授業の進め方について考えさせられた1日(その2)

前回の日記の続きです。

6年生の算数は3年目の先生で、拡大縮小の授業でした。
子どもたちとの関係をつくることのできる方です。子どもたちが話を聞く姿勢になるのを待ち、最後の子どもの顔が上がった時に笑顔でうなずきました。経験年数の少ない方でこういったことが自然にできる方にはなかなか出会えません。ワークシートを配る時には「ありがとう」を言って子どもたちに手渡します。子どもたちも互いに受け取る時にありがとうを言います。よい習慣ですが、全員がありがとうを言えていないことが気になりました。おそらく最初は全員が言えていたと思いますが、しだいにゆるくなってきたのでしょう。先ほどの笑顔のように、何らかの評価をしてよい行動を強化維持することが必要です。
子どもたちに方眼紙を使わずに拡大縮小をするために「使えそうな道具」を考えさせます。前の時間に合同な三角形の描き方の復習をしたそうですが、もう一度最初に確認しておきたいところです。その日の授業で使う知識は最初に復習や確認をして、子どもたちの足場をそろえておくことが大切です。この授業であれば、拡大縮小の性質も押さえておきたいところです。
指名された子どもが「定規」と答えると、それに対して「いいです」と返ってきます。自分と同じ答だからいいではなく、算数的な根拠を意識させたいところです。数学の作図における定規は、直線を引くものです。長さを測るというのは、また別の使い方です。小学校ではあまりこだわる必要はありませんが、何に利用できるかは押さえておく必要があります。コンパスも、円を描く、同じ長さをつくるという2つのことを押さえておきたいところです。授業者は「定規」「コンパス」「分度器」以外の答も受容しますが、黒板には書きませんでした。受容はしているけれど結果的には無視です。それぞれがどういう理由で必要なのかといった根拠を元に、その道具がなくてもよさそうだと納得させる必要があるように思います。
指定した三角形の3倍の拡大図を個人で描かせます。途中で、できた子どもには他の描き方に挑戦するように指示します。最初に指示をしておくか、作業を中止させてから指示をすべきでしょう。授業者は3パターンあるという表現をしましたが、パターンという言葉が子どもたちどう伝わったかが気になります。元の三角形は、3つの辺の長さ、3つの角の大きさがすべて与えられています。従って、基本的に描き方は7通りになります。できるだけたくさんの方法で描かせて、それをパターンに分類することが算数的な見方・考え方を鍛える活動になります。授業者は、無意識に自分の考える結論に誘導しようとしていました。
続いて、グループで描き方を話し合うのですが、その活動の目標がはっきりしません。子どもたちは、自分の描き方を説明します。違うやり方の友だちに、自分の描き方をわからせようとテンションを上げる子どもの姿を目にします。できる子どもが自分の考えを友だちに教えることが目標のようになっていました。明確なゴールがないので、次第に子どもたちのテンションがおかしくなってきました。どの描き方がいいのかを話しているグループがありましたが、意味のない議論です。根拠がありませんから、テンションばかりが上がっていました。
指名した子どもが前に出て図を描きます。授業者は「描き方があっているか見ていてあげて」と子どもたち声をかけます。「あっているか」という表現はチェックの視点です。「自分の描き方と比べてみて」「同じかどうかよく見て」といった表現にしたいところです。
指名された子どもは、授業者の指示に従って基準となる長さを大き目にとって作図を始めたのですが、黒板での作業はとても時間がかかります。しかも、基準が長すぎて計算した長さにコンパスが開かなくて立ち往生してしまいました。授業者は事前に基準となる長さどのくらいとればよいかチェックしていなかったようです。焦った授業者は子どもを席に帰し、「○○さんと同じやり方で描く」と言って作図をしましたが、描き終ったあとに本人にこれでよかったか確認をしませんでした。○○さんと同じと言った以上、確認することが必要です。
大きく描くことは子どもたちにとってはとても難しいことです。実物投影機を使える環境にあったので、これを利用するとずいぶん状況が違ったと思います。
続いて他の描き方に移りましたが、今度は子どもに指示を出してもらって授業者が描きました。先ほどの子どもにもそうすればよかったところです。子どもの指示は決して正確ではありません。時間がなかったせいもありますが、授業者はとても物わかりのよい教師になっていました。「片方に角を・・・」と言われると子どもが思っている方に角を取ります。ここは、子どもたちに考えさせるためにも、物わかりの悪い教師になって、わざと角の場所を間違えたりしてほしいところです。反転した図や斜めの図を描いたりして、これではダメなのと聞き返すことで、子どもたちの視野も広がります。また、子どもたちのほとんどは、底辺を元に作図していましたが、こういった揺さぶりをすることで、他の辺を基準にしても描けることに気づいてくれたと思います。
時間がなかったせいもあり、拡大縮小の性質と、合同な三角形の作図を組み合わせて考えることの算数的な価値づけをすることができませんでした。授業のねらいを明確にし、そこを軸にして授業の構成や時間配分を調整することが大切です。算数の授業の基本的な進め方をもう一度勉強してほしいと思いました。
授業者の基本的な授業技術がかなりしっかりしていたので、教科の内容についてじっくりと考えることができた有意義な1時間でした。

もう一つの6年生の授業も算数で、表を使ってすべての場合を調べて考える単元でした。7年目の先生です。
前時の復習で、表を使うとわかりやすいということを子どもたちから引き出しました。しかし、「わかりやすい」がどういうことか明確になっていません。いろいろな場合がある時やすべての場合を調べなければいけない時に、過不足なく調べるためには表を使うとわかりやすいことを押さていません。おそらく、前時も「これで全部」「もう他にはない」といった揺さぶりをしていないのだと思います。
この日の課題は、与えられた数の板で地面を囲って花壇をつくったとき、面積を最大にするにはどうすればよいかというものです。問題文を読んでから教科書を閉じさせ、グループで問題の要素を確認させて問題把握をさせますが、この活動は覚えられなかった子どもは参加できません。友だちに聞いたからと言って正しいかどうかも判断できません。あまり意味のないグループ活動です。
挙手指名で子どもに発表させました。問題文の「面積」という言葉が足りなかった発言に対して、その言葉を足してくれた子どもを「すばらしい」とほめました。覚えていることをほめることは、算数の評価としてはあまり意味のあるものではありません。問題文を1回読んで覚えることができた子ども、挙手する子ども、一部の子どもだけで授業が進んでいきます。また、この問題は、要素を言葉でまとめても、状況がどういうものかを図に描けなければ理解できません。実際に板を用意して花壇をつくってみることが大切です。教科書のイラストで課題を把握してもいいですが、読み取る力をつけたいのであれば、問題文だけを見ながら、どういう状況か図に表わす作業を全員参加でていねいにするべきでしょう。
花壇の形は縦と横が変化すること、その面積は縦×横になることを授業者が説明します。全員が問題把握をできていないのに、一番肝心なところは全部授業者が教えていました。
変化するものを表にしなければいけないからと、「縦」「横」「面積」と項目が書きこまれた表を全員に配ります。表の項目をどうすればいいのかを考えるのが大切なのですが、これも教師が与えます。子どもは何も考えずに表を埋めるだけなのです。表の横の欄の数が1つ少なかったと訂正をしました。過不足のない表を最初から与える予定だったということです。「これで全部」「もう他にはない」といった発問は考えられていないということです。
表を埋めた後、グループになります。答の確認のために板の代わりのひごをグループに与えました。この道具は問題把握の場面で使いたかったところです。表から気づいたことを話し合うというのですが、答以外に何を話していいかわかりません。単なる作業の報告です。友だちの話を聞かずにひごで遊んでいる子どもいます。答の確認が終われば子どもたちはすることがありません。ムダ話をしている子どもとひごで遊んでいる子どもが目につきました。
この課題で何を考えさせなければいけないのか、課題解決に必要な力は何かを授業者は理解していませんでした。授業者の指示通り作業して答を出す時間になってしまいました。
答えが出ればいい。できるだけ間違えずに答を出せるように指示をして作業をさせることが大切。そんな授業観に感じる算数の授業によく出会います。自分で考え、困ったり、間違えたりすることを通じて、わかった、できた喜びを感じさせるような授業を目指してほしいと思います。

授業技術ではなく授業の進め方、教材研究について考えさせられた1日でした。教材研究はこうすればうまくいくというものを提示することがなかなかできません。「教科書をよく読んで」といっても、理解する力がなければ何ともなりません。私が単元すべてを一つひとつ解説するわけにもいきませんし、「自分で勉強して」と突き放してもなかなか難しいものがあります。仲間で学び合う風土をつくるくらいしかよい手が浮かびません。大きな課題を突き付けられたように思いました。

授業の進め方について考えさせられた1日(その1)

先日、小学校で若手中心に4人の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

5年生の外国語活動の時間は3年目の教師でした。
”How many 〜?”を使った表現の学習時間でした。復習で、フラッシュカードを使って子どもに数を英語で言わせます。1〜10まで、11〜20までをそれぞれ順番に、次に逆順で言わせます。子どもは元気に声を出していますが、授業者が子どもの口元をしっかり見ていないのが気になります。また、常に順番なので数と英語が直接結びついているのか気になります。フラッシュカードをランダムに使えって練習すれば時間もかからずいいのですが、いったん止めてフラッシュカードを黒板に貼りはじめました。それから指さした数の英語を言わせる活動を行いました。カードを黒板に貼っている時間がムダですし、その間子どもたちの集中力が下がっていくのがわかりました。また、ここでも授業者は黒板に貼ったカードばかりを見て、子どもたちを見ることができていませんでした。
子どもたちは、思った通り、数と英語がダイレクトにつながっていません。先ほどと違って素早く反応できません。数と英語が結びつくようになる活動が必要です。ボールやブロックなどの実物を用意して、その数を英語ですぐに言わせる。英語で言った数を指で示すといった活動をもっと行うべきでしょう。
デジタル教材のチャンツを使って“How many 〜?”で数を聞いて答える練習を行います。一通り練習してから、”How many 〜?”の意味を問います。挙手、指名して「いくつ」という日本語を言わせましたが、あまり意味のあることではありません。自信がないのかほとんどの子どもが挙手をしません。答えたのは知識のある子どものようでした。せっかくチャンツを行った後なのですから、具体的な場面で子どもたちに質問して答えさせれば、意味がわかっているかどうかは確認できます。子どもに活動をさせながら、自分でわかったという感覚を持たせたいところです。
授業者、”How” “How”、“many” “many”と区切って読んだ後、”How many” “How many”と言わせるなど、いろいろとリズムを変えて練習します。工夫をしているように見えるのですが、本質がよくわかっていないようです。短く区切るのは、一つひとつの単語の発音を確認するため、連続するのはイデオムとして一続きの言葉と認識させるためです。子どもの反応や口元を見ながらスピードやリズムを変えるのが普通ですが、授業者は子どもを見ずに、なんとなく恣意的にリズムを変化させていたようです。”How many”としっかり言えているのに、また区切って練習させていました。
この日の主活動は、”How many apples?”を使ったビンゴです。悪しきビンゴの活用がこの市では蔓延しているようです。
複数形をまだきちんと学習していなかったのでしょうか。意図的かどうかわかりませんが、授業者は”How many apple?”と”s”を落としていました。ワークシートを配って活動の手順を説明します。自分の決めた数だけ、かごに入ったりんごの絵を赤く塗ります。塗ることの意味が今ひとつわかりません。英語活動の本質に関係ないことに時間を使いすぎているように思います。10までの数と、11〜20までの数の2回ビンゴを行います。授業者は数の表現の練習をたくさんしたかったと言いますが、子どもたちは何度も”How many apple(s)?と同じ質問をし、決まった数を答え続けるだけです。授業者は私に指摘されてこの事実に初めて気づいたようでした。
この時間で授業者が子どもたちを具体的にほめる場面がほとんどありませんでした。私たちが見ているので緊張していたのでしょうか。笑顔もほとんどありません。それでも、子どもたちのよい表情をたくさん見ることができました。休み時間に一緒に遊んだりして、授業以外の場面で子どもたちとのコミュニケーションがとれているようです。このことは決して悪いことではありませんが、授業の中でしっかりとコミュニケーションをとれないと、子どもたちは授業に集中しなくなっていきます。このことを意識してほしいと思いました。

初任者の算数の授業を見ました。2年生の担任です。
テープ図を使っていくつ数が増えたかを考える場面です。ちょっと緊張気味でしたが、明るく子どもたちと接しています。1人、気になる子どもがいました。授業の最初、体を机の上に投げ出してごそごそしていました。指示されても教科書のページをすぐに開きません。授業者が気づいてページをめくってあげます。また、プリントを配る時におかしな行動をとります。この子どもは自分の分のプリントを取らずに後ろに送ります。授業を拒否しているのかと思いましたが、どうやらそうではありませんでした。あとから、授業者に申し出てプリントをもらっているのです。先生にかまってほしい子どものようです。どこまで授業中にこの子どもとかかわるべきかの判断は個別の状況がわからないので何とも言えませんが、あまりかかわりすぎないように注意をする必要があると思います。
花が昨日は8個、今日が25個咲いていて、何個増えたかという問題を、テープ図を使って解きます。テープの長さをどれだけにするかを子どもたちに確認します。目盛りがついている台紙の上で8の長さはこれでいいかを子どもたちたずねます。長いテープを見せると子どもたちはダメだと言いますが、その理由がわかりません。基準の長さを示していないので判断はできません。子どもたちは台紙の目盛りを元に判断したのでしょう。続いて台紙の4目盛り分の長さを示した時「いいです」「ダメです」に分かれました。しかし、授業者はこれでいいと進めてしまいました。「ダメです」と言った子どもは目盛りの数が違うからそういったのでしょう。算数の指導としての是非はともかく、意見が分かれれば子どもたちに発表させ納得させなければいけません。基本的な姿勢に疑問を感じます。そもそもテープ図に目盛りをつけないのは、目盛りがあればそれを読むことで答を見つけることができてしまうからです。テープの関係に目をつけて、求める部分の長さはどのような演算で求められるかを考えるためのものです。目盛りを使うのであれば、ブロックでよいのです。授業者は、子どもが図を写すための目安として目盛りを用意したのですが、その意図は子どもにはわかるはずはないのです。子どもの混乱を誘発します。
続いて、8の長さを今日のところにそのままおろして書くように指示します。なぜ8をそこに書くのか子どもはわかりません。言われて作業をするだけです。中には、長さがおかしくなっている子どももいます。授業者は教科書の図に8(個)が書きこまれているので、同じ図にするために書かせたのかもしれませんが、思考の過程が全くわかっていません。続いて25を書きこむように指示しましたが、8の横に25としてしまう子どもが出てきます。この間違いは授業者が誘発しています。もし、8個を基準として考えさせるのであれば、「昨日は8個だったんだね。それが1個咲いて9個になって・・・」とテープを伸ばしながら、「・・・どんどん咲いて、何個になったんだっけ?」と問いかけ、「25個」「そう、25個になったんだね」とテープを貼って、「どこからどこまでが25個?」と確認すればいいのです。
または、「今日はいくつ?」と聞いて、昨日の8(個)の下に25の長さのテープを貼って、25(個)とした後、昨日と今日を比べて、「増えたのはどこ?」とたずねて、8個の長さを線で下につなぐか、移動して重ねれば関係はすぐにわかります。1年生でやった「違い」を考える時の発想です。
いずれにしても、1年生で引き算をどのように学習してきたかを踏まえて、授業を組み立てるべきです。しかし、授業者1年生の教科書を見てはいませんでした。経験のあるものでも、どのように学習してきたかを教科書で確認するのは当たり前です。初任者ならなおさらのことです。高いものではないので、小学校の6年分の教科書、できれば中学校の3年分も手元に置いておいてほしいと思います。
机間指導も中途半端なものでした。子どもたちの何を見るのかを自分の中で明確になっていません。自分でポイントを意識していないと漫然と見ることになります。間違えている子どもを見つけると個人指導に入ります。まず、どのくらいの子どもが間違えているかを判断しないと、手が回らなくなってしまいます。
厳しいことを書きましたが、子どもにとっては担任が初任者かどうかは関係ありません。1人の教師として責任を持って指導しなければなりません。授業者は私の指摘を真摯に受け止めてくれたように見えました。もうすぐ夏休みです。気分をリフレッシュさせ、2学期に向けてどのように授業をつくっていけばいいのか、もう一度基本からじっくり考え直してみてほしいと思います。

残り2人ついては、次回の日記で。

学年のチームワークを感じる

先週末に、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。期末試験も終わり子どもたちが弛みやすい時です。子どもたちがどのような様子か気になりました。

心配していた1年生ですが、4月と比べるとずいぶん落ち着いてきました。授業規律も心配のないレベルになっていました。先生方が授業規律を意識しているのがよくわかります。指示が徹底できるまできちんと待ち、その間しっかりと子どもを見守っています。
ちょうどこの日から、生活をきちんとしようという学年のキャンペーンが始まったところでした。先生方との関係がいいのでしょう。子どもは素直に意識しているようでした。このように学年全体で子どもたちに対しての接し方を共有できています。
若手の数学の授業で、子どもたちが積極的に学ぼうとする姿を見ることができました。授業者の表情にも笑顔があります。よい関係がつくられているのがわかります。

2年生は、教師によって子どもの様子が異なることが以前から気になっていたのですが、その差が大きくなってきたように感じます。例えば、数学の授業は2学級を3つに分割しておこなっていますが、授業者の個性の違いが明確にあっても、どの授業も子どもたちの前向きにわかりたいという気持ちが見て取れます。3年生と比べても子どもたちの集中度は負けていません。その一方で、ある授業では、子どもたちは授業者の方をほとんど見ていません。指示されたことはちゃんとやるのですが、授業者の説明が続くとすぐに集中力を失くします。またその授業者もあまり子どもたちと視線を合わせていません。このように、授業によって全くその様子が違うのです。
総合的な学習の時間は担任が担当しています。この時、異常にテンションの上がっている学級があります。担任が学級をコントロールできていないことが気になりました。
初任者の英語の授業は、子どもたちを見る余裕がまだありません。学級全体の様子を見ることができていないので、子どもたちの集中が続きません。表情もどうしても硬くなります。まずは、子どもを見ることを意識するようにお願いしました。
若手の国語の教師は、子どもたちとの相性があるように見えました。学級によって子どもたちとの関係の違いが目立つのです。授業規律をきちんとしなければという意識が強いため、どうしてもできていない子どもに対して、ネガティブな態度をとりがちです。注意や指導が増えてしまい、表情も厳しくなります。こうなると子どもたちとの関係も悪くなり、注意する場面が増えてしまいます。こちらを注意すると、今度はあちらとモグラたたき状態になってしまうのです。授業者の持ち味であるはずの笑顔も消えてしまっています。もともとは一部の子どもが授業規律を守れずに注意をしたことから始まったことだと思います。ちょっとしたことがきっかけで負のスパイラルに陥ってしまったのでしょう。少し気持ちを変えて、できないこと減らすのではなく、できることを増やすよう努めてほしいとお願いしました。学級によってはこのことができていますから、気持ちを切り替えるだけです。
昨年度講師で、今年度正規採用になった理科の教師は、初めて担任を持ったこともあり、初任者研修と合わせて余裕のない状態が続いていました。しかし、この日は表情に笑顔が戻り、授業も子どもたちをしっかりと見て進めることができていました。自分のペースを取り戻すことができたのでしょう。昨年度の後半で見せてくれた子どもが集中する授業ができるようになっていました。ちょっと一安心です。
今年度異動してこられた方の社会科の授業は、子どもたちの活動をしっかり見ていることが印象的でした。以前は意味なく机間指導をしていたのですが、その代わりしっかりと全体を見るようになりました。子どもたちも落ち着いて授業に参加しています。グループ活動で子どもたちの集中が切れた時に活動を止めて次の活動に移るといった、子どもの様子を見て活動の切り替えの判断ができるようになることが、次の課題でしょう。アドバイスを素直に聞くことのできる方ですので、どんどん成長していくことと思います。

3年生は、全体としてはよい状況です。男女の仲もよく、この時期でも学級全体がよく集中して学習に取り組んでいます。しかし、自分なりに頑張ったのに期末試験で結果が出なかった子どもでしょうか、ちょっとやる気がなくなってきている、落ち込んでいる子どもがどの学級にもいるように見えました。担任の先生はそのことに気づけていると思いますので、ぜひケアをお願いしたいと思います。
若手の社会科の授業で面白い場面がありました。授業の導入の場面で、前時の復習をします。以前は、子どもたちのテンションを上げるような話を導入でしていたのですが、学習に直接関係のある導入に変わっています。意識してくれていることをとてもうれしく思います。ところが、学習意欲の高い3年生なのに、あまり集中して聞いていません。これはどういうことかと見ていると、本時のめあてが提示され、板書されると顔が上がり集中していきます。子どもたちは授業の流れをよく知っていて、復習の場面は参加しなくても大丈夫と判断していたようです。授業者はこのことに気づいていました。子どもたちをちゃんと見ています。子どもたちのこの態度をどう評価すべきか意見は分かれそうですが、とにかくその事実に対して何らかの対応が必要でしょう。一つは復習の場面でたくさんの子どもを指名して授業に参加することを求める。もう一つは、できるだけ早くその日の課題を提示して本題にすぐに入るという方法があります。とりあえず、後者の方法を取ってみることを授業者と話しました。授業者は少しずつですが、進歩しています。授業改善の意欲を感じました。これからが楽しみです。

この日も、何人かの数学の教師と勉強会を行いました。これから授業に入る1次関数に関連して、教科書の内容とポイントの確認を行いました。最近の教科書では、変化の割合(変化率)についてページを割いています。その背景と、変化の割合の正負で増減がわかることの押さえの大切さ。なぜ反比例でわざわざ変化の割合を調べるのかといったことについて話をしました。このことを元に彼らがどのような授業を組み立てるのか、次回の訪問がとても楽しみです。

学年ごとにいろいろな課題を持っていますが、先生方がチームで対応してくれていることを感じます。もちろん先生個人の問題もありますが、そのことをきちんと把握している方が必ずいて、なんらかの支援をしようとしてくれています。ちょっと難しいのが、ベテランが問題を抱えている時です。なかなか年下の方からは話を切り出しにくいこともあります。私の出番はそういうところにありそうです。今後、管理職や主任と相談しながら対応を考えたいと思っています。

多くのことに気づけた授業参観(その2)

昨日の日記の続きです。

4年生の道徳の授業は、マラソンの高橋尚子選手についての読み物教材を使ったものでした。
オリンピックのポスターを準備して、何のポスターかをたずねます。1人を指名して「オリンピック」という答が出ると、「賛成」の声が上がります。挙手の数に対して声の数の多いことが気になります。
教材を範読しますが、淡々と読んでいきます。読み終ると、話の内容について確認します。一問一答がしばらく続きます。授業者は発言者をしっかりと見ていまが、全体の様子を見ることはしていません。子どもたちは、授業者の板書で確認ができるので、あまり真剣には聞いていませんでした。
結果が出なかった時の主人公の気持ちを考えさせるのですが、子どもたちはあまり深く考えていません。「頑張っているのに、いつも予選落ちだよ」「悔しくて、つらくて泣きながら走っているんだよ」「もう走るのは嫌になるよね」と主人公の気持ちに入り込ませるよう働きかけ、「それでも、また走ろうと君たちなら思える」といった迫り方をすると、子どもたちがより深く考えてくれたのではないかと思います。
読み物教材は、主人公の姿を借りて自分がこれからどのようにしようかと考えることが大切です。「高橋尚子のように、結果が出ないかもしれないけれど挑戦できる?」「挑戦し続けることに価値があるって本当?だれも認めてくれないかもしれないよ」といった揺さぶりをしながら、自分なりの考えを持たせ、友だちのいろいろな考えに触れながら少しずつ心を耕していくようにしたいものです。

もう1つの4年生の授業は国語で、俳句をつくる場面でした。
授業者は、子どもの言葉をたくさん引き出し、それをもとに進めていこうとしています。とてもよい姿勢です。夏のイメージを広げるために、夏休みから連想する言葉を引き出そうとしている時に、「自由研究」に対して、「あっあ」と反応する子どもがいました。授業者はそれを取り上げませんでしたが、こういった子どもの反応を「今反応してくれたね。それってどういうこと」と全体の場でとりあげることで、発言がつながっていきます。私的な発言を公的なものにするという発想も持てるといいでしょう。また、子どもの発言に対して、授業者が勝手に別の言葉を足す場面がありました。子どもの発言は変えたり足したりせずに、できるだけそのままで扱うことが大切です。
夏をイメージする言葉を発表して、それらを使って俳句をつくらせます。五七五といった俳句の基本的なルールを確認しますが、俳句をつくる目標が明確になっていません。これでは、友だちの句について感想を発表させても、その視点も定まりません。句を読んだ人が、「夏の風景が目に浮かぶ」「『あぁ、夏だなあ』と感じる」といった具体的な目標が必要です。そして、目標達成のために、どのような工夫をするかを考えることを求めます。ここで、今までの学習の積み重ねが効いてきます。これまでにやった俳句の授業を振り返って、どんな工夫があったかをもう一度整理するのです。活動に対しては、目標達成のための手段を与えることを意識してほしいと思います。目標とその達成のための工夫を意識することで、俳句をつくることも友だちの句を鑑賞することもより深いものなっていくはずです。

授業研究は、6年生の社会科でした。世界が抱えている課題を「未就学児童」の問題から考えさせようというものです。
資料の一つを声に出して読ませます。読むことで、全員に資料の内容を把握させようというのでしょうが、子どもはただ字面を追っているように見えました。子どもが読みにつまった時に授業者が助けました。このことは別に間違いでもおかしなことでもないのですが、私はこういった時に、まわりの子どもが助けてくれるといいと思っています。子どもは困った友だちを助けるのは教師の仕事だと思っています。授業者が、「まわりの人、助けてくれる?」と声をかけるだけで、子ども同士の関係は変わっていきます。
資料から読み取ったことを発表させます。「未就学児童数」という言葉が出てきますが、きちんと定義はしていません。資料を扱う時には、それが何を示しているのかを押さえておく必要があります。未就学児童とは、いくつの子どもを対象にしているのか、未就学とはどういう状況か、こういったことを明確にすることを常に意識してほしいと思います。未就学児童数が6,700万人ということが出てきます。そこに気づけなかった子どももいるはずです。そういった子どもたちは、結果を聞くだけでは、自分で資料を読み取る力をつけることができません。どこに書いてあるかを確認することが必要です。簡単な資料であれば、隣同士でその場所を指さして確認し合うといった方法もあります。また、6,700万人がどれほどの数か子どもたちに実感させる必要もあるでしょう。この市や県の児童数といった身近な数や、世界の児童の人数などを比較として出すとよかったと思います。
学校にいけない理由をヒントとなる写真を見せてグループで考えさせます。写真は「子どもが川をボートで渡っている」「子どもが働いている」「子どものそばに兵士が立っている」の3種類です。学校にいけない理由という条件から子どもは写真の場面を想像しますが、写真から読み取ったことを明確にして、それを根拠に話し合っているグループはそれほど多くはありません。資料(写真)からどんなことがわかるかをまず確認するということを指導する必要があるでしょう。また、授業者はグループで考えをまとめさせようとしましたが、個人が納得する答を持てればそれでいいというように考えてほしいと思います。
子どもたちに学校にいけない理由を発表させますが、授業者は答につながる言葉が出てくるとそれを受けて自分で説明し、用意した理由のカードを写真のところに貼ります。カードが準備されているということは教師が考える正解があるということです。こういうやり方をすべて否定するわけではありませんが、答探しの活動になりやすいことも事実です。
3枚の写真を元に理由が挙げられますが、それを補強するような資料の提示はありません。子どもが就学できない理由、経済の指標、内戦や紛争地帯などの資料を示したいところです。
子どもが学校にいけないとどういうことが起こるか考えさせるために、あらかじめ授業者が用意した、「働けない」「貧しい」「子どもが働く」・・・といった状況が絵で示された負の連鎖のカードを因果の順番に並べる課題にグループで取り組ませます。子どもたちは因果関係を考えますが、これが原因だ、結果だとはっきり言えるものばかりではありません。根拠を明確にできないので考えが収束しにくく、子どもたちのテンションは上がり気味でした。
活動終了後、各グループの結論を黒板に貼り、1グループに発表させました。答を順番に示すだけで根拠は語られないので、他の子どもたちは黒板に貼られた結論を見ることで十分です。集中して聞いてはいませんでした。授業者は、時間がないので1グループで発表を止めて、答はいろいろと考えられるけれど、学校に行けないことでこういうことが起こるとまとめました。子どもたちに何を考えさせたかったのでしょうか。結局、教師の考える負の連鎖の内容をカードから読み取る活動でしかありませんでした。グループで考える活動のように見せていますが、実は教師の考える答を与えているだけなのです。子どもたちは、自分たちが何を考えたのかよくわからないままで授業は終わりました。
また、前半の学校にいけない3つの理由と後半の負の連鎖の関係はあまりありません。唯一、貧しくて働かなければいけないので学校にいけないということが、負の連鎖の一つの例となっているだけです。1時間を通じて社会科として何を考えさせたかったのかがはっきりしない授業になってしまいました。

今回授業を見た7人全員と1時間話す時間をいただきました。皆さん、自分の授業のことでなくても一生懸命話を聞いてくれました。前向きな姿勢です。また、私の指摘を素直に受け止めてくれたのもうれしいことでした。

全体での授業検討会は、全員が指定の授業を見ていなかったことと時間があまりなかったこともあり、「授業規律」「全員参加」「グループ」に関して学校全体で感じた課題を私からお話をしました。
授業規律に関しては、授業開始時に子どもが席についていない学級や遅れてくる子どもが目についたことから、「よい行動を広げる」発想での指導について具体的に話をしました。
全員参加に関しては、わかった子どもだけで授業を進めないためには挙手だけに頼らないこと、「わかった」ではなく「困った」から出発することをお願いしました。
グループに関しては、結論をグループでまとめないこと、「話し合い」ではなく「聞き合い」にすること、グループで考える必然性のある課題とすることなどを話しました。
この日私が授業を見なかったベテランの先生方もよく反応してくださいました。短い時間でどれだけのことが伝わったかはわかりませんが、何かの参考になれば幸いです。

学校全体でユニバーサルデザインの発想で授業をつくることや、算数の授業を6年間の系統を意識したものにすることに取り組んでいます。とてもよい取り組みです。こういった取り組みを活かすためにも基本的なことを大切にして授業を進めていただけたらと思います。
今年度は、来年の1月にもう一度訪問させていただきます。学校全体がどのように変わるかとても楽しみです。

多くのことに気づけた授業参観(その1)

先日、小学校で授業研究と若手6人の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

1年生の算数の授業は、引き算の学習でした。
授業者は子どもをよく見て授業を進めています。指示も「待ってあげよう」と全員がそろうまでちゃんと待って徹底を図っています。
この日の授業は、数の「違い」の学習の最初の時間です。この時間ではどれだけ多いかを考え、次の時間で2数の「差」を「違い」として認識します。授業者はこの時間のめあてを、違いを考えることにしました。2枚の絵を順番に見せて、2種類のカエルの数の違いに気づかせて進めます。気づいたことを言わせるのですが、めあての「違い」という言葉に引きずられて、絵の違いについての発言が続きます。「数の違い(差)」という算数の用語が定義されていないので、子どもたちは日常の言葉としての「違い」に意識がいってしまったのです。教科書は、どれだけ多いということを押さえてから、数の違いを定義していきます。算数では日常の言葉と同じ言葉を用語として使います。そのおかげで概念がわかりやすいこともあるのですが、かえって混乱することもあります。このことに十分注意して、用語の定義をしていかなければいけません。この時間のめあてはあくまでも、どれだけ多いか考えることにするべきだったと思います。
授業者は、ていねいに子どもの言葉を聞きながら授業を進めますが、その言葉を他の子どもにつなぎません。そのため、その間どうしても子どもが集中力を失くしてテンポが悪くなります。子どもの発言をいつも授業者が受けるのではなく、「今の意見どう?」と他の子どもにつなぐこともすると、子どもの集中力が切れずにテンポがよくなっていくと思います。
子どもをほめることもできています。算数的なよさを具体的に評価してほめることを意識することで、子どもたちの学習意欲がより高まると思います。

6年生の保健の授業は生活習慣を考えさせるものでした。
明るい表情で楽しく授業を進めています。糖分の取りすぎを考えさせるために、ペットボトル飲料やお菓子の糖分についてクイズ形式でたずねていきます。これは知識ですので、あまり考える時間を取っても意味はありません。無責任に参加できますからテンションも上がります。興味を持たせることができれば、何問もやる必要はありません。テンポよく進めて、必要な情報を整理して与え、その知識をもとに考えさせることにもっと時間を使うとよいでしょう。生活習慣に関して、子どもたちにどのようなことに気をつけるかを考えさせましたが、このクイズに関連した食生活に関することはあまり出ませんでした。クイズで盛り上がることとその内容が知識として定着して活用されるかはまた別のようでした。
授業者は子どもを見ることをあまり強く意識していないようでした。机間指導もなんとなく回っているだけで、何を見ようとしているのかがよくわかりませんでした。子どもたちの発言中も他の子どもを見ることはしません。一問一答形式です。どの子どもにつなごうかという意識がないからでしょう。そのため、発言する子どもだけで授業が進んでいきます。子どもたちへの接し方など、とてもよいものを持っているので、少し意識を変えるだけで大きく進歩すると思います。

5年生の道徳の授業は、自由と自律について考えるものでした。
授業者の話を聞いていない子どもが目立ったことが気になります。授業者も子どもたち一人ひとりと目を合わせていません。また、子どもに問いかけて賛成か反対か反応を求める場面では、なかなか全員が参加しません。反応しない子どもがいてもそのまま進んでいくことが気になりました。
最初に1分間、5年生になってからの自分の生活を振り返らせ、横1列を順番に指名していきました。子どもたちは他の子どもの発表をあまり真剣に聞いていません。せめて「同じようなことを考えた人」と問いかけるだけでも、子どもの聞こうとする気持ちは高まったと思います。続いて、「自由と自律について考えよう」とめあてを出しますが、唐突です。最初の発問とのつながりがわかりません。めあてとつながる、必然性のある導入を考える必要があります。
自由について子どもに書かせて発表させますが、子どもたちはあまり挙手しようとはしません。書いているのに発表しようとしないことはどういうことかを考える必要があります。道徳では正解不正解はないはずです。間違って恥をかく心配はありません。それなのに、挙手しないというのは発表することに価値を感じていないということです。発言を他者へとのつながりで評価することが必要になると思います。
ゲームをやっている子どもに対してお母さんが何か言っている絵を見せて、自由についてグループで話し合わせます。この種のことをグループで話し合わせ結論を出そうというのは、子どもの本音が出ないので、形だけのものになります。子どもの本音を引き出すような課題にすることが大切です。子どもたちに、「ゲームをもっとやりたいと思ったことがないか?」といった問いかけをして、「その時、どうした?」「その理由は?」といったことを共有させる。注意をしたお母さんの気持ちを考えさせて、その時注意された方はその気持ちをわかっているかといったことを聞く。こういった子どもに迫る活動をした上で、考えさせることが必要でしょう。

3年生の理科の授業は、昆虫の体のつくりの観察の授業でした。
子どもにわかったかを確認する場面で、「はーい」と答えたのは4分の1ほどでした。授業者はそのまま進めていきます。こういうことが続くと、子どもは自分が参加する必要はないと感じるようになります。全員の参加を求める姿勢が大切になります。反応しない子どもに、どこで納得できていない確認したり、返事をした子どもに説明させたりすることが求められます。
ケースに入れたショウリョウバッタをグループに一匹ずつ与えて、観察をさせます。頭、胴、足に分かれているか、翅は何枚かといったことが視点になります。頭と胴はどう区別するのかといった定義にあたる部分が明確になっていません。そのため子どもたちは何となく観察しています。グループでかかわるべき課題が明確にあるわけではありませんから、自分の観察が終わった子どもたちは集中力を失くしていきます。結果を図で確認しますが、せっかく実物を準備しているのですから、実物を元に説明したいところです。ここで活躍するのが実物投影装置です。ショウリョウバッタを写して、適当な画面を記録し拡大したもので、具体的にどこが頭でどこが胴か、足はどこから出ているなどを確認するのです。こうすることで、なんとなく観察の結果を知識として覚えるものだと思っている子どもも、どこが頭で、どこが胴か自分の目で理解、確認しようとするはずです。実物を準備したのですから、最後まで実物にこだわりたかったところです。
翅が2枚か、4枚かで子どもの意見が分かれました。この時期のバッタは幼体なので、翅が完全には発達していません。授業者は、結論を避けました。観察を重視すれば2枚という結論になるかもしれません。ここで、4枚という子どもに根拠を言わせればよかったと思います。本当に見えているのか、知識として知っていっているのかを明確にすることで、対応を変えればいいのです。本当に見えているのであれば、それを元に4枚という結論を導くことができます。知識として知っているのであれば、成虫の写真かビデオを見せて確認すればいいのです。こうすることで昆虫の不完全変態について知識を得ることもでき、学びが深まったのではないかと思います。
うしろ脚について、地面をける、跳ねるといった言葉が出てきました。それで、教師が結論づけてしまうと気づかなかった子どもはそのことを覚えるしかありません。気づけなかった子どもが気づける場面をつくることが大切です。これも、実際に実物投影機で見せるか、その場でビデオを撮ってスローモーションで見せるといったことをしたいところです。子どもたちに観察した結果を教えるのではなく、観察の仕方、視点を身につけさせることを大切にしたいところです。

先生方は、今回の授業アドバイスにあたっていろいろと工夫をした授業に挑戦してくれていました。そのおかげで私もたくさんのことに気づけました。
残り2人の授業と授業研究については明日の日記で。

小規模校で保護者向けの講演

先日、昨年度まで2年間訪問させていただいた小学校で、保護者向けの講演を行ってきました。山の中の小規模校です。40名余りの児童の保護者が全員参加されました。普通の規模の学校では考えられないことです。学校、子どもへの関心の高さのあらわれだと思います。「小規模校の保護者としての子育てについて」という演題で話をさせていただきました。

小規模校だからといって、子育てが大きく変わるわけではありませんが、1人の子どもに対して教師を含め大人たちがかかわりすぎる傾向があることは注意を要します。特に学校では、個別に対応をする時間を確保しやすいので個別指導に頼りやすくなります。このことや子どもの絶対数が少ないことが原因で、子ども同士のかかわり合いが少ない傾向があります。また、困った時に教師や大人が個別に対応してくれることに慣れてしまい、個人や友だちと相談して解決する力も弱くなりがちです。この学校で初めて授業を見た時に、教師が個別に指導している間、子どもたちが手のつかない状態でじっと順番が来るのを待っていたことが、印象深く思い出されます。先生方が意識をされたので、昨年はずいぶん様子変わってきていましたが、常に気をつけていてほしいことです。このことは家庭でも同様です。子どもを王様にしないこと、家族の一員としてしっかりと役割を持たせてほしいことを強くお願いしました。
また、条件付きで子どもを認めることをしないことも合わせてお願いしました。「あなたがいい子だからうれしい」「勉強でよい成績をとったから、○○を買ってあげる」といった接し方をすると、自分はいい子だから、勉強でよい成績をとったら認めてもらえると思うようになってきます。このことが、「いい子でいろ」「よい成績をとれ」というプレッシャーとなって子どもを苦しめるようになっていくのです。無条件に「あなたがいてくれてうれしい」「あなたが私の子どもでよかった」というメッセージを発し続けてほしいのです。

また、中学校に行くと規模が大きくなりますから、友だちとのかかわりの様相も大きく変わってきます。小規模校の子どもたちはこの差が大きいため、中一ギャップの問題も起きやすくなります。友だち関係の基盤が弱いため、新しい人間関係をうまくつくれなかった時に支えきれないのです。少なくとも、家庭だけは子どもの居場所になっていないと、どこにも行き場がなくなってしまいます。家庭内で自己有用感を持たせることがとても大切になるのです。

最後に、子どもたちとネットの問題についての資料をお渡しして、よく読んでいただくようにお願いしました。人間関係でもまれていないだけに、子ども同士のトラブルも起きやすいでしょうし、日ごろ大人に依存しているだけに、ネットの向こう側にいる大人の悪意に気づけない可能性が高いことが心配されます。ネットのトラブルはほとんどが使い始めて1年以内に起こっています。まだ先のことだとのんびり構えずに、小学生の内から対応を考えてほしいと思います。

保護者だけでなく、手の空いている先生方も参加して熱心に聞いていただけました。少しでも皆さんのお役に立つことができたのであれば幸いです。

講演後、今年度赴任された校長と、教頭を交えていろいろと授業について話をする時間をいただけました。授業改善に対して意欲的な先生方から、とてもよい刺激をいただきました。ありがとうございました。また、機会があればぜひ子どもたちの姿を見せていただきたいと思います。

次のステップに挑戦すべき時が来た授業

昨日の日記の続きです。

授業研究は5年生の算数、単元は「同じものに目をつけて」で、TTでの授業です。
授業規律はとてもよい状態です。指示に対して子どもたちはとても素早く行動します。授業者はきちんと全員ができているかを確認しています。しかし、子どもたちを特にほめることはしません。その代り笑顔で子どもたちと目を合わせます。既に授業規律を教室に浸透させる段階は終わっているということです。笑顔で目を合わせる、うなずくだけで大丈夫な状態になっています。

この日授業のめあて、「同じものに目をつけて考えよう」を示し、問題文を読んで把握させます。かごとりんご7個の代金とかごとりんご5個の代金から、それぞれの値段を求める問題ですが、わかっているもの、求めるものを子どもたちに確認します。説明は最小限にして、何人も指名して全員がしっかり把握できるようにしています。
線分図を書くことを指示します。かごとりんご7個の線分図をT2が板書した後、かごとりんご5個の線分図をノートに書くように指示します。この時、線分図を書くポイント、「端をそろえる」「1個分の長さを同じにする」をはっきりと伝えました。
ここまでの展開は、教科書通りにきちんと流れています。事前に何度も模擬授業をやったそうです。その際に、教師の話す言葉もしっかり検討したことがわかります。ムダな言葉がほとんどなく、最小限で済ませているからです。これは何度も検討しないとなかなかできることではありません。教科書を教える授業の流れとしては、素晴らしいものになっていました。まだ3年目ですが、ここまでできていることは称賛に値します。もう次のステップを目指してもいい段階に来ていると思いました。
具体的には、まずめあてですが、「同じものに目をつける」というのは、算数の視点、考え方です。これを最初に提示するのではなく、子どもたちからその視点を引き出すのです。引き出した時点でその算数的な価値づけを行い、めあてを提示して適用題に移るのです。線分図も書くことをこちらから指示するのではなく、「このような問題を考える時に、今までどんなことをやった?」と過去の経験から、線分図やテープ図を使うことを子どもたちから出させるようにします。もちろん書く時のポイントも子どもたちから出させます。
子どもたちから言葉を引き出す力はついてきていると思います。教師の指示で子どもが活動するのではなく、子ども自身で考えて活動できるようにレベルアップを目指してほしいと思います。

子どもたちは線分図にすぐに取りかかります。T1、T2共にすかさず机間指導に入りました。ちょっと早すぎます。手がつかないと予測される子どものところに行くのならわかるのですが、そうでなければ、まず全体の様子を確認する必要があります。子どもたちが課題を把握しているか、見通しが持てなくて動けない子はいないかを確認して、その状況によって、作業を止めさせて再度説明をするのか、手のついていない子どものところへまず行くのかといった判断をするのです。机間指導では、ちょっと教えすぎの感があります。できているところまでを部分肯定し、簡潔な言葉で指示やヒントを与え、時間をかけないようにするべきです。どのような言葉かけをすればよいかは事前に検討されていたように見えましたが、端的な言葉で言えるようにはなっていませんでした。また、まわりの子どもに聞いてもいいよ」と一言添えてもよかったかもしれません。この学級の子どもたちであれば、互いに聞き合うことは問題なくできるでしょう。

線分図を見ながら、めあてに注目させて、同じもの違うものを確認します。ここは、先ほども述べたように、子どもたちから考えを出させたい場面です。「2つのものがあった時に、どうする?」「比べる」「比べるって、どんなことを見つけるの?」「同じもの」「違うもの」といったやり取りを子どもとして、「じゃあ、この線分図ではどこが同じで、どこが違う?」と問いかけ、同じもの、違うものは何を表わしているのかを子どもから引き出すのです。
授業は、違うものがりんご2個分の値段になっていることを押さえて、自力解決に移りました。その後、ペアで自分の考えを図や線分図を使って説明し合います。どのペアも体を相手の方に向け、指で自分の線分図を指しながら説明をしていました。互いにしっかり聞き合えているようです。相手の考えを聞いて納得すれば、自分の考えに付け加えてもよいとしていることも、影響しているのでしょう。

全体の発表では、意図的に指名をしています。子どもをつなぎながら全体に共有する時間を取ります。発表に対してしっかり受容し、ありがとうといった言葉も忘れません。子どもたちは、全員しっかりと発言者の方に体を向けますが、線分図を使う説明なので、どうしてもそちらが気になります。子どもの視線は黒板の線分図と発言者とで奪い合いになります。自分から線分図を使っていいか授業者に確認して、前で説明する子どもがいました。最初からこうした方がよかったかもしれません。視線の奪い合いという意味では、T2の板書のタイミングも問題になります。これについても、相当に打ち合わせをしていたようです。そのせいでT2にプレッシャーがかかったのでしょうか、異常に緊張していました。子どもの発言が終わってから書くようにしていたのですが、発言中に書き始めてしまうことがありました。視線を奪い合うことになるのですが、すぐに発言者の方に視線が戻りました。子どもたちは話を聞いているので、板書を見る必要がなかったのでしょう。子どもたちが育っていることを感じました。
子どもたちの発言をつないでいると、言葉が足されていくことがあります。こういった場合には、そのことを指摘して評価してほしいと思います。これに限らず、子どもの発言を受容するのですが、算数的な評価がありません。発言のどこがよかった、考え方のどこに価値があるかを評価するのです。子どもたち自身で評価できることが理想ですが、最初のうちは授業者が行ってもよいでしょう。また、ある程度発言が集約された時点で、全体でその価値を話し合ってもよいでしょう。今は、先生や友だちにしっかり聞いてもらえることが評価であり、そのことが自己有用感につながっています。これを、算数的な価値の評価によるものに変えていくことが次の課題でしょう。

基本が押さえられ、できていることがたくさんある授業だからこそ、次のステップへの課題が明確になってきたと思います。授業規律がしっかり確立し、子どもたちが集中して取り組んでくれるようになると、授業は楽しくなります。これでよしとするのか、もう一歩進んで子どもたちに力をつける授業に挑戦していくのか、授業者の心根が問われる時が来たようです。この学校には年齢の近い仲間が何人かいます。今回の授業に際しても、授業づくりを一緒に行っています。彼らにも同様に問われていることです。互いに学びあいながら次のステップを目指してくれることを信じています。

検討会はいつものように、グループによるものです。どのグループも授業規律のよさや同じ説明を子どもが何度もすることのよさを取り上げていました。先生方は、子どもたち一人ひとりをよく観察しています。ペア活動で、途中で苦しくなったペアがいたことも報告されました。全体でのペアの動きのよさに注目すると同時にこういった個をしっかり見ることができていることに感心しました。また、特定の子どもが何度も指名されたことも指摘されました。下位の子どもです。こういった子どもが答えられそうな場面で積極的に活躍させようとした結果です。よく気づいたと思います。
検討を通じて、授業のよい点や課題などがより明確になり、深まっていきます。よい授業だからこそ、よかったことだけでなく、深いところでの疑問や課題が浮かび上がってくるような検討会になっていました。検討会の質も上がってきていると感じました。

毎回どのような授業に出会えるか楽しみな学校になってきました。秋には私が授業をしますと、報告に来てくれた若手もいます。今回の授業を一緒につくった仲間の一人です。今回の授業の課題を共有して、その回答を見せてくれることと思います。毎回よい刺激と学びをいただけることに感謝です。

小学校の授業参観

先週は、小学校の現職教育に参加しました。訪問するようになって今年で3年目です。若手がどのように伸びているか、ベテランがどのような変化をしているかとても楽しみでした。

授業研究に先立って2時限、新しく異動された方を中心に授業を参観しました。
1年生は講師の方が担任でした。チャイムが鳴る中、子どもが2人足早に歩いてきます。廊下を走ってはいけないことを意識しているのです。席につこうとしている時に、授業者はチャイムが鳴り終わるまでに席につかなければいけないことを全体に注意します。子どもをチェックする目で見ていることが気になります。子どもは頑張って間に合うように行動しました。ここは「間に合ってよかったね」と笑顔で喜んであげることが大切です。
黒板に向かって板書をしている時に、子どもたちのしゃべり声が聞こえてきました。授業者は振り返らず「おしゃべりはいかん」と言いました。それよりも、振り返ってしゃべっている子どもと笑顔で目を合わせ、口を閉じるのを待って「気がついてくれて、うれしい」とほめたいところです。また、子どもの発言に対しても評価がありません。まずは、子どもをポジティブに評価して、よい行動を増やすようにしてほしいと思います。

特別支援の先生は、ベテランの方です。非常にまじめな方で、3人の子どもたち一人ひとりにこうなってほしいという目標を達成しようと一生懸命です。1人の指導を終えると、次の子どもと休む暇がありません。支援をちょっと我慢し、「5問やってみよう」といった指示をしてしばらく様子を見ているというように、直接かかわる時間を少し減らしてもいいように思います。
目標をスモールステップで刻んで、できたことを一つずつ小刻みに評価することも意識するとよいと思いました。できることを何回もやらせて自信をつけさせ、新しいことを学習する時はステップをできるだけ小さくし、ほめる場面を増やすようにするのです。ペアレントトレーニングの発想を活かすとよいと思います。

初任者は4年生の担任で、算数のグラフの授業でした。
「わかりやすくするためにはどうすればいい?」と問いかける場面がありました。これはとてもわかりにくい発問です。資料から何がわかるといいのかという視点が必要です。このことは、社会科の資料の活用にもつながることです。ここを押さえておかなければ、「わかりやすい」を考えることができません。考えるために必要なことは何かを意識する必要があります。
ペア活動をうまく活用していました。子どもたちは友だちとかかわることが上手にできます。しかし、「わかった人」と聞いて、発言者と授業者の2人だけの一問一答で進んでいくので、参加できない子どもの集中力が落ちていきます。また、子どもの発言に対して評価がないことも気になります。せっかく子どもが頑張って説明しても、そのあとすぐに授業者が説明してしまいます。子どもたちの言葉を活かすことができていませんでした。
初任者ですので仕方のないことばかりです。初任者指導の先生ともお話しする機会がありましたが、授業の課題もよく理解しておられました。この方に指導していただければきっとよくなっていくことと思います。

ベテランの3年生の担任は、素直でとても前向きな方です。この2年間でずいぶん授業によい変化がでてきました。アドバイスしたことをきちんと実行されています。笑顔で子どもたちを受容し、常にポジティブに評価しています。しかし、一部の子どもがなかなかうまく参加してくれません。全くやる気がないわけではないのですが、集中力が続かないのです。そのことを授業者は気にしているようです。注意をするのではなく、他の子どもの発言をその子につなごうとするなど何とか参加させようとしているのですが、なかなかうまくいかないようです。授業者は自ら授業を見てほしいと申し出られたそうです。その理由がわかりました。
集中できない子どもも、他の子どもが反応した時などは一時的に集中します。そこで、他の子どもとかかわる場面を増やすという方法が考えられます。具体的には、挙手で進める前にペアやまわりと相談させるのです。今は授業全体で教師がコントロールする時間が多いのですが、少しそれを控えて子ども同士でかかわる時間を増やすのです。グループ活動も有効だと思います。前向きな先生なので。きっといろいろと挑戦されるでしょう。上手くいくという保証はありませんが、やってみることでわかることがきっとたくさんあるはずです。次回の訪問時にどのような変化があるかとても楽しみです。

2年生の担任は、4年目の先生です。いつも笑顔で子どもたちに接することを意識されています。子どもたちも落ち着いていて、授業者との関係もよさそうです。指示もきちんと通るまで待とうとしているのですが、全員ができていることを確認しないままに進める場面もありました。このことは、気をつける必要があります。
机間指導の時に、まわりを見ることができていました。これはとても大切なことです。常に教室全体の様子を把握しておくことが重要です。必要な子どもに素早く支援をするためにも、このことは意識してほしいと思います。また、作業が終わった子どもに対する次の指示がありませんでした。どうしても子どもの集中力が切れてしまいます。事前にこうなることを予測して、活動前に次の指示をしておくことが大切です。
子どもの発言をしっかり聞いて、受容することはできていますが、まだ発言者と1対1になってしまいます。まわりの子どもを見てつなぐことを意識してほしいと思います。

もう1人の2年生の担任は、今年異動して来られた7年目の先生でした。柔らかい、受容的な雰囲気のある方です。
子どもが受け身の状態で集中力がなくなった場面がありました。その時に、全員に手を挙げさせ、その手を大きく動かせました。子どもの集中が戻り、反応の声も大きくなりました。いろいろな授業技術を持っていることがわかります。
にこやかな表情でとても上手に子どもを受容しますが、評価がありません。子どもの発言を聞こえているか問いかけたりもしますが、具体的な確認はしません。もっと子どもに対して反応を求めるとよいと思います。
全体的に子どもの活動量の少なさが気になりました。ゆったりと丁寧に進んでいくのですが、基本的に一問一答形式なので、子どもが参加できない時間が多いように思います。集中力がなくなる理由です。先ほどの体を動かして集中力を取りもどさせることも悪くはないのですが、学習活動そのものでなんとかすべきでしょう。確認の場面などはテンポアップをすること、同じ意見の子どもをつなぐこと、ペアで確認する活動を入れることなどをして活動量を増やしたいところです。
また、活動に子ども自身で評価できる目標を与えることも重要です。子ども自身が「できた」「やった」と思うことを大切にしてほしいと思います。
子どもを受容することがきちんとできている方です。この学校の授業スタイルにあっているので、他の先生の授業から学ぶことで、すぐによい方向に変わると思います。
この授業には学習支援員が入っているのですが、支援を必要とする子どもとの関係が気になりました。支援員は困っている子を教えようとするのです。このことが「わかれ」という圧力なっています。子どもの体が支援員から逃げようとします。どこで困っているのか、どうすればいいのか一緒に考えるという、寄りそう姿勢が求められます。このことに気づいてほしいと思いました。

今年度から新しい教務主任の方が異動されてきましたが、とても明るく前向きな方です。自分も勉強しようという意欲を感じます。今まで以上に先生方の学び合いを進めてくれることと思います。

授業研究は、昨年度にとても素晴らしい授業を見せてくれた若手が引き続き挑戦してくれました。熱心な姿勢に頭が下がります。この授業研究については明日の日記で。

私立の中高等学校で授業参観

先週、私立の中高等学校へ授業参観に出かけました。この学校の今後の授業評価の進め方の参考にするためです。校長とともに1時限目から2時間学校全体の様子を参観させていただきました。

印象的だったのが、授業者によって子どもたちの学習に対する集中度が変わることと、授業者との人間関係が上手く作られていない学級が目立ったことです。1時限目は子どもたちが一番集中しやすい時だと思いますが、それにもかかわらずやる気を失くしている子どもが目立つのが気になりました。しかし、私には子どもたちの問題よりも授業者の姿勢の方に問題があるように思えました。子どもたちの可能性をあまり信じていないように感じたのです。子どもたちは理解できるはずだ、きっとできるようになるはずだというエネルギーが授業から伝わってこないのです。とりあえず説明はした、やるべきことはやっているという、アリバイ作りをしているようしか見えないのです。

子どもたちは大きく3つのコースに分かれるのですが、それぞれに学習の姿勢に特徴があるのも興味深い事実でした。中学校からそのまま上がってきた子どもたちは、教師とよい人間関係ができています。学習に対して前向きで、よい表情で授業者の話を集中して聞いています。特別進学コースの子どもたちは、授業には参加しているのですが、授業者の説明よりは板書を優先する傾向があります。基本的に必要な情報だけを得ようとする消費者的な態度が気になります。一般のコースの子どもたちは、素直ですが授業者との関係や授業の進め方、その内容で学習に対する姿勢が大きく変わるようでした。学習のプリントなどやるべき課題が明確であれば集中して取り組む姿勢を見せてくれます。授業者の工夫の余地が大きいように思います。

ある学級で面白い場面にであいました。授業者が所用で教室を離れていた時に子どもたちが集中して問題に取り組んでいたのですが、戻ってくるとその集中が急に落ちてしまったのです。どう解釈していいか悩みますが、普通では起きにくいことです。

授業の進め方に共通していたのは、授業者の一方的な説明と板書に終始することです。子どもたちが活躍する場面が非常に少ないのです。授業者と子ども、子ども同士がかかわる場面も非常にまれです。子どもたちは、教師の説明を聞けばわかるようになるという実感をあまり持っていないようです。説明を聞くよりも板書を写すことを優先します。中には、試験に出るからと点数で子どもを釣るような方もいらっしゃいました。

以前に行われた授業に対するアンケート評価の結果と比べると実際の方がよくない状態に見えます。今回たまたま評価の高い実力のある方の多くが出張だったこともその原因の一つかもしれません。ただ、無記名のアンケートでこのように感じるということは、子どもたちが先生方に気を使っているのかもしれませんし、逆に期待をしていないことの現れかもしれません。

先生方の授業の実態について校長はとてもよく把握し理解しておられました。しかし、具体的にどのような手立てを取ればよいかに悩まれているようでした。
学年が上がるにつれて子どもの状態がよくないと感じます。先生方が子どもたちを育てていないという証拠です。ということは、しっかりと育てれば大きく伸びるということです。子どもたちの伸び代はとても大きいのです。先生方がこの可能性を信じることが大切だと思います。
これから校長はじめ先生方と一緒に、どう子どもたちを育てていくか、どう授業を魅力的なものに変えていくかを考えていきたいと思います。

「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第3回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく、手軽に授業改善をしよう」の第3回「失敗を前提としたプチ授業研究」が公開されました。

ぜひご一読ください。

授業技術について講演

先週、市主催の研修で講演を行ってきました。今年の1月に小中学校の管理職向けに研修を行ったのですが、その際具体的な授業技術について時間の関係で話ができませんでした。そこで、今回は市内の小中学校の若手と若手を指導する立場の方を対象に日々の授業技術について話をしました。

ちょっと暑い平日の午後でしたので、開始前からお疲れ気味の方がやや目立ちました。個々の授業技術について説明する前に、目指す子どもの姿について話しましたが、どうも空気が重いようです。「自ら考える子ども」「自己有用感を持つ子ども」といった言葉が陳腐に聞こえたのかもしれません。
授業を考える視点として、「安心して暮らせる学級・教室をつくる」「子どもを受け身にさせない」「子どもの言葉で授業をつくる」「考えるためには課題が大切である」の4つを挙げ、それぞれについて解説をしました。
続いて、授業技術やそのポイントについて具体的な場面を基にお話ししましたが、このあたりから参加者の反応がよくなってきました。具体的な話でないとなかなか関心を持っていただけないことがよくわかります。いつも話していることですが、まず笑顔の大切さ、話すことよりも聞く姿勢の大切さを強く訴えました。また、今回は最近特に強く感じている「全員参加」の授業の大切さについて具体的に詳しく話をしました。個人追究の後、「わかった人」「できた人」と問いかけ、挙手した子どもを指名して進める、参加できる子どもだけで進む授業によく出会うからです。この市での実際の授業の様子は残念ながらまだ見る機会がないため、そんなことはないのかもしれませんが、先生方の反応を見ているとあながち的外れではなかったように思いました。

最後の質問の時間に、ある学校の管理職の方が最近は学力向上の話が多いが、今回のような授業論は久々で期待した以上だったと感想を発表してくださいました。社交辞令かもしれませんが、機会があれば自校の授業を見てほしいと、とてもうれしい言葉をいただけました。
担当の指導主事の方に、現場での授業研究に参加できる機会をいただけるようにお願いしています。新しい地域で授業を見せていただくと本当に学ぶことがたくさんあります。なかなか実現しないのですが、何とか秋には調整がつくことを期待しています。

小規模校の共通の課題を感じる

先週、昨年2つの小学校が合併した小規模校の現職教育に参加してきました。初めて訪問する学校です。ベテランの研究授業と授業検討会の前に、初任者の授業を1時限、その他の4人の先生の授業を1時限参観しました。

全体的に共通するのが、挙手する子ども、参加する子どもだけで授業が進んでいることです。一問一答形式で、一人の子どもが発言すると教師が説明し、「他には?」と聞いていきます。子どもたちは友だちの発言中は、自分の出番がないと集中力を切らします。発言をしっかり聞いている子どもが少ないのです。また、子どもの活動に対する目標や評価基準がはっきりしません。ただ活動しているのです。当然子どもは活動に対して、自己評価もできませんし、授業者からほめられることもありません。子どもたちが受け身に見える理由が、ここにあるように思います。

初任者は4年生の担任で、国語の授業を参観しました。
順番に音読する場面でのことでした。まだしばらく自分の順番が来ないと思って気を抜いている子どもがいます。また、読みにつまった子どもがいてもだれも助けようとはしません。授業者が助けると思っているので、余計な手出しはしないのでしょう。友だちが音読している時に、どのようなことを意識するのかきちんと指導されていないようです。漢字の読みを確認する。友だちが困っていたら助ける。友だちの読み方のよいところを評価するといったことをいつも意識させるようにしてほしいと思います。
今回の本読みは、主人公の気持ちが大きく変化したところを読み取るという目標がありました。本読みが終わったあとすぐに挙手を求めます。子どもたちは鉛筆で印をつけているわけでもありません。自分の考えを整理する時間が必要なはずです。手を挙げたのは1人だけでした。それでもすぐに指名します。発言者は発表の後「どうですか?」と聞きます。結論を言っただけで、根拠についてまだ何も話し合っていません。これでいいかどうかをたずねてもあまり意味はありません。変化を問うのであれば、その前後で何がどう変わったかを合わせて聞く必要があります。
挙手による発言が続きます。何人かの子どもの意見を板書した後、意見を2つに分けることができると言って子どもたちにその視点を問います。あまりにも唐突です。せめて子どもに考える時間を与えてほしいのですが、すぐに挙手をさせて指名しました。指名した子どもの答が授業者の期待するものだったので、そのまますぐに意見を分類する作業に入ります。ほとんどの子どもたちは、ただ指示に従って作業をするだけでした。根拠を明確にすることもなく、どちらが大きく変化したかを結論づけました。この間5、6人だけで授業が進んでいきました。授業者は常に発表者と2人だけの世界に入ってしまいます。他の子どもに目が向きません。子どもの発言の中で自分に都合のよい言葉だけを拾っていきます。また、子どもの発言をポジティブに評価することがほとんどありませんでした。
主課題は、主人公の気持ちが大きく変化した理由を考えるのですが、そのワークシートには「体にからみついていたいろんな思い」がどうして変わったのだろうと印刷されています。こうして答があらかじめ用意されているのだと知れば、子どもたちは教師の求める答探しをするようになります。せめて「」の中は自分たちで出した結論を書きこむようにしてほしいと思います。
友だちの意見に対して、「ちょっと違う」とつぶやいた子どもがいました。こういう言葉を拾ってつなぐことで考えが深まります。しかし、授業者は拾うことができませんでした。また、発言の中で「どこかで聞いたけれど、・・・」と本文のどの部分かを指摘できないのですが、一生懸命に理由を言ってくれる子どもがいました。どこかで聞いたというのは、以前の授業で学習したという意味でしょう。まわりの子どもたちに、どこで学習したかを確認して助けてほしいところですが、子どもたちをつなぐことができませんでした。子どもに発言させるのですが、単発の発言が続くだけで、結局最後は先生の言葉でまとめてしまいました。
初任者ですので多くを求めるわけにはいきません。笑顔と子どもたちの外化をポジティブに評価することをお願いしました。

授業研究はベテランの先生でした。2年生の国語、がまくんとかえるくんの話、「お手紙」の授業です。
授業者はとても柔らかい雰囲気で授業を進めます。常に子どもに語りかける口調です。「いい声だねぇ」「えらいね」「手の挙げ方がいいね」と、とにかく子どものよいところをたくさんほめ、理由の説明では「からをつけるといいね」と上手に修正もしています。指示も全員ができるまできちんと待ち、個別に「そうそう」ときちんとできているかの確認もしています。若い先生の手本になる子どもとの接し方です。
発問がよく理解できずに、子どもたちの集中力が落ちる場面がありました。そこで授業者は、その活動を早めに切り上げ、次に予定していた動きのある活動に早目に切りかえました。子どもをよく見ています。がまくん、かえるくん、地の文と分担しての音読を2つのグループに分かれてさせます。「それぞれの気持ちの変化がわかるように読む」という目標もはっきりしています。子どもたちは、動きもつけて一生懸命練習していました。「親愛なる」が上手く読めない子どもがいました。しかし、同じグループの子どもは助けません。結局授業者が助けました。こういった場面をいくつかの授業で見ると、どうも気になってしまいます。結論づけるのは早いかもしれませんが、教師が子どもにかかわりすぎるために、子ども同士のかかわりが弱くなっているように思います。
互いの音読を発表し合います。大きな声で発表できているかを視点として与えますが、事前の目標である「気持ちの変化がわかるように読む」ということは確認しませんでした。子どもたちは拍手をしますが、授業者は固有名詞でよいところをほめて、個別に何度も拍手をさせます。子どもたちのよいところ見つけてほめることがとても上手ですが、本来の活動の目標についても、きちんと評価したいところです。
授業者は一人ひとりときちんと受け答えをしているのですが、どうしてもその子どもとだけで終わってしまいます。その間、他の子どもは自分には関係ないという顔をしています。どうやら、子ども同士をかかわらせることを意識することが、小規模校では共通して課題になるようです。
かえるくんの手紙ががまくんにどのように受け止められたかを考えるのに、授業者への同僚からの遊ぼうという誘いの手紙を用意して、比較させました。面白い試みです。かえるくんの手紙と比べると、フランクなものでした。授業者は、かえるくんの手紙の「親愛なる」「親友」「友だちであることをうれしくおもっている」といった言葉に注目させるためにこの手紙を準備したようです。子どもからは、かえるくんの手紙が「長い」という意見が出てきました。たしかに、授業者の用意した手紙は短いものでした。授業者は「たしかに長いよな」としっかり受容します。予定外の反応でも、しっかり受容できていました。
「親愛」や「親友」について意識させたところで、辞書を引いて見せます。言葉の意味を辞書で調べるという国語の基本的な学習手段を教えること自体はとてもよいことです。しかし、最初に本文を読んだ時点で押さえてあるはずのことです。ここは、子どもに確認をすべきだったと思いました。
このような手紙を「めちゃほしい」と言ってくれる子どもがいましたが、そこで終わりました。他の子どもに、「みんなはどう」「○○さんはほしい」というようにつなげたいところでした。この後、授業者はまとめを意識したのか、子どもの発言に対して自分の言葉をつけ足したり、表現を変えたりしました。この授業者であれば子どもの言葉でまとめることができたと思います。ちょっと残念でした。とはいえ、全体としてとても安心して見ていられる授業でした。
授業者はベテランですが、素直で向上心の強い方です。アドバイスをとても前向きに受け止めてくれました。授業が上手くなるのに年齢は関係ありません。次回の訪問時にはきっと大きく進歩していることと思います。

授業検討会は3シーン授業検討法で行われました。気づいたことを書いた付箋を指導案に貼ってもらい、その数の多かったところをもとに検討を行います。今回が初めていうことで私が進行を手伝ったのですが、かえって出過ぎてしまいました。選ばれたシーンはなるほどと思える場面です。最後に予定されていた私の指導で話をしたかった場面とかなり一致していました。ビデオはしっかり子どもをとらえていたので、とても多くのことがわかります。そのため、ついついリアルタイムで解説してしまったのです。3シーン授業検討法のよさを理解してもらうためには、先生方からもっと意見を引き出し、つないでいかなければいけなかったのです。申し訳ないことをしてしまいました。しかし、ビデオで振り返ることのよさだけは伝えることができたのではないかと思います。

管理職も教務主任も、授業改善にとても前向きな方々でした。小規模校で起こりがちな、先生が個別に子どもを指導しすぎるという問題点についても理解していただけたのではないかと思います。子ども一人ひとりに目が届くよさを活かしたうえで、子ども同士のかかわり合いをつくりだすことを意識していただければ、きっとよい方向に変化していくことと思います。次回は10月に訪問の予定ですが、子ども同士のかかわる場面をたくさん見ることができるのではないかと期待しています。

研究会で刺激を受ける

先週末は、愛される学校づくり研究会に参加してきました。前半はICTを活用した授業研究、後半は新城市教育委員会教育長和田守功先生の講話でした。

ICTを活用した授業研究は、今年2月の愛される学校づくりフォーラムで使った機器を利用して模擬授業で行いました。教材は中学校数学の「17段目の秘密」です。子ども役の大人でも「あれっ」と考えていしまう教材です。授業者はていねいに指示をして進めていきますが、ちょっとていねい過ぎたようです。課題把握までに時間がかかりすぎました。自由な活動が少なかったので、子ども役からの気づきがあまり出てきません。問題解決のための情報が少ないため子ども役は行き詰まってしまいました。
授業検討法の研究のための模擬授業でしたが、授業検討は行いませんでした。参加者や司会者の技量や経験に左右されない授業検討法を目指しているのですが、司会者が意図的にコントロールしないと本来取り上げるべき場面が浮かび上がらないと判断したからです。その代り、なぜそうなったのか、どうすればいいのかについて話し合いました。デジタルとアナログの違い、ICTを活かすための視点など、たくさんのことがわかりました。この内容については、愛される学校づくり研究会のコラム「楽しく、手軽に授業改善しよう」の第4回で報告する予定です。

和田教育長の講演は「Open the window and look outside.」というタイトルで、今、和田先生が推し進めようとされている小学校英語の強化に関するお話が中心でした。
最初は、最近の教育界の話題についてという私たち会員からのリクエストに応えて、教育委員会制度の改革についお話いただきました。教育長という立場で今回の改革の背景、要点をわかりやすく説明されます。特に、首長、教育長の権限強化に対して、それぞれが暴走しないような歯止めの必要性を説かれました。新城市ではその教育の根源的あり方を規定する教育憲章を制定することで、首長が変わったからといって教育の現場が混乱しないようにするようです。なるほどと思うと同時に、憲法の解釈を簡単に変更しようという昨今の政治を鑑みるとそれでも一抹の不安を感じざるを得ません。この不安が杞憂であることを祈るばかりです。
学校現場に関して校長のやれることは多いはずだということを強く伝えられました。だからこそ、地域住民の意思の反映をしっかりしなければならないという主張です。市の全体の教育を担う立場だからこそ、校長にそのことを強く願うのだと思います。

小学校英語教育の強化の話は、和田節全開でした。新しい城を意味する名前のついた都市で行う「世界新城会議」でのことがきっかけとなって、小学校教育の強化を強く思うようになられたようです。
同行した新城の若者たちが、会議の場で英語を話せない。他国の若者は英語圏でなくても皆話せる。彼らになぜ英語を話せるのかと聞くと、異口同音に「学校で習ったから」と答える。英語を話せるかどうかは学校教育の問題だ。また、新城の若者も自分たちは世界へ出ていくためにはもっと英語力を含めたコミュニケーション力を鍛えなければ、そして自国の文化をもっと知って紹介できるようにならなければと強く思ったようだ。このような話を具体的なエピソードをもとに楽しくまた強く語られました。
私は、今回同行した新城の若者は、今は英語を話せなくても将来きっと話せるようになると思います。自らが英語を必要と感じたからです。大切なのは英語を話せるようになろうという意志です。中高と6年、そして大学でも学ぶはずなのに話せないのは、カリキュラムにも問題があるのかもしれませんが、本当に話せるようになりたいと思っていないからではないでしょうか。漠然と話せればいいと思っているくらいではダメです。そのために相応の努力をし続けることが必要です。学生時代、私とそれほど英語力が変わらなかったエンジニアの友人は、現在TOEICの点数が900を優に超しているそうです。海外で仕事をしなければいけないので、必要に迫られて身につけたのです。
小学校の英語教育に関しては、子どもたちにその必要性を感じさせるような取り組みがなければ単に強制になってしまいます。伝えたい、伝わった、もっと伝え合いたい。そういう気持ちを持たせる環境が大切です。もちろん英語が話せるようになるためのカリキュラムも研究する必要があります。小学校英語の現場で、英語嫌いを量産しているのに出会うこともあります。ALTは英語が話せるだけの人がほとんどです。私たちが外国で日本語を教える力がないのと同じです。そんなALTを活かすには、カリキュラムがよほどしっかりしなければなりません。しかし、このカリキュラムで英語が話せるようになるのなら、べつに学校で習わなくてもだれでも簡単に話せるようになるはずだ。そう思うことも度々です。
小学校英語の強化に頭から反対しているわけではありません。それ相応の準備と努力がなければやるだけムダどころか、かえってマイナスになってしまうと思うのです。
新城市の子どもたちが英語を話せるようにするために、どのような具体的な方策を取られるのかは語られませんでした。具体的な姿が私たちの前に姿を現すのはもう少し先でしょう。パワフルな和田先生のことですから、きっと数々の課題を突破して「おおっ」と言わせてくれることと楽しみにしています。たくさんの刺激をいただけた講演でした。和田先生ありがとうございました。

学校ホームページ研究会

先週末、学校ホームページに関連した研究会に参加しました。ある中学校のホームページのリニューアルと並行して学校ホームページの構成をどのようにすればいいのかということについて研究しようというものです。

今回は学校ホームページを、発信する側と訪問する側の2つの視点から眺めてみました。
学校ホームページの更新頻度が上がってくると、たまに訪問してもその流れについていけません。情報が多すぎてどこを見ていいかわからない状態になります。実際にその学校のホームページは内容が多いため、久しぶりに訪問すると見ようと思っていた記事が最新情報から消えてしまっていて、探すのに苦労することもよくあります。
発信する側からすれば、保護者にぜひ読んでもらいたい記事もあれば、それほどでもない記事もあります。毎日訪問してくれている方には発信する側の伝えたい情報は伝わりますが、たまにしか訪問しない方には他の情報に埋もれてしまって上手く伝わらないこともあります。
発信する側が読んでもらいたい記事を読んでもらえる、訪問する側が読みたいと思う記事がすぐにみつかる。そんな学校ホームページにすることが求められます。そのためには記事のカテゴリーやキーワードを工夫し、トップページを見せたい記事、見たい記事がわかりやすい構成にする必要があります。また、発信者がどのような情報を発信したいと考えるか、対象とする訪問者の属性をどう切り分けるか。これによっても、求められる学校ホームページの構成は変わってくると思います。

今後中学校のホームページのリニューアルを通じて、学校ホームページのテンプレートと言えるようなものをいくつか作ることができたらと考えています。テンプレートを選ぶ作業を通じて、自分たちがどのようなことを誰に伝えたいと思っているのかが明確になり、その結果、内容や方向性が明確で、学校と保護者や地域とのコミュニケーションが活性化する見やすいホームページが手軽に構築できる。そのようなものを目指したいと思っています。

学校が変わる兆しを感じる

先日、小学校の現職教育に参加してきました。授業研究の前に、4人の若手の授業を見せていただきました。

2年生の担任の初任者は、授業規律を意識していることがよくわかりました。しかし、できていない子どもを注意するだけなので、どうしてもすぐに緩んでしまいます。モグラたたき状態になってしまうのです。授業者の子どもを注意する声が目立ちます。子どもたちが指示に従わないと次第に声が大きくなってしまいますが、これは逆効果です。子どもたちを認める言葉、よい行動をほめる姿勢を大切にしてほしいと思います。
活動に対する目標や評価の基準が示されません。そのため、子どもたちはただやっているだけです。集中力が続きません。面白いのは、授業者の声かけや指示とは関係なく、個別に集中力が戻っている子どもがいることです。授業者が教室の状態をコントロールできていないのです。
発表も指名された子どもだけが発言するだけで、他の子どもは聞いていません。発言に関連して意見を聞かれることもありません。自分たちに出番がないことをよく知っているのです。挙手が少ないのは、発言が評価されないからです。発表する意欲がわかないのです。
このような状態では子どもとの人間関係が心配なのですが、授業者を見る子どもたちの表情は悪くありません。授業者との関係が悪いのではなく、授業が面白くないのです。聞いてみると、授業者は休み時間などは積極的に子どもたちと遊んでいるということです。こういうことがよい影響を与えているのでしょう。
ちょっと表情が乏しい方なのですが、こういう方が意識して表情をつくるようになれば格段に授業は変わります。表情をコントロールすることができるようになるからです。まずは、笑顔をつくって、子どもたちをポジティブに評価することから始めてもらうようお願いしました。

6年生の社会の授業は、子どもたちの表情がとても素晴らしいことが印象的でした。子どもたちに笑顔がとても多いのです。もちろん授業者も笑顔がいっぱいです。前時の復習の場面では、ほぼ全員の手が挙がります。手の挙がっていない子どもも自分で教科書やノートを調べています。参加する意欲がとても高いのです。ただ、自主的に調べていることを評価しなかったのが残念でした。次の問いでは、先ほどより少し挙手が少ないので、「ちらっと見てもいいよ」と指示します。教師は子どもの行動を自分でコントロールしたがるのですが、先ほどの場面でほめておけば教師が言わなくても自分で調べるようになります。教師の指示で動くのではなく、自分で考えて動けるようにしてほしいと思います。
授業者は、時々子どもをチェックする目で見ることがあります。その時は笑顔も消えます。笑顔で子どもを認めることができる方ですから、もっとその点を活かせるとよいと思います。
社会科の授業に関して、どのようにして進めたらいいのか迷っているようです。知識中心から脱却するために、まず教科書を読み込むようにお願いしました。資料はその単元のねらいにつながるものが用意されています。なぜこの資料や写真が載っているのか考えることで、教科書の意図が見えてきます。教科書の資料をもとに考えることで、ねらいにつながる活動や発問をつくることができます。このことをいくつかの例をもとに話しました。

3年生の初任者の授業は道徳でした。とにかく厳しい表情なのが印象的でした。授業開始からかなり時間が経っているのですが、まだ読み物の内容把握です。子どもたちは教師の目が離れると集中力を失くし勝手なことをする傾向があります。教師がチェックする目線で子どもたちを見ているということです。後から聞いたところ、教師の見ていないところでちゃんとしていないことについてお説教をした直後だったということです。なるほど、厳しい表情だった理由がよくわかります。しかし、説教をしてもなかなか子どもたちの行動はよい方向に変わりません。また、その時のことが尾を引いて教師の表情が変わらないのもあまりよいことではありません。教師が気持ちを切りかえないと、子どもも切りかえることはできません。子どもをしゅんとさせたら、笑顔を見せてやってほしいと思います。子どもをほめることでよい行動を増やすことを意識するようにお願いしました。

4年生の授業は国語でした。授業者は固有名詞で子どもをほめることができます。子どもの発言をポジティブに評価しています。しかし、発言していない子は発表を聞いていません。子どもたちは発言に対する教師の評価で正解がどうかを判断するので聞く必要がありません。授業者も発言者だけを見ていて、発言が終わると説明してしまいます。参加していない子どもを参加させることを意識することが必要です。
グループにするとテンションが上がります。話し合いではなく聞き合いを意識することが大切です。特に、根拠がはっきりしないことをグループで話し合いにすると考えずにしゃべることができるので、どうしてもテンションが上がります。
主な登場人物を聞くのですが、「主な」の根拠が説明されません。「この3人だね」と結論を共有しますが、根拠が共有されていません。国語は読書ではありません。論理的な教科です、つねに根拠を問うことを意識してほしいと思います。

授業研究は、6年生の算数の文字と式でした。
授業者はちょっと緊張気味です。声はしっかり出るのですが、間や抑揚がありませんでした。
ディスプレイにパワーポイントで「1本x円の鉛筆3本と、70円の消しゴムを1個買います。代金をy円として、xとyの関係を式に表しましょう」という問題を表示して復習します。すぐに手が挙がった子どもは4人です。その1人を授業者は指名します。正解を答えるとさっき手が挙がらなかった子どものほとんどが「いいです」と答えます。この場面をおかしいと思う感覚が求められます。すぐに、ディスプレイに答を表示します。子どもに考える時間を与えなくてもできるようになっているのならいいのですが、本当に全員できていたのかちょっと不安です。次の問題は、「1本xの鉛筆と、70の消しゴムがあります。x×5+70×2=yは何を表わしているのでしょうか」です。円を落としているのはわざとなのかとも思いましたがそうではありません。答は「1本x円の鉛筆5本と、70円の消しゴムを2個の代金」です。先ほどの復習を活かして本時の課題につなげようというのですが、yが消えてしまっています。これでは、混乱させるだけです。教科書が関係の式をつくっていたのをいったんリセットして、「=」のない式にした意味が分かっていません。
本時の課題は、クッキーと紅茶、箱の値段から、与えられた式の意味を考えるものですが、授業者は、「○が○個の代金」と答えの話型を示します。これでは、この活動をする意味がありません。式を見ながら説明する言葉をいろいろと考えることがこの課題の目標です。不十分な説明が出てくるからこそ、どういう言葉を使えばいいのかを考えることができるのです。しかし、中には与えられた話型を使わない子どもも出てきます。本来はその子どもたちを活躍させればいいのですが、話型を指示したこともあり、机間指導で修正させていました。多様性を捨てれば指導は楽ですが、子どもたちの思考ほとんど深まりません。話型を使うことには慎重であるべきです。
答の確認場面で「どうしてそうなったのか、説明してあげて」と指示しました。説明してあげるというのは上から目線の言葉です。説明する側が上になってしまいます。「なるほどと思ってもらえるように説明してね」というように、聞く側が主体となるような言葉を使ってほしいと思います。また、子どもの表現が少しくらい違っていても「同じ」と括ってしまいます。その違いをきちんと気づいて、「ちょっと違うね。それってどういうことかな」というように取り上げてほしいと思います。
考え方を説明させますが、評価をせずに、「他の言い方はありませんか?」と聞きます。授業者の求める説明が出た後は、「言いたい人いますか?」と聞きます。子どもたちは、教師の求めるものが何だったかを嫌でも意識することになります。また、求める答を引き出すために、「×(かける)は、先生は何て言ったかな」と子どもに問い返します。つまり、先生の言い方を覚えてその通りに言えと言っているのです。子どもに考えなくていいと言っているのと同じです。最後に答を印刷した紙を黒板に貼ります。予め準備された先生の答を書けと言っているのです。それなら、最初からそれを出せと子どたちが思ってしまいます。
本時の主課題は、グループで1つ式をつくり、それを他のグループがどういう意味か考えるというものです。グループで式をつくると言っても、意見が分かれた時に相談して決めるための根拠がありません。当然ですが、じゃんけんをするグループも出てきます。子どもたちのテンションが上がります。問題を紙に書いて黒板に貼った後、それぞれのグループで考えますが、子どもたちは一切かかわろうとしません。かかわる必然性もありません。グループを使う意味がありませんでした。
答を発表しますが、正解かどうかの判断は授業者がします。これでは、子どもたちが問題をつくる意味がありません。子どもたちは指示されていることをやらされている感しか持ちません。

授業検討会の場で、授業者は子どもたち申し訳ないという言葉を言いました。この発言が出てくれば大丈夫です。これから修正していけばいいのです。
授業検討は、グループを活用した「3+1授業検討法」で行われました。教務主任は初めての試みなので上手くいくかどうかとても心配していました。しかし、先生方は私が指摘するまでもなく、しっかりと授業について大切なことを話し合っていました。全体の場で発表される課題は絞られていますので、授業者も受け入れやすかったと思います。教科書では次の問題で、1つの式が複数の意味を持つことを取り上げています。その問題をあえて取り上げずに最初の課題と同じような問題をグループでやらせたことや、グループ活動をする意味について指摘されました。
私からは、子どもたちの思考を広げたり深めたりする活動の重要性やグループ活動が成り立つための条件についてお話ししました。

この市では授業研究や授業改善にこれまであまり積極的に取り組んではいませんでした。この学校でも授業改善をしようとし始めたばかりです。焦る必要はありません。この日の授業検討会の様子を見て、先生方が授業をよくしたい、よくなりたいと思っていることがよくわかります。そうであれば、こうした授業研究を積み重ねていけば必ず改善につながります。
検討会終了後、この日授業を見た先生方とお話ししました、どなたもとても前向きでした。今まで授業についてみんなで考える風土がなかっただけです。この空気が変わっていく兆しを感じました。互いに学び合えばきっと授業は大きく変わっていくと思います。これからの変化が楽しみです。

受容とほめることについて考えた授業

先日、小学校で授業研究と若手の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

最初に学校全体の様子を見せていただきました。感じたのは、子どもの発言を活かそうとする意識があることです。このことはとてもよいことです。ただ注意をしなければいけないのは、一部の子どもが勝手にしゃべったことを教師が取り上げて授業を進めていく傾向があるということです。子どもたちは、勝手にしゃべったことでも教師が受け止めてくれるので、思ったことを無責任にしゃべるようになります。また、一部の子どもの言葉だけで授業が進むので、それについていけない子どもは参加しにくくなります。子どもが発した言葉を責任のあるものに変えてやる必要があります。「今言ってくれたこと、みんなに聞かせてくれるかな」と全体に対して公的に発言し直させ、全員で共有するのです。そして、その考えを「なるほどと思った人」「納得した人」と他の子どもにつないでいくのです。
もう一つ感じたことは、子どもに対するポジティブな評価が少ないことです。発言しても、教師がその内容をあまり評価しません。そのため、子どもにとっては発言することが評価されたことになってしまうので、それで満足するようになります。そのことが先ほどの勝手にしゃべることにもつながっているように思います。教師や子どもが発言を評価する場面をつくることが求められます。
授業規律を意識している方も多いのですが、できていない子どもをチェックしてやらせるという発想が強いようです。そのため、教師が指導した時は全員できるのですが、そのあと緩む傾向があります。指導された時だけやればいいと思うようになってしまうのです。ほめてできることを増やす発想に変えてほしいと思います。

2年生の担任は今年4年目の先生でしたが、基本的なことができていました。とても優しい表情で、子どもの発言をしっかりうなずいて聞きます。子どもに発言をうながす時も、「教えてください」と上から目線にならないように意識しています。ありがとうの言葉もよく聞かれます。子どもの姿勢を正すのに、「パンパンパン」と手をたたきます。すると子どもは「手は後ろ、背筋は・・・」とポイントを言葉にしながら姿勢を正していきます。明示的に子どもの行動をコントロールできています。ただ、決まったことを声に出すだけなので考える必要がありません。どうしてもテンションが上がりやすくなります。似たことは他の場面でも見られました。何かを出すように指示した時、子どもたちは「出しました」と声に出して行動の確認をします。遅い子どもに行動をうながすことにもつながるのですが、やはりテンションは上がります。また、授業者も子どもによく伝わるようにと声を大きくすることがあります。教室全体がテンションの上がりやすい傾向があります。
とても感心した場面がありました。「聞く時のポイント」を子どもたちに復習させた時、間違って話す時のポイント発表した子どもがいました。「話す時のポイントだね。いいポイントだよ」と否定せずに認め、子どもの表情を見て「いいこと言ってくれたから、書いておこうか」と板書したのです。たとえずれた発言でもしっかり受容する姿勢はとても素晴らしいものです。
子どもの発言をしっかり受け止め、復唱することもできていますが、時々、「静かに聞く」を「耳をすませて聞く」というように、子どもの言葉を自分の言葉に置き換えることがあります。言葉を変えさせたい時は、できるだけ子どもに修正させるようにしたいものです。
子どもはとても真剣に授業に参加しています。授業者が一人ひとりを見守る目線で子どもたちを見ていることと無関係ではないでしょう。課題としては、積極的に意見を言う何人かの子どもたちで授業が進んでいることです。挙手をしない子どもたちを参加させることを意識してほしいと思います。

授業研究は、4年生の道徳の授業でした。
教室のディスプレイを使って1枚の絵を見せました。子どもたちに感想を書かせ、発表させます。この絵の作者の年齢を問いかけました。年代別にていねいに子どもたちに聞きます。しかし、根拠をもとに答を出す場面ではありません。この場面はもう少し展開を早くした方がよかったかもしれません。7歳と自分たちと年齢が近いことで親近感を持たせた後、この少女「あやちゃんに足りなかったのは何でしょうか」という発問をしました。授業者は何人か指名して発表させた後、「時間が足りない」と答を言いました。子どもから「どういうこと?」というつぶやきが出ましたが、授業者は拾いませんでした。このあと、あやちゃんの贈り物の一部を範読するので、そこで理解させようとしたのかもしれません。しかし、少なくとも「どういうこだろうね」と受け止め、「今からあやちゃんのお話を読むから、どういうことか考えてね」と返すといった対応がほしいところでした。
話の内容を確認ながら範読します。急性白血病について命にかかわる病気だと伝え、話の中の日付から、いくつで発病し亡くなったのか計算させます。計算させることで、いかに短い人生だったかを実感させたかったのでしょうが、一部の子どもとのやり取りなので、あまり全体に迫れていないようでした。もし重い病気にかかったら残された時間に何をするかという課題を提示し、すぐに書かせます。子どもたちは、思いのほかすらすらと書きます。こういった課題で本当に深く考えていれば、すぐに鉛筆を持ったとしてもなかなか進まないものです。表面的な答えになっている危険性があります。そのことは、子どもたちの発表の場面で強く感じました。子どもたちが元気よく挙手するのです。残された時間が短いことを真剣に受けてめていれば、テンションはあまり上がらないはずです。残された時間がないことはどういうことかを子どもたちにある程度実感させる必要があったように思います。
授業者は「手がたくさん挙がってうれしい」とIメッセージを利用します。よい対応です。指名した子どもは「起きていると、病気のこととか考えてしまうから寝て暮らす」と答えました。授業者はどう扱っていいのか困って「なるほど」と受けます。次の子どもを指名しようとした時、一人の子どもが「眠るように息を引き取ればいいってこと」と声を上げました。この言葉をきっかけに、寝て暮らすのは死ぬことがこわいからだと、発言者の気持ちを引き出すことができたと思います。そのような気持ちだったはずなのに絵を描き続けたあやちゃんの思いに迫ることができた場面でしたが、授業者は無視をしました。ちょっともったいないと思いました。
続いてでてきた意見に対して、「いいこと言うね」とほめます。次の意見には「すごくいい意見だね」とまたほめます。授業者がほめては次の子どもを指名します。しかし、どうでしょう。道徳では価値判断をするのは子どもであってほしいと思います。まして、ここはいい、悪いと判断するような内容ではありません。またこのようなほめ方をしていると、「なるほど」は受容の言葉になりません。困った意見は「なるほど」と返すのだと子どもは感じてしまいます。このような場面では、「共感」を意識するとよいでしょう。「同じように考えた人いる」と子どもをつなぎ、似たような考えを発表させるのです。
この後「あやちゃんは何をしたと思う」と問いかけ、絵を8,000枚描いたことを伝え、あやちゃんの作品を見せます。順番にディスプレイに表示しながら、1枚1枚の絵の感想を聞きます。一部の子どもは次第に集中力を失くしていきました。道徳として命の大切さを考えるというねらいがあったはずですが、子どもが考える時間は実はほとんどありませんでした。あやちゃんやその絵には興味を持っても自分のこととしてどれだけ考えたかは疑問です。
子どもたちが残された時間にやりたいと考えたことに対して、「残された時間でやれることだったのか」「今あなたがやっていることなのか」といった問いかけでゆさぶる必要があったと思います。
授業者はまだ教師になって2年目です。受容やほめるための技術をかなり持っているのは驚きです。しかし、どの場面でどのような技術を使えばよいかは、意識されていません。今子どもたちにどのような気持ちになってほしいかをしっかりと意識して対応を考えてほしいことを伝えました。

授業検討会の場で、道徳は子どもたちが自分のこととして考えることが重要であることを伝えました。子どもたちが、自分ならどうだろうと考えるのではなく、教師が求めるような無難な答を探していることに課題があります。最初に考える場面はどうしても浅くなりがちです。友だちの考えに触れることで考えを深める場面をつくってほしいと思います。
全体に共通することとして、一部の子どもの発言で授業が進んでいることを指摘しました。参加しない子どもは、後から教師の説明とまとめを聞けばいいと考えています。全員を参加させることを意識してほしいことを伝えました。

先生方にはとても真剣に話を聞いていただけました。きっと、次回までによい変化が見られることと思います。また、私も教頭からちょっとした宿題をお願いされました。それなりのプレッシャーがかかっていますが、それも含めて次回の訪問を楽しみたいと思います。

私学で授業研究と英語科教員との懇談

私立の中高等学校の授業研究に参加してきました。先生方が4人の若手の授業のどれか一つを参観し、その後グループによる検討を行いました。

高等学校の、体育、生物、物理、英語の授業を同じ時間帯に行うので、私はそれぞれ10分程度しか参観できません。しかし、どの授業も以前と比べて何らかの工夫、進歩を見ることができました。
今回の授業検討は、子どもたちのよいところを中心にグループで話し合っていただくというものです。グループによる検討、子どもを中心とする視点、どれもこの学校では初めての試みです。どのようなものになるか少し心配もありました。とはいえ、今までこの方式で行って先生方の話し合いが低調になった経験はほとんどありません。実際に、どなたもしっかりと参加してくださいました。
授業ごとに2〜3のグループでの検討でしたが、発表では別の授業を見ていた先生方も体をそちらに向けてしっかり聞く姿勢を見せていただけました。真剣に話し合いに参加していたからこそ、他のグループの発表が気になるのです。

体育の授業で、子どもたちの視線がしっかりと授業者に向かっていた、逆に授業者がしっかりと子どもを見ていた。
生物の授業で、パワーポイントで資料を提示することで子どもの集中力が上がった。
物理の授業で、子どもたちに考えさせる場面があった。
英語の授業で、グループを活用することで子どもたちが全員参加していた。
といった、授業者や教科がこだわっているところがきちんとポジティブに評価されました。
4人の授業者はこういった研究授業は初めてでしたが、前向きにとらえてくれたことと思います。

英語科は、今年から ”Active Learning” を取り入れていますが、まだまだ手探り状態のところがあります。グループの活用法などよくわからないことが多いようです。検討会終了後、英語科の先生が何人か、質問をしに来てくれました。熱心に話を聞いてくれます。私もついつい聞かれてもいないのに余計な話をしてしまいました。とにかく感じたのは、子どもたちに英語を通じてその世界を広げてほしいといった思いがとてもはっきりしていることです。そのための目指す授業の方向性も明確です。あとは、どのような工夫をするかです。残念なことに、子ども同士のかかわりを活かす授業の進め方についての基礎的な知識や視点に欠けているところがあります。そこを埋めるお手伝いをすることが私の出番です。うれしいことに、英語科の先生から授業を見てアドバイスをしてほしいとお願いされました。できるだけ早い時期に、そのような機会をつくりたいと思います。
この学校独自の英語教育のメソッドが生まれるてくる予感がしています。そのお手伝いをする機会を得たことに感謝です。

子どもの笑顔と挨拶が素敵な学校(長文)

先日、小学校で若手を中心に授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。

1年生の国語は、ひらがなの表から意味のある言葉を見つける活動でした。
子どもたちはよく反応してくれますが、思いついたらすぐに声に出します。授業者はきちんと指名せずに子どもの言葉を拾います。授業規律の観点からは、受け止めた上で全体に対してきちんと発表させる必要があります。勝手な発言が許される雰囲気があるので、子どものテンションは上がり気味です。静かにしてくださいと注意をしますが、しばらくするとまたテンションが上がります。注意した時だけ静かになるのです。こういった場合、まずテンションが上がる原因を取り除く必要があります。勝手気ままに発言するのが原因であれば、そうさせないようにしなければなりません。発言や活動に対してポジティブな評価がなければ、子どもにとって認められる方法は自己主張することになり、勝手な発言が増えてしまいます。子どもにもわかる活動の目標と評価基準を与え、子どもたちがそのことを意識して自己評価できるようにすることで、落ち着いてくると思います。
机間指導の途中で、子どもたちが「先生」と声を上げます。主張しないと先生が自分のところへ来てくれないのです。必ず全員のところへ回って声をかけてくれることがわかっていれば待つことができます。また、常に全体に気を配っていれば、子どもの様子がわかるので個々の対応も素早く行えます。このことを意識してほしいと思います。
また、作業が終わった子どもへの指示がありません。終わった子どもがごそごそするので、まだ終わっていない子どもも集中力を失くします。活動をいくつかのステップに分け、節目ごとに確認をし、リズムを作ってやるとよいでしょう。
最後に自分の見つけた言葉を発表させて終わりました。授業者は「みんなが発表してくれたから、・・・」とまとめます。1年生なので、「みんな」という言葉を使ってもあまり問題はないと思いますが、学年が進むにつれて危険な言葉になります。自分が発表していないのに「みんな」という言葉が使われると、自分はみんなに入っていないと感じるからです。こういったことも意識できるとよいでしょう。
授業者はとても素直な方で、前向きにアドバイスを受け止めてくれます。まず、子どもをポジティブに評価することから始めてくれるとよいと思います。

5年生は今年中学校から異動して来た先生の道徳の授業でした。手塚治虫のブラック・ジャックを題材にした、工夫のある意欲的な授業です。
最初に手塚治虫やその作品の紹介をします。キャラクターを見せて、知っているかといった問いかけをします。丁寧に子どもの反応を拾って進めます。子どもの発言をしっかりと受け止め、ポジティブに評価しました。子どもの言葉をしっかり聞くことのできる先生です。しかし、授業全体の構成を考えると少し時間をかけすぎたように思います。手塚作品を知っている子どもはそれほど多くありません。知っている子どもしか参加できませんし、この知識が授業の展開に影響するわけではありません。子どもに興味を持たせることができれば、すぐに本題に入った方がよかったと思います。
大型ディスプレイを使って、マンガを子どもたちに見せます。授業者は声のトーンを抑え気味にして読み上げます。読み物と違って、絵があるために子どもが感情移入しやすくなっています。授業者が感情を込めて読んだり、説明したりする必要はありません。子どもたちは食い入るように画面を見つめていました。授業者は話終わるとすぐに画面を消しました。子どもたちの視線を自分に集中させるために大切なことです。こういう基本もしっかりと身に付いている方でした。
教材の内容は、事故で体が動かなくなって長い間入院している母親が、子どもたち迷惑をかけたくないと安楽死をドクター・キリコに依頼します。一方子どもたちは母親を直してもらおうとブラック・ジャックに治療を依頼します。同じ日に依頼が重なり、ドクター・キリコが安楽死をさせようとしたところにブラック・ジャックが現れ、母親に向かって「ばかなまねはするな」と安楽死を止め、手術を行い成功させるというものです。
この日の課題は「ばかなまねはするな」と言ったブラック・ジャックの気持ちを考えさせるというものです。いくつかの意見が出た後、自分の考えがどの意見に近いかを全員に確認させます。近い意見のものを全員立たせて順番に発言させ、同じ考えであれば着席させます。こうすることで、全員必ずどこかに参加することになります。授業者はとてもていねいに発言者の言葉を受け止めます。しかし、発言者と違った意見の子どもをつなぐような働きかけはしません。次第に子どもたちの集中力は低下していきます。授業者は全員参加を願っていましたが、どこかの場面で参加できても常に参加できているわけではなかったのです。友だちの意見を聞いて心が揺れるような場面はありませんでした。
その原因の一つは、ブラック・ジャックの心情を聞いたからです。ブラック・ジャックが手術を成功させることは知っています。あくまでも成功する前提での話なので、葛藤は起きないのです。結末は知らせない状態で考えればまた少し違ったかもしれません。しかし、実話ではないので、上手くいくだろうと考えてしまう恐れもあります。
子どもの心情を聞くという方法もあったかもしれません。「成功する確率がとても少ない。失敗すればすぐに死んでしまう。手術をしなければ生き続けてもらえる。しかも、母親は安楽死を願っている。あなたなら、それでも、手術をしてもらうか、安楽死をさせてもらうか。それとも、このままにしておくか」といったことを問いかけるのです。
最後に授業者は自分が父親のがんの手術の時に送った手紙を子どもたちの前で読みました。こちらはリアルなものですので、子どもたちへのインパクトは大きくなります。授業者が身近なだけに感情移入しやすいのです。家族の大切さ、互いに支え合う気持ちを持ってもらいたいというねらいの授業です。感情移入しただけでは、自分の家族の顔がどれだけ浮かんだかは、今一つはっきりしません。子どもたちに自分の家族の顔が浮かぶ場面をつくりたかったところです。時間の問題もあり難しかったかもしれませんが、もう一工夫ほしいところでした。
授業者は、非常に前向きで挑戦意欲もある方です。これからが楽しみです。

4年生の授業は理科の動物の体のつくりと運動でした。
机をコの字型にしていました。コの字型の机配置での最初の挨拶を見て、いつも悩むのが子どもたちの視線はどこに向かえばいいのかです。授業者なのか友だちなのか、どちらであるべきかの結論はなかなか出ないのですが、授業者としてはどこに視線を送ってもらいたいのかは明確にしておく必要があると思います。子どもたちの視線がばらばらだったのが気になったのです。
せっかくコの字になっているのですから、自分の考えを友だちに伝えようとしてほしいのですが、その意識が子どもたちからはあまり感じられません。「○○さんの考えを聞かせてね」「○○さんの考えをみんなで聞こう」と教師がそのことを意識させるように仕向ける必要があります。子どもがどうしても教師を見るようであれば、発言者のそばに教師が移動するとよいでしょう。その際に、子どもの視線の妨げにならないように気をつける必要があります。
2人に対して牛乳パックを筒状にしたものを1つ与え、肘につけてボールを投げさせます。この時、子どもたちの活動の目標を明確にしていませんでした。そのため、子どもの意識はボールを投げることだけに集中します。考えることはしません。次第にテンションは上がります。2人で牛乳パックを共有しますが、子ども同士の知的なかかわり合いはありません。どちらか先にやるかじゃんけんしたりすればテンションが上がるだけです。1人が活動している間はもう一方はすることがありません。知的なかかわり合いを意識した活動にする必要があります。
子どもの活動を止めて説明に移る時、授業者は子どもたちが全員集中できるまで待てています。授業規律がしっかりとしています。あとは、素早い動きを促すための働きかけを意識するとよいでしょう。
子どもたちに、「どこが硬い、柔らかい、曲がる」「力を入れると柔らかいところはどうなるか」を「予想」させます。予想なので体を動かさないで頭で考えるように指示します。考えるためには根拠が必要です。この場合、自分の体を動かして触って見ることが一番です。わざわざ予想する必然性はありません。この活動はあまり意味がないのです。
「どこが硬い、柔らかい、曲がる」「力を入れると柔らかいところはどうなるか」と言葉で言われても、どういうことを聞かれているのかよくわかりません。最初にやった関節を固定してのボール投げとの関連もよくわかりません。体を動かさないと言っても、予想するためには実際に一つくらいは例として取り上げて説明する必要があったのです。活動を始めても、どうすればいいのかわからない子どもがたくさんいました。
授業者は子どもたちの様子からそのことにすぐに気づきました。ここで、多くの先生は作業を止めずに追加の説明をします。しかし、授業者は一旦作業を完全に止めて説明をし直しました。これはなかなかできないことです。よい判断でした。
子どもに予想を発表させます。予想ですから根拠がありません。ただ発表するだけです。挙手で発表させますが、「他には」と次々聞いていくだけです。自分と同じものが発表されればもう参加できません。子どもたちは集中力を失くしていきました。
続いて今度は、自分の体で確かめさせます。グループでの活動ですが、グループである必然性がありません。話し合うように指示しますが、何を話し合えばいいのでしょうか。友だちに聞く必然性がないのです。子どもたちはほとんどかかわり合いません。すぐに子どもたちの動きは止まってしまいました。
腕の図を書いた紙に一人ひとりが異なった色のペンで書きこんで互いの気づきを見える化し、気づかなかったところを確かめ、納得すればそこに自分の色で書きこむといったかかわり合うための仕掛けを工夫する必要があったと思います。
全体での確認も発表されたことを確かめるだけで、子どもたちが考えたり、かかわることで何かが深まったりといった場面がありませんでした。
授業者は、子どもたちとうまく関係をつくることができています。一人ひとりをしっかり受け止めることができますが、子ども同士がかかわることに関して、どうすればいいのかまだよくわかっていないようでした。このことを意識することできっと大きく成長してくれることと思います。

昼休みと掃除の時間に校内の様子を見せていただきました。子どもたちはとても明るい表情です。たくさんの子どもが自分から近寄ってきて私に挨拶をしてくれました。その笑顔がとても素敵でした。子どもたちのこの表情がもっと授業中に見られたらと思います。
授業中に先生方は、発言をしっかり受容していますが、評価があまりありません。子どもをポジティブに評価することをもっと意識してほしいと思います。また、どうしても挙手する子ども、発言する子どもとの関係だけ授業が進んでいきます。「○○さんの言っていたこと、納得できた?」と発言者とつなげ、友だちの発言を聞くことに価値づけする。「わかった人」と答を求めるのではなく、「困ったことない」とわからないから出発する。こういったことを心がけるように、全体の場で皆さんにお願いしました。

この日は、ちょっとしたとトラブルがあったため、教頭や教務主任と話す時間をあまり取れませんでした。校長には先生方へのアドバイスの場面でもずっと立ち会っていただけました。先生方を育てようという姿勢を強く感じました。いつも思うことですが、私がどんなに頑張っても学校がそれでよくなることはありません。校長、教頭そして教務主任が日常的にどのような動きをするかで決まります。この学校の校長からは学ぼうとする意欲と実行しようとする意志を感じます。次回の訪問が楽しみです。

曽山和彦先生の講演での気づきと新しいご縁

先週末は、今年度第2回の教師力アップセミナーに参加しました。名城大学教職センター准教授の曽山和彦先生の講演でした。以前お話をうかがう機会(次への一歩が見えてきた研究発表会参照)があり、ぜひこのセミナーにお呼びしたいと思っていた方です。今回「時々、“オニの心”がでる子どもにアプローチ」という講演で、願いがかないました。

前回お話をうかがった時と大体の内容は同じだったのですが、新たに気づかせていただくことがいくつかありました。私は学級に子どもたちの居場所をつくるのに、安心して暮らせること、互いに認め合えることを大切にしてきました。受容とほめることを中心に授業や学級経営を考えていますが、しかることはできるだけ避けるように考えていました。しかし、曽山先生のお話をうかがって、もう一歩先にしかっても崩れない人間関係があることを意識できました。今までも、生徒指導で厳しくしかることができる条件は、日頃の授業で人間関係がきちんとできていることと言ってはいたのですが、授業での人間関係の目標としてはあまり意識していませんでした。これからはしかっても崩れない人間関係を明確に意識していきたいと思いました。

今回は、ソーシャルスキルトレーニングや構成的グループエンカウンターのプログラムのいくつかを参加者に実習していただく機会がありました。体験することで実際にやってみようと思う参加者も多かったと思います。わかりやすい説明と実習ですぐに役立つ講演でした。
曽山先生ありがとうございました。

私が見た数学の教育実習生の指導案があまりにもひどかったことや、最近の数学の教師の力不足と大学教育についての批判的な話を曽山先生との雑談の中でしました。驚いたことにその実習生を教えている大学の先生から私に指導不足をわびるメールが届きました。私の話を曽山先生がその方に伝えられたのです。たわいもない話のつもりだったので恐縮してしまいました。この担当の先生が、学生たちを立派な教師に育てようと真摯に取り組んでおられる方であることは、その文面からもとてもよくわかります。実際の講義や演習の内容もとても実践的で、数学教育に対する考え方は私ととても近いものがあります。そういった方が指導しても、なかなか学生に力がつかない現状があるのです。私も大学教育の問題を指摘するだけでなく、今自分がかかわっている現場でいかにして先生方に力をつけてもらうのか、その方法を考えなければと強く思いました。
曽山先生のおかげでとても素敵な先生とご縁ができたことに感謝です。

介護の技術が理にかなったものだと実感する

先週末に、介護技術の研修をおこなってきました。今回は「移動介助」がテーマです。いつものように実務担当者の助けを借りながらですが、今回は実習部分を多くしました。

移動介助は人を動かすことが主体になりますが、老人とはいえ数十キロある人間を動かすにはそれなりの力が必要です。上手く動かすには技術が必要になります。実際にやってみるとよくわかりますが、相手の重心と自分の重心をできるだけ近づけることでより簡単に動かすことができます。また、相手の体を小さくしてもらうと、重心の近くに重さが集中しますので、回したりするのも簡単になります。利用者に立ち上がってもらう時には、まず足を広げてもらうことで、基底面を大きくして安定させます。こういった重心や基底面を意識してボディメカニクス(骨・関節・筋肉等の相互関係)をうまく活用することで、スムーズな移動介助が可能になります。このような技術は実に理に適っています。素人の私でも、その技術を見せていただけば、なるほどこういう理屈で動かしているのだなとわかります。今回の研修では、その技術のポイントを物理的な面からわかりやすく説明することを心がけました。

移動介助では、介護全般に共通することですが、コミュニケーションが大切になります。寝ている人をいきなり起こそうとするとびっくりして暴れたりします。当然です。今から起こすことを相手に伝えることが必要になります。また、心の準備ができているかの確認も大切です。こういった利用者とのコミュニケーションだけでなく職員同士のコミュニケーションも大切になります。体に麻痺がある方とそうでない方では介助の方法は異なります。立ち上がることはできるのか、麻痺はどちら側かといった情報がなければ適切な介助はできません。介護の現場では利用者の個別性を意識なければいけないため、職員同士の情報交換がとても大切なのです。学校の生徒指導を考えればよくわかると思います。

今回の研修は、よい例や悪い例をたくさん実演し、解説してもらいました。担当してくれた職員の方々は、前日にしっかりとリハーサルをしてくれていました。私は素人なので、具体的にこのようにやってくださいと指示を出すことができません。漠然としたお願いだったのですが、どのようなものを見せればよいか実によく考えていただいていました。素人の私が見ても、実にわかりやすいものでした。

参加者の皆さんにはとても和やかにかつ真剣に取り組んでいただけました。グループワークでは、現場での体験を含めたくさんのこと聞き合っていただけました。
今回もたくさんの方の助けのおかげで、よい研修ができたと思います。いつものことながら、本当によい勉強をさせていただいています。かかわってくださったすべての方に感謝です。
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