活動の目標や評価について考えた授業(長文)
小学校で授業アドバイスを行ってきました。先月に続いて2回目の訪問です。前回訪問から日が浅かったのですが、私からのアドバイスを意識してくださっている方がたくさんいらっしゃいました。
5年生の体育の授業はいろいろなルールがきちんと確立していました。走って集合する、集合すれば口を閉じて待機をする、友だちのプレイを見るといったことが何も指示をしなくてもできています。子どもたちにどうなってほしいのかが明確にわかる授業でした。また、指示が簡潔になるのでよく伝わります。子どもたちの動きにムダがないのが印象的でした。 今回の活動は「楽しく体を動かす」というめあてで、子どもにいろいろな動きをつけて歩かせていたのですが、何を意識して歩けばよいのかがよくわかりませんでした。子どもたちは指示に従って動きますが、一つひとつの活動の目標や評価がよくわからないのです。授業者は子どもたちにどんなことを意識しているか聞いたりするのですが、ちょっと目標がはっきりしないので無理があります。活動の前に明確にしておくべきだと思います。 6年生の先生は、前回と同じく算数の授業でした。私のアドバイスを受けて、あえて同じ教科に挑戦してくれたのです。その気持ちをうれしく思います。子どもたちの話し合いの持ち方や発表についてもこの日まで意識して指導してきたようです。子どもたちの聞く姿勢がよくなっているのを感じました。板書も思考の跡が残るように意識していました。反比例の関係を表で考える場面でしたが、表を横に見るか、縦に見るかといった視点を明確にしていました。横に見た時に1/2倍、1/3倍という説明が子どもから出てきました。授業者は「一緒だけど違う言い方の人?」と問いかけました。子どもからいろいろな言葉を出させようとするのはいいのですが、ここは、単に「同じように考えた人?」と聞きたいところです。違う言い方と限定しないことで、できるだけ多くの子どもが参加できるからです。何人かに聞くことで、授業者が期待していた÷2、÷3という言葉を引き出すことはできると思います。授業者は「どっちが正解?」と子どもたちを揺さぶります。これもなかなかよい対応ですが、子どもから「同じ」という声がでたあと、すぐに授業者が説明をしてしまいました。ここも、子どもに説明させたかったところです。また、「正解?」より、「同じ?」「違う?」といった聞き方の方が考えやすいように思います。 表を横に見た時、縦に見た時の性質を教師がまとめます。せっかく子どもたちに発言させたので、子どもの言葉でまとめさせたいところでした。まだまだ、しゃべりすぎのところがあります。 指摘すべきことはありますが、前回と比べていろいろなことを意識できていました。謙虚にアドバイスを受け止めたことは立派だと思います。機会を見つけて自ら学ぼうとしてくれるときっと大きく進歩すると思いました。 この日見た他の先生方も、前回のアドバイスを活かそうとしてくれていました。子どもを受容しようとすることは意識されています。が、まだポジティブに評価することはできていません。発言者と教師の1対1の関係になる場面も目立ちます。子どもの発言をつなぐことも次の課題でしょう。また、授業規律という点では、子どもが全員指示に従っていないのに次の活動に移る場面が目につきました。徹底することを大切にしてほしいと思います。 ベテランの先生方が一緒に授業を参観してくれました。私の指摘をすぐに理解してくださる方ばかりです。さすがです。若手の授業を見ることで、自分たちの授業を再点検してくださっているのを感じます。きっと、若手によいアドバイスをしてくださることと思います。 この日は、1年生の国語で授業研究を行いました。学校で見つけた生き物や物を家の人に紹介する文章を書く教材です。前時までに「知らせたいカード」に、見つけたものの絵を描き、見つけたことを絵から線を引いて短い言葉で表現しています。 最初に、指名した子どもに、家の人に知らせたいことを実物投影機で「知らせたいカード」を映しながら発表させます。実物投影機は教室の廊下側、スクリーンは黒板の窓側です。発表者は機械の前で、絵を指さしながら説明します。子どもたちはスクリーンか発表者かどちらを見ていいかちょっと戸惑いました。この発表の形は不自然です。発表者が機械を操作する必要性がなければ、スクリーンの横に立たせて発表させるべきでしょう。スクリーンを指で指すのは難しいので、指示棒を準備するとよいと思います。 この後、ペアで家の人に知らせたいことを「話します」。子どもたちは話すことが目的なので、自分の前にカードを置いて勝手にしゃべっています。2人の間にカードを置いて説明する子どもはほとんどいません。聞く側には目的がないので漫然と聞いています。話す側、聞く側双方に目的や目標、評価の基準が必要になります。授業者は質問があればたずねてもいいとは言っていますが、子どもにはその必然性がありません。相手に伝わるように話す。伝わったかどうかの確認も含めて聞き手が、何らかの評価をする。単純に復唱してもいいでしょう。こういった目標が必要になります。 文章を書くための途中の段階として、何について書くかを決め、「知らせたいカード」に書いた短い言葉をもとに文をつくって「短冊カード」に書きます。1つにつき、1枚の「短冊カード」に説明を書きます。あとでカードを並べて文章にしていこうというわけです。 授業者は拡大コピーした短冊カードを準備していたようですが、うっかりして持ってくるのを忘れてしまったようです。ちょっとパニックになってしまいました。あせる気持ちはわかりますが、実物投影機を使えばすぐに対処できたことです。余裕がなかったようです。 短冊カードの使い方を授業者が用意したモルモットの「知らせたいカード」を使って説明します。目について、「まるくてくらい」という言葉が子どもから出てきます。授業者はすぐに「目はまるくてくらい」と言い直します。「〜は(が)〜です(ます)」と主語と述語を意識した文型を使いたいので、「目は」としたのです。しかし、主語を意識させるのであれば、「何が?」と質問して子どもに答えさせることで主語の必要性に気づかせたいところです。 短冊カードの一番上には何についての説明かを書く欄があります。その下にマスが書いてあります。最初の1マスが斜線でつぶされています。ここで、先ほどの文型の他に、最後に句点をつけること。書き始めは1字下げること注意します。字下げを意識させるのであれば、あえてマスをつぶさないという選択肢もあります。 形式や注意点を指示はしますが、この文をつくる目的の確認をすることや、目標が明確にすることはないままに、「短冊カード」が4枚(?)入った袋を配ります。子どもたちはすぐに短冊カードを取り出し、何枚もあることに気づきます。ここで、どんどん書いていいことを伝えます。もう一度指示の確認をして作業に入りました。短冊カードが配られてからまた説明があったので子どもの集中はいったん切れました。配る前に説明は終えておきたいものです。 明確な目標がないまま作業に入ったので、子どもたちは1文書くとすぐ次の「短冊カード」に取りかかります。子どもたちの目標は自然に何枚書くかになっていました。この作業に入る前に、家の人に伝える文章を書くという目的を再度押さえておく必要があると思います。絵を見せなくてもどんなものか伝わる文章にすることを目的として明確にするのです。モルモットの例を使って、1文と2文、修飾語が複数あるものなどを比較して、どれがよく伝わるかを考えさせます。こうすることで、詳しく書く、修飾語や説明の文の数を増やすことが目標として浮かび上がってきます。短冊カードをたくさん書くことではなく、1枚の短冊カードの中身を充実することを意識させるのです。 ここで、いくつかの問題が起きます。主語と述語の文型にこだわると、2文ある場合に困るのです。教科書の例は1つの項目(段落)が2文で構成されています。2つ目の文の主語は省略されます。連続する文の主語が同じ場合は原則として省略する方が読みやすいからです。教科書に主語と述語を使った文型が書かれていない理由です。このことを押さえなければいけません。1年生ですから、例をもとに、「2つ目は同じことについて言っているから『目は』と書かなくてもわかるね」といった程度の説明をすればいいと思います。 また、行頭の1字下げも正しくは文ではなく段落の最初です。1年生で段落という学習用語を説明するべきかどうかの判断は迷うところです。逆に段落の説明の前段館として、この短冊カードを使うという発想もあります。「短冊カードは同じことについて1枚使うよ。1つのことについて書く固まりごとに最初は1字下げる規則だよ」と「同じことについて書かれた1固まり」と押さえて「短冊カード」1枚を1段落とするのです。最初の1マスをつぶしておく意味もよくわかります。段落を定義する時に、この例を思い出させることでわかりやすくなると思います。 この教材は、説明文の構造を学習することが大きなねらいです。文の中身をつくることにあまり苦労はさせたくありません。そのために絵を描き、短い言葉で説明を書いておいたのです。初めに「知らせたいカード」の利用を具体的にやってみると文をつくる壁が低くなったと思います。「知らせたいカード」の短い言葉に主語と述語をつけて1文をつくってみるのです。1文をつくったあとで、もっと詳しくしようと、修飾語を増やす、別の文をつけ足すといったことをするとよいでしょう。 短冊を何枚も続けて書かせるのではなく、1枚だけ書かせてから子どもの文をもとに全体でどうやって詳しくするのかを共有してもよかったでしょう。 「短冊カード」をペアで読み合い、友だちのよいところを話し合わせます。「よいところ」とは何かが明確ではありません。どんなことを話したかを全体で発表させても、自分の文を読んでしまいます。文を書く時に子どもたちはよい文を意識していないから、よいところについて話していなかったのです。この授業で何をねらい、そのためにどんな目標で活動させ、どのように評価するのかが明確でなかったために、子どもたちはただ文を書いただけだったのです。 授業者は前回のアドバイスを意識して子どもたちを受容しようとしていることがよくわかりました。ただ、緊張していたので、表情に余裕がありません。経験の少ない先生ですから、仕方のないことです。また指導案を他の先生方の協力でつくっているのでどうしてもその通りに進めなければならないとプレッシャーがかかります。あくまでも指導「案」なので、時には思い切って捨ててよいのですが、それもなかなか難しいことです。 学校訪問で同じところを指定授業として見ていただくそうです。よいところがたくさんある先生ですので、そのよさが少しでもたくさん出ることを願っています。 検討会はグループ形式でした。「知らせたいカード」や「短冊カード」の使い方、実物投影機の使い方など、この授業のよいところをたくさん見つけてくれます。また、改善点の指摘も納得のできることばかりです。先生方に授業を見る力があることがよくわかります。 私からは、実物投影機の使い方と活動における子ども目線の目標、評価基準の必要性についてお話ししました。皆さん、とても真剣に話を聞いていただけました。 今回の訪問でも、多くのことを学ぶことができました。また、来年は早い時期おじゃまして年度初めのポイントについてお話しする機会をいただけることになりました。先生方にまたお会いできるのがとても楽しみです。 授業改善の芽が育ちつつあることを感じた模擬授業
先日、私立の中高等学校で模擬授業でのアドバイスを行ってきました。若手の先生による中学校の理科の唾液の働きの実験でした。多くの方が自主的に参加してくださいました。
授業は導入で朝ご飯を食べたか、なぜ食事をするのかといったことを子ども役とていねいにやり取りをします。しかし、肝心の、唾液の働きの実験をなぜ行うのかという疑問を子ども役に持たせることはできていません。「ご飯をよく噛めと言うけど、なんか意味がある?」と問いかけてみる。「じゃあ、肉はどうなの?」というように疑問や考えを持たせることが大切です。例え知識として知っている子どもがいても、「本当?絶対?」と揺さぶり、「どうすればそのことが言える?」とすれば、実験につなげることができます。この実験では唾液とデンプンを混ぜた液体を体温に近い温度にする必要があります。何らかの形でその必然性を問いたいところですが、天下り的に指示されます。 教科書的には、唾液のデンプンに対する働きだけを調べる実験ですが、タンパク質についても可能であれば確かめたいところです。唾液はデンプンにしか作用しないことを確認することも大切だからです。 授業者は、実験の全体像を見せずに個々に説明をします。これでは、子どもは指示に従って作業するだけです。まずは、何を知る実験か、結果はどうなるかの予測をさせるとよいでしょう。ここでは根拠を求める必要はありません。時間をかけずに予測させ、自分の立場を決めさせるのです。こうするだけで、実験の結果に対して興味を持たせることができます。この実験では、デンプンが唾液によってどうなるかを予測させます。デンプンは糖が長くつながったものだということは知識ですので教えてしまえばいいのです。そのデンプンが変化するのであれば、デンプンでなくなる。デンプンがバラバラになるのであれば、糖ができるはずだ。こういったことを実験の前に押さえておくのです。試薬の説明も最初にしておくとよいでしょう。デンプンがあるかどうかはヨウ素液、糖(正しくは還元性の糖)があるかどうかはベネジクト液を使って調べることができることを説明した上で、実験の細かい指示を与えるのです。結果の予想は、デンプンは「そのまま」「分解されて糖ができる」「変化するが糖以外のものになる」の3つです。それぞれの場合に実験の結果がどうなるかを整理しておくとよいでしょう(これとは別の軸で温度がありますが・・・)。 授業者は、準備の時間を短くするために、生徒の実験机の上に道具を準備していました。自分の手元の道具で説明するのですが、子ども役が目の前の道具を触って液をこぼしてしまいました。子どもがやりそうなことです。見事に子どもになりきっていました。目の前に道具があれば触りたくなるのが人情です。必要な道具をセットにしておいて、実験の直前に配るとよいでしょう。 全体像がわからないまま、知らない試薬を使うよう指示され、その説明は後からされるので、子ども役の先生方は混乱します。いくつもの指示が続くと集中力が切れます。先生方は、この授業がいい悪いと評価するのではなく、自分たちの授業でも同じようなことが起こっていることに気づかれます。子どもの立場で聞くとよくわかるのです。指示が複数ある時は、最初にいくつの指示をするかを言っておくだけで、心の準備ができます。そんなちょっとしたことが大切であることに気づいていただけました。みなさん、とても真剣にかつ前向きに参加してくださいました。 授業者はとても素直な方で、指摘されたことをできるだけその場で修正しようとします。私の指摘にも終始笑顔を絶やしません。これはなかなかできることではありません。この方なら、ちょっと意識をするだけで大きく進歩するはずです。次回は今回の模擬授業で気づいたことを意識した授業をしてくれることと思います。1時間じっくりと授業を見せていただいた後、どのように具体化すればいいのかを一緒に検討したいと思っています。 授業改善への意欲を持った先生が増えつつあることを感じます。授業改善の芽が育っていくのが楽しみです。 学校としての課題が明確な小学校で授業アドバイス
先日、小学校で授業アドバイスを行ってきました。午前中に学校全体の様子を見せていただき、午後は授業研究でした。
学級ごとの様子がかなり異なる学年と、ほとんど同じ学年がありました。同じような状態の学年はいろいろなことが統一できているのでしょう。少なくとも学年として学習ルールや指導内容が統一できていると、次年度の学級編成が変わってもスタートがとてもやりやすくなります。理想は学校として統一できることです。なかなか難しいのですが、その必要性を感じました。 全体として、先生方は子どもをよく受容できていると思いました。子どもたちとの関係も良好に見えます。その一方で、授業規律については少し曖昧になっているように感じます。子どもに鉛筆を置くように指示しても、全員が従っていないのに話を始めたりします。また、子ども同士をつなぐ意識も低いように思います。教師は発表者を見て話をしっかり聞くのですが、教室全体を見ようとはしません。1人発言するとすぐに説明を始めます。一問一答の授業です。そのためにどうしても教師のしゃべりが多くなります。子どもに反応を求めないので、子どもたちも自分が指名されないと参加する意味がないので、友だちの発言の間は集中力を失くします。教師の話も長くなると聞けなくなる子どもが出てきます。しかし、板書を写すなどの作業はきちんとやることができます。教師が子どもたちに聞くことを求めていない、聞くことの価値を与えていない授業とも言えます。「同じ考えの人いる?」「なるほどと思った人?」というように、常に子どもの発言に対して反応を求めることが必要です。 また、挙手で授業を進める傾向が強いのも印象に残りました。挙手しない子どもは参加しません。「困っている人?」と困っている子どもに参加を求める、子ども同士に相談させ考えを持たせる。野口先生流に、全員に答を選択させ立場をはっきりさせるといった工夫で全員を参加させるようにすることが大切です。 「なるほど」と子どもたちを受容する言葉が出てくるのに対してほめる言葉、評価する言葉が少なかったのも気になりました。子どもを受容するだけでなく、よい発言、よい行動を評価することで子どもたちによい価値観が広がります。 学校としての課題がはっきりしていると感じました。 この日見たいくつかの算数の授業では、教科書では押さえてあるポイントを外していました。また、考えることよりも答の出し方を重視していることが目立ちました。次回11月8日(土)の教師力アップセミナーでは、豊田市立小清水小学校の和田裕枝校長が算数の教材研究のやり方について具体的にお話ししてくださいます。算数の授業力向上に間違いなく役立つ話が聞けますので、多くの小学校の先生に参加していただきたいと思います。 研究授業は5年生の社会科で子どもたちが今まで学習したことをもとに、自分たちがよいと思う機能を持った車を提案します。 この日はまず、これまで調べた車の工夫の発表から始まりました。3つの班がそれぞれ事故を防ぐ(パッシブセーフティ)、人の命を守る(アクティブセーフティ)、誰にでもやさしい(福祉・ドライブアシスト)というテーマで発表します。これらのテーマにそった車の機能を、1人が1つ、原稿を見ないで発表します。しかし、子どもたちは資料の内容をただ覚えて発表するだけです。発表者自身もその意味はほとんどわかっていません。車のパンフレット暗唱しているようでした。聞いている子どもたちも、メモをすることに一生懸命で顔が上がりません。理解できない内容で何をメモしているのか気になります。発表の言葉のいくつかをそのまま書いているだけでした。細かい機能や原理ではなく、これまで学習した車社会の課題とそれを解決しようとしているのかといった視点での発表にした方がよかったのかもしれません。 発表で聞いたことをもとに自分たちの車にどんな機能を持たせるか、そしてそのキャッチコピーをどうするかを考えて、班で1つに決めます。話し合い活動の前に個人の考えを持たせようとします。自分の考えを持たせることにこだわるのは、持っていないとグループで発表できない。そして、答を1つに決めるので、自分の考えを持てないと参加しにくくなるからです。しかし、友だちの考えを参考にして自分の考えを持つのであれば、そこにこだわる必要はありません。グループ活動にはこういう考え方があることも知ってほしいと思います。 6人の班なのですが、なぜか端にいる子どもがペンを持って仕切っているところが多くありました。反対側の子どもは立ち上がって身を乗り出して参加しています。やる気があってよいのですが、やはりこの人数、隊形は無理があるように思いました。 そもそもこの活動は、どうなればよいという目標がはっきりしません。子どもたちは機能をたくさんつけて、どこかで見たようなコピーをつくりますが、この発表を聞いて誰がどうなればいいのでしょうか?結局、根拠のない作業になっています。子どもたちの目線、言葉で目標と評価規準を与えるべきでしょう。 また、キャッチコピーとはどのようなものであるか明確にされていません。3年生で学習したお店の工夫で見たポップなどを思い出すといったことをしてもよかったかもしれません。 もう一度車社会の課題を整理して、今どんな車が必要なのかというように、もう少し自分たちが考える車のねらいを意識させるとよいでしょう。また、搭載する機能の数に制限をつけるといった発想もあります。3つなら、6つならというように2段階にすると、何がより大切なのかを考えることにもつながります。数が少なければ少ないほど、安全に関する機能に集中するはずです。これは1つの例ですが、子どもたちが考えるような仕掛けが課題には必要です。 最後に授業者は死亡事故のグラフを提示し、車づくりの工夫によって事故が減っていることを示しました。これも子どもたちが考える材料になっていません。まず、死亡事故を減らすためにどんなことをするといいか考えさせることが大切です。事故防止のためにインフラや法整備などもされています。車づくりの工夫にしか視点がいかないようでは困ります。社会全体でいろいろな工夫をしている中で、自動車会社は何をしているのだろう。君たちは何ができるといったアプローチもあると思います。 全体の場では、この日見た授業からどのようなことを意識すれば授業がもっとよくなるかという話をしました。また、研究授業をもとに、活動における子ども目線の目標、評価規準の大切さと、グループ活動の原則についてもお伝えしました。参加された皆さんがとても真剣な表情で話を聞いてくださったのをとてもうれしく思いました。 私の話から何か1つでもヒントになることを見つけていただけたら幸いです。また、先生方にお会いする機会があることを願っています。 野口芳宏先生から、いつも以上に多くを学ぶ
3連休の最終日は、今年度第4回の教師力アップセミナーでした。国語の授業名人野口芳宏先生の講演です。台風19号が近づいている中、多くの皆さんが参加してくださいました。それだけ、皆さん野口先生のお話に期待されているのでしょう。私もその一人です。教師力アップセミナー開始以来、毎年一度も欠かさず講師としてご登壇いただいています。そのぶれないお話にはいつも元気をいただいています。
午前中は、「海の命」をもとに野口先生が考える物語授業の進め方を具体的に教えていただけました。野口先生は学習用語を教えることを大切にされています。国語の学力には教材内容と教科内容があります。教科内容の大切な要素として、学習用語を挙げられます。作品の最初の1行からも、「題名」「作者」「作家」「筆名」と教えるべき学習用語がたくさんある。「会話文」と「地の文」、「段落」などもきちんと定義をして教えるべきだと語られます。 音読も、題名は大きく、作者名は小さく、題名と本文の間の空白行はびっくりするほどとって静かに読み始めるというように、教えるべきことをきちんと教えるようにと主張されます。 野口先生の全員参加の考え方が、この日はいつも以上に詳しく語られました。挙手に頼ると全員参加できない。「○か×」と全員に判断を求める。短い言葉で「書かせる」。「主人公の性格を2字熟語で書きなさい」というように、時には2字熟語で表現させるといったやり方も示されます。作品にそって発問されるので、とてもよく理解できます。しかし、こういった技術を活かすためには、作品のどの部分を取り上げるべきかの判断が大切です。教材研究が大切なのです。 子どもの読み取りを助けるのに言葉を足しながら読む方法があります。道徳でよく使われる手法です。この言葉を足すことを「着後」、こうやって授業する方法を「着語法」と言うのだそうです。この言葉を今まで私は知りませんでした。どこかで目にしていたはずなのでしょうが、記憶にありません。お恥ずかしい限りです。 この方法を活用するのであれば、授業でどの表現を扱うがはっきりしていなければ、どこで言葉を足すべきか判断できません。こういった手法を活かすにも、やはり教材研究が大切です。この日、野口先生が模擬授業で伝えられたことの裏には、常に深い教材の読み取りがありました。表面的に野口先生の授業をまねようとしてもそれほど簡単ではない理由はそこにあります。 作品に書かれた「現象」「会話」「事実」から「合理的に推論」することが鑑賞力と定義されます。国語の授業で、私がいつも「本文を根拠として答えることを求めてください」と先生方にお話しすることは、この野口先生のお考えの影響です。 この解釈を助ける方法の一つが比較です。この言葉がなければどうだろう、この表現を他の表現に変えるとどう違うと問いかけることで、作者の意図や表現したいことがよくわかります。このことを具体的な例でわかりやすく伝えられます。 解釈で大切なことは、表の意味「表層義」ではなく裏の意味「深層義」であると話されます。私たちはこのことを明確に意識することなく問いかけ、答えさせることが多いように思います。子どもから「表層義」しか出てこなかった時にどう対応するかが教師に問われますが、この「表層義」「深層義」という言葉を象徴的使うことで、問い返しやすくなると思いました。 この日の模擬授業で、野口先生は参加者に何度も短く端的に答えるように迫りました。考えが明確になっていないと、言葉がどんどん足され言っていることが揺れていきます。聞いている方は何を言いたいのかよくわかりません。短く端的に伝える訓練をする必要があるという主張はその通りだと思います。 ともすると、子どもがたくさんしゃべったことを評価する傾向があります。そのこと自体を否定する気はありませんが、教師が問い返すことで、その内容を明確にさせていくことが大切だと思います。 この日、野口先生は「問われて気づく」ということを何度も強調されました。教師が問わなければそのまま気づかずに済んでしまうことがたくさんあるということです。子どもに「問いかける」のは教師の大切な役割です。では、何を問いかけるのか。やはり教師に求められるのは教材研究ということになります。どこまで行っても、そのことから逃れられません。だから、野口先生のお話をうかがうと、いつも「お前はきちんと教材に向き合っているか」「教師たる者、学び続けているか」と迫られている気持ちになるのでしょう。 午後の第一弾は、若手の授業ビデオをもとに野口先生が講評をするというものです。野口先生が批判される「学び合い」に取り組んでいる学校です。司会はその学校の校長です。授業自体は学び合い以前に国語の授業として課題の多いものでしたが、司会者は批判ではなくどうすれば授業がよくなるかという視点で野口先生の言葉を上手く引き出します。 このやり取りの中で、野口先生が話し合いそのものを批判しているのではなく、子どもたちが何を話し合うのか、その内容を問題にしていることがよくわかりました。いつか、野口先生にこういう学び合いならいいという授業をお見せしたいという司会者の言葉で終わりました(自校でと言わないところがずるい(笑))。 最後は、道徳の教科化とそれに伴う評価のお話しでした。教えるべきことは教えるべきだという野口先生の主張はその通りだと思います。教科化で何を教えるべきかが明確になるのならそれはとてもよいことだと思います。社会の誰もが納得する当然のこと(ルールは守る、人を傷つけてはいけない等)を学校で教えるのかということには、何か釈然としないものがあります。本来家庭で教えるべきことを学校で教えなければならなくなってきたということでしょう。では、価値観が分かれそうなことはどうでしょうか。それに対して教師は自分の考えを強く言うことに臆病になっています。保護者から批判も来るかもしれません。教科化でそのことも明確になるのなら少しは精神的に楽になるのかもしれません。しかし、野口先生は教科とは関係なく、教師が堂々と伝えるべきだと考えられていることが言葉の端々から伝わってきます。制度では教育の質を変えられない、それを変えることができるのは教師の質である。野口先生の言葉はいつも教師であることの意味を私たちに問いかけます。 東京大学名誉教授の東洋先生の「評価は有限である」という言葉を例に出し、評価することを恐れるなと話されます。所詮評価は有限である。野口の評価は野口個人の評価であって絶対ではない。別のものが評価すればまた変わる。そういうものだと。 そこには、批判を受けても堂々と答えるという強い意志が隠されています。私が胸を張ってこう言えるようにまでには、まだまだ自分を高める必要があると痛感させられます。 最後に野口先生の道徳の視点を少し話されました。見方・考え方・受け止め方である「観」をもとに考えるというものです。同じ事実に対して「非」観するのか「楽」観するのかでその後の行動は変わってきます。どうとらえるのかで生き方は変わってくるということです。次回は、具体的な道徳の授業を見せてくださるということです。とても楽しみです。 この日も、いつも以上に多くのことを考え学ぶことのできた1日です。いつ聞いても、何度聞いてもぶれない野口先生の姿に元気をいただくと同時に、わが身の至らなさを思い知らされます。まだまだ修行中の身であることを痛感します。 介護研修で組織にとって大切なことに気づく
先週末、介護関係者の研修を行ってきました。今回からは、自分たちの考える介護のスタイルについて考え、共有してもらうという内容です。
介護施設で皆さんが行っている仕事をグループでできるだけ細かく出していただきました。午前中だけに絞ってもものすごくたくさんの仕事です。素直に「忘れてしまうこともある」という言葉がでてきます。全体の場でこのようなことを正直に言うのは、実はなかなか勇気のいることです。これができるということは、互いに信頼関係ができているということです。 ここで、これらの仕事を進めるにあたって大切なこと、ポイントは何かを話し合っていただきました。いくつかのポイントが出てくるのですが、介護の技術的なことは出てきません。この施設では技術面での不安や心配はないので上がってこないのです。出てくるのは、コミュニケーションの問題と利用者を見守るという姿勢の問題です。前者は、利用者の情報や大切なことを全員が知っておかなければならないという当たり前のことを問題にしていたのですが、それが現実には難しいことがわかります。今回は、この問題についてどのようにすればいいのかをグループで考えてもらいました。 最初に、ミーティングで共有する、見やすいところに情報を貼っておくといったシステム的なものと、その日必要な情報のメモをつくって常に手元に置いておくといった個人の対応がでてきました。しかし、それではちゃんと見ない人、やらない人には通用しないという意見が出てきます。みなさん、自分が与えられた仕事をミスのないようにしているだけではダメだと気づきはじめます。申し送りのノートに書くだけでなく口頭で伝える。忘れていることやミスに気づいたら、立場に関係なく声をかけるといったことが出てきました。そこには仕事をこなせばいいという受け身ではなく、自分たちの施設、自分たちの問題だという意識があります。これができることが組織としての力です。とてもよいことに気づいてくれました。素晴らしいと思います。 「忘れていたことを指摘された時にどう反応しますか?」という問いかけに、ある職員の方が、最後に「ありがとう」の言葉を足されました。多くの場合は謝るか、言い訳です。自分の身を守る対応です。この方は指摘されたことに対して「ありがとう」と感謝を伝えました。なかなかすぐに出てくる言葉ではありません。指摘する方も勇気がいります。謝られると相手に嫌な思いをさせたと暗い気持ちになります。「ありがとう」の言葉は相手の気持ちも軽くしてくれます。 こういった職員一人ひとりの持つよさがどんどん広がることを願っています。 介護の専門知識のない私には直接皆さんのお役に立つ話ができるわけでありません。こうして皆さんの中にある素晴らしいものを引き出すことしかできません。これは、学校の教師にも通じることかもしれません。子どもたちに教えるだけでなく、子どもたちの中にあるよさを引き出し、共有させることです。特に教科化が決まりそうな道徳では大事にしたいことだと思っています。 この日も参加者の皆さんから大切なことにたくさん気づかせていただきました。感謝です。 基本がしっかりとできていて、学ぶことの多かった授業
前回の日記の続きです。
授業研究は1年生の国語でした。今年異動して来たばかりの方です。 第一印象は、子どもたちの笑顔がとても多いことでした。学級経営が上手くいっている証拠です。授業者が子どもたちをよく見ていて、受容する態度にあふれています。雰囲気のよいのは当然のことかもしれません。 この日の授業は、今まで学習した自動車を比べる文章をもとに、はしご車の説明の文章を書く場面でした。 まず、廊下側の窓に貼ってある模造紙に書いてある、これまでに学習した文章を見せながら、車の「つくり」に関する修飾語の違いを見つけるクイズを出します。この日の授業は、はしご車の「つくり」について文を書くのですが、そのために修飾語を意識させようというわけです。子どもたちは素早く廊下側に体を向けます。子どもを指名すると、すぐにそちらに体を向けます。授業規律がしっかりしていることがよくわかります。 次に、前時で学習したはしご車の「しごと」を問いかけます。手の挙がらない子どもがいます。「全員手が挙がるといいね」と声をかけ、思い出せない子どもには手元にある今まで学習した車について書いたカードを見てもいいことを伝えます。とてもよい対応です。思い出せなければ調べればいいということをきちんと伝えています。 はしご車に何がついているかという問いかけに、「鏡」と答えた子どもがいました。子どもたちも授業者もよくわかりません。発言者は「教科書に載っていた」と付け加えます。すると子どもたちが一斉に教科書を開きました。とてもよい場面です。どうやらバックミラーのことを言っていたようです。そのことを全員が確認できたところで、「どの車にもついている」という声が上がってきます。授業者は鏡を「つくり」の説明に取り上げるべきかどうか子どもたちに問いかけます。入れないという意見が多いことを確認した上で、発言者に声をかけます。発言者は納得してくれました。授業者が子どもたち一人ひとりに寄り添おうとしていることがよくわかります。「はしご」「あし」「かご」「ホース」の4つが出てきました。 子どもたちにはしご車の動画を見せることを伝えます。子どもたちのテンションが上がります。「これは危ないな」と思いました。しかし、授業者は続けてはしご車に必要な「つくり」は何かを考えるように指示をしました。ちゃんと動画を見る目的を持たせたのです。子どもたちは体をしっかり前に傾けて真剣に見ています。見ていて気づいたことをつぶやく子どももいます。授業者は画面ではなく、ちゃんと子どもを見ています。子どもたちは最後まで集中を切らしませんでした。 続いて、はしご車の仕事に何が必要かを確認します。動画のはしご車にはホースはあるのですが活躍しません。ホースを入れるかどうかは意見が分かれます。一人の子どもがホースの必要性にとてもこだわっています。授業者は無理にこの子どもを説得しようとはしません。残しておくという選択をしました。ここでは、選ぶための基準が明確になっていないので、根拠を持って説得することは不可能です。正しい判断だと思います。4つの中から好きなものを2つ選んで書くことを指示しました。 いよいよ本時の主となる活動である文書を書くことが課題として前面にでてきます。途中で動画の再生がうまくいかなかったこともあり、時間が押しています。「つくりの文章の終わりはどうなっている」とたずねながら、これまで学習した文章に、つなぐための言葉「そのために」と文末表現「・・・があります。」「・・・が、ついています。」が使われていることを確認します。ちょっと誘導的です。文の構造を意識させるのであれば、これまでの文章に同じ言葉(表現)はあるかと問いかければいいでしょう。 これらの言葉ともの以外をマスキングする(隠す)紙を模造紙の文章に重ねて、隠れているところに何が書かれているか考えさせます。子どもたちに修飾する言葉を意識させるためです。印象付けるためにはなかなか面白いやり方です。ここがしっかり書かれているのが「(車)博士の文章」だと伝えます。子ども目線の言葉で目標を与えているのもなかなかです。子どもが「詳しく」「どんな」といった博士の文章を説明するつぶやきが出ます。授業者は「いいこと言ってくれたね」と拾うのですが、全体にきちんと共有することはしませんでした。時間がないので焦っていたのでしょう。子どもたちに「やれそう?」と確認して、「やれそう」と返事が返ってきたので、活動を開始しました。 授業者はすぐに気になる子どものところへ支援に行きました。子どもたちは素早く鉛筆を持ちます。やる気十分です。ところが、ほとんどの子どもの手が動きません。活動を始めてすぐに支援に行くのは注意が必要です。ほんの少しの間でいいので、全体の状況を確認するのです。30秒も見ていれば、このまま進めても子どもたちが書くのは難しいと判断できたと思います。活動を止めて、全体で試しに一文をつくってみるといった対応をすればいいのです。 授業者は、一生懸命あちこちに支援に行きますが、それではとても追いつきません。作業をいったん止め、ペアで助け合って「つくり」の文章を1つだけでいいので、完成させるように指示しました。しかし、そもそもほとんど手がついていないので子どもたちは何を相談していいかよくわかりません。完成できなかった子どもがかなりになりました。 この単元は何を学習するのが目的だったかを問い直す必要があるでしょう。説明文の入門です。説明文の構造、書き方といった形式を身につけることが主の目的だと思います。「そのためには」「どんな(働きをする)」「もの」「・・・があります。・・・がついています。」という構造を意識させることが大切です。子どもたちは、この構造を理解していたと思います。だから、すぐに取りかかろうとしたのです。しかし、「どんな」の言葉が出てこなかったのです。語彙が少ないこともその原因の一つだと思います。この単元の目的からすると、この修飾する言葉についての壁はもっと低くしておく必要があったのでしょう。動画を見ることの活用を含めて、授業の流れを見直さなければいけません。 この日の目標である「博士の文書」はどのようなものか、早くから意識しておくとよいでしょう。文章の構造の確認は書く直前でよいと思いますが、「詳しい」ということが「博士の文章」であることを、動画を見る前に押さえておくのです。「詳しい」ということは、文章のどこの部分かを子どもに確認し、「どんな」の部分であることを共有します。その上で、動画を見る目的を「どんなという説明の言葉をたくさん見つける」にするのです。動画を見た後、「どんな○○だった?」とできるだけたくさんの子どもに聞きます。特に板書も必要ないでしょう。子どもの頭の中に言葉が生まれればいいのです。その後で、文章を書かせればいいのです。 検討会での授業者の反省は、実に冷静に自分の授業を分析できています。私のアドバイスは必要がないと思えるほどです。 グループによる授業検討が行われます。この市ではグループでの授業検討が定着してきたようです。うれしいことです。 この授業のよい点がたくさん出てきます。また、子どもたちが文を書けなかったことについてどのようにすればよかったのか、よいアイデアがたくさん出てきます。しかし、どうしても視点が、「この授業」なのです。この授業から「他の授業」に活かせることや「共通の課題」に学びが広がっていかないのです。そのことが残念です。 私からは、皆さんが気づいたことをもとに、どのような視点で授業をとらえ、つくっていくといいのかを具体的な授業技術と共にお話ししました。限られた時間なので、私の一方的な話になったことが悔やまれます。この学校が目指している「つなぐ」ことを意識して、先生方の考えをつないで見せるべきだったと思います。 検討会終了後、この日授業参観した先生方とお話をしました。皆さんとても素直で前向きだと感じました。きっと大きく進歩していくことと思います。 真剣に聞いていただけるので、ついつい余計なことまで話してしまいました。とても楽しく、私にとっても学びの多い一日でした。 また、訪問する機会があることを願っています。 幅広い層が授業を公開する
昨日は、小学校で授業アドバイスを行ってきました。事前にいただいた資料を見ると、学校として、毎日の授業でどのようなことを意識しようとしているのかよくわかります。授業検討では、「子どもたちの考えをつなぐ」ために、手立て・具体的な手法を協議しようとしています。
授業研究の前に、4つの学級の授業を見せていただきました。教室を移動する時に廊下から各教室の様子も観察しましたが、全体的に感じたのは、子どもたちの姿がバラバラだということです。教師の指示が徹底できていないということもそうですが、教師がこの場面で子どもたちにどういう姿を望むのかがはっきりしていないことが大きな要因と思います。 また、一問一答がとても多いことが気になります。子どもから意見が出ると、すぐに教師が説明を始めます。「子どもたちの考えをつなぐ」ことを意識して子どものつぶやきを拾うのですが、「○○さんがいいことを言ってくれた」とそこからは教師が引き継いで説明をしてしまいます。子どもたちの指名も挙手に頼りすぎでした。 6年生の若手の担任は社会科の授業でした。資料を見て気づいたことを子どもに問いかける場面です。「江戸時代の人々の暮らし」というテーマです。子どもたちに「気づいたこと」と問いかけますが、子どもが資料を確認する間もなく「どんな身分の人がいる」と畳みかけます。すぐに手を挙げた子どもを指名します。子どもが考える間がありません。すぐに反応する一部の子どもだけが活躍して、他の子どもは参加する間もありません。次第に集中力を失くす子どもが目立ってきます。 見つけたものが資料のどこにあるかを授業者が発表者のところに行って確認します。このような対応をすると、子どもたちは教師に対して発表するという意識しか持ちません。みんなに伝えようとしなくなります。 「どんな身分」から「どんな店」と教師が指示して視点が変わっていきます。なぜ、そこに注目する必要があるのか、そもそも何が目的なのか子どもたちはわからないまま引きずり回されます。典型的なミステリーツアーの授業でした。 江戸時代の暮らしを知るのなら、比較の対象があると考えやすくなります。今の暮らしと比べてもいいですし、過去に学習した時代と比べてもいいでしょう。教師に指示されたことをするのではなく、子どもたち自身が見つけよう、知ろうとすることを大切にしてほしいと思います。 2年生の授業は新卒の先生の国語でした。子どもたちのテンションが上がりやすい傾向にあります。授業者は子どもを制するためにテンションを上げて指示をします。子どもを見るのもチェックする視線です。例えば席の移動を指示すると、子どもはすぐにテンションを上げます。移動することしか指示していないので、それ以外のことは意識しないのです。チェックされないことは気にしません。「口を閉じて素早く」といったことも指示することが必要です。そして、できている子どもを固有名詞でほめることで、よい行動を広げるのです。 学習活動は、その目標と評価の基準が明確ではありませんでした。そのため、子どもたちはただ活動するだけになります。当然テンションは上がってしまうのです。 5年生の算数は中堅の先生の約数の授業です。自分の答を書いて見せることのできるノート大のボードを持たせています。前時の時間の復習で「8を割り切ることのできる数はどんな数?」と質問します。子どもたちは先ほどのボードに自分の答を書いて頭の上に出します。これは全員の考えを知るのにとてもよいアイデアだと思いました。「偶数」と書いてある子どもがたくさんいます。授業者にとって予想外の答だったようです。「8の約数」と答えてほしかったのですが、子どもにとってどう答えていいかわかりにくい発問でした。間違えた子どもは約数の定義ではなく、「8の約数はどんな数か」と問われたと思ったのです。約数の定義を問うのなら「どんな数?」ではなく「なんという?」と聞くべきだったのです。約数は数ではなく、そのような数の名前なのです。 授業者は、8の約数に1が入っていることに気づいて、1があるから偶数は間違いと言って次に進みました。予想外の答で落ち着いて対応できなかったのです。せめて、偶数と答えた子どもに「それってどういうこと」と聞くべきでしょう。子ども自身で間違いに気づかせて修正させたいところです。 約数の見つけ方で「ペアで見つける」という言葉が子どもから出てきました。教師はすぐに板書をしてから、子どもたちに理解したかをたずね、発表者に説明させました。板書をした時点で写す子どももいます。子どもはこれを受け入れるべきものとして認識しています。まずは、この言葉を全体で理解して共有することをするべきです。「それってどういうこと?」と問いかけて説明させ、納得した子どもにもう一度説明させる。何人にも説明させて、最後もう一度まわりと確認するくらいで、やっと全員が理解するのではないでしょうか。割る数と商がともに約数になることはそれほど自明ではありません。このことをていねいに確認したあと、割る数と商を線で結んで「ペアだね」と押させたいところでした。 もう一つの6年生の学級はベテランの担任で、算数の速さの授業でした。テンションが上がりやすそうな学級ですが、授業者はよくコントロールしているように感じました。笑顔をよくつくっています。 子どもの言葉を活かそうとする意識はあるのですが、どうしても自分で説明してしまいます。また、問題を解かせる前に、「これを使えばいいね」と教師が見通しを持たせてしまいます。「何を使えば解けそう?」と子どもに問いかけたいところです。 答を発表する場面のことです。勘違いをしてちょっとズレたことを言ってしまった子どもに対して、揶揄するような声が上がりました。ちょっと心配です。エスカレートしないうちにたしなめることが必要です。また、発言者が修正した時点でしっかりとほめて、揶揄されたことを打ち消すようにするとよいでしょう。 若手だけでなく、中堅からベテランまでが授業を公開してくれました。各年代層が積極的に授業アドバイスを受けようとしてくださる学校は、進歩も早い傾向があります。この学校も間違いなく大きく進歩すると思います。 授業研究については次回の日記で。 「授業検討ツール」を使った授業検討のための授業で考える(一部削除)
一昨日は、市の教育研究会にオブザーバーとして「授業検討ツール」(教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第6回「大きく進化した授業検討ツール」参照)を使った授業検討会に参加しました(「授業検討ツール」を使った授業検討の打ち合わせ参照)。授業は中学校3年生の数学の関数の締めくくりの授業でした。
この日の目的は、授業検討ツールの検証です。司会者の方は私以上にこの授業の問題点を理解されています。メモ用紙には「?」がいたるところに書かれています。どのような問題点が浮かび上がるだろうと楽しみにしていたのですが、市の教育研究会ということで遠慮していたのか、みなさん課題を指摘しません。そんな中で司会者は、話題にすべき場所をクローズアップされました。さすがでした。 検討会については、愛される学校づくり研究会の教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」で紹介しますので、ここではこのくらいにしておきます。 終了後、司会者と検討会について振り返りました。非常に多くのことが明らかになってきました。このツールのよさと、誰でもが活用できるためにどんな条件が必要か、どうすればその条件がクリアできるのかといったことをたくさん気づくことができました。このような機会を得られたことを本当にありがたく思います。 学校が新たな一歩を踏み出す胎動を感じる
昨日の日記の続きです。
社会科の授業研究は、1年生のヨーロッパ州の最初の時間でした。授業者は今年この学校に異動したばかりの方です。指示の言葉が短く非常に明確です。子どもたちは素早く反応します。ムダな時間がほとんどないのが印象的です。非常に落ち着いた雰囲気で子どもたちは学習に集中していました。授業者は新しい環境で4月5月は苦しんでいましたが、この学校に合わせた自分のスタイルが見つかったようです。 この日の授業は、ヨーロッパ州を概観する内容です。ヨーロッパを自然環境、人口・民族、農業、工業の4つの視点で調べて、どのような地域であるかまとめるというものです。 今回はジグソー学習の形を取っていました。課題をいくつかに分割してそれぞれで取り組み、後で組み合わせて1つにしてくという、協働学習の手法です。 グループの中で担当を割り振り、授業者が準備した資料とキーワードをもとに個人で調べてまとめます。中には教科書や資料集を見ている子どもがいます。用意された資料と同じような内容を探して、そこに書かれている記述を写しているのです。それならば、最初から教科書や資料集をもとに調べさせればいいでしょう。授業者としては、与えられた資料から読み取ってほしかったのでしょうから、教科書や資料集は使わないという指示を出せばよかったと思います。 グループの隊形での作業ですが、子どもたちは互いに違うことを調べているのでかかわり合うことはありません。集中して取り組んでいるからこそ、かかわり合わないのはもったいないように思いました。授業者は最初10分間と言っていたのですが、ここで時間を使いすぎない方がよいと判断して、早めに切り上げ次の活動に移りました。よい判断です。同じ項目を調べている子ども同士で新たにグループを作り、そこで情報を交換して元のグループで発表するための内容を深めるのです。いつもと違うグループで話をすることは、人間関係をつくるためにもよいことです。子どもたちは、この活動の目的を理解しているので、友だちの言葉をよく聞いているようでした。 次の活動に移ります。授業者はまず、元のグループに戻るように指示をします。こういった移動も実にスムーズに素早く行えます。移動が終わってから次の指示を出します。このように指示を分割していることも、子どもたちの動きのよさにつながっているように思います。自分の担当の内容を説明する時には、どこから言えるかの根拠を必ず話す、聞く側は、発表をそのまま写すのではなく、重要だと思ったことだけを書くようにと指示します。特に聞く側に考えることが必要な条件をつけることで、受け身でなくすことを意識しています。ちょっとしたことですがとても大切なことです。 子どもたちはしっかりと活動していますが、ちょっと空気が重たいように感じました。ところが次第に子どもたちのかかわり合いが増えてきます。聞く側に対する指示が効いているようです。しっかりと聞いてもらえるので、発表した後の子どもの動きがよくなるのです。ただ、発表者の中には「資料から・・・」と具体的に資料のどこからかを言えない子どももいました。時間の関係もあり、子どもたちが根拠を共有していないことが気になりました。 ヨーロッパ州とはどういう地域かをまとめた文章の穴埋めが最後の課題でした。事前に行なった他の学級の授業で、自分たちでまとめさせる時間があまり取れなかったので、このように変更したのだそうです。子どもたちはグループの中で自然に相談しています。気軽に聞き合える関係になっていることがよくわかります。授業者が子どもたちに問いかけながら正解を発表していきます。正解だった子どもはうれしそうに反応します。しかし、最後の活動が穴埋めになっているので、子どもたちは自分たちの活動が教師の求める答を導き出す活動だったと思うかもしれません。このことはちょっと気になる所です。 ここでのまとめは、「高緯度だが温暖」「複数の民族や言語が存在している国がある」「気候によってさまざまな農業が行われている」「資源や工業で国同士が結びついている」という4つの視点からのものですが、これらは結論、結果です。「なぜ高緯度なのに温暖なのか?」「複数の民族や言語が存在している国があるけれど、日本はどう?いろいろあって問題ないの?」「さまざまな農業というけれど、いろいろなものがつくられていることは、いいの?悪いの?」「資源や工業で国同士が結びつく必要がどうしてあるの?」といった質問をしたり、疑問を持たせたりしたいところです。こういった疑問は次の課題のEUにつながっていきます。EUについて学習する前にこのまとめを扱ってもよいかもしれません。 この授業の前に、2年目の先生がいっしょに授業を見たいと言ってくれました。素直に今苦しんでいることを伝えてくれました。自ら助けを求めることができることはとてもよいことです。教科が違うので直接参考にすることはできないかもしれませんが、この授業の課題や子どもたちの動きのよさの理由などをできるだけその先生の授業と比較しながら話をしました。今は苦しいかもしれませんが、学ぶ姿勢があれば必ずそれを糧とすることができます。成長が楽しみです。 また、養護教諭も一緒に授業を見てくれました。この日、11月に研究授業をする他校の養護教諭と打ち合わせをするので、この授業から学んでその先生に伝えたいというのです。この市の養護教諭のチームワークのよさ感じさせられました。どんな授業になるかとても楽しみです。 授業検討会では、授業者としては何をねらいたかったということが話題になりました。一番のねらいに時間をかけることが大切だからです。ヨーロッパ州を概観するといっても、1時間しか配当できないので時間があまりありません。子どもたちの活動で授業を進めるためにジグソー学習を取り入れて効率化したのですが、それでもまとめる時間が足りなくて、最後は穴埋め問題にしたのです。しかし、授業者は、本当は子どもたち自身でまとめさせたいと思っていたようです。ならば、この流れの中でその時間どうつくるかです。できるだけ効率的に、考えるために必要な情報を与えることが求められます。ジグソー学習を活かすのであれば、グループごとに項目を割り振って調べさせます。それを全体で共有するのです。この時、今回のグループでの報告で指示したように根拠を言わせるだけでなく、実際に資料を確認する活動を必ず入れるようにします。社会科として資料を見る力をつけることを意識する必要があるからです。ここを足場にして、子どもたちにヨーロッパ州はどんな地域かをまとめさせるのです。この流れならば考える時間をつくることができると思います。各項目を調べてまとめる時、これまでやってきたアジア州はどうだったか簡単に確認してから進めてもよいでしょう。まとめ方も明確になりますし、自然にヨーロッパとアジアを比較することにもなるので、特徴を見つけやすくなると思います。 この学校の社会科もチームワークがとてもよく、指導案もみんなが意見を出して一緒につくり上げています。そのため、授業検討会も第三者的な批判などはなく、当事者意識を持ってどこが課題か、どうすればいいのかと考えています。互いに学び合い成長できる関係だと思います。 6時間目の学活の時間の1、2年生のようすをざっと見ました。 1年生はとてもよい雰囲気でした。ただ、一部の学級で担任との関係がぎくしゃくしているように感じました。担任は何とかしようと動いているようですが、ちょっと過敏に反応しすぎているように思います。もう少し余裕を持って子どもたちを見守ることも必要だと思います。 2年生は、学級によって雰囲気の差があるように感じました。担任との関係がまだうまくできていない学級があるようです。しかし、それよりも気になるのが学級の中で友だちとかかわれていない子どもが以前よりもはっきりとしてきたように感じることです。体育大会などの行事をきっかけに学級の子ども同士の関係が密になる時期です。しかし、人間関係をうまくつくれていない子どもにとっては、より疎外されやすい状況とも言えます。どうも行事がそのように作用したのではないかと思います。人間関係がうまくつくれない子どもがいる時は、担任は子どもたちと一緒になって行事を盛り上げようとするよりも、ちょっと距離を取って子どもたちの人間関係を見守っている必要があります。こんなことを思い出しました。 また、この学校では、半年間固定の班を基本としていろいろな活動が行われています。教室の座席も班でかたまっているので、授業での人間関係も班にしばられます。人間関係が固定されるので、うまくかかわれない子どもが孤立しやすくなります。生活の班と、授業でのグループは別にした方がよいように思います。 この日も数学科の有志と勉強会を行いました。台風で実施できなかった授業研究の内容について話しました。関数のグラフと方程式のグラフがうまく結びつかない子どもがいて、それをどうしたらいいかを授業研究で話題にしたかったそうです。私なりのアドバイスをして納得はしてもらえましたが、実際に授業を見ていないので、あくまでも子どもの状況を推測しての話です。中止になったことがとても残念でした。 学校内で授業研究に対するエネルギーが少し上がってきたように思います。校長や教務主任が授業を大切にするように働きかけていることの効果が出てきているようです。ここのところ先生の異動が多かったため、現状維持に精一杯だった面もあったのですが、次の一歩を踏み出すような胎動を感じます。この動きを本物にしていかなければと思っています。 意欲的な初任者の授業
昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。台風18号の影響で3限目までの授業がカットされ、予定していた数学の授業研究がカットされたのが残念でした。英語と社会科の授業研究と学級活動の時間を参観しました。
初任者の授業はTTで行う2年生の英語でした。授業者の笑顔がとても印象的です。授業中一度も笑顔を絶やしませんでした。ちょっと癖のある子どもや授業に集中しない子どももいる学級ですが、きちんと授業が成立していました。この半年間で立派に成長しています。 この日の授業は音読を中心にしたものでした。最初にこの日のテキストをリスニングします。子どもたちはなかなか聞き取れないようすです。この日初めて学習する単語や語句もたくさんあるからです。よく言われるのが「読めない言葉は聞けない」です。少なくとも知らない単語を聞き取るのはとても難しいことです。 聞き取れた単語を子どもたちに聞きます。数人の手が挙がります。文全体や内容を聞き取るのが難しくても、単語なら聞き取れる可能性は増えます。子どもたちが参加しやすいように考えられた発問です。それでも、あまり手が挙がらなかったので、授業者は困った表情をするかと思ったのですが、笑顔を崩しませんでした。順番に指名していきます。最後の一人になった時に、それまで指名されなかった子どもは全部言われたとつぶやきました。一問一答になっていたので、参加できなかったのです。同じ単語を聞けた子どもをつないだり、「その単語の前後は何て言ってか聞き取れた?」「その単語の前後にはどんな言葉がありそう?」と他の子どもをつないだりして、少しでも多くの子どもが参加できるようにすればよかったと思います。 最後の一人はメモを見ながら数を発表します。電話番号があったのです。それを見て、「メモしている」というつぶやきがありました。メモをしているのはずるいと思ったのでしょう。授業者はそれに対してコメントしませんでした。授業者としては子どもにメモを取ってもらいたかったのでしょうか、それともメモを取らずに記憶してもらいたかったのでしょうか。いずれにしても、「メモを取っていたんだ。大事な言葉をメモできるといいね」というように評価するか、「メモを取っていたんだ。メモを取らずに頭に覚えておけるともっといいね」というように返すかして、どうしてほしいのか伝えてあげなければいけません。 聞き取れた単語が本当にあったのか確認することも必要です。聞き取れなかった子どもは、自分で確認できるすべがありません。友だちが言ったことをそのまま信じるしかありません。自分で確認して、できるようになる場面をつくることが必要なのです。子どもたちが発表した単語を意識できているうちに、もう一度挑戦し、1つでも聞き取ることを経験することがやる気につながるのです。 続いて、新出単語と語句の意味です。予習をすることになっていたので、子どもに意味を聞きます。何人かの子どもがその場ですぐに答えます。意欲のある子ども、活発な子どもが場を仕切っています。他の子どもは参加することができません。一部の子どもと他の子どもたちの関係が悪くなります。予習をしてこなかった子どもは、教師が教えてくれて練習するので特に困ることはありません。一部の子どものためにだけある場面になっています。こういう時は、単語の意味をまわりの子どもと確認させるのです。予習をしていた子どもは、活躍できます。してこなかった子どもは友だちに教えてもらい、予習をしてきた方がよかったかなと思ったりします。こうすることで子どもの関係をつくりながら、予習に対する意欲を上げていきます。 T2がフラッシュカードを使いながら練習をさせます。先ほどのリスニングは、この後に行なえばいいのです。練習したばかりの単語だから意識をすれば聞けるはずです。まずは、聞き取れたという達成感を与えてあげることが大切です。 チャンクリーディング(短文、語句単位で読ませる)、1文読み、部分リピート、・・・とたくさんの読む活動をします。しかし、これらの活動の目標がよくわからないのです。この日の最終目標は何か、一つひとつの読む活動の目標は何かを子どもたちは意識していません。ただ、指示に従って活動しているだけです。活動量は多くても子どもたちに達成感がありません。どんな力がついたか自分でよくわからないのです。目標を明確にし、子ども自身で達成できたかどうか評価できる場面が必要なのです。 教科書を見ながらのリーピートリーディングでは、ある子どもは教科書を見ながら、別の子どもは教科書から目を離し、授業者を見ながら発音しています。どちらも真剣です。最終目標は暗唱できることでしょうか、英文を読めるようになることでしょか、それともリスニング力をつけることなのでしょうか。それらすべてと言うのなら、この活動では何をねらっているのでしょうか。このことを授業者が意識していれば、子どもの姿がバラバラにはなりません。暗唱が最終目標であれば、「教科書を見ないで声を出してね。難しければ見ていいからね」と指示をし、次のステップでは、教師は最初の単語だけ発音すればいいのです。リスニングを意識するのなら、教科書は使わずにリピートさせ、聞き取れていなければスピードを落として、何度も聞かせるようにすればいいと思います。授業者が意識できていないので、当然子どもたちも意識しないのです。 また、読み方も意識してほしいと思います。最初はナチュラルスピードではうまく聴き取れません。当然少しゆっくりです。ゆっくり読むと単語単位の読みになって言葉のつながりが切れてしまい、文として読んだ時とは違って聞こえます。ゆっくりでも言葉のつながりがわかるように読む必要があります。これは、実は訓練しないとなかなかできないのです。こんなことも意識してほしいともいます。 シャドーウイング(相手の読みのすぐあとをついて読む)やジャスチャーリーディング(シチュエーションを表わすジェスチャーに合わせて読む)にも挑戦しています。ジェスチャーリーディングは9月に受けた東京都港区立赤坂中学校の北原延晃先生の研修に参加しての挑戦です。この意欲は称賛に値します。しかし、まだまだ消化できていません。当然です。実際にやることで、ポイントがわかり、上手く使えるようになるのです。しり込みしていてはいつまでたっても使えるようにはなりません。この挑戦する姿勢が大切なのです。 シャドーウイングは、まだ始めて日が浅いので子どもたちが追いかけて読み始めるタイミングがつかめません。こういう場面こそTTをうまく活用するのです。どちらか一方が最初に読み、もう一方が、追いかけて読むきっかけを出すのです。慣れるまでは、こういったことも必要なのです。 ジェスチャーリーディングは、ジャスチャーが何を表わしているのか子どもがわかっていません。「もし」といった抽象的な言葉はジェスチャーで表わしにくいからです。原則、ジェスチャーは1単語、1語句と対応するようにしなければ、語順などがわからなくなります。授業者のジェスチャーはそういう点でもおおざっぱでした。ジェスチャーの表わすシチュエーションを意識ながら言葉を紡ぐことで、英文の表すシチュエーションを子どもたちが理解するのがねらいの一つですが、子どもたちは英文と授業者のジェスチャーを対応させているだけです。これでは、ジェスチャーを使う意味はあまりありません。単語や語句と一つひとつのジェスチャーを対応させ、そのシチュエーションをきちんと理解させ、教えた上で活動することが必要です。 ペア活動がいくつかあったのですが、その様子が気になります。互いに相手の方を向いて目を合わせているペアの数が非常に少ないのです。子どもたちの人間関係が上手くつくれていない可能性があります。一方が教師役で教科書を読み、それに合わせてもう一方がリピートをする活動では、上手くできない子どもを教師役が助けようとしません。自分の役目は教科書を読むことだけだと思っているようです。このような場面にたくさん遭遇しました。子どもたちの関係をつくることを意識した指示が必要です。「先生だったら、どんなことに気をつける?」といった発問をして、子どもたちに相手を助けることをしなければいけないことを気づかせてから活動に入るといったことが必要です。 課題はたくさんあります。それはとてもいいことです。それに気づけば、一つひとつ解決していけばいいだけです。基本的な授業規律はできています。授業者は子どもたちをとてもよく見ています。だから、教科の内容や教材研究に関する課題がたくさん出てくるのです。 そして、素晴らしいのが英語科全体として一緒に授業を考える、つくるという教科のチームワークです。検討会の参加者の様子からそのことが伝わってきます。この学校の英語の授業はこれから大きく伸びていくと思っています。今後がとても楽しみです。 社会科の授業研究については、明日の日記で。 小学校で学校全体の授業がよくなるには
授業アドバイスをし始めたころ、学校全体の授業がよい方向へ変わるのは小学校の方が早いだろうと思っていました。小学校は学級担任が子どもに接する時間が長いので、先生がその気になれば、すぐに子どもたちが変わっていくからです。ところが、どうも中学校の方が、変化が早いのです。その理由が最初はわかりませんでした。素直に変わろうとする先生の数が中学校の方が多いわけではありません。むしろ小学校の方が多いくらいです。中学生が小学生以上に先生の影響を受けやすいとも思えません。しかし、ある程度の割合で先生が変わると、子どもたちの様子が大きく変わってくるのです。
その秘密は教科担任制にありました。1人の先生がいくつもの学級で授業をするので、多くの学級に影響力を持つのです。全員の授業が変わらなくても、一定の先生が変われば子どもがよい方向に変わりだします。子どもがよい方向へ変わりだせば、他の先生にとっても授業がやりやすくなり、結果的に授業がよくなっていきます。また、子どもの変化に気づくと、自分もまねをして見ようかと思うこともあります。よい取り組みが広がりだします。どうやら、こういうメカニズムのようです。 小学校は、1人の先生の変化の影響は1学級だけです。その学級のことを他の先生は見る機会がほとんどないので、子どもの変化に気づきません。広がっていかないのです。小学校を変えるのは難しい。そのように思うようになりました。 ところが、最近いくつもの小学校が、大きく変わることを経験しました。しかし、今度はその理由はすぐにわかりました。管理職や教務主任が積極的に先生方に働きかけているのです。授業の改善点や新しく取り組むことが学校全体に共有されるように強いメッセージを送っています。また、授業をよく見て、先生一人ひとりにきめ細かくアドバイスやフォローをしています。時には、「このようにやりましょう」と強制力を発揮していることもあります。小学校は学級担任が一日中子どもと接しますから、先生が変化すればすぐに子どもにも変化が出ます。アドバイスを1つでも実行してよい結果が出れば、また次のアドバイスを実行しようと思います。よいサイクルが回りだします。このよい取り組みを上手に学校に広げているのです。 この視点に立てば、小学校では先生方に対して個別にアドバイスすることも必要ですが、管理職や教務主任にその気になっていただくことがより重要だということです。中学校、高等学校では、何人かの先生に対して重点的にアドバイスをして、よい実践例を学校内につくってもらうこと優先してきましたが、小学校ではちょっと違うアプローチをした方がよさそうだと気づきました。学校経営の奥深さを改めて知らされました。 小学校の先生方の教材研究を考える
指導用教科書(赤刷り)を使って授業をしている先生が多いことに気がつきます。中学校ではそれほどでもないのですが、小学校ではかなりの割合のように感じます(ひょっとして先生方に児童・生徒用の教科書が支給されていないのかもしれないのですが・・・)。これ自体は決して悪いことではないのですが、どうもこの指導用教科書や指導書の使い方に問題があるのではないかと思うようになってきました。
小学校の先生は、1人で何教科も受け持ちます。中学校のように教科担任制であれば、1時間のための授業研究をすればそれが何回も活かせますが、1回授業をすればすぐに次の準備です。しかも、中学校であれば3学年しかありませんが、小学校は6学年あります。同じ学年を担当して以前の経験を活かせる確率は少なくなります。久しぶりに経験のある学年を担当したと思ったら、指導要領が改訂になっていてまたやり直しということもよくある話です。同じ学年の先生同士で教え合うことができればまだいいのですが、そんな時間もなかなか取ることができません。小規模校では1学年1人のこともよくあります。 小学校の先生の負担が大きいことはとてもよくわかります。だからこそ、効率的に教材研究をしようとするのは当然のことです。そしてその実態が、事前に指導書と指導用教科書を読んで、当日は指導用教科書を見ながら授業をするというものではないかと想像するのです。効率的に思えますが、そこには大きな問題があるように思います。最初から解説付きで見るために、教科書の内容に対して、どう扱えばいいのか、なぜこのような記述になっているのか疑問を持たなくなるのです。例えて言うならば、数学の問題を自分で解く前に解答を見ているようなものです。答はわかった気になりますが、自分で問題を解く力はつきません。 まずは、解説なしで教科書を読んでほしいのです。そして、子どもの視点で疑問を持ってほしいのです。疑問を解決するために長い時間をかける必要はありません。解決するのには指導書や指導用教科書を利用すればよいのです。自分で考えるというほんのちょっとしたことをするかどうかで、授業で押さえるべきポイントが見えてくるはずです。 このところ算数の授業を見るたびに、先生方が教科書を理解していないと感じさせられます。その原因は先生方の力量以前に、このような教材研究のやり方をしているせいなのではないかと思うようになりました。私の想像が正しいかどうか、先生方がどのようにして教材研究をしているのか聞いてみたいと思います。 「ほめる」と「甘やかす」
以前は、子どもたちをほめるようにしてくださいとお願いすると、今一つピンとこない表情をする方がよくいらっしゃいました。最近では少なくなりましたが、それでも納得されない方が時々いらっしゃいます。話を聞いてみると、どうも「ほめる」ことを「甘やかす」と勘違いされているようです。悪いことをしても叱らないのでは、子どもがダメになってしまうと考えているようなのです。
悪いことをしてもほうっておけと言っているのではありません。子どもによい行動をとるように仕向けて、よい行動をとった時にすかさずほめるのです。そのためには、強く叱って反省させるのではなく、次にどのような行動をすればよいのかを考えさせるのです。そして、よい行動にかわったらうんとほめるのです。 悪い行動を叱っても、他の子どもは他人事です。そのため、叱って矯正しようとすると、どうしても見せしめ的にならざるを得ません。悪い行動をしないように考えるようになるかもしれませんが、嫌な思いをすることを回避するだけで、ポジティブにはなりません。結果的に、よい行動には結びついていきません。 一方ほめられることは子どもにとっては、望ましいことです。友だちがほめられるのを見て自分もほめられたいと思います。ほめられるような行動をとろうとするのです。よい行動が増えていきます。 遅刻を例に考えてみましょう。叱ることで遅刻が減ったとしても、子どもは時間までに集合するだけです。それに対して、早く来て準備をして待っている子どもをほめると、早く来ようとするようになります。結果として遅刻がなくなるだけでなく集合も早くなります。子どもたちの行動がよい方向へ変わっていくのです。 「甘やかす」のは、ただ放任しているだけです。「ほめる」ということは、ほめるような行動を子どもたちがするような働きかけをすることです。ほめる観点を持って、子どもたちがそのような行動をしてくれるのをよく見ることです。そこには教師の積極的な関与があるのです。 互いが向上する組織づくりを考える
先日、介護職員の研修について打ち合わせを行ってきました。そこで、研修に参加しない職員に対してどのようにアプローチするかが話題になりました。研修に参加しない方に不手際が多いというのです。参加されない方には研修がツールとして機能しません。かといって、上司から個別に指導していてもモグラたたきです。日ごろの仕事を通じて互いが向上する組織づくりを目指す必要があります。
そのための第一歩はミスに気づいた時にフォローし、注意し合える関係をつくることです。口で言うのは簡単ですが、現実にはそれほど簡単なことではありません。ミスを指摘されることはあまり気持ちのいいことではありません。指摘する方は、フォローはしても、相手に嫌われることをおそれて注意まではしづらいものです。互いに注意し合いましょうでは、実効性は低いのです。 では、どのようにすれば指摘し合える関係ができるのでしょうか。なかなかよい答は浮かびませんが、対策の一つとして心理的な障壁を下げることを考えてみることにしました。具体的には、ネガティブな言葉を使わないようにすることです。「○○しないように」ではなく、「○○しましょう」と言い換える。「ありがとう」の言葉を必ず添える。こういう習慣をつけるというより、もうルールにしてしまうのです。形だけで中身が伴わなければ意味はないという意見もあると思います。その通りです。しかし、形をつくることで中身が伴ってくることも事実です。 管理する立場の方には、指摘した方に「ありがとう」と声をかけるようにお願いします。指摘する側の方が心理的には厳しいものがあるからです。 これは学級集団づくりとも共通することです。ソーシャルスキルを身につけさせることで、互いの人間関係をつくり、よい行動をほめて強化するペアレントトレーニングを活用するのです。 大人の集団でうまく機能するかわかりませんが、挑戦してみたいと思います。 |
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