若手の授業から意識していない行動について考える

昨日は小学校で授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

2年生の国語の授業は「いなばの白うさぎ」でした。授業規律のある教室です。経験年数の少ない授業者ですが、熱意が伝わってきます。しかし、私たちが授業を見ているためか、ちょっと表情が硬いように思いました。
教科書の挿絵の拡大コピーを使って、「何がいるか」をたずねます。白うさぎがサメの上を跳んで渡っているところと、その斜め上に大国主命の姿が描かれています。子どもからサメがいるという発言がでると、「サメについて気づいたこと」と発問して、すぐに挙手させました。それまでたくさん挙がっていた手が急に少なくなりました。当然です。質問が途中で変わってしまったのですから。子どもたちの戸惑いが伝わってきます。授業者は自分が質問を変えてしまったことを意識していませんでした。意識していれば、「サメがいると言ってくれたけれど、じゃあサメについて何か気づくことないかな」と質問が変わったことを子どもにきちんと伝え、子どもが考える時間を取ることができたと思います。
大国主命の目線に注目して、うさぎを見ているといった面白い発言も出てきます。子どもたちから言葉を拾いだして拡大コピーにその内容を書き込んだ後、ペアでどんな話か予想して話し合うように指示をしました。挿絵だけから想像するということは、かなり無理があります。根拠を持って話すことは難しいことです。指示の後すぐにペアにしましたが、考える時間を与えずに話をさせるのは現実的ではありません。このあと少し時間をかけて発表をさせましたが、根拠のない予想ですので、あまり時間をかけずにこの後の話聞くための動機づけ程度にすればよかったと思います。

子どもが発表しようとしてフリーズする場面が授業中に何度かありました。授業者は子どもが発言するのを待っています。時には「こんなこと書いてあったね」と水を向けますが、なかなか動き出しません。授業者はその間じっとその子を見つめています。一概には言えないのですが、この教師のまなざしが子どもに対するプレッシャーになっているように感じました。教壇の上からじっと見られると結構強い圧力を感じるものなのです。ちょっと体をかがめて、笑顔でうなずきながら、時には視線を他の子どもにも向けることをすれば、また子どもの反応は変わったのではないかと思います。

授業者が物語を読むから目をつぶって話を聞くように指示をしました。ここで、ある子どもが教科書を見たいと言いましたが、授業者はかなりきついトーンで否定をしました。実は、挿絵の拡大コピーを提示する前に子どもたちに教科書を広げさせていました。教科書はカラーなのでそちらを見てもいいと伝えたのですが、発表の場面からは教科書を見る子どもはほとんどいません。その後も教科書を使う場面はありませんでした。使う必要が特にないのなら、最初から広げさせない方がよかったと思います。教科書を広げているから、見たくなるのです。きつく否定したことについて確認をしたところ、授業者はそのことを思い出せませんでした。これは要注意です。意識して強く否定したのではないということです。とすると、子どもが同じことをしても授業者がどのような対応をするかは恣意的になっている可能性があります。対応が予測できないので、子どもが教師の顔色を見るようになる危険性があります。教師はどんな時に厳しい態度を取るかが子どもたちにわかりやすい存在でなければいけません。厳しい態度を取ったときはその理由をきちんと子どもたちに伝える必要があるのです。

授業者は話をよく聞くようには伝えますが、その目的や目標を明確にしません。授業者の朗読を聞いているうちに集中力を失くす子どもが次第に増えていきます。聞き終ったあとに、どんな話だったかを子どもたちに発表させました。子どもたちは記憶をたぐりながら答えますが、どうしても断片的になります。どんな話か説明することを意識して話を聞いていなかったからです。話の中ではサメは「ワニ」です。このことを焦点化して、サメなのかワニなのか考えさせます。しかし、子どもたちは結論を出すための知識を持っていませんし、根拠もありません。こういう活動は空中戦になってしまいます。また、この授業のめあては「むかしばなしをきいてたのしもう」ですが、そのこととこの活動はつながっていません。楽しむのであれば、どこが面白かったかとその理由を説明するといった活動であるべきだと思います。一連の活動をもう少し連続性のあるものにする必要があります。
楽しむことでなく話を聞き取ることをめあてとして構成するという考えもあります。例えば、挿絵からどんなことがわかるか、どんな場面を描いているのかを発表させる。話を聞いて、この挿絵の場面はどんな場面を表わしていたのか聞き取る。もう一度挿絵を見ながら、物語のどんな場面かを発表させる。このような流れです。
話を聞かせた後は、「うさぎ」は「白うさぎ」、人物は「大国主命」であることを確認していきます。ここで、「なぜ大国主命とわかるの?」といった発問をすることで、袋を持っているからと聞き取った内容を根拠として説明させることを意識させます。袋の中身をたずねることで、聞き取った内容の細かいところまで問うことができます。「これはサメだった?」と問うことで、話の中ではワニしかでてこなかったことを確認します。ワニに見えないけれど、挿絵はこの話に出てくるワニを描こうとしたはずであることを気づかせ、知識として昔はサメのことをワニと言っていたことを伝えればよかったと思います。また、挿絵を見た時に子どもたちから出たことを活かして、大国主命はうさぎを見ているのだろうかと確認するのもよいでしょう。大国主命が白うさぎと出会ったのは、ワニを跳んでいる時ではなく、毛をむしられた後だから違うと、話の内容を根拠として説明させることができるはずです。挿絵の場面の確認が終われば、「この後、白うさぎは何をするのかな」と話の続きを思い出させることもよいでしょう。聞き取った内容を根拠として考える活動をできるだけたくさんさせたいところでした。

授業者と話をしていて、もう少し笑顔があるといいということをアドバイスしました。ところが授業者には心外だったようです。ちゃんと笑顔をつくっていたつもりだったのです。このことも気になることです。実は昔、私が笑顔をつくっているつもりが子どもからはそうは見ていなかったということがありました。そのため、意識して笑顔をつくる訓練をしました。この方も私と同じだというつもりはありませんが、厳しくしかった時と同じく、子どもたちから自分がどう見えるのかがあまり意識されていないようです。子どもたちの姿や行動を目指すものにすることに重点を置いているために、手段がどうであるべきか、子どもからどう見えるかまでは意識できていないように見えます。とてもまじめで熱心な先生です。こうならなければという結果を求める気持ちが強いため少し余裕を失くしているようです。笑顔のことをお話ししたのは、笑顔は余裕を持つことにもつながるからです。子どもたちと余裕を持って接することで、きっと大きく成長してくれることと思います。

他の先生の授業アドバイスについては明日の日記で。

高校の若手への授業アドバイス

昨日は私立の中高等学校で若手の授業アドバイスを行いました。来月に行われる授業研究の授業者4人です。この日はすべて高校の授業でした。

2年生の生物の授業は細胞分裂についての説明でした。授業者はよく通る声で話します。表情も穏やかです。よい雰囲気なのですが、声の大きさが変化しません。間も一定です。表情もほとんど同じです。そのためどうしても授業が単調になってしまいます。テンポが悪いと言われるパターンです。
授業者は、細胞分裂の種類を問いかけました。これは高校ではまだ学習していないところです。中学校の知識の確認ですが、ほとんどの子どもは反応しません。その中で、2人の生徒が教科書を調べています。意欲的なよい行動です。しかし、授業者は無視してしまいました。ここはきちんとほめて広げたいところでした。1人の生徒を指名して発表させた後、体細胞分裂と減数分裂について説明をします。生徒たちがこの授業で一番集中した時でした。授業者がワークシートに書き込むべきことを説明し始めると集中力は急速に下がっていきました。生徒たちは、今日はどのような学習内容か期待していたのです。しかし、いつも通りのワークシートに書き込む作業が始まったので、意欲が下がってしまったのです。この後、細胞分裂についての説明と書き込みが続きました。子どもが考える場面はあまりありません。子どもはずっと受け身の状態でした。
授業者は子どもに興味を持ってほしい、キラキラと目が輝いてほしいと思っています。しかし、どうすればよいかはわかっていません。子どもたちが主体的になれる課題である必要あります。1つの例として、細胞分裂を順に解説する代わりに、写真を用意して子どもたちに時系列に並べさせる課題を示しました。知識のある生徒はすぐに並べ替えることができます。しかし、その根拠を問うことで、考える必然性が出てきます。細胞を染色して顕微鏡で観察した時は、1つの細胞の変化を連続的に見ることはできません。細胞分裂の時期が違う異なった細胞を見ることしかできません。その観察結果から細胞の分裂の様子を時系列に並べ替えたはずです。その思考をたどるのです。
いかにして生徒が考える授業にするかが授業者の課題です。子どもの活動量を増やすことと合わせて取り組んでほしいと思います。

1年生の体育は、発表の後の余った時間を使ってドッヂボールをしていました。正規の内容ではないので多くはコメントしませんでした。授業者は、生徒同士がかかわり合いながら活動する授業を目指しているということです。とてもよい視点だと思います。しかし、ドッヂボールの様子を見ていると生徒同士のかかわりはあまりよくありません。一生懸命やっているのですが、一部の生徒は外野で座ったままです。その子たちに他の子どもは参加するように促したりはしません。また、仲間同士の声かけがほとんど聞こえませんでした。今回の場面ですぐに判断するわけにはいきませんが、このことが気になりました。授業者にはかかわり合いが起こるような仕掛けや働きかけを意識するようにお願いしました。ペアでの活動であれば受け側の役割、順番に活動するのであれば自分の順番でない時の活動をきちんと指示しておくことが大切です。
生徒の集合は、だらだらしていませんが全員が同じような速さで動きました。一人ひとりが自分のペースで急げばいいのか、全体が素早く集合してほしいのかを授業者に確認しました。後者ということです。であれば、集合場所から遠い生徒はそれだけ速く移動しなければいけません。そういうことも指導する必要があるのです。また、集合した時にちゃんと顔を上げずに聞いていない生徒が数名いました。授業者はその中の一人を注意することで他の聞いていない生徒も聞くようになったと話してくれました。しかし、これでは注意をされた生徒は見せしめにされたように感じます。きちんと聞いている生徒をほめることで、聞いていない生徒に気づかせ、聞く姿勢ができた時にほめるといたやり方に変えてほしいと思います。できない子どもを減らすのではなく、できる子どもを増やす発想を伝えました。

1年生の物理は、生徒が授業者の話を聞く姿勢をとっていました。授業者は生徒のつぶやきを「いいよ、いいよ」と笑顔で拾います。受け止めてもらえた生徒に笑顔が浮かびます。こういう雰囲気が子どもに聞く姿勢をとらせているのだと思います。しかし、そのあと授業者はすぐに自分で説明を始めます。他の生徒につなげようとはしません。積極的に反応する子ども以外は受け身です。誰かが指名されると、他の生徒が自分には関係ないという態度を取るのが気になります。すぐに正解だと言わずに他の生徒にもたずねる、「今の答でよさそう?」と判断を求めることが必要になります。
運動についての学習場面でしたが、授業者は根拠や過程を重視しません。子どもに考えさせることより、結果や結論を説明することや公式に時間を割きます。ボールを落とす様子をストロボで撮ったらどうなるかを質問した時のことです。ボールが等間隔の図とだんだん距離が広がる図のどちらが自由落下か聞きます。ほとんどの生徒が正解に手を挙げますが、間違える者もいます。授業者は正解だねと言って、説明を始めます。生徒が考えることがありません。例えば2つの図を比較して何が違うかを問いかけ、一方が等速直線運動であることを確認する。もし自由落下が等速直線運動だとしたら力は働いているかどうかを確認する。その上で自由落下が等速直線運動でなかったら、ボールには力が働いていることになることを押さえる。こういうやりとりをすることで、少しでも根拠を持って考えたり、実験から何がわかるかといったことを予測したりしてほしいのです。
授業者は自分の言葉で事象を説明できるようになってほしいと思っています。試験にもそのような問題を出しています。しかし、数人しかできていなかったようです。説明はいつも授業者がして、生徒はせいぜいそれをノートに写すだけです。自分の言葉でしゃべったり、書いたりといった活動がないので試験は当然の結果なのです。子どもに思考を求めたり、自分の言葉で説明したりする活動を意識してほしいと思いました。

1年生の英語はグループ活動を取り入れたものでした。しかし、グループでどのような活動をしてほしいかが明確でありませんでした。辞書を調べて英文を解釈するのがグループ活動の課題ですが、どこを相談してほしいのかが明確ではありません。個人作業でわからなかったら聞くというものであればそれもありですが、そういうわけでもなさそうです。ほとんどの生徒は辞書を引きながら単語の意味を調べますが、その後の解釈はなかなか進みません。相談することもあまり慣れていないようです。どのようにして学ぶかということが共有されていないのです。グループにすれば子ども同士がかかわれるわけではありません。また、この日の活動の結果を全体で共有する時間もとれませんでした。とりあえず全員が解釈を終わるまでやらせようとしています。グループでの活動が成立しているのならそれもいいですが、できてしまった生徒は時間を持て余し始めています。いつもできた生徒に発表させるという発想では、こういう状況に上手く対応できません。途中でも止めて、答ではなく困っているところを発表させるのです。よくわからないところを共有して、全体で解決するかグループに戻して相談させます。こうすることで、わからない生徒も参加できますし、わかるための方法も身についていきます。
英語科全体でグループ活動を取り入れているのはとても評価できますが、この場面に限らずグループ活動の基本的なことがまだ共有できていないようです。このことに関しては英語科と話し合う時間を取りたいと思います。

この日も教科指導部の主任が一部の授業を一緒に参観してくれました。その時話題になったことをその後の自分の授業ですぐに実践してくださいました。上手くいったことと困ったことをさっそく相談してくれます。とても柔軟で積極的です。
この日は板書をせずに生徒の発言をつなぐことに挑戦されました。生徒をよく見ることで、誰が考えているか、誰を指名すればいいかが見えてきます。うまく生徒に言葉を足させていくことで、生徒の言葉でまとめることができたようです。板書をせずにまとめを自分でノートに書かせましたが、生徒は板書がないとなかなか書けないようです。自分の言葉で書けばいいのですが、正解を写さないと不安なようです。生徒のノートを見てよくまとまっているねと評価して、自信をつけさせることが必要です。こういう経験を何度か経験することで自信を持って書けるようになっていきます。思い立ってすぐに実行し、これだけの結果を出せるのはさすがです。教科指導部の主任がまず変わろうとしてくれることが私にとっては本当に心強いことです。

研究授業の授業者には、何か1つでいいから変化することに挑戦してほしいことを伝えました。次回訪問時には、指導案を見せていただく予定です。とても素直な先生方です。どのような挑戦をしてくれるかとても楽しみです。

介護の現場で学ぶことのリアリティを考える

昨日は介護技術研修の打ち合わせをおこなってきました。ここで、学校で学ぶことのリアリティについて考えさせられました。

移動の介助技術についての研修内容の確認でしたが、重心、支持基底面、ボディメカニクスといった言葉が登場します。相手の重心を意識し、支えるための接触面や足場の面積を広くとることで安定して移動させることができます。スムーズに移動させるためには、物理的に理にかなった方法を取ることが大切になります。理屈を理解することで、より確実に技術が身に付くというのがボディメカニクスの発想です。このような場合はこうすると一つひとつのやり方を覚えてもいいのですが、モーメント(てこの原理)といった力学的な視点でみると至極当たり前のことであり、共通の技術として理解できるのです。学校で学んだことは試験以外に役に立たないと思う人が多いのですが、決してそうではないのです。学校で学習した知識は役に立つものだということを改めて実感しました。最近の教科書では学習した知識を身近な問題解決に活用する例をたくさん取り上げるようになってきましたが、自分で探そうと思えばいくらでも見つかるのです。

また、車椅子からベッドへの移動を介助するといった場面では、タイミングを合わせることが大切になります。相手と息を合わせためには、コミュニケーションスキルが必要になります。一方的に「○○しますよ」と声をかけただけでは、相手が状況を理解しているとは限りません。ちゃんと伝わっているか確認が必要です。当たり前のことですが、人が人とかかわる所では必ずコミュニケーションスキルが必要となるのです。このコミュニケーションスキルも昨今の学校教育で重視されるようになったことです。

今学校教育で重視されていることの大切さを、思いもかけず介護の現場で実感しています。学んでいることのリアリティを子どもたちに実感させることが学習意欲につながります。そのためのヒントを介護現場からもいただいています。このような機会を得ていることに感謝です。

小学校で授業アドバイス

先週末は小学校で授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校を年2回訪問しますが、その第1回目です。若手2人の授業と、2つの公開授業を参観しました。

若手の1年生の国語の授業は、授業規律に問題を感じました。子どもに規律が徹底できていないというより、授業者の中でルールが明確になっていないのです。印刷物を配った時にはどうするか。作業が終わったらどうするか。そういったことを一定のルールにすることを意識していないのです。
子どもたちは発表者の方を見て聞こうとしません。というより、友だちの発言にあまり意識が向いていないのです。授業者が発言者の方だけを向いて話を聞き、それを受けて説明するという一問一答形式だからです。子どもたちの発言をつなぐことを意識する必要があります。
また、指示が1回で伝えきれていません。作業に入ってからの指示の追加や修正が目立ちます。指示を明確にして、きちんと伝わっているかの確認を常にすることが大切です。
グループで発表する場面がありましたが、目標がはっきりしません。ただ発表するだけでなく、聞くことに意味のある課題にしなければいけません。1年生のこの時期はまだグループ活動は難しいと思います。まず、隣同士できちんと伝えあうことから始めるとよいと思います。
授業者は、授業規律を上手くつくれていないことや、この日の授業で自分がきちんと指示ができていないことをきちんと自覚していました。このことはとても大切なことです。自覚できていれば、変えようとする力が働きます。一つひとつの課題に対応していけばいいのです。まずは、自分の中で授業のルールを明確にすること、指示が1回で伝わるようにすることから始めてほしいと思います。

初任者の4年生の道徳は、落ち着いた雰囲気でした。授業者は発言者をしっかりと見て受け止めています。発言の終わった子どもはとてもうれしそうにしています。しかし、他の子どもたちは発言者を見ませんし、あまり真剣に聞いているようには見えません。授業者が発言中に他の子どもを見ていない、発言をつなぐことをしないからです。子どもの挙手で授業は進みますが、特定の5、6人だけが順番に発言しているのです。認められる子どもはうれしいので積極的に挙手して参加しますが、その他の子どもは認められる機会がないので、ただおとなしくしているのです。
授業は読み物教材を使ったものです。授業者が淡々と資料を読みます。その後で、ワークシートで内容の確認をします。これは全くムダな時間です。道徳はできるだけ早く内容を理解し、自分に引き付けさせることが大切です。読み取ったことを発表させますが、子どもたちはワークシートの空欄を埋めることに意識が向いています。最初は友だちの発言を聞こうとしても、授業者が発言の途中で板書を始めるとそちらを写しはじめます。まずは、発言を聞くようにさせなければなりません。
試合直前の練習で、雨が降ってきた中で練習を続けるかどうかの判断を迫る課題です。一部の子どもたちを指名して結論を聞いてから、グループでそれぞれの結論と理由を話し合わせます。班長が仕切っています。子どもたちはあまり積極的に聞き合おうとはしません。グループで結論を出そうとしていることが問題です。子ども同士の関係がよくないように見えます。
子ども同士をつなぐこと、特にできる子どもには友だちの考えを理解することを求めることが大切です。子どもたちの様子を見ているとたまたま道徳の時間だけのことではないように思えます。子どもたちを評価する言葉がほとんどなかったことも気になります。発言者もその内容に関して評価されることはありません。発言したということのみが評価になっているようです。
授業者はとても素直で前向きでした。この後の道徳の公開授業を私の横で見ながら、自分の授業を思い浮かべて真剣に考えていました。私の指摘を、自分の授業ではどうだったのかと、他人事ではなく自分のこととして聞いていました。次回訪問時にどのように変化しているかとても楽しみです。

4年生の社会科の公開授業はごみ処理場の社会見学の発表の後のまとめの場面でした。授業開始直前にちょっとした子ども同士のトラブルというハプニングがありました。そのせいもあったのか、子どもたちの動きはやや低調に感じました。
子どもたちに質問させるのですがあまり出てきません。またでてきた質問に対して、すぐにわからなければそのままで、資料やメモを見て探そうという動きが出てきません。自分たちの課題だと意識していないのです。
社会見学では事前に調べてわかったことと疑問を整理しておく、現場で疑問の答を調べることとその場ででてきた疑問、質問などとその答をまとめることが大切です。社会見学終了後にどのような活動をするのかもきちんと伝えておくことが必要です。ごみ処理場で排熱を利用して温水を作っている理由を考えさせるのですが、このことは社会見学を通じてみんなに持ってほしい疑問なのか、それとも一部の子どもから出てくればよい疑問なのか、教師が提示する疑問なのかがよくわかりませんでした。事前にこの課題が子どもから出てくるための働きかけはあったのだと思いますが、全員のものとはなっていないように思いました。社会科見学をする前に、子どもたちに問題意識をどれだけ持たせるかが大切だと思います。
グループの発表で、「どんなことを話した?」と問いかけます。どの子にも答えやすい聞き方です。ところが指名された子どもが上手く説明できません。ちょっと苦しんでいます。そのとき同じグループの子どもが助けるのではなく、くすくす笑うのです。グループを仕切っている、積極的に挙手する子どもです。この子どもは他のグループの発表になると一気に集中力を失くして聞いていません。自分が発表することだけに意識がいっているようです。子どもが落ち着いてよい雰囲気に見えますが、ちょっと心配です。

6年生の道徳の公開授業は、読み物教材を使ったものでした。4年生の道徳の授業と共通のことがたくさんあります。資料を読み取る時間を子どもたちに与えます。ここはできるだけ時間をかけずに、子どもたち自身の問題として課題に取り組ませる必要があります。しかし、子どもたちに読み取りさせると、登場人物を客観的にとらえた第三者的なものになりがちです。自分のことに引き寄せるためにはゆさぶることも必要です。主人公の気持ちにどれだけ入り込めるかが大切です。
この日の課題は、亡くなった子どもと食べたかったお子様ランチを注文した夫婦に対して、規則だから大人には出せないと上司に言われた店員がどうするかというものです。あなたが店員ならどうするという問いかけに、ほとんどの子どもはすらすらと鉛筆を動かします。これは、あまりよいことではありません。子どもの中に葛藤がないのです。悪い言い方ですが、教師が求める答を書こうとしているのでよどみなく動くのです。その中で、2人の手が動きません。やる気がないのではないのです。悩んでいるのです。授業はこの子どもを軸にして、何を悩んでいるかを発表させると子どもたちをゆさぶることができたように思います。
グループで聞き合うように指示します。話し合いではなく聞き合うというのはよいと思いましたが、いいと思ったら書き足すようにと指示をしました。子どもたちは、友だちの話の最中に書き足していきます。ワークシートを埋めたいという気持ちと「いい」という基準を与えたことで、取り敢えずよさそうであれば書き込んだのでしょう。ここは、「あなたがなるほどと納得したら」とすると、より自分に引き寄せることができたので、もう少しじっくり聞きあったのではないかと思います。
店員役を子どもにして、授業者が上司役でロールプレイをします。しかし、ただ単に演ずるだけで、目的がはっきりしません。「なんとしても上司を説得しよう」といった目標を持たせ、見ている子たちには「自分が上司なら説得されるか」といった視点を与える必要があります。子どもたちは傍観者的に見て、拍手をしますが何がよかったのかは意識していません。実のない儀礼的なものになっています。
この話は、店員が子ども用のいすを用意し「ご家族でお楽しみください」と3人分のお子様ランチを用意するという結末です。授業者はかなり時間を残して結末を伝えました。確かにいい話なのですが、店員の機転の利いた対応に夫婦が喜んだということで終わってしまいます。上司の立場、夫婦の気持ち、店員の立場で葛藤が起こるはずです。この話はうまく落ちがつきましたが現実はそううまくいくとは限りません。その葛藤を子どもたちにさせなければ道徳としては「?」なのです。結末は最後の瞬間でいいので、店員は「規則を破ったら馘首になるかもしれない」、上司は「規則を破ったら、次々に大人がお子様ランチを頼んで収拾がつかなくなる」といったそれぞれの立場を強く示し、子どもをゆさぶることが必要だったと思います。

公開授業を受けて、全体でお話しする時間をいただきました。授業規律はどのような姿を目指すのかを教師が明確に意識すること。できていないことを叱って減らそうとするのではなく、できたことをほめて増やそうとする発想を持ってほしいこと。Iメッセージを使って子どもとの人間関係をつくり、子ども同士をつなぎ認め合う場面をつくることで子ども同士の人間関係をつくること。グループ活動は、班長などをつくらず、結論をまとめないようにし、話し合いではなく聞き合いにすることなどをお願いしました。

授業者も含め、みなさんとても前向きに話を聞いてくださいました。また、四役の方が非常に熱心に授業を観察し、私の話を聞いてくださったのが印象的でした。授業改善に対する意識の高さを感じます。このような学校は、授業改善が期待されます。次回訪問時にどのような変化が起こるかとても楽しみです。

つまずきを予想できるようになる

教材研究では、課題や発問、授業の流れなどを考えるだけでなく、子どものつまずきを予想することが大切になります。何がわからないか、どのような間違いをするかといったことを考えるのです。実は教師にとってこのことは意外と難しいことです。例えば小学校の低学年の内容は、教師(大人)にとって当たり前のことばかりです。また、自分の専門教科は得意だったこともあり、わからない経験があまりせん。子どもたちのつまずきが想定外であることがよくあるのです。ある初任者が、「子どもがわからないと言った時にどうしていいかわからない」と悩んでいたことがありました。自分が思いもよらないところでつまずかれると、とっさにどう対応していいかわからないのです。経験の差がでるところです。しかし、経験だと言われてしまえば経験の少ない若い教師は何ともできなくなります。その差を埋めるために、日ごろから子どものつまずきを意識して想像することが大切になります。

予想しないつまずきに対応するためには、机間指導が有効です。つまずきを見つけた時にわずかかもしれませんが、対応を考える時間があるからです。ただ漫然と子どもたちの手元をみるのではなく、子どもたちのつまずきとその原因を見つけようとする姿勢が大切です。確認のための小テストなども行うといいでしょう。○×をつけるのではなく、どこで間違えているのか、何につまずいているのかを見つけるのです。小テストを回収すれば、時間をかけてつまずきの原因と対応を考えることができます。こういう経験を積み重ねていくことで、子どものつまずきを予想できるようになるのです。事前に予想できるようになれば、どんな声かけをするか、どんなヒントを与えるかといった対応を合わせて考えておくこともできます。とはいえ、経験の少ない教師にとっては手間と時間がかかることです。
この経験の差を簡単に埋める方法があります。それは先輩に聞くことです。課題や進め方をたずねる方は多いのですが、意外に「子どもたちはどこでつまずきますか?どんな誤答がありますか?」と聞いているのを目にすることは少ないのです。先ほどのわからない子どもの対応に悩んでいた教師の先輩は、授業のことを聞かれたら「子どもからこんな答えがでたよ」と子どものつまずきや、誤答を教えていました。この情報があれば、対応を考えておくことができます。その教師は子どものつまずきに対応する準備ができるようになり、自信を持って子どもたちに向かうことができるようになりました。

授業アドバイスをしている私にとって、実は一番厳しい質問が「子どもはどこでつまずきますか?」です。自分の専門教科であれば自信を持って答えられますが、教えた経験のない校種や教科であれば想像するしかありません。それでも何とかお答えできるのは、たくさんの授業を見せていただいているからです。授業中の子どもの様子を見ながら、どこでつまずいているのか、その原因は何だろうと考える経験をたくさん積ませていただいているので、教える経験の足りないところを埋めることができているのです。そうです、経験の差を埋めるもう一つの方法が授業を見ることです。余裕を持って見ることで、客観的につまずきを見つけたり対応を考えたりできます。もちろん授業者の対応からも学ぶことができます。忙しい毎日ですが、何とか同僚の授業を見る時間をつくってほしいと思います。

教材研究は、子どものつまずきを予想しその対応を考えることが大切です。若い先生は自分一人で悩まずに、先輩に教えてもらい、同僚の授業を見ることで経験の差を埋めてほしいと思います。

中学校で授業アドバイス

昨日は中学校で授業アドバイスをおこなってきました。中間考査が終わって試験返しも終わったところでした。

3年生は4月からの頑張りの疲れが出たのか、集中力を失くした子どもをちらほらと見かけました。そのような子どもがすぐに見つかるのは、他の子どもの姿勢がそろっているからです。全体としてはよく集中できているということです。現在教育相談中ですから、担任から気になる子どもに対して適切な対応を取っていただけることだと思います。修学旅行が近づいています。修学旅行で気持ちをリフレッシュさせるとともに、よい人間関係を構築して苦しい子どもを支え合う雰囲気を作っていただけたらと思います。

1年生は、4月の様子と大きく違っていました。以前は、子どもたちの様子がバラバラに感じられたのが、良くも悪くも一つの集団という感じになってきました。多くの先生が授業規律を意識したことがわかります。気になるのが、子どもたちから答を求める姿勢を強く感じることです。例えば、友だちの発言をあまり聞こうとはしませんが、正解とわかった後の教師の説明は集中します。教師の言葉を聞くことより板書を写すことを優先します。どうやら中学校で初めての定期考査でそれなりのショックを受けたようです。子どもたちが、試験で点数をとることにつながるような行動をとっているのです。しかし、子どもたちが変わろうとしていること自体はよいことです。この機会に再度学習の仕方や授業規律をきちんと伝えることができれば、子どもたちはよい方向に大きく変わっていくと思います。目先の点数ではなく、学びを求めるようになってほしいと思います。

1年生の社会科で国や国名について学習する場面を見ました。グループに1つの地球儀で国の形からその国を探し、手元の地図で確認します。子どもたちはすぐに見つけますが、活動はそれで終わってしまいます。どこにあるか発表してもらいますが、挙手をするのは1/3です。指名された子どもが掛図で位置を示すと、いいですと声がたくさん上がります。どのグループも見つけているのですから、この確認作業に意味はあまりありません。子どもたちもここで発表することにあまり意味を感じていないから、多くの子どもがわかっていても挙手をしないのです。この一連の活動は単なる作業で、社会科としての学びが何かが考えられていません。地球儀とメルカトル図法の掛図では手に入る情報は違います。国の位置を言葉で説明するといった課題にするだけで、地球儀とメルカトル図法の違いが見えてきます。日本を基準にして位置を示す課題にするだけでも、方位の問題(特に東西)を考えることができます。
国名の由来について問いかけましたが、これは知識です。知っている子どもしか答えられません。想像するにしてもそのための基本となる知識を全体で共有しなければ、考えることはできません。知識を与えてから考えさせる発想が必要になります。時間の関係がありますから何とも言えませんが、いくつかの国名の由来を知識として与えた後、人名、川の名前などの地理的なものというように分類して、そういったものが国名の由来とになる背景を考えるといった活動も考えられます。国の成り立ちや人々の生活とかかわりの深い物に目を向け、暮らしや文化を考えるきっかけになると思います。
子どもの顔が上がるまで話を始めないというように、授業規律も意識しています。しかし、場面の転換で作業が止まる時にはできていても、展開している時には意識ができていませんでした。板書をして説明に戻っても手が止まらない子どもがいます。写すのを止めて顔を上げさせる必要があるのですが、その余裕がありません。ここで注意を促さなければこういう場面では顔を上げなくてもいいと思うようになります。授業規律を意識した指示をしているから、逆に指示をしないとその場合はいいという間違った授業規律ができてしまうのです。徹底することを意識してほしいと思います。

2年生の数学の授業は、子どもたちが非常によく集中していました。教師の話をよく聞いてくれます。こういう状態をつくれれば、中身の勝負ができます。等式を変形してある文字について解く場面でした。授業者は、この時間で大切なことが何かを明確に意識して授業を進めていませんでした。男子と女子合わせて何人という関係を文字で表し、移項して男子について解きます。ここで何が既習事項であり、何が新出事項なのか明確になっていません。「文字が2つである」「yに値を入れれば1元1次方程式になる」といったことを確認して、既習事項の方程式との関係を整理する。「文字が2つの方程式と考えることもできるね」と次の連立方程式への布石を打って、「xを求めることはできるか」といった問いかけをし、「解くためにはどうするか」と1元1次方程式の解法の復習をする。yを求めることもできることを確認して、それぞれ「xについて」「yについて」「解いたんだね」とここで新しい考え方を定義する。こういったポイントを押さえてほしかったのです。
子どもたちは、結局今日は何を学習したのかよくわからないまま、指示されたことをこなしていくだけでした。
授業者は子どもたちに問いかけますが、期待する答が出てくると「そうだね」とすぐに取り上げ、説明を始めてしまいます。大切な発言であれば、「今○○さんが言ってくれたこと聞けた」「聞けなかった人がいるね。○○さんもう一度聞かせてくれるかな」「どういうことかわかった」と全体で共有する時間を取る必要があります。自分の中で授業のポイントが整理できていないため、どこを大切にするか、どこは流すかが明確になっていないので、軽重がないのです。その結果、テンポの悪い授業になってしまいました。板書も過程とポイントとなることが書かれていないので、振り返ってみても、何をやろうとしているのかがわからないものでした。
また、この日の授業でポイントとなることが理解できているかどうかの確認方法も明確ではありません。「今日習った新しい言葉は何?」「それってどういうこと」とストレートに聞いてもいいでしょう。「この等式をxについて解いてみて、yについて解けるかな」と問題を解かしてもいいでしょう。方法はともかく確認を意識してほしいと思いました。
授業者は自分で教材研究が足りないことをよく自覚していました。子どもたちがしっかり聞こうとしてくれるから子どもたちに申し訳ないと思っています。だから教科の力をつけなければと真剣に考えています。この姿勢であれば、確実に力をつけてくれると思います。教材研究の視点を含めて、これから一緒に学ぶ機会をつくっていくつもりです。

学校訪問での社会科と数学の指定授業の指導案の検討会に参加しました。
どちらの教科も授業者を他のメンバーが支えて一緒につくり上げていることがよくわかるものでした。授業の流れはよく考えられていました。しかし、子どもがどう活動するのか、活動させるためにどのような課題、発問にするのかがシャープになっていません。同じような課題でも、ちょっとした提示の差や切り返し、発問の仕方で子どもの動きが大きく変わってきます。指導案に表れないかもしれませんが、そういうところをどう考えている、準備しているかが大切です。授業者に質問をしながら、そう言ったことを考えていただきました。勤務時間終了後の遅い時間にもかかわらず、どちらの教科もたくさんの方が参加してくださいました。同僚性を感じます。教科の代表の授業という意識を感じました。この後も教科でブラッシュアップしてくれることと思います。実際の授業どのようになるかとても楽しみです。

この日も大変充実した時間を過ごすことができました。先生方の授業、子どもたちの様子からたくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。

介護技術研修の打ち合わせで引き算の発想を思い出す

昨日は、介護技術研修の打ち合わせを行いました。

研修で何を伝えればいいのかということは、素人の私では全くわかりません。介護のプロである担当の方に聞くしかありません。いつも感心するのが、担当の方がそのポイントを非常にシャープにまとめてくださっていることです。お話を聞いていると伝えたいことがたくさんあることがよくわかります。だからこそ、本当に大切なことは何かを真剣に考えて絞っているのです。限られた時間の中での研修は内容が薄くなることもよくあります。もともと伝えたい内容が少なければ、ただ薄くなっていくだけだからです。伝えたい内容が広く深いからこそ、根本は何か、何を伝えれば自力で他のことを身につけることができるかといったことを抽出できるのです。
このことは授業にも通じることです。若い先生はそもそもこの単元で伝えるべきことがしっかりとわかっていないことがよくあります。まずは、何を教えなければいけないかを足し算することから始まります。教えるべき内容が見えてくると、こんどはその中で何が本当に大切なのか、何が身についていなければいけないのかを考えることになります。子どもたちの活動の時間を保障すると、教師が話す時間は減ってきます。足し算の発想では時間が足りなくなってしまいます。この時間の中で絶対に身につけなければならないものは何か、省くことができるのは何かを真剣に考えなければいけません。これが引き算の発想です。

素人の私が研修を組み立てるためには、足りない知識を調べて獲得することが必須になります。介護に関する知識が限りなくゼロに近い私ですが、思ったほど時間がかかりません。それは、担当の方が大切なポイントが何かをしっかりと伝えてくれているからです。基本になることを教えてもらっているので、他の知識はそれをベースにすれば比較的簡単に身につくのです。授業の大切なポイントを体験させていただいています。

担当者の方は介護技術研修の内容を考えるにあたって、利用者の自尊感情を大切にする、リスクを常に意識するといった基本を絶対に外しません。利用者の目線を大切にしています。そのおかげで、私のような素人でも一連の介護技術に関して外してはならないことが何か明確にわかります。このことも子どもの目線を大切にするという、授業の基本に通じます。

素晴らしい介護職の方に出会えた幸運もあり、介護技術という専門でない分野の研修に携わることで今までとは別の視点で学ぶことができています。このような機会を得られたことに感謝です。

授業改善の進め方の検討

昨日は、私立の中高等学校で授業改善の進め方の検討を行ってきました。教科指導部で検討された案をもとに具体的に詰めていきました。

子どもたちを受容することで、まず良好な人間関係をつくるという私の考えに沿った方針を教科指導部は考えてくださいました。このことはとてもうれしいことです。子どもとの関係の大切さを意識していない先生方もいるのですが、基本的には一気に変えようとするのではなく少しずつ意識する先生を増やそうという姿勢でした。まずは授業改善の種を蒔こうというわけです。現実的な良い判断だと思います。

教科指導部の先生方は、授業を見てその場で私が指摘することで課題がよくわかるという感想をもたれていました。うれしい評価です。授業を見ても、具体的な場面についてその場で指摘されないとよくわからないので、他の先生方にも私と一緒に授業中の子どもの様子を見て回る機会を持ってもらいたいと考えられていました。そういう機会をつくって視点を育てることで、授業を見てアドバイスをもらいたいと考える先生を増やそうというのです。まずは若手がターゲットです。
特定の学級の対応に困っているといった問題も学校内にはあります。グループや教科が抱えている問題を相談する機会も作りたいということでした。目の前の問題を一緒に考えることで、学び合う雰囲気をつくるのです。
こういった小さな取り組みを積み上げていくやり方を取らずに、上から一気に改革を進める方法もあります。しかし、そういうやり方は失敗する可能性も高くなります。この学校に適した進め方を見つけることから始めるのはよいやり方だと思います。
校長の頭の中には授業改善のイメージがあるようなのですが、あえて口出しせずに先生方の中から出てくるのを待とうとしています。先生方に集団としての力がつくことを大切に考えているのでしょう。

まずは6月に行う授業研究を今までとは少し違った形で進めることになりました。子どもの活動を中心に授業を組み立てる視点を授業者と共有する時間を持ち、指導案の検討を一緒に行います。当日の授業検討の視点も子どもの活動を中心にしたものに変えて、グループで行うようにします。授業中の子どもたちの様子を先生方が意識するきっかけになるようなものにしたいと思います。

また、夏休みのような機会に基本的な授業技術を確認するような研修を持つことも考えることになりました。基本的なことでも長い間におろそかになることがあります。若い先生には身についていないこともあります。こういったことを確認する機会を持とうというわけです。

思った以上にたくさんの手立てが教科指導部から提案されました。先生方の抵抗感がない形で進めることを真剣に考えた結果そうなったのだと思います。焦って結果を出そうとするのではなく、時間がかかってもいいので自然な形で学校全体の授業改善が進む方法を模索しています。この学校の授業改善のお手伝いをすることで、今までとは違った気づきがたくさん持てる予感がします。次回は教科指導部以外の先生と話をする初めての機会を持ちます。どのような授業を目指しているのか、どのようなことを課題としているのかとても興味があります。今からとても楽しみです。

文部科学省で公募の審査

先週末は、「学校の総合マネジメントの強化に関する調査研究」の審査員として文部科学省に出かけてきました。昨年に引き続き2度目です。

調査のための調査、研究のための研究ではなく、その成果をいかに全国に普及できるかという視点が大切にされています。公費を使うということは、多くの者の利益となるものでなければならないという姿勢を強く感じました。

審査の内容については詳しく書けませんが、審査員の大切な仕事にプレゼンテーションに対する質問があります。面白かったのが、その内容がよくわからない調査研究も、皆さんの質問とその答を聞いてなるほどと納得できるものもあれば、なんとなくよさそうに思えても質問の答えを聞いているうちに疑問がわいてくるものもあるということです。質問の大切がよくわかります。
これは授業と同じことのように思います。子どもの発言内容がよく伝わらなくても、教師の適切な問い返しで子どもの考えが整理されます。一見わかっているようでも、説明を求めることで理解が不十分な部分が明確になることもあります。皆さんの質の高い質問からたくさん学ぶことができました。

昨年度の調査研究結果の発表会が間もなくあるそうです。昨年度審査員として興味を持ったものがたくさんあります。日程がうまく合うかどうかはわかりませんが、できるだけ参加したいと思っています。
今回もいろいろな視点で学ぶことの多い場でした。このような機会をいただけたことを感謝します。

介護技術研修の参加者から学ぶ

昨日は、介護技術の研修をおこなってきました。今回は「食事介助」がテーマです。いつものことですが、私は介護技術に関しては素人ですので、実務に携わっている専門家の助けを借りながらでした。

まず、摂食・嚥下とはどういうことなのかを確認しました。摂食を単に食事を摂ることではなく、食べることを意識し、食物を認識、食べるための準備をするところまでを含んで考えることを共有し、摂食について何が大切であるかを考えてもらいました。
研修の冒頭でリスクの話をしていたので、参加者の意識は事故が起こらないようにすること集中するかと思いましたが、まず出てきたのが、食べる意欲を持たせるような働きかけでした。無理やり食べさせるのではなく、食べたいと思ってもらうところから始めるというのは、介護される側の視点に立ったものです。こちらから言わなくても、既にそういう意識ができていることはとても素晴らしいと思いました。また、調理をしてくれる人への感謝を挙げる方もいました。これも素晴らしい視点だと思います。こういう気持ちを持つことで、調理する側も気持ちよく個人に応じた対応してくれます。こういうことが質の高い介護につながっていくと思います。

「食事を摂ることを認識する」⇒「食べ物を認識する」⇒「口を開ける」といった摂食の一連の動きは、コミュニケーションが求められるところです。一方的に指示するのではなく、相手の反応や行動をきちんと確認することが大切です。グループで互いにやってみてもらいましたが、言葉だけでなく、アイコンタクト、接触によるコミュニケーションなど、五感をフルに活かしていました。参加者が日ごろからコミュニケーションを大切にしていることがよくわかりました。

食事の介助は個人の状況によってその対応が異なります。そのために、一人ひとりの状態をきちんと把握する必要があります。情報の共有が大切になります。どのようにしているのか、どのようなことが大切なのかを考えてもらいました。
主に介護士が食事介助をする施設もあります。その施設では、介護士が誰にでもわかるようにと、ポイントとなる所に線を引いたりするなどの工夫をして一人ひとりの情報を整理しています。しかし、担当ではない方はそのことをあまり意識していないのではと思っていました。ところが、みなさんその情報があることを知っているだけでなく、その内容もよく読んでいるようでした。それだけでなく、日頃からその介助の様子を観察しているというのです。担当者だけでなく、自分たち全員の問題という姿勢には感心させられました。

この日も参加者の発言や意識から、私自身が学ぶことがたくさんありました。こういう機会をいただいていることに感謝です。

授業評価の打ち合わせ

昨日は、私立の中高等学校で打ち合わせをおこなってきました。この学校は以前より生徒アンケートによる授業評価を外部委託で行っていたのですが、委託先が撤退したため私どもにお声がかかりました。
生徒アンケートによる授業評価は、設問とするだけで教師がそのことを意識して改善が進むという利点があります。意識すればできることであればすぐによい方向へ変わっていくのですが、具体的にどのようにすれば改善するのかという手立てが見えないと、なかなかスコアがよくなりません。努力しているのだが結果が出ないので、結果を見るのが辛くなる。そのことが常態化すると授業評価や授業改善そのものにも意欲をなくしてしまいます。この学校は8年間アンケートによる授業評価を続けてきているのですが、こういった課題が表面化してきているようでした。

もともとは、今年度のアンケートをどうしようかということでしたが、管理職の方とお話しして、授業改善につながる授業評価にしたいという思いを強く感じました。
アンケートの設問も、もしスコアが低いのであれば具体的にどのようにすればいいのかという方法論がなければ改善にはつながりません。また、教師が意識していることが実際に効果的なのかを客観的に見ることも必要です。生徒アンケートは授業改善の有効な手段ですが、それだけでは十分ではないのです。
こういったことをお話しさせていただいたところ、非常によく理解していただくことができました。年2回行っていたアンケートを今年度は1回にして、授業評価アンケートだけでなくトータルに授業改善の方法を探っていくことになりました。

この学校はビジョンの1番目に、「教職員と生徒が信頼し合う」という言葉が入っています。教師と生徒の人間関係を大切にするという発想はとても素敵です。管理職の方の授業に対する姿勢も、本当に子どもたちを伸ばしたいという思いがあふれるものでした。こういう学校のお手伝いができることをとてもうれしく思いました。次回は、実際の授業での子どもたちの様子を見せていただき、その実態をもとに今後の授業改善の方向性を探っていくことになりました。今後がとても楽しみです。

板書の時ほど子どもを見る

廊下から子どもたちのようすを見せてもらっていると、いろいろなことに気づきます。特に教師が黒板の方を向いて板書をしている時の子どもの姿は、学級の状態を映し出してくれます。

まず気がつくことは、子どもの姿がそろっているかどうかです。そろっている時は、黒板を見て「板書を写している」、「板書を注視している」のどちらかです。板書を写しているのは、教師が板書を写すように指示しているか、子どもたちが板書は写さなければいけないと考えているかのどちらかです。この違いは教師が板書を終わって話を始めるとよくわかります。前者であれば、少なくとも教師が話を聞くように指示すれば、子どもは手を止めて教師に集中します。ところが、後者であれば子どもは板書を写すことを優先してなかなか顔を上げようとはしません。
子どもが板書を注視しているのは、学習に対して意欲を持っている時です。「板書を見てね」と言ってもなかなか集中は続きません。教師が何も言わなくても、このような状態であれば、学級は授業規律を含めてよい状態であることが多いようです。

子どもの姿がバラバラなときは、明確な指示が出されていないか、子どもたちの学習意欲が低い場合がほとんどです。4月は板書を写す子ども、板書を注視している子どもに分かれやすい時期です。それは、昨年までの教師がどのようにしてきたかの影響が残っているからです。年度当初からきちんと指示をすればそろっていきますが、教師が板書を見ることを求めずあとから写すように指示をしたりすると、板書をしっかりと見ていた子どもは写すのが遅れて損をしたような気持ちになってしまいます。ルールをきちんと伝えておくことが必要です。

このような違いが起こる一つの要因が、教師が子どもの状態に気づいていないことです。ずっと黒板の方を向いて板書を続け、終わってから子どもたちの方を向くのであれば、子どもの様子に気づくことができません。教師が子どもたちの方を見ると顔を上げてしっかり聞く姿勢をとる学級でも、板書中はボーっとしていることがよくあります。ベテランでも、この学級は授業規律ができている、子どもたちはよく集中してくれると勘違いしていることがあります。板書中は何もせず、教師が板書を終わり子どもたちの方を向いて説明を始めると写し出したという、笑えない学級も目にすることがあります。総じて、教師がよくしゃべり、チェックする目で子どもたちを見ている学級では、子どもたちが受け身で長い時間緊張を強いられるため、教師の視線から解放されると息抜きをする傾向が強いようです。

何の指示もなく板書しながら黒板に向かって話すなどというのは論外ですが、たとえ指示を出していても板書に専念するあまり子どもの様子を見ないというのは問題です。指示通りに子どもが行動できているとは限りません。板書中も、意識して子どもの方を振り返ってみることが大切です。子どもたちの状況を把握することで、授業規律が確立できているかがよくわかりますし、子どもたちに対してどういう指導が必要なのかを判断することができます。板書の時こそ、子どもを見ることを意識してほしいと思います。

管理職研修で講演

昨日は、今年度より全小学校の授業アドバイスをする市の管理職研修の講師を務めました。「やる気を引き出す学校経営」というテーマで、授業改善の例を中心に話をさせていただきました。

大切なことは、管理職からの発信がどれだけ具体的であるかということです。例えば「挨拶のできる子ども」と言っても、大きな声で挨拶はするがこちらが挨拶をする前に立ち去ってしまう子ども、ちょっと立ち止まってこちらの目を見て挨拶してくれる子ども、お客を見つけてわざわざこちらに寄ってきて挨拶してくれる子ども、というように私の目にする子どもたちの姿は様々です。でも、どれも「挨拶のできる子ども」です。どのような姿を目指しているのか具体的な姿で発信しなければ正しく伝わりません。
授業を見ても、具体的なフィードバックをしなければ、見られた側はチェックされたとしか思いません。ポジティブな評価をすることも大切ですが、ただよかったではなく、どこがどのようによかったか具体的に伝えなければ、単なる外交辞令だと思われます。「あの場面はどうしたかったの?それならばここをこうするともっとよくなると思うよ」といった具体的なアドバイスも心がけてほしいと思います。見られてよかった、アドバイスをもらえて授業がよくなった。そういう思いをすれば、やる気を出してくれますし、自分からアドバイスを求めてくれるようになります。
また、授業を見てアドバイスをしたからすぐに授業がよくなるわけではありません。大切なのはその後、できるだけ早い時期にもう一度見ることです。たとえ上手くやれていなくても、やろうとしていれば、その意欲を評価するのです。何らかの変化に対して常にポジティブに評価することが大切になります。子どもを育てることと同じです。
授業研究なども、あたりさわりのない意見、批判的な意見ではなく、具体的な改善につながる意見、よいところを認める意見がでるような工夫が必要です。学校全体に互いを認め合う、学び合う雰囲気をつくることが大切です。

保護者や地域の方の力をうまく活用することも、学校経営にとっては大切なことです。まわりの力を活かすには、一方的なお願いではなく、子どもたちの成長のためにどうすればよいかこちらから相談する姿勢が求められます。一緒に考え、互いに補いながら実行することで、やらされている感のない活動に変わります。また、参加してもらって終わりではなく、その結果子どもたちの成長にどのような変化が見られたかといったことをきちんと伝えることも大切です。自分たちの行動が子どもたちの成長に役立っていることを実感することが自己有用感につながります。このようなことを意識していただけたらと思います。
学校ホームページに関連して、アップする内容を工夫することで保護者や地域の方だけでなく、教員のやる気もアップすることも少し話をしました。

限られた時間の中で伝えたいことを一方的に話す形となったため、参加者が受け身となる時間多く、申し訳ないことをしました。そのような中でも、多くの方(特に女性)が積極的に反応してくださったことをうれしく思いました。いよいよ来週から実際に学校に訪問しますが、どのような子どもと先生方にお会いできるかとても楽しみです。少しでも学校の授業力の向上にお役に立てるよう頑張りたいと思います。

大前暁政先生から刺激と視点をいただく(一部削除)

先週末は、今年度第1回の教師力アップセミナーに参加しました。京都文教大学准教授の大前暁政先生の講演でした。

前半は「学級づくりの筋道」、後半は「理科の授業づくり」についてのお話しでした。共通して感じたのは、まだ若いのに大前先生が実によく勉強されてきたのだろうということでした。特に前半のマネジメントに関することは、どこかで聞いたことのある話ばかりなのですが、ご自身の現場での経験をもとに実践する側の視点で何が大切かを改めて整理されているように感じました。目標を立てても具体的な手立てが見えなければ、実行することはできない。具体的な手立てを持つこと、示すことが大切だという主張は大いに賛同できるものでした。学級経営を考える時に、その大切な要素が授業だという考えも納得でき
るものでした。

後半の「理科の授業づくり」は、大前先生が日ごろ大切にしている視点を伝えられました。これも、一つひとつの内容はどこかで聞いたことがあることなのですが、実践を通じて大前先生の言葉で整理されたことに価値があると思います。

・3つの力(問題解決能力)
比べる・因果関係を考える・規則性(法則性)を探し出す。

・心理的盲点に気づかせる
子どもが素通りしそうな(見過ごしそうな)知識を問う。

・わかった状態から、わからない状態へ
わかった状態からわからない状態へ追い込むことによってより深くかんがえさせることができる。

・問題意識を探り、授業で扱う
子どもたちから疑問や調べたいことを引き出すことで、意欲を持たせる。

こういったことを、具体例をもとに話していただけました。

ただ、示された例が興味を持って調べる、知識を得ることにやや偏っていて、子どもが考えて結論を出すといったものが少なかったことが気になりました。知識を得て、その知識をもとに考えるという流れが、明確になっていなかったのです。考えさせる例でも、そのために何を知識として持っていなければいけないのか、それをどう与えてどう子どもたちに活用させるかの手立てが示されなかったのです。大前先生の中ではきちんと流れがあるのでしょうが、若い先生にはそのことを意識することすらなかなか難しいことです。小学校の先生の多くは理科の専門家ではありません。理科で大切にすべきことが何かをわからずに、ただ同じ実験をやる、課題を与えるだけでは、興味を持たせることはできても、理科の力がつくかどうかは疑問です。もし次の機会があれば、ぜひこのあたりのことを話していただきたいと思いました。

まだ若い大前先生ですが、たくさんの刺激と考える視点をいただけました。ありがとうございました。

机間指導中の子どもの姿

先生が机間指導をしている時、子どもたちの姿を見ていると面白いことに気づきます。先生が近づくと手でノートを隠すようにして体を通路と反対側に向ける子ども、逆にノート見やすいように手をどけて、先生を待っている子どももいます。もちろん、何の変化もない子どももいます。多くの場合、学級ごとにその傾向が異なるのですが、その違いは何でしょう。

机間指導で間違いをチェックされると、子どもはネガティブな気持ちになります。先生がそばを通るたびに間違いをチェックされていると、先生が近づくだけで間違っていたらどうしようと緊張するようになります。
一方、先生がノートを見て○をつけたり、ここがいいねとほめてくれたりするととてもうれしいものです。いつもほめられる子どもは、先生が近づいてくるとほめてもらおうとノートを見えるようにしたり、作業を止めて先生が来るのを待ったりするようになるのです。先生がノートを見ている時に、自然に子どもの顔に笑顔が浮かぶ光景もよく目にします。

先生がいつも子どもの間違いをチェックする目で見ている学級は、机間指導で先生が近づいてくると子どもに緊張が走ります。そして、先生が通り過ぎるそばから緊張が弛んでいくのがよくわかります。子どもは先生にそばに来てほしくないと思っています。
一部の子どもは先生を待っていて、一部の子どもは緊張する学級もあります。これは、正解やいいことを書いていればほめるが、そうでなければ声をかけない、または間違いを指摘する先生の学級で起こります。よくできる子ども、自信のある子どもだけが、○をもらえる、ほめられるので先生を待っているのです。
いつも、よいところを見つけてほめる。たとえ間違ってもできているところまで認めて○をつける。全員にポジティブな声かけをする。こういう学級では、机間指導をしていても子どもに緊張は走りません。課題に取り組みながら先生が近づくのを心待ちにしています。
机間指導をしていて子どもに何の変化もない学級は、先生がただ漫然と子どもたちを見ていることがほとんどです。また、できない子どもだけ個別に指導するような学級では該当しない子どもは、先生に頓着しません。逆にいつも教えてもらう子どもは、行き詰まると先生が来るのをじっと待っています。先生がその子どもに気づかなければずっとそのままです。こういう状態になるのであれば、机間指導はせずに全体が見える位置で子どもたちを見守って、気になる子どもがいればすぐにそこに行けるようにした方がいいでしょう。

机間指導をしている時の子どもの様子は、先生が子どもたちとどういう姿勢で接しているかを如実に表します。子どもたちの姿から机間指導での子どもとの接し方を振り返ってみてほしいと思います。

教務主任の授業(長文)

先日訪問した中学校での提案授業は、教務主任の参観者への強いメッセージを感じるものでした。3年生の社会科で、世界恐慌と各国の対策についての授業でした。

この学校の3年生はとても集中力があり、どの先生も口をそろえて授業がやりやすいと言っています。だからこそ、教師が子どもたちにどのようになってほしいかをしっかり伝えることでより高いところへ到達することができます。特にこの時期は、このことを強く意識して授業規律などをきちんと確立することに力を使わなくてはいけません。授業者は、どのようにすればいいかを様々な場面で示しました。授業開始の挨拶では、しっかり子どもたちと目線を合わせ、全員が自分に集中したのを確認してから礼をします。プリントを配る時には、「ありがとうと言えるといいね」と一言そえます。ほめ言葉や認める言葉をたくさん聞くことができました。

授業の前半では、世界恐慌の前後でアメリカの人々の生活がどのように変わったかを確認しました。好景気の時の大きな広告看板の前で配給を待つ人が列を作っている写真を見せて、子どもたちに質問をしていきます。英語の看板から子どもたちはアメリカと気づきます。看板の明るいイメージから、第一次大戦でアメリカが戦争の影響を受けずに反映したことを子どもたちの口から言わせました。自然な形で学習した知識を活用し復習をさせます。授業者は「そうだったね」と子どもの言葉を認めて進めました。この復習内容が大切であるならば、このことについてもう少し詳しい説明を他の子どもに求めてもよかったかもしれません。時間をあまり使いたくなかったのでしょう。

子どもたちに看板の英語の意味をたずねます。他教科の学習を具体的に活かす場面をつくる姿勢は大切です。この場面は子どもから言葉を引き出すためにていねいに進めました。しかし、社会科の授業としては本質的な部分ではありません。また、意味がわかるかどうかは知識の問題でもあります。子どもたちは考えるのですが、辞書を引いたりする姿は見られませんでした。であれば、すぐに答を引き出して社会科の授業に戻らなければいけません。ちょっとまわりの子どもと相談させて、すぐに発表させればいいのです。

子どもたちを指名しながら、何の行列かを考えさせます。「バッグを持っている」「買い物」「行列ができるのはどんなとき?」「遊園地」「人気のあるもの」・・・、子どもたちはうれしそうな表情で意見を発表します。授業者がうなずきながら、しっかりと受容するからです。子どもの様子を見て、「○○君何かわかっているね」と声をかけます。途端にその子どもの表情が明るくなります。固有名詞できちんと外化を評価しています。また、その子どものまわりの子どもたちも明るい表情になります。子どもを具体的に評価することは、他の子どもにもよい影響があるのです。
授業者は、失業者へのドーナツの無料配布の様子の写真も使って、失業者が増えたことを確認し、現代の日本の状況やアベノミクスについても言及しました。歴史を過去のものとして扱うのではなく、今とつなぐことは大切なことです。
授業者は、世界恐慌で何が起こったかを「不況になって、生活が苦しくなった」と単なる言葉で説明するのではなく、子どもたちに実感できることを大切にしていました。しかし、子どもたちに経済的な知識がないので、どうしても説明が多くなります。不況のメカニズムをできるだけ単純に子どもとのやり取りで気づかせるような工夫があるとよかったでしょう。
「物が大量に作れると何がいいの?」「安くなる」、「よそより安くするためにはどうする」「もっとたくさん作る」、「物を作ったらどうするの」「売る」「買ってもらう」、「作りすぎたらどうなる」「売れ残る」「安売りする」、・・・。これほど単純化していいのかどうかわかりませんが、資本主義経済における市場の大切さもここで押さえておくことで、この後のブロック経済がよくわかるはずです。

授業者は、板書をできるだけしないようにしています。板書をするとどうしてもそれを写すことに意識がいってしまい、考えることをしなくなるからです。その代りに「世界恐慌」といった大切な用語は、全体で何度も声に出させます。写すことよりも覚えることを優先させています。子どもたちは、用語を覚えるだけでなくその意味もよく理解していることが、授業者と子どもたちとのやり取りでよくわかります。授業者は今扱っている内容と関連する過去の学習内容を質問しますが、子どもたちはとてもよく反応するのです。

世界恐慌の結果、失業者が増え生活が苦しくなったことをしっかりと押さえたところで、この時間のめあて「世界恐慌に対して、欧米諸国はどのような政策を行ったのだろうか」を板書します。子どもたちは、素早く写します。前半を子どもとやり取りしながらていねいに進めることで興味を持っていることがわかります。子どもたちに欧米諸国の名前あげさせます。亜米利加(アメリカ)、英吉利(イギリス)、仏蘭西(フランス)、伊太利亜(イタリア)、独逸(ドイツ)と板書します。米、英、仏、伊、独といった略名に慣れさせるためでしょうか、面白いやり方です。授業者は意図的に、亜米利加を左の方に、英吉利、仏蘭西を真ん中に、伊太利亜、独逸を右端の下の方に書きました。
ここで、第1次大戦後の各国の工業生産量?の変化のグラフを資料として配ります。子どもたちは、すぐにソ連だけが順調に発展していることに気づきます。そこで、ソ連が他の国とどう違ったのか、当時の指導者スターリン、5か年計画を押さえました。授業者はソ連の国土が大きいため国内だけで経済が完結できることを世界恐慌の影響を受けなかった理由としましたが、雇用の創出、市場の確保といった他の国の政策と共通の視点で整理しておくとよかったと思います。

子どもたちにメモでいいので3分間で各国のとった政策をノートに書くように指示をしました。この日は短縮授業だったので時間が厳しかったこともありますが、3分間としたことで子どもたちの集中度はとても高いものになりました。どの子も素早く取り組みます。3分経ってもまだ子どもたちは作業をしています。しかし、授業者は思い切りよく止めました。「1つは書いているよね」と確認したところ、手が挙がらない子どもがいます。授業者はその子どものノートを確認して、「なんか書いてあるじゃない」と発表させます。ほとんどの子どもが手を挙げているからこそ、手を挙げていない子どもに目を向けることが大切です。できていない子どもも活躍させようと考えているから、途中でも躊躇なく止められたのです。全員を参加させたいという授業者の思いが伝わる場面でした。

子どもからニューディール政策が出てきました。関連することを他の子どもたちに確認します。公共事業とは何かを説明し、道路をつくる、ダムをつくるといったインフラ整備が行われたことを押さえます。雇用の創出という視点で、「どんな事業をすればいい?仕事をつくるだけなら、穴を掘って埋めてもいいじゃない?」「だれがそんな仕事をつくるの?」といった、不況の原因から考えるという発想もあります。授業者は子どもたちに経済はよくわからないだろうと、経済的な部分を自分で説明しましたが、スモールステップを意識することで、子どもたちで考えられるようにすることはできたように思います。
授業者は政策という事実を調べさせることから出発しましたが、不況の原因から次にどう行動するかを考えていくという発想もあります。授業の前半で雇用が失われたことと市場の必要性を押さえておけば、それぞれを意識した政策はどの国がとったのかを問うこともできたと思います。その上で、他の国はなぜそういった方法を取れなかったのかを問うことで、第2次世界大戦への道が見えてくると思います。
結果から考える発想と原因から考える発想のどちらがよいというのではありません。どのように組み立てると子どもたちが考えやすいかで判断するとよいと思います。いずれにしても、この時代のことは現代社会にもつながるだけに、今を読み解く視点を意識して授業を組み立てたいものです。雇用や市場を意識することで、アベノミクスやTPPといった現在の問題もよく見えてくると思います。

授業者は子どもたちの発言に対して、「ありがとう」と返すことで発言をしやすい雰囲気をつくり、「わからない人いない?」と全員が理解することを大切にしています。ブロック経済では、「他の国が入ってこられないためにどうしたらいいの?」と問いかけ、「関税」という発言に「いいこと言ったね」と評価します。また、「笑顔がいいね」と声をかけてから指名したりと、子どもたちとの人間関係をつくることも大切にしていることがよくわかります。
子どもたちは友だちの発言をよく聞いていますが、中には一生懸命メモを取っている子どもがいます。板書をしないので、メモを取っておこうというのです。この行動自体は悪いことではないのですが、ずっとノートを見続けているのが気になります。発言者の方も見てほしいと思うのですが、悩ましいところです。「基本は発言者を見る、メモを取る時は素早くとって発言者に視線を移す」と、メモを禁止するよりも、よりレベルの高いところを目指すようにできるとよいと思いました。

ブロック経済をとられると、ドイツやイタリア、日本はどうなるかを考えさせ、このことが第2次世界大戦につながっていくことを子どもの言葉から押さえて、最後に、黒板の空いたところにそれぞれの国のとった政策を指名して書かせました。自分たちでまとめるようにすることで、子どもたちは受け身になりません。多くの子どもが、友だちの板書をそのまま写すのではなく、自分で言葉を足したりしてまとめていました。
政策を書かせるだけでなく、何を意識した政策なのか、上手くいったのかどうか、その結果どうなったのかも簡単に付け加えさせればよかったと思います。子どもの言葉でこの日のまとめを発表させて終わりました。

社会科の授業としては、子どもたちの活動をもとに組み立てるために思い切って引き算をしていることが印象的でした。たくさんのことを説明するのではなく、何を理解すればこの時代を理解できるかをよく考えた授業構成でした。ただ、経済については子どもたちに知識がないため自分たちで考えるのは難しいだろうと考えたため、どうしても授業者の説明が多くなってしまいました。「単純化できないか」「どのような知識が必要か」「どのくらいスモールステップにできるか」といった視点で教材研究をすることで、難しい内容も子どもたち自身である程度考えさせることができるようになると思います。

社会科の授業としても見どころが多かったのですが、何より感じたのは「教務主任の授業」だということでした。この時期に教務主任としてみんなに意識してほしいことを伝えるための授業だったのです。子どもたちのどんな姿を目指すのか。どのような授業規律を確立したいのか。そのために具体的にどのようにすればいいのか。そういうメッセージがいたるところから伝わってきました。表情や言葉かけ、指名の仕方や受容の仕方に、子どもたちが安心して参加できる、子どもたちの言葉でつくられていく授業を目指していることがよく表れていました。どの教科の先生にも学ぶことの多い授業だったと思います。
教務主任として2年目の先生ですが、忙しいこの時期に自ら意図的な提案授業をおこなったことに感心しました。教務主任だからこそ、何より授業を大切にしたい。そんな思いも伝わってきました。この学校の先生方もきっとこの思いを受け止めてくれたことと思います。この学校に授業を大切にする空気がますます強くなっていくのを感じます。
若い先生方の成長も楽しみですが、こういうミドルリーダーの成長を見ることもとても楽しみです。この学校がこれからどのように進化していくのか、今まで以上に楽しみになってきました。

有田和正先生から学んだこと

5月2日に有田和正先生が亡くなられました。教師力アップセミナーでは平成16年から8年間にもわたり講師を務めていただきました。愛される学校づくりフォーラムでは昨年、一昨年と登壇いただき、特に昨年は小学校6年生最後の社会科の授業というテーマで模擬授業を行なっていただきました。体調不良のため控室で苦しそうな顔をされていたにも関わらず、舞台に立つといつとも変わらぬ素敵な笑顔で、素晴らしい授業を見せてくださったのが忘れられません。プロの教師の姿をそこに見た思いでした。
私は、自分の専門教科(数学)にこだわらず、どの教科でも授業アドバイスをしています。数学や理科はある程度詳しいのですが、他の教科は現場の先生方から学んできたことを元に話をさせていただいています。社会科に関しては、有田先生との出会いから学ばせていただいたことがとても大きなものでした。

有田先生は追究する子どもを育てることで有名でしたが、ご自身が追究の鬼でした。とにかく、教材になりそうなことは貪欲に追究されます。そのエネルギーは、いつお会いしてもいささかも衰えることがありませんでした。おけがでの体調不良からやっと回復された時にお願いしたセミナーの終了後のことです。「今日はこれからビル風を使った風力発電の写真を撮りに行く」とうれしそうに話されました。まだ、本調子ではないのにその教材開発へのエネルギーに圧倒されたのを覚えています。その時興味を持って追究していることを、本当に楽しそうに話していただけました。私たちが見落とすような、目の前のほんの些細なことに対しても、敏感に反応して教材に変えていく力は凄みさえ感じさせるものでした。

教科書に載せる資料一つとっても、何百もの中から選びに選び、こんなものがほしいと思えば必死になって探すといったことも聞かせていただきました。有田先生の授業から学んだことはたくさんありますが、それ以上に先生の追究の姿勢から学んだことが私の社会科の授業を考える根っこになっているように思います。それ以来、教科書の資料を見ると、なぜここに他の資料ではなくこの資料があるのだろうか、この資料を追求することでどのような学びがあるのだろうか。そんなことを考えるようになりました。教科書の1枚の絵をもとに調べていくと、その背後に何百年もの歴史の流れが見えてくることもあります。1枚の写真に、その仕事に携わる人たちのたくさんの工夫の跡を見ることができます。小学校の1冊の教科書からでも、私が学生時代に学習した以上に深く学べることを知りました。有田先生との出会いにはただ感謝しかありません。

私などとは比較にならないほど深く有田先生から学んだ先生はたくさんいらっしゃいます。その方々によって、これからも有田先生が追究された社会科の授業が深まり広がっていくことと思います。これからも、多くの追究する子どもたちが日本で育っていくことでしょう。
次に有田先生にお会いする時にはどんなお話が聞けるだろうかと、体調が回復される日を心待ちにしていましたが、それもかなわぬこととなりました。今はただ先生のご冥福を心よりお祈りするばかりです。

現職教育と指導案の検討会

昨日は中学校の現職教育で講演をおこないました。それに先立ち先生方と授業を見学しました。前回訪問から2週間ほどしか経っていませんが、それでもいくつか変化が見られました。

3年生はどの学級も相変わらずよい状態なのですが、ここにきて4月の頑張りの疲れが出たのか、学級の中に1人2人集中力が切れる生徒が目につくことがありました。単に体力的な問題なのか、精神的な問題なのかはわかりませんが、学級担任の観察が必要かもしれません。連休明けにはアンケート形式の心理検査も実施される予定ですので、これをうまく活用していただければと思います。

2年生は、3年生と変わらないほど集中している授業がいくつもありました。新学年ということで上手くリセットできたということでしょう。その反面、集中できていない授業も目立ち始めています。教師が一方的に話す時間が長かったり、作業が終わった者への指示がなかったりすると、とたんに集中力を失くすのです。また、子ども同士が上手くかかわれている授業でも、ポツンとかかわれない子どもがいることがあります。こういう子どもを上手くつなげることを意識してほしいと思いました。

1年生は、学級集団の形にまだなっていないという印象です。いくつかの異なる集団がまだ一つになっていないのです。発言者の方を向こうとする集団もあるのですが、2週間前と比べるとその数が減ってきているように感じます。よい行動を評価し、強化することができていないと感じました。一方、子どもたちがしっかりと集中している場面も部分的には見られます。これは例外なく、子どもたち全員が指示に従うまで授業者が待って、徹底している時でした。教師が望めばそのように姿を変えることができる子どもたちだと思います。

この時期ならではの場面をたくさん見ることができました。先生方が時間をかけて子どもたちへの指示を徹底させているのです。先生方それぞれの授業の進め方があります。その進め方や授業規律を子どもたちにきちんと伝えるには時間がかかります。だからこそこの時期は、多少授業の進み方が遅くなっても徹底させるのです。そういった意志を強く感じさせる先生が何人もいたことをとてもうれしく思いました。

この日は教務主任が先頭を切って提案授業をおこないました。この授業の検討会が行われなかったのが、とても残念に思われる授業でした。この授業については別の機会にお伝えしたいと思います。

現職教育ではこの1年の進め方について主任から説明がありました。研究授業については指導案作成を簡略化して、「生徒にどうなってほしいのか=ゴール」「見てほしいところ」に絞り、実際の活動に力を使ってほしいと提案されました。実質を大切にしようという姿勢は好感が持てます。今年度もたくさんの方が授業を公開します。互いに授業を見あえる学校であることはとても素晴らしいと思いました。

私からは、「学級経営・授業の基本の確認」ということで、この時期にしておくべきことを具体的に話させていただきました。ベテランやできている方にとっては言わずもがなのことばかりですが、ここでしっかりと押さえておかないと1年間苦労することになるからです。
子どもとの人間関係をつくる基本は、「笑顔」で接することです。そして、人間関係をつくり上げた上に安心・安全な教室とすることが求められます。子どもをしっかり見ること、学級の規律、授業規律をはっきりと伝えそれを徹底することをいくつかの具体的な場面を例にしてお願いしました。
説明しながら、ああこれは○○先生の授業で見ることができた場面だなと思うことがたくさんありました。この学校は、基本ができている先生がたくさんいることを改めて確認できました。こういった先生方のよさを、互いにもっと学びあえるようになれば素晴らしいと思います。

現職教育終了後、研修部の先生と話をする時間を持てました。今年度異動したばかりの主任ですが、この学校のよいところをまず自分自身が吸収しようというとても素直な姿勢を見せてくれます。こんなことを意識して授業を変えたら、このように子どもたちが反応したととてもうれしそうに報告してくれました。副主任はまだ若手ですが、子どもたちを自分が受け止めることから始めようとする姿勢の方です。よいチームワークが期待できます。
この日、教務主任の授業を見ることができなかった方がいたことや検討会を持てなかったことが残念だったので、今後若手の方に授業のレポートを書いてもらい、授業者のコメントも加えて全体に配ることを提案しました。前向きに検討してくれそうです。

このあと、来月にある学校訪問での指定授業者の指導案の検討会が行われました。社会科と数学科でしたが、それぞれ勤務時間も終わった遅い時間にもかかわらず5名ずつの先生方が参加してくださいました。これだけで、授業者には心強いことだと思います。
社会科は、今年度異動して来たばかりの先生が授業者です。1年生の地理の気候で授業をする予定ですが、内容の検討の前にまず地理は何を学ぶ教科であるかを全体で確認しました。その上で、資料の活用について、資料をもとに何が言えるかを考える演繹的なアプローチとなぜそうなったかを考える帰納的なアプローチがあることを確認しました。どんな資料がよいだろうかという話から、教科書の資料について考えることになりました。教科書はたくさんの資料の中から本当に選りすぐったものを掲載しています。なぜこの資料がこの場所にこの大きさで載っているのか、その意図を考えるだけでも立派な教材研究になります。教科書の吹き出しに書かれた疑問を考えるだけで、ねらい迫っていくことができます。教科書を読み込むことがまず教材研究の第一歩であることを確認できました。
時間をかけた割に、肝心の指導案の姿が見えてくるところまで詰めることができなかったことは申し訳なかったのですが、教材研究についてとても大切なことを学び合えたと思います。指導案をつくる方向性は見えてきたと思います。みんなで協力して、面白い指導案ができるのではないかと期待しています。

数学科の授業者は6年目の先生です。連立方程式の応用の導入の授業です。連立法的式の立式と解くことを分けて考えたいという方向性を事前に明確にしていました。自分で勉強してその方がよいと判断したのです。方向性が明確なので、足が地についた話し合いができます。この授業のねらいを、「わからないものは文字に置き換えればわかりやすい、うまくいく」と子どもたちが言葉にしてくれることとし、立式することを活動の中心にして解くことには時間を使わないことにしました。
ここで参加してくれたベテランがとても素晴らしいアドバイスをたくさんしてくれました。立式だけなら、未知数が2つでなくてもできる。問題を拡張して3元の連立方程式を立てさせてもいい。子どもたちにとってリアリティのある課題なら、子どもたちの野外学習の部屋割りはどうだろうか。参加した全員がなるほどと思うようなことばかりです。とても面白そうな授業になりそうです。
また、自然と子どもたちの現状に話がおよび、しっかり参加して理解してくれるのだが定着が今一つよくないことが課題としてでてきました。直前の復習ではなく、数時間前の復習をすると、「あれ、できたはずなのに」と子どもが口惜しがったといった報告もありました。こういったやり方もあるのだと参考になったようです。以前いた先生がやっていた「音声計算練習」も話題になりました。授業のことをみんなで話す機会を持つことのよさを感じられたように思います。
最後にベテランの方が教科書はなぜこの値を使っているのだろうかと、とてもよい質問をしてくれました。その質問もさることながら、ベテランでもこうして日々教材研究をしていることをさりげなく若い先生に伝えてくださったことをとてもうれしく思いました。

互いに授業のことを話し合う雰囲気が学校の中に広がってきているのを感じます。今年度この学校が大きく前に進むエネルギーを感じた1日でした。次回の訪問が本当に楽しみです。

私学で、今後の方向性について打ち合わせ

昨日は私立の中高等学校で授業見学と打ち合わせをおこなってきました。

今回は若手の教科指導部の先生方と一緒に子どもたちの授業中の様子を見学しました。授業規律に関しては、先生方が子どもたちにどうあってほしいかを明確にしないと成立しません。この日も、先生方がどんな子どもの姿を見たいのかが伝わってこない場面に多く出会いました。子どもの姿をもとになぜそのような姿になっているのかを一緒に考えてもらいましたが、とても素直に聞いていただけました。今までそのような視点で考えたことがなかったということでした。授業に関して他から学ぶ機会が少なかったのでしょう。逆に言えば、授業についていろいろな視点で学ぶ機会があれば大きく伸びる可能性が高いということです。

高校2年生全体に対する校長講話の時間も見学しました。集合時の指導は、学級委員に整列させるように盛んに指示していました。学級委員は命令されているように感じたのではないでしょうか。一方、一般の生徒たちは、自分たちには関係のないことと思っているようでした。リーダーを育てる意図でそのようにしているのかもしれませんが、これでは教師、学級委員、一般生徒の関係が悪くなります。学級委員は先生に叱られた、一般生徒が協力してくれない。一般生徒は、仲間であるはずの学級委員に指示された。そんなネガティブな感情を持つ可能性があります。そうではなく、学級委員に整列の指示確認をお願いする。一般生徒にも学級委員に協力するようお願いし、教師が学級委員をサポートしていると感じさせる。こういう接し方が必要です。「子どもたちになめられてはいけない」という思いが、高圧的な態度につながっているのでしょうが、しっかり受容する姿勢を見せていれば、決して子どもたちはなめたりバカにしたりしません。
その後だったせいもあるのでしょうが、校長が講話で子どもたちに発言を求めてもなかなか反応できませんでした。相手が校長なので、おかしなことを言ってはいけないというプレッシャーもあったのでしょうが、日頃から安心して間違えることができない環境なのだと思いました。校長の話を聞こうとしている生徒はたくさんいます。この子どもたちを評価してあげる場面がほしかったのですが、学年の先生からはよくないことの指摘で終わってしまいました。学年の先生から、我慢して聞くことも大切という価値観が強く感じられました。そうではなく、「他者の話から学ぶことは楽しい、何か学べるはずだ」という価値観に変えてほしいと思いました。

教科指導部の先生方とじっくりお話する時間をいただきました。先生方が一番心配していたことは、学校全体で目指す子どもたちの姿を共有できるかどうかということでした。一人ひとりの授業観が違うことは当然ですが、学校という組織として考えれば基本となるものは共有すべきです。私学であれば、建学の精神がそれに当たるはずです。歴史ある学校ですが、今でもまったく色褪せない素晴らしい建学の精神を持っています。しかし、残念ながらこの学校の先生方はそのことを意識して授業をしているように思えません。トップダウンで建学の精神に基づくことを強く訴えることも可能ですが、できればボトムアップで「こういう子どもたちの姿が見たいね」と先生方に思ってもらえる方がこの学校の現状からはよいように思いました。まずは、教科指導部の先生方を中心として、子どもたちのよい姿をつくり出す授業に挑戦して広げることから始めようとなりました。その第一弾として、新任の先生方による授業研究の場を活かすことにしました。提案授業をする先生を教科指導部の先生方を中心にバックアップし、授業検討会を活性化することで授業について先生同士が学び合う雰囲気をつくりだすことを目指します。教材研究を合同でおこなったり、事前の模擬授業を有志でおこなったりする。3+1授業検討法で授業検討をおこなうことで、授業研究を前向きにとらえる雰囲気をつくる。この方向で具体化することを教科指導部の先生方にお願いしました。
教科指導部の先生方からは、この話とは別に授業に関する質問やアドバイスをたくさん求められました。先生方の向上意欲を強く感じました。特に若い先生方は、具体的なアドバイスを求めているように思います。彼らの向上心をうまく活かしたいと思いました。

いよいよ本格的に授業改善に向けて動き出します。校長は決して焦らず、一歩一歩進めればいいと考えています。まずは、学校内に授業について話し合う雰囲気をつくることから始めたいと思います。
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