次回訪問時に資料をお渡しし、概略を理解していただいた上でこの先どうするかを決めることにしました。
高校1年生の授業は、前回私が提案したバディ(相棒)を活用したグループ活動が中心でした。
子どもたちは英語の授業に期待感があるのでしょう。復習問題をやっている時でも、集中力が違います。この日のグループ活動は、友だちのプロフィールを聞きあって、そのプロフィールを元に紹介文をつくるというものです。ペアで会話をし、質問する側の子どものバディはプロフィールを聞き取りメモして渡します。授業者は「しっかりメモしてあげないとバディの人が紹介文をつくれなくて困っちゃうよ」とプレッシャーをかけます。「大変だあ」という声が上がります。子どもたちは決して後ろ向きな姿勢になったわけではないのですが、「しっかり助けてあげてね」といった前向きな表現で伝えたいところです。この活動で気になるのが、プロフィールを質問される子どものバディに明確な役割がないことです。4人のうち1人が手持ち無沙汰になってしまいます。授業者は会話の時の視線や表情などにも注意をするように指示していたので、バディのよかったところを伝えるといった役割を与えるとよかったでしょう。
中には活動にうまくは入れない子どもがいます。授業者はその子どものところに行き声をかけます。ここで意識してほしいことは子ども同士をつなぐことです。参加できない子どもだけに声をかけると、他の子どもたちはその子どもは先生がかかわってくれるから自分たちには関係ないと思う危険性があります。こうならないために、必ず他の子どもにも声をかけ、一緒に活動するように働きかけてほしいと思います。
子どもたちは、積極的に活動しますが、テンションが高めなことが気になります。この活動の評価基準が明確でないため、活動そのものが目的化していることが原因のようです。このことにも注意が必要です。
早く終わっているグループが遊び始めています。授業者はいったん活動を止めて、追加でオリジナルの質問を考えるように指示をしました。ところが、子どもたちはなかなか集中しません。いったん集中が途切れてしまったことと、とりあえずやるべきことは終わっているからと気持ちが弛んでいることが原因です。最初からオリジナルの質問までをゴールにして、進め方を、まず用意された質問をする、次にオリジナルの質問をすると2段階にするとよいでしょう。途中でも第1段階が終わっていれば、紹介文をつくる活動に移ることができます。子どもたちは、遅くても待っていてもらえると安心しているところがあります。そうではなく途中で終わることもあると意識させて、素早く進めなければと集中力をアップさせることも必要なのです。
授業者は、最後に「バディを頑張った人」と聞いて挙手させました。高校生ともなるとなかなか自分で頑張ったとは手を挙げません。ここは、「バディがいて助かった人」と聞きたいところです。この他にも評価の視点をたくさん用意しておいて「バディが○○できていた人」といくつも聞いてあげれば、バディの仕事の必然性も生まれてきます。

空き時間の英語科の先生が何人も参観していました。授業後も手の空いている先生方が集まって一緒にアドバイスを聞こうとしてくれます。この学校の英語の授業をよくしていこうとチームで考えています。これはとても素晴らしいことです。今はグループを活用することで子どもたちの授業への参加を促していますが、一歩を進んで英語力をどうつけていくかに悩んでいます。その突破口としてGDMが使えないかというわけです。GDMが活かせるかどうかは別にして、こういう前向きな姿勢であれば、必ずよいものが生まれてきます。この学校にあった英語の授業メソッドがきっとできることでしょう。私もできるだけのお手伝いをしたいと思っています。

子どもの姿と授業のずれを感じた中学校

先週、8月に現職教育を予定している中学校へ授業参観と打ち合わせに出かけてきました。ご存知の方も多いかと思いますが、私は学校での講演は原則として授業を見せていただかなければ引き受けないことにしています。子どもたちの様子を見ないでお話をしても、学校の実態に合った話ができないからです。今回も講演を依頼されたのですが、現職教育の内容として講演がよいのかどうかの検討も含めて授業参観をお願いしたところ、すぐに快く承諾していただけました。ありがたいことです。

子どもたちを見た第一印象はとても落ち着いていることです。この市の公立校への訪問初めてですが、なかなかのものだと思いました。ところが、教室を回っているうちに違和感を覚えました。子どもたちの状態と先生方の授業にずれがあるのです。
先生方は子ども一人ひとりを見ていません。音楽の授業では、伴奏をしている教師は譜面ばかりを見ていました。授業規律の徹底も意識されていません。子どもたちに鉛筆を置いて顔を上げるようにと指示をしても、全員の顔が上がらないのに話し始めます。また、子どもたちの発言をポジティブに評価する場面にも出会えませんでした。なるほどと受容できる人はいるのですが、教科としての価値づけがなされないのです。
このような授業ばかりだと、ふつうは子どもたちの状態はあまりよいものにはなりません。今はまだよくても、秋ごろには崩れる学級が出てきてもおかしくありません。しかし、この学校ではそのようなことは起こらないというのです。端的に言うとこの学校は子どもたちの質がよいということです。市内でも1、2を争う学力の子どもたちで、地区も落ち着いているそうです。市内には生徒指導上問題を抱えている学校もあるようですが、そういった心配のない学校なのです。ですから、先生方が特に意識をしなくても子どもたちは前を向いて落ち着いて授業を受けてくれます。先生方からは子どもたちにこうなってほしいという思いが感じられません。この学校に対する感想は一言、「もったいない」です。

校長は私と全く同じ思いをこの学校に赴任してきてすぐに感じたそうです。子どもたちに望めば、もっと高いところに到達できるのに、現状で満足しているのが残念です。特に何かしなくても子どもたちは落ち着いているので、授業に工夫が見られません。それどころか、本来忘れてはならない基本もおろそかになっています。体育のプールの授業では、子どもたちが泳いでいるところちゃんと見ていない場面がありました。事故の危険性のある体育ではあってはならないことです。子どもがちょっと羽目を外してふざけている時でもどの先生も注意をしませんでした。また、このままではこの学校しか経験のない若い先生が次の学校に異動した時に苦労することが見えています。私にお声がかかった理由がわかった気がしました。この危機感を管理職や教務主任、研修主任は共有できているようです。具体的にどのようにしていくかが課題です。

この学校にはユニークな授業研究のシステムがあります。教科・年齢の違う3人を組みにして、一緒に指導案をつくり、その授業を互いに見合うのです。このシステムには講師の方も参加します。講師の方の研修をどうするかが課題となることが多いのですが、一つの解決の方法だと思います。
この日はたまたま研修主任のチームの理科の講師の授業研究が行われていました。研修主任と一緒にこの授業をじっくり見せていただきました。酵素の働きの学習で、酢豚に入っているパイナップルがたんぱく質を分解することを実験するというものです。導入でパイナップルの入っている酢豚の写真を見せます。子どもたちは興味を示します。授業者はお店の話を交えながら酢豚にパイナップルが入っている理由を考えさせます。ワークシートに答を書かせますが、ムダな時間です。考えようにも根拠となる知識や資料がないので、思いつくことを書くだけです。そして、それを発表させて板書もします。ここまでは理科の授業としては何の意味もない時間です。そんなことに10分も使ってしまいます。しかも、板書には酸味を抑えるといったことが並ぶばかりで、この授業のねらいにつながるような「肉を柔らかくする」といった意見は出できません。それなのに授業者は、「今日はみんなに実験をしてもらう」と言って、コラーゲンにパイナップルをつぶした汁をかけて様子を見るという実験のやり方を説明します。何のための実験かは伝えません。そもそも、子どもたちは思いついたことを言っただけで特に疑問を感じているわけではありません。突然実験をすると言われても何がなんだかよくわかりません。発想は面白いのですが、理科の授業として何が大切か、どこに重点を置くべきかといった構想力に欠けていました。
パイナップルの入っている酢豚を見せて興味を引き、「何でパイナップルを入れているのかな」と全体に質問し、思いついたことを何人かに言わせます。「実は、肉を柔らかくするということを聞いたことがあるんだけど、みんなどう思う?本当だと思う人は○、そんなことはない嘘だと思う人は×をノートに書きなさい」と野口芳宏先生方式で進め、「○の人も×の人もいるね。こじゃあみんな、この時間は理科の時間だから、自分の意見が正しいと科学的に証明してほしいと思います。どんな実験をすればいいか考えてください」とすれば、導入は5分もかかりません。子どもたちに少し時間を与えて個人で考えてもいいし、グループで相談させてもいいでしょう。肉をパイナップルの汁につけるといった意見を出させてから、肉ではわかりにくいから、肉がタンパク質でできていることを確認した上で、たんぱく質の一種であるコラーゲンを使うとして実験を説明します。ここで、○×それぞれが正しいと証明されるには実験結果がどうなればいいのかを確認しておけば、結果がどうなるか興味を持って参加できると思います。
授業者は、子どもたちに背を向けて手順を板書し始めます。だれも黒板を見ません。子どもたちの集中力は一気に落ちます。あたりまえです。ワークシートには同じことが書いてあるからです。あらかじめ黒板に書いておいて隠しておく、紙に印刷しておいて貼る、ディスプレイに映す、いろいろ方法が考えられます。意味のないことに時間を使わないようにするべきです。子どもたちを授業者に集中させたいなら、ワークシートを配ってはいけません。手元に意識がいってしまうからです。こういったところにも配慮が必要です。
子どもたちは実験の手順を知らされただけで、目標も評価の基準も明確ではありません。一部の子どもだけがパイナップルをすりつぶしていますが、それを見ていればまだしも、ぼうっとしている子どもが多数います。当然と言えば当然ですが、子どもたちが落ち着いているといっても集中しているわけではないのです。
研修主任は実際に子どもたちの姿を見ることで、このことを理解してくれました。自分の数学の授業でこの視点を意識して子どもを見たところ、落ち着いているが集中していない子どもが結構いることに気づいたそうです。また、教科の視点で価値づけすることが必要だという私の話を聞いて、子どもの考えを数学的に評価してみたところ、評価された子どもはとてもうれしそうな表情をしてくれたようです。時間がなくて次の時間に持ち越したそうですが、授業後に子どもたちが黒板の前で説明を聞き合っている姿が見られたそうです。こんなことは初めてだと驚いたそうです。驚いたのは私です。その日のうちに試してみるというのはなかなかできることではありません。素直で前向きな証拠です。また、子どもたちも先生が望めばとても素晴らしい姿を見せてくれるということです。このことに気づいていただければ学校は大きく変わっていくと思います。

研修部の先生と教務主任を交え8月の現職教育をどうするか打ち合わせを行いました。実際の授業の子どもたちの様子を定点で撮影したビデオ用意して、それをみんなで見ながら私が解説するというのはどうだろうかといったユニークなアイデアも出てきました。その案も含めどのように進めるか、先生方で企画を練って提案してくださるそうです。講師におまかせというのではなく、自分たちにとって有意義なものにしようと考える姿勢はとても素晴らしいと思います。どのような形の研修になるか、私にとっても新鮮なものになることと期待しています。

学校からの現職教育の依頼は口コミが多いのですが、今回はどういう経緯なのか全くわかりませんでした。校長にお聞きしたところ、実はこの日記を数年前から読んでくださっていて、機会があればと考えていたそうです。以前の学校は生徒指導上の困難を抱えていてその機会がつくれなかったが、この学校に異動になって実現したということです。とてもうれしい話でした。校長は子どもたちの問題も教師の問題も実によく把握されていました。日ごろから校内の様子をよく観察されています。学校の課題解決に校長としてどのように取り組むかのビジョンが感じられます。いろいろな意味で楽しみな学校です。次回の訪問も私にとって多くのことが学べる1日になると思います。素敵な出会いに感謝です。

授業の進め方について考えさせられた1日(その2)

前回の日記の続きです。

6年生の算数は3年目の先生で、拡大縮小の授業でした。
子どもたちとの関係をつくることのできる方です。子どもたちが話を聞く姿勢になるのを待ち、最後の子どもの顔が上がった時に笑顔でうなずきました。経験年数の少ない方でこういったことが自然にできる方にはなかなか出会えません。ワークシートを配る時には「ありがとう」を言って子どもたちに手渡します。子どもたちも互いに受け取る時にありがとうを言います。よい習慣ですが、全員がありがとうを言えていないことが気になりました。おそらく最初は全員が言えていたと思いますが、しだいにゆるくなってきたのでしょう。先ほどの笑顔のように、何らかの評価をしてよい行動を強化維持することが必要です。
子どもたちに方眼紙を使わずに拡大縮小をするために「使えそうな道具」を考えさせます。前の時間に合同な三角形の描き方の復習をしたそうですが、もう一度最初に確認しておきたいところです。その日の授業で使う知識は最初に復習や確認をして、子どもたちの足場をそろえておくことが大切です。この授業であれば、拡大縮小の性質も押さえておきたいところです。
指名された子どもが「定規」と答えると、それに対して「いいです」と返ってきます。自分と同じ答だからいいではなく、算数的な根拠を意識させたいところです。数学の作図における定規は、直線を引くものです。長さを測るというのは、また別の使い方です。小学校ではあまりこだわる必要はありませんが、何に利用できるかは押さえておく必要があります。コンパスも、円を描く、同じ長さをつくるという2つのことを押さえておきたいところです。授業者は「定規」「コンパス」「分度器」以外の答も受容しますが、黒板には書きませんでした。受容はしているけれど結果的には無視です。それぞれがどういう理由で必要なのかといった根拠を元に、その道具がなくてもよさそうだと納得させる必要があるように思います。
指定した三角形の3倍の拡大図を個人で描かせます。途中で、できた子どもには他の描き方に挑戦するように指示します。最初に指示をしておくか、作業を中止させてから指示をすべきでしょう。授業者は3パターンあるという表現をしましたが、パターンという言葉が子どもたちどう伝わったかが気になります。元の三角形は、3つの辺の長さ、3つの角の大きさがすべて与えられています。従って、基本的に描き方は7通りになります。できるだけたくさんの方法で描かせて、それをパターンに分類することが算数的な見方・考え方を鍛える活動になります。授業者は、無意識に自分の考える結論に誘導しようとしていました。
続いて、グループで描き方を話し合うのですが、その活動の目標がはっきりしません。子どもたちは、自分の描き方を説明します。違うやり方の友だちに、自分の描き方をわからせようとテンションを上げる子どもの姿を目にします。できる子どもが自分の考えを友だちに教えることが目標のようになっていました。明確なゴールがないので、次第に子どもたちのテンションがおかしくなってきました。どの描き方がいいのかを話しているグループがありましたが、意味のない議論です。根拠がありませんから、テンションばかりが上がっていました。
指名した子どもが前に出て図を描きます。授業者は「描き方があっているか見ていてあげて」と子どもたち声をかけます。「あっているか」という表現はチェックの視点です。「自分の描き方と比べてみて」「同じかどうかよく見て」といった表現にしたいところです。
指名された子どもは、授業者の指示に従って基準となる長さを大き目にとって作図を始めたのですが、黒板での作業はとても時間がかかります。しかも、基準が長すぎて計算した長さにコンパスが開かなくて立ち往生してしまいました。授業者は事前に基準となる長さどのくらいとればよいかチェックしていなかったようです。焦った授業者は子どもを席に帰し、「○○さんと同じやり方で描く」と言って作図をしましたが、描き終ったあとに本人にこれでよかったか確認をしませんでした。○○さんと同じと言った以上、確認することが必要です。
大きく描くことは子どもたちにとってはとても難しいことです。実物投影機を使える環境にあったので、これを利用するとずいぶん状況が違ったと思います。
続いて他の描き方に移りましたが、今度は子どもに指示を出してもらって授業者が描きました。先ほどの子どもにもそうすればよかったところです。子どもの指示は決して正確ではありません。時間がなかったせいもありますが、授業者はとても物わかりのよい教師になっていました。「片方に角を・・・」と言われると子どもが思っている方に角を取ります。ここは、子どもたちに考えさせるためにも、物わかりの悪い教師になって、わざと角の場所を間違えたりしてほしいところです。反転した図や斜めの図を描いたりして、これではダメなのと聞き返すことで、子どもたちの視野も広がります。また、子どもたちのほとんどは、底辺を元に作図していましたが、こういった揺さぶりをすることで、他の辺を基準にしても描けることに気づいてくれたと思います。
時間がなかったせいもあり、拡大縮小の性質と、合同な三角形の作図を組み合わせて考えることの算数的な価値づけをすることができませんでした。授業のねらいを明確にし、そこを軸にして授業の構成や時間配分を調整することが大切です。算数の授業の基本的な進め方をもう一度勉強してほしいと思いました。
授業者の基本的な授業技術がかなりしっかりしていたので、教科の内容についてじっくりと考えることができた有意義な1時間でした。

もう一つの6年生の授業も算数で、表を使ってすべての場合を調べて考える単元でした。7年目の先生です。
前時の復習で、表を使うとわかりやすいということを子どもたちから引き出しました。しかし、「わかりやすい」がどういうことか明確になっていません。いろいろな場合がある時やすべての場合を調べなければいけない時に、過不足なく調べるためには表を使うとわかりやすいことを押さていません。おそらく、前時も「これで全部」「もう他にはない」といった揺さぶりをしていないのだと思います。
この日の課題は、与えられた数の板で地面を囲って花壇をつくったとき、面積を最大にするにはどうすればよいかというものです。問題文を読んでから教科書を閉じさせ、グループで問題の要素を確認させて問題把握をさせますが、この活動は覚えられなかった子どもは参加できません。友だちに聞いたからと言って正しいかどうかも判断できません。あまり意味のないグループ活動です。
挙手指名で子どもに発表させました。問題文の「面積」という言葉が足りなかった発言に対して、その言葉を足してくれた子どもを「すばらしい」とほめました。覚えていることをほめることは、算数の評価としてはあまり意味のあるものではありません。問題文を1回読んで覚えることができた子ども、挙手する子ども、一部の子どもだけで授業が進んでいきます。また、この問題は、要素を言葉でまとめても、状況がどういうものかを図に描けなければ理解できません。実際に板を用意して花壇をつくってみることが大切です。教科書のイラストで課題を把握してもいいですが、読み取る力をつけたいのであれば、問題文だけを見ながら、どういう状況か図に表わす作業を全員参加でていねいにするべきでしょう。
花壇の形は縦と横が変化すること、その面積は縦×横になることを授業者が説明します。全員が問題把握をできていないのに、一番肝心なところは全部授業者が教えていました。
変化するものを表にしなければいけないからと、「縦」「横」「面積」と項目が書きこまれた表を全員に配ります。表の項目をどうすればいいのかを考えるのが大切なのですが、これも教師が与えます。子どもは何も考えずに表を埋めるだけなのです。表の横の欄の数が1つ少なかったと訂正をしました。過不足のない表を最初から与える予定だったということです。「これで全部」「もう他にはない」といった発問は考えられていないということです。
表を埋めた後、グループになります。答の確認のために板の代わりのひごをグループに与えました。この道具は問題把握の場面で使いたかったところです。表から気づいたことを話し合うというのですが、答以外に何を話していいかわかりません。単なる作業の報告です。友だちの話を聞かずにひごで遊んでいる子どもいます。答の確認が終われば子どもたちはすることがありません。ムダ話をしている子どもとひごで遊んでいる子どもが目につきました。
この課題で何を考えさせなければいけないのか、課題解決に必要な力は何かを授業者は理解していませんでした。授業者の指示通り作業して答を出す時間になってしまいました。
答えが出ればいい。できるだけ間違えずに答を出せるように指示をして作業をさせることが大切。そんな授業観に感じる算数の授業によく出会います。自分で考え、困ったり、間違えたりすることを通じて、わかった、できた喜びを感じさせるような授業を目指してほしいと思います。

授業技術ではなく授業の進め方、教材研究について考えさせられた1日でした。教材研究はこうすればうまくいくというものを提示することがなかなかできません。「教科書をよく読んで」といっても、理解する力がなければ何ともなりません。私が単元すべてを一つひとつ解説するわけにもいきませんし、「自分で勉強して」と突き放してもなかなか難しいものがあります。仲間で学び合う風土をつくるくらいしかよい手が浮かびません。大きな課題を突き付けられたように思いました。

授業の進め方について考えさせられた1日(その1)

先日、小学校で若手中心に4人の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

5年生の外国語活動の時間は3年目の教師でした。
”How many 〜?”を使った表現の学習時間でした。復習で、フラッシュカードを使って子どもに数を英語で言わせます。1〜10まで、11〜20までをそれぞれ順番に、次に逆順で言わせます。子どもは元気に声を出していますが、授業者が子どもの口元をしっかり見ていないのが気になります。また、常に順番なので数と英語が直接結びついているのか気になります。フラッシュカードをランダムに使えって練習すれば時間もかからずいいのですが、いったん止めてフラッシュカードを黒板に貼りはじめました。それから指さした数の英語を言わせる活動を行いました。カードを黒板に貼っている時間がムダですし、その間子どもたちの集中力が下がっていくのがわかりました。また、ここでも授業者は黒板に貼ったカードばかりを見て、子どもたちを見ることができていませんでした。
子どもたちは、思った通り、数と英語がダイレクトにつながっていません。先ほどと違って素早く反応できません。数と英語が結びつくようになる活動が必要です。ボールやブロックなどの実物を用意して、その数を英語ですぐに言わせる。英語で言った数を指で示すといった活動をもっと行うべきでしょう。
デジタル教材のチャンツを使って“How many 〜?”で数を聞いて答える練習を行います。一通り練習してから、”How many 〜?”の意味を問います。挙手、指名して「いくつ」という日本語を言わせましたが、あまり意味のあることではありません。自信がないのかほとんどの子どもが挙手をしません。答えたのは知識のある子どものようでした。せっかくチャンツを行った後なのですから、具体的な場面で子どもたちに質問して答えさせれば、意味がわかっているかどうかは確認できます。子どもに活動をさせながら、自分でわかったという感覚を持たせたいところです。
授業者、”How” “How”、“many” “many”と区切って読んだ後、”How many” “How many”と言わせるなど、いろいろとリズムを変えて練習します。工夫をしているように見えるのですが、本質がよくわかっていないようです。短く区切るのは、一つひとつの単語の発音を確認するため、連続するのはイデオムとして一続きの言葉と認識させるためです。子どもの反応や口元を見ながらスピードやリズムを変えるのが普通ですが、授業者は子どもを見ずに、なんとなく恣意的にリズムを変化させていたようです。”How many”としっかり言えているのに、また区切って練習させていました。
この日の主活動は、”How many apples?”を使ったビンゴです。悪しきビンゴの活用がこの市では蔓延しているようです。
複数形をまだきちんと学習していなかったのでしょうか。意図的かどうかわかりませんが、授業者は”How many apple?”と”s”を落としていました。ワークシートを配って活動の手順を説明します。自分の決めた数だけ、かごに入ったりんごの絵を赤く塗ります。塗ることの意味が今ひとつわかりません。英語活動の本質に関係ないことに時間を使いすぎているように思います。10までの数と、11〜20までの数の2回ビンゴを行います。授業者は数の表現の練習をたくさんしたかったと言いますが、子どもたちは何度も”How many apple(s)?と同じ質問をし、決まった数を答え続けるだけです。授業者は私に指摘されてこの事実に初めて気づいたようでした。
この時間で授業者が子どもたちを具体的にほめる場面がほとんどありませんでした。私たちが見ているので緊張していたのでしょうか。笑顔もほとんどありません。それでも、子どもたちのよい表情をたくさん見ることができました。休み時間に一緒に遊んだりして、授業以外の場面で子どもたちとのコミュニケーションがとれているようです。このことは決して悪いことではありませんが、授業の中でしっかりとコミュニケーションをとれないと、子どもたちは授業に集中しなくなっていきます。このことを意識してほしいと思いました。

初任者の算数の授業を見ました。2年生の担任です。
テープ図を使っていくつ数が増えたかを考える場面です。ちょっと緊張気味でしたが、明るく子どもたちと接しています。1人、気になる子どもがいました。授業の最初、体を机の上に投げ出してごそごそしていました。指示されても教科書のページをすぐに開きません。授業者が気づいてページをめくってあげます。また、プリントを配る時におかしな行動をとります。この子どもは自分の分のプリントを取らずに後ろに送ります。授業を拒否しているのかと思いましたが、どうやらそうではありませんでした。あとから、授業者に申し出てプリントをもらっているのです。先生にかまってほしい子どものようです。どこまで授業中にこの子どもとかかわるべきかの判断は個別の状況がわからないので何とも言えませんが、あまりかかわりすぎないように注意をする必要があると思います。
花が昨日は8個、今日が25個咲いていて、何個増えたかという問題を、テープ図を使って解きます。テープの長さをどれだけにするかを子どもたちに確認します。目盛りがついている台紙の上で8の長さはこれでいいかを子どもたちたずねます。長いテープを見せると子どもたちはダメだと言いますが、その理由がわかりません。基準の長さを示していないので判断はできません。子どもたちは台紙の目盛りを元に判断したのでしょう。続いて台紙の4目盛り分の長さを示した時「いいです」「ダメです」に分かれました。しかし、授業者はこれでいいと進めてしまいました。「ダメです」と言った子どもは目盛りの数が違うからそういったのでしょう。算数の指導としての是非はともかく、意見が分かれれば子どもたちに発表させ納得させなければいけません。基本的な姿勢に疑問を感じます。そもそもテープ図に目盛りをつけないのは、目盛りがあればそれを読むことで答を見つけることができてしまうからです。テープの関係に目をつけて、求める部分の長さはどのような演算で求められるかを考えるためのものです。目盛りを使うのであれば、ブロックでよいのです。授業者は、子どもが図を写すための目安として目盛りを用意したのですが、その意図は子どもにはわかるはずはないのです。子どもの混乱を誘発します。
続いて、8の長さを今日のところにそのままおろして書くように指示します。なぜ8をそこに書くのか子どもはわかりません。言われて作業をするだけです。中には、長さがおかしくなっている子どももいます。授業者は教科書の図に8(個)が書きこまれているので、同じ図にするために書かせたのかもしれませんが、思考の過程が全くわかっていません。続いて25を書きこむように指示しましたが、8の横に25としてしまう子どもが出てきます。この間違いは授業者が誘発しています。もし、8個を基準として考えさせるのであれば、「昨日は8個だったんだね。それが1個咲いて9個になって・・・」とテープを伸ばしながら、「・・・どんどん咲いて、何個になったんだっけ?」と問いかけ、「25個」「そう、25個になったんだね」とテープを貼って、「どこからどこまでが25個?」と確認すればいいのです。
または、「今日はいくつ?」と聞いて、昨日の8(個)の下に25の長さのテープを貼って、25(個)とした後、昨日と今日を比べて、「増えたのはどこ?」とたずねて、8個の長さを線で下につなぐか、移動して重ねれば関係はすぐにわかります。1年生でやった「違い」を考える時の発想です。
いずれにしても、1年生で引き算をどのように学習してきたかを踏まえて、授業を組み立てるべきです。しかし、授業者1年生の教科書を見てはいませんでした。経験のあるものでも、どのように学習してきたかを教科書で確認するのは当たり前です。初任者ならなおさらのことです。高いものではないので、小学校の6年分の教科書、できれば中学校の3年分も手元に置いておいてほしいと思います。
机間指導も中途半端なものでした。子どもたちの何を見るのかを自分の中で明確になっていません。自分でポイントを意識していないと漫然と見ることになります。間違えている子どもを見つけると個人指導に入ります。まず、どのくらいの子どもが間違えているかを判断しないと、手が回らなくなってしまいます。
厳しいことを書きましたが、子どもにとっては担任が初任者かどうかは関係ありません。1人の教師として責任を持って指導しなければなりません。授業者は私の指摘を真摯に受け止めてくれたように見えました。もうすぐ夏休みです。気分をリフレッシュさせ、2学期に向けてどのように授業をつくっていけばいいのか、もう一度基本からじっくり考え直してみてほしいと思います。

残り2人ついては、次回の日記で。

学年のチームワークを感じる

先週末に、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。期末試験も終わり子どもたちが弛みやすい時です。子どもたちがどのような様子か気になりました。

心配していた1年生ですが、4月と比べるとずいぶん落ち着いてきました。授業規律も心配のないレベルになっていました。先生方が授業規律を意識しているのがよくわかります。指示が徹底できるまできちんと待ち、その間しっかりと子どもを見守っています。
ちょうどこの日から、生活をきちんとしようという学年のキャンペーンが始まったところでした。先生方との関係がいいのでしょう。子どもは素直に意識しているようでした。このように学年全体で子どもたちに対しての接し方を共有できています。
若手の数学の授業で、子どもたちが積極的に学ぼうとする姿を見ることができました。授業者の表情にも笑顔があります。よい関係がつくられているのがわかります。

2年生は、教師によって子どもの様子が異なることが以前から気になっていたのですが、その差が大きくなってきたように感じます。例えば、数学の授業は2学級を3つに分割しておこなっていますが、授業者の個性の違いが明確にあっても、どの授業も子どもたちの前向きにわかりたいという気持ちが見て取れます。3年生と比べても子どもたちの集中度は負けていません。その一方で、ある授業では、子どもたちは授業者の方をほとんど見ていません。指示されたことはちゃんとやるのですが、授業者の説明が続くとすぐに集中力を失くします。またその授業者もあまり子どもたちと視線を合わせていません。このように、授業によって全くその様子が違うのです。
総合的な学習の時間は担任が担当しています。この時、異常にテンションの上がっている学級があります。担任が学級をコントロールできていないことが気になりました。
初任者の英語の授業は、子どもたちを見る余裕がまだありません。学級全体の様子を見ることができていないので、子どもたちの集中が続きません。表情もどうしても硬くなります。まずは、子どもを見ることを意識するようにお願いしました。
若手の国語の教師は、子どもたちとの相性があるように見えました。学級によって子どもたちとの関係の違いが目立つのです。授業規律をきちんとしなければという意識が強いため、どうしてもできていない子どもに対して、ネガティブな態度をとりがちです。注意や指導が増えてしまい、表情も厳しくなります。こうなると子どもたちとの関係も悪くなり、注意する場面が増えてしまいます。こちらを注意すると、今度はあちらとモグラたたき状態になってしまうのです。授業者の持ち味であるはずの笑顔も消えてしまっています。もともとは一部の子どもが授業規律を守れずに注意をしたことから始まったことだと思います。ちょっとしたことがきっかけで負のスパイラルに陥ってしまったのでしょう。少し気持ちを変えて、できないこと減らすのではなく、できることを増やすよう努めてほしいとお願いしました。学級によってはこのことができていますから、気持ちを切り替えるだけです。
昨年度講師で、今年度正規採用になった理科の教師は、初めて担任を持ったこともあり、初任者研修と合わせて余裕のない状態が続いていました。しかし、この日は表情に笑顔が戻り、授業も子どもたちをしっかりと見て進めることができていました。自分のペースを取り戻すことができたのでしょう。昨年度の後半で見せてくれた子どもが集中する授業ができるようになっていました。ちょっと一安心です。
今年度異動してこられた方の社会科の授業は、子どもたちの活動をしっかり見ていることが印象的でした。以前は意味なく机間指導をしていたのですが、その代わりしっかりと全体を見るようになりました。子どもたちも落ち着いて授業に参加しています。グループ活動で子どもたちの集中が切れた時に活動を止めて次の活動に移るといった、子どもの様子を見て活動の切り替えの判断ができるようになることが、次の課題でしょう。アドバイスを素直に聞くことのできる方ですので、どんどん成長していくことと思います。

3年生は、全体としてはよい状況です。男女の仲もよく、この時期でも学級全体がよく集中して学習に取り組んでいます。しかし、自分なりに頑張ったのに期末試験で結果が出なかった子どもでしょうか、ちょっとやる気がなくなってきている、落ち込んでいる子どもがどの学級にもいるように見えました。担任の先生はそのことに気づけていると思いますので、ぜひケアをお願いしたいと思います。
若手の社会科の授業で面白い場面がありました。授業の導入の場面で、前時の復習をします。以前は、子どもたちのテンションを上げるような話を導入でしていたのですが、学習に直接関係のある導入に変わっています。意識してくれていることをとてもうれしく思います。ところが、学習意欲の高い3年生なのに、あまり集中して聞いていません。これはどういうことかと見ていると、本時のめあてが提示され、板書されると顔が上がり集中していきます。子どもたちは授業の流れをよく知っていて、復習の場面は参加しなくても大丈夫と判断していたようです。授業者はこのことに気づいていました。子どもたちをちゃんと見ています。子どもたちのこの態度をどう評価すべきか意見は分かれそうですが、とにかくその事実に対して何らかの対応が必要でしょう。一つは復習の場面でたくさんの子どもを指名して授業に参加することを求める。もう一つは、できるだけ早くその日の課題を提示して本題にすぐに入るという方法があります。とりあえず、後者の方法を取ってみることを授業者と話しました。授業者は少しずつですが、進歩しています。授業改善の意欲を感じました。これからが楽しみです。

この日も、何人かの数学の教師と勉強会を行いました。これから授業に入る1次関数に関連して、教科書の内容とポイントの確認を行いました。最近の教科書では、変化の割合(変化率)についてページを割いています。その背景と、変化の割合の正負で増減がわかることの押さえの大切さ。なぜ反比例でわざわざ変化の割合を調べるのかといったことについて話をしました。このことを元に彼らがどのような授業を組み立てるのか、次回の訪問がとても楽しみです。

学年ごとにいろいろな課題を持っていますが、先生方がチームで対応してくれていることを感じます。もちろん先生個人の問題もありますが、そのことをきちんと把握している方が必ずいて、なんらかの支援をしようとしてくれています。ちょっと難しいのが、ベテランが問題を抱えている時です。なかなか年下の方からは話を切り出しにくいこともあります。私の出番はそういうところにありそうです。今後、管理職や主任と相談しながら対応を考えたいと思っています。

多くのことに気づけた授業参観(その2)

昨日の日記の続きです。

4年生の道徳の授業は、マラソンの高橋尚子選手についての読み物教材を使ったものでした。
オリンピックのポスターを準備して、何のポスターかをたずねます。1人を指名して「オリンピック」という答が出ると、「賛成」の声が上がります。挙手の数に対して声の数の多いことが気になります。
教材を範読しますが、淡々と読んでいきます。読み終ると、話の内容について確認します。一問一答がしばらく続きます。授業者は発言者をしっかりと見ていまが、全体の様子を見ることはしていません。子どもたちは、授業者の板書で確認ができるので、あまり真剣には聞いていませんでした。
結果が出なかった時の主人公の気持ちを考えさせるのですが、子どもたちはあまり深く考えていません。「頑張っているのに、いつも予選落ちだよ」「悔しくて、つらくて泣きながら走っているんだよ」「もう走るのは嫌になるよね」と主人公の気持ちに入り込ませるよう働きかけ、「それでも、また走ろうと君たちなら思える」といった迫り方をすると、子どもたちがより深く考えてくれたのではないかと思います。
読み物教材は、主人公の姿を借りて自分がこれからどのようにしようかと考えることが大切です。「高橋尚子のように、結果が出ないかもしれないけれど挑戦できる?」「挑戦し続けることに価値があるって本当?だれも認めてくれないかもしれないよ」といった揺さぶりをしながら、自分なりの考えを持たせ、友だちのいろいろな考えに触れながら少しずつ心を耕していくようにしたいものです。

もう1つの4年生の授業は国語で、俳句をつくる場面でした。
授業者は、子どもの言葉をたくさん引き出し、それをもとに進めていこうとしています。とてもよい姿勢です。夏のイメージを広げるために、夏休みから連想する言葉を引き出そうとしている時に、「自由研究」に対して、「あっあ」と反応する子どもがいました。授業者はそれを取り上げませんでしたが、こういった子どもの反応を「今反応してくれたね。それってどういうこと」と全体の場でとりあげることで、発言がつながっていきます。私的な発言を公的なものにするという発想も持てるといいでしょう。また、子どもの発言に対して、授業者が勝手に別の言葉を足す場面がありました。子どもの発言は変えたり足したりせずに、できるだけそのままで扱うことが大切です。
夏をイメージする言葉を発表して、それらを使って俳句をつくらせます。五七五といった俳句の基本的なルールを確認しますが、俳句をつくる目標が明確になっていません。これでは、友だちの句について感想を発表させても、その視点も定まりません。句を読んだ人が、「夏の風景が目に浮かぶ」「『あぁ、夏だなあ』と感じる」といった具体的な目標が必要です。そして、目標達成のために、どのような工夫をするかを考えることを求めます。ここで、今までの学習の積み重ねが効いてきます。これまでにやった俳句の授業を振り返って、どんな工夫があったかをもう一度整理するのです。活動に対しては、目標達成のための手段を与えることを意識してほしいと思います。目標とその達成のための工夫を意識することで、俳句をつくることも友だちの句を鑑賞することもより深いものなっていくはずです。

授業研究は、6年生の社会科でした。世界が抱えている課題を「未就学児童」の問題から考えさせようというものです。
資料の一つを声に出して読ませます。読むことで、全員に資料の内容を把握させようというのでしょうが、子どもはただ字面を追っているように見えました。子どもが読みにつまった時に授業者が助けました。このことは別に間違いでもおかしなことでもないのですが、私はこういった時に、まわりの子どもが助けてくれるといいと思っています。子どもは困った友だちを助けるのは教師の仕事だと思っています。授業者が、「まわりの人、助けてくれる?」と声をかけるだけで、子ども同士の関係は変わっていきます。
資料から読み取ったことを発表させます。「未就学児童数」という言葉が出てきますが、きちんと定義はしていません。資料を扱う時には、それが何を示しているのかを押さえておく必要があります。未就学児童とは、いくつの子どもを対象にしているのか、未就学とはどういう状況か、こういったことを明確にすることを常に意識してほしいと思います。未就学児童数が6,700万人ということが出てきます。そこに気づけなかった子どももいるはずです。そういった子どもたちは、結果を聞くだけでは、自分で資料を読み取る力をつけることができません。どこに書いてあるかを確認することが必要です。簡単な資料であれば、隣同士でその場所を指さして確認し合うといった方法もあります。また、6,700万人がどれほどの数か子どもたちに実感させる必要もあるでしょう。この市や県の児童数といった身近な数や、世界の児童の人数などを比較として出すとよかったと思います。
学校にいけない理由をヒントとなる写真を見せてグループで考えさせます。写真は「子どもが川をボートで渡っている」「子どもが働いている」「子どものそばに兵士が立っている」の3種類です。学校にいけない理由という条件から子どもは写真の場面を想像しますが、写真から読み取ったことを明確にして、それを根拠に話し合っているグループはそれほど多くはありません。資料(写真)からどんなことがわかるかをまず確認するということを指導する必要があるでしょう。また、授業者はグループで考えをまとめさせようとしましたが、個人が納得する答を持てればそれでいいというように考えてほしいと思います。
子どもたちに学校にいけない理由を発表させますが、授業者は答につながる言葉が出てくるとそれを受けて自分で説明し、用意した理由のカードを写真のところに貼ります。カードが準備されているということは教師が考える正解があるということです。こういうやり方をすべて否定するわけではありませんが、答探しの活動になりやすいことも事実です。
3枚の写真を元に理由が挙げられますが、それを補強するような資料の提示はありません。子どもが就学できない理由、経済の指標、内戦や紛争地帯などの資料を示したいところです。
子どもが学校にいけないとどういうことが起こるか考えさせるために、あらかじめ授業者が用意した、「働けない」「貧しい」「子どもが働く」・・・といった状況が絵で示された負の連鎖のカードを因果の順番に並べる課題にグループで取り組ませます。子どもたちは因果関係を考えますが、これが原因だ、結果だとはっきり言えるものばかりではありません。根拠を明確にできないので考えが収束しにくく、子どもたちのテンションは上がり気味でした。
活動終了後、各グループの結論を黒板に貼り、1グループに発表させました。答を順番に示すだけで根拠は語られないので、他の子どもたちは黒板に貼られた結論を見ることで十分です。集中して聞いてはいませんでした。授業者は、時間がないので1グループで発表を止めて、答はいろいろと考えられるけれど、学校に行けないことでこういうことが起こるとまとめました。子どもたちに何を考えさせたかったのでしょうか。結局、教師の考える負の連鎖の内容をカードから読み取る活動でしかありませんでした。グループで考える活動のように見せていますが、実は教師の考える答を与えているだけなのです。子どもたちは、自分たちが何を考えたのかよくわからないままで授業は終わりました。
また、前半の学校にいけない3つの理由と後半の負の連鎖の関係はあまりありません。唯一、貧しくて働かなければいけないので学校にいけないということが、負の連鎖の一つの例となっているだけです。1時間を通じて社会科として何を考えさせたかったのかがはっきりしない授業になってしまいました。

今回授業を見た7人全員と1時間話す時間をいただきました。皆さん、自分の授業のことでなくても一生懸命話を聞いてくれました。前向きな姿勢です。また、私の指摘を素直に受け止めてくれたのもうれしいことでした。

全体での授業検討会は、全員が指定の授業を見ていなかったことと時間があまりなかったこともあり、「授業規律」「全員参加」「グループ」に関して学校全体で感じた課題を私からお話をしました。
授業規律に関しては、授業開始時に子どもが席についていない学級や遅れてくる子どもが目についたことから、「よい行動を広げる」発想での指導について具体的に話をしました。
全員参加に関しては、わかった子どもだけで授業を進めないためには挙手だけに頼らないこと、「わかった」ではなく「困った」から出発することをお願いしました。
グループに関しては、結論をグループでまとめないこと、「話し合い」ではなく「聞き合い」にすること、グループで考える必然性のある課題とすることなどを話しました。
この日私が授業を見なかったベテランの先生方もよく反応してくださいました。短い時間でどれだけのことが伝わったかはわかりませんが、何かの参考になれば幸いです。

学校全体でユニバーサルデザインの発想で授業をつくることや、算数の授業を6年間の系統を意識したものにすることに取り組んでいます。とてもよい取り組みです。こういった取り組みを活かすためにも基本的なことを大切にして授業を進めていただけたらと思います。
今年度は、来年の1月にもう一度訪問させていただきます。学校全体がどのように変わるかとても楽しみです。

多くのことに気づけた授業参観(その1)

先日、小学校で授業研究と若手6人の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

1年生の算数の授業は、引き算の学習でした。
授業者は子どもをよく見て授業を進めています。指示も「待ってあげよう」と全員がそろうまでちゃんと待って徹底を図っています。
この日の授業は、数の「違い」の学習の最初の時間です。この時間ではどれだけ多いかを考え、次の時間で2数の「差」を「違い」として認識します。授業者はこの時間のめあてを、違いを考えることにしました。2枚の絵を順番に見せて、2種類のカエルの数の違いに気づかせて進めます。気づいたことを言わせるのですが、めあての「違い」という言葉に引きずられて、絵の違いについての発言が続きます。「数の違い(差)」という算数の用語が定義されていないので、子どもたちは日常の言葉としての「違い」に意識がいってしまったのです。教科書は、どれだけ多いということを押さえてから、数の違いを定義していきます。算数では日常の言葉と同じ言葉を用語として使います。そのおかげで概念がわかりやすいこともあるのですが、かえって混乱することもあります。このことに十分注意して、用語の定義をしていかなければいけません。この時間のめあてはあくまでも、どれだけ多いか考えることにするべきだったと思います。
授業者は、ていねいに子どもの言葉を聞きながら授業を進めますが、その言葉を他の子どもにつなぎません。そのため、その間どうしても子どもが集中力を失くしてテンポが悪くなります。子どもの発言をいつも授業者が受けるのではなく、「今の意見どう?」と他の子どもにつなぐこともすると、子どもの集中力が切れずにテンポがよくなっていくと思います。
子どもをほめることもできています。算数的なよさを具体的に評価してほめることを意識することで、子どもたちの学習意欲がより高まると思います。

6年生の保健の授業は生活習慣を考えさせるものでした。
明るい表情で楽しく授業を進めています。糖分の取りすぎを考えさせるために、ペットボトル飲料やお菓子の糖分についてクイズ形式でたずねていきます。これは知識ですので、あまり考える時間を取っても意味はありません。無責任に参加できますからテンションも上がります。興味を持たせることができれば、何問もやる必要はありません。テンポよく進めて、必要な情報を整理して与え、その知識をもとに考えさせることにもっと時間を使うとよいでしょう。生活習慣に関して、子どもたちにどのようなことに気をつけるかを考えさせましたが、このクイズに関連した食生活に関することはあまり出ませんでした。クイズで盛り上がることとその内容が知識として定着して活用されるかはまた別のようでした。
授業者は子どもを見ることをあまり強く意識していないようでした。机間指導もなんとなく回っているだけで、何を見ようとしているのかがよくわかりませんでした。子どもたちの発言中も他の子どもを見ることはしません。一問一答形式です。どの子どもにつなごうかという意識がないからでしょう。そのため、発言する子どもだけで授業が進んでいきます。子どもたちへの接し方など、とてもよいものを持っているので、少し意識を変えるだけで大きく進歩すると思います。

5年生の道徳の授業は、自由と自律について考えるものでした。
授業者の話を聞いていない子どもが目立ったことが気になります。授業者も子どもたち一人ひとりと目を合わせていません。また、子どもに問いかけて賛成か反対か反応を求める場面では、なかなか全員が参加しません。反応しない子どもがいてもそのまま進んでいくことが気になりました。
最初に1分間、5年生になってからの自分の生活を振り返らせ、横1列を順番に指名していきました。子どもたちは他の子どもの発表をあまり真剣に聞いていません。せめて「同じようなことを考えた人」と問いかけるだけでも、子どもの聞こうとする気持ちは高まったと思います。続いて、「自由と自律について考えよう」とめあてを出しますが、唐突です。最初の発問とのつながりがわかりません。めあてとつながる、必然性のある導入を考える必要があります。
自由について子どもに書かせて発表させますが、子どもたちはあまり挙手しようとはしません。書いているのに発表しようとしないことはどういうことかを考える必要があります。道徳では正解不正解はないはずです。間違って恥をかく心配はありません。それなのに、挙手しないというのは発表することに価値を感じていないということです。発言を他者へとのつながりで評価することが必要になると思います。
ゲームをやっている子どもに対してお母さんが何か言っている絵を見せて、自由についてグループで話し合わせます。この種のことをグループで話し合わせ結論を出そうというのは、子どもの本音が出ないので、形だけのものになります。子どもの本音を引き出すような課題にすることが大切です。子どもたちに、「ゲームをもっとやりたいと思ったことがないか?」といった問いかけをして、「その時、どうした?」「その理由は?」といったことを共有させる。注意をしたお母さんの気持ちを考えさせて、その時注意された方はその気持ちをわかっているかといったことを聞く。こういった子どもに迫る活動をした上で、考えさせることが必要でしょう。

3年生の理科の授業は、昆虫の体のつくりの観察の授業でした。
子どもにわかったかを確認する場面で、「はーい」と答えたのは4分の1ほどでした。授業者はそのまま進めていきます。こういうことが続くと、子どもは自分が参加する必要はないと感じるようになります。全員の参加を求める姿勢が大切になります。反応しない子どもに、どこで納得できていない確認したり、返事をした子どもに説明させたりすることが求められます。
ケースに入れたショウリョウバッタをグループに一匹ずつ与えて、観察をさせます。頭、胴、足に分かれているか、翅は何枚かといったことが視点になります。頭と胴はどう区別するのかといった定義にあたる部分が明確になっていません。そのため子どもたちは何となく観察しています。グループでかかわるべき課題が明確にあるわけではありませんから、自分の観察が終わった子どもたちは集中力を失くしていきます。結果を図で確認しますが、せっかく実物を準備しているのですから、実物を元に説明したいところです。ここで活躍するのが実物投影装置です。ショウリョウバッタを写して、適当な画面を記録し拡大したもので、具体的にどこが頭でどこが胴か、足はどこから出ているなどを確認するのです。こうすることで、なんとなく観察の結果を知識として覚えるものだと思っている子どもも、どこが頭で、どこが胴か自分の目で理解、確認しようとするはずです。実物を準備したのですから、最後まで実物にこだわりたかったところです。
翅が2枚か、4枚かで子どもの意見が分かれました。この時期のバッタは幼体なので、翅が完全には発達していません。授業者は、結論を避けました。観察を重視すれば2枚という結論になるかもしれません。ここで、4枚という子どもに根拠を言わせればよかったと思います。本当に見えているのか、知識として知っていっているのかを明確にすることで、対応を変えればいいのです。本当に見えているのであれば、それを元に4枚という結論を導くことができます。知識として知っているのであれば、成虫の写真かビデオを見せて確認すればいいのです。こうすることで昆虫の不完全変態について知識を得ることもでき、学びが深まったのではないかと思います。
うしろ脚について、地面をける、跳ねるといった言葉が出てきました。それで、教師が結論づけてしまうと気づかなかった子どもはそのことを覚えるしかありません。気づけなかった子どもが気づける場面をつくることが大切です。これも、実際に実物投影機で見せるか、その場でビデオを撮ってスローモーションで見せるといったことをしたいところです。子どもたちに観察した結果を教えるのではなく、観察の仕方、視点を身につけさせることを大切にしたいところです。

先生方は、今回の授業アドバイスにあたっていろいろと工夫をした授業に挑戦してくれていました。そのおかげで私もたくさんのことに気づけました。
残り2人の授業と授業研究については明日の日記で。

小規模校で保護者向けの講演

先日、昨年度まで2年間訪問させていただいた小学校で、保護者向けの講演を行ってきました。山の中の小規模校です。40名余りの児童の保護者が全員参加されました。普通の規模の学校では考えられないことです。学校、子どもへの関心の高さのあらわれだと思います。「小規模校の保護者としての子育てについて」という演題で話をさせていただきました。

小規模校だからといって、子育てが大きく変わるわけではありませんが、1人の子どもに対して教師を含め大人たちがかかわりすぎる傾向があることは注意を要します。特に学校では、個別に対応をする時間を確保しやすいので個別指導に頼りやすくなります。このことや子どもの絶対数が少ないことが原因で、子ども同士のかかわり合いが少ない傾向があります。また、困った時に教師や大人が個別に対応してくれることに慣れてしまい、個人や友だちと相談して解決する力も弱くなりがちです。この学校で初めて授業を見た時に、教師が個別に指導している間、子どもたちが手のつかない状態でじっと順番が来るのを待っていたことが、印象深く思い出されます。先生方が意識をされたので、昨年はずいぶん様子変わってきていましたが、常に気をつけていてほしいことです。このことは家庭でも同様です。子どもを王様にしないこと、家族の一員としてしっかりと役割を持たせてほしいことを強くお願いしました。
また、条件付きで子どもを認めることをしないことも合わせてお願いしました。「あなたがいい子だからうれしい」「勉強でよい成績をとったから、○○を買ってあげる」といった接し方をすると、自分はいい子だから、勉強でよい成績をとったら認めてもらえると思うようになってきます。このことが、「いい子でいろ」「よい成績をとれ」というプレッシャーとなって子どもを苦しめるようになっていくのです。無条件に「あなたがいてくれてうれしい」「あなたが私の子どもでよかった」というメッセージを発し続けてほしいのです。

また、中学校に行くと規模が大きくなりますから、友だちとのかかわりの様相も大きく変わってきます。小規模校の子どもたちはこの差が大きいため、中一ギャップの問題も起きやすくなります。友だち関係の基盤が弱いため、新しい人間関係をうまくつくれなかった時に支えきれないのです。少なくとも、家庭だけは子どもの居場所になっていないと、どこにも行き場がなくなってしまいます。家庭内で自己有用感を持たせることがとても大切になるのです。

最後に、子どもたちとネットの問題についての資料をお渡しして、よく読んでいただくようにお願いしました。人間関係でもまれていないだけに、子ども同士のトラブルも起きやすいでしょうし、日ごろ大人に依存しているだけに、ネットの向こう側にいる大人の悪意に気づけない可能性が高いことが心配されます。ネットのトラブルはほとんどが使い始めて1年以内に起こっています。まだ先のことだとのんびり構えずに、小学生の内から対応を考えてほしいと思います。

保護者だけでなく、手の空いている先生方も参加して熱心に聞いていただけました。少しでも皆さんのお役に立つことができたのであれば幸いです。

講演後、今年度赴任された校長と、教頭を交えていろいろと授業について話をする時間をいただけました。授業改善に対して意欲的な先生方から、とてもよい刺激をいただきました。ありがとうございました。また、機会があればぜひ子どもたちの姿を見せていただきたいと思います。

次のステップに挑戦すべき時が来た授業

昨日の日記の続きです。

授業研究は5年生の算数、単元は「同じものに目をつけて」で、TTでの授業です。
授業規律はとてもよい状態です。指示に対して子どもたちはとても素早く行動します。授業者はきちんと全員ができているかを確認しています。しかし、子どもたちを特にほめることはしません。その代り笑顔で子どもたちと目を合わせます。既に授業規律を教室に浸透させる段階は終わっているということです。笑顔で目を合わせる、うなずくだけで大丈夫な状態になっています。

この日授業のめあて、「同じものに目をつけて考えよう」を示し、問題文を読んで把握させます。かごとりんご7個の代金とかごとりんご5個の代金から、それぞれの値段を求める問題ですが、わかっているもの、求めるものを子どもたちに確認します。説明は最小限にして、何人も指名して全員がしっかり把握できるようにしています。
線分図を書くことを指示します。かごとりんご7個の線分図をT2が板書した後、かごとりんご5個の線分図をノートに書くように指示します。この時、線分図を書くポイント、「端をそろえる」「1個分の長さを同じにする」をはっきりと伝えました。
ここまでの展開は、教科書通りにきちんと流れています。事前に何度も模擬授業をやったそうです。その際に、教師の話す言葉もしっかり検討したことがわかります。ムダな言葉がほとんどなく、最小限で済ませているからです。これは何度も検討しないとなかなかできることではありません。教科書を教える授業の流れとしては、素晴らしいものになっていました。まだ3年目ですが、ここまでできていることは称賛に値します。もう次のステップを目指してもいい段階に来ていると思いました。
具体的には、まずめあてですが、「同じものに目をつける」というのは、算数の視点、考え方です。これを最初に提示するのではなく、子どもたちからその視点を引き出すのです。引き出した時点でその算数的な価値づけを行い、めあてを提示して適用題に移るのです。線分図も書くことをこちらから指示するのではなく、「このような問題を考える時に、今までどんなことをやった?」と過去の経験から、線分図やテープ図を使うことを子どもたちから出させるようにします。もちろん書く時のポイントも子どもたちから出させます。
子どもたちから言葉を引き出す力はついてきていると思います。教師の指示で子どもが活動するのではなく、子ども自身で考えて活動できるようにレベルアップを目指してほしいと思います。

子どもたちは線分図にすぐに取りかかります。T1、T2共にすかさず机間指導に入りました。ちょっと早すぎます。手がつかないと予測される子どものところに行くのならわかるのですが、そうでなければ、まず全体の様子を確認する必要があります。子どもたちが課題を把握しているか、見通しが持てなくて動けない子はいないかを確認して、その状況によって、作業を止めさせて再度説明をするのか、手のついていない子どものところへまず行くのかといった判断をするのです。机間指導では、ちょっと教えすぎの感があります。できているところまでを部分肯定し、簡潔な言葉で指示やヒントを与え、時間をかけないようにするべきです。どのような言葉かけをすればよいかは事前に検討されていたように見えましたが、端的な言葉で言えるようにはなっていませんでした。また、まわりの子どもに聞いてもいいよ」と一言添えてもよかったかもしれません。この学級の子どもたちであれば、互いに聞き合うことは問題なくできるでしょう。

線分図を見ながら、めあてに注目させて、同じもの違うものを確認します。ここは、先ほども述べたように、子どもたちから考えを出させたい場面です。「2つのものがあった時に、どうする?」「比べる」「比べるって、どんなことを見つけるの?」「同じもの」「違うもの」といったやり取りを子どもとして、「じゃあ、この線分図ではどこが同じで、どこが違う?」と問いかけ、同じもの、違うものは何を表わしているのかを子どもから引き出すのです。
授業は、違うものがりんご2個分の値段になっていることを押さえて、自力解決に移りました。その後、ペアで自分の考えを図や線分図を使って説明し合います。どのペアも体を相手の方に向け、指で自分の線分図を指しながら説明をしていました。互いにしっかり聞き合えているようです。相手の考えを聞いて納得すれば、自分の考えに付け加えてもよいとしていることも、影響しているのでしょう。

全体の発表では、意図的に指名をしています。子どもをつなぎながら全体に共有する時間を取ります。発表に対してしっかり受容し、ありがとうといった言葉も忘れません。子どもたちは、全員しっかりと発言者の方に体を向けますが、線分図を使う説明なので、どうしてもそちらが気になります。子どもの視線は黒板の線分図と発言者とで奪い合いになります。自分から線分図を使っていいか授業者に確認して、前で説明する子どもがいました。最初からこうした方がよかったかもしれません。視線の奪い合いという意味では、T2の板書のタイミングも問題になります。これについても、相当に打ち合わせをしていたようです。そのせいでT2にプレッシャーがかかったのでしょうか、異常に緊張していました。子どもの発言が終わってから書くようにしていたのですが、発言中に書き始めてしまうことがありました。視線を奪い合うことになるのですが、すぐに発言者の方に視線が戻りました。子どもたちは話を聞いているので、板書を見る必要がなかったのでしょう。子どもたちが育っていることを感じました。
子どもたちの発言をつないでいると、言葉が足されていくことがあります。こういった場合には、そのことを指摘して評価してほしいと思います。これに限らず、子どもの発言を受容するのですが、算数的な評価がありません。発言のどこがよかった、考え方のどこに価値があるかを評価するのです。子どもたち自身で評価できることが理想ですが、最初のうちは授業者が行ってもよいでしょう。また、ある程度発言が集約された時点で、全体でその価値を話し合ってもよいでしょう。今は、先生や友だちにしっかり聞いてもらえることが評価であり、そのことが自己有用感につながっています。これを、算数的な価値の評価によるものに変えていくことが次の課題でしょう。

基本が押さえられ、できていることがたくさんある授業だからこそ、次のステップへの課題が明確になってきたと思います。授業規律がしっかり確立し、子どもたちが集中して取り組んでくれるようになると、授業は楽しくなります。これでよしとするのか、もう一歩進んで子どもたちに力をつける授業に挑戦していくのか、授業者の心根が問われる時が来たようです。この学校には年齢の近い仲間が何人かいます。今回の授業に際しても、授業づくりを一緒に行っています。彼らにも同様に問われていることです。互いに学びあいながら次のステップを目指してくれることを信じています。

検討会はいつものように、グループによるものです。どのグループも授業規律のよさや同じ説明を子どもが何度もすることのよさを取り上げていました。先生方は、子どもたち一人ひとりをよく観察しています。ペア活動で、途中で苦しくなったペアがいたことも報告されました。全体でのペアの動きのよさに注目すると同時にこういった個をしっかり見ることができていることに感心しました。また、特定の子どもが何度も指名されたことも指摘されました。下位の子どもです。こういった子どもが答えられそうな場面で積極的に活躍させようとした結果です。よく気づいたと思います。
検討を通じて、授業のよい点や課題などがより明確になり、深まっていきます。よい授業だからこそ、よかったことだけでなく、深いところでの疑問や課題が浮かび上がってくるような検討会になっていました。検討会の質も上がってきていると感じました。

毎回どのような授業に出会えるか楽しみな学校になってきました。秋には私が授業をしますと、報告に来てくれた若手もいます。今回の授業を一緒につくった仲間の一人です。今回の授業の課題を共有して、その回答を見せてくれることと思います。毎回よい刺激と学びをいただけることに感謝です。

小学校の授業参観

先週は、小学校の現職教育に参加しました。訪問するようになって今年で3年目です。若手がどのように伸びているか、ベテランがどのような変化をしているかとても楽しみでした。

授業研究に先立って2時限、新しく異動された方を中心に授業を参観しました。
1年生は講師の方が担任でした。チャイムが鳴る中、子どもが2人足早に歩いてきます。廊下を走ってはいけないことを意識しているのです。席につこうとしている時に、授業者はチャイムが鳴り終わるまでに席につかなければいけないことを全体に注意します。子どもをチェックする目で見ていることが気になります。子どもは頑張って間に合うように行動しました。ここは「間に合ってよかったね」と笑顔で喜んであげることが大切です。
黒板に向かって板書をしている時に、子どもたちのしゃべり声が聞こえてきました。授業者は振り返らず「おしゃべりはいかん」と言いました。それよりも、振り返ってしゃべっている子どもと笑顔で目を合わせ、口を閉じるのを待って「気がついてくれて、うれしい」とほめたいところです。また、子どもの発言に対しても評価がありません。まずは、子どもをポジティブに評価して、よい行動を増やすようにしてほしいと思います。

特別支援の先生は、ベテランの方です。非常にまじめな方で、3人の子どもたち一人ひとりにこうなってほしいという目標を達成しようと一生懸命です。1人の指導を終えると、次の子どもと休む暇がありません。支援をちょっと我慢し、「5問やってみよう」といった指示をしてしばらく様子を見ているというように、直接かかわる時間を少し減らしてもいいように思います。
目標をスモールステップで刻んで、できたことを一つずつ小刻みに評価することも意識するとよいと思いました。できることを何回もやらせて自信をつけさせ、新しいことを学習する時はステップをできるだけ小さくし、ほめる場面を増やすようにするのです。ペアレントトレーニングの発想を活かすとよいと思います。

初任者は4年生の担任で、算数のグラフの授業でした。
「わかりやすくするためにはどうすればいい?」と問いかける場面がありました。これはとてもわかりにくい発問です。資料から何がわかるといいのかという視点が必要です。このことは、社会科の資料の活用にもつながることです。ここを押さえておかなければ、「わかりやすい」を考えることができません。考えるために必要なことは何かを意識する必要があります。
ペア活動をうまく活用していました。子どもたちは友だちとかかわることが上手にできます。しかし、「わかった人」と聞いて、発言者と授業者の2人だけの一問一答で進んでいくので、参加できない子どもの集中力が落ちていきます。また、子どもの発言に対して評価がないことも気になります。せっかく子どもが頑張って説明しても、そのあとすぐに授業者が説明してしまいます。子どもたちの言葉を活かすことができていませんでした。
初任者ですので仕方のないことばかりです。初任者指導の先生ともお話しする機会がありましたが、授業の課題もよく理解しておられました。この方に指導していただければきっとよくなっていくことと思います。

ベテランの3年生の担任は、素直でとても前向きな方です。この2年間でずいぶん授業によい変化がでてきました。アドバイスしたことをきちんと実行されています。笑顔で子どもたちを受容し、常にポジティブに評価しています。しかし、一部の子どもがなかなかうまく参加してくれません。全くやる気がないわけではないのですが、集中力が続かないのです。そのことを授業者は気にしているようです。注意をするのではなく、他の子どもの発言をその子につなごうとするなど何とか参加させようとしているのですが、なかなかうまくいかないようです。授業者は自ら授業を見てほしいと申し出られたそうです。その理由がわかりました。
集中できない子どもも、他の子どもが反応した時などは一時的に集中します。そこで、他の子どもとかかわる場面を増やすという方法が考えられます。具体的には、挙手で進める前にペアやまわりと相談させるのです。今は授業全体で教師がコントロールする時間が多いのですが、少しそれを控えて子ども同士でかかわる時間を増やすのです。グループ活動も有効だと思います。前向きな先生なので。きっといろいろと挑戦されるでしょう。上手くいくという保証はありませんが、やってみることでわかることがきっとたくさんあるはずです。次回の訪問時にどのような変化があるかとても楽しみです。

2年生の担任は、4年目の先生です。いつも笑顔で子どもたちに接することを意識されています。子どもたちも落ち着いていて、授業者との関係もよさそうです。指示もきちんと通るまで待とうとしているのですが、全員ができていることを確認しないままに進める場面もありました。このことは、気をつける必要があります。
机間指導の時に、まわりを見ることができていました。これはとても大切なことです。常に教室全体の様子を把握しておくことが重要です。必要な子どもに素早く支援をするためにも、このことは意識してほしいと思います。また、作業が終わった子どもに対する次の指示がありませんでした。どうしても子どもの集中力が切れてしまいます。事前にこうなることを予測して、活動前に次の指示をしておくことが大切です。
子どもの発言をしっかり聞いて、受容することはできていますが、まだ発言者と1対1になってしまいます。まわりの子どもを見てつなぐことを意識してほしいと思います。

もう1人の2年生の担任は、今年異動して来られた7年目の先生でした。柔らかい、受容的な雰囲気のある方です。
子どもが受け身の状態で集中力がなくなった場面がありました。その時に、全員に手を挙げさせ、その手を大きく動かせました。子どもの集中が戻り、反応の声も大きくなりました。いろいろな授業技術を持っていることがわかります。
にこやかな表情でとても上手に子どもを受容しますが、評価がありません。子どもの発言を聞こえているか問いかけたりもしますが、具体的な確認はしません。もっと子どもに対して反応を求めるとよいと思います。
全体的に子どもの活動量の少なさが気になりました。ゆったりと丁寧に進んでいくのですが、基本的に一問一答形式なので、子どもが参加できない時間が多いように思います。集中力がなくなる理由です。先ほどの体を動かして集中力を取りもどさせることも悪くはないのですが、学習活動そのものでなんとかすべきでしょう。確認の場面などはテンポアップをすること、同じ意見の子どもをつなぐこと、ペアで確認する活動を入れることなどをして活動量を増やしたいところです。
また、活動に子ども自身で評価できる目標を与えることも重要です。子ども自身が「できた」「やった」と思うことを大切にしてほしいと思います。
子どもを受容することがきちんとできている方です。この学校の授業スタイルにあっているので、他の先生の授業から学ぶことで、すぐによい方向に変わると思います。
この授業には学習支援員が入っているのですが、支援を必要とする子どもとの関係が気になりました。支援員は困っている子を教えようとするのです。このことが「わかれ」という圧力なっています。子どもの体が支援員から逃げようとします。どこで困っているのか、どうすればいいのか一緒に考えるという、寄りそう姿勢が求められます。このことに気づいてほしいと思いました。

今年度から新しい教務主任の方が異動されてきましたが、とても明るく前向きな方です。自分も勉強しようという意欲を感じます。今まで以上に先生方の学び合いを進めてくれることと思います。

授業研究は、昨年度にとても素晴らしい授業を見せてくれた若手が引き続き挑戦してくれました。熱心な姿勢に頭が下がります。この授業研究については明日の日記で。

私立の中高等学校で授業参観

先週、私立の中高等学校へ授業参観に出かけました。この学校の今後の授業評価の進め方の参考にするためです。校長とともに1時限目から2時間学校全体の様子を参観させていただきました。

印象的だったのが、授業者によって子どもたちの学習に対する集中度が変わることと、授業者との人間関係が上手く作られていない学級が目立ったことです。1時限目は子どもたちが一番集中しやすい時だと思いますが、それにもかかわらずやる気を失くしている子どもが目立つのが気になりました。しかし、私には子どもたちの問題よりも授業者の姿勢の方に問題があるように思えました。子どもたちの可能性をあまり信じていないように感じたのです。子どもたちは理解できるはずだ、きっとできるようになるはずだというエネルギーが授業から伝わってこないのです。とりあえず説明はした、やるべきことはやっているという、アリバイ作りをしているようしか見えないのです。

子どもたちは大きく3つのコースに分かれるのですが、それぞれに学習の姿勢に特徴があるのも興味深い事実でした。中学校からそのまま上がってきた子どもたちは、教師とよい人間関係ができています。学習に対して前向きで、よい表情で授業者の話を集中して聞いています。特別進学コースの子どもたちは、授業には参加しているのですが、授業者の説明よりは板書を優先する傾向があります。基本的に必要な情報だけを得ようとする消費者的な態度が気になります。一般のコースの子どもたちは、素直ですが授業者との関係や授業の進め方、その内容で学習に対する姿勢が大きく変わるようでした。学習のプリントなどやるべき課題が明確であれば集中して取り組む姿勢を見せてくれます。授業者の工夫の余地が大きいように思います。

ある学級で面白い場面にであいました。授業者が所用で教室を離れていた時に子どもたちが集中して問題に取り組んでいたのですが、戻ってくるとその集中が急に落ちてしまったのです。どう解釈していいか悩みますが、普通では起きにくいことです。

授業の進め方に共通していたのは、授業者の一方的な説明と板書に終始することです。子どもたちが活躍する場面が非常に少ないのです。授業者と子ども、子ども同士がかかわる場面も非常にまれです。子どもたちは、教師の説明を聞けばわかるようになるという実感をあまり持っていないようです。説明を聞くよりも板書を写すことを優先します。中には、試験に出るからと点数で子どもを釣るような方もいらっしゃいました。

以前に行われた授業に対するアンケート評価の結果と比べると実際の方がよくない状態に見えます。今回たまたま評価の高い実力のある方の多くが出張だったこともその原因の一つかもしれません。ただ、無記名のアンケートでこのように感じるということは、子どもたちが先生方に気を使っているのかもしれませんし、逆に期待をしていないことの現れかもしれません。

先生方の授業の実態について校長はとてもよく把握し理解しておられました。しかし、具体的にどのような手立てを取ればよいかに悩まれているようでした。
学年が上がるにつれて子どもの状態がよくないと感じます。先生方が子どもたちを育てていないという証拠です。ということは、しっかりと育てれば大きく伸びるということです。子どもたちの伸び代はとても大きいのです。先生方がこの可能性を信じることが大切だと思います。
これから校長はじめ先生方と一緒に、どう子どもたちを育てていくか、どう授業を魅力的なものに変えていくかを考えていきたいと思います。

「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第3回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」の第3回「失敗を前提としたプチ授業研究」が公開されました。

ぜひご一読ください。

授業技術について講演

先週、市主催の研修で講演を行ってきました。今年の1月に小中学校の管理職向けに研修を行ったのですが、その際具体的な授業技術について時間の関係で話ができませんでした。そこで、今回は市内の小中学校の若手と若手を指導する立場の方を対象に日々の授業技術について話をしました。

ちょっと暑い平日の午後でしたので、開始前からお疲れ気味の方がやや目立ちました。個々の授業技術について説明する前に、目指す子どもの姿について話しましたが、どうも空気が重いようです。「自ら考える子ども」「自己有用感を持つ子ども」といった言葉が陳腐に聞こえたのかもしれません。
授業を考える視点として、「安心して暮らせる学級・教室をつくる」「子どもを受け身にさせない」「子どもの言葉で授業をつくる」「考えるためには課題が大切である」の4つを挙げ、それぞれについて解説をしました。
続いて、授業技術やそのポイントについて具体的な場面を基にお話ししましたが、このあたりから参加者の反応がよくなってきました。具体的な話でないとなかなか関心を持っていただけないことがよくわかります。いつも話していることですが、まず笑顔の大切さ、話すことよりも聞く姿勢の大切さを強く訴えました。また、今回は最近特に強く感じている「全員参加」の授業の大切さについて具体的に詳しく話をしました。個人追究の後、「わかった人」「できた人」と問いかけ、挙手した子どもを指名して進める、参加できる子どもだけで進む授業によく出会うからです。この市での実際の授業の様子は残念ながらまだ見る機会がないため、そんなことはないのかもしれませんが、先生方の反応を見ているとあながち的外れではなかったように思いました。

最後の質問の時間に、ある学校の管理職の方が最近は学力向上の話が多いが、今回のような授業論は久々で期待した以上だったと感想を発表してくださいました。社交辞令かもしれませんが、機会があれば自校の授業を見てほしいと、とてもうれしい言葉をいただけました。
担当の指導主事の方に、現場での授業研究に参加できる機会をいただけるようにお願いしています。新しい地域で授業を見せていただくと本当に学ぶことがたくさんあります。なかなか実現しないのですが、何とか秋には調整がつくことを期待しています。

小規模校の共通の課題を感じる

先週、昨年2つの小学校が合併した小規模校の現職教育に参加してきました。初めて訪問する学校です。ベテランの研究授業と授業検討会の前に、初任者の授業を1時限、その他の4人の先生の授業を1時限参観しました。

全体的に共通するのが、挙手する子ども、参加する子どもだけで授業が進んでいることです。一問一答形式で、一人の子どもが発言すると教師が説明し、「他には?」と聞いていきます。子どもたちは友だちの発言中は、自分の出番がないと集中力を切らします。発言をしっかり聞いている子どもが少ないのです。また、子どもの活動に対する目標や評価基準がはっきりしません。ただ活動しているのです。当然子どもは活動に対して、自己評価もできませんし、授業者からほめられることもありません。子どもたちが受け身に見える理由が、ここにあるように思います。

初任者は4年生の担任で、国語の授業を参観しました。
順番に音読する場面でのことでした。まだしばらく自分の順番が来ないと思って気を抜いている子どもがいます。また、読みにつまった子どもがいてもだれも助けようとはしません。授業者が助けると思っているので、余計な手出しはしないのでしょう。友だちが音読している時に、どのようなことを意識するのかきちんと指導されていないようです。漢字の読みを確認する。友だちが困っていたら助ける。友だちの読み方のよいところを評価するといったことをいつも意識させるようにしてほしいと思います。
今回の本読みは、主人公の気持ちが大きく変化したところを読み取るという目標がありました。本読みが終わったあとすぐに挙手を求めます。子どもたちは鉛筆で印をつけているわけでもありません。自分の考えを整理する時間が必要なはずです。手を挙げたのは1人だけでした。それでもすぐに指名します。発言者は発表の後「どうですか?」と聞きます。結論を言っただけで、根拠についてまだ何も話し合っていません。これでいいかどうかをたずねてもあまり意味はありません。変化を問うのであれば、その前後で何がどう変わったかを合わせて聞く必要があります。
挙手による発言が続きます。何人かの子どもの意見を板書した後、意見を2つに分けることができると言って子どもたちにその視点を問います。あまりにも唐突です。せめて子どもに考える時間を与えてほしいのですが、すぐに挙手をさせて指名しました。指名した子どもの答が授業者の期待するものだったので、そのまますぐに意見を分類する作業に入ります。ほとんどの子どもたちは、ただ指示に従って作業をするだけでした。根拠を明確にすることもなく、どちらが大きく変化したかを結論づけました。この間5、6人だけで授業が進んでいきました。授業者は常に発表者と2人だけの世界に入ってしまいます。他の子どもに目が向きません。子どもの発言の中で自分に都合のよい言葉だけを拾っていきます。また、子どもの発言をポジティブに評価することがほとんどありませんでした。
主課題は、主人公の気持ちが大きく変化した理由を考えるのですが、そのワークシートには「体にからみついていたいろんな思い」がどうして変わったのだろうと印刷されています。こうして答があらかじめ用意されているのだと知れば、子どもたちは教師の求める答探しをするようになります。せめて「」の中は自分たちで出した結論を書きこむようにしてほしいと思います。
友だちの意見に対して、「ちょっと違う」とつぶやいた子どもがいました。こういう言葉を拾ってつなぐことで考えが深まります。しかし、授業者は拾うことができませんでした。また、発言の中で「どこかで聞いたけれど、・・・」と本文のどの部分かを指摘できないのですが、一生懸命に理由を言ってくれる子どもがいました。どこかで聞いたというのは、以前の授業で学習したという意味でしょう。まわりの子どもたちに、どこで学習したかを確認して助けてほしいところですが、子どもたちをつなぐことができませんでした。子どもに発言させるのですが、単発の発言が続くだけで、結局最後は先生の言葉でまとめてしまいました。
初任者ですので多くを求めるわけにはいきません。笑顔と子どもたちの外化をポジティブに評価することをお願いしました。

授業研究はベテランの先生でした。2年生の国語、がまくんとかえるくんの話、「お手紙」の授業です。
授業者はとても柔らかい雰囲気で授業を進めます。常に子どもに語りかける口調です。「いい声だねぇ」「えらいね」「手の挙げ方がいいね」と、とにかく子どものよいところをたくさんほめ、理由の説明では「からをつけるといいね」と上手に修正もしています。指示も全員ができるまできちんと待ち、個別に「そうそう」ときちんとできているかの確認もしています。若い先生の手本になる子どもとの接し方です。
発問がよく理解できずに、子どもたちの集中力が落ちる場面がありました。そこで授業者は、その活動を早めに切り上げ、次に予定していた動きのある活動に早目に切りかえました。子どもをよく見ています。がまくん、かえるくん、地の文と分担しての音読を2つのグループに分かれてさせます。「それぞれの気持ちの変化がわかるように読む」という目標もはっきりしています。子どもたちは、動きもつけて一生懸命練習していました。「親愛なる」が上手く読めない子どもがいました。しかし、同じグループの子どもは助けません。結局授業者が助けました。こういった場面をいくつかの授業で見ると、どうも気になってしまいます。結論づけるのは早いかもしれませんが、教師が子どもにかかわりすぎるために、子ども同士のかかわりが弱くなっているように思います。
互いの音読を発表し合います。大きな声で発表できているかを視点として与えますが、事前の目標である「気持ちの変化がわかるように読む」ということは確認しませんでした。子どもたちは拍手をしますが、授業者は固有名詞でよいところをほめて、個別に何度も拍手をさせます。子どもたちのよいところ見つけてほめることがとても上手ですが、本来の活動の目標についても、きちんと評価したいところです。
授業者は一人ひとりときちんと受け答えをしているのですが、どうしてもその子どもとだけで終わってしまいます。その間、他の子どもは自分には関係ないという顔をしています。どうやら、子ども同士をかかわらせることを意識することが、小規模校では共通して課題になるようです。
かえるくんの手紙ががまくんにどのように受け止められたかを考えるのに、授業者への同僚からの遊ぼうという誘いの手紙を用意して、比較させました。面白い試みです。かえるくんの手紙と比べると、フランクなものでした。授業者は、かえるくんの手紙の「親愛なる」「親友」「友だちであることをうれしくおもっている」といった言葉に注目させるためにこの手紙を準備したようです。子どもからは、かえるくんの手紙が「長い」という意見が出てきました。たしかに、授業者の用意した手紙は短いものでした。授業者は「たしかに長いよな」としっかり受容します。予定外の反応でも、しっかり受容できていました。
「親愛」や「親友」について意識させたところで、辞書を引いて見せます。言葉の意味を辞書で調べるという国語の基本的な学習手段を教えること自体はとてもよいことです。しかし、最初に本文を読んだ時点で押さえてあるはずのことです。ここは、子どもに確認をすべきだったと思いました。
このような手紙を「めちゃほしい」と言ってくれる子どもがいましたが、そこで終わりました。他の子どもに、「みんなはどう」「○○さんはほしい」というようにつなげたいところでした。この後、授業者はまとめを意識したのか、子どもの発言に対して自分の言葉をつけ足したり、表現を変えたりしました。この授業者であれば子どもの言葉でまとめることができたと思います。ちょっと残念でした。とはいえ、全体としてとても安心して見ていられる授業でした。
授業者はベテランですが、素直で向上心の強い方です。アドバイスをとても前向きに受け止めてくれました。授業が上手くなるのに年齢は関係ありません。次回の訪問時にはきっと大きく進歩していることと思います。

授業検討会は3シーン授業検討法で行われました。気づいたことを書いた付箋を指導案に貼ってもらい、その数の多かったところをもとに検討を行います。今回が初めていうことで私が進行を手伝ったのですが、かえって出過ぎてしまいました。選ばれたシーンはなるほどと思える場面です。最後に予定されていた私の指導で話をしたかった場面とかなり一致していました。ビデオはしっかり子どもをとらえていたので、とても多くのことがわかります。そのため、ついついリアルタイムで解説してしまったのです。3シーン授業検討法のよさを理解してもらうためには、先生方からもっと意見を引き出し、つないでいかなければいけなかったのです。申し訳ないことをしてしまいました。しかし、ビデオで振り返ることのよさだけは伝えることができたのではないかと思います。

管理職も教務主任も、授業改善にとても前向きな方々でした。小規模校で起こりがちな、先生が個別に子どもを指導しすぎるという問題点についても理解していただけたのではないかと思います。子ども一人ひとりに目が届くよさを活かしたうえで、子ども同士のかかわり合いをつくりだすことを意識していただければ、きっとよい方向に変化していくことと思います。次回は10月に訪問の予定ですが、子ども同士のかかわる場面をたくさん見ることができるのではないかと期待しています。

研究会で刺激を受ける

先週末は、愛される学校づくり研究会に参加してきました。前半はICTを活用した授業研究、後半は新城市教育委員会教育長和田守功先生の講話でした。

ICTを活用した授業研究は、今年2月の愛される学校づくりフォーラムで使った機器を利用して模擬授業で行いました。教材は中学校数学の「17段目の秘密」です。子ども役の大人でも「あれっ」と考えていしまう教材です。授業者はていねいに指示をして進めていきますが、ちょっとていねい過ぎたようです。課題把握までに時間がかかりすぎました。自由な活動が少なかったので、子ども役からの気づきがあまり出てきません。問題解決のための情報が少ないため子ども役は行き詰まってしまいました。
授業検討法の研究のための模擬授業でしたが、授業検討は行いませんでした。参加者や司会者の技量や経験に左右されない授業検討法を目指しているのですが、司会者が意図的にコントロールしないと本来取り上げるべき場面が浮かび上がらないと判断したからです。その代り、なぜそうなったのか、どうすればいいのかについて話し合いました。デジタルとアナログの違い、ICTを活かすための視点など、たくさんのことがわかりました。この内容については、愛される学校づくり研究会のコラム「楽しく、手軽に授業改善しよう」の第4回で報告する予定です。

和田教育長の講演は「Open the window and look outside.」というタイトルで、今、和田先生が推し進めようとされている小学校英語の強化に関するお話が中心でした。
最初は、最近の教育界の話題についてという私たち会員からのリクエストに応えて、教育委員会制度の改革についお話いただきました。教育長という立場で今回の改革の背景、要点をわかりやすく説明されます。特に、首長、教育長の権限強化に対して、それぞれが暴走しないような歯止めの必要性を説かれました。新城市ではその教育の根源的あり方を規定する教育憲章を制定することで、首長が変わったからといって教育の現場が混乱しないようにするようです。なるほどと思うと同時に、憲法の解釈を簡単に変更しようという昨今の政治を鑑みるとそれでも一抹の不安を感じざるを得ません。この不安が杞憂であることを祈るばかりです。
学校現場に関して校長のやれることは多いはずだということを強く伝えられました。だからこそ、地域住民の意思の反映をしっかりしなければならないという主張です。市の全体の教育を担う立場だからこそ、校長にそのことを強く願うのだと思います。

小学校英語教育の強化の話は、和田節全開でした。新しい城を意味する名前のついた都市で行う「世界新城会議」でのことがきっかけとなって、小学校教育の強化を強く思うようになられたようです。
同行した新城の若者たちが、会議の場で英語を話せない。他国の若者は英語圏でなくても皆話せる。彼らになぜ英語を話せるのかと聞くと、異口同音に「学校で習ったから」と答える。英語を話せるかどうかは学校教育の問題だ。また、新城の若者も自分たちは世界へ出ていくためにはもっと英語力を含めたコミュニケーション力を鍛えなければ、そして自国の文化をもっと知って紹介できるようにならなければと強く思ったようだ。このような話を具体的なエピソードをもとに楽しくまた強く語られました。
私は、今回同行した新城の若者は、今は英語を話せなくても将来きっと話せるようになると思います。自らが英語を必要と感じたからです。大切なのは英語を話せるようになろうという意志です。中高と6年、そして大学でも学ぶはずなのに話せないのは、カリキュラムにも問題があるのかもしれませんが、本当に話せるようになりたいと思っていないからではないでしょうか。漠然と話せればいいと思っているくらいではダメです。そのために相応の努力をし続けることが必要です。学生時代、私とそれほど英語力が変わらなかったエンジニアの友人は、現在TOEICの点数が900を優に超しているそうです。海外で仕事をしなければいけないので、必要に迫られて身につけたのです。
小学校の英語教育に関しては、子どもたちにその必要性を感じさせるような取り組みがなければ単に強制になってしまいます。伝えたい、伝わった、もっと伝え合いたい。そういう気持ちを持たせる環境が大切です。もちろん英語が話せるようになるためのカリキュラムも研究する必要があります。小学校英語の現場で、英語嫌いを量産しているのに出会うこともあります。ALTは英語が話せるだけの人がほとんどです。私たちが外国で日本語を教える力がないのと同じです。そんなALTを活かすには、カリキュラムがよほどしっかりしなければなりません。しかし、このカリキュラムで英語が話せるようになるのなら、べつに学校で習わなくてもだれでも簡単に話せるようになるはずだ。そう思うことも度々です。
小学校英語の強化に頭から反対しているわけではありません。それ相応の準備と努力がなければやるだけムダどころか、かえってマイナスになってしまうと思うのです。
新城市の子どもたちが英語を話せるようにするために、どのような具体的な方策を取られるのかは語られませんでした。具体的な姿が私たちの前に姿を現すのはもう少し先でしょう。パワフルな和田先生のことですから、きっと数々の課題を突破して「おおっ」と言わせてくれることと楽しみにしています。たくさんの刺激をいただけた講演でした。和田先生ありがとうございました。

学校ホームページ研究会

先週末、学校ホームページに関連した研究会に参加しました。ある中学校のホームページのリニューアルと並行して学校ホームページの構成をどのようにすればいいのかということについて研究しようというものです。

今回は学校ホームページを、発信する側と訪問する側の2つの視点から眺めてみました。
学校ホームページの更新頻度が上がってくると、たまに訪問してもその流れについていけません。情報が多すぎてどこを見ていいかわからない状態になります。実際にその学校のホームページは内容が多いため、久しぶりに訪問すると見ようと思っていた記事が最新情報から消えてしまっていて、探すのに苦労することもよくあります。
発信する側からすれば、保護者にぜひ読んでもらいたい記事もあれば、それほどでもない記事もあります。毎日訪問してくれている方には発信する側の伝えたい情報は伝わりますが、たまにしか訪問しない方には他の情報に埋もれてしまって上手く伝わらないこともあります。
発信する側が読んでもらいたい記事を読んでもらえる、訪問する側が読みたいと思う記事がすぐにみつかる。そんな学校ホームページにすることが求められます。そのためには記事のカテゴリーやキーワードを工夫し、トップページを見せたい記事、見たい記事がわかりやすい構成にする必要があります。また、発信者がどのような情報を発信したいと考えるか、対象とする訪問者の属性をどう切り分けるか。これによっても、求められる学校ホームページの構成は変わってくると思います。

今後中学校のホームページのリニューアルを通じて、学校ホームページのテンプレートと言えるようなものをいくつか作ることができたらと考えています。テンプレートを選ぶ作業を通じて、自分たちがどのようなことを誰に伝えたいと思っているのかが明確になり、その結果、内容や方向性が明確で、学校と保護者や地域とのコミュニケーションが活性化する見やすいホームページが手軽に構築できる。そのようなものを目指したいと思っています。
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