道徳の模擬授業から多くを学ぶ
先週末は、愛される学校づくり研究会に参加しました。来年2月開催の「愛される学校づくりフォーラム2015 in大阪」のプログラムの検討と改良された授業検討ツールを使った授業検討会でした。
来年度のフォーラムの第1部は、研究会の原点に戻って、私たちが考える「愛される学校のつくり方」について提案することになりました。詳細については、徐々に明らかにすることになると思いますが、私たち会員にとっても刺激的なものになりそうです。 第2部ですが、このフォーラムの目玉でもある模擬授業は外すことができません。昨年は授業の時間が短かったという反省から2本に絞ります。たっぷりと授業を見て、参加者の皆さんと一緒に検討したいと思います。 授業検討は、研究会の会員の中では若手の先生が、道徳の模擬授業を行なってくれました。教材は「ロレンゾの友達」です。 3人の男たちに共通の古い友だちから一緒に会おうという手紙が届きます。ところが、その男が犯罪を犯して逃げているという噂を聞いて3人は動揺します。約束の場所に現れなかったのですが、3人はもし自分のところを頼ってきたらどうしようか考えます。「お金を渡して逃がす」「自首を説得するが、本人が納得しなければ逃がす」「自首を説得するが、本人が納得しなければ警察に通報する」と三者三様です。結局、冤罪だとわかり、4人は楽しく旧交を温めるのですが、それぞれが考えたことを話すことはありませんでした。 授業者は最初にこの時間でいろいろな考えに出会って、自分の考えが変わるとよいということを伝えました。そこをねらいとしているようです。 最初に友情について全員に思い浮かぶ言葉を発表させます。この時間は友情がテーマだと気づかせます。資料の読み取りは、授業者が範読しながら進めます。重要でないところは簡単に説明し、重要なところは準備しておいたまとめをホワイトボードに貼ります。読み取りに時間をかけすぎないよう工夫しています。限られた時間を子どもたちが考えることに使いたいので、このことはとても大切です。授業者は余計な言葉をほとんどはさみませんが、3人の考えの違いを強調してもよかったかもしれません。3人がそれぞれの対応を考えたところでいったん話を終えました。全員起立させて、3人のうち自分の考えが誰に近いか理由も含めて考えさせます。ここで、一人だけ、決めることができない子ども役がいました。どこの国かわからない、警察が信頼できるかわからないといった背景にこだわって、決めることができないというのです。授業者は話をじっくり聞いて、それ以外という選択肢を認めました。検討会ではこの対応が話題になりました。子どもに寄り添って決められないことを受容したよい対応という意見と、客観的な根拠がないのだから無理やり決めさせればいいという意見がありました。どちらの意見にも納得できるものがありますが、そもそもこの一連の場面で、友情ではなく規範意識に問題がすり替わったという意見が出ました。迷っているのは友だちとしての葛藤ではなく、どのようにするのが正しい行動か判断するための材料が足りないためだからです。 この後、選んだ人物ごとに子ども役を立たせて理由を述べさせましたが、友情ゆえの葛藤というものは感じられませんでした。同じ理由の人は着席するように指示をしましたが、だれも着席しません。それだけ自分の考えにこだわりがあるということです。先ほど、選べなかった子ども役にも確認して、誰の考えに近いかを決めさせました。きめ細かい対応です。 授業者は発表させるだけで、互いの意見に対してどう考えるかといったことは聞きませんでした。考えをゆさぶったり、深めたりはせずに、「みんなの意見に共通なことは何か」と質問します。 ここで、授業者は軽く聞いたので、すぐに答が出てくるものだと考えていたように見えました。しかし、子ども役からはなかなか答えが出ません。授業者はじっと待ちます。やっと一人が発言してくれました。「友だちに対する思いやり」という答です。授業者はこの答にすぐに飛びつかずに、もうしばらく待ちます、今度は友だちが犯罪を犯したかどうかわかっていないのに、(来なかったというだけで)犯罪者という前提で考えている。友だちならまず本当かどうかを確認するのではないかという意見です。友だちを信じないで犯罪者と決めつけていることが共通というわけです。授業者の表情を見ると戸惑いが感じられます。予期しない答だったようです。不信感という言葉でまとめましたが、自分でも無理やりだと思ったのでしょう。この言葉でまとめたけれどもそれでよかったか発言者に確認しました。よい対応だと思いました。 この一連の場面についても、授業検討で話題になりました。授業者は、すぐに意見は出ないと考えていたようですが、そうであれば、質問をした後「考えてくれる?」といった言葉で、時間を明確に与えるべきだったという意見が出ました。そもそも、子ども役は質問を理解して考えていたのだろうかという疑問もあります。子ども役に確認したところ、「何を答えていいかわからなかった」「選んだ人物に自分が入り込んで考えていたので、いきなり共通と言われても困ってしまった」といった意見が出ました。子ども役にとってはこの発問はそれまでの活動とつながらないものだったのです。 2つの意見についてはそれ以上触れずに、資料の残りを読みました。ここで、3人が自分の考えたことを言わなかったのはなぜかという発問をしました。30分しか模擬授業にあてる時間がなかったので、ここで終わりとなりました。授業者に確認したところ、本命の課題は最後のものだったということです。しかし、3人のどの考えに近いかを問う場面、共通なことを問う場面、最後の発問がつながりません。友情なのか規範意識なのか、視点が揺れています。これでは自分たちが何を考えているかよくわかりません。考えがゆさぶられ、変わるといった場面もありませんでした。友情を軸とするのなら、「友だちならどうするべき」と自分の考えを発表させて、理由を聞き合い深めることに時間をかけた方がよかったでしょう。最後の発問を中心とするなら、3人の考えは軽く扱い、じっくりと考える時間を取るべきだったと思います。 授業検討では、新しい授業検討ツールのおかげで話し合う場面を焦点化することができました。授業技術がしっかりしていたので、発問や発言の処理の仕方など、道徳の授業をどう進めるかについて、とてもよい意見交換ができました。授業検討ツールについてだけでなく、道徳についても大いに学ぶことができました。授業者と子ども役、参観者すべてのレベルが高い素晴らしい研究会であることを改めて実感しました。 夏休みをいただきます
明日から、今週いっぱい夏休みをいただきます。
日記もお休みさせていただき、18日(月)より再開します。 市主催の授業力向上研修会
先週末は、市の授業力向上研修会で講師を務めました。同じ内容で2回行いますが、その第1回目です。
最初に、「全員が参加できる学級を目指して」というテーマで、学級づくりと授業の基本についてお話しさせていただきました。子どもたちが安心して暮らせる学級をつくることが一番の基本です。そのためには、学級のルールが守られていることが大切になります。学習規律、授業規律の徹底です。また、間違えても、失敗しても恥ずかしくない雰囲気づくりも大切です。目指す姿を明確にし、「できないこと、できない子どもを減らす」のではなく、「できること、できる子どもを増やす」発想でほめることを意識するようお願いしました。 参加者同士でいくつかの課題について考えてもらいましたが、いろいろな考えを聞き合うことができました。先生方の人間関係がよいことが印象的でした。このことは、次の活動でも強く感じました。 午後から4人の方に模擬授業をしていただくのですが、事前にその授業の検討をそれぞれのグループで行っていただきます。どのグループも積極的に話し合っています。代表の授業をよいものにしようというだけでなく、自分も学ぼうという姿勢を強く感じます。私が、ちょっとしたアドバイスをしても、授業者以外の方が自分のことのように聞いてくれることからもよくわかります。 模擬授業は、時間の関係もあり、それぞれ冒頭部分に絞って行いました。今回、偶然にも小学校の授業はすべて算数でした。 1年生の引き算の授業は、12−7の計算の仕方を考えるものでした。 最初に13は10と3というように、2桁の数の分解を復習します。既習事項ですからテンポよく進めたいところです。午前の話し合いで復習することにしたのでフラッシュカード等の準備ができませんでしたが、授業者はテンポアップを意識していました。 12個のパンから7個取った残りを求める問題です。授業者は12個の磁石を使って、7人の子どもたちに1個ずつ取らせます。この操作で、引き算であること、答が5であることがわかります。とすると、計算の仕方を考える必然性が無くなります。ここは、取るという操作だけをクローズアップして早く式を導き出し、一度抽象化した式の計算の仕方を考えることに力点を置く必要があります。 12個から7個取るという操作をだけを繰り返して見せながら、「12から7を取った残りは?」「12−7」とまず式を確認することをします。続いて、「12−7の計算の仕方を考えよう。計算の仕方を考えるのに、どんなものを使ったかな?」「計算の仕方を考えるのに、何を使うといいかな?」と過去の学習とつなげることを意識してブロックを導入するとよいでしょう。 授業者は、12は10と2と分解させてブロックを提示しました。ここで「昨日は何をやった」と質問し、10から引くことを子ども役から引き出します。こういう展開をすると、子どもはいつも10から引こうとするようになります。「10と2から7を引く」「どちらから引こう」「2から引けない」「10から引く」という論理の流れを押さえる必要があります。「2から引けない」「10から引く」この部分を何度も繰り返して言わせて確認するとよいでしょう。 10から7を引いて3とした後、2つのブロックのかたまりを指して「3」、「2」と言わせ、5と答を出しました。ここは、「『残り』は3『と』2」と「残り」を強調して引き算であること押さえながら、「と」と一言入れることで、引き算だけれど答は3と2を「足した」5になることを子どもに明確に意識させたいところでした。授業者は「3、2で」と順番に聞いて、答が5となることを確認します。一人「5個」と答えた子ども役がいましたが、そのまま次を指名しました。抽象的な数の5とブロックの数が5個あることが混乱しています。「5個?」と聞きなおしてもいいですが、「何が5個?」と問い返したり、「ブロックは5個だね。じゃあ12−7は?」と発言者の答を認めた上で、12−7の答を求めていることを確認したりするとよかったと思います。 3年生の算数の授業は、長さの補助単位kmの導入場面でした。 この単元では、時間と長さを扱います。何分何秒、何km何mという表わし方の考えが共通しているからです。このことを検討の時に話し合っていたので、時間の復習から始めることにしたようです。70秒が1分10秒になることを復習します。復習なので理由をあまりていねいに押さえませんでしたが、この日の授業で必要になる考え方は明確にしておく必要があります。「70秒と1分10秒は同じ時間?」「本当?」「絶対?」と子どもに迫ったりして、その理由を説明させます。「1分は60秒だから」「1分10秒は1分『と』10秒だから」といった言葉を子どもたちから引き出します。先ほどと同じく「と」にこだわることでこの表わし方の意味を明確にするのです。この授業者は午前中に私が話した授業技術を意識して使おうとしてくれました。うなずいたり、なるほどと認めたり、つなごうとしたり、まだまだぎごちないのですがその素直さがとても素晴らしいと思いました。きっと、大きく伸びてくれることと思います。 6年生の算数は、比例の導入部分でした。 ビーカーに水を入れている図を見せて、気づいたことを発表させます。資料から読み取る訓練としては悪くないのですが、この授業のねらいと照らし合わせると「?」がつきます。続いて時間が経過した図を見せて、時間と共に水の量が増えていることを確認します。 ここでは、時間と水の量の関係を演繹的に求めるのではありません。その関係を先に与えて、性質を確認する活動をするのです。何を調べているのかを素早く把握させるだけで十分だったと思います。 次に授業者は表を貼って、時間の欄を埋め、水の深さを途中まで埋めて止めます。2つの変量の関係で気づいたことをもとに、空欄を埋めさせようという流れです。気持ちはわかるのですが、これは数学的には根拠のない展開です。ここでは気づいた性質が必ず成り立つ保証がないからです。演繹的であれば、式を根拠にできます。しかし、単に途中までの値がわかっているだけでは、予想にすぎないのです。教科書では、表の空欄を埋める問題は、式や関係が明確な場合に限ります。例えば、紙の重さと厚さの関係を扱うのであれば、必ず2つの量が比例の関係にあるとあらかじめことわっているはずです。 また、ここでは、比例の関数的な性質、一方が2倍、3倍となると他方もそれに伴って2倍、3倍になることを押さえたいのですが、この視点はなかなか出てきません。指導書は、最初に自由に考察させるとなっていますが、「表を縦に見て、一定倍になっている」「表を横に見て同じだけ増えている」といったことしか出てきません。後者は1次関数の性質で、比例だけを特徴づけるものではありません。横に何倍という発想は過去にそういう視点で見る経験をしていなければでてこない、かなり特殊なものと言えます。指導書は自由に考察させてこの発想が出てくるように書いてありますが、かなり無理があります。教科書は、完成した表を与えて、時間が2倍、3倍、・・・になったとき水の深さがどうなるかを調べるとなっています。この発想が出にくいことをわかっているのだと思います。 もし子どもたちに気づかせたければ、そのための発問を用意しておく必要があります。「縦に見ると2倍になっている」といった発言に対して、「縦に見たんだ。2倍になっているんだね」「横ではどうかな?」「横で2倍になっているところはある?」というように切り返すと、気づく子どもが出てくるかもしれません。 授業者は、自分なりの工夫や準備をしっかりして臨んでくれました。だからこそ、授業のポイントが明確になるのです。おかげで、私自身もこの教材に対していろいろと気づき学ぶことができました。感謝です。 最後の授業は、中学校の学級活動の授業でした。体育大会で何を目指すか決めることを題材にして合意形成プロセスを体験するものです。エンカウンターや人間関係づくりを意識した授業です。 授業者は、「答えて」でなく「聞かせてくれる?」とIメッセージが自然に出てきます。子どもの発言に余計な言葉を足さずに、必ず同じ考えの人をつなぐようにしています。授業者のしゃべる量が少ないことに感心しました。授業者は、市全体で学び合いに取り組んでいる地区の中心的な学校で講師をしていた経験があるそうです。その学校は人間関係づくりのプログラムも自分たちでつくっています。そこでの経験をいかした授業でした。 子ども役は、「勝利」を目指す意見に対して、「団結」すれば「勝利」につながるというように、友だちの意見に対して、自分の考えを上手につないで発表してくれます。子どもたちにこうなってほしいと思う姿です。実際の授業でもこういった発言でてくれば、自然に自分の考えの主張の仕方を学んでくれると思います。 この地区では教育長が学び合い進めようとしていますが、スタートできるまでにまだ時間がかかりそうです。こういった授業が行われていくことで少しずつ理解が深まっていくのだと思います。参加者の皆さんにはよい刺激となったのではないかと思います。 最後に、この研修を通じてどんなことに気づいたかを何人かの方に聞きました。それぞれの視点で、これからやってみようと思うことがあったようです。 うれしことに、昨年に引き続き参加してくださった方が2人いました。内容的にはあまり大きく変わっていないので申し訳ないことをしたのですが、それにもかかわらず、よい気づきができたと話してくださいました。一人の方は昨年4年生の担任で、研修の後、子どもに「どう?」と発言を求めるようにしたところ、積極的に発言してくれるようになったそうです。結果、学級の雰囲気がよくなったとのことです。子どもたちは発言したがっていたのだと気づかれたそうです。とてもうれしい話でした。 参加された皆さんは、とてもよい表情で1日を終わられました。きっと得るものがあったのだと思います。授業について話し合ったり、見あったりすることから楽しく学べることを実感していただけたのなら幸いです。毎年のことですが、皆さんの模擬授業から私もたくさんのことを学んでいます。こういう機会をいただけることに感謝です。 これからの介護を考える研修で教育の現状の課題も考える
先週、介護研修で、これからの介護について皆さんと一緒に考える機会を持たせていただきました。
体温や血圧の測定、パルスオキシメーターの装着(動脈血酸素飽和度の測定)、簡単なケガの手当、医者からの説明を受けた本人や家族からの依頼による医薬品の使用の介助などは、一定の条件を満たせば医療行為とみなされないために、介護職員も行うことができます。最近では、医療行為である痰の吸引や胃ろうなどの経管栄養も一定の研修を受けた介護職員が行えるようになりました。これは、高齢者の増加によって、医療機関が飽和状態になってきたことや医療保険・介護保険の財政が悪化したために、今まで医療機関が行っていたことの一部を介護現場が受け皿にならざるを得なくなったということです。病院ではなく在宅にすることで医療機関の物理的負担を減らし、医師や看護師ではなく費用が安い介護職員が対応することで全体の費用を安く抑えようというわけです。介護保険も予防的な要支援をその対象から一部を外し、各自治体へ移管します。 介護職員に求められる知識や技術が増え、リスクと責任も増大します。それに対して介護費用が増えるわけではありませんから、給与等の収入増にはなかなかつながりません。わざわざ時間を使って研修を受けても、リスクや責任だけが増えるという構図の中、介護職員の方はこの流れを積極的に受け止めることができるのでしょうか。 ここで、実際に医療行為のための研修を現在受講している方に聞いてみました。その答は「今、目の前に(その医療行為を)必要としている人がいるから」というものです。「目の前の人に必要なことをする」という介護の仕事の原点に気づかされました。このことは学校の先生にも通じることです。目の前の子どもに必要なことをするために、勤務時間を越えて多くの方が働いています。こういった人たちによって社会は支えられているのです。 この施設の経営者の方から、介護の今後を考えてどう経営していこうとしているのかについてお話しいただきました。 その中で、職員の方が外部の研修を受けることに対するバックアップや技術向上のための研修を充実させる方針を発表されました。また、今後団塊の世代が後期高齢者になっていくと介護職員が大きく不足します。若い世代の方に介護の仕事に就いてもらう、続けてもらうためには、将来にわたって生活できる収入を保証する必要があります。そのために経営者として考えていることを伝えられました。 その解決の方向性は違いますが、職員のモラルに頼るのではなく経営者として何ができるかという発想は、当然学校現場にも通じることです。遅くまで働いている先生方に対して学校経営者としてどう対応するのか、校長に求められていることです。 これからの介護について考えることで、学校現場の課題についても考えることになりました。簡単に答の出ることではありませんが、職員のモラルに頼るだけでない解決策を考え続ける必要性を改めて感じました。 愛される学校づくり研究会の運営委員会に参加
先日は、愛される学校づくり研究会の運営委員会に参加しました。来年度開催予定の「愛される学校づくりフォーラム2015 in大阪」の企画案の検討と来週行われる「第1回 教育と笑いの会」の運営確認が議題です。
フォーラムについては、たたき台が準備されていたので、それをもとに話が進みました。午前の部については昨年までの劇に代わる新しい企画が生まれました。参加した運営委員が、これは面白いと大いに盛り上がった企画です。ここで紹介できないのが残念ですが、期待いただいて間違いなと思います。午後の部は昨年も好評だった模擬授業を継続する予定です。秋には詳細をお知らせできると思います。今しばらくお待ちください。 教育と笑いの会については、どのような展開になるか全く読めません。パネルディスカッションでは、いろいろな場合を想定してツッコミを考えていると話したところ、登壇者の一人から一言「全部ムダになる」と言われてしまいました。登壇者自身何を話すか決めていないというのです。そもそも言い出しっぺの野口芳宏先生が基調講演で何を話すか全く読めない。その話を聞いてから、内容を決めるというのです。そんな会で予定調和はあり得ないという訳です。確かにその通りですね。当日の登壇者の話をもとに、会場の参加者にも助けてもらいながら展開をその場で考えることになりそうです。真剣に考えると胃が痛くなりそうですが、あれこれ悩むことはやめにしました。当日は参加者と同じ目線でライブを楽しむつもりでコーディネーターを務めさせていただきます。どんな内容になるか全く予想がつきませんが、だからこそきっと面白いものになると思います。 たたき台を用意してくださった先生のおかげで議事はスムーズに進行しました。ワクワクする企画で、とても楽しみなフォーラムになりそうです。充実した時間を過ごすことができました。 若手の模擬授業による夏期研修(その2)
昨日の日記の続きです。
2つ目の模擬授業は「ふらっと九州」というタイトルで、地理の九州地方の学習の導入場面でした。タイトルを板書して、子ども役に写させます。その際に机間指導をしました。書いていない子ども役に書くように指示をします。気になる子ども役に対して個別に指導しようという気持ちが感じられます。どうしても、チェックに行ってしまうのです。机間指導をするならチェックするのではなく、よいところをほめてほしいと思います。タイトルを写すだけですから、机間指導まですると時間がムダになってしまいます。よい行動を増やす発想で、全体を見て早い子どもをほめるようにすればいいでしょう。気になる子どもに対して何かしたいのであれば、隣同士で確認するというやり方があります。ここではそれ以上のことを無理にしようとすると、時間ばかりがムダに過ぎます。100%を目指すのですが、気になる子どもに対してかかわりすぎるのも問題です。 九州のイメージについて、子どもたちに考えさせます。行ったことのない人も想像して答えるように指示しました。考える時間を取って挙手をさせたところ、1人しか手が挙がりません。指名したところ「暑い」と答えました。授業者が対応に困ったことが表情からわかります。すぐに言葉が出てきませんでした。授業者としては自然に関することを言ってほしかったのですが、気候についてでてきたので困ってしまったのです。この対応で発言者は外したと感じます。他の子どもは、こういうことは言ってはいけないんだと教師の意図を探り出します。ここは、「なるほど、寒いでなくて暑いイメージなんだ。同じようなイメージの人いる」としっかりと受け止めてあげることが必要です。そうすることで次の挙手が増えるはずです。 次に指名しようとした時も挙手は1人でした。ここで授業を止めて、子ども役にどうして手を挙げなかったのか聞いてみました。「イメージと言われて、何を答えていいかわからない」と発問の曖昧さを指摘する方や「他の子ども役がどんなことを言うか聞いてからにしよう」と空気を読んでいる方もいました。実際の授業でもおそらく子どもたちは同じようなことを考えるでしょう。よい気づきだと思います。どう答えたらいいのかわかる場面、子どもが安心して答えられる雰囲気をつくる必要があります。今回であれば、まわりの人と聞き合わせれば、気楽に考えを言えますし、「ああこんなことを言えばいいのか」と自信を持つことができます。このあとであればかなり挙手が増えるでしょう。「どんなことを話し合った?」と聞けば、答えやすくなります。挙手しない子どもでも指名できます。一人ひとりの発言を肯定的に受け止めれば、子どもたちは次第に挙手してくれるようになるでしょう。 ここで、できない子ども役の先生から、「できない子どもの気持ちになってみたら、九州はどこだろうと思った。そうなるとどうにも参加できない」という意見が出ました。その通りです。先生は子どもたちに知識がある前提で発問をすることがよくあります。当然こんなことは知っていると思って授業を進めると、思わぬところでつまずいてしまいます。授業で最低限必要となる知識をきちんと確認することが大切です。この授業であれば、日本地図で九州はどこか確認してから発問すべきだったでしょう。ICT環境が整っていれば、Google Earthを使って日本全体を見せ、そこから九州にズームインしてもおもしろいかもしれません。衛星写真を見ることで、授業者の意図した自然に視点がいくかもしれません。 授業者は、自然について考えてもらうといった説明するのですが、途中で産業、名産品といった言葉も出てきます。聞いている方は混乱してしまいます。発問や説明は簡潔にして、ブレがないようにする必要があります。 「○○の数」と板書して、九州の県名、学校のある県名と単位のない数が書かれた表を書いて写させます。この数を写すのに意味があるのならいいのですが、そうでなければムダな時間です。手元にある必要があるのなら印刷して配ればいいのです。九州の県は4,000台、2,000台、1,000台と大きな数が並びますが、学校のある県は100台です。地図を資料として渡してグループで考えさせます。地図の記号を見て発電所だという声が上がります。そんなに多いわけないだろうと次第にテンションが上がるグループが出てきます。当然です。答を出すための根拠となるものが何もないのです。地図の上の方に吹き出しで「九州には火山が多く、温泉も・・・」といった記述があるので、そのことに気づいた子どもは温泉地の数とわかるかもしれません。しかし、これでは根拠を持って考えたというより、教師のねらいを想像しただけにすぎません。意味のないグループ活動です。子どもたちが考えるための材料や知識がない活動がどれだけムダかを実感していただけたと思います。 温泉を子どもたちから出させたければ、火山の数や河川の数といったいくつかの県別のデータを与えて、そのデータと表のデータとの相関性から火山に関係があると気づかせるといった活動が必要になります。 先生方が子ども役になりきって授業を受けてくれたので、子どもの気持ちがよくわかったと思います。今回の模擬授業が子どもの視点で授業を見るきっかけになれば幸いです。 最後に先生方からいくつかの質問をいただきました。 「遊びにならないグループ活動にするためのポイント」 子どもたちに「ゴールはどこか」「そのために何をすればいいか」を明確にして活動を行うことが大切です。目標をはっきりさせ、子どもが自分で達成できたと判断できるような具体的な評価規準を与えることです。何をすればいいかという手段は、あらかじめ与えておくか、活動の途中でどのようなアプローチをしているかを進んでいるグループに発表させて共有し、再度グループ活動をさせるとよいでしょう。 「身近な話題を出そうとすると知識の差が大きい」 知識をもとに考えることが大切です。身近な話題でも、考えるための知識はできるだけ早く共有する必要があります。この課題を考えるために必要な知識は何かを明確にして、それを与えるのか調べさせるのかといった共有手段を考えておけば、知識の差はあまり気にする必要はないと思います。 「学力のない子どもをどう授業に参加させるか」 授業に参加できるための基礎的な力が不足しているのであれば、授業中に何とかしようというのはとても難しくなります。教師の負担が大きいのですが、参加できるための力を授業外でつけることを考えることも必要になります。授業後に補充をする。次の単元で必要となる基礎知識をまとめたものを準備して課題として与える。こういう対応が求められます。 また、わかった人と答を聞いたり、知っている人しか答えられないような知識をたずねたりしていては、学力のない子どもは参加できません。「今、○○さんの言ったこともう一度言ってくれる?」「なるほど思った?」、まわりの人と相談させて「どんなことを話し合ったか聞かせてくれる?」といった、聞いていれば参加できるような問いかけをすることも大切です。もし、答えられなかっても、「聞けなかった?もたいなかったね。○○さん、いいことを言ってくれたから、もう一度聞かせてくれるかな」と再度機会を与えたり、「まわりの人助けてくれる?」と友だちに助けてもらって答えさせたりすることで、必ず最後はほめて終わるようにします。その子なりに参加できる場面を意識することが大切です。 半日の研修でしたが、若い先生が積極的に模擬授業に挑戦してくれたのでとても充実したものになりました。2人とも自分なりの工夫をいろいろしてくれたので、授業において大切なものがより明確になったように思います。参加した先生方も、素直に子どもの気持ちになって子ども役をやってくださり、とても明るく楽しい雰囲気で研修を終わることができました。よい学びの機会をいただき、とても感謝しています。ありがとうございました。 若手の模擬授業による夏期研修(その1)
昨日は、中学校の夏期研修で講師を務めました。先生方全員が子ども役になって、社会科の若手の講師2人がそれぞれ導入部分の模擬授業を行なってくれました。その模擬授業を止めながら授業技術や授業構成について解説しました。
学力下位と上位の子ども役をそれぞれ2名ずつ決めて、開始です。 最初の授業は、下位の困った子ども役の指導で授業者が苦戦しました。前を向くのを待っているのですが、なかなか向いてくれません。後ろの子ども役が注意をしてくれているのですが、それをうまく活かすことができません。「○○さんが声をかけてくれてよかったね。○○さんありがとう」といった声をかけると、態度が変わったかもしれません。 「今日は何日?」と先ほどの気になる子ども役に質問します。「わからん」と答えました。ここで授業の進行を止めてその理由を確認しました。何の意味があるかわからない質問です。わざわざ自分に質問するということは、意図的なものを感じたのです。授業者は、この子どもでも答えられる質問をして参加させようとしたのですが、子どもから見るとバカにされている、狙い撃ちをされているように感じるのです。 こういった子どもを参加させるためには、復習などの場面でその子どもにあたるような列指名をします。正解が出ても、正解と言わず何人にも聞きます。同じ質問をその子どもにすれば、かなりの確率で答えてくれるはずです。みんなと同じ条件での参加をうながす工夫が必要です。 「全員が先生の目を見るまで話さない」と宣言して、子どもに顔を上げさせようとする場面がありました。この言い方では、命令のように聞こえます。反発する子どもは意地でも前を向かないかもしれません。「大切なことを話すから、先生を見てくれるかな」と軽く指示し、「○○さん、目が合ったね、素早いね、ありがとう」「△△さんも、□□さんも、ありがとう」と声をかけ、よい行動を増やそうとするとよいでしょう。授業者は、子ども役が全員前を向くと話し始めますが、その前に一言もありません。最後の一人に向かって「○○さん、見てくれたね、ありがとう」「みんな待っててくれてありがとう」「○○さん、待っててもらってよかったね」といった言葉がほしいところです。すぐに効果があるとは限りませんが、よい行動を増やす発想が大切だと思います。 朝食に何を食べたかを聞きます。子ども役にていねいに聞いていきますが、このこと自体は考えることでもありません。テンポよくやる必要があります。挙手などさせずに、順番にどんどん指名していけばいいのです。授業の本質に関係ない場面はできるだけテンポアップして、時間をかけない工夫が必要です。 この日のめあてを板書しますが、子ども役の方を振り返りません。子ども役はノートに写したり、板書を見たりとバラバラです。授業者は何も言わなくてもノートに写してほしかったようです。自分の授業では、そういうルールになっていたとしても、子どもの方を見て確認することが必要です。そうすれば、この状況に気づいて書くように指示することもできたはずです。 「○○の秘密」というめあてですが、その中に何が入るかを考えさせます。といっても考えるための手がかかりもありません。こういうことに時間をかけるのはムダです。授業者は納豆のパックの写真をみせてこれが何か子ども役に聞きます。納豆を食べない子どももいます。知らない子どもは答えられません。「これ何か知っている」「納豆」「はい、正解」と簡単に済ませればいいのです。 ○の中に納豆と書き込みました。下位の子ども役が「読めん」と声を出します。白と赤のチョークしかなかったので赤で書いたのですが、たしかに赤では読めません。「ごめん、ごめん」と言って書き直します。下位の子どもがこういったことを言ってくれたのであれば、「板書を読もうとしてくれたんだね。ありがとう。書き直すね。読める?」と指摘してくれたことをポジティブにとらえた評価をするとよいでしょう。 「3つの質問を考えてもらいます」と言って「Q1 最近1〜2年の納豆の変化は何でしょう」と板書をして写させます。実は、納豆の「たれ」を袋に入れなくてもいいように工夫していることに気づかせ、その理由を考える展開をしたいのです。とすれば、そこに気づくのに時間をかける意味はありません。できるだけ早く次に移ることを考えるべきです。 授業者は、A4に印刷した、2枚の納豆のパックの中身の写真を見せて変化を聞きます。資料が小さくて見えないと不満の声が上がります。たまたまなのか、いつもなのかはわかりませんが、資料は大きなものを見せる必要があります。また、子ども役から、「どちらが古いの?」というつぶやきがあります。「どっちも新しい」という声も上がります。これは取り上げるべきつぶやきですが、授業者はひろうことができませんでした。今回の資料を見る視点は変化ですが、日ごろから納豆を食べていない子どもには基準となるものがありません。この資料はどちらも最近ものでした。すると以前のものの資料を準備しておくことが必要です。 子ども役の言葉をひろって「いいこと言うね。資料を見る時はそれがいつかを知ることは大事だね」と評価すれば、資料を見る視点を共有することができます。どっちも新しいといった子どもに、どこでわかるか聞けば、すぐに工夫を引き出すことができます。子どもの言葉を活かすことを意識してほしいと思います。 いずれにしても比較の対象を明確にしておけばすぐに出てくることです。ある子ども役の先生が、自分の見つけたことをとても言いたかったと教えてくれました。手を汚れないような工夫をしていることが絶対正解に違ないと思ったからです。しかし、授業者はこの場面ではきちんと指名もせず、なんとなく意見を言わせていました。おそらく自分に都合のいいつぶやきが出るのを待っていたのだと思います。この授業では、この発問に時間をかける必要がありませんが、一般的にはたくさんの子どもが意見を言いたい状況であれば、ペアやまわりと意見の交換をさせることで、かなり満足させることができると思います。 子ども役の先生から、納豆の「変化」では納豆に目がいってしまし、何を答えていいかわからないという指摘もありました。確かにそうです。「納豆をつくる人の工夫」といった表現の方がよかったかもしれません。 ここで時間となりましたが、授業者はこのあとなぜこのような変化があったのかを考えさせる予定でした。授業者は、原油価格が高騰したので材料費を減らそうとしたという理由を出させたかったようですが、視点が明確でないと手を汚さない工夫しか出てこないと思います。以前に商品をつくる側の工夫をやっていたのなら、その時の視点を思い出させる。今回が初めてであれば、「商品をつくる側はどのような工夫をしているかな」といった予備の発問をして、「買ってもらえるようにする」「おいしくする」「簡単に食べられるようにする」「安くする」といった言葉を引き出すとよいでしょう。商品の「質」と「価格」といった視点にまとめてもいいでしょう。もちろん、こういったやり取りをしないで、子どもたちから出た意見を整理する過程で、キーワードとしてまとめるといった方法もあります。この授業であれば、コストカットから原油の高騰にまでつなげたかったので、事前にキーワードを出した方が時間を短縮できるのでよかったと思います。 授業者は、子どもたちの興味関心を引くような授業を意図してくれていました。だからこそ、本質でないところに時間をかけないようにする必要があります。興味を引き付けるためだけに、考えても意味のないことに時間を使っては、肝心のことを考える時間がなくなってしまいます。導入はできるだけコンパクトにするべきなのです。 何を考えさせるのか、そのために必要な知識は何か、その知識は教えるのか調べさせるのか。こういったことを考えて授業を組み立てる必要があります。 もう一つの模擬授業については明日の日記で。 学校力向上研修
昨日は、市の学校力向上研修に参加しました。対象は教務、校務主任や学年主任、研修担当者です。模擬授業の後に実際に研究協議をしていただき、それを受けて私が授業検討の進め方について解説をしました。授業者と研究協議の司会は今年度新任の教務主任にお願いしました。授業者は昨日まで野外教室に出かけておられ、大変お疲れのところ無理にお願いすることになりました。
授業は小学校5年のメダカの観察でした。授業開始にあたり協議会の司会者が、授業を見る視点を確認しました。授業の目標(指導案上)が達成できたかどうかを子どもの目で考える、子どもの様子で判断するというものです。こういった視点を確認するのはその後の協議を焦点化するためにとてもよいことです。 子ども役には上位、下位が決めてあり、見る側もどこを見るかが決められていました。子ども役は子どもになりきろうと意識していました。授業者の話を、顔を上げて聞かない。指示への対応が遅れる。こういった場面がたくさんありました。しかし、授業者はこういった授業規律に関してあまり頓着しませんでした。授業規律は、本来日常的に指導するものなので、スポットで行う模擬授業では意識されなかったのかもしれません。 生まれたばかりのメダカのスケッチをする場面は、スケッチのポイントを子どもたちに確認する場面がありませんでした。実際の授業では子どもがどのようにスケッチするかで、確認が必要だったかどうか判断できますが、メダカを準備できなかったこともあり、子ども役のスケッチからは判断できませんでした。ここが模擬授業の限界でしょう(授業者が意識できていれば、「子どもは説明しなくてもできるようになっている」と事前に伝えておくことで、確認の必要がないことがわかるのですが・・・)。 3人で1匹のメダカという前提でした。待っている時、見終わった後どうするかという指示がありません。子どもたちの集中力がなくなることは明らかです。当然、後出しの指示が多くなります。作業を止めずに指示を出したり、一部の子どもの問いかけにその場で答えたりします。この模擬授業を通じて、作業を止めて指示をしたのは1回だけでした。 グループの活動中の机間指導も気になりました。授業者が子どもの中に入り込んで全体の様子を見ていないのです。 卵の変化の様子について今までの観察をもとに気づいたことを書くことが主課題ですが、その4つの視点(目、血液、心臓、体の形)は観察が終わったあとから提示されました。今までの観察でこの視点が出ているのなら、観察の前に子どもたちと確認をしておく必要があります。押さえておくべきことが明確になっていないのです。 グループでまとめる作業に入りますが、司会者も決めて話型を書いた紙を配ります。この活動は意見をまとめるための根拠がありません。それぞれの観察記録があるとしても、一人ひとり書いてあるものが違うのですから、水掛け論にしかなりません。模擬授業ですから、それもないので、どう評価していいか困ってしまいます。実際の授業であれば、観察ごとにポイントを共有して全員の観察記録が共通の根拠として活用できるようになっている必要があります。そういった前提を与えてくれていればまた違ったかもしれません。 実際の授業であれば、毎回、全員が納得できる観察記録を選んでデジタルデータとして記録しておき、それを根拠として映し出してもよいでしょう。いずれにしても、観察記録を根拠として話し合うことを明確にしておくべきだと思います。 司会者を決めて話型をもとに進めるので、子ども役の顔は紙から上がりません。こういうコミュニケーション活動は問題があります。話すことばかりに意識がいって聞くことがおろそかになります。結論をまとめようとすると意見が分かれた時に納得できない子どもが出てきます。根拠となるものが明確でない場合はなおさらです。友だちの意見を聞いて納得したら自分のものにつけ足すといった発想が必要です。 全体での発表では、子ども役は授業者の方を見て発表します。他の子ども役も発表者を見ません。また、発表の途中で授業者が板書をする場面もありました。こういうところも気になります。意見の確認をするのにも根拠となるものが提示されないので、子ども同士で確認し合うことができません。結局、授業者のまとめがそのまま正解ということになってしまいます。ある子ども役が、体の形の変化を言うのに前に出て絵を描きました。その時何人かの子ども役が「ほう」と声をあげました。とてもよい場面ですが、授業者はこの「ほう」を取り上げませんでした。おそらく予定時間を過ぎていたので焦っていたのでしょう。「今声を出した人、それってどういうことかな?」と聞くことで、子どもたち評価させ、共有させたいところでした。 授業者の反省を受けて、グループでの協議になりました。この時、グループの司会者役を決めました。教師集団の場合、司会者がいてもあまり問題はないのですが、協議の様子を見ているとグループによっては司会者が議論の方向性を決めていたように見えました。 今回の協議は目標を達成できていたかについて話し合うのですが、グループによって結論はバラバラで、視点もかなり違っていました。しかし、時間がなかったので、司会者は「質問はありませんか?」と聞くだけで、参加者からは質問は出ませんでした。いくつものことを続けて発表するグループもあります。司会者は発言を整理したり、コントロールしたりする必要があります。その上で、「今の意見どうですか、似たようなことを話し合ったグループはいますか?」「この場面について話し合ったグループは、どのような意見が出ましたか」とつなぐといったことも必要です。 司会者は、授業の目標が達成できたかどうかについてたくさん話し合ってもらうのが目的で、全体発表についてはあまり重視していないようでした。この発想は決して間違いではありません。授業について話し合うだけでも学ぶことはたくさんあります。今回は授業の目標に焦点化したので、授業規律やグループや全体発表の進め方といった部分についてはほとんど触れられませんでした。私が気づいたことに気づいている方はたくさんいるように思います。しかし、授業の目標と直接関係しないので議論されませんでした。要はその学校で話題にすべきものが何かです。少なくとも、今回のような授業が予想される(授業規律などが確立できていない)学校であれば、授業目標の達成以外についての視点も用意すべきです。参考になること、改善点というような別の軸の視点を取り入れること(教育コラム「楽しく授業研究をしよう」【 第4回 】グループを活用した「3+1授業検討法」参照)や、授業者の反省の代わりに、困ったところといった議論してほしい場面を指定してもよいでしょう。 授業を見て焦点化すべき内容、場面を司会者が意識する必要があります。日ごろの学校における授業の課題も含めて、司会者は何が課題かを把握していることが求められるのです。この日の授業であれば、何を根拠にして子どもたちに考えさせるか、どうそれを意識させるかということと、グループ活動のあり方だったと思います。根拠が求められるのはグループ活動の場面だったので、結局そこに集約されます。グループ活動の場面を中心に議論すれば、各グループの話し合いの中で課題が焦点化できたと思います。 私のようなアドバイザーの立場であれば、どうするとよいといったことを指摘することもできますが、司会者がそれをしてはおかしくなります。課題を明確にしたうえで、どうすればよかったのか皆さんに考えてもらうことが大切です。例えば、話型にこだわると聞くことができないことに子どもの姿から気づければ、聞くことをもっと意識して活動を行う必要があるという課題が浮かび上がってきます。具体的にどうすればいいという対応策が出なくても問題ありません。学校全体の課題として、継続的にみんなで考えればいいのです。次からの授業研究の授業者がそのことを意識して授業をしてくれれば、次第にどうすればいいかが明確になってきます。 また、グループで議論した後、全体で深める時間がなかなか取れないということもよく聞きます。各グループで議論の内容を紙にまとめてもらい、まず黒板に貼るというやり方もあります。それを見ながら全体で共通している意見については軽く済ませ、議論が分かれるところ、焦点化すべきところについて意見を発表してもらうことで、効率的に進めることができます。 今回の研修は私にとっても新しい試みで、たくさんのことを考えることができました。時間配分や進め方など反省点は多々ありますが、ここから学んだことを次に活かしたいと思います。忙しい中、授業者と司会者を引き受けてくださったお二人の先生と、参加者の皆さんに感謝です。 中学校の校内研修会に参加
先週末は中学校の研修会で講師を務めました。学校外の研修施設を使って終日で行われました。私の担当は、授業ビデオを元にした子どもたちの見方の研修と、午後の教科別の話し合いのアドバイスでした。
授業ビデオは前回の訪問の後、この研修に合わせて急遽撮影し、編集していただいたものを利用しました。理科、英語、技術の3教科です。子どもを中心に撮影したものと、授業者を中心に撮影したものの2つを用意してもらいました。先生方に子どもだけを撮影したものを見て、子どもたちの行動の原因を考えてもらい、必要に応じてその場面で授業者がどういう行動をしていたかを授業者が写っているビデオで確認しようという意図です。機材の関係で両方を映すことができなかったので、子どものビデオだけで研修を進めました。 理科の授業は実験でした。実験の進め方の確認を各班で行っている場面での子どもたちの様子はとても面白いものでした。一部の子どもたちはかかわり合っていますが、友だちとふざけている子どももいます。また、確認が終わって何もすることがないのかそのままじっとしている子どももいます。子どもの様子はバラバラでした。この時授業者は何をしていたかたずねたところ、撮影の機材の設定をしていたそうです。授業者の視線が子どもに向いていないために、子どもの集中度合がバラバラになっていたようです。 ふざけている友だちに目をやったあと、何も言わずにじっと座っている子どもの姿が気になりました。注意をするか、声をかけてほしいところですが、無視をしています。個人主義的なものをその子どもからは感じました。こういう子どもが他にもいそうです。子ども同士のかかわりをつくることを意識する必要があるでしょう。 授業者が実験の説明を始めます。子どもたちは授業者の方に顔を向け、集中します。授業者が「・・・実験をしてください」と話した後、すぐにまた注意事項の説明を始めました。この後、明らかに子どもたちの集中力が落ちました。これから実験に移ると思った時に、また説明が始まったからです。ここは、集中を戻すために、全員が授業者を見るまで間を置く必要がありました。この説明が特に大切なものなら、なおのことです。どうしても、教師の説明が続く場面があります。そういう時でも、「どうするといいかな?」と子どもに問いかけたり、「何をすればいいかわかったかな。誰かに聞こうか」と確認したりする場面をつくり、少しでも受け身でない時間をつくるようにすることで、子どもたちの集中力を持続させることができます。 ある場面で、画面に映っている子どもの中でだれが気になるかをたずねました。この授業の最初から、実験道具で遊んだり、集中力を失くしたりする子どもいました。日ごろから皆さんが気にしている子どものようです。この場面でも、集中力を失くしていました。ほとんどの方がその子どもに目がいっていました。しかし、別の場所でも集中力を失くしてごそごそしている子どもがいたのですが、気づきませんでした。どうしても、日ごろから気になる子どもに目がいってしまいます。そうではなく、目立たない子どもにも目を向けることが大切です。ごそごそしている子どもを注意しろというのではありません。その子どもの様子をちゃんと認識していなければ、適切な対応ができないからです。 実験が開始されたときに、先ほどの日ごろから気になる子どもが実験に関して友だちに発言しましたが、すぐに遊びだしました。この子どもの様子を「よい」と考えるか「よくない」と考えるかを挙手で確認しました。同じくらいに分かれました。授業とすればとても面白い場面です。「よい」と考える方は、日ごろ授業に参加できないのに、ここでは参加できたから、「よくない」と考える方は参加したことは評価するが遊んでいるのはよくないからというのが理由です。同じ場面でもどこを重視でするかで評価は分かれます。このことを皆さんに気づいてもらいたかったのです。いずれにしても、授業に参加したことは「よい」と評価しているので、そのことを認めてほめてあげたいところです。しかし、授業者にはできませんでした。理由は、この時他の班にかかわっていたため、この班が死角になって見ることができなかったからです。たまたまなのですが、できるだけ死角をつくらず常に全体を見ることの大切がわかる場面でした。 英語の授業では、子どもたちの体調を聞く場面で面白い姿を見ることができました。一部の子どもが起立していて、その子どもたちに授業者が問いかけています。起立している子どもはとてもよい表情で、授業者の質問に答えようとしています。授業者と子どもの人間関係のよさがわかります。ところが、着席している子どもたちは一部を除いて勝手なことをしています。授業者も、起立している子どもも見ていません。自分たちには関係ないと思っているのです。決して授業に参加する気がないのではありません。この場面では、座っている子どもの参加する余地がないのです。これは、誰かが発言している場面でも同じことです。聞いている子どもが参加する仕掛けが必要になります。 フラッシュカードを使って単語の練習をする場面がありました。ある単語で授業者は何度も子どもたちに繰り返し練習させます。声が小さかったからでしょうか、重要な単語だからでしょうか、それとも発音に問題があったからでしょうか。何がいけなかったか子どもたちはわかりません。ただ何度も発音するだけです。目標や評価規準が子どもにわかるような活動にする必要があります。 列ごとに最初に問題を解けた子どもがミニティーチャーになる場面がありました。ちょっと苦しそうな子どもが教えてもらって、うれしそうな顔をしていました。よい場面です。自分から友だちに聞けない子どもには、ありがたいことです。しかし、わかった子どもが教えに行くというのは、必ずしもよい方法ではありません。自分で考えたい子どもにとっては大きなお世話です。わからなければ、自分で聞けるようにすることが大切です。授業のいろいろな場面で、わからなければ聞くようにうながしてほしいと思います。また、聞かれた子どもに対しては責任を持ってわかるまで教えるようにさせることが必要です。わからない子どもではなく、わかっている子どもにプレッシャーをかけるのです。 ベテランの技術の授業は、作業の説明場面でした。子どもたちはとても集中しています。授業者が映っていなくても、どこにいるかが子どもの視線でわかります。授業者は、子どもを集め、板を見せ、上手に間を取りながら説明します。板をどの子どもにもよく見えるように持ち替えながら、首を動かして子どもたちを見ています。ここでも子どもたちはとても集中していました。子どもたちが集中する理由を先生方にたずねました。「実物を見せているから」「教師のまわりに小さく寄せているから」「ちゃんとした作品を作りたいと思っている。聞いていなければできないから」「子どもをよく見ているから」といろいろな考えを言っていただけました。どれもとてもよい視点です。子どもたちが集中するための条件がよくわかったと思います。 ビデオを30分くらい用意してあったのですが、すべてを見ることはできませんでした。見ることができなかった場面にも面白い子どもの姿があったそうで、申し訳ないことをしてしまいました。先生方はとても集中して参加してくださいました。終わったあと初任者に感想を聞いたところ、見る視点が自分と全然違っていたと話してくれました。同じ子どもの姿を見ても、視点によって見え方が違うことに気づいてくれたようです。 午後は、まず学習アンケートの結果報告があり、それに続いて、「自学ノート(仮称)」についての提案がありました。自学ノートは個人の学習の目的に合わせて自分で何に取り組むかを決め、1日1ページ(以上)、家庭で学習するというものです。白紙の状態では何に取り組めばいいのかわからないだろうから、参考となるような「家庭学習の進め」を各教科で作成することも考えられています。そこには、学校の宿題や塾での課題など、与えられたことを受け身でするのではなく、自分で考えて学習をする習慣をつけてほしいという願いが込められています。それに対して何人かの方から、質問、意見がありました。共通していたのは、「今でも宿題をこなすのが苦しい子どもがいる。下位の子どもには、教師に指導されるネタが増えるだけだ。負担増になって苦しめることにはならないか」ということです。確かにその通りです。下位の子どもたちにも目を向けることはとても素晴らしいことです。そこで失礼ながら割り込ませていただき、次のような私見を述べさせていただきました。 下位の子どもに、上位、中位の子どもと同じことを求めることは難しいだろう。とはいえ、何もしなくては彼らがわかる、できるようになることない。負担になることではなく、彼らにできること、やる気の出ることをさせ、力をつけることが大切ではないか。一律の課題であれば難しいことだが、この自学ノートという方式なら、彼らにあった学習をさせることができる。上位、中位には自分たちで考えさせ、下位の子どもにはピンポイントで学習内容を与えてもいい。是非、下位の子どもに取り組ませるべきことを考えてほしい。 この後、各教科での話し合いでしたが、それぞれ15分ずつ私なりのアドバイスをさせていただきました。皆さんとても真剣に考えておられ、よい刺激を受けました。 この日は、子どもだけを撮影したビデオを使って授業について参加者と考えるという、新しい試みをすることができ、とてもよい勉強になりました。また「自学ノート」という、下位の子どもにとっても可能性のある提案を聞けてとても参考になりました。皆さん以上に私が多くのことを学べた1日でした。このような機会をいただけたことに感謝です。 個別指導の落とし穴
グループ活動をしている時に、ちょっと気ななる場面に出会うことがあります。グループの中に他の子どもとかかわれない子どもが1人だけいるのです。子どもたちがグループ活動に慣れていない、人間関係が上手くつくられていない学級では珍しいことではないのですが、子どもたちの関係もよく、その子以外はとても上手にかかわり合える学級だったりすると気になります。どうやらこのことは、個別指導と関係があるようなのです。
こういった子どもは学力が低い傾向があります。教師は日ごろからそういった子どもに気をつけて、授業中に個別指導をします。グループ活動の時でも、みんなについていけないからと個別に対応することがよくあります。こういうことが続くと子どもたちは、「あの子は先生が面倒見るからいい」と考えて、別に無視するつもりはなくてもかかわらなくなってしまうのです。当人も、先生が助けてくれるのを待つので、他の子どもにかかわろうとはしないのです。 教師は個別指導が支援の一番よい形だと思いがちですが(個別指導が最良の方法ではない参照)、決してそうではないのです。困っている子どもに対して、わからなければ他の子どもに聞くようにうながして、友だちに教えてもらえる関係をつくることも大切なのです。教師が常にその子どもに張り付いているわけにはいきません。特に中学校では、小学校と比べて進度が速くなります。個別指導の時間は限られてしまいます。子どもが他の子どもとかかわれるようにしておくことが大切になるのです。個別指導が、子ども同士のかかわり合いを阻害する要因になることも意識しておいてほしいと思います。 |
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