介護技術研修の打ち合わせ

昨日は介護の研修に関する打ち合わせをおこなってきました。これまではコミュニケーションという授業技術と関連のある内容でしたが、次回からは介護技術という私にはまったく知識のない分野の研修です。当然、私が単独で企画し実行できません。現場で実務にかかわっている方との共同作業です。この経験は私にとってとても新鮮で楽しいものです。

これまで伝えたいことのレクチャーを受けながら、わからないことやもう少し詳しい説明がほしいことを質問してきました。いつもと逆の、教えてもらうという視点で話を聞くことができるので、とても勉強になります。伝えたい内容を私の言葉で言えるようになるまで、説明を聞き、自分でも調べました。予期しない質問をされて答えられるわけではありませんが、学んだことについては説明できるレベルまでにはしました。今回の研修では担当の方が伝えたいこと、伝えるべきことを明確にしてくださっていたので、とても効率的に学ぶことができました。ここからが私の出番です。課題や発問、活動など、研修の内容を具体的に構築していくのです。事前に準備をしてきたものをもとに打ち合わせを進めました。

まずこの研修のゴールを明確にします。どのような力がついてほしいかを考えることと言ってもよいでしょう。その力がついたどうかわかる課題を考えます。現場で求められることは、知識だけでなく、それを組み合わせて実際の業務に活かすことです。課題は、実際に起こりうる状況に対してどのように措置・対応するかというものです。この課題を解決するために必要な知識は何かを整理し、その知識は研修の受講者が事前に持っているはずのものかどうかを確認します。もし持っているはずのものであれば、受講者自身からそれを引き出す場面をつくります。忘れている方や曖昧になっている方もいるはずです。その可能性が強いものや、重要なものは互いにかかわり合って聞き合うといった活動を組み込みます。こちらから一方的に説明することはできるだけ避け、受講者の活動場面を増やすように意識しました。この一連の作業は授業づくりととてもよく似ています。たとえ大人相手の研修であっても、本質的には大きくは変わらないのです。

実務担当者だけで研修の進行をするのは負担が大きいので、当日は私が進行役を務めます。受講者の声を拾うことや、必要に応じて担当者に説明を求めたり質問したりする予定です。私が素人なので、なんでも質問することができます。このことを活かして大切なポイントを質問を通じて明確にしていきたいと思います。こういう形で研修を行うことは私にとって初めての試みです。上手くいくかどうかわかりませんが、今から本番がとても楽しみです。

発達障害の子どもが学級に多いと感じたら

発達障害という言葉が市民権を得るようになりました。学校現場以外でも耳にすることが増えました。しかし、この言葉が安直に使われすぎているように思います。落ち着かない子どもやコミュニケーションがうまく取れない子どもがいるとすぐに発達障害ではないかとラベルをつけ、ラベルをつけることでうまく対応できないことを正当化しているように感じるのです。私の学級は発達障害の子どもが多いという愚痴を聞くことがあります。中には学級の10%以上の子どもがそうであると言う方もいます。専門家からは10%という数字は統計的に異常値だと聞ききます。発達障害と似た傾向がある子どもをすべて発達障害という言葉でくくっているようなのです。

発達障害がこれほど広く知られていなかった頃は、こういった障害をもった子どもは教師が上手く対応できない子ども、困った子どもと言われていました。今では、発達障害として認知されその対応も研究されてきました。中には薬を使うことで症状が改善される例もあります。そのためか、病院に行って薬を処方してもらうことを安易に望む声も聞きます。専門家による対応を必要とすることもありますが、発達障害のように見える子どもがすべてそうではありません。基本をしっかり押さえて授業をすれば、子どもの行動が改善されることはよくあるのです。「落ち着かない子どもを注意することを止めて、落ち着いた瞬間にほめる」といった、一般的な授業技術を使うことで子どもたちの行動がよい方向に変わる例をいくつも見てきました。発達障害のせいにして、自分の授業を振り返ることをしないために、そういう子どもが多いように見えていたのです。

いろいろと対応を工夫していた教師にとって、発達障害についての知見はとても有用でした。しかし、発達障害が広く知られるようになったためにかえって自分の授業の課題に気づけなくなっていることもあるようです。発達障害の子どもが学級に多いと感じたときは、子どもではなく自分の授業の進め方に問題がないか、一度振り返ってほしいと思います。

校長が一番学んでいる

かつて、「いるかいないかわからないのがよい校長」「校長元気で留守がいい」などと言われることがありました。今はそんな言葉を聞くことはありません。校長が判断し、指示すべきことがとても増え、特色ある学校づくり、地域に開かれた学校、小中連携など、かつてないほど校長のリーダーシップが必要とされています。過去の経験に頼ってのんびりと学校経営をすることなど考えられなくなっています。地域や保護者を巻き込んだ学校経営手法、LINEに代表されるネットに関する情報など、校長が学ばなければならないことは多岐にわたっています。私が関係しているセミナーやフォーラムでも管理職の参加率が非常に高くなってきています。学校で一番学んでいるのは校長という時代が来ているようです。

新しい課題だけでなく、「授業」に関する研修にも多くの校長が参加しています。校長が授業することはほとんどありませんし、今までの授業経験も豊富ですから、授業に関して困ることもないはずです。なのに、なぜ授業なのでしょうか。もちろん授業が教師の基本であり、授業好きの方が校長になっているということも理由の一つですが、学校の授業の質を高めることが課題となってきていることが大きいと思われます。ベテランが退職して、若手がどんどん増えてきています。彼らを育てるのが喫緊の課題となっています。また、子どもの学習環境の差が大きくなり、今までの授業の進め方ではうまく対応できないことも増えてきています。学級崩壊は若手だけでなく、ベテランでも起こすのです。教務主任や学年主任に任せるだけでなく、校長自ら積極的に授業について発信する必要が起こっているのです。経験豊富な校長といえども、自らの経験だけを語っても相手に受け入れられるわけではありません。力がある校長ほどそのことをよく知っています。そのため、少しでも多くの引き出しを持つために、自ら授業について学ぶのです。
また、同じことでも、校長の言葉より第三者の言葉として発信する方が伝わりやすいこともあります。伝えたいことをセミナーで学んだこととして発信するために、外部に学びにいくという側面もあるのです。私は学校で授業アドバイスをしていますが、力のある管理職は、私が指摘するまでもなく、自校の教師の課題をよく知っています。そういう方は自分の代わりに第三者の立場で指摘する役割を私に求めています。同じ考え方です。

私が運営にかかわっている「教師力アップセミナー」では、若手と連れ立って参加している管理職の姿も目立ちます。口だけでなく行動で学ぶことを教えているのです。「いい話だったね。勉強になったね」とコミュニケーションをとっている姿を見て、ここまでしなければいけない時代になったのかとも思います。

元気な学校の校長は間違いなく積極的に学ぶ姿勢を見せています。そういった校長に会うたびに頭が下がる思いです。来年度も管理職対象の講演をいくつかいただいています。こういった素晴らしい校長の姿を伝えることで、少しでも多くの管理職に元気になっていただけることを願っています。

「楽しく授業研究しよう」第13回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第13回「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」での学び(その2)が公開されました。

ぜひご一読ください。

意欲的な活動と授業の目指すもの

子どもたちが元気に意欲的に活動する授業は、見ていてとても気持ちのいいものです。しかし、時々これでいいのかと疑問を持つことがあります。例えば英語の時間で、友だちに英語で質問して、その答を聞く活動があります。答を知ることが目的ではなく、正しく英語を使い、聞き取ることが目的です。しかし、子どもたちの意欲を引き出すためにそこにゲーム性を取り入れると、ゲームでよい結果を出すことが子どもたちの目標になってしまいます。肝心の英語は文も発音も適当になって、ゲームのために必要な質問の答だけがやり取りされるといったことがよくあります。質問は毎回同じパターンなため、聞かなくても、返答することができます。テンションが上がるばかりで、英語の力がつくとは思えません。この活動の教科としての目標と子どもの目標がずれてしまっているのです。
学習していない知識を問うクイズなども同様です。根拠となるものがなければ、子どもたちは何も考えずに適当に答を言うだけで、テンションばかり上がってしまいます。一見意欲的に取り組んでいるように見えますが、正解を聞くと今度は一気にテンションが下がってしまい、その後の活動は低調になることがよくあります。子どもの意欲が授業の目指すものにつながっていかないのです。

授業を組み立てる時に、子どもたちが意欲的に取り組む活動をさせたいと考えるのは当たり前のことです。しかし、その活動が授業の目指すゴールとずれてしまっていては話になりません。ゲームで意欲的になることが悪いことはでありません。ゲームに勝つために子どもが考える、工夫することが授業の目指すところにつながっていれば問題はないのです。先ほどの英語で質問して答えを聞くという活動であれば、決まりきった質問ではなく、状況に応じて質問を変えなければいけない、相手の質問をきちんと聞き取れなければ答えられない。そういう要素を組み込むことが必要になります。こうすることで英文を考えて相手に伝わるようにしゃべる、相手の英語をきちんと聞き取るという授業のねらいにつながる活動になるのです。
クイズでも、まだ学んでない知識を聞いても、知っている子どもかしか答えることができません。考えるための材料がなければテンションが上がるだけです。同じクイズにしてもその時間のゴールとなることを質問して、「じゃあ、正解はまだ言わないよ。この時間が終わった時に全員が言えるのが今日のめあて」として、子どもの意欲をその後の活動につなげるようにするといった工夫が必要です。

子どもを意欲的にすることばかりに意識がいってしまうと、時としてその活動の目指すものが何であったかを見失うことがあります。子どもたちの活動が授業の目指すものにつながっているかを常に意識して授業を組み立ててほしいと思います。

来年度の研修の打ち合わせ

昨日は来年度の研修の打ち合わせをおこなってきました。市内の管理職対象の講演を1回と全小学校を訪問して年に2回、主に若手を対象に研修を行うという企画です。市内全小学校で授業アドバイスを行うというのは私にとって初めての試みです。いろいろな意味で地域性ということを考えるよい機会になると喜んでいます。

担当の指導主事の先生から、この研修の目指すところの説明をいただきました。一気に何かを変えようというのではなく、まずは若手をきちんと育てることが市全体の学力向上にもつながるという、堅実な考え方です。また、私のような外部からの指導だけでは学校が変わることがないこともよく理解されていました。管理職やリーダーが継続的に育てようとしなければ、人は育ちません。そのために、まず管理職対象の研修を開いてから、各学校で指導するという計画を立てられていました。

私としては、若手の指導を通じて管理職や教務主任にその学校の授業の特徴と授業改善の具体策を考えていただけるものにしたいと思っています。そのために、管理職の方にはできるだけ授業を一緒に参観し、指導の場に立ち会っていただきたいと思います。このことを各学校に伝えていただくようにお願いしました。
若手の先生方に一緒に授業を参観する時間を作っていただきたいことも要望しました。授業を見る視点、子どもを見る視点を客観的に学んでいただくことで、授業アドバイスがより理解しやすくなります。特に若手の場合、授業中の子どもの様子をもとにアドバイスしようとしても、子どもをよく見ていなかったり、記憶に残っていなかったりすることがあります。子どもを見る視点を意識するようになると、今まで見えていなかったことが見えるようになり、また、たとえ見落としていてもどのような状況か説明した時に想像ができるようになります。アドバイスがより実感を持って理解していただけるようになるのです。
事前に資料をお送りいただく際に、どのような子どもの姿を目指しているのかをできるだけ具体的に伝えてほしいこともお願いしました。管理職の方には学校として、授業アドバイスを受ける方には授業を通じて、どのような子どもの姿を見たいのかを具体的な場面で教えていただきたいのです。このことを事前に意識していただくことで、当日お話しする時に、質問やアドバイスの視点がはっきりします。

個別にアドバイスするにしても、市全体としての方向性を知っておくことは重要です。資料をもとに教えていただきました。担当の先生は、私の細かい質問にもその背景や考え方までしっかりと答えてくださいます。この市の学力学習状況調査の結果についても、とてもていねいに説明していただきました。また、小学校英語における小中連携やその内容、背景などの話は、授業アドバイスという枠を超えて、とても参考になるものでした。こういったこと以外にも、学校経営や学級経営、授業に対する個人的な考えも聞かせていただきました。校長や指導主事としてのエピソードをうかがっていて、こういう方が上におられると組織は元気になるだろうなと思いました。とても素敵な先生にお会いできて、楽しい時間を過ごすことができました。
4月からは他市の校長として現場に戻られるということです。私としてはちょっと残念ですが、その学校の方々にとっては幸せなことだと思います。

私にとっては新たな挑戦となる企画です。授業改善が市全体の学力向上につながるように、いろいろと工夫をしてみたいと思います。とてもよい機会をいただいたことに感謝します。

できることしかできない

年度末も近づき、来年度のお仕事の話もすでにいくつかいただいています。最近では学校や教育委員会以外からのお仕事も少しずつ増えています。子育てといった教育の延長上にあるものから介護関係といった畑違いと思えるものまで、様々です。子育てに関して経験豊富というわけではありませんし、また、畑違いのことに特に詳しいということもありません。それなのに何でそんなに気楽に引き受けるのか、はたからは不思議に思われていることでしょう。野口芳宏先生ではないですが、基本的に依頼に対する答は、「はい」か「イエス」しかないと考えるようにしています。私がそれに応えられると考えているからこそ依頼していただいたのですから、断ることは、その相手の信頼を裏切ることになると考えるからです。その上で、「私にできることしかできませんが、それでよろしいですか」と確認しています。「できることしかできない」というのはずいぶん無責任に聞こえるかもしれません。「今の自分に」できることしかしないというつもりで言っているのではありません。精一杯「考え」「勉強し」「努力する」が、結果としてできることしかできないということなのです。できるかどうかわからないことを「できる」という自信はありません。しかし、その信頼に応えるため、自分にできることはやる。「今の自分」ではなく、「未来の自分」ができることに対して「できることしかできない」と言っているのです。

いくつになっても、新しいことに挑戦することは勇気がいります。しかし、依頼していただけるということは、きっとうまくいくと信じてくださっているということです。そのことを支えにすることで、自信のないことにも挑戦することができるのです。ありがたいことに、この歳になっても、挑戦することで必ず何かしらの成長をすることができます。私にとって、畑違いの仕事を依頼されることは、成長をするチャンスなのです。
一昨日も、全く畑違いの仕事を依頼されました。正直まったく自信がありません。しかし、相手の方に教えていただきながら、自分にできることを考えることで、きっと何かを生み出すことができると思います。そのことを信じて、また新しい分野に挑戦します。このような成長の機会をいただけていることに感謝したいと思います。

高校入試における面接を考える

愛知県では公立高校の一般入試が終わりました。全国的にもほとんどの都道府県で2次募集等を除いて終了したと思います。高校入試では、面接があるのが普通になりました。学力だけでなく、総合的に人物を見るということが建前です。この時期になるといつも思うのが、高校入試で面接は意味のあることなのかということです。

県や学校によっても異なると思いますが、限られた時間でかなりの人数を相手にすることになりますから、一度に数人ずつ同時に面接することになると思います。一人当たりにかける時間はとても少ないはずです。私の過去の経験から言っても、名前や希望理由などの決まりきったことを聞くと、ほとんど時間がなくなってしまいます。このような短い時間で人物を見抜くことができるのか疑問なのです。
学校で答える内容も指導されているのか、同じ出身校の生徒が全く同じ答をすることも決して珍しくもありません。面接官は問い返すこともできるのですが、受験生が返答に窮するようなことは聞かないことになっているのが一般的です。将来就きたい仕事を質問して、「人の役に立つ仕事」といった間抜けた答をしても、「では、人の役に立たない仕事というのはどんな仕事ですか」と問い返すことはまずありません。本当はこういった問い返しに対する受け答えで人物がよくわかるのですが、パニックなってしまう危険性があるからです。意地悪な質問をされたと抗議される可能性もあるようです。

では、面接ではどこを見るのでしょうか。実は受け答え以外の部分が大きいのです。まず、明らかに身だしなみや態度がおかしいという生徒をチェックします。このような受験生はめったにいないのですが、いれば確実にマイナス点がつきます。そして、(少なくとも私は)質問されていない生徒の様子を観察します。他の受験生の受け答えを他人事のようにボーとして聞き流しているか、そちらに意識を向けてうなずくなどの反応しながら聞いているかを見るのです。このことは意外と指導されていませんし、指導してもすぐにはできないようです。日ごろから聞くことを意識した授業がされていると思われる学校からの受験生は、自然に他の受験生の言葉を聞く姿勢を見せます。このことが面接で大きな加点や減点になるかどうかわかりませんが、突っ込んだ質問ができない条件下では、他の受験生との差別化にはなるように思います。

とはいえ、制限された条件下での面接ではどうしても限られたことしかわかりません。評価に大きな差がつくことはあまりないのです。しかし、一人当たりにかける時間が少ないにもかかわらず、トータルではかなりの時間が使われています。これだけの人的コストに見合うだけの情報が得られていないと思うのは私だけでしょうか。選抜のためと言うよりも、中学校の生活指導上の要望の方が大きいように思うのは考えすぎでしょうか。高校入試における面接は形式的なものと割り切るべきなのか、それともより意味のあるものに変えていくべきものなのか、毎年この時期に思い悩んでいます。

介護関係者向け研修

先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「利用者の家族とのコミュニケーション」がテーマです。利用者を間にはさんで、どのようにご家族とコミュニケーションを取ればいいのかを考えていただきました。

利用者の家族との関係は、相談相手となれることを目指してほしいと思います。お願いされる、お願いするという関係ではなく、利用者のことを一緒に考える関係です。これは学校における教師と保護者の関係に似ていると思います。利用者の家族との信頼関係をつくるためには、まず相手の気持ちをきちんと受け止めることが大切です。自分が面倒を見ないことを心苦しく思っているかもしれません。そういった負の感情を含めてきちんと受け止めることが大切です。子どもの問題は自分の育て方のせいだと苦しんでいる保護者への対応と同じですね。

介護では、家族との連絡を密にとる必要があります。直接会って伝える、電話で、書面で、それぞれで注意すべきことが変わってきます。よかったこと、気になることなど内容でも異なりますが、基本は具体的な事実(エピソード)で伝えることです。「今日は元気でした」では、本当に見ていてくれたのか不安になります。「今日のリクレーションでは積極的に○○して、元気に過ごされました」というように事実で伝えることが大切です。また、利用者によいことがあれば職員もうれしいはずです。家族に直接伝える時は、そのことを態度で示すことも意識してほしいと思います。いくらよかったことを話していても、暗い表情では本当によかったのか不安になってしまいます。
気になることを伝える時は注意が必要です。過度に不安に思われることもありますから、ていねいな説明が必要です。書面よりは直接伝えた方がよいことも多いでしょう。いずれにしても客観的な事実を冷静に伝えるとともに、それに対して自分たちはどのように対応するつもりであるかという対策も合わせて伝えることが大切です。合わせて、ご家族への具体的なアドバイスもしておくとよいでしょう。負の事実を指摘されただけでは不安になります、それに対してどうすればいいのかを伝えることで、不安を和らげるのです。
また一見簡単そうで難しいのが、普段通りに過ごされた時に何を伝えるかです。「いつも通りでした」は、その場にいつもいない家族にとってはよくわからないことです。先ほど述べたように具体的な事実で伝えることが大切です。その日のちょっとした行動、エピソードを一言伝えるだけで印象は大きく変わります。この一言が書けるかどうかは、利用者さんをどれだけ個として見ているかどうかで決まります。漫然と「みんな○○している」と眺めているのか、「△△さんは、○○している。□□さんは××している」と固有名詞で目の前の事実を見ているかの違いです。

利用者と家族の間で気持ちがすれ違うこともあります。利用者は「知らない人と一緒は嫌なので、訪問介護を利用して家でお風呂に入りたい」、家族は「不自由な体で家の小さなお風呂はつらいだろう。デイサービスを利用して広々としたお風呂でゆったりさせたい」と思っていたとしましょう。利用者は「家で風呂に入れるのが面倒だからデイサービスを利用させようとしている」と誤解するかもしれません。互いの気持ちをストレートに伝え合えればこのようなすれ違いはなくなりますが、なかなか難しいこともあります。介護職員には互いの思いを橋渡しすることが求められます。それぞれの気持ちを受容し、互いの気持ちを理解し合えることを第一に考え、聞かれたり、その必要があったりすれば自分の考えを述べますが、そうでなければこちらからはあまり強く主張せずに、できるだけ客観的な事実を伝えることに徹することが大切です。

この一連の研修も今回が一区切りでした。円滑なコミュニケーションは信頼関係をつくる基本です。職員の笑顔が利用者の笑顔に、利用者の笑顔が家族の笑顔につながります。かかわる人すべてが笑顔になること目指してほしいことをお伝えしました。
最後に、「どのような思いで現場に立っているか」「そのためにどのようなことを意識しているか」、そして「まわりからはどのように見えていると思うか」などを互いに聞き合ってもらいました。日ごろなかなか聞けないことを聞くことができたと思います。互いにとても参考になったようです。

介護の世界は、介護職員を教師、利用者を子ども、その家族を保護者に置き換えると、学校現場と似た部分がとてもたくさんあります。参加者の意見や考えから私が学ぶことがたくさんありました。本当によい経験をさせていただきました。皆さんに感謝です。

中学校の学校評議員会に参加

昨日は、中学校の学校評議委員会に参加しました。学校の重点目標とリンクしたアンケートで評価を行っている学校です。前回の結果と今回の結果でどのような変化が表れるかとても楽しみにして参加しました。

全体の傾向は大きく変わってはいませんでしたが、学年ごとの傾向がよりはっきりしてきたようです。4月は子どもたちの意識を変えるチャンスです。この時期に向けて、どのようなメッセージを子どもたちに発信するのか、各学年で検討していただくことを期待しています。
面白かったのが、子どもたちのスコアは大きな変化はなかったのですが、保護者のスコアの改善傾向が大きかったことです。保護者は子どもを通じて学校の情報を手に入れます。そのため子どもたちと似た傾向の結果が出やすいのですが、これをどのようにとらえるのか興味のあるところです。この学校はホームページや冊子で学校の取り組みを発信しています。子どもたちを経由せずに、学校の取り組みが保護者に伝わったというとらえ方もできそうです。
保護者からの自由記述欄の内容も公開していただけました。3年生の保護者から教師への感謝のメッセージに、確かな信頼関係を感じました。また、教師間の対応の差を指摘する声も目立ちました。個性のない教師では困りますが、足並みがそろわないことも問題です。教師の差がクローズアップされるのは、学校が変化している時です。全員が一度に変わらないからです。これは、よい方向へ変わるときでも、悪い方向へ変わるときでも起こることです。この学校では、前者であるように思いますが、しっかりと見定めたいと思います。

今回の話題の中心はいじめ対策の話です。この市では、全学校でいじめ防止基本方針を作成します。この基本方針と共に、この学校の現在の具体的ないじめに関する状況が報告されました(もちろん個人情報はわからない形です)。学校はこういった情報は隠す傾向が強いのですが、マイナスのことも伝えていただけるからこそ、私たちも真剣に考えることができます。保護者の方からも、積極的な意見が出されました。いじめをゼロにしようというよりも、いじめはあるものとして常にアンテナを立てて対応してほしいとう意見に大きく頷きました。

この学校では、子どもたちの自己有用感を高めることを意識しています。来年度は行事だけでなく授業の中でも子どもたちが自己有用感を高め、自他ともに大切することを意識しようとしています。ともすると、人間関係を行事だけでつくろうとしますが、子どもたちの学校生活の中心は授業です。その授業で人間関係をつくることを意識していただけたことはとても素晴らしいと思います。
来年度も引き続き学校評議員をやらせていただきます。この学校にかかわることで、私自身多くのことを学ばせていただいています。そのような機会をいただけることに感謝します。

授業の展開に迷ったら、ゴールを意識する

授業の流れを考えていると、いろいろな展開が浮かんできて、どうすればよいか迷うことがあります。「資料をどう活用する」「個人作業かグループ活動か」「子どもに調べさせるか教師が説明するか」・・・。それぞれによさや問題点があり判断が難しい時があります。どのようにして、決定していけばいいのでしょうか。

授業の展開に悩んだ時は、まずゴールを確認することです。この1時間で「子どもにどうなってほしい」「獲得してほしい知識や力、気づいてほしいことは何」と自分に問いかけるのです。先生と授業の流れを検討していて、ゴールが明確になっていないと思うことがよくあります。「こちらにはこのよさがある、あちらには別のよさがある」と悩んでいるのですが、「授業のゴールはどこですか」と質問するとすぐに出てこないのです。ゴールがはっきりしていれば、そこにたどり着くのにより適切な展開はどちらだろうと考えるだけです。その判断基準が不明確なまま悩んでいるので、決定できないのです。

例えば、社会科で資料を活用する時に、資料からわかることを子どもたちから出させ、その読み取りをもとに、どんなことが言えるのか、なぜそのようになったのかと考えさせる流れを想定したとします。「資料の読み取り」と「考察」を同時に考えさせるのは、ステップが大きすぎるので、分けて考えさせたいのですが、両方を個別やグループを使って子どもたち自身で考えさせようとすると時間が足りません。一方を教師主導で進めようと思うのですが、どちらにすればいいのか悩むことがあります。どちらかが正解というわけではありません。「資料を読み取る力をつけたい」のか「読み取ったことから原因や背景を考察する力をつけたい」のか、ゴールや重点を置いているのはどちらなのかを自身に問いかければいいのです。どちらも捨て難いのであれば、授業のゴールがまだ明確になっていないのです。まずゴールはどこかをはっきりさせることが必要です。
読み取る力をつけたければ、個別の活動時間を取ったあと、どこに注目したかをまず発表させて視点を共有化する。その後は、必要な情報を教師が与えながら、その背景を説明するといった展開を考えることになります。
考察する力をつけたければ、全体で資料を読み取って共有化した後、そこから言えることは何かを考える時間をたくさん取る。教科書や資料集の関連するものを探すといった、考えるための手がかりをどのように意識させるか、どう共有化するかを工夫するといったことを考えることになります。

授業の展開は、ゴールにたどり着くことを意識しなければ迷走してしまいます。ゴールを意識して展開を考えておくことは、子どもたちの発言がずれたりした時に、目指す方向に軌道修正するのにも役立ちます。授業のゴールは何かを常に意識して授業を組み立ててほしいと思います。

栄養教諭の研修会で講演

昨日は、栄養教諭の研修会で「食の授業の進め方を考える−授業づくりのポイントとは−」という演題で講演をおこないました。こちらの県では栄養教諭は大変忙しく、たくさんの数の授業をこなしていらっしゃるようです。参考のために事前にいくつかの指導案をいただいたのですが、会が始まる前にその方々にアドバイスをさせていただく時間を持つことができました。その時お話していて、熱心なだけでなく、非常に理解が早いと感じました。授業経験がある程度ないと、なかなか指摘されたことを理解できません。アドバイスから具体的なイメージをすぐにつかまれていたようでした。

食の授業で大切なことは、学んだことが子どもたちの生活の改善につながらなければならないということです。子どもが「好き嫌いはなくさなければいけない」と口にしても、そのことを実行しなければ意味がないのです。そのためには課題が大切です。子どもたちにとって必然性のある課題である必要があります。必然性ということで、自分の食を考えるという課題が一般的なのですが、逆に他者の食を考えることで自分の食を考えるという発想もあります。「家族のために朝食を作ろう」といった課題で、そのことを考える過程で食にとって大切なことを考えさせるといったものです。家族に喜んでもらおう、家族のためになる食事を考えようとすることは自己有用感につながります。その延長上で自分の食を考えさせようというのです。家族の代わりに、憧れのスポーツ選手でもいいでしょう。子どもたちが考えたいと思う対象にするだけ、子どもたちが入り込みやすい課題となります。

栄養教諭は1学級あたりの授業数が少ないので、子どもとの関係をつくる時間があまり取れません。そのため、できるだけ早く子どもたちをひきつけたいと考え、授業の最初に子どものテンションを上げやすいクイズを取り入れる傾向が強いように思います。しかし、テンションを上げた後なかなか戻らない、本題に入ったら今度はテンションが下がりすぎてしまうといったこともよくあります。根拠なしに答えられるクイズにあまり時間をかけるよりも、子どもの言葉を受容し、ポジティブに評価することの方が、結果的には授業に真剣に参加してくれるはずです。また、少ない機会に対して伝えたいことが多いために、ついついたくさんのことを盛り込みたくなります。伝えたいことを整理してどれだけ絞り込むかも大切なことです。

グループワークとして「栄養のバランスのとれた食事を摂ろう」というテーマで1時間の授業の流れを考えていただきました。みなさん真剣に取り組んでいただけました。資料の活用のポイントとして、比較するとよく見えるという話をしていたのですが、さっそくそのことを取り入れたグループがたくさんありました。柔軟な方たちです。また、みなさん根拠を持って子どもたちが考えることを意識されていました。私が話したことをよく理解しています。「体調の悪い人の食事はどっち」「給食の献立を考える」「朝食をパワーアップする」といった、面白い課題もたくさん発表されました。
あるグループは導入部分までしか検討できていませんでした。授業の流れを考える時に陥りやすいことです。流れを頭から順番に考えていくと、こんな展開もある、あんな展開もいいということになってなかなかその先が決まっていきません。授業では、まずゴールを決めることが大切です。ゴールが明確であれば、どの展開がよりそのゴールに近づきやすいかを基準にして判断することができるからです。

また、日ごろの授業での悩みも聞かせていただくことができました。
朝食の栄養バランスを考えているのに、ワッフルを食べているといった意見がでると、「いいな」とうらやましがったりして、関係のない方向へ子どもの興味が移ってしまうというのです。子どもたちにはよくあることです。こういう時には、「○○さんはワッフルが朝食なんだね」と認め、うらやましがる子どもには「うらやましい、そうだよね。ワッフルおいしいもんね」とこちらの考えも受容した上で、「じゃあ、栄養はどうだろうね」とその授業のねらいに視点をもどせばいいのです。栄養的にはみんなが食べている食パンと変わらないことに気づかせることで、何が大切かを再確認することができます。

私の読みが甘く、グループワークに時間がとられ、後半に話す予定であった「授業スキル」については簡単な紹介しかできませんでした。申し訳ないことをしました。別の機会があればこのことについてもお話したいと思っています。

最後に、とてもおもしろい質問をいただきました。「授業の最後に子どもに振り返りを書かせて終わるのですが、その前にどのようなことをまとめとして話せばいいのか」というものです。教師がコンパクトにまとめようと思うと、意外と難しいものかもしれません。そこで、子どもに言わせるという発想をお伝えしました。「今日の授業でどんなことを考えた?」「どんな意見が出た?」「いろいろな意見があったけど、なるほどと思ったのはどれかな?」と子どもたちにまとめとなることを言わせるのです。教師が伝えたいと思った意見や考えが発表されたら、「そんな意見あったね。誰が言ってくれたんだっけ?」「同じように考えた人いるかな」というように、焦点化したり強調したりすればいいのです。教師が無理にまとめなくてもいいと思います。

日ごろかかわりの少ない県での研修でしたので、いつも以上によい刺激をいただくことができました。積極的な参加者のおかげで、楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

何を予習させるか

授業を理解するには予習が大切だと言われます。中学、高校と学年が上がっていくにつれその重要性が指摘されます。その理由の一つに授業を進める速さがあると思います。教える内容がどんどん増えていくからです。授業者から見れば、その日学習する内容を子どもたちが事前に理解していれば、説明もより簡単にでき、たくさん進めることができます。
ここで、注意してほしいことがあります。子どもたちが予習をして理解できるのであるのなら、授業を聞く必要ないということです。先生の説明をちゃんと聞かなくても答はわかっています。予め答を知っているので授業中に考え、悩むことはありません。よく理解できた気になります。しかし、これで力はつくのでしょうか。推理小説で事前に犯人を知っていては、頭を悩ませながら読みません。推理力もつきませんし、第一面白くありません。これと同じことです。
例えば、台形の面積の公式を事前に教科書で予習をさせることを考えてみましょう。教科書には考え方も書いてあります。授業中に子どもたちに考えさせたいことが、予習することで知識として知ってしまうことになります。これでは、意味がありません。
予習をしてよくわからなかった子どもが、わかりたいと意欲的に授業に臨めばよい効果はあるはずですが、予習を前提にして早く進むことを意識すれば、結局わからなかった子どもはよく理解できないままになってしまうことになります。では、予習はどのように考えればいいのでしょうか。

予習では、次の授業で学習することを事前に知識として獲得させておくというのではなく、その授業で必要になる足場を固めておくという考え方が大切です。先ほどの台形の面積の学習であれば、「三角形や正方形、長方形、平行四辺形の面積の公式を復習するような課題」「四角形を三角形に分解したり、2つの図形をくっつけて1つの図形にしたりして面積を求める問題」を課すといった、台形の面積を求める時に使う考えを事前に復習しておくという発想です。その時間で必要となる知識や考え方の確認です。特に学年や学期をまたいでつながるような課題であれば、すぐに思い出せない子どももたくさんいます。過去の学習を思い出させておくために事前に復習させるのです。
ここで注意をしてほしいのが、漫然と問題を解かせるのではなく、その時間で「必要となる」知識や考え方に限定して復習することです。例えば、国語で説明文の授業をする時に、以前に学習した説明文の読み取りの問題を解かせることには意味がありません。どのようなことに注目したか、説明文の読み取りで大切なことは何だったかを復習させるのです。ノートを見ればいいのだから授業中に復習してもよいと思います。しかし、事前に自分でノートを見て書き出すといった作業をしておけば、よりしっかりと思いだすことができます。地理などであれば、その時間に比較したい地域の特徴を確認しておくという方法もあります。
もちろん、国語で音読をしておくといったことも大切な足場です。また、事前に必要な知識を調べさせることも足場を固めることになります。言葉の意味を調べる。社会や理科で語句や資料を調べたり、探したりする。授業で考えるために必用な作業を事前に済ませて足場をつくることも意味のあることです。

ここで、注意してほしいことは、予習に頼りすぎると予習をしてこなかった子どもが授業に参加できなくなることです。かといって、予習していなかった子どもに合わせて授業をしてしまえば予習をしてきた子どもの努力が無駄になってしまいます。やってきた子どもを活躍させながらやってこなかった子どもも参加できるように工夫をすることが必要です(やってきたことを無駄にさせない参照)。

予習は、授業で教える内容を事前に学習させるのではなく、その授業で必要となる足場を固めるという発想で考えることが大切です。考えるための知識を確認しておく。より深く考えるための時間を確保する。そういったことのために予習を活かしてほしいと思います。

研修のアンケートと結果から考える

先日おこなった、ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方対象の研修会(居宅介護支援事業者連絡会で講演参照)のアンケートの結果が送られてきました。忙しい中、わざわざお送りいただけたことをとてもありがたく思います。
皆さんの感想は「笑顔や言葉の使い方の大切さがわかった」といった肯定的な評価がほとんどでした。私が話した具体的な内容に対する感想が多かったことから、皆さんがしっかり聞いてくださっていたということがよくわかります。また、自分の行動を変えていこうという前向きな言葉がたくさんあったことをとてもうれしく思いました。

介護には全くの素人の私でもお役に立てたのは、介護対象の方やその家族とのコミュニケーションは学校における教師と子どもや保護者とのコミュニケーションと非常によく似ているからです。というか、対象は違ってもコミュニケーションの基本は同じだということです。違いがあるとすれば、教師には叱ることや指導するという視点での子どもとのかかわりがありますが、介護関係の方にはそのようなことがないということです。教師以上にフラットな関係の中でのコミュニケーションスキルが求められます。そのため、介護関係の方は笑顔の大切さをよくわかっていらっしゃいますし、言葉づかいにも気を使っておられます。しかし、「この場面では笑顔にならなければいけない」「このことを伝えるにはこういう言葉づかいが必要だ」と意識している方は少ないように思います。この研修では、「なぜ笑顔が必要か」「こういう場面でこそ笑顔が必要だ」「言葉の使い方で相手に伝わるものが変わる」といったことを、具体例をもとにお話ししました。何となくできている、やっていることを明確に意識しておこなうようにすると、スキルとして定着します。とっさの場合や、経験したことのない局面でも活用できるようになります。今回の感想の中に、子育て中の方からの育児に役立てたいというものが少なからずありました。コミュニケーションスキルの本質的な面を意識できたことで、子どもとの接し方でも同じだと気づかれたのでしょう。

意識して使うということは、いろいろな面で大切なことです。算数や数学の問題で単に解き方を覚えるのではなく、どういう条件があるから使えるのか、他にはどのような問題に利用できるかといったことを考えることが重要です。体育などの技能系の教科では、なんとなくできたではなく、意識してできるようになることが求められます。
今回の研修では、皆さんが個々にやっている、できていることを意識して使えるようにすることがねらいの一つでした。点と点をつないで線にすることと言ってもいいでしょう。授業で大切にしているのと同じことです。何かを教える、学んでもらうということは、どのような内容であれ、学校での授業での考え方が大いに役に立ちます。研修の感想を読みながら、他の分野の研修にも授業のノウハウを活かすことを考えてみたいと思いました。

数学の授業アドバイスを助けてくれる本

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今日は、本の紹介です。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生編著の「中学校数学授業のネタ100(1年〜3年)」(明治図書)です。

この本のタイトルを見た時に、子どもたちに興味を持たせる、いわゆる「面白ネタ」の本かと思いましたがそうではありません。どのように説明すると理解がしやすいかという「説明ネタ」、興味・関心を引く「課題ネタ」、定着させるための「習得ネタ」、ICT機器や作図ツールを活用する「教具ネタ」の4つの視点で集められたネタ集です。

感心したのが、練りに練ったネタというよりは、特別な準備もなしに、明日の授業ですぐに使えるものが、単元ごとに整理されていることです。授業をどう進めたらいい、子どもたちにどのような課題を与え活動させようと悩んでいる先生にとって、大きな助けとなる本です。
しかし、この本の真価は別のところにあります。解説には、なぜこのようなネタを考えたのか、どこがポイントなのかが書かれています。数学の授業において何が大切なのか、この単元で何を押さえなければいけないのかがしっかりと解説されているのです。問題の解き方ばかりに目がいって、数学的な価値、ものの見方・考え方を意識できていない数学の授業によく出会います。できる限りその場でアドバイスしていますが、別の単元になれば、また同じことの繰り返しです。教科書にそって全部解説しなければいけないのかと、がっかりすることがよくあります。泥縄的な、明日の授業のネタ探しにも役立ちますが、中学校数学の解説書として素晴らしい価値があるのです。担当学年だけではなく、まず全学年を通読することがこの本の正しい活用法だと思います。

また、解説にはどのようなところで子どもが間違えるのか、つまずくのかも書かれています。学生時代に中途半端に数学ができただけで、教える経験の少ない教師は、子どものつまずきを予想できません。つまずきを見過ごし、試験をしてみて初めて子どもが理解できていないことに気づくことがよくあります。子どもの間違いを予想し、対応を考えるためにもとても役に立つのです。

わかりやすいネタの形を取りながら、基礎的な数学の授業力をつけるために必用な知識や情報が詰まっている本です。若手だけでなくベテランにとっても、ポイントを確認し、引き出しを増やすことで授業の底上げができる本だと思います。私にとっては数学の授業アドバイスの苦労を軽減させてくれる本です。このような本が世に出たことに感謝します。

「成長」を感じた卒業式

学校評議員をしている中学校の卒業式に来賓として参加しました。

式では、卒業生も在校生も素晴らしい歌声を披露してくれました。合唱には日ごろの音楽の授業での指導が現れます。子どもたちがリズムを取りながら体を前に乗り出して歌う姿に、「伝えたい」「表現したい」という想いが感じられます。音楽担当の教師は卒業生の担任です。卒業生と一緒に口を動かしていました。初任者の時から6年間見ている先生です。素直で、前向きな方です。日ごろから努力を続け、教師として成長してきたことが子どもたちの姿からうかがえました。

校長や来賓の式辞も素晴らしいものでしたが、子どもたちの言葉が印象に残りました。在校生の送る言葉(送辞)は2年生、1年生の代表2人が交代で読み上げます。正直、合唱と比べて、読み方はあまり指導されていません。しかし、その拙さを補って余りある内容だったように思います。卒業生とのエピソードから、先輩への思いが伝わってきます。それにもまして素晴らしかったのが、卒業生の出発(たびだち)の言葉(答辞)でした。各学級の男女の代表1名ずつが交代で読み上げます。特徴的だったのが、「成長」という言葉が数えきれないほど登場したことです。自分たちが3年間の学校生活でどれだけ成長したか、自らの言葉で語るのです。「思い」が語られることは普通ですが、「成長」がこれだけ語られることはまずありません。自ら実感していなければ出てこない言葉です。とても感動しました。彼らが語る言葉が本物であることは、読み方からも伝わってきます。在校生と同じく、決して上手な読み方ではありません。しかし、最後に近づくにつれて言葉に感情がこもり、心を打つのです。卒業生全体の表情からも、この言葉が彼らの共通のものであることが伝わります。

3年生の主任はベテランの方です。私とは前任校以来10年以上の付き合いのある方です。熱い思いで子どもたちに接します。時には厳しい指導でぶつかることもあります。その先生が、式後にこんなことを話してくれました。
今までは、どうしても形をつくることにこだわっていた。この学年は2年生の後半から、自分たちで考えさせるように方針を変えた。失敗しても、途中で終わってもいい。そこから学べばいいと見守ることにした。子どもたちは、自分たちで考え、本当に成長した。
子どもたちから「成長」という言葉が出てきた理由がわかりました。そして、子どもたちと一緒に先生も成長していたのです。

主任だけでなく熱い思いで子どもたちと接する先生の多い学年です。一つ間違えば「暑苦しい」先生たちになりかねません。こういった教師の思いが子どもたちに伝わらない学校も目にします。しかし、この卒業生たちは違っていました。
卒業証書授与の時、名前を呼ばれると向きを変えて、担任に向かって「はい」と大きな声で返事を返す学級がありました。子どもたちと担任の関係のよさがわかります。この担任は、他校での講師時代から10年近く付き合いのある方です。講師時代は、一方的に教える授業でしたが、今では子どもを信じて、子どもの発言を待てるようになっています。子どもの姿に教師としての成長がうかがえます。
そして、先生方の思いが間違いなく子どもたちに伝わっていると感じさせられたのが、最後に「仰げば尊し」を歌ったときでした。子どもたちがサプライズを用意していたのです。
卒業生全員が職員席に向きを変え、3年生の担任、担当の先生の名前を順番に呼びかけたのです。「他の先生方」と続き、最後に学年主任の名前を全員が大きな声で呼びました。式場全体に「ありがとうございました」の声が響き渡ります。先生方に内緒で子どもたちが準備していたのです。そして、感動的な「仰げば尊し」の合唱で式は終わりました。ここ何年もこの学校で「仰げば尊し」を聞いたことがありません。子どもたちの意志でプログラムに組み込んだのです。
教師としてとても幸せな時間だったことでしょう。

90分以上の長い式ですが、卒業生はもちろん在校生の姿勢も最後まで乱れません。子どもたちの素晴らしさが印象に残る卒業式でした。
ただ一つ残念なことは、この学校に限らないのですが、出発(たびだち)の言葉(答辞)に、部活動や行事の思い出が語られても授業のことが語られないことです。学校生活の大半を占めるのは授業です。子どもたちに部活動や行事と同じように語ってもらえるものであってほしいと思います。

例年以上に印象に残る卒業式でした。失礼な言い方ですが、子どもたちの成長と共に先生方の成長も見ることができました。私にとっては、このことが特にうれしいことでした。

教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわり

教師がしゃべりすぎないことが大切ということが言われます。よく目にするのが、子どもから正解や正解につながる言葉が発表された後、その言葉を受けて教師が説明を続ける場面です。本人は子どもから出てきた言葉をもとに進めているつもりなのですが、一番大切な根拠や考え方は教師の言葉で進んでいます。子どもの発言に対して教師がその何倍もしゃべっていることがほとんどです。子どもの発言は単なるきっかけで、教師が自分の言葉で説明しているのです。結局、子どもが教師の説明を聞いて納得することを求められる受け身の授業になってしまいます。このようなことを避けるために、しゃべりすぎないようにと言われるわけです。

教師がしゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言を増やし、できるだけ子どもの発言だけで授業を進めようとすることになります。どんな発言に対しても「なるほど」と受容して、安心して発言できる雰囲気をつくる。「同じように考えた人いる?」と、たとえ同じ考え方でも、何人も指名して全員が納得できるまで発表させる。「自分の言葉でまとめてみよう」と、子どもたち自身でまとめさせる。こういう姿勢が求められます。子どもたちは、教師が余分な言葉をしゃべらず、説明をしないので友だちの発言をしっかり聞き、自分の言葉で説明できるようになっていくはずです。経験の浅い教師でも、しゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言量が確実に増え、子どもの言葉だけで進む授業になっていきます。しかし、それだけで、子どもたちに力がつくとは言えません。このような、教師があまりしゃべらない、説明しない授業では、子どもたちの発言が言葉不足で全体によく伝わらないことや同じことが次々に発表されるだけで考えが深まっていかないことがよくあるのです。実は、教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわりがあるのです。

例えば、子どもの発言がだらだら続いて整理できていなければ、一度発言が終わったあと「なるほど、どうみんな納得した?」と子どもたちに確認して、「まだ納得していない人がいるからもう一度、みんなに聞かせてくれる」と再度発言させます。途中で止めながら、「ここまで納得した」と子どもたちが発言を理解するための時間を取ります。言葉足らずであれば「今、・・・と言ってくれたけど、それってどういうこと?」とより詳しい説明を求める。「○○さんの考え説明できる人?」と他の子どもに考えを説明させる。
発言を重ねていくのであれば、「今、言葉を足してくれたね」「ちょっと違うところがあったね」「共通のことがあったね」と考えをつなぐことを意識した気づきを促す。「みんな△△に注目しているけど、それってどういうことかな?」「今、2つの意見が出てきたけれど、どっちが納得できる?」と焦点化し、時にはグループに戻してより深く考えさせる。
こういった教師の言葉やかかわりが必要になります。

教師がしゃべりすぎないことは、子どもの発言を引き出し、子どもの言葉で進む授業の第一歩です。説明しないからこそ、発言を整理し、子ども同士をつなぎ、考えや意見を焦点化するといった、子どもの考えを共有化し、より深めるための教師の言葉やかかわりが必要になります。しゃべりすぎないことにこだわるあまり、このことを忘れてしまってはいけません。説明する以上に大切な出番があるのです。しゃべりすぎないからこそ、何をしゃべるかが問われるのです。

愛される学校づくり研究会の来年度計画

先週末に、愛される学校づくり研究会の来年度の計画について会議がありました。大きなイベントである愛される学校づくりフォーラムに目がいきがちですが、普段の研究会での学びがあってこその話です。来年度の研究テーマは今年度のものをもう一歩進める視点で検討されました。

校務の情報化やICT活用については学校のこれからを見通した近未来的なものを研究していきます。最近は学校現場でもタブレットPCが脚光を浴びていますが、ともすると機器先行で、使うことが目的化しているようにも思えます。これからの教育の方向性をしっかり見据え、その上でタブレットPCや新しいインフラを活かした校務の情報化やICT活用について考えていく予定です。
また、授業にかかわることとして、今年度の授業研究に加えて、授業アドバイスなどより広く授業改善につながる取り組みの具体的な方法を考えることになりました。若手の育成が学校の課題となっていますが、具体的にどのようにするか悩んでいる管理職も多いと思います。研究会の会員にとっても大きな課題となっています。授業改善につながる具体的な取り組みについてより深く、広く研究していく予定です。
来年度もフォーラムを一つの区切りとして、研究の成果を発表する予定です。ご期待ください。

研究会のホームページでの連載も、今年度のものを引き継ぐだけでなく、いくつか新しいものが企画されました。力を持った会員にもっと発信してもらいたい、いつも裏方で支えてくれる企業会員の方にも活躍してもらいたい。そんな企画です。4月以降の愛される学校づくり研究会のホームページを楽しみにしていただきたいと思います。

夏には、第1回「教育と笑いの会」という新しいイベントが名古屋であります。どのようなものになるか未知数の部分が多いのですが、楽しみな企画です。もちろん、プレッシャーもありますが、来年のフォーラムも今から楽しみです。
互いに学びあえる素晴らしい研究会です。来年度もワクワク・ドキドキのある充実した会となることと楽しみにしています。

答辞・送辞の指導で考える

先週末は、答辞と送辞の指導をプロのアナウンサーの方と一緒におこなってきました。昨年までは事前の先生方の指導の質も年々上がってきていて、レベルの高い指導を求められるようになっていました。ところが今年はちょっと様子が違っていました。

原稿をいただいて困惑したのが、答辞が散文詩の形になっていたことです。生徒への指導の前に、このことについて担当の先生方にお話をうかがいました。なかなか本人から、具体的なエピソードや思いが出てこなかったので、このような形式にしたということです。しかし、詩の形式にするとどうしても省略が多くなるため、その場面を知っている者にはわかるのですが、初めて聞く者には何を言っているのかよくわかりません。今から大きく変更するわけにはいきませんが、本番までまだ少し時間があるので修正できるところは手を入れるようにお願いしました。

卒業生代表は、とても素敵な声で読み方も上手でした。しかし、文章中の「誇りに思います」「勇気のいること」といった言葉が具体的にどういうことを指すのかが明確でないので、言葉が浮いてしまいます。その言葉に込める思いを意識して話すようにアドバイスすることで、浮いた感じはなくなったのですが、伝わるとまではいきませんでした。また、倒置法が連の最後に何度か使われています。聞いている方は次にどのような言葉が続くのかと身構えるのですが、違うエピソードに転換されるので、はぐらかされたように感じます。
エピソードも「私」と「仲間」で語られるものと「私たち」と「みんな」のものがあります。意図的であるかどうかは別にして、前者は個人の経験であり、後者はみんなを代表して語っていることでした。しかし、これらすべてを受けての言葉は、私たちを支えてくれた「仲間」です。どう読み分けるのか、どう伝えるのか難しくなります。
上手に読むのですが、どうしても聞く方は話しに入りきることができません。言葉が頭の上を通り過ぎてしまうのです。そのためか、体育館での練習では、体が揺れる癖や足の開き方、姿勢などの些末なことに目がいってしまいます。読み方だけでなく、伝わる文章であることが大きな要素であることがよくわかりました。

送辞の内容は答辞と比べてある意味形式的でよいところもあり、内容ではなく純粋に読み方の指導になりました。まだ練習があまりできていないようで、原稿が入っていません。原稿に目がいってしまい顔が上がらない状態で読んでいます。間が空いてもいいので、目で読んで言葉を頭に入れてから、顔をしっかり上げて声を出すように指導しました。アナウンサーの方から、文の最初の言葉をしっかり出すことも指摘されました。息を吐いている途中でしゃべるのではなく、止めた息を吐くと同時に声を出すという指導は、さすがだと思いました。
句読点の通りに区切って読むことで変なリズムができている、句読点にこだわらず意味のまとまりを意識して読む。全体的に読み方が早い。特に、いくつかの言葉をつながって読むときに早口になってしまうので、ゆっくり読むよう意識する。こういったことを指導していただきました。代表の生徒は少し緊張する性格のようで、特に前半部分に指摘した傾向が強く出ます。後半になって慣れてくるとさほど気にならなくなります。この日の練習でも随分上手くなったので、本番まで練習することできっとよくなることと思います。

今回感じたことは、いろいろな意味で先生方の指導が大切だということです。答辞の内容に関していえば、本人から具体的なエピソードや思いをどう引き出すかといった文章を書くにあたっての指導。また、自分の思いを一方的に伝えるのではなく、聞き手を意識することの指導。送辞に関しては、日程の関係もあり十分にできなかったのでしょうが、人前での基本的な話し方の指導。このようなことです。
今年度は異動もあって、担当は経験の浅い先生方でした。今までの指導法が上手く継承されていなかったことがちょっと残念でした。これを機に、先生方で答辞・送辞の指導のポイントを共有してほしいと思います。また、今回は、話し方以外での指導が多くなったため、プロのアナウンサーの出番が少なかったことももったいないことでした。
2人の代表の生徒はとても素直で、前向きに取り組んでくれました。本番までに練習を重ねて、きっと例年に劣らない素晴らしい答辞と送辞になることと期待しています。

知識を活かす

生徒の係が石油ストーブに灯油を入れる学校でのことです。ポリタンクのノズルをストーブの給油口に差し込んで灯油を入れるのですが、上手く入らないと子どもがざわついたそうです。ノズルと反対側のキャップを緩めなかったので空気が入ってこなかったのです。タンクから灯油を入れる経験がなかっただけのことと言えないこともないのですが、経験だけで片付けていいことなのか、ちょっと考えてしまいました。実はこの話は高等学校でのことだったのです。

「学校で習ったことは受験以外役に立たない!」「方程式を解くことが社会で何の役に立つの?」と考えている人はかなりの数に上るでしょう。しかし、そういう方は学んだことや知識を活かそうとする姿勢が根本的に欠けているのではないかという気がします。先ほどの灯油を入れることは、経験の問題ではなく知識の活用という視点から見ることもできます。理科の圧力の学習で実験したことや学んだことを思いだせばすぐに解決するはずの問題です。高校生であれば、当然すぐに気づいてしかるべきです。醤油さしの瓶に小さな穴が開いていることに気づいてどうしてだろう考えるような、身近なことに学んだことを活用しようとする姿勢で日ごろからいれば、すぐに対処できたはずです。
子どもたちから「学校の勉強は試験のための勉強、実生活の知恵はまた別のもの」という意識が感じられることがよくあります。学校で学ぶことにリアリティがないと言い変えてもいいでしょう。新学習指導要領でも知識・技能を実生活の場面で活用する力をつけることをうたっています。先ほどの高校生は、小学校や中学校でそのような力をつけてこなかったということです。

実はこの力がないことを一番感じるのは、学校の先生に対してです。先生自身が自分の専門教科が実生活の場面でどのように活用されるかをわかっていない、少なくとも授業からはそのことを意識していないように感じられるのです。試験に出るからと言って、知識を覚えることを求める。解き方ばかりを覚えさせてどうすれば解き方を見つけることができるかという見方・考え方を鍛えようとしない。授業で学ぶことを実生活にどう活かすことができるのかという視点のない授業に多く出会うのです。これは何も若手に限ったことではありません。ベテランでも同じです。先生自身が受験に特化してしまい、自分の専門教科を活用する力を無くして(もともと身につけていなかった?)しまっているように思います。子どもたちに求める以前に先生がその力をつけることを意識してほしいと思います。

学んだことが本当に活きるのは、経験のない未知の問題に出会った時です。些細なことかもしれませんが、ポリタンクから灯油を入れるという、一度経験して知ってしまえばどうということもないことから、そのことを改めて考えさせられました。
学んだことを活用する力を意識した授業づくりを心がけ、学校で学ぶことが子どもたちにとってリアリティのあるものになるようにしてほしいと思います。
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