小学校で授業アドバイス(長文)

先日、小学校で若手を中心に授業アドバイスを行いました。小中学校で学習規律などの連携を取っています。以前は立ち歩きをする子どももいたということですが、今は学習規律を意識することで落ち着いているということです。

共通していたことがいくつかありました。
指示に従わない子ども、できていない子どもを注意して規律を維持しようとする傾向があります。緊張状態をつくっています。形だけ整えて子どもたちを緊張状態にすることが目的ではないはずです。学習規律の確立は、子どもたちを緊張ではなく集中させることを目指すことが大切です。そのためには、できない子どもを注意して減らそうとするのではなく、できた子どもをほめてよい行動を増やすことを心がけてほしいと思います。同様のことが、子どもたちの発言に対しても言えます。子どもの発言をほとんど評価しないのです。ほめる、たとえ間違いでも受容することを意識する必要があります。

学習規律が形式的になっています。例えば、先進校から学んだやり方のようですが、子どもが発言する時に「聞いてください」と全体に向けて言います。教師が聞きなさいと言うのではなく、子どもが自分の発言を聞いてほしいと伝えることで、友だちに聞く姿勢をうながすだけでなく自身も他者を意識した発言をすることにつながります。しかし、この学校での実態は形式になっています。聞いてくださいと言われて初めて聞く姿勢をとる学級がほとんどです。発言を聞こうとしていれば、言われる前にその姿勢をとるはずです。また、みんなが聞く姿勢をとっていれば、特に言う必要のない言葉のはずです。しかし、多くの学級では必ず発言時には枕詞のように「聞いてください」と言います。そうではなく、言ったり言わなかったりという学級もありますが、聞き手の様子で決まっているようではありません。単に、徹底させていないということのようです。
また、聞く姿勢をとったからといってきちんと聞いているようには見えません。教師も聞いていなければ答えられないような質問はしません。聞いているかどうかの確認がないのです。

子どもたちのテンションが上がりやすいことも気になります。その理由の一つが、参加できる子どもだけで授業が進んでいることです。そのため、誰にも答えられる質問の時には指名されようとしてテンションが上がるのです。また、教師もテンションが高いことを活発なことと思っている節があります。テンションが高いことは決してよいことではないことをわかってほしいと思います。

1年生の国語の授業は、子どもの発言をしっかり受け止めようとしていました。しかし、授業者が発言者ばかりを見ているので、他の子どもたちの姿はバラバラです。「自分には関係ない場面だ」と集中力を失くしている子どもが目立ちます。教師が発言者だけでなく全員を見ることで、子どもたちの集中を維持することができます。このことを意識するとよいでしょう。
課題に対する答だけが板書され、それをノートに書かせます。これでは、ノートを見ても答えしかわかりません。大切なのはどのようにして答を導き出したかです。国語であれば、本文のどこが根拠になるかです。このことを意識して板書や授業を組み立ててほしいと思います。

別の1年生の授業は生活科でした。子どもたちの学習規律はしっかりしているように感じました。子どもたちとの関係もしっかりつくられていると思います。
子どもが夏に見つけた生き物を発表します。一問一答になっているので、同じものを見つけた子どもは発表の機会を失くします。少なくとも、同じ子どもに挙手などさせて参加させるようにしてほしいと思います。
あらかじめ用意した生き物のカードを発表に応じて貼っていきます。授業者は意図的に場所を変えて貼っていますが、子どもたちは意識していません。せっかくですので、「どこに貼ればいい?」と子どもたちに聞きながら貼ると、指名されなかった子どもも参加しやすくなります。基本的な学習規律はできているので、進め方を一工夫すると授業が大きく進化すると思います。

2年生の算数は繰り下がりのある引き算の筆算でした。「繰り下がり」といった算数用語を大切にしています。とてもよいことです。しかし、用語とその意味するものが残念ながらきちんと子どもに定着していません。繰り下がり、繰り上がりという用語だけを発表させて、その意味をきちんと説明させないからです。
また、授業者は子どもの発言をつなごうと意識していました。これもとてもよいことです。同じ考えの人を指名したり、○○さんの考えを説明させたりします。しかし、わからなかった子どもはこれでは参加できません。説明に納得した子どもを指名したりすることが必要です。ちょっと視点を変えることで、大きく進歩すると思いました。

3年生の社会科は、お店の工夫を考える授業でした。子どもたちがどんな店に行くのかを発表させます。根拠を求められない発問なので子どもたちのテンションは上がります。子どもが発表するお店についてていねいにやり取りしますが、授業の内容にはほとんど関係ありません。次々に指名してテンポ上げるとよいでしょう。授業者はスーパーマーケット、コンビニ、専門店に分けて子どもの発表を板書します。それならば、店の名前を言わせたあと、「どこに書く?」と問いかけて子どもたちに分類を意識させた方がいいでしょう。
授業者が次の活動を指示すると子どもたちのテンションがすぐに落ち着きます。これには感心しました。子どもたちとよい関係をつくることができています。
それぞれのお店に行くわけを発表させます。お母さんはスーパー、お父さんはコンビニという声が上がります。しかし、この言葉を拾うことができませんでした。授業者が顧客層、値段といったそれぞれの特徴を考えるための視点をあまり意識していなかったのでしょう。意見を出させますが、意図的に焦点化する動きを見せませんでした。
スーパーは安いといった意見に対して、子どもからは「なるほど」という声が上がります。こういう反応をするように授業者が求めていることがわかります。しかし、「どこでなるほどと思った?」「あなたの言葉で説明してくれる?」と問い返すことをしないと子どもたちの反応は形式的になってしまいます。せっかくの反応を活かすことを考えるとよいでしょう。
「スーパーは安い」に対して、「コンビニは高いの?」と問いかけて比較する視点を持たせるとよいでしょう。「それなのにコンビニに行くのはなぜ?」とつないでいくことで、比較する項目が浮かび上がってきます。
挙手をせずに一生懸命に授業者に向かって話す子どもがいました。教師はその場は無視して、挙手している子どもを指名しました。その後で、いいことを言っていたからみんなに話すようにと先ほどの子どもを指名し、子どもたちの方を向かせて発表させました。なかなかの対応です。まだ2年目の方ですが、今後が楽しみです。

4年生の理科の授業は、筋肉の働きでした。子どもたちにグループ活動させています。腕の曲げ伸ばしで筋肉がかたくなるかどうかを自分の腕で確かめます。しかし、かたい柔らかいにはっきりとした基準がないので、グループで明確な結論が出せません。子どもたちの活動は停滞します。ムダに時間をかけすぎました。グループ活動が終わって発表させます。子どもたちの意見は分かれます。授業者は意見が分かれるとは予想していなかったようです。それでも、それぞれの意見をきちんと受容していました。子どもたちは意見が発表されるごとに賛成と言います。同じ子どもが何度も賛成と言うのですから、ちょっと気になります。おそらく、子どもたちは意見に対して賛成と言えばいいと思っているのではないでしょうか。その確認のためにも、意見を変えたのかどうか聞いてみたいところです。
3つの意見が出たと言って、どの意見に賛成か挙手をさせます。子どもにその3つの意見が何かを言わせて確認したいところです。何となく参加している子どもが多いように思うからです。授業者はこの意見が多いとまとめますが、結論は出しません。なかなかよい進め方です。ここで「正解は・・・」と進めてしまえば、子どもたちは教師の求める答探しをするようになってしまいます。
ここで、子どもたちに動画を見せます。動画を見た後どのような活動をするかといったことを明確にしないので、子どもたちはリラックスした姿勢で見ています。ポイントなる場面でも特に集中していないので、動画の途中で説明をします。動画を止めたわけではないので子どもたちはなかなか説明を聞けません。動画は、チューブに空気を入れると膨らんで縮むことを利用してロボットの腕を動かすことと、それをもとに人間の腕の曲げ伸ばしの仕組を図で説明するものでした。結局この動画で正解を教えることになってしまいました。これでは、子どもたちのやった活動は答探しになってしまいます。
授業者としては、子どもたちの結論が分かれることを予想していなかったので、動画は子どもたちの結論の確認のつもりだったようです。動画を見せている途中で、全部見せずに止めればよかったと気づいたそうです。結論となる人間の部分の動きの説明は見せない方よかったのです。
この動画を活かすのであれば、最初にチューブを使ったロボットの動きを見せて、「人間も同じような動きなのだろうか?」を課題にして考えさせるという進め方もあります。チューブの膨らんで短くなる動きと同じ動きを人間の筋肉がするかどうかを調べさせて、子どもたちに結論を出させるのです。
授業者は自分の授業の問題点に気づいていました。あとは修正していくだけです。謙虚に自分の授業を振り返ることができる方です。これからの進歩が期待できると思います。

5年生の国語の授業は、授業者の表情がかたいことが気になりました。実は後から聞いたところ、私と校長に見られることでとても緊張していたそうです。お話を聞いた時にはとても素敵な笑顔を見せてくれました。きっと普段はこの表情を子どもたちに見せているのだと思います。であれば、心配なことはありません。
グループ活動の持ち方が気になりました。まず個人の考えを持たせるための時間を取ります。予定の時間がきても書けていない子どもがいるので、延長します。特に指示がないので、できている子どもは集中力を失くします。延長したからといって必ずしも全員が考えを持てるわけではありません。友だちの考えを聞くことで考えを持てることもあります。個人の考えを持つことにこだわるのは、話し合いをしようとしているからです。話し合うためには、話せなければいけない。つまり自分の考えを持つ必要があるという発想です。「話し合い」を「聞き合い」に変えれば、自分の考えを持たなくてもグループ活動に参加できることに気づいてほしいと思います。
「本文から気持ちを想像するから、いろいろな意見が合っていい」と言って主人公の気持ちを話し合わせます。これでは、ただ自分の考えを発表するだけです。グループで活動しても深まりません。本文を根拠に、どう考えたかを聞き合うことが大切です。根拠を聞き合わなければ、友だちの考えを納得することもできません。
グループ活動について、授業者と話をしたところ、いろいろと疑問を持っていたようです。グループで考えをまとめると、強い子どもが仕切ってしまう。納得していない子どももいるのではないかと引っかかっていたそうです。個人の考えを持たせることについても、そう言われたので、そうしていたということです。疑問を持っても自分で修正することはなかなか難しいところがあります。相談し合える関係が学校内にできるといいと思いました。
また、授業者は子どもの発言をずっと板書し続けます。発言の途中から黒板に向きっぱなしの場面もありました。これでは、子どもを全く見ることができません。本人に聞いたところ、忘れないうちに板書しなければと思ってこうなってしまっているそうです。忘れたら発言者に聞けばいい。時には、他の子どもに言わせてもいい。すぐに板書をする必要もない。一通り指名してから、子どもたちにまとめさせてもいい。肩の力を抜いて、子どもの発言を聞くことをアドバイスしました。
とても素直な方で、いろいろ悩んでいることを話してくれました。どれだけ納得のできるアドバイスができたかはわかりませんが、きっとよい形で取り入れてくれることと思います。次回お会いするのが楽しみです。

6年生の算数は、速さの導入の授業でした。板書には答しかありません。子どもの説明も式を言って、「答は○○になります」で終わりです。行間を埋める説明が全くありません。授業者の補足も、答えの書き方ばかりです。次の適用題も、問題を読んで、「1秒あたりの進んだ距離は例題のこちら、1mあたりのかかった時間はこちらと同じ」と説明してから解かせます。正解を書けることが、算数の目的となっています。自分で考えることをさせません。教師に言われた通りにすれば答は書けますが、学力は全くつきません。
授業者に速さの学習の基本になるのはどの単元かという質問をしましたが、質問の意味を理解してもらえませんでした。速さの単元は速さという独立した内容だと思っているのです。比の応用の問題だということがわかっていないのです。
こうなってくると教師の教科の力が問題となります。教材研究以前に、算数の学力が何なのかという根本から問い直す必要があります。今回お話したことで、自分の教科力を問い直してくれることを期待します。

全体に対してお話しする機会をいただきました。
全体に共通していることと、グループ活動の基本について説明しました。皆さんがあまりにも真剣に話を聞いてくださるので、ちょっと戸惑ってしまうほどです。おそらく、現状に満足しているのではなく、さらによくするためにどうすればいいのか悩んでいたのではないでしょうか。そうであれば、私の話から何かヒントをつかんでくださることと思います。次回は11月におじゃまします。あまり期間はありませんが、何らかの変化を見ることができるのではないかと楽しみにしています。

介護現場の課題からルール化について考える

一昨日は、介護職員研修の打ち合わせをおこなってきました。

決められたことをうっかり忘れてしまう、実行できない人がいることが話題になりました。本人は悪気がないので、注意されても、謝ってそれで済んでしまいます。それの繰り返しです。なぜそれが大切かを言って聞かせたとしても、おそらく状況は変わらないと思います。その大切さは知っているからです。どのようにすればいいのか悩ましい問題です。

毎回説教しても、相手は言われる内容はわかっていますから、嵐が過ぎ去るのを待つだけです。何か学校での子どもたちの様子と似ていますね。
こういった時は、笑顔で「ルールですよ」の一言で済ますのも方法です。ルールは守るものです。そこに疑問を挟む余地はありません。いろいろな事情や言い訳したいことがあっても、ルールは守るべきことです。ここで気をつけなければならないのは、職場での約束事などがルールとして認識されていなことがよくあることです。明確にルールだと全員に認識させる必要があります。その意味でも「ルールですよ」という言葉が意味を持つのです。また、指摘して行動してくれたら、必ず「ありがとう」を言うとよいでしょう。指摘されて「やらされている」感があっても、最後に「ありがとう」と言われれば気持ちが前向きになります。

連絡、引き継ぎのように相手がいる時には、相手から声をかけることも一つの方法です。この時も、「引き継ぎお願いします」「忘れていました。ありがとうございます。・・・です」「連絡、ありがとうございました」というように双方がありがとうと言えると互いに嫌な気持ちにならずに職場の雰囲気がよくなります。しかし、こういう場面で「ありがとう」を言えるようにするのはとても難しいことです。一方が「ありがとう」を言っても相手が言わなければ雰囲気が悪くなります。マナーやモラルといったことではなかなか徹底するのがむずかしい部分もあります。ならば、これもルール化してしまうという発想もあります。違和感があるかもしれませんが、強制力を持ったルールにしなければうまく機能しないこともあるのです。
今後、この現場での約束事を、こちらから提示するもの、自分たちで考えてもらうことに分けて明確なルールにしていこうと考えています。

こういったことは、学級経営にもあてはまります。学級のルールは教師が提示すべきものもあれば、子どもたちで考えて決めさせるべきこともあります。大切なことは、何でもかんでもルール化するのではなく、互いに安全で安心して気持ちよく暮らせるために必要なことをルール化することです。
子どもたちの世界は大人たちの世界の縮図でもあることを改めて感じます。大人になってきちんとできないのは、学校での教育にも何かしらの問題があったのではないかと思います。教育の大切さと責任を感じました。

社会の研究授業から学ぶ(長文)

昨日の日記の続きです。

社会科の要請訪問の研究授業は、2年生の地理、九州地方の学習の最後の時間でした。
最初に九州地方の北と南の違いを復習します。子どもが地図の「上」の方という言葉を使います。授業者は「上はないでしょう」と切り返すことで「北」に修正させます。ちょっとしたことですが、社会科の教師としてこだわるべきところをきちんとこだわり、子ども自身に修正させています。また、子どもの発言中は、しっかりと全体を見て、子どもたちの反応を確認しています。地味なことですが、基本がしっかりできていることがよくわかります。北は工業が盛んで、南は農業が盛んということが子どもたちから出てきます。それに対して「米は北でつくられる」という意見が出ます。子どもたちは学習したことをきちんと発表できます。「南は火山灰で米が作れない」「火山灰は水をためられないから米が作れない」ということを、まわりと相談させたり、子どもの言葉をつないだりしてしっかりと復習します。授業者は余計な言葉をはさまずに、子どもの言葉で授業を進め、どの子どもも意欲的に参加しています。過去の学習内容もしっかり定着しています。大したものです。しかし、ていねい進めたので、少し時間がかかってしまいました。授業者としては、北は工業が盛んであることを押さえるだけで先に進めたかったのですが、子どもの言葉を活かそうとして思わぬ時間を取ってしまいました。

北九州エコタウンを紹介します。「どこで区切る?」と問いかけ、「エコ」と「タウン」の意味を押さえます。その上で、エコタウンのパンフレットを子どもたちに配って見せます。しかし、時間が押しているせいか、エコタウンはどのような企業が集まっているといったことは押さえることをしませんでした。何となく、エコに関連する企業が集まっているのだなというくらいのイメージしか持てません。
子どもたちに列ごとに「A」「B」と書かれた2枚の紙のどちらかを配り、その違いを比べさせます。子ども同士を自然にかかわらせるうまい方法です。テンポを上げるために、列指名で聞いていきます。子どもからは「厚さが違う」「質が違う」「色が違う」「匂いが新聞紙っぽい」といった意見が出てきます、一人発表するごとにちょっと確認をするので、テンポが上がりません。ここは深く考えるところではないので、まずは1列全部言わせてから、確認するという方法もあります。子どもが素早く言えるように、違いをメモさせておいてもいいでしょう。

一方が再生紙であることに気づかせて、どちらの値段が高いかを考えさせます。ここで理由も含めて言わせようとするのですが、あくまでも根拠のない想像に過ぎません。子どもに興味を持たせると割り切って、で早く結論を教えるとよいでしょう。再生紙の方が高いことを確認し、どちらを使いたいかを聞きます。子どもたちは当然安くてきれいな普通の紙を選びます。ここで次の質問に移りました。

エコタウンの授業所数が増加していることをグラフで示し、その理由を子どもに考えさせます。ワークシートには、理由を書く枠が3つ作られています。他の学級で事前に授業を行なった時には大きな枠が1つだったそうですが、子どもたちから2つの視点が出てきたので、そのことを意識して作り直したとのことでした。ワークシートの裏には、「九州の北は工業と農業のどちらが盛んだったのか」「事業所が増えるということは企業にとって利益になる」「リサイクルには料金がかかる」とヒントが3つ書かれています。このヒントが手がかりになるのであれば(最初のヒントは復習で確認してあるが)、全体できちんと共有しておきたいところです。

話し合いの隊形(変形のコの字)にしてから、全体で考えます。子どもたちは発言者をしっかり見ています。集中して聞いているので、少し声が小さくてもちゃんと聞けています。
リサイクルは必要だからといった意見や、エコに力を入れると注目を浴びるからといった意見が出てきますが、それと事業所数の増加には直接つなげることができません。リサイクルしていると安くなるという意見も出てきます。授業者は「でも、再生紙の方が高いんだよ」と返します。これはおそらく「たくさん作っていると量産効果で安くなる」ということを言いたかったのだと思いますが、よくわかりません。「再生紙の方が高いけど、それってどういうこと?」と聞いてみたかったところです。「安くなるって大切なことだけど、他にもどうすれば安くなるのかな?」とコスト面に焦点化することができたかもしれません。リサイクルすると無くならないという言葉も出てきました。授業者は「何が?」と聞き返し、「ごみ」という言葉をつないで「材料」という言葉を引き出します。子どもたちに反応があったことを確認して、どういうことか他の子どもに説明させます。ここはついつい教師が説明したくなるところですが、あくまでも子どもの言葉で説明させます。なかなか見事です。しかし、リサイクルの必然性だけで事業所数の増加にまではつなげることができません。
「みんなに教えてくれる」とリサイクル料のことに気づいている子どもに声をかけます。こういう言葉のかけ方も上手です。

子どもたちからは予定通り、リサイクルが資源の有効利用につながることとリサイクルにはコストがかかることの2つの視点が出てきましたが、どうしても事業所数の増加の理由には行き着きません。この2つの視点は軸が違うのです。コストの問題があったにせよ、リサイクル(エコ)は社会の必然なのです。その大前提の上で、何がリサイクルの障害になるのかという視点で考えることで、コストダウンの問題が浮かび上がってきます。その解決方法がエコタウンにつながるのです。
この授業の流れを活かすのであれば、早目に子どもたちから2つの視点を引き出して整理させます。資源を有効利用するためにはリサイクルなどのエコを進めなければならないということを共有化し、それにはコストがかかることを確認します。「事業所が増えるということは利益を出せる見込みがあるんだ」と子どもに言わせると議論が焦点化されます。そこでもう一度最初の課題を考えさせると、子どもたちから答えにつながる言葉が引き出せたと思います。
授業者は、「理由をいろいろ調べたんだけれどどうやったと思う」とたずねます。子どもたちはすかさず「インターネット」と答えます。「インターネットではなかなか見つからなかったので、直接エコタウンンに電話して聞いたんだ」と伝えて、電話で聞いた話を資料として配ります。これには感心しました。インターネットは万能でないことや、直接話を聞くことの大切さを子どもたちに自然な形で教えています。情報教育で大切なのはこういうことではないでしょうか。

資料で大切だと思うところに線を引かせます。
エコタウンにある事業所は大企業の子会社や大企業と提携している会社である。今は法律でリサイクルが義務付けられているので、ごみ処理にもお金がかかる。それならば、発生した廃棄物を自分たちの企業のグループで処理した方がお金もかからないし処理した資源を再利用することができる。企業イメージも高めることができる。「物作り」から「リサイクル」まで行う、「持続可能な社会」を目指している。
また、再生紙を使わないと日本の紙の自給率が下がることにつながる。企業も努力するので、嫌わずに使ってほしい。
こういった内容です。

子どもたちは、「持続可能な社会」「自給率」「お金がかからない」といったことに線を引きます。子どもたちはしっかりと資料のポイントを押さえていました。授業者は「自給率」という言葉が出た時に「聞いたことあるね。いつ勉強した?」と問いかけます。過去の学習とつなげることはとても大切なことです。この授業者の基本がしっかりしていることがよくわかる一言です。
しかし、北九州エコタウンの事業所が増えている理由、またなぜ北九州かということの答は明確になっていません。地理の授業ではなく、公民の授業になっていたように思います。
授業は最後に感想を書かせて終わりました。一緒に参加していた指導員の方も指摘していましたが、ここは感想ではなく、学んだこと、わかったことといった向上的な変容を意識したことを書かせたいところでした。子どもたちは最後まで全員が集中力を切らさない素晴らしい姿を見せてくれました。指導員の方も子どもたちの姿をほめていました。この学級が特によい学級なのかと聞かれました。残念ながらすべての授業がそうであるとは言えませんが、この学校では、子どもたちがこのような集中を見せることは珍しくないことを伝えました。

検討会は、社会科の教員と教科指導員と特別に参加された他の学校の先生と私で行いました。子どもたちが真剣に取り組んでくれたので、授業技術に関することにはほとんど触れず、純粋に教科の内容について話し合うことができました。
教科指導員の方は事前にエコタウンのことを調べて、北九州は最初にできた4つエコタウンの1つで、取り組みが一番多岐にわたっていることを教えてくださいました。教科書が九州地方でエコタウンを扱った理由がわかります。これに限らず、とてもよい気づきをされていて、私も参考になることがたくさんありました。
この指導案をつくるにあたって社会科の教員すべてがかかわっています。チームワークのよさを感じます。自分たちがかかわって作った指導案での授業ですから、真剣に参加してくれます。この授業を通じてとても多くの学びがあったことと思います。
地理の授業として考えると、「持続可能な社会」についてはもう少し早く押さえた上で、どうして北九州エコタウンの事業所が増えているのかを考えた方が、焦点化しやすかったと思います。
再生紙の話から、「高くて質が悪いのにどうして再生紙をつくるの?」と質問し、資源の問題、自給率の問題などに目を向けさせ、「持続可能な社会」を目指す必要性を共有します。その上で、「だけど企業はもうからないとやっていけない。なのに、どうして事業所が増えているのか?」と問いかけるのです。資料としては、エコタウンの企業がどういう企業であるかを示すものを用意するとよいでしょう。こうすることで、「物作り」から「リサイクル」まで効率的に行うことでコスト面の問題をクリアしようとしていることに気づけると思います。その上で、北九州ではどのような業種の企業が多いのかと考えることで、北九州につくられた理由に気づかせるのです。

課題を考えるためには足場となる知識や情報が必要です。それをあらかじめ与えておくという方法もあります。また、子どもから出てくる可能性があるのなら、それを早い段階で引き出して、全員で共有して足場をそろえ、その上でもう一度考えさせる方法があります。教材研究では、子どもたちに考えさせるために必要な足場が何かをしっかり考えてほしいと思います。その上で、どう足場をつくるのかを考えると授業の流れが見えてきます。
私からは、このような話をさせていただきました。

教師も子どもたちも双方のレベルが高い授業だからこそ、とてもよい学びができたのだと思います。この先生の授業を久しぶりにじっくり見ましたが、目に見えて成長していました。個々の努力とチームワークでこの学校の社会科の先生方は大きく伸びていくと思います。

中学校で授業アドバイス

昨日は中学校で授業アドバイスを行ってきました。夏休み明けの子どもたちの様子が楽しみです。

3年生は部活動を引退して、気持ちの切り替えがどうなっているかが気になりましたが、学習に前向きに取り組んでいました。教師の話が続く場面でも集中を切らさないのはさすが3年生です。もちろん、授業に参加できない子どもも若干はいるのですが、それが目立つほどではありません。例年以上に全員参加できているように思いました。子どもたちの笑顔を多く見られたのが印象的でした。

2年生は、全学級の道徳の時間を見ることができました。一部の学級で担任と子どもの人間関係がしっくりいっていないのを感じました。子どもを何とか引き付けようとして、教師のテンションが上がってしまい、かえって子どもたちが引いている学級もあります。集中を乱している子どものそばに行っても、子どもが態度を変えない学級もあります。もちろん、全員が集中している学級もありますし、男女の別なくかかわり合えている学級もあります。一方、担任と上手くいっていない学級でも、他の授業では全員が集中している姿を見ることができます。このばらつきが気になります。
集中して取り組めている授業、かかわり合えている授業でも、その中で孤立しているように感じる子どもが少し目立ちます。学級の中で上手く人間関係がつくれていないように見えるのです。こういう子どもへの対処は非常に難しいものがあります。行事などで関係をつくろうとすることがよくあるのですが、こういう場面では日ごろの人間関係がベースになってくるので、そもそもかかわれていない子どもにはかえって厳しい状況をつくることがあります。一方、授業では日ごろの人間関係と関係なくかかわる機会がつくられます。授業の中で子ども同士の関係をつくり居場所をつくることの方がやりやすいこともあります。しかし、教師がその子どもとかかわりすぎると、「あの子は特別で先生が対応するから関係ない」と他の子どもたちが関係をつくろうとしなくなる可能性があります。教師がその子どもと直接かかわるのではなく、子ども同士をつなぐことを意識することが必要です。また、子ども自身のかかわる力(ソーシャルスキル)の問題もあります。SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)を取り入れることを視野に入れてもよいと思います。
とはいえ、全体として見れば子どもたちは落ち着いて学習に取り組んでいます。だからこそ、目立つ、気になることなのです。

1年生は、とてもよい状態です。子どもたちが安心して意欲的に学習に取り組んでいる姿をどの学級、どの授業でも見ることができました。4月、5月の時点は子どもたちの姿がバラバラで先生方の方向性がそろっていないように感じたのですが、今は学年がチームとして歩調をそろえて子どもたちと接していることがわかります。特に今年異動して来た先生は最初のうち戸惑うことが多かったと思いますが、この学校の考え方を理解し子どもたちをしっかり受容しています。素直な方ばかりです。また、新しく担任を持った先生もまわりから学びながらしっかりと成長しています。よい2学期のスタートが切れていると思いました。

若手の教員が自主的に私と一緒に授業観察してくれました。こういうやる気を見せていただけるのはうれしいことです。今、伸びる時期にあると感じている先生方なので、その理由がわかる気がしました。素直に学ぼうとする姿勢が大切なことを改めて感じさせてくれます。

この日も6年目の数学教師と勉強会を持ちました。この1週間授業して見つけた課題について質問してくれます。子どもたちに考えさせ、子どもたちから言葉を引き出そうとしています。だからこそ、何が本当に大切なのか、何を引き出せばいいのかをきちんと教材研究する必要があります。そのことを今本当に実感しているようです。夏休みには小学校の教科書を全部読んだそうです。素直にアドバイスを受け止めてくれます。子どもたちの既習事項が何かを知らないと授業がつくれないことをよく理解しています。
今、1次関数を学習していますが、係数が分数のグラフを描く時、グラフの通る格子点を探します。このことは1次関数の本質とは何の関係もありません。グラフを描きやすくするだけであり、整数の性質や方程式の解法に近い問題でもあります。もちろん一般には格子点を通らないことが普通です。こういうところを教える時には、1次関数であることをいったん切り離して、式の値を整数にする問題としてとらえさせることが大切です。
教材研究ではこのような切り分けも必要なことを伝えました。教材研究に本当にエネルギーをかけています。数年後には大きく成長していることと今から楽しみです。

この日は教務主任と授業についていろいろと話しをする時間がありました。一緒に授業を見ていてもとてもよい気づきをします。若い先生へのアドバイスも的確です。教務主任という立場になって、授業を見る視野がずいぶん広がっているのを感じます。教務主任として授業にこだわっていることもよくわかります。失礼な言い方ですが、これからの成長がとても楽しみです。

この日は、社会科の要請訪問で、とてもよい学びのできた研究授業が行われました。これについては、明日の日記で。

インターンシップの学生から授業について考える

インターンシップで学生を観察して気なったのが、何をメモするかということと物事を見る視点です(インターンシップで貴重な経験をするインターンシップで視点の切り替えの難しさを感じる参照)。

メモは自分にとって大切だと思うことをするものですが、その判断の基準が問題です。学生にとって重要なのは試験で点を取ることなのでしょう。これは重要だから試験に出ると自分で判断するのなら問題ありません。重要かどうかを自分で考えるのは良いことです。しかし、スライドの文字が強調されている、講師が何度も話したことをメモするというのは、判断の基準が講師の大切だと思っていることになっています。これも立派な生きる知恵なのですが、内容について思考しているわけではありません。いわんや、板書は条件反射で書くにいたっては、思考がどこにもありません。このことが気になります。
学校の授業で言えば、「ここは大切だから試験に出るよ」「試験に出すから覚えておいてね」と教師が言うこととつながります。せめて「大切な理由は何だと思う」と子どもたちに問いかけることで、どんなことが大切なのかを考えさせてほしいと思います。「ここを出す」から「どこを試験に出すと思う」に変えてほしいのです。「大切だから線を引きなさい」ではなく「大切だと思うところに線を引きなさい」「そこに線を引いた理由は?」にする。教師のまとめを書かせるのではなく、「今日の授業で大切なことを○つノートに書きなさい」「何を書いたか聞かせて」に変える。このようなことを意識することが大切です。

視点についていえば、自分の視点からしかものを見ないことが気になりました。相手はどう考えて行動したのだろう、相手は何を期待してこのようなことをしているのだろうということをなかなか意識できないようです。これも、訓練が必要なのでしょう。SGE(構成的グループエンカウンター)などで、相手の考えを聞くことや理解することを学ぶことが大切になっていることがよくわかります。
授業でも意図的に視点を変える必要があります。歴史などでは、政策を決めた側の視点、その影響受ける者の視点で見ることが大切になります。影響を受ける者もいろいろな立場の者がいます。江戸時代であれば、武士、商人、農民、・・・などその立場で違って見えるはずです。道徳などでも同様です。
また、もう一歩進んで、いくつかの視点から見たものを比較し、総合的に判断することが大局的な視点につながります。私、あなた、そして第三者から見た私とあなたこういう視点です。例えば、歴史を評価するということは、この大局的な視点で見るということのように思えます。
人間相互の視点だけでなく、物理的な視点や考え方の視点を変えることも大切です。
理科で言えば、月から見た地球はどのようになるだろうかと視点や系を乗り換える。数学などでの考え方の視点であれば、もし答があるとすればどうなるはずだろうと演繹的な視点から帰納的な視点に切り換える。視点を変える場面はいくらでもあります。
しかし、そういうことを授業で意図的に行い、それを視点として整理して、メタな知識として定着させていないのです。

インターンシップ出会った学生の行動のパターンから、彼らの受けたであろう教育を想像し、授業で大切な視点にあらためて気づくことができました。
若者の姿は私たちが行ってきた教育の具現した姿でもあります。とかく批判的に見てしまうのですが、その批判はとりもなおさず自分たちが行ってきた教育への批判でもあるのです。そのことを肝に銘じておきたいと思います。

インターンシップで視点の切り替えの難しさを感じる

先週末は、企業のインターンシップのお手伝いをしました。前回と同じく、学校ホームページのコンサルティングを経験するというプログラムです。

午前中の大学の先生の講義は、今回はビデオによるものでしたので、手元にスライドの縮刷資料が用意されていました。学生はそれにもかかわらず最初はメモをたくさん取っていました。どこをメモすればいいのかよくわからなかったのかもしれません。途中からメモを取る場面が限定されてきました。まとめ的なスライドが適宜はさまれることとそのスライドの縮刷が手元にあることで、メモをしなくてもいいことに気づいたのかもしれません。また、考えを求める場面では、メモを取らずに真剣に聞いていたのが印象的でした。今回は前回と内容はほとんど変わっていないのですが、この日の午後のプログラムとの関係を意識的に整理して伝えています。聞いていてポイントが何かよくわかります。このことの効果は、午後のプログラムでこの講義と関連した視点がいくつか出てきたことからもうかがえます。

続いてデザイナーの方の、誰にもわかりやすいデザインについての話です。最初にデザインとはどういうものかを考えてもらいます。「グラフィックデザイン」といった、「○○デザイン」という言葉を引き出そうとするのですが、なかなか出てきません。緊張していることもありますが、デザインの概念がないことが原因です。具体物を見せて、「ここにデザインはあるだろうか?」といった質問をしてみると、デザインとは何かについての考えを引き出すことができたかもしれません。
具体例を板書するとすぐにメモします。自分が答えられなかったことも要因でしょうが、板書はすぐに写すという癖が小学校からの教育で染みついているのを感じます。何が大切かを自分で判断する力をどうつけるのか改めて考えさせられる場面でした。
色の3属性について質問しました。少なくとも中学校で習ったことですが、前回の学生と同じく身についていません。服を選んだりするときなどにもとても役に立つ知識のはずですが、学校で学習したことを日常生活で活用することがされていないのです。
無理やり指名すると、「赤、青、緑」と答えます。デザイナーの方はネガティブな気持ちにさせないようにと「惜しい」と評価しました。次の学生を指名すると「赤、青、黄」と答えます。3原色の誤答を惜しいと言ったためにずれていってしまいました。よくあることです。この後には3原色の話もするのですから、「3原色だね。よく知っているね。じゃあ、3属性は何だろう」と返せばいいのです。こうすることでネガティブにさせずに、本筋からずれないように話を進めることができるはずです。

午後は、学校ホームページのコンサルティングを具体的に考えてもらいました。
学校ホームページのコンサルティングを頼まれたら最初に何をするのか質問しました。「その学校のホームページを見る」という答が返ってきました。「何のために?」と聞いたところ学校の状況を知るためと言います。確かにその通りですが、学校ホームページでどんな状況がわかるかを聞いてみると、はっきりしたことが答えられません。そこで、実際に母校のホームページを見て何がわかるかを考える課題にグループで取り組ませました。
出てきた答えは、校長の名前、行事予定、・・・とホームページに書かれている学校の情報がストレートに出てきます。受け手の視点ばかりで、発信者の視点が出てきません。コンサルティングの視点で学校の状況をホームページから考えさせたところ、今度は学校ホームページをどうしたらいいかという改善案でした。良くも悪くも午前の講義の影響が強く出ています。どうあるべきか、何が大切なのかを学んだので、その視点で見ているのです。コンサルティングの基本である、相手(学校)が何を望んでいるのかを読み取ろうとしないのです。
そこで、服を買う場面を想像してもらいました。お店で服を見ていると「サイズありますよ」と言って店員が近づいてくることがあります。どう思うか聞いたところ「いかにも売ろうとしているから、嫌だ」と答えます。では、あなたならどう声をかけるか聞いてみました。ところが、「新しいデザインがありますよ」といった、やはり売る側の視点での声かけなのです。先ほど買う側の視点で嫌だと言ったのに、売る側の立場になるとそのことを忘れてしまうのです。自分と違う立場の視点でものを見ることが彼らにとって難しいことがよくわかりました。
有名な学校のホームページを見ながら、学校の発信に込めた思いを読み取る課題に挑戦させました。母校のホームページを見た後なので、「給食の記事が毎日ある」「子どもが情報発信している」といった特徴にたくさん気づくことができます。ところが、そこに込めた思いは表面的にしかとらえられません。給食は毎日あって更新しやすいネタだからといったことしか出てきません。そこで、給食を毎日紹介している学校がとても多い理由を考えさせました。保護者の側から見ると、「夕食のメニューの参考になる」「給食と夕食がかぶらないようにチェックできる」といったことに気づけます。今度は保護者にとって価値があるからという理由だけで学校が記事にしているのかを考えてもらいます。この記事を見ることで他の記事も見てもらえる。ホームページの目的は学校が伝えたいことを伝えることであると気づいてもらうことができました。
その上で、この学校の校長の思いをビデオで視聴してもらいました。感想は、自分たちが考えた以上に深い理由があることでした。休息時間に、ホームページから学校の思いがなかなかわからないので、先に話を聞いた方が早いのではと言っていた学生がいました。そこで、あらためて、先に学校の思いを聞いた方がよかったかどうか、他の参加者も含めて聞いてみました。事前にホームページを見ていたので話がよくわかってよいという意見が主ですが、ある記事の目的が自分たちで考えたのとは大きく違っていたことので、その記事については意見が分かれました。やはり事前に見た方がいいと言う意見と、間違うのはムダだから、そこは先に聞いた方がよかったという意見です。後者は手っ取り早く答を知りたがる最近の子どもたちと同じ考えです。これでは、コンサルティングにならないことを少し説明しました。相手の話を聞いてからホームページを見ると、その視点で見てしまいます。今回のようなずれは起こりにくくなります。ずれは課題を見つける大きなヒントになります。発信側、受け手の側、両者の視点を持った上で、そのずれをどう調整するかというのがコンサルティングの大切な視点なのです。

最後の課題は、同窓会で母校の校長にホームページの改善を一言提案するというものです。グループで意見交換をさせました。最初は上から目線の提案がほとんどでした。しかし、グループで話し合って、相手に実行してもらうためには聞いてもらえることが大切だと気づいてくれました。最終的には、ずいぶんよい提案になりました。私が校長役になってロールプレイをしましたが、どの学生とも気持ちよく会話ができました。ただ、「どうすればうまくできるかなあ」というように、具体的な方策を聞き返すとなかなか答えられませんでした。「こういう記事をアップしてもらえるとうれしい」とIメッセージで伝えても、その具体策がなければ相手を動かせないことに気づいてもらえたようです。

この日のインターンシップで、コンサルティングの視点については少し伝えられたのではないかと思います。想像以上に学生たちが視点を切り替えることができないことが印象的でした。授業で考えなければならない課題に気づかせてもらえました。この日もよい経験をさせていただきました。

導入場面のつくり方を考える

授業の構成を考える時に導入場面に悩むことがよくあります。どうのようにすればそのようなことが思いつくのだろうと感心するような、子どもたちを引きつけ本時のねらいにつながる見事な導入をされる先生がいらっしゃいます。そんな素晴らしいものでなくも、手軽に本時のねらいにつながるような導入がつくれればと思います。導入場面のつくり方について少し考えてみたいと思います。

本時のねらいに子どもたちの判断を必要とするような具体的な目的や目標を組み込むことで、導入を考えやすくなります。歴史の授業を例にして考えてみましょう。
「徳川綱吉の政治について調べよう」というねらいは、活動はあっても何のために調べるか、目的や目標がはっきりしません。そこで、ねらいを少し変えてみるのです。「徳川綱吉の政治はよい政治だったか」と、調べることを手段として、よいか悪いかを判断するという目的を組み込むのです。「よいか悪いか判断させる」のであれば、導入で「よいか悪いか疑問を持たせる」活動をすればいいのです。
「みんな動物好き?」「ペット飼っている人いる?」と動物について子どもに話させます。こういう無責任に答えられる質問は子どもたちのテンションが上がりやすくなります。あまり上がりすぎない内に、次の質問、話題に移ることが大切です。「じゃあ、動物をいじめちゃいけないという法律があってもおかしくないね」「それじゃあ、動物に襲われても、逃げるだけで絶対抵抗しちゃいけない。殺すなんてダメだという法律はどうだろうか」と子どもに問いかけ、自由に発言させたうえで、「実はそんな法律がつくられたことがあるんだ。徳川綱吉という将軍の時なんだ」といって、本時のめあてを提示します。

この導入が素晴らしい、理想的だという気は毛頭ありません。しかし、このパターンであれば短い時間で本時のめあてにつなげることができますし、他にも応用がききます。例えば理科で、「雲のでき方を知ること」がめあてであれば、「雲をつくることができるか」に変えて、導入で子どもたちに「雲を人工的につくることができると思う?」と問いかけるのです。「雲をつくることができるか?」に対して、それを考えるために「雲のでき方知ろう」と本来のめあてにつなげるのです。

授業の導入部分は、子どもたちの判断を必要とするような具体的な目的や目標をめあてに組み込むというように、めあてと連動させて考えるとつくりやすくなると思います。導入部分に悩んだ時に試してみてください。

説得型の授業と納得型の授業

授業を考える視点の一つに、説得型と納得型があります。
説得型の授業は、教師が大切なことをわかりやすく子どもに伝えようとするものです。教師が考える結論を子どもたちが受け入れるように説得します。子どもたちは何が大切かを教師の言葉や板書から知ろうとします。何度も説明する、「ここが大切だ」と言う、大きく板書をする、文字の色を変える、枠で囲む、こういった情報から大切なことは何かを知ろうとします。教師の中には大切であることを伝えるために、「試験に出る」という言葉を使う方もいます。
一方の納得型の授業は、何が大切かを子どもたちに考えさせようとするものです。結論を教師が与えるのではなく、自分たちで考え納得することを目指します。教師は考えるための手段や材料を準備し、子どもたち自身で結論を導くための手助けをします。子どもたち自身で大切なことは何かを見つけるように働きかけます。授業のまとめを教師がするのはなく子どもにさせる。大切だと思うことを理由とともに子どもに発表させる。こういった場面が授業の中にあります。

どちらの授業が優れているのかは一概に言えません。例えば大学入試対策の予備校の授業では、質の高い説得型の授業が求められます。大学受験に合格するという目的のためには試験で効率的に点数が取れることが重要だからです。極論すれば、試験問題が事前にわかっていれば、答だけを教えればそれで目的は達成できるのです。それができるのなら、受験生にとっては最高の授業(講義)になります。自動車の運転免許の学科試験はそれに近いところがありますね。また、業務のために必要な知識や技術を素早く身につけるにも、この型の授業が効率的です。想定され得る、既知の課題を解決する力つけるのには有効な授業法です。しかし、想定外の事態には対応する力はつきません。「この問題の対策を立ててくれ」と仕事を頼んだところ、期限ぎりぎりになって、「いろいろと探しましたが、答えが見つかりません。どこを見ればわかりますか」という笑えない質問をした新入社員もいます。
では、納得型の授業はどうでしょう。試験でよい点をとるという観点では非効率なものに見えます。しかし、未知の課題に対して自分で答を見つける力、大切なことを見抜く力といった、まさに生きるための力を身につけるにはとても有効なものです。
企業の採用ではこの力を見極めるための方法を工夫しています。難関と言われる大学の中には、受験生が見たことのないパターンの問題を必ず出題するところもあります。問題の意味を理解できれば簡単に解けるのですが、解き方のパターンを覚えているだけの受験生にとっては難問に見えます。大きく点差がつく問題です。大学入試制度の改革でも総合的な力を測ることが模索されています。この力の大切さが社会的に認識されつつあるのです。

これからの社会は既定路線を進んでいくのではなく、未知の領域を開拓していくことが求められます。納得型の授業の必要性が高くなっています。先日の企業のインターンシップで出会った学生は、説得型の授業に特化されているように感じました(インターンシップで貴重な経験をする参照)。自分で課題を見つけて解決する力が不足しています。これを学生の能力の問題と責めるのは酷なように思います。説得型の授業にもっと出会っていれば、おそらくそれなりの力がついていたと思います。これは教育者の責任でもあるのです。

皆さんの授業は説得型でしょうか、それとも納得型でしょうか。説得型という方は、納得型の要素を授業に取り入れることも考えてみてほしいと思います。

12年続いている研修会を見学

先週末は、授業力アップの研修会にオブザーバーとして参加させていただきました。今年でなんと12年目です。息長く続けられていることに、敬意を表します。
研修の構成はさすがに年数を重ねているだけあってよく練られたものです。スタッフ用のマニュアルもよくできています。

午前は授業づくりの実習を全体で行い、続いて講演です。
授業づくりの実習は、教科書の題材をもとに具体的に授業の進め方、発問や子どもの発言の予想などをグループで検討します。若手の参加者が多いこともあってか、各グループに1名ずつスタッフがつき、進行の手助けをします。しかし、スタッフがいるためにミニ授業の様相を呈しています。参加者は互いの意見を交換するというより、スタッフに対して考えを話し、自分の考えでよいか、答を確認しているように見えます。グループ活動の後の全体でのまとめは、何人かに発表させますが、その後にスライドで結論が表示され説明されます。参加者の顔はあまり上がりません。テキストの確認やメモすることに意識がむかっています。参加者の考えで結論にたどり着くのではなく、講師の考える解答を与えます。そうであれば、あまり時間をかけずに示した方が効率的に思えます。本当に考えてもらいたい課題に絞って時間をかけ、互いの考えを練り上げたいところです。
私ともう一人のオブザーバーはこのテキストの教材をもとに、いろいろと意見の交換をすることができました。以前と教科書の記述が変わっているところについてどう扱えばよいのかを考えたりとよい学びができました。このような課題をグループで考えることで、授業づくりに大切なことが何かに気づけると思います。テキストの内容がよいだけに、進め方にもう一工夫ほしいところでした。

講演の講師は大学の先生です。実習の内容を見て話の内容をその場で変更されました。先ほどの実習は、授業づくりは何をすればよいかを伝えるものでしたが、その内容を補完する形で、なぜそのようなことが必要になるのかを話題にしました。
先ほどの参加者の様子が気になったのでしょうか、スライドは後で自身のホームページにアップするので写さなくていい、それよりもメモを減らして、顔を上げて話を聞くようにと最初に話します。受け身にならないように参加者に発言を求めますが、思ったより意見が出てきません。そこで、隣同士で相談させました。こういった対応はさすがです。一気に場が和み、意見が出やすくなりました。
先ほどの教材で、教えるところはどこか、考えさせるところはどこかと質問します。指名された方が、どちらかと言うと考えさせたいところを教えると答えました。せっかく出てきた答えですから、否定したくはありません。どう対応するか見ている私も思わず緊張します。まず、「分かれそうだな」と受けて、全体に対してどちらだと思うかを聞きました。かなりの数が「教える」です。そこで、考えさせて答えが出ればそれでいいが、学級によっては必ずしも出てくるとは限らない。それをいつまでも待っているのはムダだ。そういう時は教えればいいとまとめました。それぞれの考えを否定しない、なるほどと思う進め方でした。肯定、受容の精神を大切にしていることがよくわかります。こういう場面に、講師の姿勢が表れます。

午後は、3つの実習から2つ選んで参加する形式です。50分という短い時間でどのように進めるか、なかなか難しいところがあります。しかし、ここで今までの蓄積が活きています。無理に詰め込むことをせずに、基本的なことに内容を絞り、体験することに時間をかけます。明日からやってみようと思ってもらえるように、達成感を大切にしています。スタッフの参加者への評価も否定的にならないように、意識されています。もちろんこれだけですぐに上手く使えるようにはなりません。しかし、無理に多くのことを求めると消化不良になって、結局やってみようとはしなくなります。このことを長年の経験でわかっているのでしょう。そこで、足りないところを補うために、フォローアップの研修を2学期に設けています。実際の授業でやってみると、困ったことが出てくるはずです。必要性を感じたところで次のことを伝えようというわけです。よく考えられていると思います。

最後は、再び大学の先生の講演です。午後の講演は、午前中と違ってやや厳しめの言葉が増えてきます。教師の仕事がいかに大切で責任のあるものかを訴えます。誇りを持って教壇に立っていた方だからこそ、その言葉は私たちに迫ります。参加者によい教師になってほしいからこその言葉だと思いました。
自身の師範授業のビデオを見せながら、授業の具体的な場面をもとに解説をされます。リアルタイムで、子どもたちがどこでつまずいているのか、どこで困っているのかを把握し、対応をしていきます。実際に授業をして見なければ気づかないような、予想もしないところで子どもたちがつまずくこともあります。まさに授業は子どもたちと教師でつくるライブであることを伝えるものでした。

12年間も続いている研修会です。中心となるスタッフもそれだけ歳を重ねています。若いスタッフも増えてはいますが、中心となって企画できる中堅層が不足しているように感じます。現在の教員の年齢構成からすれば仕方がないと言えばそれまでですが、心配なことです。この研修会が15年、20年と続くことを願っています。私も微力ですがお手伝いできることがあれば、積極的にかかわらせていただこうと思っています。

介護現場の課題から組織力を考える

先日、介護職員研修の打ち合わせをおこなってきました。
引き継ぎが上手くいかない、優先順位がおかしい人がいるといったことから、組織としての力をどうつけるのかが話題になりました。個人の問題と言ってしまえばそうなのですが、それでは解決につながりません。ルール化して、罰則を設けるという発想もあります。行動規範を明確にして、自覚を促すという発想もあります。どれが正解と言うわけではありませんが、実態にあった方法を模索する必要があります。
このことは学級経営にもつながります。教師が厳しく指導してルールを徹底させるか、子どもたちの自主性を大切にして子どもたちに規範意識を育てるか、悩ましいところです。

引き継ぎのようなコミュニケーションの問題は、伝える側、受ける側の両者が存在します。一方の側に問題があるから上手くいかなくなるのか、もう一方がカバーすることで上手くいくのかが問われます。相手の非を追求するのではなく、カバーする発想を持つことが大切です。組織としてこのことを浸透させることが課題です。

仕事の優先順位の問題は、介護の現場では予定外のことにどう対応するかという問題でもあります。ここで、「すること」と「起こること」という視点が必要になってくると思います。「すること」とは、予定されている仕事です。事前にわかっているので、優先順位も明確にできます。一連のタイムスケジュールにそってこなしていけば問題はありません。一方の「起こること」は、いつとは予定できないが、確実に起こり得ることです。利用者さんがトイレに行きたい、体調が悪くなる。こういったことは緊急に対応する必要があります。問題は予定されている仕事をこなしている時にこういったことが起こることです。自分の仕事を途中で止めるのは嫌なものです。直接の担当でなければ、自分以外の方に対応してほしいと思ったりもします。これが、優先順位がおかしくなる要因の一つです。「起こること」に対してどう対応するかを明確にする必要があります。この視点で、業務を一度棚卸することをお願いしました。

これと似たことが学校でもあります。例えば、担任が帰宅した後に生徒指導上の問題があったと学校に連絡があったとしましょう。その子どものことは他の者ではよくわからないからと帰宅した担任に対応させるのでしょうか。それとも、学校に残っている先生方で対応するのでしょうか。内容にもよりますが、前者の対応もよく目にします。子どもたちの(生徒指導上の)情報をきちんと共有できていれば、他の先生方でも十分に対応できることもたくさんあるはずです。情報の共有が大切になります。

一人ひとりが自分の強みを活かすと同時に、互いに助け合えることが強い組織の条件です。助け合うためには、助け合おうという掛け声だけでなく、助け合うために必要な仕組みや環境をつくることも必要です。このことを改めて考えさせられました。

養護教諭の模擬授業で学ぶ

先日、市の養護教諭の研修会に参加しました。養護教諭の授業技術研修です。今回は代表の方に模擬授業を行なっていただき、私が解説するというものでした。子ども役は参加者全員です。

男女交際を考えるという中学校の授業をTT形式で行います。T1は養護教諭、T2は担任です。実際にあった女子生徒からの相談をもとに授業を進めます。
私にとって、このようなテーマの授業を考えることは初めてで、授業者の思い、子どもの気持ちを考えながらその場その場で授業を止めながら、時には私自身が授業者になって進めてみたりしました。とても刺激的でよい経験をさせていただきました。同じことを伝えるにも、ちょっとした言葉の使い方で、相手の受け取り方は変わります。そういったことも伝えることを意識しました。

相談内容は、「交際相手と部屋で勉強していたら、いきなりキスされて泣いてしまった。泣いているところを母親に見つかり勘違いされたようで、気まずい雰囲気だ。相手のことは好きだけれど、どうしていいかわからない」というものです。
最初の課題は、この女子生徒にどんなアドバイスをするかです。子ども役は素早くペンを持ちますが、手が動きません。このような微妙な問題は、大人でもすぐに書けません。子どもならなおさらです。もし、すぐに書けるようなら、それは真剣に考えていない証拠です。そこで、授業を止めて課題について検討しました。アドバイスは難しいので、男子はキスした男の子の気持ち、女子は泣いた女の子の気持ちを考えてもらうことにしました。授業者は課題を変更して授業を進めてくれます。予定した課題を途中で変えてやり直すのはベテランでもなかなか難しいことです。快く挑戦してくださった授業者に感謝です。

今度は、ペンが動きます。それぞれの気持ちを書いたところで、グループで話し合います。授業者の学校では、班長が司会をしたりと役割があるようですが、このような類のグループ活動には向きません。特に役割を設けずに、聞き合うことを目的とするとよいでしょう。
グループで聞き合ったことを小型のホワイトボーにまとめて、代表に発表させます。これが中心となる活動であれば、こういう時間の使い方もあるかもしれませんが、ムダに時間がかかりすぎると思います。ここはホワイトボードを黒板に貼って、同じような意見を中心に共有していくとよいでしょう。「『そばにいるだけでよかった』という意見があるね。○班にもあるね。どういうことか聞かせてくれる?」、「どう、今の意見なるほど思った人?」とつなぎながら、女子の気持ちを男子がどう思ったか、男子の気持ちを女子がどう思うかを確認することで、男子と女子の気持ちの違いを焦点化するといった進め方をするとコンパクトにまとめることができます。

ここで授業者は、資料をもとに、カエルとネコ、人間の脳の違いから性行動の違いを説明します。しっかり理解させようと、脳の構造が三層あり、それぞれが発達しているかどうかで行動が違う。食欲を例に挙げ、続いて性行動とていねいに進めますが、一方的な説明の時間が続きます。また、いきなり脳の話が始まり、何のためにこの話をするのかがよくわからないため、子ども役は戸惑います。ここはていねいに進めることよりも、伝えたいことをコンパクトに話すことが大切です。
「カエルは発情期になると、互いに相手を性行動の対象と見て、本能的に行動する。ネコは、気に入らなければ拒否をし、気に入れば気持ちだけで性行動する。では、人間はどうだろう?」と問いかけ、先ほどの子どもの意見と関連づけて、「好きだからと相手の気持ちを考えずに行動するのはどの動物だろうか」といったことを考えさせながら進める方法もあります。
授業ではできるだけ、子どもたちの活動を活かすことが大切になります。この授業では子どもたちから言葉を引き出したのでその言葉を使って説明することを考えるとよいでしょう。

この後、男女の性心理に違いを資料で伝えます。接近欲については男女の違いはほとんどありませんが、接触欲については男性と女性の間にかなり大きな違いがあります。とても説得力のある資料です。子ども役から出てきた違いを裏付けてくれます。先ほどのグループ活動の後にこの資料を使って、子ども役からの意見と関連づけた方が、流れが素直だったと思います。私が急に課題を変えてしまったので、とっさにそこまでできないのは当然ですが・・・。

互いに相手の気持ちを思いやることが大切ということに気づいてくれると思いますが、そうすると双方合意ならいいのかという問題になります。ネコの例をもとに責任ある行動を考えさせたいところですが、子どもたちには責任を取ることの意味はよくわかっていないと思います。責任を取ることは、単純に結婚すればいいと思う子どももいるでしょう。ここを子どもたちに話し合わせると面白かったと思います。

この授業では、担任役が教え子からの手紙を読んで終わります。
中学校時代荒れていた女生徒が、いろいろあったけれど、先生が言っていた「あなたの心と体を大切にしてくれる人」と巡り合えて幸せな結婚をすることができた。しかし、子どもがほしいのだがなかなかできない。過去に堕胎したことがあるので、それが原因かもしれないと悩んでいる。そういう内容でした。
子どもたちに考えさせるのによい話です。「心と体を大切にする」という言葉で、この時間のまとめとしたかったのでしょう。しかし、聞いていて違和感がありました。手紙が説明的で、リアリティに欠けるのです。確認したところ、実際には電話での話だったということです。それを単独で話が完結するような手紙に変えたため、説明的になってしまったのです。手紙にこだわらず、教師が自分の目線で話をしてもよかったかもしれません。子どもに考えさせることも大切ですが、教師の「心と体を大切にして」という思いを伝えることも意味があると思います。

T2の担任役をやった方は、T1の養護教諭の前任者でした。前任者がつくった資料を活用しながら、最初の課題を自分で考えたそうです。よい形で授業が継承されていることに感心しました。

参加者のアンケートからは皆さんが多くの気づきをしたことが伝わりました。実際に子ども役をやることで、授業での大切なポイントを感じ取った意見がたくさんありました。どのコメントからも授業を前向きにとらえていることがよく伝わります。
授業者からは、私が授業を止めたところは自分でもしっくりいっていないところばかりだったので、参考になったと言っていただけました。うれしいコメントです。

終始和やかな雰囲気で、学びの多い研修でした。次回は、実際の授業を参観しての研修です。養護教諭の授業は私にとって見る機会の少ない貴重なものです。前向きな養護の先生方と一緒に考えることで多くのことが学べます。今からとても楽しみです。
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