中学校の校内研修会に参加

先週末は中学校の研修会で講師を務めました。学校外の研修施設を使って終日で行われました。私の担当は、授業ビデオを元にした子どもたちの見方の研修と、午後の教科別の話し合いのアドバイスでした。

授業ビデオは前回の訪問の後、この研修に合わせて急遽撮影し、編集していただいたものを利用しました。理科、英語、技術の3教科です。子どもを中心に撮影したものと、授業者を中心に撮影したものの2つを用意してもらいました。先生方に子どもだけを撮影したものを見て、子どもたちの行動の原因を考えてもらい、必要に応じてその場面で授業者がどういう行動をしていたかを授業者が写っているビデオで確認しようという意図です。機材の関係で両方を映すことができなかったので、子どものビデオだけで研修を進めました。

理科の授業は実験でした。実験の進め方の確認を各班で行っている場面での子どもたちの様子はとても面白いものでした。一部の子どもたちはかかわり合っていますが、友だちとふざけている子どももいます。また、確認が終わって何もすることがないのかそのままじっとしている子どももいます。子どもの様子はバラバラでした。この時授業者は何をしていたかたずねたところ、撮影の機材の設定をしていたそうです。授業者の視線が子どもに向いていないために、子どもの集中度合がバラバラになっていたようです。
ふざけている友だちに目をやったあと、何も言わずにじっと座っている子どもの姿が気になりました。注意をするか、声をかけてほしいところですが、無視をしています。個人主義的なものをその子どもからは感じました。こういう子どもが他にもいそうです。子ども同士のかかわりをつくることを意識する必要があるでしょう。
授業者が実験の説明を始めます。子どもたちは授業者の方に顔を向け、集中します。授業者が「・・・実験をしてください」と話した後、すぐにまた注意事項の説明を始めました。この後、明らかに子どもたちの集中力が落ちました。これから実験に移ると思った時に、また説明が始まったからです。ここは、集中を戻すために、全員が授業者を見るまで間を置く必要がありました。この説明が特に大切なものなら、なおのことです。どうしても、教師の説明が続く場面があります。そういう時でも、「どうするといいかな?」と子どもに問いかけたり、「何をすればいいかわかったかな。誰かに聞こうか」と確認したりする場面をつくり、少しでも受け身でない時間をつくるようにすることで、子どもたちの集中力を持続させることができます。
ある場面で、画面に映っている子どもの中でだれが気になるかをたずねました。この授業の最初から、実験道具で遊んだり、集中力を失くしたりする子どもいました。日ごろから皆さんが気にしている子どものようです。この場面でも、集中力を失くしていました。ほとんどの方がその子どもに目がいっていました。しかし、別の場所でも集中力を失くしてごそごそしている子どもがいたのですが、気づきませんでした。どうしても、日ごろから気になる子どもに目がいってしまいます。そうではなく、目立たない子どもにも目を向けることが大切です。ごそごそしている子どもを注意しろというのではありません。その子どもの様子をちゃんと認識していなければ、適切な対応ができないからです。
実験が開始されたときに、先ほどの日ごろから気になる子どもが実験に関して友だちに発言しましたが、すぐに遊びだしました。この子どもの様子を「よい」と考えるか「よくない」と考えるかを挙手で確認しました。同じくらいに分かれました。授業とすればとても面白い場面です。「よい」と考える方は、日ごろ授業に参加できないのに、ここでは参加できたから、「よくない」と考える方は参加したことは評価するが遊んでいるのはよくないからというのが理由です。同じ場面でもどこを重視でするかで評価は分かれます。このことを皆さんに気づいてもらいたかったのです。いずれにしても、授業に参加したことは「よい」と評価しているので、そのことを認めてほめてあげたいところです。しかし、授業者にはできませんでした。理由は、この時他の班にかかわっていたため、この班が死角になって見ることができなかったからです。たまたまなのですが、できるだけ死角をつくらず常に全体を見ることの大切がわかる場面でした。

英語の授業では、子どもたちの体調を聞く場面で面白い姿を見ることができました。一部の子どもが起立していて、その子どもたちに授業者が問いかけています。起立している子どもはとてもよい表情で、授業者の質問に答えようとしています。授業者と子どもの人間関係のよさがわかります。ところが、着席している子どもたちは一部を除いて勝手なことをしています。授業者も、起立している子どもも見ていません。自分たちには関係ないと思っているのです。決して授業に参加する気がないのではありません。この場面では、座っている子どもの参加する余地がないのです。これは、誰かが発言している場面でも同じことです。聞いている子どもが参加する仕掛けが必要になります。
フラッシュカードを使って単語の練習をする場面がありました。ある単語で授業者は何度も子どもたちに繰り返し練習させます。声が小さかったからでしょうか、重要な単語だからでしょうか、それとも発音に問題があったからでしょうか。何がいけなかったか子どもたちはわかりません。ただ何度も発音するだけです。目標や評価規準が子どもにわかるような活動にする必要があります。
列ごとに最初に問題を解けた子どもがミニティーチャーになる場面がありました。ちょっと苦しそうな子どもが教えてもらって、うれしそうな顔をしていました。よい場面です。自分から友だちに聞けない子どもには、ありがたいことです。しかし、わかった子どもが教えに行くというのは、必ずしもよい方法ではありません。自分で考えたい子どもにとっては大きなお世話です。わからなければ、自分で聞けるようにすることが大切です。授業のいろいろな場面で、わからなければ聞くようにうながしてほしいと思います。また、聞かれた子どもに対しては責任を持ってわかるまで教えるようにさせることが必要です。わからない子どもではなく、わかっている子どもにプレッシャーをかけるのです。

ベテランの技術の授業は、作業の説明場面でした。子どもたちはとても集中しています。授業者が映っていなくても、どこにいるかが子どもの視線でわかります。授業者は、子どもを集め、板を見せ、上手に間を取りながら説明します。板をどの子どもにもよく見えるように持ち替えながら、首を動かして子どもたちを見ています。ここでも子どもたちはとても集中していました。子どもたちが集中する理由を先生方にたずねました。「実物を見せているから」「教師のまわりに小さく寄せているから」「ちゃんとした作品を作りたいと思っている。聞いていなければできないから」「子どもをよく見ているから」といろいろな考えを言っていただけました。どれもとてもよい視点です。子どもたちが集中するための条件がよくわかったと思います。

ビデオを30分くらい用意してあったのですが、すべてを見ることはできませんでした。見ることができなかった場面にも面白い子どもの姿があったそうで、申し訳ないことをしてしまいました。先生方はとても集中して参加してくださいました。終わったあと初任者に感想を聞いたところ、見る視点が自分と全然違っていたと話してくれました。同じ子どもの姿を見ても、視点によって見え方が違うことに気づいてくれたようです。

午後は、まず学習アンケートの結果報告があり、それに続いて、「自学ノート(仮称)」についての提案がありました。自学ノートは個人の学習の目的に合わせて自分で何に取り組むかを決め、1日1ページ(以上)、家庭で学習するというものです。白紙の状態では何に取り組めばいいのかわからないだろうから、参考となるような「家庭学習の進め」を各教科で作成することも考えられています。そこには、学校の宿題や塾での課題など、与えられたことを受け身でするのではなく、自分で考えて学習をする習慣をつけてほしいという願いが込められています。それに対して何人かの方から、質問、意見がありました。共通していたのは、「今でも宿題をこなすのが苦しい子どもがいる。下位の子どもには、教師に指導されるネタが増えるだけだ。負担増になって苦しめることにはならないか」ということです。確かにその通りです。下位の子どもたちにも目を向けることはとても素晴らしいことです。そこで失礼ながら割り込ませていただき、次のような私見を述べさせていただきました。

下位の子どもに、上位、中位の子どもと同じことを求めることは難しいだろう。とはいえ、何もしなくては彼らがわかる、できるようになることない。負担になることではなく、彼らにできること、やる気の出ることをさせ、力をつけることが大切ではないか。一律の課題であれば難しいことだが、この自学ノートという方式なら、彼らにあった学習をさせることができる。上位、中位には自分たちで考えさせ、下位の子どもにはピンポイントで学習内容を与えてもいい。是非、下位の子どもに取り組ませるべきことを考えてほしい。

この後、各教科での話し合いでしたが、それぞれ15分ずつ私なりのアドバイスをさせていただきました。皆さんとても真剣に考えておられ、よい刺激を受けました。

この日は、子どもだけを撮影したビデオを使って授業について参加者と考えるという、新しい試みをすることができ、とてもよい勉強になりました。また「自学ノート」という、下位の子どもにとっても可能性のある提案を聞けてとても参考になりました。皆さん以上に私が多くのことを学べた1日でした。このような機会をいただけたことに感謝です。

個別指導の落とし穴

グループ活動をしている時に、ちょっと気ななる場面に出会うことがあります。グループの中に他の子どもとかかわれない子どもが1人だけいるのです。子どもたちがグループ活動に慣れていない、人間関係が上手くつくられていない学級では珍しいことではないのですが、子どもたちの関係もよく、その子以外はとても上手にかかわり合える学級だったりすると気になります。どうやらこのことは、個別指導と関係があるようなのです。

こういった子どもは学力が低い傾向があります。教師は日ごろからそういった子どもに気をつけて、授業中に個別指導をします。グループ活動の時でも、みんなについていけないからと個別に対応することがよくあります。こういうことが続くと子どもたちは、「あの子は先生が面倒見るからいい」と考えて、別に無視するつもりはなくてもかかわらなくなってしまうのです。当人も、先生が助けてくれるのを待つので、他の子どもにかかわろうとはしないのです。

教師は個別指導が支援の一番よい形だと思いがちですが(個別指導が最良の方法ではない参照)、決してそうではないのです。困っている子どもに対して、わからなければ他の子どもに聞くようにうながして、友だちに教えてもらえる関係をつくることも大切なのです。教師が常にその子どもに張り付いているわけにはいきません。特に中学校では、小学校と比べて進度が速くなります。個別指導の時間は限られてしまいます。子どもが他の子どもとかかわれるようにしておくことが大切になるのです。個別指導が、子ども同士のかかわり合いを阻害する要因になることも意識しておいてほしいと思います。
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