介護研修で組織にとって大切なことに気づく

先週末、介護関係者の研修を行ってきました。今回からは、自分たちの考える介護のスタイルについて考え、共有してもらうという内容です。

介護施設で皆さんが行っている仕事をグループでできるだけ細かく出していただきました。午前中だけに絞ってもものすごくたくさんの仕事です。素直に「忘れてしまうこともある」という言葉がでてきます。全体の場でこのようなことを正直に言うのは、実はなかなか勇気のいることです。これができるということは、互いに信頼関係ができているということです。
ここで、これらの仕事を進めるにあたって大切なこと、ポイントは何かを話し合っていただきました。いくつかのポイントが出てくるのですが、介護の技術的なことは出てきません。この施設では技術面での不安や心配はないので上がってこないのです。出てくるのは、コミュニケーションの問題と利用者を見守るという姿勢の問題です。前者は、利用者の情報や大切なことを全員が知っておかなければならないという当たり前のことを問題にしていたのですが、それが現実には難しいことがわかります。今回は、この問題についてどのようにすればいいのかをグループで考えてもらいました。

最初に、ミーティングで共有する、見やすいところに情報を貼っておくといったシステム的なものと、その日必要な情報のメモをつくって常に手元に置いておくといった個人の対応がでてきました。しかし、それではちゃんと見ない人、やらない人には通用しないという意見が出てきます。みなさん、自分が与えられた仕事をミスのないようにしているだけではダメだと気づきはじめます。申し送りのノートに書くだけでなく口頭で伝える。忘れていることやミスに気づいたら、立場に関係なく声をかけるといったことが出てきました。そこには仕事をこなせばいいという受け身ではなく、自分たちの施設、自分たちの問題だという意識があります。これができることが組織としての力です。とてもよいことに気づいてくれました。素晴らしいと思います。

「忘れていたことを指摘された時にどう反応しますか?」という問いかけに、ある職員の方が、最後に「ありがとう」の言葉を足されました。多くの場合は謝るか、言い訳です。自分の身を守る対応です。この方は指摘されたことに対して「ありがとう」と感謝を伝えました。なかなかすぐに出てくる言葉ではありません。指摘する方も勇気がいります。謝られると相手に嫌な思いをさせたと暗い気持ちになります。「ありがとう」の言葉は相手の気持ちも軽くしてくれます。
こういった職員一人ひとりの持つよさがどんどん広がることを願っています。

介護の専門知識のない私には直接皆さんのお役に立つ話ができるわけでありません。こうして皆さんの中にある素晴らしいものを引き出すことしかできません。これは、学校の教師にも通じることかもしれません。子どもたちに教えるだけでなく、子どもたちの中にあるよさを引き出し、共有させることです。特に教科化が決まりそうな道徳では大事にしたいことだと思っています。
この日も参加者の皆さんから大切なことにたくさん気づかせていただきました。感謝です。

基本がしっかりとできていて、学ぶことの多かった授業

前回の日記の続きです。

授業研究は1年生の国語でした。今年異動して来たばかりの方です。
第一印象は、子どもたちの笑顔がとても多いことでした。学級経営が上手くいっている証拠です。授業者が子どもたちをよく見ていて、受容する態度にあふれています。雰囲気のよいのは当然のことかもしれません。
この日の授業は、今まで学習した自動車を比べる文章をもとに、はしご車の説明の文章を書く場面でした。

まず、廊下側の窓に貼ってある模造紙に書いてある、これまでに学習した文章を見せながら、車の「つくり」に関する修飾語の違いを見つけるクイズを出します。この日の授業は、はしご車の「つくり」について文を書くのですが、そのために修飾語を意識させようというわけです。子どもたちは素早く廊下側に体を向けます。子どもを指名すると、すぐにそちらに体を向けます。授業規律がしっかりしていることがよくわかります。
次に、前時で学習したはしご車の「しごと」を問いかけます。手の挙がらない子どもがいます。「全員手が挙がるといいね」と声をかけ、思い出せない子どもには手元にある今まで学習した車について書いたカードを見てもいいことを伝えます。とてもよい対応です。思い出せなければ調べればいいということをきちんと伝えています。

はしご車に何がついているかという問いかけに、「鏡」と答えた子どもがいました。子どもたちも授業者もよくわかりません。発言者は「教科書に載っていた」と付け加えます。すると子どもたちが一斉に教科書を開きました。とてもよい場面です。どうやらバックミラーのことを言っていたようです。そのことを全員が確認できたところで、「どの車にもついている」という声が上がってきます。授業者は鏡を「つくり」の説明に取り上げるべきかどうか子どもたちに問いかけます。入れないという意見が多いことを確認した上で、発言者に声をかけます。発言者は納得してくれました。授業者が子どもたち一人ひとりに寄り添おうとしていることがよくわかります。「はしご」「あし」「かご」「ホース」の4つが出てきました。

子どもたちにはしご車の動画を見せることを伝えます。子どもたちのテンションが上がります。「これは危ないな」と思いました。しかし、授業者は続けてはしご車に必要な「つくり」は何かを考えるように指示をしました。ちゃんと動画を見る目的を持たせたのです。子どもたちは体をしっかり前に傾けて真剣に見ています。見ていて気づいたことをつぶやく子どももいます。授業者は画面ではなく、ちゃんと子どもを見ています。子どもたちは最後まで集中を切らしませんでした。
続いて、はしご車の仕事に何が必要かを確認します。動画のはしご車にはホースはあるのですが活躍しません。ホースを入れるかどうかは意見が分かれます。一人の子どもがホースの必要性にとてもこだわっています。授業者は無理にこの子どもを説得しようとはしません。残しておくという選択をしました。ここでは、選ぶための基準が明確になっていないので、根拠を持って説得することは不可能です。正しい判断だと思います。4つの中から好きなものを2つ選んで書くことを指示しました。

いよいよ本時の主となる活動である文書を書くことが課題として前面にでてきます。途中で動画の再生がうまくいかなかったこともあり、時間が押しています。「つくりの文章の終わりはどうなっている」とたずねながら、これまで学習した文章に、つなぐための言葉「そのために」と文末表現「・・・があります。」「・・・が、ついています。」が使われていることを確認します。ちょっと誘導的です。文の構造を意識させるのであれば、これまでの文章に同じ言葉(表現)はあるかと問いかければいいでしょう。
これらの言葉ともの以外をマスキングする(隠す)紙を模造紙の文章に重ねて、隠れているところに何が書かれているか考えさせます。子どもたちに修飾する言葉を意識させるためです。印象付けるためにはなかなか面白いやり方です。ここがしっかり書かれているのが「(車)博士の文章」だと伝えます。子ども目線の言葉で目標を与えているのもなかなかです。子どもが「詳しく」「どんな」といった博士の文章を説明するつぶやきが出ます。授業者は「いいこと言ってくれたね」と拾うのですが、全体にきちんと共有することはしませんでした。時間がないので焦っていたのでしょう。子どもたちに「やれそう?」と確認して、「やれそう」と返事が返ってきたので、活動を開始しました。

授業者はすぐに気になる子どものところへ支援に行きました。子どもたちは素早く鉛筆を持ちます。やる気十分です。ところが、ほとんどの子どもの手が動きません。活動を始めてすぐに支援に行くのは注意が必要です。ほんの少しの間でいいので、全体の状況を確認するのです。30秒も見ていれば、このまま進めても子どもたちが書くのは難しいと判断できたと思います。活動を止めて、全体で試しに一文をつくってみるといった対応をすればいいのです。
授業者は、一生懸命あちこちに支援に行きますが、それではとても追いつきません。作業をいったん止め、ペアで助け合って「つくり」の文章を1つだけでいいので、完成させるように指示しました。しかし、そもそもほとんど手がついていないので子どもたちは何を相談していいかよくわかりません。完成できなかった子どもがかなりになりました。

この単元は何を学習するのが目的だったかを問い直す必要があるでしょう。説明文の入門です。説明文の構造、書き方といった形式を身につけることが主の目的だと思います。「そのためには」「どんな(働きをする)」「もの」「・・・があります。・・・がついています。」という構造を意識させることが大切です。子どもたちは、この構造を理解していたと思います。だから、すぐに取りかかろうとしたのです。しかし、「どんな」の言葉が出てこなかったのです。語彙が少ないこともその原因の一つだと思います。この単元の目的からすると、この修飾する言葉についての壁はもっと低くしておく必要があったのでしょう。動画を見ることの活用を含めて、授業の流れを見直さなければいけません。
この日の目標である「博士の文書」はどのようなものか、早くから意識しておくとよいでしょう。文章の構造の確認は書く直前でよいと思いますが、「詳しい」ということが「博士の文章」であることを、動画を見る前に押さえておくのです。「詳しい」ということは、文章のどこの部分かを子どもに確認し、「どんな」の部分であることを共有します。その上で、動画を見る目的を「どんなという説明の言葉をたくさん見つける」にするのです。動画を見た後、「どんな○○だった?」とできるだけたくさんの子どもに聞きます。特に板書も必要ないでしょう。子どもの頭の中に言葉が生まれればいいのです。その後で、文章を書かせればいいのです。

検討会での授業者の反省は、実に冷静に自分の授業を分析できています。私のアドバイスは必要がないと思えるほどです。
グループによる授業検討が行われます。この市ではグループでの授業検討が定着してきたようです。うれしいことです。
この授業のよい点がたくさん出てきます。また、子どもたちが文を書けなかったことについてどのようにすればよかったのか、よいアイデアがたくさん出てきます。しかし、どうしても視点が、「この授業」なのです。この授業から「他の授業」に活かせることや「共通の課題」に学びが広がっていかないのです。そのことが残念です。
私からは、皆さんが気づいたことをもとに、どのような視点で授業をとらえ、つくっていくといいのかを具体的な授業技術と共にお話ししました。限られた時間なので、私の一方的な話になったことが悔やまれます。この学校が目指している「つなぐ」ことを意識して、先生方の考えをつないで見せるべきだったと思います。

検討会終了後、この日授業参観した先生方とお話をしました。皆さんとても素直で前向きだと感じました。きっと大きく進歩していくことと思います。
真剣に聞いていただけるので、ついつい余計なことまで話してしまいました。とても楽しく、私にとっても学びの多い一日でした。
また、訪問する機会があることを願っています。

幅広い層が授業を公開する

昨日は、小学校で授業アドバイスを行ってきました。事前にいただいた資料を見ると、学校として、毎日の授業でどのようなことを意識しようとしているのかよくわかります。授業検討では、「子どもたちの考えをつなぐ」ために、手立て・具体的な手法を協議しようとしています。

授業研究の前に、4つの学級の授業を見せていただきました。教室を移動する時に廊下から各教室の様子も観察しましたが、全体的に感じたのは、子どもたちの姿がバラバラだということです。教師の指示が徹底できていないということもそうですが、教師がこの場面で子どもたちにどういう姿を望むのかがはっきりしていないことが大きな要因と思います。
また、一問一答がとても多いことが気になります。子どもから意見が出ると、すぐに教師が説明を始めます。「子どもたちの考えをつなぐ」ことを意識して子どものつぶやきを拾うのですが、「○○さんがいいことを言ってくれた」とそこからは教師が引き継いで説明をしてしまいます。子どもたちの指名も挙手に頼りすぎでした。

6年生の若手の担任は社会科の授業でした。資料を見て気づいたことを子どもに問いかける場面です。「江戸時代の人々の暮らし」というテーマです。子どもたちに「気づいたこと」と問いかけますが、子どもが資料を確認する間もなく「どんな身分の人がいる」と畳みかけます。すぐに手を挙げた子どもを指名します。子どもが考える間がありません。すぐに反応する一部の子どもだけが活躍して、他の子どもは参加する間もありません。次第に集中力を失くす子どもが目立ってきます。
見つけたものが資料のどこにあるかを授業者が発表者のところに行って確認します。このような対応をすると、子どもたちは教師に対して発表するという意識しか持ちません。みんなに伝えようとしなくなります。
「どんな身分」から「どんな店」と教師が指示して視点が変わっていきます。なぜ、そこに注目する必要があるのか、そもそも何が目的なのか子どもたちはわからないまま引きずり回されます。典型的なミステリーツアーの授業でした。
江戸時代の暮らしを知るのなら、比較の対象があると考えやすくなります。今の暮らしと比べてもいいですし、過去に学習した時代と比べてもいいでしょう。教師に指示されたことをするのではなく、子どもたち自身が見つけよう、知ろうとすることを大切にしてほしいと思います。

2年生の授業は新卒の先生の国語でした。子どもたちのテンションが上がりやすい傾向にあります。授業者は子どもを制するためにテンションを上げて指示をします。子どもを見るのもチェックする視線です。例えば席の移動を指示すると、子どもはすぐにテンションを上げます。移動することしか指示していないので、それ以外のことは意識しないのです。チェックされないことは気にしません。「口を閉じて素早く」といったことも指示することが必要です。そして、できている子どもを固有名詞でほめることで、よい行動を広げるのです。
学習活動は、その目標と評価の基準が明確ではありませんでした。そのため、子どもたちはただ活動するだけになります。当然テンションは上がってしまうのです。

5年生の算数は中堅の先生の約数の授業です。自分の答を書いて見せることのできるノート大のボードを持たせています。前時の時間の復習で「8を割り切ることのできる数はどんな数?」と質問します。子どもたちは先ほどのボードに自分の答を書いて頭の上に出します。これは全員の考えを知るのにとてもよいアイデアだと思いました。「偶数」と書いてある子どもがたくさんいます。授業者にとって予想外の答だったようです。「8の約数」と答えてほしかったのですが、子どもにとってどう答えていいかわかりにくい発問でした。間違えた子どもは約数の定義ではなく、「8の約数はどんな数か」と問われたと思ったのです。約数の定義を問うのなら「どんな数?」ではなく「なんという?」と聞くべきだったのです。約数は数ではなく、そのような数の名前なのです。
授業者は、8の約数に1が入っていることに気づいて、1があるから偶数は間違いと言って次に進みました。予想外の答で落ち着いて対応できなかったのです。せめて、偶数と答えた子どもに「それってどういうこと」と聞くべきでしょう。子ども自身で間違いに気づかせて修正させたいところです。
約数の見つけ方で「ペアで見つける」という言葉が子どもから出てきました。教師はすぐに板書をしてから、子どもたちに理解したかをたずね、発表者に説明させました。板書をした時点で写す子どももいます。子どもはこれを受け入れるべきものとして認識しています。まずは、この言葉を全体で理解して共有することをするべきです。「それってどういうこと?」と問いかけて説明させ、納得した子どもにもう一度説明させる。何人にも説明させて、最後もう一度まわりと確認するくらいで、やっと全員が理解するのではないでしょうか。割る数と商がともに約数になることはそれほど自明ではありません。このことをていねいに確認したあと、割る数と商を線で結んで「ペアだね」と押させたいところでした。

もう一つの6年生の学級はベテランの担任で、算数の速さの授業でした。テンションが上がりやすそうな学級ですが、授業者はよくコントロールしているように感じました。笑顔をよくつくっています。
子どもの言葉を活かそうとする意識はあるのですが、どうしても自分で説明してしまいます。また、問題を解かせる前に、「これを使えばいいね」と教師が見通しを持たせてしまいます。「何を使えば解けそう?」と子どもに問いかけたいところです。
答を発表する場面のことです。勘違いをしてちょっとズレたことを言ってしまった子どもに対して、揶揄するような声が上がりました。ちょっと心配です。エスカレートしないうちにたしなめることが必要です。また、発言者が修正した時点でしっかりとほめて、揶揄されたことを打ち消すようにするとよいでしょう。

若手だけでなく、中堅からベテランまでが授業を公開してくれました。各年代層が積極的に授業アドバイスを受けようとしてくださる学校は、進歩も早い傾向があります。この学校も間違いなく大きく進歩すると思います。

授業研究については次回の日記で。

「授業検討ツール」を使った授業検討のための授業で考える(一部削除)

一昨日は、市の教育研究会にオブザーバーとして「授業検討ツール」(教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第6回「大きく進化した授業検討ツール」参照)を使った授業検討会に参加しました(「授業検討ツール」を使った授業検討の打ち合わせ参照)。授業は中学校3年生の数学の関数の締めくくりの授業でした。

この日の目的は、授業検討ツールの検証です。司会者の方は私以上にこの授業の問題点を理解されています。メモ用紙には「?」がいたるところに書かれています。どのような問題点が浮かび上がるだろうと楽しみにしていたのですが、市の教育研究会ということで遠慮していたのか、みなさん課題を指摘しません。そんな中で司会者は、話題にすべき場所をクローズアップされました。さすがでした。
検討会については、愛される学校づくり研究会の教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」で紹介しますので、ここではこのくらいにしておきます。

終了後、司会者と検討会について振り返りました。非常に多くのことが明らかになってきました。このツールのよさと、誰でもが活用できるためにどんな条件が必要か、どうすればその条件がクリアできるのかといったことをたくさん気づくことができました。このような機会を得られたことを本当にありがたく思います。

学校が新たな一歩を踏み出す胎動を感じる

昨日の日記の続きです。

社会科の授業研究は、1年生のヨーロッパ州の最初の時間でした。授業者は今年この学校に異動したばかりの方です。指示の言葉が短く非常に明確です。子どもたちは素早く反応します。ムダな時間がほとんどないのが印象的です。非常に落ち着いた雰囲気で子どもたちは学習に集中していました。授業者は新しい環境で4月5月は苦しんでいましたが、この学校に合わせた自分のスタイルが見つかったようです。
この日の授業は、ヨーロッパ州を概観する内容です。ヨーロッパを自然環境、人口・民族、農業、工業の4つの視点で調べて、どのような地域であるかまとめるというものです。
今回はジグソー学習の形を取っていました。課題をいくつかに分割してそれぞれで取り組み、後で組み合わせて1つにしてくという、協働学習の手法です。
グループの中で担当を割り振り、授業者が準備した資料とキーワードをもとに個人で調べてまとめます。中には教科書や資料集を見ている子どもがいます。用意された資料と同じような内容を探して、そこに書かれている記述を写しているのです。それならば、最初から教科書や資料集をもとに調べさせればいいでしょう。授業者としては、与えられた資料から読み取ってほしかったのでしょうから、教科書や資料集は使わないという指示を出せばよかったと思います。
グループの隊形での作業ですが、子どもたちは互いに違うことを調べているのでかかわり合うことはありません。集中して取り組んでいるからこそ、かかわり合わないのはもったいないように思いました。授業者は最初10分間と言っていたのですが、ここで時間を使いすぎない方がよいと判断して、早めに切り上げ次の活動に移りました。よい判断です。同じ項目を調べている子ども同士で新たにグループを作り、そこで情報を交換して元のグループで発表するための内容を深めるのです。いつもと違うグループで話をすることは、人間関係をつくるためにもよいことです。子どもたちは、この活動の目的を理解しているので、友だちの言葉をよく聞いているようでした。
次の活動に移ります。授業者はまず、元のグループに戻るように指示をします。こういった移動も実にスムーズに素早く行えます。移動が終わってから次の指示を出します。このように指示を分割していることも、子どもたちの動きのよさにつながっているように思います。自分の担当の内容を説明する時には、どこから言えるかの根拠を必ず話す、聞く側は、発表をそのまま写すのではなく、重要だと思ったことだけを書くようにと指示します。特に聞く側に考えることが必要な条件をつけることで、受け身でなくすことを意識しています。ちょっとしたことですがとても大切なことです。
子どもたちはしっかりと活動していますが、ちょっと空気が重たいように感じました。ところが次第に子どもたちのかかわり合いが増えてきます。聞く側に対する指示が効いているようです。しっかりと聞いてもらえるので、発表した後の子どもの動きがよくなるのです。ただ、発表者の中には「資料から・・・」と具体的に資料のどこからかを言えない子どももいました。時間の関係もあり、子どもたちが根拠を共有していないことが気になりました。
ヨーロッパ州とはどういう地域かをまとめた文章の穴埋めが最後の課題でした。事前に行なった他の学級の授業で、自分たちでまとめさせる時間があまり取れなかったので、このように変更したのだそうです。子どもたちはグループの中で自然に相談しています。気軽に聞き合える関係になっていることがよくわかります。授業者が子どもたちに問いかけながら正解を発表していきます。正解だった子どもはうれしそうに反応します。しかし、最後の活動が穴埋めになっているので、子どもたちは自分たちの活動が教師の求める答を導き出す活動だったと思うかもしれません。このことはちょっと気になる所です。
ここでのまとめは、「高緯度だが温暖」「複数の民族や言語が存在している国がある」「気候によってさまざまな農業が行われている」「資源や工業で国同士が結びついている」という4つの視点からのものですが、これらは結論、結果です。「なぜ高緯度なのに温暖なのか?」「複数の民族や言語が存在している国があるけれど、日本はどう?いろいろあって問題ないの?」「さまざまな農業というけれど、いろいろなものがつくられていることは、いいの?悪いの?」「資源や工業で国同士が結びつく必要がどうしてあるの?」といった質問をしたり、疑問を持たせたりしたいところです。こういった疑問は次の課題のEUにつながっていきます。EUについて学習する前にこのまとめを扱ってもよいかもしれません。

この授業の前に、2年目の先生がいっしょに授業を見たいと言ってくれました。素直に今苦しんでいることを伝えてくれました。自ら助けを求めることができることはとてもよいことです。教科が違うので直接参考にすることはできないかもしれませんが、この授業の課題や子どもたちの動きのよさの理由などをできるだけその先生の授業と比較しながら話をしました。今は苦しいかもしれませんが、学ぶ姿勢があれば必ずそれを糧とすることができます。成長が楽しみです。
また、養護教諭も一緒に授業を見てくれました。この日、11月に研究授業をする他校の養護教諭と打ち合わせをするので、この授業から学んでその先生に伝えたいというのです。この市の養護教諭のチームワークのよさ感じさせられました。どんな授業になるかとても楽しみです。

授業検討会では、授業者としては何をねらいたかったということが話題になりました。一番のねらいに時間をかけることが大切だからです。ヨーロッパ州を概観するといっても、1時間しか配当できないので時間があまりありません。子どもたちの活動で授業を進めるためにジグソー学習を取り入れて効率化したのですが、それでもまとめる時間が足りなくて、最後は穴埋め問題にしたのです。しかし、授業者は、本当は子どもたち自身でまとめさせたいと思っていたようです。ならば、この流れの中でその時間どうつくるかです。できるだけ効率的に、考えるために必要な情報を与えることが求められます。ジグソー学習を活かすのであれば、グループごとに項目を割り振って調べさせます。それを全体で共有するのです。この時、今回のグループでの報告で指示したように根拠を言わせるだけでなく、実際に資料を確認する活動を必ず入れるようにします。社会科として資料を見る力をつけることを意識する必要があるからです。ここを足場にして、子どもたちにヨーロッパ州はどんな地域かをまとめさせるのです。この流れならば考える時間をつくることができると思います。各項目を調べてまとめる時、これまでやってきたアジア州はどうだったか簡単に確認してから進めてもよいでしょう。まとめ方も明確になりますし、自然にヨーロッパとアジアを比較することにもなるので、特徴を見つけやすくなると思います。
この学校の社会科もチームワークがとてもよく、指導案もみんなが意見を出して一緒につくり上げています。そのため、授業検討会も第三者的な批判などはなく、当事者意識を持ってどこが課題か、どうすればいいのかと考えています。互いに学び合い成長できる関係だと思います。

6時間目の学活の時間の1、2年生のようすをざっと見ました。
1年生はとてもよい雰囲気でした。ただ、一部の学級で担任との関係がぎくしゃくしているように感じました。担任は何とかしようと動いているようですが、ちょっと過敏に反応しすぎているように思います。もう少し余裕を持って子どもたちを見守ることも必要だと思います。
2年生は、学級によって雰囲気の差があるように感じました。担任との関係がまだうまくできていない学級があるようです。しかし、それよりも気になるのが学級の中で友だちとかかわれていない子どもが以前よりもはっきりとしてきたように感じることです。体育大会などの行事をきっかけに学級の子ども同士の関係が密になる時期です。しかし、人間関係をうまくつくれていない子どもにとっては、より疎外されやすい状況とも言えます。どうも行事がそのように作用したのではないかと思います。人間関係がうまくつくれない子どもがいる時は、担任は子どもたちと一緒になって行事を盛り上げようとするよりも、ちょっと距離を取って子どもたちの人間関係を見守っている必要があります。こんなことを思い出しました。
また、この学校では、半年間固定の班を基本としていろいろな活動が行われています。教室の座席も班でかたまっているので、授業での人間関係も班にしばられます。人間関係が固定されるので、うまくかかわれない子どもが孤立しやすくなります。生活の班と、授業でのグループは別にした方がよいように思います。

この日も数学科の有志と勉強会を行いました。台風で実施できなかった授業研究の内容について話しました。関数のグラフと方程式のグラフがうまく結びつかない子どもがいて、それをどうしたらいいかを授業研究で話題にしたかったそうです。私なりのアドバイスをして納得はしてもらえましたが、実際に授業を見ていないので、あくまでも子どもの状況を推測しての話です。中止になったことがとても残念でした。

学校内で授業研究に対するエネルギーが少し上がってきたように思います。校長や教務主任が授業を大切にするように働きかけていることの効果が出てきているようです。ここのところ先生の異動が多かったため、現状維持に精一杯だった面もあったのですが、次の一歩を踏み出すような胎動を感じます。この動きを本物にしていかなければと思っています。

意欲的な初任者の授業

昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。台風18号の影響で3限目までの授業がカットされ、予定していた数学の授業研究がカットされたのが残念でした。英語と社会科の授業研究と学級活動の時間を参観しました。

初任者の授業はTTで行う2年生の英語でした。授業者の笑顔がとても印象的です。授業中一度も笑顔を絶やしませんでした。ちょっと癖のある子どもや授業に集中しない子どももいる学級ですが、きちんと授業が成立していました。この半年間で立派に成長しています。
この日の授業は音読を中心にしたものでした。最初にこの日のテキストをリスニングします。子どもたちはなかなか聞き取れないようすです。この日初めて学習する単語や語句もたくさんあるからです。よく言われるのが「読めない言葉は聞けない」です。少なくとも知らない単語を聞き取るのはとても難しいことです。
聞き取れた単語を子どもたちに聞きます。数人の手が挙がります。文全体や内容を聞き取るのが難しくても、単語なら聞き取れる可能性は増えます。子どもたちが参加しやすいように考えられた発問です。それでも、あまり手が挙がらなかったので、授業者は困った表情をするかと思ったのですが、笑顔を崩しませんでした。順番に指名していきます。最後の一人になった時に、それまで指名されなかった子どもは全部言われたとつぶやきました。一問一答になっていたので、参加できなかったのです。同じ単語を聞けた子どもをつないだり、「その単語の前後は何て言ってか聞き取れた?」「その単語の前後にはどんな言葉がありそう?」と他の子どもをつないだりして、少しでも多くの子どもが参加できるようにすればよかったと思います。
最後の一人はメモを見ながら数を発表します。電話番号があったのです。それを見て、「メモしている」というつぶやきがありました。メモをしているのはずるいと思ったのでしょう。授業者はそれに対してコメントしませんでした。授業者としては子どもにメモを取ってもらいたかったのでしょうか、それともメモを取らずに記憶してもらいたかったのでしょうか。いずれにしても、「メモを取っていたんだ。大事な言葉をメモできるといいね」というように評価するか、「メモを取っていたんだ。メモを取らずに頭に覚えておけるともっといいね」というように返すかして、どうしてほしいのか伝えてあげなければいけません。
聞き取れた単語が本当にあったのか確認することも必要です。聞き取れなかった子どもは、自分で確認できるすべがありません。友だちが言ったことをそのまま信じるしかありません。自分で確認して、できるようになる場面をつくることが必要なのです。子どもたちが発表した単語を意識できているうちに、もう一度挑戦し、1つでも聞き取ることを経験することがやる気につながるのです。

続いて、新出単語と語句の意味です。予習をすることになっていたので、子どもに意味を聞きます。何人かの子どもがその場ですぐに答えます。意欲のある子ども、活発な子どもが場を仕切っています。他の子どもは参加することができません。一部の子どもと他の子どもたちの関係が悪くなります。予習をしてこなかった子どもは、教師が教えてくれて練習するので特に困ることはありません。一部の子どものためにだけある場面になっています。こういう時は、単語の意味をまわりの子どもと確認させるのです。予習をしていた子どもは、活躍できます。してこなかった子どもは友だちに教えてもらい、予習をしてきた方がよかったかなと思ったりします。こうすることで子どもの関係をつくりながら、予習に対する意欲を上げていきます。
T2がフラッシュカードを使いながら練習をさせます。先ほどのリスニングは、この後に行なえばいいのです。練習したばかりの単語だから意識をすれば聞けるはずです。まずは、聞き取れたという達成感を与えてあげることが大切です。

チャンクリーディング(短文、語句単位で読ませる)、1文読み、部分リピート、・・・とたくさんの読む活動をします。しかし、これらの活動の目標がよくわからないのです。この日の最終目標は何か、一つひとつの読む活動の目標は何かを子どもたちは意識していません。ただ、指示に従って活動しているだけです。活動量は多くても子どもたちに達成感がありません。どんな力がついたか自分でよくわからないのです。目標を明確にし、子ども自身で達成できたかどうか評価できる場面が必要なのです。
教科書を見ながらのリーピートリーディングでは、ある子どもは教科書を見ながら、別の子どもは教科書から目を離し、授業者を見ながら発音しています。どちらも真剣です。最終目標は暗唱できることでしょうか、英文を読めるようになることでしょか、それともリスニング力をつけることなのでしょうか。それらすべてと言うのなら、この活動では何をねらっているのでしょうか。このことを授業者が意識していれば、子どもの姿がバラバラにはなりません。暗唱が最終目標であれば、「教科書を見ないで声を出してね。難しければ見ていいからね」と指示をし、次のステップでは、教師は最初の単語だけ発音すればいいのです。リスニングを意識するのなら、教科書は使わずにリピートさせ、聞き取れていなければスピードを落として、何度も聞かせるようにすればいいと思います。授業者が意識できていないので、当然子どもたちも意識しないのです。
また、読み方も意識してほしいと思います。最初はナチュラルスピードではうまく聴き取れません。当然少しゆっくりです。ゆっくり読むと単語単位の読みになって言葉のつながりが切れてしまい、文として読んだ時とは違って聞こえます。ゆっくりでも言葉のつながりがわかるように読む必要があります。これは、実は訓練しないとなかなかできないのです。こんなことも意識してほしいともいます。

シャドーウイング(相手の読みのすぐあとをついて読む)やジャスチャーリーディング(シチュエーションを表わすジェスチャーに合わせて読む)にも挑戦しています。ジェスチャーリーディングは9月に受けた東京都港区立赤坂中学校の北原延晃先生の研修に参加しての挑戦です。この意欲は称賛に値します。しかし、まだまだ消化できていません。当然です。実際にやることで、ポイントがわかり、上手く使えるようになるのです。しり込みしていてはいつまでたっても使えるようにはなりません。この挑戦する姿勢が大切なのです。

シャドーウイングは、まだ始めて日が浅いので子どもたちが追いかけて読み始めるタイミングがつかめません。こういう場面こそTTをうまく活用するのです。どちらか一方が最初に読み、もう一方が、追いかけて読むきっかけを出すのです。慣れるまでは、こういったことも必要なのです。

ジェスチャーリーディングは、ジャスチャーが何を表わしているのか子どもがわかっていません。「もし」といった抽象的な言葉はジェスチャーで表わしにくいからです。原則、ジェスチャーは1単語、1語句と対応するようにしなければ、語順などがわからなくなります。授業者のジェスチャーはそういう点でもおおざっぱでした。ジェスチャーの表わすシチュエーションを意識ながら言葉を紡ぐことで、英文の表すシチュエーションを子どもたちが理解するのがねらいの一つですが、子どもたちは英文と授業者のジェスチャーを対応させているだけです。これでは、ジェスチャーを使う意味はあまりありません。単語や語句と一つひとつのジェスチャーを対応させ、そのシチュエーションをきちんと理解させ、教えた上で活動することが必要です。

ペア活動がいくつかあったのですが、その様子が気になります。互いに相手の方を向いて目を合わせているペアの数が非常に少ないのです。子どもたちの人間関係が上手くつくれていない可能性があります。一方が教師役で教科書を読み、それに合わせてもう一方がリピートをする活動では、上手くできない子どもを教師役が助けようとしません。自分の役目は教科書を読むことだけだと思っているようです。このような場面にたくさん遭遇しました。子どもたちの関係をつくることを意識した指示が必要です。「先生だったら、どんなことに気をつける?」といった発問をして、子どもたちに相手を助けることをしなければいけないことを気づかせてから活動に入るといったことが必要です。

課題はたくさんあります。それはとてもいいことです。それに気づけば、一つひとつ解決していけばいいだけです。基本的な授業規律はできています。授業者は子どもたちをとてもよく見ています。だから、教科の内容や教材研究に関する課題がたくさん出てくるのです。
そして、素晴らしいのが英語科全体として一緒に授業を考える、つくるという教科のチームワークです。検討会の参加者の様子からそのことが伝わってきます。この学校の英語の授業はこれから大きく伸びていくと思っています。今後がとても楽しみです。

社会科の授業研究については、明日の日記で。

小学校で学校全体の授業がよくなるには

授業アドバイスをし始めたころ、学校全体の授業がよい方向へ変わるのは小学校の方が早いだろうと思っていました。小学校は学級担任が子どもに接する時間が長いので、先生がその気になれば、すぐに子どもたちが変わっていくからです。ところが、どうも中学校の方が、変化が早いのです。その理由が最初はわかりませんでした。素直に変わろうとする先生の数が中学校の方が多いわけではありません。むしろ小学校の方が多いくらいです。中学生が小学生以上に先生の影響を受けやすいとも思えません。しかし、ある程度の割合で先生が変わると、子どもたちの様子が大きく変わってくるのです。
その秘密は教科担任制にありました。1人の先生がいくつもの学級で授業をするので、多くの学級に影響力を持つのです。全員の授業が変わらなくても、一定の先生が変われば子どもがよい方向に変わりだします。子どもがよい方向へ変わりだせば、他の先生にとっても授業がやりやすくなり、結果的に授業がよくなっていきます。また、子どもの変化に気づくと、自分もまねをして見ようかと思うこともあります。よい取り組みが広がりだします。どうやら、こういうメカニズムのようです。

小学校は、1人の先生の変化の影響は1学級だけです。その学級のことを他の先生は見る機会がほとんどないので、子どもの変化に気づきません。広がっていかないのです。小学校を変えるのは難しい。そのように思うようになりました。
ところが、最近いくつもの小学校が、大きく変わることを経験しました。しかし、今度はその理由はすぐにわかりました。管理職や教務主任が積極的に先生方に働きかけているのです。授業の改善点や新しく取り組むことが学校全体に共有されるように強いメッセージを送っています。また、授業をよく見て、先生一人ひとりにきめ細かくアドバイスやフォローをしています。時には、「このようにやりましょう」と強制力を発揮していることもあります。小学校は学級担任が一日中子どもと接しますから、先生が変化すればすぐに子どもにも変化が出ます。アドバイスを1つでも実行してよい結果が出れば、また次のアドバイスを実行しようと思います。よいサイクルが回りだします。このよい取り組みを上手に学校に広げているのです。

この視点に立てば、小学校では先生方に対して個別にアドバイスすることも必要ですが、管理職や教務主任にその気になっていただくことがより重要だということです。中学校、高等学校では、何人かの先生に対して重点的にアドバイスをして、よい実践例を学校内につくってもらうこと優先してきましたが、小学校ではちょっと違うアプローチをした方がよさそうだと気づきました。学校経営の奥深さを改めて知らされました。

小学校の先生方の教材研究を考える

指導用教科書(赤刷り)を使って授業をしている先生が多いことに気がつきます。中学校ではそれほどでもないのですが、小学校ではかなりの割合のように感じます(ひょっとして先生方に児童・生徒用の教科書が支給されていないのかもしれないのですが・・・)。これ自体は決して悪いことではないのですが、どうもこの指導用教科書や指導書の使い方に問題があるのではないかと思うようになってきました。

小学校の先生は、1人で何教科も受け持ちます。中学校のように教科担任制であれば、1時間のための授業研究をすればそれが何回も活かせますが、1回授業をすればすぐに次の準備です。しかも、中学校であれば3学年しかありませんが、小学校は6学年あります。同じ学年を担当して以前の経験を活かせる確率は少なくなります。久しぶりに経験のある学年を担当したと思ったら、指導要領が改訂になっていてまたやり直しということもよくある話です。同じ学年の先生同士で教え合うことができればまだいいのですが、そんな時間もなかなか取ることができません。小規模校では1学年1人のこともよくあります。
小学校の先生の負担が大きいことはとてもよくわかります。だからこそ、効率的に教材研究をしようとするのは当然のことです。そしてその実態が、事前に指導書と指導用教科書を読んで、当日は指導用教科書を見ながら授業をするというものではないかと想像するのです。効率的に思えますが、そこには大きな問題があるように思います。最初から解説付きで見るために、教科書の内容に対して、どう扱えばいいのか、なぜこのような記述になっているのか疑問を持たなくなるのです。例えて言うならば、数学の問題を自分で解く前に解答を見ているようなものです。答はわかった気になりますが、自分で問題を解く力はつきません。
まずは、解説なしで教科書を読んでほしいのです。そして、子どもの視点で疑問を持ってほしいのです。疑問を解決するために長い時間をかける必要はありません。解決するのには指導書や指導用教科書を利用すればよいのです。自分で考えるというほんのちょっとしたことをするかどうかで、授業で押さえるべきポイントが見えてくるはずです。

このところ算数の授業を見るたびに、先生方が教科書を理解していないと感じさせられます。その原因は先生方の力量以前に、このような教材研究のやり方をしているせいなのではないかと思うようになりました。私の想像が正しいかどうか、先生方がどのようにして教材研究をしているのか聞いてみたいと思います。

「ほめる」と「甘やかす」

以前は、子どもたちをほめるようにしてくださいとお願いすると、今一つピンとこない表情をする方がよくいらっしゃいました。最近では少なくなりましたが、それでも納得されない方が時々いらっしゃいます。話を聞いてみると、どうも「ほめる」ことを「甘やかす」と勘違いされているようです。悪いことをしても叱らないのでは、子どもがダメになってしまうと考えているようなのです。
悪いことをしてもほうっておけと言っているのではありません。子どもによい行動をとるように仕向けて、よい行動をとった時にすかさずほめるのです。そのためには、強く叱って反省させるのではなく、次にどのような行動をすればよいのかを考えさせるのです。そして、よい行動にかわったらうんとほめるのです。

悪い行動を叱っても、他の子どもは他人事です。そのため、叱って矯正しようとすると、どうしても見せしめ的にならざるを得ません。悪い行動をしないように考えるようになるかもしれませんが、嫌な思いをすることを回避するだけで、ポジティブにはなりません。結果的に、よい行動には結びついていきません。
一方ほめられることは子どもにとっては、望ましいことです。友だちがほめられるのを見て自分もほめられたいと思います。ほめられるような行動をとろうとするのです。よい行動が増えていきます。
遅刻を例に考えてみましょう。叱ることで遅刻が減ったとしても、子どもは時間までに集合するだけです。それに対して、早く来て準備をして待っている子どもをほめると、早く来ようとするようになります。結果として遅刻がなくなるだけでなく集合も早くなります。子どもたちの行動がよい方向へ変わっていくのです。

「甘やかす」のは、ただ放任しているだけです。「ほめる」ということは、ほめるような行動を子どもたちがするような働きかけをすることです。ほめる観点を持って、子どもたちがそのような行動をしてくれるのをよく見ることです。そこには教師の積極的な関与があるのです。

互いが向上する組織づくりを考える

先日、介護職員の研修について打ち合わせを行ってきました。そこで、研修に参加しない職員に対してどのようにアプローチするかが話題になりました。研修に参加しない方に不手際が多いというのです。参加されない方には研修がツールとして機能しません。かといって、上司から個別に指導していてもモグラたたきです。日ごろの仕事を通じて互いが向上する組織づくりを目指す必要があります。

そのための第一歩はミスに気づいた時にフォローし、注意し合える関係をつくることです。口で言うのは簡単ですが、現実にはそれほど簡単なことではありません。ミスを指摘されることはあまり気持ちのいいことではありません。指摘する方は、フォローはしても、相手に嫌われることをおそれて注意まではしづらいものです。互いに注意し合いましょうでは、実効性は低いのです。
では、どのようにすれば指摘し合える関係ができるのでしょうか。なかなかよい答は浮かびませんが、対策の一つとして心理的な障壁を下げることを考えてみることにしました。具体的には、ネガティブな言葉を使わないようにすることです。「○○しないように」ではなく、「○○しましょう」と言い換える。「ありがとう」の言葉を必ず添える。こういう習慣をつけるというより、もうルールにしてしまうのです。形だけで中身が伴わなければ意味はないという意見もあると思います。その通りです。しかし、形をつくることで中身が伴ってくることも事実です。
管理する立場の方には、指摘した方に「ありがとう」と声をかけるようにお願いします。指摘する側の方が心理的には厳しいものがあるからです。

これは学級集団づくりとも共通することです。ソーシャルスキルを身につけさせることで、互いの人間関係をつくり、よい行動をほめて強化するペアレントトレーニングを活用するのです。
大人の集団でうまく機能するかわかりませんが、挑戦してみたいと思います。
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