中学校の学校評議員会に参加

昨日は、中学校の学校評議委員会に参加しました。学校の重点目標とリンクしたアンケートで評価を行っている学校です。前回の結果と今回の結果でどのような変化が表れるかとても楽しみにして参加しました。

全体の傾向は大きく変わってはいませんでしたが、学年ごとの傾向がよりはっきりしてきたようです。4月は子どもたちの意識を変えるチャンスです。この時期に向けて、どのようなメッセージを子どもたちに発信するのか、各学年で検討していただくことを期待しています。
面白かったのが、子どもたちのスコアは大きな変化はなかったのですが、保護者のスコアの改善傾向が大きかったことです。保護者は子どもを通じて学校の情報を手に入れます。そのため子どもたちと似た傾向の結果が出やすいのですが、これをどのようにとらえるのか興味のあるところです。この学校はホームページや冊子で学校の取り組みを発信しています。子どもたちを経由せずに、学校の取り組みが保護者に伝わったというとらえ方もできそうです。
保護者からの自由記述欄の内容も公開していただけました。3年生の保護者から教師への感謝のメッセージに、確かな信頼関係を感じました。また、教師間の対応の差を指摘する声も目立ちました。個性のない教師では困りますが、足並みがそろわないことも問題です。教師の差がクローズアップされるのは、学校が変化している時です。全員が一度に変わらないからです。これは、よい方向へ変わるときでも、悪い方向へ変わるときでも起こることです。この学校では、前者であるように思いますが、しっかりと見定めたいと思います。

今回の話題の中心はいじめ対策の話です。この市では、全学校でいじめ防止基本方針を作成します。この基本方針と共に、この学校の現在の具体的ないじめに関する状況が報告されました(もちろん個人情報はわからない形です)。学校はこういった情報は隠す傾向が強いのですが、マイナスのことも伝えていただけるからこそ、私たちも真剣に考えることができます。保護者の方からも、積極的な意見が出されました。いじめをゼロにしようというよりも、いじめはあるものとして常にアンテナを立てて対応してほしいとう意見に大きく頷きました。

この学校では、子どもたちの自己有用感を高めることを意識しています。来年度は行事だけでなく授業の中でも子どもたちが自己有用感を高め、自他ともに大切することを意識しようとしています。ともすると、人間関係を行事だけでつくろうとしますが、子どもたちの学校生活の中心は授業です。その授業で人間関係をつくることを意識していただけたことはとても素晴らしいと思います。
来年度も引き続き学校評議員をやらせていただきます。この学校にかかわることで、私自身多くのことを学ばせていただいています。そのような機会をいただけることに感謝します。

授業の展開に迷ったら、ゴールを意識する

授業の流れを考えていると、いろいろな展開が浮かんできて、どうすればよいか迷うことがあります。「資料をどう活用する」「個人作業かグループ活動か」「子どもに調べさせるか教師が説明するか」・・・。それぞれによさや問題点があり判断が難しい時があります。どのようにして、決定していけばいいのでしょうか。

授業の展開に悩んだ時は、まずゴールを確認することです。この1時間で「子どもにどうなってほしい」「獲得してほしい知識や力、気づいてほしいことは何」と自分に問いかけるのです。先生と授業の流れを検討していて、ゴールが明確になっていないと思うことがよくあります。「こちらにはこのよさがある、あちらには別のよさがある」と悩んでいるのですが、「授業のゴールはどこですか」と質問するとすぐに出てこないのです。ゴールがはっきりしていれば、そこにたどり着くのにより適切な展開はどちらだろうと考えるだけです。その判断基準が不明確なまま悩んでいるので、決定できないのです。

例えば、社会科で資料を活用する時に、資料からわかることを子どもたちから出させ、その読み取りをもとに、どんなことが言えるのか、なぜそのようになったのかと考えさせる流れを想定したとします。「資料の読み取り」と「考察」を同時に考えさせるのは、ステップが大きすぎるので、分けて考えさせたいのですが、両方を個別やグループを使って子どもたち自身で考えさせようとすると時間が足りません。一方を教師主導で進めようと思うのですが、どちらにすればいいのか悩むことがあります。どちらかが正解というわけではありません。「資料を読み取る力をつけたい」のか「読み取ったことから原因や背景を考察する力をつけたい」のか、ゴールや重点を置いているのはどちらなのかを自身に問いかければいいのです。どちらも捨て難いのであれば、授業のゴールがまだ明確になっていないのです。まずゴールはどこかをはっきりさせることが必要です。
読み取る力をつけたければ、個別の活動時間を取ったあと、どこに注目したかをまず発表させて視点を共有化する。その後は、必要な情報を教師が与えながら、その背景を説明するといった展開を考えることになります。
考察する力をつけたければ、全体で資料を読み取って共有化した後、そこから言えることは何かを考える時間をたくさん取る。教科書や資料集の関連するものを探すといった、考えるための手がかりをどのように意識させるか、どう共有化するかを工夫するといったことを考えることになります。

授業の展開は、ゴールにたどり着くことを意識しなければ迷走してしまいます。ゴールを意識して展開を考えておくことは、子どもたちの発言がずれたりした時に、目指す方向に軌道修正するのにも役立ちます。授業のゴールは何かを常に意識して授業を組み立ててほしいと思います。

栄養教諭の研修会で講演

昨日は、栄養教諭の研修会で「食の授業の進め方を考える−授業づくりのポイントとは−」という演題で講演をおこないました。こちらの県では栄養教諭は大変忙しく、たくさんの数の授業をこなしていらっしゃるようです。参考のために事前にいくつかの指導案をいただいたのですが、会が始まる前にその方々にアドバイスをさせていただく時間を持つことができました。その時お話していて、熱心なだけでなく、非常に理解が早いと感じました。授業経験がある程度ないと、なかなか指摘されたことを理解できません。アドバイスから具体的なイメージをすぐにつかまれていたようでした。

食の授業で大切なことは、学んだことが子どもたちの生活の改善につながらなければならないということです。子どもが「好き嫌いはなくさなければいけない」と口にしても、そのことを実行しなければ意味がないのです。そのためには課題が大切です。子どもたちにとって必然性のある課題である必要があります。必然性ということで、自分の食を考えるという課題が一般的なのですが、逆に他者の食を考えることで自分の食を考えるという発想もあります。「家族のために朝食を作ろう」といった課題で、そのことを考える過程で食にとって大切なことを考えさせるといったものです。家族に喜んでもらおう、家族のためになる食事を考えようとすることは自己有用感につながります。その延長上で自分の食を考えさせようというのです。家族の代わりに、憧れのスポーツ選手でもいいでしょう。子どもたちが考えたいと思う対象にするだけ、子どもたちが入り込みやすい課題となります。

栄養教諭は1学級あたりの授業数が少ないので、子どもとの関係をつくる時間があまり取れません。そのため、できるだけ早く子どもたちをひきつけたいと考え、授業の最初に子どものテンションを上げやすいクイズを取り入れる傾向が強いように思います。しかし、テンションを上げた後なかなか戻らない、本題に入ったら今度はテンションが下がりすぎてしまうといったこともよくあります。根拠なしに答えられるクイズにあまり時間をかけるよりも、子どもの言葉を受容し、ポジティブに評価することの方が、結果的には授業に真剣に参加してくれるはずです。また、少ない機会に対して伝えたいことが多いために、ついついたくさんのことを盛り込みたくなります。伝えたいことを整理してどれだけ絞り込むかも大切なことです。

グループワークとして「栄養のバランスのとれた食事を摂ろう」というテーマで1時間の授業の流れを考えていただきました。みなさん真剣に取り組んでいただけました。資料の活用のポイントとして、比較するとよく見えるという話をしていたのですが、さっそくそのことを取り入れたグループがたくさんありました。柔軟な方たちです。また、みなさん根拠を持って子どもたちが考えることを意識されていました。私が話したことをよく理解しています。「体調の悪い人の食事はどっち」「給食の献立を考える」「朝食をパワーアップする」といった、面白い課題もたくさん発表されました。
あるグループは導入部分までしか検討できていませんでした。授業の流れを考える時に陥りやすいことです。流れを頭から順番に考えていくと、こんな展開もある、あんな展開もいいということになってなかなかその先が決まっていきません。授業では、まずゴールを決めることが大切です。ゴールが明確であれば、どの展開がよりそのゴールに近づきやすいかを基準にして判断することができるからです。

また、日ごろの授業での悩みも聞かせていただくことができました。
朝食の栄養バランスを考えているのに、ワッフルを食べているといった意見がでると、「いいな」とうらやましがったりして、関係のない方向へ子どもの興味が移ってしまうというのです。子どもたちにはよくあることです。こういう時には、「○○さんはワッフルが朝食なんだね」と認め、うらやましがる子どもには「うらやましい、そうだよね。ワッフルおいしいもんね」とこちらの考えも受容した上で、「じゃあ、栄養はどうだろうね」とその授業のねらいに視点をもどせばいいのです。栄養的にはみんなが食べている食パンと変わらないことに気づかせることで、何が大切かを再確認することができます。

私の読みが甘く、グループワークに時間がとられ、後半に話す予定であった「授業スキル」については簡単な紹介しかできませんでした。申し訳ないことをしました。別の機会があればこのことについてもお話したいと思っています。

最後に、とてもおもしろい質問をいただきました。「授業の最後に子どもに振り返りを書かせて終わるのですが、その前にどのようなことをまとめとして話せばいいのか」というものです。教師がコンパクトにまとめようと思うと、意外と難しいものかもしれません。そこで、子どもに言わせるという発想をお伝えしました。「今日の授業でどんなことを考えた?」「どんな意見が出た?」「いろいろな意見があったけど、なるほどと思ったのはどれかな?」と子どもたちにまとめとなることを言わせるのです。教師が伝えたいと思った意見や考えが発表されたら、「そんな意見あったね。誰が言ってくれたんだっけ?」「同じように考えた人いるかな」というように、焦点化したり強調したりすればいいのです。教師が無理にまとめなくてもいいと思います。

日ごろかかわりの少ない県での研修でしたので、いつも以上によい刺激をいただくことができました。積極的な参加者のおかげで、楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

何を予習させるか

授業を理解するには予習が大切だと言われます。中学、高校と学年が上がっていくにつれその重要性が指摘されます。その理由の一つに授業を進める速さがあると思います。教える内容がどんどん増えていくからです。授業者から見れば、その日学習する内容を子どもたちが事前に理解していれば、説明もより簡単にでき、たくさん進めることができます。
ここで、注意してほしいことがあります。子どもたちが予習をして理解できるのであるのなら、授業を聞く必要ないということです。先生の説明をちゃんと聞かなくても答はわかっています。予め答を知っているので授業中に考え、悩むことはありません。よく理解できた気になります。しかし、これで力はつくのでしょうか。推理小説で事前に犯人を知っていては、頭を悩ませながら読みません。推理力もつきませんし、第一面白くありません。これと同じことです。
例えば、台形の面積の公式を事前に教科書で予習をさせることを考えてみましょう。教科書には考え方も書いてあります。授業中に子どもたちに考えさせたいことが、予習することで知識として知ってしまうことになります。これでは、意味がありません。
予習をしてよくわからなかった子どもが、わかりたいと意欲的に授業に臨めばよい効果はあるはずですが、予習を前提にして早く進むことを意識すれば、結局わからなかった子どもはよく理解できないままになってしまうことになります。では、予習はどのように考えればいいのでしょうか。

予習では、次の授業で学習することを事前に知識として獲得させておくというのではなく、その授業で必要になる足場を固めておくという考え方が大切です。先ほどの台形の面積の学習であれば、「三角形や正方形、長方形、平行四辺形の面積の公式を復習するような課題」「四角形を三角形に分解したり、2つの図形をくっつけて1つの図形にしたりして面積を求める問題」を課すといった、台形の面積を求める時に使う考えを事前に復習しておくという発想です。その時間で必要となる知識や考え方の確認です。特に学年や学期をまたいでつながるような課題であれば、すぐに思い出せない子どももたくさんいます。過去の学習を思い出させておくために事前に復習させるのです。
ここで注意をしてほしいのが、漫然と問題を解かせるのではなく、その時間で「必要となる」知識や考え方に限定して復習することです。例えば、国語で説明文の授業をする時に、以前に学習した説明文の読み取りの問題を解かせることには意味がありません。どのようなことに注目したか、説明文の読み取りで大切なことは何だったかを復習させるのです。ノートを見ればいいのだから授業中に復習してもよいと思います。しかし、事前に自分でノートを見て書き出すといった作業をしておけば、よりしっかりと思いだすことができます。地理などであれば、その時間に比較したい地域の特徴を確認しておくという方法もあります。
もちろん、国語で音読をしておくといったことも大切な足場です。また、事前に必要な知識を調べさせることも足場を固めることになります。言葉の意味を調べる。社会や理科で語句や資料を調べたり、探したりする。授業で考えるために必用な作業を事前に済ませて足場をつくることも意味のあることです。

ここで、注意してほしいことは、予習に頼りすぎると予習をしてこなかった子どもが授業に参加できなくなることです。かといって、予習していなかった子どもに合わせて授業をしてしまえば予習をしてきた子どもの努力が無駄になってしまいます。やってきた子どもを活躍させながらやってこなかった子どもも参加できるように工夫をすることが必要です(やってきたことを無駄にさせない参照)。

予習は、授業で教える内容を事前に学習させるのではなく、その授業で必要となる足場を固めるという発想で考えることが大切です。考えるための知識を確認しておく。より深く考えるための時間を確保する。そういったことのために予習を活かしてほしいと思います。

研修のアンケートと結果から考える

先日おこなった、ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方対象の研修会(居宅介護支援事業者連絡会で講演参照)のアンケートの結果が送られてきました。忙しい中、わざわざお送りいただけたことをとてもありがたく思います。
皆さんの感想は「笑顔や言葉の使い方の大切さがわかった」といった肯定的な評価がほとんどでした。私が話した具体的な内容に対する感想が多かったことから、皆さんがしっかり聞いてくださっていたということがよくわかります。また、自分の行動を変えていこうという前向きな言葉がたくさんあったことをとてもうれしく思いました。

介護には全くの素人の私でもお役に立てたのは、介護対象の方やその家族とのコミュニケーションは学校における教師と子どもや保護者とのコミュニケーションと非常によく似ているからです。というか、対象は違ってもコミュニケーションの基本は同じだということです。違いがあるとすれば、教師には叱ることや指導するという視点での子どもとのかかわりがありますが、介護関係の方にはそのようなことがないということです。教師以上にフラットな関係の中でのコミュニケーションスキルが求められます。そのため、介護関係の方は笑顔の大切さをよくわかっていらっしゃいますし、言葉づかいにも気を使っておられます。しかし、「この場面では笑顔にならなければいけない」「このことを伝えるにはこういう言葉づかいが必要だ」と意識している方は少ないように思います。この研修では、「なぜ笑顔が必要か」「こういう場面でこそ笑顔が必要だ」「言葉の使い方で相手に伝わるものが変わる」といったことを、具体例をもとにお話ししました。何となくできている、やっていることを明確に意識しておこなうようにすると、スキルとして定着します。とっさの場合や、経験したことのない局面でも活用できるようになります。今回の感想の中に、子育て中の方からの育児に役立てたいというものが少なからずありました。コミュニケーションスキルの本質的な面を意識できたことで、子どもとの接し方でも同じだと気づかれたのでしょう。

意識して使うということは、いろいろな面で大切なことです。算数や数学の問題で単に解き方を覚えるのではなく、どういう条件があるから使えるのか、他にはどのような問題に利用できるかといったことを考えることが重要です。体育などの技能系の教科では、なんとなくできたではなく、意識してできるようになることが求められます。
今回の研修では、皆さんが個々にやっている、できていることを意識して使えるようにすることがねらいの一つでした。点と点をつないで線にすることと言ってもいいでしょう。授業で大切にしているのと同じことです。何かを教える、学んでもらうということは、どのような内容であれ、学校での授業での考え方が大いに役に立ちます。研修の感想を読みながら、他の分野の研修にも授業のノウハウを活かすことを考えてみたいと思いました。

数学の授業アドバイスを助けてくれる本

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今日は、本の紹介です。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生編著の「中学校数学授業のネタ100(1年〜3年)」(明治図書)です。

この本のタイトルを見た時に、子どもたちに興味を持たせる、いわゆる「面白ネタ」の本かと思いましたがそうではありません。どのように説明すると理解がしやすいかという「説明ネタ」、興味・関心を引く「課題ネタ」、定着させるための「習得ネタ」、ICT機器や作図ツールを活用する「教具ネタ」の4つの視点で集められたネタ集です。

感心したのが、練りに練ったネタというよりは、特別な準備もなしに、明日の授業ですぐに使えるものが、単元ごとに整理されていることです。授業をどう進めたらいい、子どもたちにどのような課題を与え活動させようと悩んでいる先生にとって、大きな助けとなる本です。
しかし、この本の真価は別のところにあります。解説には、なぜこのようなネタを考えたのか、どこがポイントなのかが書かれています。数学の授業において何が大切なのか、この単元で何を押さえなければいけないのかがしっかりと解説されているのです。問題の解き方ばかりに目がいって、数学的な価値、ものの見方・考え方を意識できていない数学の授業によく出会います。できる限りその場でアドバイスしていますが、別の単元になれば、また同じことの繰り返しです。教科書にそって全部解説しなければいけないのかと、がっかりすることがよくあります。泥縄的な、明日の授業のネタ探しにも役立ちますが、中学校数学の解説書として素晴らしい価値があるのです。担当学年だけではなく、まず全学年を通読することがこの本の正しい活用法だと思います。

また、解説にはどのようなところで子どもが間違えるのか、つまずくのかも書かれています。学生時代に中途半端に数学ができただけで、教える経験の少ない教師は、子どものつまずきを予想できません。つまずきを見過ごし、試験をしてみて初めて子どもが理解できていないことに気づくことがよくあります。子どもの間違いを予想し、対応を考えるためにもとても役に立つのです。

わかりやすいネタの形を取りながら、基礎的な数学の授業力をつけるために必用な知識や情報が詰まっている本です。若手だけでなくベテランにとっても、ポイントを確認し、引き出しを増やすことで授業の底上げができる本だと思います。私にとっては数学の授業アドバイスの苦労を軽減させてくれる本です。このような本が世に出たことに感謝します。

「成長」を感じた卒業式

学校評議員をしている中学校の卒業式に来賓として参加しました。

式では、卒業生も在校生も素晴らしい歌声を披露してくれました。合唱には日ごろの音楽の授業での指導が現れます。子どもたちがリズムを取りながら体を前に乗り出して歌う姿に、「伝えたい」「表現したい」という想いが感じられます。音楽担当の教師は卒業生の担任です。卒業生と一緒に口を動かしていました。初任者の時から6年間見ている先生です。素直で、前向きな方です。日ごろから努力を続け、教師として成長してきたことが子どもたちの姿からうかがえました。

校長や来賓の式辞も素晴らしいものでしたが、子どもたちの言葉が印象に残りました。在校生の送る言葉(送辞)は2年生、1年生の代表2人が交代で読み上げます。正直、合唱と比べて、読み方はあまり指導されていません。しかし、その拙さを補って余りある内容だったように思います。卒業生とのエピソードから、先輩への思いが伝わってきます。それにもまして素晴らしかったのが、卒業生の出発(たびだち)の言葉(答辞)でした。各学級の男女の代表1名ずつが交代で読み上げます。特徴的だったのが、「成長」という言葉が数えきれないほど登場したことです。自分たちが3年間の学校生活でどれだけ成長したか、自らの言葉で語るのです。「思い」が語られることは普通ですが、「成長」がこれだけ語られることはまずありません。自ら実感していなければ出てこない言葉です。とても感動しました。彼らが語る言葉が本物であることは、読み方からも伝わってきます。在校生と同じく、決して上手な読み方ではありません。しかし、最後に近づくにつれて言葉に感情がこもり、心を打つのです。卒業生全体の表情からも、この言葉が彼らの共通のものであることが伝わります。

3年生の主任はベテランの方です。私とは前任校以来10年以上の付き合いのある方です。熱い思いで子どもたちに接します。時には厳しい指導でぶつかることもあります。その先生が、式後にこんなことを話してくれました。
今までは、どうしても形をつくることにこだわっていた。この学年は2年生の後半から、自分たちで考えさせるように方針を変えた。失敗しても、途中で終わってもいい。そこから学べばいいと見守ることにした。子どもたちは、自分たちで考え、本当に成長した。
子どもたちから「成長」という言葉が出てきた理由がわかりました。そして、子どもたちと一緒に先生も成長していたのです。

主任だけでなく熱い思いで子どもたちと接する先生の多い学年です。一つ間違えば「暑苦しい」先生たちになりかねません。こういった教師の思いが子どもたちに伝わらない学校も目にします。しかし、この卒業生たちは違っていました。
卒業証書授与の時、名前を呼ばれると向きを変えて、担任に向かって「はい」と大きな声で返事を返す学級がありました。子どもたちと担任の関係のよさがわかります。この担任は、他校での講師時代から10年近く付き合いのある方です。講師時代は、一方的に教える授業でしたが、今では子どもを信じて、子どもの発言を待てるようになっています。子どもの姿に教師としての成長がうかがえます。
そして、先生方の思いが間違いなく子どもたちに伝わっていると感じさせられたのが、最後に「仰げば尊し」を歌ったときでした。子どもたちがサプライズを用意していたのです。
卒業生全員が職員席に向きを変え、3年生の担任、担当の先生の名前を順番に呼びかけたのです。「他の先生方」と続き、最後に学年主任の名前を全員が大きな声で呼びました。式場全体に「ありがとうございました」の声が響き渡ります。先生方に内緒で子どもたちが準備していたのです。そして、感動的な「仰げば尊し」の合唱で式は終わりました。ここ何年もこの学校で「仰げば尊し」を聞いたことがありません。子どもたちの意志でプログラムに組み込んだのです。
教師としてとても幸せな時間だったことでしょう。

90分以上の長い式ですが、卒業生はもちろん在校生の姿勢も最後まで乱れません。子どもたちの素晴らしさが印象に残る卒業式でした。
ただ一つ残念なことは、この学校に限らないのですが、出発(たびだち)の言葉(答辞)に、部活動や行事の思い出が語られても授業のことが語られないことです。学校生活の大半を占めるのは授業です。子どもたちに部活動や行事と同じように語ってもらえるものであってほしいと思います。

例年以上に印象に残る卒業式でした。失礼な言い方ですが、子どもたちの成長と共に先生方の成長も見ることができました。私にとっては、このことが特にうれしいことでした。

教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわり

教師がしゃべりすぎないことが大切ということが言われます。よく目にするのが、子どもから正解や正解につながる言葉が発表された後、その言葉を受けて教師が説明を続ける場面です。本人は子どもから出てきた言葉をもとに進めているつもりなのですが、一番大切な根拠や考え方は教師の言葉で進んでいます。子どもの発言に対して教師がその何倍もしゃべっていることがほとんどです。子どもの発言は単なるきっかけで、教師が自分の言葉で説明しているのです。結局、子どもが教師の説明を聞いて納得することを求められる受け身の授業になってしまいます。このようなことを避けるために、しゃべりすぎないようにと言われるわけです。

教師がしゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言を増やし、できるだけ子どもの発言だけで授業を進めようとすることになります。どんな発言に対しても「なるほど」と受容して、安心して発言できる雰囲気をつくる。「同じように考えた人いる?」と、たとえ同じ考え方でも、何人も指名して全員が納得できるまで発表させる。「自分の言葉でまとめてみよう」と、子どもたち自身でまとめさせる。こういう姿勢が求められます。子どもたちは、教師が余分な言葉をしゃべらず、説明をしないので友だちの発言をしっかり聞き、自分の言葉で説明できるようになっていくはずです。経験の浅い教師でも、しゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言量が確実に増え、子どもの言葉だけで進む授業になっていきます。しかし、それだけで、子どもたちに力がつくとは言えません。このような、教師があまりしゃべらない、説明しない授業では、子どもたちの発言が言葉不足で全体によく伝わらないことや同じことが次々に発表されるだけで考えが深まっていかないことがよくあるのです。実は、教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわりがあるのです。

例えば、子どもの発言がだらだら続いて整理できていなければ、一度発言が終わったあと「なるほど、どうみんな納得した?」と子どもたちに確認して、「まだ納得していない人がいるからもう一度、みんなに聞かせてくれる」と再度発言させます。途中で止めながら、「ここまで納得した」と子どもたちが発言を理解するための時間を取ります。言葉足らずであれば「今、・・・と言ってくれたけど、それってどういうこと?」とより詳しい説明を求める。「○○さんの考え説明できる人?」と他の子どもに考えを説明させる。
発言を重ねていくのであれば、「今、言葉を足してくれたね」「ちょっと違うところがあったね」「共通のことがあったね」と考えをつなぐことを意識した気づきを促す。「みんな△△に注目しているけど、それってどういうことかな?」「今、2つの意見が出てきたけれど、どっちが納得できる?」と焦点化し、時にはグループに戻してより深く考えさせる。
こういった教師の言葉やかかわりが必要になります。

教師がしゃべりすぎないことは、子どもの発言を引き出し、子どもの言葉で進む授業の第一歩です。説明しないからこそ、発言を整理し、子ども同士をつなぎ、考えや意見を焦点化するといった、子どもの考えを共有化し、より深めるための教師の言葉やかかわりが必要になります。しゃべりすぎないことにこだわるあまり、このことを忘れてしまってはいけません。説明する以上に大切な出番があるのです。しゃべりすぎないからこそ、何をしゃべるかが問われるのです。

愛される学校づくり研究会の来年度計画

先週末に、愛される学校づくり研究会の来年度の計画について会議がありました。大きなイベントである愛される学校づくりフォーラムに目がいきがちですが、普段の研究会での学びがあってこその話です。来年度の研究テーマは今年度のものをもう一歩進める視点で検討されました。

校務の情報化やICT活用については学校のこれからを見通した近未来的なものを研究していきます。最近は学校現場でもタブレットPCが脚光を浴びていますが、ともすると機器先行で、使うことが目的化しているようにも思えます。これからの教育の方向性をしっかり見据え、その上でタブレットPCや新しいインフラを活かした校務の情報化やICT活用について考えていく予定です。
また、授業にかかわることとして、今年度の授業研究に加えて、授業アドバイスなどより広く授業改善につながる取り組みの具体的な方法を考えることになりました。若手の育成が学校の課題となっていますが、具体的にどのようにするか悩んでいる管理職も多いと思います。研究会の会員にとっても大きな課題となっています。授業改善につながる具体的な取り組みについてより深く、広く研究していく予定です。
来年度もフォーラムを一つの区切りとして、研究の成果を発表する予定です。ご期待ください。

研究会のホームページでの連載も、今年度のものを引き継ぐだけでなく、いくつか新しいものが企画されました。力を持った会員にもっと発信してもらいたい、いつも裏方で支えてくれる企業会員の方にも活躍してもらいたい。そんな企画です。4月以降の愛される学校づくり研究会のホームページを楽しみにしていただきたいと思います。

夏には、第1回「教育と笑いの会」という新しいイベントが名古屋であります。どのようなものになるか未知数の部分が多いのですが、楽しみな企画です。もちろん、プレッシャーもありますが、来年のフォーラムも今から楽しみです。
互いに学びあえる素晴らしい研究会です。来年度もワクワク・ドキドキのある充実した会となることと楽しみにしています。

答辞・送辞の指導で考える

先週末は、答辞と送辞の指導をプロのアナウンサーの方と一緒におこなってきました。昨年までは事前の先生方の指導の質も年々上がってきていて、レベルの高い指導を求められるようになっていました。ところが今年はちょっと様子が違っていました。

原稿をいただいて困惑したのが、答辞が散文詩の形になっていたことです。生徒への指導の前に、このことについて担当の先生方にお話をうかがいました。なかなか本人から、具体的なエピソードや思いが出てこなかったので、このような形式にしたということです。しかし、詩の形式にするとどうしても省略が多くなるため、その場面を知っている者にはわかるのですが、初めて聞く者には何を言っているのかよくわかりません。今から大きく変更するわけにはいきませんが、本番までまだ少し時間があるので修正できるところは手を入れるようにお願いしました。

卒業生代表は、とても素敵な声で読み方も上手でした。しかし、文章中の「誇りに思います」「勇気のいること」といった言葉が具体的にどういうことを指すのかが明確でないので、言葉が浮いてしまいます。その言葉に込める思いを意識して話すようにアドバイスすることで、浮いた感じはなくなったのですが、伝わるとまではいきませんでした。また、倒置法が連の最後に何度か使われています。聞いている方は次にどのような言葉が続くのかと身構えるのですが、違うエピソードに転換されるので、はぐらかされたように感じます。
エピソードも「私」と「仲間」で語られるものと「私たち」と「みんな」のものがあります。意図的であるかどうかは別にして、前者は個人の経験であり、後者はみんなを代表して語っていることでした。しかし、これらすべてを受けての言葉は、私たちを支えてくれた「仲間」です。どう読み分けるのか、どう伝えるのか難しくなります。
上手に読むのですが、どうしても聞く方は話しに入りきることができません。言葉が頭の上を通り過ぎてしまうのです。そのためか、体育館での練習では、体が揺れる癖や足の開き方、姿勢などの些末なことに目がいってしまいます。読み方だけでなく、伝わる文章であることが大きな要素であることがよくわかりました。

送辞の内容は答辞と比べてある意味形式的でよいところもあり、内容ではなく純粋に読み方の指導になりました。まだ練習があまりできていないようで、原稿が入っていません。原稿に目がいってしまい顔が上がらない状態で読んでいます。間が空いてもいいので、目で読んで言葉を頭に入れてから、顔をしっかり上げて声を出すように指導しました。アナウンサーの方から、文の最初の言葉をしっかり出すことも指摘されました。息を吐いている途中でしゃべるのではなく、止めた息を吐くと同時に声を出すという指導は、さすがだと思いました。
句読点の通りに区切って読むことで変なリズムができている、句読点にこだわらず意味のまとまりを意識して読む。全体的に読み方が早い。特に、いくつかの言葉をつながって読むときに早口になってしまうので、ゆっくり読むよう意識する。こういったことを指導していただきました。代表の生徒は少し緊張する性格のようで、特に前半部分に指摘した傾向が強く出ます。後半になって慣れてくるとさほど気にならなくなります。この日の練習でも随分上手くなったので、本番まで練習することできっとよくなることと思います。

今回感じたことは、いろいろな意味で先生方の指導が大切だということです。答辞の内容に関していえば、本人から具体的なエピソードや思いをどう引き出すかといった文章を書くにあたっての指導。また、自分の思いを一方的に伝えるのではなく、聞き手を意識することの指導。送辞に関しては、日程の関係もあり十分にできなかったのでしょうが、人前での基本的な話し方の指導。このようなことです。
今年度は異動もあって、担当は経験の浅い先生方でした。今までの指導法が上手く継承されていなかったことがちょっと残念でした。これを機に、先生方で答辞・送辞の指導のポイントを共有してほしいと思います。また、今回は、話し方以外での指導が多くなったため、プロのアナウンサーの出番が少なかったことももったいないことでした。
2人の代表の生徒はとても素直で、前向きに取り組んでくれました。本番までに練習を重ねて、きっと例年に劣らない素晴らしい答辞と送辞になることと期待しています。

知識を活かす

生徒の係が石油ストーブに灯油を入れる学校でのことです。ポリタンクのノズルをストーブの給油口に差し込んで灯油を入れるのですが、上手く入らないと子どもがざわついたそうです。ノズルと反対側のキャップを緩めなかったので空気が入ってこなかったのです。タンクから灯油を入れる経験がなかっただけのことと言えないこともないのですが、経験だけで片付けていいことなのか、ちょっと考えてしまいました。実はこの話は高等学校でのことだったのです。

「学校で習ったことは受験以外役に立たない!」「方程式を解くことが社会で何の役に立つの?」と考えている人はかなりの数に上るでしょう。しかし、そういう方は学んだことや知識を活かそうとする姿勢が根本的に欠けているのではないかという気がします。先ほどの灯油を入れることは、経験の問題ではなく知識の活用という視点から見ることもできます。理科の圧力の学習で実験したことや学んだことを思いだせばすぐに解決するはずの問題です。高校生であれば、当然すぐに気づいてしかるべきです。醤油さしの瓶に小さな穴が開いていることに気づいてどうしてだろう考えるような、身近なことに学んだことを活用しようとする姿勢で日ごろからいれば、すぐに対処できたはずです。
子どもたちから「学校の勉強は試験のための勉強、実生活の知恵はまた別のもの」という意識が感じられることがよくあります。学校で学ぶことにリアリティがないと言い変えてもいいでしょう。新学習指導要領でも知識・技能を実生活の場面で活用する力をつけることをうたっています。先ほどの高校生は、小学校や中学校でそのような力をつけてこなかったということです。

実はこの力がないことを一番感じるのは、学校の先生に対してです。先生自身が自分の専門教科が実生活の場面でどのように活用されるかをわかっていない、少なくとも授業からはそのことを意識していないように感じられるのです。試験に出るからと言って、知識を覚えることを求める。解き方ばかりを覚えさせてどうすれば解き方を見つけることができるかという見方・考え方を鍛えようとしない。授業で学ぶことを実生活にどう活かすことができるのかという視点のない授業に多く出会うのです。これは何も若手に限ったことではありません。ベテランでも同じです。先生自身が受験に特化してしまい、自分の専門教科を活用する力を無くして(もともと身につけていなかった?)しまっているように思います。子どもたちに求める以前に先生がその力をつけることを意識してほしいと思います。

学んだことが本当に活きるのは、経験のない未知の問題に出会った時です。些細なことかもしれませんが、ポリタンクから灯油を入れるという、一度経験して知ってしまえばどうということもないことから、そのことを改めて考えさせられました。
学んだことを活用する力を意識した授業づくりを心がけ、学校で学ぶことが子どもたちにとってリアリティのあるものになるようにしてほしいと思います。

居宅介護支援事業者連絡会で講演

昨日は、市の居宅介護支援事業者連絡会の研修で講演を行ってきました。ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方が対象のものです。介護におけるコミュニケーションについて話しました。私が毎月行っている介護研修に参加されている方も一部いらっしゃいましたので、その研修のダイジェストにプラスして集団とのコミュニケーションについても触れることにしました。

コミュニケーションの基本の確認として、「笑顔」と「受容」の大切をまずお話ししました。「しまった」と相手や自分が思うようなときにとっさに笑顔になれること、そのためには日ごろから意識して笑顔をつくる訓練をしておくことが大切です。また、相手を受容していること伝えるために、相手の外化に対してうなずく等、きちんと反応することも大切です。相手を受容することは、相手のことをよく聞くことからはじまります。ただ単に言葉を聞くのではありません。相手の伝えたいことを理解しようとすることです。

では、相手に伝わるためにはどのようなことが必要でしょうか。まず、相手が話を聞こうと思ってくれる関係をつくることが大切です。上から目線の言葉づかいでは、よい関係をつくることはできません。Iメッセージやポジティブな表現を使うように意識することが大切です。

デイサービスなどでは、利用者全体とのコミュニケーションも必要です。集団とのコミュニケーションに関して、次のような話をさせていただきました。

・「1対多ではなく、1対1がたくさんある」
全体に対して話をするのではなく、一人ひとりに話をするつもりになることが大切です。漫然と全体を眺めるのではなく、一人ひとりを見て、視線を落としコミュニケーションを取ることが必要です。

・「一方通行ではダメ」
相手に反応を求め、相手の反応に笑顔でうなずき、しっかりと受け止めることが大切です。

・「指示が通るまで待つ姿勢」
指示がきちんと全員に通るまで待つことが大切です。できていないのに次の指示がすれば、ついていけない人が出てきます。行動を早めたければ、できていない人を注意するのではなく、できた人をほめる発想が大切になります。

・「確認が大切」
話したことが伝わっているかどうかを確認する必要があります。言われたことを理解するのに時間がかかることもあります。確認に対する反応をせかさないようにすることが大切です。

介護職員と利用者の縦の関係をまずつくることが大切ですが、そればかりでは、介護職員が全員と対応しなければいけなくなります。利用者同士の横の関係をつくることを意識することも必要です。共通の話題を振って利用者同士をつなぎ、関係ができればそこから離れて利用者だけで話が進むようにするといったかかわり方が必要です。利用者がどのようなことに興味を持っているか、どのような話題なら話が弾みそうかといったことを、日ごろのかかわりの中でつかんでおくことが大切です。

質疑応答で、とても興味深い質問がでました。「相手の目をしっかり見て笑顔でうなずきながら対応したのに、へらへらしていると言われてしまった。どうすればよいのか」というものです。原則をきちんと守っています。「なぜ」と思うのも当然です。実際にその場を見たわけでないので何とも言えませんが、おそらく相手と関係なく、自分のリズムでうなずいたりしていたのだと思います。相手の状況に応じて反応しなければ、きちんと聞いているようには思えません。自分の言葉に対して笑顔になったと思えば、へらへらという言葉は出ないでしょう。自分との関係にかかわりなく、いつも笑顔でいるのだと思ったので、へらへらと言ったのです。じっと話を聞いていて、相手の言葉が途切れたときに笑顔でうなずくというように、相手のリズムに合わせて反応することが必要です。

今回の研修は、お仕事の後の遅い時間にもかかわらず、100名ほどの方に参加いただけました。熱心な方が多いことに感心しました。最初は少しかたい雰囲気だったのですが、途中からしっかりと反応しながら参加していただけました。考えてもらう課題をいくつか用意したのですが、皆さんとても真剣に取り組んでいただけ、私が想像しなかったような素敵な答えもたくさん出てきました。日ごろから良好なコミュニケーションを取ることを意識しておられるからだと思います。

日ごろはお会いすることの少ない、教育以外の分野の実践者と接する機会をいただけたことに感謝します。自分の専門とは違う分野の方から学ぶことはとても刺激的でした。逆に私の話が皆さんにとって少しでも刺激となったのであれば幸いです。

「対話力」をテーマに介護関係者向け研修を行う

先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「対話力」がテーマです。相手の気持ちをどう受け止め、どう返せばいいのかを具体的な場面に即して考えていただきました。

話し相手になる時には、相手の感情面に意識することが大切です。言葉の裏にはいろいろな思いが隠れています。同じ言葉でも、人によって隠れている思いは異なります。時には、話題をふることで相手の言葉を引き出そうとしていることもあります。いくつかの可能性を考えることが必要です。言葉に潜む感情を察知し、相手の気持ちを想像しながら会話をすることが重要になります。注意してほしいのは、相手の感情に対して「気持ちがわかる」と安易に同調しないことです。特に負の感情の場合、相手が自分の体験をわかるはずがないと反発する可能性もあります。また、「そんなことはないですよ」という下手な励ましは危険です。相手の言っていることをそんなことは「ない」と否定しているからです。負の感情を含めて丸ごと受け止める、理解していることを伝えることが必要になります。「相手の言葉をまず受容する」「相手の気持ちを引き出す」「別の可能性を相手に気づかせる」「前向きな言葉を相手に言わせる」といったカウンセリングマインドで接することが大切です。

「自分は話し下手でまわりの人と上手くなじめない。まわりの人は私といても楽しくない」と考えてみんなの輪に入ろうとしないが、実は入りたいと思っている方に対してどのように対応すればいいかという課題に、グループで取り組んでいただきました。対話を考えてもらえればと思っていましたが、素晴らしい対応を考えたグループがありました。
自分たちが話をしてもなかなか動いてくれない方もいる。また、特定の人にかかわってばかりはいられない。そこで、声をかけてくれそうな方の横に座席を設定するという対応です。人は何か課題に直面した時に、自分が対応しようとすることが多いのですが、そうではなく、第三者を上手く活用するのです。その手段として環境を変えるという発想です。学校でも通用する考え方です。もし、上手くいかなければ、また別の人と組み合わせればいいのです。時間をかければきっとその方にあう方が見つかることでしょう。その方との関係を軸に、他の人と関係を作っていけばいいのです。
さすがは毎日現場で実践をしている方々です。私も学ばせていただきました。

最後に、相談事をされた時の対応についてお話ししました。相談は、自分の決定を後押ししてほしいだけのこともあります。そんな時、いくらこちらの考えが正しいと思っても、そのことを強く主張しすぎると反発を招くこともあります。相手の考えを否定しないように注意しなければなりません。人の数だけ考え方があることを忘れないことが大切です。
また、相手が相談するということは、信頼してくれているということです。その信頼を裏切るような行為をしてはいけません。プライベートなことは、たとえ職場の仲間であってもしゃべらないようにする必要があります。もし、他の職員にも話す必要があると考えたら、必ず本人の許可を得てほしいと思います。

この日も、職場での実践に基づいた対応からたくさんのことを学ばせていただきました。よい勉強の機会を得ていることに感謝します。

「楽しく授業研究しよう」第12回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第12回「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」での学び(その1)が公開されました。

ぜひご一読ください。

チームワークが支えた授業研究

前回の日記の続きです。授業研究は、1年生の体育で男女混合でのフラッグフットボールでした。フラッグフットボールは1チーム5人で行う、アメリカンフットボールをもとにしたゴール型ゲームです。タックルの代わりに腰につけたタグを奪うことで身体接触を無くし、ドリブルやシュートといった難しいボール操作もないので男女混合でも競技がしやすいのが特徴です。攻撃と守備がはっきり分かれ、1回の攻撃ごとにハドルと呼ばれる作戦会議があり、一人ひとりに役割が振られます。子ども同士のかかわり合いが競技の中に明確に位置づけられています。子どもたちが作戦を立てやすいように前時までに基本的な攻撃パターンをいくつか練習しています。
そして、今回は特別にゴールをすると得点が2倍になるキーパーソンを設定しています。キーパーソンを意識することで作戦の幅を増やし、活躍する子どもを増やそうというわけです。キーパーソンは、相手からなってほしくない生徒を2人指名させ、残りの3人から選ばせます。こうすることでより多くの生徒が得点にからむ活躍ができると考えたのです。
競技の特性や特別ルールから、この授業のねらいが見えてきます。子どもたちがどのようなかかわりをするのか楽しみです。

授業規律という点で少し気になる点がありました。集合させて説明する時に顔が上がらない子どもの姿が目につきます。チームの誰かが聞いていれば困らないこともあって、全員が集中しているというとは言えません。ここは、全員の顔が上がったのを確認してから説明を始めたいところです。また、ウォーミングアップに何をするかの指示はあったのですが、活動のポイントや注意事項の確認がありませんでした。復習として、子どもを指名して確認するとよかったと思います。また、チームの活動場所への移動も歩いている子どもがほとんどでした。移動などもできるだけ素早くするように指導したいものです。
ウォーミングアップは、パスと1対1のランプレーでした。子どもたちの声が聞こえないことが気になります。「ナイスパス」といった評価や、「○○に気をつけよう」といったアドバイスの声がほしいのです。ランプレーの練習でもプレーしていない子どもから声が出ません。練習のポイントの確認が必要だということです。

まずチームごとに時間を取って基本の攻撃パターンを考えます。外から見ていると、子どもたちは作戦を考えるための根拠をあまり持っていないように見えます。前時までに基本的な攻撃のパターンを学習しているはずですが、それぞれどのような特徴があり、どんな場合に有効なのかは意識されていなかったようです。ここであまり時間を取るよりも、まず1試合経験させてから各チームが考えたことを発表し、全体で共有した方がよかったと思います。再度作戦を考える時間を取れば、より深く考えることができたはずです。
試合で気になったのは、守備側の動きです。基本的な守備がわかっていないのです。攻撃陣に対して後ろに下がったまま対峙します。この競技では相手の動き出しを止めることが守備の基本です。これでは走りだして加速する時間が十分に取れてしまうので、攻撃陣のスピードが乗ってしまい止めることが難しくなります。
実はこの授業の指導案を考えるために、先生方の有志で実際にフラッグフットボールをやってみたそうです。延べ20人ほどの方が自主的に参加されたそうです。このチームワークのよさがこの学校の魅力です。先生方はこれまでフラッグフットボールの経験はなかったのですが、プレーを通じて攻撃の動きを止めるために誰をマークするかと考えたり、動き出しを止めなければいけないことに気づいたりしたようです。自然にディフェンスラインを前に上げるようになったようです。このことから、授業者は教師が働きかけなくても、子ども自身で気づくと考えていたようです。
しかし、守備側の子どもたちはハドルをしません。攻撃側のハドルが終わるのをボーっと待っているのです。守備側が対応することで攻撃側も作戦を工夫する必然性が出てきます。この状態では、作戦を立てる活動は活性化しません。守備側が組織的に対応するという視点が子どもになかったのです。
途中でいったん止めて、全体で守備について考える時間を取るべきでした。しかし、対戦相手を変えながら最後まで試合を続けました。
前時までの基本的な攻撃のパターンの練習時に、守備側はどうすれば防げるのかを考える場面をつくるべきだったように思います。作戦がわかっていれば止める方法が考えられることを知って、初めて互いが作戦を立てる必然性が出てくるのです。

最後にうまくいった作戦、逆に相手チームのうまかったところを聞きました。しかし、なぜよかったのか、どうすれば防げるのかといったことを考える場面はありませんでした。単に発表しただけで終わりです。また、見事なタッチダウンパスを決めたチームがありました。そういうチームを評価して、作戦を立てるのにどんなことを話し合ったかを聞いてもよかったかもしれません。

先生方は自分たちがこのゲームを経験したこともあって、各チームの様子、特にハドルの様子をとてもていねいに観察していました。授業検討会でどういうことが発表されるかとても楽しみです。
検討会では、まず、各チームでの話し合いの場面での授業者の働きかけが話題になりました。
授業者がこんなやり方もあると教えるとその作戦に決まってしまう。そこで、「やってみればいいじゃん」と子どもの背中を押すようにしていた。このことがきっかけで、子どもたちが次に進むことができていた。
よくわかっていないと思える子どもに「わかった?」授業者が問いかけたところ、首を横に振った。わかっていないことに気づいた子どもがフォローしてもう一度説明をし始めた。
自分がプレーすることに不安を持っていた子どもに「カバーしてくれるよ」と授業者が声をかけたら、安心して動いた。
前向きな言葉かけや子ども同士をつなぐような働きかけが大切なことがよくわかります。しかし、個々のチームに個別にかかわりすぎると全体を見ることができません。体育では、事故が心配ですから常に全体に気を配ることが求められます。個々へのかかわりの時間を短くして、全体の状況を把握するよう意識することも大切になります。また、個別の指導で見つけた個々のチームのよい気づきや行動を全体に広げる場面をどうつくるか考えることも必要です。最後に発表しても、そのことをすぐに実践する場面がないので、活かすことができません。もし、最後になってしまったら、次時の最初にそのことを確認して思い出させてから学習に入る必要があるでしょう。

子どもたちは、作戦を考えて攻撃することで、次第にかかわり合いが深くなっていったようです。一人ひとりに役割があるので、自分のすることを理解しなければいけないからです。
ただ聞いていただけの子どもが、自分からどうすればいいのか聞くようになった。おとりを続けていたキーパーソンが、「そろそろボールに触りたい」と自己主張した。できる子が優しくフォローする姿が見られた。男女混合でやったソフトボールの時には、男子に任せて積極的に動かない女子が目立ったが、フラッグフットボールでは自分の役割があるのでしだいに女子が活躍する場面が増えていった。
このようなことが語られました。先生方は子どもたちのかかわり合いを実によく観察しています。今回の検討会で印象に残ったのは、子どもたちの様子がすべて固有名詞で語られていたことでした。先生方の授業を見る目も進歩していることがわかります。

今回授業者は経験のない競技に挑戦してくれました。その経験の足りない部分を、先生方が子どもと同じように競技をしてみせることで補ってくれました。だからこそ、授業者だけでなく、参加された先生方の学びも大きかったと思います。
作戦を立てなければプレーできないという話し合う必然性が盛り込まれている競技なので、子ども同士のかかわり合いをうまくつくりだすことができました。話し合う必然性のある活動の大切さがよくわかりました。それと同時に、話し合いをより深めていくためには、教師の働きかけや授業の組み立の工夫が必要であることも確認することができました。このことは体育に限らずどの教科にも通じる学びです。
よい雰囲気の中、私もたくさんのことを学ぶことができました。チームワークのよさがこの学校の進歩を支えていることがよくわかる授業研究でした。次回の訪問が今からとても楽しみです。

確実な変化が見られる中学校

先日、中学校の現職教育に参加してきました。今年度5回目の訪問で、4回目の授業研究です。この日に授業研究は体育で、私がまだ見たことがないフラッグフットボールの授業でした。指導案からも教材研究がしっかりされていることが伝わります。どのような子どもの姿が見られるのかとても楽しみでした。

授業研究の前に、学校全体の様子を2時間見せていただきました。一部の先生を除いて教師が一方的にしゃべる場面を見ることがなくなりました。子どもの言葉から授業を進めようとしています。子どもを受容することと合わせて、この学校に定着してきています。確実によい変化が現れています。ただ、子どものつぶやきに対してすぐに個別に反応する場面が目につきます。全体で共有すべきことであれば、まず全体に対して再度言わせて、みんなで考えることが必要です。そうでなければ、あとで個別に対応すればいいのです。全体の場で個人的なやり取りは必要ないのです。
子どもに発言を求めるのはよいのですが、挙手をした子どもだけを指名する傾向が強いように感じます。挙手した子どもだけで授業を進めるのではなく、全員が参加することを意識してほしいと思います。「すぐに指名をせずにまわりと確認させる」「1問1答を避け、挙手に頼らず何人も続けて指名する」「発言をなるほどと思った子どもにその理由を聞く」というように、子ども同士をつなぎ、子どもに参加することを求めてほしいと思います。

また、子どもの発言意欲も少ないように感じます。ほぼ全員が正解できているはずでも、数人しか手が挙がらない場面がよくあります。その原因の一つに、子どもたちの発言をポジティブに評価していないことが上げられます。受容はするのですが、評価や価値づけがないのです。よい発言をしても評価されなければ発言意欲はわきません。
もう一つの原因は、課題のゴールが不明確で活動の評価がはっきりしないことです。活動に対する指示はあるのですが、「何のために」「どうなればいいのか」という目的と目標が子どもたちにわかる形で示されていないのです。教師が評価しなくても、「やった」「できた」と自己評価ができれば、それなりに達成感があるのですが、その評価の基準が見えなくては自己評価できません。ただやらされているだけす。当然発言意欲もわかないのです。

授業規律も一部の学級で緩んできているように思います。よい状態の学級は、教師や友だちの発言をとても集中して聞いています。が、子どもたちの作業を止めずに教師が説明を始めている学級では、子どもが落ち着きません。作業が終わったら大きな声で「終わった」と宣言したりもします。次の指示がないので、まわりと雑談してもいいはずだと主張しているのです。基本がいつの間にかおろそかになっています。
今年度も残りわずかですが、これらの課題への対策を具体的にして、年度内に取り組んでいくことが必要です。研修部のメンバーは実行力のある方たちですから、すぐに動いてくれることと期待しています。

社会科の室町時代の授業です。東山文化と北山文化について、代表的なものの写真をもとに「比べてわかること」を個人でワークシートに書かせていました。指示が具体的なので取り組みやすいのでしょう。子どもたちはとても集中していました。この比較することが授業のゴールであればいいのですが、おそらくそうではありません。とすると、このことに時間をかけすぎてはいけません。一番考えさせたいことに使う時間がなくなってしまうからです。授業者に確認したところ、2つの文化の違いの原因を考えさせることで、かかった費用の違いから「戦乱」、いぐさの利用から「二毛作」というように、室町時代の出来事や特徴を整理させたかったということです。しかし、比較に時間をかけすぎて、時間が足りなくなり十分な活動ができなかったようです。「比べてわかること」は、取り組みやすいからこそ全体の場で発表させることで素早く共有し、出てきたことをもとに主となる課題を考えさせるべきだったと思います。

何人もの若手がアドバイスを聞きに来てくれました。この日見た授業のことだけでなく、今抱えている課題について質問もしてくれました。
「理科の岩石の授業は、観察はしても最後は石の組成などの知識を教えることになってしまう。どのようにすればいいのだろうか」という質問をしてくれたのは、2学期の授業研究でとても素晴らしい授業を見せてくれた若手です。この日の授業でも、子どもたちはとても集中していて、素晴らしい姿を見せてくれました。授業者からは自信も伝わってきます。しかし、そのことに甘んじることなく、よりよい授業を目指していることをとてもうれしく思いました。
まず、岩石の観察で見つけたことを、「黒い粒がある」「粒が大きい」・・・といった子どもたちの言葉で表現させ、全体で共有させます。続いてこれらを比較することで、共通なこと、異なることを明確にします。これらの子どもたちの気づきを、教科書や資料集を参考に理科の用語を使って表現することを次の課題にします。「黒い粒」は「雲母の結晶」、「粒が大きい」は「結晶が大きい」というように置き換えていくことで、知識と自分たちの観察がつながっていくはずです。このようなアドバイスをしました。

「体育のダンスの授業でどうしてもうまくできない子どもが何人かいる。この後のグループでの創作活動で上手く仲間に入れないのではないか心配だ。どうすればいいのだろうか」という質問がありました。初任者ですが、子どもたち全員が活動できるようにすることを意識して授業をしています。子どもたちを活動させることができるようになり、表情がずいぶん明るくなっています。授業が楽しくなってきたようです。だからこそ、出てきた質問です。
音楽の速さについていけないのであれば、音楽ばかり頼らずにカウントを使って練習することも一つの方法です。教師が個別に対応しようとするより、子ども同士のかかわりあいでできるようにすることも大切です。向かい合ってカウントを取りながら同じ動きをする。できる子が相手に合わせて早さを調節する。苦手な子のペースでできる子を真似することで動きを覚えることができます。子ども同士がかかわらなければできない活動を工夫するのです。また、グループの創作では全員が同じ動きをするのが原則かもしれませんが、苦手な子と他の子どもとの動きを変えるという方法もあるでしょう。苦手な子どもの単純な動きとまわりの子どもの動きのコントラストを活かそうという発想です。苦手な子どもを隅に置くのではなく、あえて真ん中にして活かすのです。
この課題は、今回の授業研究にもつながることでした。授業研究については次回の日記で。

佐藤正寿先生から多くのことを学ぶ(長文)

本年度最後の教師力アップセミナーに参加しました。奥州市立常盤小学校副校長の佐藤正寿先生の「子どもたちが熱中する社会科授業」という講演でした。

10の視点で社会科だけでなく、どの教科にも通じる授業づくりのポイントを紹介されました。

視点1 基礎基本を楽しく
佐藤正寿先生は、社会科クイズを知識の定着によく利用されます。クイズ形式は盛り上がりますが、知識を問う問題は知らなければ答えられません。時間を与えたからといって答がわかるわけではありません。時間をかけるとだれてしまいます。テンポよく進めるのがポイントです。既習事項は知っていることが前提ですので、クイズになじみます。未習であれば、扱い方に注意が必要です。「あれ、なんだろう」と興味を持たせるような問題であること、そして、子どもがなんらかの根拠を持って考えるような仕組みが必要です。
今回示していただいた例、「日本で一番大きな島はどこ」という問い(クイズ?)を考えてみましょう。地理の問題ですから地図と連動させることが大切です。子どもは日本地図を頼りに考えます。日本地図を表示することが必要になります。もちろん手元に地図帳を用意してもいいでしょう。本州という正解が出たところで、「島」の定義が問題になります。実は、この問いは、島の定義を知識として教えて定着するものでした。もちろん、大きな島を探すことで、島に関する知識も身につきます。定義をもとに、2番目、3番目を確認します。そして、四国の次に大きい島はと聞き、本州が島だと気づかなかった子どもにも、「択捉島」を発表させることで活躍させます。子どもたちと地図を結びつけることで、地図を身近なものとするねらいもあります。島に関連して、「日本に島はいくつあるでしょうか」と質問します。これこそ知らなければ答えられない問題です。推測でしか答えられません。しかし、子どもたちがいくつだろうと考え推測することで、6,853という細かい数字までは頭に残らないかもしれませんが、少なくとも概数は印象に残ります。島国だといわれる日本にどのくらいの島があるのかを知識として身につけることにつながります。単に、「日本には島が6,853あります」と教えるより、はるかに楽しく、そして定着するわけです。

視点2 資料にあったスモールステップ
これは私もよく言うことなのですが、「気づいたことは何ですか」では、なかなか子どもは答えられません。視点がはっきりしないからです。そこで佐藤先生は、スモールステップに分けて考えさせることを提案されます。
最初は基礎項目の理解です。まず資料のタイトルや出典を確認します。タイトルに「領土面積」とあれば、学習用語である領土の意味を確認します。「領土」があるのだから、「領海」や「領空」といった関連用語も合わせて確認をしてもいいでしょう。出典から、信頼できる資料かかどうかを判断します。グラフであれば、軸の項目なども確認し、どのような情報なのかをまず理解した上で「減っている」「増えている」といった全体の傾向をつかみます。
基礎項目を理解した上で。「比較」「推測」「解釈」をします。資料の事実を比較することで、その理由を「推測」する。教科書や他の知識と関連付けて「解釈」する。こういう活動を行うのです。子どもたちから疑問が出てくることもあります。今回は日本の年ごとの領土のグラフを例に説明されましたが、1945年のものだけ色が変わっていました。そのことに疑問を持つ子どもがいるはずです。この時は連合軍に占領されていたから色が変わっていたのです。こういった子どもの発言を評価しながら、資料をもとに深く考えさせるというわけです。

視点3 資料の見せ方
資料の一部分を見せないことで子どもの興味・関心を引き出すことができます。隠れているところに何があるのだろうかと考えさせるのです。答は教師が教えてもいいですが、教えなという選択もあります。自分で調べさせるのです。例えば、コンビニのおにぎりの横には何があるかを隠しておきます。「おにぎりと一緒に飲み物を買うから飲み物だ」と気づかせることから、「並べ方の工夫」につなげていきます。一つの例から、より一般化して広げていくのです。
見る視点を変えるだけで世界は違って見えます。韓国や中国からみた日本の地図を提示されました。日本海を挟んで日本列島から沖縄までが韓国や中国の進出を阻む壁のように見えます。彼らが領土問題に敏感になることがわかるような気がします。立場を変えてみる、多面的に見るといったことの大切さを知らせることもできるわけです。
愛される学校づくりフォーラム2012 in東京」では、有田和正先生の授業を若手がICTを活用して追試しました。コンビニの店員から見た店の様子をパノラマ写真にして、その一部分を見せることからスタートしました。これも同じ発想です。
このフォーラムの内容は、(株)プラネクサス発刊の「野口芳宏・有田和正・志水廣 授業名人が語るICT活用 −愛される学校づくりフォーラムでの記録」で知ることができます。単にフォーラムでの発言や内容をまとめた記録ではありません。このフォーラムに向けて若手とベテランが授業名人に近づこうとどのような努力をしてきたか、その挑戦と成長の姿が書かれています。名人が語った言葉には、ICT活用を超えて授業とはどうあるべきかという本質があふれています。授業力をつけるとはどのようなことなのか、授業とはどうあるべきかを考える参考になるはずです。ご一読をお勧めします。

視点4 見えないものを見えるようにする
絵や写真資料でも、「気づいたこと」と問いかけることがあります。視点2でも語られたように、パッと見ただけでは「気づいたこと」はなかなか出てきません。視点2と同じようにまず「題」などからどんな図や写真であるかを確認します。その上で、「見えるものは何か?」と問いかけます。子どもにとって答えやすい、簡単な発問から始めて活動させるのです。ささいなことであっても子どもから出てきたことは受容しほめます。次第に細かいところまで気づいていきます。見えるものから「比較」もでてきます。こうして、全員が考えるために共通の基盤がつくられていきます。ここを足場にして、深い読み取りをさせていくことになります。子どもの考えを広げ、「どうして、・・・となっているのかな」といった切り返しで焦点化していくのです。
また、教科書等の資料ではスペースの都合で一部分しか載せられていないこともあります。原典を全部見せることで、違った気づきもあります。資料の見せ方で伝わる内容が変わるという、情報リテラシーの学習にもつながっていきます。

視点5 「知りたい・調べたい」に転化させる
教師が教えるのではなく、子どもが知りたいと思うようにすることが大切です。資料から、「質問したいこと」「知りたいこと」「調べたいこと」を子どもたちに出させます。「知りたいこと」は「知らないこと」でもあります。それを発表するということは自分の無知をさらけ出すことにつながります。私たちが思う以上に言いにくいことでもあるのです。時には失笑を買うこともあります。安心して発表できる雰囲気をつくる必要があります。佐藤先生はこういう場面では、「なるほど」という言葉を多用します。肯定も否定もしない受容の言葉だからです。
佐藤先生のかつての実践が紹介されました。「もし、学校のまわりに交通安全施設を作るとしたら、どこに何を作ったらよいか」という課題です。
「学校のまわり」という条件は、子どもたちが「自分で」調べられるからです。作るものは1つに限定します。限定することで「吟味」が必要になるからです。焦点化する過程で「判断」が求められます。
子どもたちは、交通量を調べるといった実態調査や聞き取りをしました。警察に聞くことで横断歩道の設置などの条件が法律で規定されていることを知ります。子どもたちが問題解決しようと自分で活動することでダイナミックな単元構成となります。プランを作るという最終ゴールは、社会参画の意識を持たせるものです。佐藤先生の社会科観がよくわかるものでした。

視点6 学習用語を身につけさせる
学習用語はどの教科でも大切にしたいことです。私は常々、言語活動では日常用語と学習(学術)用語を自由に行き来させることが大切だと思っています。客観的な定義をされた言葉と自分の持っている言葉とをリンクさせることで、用語が内包している概念を理解できると考えるからです。
佐藤先生は、社会科の用語にこだわりながら授業を進めておられます。物事を明確にするにはコントラストが重要です。用語の定義を明確にするために、「違い」を知ることが有効です。佐藤先生が例に挙げた「山地と山脈」「沼と湖、池」「標高と海抜」「工業地帯と工業地域」などの違いはきちんと教えておきたいものです。
用語を定着させるためには、教科書を音読させるとよいということです。秋田県では「朝音読」といって予習として音読をさせる学習習慣があるそうです。教科書を音読することで、自然な文脈で用語と触れることになります。定着させるための一つの方法だと思います。

視点7 布石を打つ
かつて有田和正先生は、スーパーマーケットで毎日試食をすることを宿題にしたそうです。そのうち子どもは「何のために試食をするのだろうか」と疑問を持つようになります。子どもの中に「知りたい」が生まれてきます。1週間ほどすると「売りたいものを試食させている」と気づきだすそうです。そこで、スーパーマーケットの学習をするのです。事前に布石を打つことで、子どもたちが深く学習するための下地をつくるのです。
例として、「○○日記」というアイデアを教えていただきました。「ごみ日記」「天気予報日記」「CM日記」などをつけさせて紹介するのです。興味・関心よっては思わぬ子どもが反応します。日ごろとは違った子どもを活躍させる機会にもなります。
この他にも、「係を作って新聞を切り抜いて今日のニュースを貼り出させる」「学習する地域に関連する物を事前に子どもたちに持ってこさせ、物産展を開く」といったアイデアが示されました。

視点8 ICT活用はマッチするものをシンプルに
ICTは準備に時間がかかるとなかなか使う気になれません。準備がシンプルなことが大切です。実物投影機による拡大はシンプルですが、とても効果的です。教科書を拡大するだけでも、焦点化・視覚化・共有化が簡単にはかれます。拡大した教科書に書き込むことで共有化ができます。何ページの何行目と言わなくても、拡大して「ここ」とするだけで指示が明確になります。教科書のさし絵を表示して題をつけるだけでも、立派な教材です。また、発表用のまとめを大きな紙に書かせると時間がかかりますが、通常の大きさの紙に書かせれば時間はそれほどかかりません。実物投影機で拡大をして発表させればいいのです。
佐藤先生はフラッシュ型教材をよく活用されます。授業開始時に、復習問題を提示して○×をリズムよく答させるだけでも、手軽なよいウォーミングアップになります。
ICT活用するために授業スタイルを変えるのではなく、「準備が簡単」「部分活用」の発想で、今までのスタイルにICT活用を加えることが、日常的なICT活用につながるというお話は、具体例とあいまってとても説得力のある主張でした。

視点9 キー発問の類型化とネーミング
1単元、1単位時間の授業のねらいに迫る中心的な問いを「キー発問」と定義されています。社会科のものの見方・考え方につながる発問です。佐藤先生は授業の中で必ず「キー発問」を入れるようにされています。この「キー発問」を類型化しておくことで、発想しやすくなるということです。

・「5W1H」 「いつ」「どこ」「だれ」「なに」・・・と聞く
武士の世の中が始まったのは「いつ」?
「だれ」が安全な暮らしを守っているか?
魚の値段には「なに」の費用が入っているか?

・選択発問 「賛成か反対か」「もし、・・・したら」
あなたは農薬を使うことに「賛成か反対か」?
「もし」食料自給率が「下がったら」?

・焦点化発問 「条件は何か」「・・・と言えるか」
工業が盛んな地域の「条件は何か」?
貴族の暮らしは一言で言えばどんな暮らし「と言えるか」?

このように整理されると、確かに発問がつくりやすくなります。他の教科でも活用しやすくなるように思いました。

視点10 地域のよさ・日本のよさを伝える
これは佐藤先生のブログのタイトルにもなっている言葉です。「他の国や地域の方に、胸を張って自分たちのよさを伝えてほしい」「日本人として、日本と言う国に誇りを持って生きてほしい」「自分たちの国や地域を愛してほしい」という想いだと思います。
ともすると、自分たちの国や地域に誇りを持つことは他の国を貶めることと勘違いされることがあります。自分たちが1番素晴らしいのだという、間違った愛国心と同一視されることもあります。決してそうではありません。自分たちの国や地域を愛するからこそ、他者の同じ気持ちを理解し尊重できるのです。このことが国際社会を生きるための条件だと思います。佐藤先生の社会科の教師としての原点を見せていただいたように思います。

最後に、佐藤先生の価値ある出会い、有田和正先生とのことを話されました。有田和正先生の「教師を跳び越える子どもを育てる」授業にあこがれ、追い続けてこられました。「価値ある出会い」が自分を変えてくれたということです。価値ある出会いは誰にでもあるはずです。あこがれの先生とつながり、徹底的に追試をすることで成長できる。そう伝えられました。
また、成長と関連して教師のステージということも話されました。
・第1ステージ 基礎を学ぶ
・第2ステージ 学校の柱(中堅)となる
・第3ステージ 学校のリーダーとなり、後輩を育てる
今自分がどのステージなのか意識して、そのステージに必要なことを学んでほしいということです。
気がつくと2時間の講演があっという間に終わっていました。

社会科の授業のポイントをわかりやすく整理して教えていただけました。佐藤先生が教えてくださった視点は社会科だけでなく、どの教科にも活かせるものです。今回、その具体例を模擬授業の形で見せていただけました。そこには、子どもの発言の受容・評価といった受け、挑発・ゆさぶりといった切り返しなどの授業の基礎技術がたくさん盛り込まれています。授業技術だけに着目してもとても学びの多い講演となっていました。また、教師の成長と言う視点でもとても大切なことを教えていただけました。
佐藤先生の懐の深さを改めて実感させられました。素晴らしい講演を本当にありがとうございました。

中学校で抱えている課題を伝える

先週、中学校で授業アドバイスと現職教育に参加してきました。

1年生は、授業者によって子どもたちの態度が大きく異なるという状況に変化があまり見られませんでした。というより、同じ学級でこれほど違うかというほどの差が見られます。授業が上手くいっていない場合、その理由の1つは、授業者と子どもたちとの人間関係が上手くいっていないことにあります。子どもたちに受容的な教師が多いため、高圧的で押し付けているように感じさせると子どもたちが反発します。席を立ったり騒いだりするわけではないのですが、教師の話に対して集中しないことで反発を示します。もう1つの理由は、教師の一方的な話が続くことにあります。ずっと受け身の状態になるので、集中力が切れてしまいます。子どもに問いかければ反応し集中が戻るのですが、授業者が受け止めたり取り上げたりしないので、すぐに元の状態に戻ってしまいます。
また、教師の説明の時に髪の毛を触ったりする女子の姿も気になります。授業者に対して「つまらない」「わからない」「参加させて」と訴えているように感じます。それでも板書は写しています。授業に参加する気持ちが全くないわけではないのです。こういう子どもたちを無視せずに、声をかけるといったかかわりを持つようにする必要があるでしょう。

2年生も授業者や場面で異なる姿を見せます。しかし、その様子は1年生とはかなり異なっています。例えば、教師の立ち位置で顔が上がるか、下を向くかが変わったりします。「今は聞き流してもいい」「あっ黒板の前に立った、重要な説明をするからしっかり聞こう」といった判断が働いているのです。状況を読んでいると言ってもいいでしょう。このことをどう評価するか難しいところです。「子どもらしくない、功利的な態度だ」と否定的にとらえるのか、「状況を判断して、力をコントロールするのは成長した証拠だ」と肯定的にとらえるのか、どちらの考え方もあるでしょう。いずれにしても、教師がこうあってほしいという思いを子どもに伝えれば、それに応えてくれるはずです。私には、その場その場で教師が望むことを忠実に写しだす、鏡のように見えます。
子どもとの人間関係の構築に失敗したと感じる若手の教師が若干います。テンションを意味なく上げる雑談をしたりして、一部の子どもとだけ盛り上がり他の子どもが離れていった。表面的には子どもを受容しているようにふるまうのだが、思い通りに子どもが動かないと、表情や対応から子どもを認めていないことが伝わってしまった。こういったことが原因のようです。このことを素直に自分で認めることができれば、変わることができるはずです。気づいてくれることを期待します。

この日見た授業で気になったり、面白いと感じたりした場面をいくつか紹介します。
結果だけが書かれる板書が目につきます。板書を見てもその結論が出てきた根拠がわからないのです。もちろん、何らかの形で根拠が語られているのでしょうが、それがどこにも残っていないのです。根拠が書かれていない板書を写すことで、子どもたちは結果のみが大切だと考えてしまいます。
また、数学で子どもに答を板書させた後の対応が気になりました。答を書いた子どもに一切発言させずに、教師が勝手にその答を判断し、時には修正しながら説明します。しかも根拠は一切書かれません。これでは、子どもに板書させる意味がありません。最初から教師が説明した方が時間の無駄がないだけまだましです。別の教室では子どもの書いた答にただ○をつけるだけの場面がありました。これも子どもに板書させる意味がわかりません。机間指導で全員わかっていると確認できているのなら、あえて板書させる必要はないでしょう。もしわかっていない子どもがいるのであれば、その子がわかるための手立てが必要です。
一方若手の数学の先生の板書が変化し始めました。大切なこと、まとめをわかりやすく色を変えるなどの工夫が出てきたのです。その日の授業で何が大切かをしっかり教材研究しなければできません。当然授業もポイントを押さえたものに変わりつつあります。ただ、まだ思考の過程や大切な根拠が何かは押さえられていません。次の課題でしょう。

TTの机間指導で子どものノートをよく見ている場面がありました。間違いや足りないことを指摘していきます。しかし、ほめる言葉は一言もありません。子どもは間違いをチェックされていると感じます。否定しかない机間指導です。発想を変えて、できていることをほめてほしいと思います。間違いがあれば、「ここまであっているよ」「ここはいいね」と言えば、どこがおかしいか気づきます。子どものやる気を引き出そうとすることが大切です。

ベテランの社会科で、日清戦争後の2枚の風刺画をもとにした授業がとても興味深いものでした。絵の表わしている当時の状況を教科書や資料集の事実と照らし合わせて読み取ろうというものです。かなり高度な内容です。子どもたちはしっかりと考えようとしていますが、一部の子どもしか意見を言うことができません。まず、絵に何が書かれているか全員で共有し、そこからこの絵に描かれた状況はどのようなものかを全体で確認する。それから、その状況は、どんな歴史的事実、状況を表わしているのかを教科書や資料集をもとに考えさせるというスモールステップを踏むとよいと思います。授業者は忙しい立場なので日ごろはなかなか授業について話すことができないのですが、この日は久しぶりにじっくり話し合うことができました。とても楽しい時間を過ごすことができました。

現職教育は、今年度の総括です。最初は、教科ごとのこの1年の実践報告でした。正直教科によって実践の密度は大きく異なっていました。教科全体でテーマを持って取り組んだところ、個人レベルで取り組んだところ、特に何に取り組んだのかよくわからないところといろいろでした。
研修主任からは、子どもたちにこうなってほしいという姿に対して、その姿を実現するための手立てとして何がベストなのかをより深く追究してほしいということが話されました。熱い思いが伝わってきます。

私からは、現在この学校が抱えている課題についてお話しさせていただきました。
1年生、2年生に見られる子どもの姿は、教師が子どもたちに何を望んているかを表わしています。顔を上げて話を聞いてほしいといった授業規律一つ取っても、そのことにこだわり続けた方の教室ではきちんとできています。意識しなくなってしまえば、いつの間にか子どもの姿はバラバラです。教師が望めばできる子どもたちです。逆に言えば、望まなければできないのです。
子どもを受容できる先生が増えています。しかし、挙手に頼る授業が目立ちます。挙手した子どもしか指名しなければ、わかっている子ども、自信のある子どもだけで授業が進んでしまいます。子どもの言葉を引き出す技術が必要です。発言を引き出すためには子どもに自信を持たせることも必要でしょう。机間指導で○をつけたり、「いいね」と声をかけたりするといった方法があります。もっと簡単なのは、間違えても恥ずかしくない雰囲気を教室につくることです。どんな答でも、「なるほど」と認めてもらえる。たとえ間違えても、修正する機会を与えられて、最後は必ずほめられて終わる。このようなことを意識して授業を進めるのです。
子どもの同士の関係は決して悪くはない、というよりかなりよいのです。ペアやグループでの活動もおおむね機能しています。が、かかわれない孤独な子どもも目立ってきています。人間関係の問題なのか、学力的にきびしくて話し合いに参加できないのか、教師はきちんと見極めることが大切です。特に、学力的な問題であれば教師が授業中に個別に対応しすぎないことが大切です。子どもたちが、「あの子は先生が対応してくれるからいい」と思ってしまうと、かかわらなくなってしまうからです。他の子どもとかかわれるように働きかけることが大切です。
子どもが授業に参加できていれば学力がつかなければおかしいはずです。先生方の教科力が問われます。そのためには教材研究が不可欠です。規模の大きい学校です。同じ教科の先生が複数いるのですから、日常的に授業のことを話題にしてほしいと思います。個人商店の集まりにならないように、教科で方向性を持って子どもたちの学力向上に取り組んでほしいと思います。
来年度からやろうでは、なかなか変わることができません。今年度は残りわずかですが、今から変えようとすることが来年度につながります。このことをわかってほしいと思います。

今年度もたくさんのことを学ばせていただきました。子どもたちと先生方に感謝です。ありがたいことに、来年度も授業アドバイスをお願いされました。どのような学びがあるか今からとても楽しみです。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その3)

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の午後の部の「楽しく授業研究しよう」の3つ目の模擬授業は、岩倉市立岩倉中学校の校長の野木森広先生でした。中学校の理科「電流とその利用」です。コーディネーター(司会者)は私が務めさせていただきました

模擬授業は、豆電球の明るさの違いを説明することを課題としたものです。予め動画にとっておいた実験を見せながらの授業でした。授業者は、「子どもに実験をさせる」「教師が演示実験をする」などの方法を実際に試した結果、20分という制限された時間内で完結させるのは難しいと判断して動画の利用に行き着きました。動画を利用することで時間が短縮されるだけでなく、どこに注目すればよいかを画面に示すこともできます。仮説や推測を確認する目的であれば、このような使い方はとても説得力があります。

回路につなぐ金属の違いで、豆電球の明るさが変わることを動画で見せます。授業者は子ども役の反応をしっかり受け止めます。反応に対して「ありがとう」「いい反応ですね」といった言葉を返します。「技能は◎ですね」といったポジティブな評価も欠かしません。今回のフォーラムの模擬授業者は、どなたも子どもを受容し、評価するということは外しません。三者三様の授業スタイルにもかかわらず共通しているということは、このことが子どもと授業者のやり取りの基本であることがよくわかります。

他の線と比べてニクロム線につないだ豆電球の明るさが暗くなるのは、分子の中を電子が流れにくいからだという粒子モデルを授業者が提示します。こういったモデルは子どもが考えて出てくるものではありません。子どもに考えて出させようとしても、塾などで習って知識として知っている子どもが活躍するだけです。それよりも、このモデルを使って事象を説明することができるかに重点を置くことが大切だということです。
その手始めが、次の「ニクロム線を長くすると豆電球はどうなるか、それはなぜか説明しよう」という課題です。結果を予想させ、実験どうかなるかを見せます。「今見たことを言葉で説明して」と言語化を求め、「ニクロム線が長いと暗い」「長くなると電気が流れにくい」「ニクロム線が長くなると抵抗が大きくなる」と事実をより理科的な表現に変えさせ、理科用語の「抵抗」につなげていきます。教科の言語活動では、教科的な表現、教科用語と結びつけることが大切です。これも3人の模擬授業者に共通していました。

ニクロム線が長くなると抵抗が大きくなる理由をグループで考えさせ、「ニクロム線の分子の数が多くなるから」と先ほどの粒子モデルでの説明を引き出します。
モデルを使って納得のいく説明させることで「分子」に注目させてから、この授業の主課題を提示します。「針金を熱すると豆電球の明るさはどうなるか、それはなぜか説明しよう」です。ここで、明るくなる場合と暗くなる場合の両方の場合の理由ついて考えさせます。どちらか一方の立場で考えさせるのが普通ですが、とても面白い進め方です。個人で考えさせた後、グループで相談です。どちらか一方の立場でしか考えられない子どもも出てくるはずです。友だちの意見を聞く必然性が出てきます。どちらが正解かを問うていないので、自分の考えを主張するというよりも、それぞれの考え方を理解し、実際にはどちらが正解となるかを客観的に考えることにつながります。グループ活動を活性化し、深く考えさせることにつながります。
この時、会場も授業を見るのではなく一緒になって考え込んでいたのが印象的でした。優れた発問だったということです。

明るくなる場合は、「電子の動きが活発になるから」。暗くなる場合は、「分子が動いてじゃまをするから」「鉄が酸化鉄になって流れにくくするから」といった意見が出てきました。ここでは、議論はしません。どんな理屈も現実と異なればそれは棄却されるのが理科だからです。
実験の動画を会場も含めて全員真剣に見つめていました。課題が自分たちのものになっているということです。実験は2回続けて確認されました。結果は「暗くなる」です。このことから、「分子が動いてじゃまをする」か「酸化鉄になって流れにくくなった」のどちらかが妥当な理由だということになります。授業者は、暗くなった後、熱するのを止めた時に再び明るくなったことから、酸化鉄の説は棄却されることを説明しました。時間があれば、「この2つのどちらが正しいのかを知るためにどのような実験をすればよいか」と発問したいところでした。授業者は20分の制限がさぞ恨めしかったことでしょう。

最後に、どんどん冷やしていくと超伝導が起こることを説明しました。極限まで温度が下がると分子の運動が止まることと超伝導から、電気抵抗の正体が分子運動であると考えられるようになったこと、それまでは正体がよくわかっていなかったことを話されました。科学の本質を伝える話です。性質や法則を見つけても、その原因や理由がわからないことはたくさんあります(例えば飛行機が空を飛ぶのはベルヌーイの定理で説明されますが、本当のところはよくわかっていません)。あくまでも仮説を積み重ねていくのが科学であることに気づかせるものでした。このような授業を続けていけば、子どもの理科的なものの見方・考え方を育てることにつながると思いました。
授業者が理科をどのような教科であるととらえているかがよくわかる素晴らしい模擬授業でした。

この模擬授業ではICTを活用した授業検討を行います。授業検討者はタブレットPCを持ち、心が動いた時にどこで動いたかを画面のボタンを押して知らせます。今回は、子どもたちのグループ、授業者、黒板をボタンに設定しました。サーバーにはいつ、誰がどのボタンを押したかが記録されます。同時に、それぞれの端末には今どのボタンが押されたかが色で表示されます。一定期間にたくさん押されれば色が濃くなっていきます。時間が経てば消えていきます。端末を見ることで、今授業検討者がどこに注目しているかわかるようになっています。記録されたデータは、1分ごとに集計され、このデータをもとに授業検討を進めます。授業はPCと接続されたビデオカメラを使ってサーバーに録画され、各場面をすぐに呼び出すことができます。
今回は授業検討者の多くの心が動いた部分を中心に協議するにする「3シーン授業検討法」を、このツールを使って行うことになっていました。現在開発中のシステムで、このバージョンを実際に使うのは今回が初めてです。どのように利用して進行するか考えるため、リアルタイムで集計データを見ながら模擬授業を参観していました。ところが、途中から、模擬授業そのものよりもデータに意識がいってしまいました。困ったことに気づいたのです。ツールでは、どのくらいボタンが押されたか1分ごとに集計されます。当然その数が多いシーンをもとに検討を進める予定でした。しかし、押された数の多い時間帯の中身を細かく見ていくと特定の方がたくさん押していたので数が増えていたのです。その一方で、合計はそれほど多くないのですが、ほぼ全員が押している場面があります。また、私的には非常に心が動いた「明るくなる、暗くなる、両方の理由を考える場面」を含む後半は、ボタンが押された総数がかなり少ないのです。これをどうとらえ、どう検討会を進めればいいのか授業検討会を前にして混乱していたのです。

結局、たくさん押された場面と、ほぼ全員が押していた場面に絞って検討を進めることに決めました。このことで頭がいっぱいだったため、ツールの説明を雑にして進めてしまいました。集計画面を見ながら、この場面が多い。一方この場面は、総数こそ少ないがほぼ全員が押していると説明して検討に入りました。会場の方はこの画面を始めてみる方ばかりです。この数字が何を表わしているのか、といった説明をしながら、まずたくさんボタンが押されている場面に注目して、「3シーン授業検討法」の基本的な進め方に則って進行すべきだったのです。事前に私が情報を分析した結果をもとにいきなり進行したため、本来目的とした授業検討ツールの紹介としてはわかりにくいものになってしまいました。せめて、事前に分析をせず、その場で会場の皆さんと一緒にどう進めるかを考えながら行えば、また違ったことになっていたはずです。時間を意識しすぎて失敗してしまいました。

検討の中で、特定の子ども役の様子が話題になりました。その子ども役の様子を追っかけていた検討者が、他の場面での様子を紹介します。ここで、ツールを使うことでその場面をすぐに再生することができました。ダイナミックに授業を振り返るツールとしての可能性を感じましたが、そんなことよりも基本となる部分をまずは会場全体に伝えることが必要でした。後半にボタンが押された数が少ないことに関連して、企業会員の授業検討者から次のような言葉を聞くことができました。「授業をどのように見るかよくわからなかったので、途中からボタンがたくさん押されたところを見るようにした」とのことです。経験の少ない若手に置き換えて考えればなるほど思わせる発言でした。
これは想像ですが、授業検討者がこのツールに慣れていないため最初は勢い込んでたくさん押したが後半は疲れてしまった、後半授業が興味深く進んだため見ることに集中してしまった、もしくはこの両方が、後半ボタンが押されなくなった理由だと思います。へたくそな進行でしたが、授業検討ツールに関して多くのことに気づくことができました。

3つの模擬授業と検討会の終了後、会長の新城市立千郷小学校の校長小西祥二先生を司会として、コーディネーター3人でまとめを行いました。ここで玉置先生からツールが参加者によく伝わっていなかったのでもう1度説明しましょうと提案していただきました。この時間を取っていただいたので、ツールについては一定の理解を得ることができたと思います。ありがたいフォローでした。
しかし、それぞれの授業検討法で心が動いたかという会場への問いかけでは、私の力不足でICTを活用した授業検討法は一番挙手が少ない結果になりました。このツールは開発担当者が連日徹夜でここまで仕上げてくれたものです。この日もうまく動くか心配で会場で待機していただいていました。感謝するとともに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
会場からは、司会者の力量に頼らず、誰もがどの場面に注目して議論すべきかわかりやすくするために、グラフ化したり、見せ方を工夫したりするとよいものになるではないかというアイデアもいただきました。ありがたいご意見です。
アンケートでも、このツールの可能性を認めた上での指摘や意見がたくさんありました。感謝です。

私の力不足を棚に上げさせていただけば、会全体としてはとても充実したものになったと思います。次回に期待する声もたくさんいただきました。
最後に九州から参加していただいた女性の退職者から、「大して期待せず参加したが、とても素晴らしいフォーラムだった。若い先生にとってはICTの敷居は高くない。こういったツールが広がることで先生方の力量も向上するはずだ。未来の光がしっかりと見えた気がする。ぜひ頑張っていただきたい」とノーマイクで会場全体に響き渡る大きな声でエールを送っていただけました。この一言で救われた気がしました。大感激です。
確かな手ごたえと課題、そしてたくさんの元気をいただけた1日でした。

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その2)

愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の午後の部の「楽しく授業研究しよう」の2つ目の模擬授業は、奥州市立常盤小学校副校長の佐藤正寿先生でした。小学校の社会科「モンゴルの人々のくらし」です。

佐藤先生の授業は基本となる考え方、流し方がはっきりしています。内容がワンパターンというのではありません。大まかな学習の流れが「ウォーミングアップ(復習)」「ゴールの提示」「第1課題(活動)」「第2課題(主課題・活動)」「ゴール(まとめ)」という形に決まっていて、子どもたちは次にどのような活動があるのかわかるため、見通しをもって授業を受けることができます。また、社会科の観点「(社会的事象への)関心・意欲・態度」「(社会的な)思考・判断」「(観察・資料活用の)技能・表現」「(社会的事象についての)知識・理解」が必ずすべて取り入れられています。このことは、たとえ今回のような20分の短い模擬授業でもきちんと守られています。

今回のウォーミングアップは東アジアの国についての復習です。地図と国旗をスクリーンに表示して、国名をテンポよく、時間のことも考慮してか全体で言わせます。子ども役の言う国名に対して、正式名称も必ず確認します。単なるウォーミングアップではなく、知識の定着も意識しています。
続いてゴールの提示です。この日のゴールは「モンゴルの人々はどのようなくらしているのだろうか」という課題に対して「ノートに説明を書くことができる」でした。

第1課題は「モンゴルについて知っていること、思っていることをノートに書きなさい」です。書かせた後、ペアで確認をします。ペアの人の書いたことを自分のノートに写しているのを「いいですね。他の人から学んだことを書き加えていますね」とほめています。「他の人から学んだことを写しなさい」という指示ではありません。よい行動を見つけてほめることでよい行動を広げようとしているのです。こういうところに佐藤先生の自ら考え行動する子どもを育てようとする姿勢がうかがわれます。
子ども役に発表させます。どの発表もきちんと受け止め評価します。「地図帳に注目した」といった社会科的な価値づけも忘れません。いつものことですが、その場では板書をせず、後で必要なものだけを板書します。テンポを大切にしていることと、余計な情報を残したくないことがその理由でしょう。ゲル、力士、料理の3つを板書して、今日はゲルについて勉強することを伝えます。子どもから出てきたことをもとに課題や活動がつくられています(もちろん、コントロールはしているのですが)。

ペアでゲルについて何を知りたいかを考えさせます。「知りたい」は子どもたちの言葉を引き出しやすい発問です。知りたい意欲を持たせることで、次の展開での子どもたちの集中度は上がります。「知りたい」は知識の獲得意欲につながります。知識は原則教えるか、調べるしかありません。時間があれば図書館やインターネットで調べることもできますが、今回は時間がないのでもちろん教える形になります。しかし、一方的に教師が説明するのではなく、子どもたちの「知りたい」をまずスクリーンに写真で見せます。子どもたちが写真(資料)から知識を学ぶことを優先します。その上で、必要な説明を簡潔に加えます。そのため授業のテンポがよいのです。ゲルを組み立てる写真を見せ、大人たちが協力して数時間で組み立てられことを説明します。簡単に組み立て、分解ができるゲルの特徴から、家畜と一緒に年数回移動しているモンゴルの人々の暮らし方につなげていき、「遊牧民」という言葉を押さえました。「遊牧民」から出発するのではなく、子どもたちの興味関心を引きつけたゲルに着目することから、遊牧民の暮らし方に思い至らせるという展開は、部分から全体を想像する、資料からその裏にあるものを推測する力をつけることにつながります。社会科でつけたい力を意識した展開です。

ここで、第2課題です。「遊牧民は現在も同じようなくらしをしていると思うか」です。子どもたちに挙手をさせます。考えは分かれます。本来はここで時間をかけて、根拠を持って考えさせたいところです。「どのような資料がほしいか考える」「教師が用意した資料をもとに議論する」などの方法が考えられます。時間の制限あるので、今回は教師主導で進めました。
最初に見せたゲルの写真のトリミングしていた両端を広げて見せました。そこには、太陽電池や衛星放送用のパラボラアンテナが写っていました。子ども役からも驚きの声が上がります。最初の写真が布石になっていました。一部分を見ていた時と資料から見えてくるものが大きく違います。車やバイクも使っていることを示して、昔のような生活を維持しながらも文化(現代)的な暮らしをしていることを伝えます。ここで客観的な資料を提示します。
モンゴルの遊牧民の数が、以前は人口の80%だったのが、現在は13%に下がっているグラフと首都ウランバートルの人口が40万人から122万人増えたグラフを重ねてスクリーンに映します。視覚的にわかりやすい資料です。そして、現在のウランバートルにあるゲル地区をグーグルアースで見せることで、遊牧民が都市に定住している様子を実感させます。ICTを活用することで、とても説得力があります。都市への定住の理由として、「子どもの教育」「現金収入」「牧草地の減少」を授業者が説明しました。時間があれば子ども役に推測させたいところでした。

書かせる代わりにどんなこと思ったかペアで話をさせて、まとめに入りました。「1つの国を見る時多面的に見ることが大切である」という社会科としての見方・考え方でした。なるほど、ここでも、ゲルの写真が布石になっていました。外国の教科書における「日本では人力車で移動している」「日本人は下駄をはいている」といったおかしな日本の記述を紹介して終わりました。

今回は資料をもとに知識を与え、知識によって子どもたちの認識や考えを変容させ、深めていく授業でした。時間の関係で子どもたち自身で考えさせる場面が少なかったのが残念です。最後のまとめも、本当は子どもたちから言わせたいところだったと思います。逆に言えば、時間があればきっと考えさせていたはずだということが見える授業だったということです。それは、「ペアでの意見交換を多用することで、一人ひとりの表現活動の時間を保障している」「子どもの興味関心や、子どもの気づきをもとに授業を進めようとしている」「子どもが考える根拠となり得る資料を準備している」といったことから伝わってくるのだと思います。
これだけの内容を20分という限られた時間の中で授業として成立させる手腕は、さすが達人と言えるものでした。

授業検討は、4人のグループで行う「3+1授業検討法」で行いました(詳しくは教育コラム「楽しく授業研究をしよう」参照)。授業検討者は、2色の付箋紙に「よかったところ、参考になったところ」「疑問に思ったところ、改善点」に分けてメモを取りながら授業を参観します。グループではその付箋紙をもとに「よかったところ、参考になったところ」を3つ、「疑問に思ったところ、改善点」を1つにまとめて、模造紙を使って全体に発表するというものです。コーディネーター(司会)は小牧市立岩崎中学校の校長の石川学先生です。
授業検討者がグループで話し合っている間、会場でも同じように考えていただきました。模擬授業が素晴らしかったこともあり、会場の皆さんも真剣に考えておられ、まわりと話し合っている姿がたくさん見られました。

2つのグループの発表は、
最初のグループ
よいところ
・資料の提示のタイミング
・知りたいことは何ですかとう発問で子どもの興味を引き出した
・日本が外からどのように見られているかに注目させた
改善点
・子どもの意見がからまなかった

2つ目のグループは
よいところ
・しっかり起立して発言させるなど、「授業規律」が意識されていた
・どう思う、どんなことを知っていますか問いかけ、そこから子どもの言葉をうまく拾いながら進めていく「授業技術」
・説得力のある資料
改善点
・知識中心になってしまった

でした。

このまとめに至るまで、たくさんのよいところがグループ内で紹介されたことと思います。この検討法は、まとめそのものよりも、その過程をグループで共有することにそのねらいがあります。若手、中堅、ベテラン、個人のフェーズに合わせて多様な学びがあることと思います。

コーディネーターは、2つのグループが共に着目した資料に関連して、どこから探すのかを授業者に質問しました。基本は、「文献を探す」でした。文献には新しいものがないので、そういうときはインターネットを使うが、信用できないデータも多いので、できるだけ信用ができそうなものを探すようにしているそうです。ICTを活用されている佐藤先生だからこそ、文献に当たることの大切さを実感されているのでしょう。こういう言葉を引きだすのも、コーディネーター(司会者)の大切な役目です。

今回の授業では「知識」を与え、写真や資料によって「関心・意欲」を持たせ、隠したもの、隠されたものを意識することで「資料の見方」を教え、部分と全体を見ることで社会科的な「ものの見方」を考えさせました。社会科の4つ観点を意識してすべて扱っていることを授業者が説明してくれました。

最後に、この検討法の感想を佐藤先生に聞きました。
若い人やベテランの授業者にとってはよい方法ではないか。若い人は力がないので自信がない。よいところをたくさん言われれば元気が出る。一方ベテランはプライドがあるから、批判的なことが多く出れば授業者になろうとしない。そういう点でこの「3+1授業検討法」は価値があるということです。もちろん佐藤先生にとっても、自分が気づかなったよさを指摘されることで、意図的にそのよさを活かすことができるようになるので参考になるということでした。しかし、佐藤先生は、「3+1」ではなく、「3+3」でも「3+10」でもいい、改善点や課題をたくさん言ってもらいたい。その方がたくさん学べるということでした。たしかに、「3+1」にこだわる必要はありません。授業者や学校の集団の状況に応じて、柔軟に対応すればいいことです。よいところと改善点の比率をあらかじめ示しておくという仕組みを活かし、あとは、その比率をいくつにすればよいかを状況にあわせて決めるだけです。そのことを佐藤先生から改めて気づかせていただきました。

次のICTを活用した授業検討法については、「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その3)」で。
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