授業の展開に迷ったら、ゴールを意識する

授業の流れを考えていると、いろいろな展開が浮かんできて、どうすればよいか迷うことがあります。「資料をどう活用する」「個人作業かグループ活動か」「子どもに調べさせるか教師が説明するか」・・・。それぞれによさや問題点があり判断が難しい時があります。どのようにして、決定していけばいいのでしょうか。

授業の展開に悩んだ時は、まずゴールを確認することです。この1時間で「子どもにどうなってほしい」「獲得してほしい知識や力、気づいてほしいことは何」と自分に問いかけるのです。先生と授業の流れを検討していて、ゴールが明確になっていないと思うことがよくあります。「こちらにはこのよさがある、あちらには別のよさがある」と悩んでいるのですが、「授業のゴールはどこですか」と質問するとすぐに出てこないのです。ゴールがはっきりしていれば、そこにたどり着くのにより適切な展開はどちらだろうと考えるだけです。その判断基準が不明確なまま悩んでいるので、決定できないのです。

例えば、社会科で資料を活用する時に、資料からわかることを子どもたちから出させ、その読み取りをもとに、どんなことが言えるのか、なぜそのようになったのかと考えさせる流れを想定したとします。「資料の読み取り」と「考察」を同時に考えさせるのは、ステップが大きすぎるので、分けて考えさせたいのですが、両方を個別やグループを使って子どもたち自身で考えさせようとすると時間が足りません。一方を教師主導で進めようと思うのですが、どちらにすればいいのか悩むことがあります。どちらかが正解というわけではありません。「資料を読み取る力をつけたい」のか「読み取ったことから原因や背景を考察する力をつけたい」のか、ゴールや重点を置いているのはどちらなのかを自身に問いかければいいのです。どちらも捨て難いのであれば、授業のゴールがまだ明確になっていないのです。まずゴールはどこかをはっきりさせることが必要です。
読み取る力をつけたければ、個別の活動時間を取ったあと、どこに注目したかをまず発表させて視点を共有化する。その後は、必要な情報を教師が与えながら、その背景を説明するといった展開を考えることになります。
考察する力をつけたければ、全体で資料を読み取って共有化した後、そこから言えることは何かを考える時間をたくさん取る。教科書や資料集の関連するものを探すといった、考えるための手がかりをどのように意識させるか、どう共有化するかを工夫するといったことを考えることになります。

授業の展開は、ゴールにたどり着くことを意識しなければ迷走してしまいます。ゴールを意識して展開を考えておくことは、子どもたちの発言がずれたりした時に、目指す方向に軌道修正するのにも役立ちます。授業のゴールは何かを常に意識して授業を組み立ててほしいと思います。

栄養教諭の研修会で講演

昨日は、栄養教諭の研修会で「食の授業の進め方を考える−授業づくりのポイントとは−」という演題で講演をおこないました。こちらの県では栄養教諭は大変忙しく、たくさんの数の授業をこなしていらっしゃるようです。参考のために事前にいくつかの指導案をいただいたのですが、会が始まる前にその方々にアドバイスをさせていただく時間を持つことができました。その時お話していて、熱心なだけでなく、非常に理解が早いと感じました。授業経験がある程度ないと、なかなか指摘されたことを理解できません。アドバイスから具体的なイメージをすぐにつかまれていたようでした。

食の授業で大切なことは、学んだことが子どもたちの生活の改善につながらなければならないということです。子どもが「好き嫌いはなくさなければいけない」と口にしても、そのことを実行しなければ意味がないのです。そのためには課題が大切です。子どもたちにとって必然性のある課題である必要があります。必然性ということで、自分の食を考えるという課題が一般的なのですが、逆に他者の食を考えることで自分の食を考えるという発想もあります。「家族のために朝食を作ろう」といった課題で、そのことを考える過程で食にとって大切なことを考えさせるといったものです。家族に喜んでもらおう、家族のためになる食事を考えようとすることは自己有用感につながります。その延長上で自分の食を考えさせようというのです。家族の代わりに、憧れのスポーツ選手でもいいでしょう。子どもたちが考えたいと思う対象にするだけ、子どもたちが入り込みやすい課題となります。

栄養教諭は1学級あたりの授業数が少ないので、子どもとの関係をつくる時間があまり取れません。そのため、できるだけ早く子どもたちをひきつけたいと考え、授業の最初に子どものテンションを上げやすいクイズを取り入れる傾向が強いように思います。しかし、テンションを上げた後なかなか戻らない、本題に入ったら今度はテンションが下がりすぎてしまうといったこともよくあります。根拠なしに答えられるクイズにあまり時間をかけるよりも、子どもの言葉を受容し、ポジティブに評価することの方が、結果的には授業に真剣に参加してくれるはずです。また、少ない機会に対して伝えたいことが多いために、ついついたくさんのことを盛り込みたくなります。伝えたいことを整理してどれだけ絞り込むかも大切なことです。

グループワークとして「栄養のバランスのとれた食事を摂ろう」というテーマで1時間の授業の流れを考えていただきました。みなさん真剣に取り組んでいただけました。資料の活用のポイントとして、比較するとよく見えるという話をしていたのですが、さっそくそのことを取り入れたグループがたくさんありました。柔軟な方たちです。また、みなさん根拠を持って子どもたちが考えることを意識されていました。私が話したことをよく理解しています。「体調の悪い人の食事はどっち」「給食の献立を考える」「朝食をパワーアップする」といった、面白い課題もたくさん発表されました。
あるグループは導入部分までしか検討できていませんでした。授業の流れを考える時に陥りやすいことです。流れを頭から順番に考えていくと、こんな展開もある、あんな展開もいいということになってなかなかその先が決まっていきません。授業では、まずゴールを決めることが大切です。ゴールが明確であれば、どの展開がよりそのゴールに近づきやすいかを基準にして判断することができるからです。

また、日ごろの授業での悩みも聞かせていただくことができました。
朝食の栄養バランスを考えているのに、ワッフルを食べているといった意見がでると、「いいな」とうらやましがったりして、関係のない方向へ子どもの興味が移ってしまうというのです。子どもたちにはよくあることです。こういう時には、「○○さんはワッフルが朝食なんだね」と認め、うらやましがる子どもには「うらやましい、そうだよね。ワッフルおいしいもんね」とこちらの考えも受容した上で、「じゃあ、栄養はどうだろうね」とその授業のねらいに視点をもどせばいいのです。栄養的にはみんなが食べている食パンと変わらないことに気づかせることで、何が大切かを再確認することができます。

私の読みが甘く、グループワークに時間がとられ、後半に話す予定であった「授業スキル」については簡単な紹介しかできませんでした。申し訳ないことをしました。別の機会があればこのことについてもお話したいと思っています。

最後に、とてもおもしろい質問をいただきました。「授業の最後に子どもに振り返りを書かせて終わるのですが、その前にどのようなことをまとめとして話せばいいのか」というものです。教師がコンパクトにまとめようと思うと、意外と難しいものかもしれません。そこで、子どもに言わせるという発想をお伝えしました。「今日の授業でどんなことを考えた?」「どんな意見が出た?」「いろいろな意見があったけど、なるほどと思ったのはどれかな?」と子どもたちにまとめとなることを言わせるのです。教師が伝えたいと思った意見や考えが発表されたら、「そんな意見あったね。誰が言ってくれたんだっけ?」「同じように考えた人いるかな」というように、焦点化したり強調したりすればいいのです。教師が無理にまとめなくてもいいと思います。

日ごろかかわりの少ない県での研修でしたので、いつも以上によい刺激をいただくことができました。積極的な参加者のおかげで、楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

何を予習させるか

授業を理解するには予習が大切だと言われます。中学、高校と学年が上がっていくにつれその重要性が指摘されます。その理由の一つに授業を進める速さがあると思います。教える内容がどんどん増えていくからです。授業者から見れば、その日学習する内容を子どもたちが事前に理解していれば、説明もより簡単にでき、たくさん進めることができます。
ここで、注意してほしいことがあります。子どもたちが予習をして理解できるのであるのなら、授業を聞く必要ないということです。先生の説明をちゃんと聞かなくても答はわかっています。予め答を知っているので授業中に考え、悩むことはありません。よく理解できた気になります。しかし、これで力はつくのでしょうか。推理小説で事前に犯人を知っていては、頭を悩ませながら読みません。推理力もつきませんし、第一面白くありません。これと同じことです。
例えば、台形の面積の公式を事前に教科書で予習をさせることを考えてみましょう。教科書には考え方も書いてあります。授業中に子どもたちに考えさせたいことが、予習することで知識として知ってしまうことになります。これでは、意味がありません。
予習をしてよくわからなかった子どもが、わかりたいと意欲的に授業に臨めばよい効果はあるはずですが、予習を前提にして早く進むことを意識すれば、結局わからなかった子どもはよく理解できないままになってしまうことになります。では、予習はどのように考えればいいのでしょうか。

予習では、次の授業で学習することを事前に知識として獲得させておくというのではなく、その授業で必要になる足場を固めておくという考え方が大切です。先ほどの台形の面積の学習であれば、「三角形や正方形、長方形、平行四辺形の面積の公式を復習するような課題」「四角形を三角形に分解したり、2つの図形をくっつけて1つの図形にしたりして面積を求める問題」を課すといった、台形の面積を求める時に使う考えを事前に復習しておくという発想です。その時間で必要となる知識や考え方の確認です。特に学年や学期をまたいでつながるような課題であれば、すぐに思い出せない子どももたくさんいます。過去の学習を思い出させておくために事前に復習させるのです。
ここで注意をしてほしいのが、漫然と問題を解かせるのではなく、その時間で「必要となる」知識や考え方に限定して復習することです。例えば、国語で説明文の授業をする時に、以前に学習した説明文の読み取りの問題を解かせることには意味がありません。どのようなことに注目したか、説明文の読み取りで大切なことは何だったかを復習させるのです。ノートを見ればいいのだから授業中に復習してもよいと思います。しかし、事前に自分でノートを見て書き出すといった作業をしておけば、よりしっかりと思いだすことができます。地理などであれば、その時間に比較したい地域の特徴を確認しておくという方法もあります。
もちろん、国語で音読をしておくといったことも大切な足場です。また、事前に必要な知識を調べさせることも足場を固めることになります。言葉の意味を調べる。社会や理科で語句や資料を調べたり、探したりする。授業で考えるために必用な作業を事前に済ませて足場をつくることも意味のあることです。

ここで、注意してほしいことは、予習に頼りすぎると予習をしてこなかった子どもが授業に参加できなくなることです。かといって、予習していなかった子どもに合わせて授業をしてしまえば予習をしてきた子どもの努力が無駄になってしまいます。やってきた子どもを活躍させながらやってこなかった子どもも参加できるように工夫をすることが必要です(やってきたことを無駄にさせない参照)。

予習は、授業で教える内容を事前に学習させるのではなく、その授業で必要となる足場を固めるという発想で考えることが大切です。考えるための知識を確認しておく。より深く考えるための時間を確保する。そういったことのために予習を活かしてほしいと思います。

研修のアンケートと結果から考える

先日おこなった、ケアマネージャーさんやデイサービスの職員の方対象の研修会(居宅介護支援事業者連絡会で講演参照)のアンケートの結果が送られてきました。忙しい中、わざわざお送りいただけたことをとてもありがたく思います。
皆さんの感想は「笑顔や言葉の使い方の大切さがわかった」といった肯定的な評価がほとんどでした。私が話した具体的な内容に対する感想が多かったことから、皆さんがしっかり聞いてくださっていたということがよくわかります。また、自分の行動を変えていこうという前向きな言葉がたくさんあったことをとてもうれしく思いました。

介護には全くの素人の私でもお役に立てたのは、介護対象の方やその家族とのコミュニケーションは学校における教師と子どもや保護者とのコミュニケーションと非常によく似ているからです。というか、対象は違ってもコミュニケーションの基本は同じだということです。違いがあるとすれば、教師には叱ることや指導するという視点での子どもとのかかわりがありますが、介護関係の方にはそのようなことがないということです。教師以上にフラットな関係の中でのコミュニケーションスキルが求められます。そのため、介護関係の方は笑顔の大切さをよくわかっていらっしゃいますし、言葉づかいにも気を使っておられます。しかし、「この場面では笑顔にならなければいけない」「このことを伝えるにはこういう言葉づかいが必要だ」と意識している方は少ないように思います。この研修では、「なぜ笑顔が必要か」「こういう場面でこそ笑顔が必要だ」「言葉の使い方で相手に伝わるものが変わる」といったことを、具体例をもとにお話ししました。何となくできている、やっていることを明確に意識しておこなうようにすると、スキルとして定着します。とっさの場合や、経験したことのない局面でも活用できるようになります。今回の感想の中に、子育て中の方からの育児に役立てたいというものが少なからずありました。コミュニケーションスキルの本質的な面を意識できたことで、子どもとの接し方でも同じだと気づかれたのでしょう。

意識して使うということは、いろいろな面で大切なことです。算数や数学の問題で単に解き方を覚えるのではなく、どういう条件があるから使えるのか、他にはどのような問題に利用できるかといったことを考えることが重要です。体育などの技能系の教科では、なんとなくできたではなく、意識してできるようになることが求められます。
今回の研修では、皆さんが個々にやっている、できていることを意識して使えるようにすることがねらいの一つでした。点と点をつないで線にすることと言ってもいいでしょう。授業で大切にしているのと同じことです。何かを教える、学んでもらうということは、どのような内容であれ、学校での授業での考え方が大いに役に立ちます。研修の感想を読みながら、他の分野の研修にも授業のノウハウを活かすことを考えてみたいと思いました。

数学の授業アドバイスを助けてくれる本

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今日は、本の紹介です。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生編著の「中学校数学授業のネタ100(1年〜3年)」(明治図書)です。

この本のタイトルを見た時に、子どもたちに興味を持たせる、いわゆる「面白ネタ」の本かと思いましたがそうではありません。どのように説明すると理解がしやすいかという「説明ネタ」、興味・関心を引く「課題ネタ」、定着させるための「習得ネタ」、ICT機器や作図ツールを活用する「教具ネタ」の4つの視点で集められたネタ集です。

感心したのが、練りに練ったネタというよりは、特別な準備もなしに、明日の授業ですぐに使えるものが、単元ごとに整理されていることです。授業をどう進めたらいい、子どもたちにどのような課題を与え活動させようと悩んでいる先生にとって、大きな助けとなる本です。
しかし、この本の真価は別のところにあります。解説には、なぜこのようなネタを考えたのか、どこがポイントなのかが書かれています。数学の授業において何が大切なのか、この単元で何を押さえなければいけないのかがしっかりと解説されているのです。問題の解き方ばかりに目がいって、数学的な価値、ものの見方・考え方を意識できていない数学の授業によく出会います。できる限りその場でアドバイスしていますが、別の単元になれば、また同じことの繰り返しです。教科書にそって全部解説しなければいけないのかと、がっかりすることがよくあります。泥縄的な、明日の授業のネタ探しにも役立ちますが、中学校数学の解説書として素晴らしい価値があるのです。担当学年だけではなく、まず全学年を通読することがこの本の正しい活用法だと思います。

また、解説にはどのようなところで子どもが間違えるのか、つまずくのかも書かれています。学生時代に中途半端に数学ができただけで、教える経験の少ない教師は、子どものつまずきを予想できません。つまずきを見過ごし、試験をしてみて初めて子どもが理解できていないことに気づくことがよくあります。子どもの間違いを予想し、対応を考えるためにもとても役に立つのです。

わかりやすいネタの形を取りながら、基礎的な数学の授業力をつけるために必用な知識や情報が詰まっている本です。若手だけでなくベテランにとっても、ポイントを確認し、引き出しを増やすことで授業の底上げができる本だと思います。私にとっては数学の授業アドバイスの苦労を軽減させてくれる本です。このような本が世に出たことに感謝します。

「成長」を感じた卒業式

学校評議員をしている中学校の卒業式に来賓として参加しました。

式では、卒業生も在校生も素晴らしい歌声を披露してくれました。合唱には日ごろの音楽の授業での指導が現れます。子どもたちがリズムを取りながら体を前に乗り出して歌う姿に、「伝えたい」「表現したい」という想いが感じられます。音楽担当の教師は卒業生の担任です。卒業生と一緒に口を動かしていました。初任者の時から6年間見ている先生です。素直で、前向きな方です。日ごろから努力を続け、教師として成長してきたことが子どもたちの姿からうかがえました。

校長や来賓の式辞も素晴らしいものでしたが、子どもたちの言葉が印象に残りました。在校生の送る言葉(送辞)は2年生、1年生の代表2人が交代で読み上げます。正直、合唱と比べて、読み方はあまり指導されていません。しかし、その拙さを補って余りある内容だったように思います。卒業生とのエピソードから、先輩への思いが伝わってきます。それにもまして素晴らしかったのが、卒業生の出発(たびだち)の言葉(答辞)でした。各学級の男女の代表1名ずつが交代で読み上げます。特徴的だったのが、「成長」という言葉が数えきれないほど登場したことです。自分たちが3年間の学校生活でどれだけ成長したか、自らの言葉で語るのです。「思い」が語られることは普通ですが、「成長」がこれだけ語られることはまずありません。自ら実感していなければ出てこない言葉です。とても感動しました。彼らが語る言葉が本物であることは、読み方からも伝わってきます。在校生と同じく、決して上手な読み方ではありません。しかし、最後に近づくにつれて言葉に感情がこもり、心を打つのです。卒業生全体の表情からも、この言葉が彼らの共通のものであることが伝わります。

3年生の主任はベテランの方です。私とは前任校以来10年以上の付き合いのある方です。熱い思いで子どもたちに接します。時には厳しい指導でぶつかることもあります。その先生が、式後にこんなことを話してくれました。
今までは、どうしても形をつくることにこだわっていた。この学年は2年生の後半から、自分たちで考えさせるように方針を変えた。失敗しても、途中で終わってもいい。そこから学べばいいと見守ることにした。子どもたちは、自分たちで考え、本当に成長した。
子どもたちから「成長」という言葉が出てきた理由がわかりました。そして、子どもたちと一緒に先生も成長していたのです。

主任だけでなく熱い思いで子どもたちと接する先生の多い学年です。一つ間違えば「暑苦しい」先生たちになりかねません。こういった教師の思いが子どもたちに伝わらない学校も目にします。しかし、この卒業生たちは違っていました。
卒業証書授与の時、名前を呼ばれると向きを変えて、担任に向かって「はい」と大きな声で返事を返す学級がありました。子どもたちと担任の関係のよさがわかります。この担任は、他校での講師時代から10年近く付き合いのある方です。講師時代は、一方的に教える授業でしたが、今では子どもを信じて、子どもの発言を待てるようになっています。子どもの姿に教師としての成長がうかがえます。
そして、先生方の思いが間違いなく子どもたちに伝わっていると感じさせられたのが、最後に「仰げば尊し」を歌ったときでした。子どもたちがサプライズを用意していたのです。
卒業生全員が職員席に向きを変え、3年生の担任、担当の先生の名前を順番に呼びかけたのです。「他の先生方」と続き、最後に学年主任の名前を全員が大きな声で呼びました。式場全体に「ありがとうございました」の声が響き渡ります。先生方に内緒で子どもたちが準備していたのです。そして、感動的な「仰げば尊し」の合唱で式は終わりました。ここ何年もこの学校で「仰げば尊し」を聞いたことがありません。子どもたちの意志でプログラムに組み込んだのです。
教師としてとても幸せな時間だったことでしょう。

90分以上の長い式ですが、卒業生はもちろん在校生の姿勢も最後まで乱れません。子どもたちの素晴らしさが印象に残る卒業式でした。
ただ一つ残念なことは、この学校に限らないのですが、出発(たびだち)の言葉(答辞)に、部活動や行事の思い出が語られても授業のことが語られないことです。学校生活の大半を占めるのは授業です。子どもたちに部活動や行事と同じように語ってもらえるものであってほしいと思います。

例年以上に印象に残る卒業式でした。失礼な言い方ですが、子どもたちの成長と共に先生方の成長も見ることができました。私にとっては、このことが特にうれしいことでした。

教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわり

教師がしゃべりすぎないことが大切ということが言われます。よく目にするのが、子どもから正解や正解につながる言葉が発表された後、その言葉を受けて教師が説明を続ける場面です。本人は子どもから出てきた言葉をもとに進めているつもりなのですが、一番大切な根拠や考え方は教師の言葉で進んでいます。子どもの発言に対して教師がその何倍もしゃべっていることがほとんどです。子どもの発言は単なるきっかけで、教師が自分の言葉で説明しているのです。結局、子どもが教師の説明を聞いて納得することを求められる受け身の授業になってしまいます。このようなことを避けるために、しゃべりすぎないようにと言われるわけです。

教師がしゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言を増やし、できるだけ子どもの発言だけで授業を進めようとすることになります。どんな発言に対しても「なるほど」と受容して、安心して発言できる雰囲気をつくる。「同じように考えた人いる?」と、たとえ同じ考え方でも、何人も指名して全員が納得できるまで発表させる。「自分の言葉でまとめてみよう」と、子どもたち自身でまとめさせる。こういう姿勢が求められます。子どもたちは、教師が余分な言葉をしゃべらず、説明をしないので友だちの発言をしっかり聞き、自分の言葉で説明できるようになっていくはずです。経験の浅い教師でも、しゃべりすぎないことを意識すると、子どもの発言量が確実に増え、子どもの言葉だけで進む授業になっていきます。しかし、それだけで、子どもたちに力がつくとは言えません。このような、教師があまりしゃべらない、説明しない授業では、子どもたちの発言が言葉不足で全体によく伝わらないことや同じことが次々に発表されるだけで考えが深まっていかないことがよくあるのです。実は、教師がしゃべりすぎないからこそ、必要な言葉やかかわりがあるのです。

例えば、子どもの発言がだらだら続いて整理できていなければ、一度発言が終わったあと「なるほど、どうみんな納得した?」と子どもたちに確認して、「まだ納得していない人がいるからもう一度、みんなに聞かせてくれる」と再度発言させます。途中で止めながら、「ここまで納得した」と子どもたちが発言を理解するための時間を取ります。言葉足らずであれば「今、・・・と言ってくれたけど、それってどういうこと?」とより詳しい説明を求める。「○○さんの考え説明できる人?」と他の子どもに考えを説明させる。
発言を重ねていくのであれば、「今、言葉を足してくれたね」「ちょっと違うところがあったね」「共通のことがあったね」と考えをつなぐことを意識した気づきを促す。「みんな△△に注目しているけど、それってどういうことかな?」「今、2つの意見が出てきたけれど、どっちが納得できる?」と焦点化し、時にはグループに戻してより深く考えさせる。
こういった教師の言葉やかかわりが必要になります。

教師がしゃべりすぎないことは、子どもの発言を引き出し、子どもの言葉で進む授業の第一歩です。説明しないからこそ、発言を整理し、子ども同士をつなぎ、考えや意見を焦点化するといった、子どもの考えを共有化し、より深めるための教師の言葉やかかわりが必要になります。しゃべりすぎないことにこだわるあまり、このことを忘れてしまってはいけません。説明する以上に大切な出番があるのです。しゃべりすぎないからこそ、何をしゃべるかが問われるのです。

愛される学校づくり研究会の来年度計画

先週末に、愛される学校づくり研究会の来年度の計画について会議がありました。大きなイベントである愛される学校づくりフォーラムに目がいきがちですが、普段の研究会での学びがあってこその話です。来年度の研究テーマは今年度のものをもう一歩進める視点で検討されました。

校務の情報化やICT活用については学校のこれからを見通した近未来的なものを研究していきます。最近は学校現場でもタブレットPCが脚光を浴びていますが、ともすると機器先行で、使うことが目的化しているようにも思えます。これからの教育の方向性をしっかり見据え、その上でタブレットPCや新しいインフラを活かした校務の情報化やICT活用について考えていく予定です。
また、授業にかかわることとして、今年度の授業研究に加えて、授業アドバイスなどより広く授業改善につながる取り組みの具体的な方法を考えることになりました。若手の育成が学校の課題となっていますが、具体的にどのようにするか悩んでいる管理職も多いと思います。研究会の会員にとっても大きな課題となっています。授業改善につながる具体的な取り組みについてより深く、広く研究していく予定です。
来年度もフォーラムを一つの区切りとして、研究の成果を発表する予定です。ご期待ください。

研究会のホームページでの連載も、今年度のものを引き継ぐだけでなく、いくつか新しいものが企画されました。力を持った会員にもっと発信してもらいたい、いつも裏方で支えてくれる企業会員の方にも活躍してもらいたい。そんな企画です。4月以降の愛される学校づくり研究会のホームページを楽しみにしていただきたいと思います。

夏には、第1回「教育と笑いの会」という新しいイベントが名古屋であります。どのようなものになるか未知数の部分が多いのですが、楽しみな企画です。もちろん、プレッシャーもありますが、来年のフォーラムも今から楽しみです。
互いに学びあえる素晴らしい研究会です。来年度もワクワク・ドキドキのある充実した会となることと楽しみにしています。

答辞・送辞の指導で考える

先週末は、答辞と送辞の指導をプロのアナウンサーの方と一緒におこなってきました。昨年までは事前の先生方の指導の質も年々上がってきていて、レベルの高い指導を求められるようになっていました。ところが今年はちょっと様子が違っていました。

原稿をいただいて困惑したのが、答辞が散文詩の形になっていたことです。生徒への指導の前に、このことについて担当の先生方にお話をうかがいました。なかなか本人から、具体的なエピソードや思いが出てこなかったので、このような形式にしたということです。しかし、詩の形式にするとどうしても省略が多くなるため、その場面を知っている者にはわかるのですが、初めて聞く者には何を言っているのかよくわかりません。今から大きく変更するわけにはいきませんが、本番までまだ少し時間があるので修正できるところは手を入れるようにお願いしました。

卒業生代表は、とても素敵な声で読み方も上手でした。しかし、文章中の「誇りに思います」「勇気のいること」といった言葉が具体的にどういうことを指すのかが明確でないので、言葉が浮いてしまいます。その言葉に込める思いを意識して話すようにアドバイスすることで、浮いた感じはなくなったのですが、伝わるとまではいきませんでした。また、倒置法が連の最後に何度か使われています。聞いている方は次にどのような言葉が続くのかと身構えるのですが、違うエピソードに転換されるので、はぐらかされたように感じます。
エピソードも「私」と「仲間」で語られるものと「私たち」と「みんな」のものがあります。意図的であるかどうかは別にして、前者は個人の経験であり、後者はみんなを代表して語っていることでした。しかし、これらすべてを受けての言葉は、私たちを支えてくれた「仲間」です。どう読み分けるのか、どう伝えるのか難しくなります。
上手に読むのですが、どうしても聞く方は話しに入りきることができません。言葉が頭の上を通り過ぎてしまうのです。そのためか、体育館での練習では、体が揺れる癖や足の開き方、姿勢などの些末なことに目がいってしまいます。読み方だけでなく、伝わる文章であることが大きな要素であることがよくわかりました。

送辞の内容は答辞と比べてある意味形式的でよいところもあり、内容ではなく純粋に読み方の指導になりました。まだ練習があまりできていないようで、原稿が入っていません。原稿に目がいってしまい顔が上がらない状態で読んでいます。間が空いてもいいので、目で読んで言葉を頭に入れてから、顔をしっかり上げて声を出すように指導しました。アナウンサーの方から、文の最初の言葉をしっかり出すことも指摘されました。息を吐いている途中でしゃべるのではなく、止めた息を吐くと同時に声を出すという指導は、さすがだと思いました。
句読点の通りに区切って読むことで変なリズムができている、句読点にこだわらず意味のまとまりを意識して読む。全体的に読み方が早い。特に、いくつかの言葉をつながって読むときに早口になってしまうので、ゆっくり読むよう意識する。こういったことを指導していただきました。代表の生徒は少し緊張する性格のようで、特に前半部分に指摘した傾向が強く出ます。後半になって慣れてくるとさほど気にならなくなります。この日の練習でも随分上手くなったので、本番まで練習することできっとよくなることと思います。

今回感じたことは、いろいろな意味で先生方の指導が大切だということです。答辞の内容に関していえば、本人から具体的なエピソードや思いをどう引き出すかといった文章を書くにあたっての指導。また、自分の思いを一方的に伝えるのではなく、聞き手を意識することの指導。送辞に関しては、日程の関係もあり十分にできなかったのでしょうが、人前での基本的な話し方の指導。このようなことです。
今年度は異動もあって、担当は経験の浅い先生方でした。今までの指導法が上手く継承されていなかったことがちょっと残念でした。これを機に、先生方で答辞・送辞の指導のポイントを共有してほしいと思います。また、今回は、話し方以外での指導が多くなったため、プロのアナウンサーの出番が少なかったことももったいないことでした。
2人の代表の生徒はとても素直で、前向きに取り組んでくれました。本番までに練習を重ねて、きっと例年に劣らない素晴らしい答辞と送辞になることと期待しています。
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