多くのことに気づけた授業参観(その2)
昨日の日記の続きです。
4年生の道徳の授業は、マラソンの高橋尚子選手についての読み物教材を使ったものでした。 オリンピックのポスターを準備して、何のポスターかをたずねます。1人を指名して「オリンピック」という答が出ると、「賛成」の声が上がります。挙手の数に対して声の数の多いことが気になります。 教材を範読しますが、淡々と読んでいきます。読み終ると、話の内容について確認します。一問一答がしばらく続きます。授業者は発言者をしっかりと見ていまが、全体の様子を見ることはしていません。子どもたちは、授業者の板書で確認ができるので、あまり真剣には聞いていませんでした。 結果が出なかった時の主人公の気持ちを考えさせるのですが、子どもたちはあまり深く考えていません。「頑張っているのに、いつも予選落ちだよ」「悔しくて、つらくて泣きながら走っているんだよ」「もう走るのは嫌になるよね」と主人公の気持ちに入り込ませるよう働きかけ、「それでも、また走ろうと君たちなら思える」といった迫り方をすると、子どもたちがより深く考えてくれたのではないかと思います。 読み物教材は、主人公の姿を借りて自分がこれからどのようにしようかと考えることが大切です。「高橋尚子のように、結果が出ないかもしれないけれど挑戦できる?」「挑戦し続けることに価値があるって本当?だれも認めてくれないかもしれないよ」といった揺さぶりをしながら、自分なりの考えを持たせ、友だちのいろいろな考えに触れながら少しずつ心を耕していくようにしたいものです。 もう1つの4年生の授業は国語で、俳句をつくる場面でした。 授業者は、子どもの言葉をたくさん引き出し、それをもとに進めていこうとしています。とてもよい姿勢です。夏のイメージを広げるために、夏休みから連想する言葉を引き出そうとしている時に、「自由研究」に対して、「あっあ」と反応する子どもがいました。授業者はそれを取り上げませんでしたが、こういった子どもの反応を「今反応してくれたね。それってどういうこと」と全体の場でとりあげることで、発言がつながっていきます。私的な発言を公的なものにするという発想も持てるといいでしょう。また、子どもの発言に対して、授業者が勝手に別の言葉を足す場面がありました。子どもの発言は変えたり足したりせずに、できるだけそのままで扱うことが大切です。 夏をイメージする言葉を発表して、それらを使って俳句をつくらせます。五七五といった俳句の基本的なルールを確認しますが、俳句をつくる目標が明確になっていません。これでは、友だちの句について感想を発表させても、その視点も定まりません。句を読んだ人が、「夏の風景が目に浮かぶ」「『あぁ、夏だなあ』と感じる」といった具体的な目標が必要です。そして、目標達成のために、どのような工夫をするかを考えることを求めます。ここで、今までの学習の積み重ねが効いてきます。これまでにやった俳句の授業を振り返って、どんな工夫があったかをもう一度整理するのです。活動に対しては、目標達成のための手段を与えることを意識してほしいと思います。目標とその達成のための工夫を意識することで、俳句をつくることも友だちの句を鑑賞することもより深いものなっていくはずです。 授業研究は、6年生の社会科でした。世界が抱えている課題を「未就学児童」の問題から考えさせようというものです。 資料の一つを声に出して読ませます。読むことで、全員に資料の内容を把握させようというのでしょうが、子どもはただ字面を追っているように見えました。子どもが読みにつまった時に授業者が助けました。このことは別に間違いでもおかしなことでもないのですが、私はこういった時に、まわりの子どもが助けてくれるといいと思っています。子どもは困った友だちを助けるのは教師の仕事だと思っています。授業者が、「まわりの人、助けてくれる?」と声をかけるだけで、子ども同士の関係は変わっていきます。 資料から読み取ったことを発表させます。「未就学児童数」という言葉が出てきますが、きちんと定義はしていません。資料を扱う時には、それが何を示しているのかを押さえておく必要があります。未就学児童とは、いくつの子どもを対象にしているのか、未就学とはどういう状況か、こういったことを明確にすることを常に意識してほしいと思います。未就学児童数が6,700万人ということが出てきます。そこに気づけなかった子どももいるはずです。そういった子どもたちは、結果を聞くだけでは、自分で資料を読み取る力をつけることができません。どこに書いてあるかを確認することが必要です。簡単な資料であれば、隣同士でその場所を指さして確認し合うといった方法もあります。また、6,700万人がどれほどの数か子どもたちに実感させる必要もあるでしょう。この市や県の児童数といった身近な数や、世界の児童の人数などを比較として出すとよかったと思います。 学校にいけない理由をヒントとなる写真を見せてグループで考えさせます。写真は「子どもが川をボートで渡っている」「子どもが働いている」「子どものそばに兵士が立っている」の3種類です。学校にいけない理由という条件から子どもは写真の場面を想像しますが、写真から読み取ったことを明確にして、それを根拠に話し合っているグループはそれほど多くはありません。資料(写真)からどんなことがわかるかをまず確認するということを指導する必要があるでしょう。また、授業者はグループで考えをまとめさせようとしましたが、個人が納得する答を持てればそれでいいというように考えてほしいと思います。 子どもたちに学校にいけない理由を発表させますが、授業者は答につながる言葉が出てくるとそれを受けて自分で説明し、用意した理由のカードを写真のところに貼ります。カードが準備されているということは教師が考える正解があるということです。こういうやり方をすべて否定するわけではありませんが、答探しの活動になりやすいことも事実です。 3枚の写真を元に理由が挙げられますが、それを補強するような資料の提示はありません。子どもが就学できない理由、経済の指標、内戦や紛争地帯などの資料を示したいところです。 子どもが学校にいけないとどういうことが起こるか考えさせるために、あらかじめ授業者が用意した、「働けない」「貧しい」「子どもが働く」・・・といった状況が絵で示された負の連鎖のカードを因果の順番に並べる課題にグループで取り組ませます。子どもたちは因果関係を考えますが、これが原因だ、結果だとはっきり言えるものばかりではありません。根拠を明確にできないので考えが収束しにくく、子どもたちのテンションは上がり気味でした。 活動終了後、各グループの結論を黒板に貼り、1グループに発表させました。答を順番に示すだけで根拠は語られないので、他の子どもたちは黒板に貼られた結論を見ることで十分です。集中して聞いてはいませんでした。授業者は、時間がないので1グループで発表を止めて、答はいろいろと考えられるけれど、学校に行けないことでこういうことが起こるとまとめました。子どもたちに何を考えさせたかったのでしょうか。結局、教師の考える負の連鎖の内容をカードから読み取る活動でしかありませんでした。グループで考える活動のように見せていますが、実は教師の考える答を与えているだけなのです。子どもたちは、自分たちが何を考えたのかよくわからないままで授業は終わりました。 また、前半の学校にいけない3つの理由と後半の負の連鎖の関係はあまりありません。唯一、貧しくて働かなければいけないので学校にいけないということが、負の連鎖の一つの例となっているだけです。1時間を通じて社会科として何を考えさせたかったのかがはっきりしない授業になってしまいました。 今回授業を見た7人全員と1時間話す時間をいただきました。皆さん、自分の授業のことでなくても一生懸命話を聞いてくれました。前向きな姿勢です。また、私の指摘を素直に受け止めてくれたのもうれしいことでした。 全体での授業検討会は、全員が指定の授業を見ていなかったことと時間があまりなかったこともあり、「授業規律」「全員参加」「グループ」に関して学校全体で感じた課題を私からお話をしました。 授業規律に関しては、授業開始時に子どもが席についていない学級や遅れてくる子どもが目についたことから、「よい行動を広げる」発想での指導について具体的に話をしました。 全員参加に関しては、わかった子どもだけで授業を進めないためには挙手だけに頼らないこと、「わかった」ではなく「困った」から出発することをお願いしました。 グループに関しては、結論をグループでまとめないこと、「話し合い」ではなく「聞き合い」にすること、グループで考える必然性のある課題とすることなどを話しました。 この日私が授業を見なかったベテランの先生方もよく反応してくださいました。短い時間でどれだけのことが伝わったかはわかりませんが、何かの参考になれば幸いです。 学校全体でユニバーサルデザインの発想で授業をつくることや、算数の授業を6年間の系統を意識したものにすることに取り組んでいます。とてもよい取り組みです。こういった取り組みを活かすためにも基本的なことを大切にして授業を進めていただけたらと思います。 今年度は、来年の1月にもう一度訪問させていただきます。学校全体がどのように変わるかとても楽しみです。 多くのことに気づけた授業参観(その1)
先日、小学校で授業研究と若手6人の授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。
1年生の算数の授業は、引き算の学習でした。 授業者は子どもをよく見て授業を進めています。指示も「待ってあげよう」と全員がそろうまでちゃんと待って徹底を図っています。 この日の授業は、数の「違い」の学習の最初の時間です。この時間ではどれだけ多いかを考え、次の時間で2数の「差」を「違い」として認識します。授業者はこの時間のめあてを、違いを考えることにしました。2枚の絵を順番に見せて、2種類のカエルの数の違いに気づかせて進めます。気づいたことを言わせるのですが、めあての「違い」という言葉に引きずられて、絵の違いについての発言が続きます。「数の違い(差)」という算数の用語が定義されていないので、子どもたちは日常の言葉としての「違い」に意識がいってしまったのです。教科書は、どれだけ多いということを押さえてから、数の違いを定義していきます。算数では日常の言葉と同じ言葉を用語として使います。そのおかげで概念がわかりやすいこともあるのですが、かえって混乱することもあります。このことに十分注意して、用語の定義をしていかなければいけません。この時間のめあてはあくまでも、どれだけ多いか考えることにするべきだったと思います。 授業者は、ていねいに子どもの言葉を聞きながら授業を進めますが、その言葉を他の子どもにつなぎません。そのため、その間どうしても子どもが集中力を失くしてテンポが悪くなります。子どもの発言をいつも授業者が受けるのではなく、「今の意見どう?」と他の子どもにつなぐこともすると、子どもの集中力が切れずにテンポがよくなっていくと思います。 子どもをほめることもできています。算数的なよさを具体的に評価してほめることを意識することで、子どもたちの学習意欲がより高まると思います。 6年生の保健の授業は生活習慣を考えさせるものでした。 明るい表情で楽しく授業を進めています。糖分の取りすぎを考えさせるために、ペットボトル飲料やお菓子の糖分についてクイズ形式でたずねていきます。これは知識ですので、あまり考える時間を取っても意味はありません。無責任に参加できますからテンションも上がります。興味を持たせることができれば、何問もやる必要はありません。テンポよく進めて、必要な情報を整理して与え、その知識をもとに考えさせることにもっと時間を使うとよいでしょう。生活習慣に関して、子どもたちにどのようなことに気をつけるかを考えさせましたが、このクイズに関連した食生活に関することはあまり出ませんでした。クイズで盛り上がることとその内容が知識として定着して活用されるかはまた別のようでした。 授業者は子どもを見ることをあまり強く意識していないようでした。机間指導もなんとなく回っているだけで、何を見ようとしているのかがよくわかりませんでした。子どもたちの発言中も他の子どもを見ることはしません。一問一答形式です。どの子どもにつなごうかという意識がないからでしょう。そのため、発言する子どもだけで授業が進んでいきます。子どもたちへの接し方など、とてもよいものを持っているので、少し意識を変えるだけで大きく進歩すると思います。 5年生の道徳の授業は、自由と自律について考えるものでした。 授業者の話を聞いていない子どもが目立ったことが気になります。授業者も子どもたち一人ひとりと目を合わせていません。また、子どもに問いかけて賛成か反対か反応を求める場面では、なかなか全員が参加しません。反応しない子どもがいてもそのまま進んでいくことが気になりました。 最初に1分間、5年生になってからの自分の生活を振り返らせ、横1列を順番に指名していきました。子どもたちは他の子どもの発表をあまり真剣に聞いていません。せめて「同じようなことを考えた人」と問いかけるだけでも、子どもの聞こうとする気持ちは高まったと思います。続いて、「自由と自律について考えよう」とめあてを出しますが、唐突です。最初の発問とのつながりがわかりません。めあてとつながる、必然性のある導入を考える必要があります。 自由について子どもに書かせて発表させますが、子どもたちはあまり挙手しようとはしません。書いているのに発表しようとしないことはどういうことかを考える必要があります。道徳では正解不正解はないはずです。間違って恥をかく心配はありません。それなのに、挙手しないというのは発表することに価値を感じていないということです。発言を他者へとのつながりで評価することが必要になると思います。 ゲームをやっている子どもに対してお母さんが何か言っている絵を見せて、自由についてグループで話し合わせます。この種のことをグループで話し合わせ結論を出そうというのは、子どもの本音が出ないので、形だけのものになります。子どもの本音を引き出すような課題にすることが大切です。子どもたちに、「ゲームをもっとやりたいと思ったことがないか?」といった問いかけをして、「その時、どうした?」「その理由は?」といったことを共有させる。注意をしたお母さんの気持ちを考えさせて、その時注意された方はその気持ちをわかっているかといったことを聞く。こういった子どもに迫る活動をした上で、考えさせることが必要でしょう。 3年生の理科の授業は、昆虫の体のつくりの観察の授業でした。 子どもにわかったかを確認する場面で、「はーい」と答えたのは4分の1ほどでした。授業者はそのまま進めていきます。こういうことが続くと、子どもは自分が参加する必要はないと感じるようになります。全員の参加を求める姿勢が大切になります。反応しない子どもに、どこで納得できていない確認したり、返事をした子どもに説明させたりすることが求められます。 ケースに入れたショウリョウバッタをグループに一匹ずつ与えて、観察をさせます。頭、胴、足に分かれているか、翅は何枚かといったことが視点になります。頭と胴はどう区別するのかといった定義にあたる部分が明確になっていません。そのため子どもたちは何となく観察しています。グループでかかわるべき課題が明確にあるわけではありませんから、自分の観察が終わった子どもたちは集中力を失くしていきます。結果を図で確認しますが、せっかく実物を準備しているのですから、実物を元に説明したいところです。ここで活躍するのが実物投影装置です。ショウリョウバッタを写して、適当な画面を記録し拡大したもので、具体的にどこが頭でどこが胴か、足はどこから出ているなどを確認するのです。こうすることで、なんとなく観察の結果を知識として覚えるものだと思っている子どもも、どこが頭で、どこが胴か自分の目で理解、確認しようとするはずです。実物を準備したのですから、最後まで実物にこだわりたかったところです。 翅が2枚か、4枚かで子どもの意見が分かれました。この時期のバッタは幼体なので、翅が完全には発達していません。授業者は、結論を避けました。観察を重視すれば2枚という結論になるかもしれません。ここで、4枚という子どもに根拠を言わせればよかったと思います。本当に見えているのか、知識として知っていっているのかを明確にすることで、対応を変えればいいのです。本当に見えているのであれば、それを元に4枚という結論を導くことができます。知識として知っているのであれば、成虫の写真かビデオを見せて確認すればいいのです。こうすることで昆虫の不完全変態について知識を得ることもでき、学びが深まったのではないかと思います。 うしろ脚について、地面をける、跳ねるといった言葉が出てきました。それで、教師が結論づけてしまうと気づかなかった子どもはそのことを覚えるしかありません。気づけなかった子どもが気づける場面をつくることが大切です。これも、実際に実物投影機で見せるか、その場でビデオを撮ってスローモーションで見せるといったことをしたいところです。子どもたちに観察した結果を教えるのではなく、観察の仕方、視点を身につけさせることを大切にしたいところです。 先生方は、今回の授業アドバイスにあたっていろいろと工夫をした授業に挑戦してくれていました。そのおかげで私もたくさんのことに気づけました。 残り2人の授業と授業研究については明日の日記で。 小規模校で保護者向けの講演
先日、昨年度まで2年間訪問させていただいた小学校で、保護者向けの講演を行ってきました。山の中の小規模校です。40名余りの児童の保護者が全員参加されました。普通の規模の学校では考えられないことです。学校、子どもへの関心の高さのあらわれだと思います。「小規模校の保護者としての子育てについて」という演題で話をさせていただきました。
小規模校だからといって、子育てが大きく変わるわけではありませんが、1人の子どもに対して教師を含め大人たちがかかわりすぎる傾向があることは注意を要します。特に学校では、個別に対応をする時間を確保しやすいので個別指導に頼りやすくなります。このことや子どもの絶対数が少ないことが原因で、子ども同士のかかわり合いが少ない傾向があります。また、困った時に教師や大人が個別に対応してくれることに慣れてしまい、個人や友だちと相談して解決する力も弱くなりがちです。この学校で初めて授業を見た時に、教師が個別に指導している間、子どもたちが手のつかない状態でじっと順番が来るのを待っていたことが、印象深く思い出されます。先生方が意識をされたので、昨年はずいぶん様子変わってきていましたが、常に気をつけていてほしいことです。このことは家庭でも同様です。子どもを王様にしないこと、家族の一員としてしっかりと役割を持たせてほしいことを強くお願いしました。 また、条件付きで子どもを認めることをしないことも合わせてお願いしました。「あなたがいい子だからうれしい」「勉強でよい成績をとったから、○○を買ってあげる」といった接し方をすると、自分はいい子だから、勉強でよい成績をとったら認めてもらえると思うようになってきます。このことが、「いい子でいろ」「よい成績をとれ」というプレッシャーとなって子どもを苦しめるようになっていくのです。無条件に「あなたがいてくれてうれしい」「あなたが私の子どもでよかった」というメッセージを発し続けてほしいのです。 また、中学校に行くと規模が大きくなりますから、友だちとのかかわりの様相も大きく変わってきます。小規模校の子どもたちはこの差が大きいため、中一ギャップの問題も起きやすくなります。友だち関係の基盤が弱いため、新しい人間関係をうまくつくれなかった時に支えきれないのです。少なくとも、家庭だけは子どもの居場所になっていないと、どこにも行き場がなくなってしまいます。家庭内で自己有用感を持たせることがとても大切になるのです。 最後に、子どもたちとネットの問題についての資料をお渡しして、よく読んでいただくようにお願いしました。人間関係でもまれていないだけに、子ども同士のトラブルも起きやすいでしょうし、日ごろ大人に依存しているだけに、ネットの向こう側にいる大人の悪意に気づけない可能性が高いことが心配されます。ネットのトラブルはほとんどが使い始めて1年以内に起こっています。まだ先のことだとのんびり構えずに、小学生の内から対応を考えてほしいと思います。 保護者だけでなく、手の空いている先生方も参加して熱心に聞いていただけました。少しでも皆さんのお役に立つことができたのであれば幸いです。 講演後、今年度赴任された校長と、教頭を交えていろいろと授業について話をする時間をいただけました。授業改善に対して意欲的な先生方から、とてもよい刺激をいただきました。ありがとうございました。また、機会があればぜひ子どもたちの姿を見せていただきたいと思います。 次のステップに挑戦すべき時が来た授業
昨日の日記の続きです。
授業研究は5年生の算数、単元は「同じものに目をつけて」で、TTでの授業です。 授業規律はとてもよい状態です。指示に対して子どもたちはとても素早く行動します。授業者はきちんと全員ができているかを確認しています。しかし、子どもたちを特にほめることはしません。その代り笑顔で子どもたちと目を合わせます。既に授業規律を教室に浸透させる段階は終わっているということです。笑顔で目を合わせる、うなずくだけで大丈夫な状態になっています。 この日授業のめあて、「同じものに目をつけて考えよう」を示し、問題文を読んで把握させます。かごとりんご7個の代金とかごとりんご5個の代金から、それぞれの値段を求める問題ですが、わかっているもの、求めるものを子どもたちに確認します。説明は最小限にして、何人も指名して全員がしっかり把握できるようにしています。 線分図を書くことを指示します。かごとりんご7個の線分図をT2が板書した後、かごとりんご5個の線分図をノートに書くように指示します。この時、線分図を書くポイント、「端をそろえる」「1個分の長さを同じにする」をはっきりと伝えました。 ここまでの展開は、教科書通りにきちんと流れています。事前に何度も模擬授業をやったそうです。その際に、教師の話す言葉もしっかり検討したことがわかります。ムダな言葉がほとんどなく、最小限で済ませているからです。これは何度も検討しないとなかなかできることではありません。教科書を教える授業の流れとしては、素晴らしいものになっていました。まだ3年目ですが、ここまでできていることは称賛に値します。もう次のステップを目指してもいい段階に来ていると思いました。 具体的には、まずめあてですが、「同じものに目をつける」というのは、算数の視点、考え方です。これを最初に提示するのではなく、子どもたちからその視点を引き出すのです。引き出した時点でその算数的な価値づけを行い、めあてを提示して適用題に移るのです。線分図も書くことをこちらから指示するのではなく、「このような問題を考える時に、今までどんなことをやった?」と過去の経験から、線分図やテープ図を使うことを子どもたちから出させるようにします。もちろん書く時のポイントも子どもたちから出させます。 子どもたちから言葉を引き出す力はついてきていると思います。教師の指示で子どもが活動するのではなく、子ども自身で考えて活動できるようにレベルアップを目指してほしいと思います。 子どもたちは線分図にすぐに取りかかります。T1、T2共にすかさず机間指導に入りました。ちょっと早すぎます。手がつかないと予測される子どものところに行くのならわかるのですが、そうでなければ、まず全体の様子を確認する必要があります。子どもたちが課題を把握しているか、見通しが持てなくて動けない子はいないかを確認して、その状況によって、作業を止めさせて再度説明をするのか、手のついていない子どものところへまず行くのかといった判断をするのです。机間指導では、ちょっと教えすぎの感があります。できているところまでを部分肯定し、簡潔な言葉で指示やヒントを与え、時間をかけないようにするべきです。どのような言葉かけをすればよいかは事前に検討されていたように見えましたが、端的な言葉で言えるようにはなっていませんでした。また、まわりの子どもに聞いてもいいよ」と一言添えてもよかったかもしれません。この学級の子どもたちであれば、互いに聞き合うことは問題なくできるでしょう。 線分図を見ながら、めあてに注目させて、同じもの違うものを確認します。ここは、先ほども述べたように、子どもたちから考えを出させたい場面です。「2つのものがあった時に、どうする?」「比べる」「比べるって、どんなことを見つけるの?」「同じもの」「違うもの」といったやり取りを子どもとして、「じゃあ、この線分図ではどこが同じで、どこが違う?」と問いかけ、同じもの、違うものは何を表わしているのかを子どもから引き出すのです。 授業は、違うものがりんご2個分の値段になっていることを押さえて、自力解決に移りました。その後、ペアで自分の考えを図や線分図を使って説明し合います。どのペアも体を相手の方に向け、指で自分の線分図を指しながら説明をしていました。互いにしっかり聞き合えているようです。相手の考えを聞いて納得すれば、自分の考えに付け加えてもよいとしていることも、影響しているのでしょう。 全体の発表では、意図的に指名をしています。子どもをつなぎながら全体に共有する時間を取ります。発表に対してしっかり受容し、ありがとうといった言葉も忘れません。子どもたちは、全員しっかりと発言者の方に体を向けますが、線分図を使う説明なので、どうしてもそちらが気になります。子どもの視線は黒板の線分図と発言者とで奪い合いになります。自分から線分図を使っていいか授業者に確認して、前で説明する子どもがいました。最初からこうした方がよかったかもしれません。視線の奪い合いという意味では、T2の板書のタイミングも問題になります。これについても、相当に打ち合わせをしていたようです。そのせいでT2にプレッシャーがかかったのでしょうか、異常に緊張していました。子どもの発言が終わってから書くようにしていたのですが、発言中に書き始めてしまうことがありました。視線を奪い合うことになるのですが、すぐに発言者の方に視線が戻りました。子どもたちは話を聞いているので、板書を見る必要がなかったのでしょう。子どもたちが育っていることを感じました。 子どもたちの発言をつないでいると、言葉が足されていくことがあります。こういった場合には、そのことを指摘して評価してほしいと思います。これに限らず、子どもの発言を受容するのですが、算数的な評価がありません。発言のどこがよかった、考え方のどこに価値があるかを評価するのです。子どもたち自身で評価できることが理想ですが、最初のうちは授業者が行ってもよいでしょう。また、ある程度発言が集約された時点で、全体でその価値を話し合ってもよいでしょう。今は、先生や友だちにしっかり聞いてもらえることが評価であり、そのことが自己有用感につながっています。これを、算数的な価値の評価によるものに変えていくことが次の課題でしょう。 基本が押さえられ、できていることがたくさんある授業だからこそ、次のステップへの課題が明確になってきたと思います。授業規律がしっかり確立し、子どもたちが集中して取り組んでくれるようになると、授業は楽しくなります。これでよしとするのか、もう一歩進んで子どもたちに力をつける授業に挑戦していくのか、授業者の心根が問われる時が来たようです。この学校には年齢の近い仲間が何人かいます。今回の授業に際しても、授業づくりを一緒に行っています。彼らにも同様に問われていることです。互いに学びあいながら次のステップを目指してくれることを信じています。 検討会はいつものように、グループによるものです。どのグループも授業規律のよさや同じ説明を子どもが何度もすることのよさを取り上げていました。先生方は、子どもたち一人ひとりをよく観察しています。ペア活動で、途中で苦しくなったペアがいたことも報告されました。全体でのペアの動きのよさに注目すると同時にこういった個をしっかり見ることができていることに感心しました。また、特定の子どもが何度も指名されたことも指摘されました。下位の子どもです。こういった子どもが答えられそうな場面で積極的に活躍させようとした結果です。よく気づいたと思います。 検討を通じて、授業のよい点や課題などがより明確になり、深まっていきます。よい授業だからこそ、よかったことだけでなく、深いところでの疑問や課題が浮かび上がってくるような検討会になっていました。検討会の質も上がってきていると感じました。 毎回どのような授業に出会えるか楽しみな学校になってきました。秋には私が授業をしますと、報告に来てくれた若手もいます。今回の授業を一緒につくった仲間の一人です。今回の授業の課題を共有して、その回答を見せてくれることと思います。毎回よい刺激と学びをいただけることに感謝です。 小学校の授業参観
先週は、小学校の現職教育に参加しました。訪問するようになって今年で3年目です。若手がどのように伸びているか、ベテランがどのような変化をしているかとても楽しみでした。
授業研究に先立って2時限、新しく異動された方を中心に授業を参観しました。 1年生は講師の方が担任でした。チャイムが鳴る中、子どもが2人足早に歩いてきます。廊下を走ってはいけないことを意識しているのです。席につこうとしている時に、授業者はチャイムが鳴り終わるまでに席につかなければいけないことを全体に注意します。子どもをチェックする目で見ていることが気になります。子どもは頑張って間に合うように行動しました。ここは「間に合ってよかったね」と笑顔で喜んであげることが大切です。 黒板に向かって板書をしている時に、子どもたちのしゃべり声が聞こえてきました。授業者は振り返らず「おしゃべりはいかん」と言いました。それよりも、振り返ってしゃべっている子どもと笑顔で目を合わせ、口を閉じるのを待って「気がついてくれて、うれしい」とほめたいところです。また、子どもの発言に対しても評価がありません。まずは、子どもをポジティブに評価して、よい行動を増やすようにしてほしいと思います。 特別支援の先生は、ベテランの方です。非常にまじめな方で、3人の子どもたち一人ひとりにこうなってほしいという目標を達成しようと一生懸命です。1人の指導を終えると、次の子どもと休む暇がありません。支援をちょっと我慢し、「5問やってみよう」といった指示をしてしばらく様子を見ているというように、直接かかわる時間を少し減らしてもいいように思います。 目標をスモールステップで刻んで、できたことを一つずつ小刻みに評価することも意識するとよいと思いました。できることを何回もやらせて自信をつけさせ、新しいことを学習する時はステップをできるだけ小さくし、ほめる場面を増やすようにするのです。ペアレントトレーニングの発想を活かすとよいと思います。 初任者は4年生の担任で、算数のグラフの授業でした。 「わかりやすくするためにはどうすればいい?」と問いかける場面がありました。これはとてもわかりにくい発問です。資料から何がわかるといいのかという視点が必要です。このことは、社会科の資料の活用にもつながることです。ここを押さえておかなければ、「わかりやすい」を考えることができません。考えるために必要なことは何かを意識する必要があります。 ペア活動をうまく活用していました。子どもたちは友だちとかかわることが上手にできます。しかし、「わかった人」と聞いて、発言者と授業者の2人だけの一問一答で進んでいくので、参加できない子どもの集中力が落ちていきます。また、子どもの発言に対して評価がないことも気になります。せっかく子どもが頑張って説明しても、そのあとすぐに授業者が説明してしまいます。子どもたちの言葉を活かすことができていませんでした。 初任者ですので仕方のないことばかりです。初任者指導の先生ともお話しする機会がありましたが、授業の課題もよく理解しておられました。この方に指導していただければきっとよくなっていくことと思います。 ベテランの3年生の担任は、素直でとても前向きな方です。この2年間でずいぶん授業によい変化がでてきました。アドバイスしたことをきちんと実行されています。笑顔で子どもたちを受容し、常にポジティブに評価しています。しかし、一部の子どもがなかなかうまく参加してくれません。全くやる気がないわけではないのですが、集中力が続かないのです。そのことを授業者は気にしているようです。注意をするのではなく、他の子どもの発言をその子につなごうとするなど何とか参加させようとしているのですが、なかなかうまくいかないようです。授業者は自ら授業を見てほしいと申し出られたそうです。その理由がわかりました。 集中できない子どもも、他の子どもが反応した時などは一時的に集中します。そこで、他の子どもとかかわる場面を増やすという方法が考えられます。具体的には、挙手で進める前にペアやまわりと相談させるのです。今は授業全体で教師がコントロールする時間が多いのですが、少しそれを控えて子ども同士でかかわる時間を増やすのです。グループ活動も有効だと思います。前向きな先生なので。きっといろいろと挑戦されるでしょう。上手くいくという保証はありませんが、やってみることでわかることがきっとたくさんあるはずです。次回の訪問時にどのような変化があるかとても楽しみです。 2年生の担任は、4年目の先生です。いつも笑顔で子どもたちに接することを意識されています。子どもたちも落ち着いていて、授業者との関係もよさそうです。指示もきちんと通るまで待とうとしているのですが、全員ができていることを確認しないままに進める場面もありました。このことは、気をつける必要があります。 机間指導の時に、まわりを見ることができていました。これはとても大切なことです。常に教室全体の様子を把握しておくことが重要です。必要な子どもに素早く支援をするためにも、このことは意識してほしいと思います。また、作業が終わった子どもに対する次の指示がありませんでした。どうしても子どもの集中力が切れてしまいます。事前にこうなることを予測して、活動前に次の指示をしておくことが大切です。 子どもの発言をしっかり聞いて、受容することはできていますが、まだ発言者と1対1になってしまいます。まわりの子どもを見てつなぐことを意識してほしいと思います。 もう1人の2年生の担任は、今年異動して来られた7年目の先生でした。柔らかい、受容的な雰囲気のある方です。 子どもが受け身の状態で集中力がなくなった場面がありました。その時に、全員に手を挙げさせ、その手を大きく動かせました。子どもの集中が戻り、反応の声も大きくなりました。いろいろな授業技術を持っていることがわかります。 にこやかな表情でとても上手に子どもを受容しますが、評価がありません。子どもの発言を聞こえているか問いかけたりもしますが、具体的な確認はしません。もっと子どもに対して反応を求めるとよいと思います。 全体的に子どもの活動量の少なさが気になりました。ゆったりと丁寧に進んでいくのですが、基本的に一問一答形式なので、子どもが参加できない時間が多いように思います。集中力がなくなる理由です。先ほどの体を動かして集中力を取りもどさせることも悪くはないのですが、学習活動そのものでなんとかすべきでしょう。確認の場面などはテンポアップをすること、同じ意見の子どもをつなぐこと、ペアで確認する活動を入れることなどをして活動量を増やしたいところです。 また、活動に子ども自身で評価できる目標を与えることも重要です。子ども自身が「できた」「やった」と思うことを大切にしてほしいと思います。 子どもを受容することがきちんとできている方です。この学校の授業スタイルにあっているので、他の先生の授業から学ぶことで、すぐによい方向に変わると思います。 この授業には学習支援員が入っているのですが、支援を必要とする子どもとの関係が気になりました。支援員は困っている子を教えようとするのです。このことが「わかれ」という圧力なっています。子どもの体が支援員から逃げようとします。どこで困っているのか、どうすればいいのか一緒に考えるという、寄りそう姿勢が求められます。このことに気づいてほしいと思いました。 今年度から新しい教務主任の方が異動されてきましたが、とても明るく前向きな方です。自分も勉強しようという意欲を感じます。今まで以上に先生方の学び合いを進めてくれることと思います。 授業研究は、昨年度にとても素晴らしい授業を見せてくれた若手が引き続き挑戦してくれました。熱心な姿勢に頭が下がります。この授業研究については明日の日記で。 私立の中高等学校で授業参観
先週、私立の中高等学校へ授業参観に出かけました。この学校の今後の授業評価の進め方の参考にするためです。校長とともに1時限目から2時間学校全体の様子を参観させていただきました。
印象的だったのが、授業者によって子どもたちの学習に対する集中度が変わることと、授業者との人間関係が上手く作られていない学級が目立ったことです。1時限目は子どもたちが一番集中しやすい時だと思いますが、それにもかかわらずやる気を失くしている子どもが目立つのが気になりました。しかし、私には子どもたちの問題よりも授業者の姿勢の方に問題があるように思えました。子どもたちの可能性をあまり信じていないように感じたのです。子どもたちは理解できるはずだ、きっとできるようになるはずだというエネルギーが授業から伝わってこないのです。とりあえず説明はした、やるべきことはやっているという、アリバイ作りをしているようしか見えないのです。 子どもたちは大きく3つのコースに分かれるのですが、それぞれに学習の姿勢に特徴があるのも興味深い事実でした。中学校からそのまま上がってきた子どもたちは、教師とよい人間関係ができています。学習に対して前向きで、よい表情で授業者の話を集中して聞いています。特別進学コースの子どもたちは、授業には参加しているのですが、授業者の説明よりは板書を優先する傾向があります。基本的に必要な情報だけを得ようとする消費者的な態度が気になります。一般のコースの子どもたちは、素直ですが授業者との関係や授業の進め方、その内容で学習に対する姿勢が大きく変わるようでした。学習のプリントなどやるべき課題が明確であれば集中して取り組む姿勢を見せてくれます。授業者の工夫の余地が大きいように思います。 ある学級で面白い場面にであいました。授業者が所用で教室を離れていた時に子どもたちが集中して問題に取り組んでいたのですが、戻ってくるとその集中が急に落ちてしまったのです。どう解釈していいか悩みますが、普通では起きにくいことです。 授業の進め方に共通していたのは、授業者の一方的な説明と板書に終始することです。子どもたちが活躍する場面が非常に少ないのです。授業者と子ども、子ども同士がかかわる場面も非常にまれです。子どもたちは、教師の説明を聞けばわかるようになるという実感をあまり持っていないようです。説明を聞くよりも板書を写すことを優先します。中には、試験に出るからと点数で子どもを釣るような方もいらっしゃいました。 以前に行われた授業に対するアンケート評価の結果と比べると実際の方がよくない状態に見えます。今回たまたま評価の高い実力のある方の多くが出張だったこともその原因の一つかもしれません。ただ、無記名のアンケートでこのように感じるということは、子どもたちが先生方に気を使っているのかもしれませんし、逆に期待をしていないことの現れかもしれません。 先生方の授業の実態について校長はとてもよく把握し理解しておられました。しかし、具体的にどのような手立てを取ればよいかに悩まれているようでした。 学年が上がるにつれて子どもの状態がよくないと感じます。先生方が子どもたちを育てていないという証拠です。ということは、しっかりと育てれば大きく伸びるということです。子どもたちの伸び代はとても大きいのです。先生方がこの可能性を信じることが大切だと思います。 これから校長はじめ先生方と一緒に、どう子どもたちを育てていくか、どう授業を魅力的なものに変えていくかを考えていきたいと思います。 「楽しく、手軽に授業改善をしよう」第3回公開授業技術について講演
先週、市主催の研修で講演を行ってきました。今年の1月に小中学校の管理職向けに研修を行ったのですが、その際具体的な授業技術について時間の関係で話ができませんでした。そこで、今回は市内の小中学校の若手と若手を指導する立場の方を対象に日々の授業技術について話をしました。
ちょっと暑い平日の午後でしたので、開始前からお疲れ気味の方がやや目立ちました。個々の授業技術について説明する前に、目指す子どもの姿について話しましたが、どうも空気が重いようです。「自ら考える子ども」「自己有用感を持つ子ども」といった言葉が陳腐に聞こえたのかもしれません。 授業を考える視点として、「安心して暮らせる学級・教室をつくる」「子どもを受け身にさせない」「子どもの言葉で授業をつくる」「考えるためには課題が大切である」の4つを挙げ、それぞれについて解説をしました。 続いて、授業技術やそのポイントについて具体的な場面を基にお話ししましたが、このあたりから参加者の反応がよくなってきました。具体的な話でないとなかなか関心を持っていただけないことがよくわかります。いつも話していることですが、まず笑顔の大切さ、話すことよりも聞く姿勢の大切さを強く訴えました。また、今回は最近特に強く感じている「全員参加」の授業の大切さについて具体的に詳しく話をしました。個人追究の後、「わかった人」「できた人」と問いかけ、挙手した子どもを指名して進める、参加できる子どもだけで進む授業によく出会うからです。この市での実際の授業の様子は残念ながらまだ見る機会がないため、そんなことはないのかもしれませんが、先生方の反応を見ているとあながち的外れではなかったように思いました。 最後の質問の時間に、ある学校の管理職の方が最近は学力向上の話が多いが、今回のような授業論は久々で期待した以上だったと感想を発表してくださいました。社交辞令かもしれませんが、機会があれば自校の授業を見てほしいと、とてもうれしい言葉をいただけました。 担当の指導主事の方に、現場での授業研究に参加できる機会をいただけるようにお願いしています。新しい地域で授業を見せていただくと本当に学ぶことがたくさんあります。なかなか実現しないのですが、何とか秋には調整がつくことを期待しています。 |
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