愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午前の部)

2月9日に愛される学校づくり研究会主催の「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」が開催されました。関西では初めての開催でした。前日の太平洋側の大雪で交通事情の悪い状態にもかかわらず、多くの方に参加いただけ、盛況のうちに終了しました。確認したところ、当日欠席者はほんの数人だったようです。会員の中には大変な思いをして会場にたどりついた者もいます。参加者の中にもそのような方がたくさんいらっしゃったのではないかと思います。ありがたいことです。
午前の部は、昨年に引き続き校務の情報化を劇で伝える、「劇で語る! 校務の情報化 パート2」、午後の部は、授業検討法を模擬授業と共に提案する「楽しく授業研究をしよう」でした。劇の役者に、司会者、コメンテーター、模擬授業の授業者、子ども役、コーディネーター、授業検討者、一部のゲストを除いてすべて私たち研究会の会員です。どの会員も1人何役の大忙しでした。そんな私たちを支えてくれるのがいつもの企業会員のスタッフの皆さんです。おかげで、私たちは自分の出番に専念することができました。感謝以外の言葉がありません。もちろん裏方だけでなく、劇の役者に、模擬授業の子ども役、授業検討者にと大活躍していただきました。

午前の部は、基本的に昨年度のフォーラムの内容(「劇で語る! 校務の情報化」で、校務の情報化のポイントを伝える(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午前の部)参照)を踏襲しています。それぞれの劇をバージョンアップし、より主張を明確にしたものです。

・校務支援システムの導入によって学校がどのように変わるか。
・情報をデジタル化し共有することで業務の質がどのように向上し、効率化されるか。
・学校ホームページで学校が比べられている。あればいいのではなく、その質が問われている。
・学校ホームページは外部だけでなく、校長の考えを職員に伝える内向きの発信として活用できる。
・学校ホームページだけでなく、印刷物などの特性を生かし、さまざまな手段で学校の様子を伝えることが大切である。
・緊急時のメール配信は日ごろから家庭に届くかどうかのチェックをしてこそ活用できる。
・学校評価は学校の情報提供と合わせて、小刻みに行うことでより鮮度の高い情報が手に入り、学校経営に反映させやすくなる。

このような内容を、各劇団が、時にスクリーンに情報を映し出しながら、笑いと共に皆さんに伝えました。練習時間もほとんどない中、昨年以上に洗練された「芸」を皆さん見せてくれました。逆に、昨年の素人くささが懐かしくなるほどでした。

劇団ごとに、司会の玉置崇先生からコメンテーターや座長に質問を投げかけて、主張をより明確にする予定でしたが、今回はその必要がほとんどありませんでした。昨年と比べて劇がブラッシュアップされ、シャープに伝わったからです。ということは、コメンテーターの出番もあまりないということです。おかげで私は昨年と比べてずいぶん楽をさせていただきました。その代り、特別ゲストとしてお呼びした小牧市立小牧中学校のPTA副会長の斎藤早苗さんとのやり取りが今回の目玉です。斎藤さんはPTAの部屋というページで保護者の立場で発信しています。このページは学校のホームページとはリンクされていますが、その管理は学校からは独立しています。校長の考えを受けて、保護者の立場で他の保護者へ再発信したり、時には学校に対しても厳しい指摘をします。小牧中学校では、学校の戦略会議にPTAや地域コーディネーターも参加しています。これからの学校と保護者、地域との関係のあり方を示してくれているように思います。参加された管理職の方は、斎藤さんのような方に是非PTA役員になってほしい、小牧中学校がうらやましいと思ったでしょうか。それとも、そこまでPTAに胸襟を開くのはちょっととしり込みをしたでしょうか。本当のところを聞きたいところでした。また、開催地の京都の先生にも登壇いただき、京都市の校務支援システムの現状をお話しいただきました。
コメンテーターの国際大学GLOCOMの豊福晋平先生のコメントで印象に残ったのが、保護者は通知表などの一部のものを除いて、紙ではなくネットでの情報提供で十分だと思っているというデータでした。学校からの情報提供は、紙からネットに変わろうとしているのです。
私からは、学校評価を活かすかどうかは、学校をよくしたいと思っているかどうかであることを伝えました。義務だからと年に1回アンケートを取って集計し、それで終わりでは何の意味もありません。学校の目標に対してその評価方法を必ず決め、アンケートを利用するのであれば、どの項目と連動させるかをはっきりさせ、年度途中で必ず中間評価をし、その結果をもとに対策を取り、その結果どのように変化したかを再度評価することが必要です。学校をよくしたいのなら、このような取り組みをお願いしたいと伝えました。

笑いを交えながらも主張の明確な劇と、いつもながらの玉置先生の名司会で校務の情報化について参加者の方も、楽しみながら考えを深めることができたと思います。
午後の部については、愛される学校づくりフォーラム2014 in京都(午後の部)(その1)で。

授業研究に学校の進歩を見る

昨日の日記の続きです。授業研究は、3年生を担任している初任者の算数の授業でした。

小数の大きさの学習です。まず最初に教科書とノートを開かせます。めあてを板書しますが、脱字をしました。それに気づいた子どもが指摘をします。そのとき、「ごめんなさい、ありがとう。よく気づいてくれましたね」と言葉を返しました。とてもよい対応だと思います。以前と比べて、子どもたちとの人間関係がよくなっていると感じたのもこのようなことが影響しているのかもしれません。

黒板に最初の課題、「2.3は1を何こと0.1を何こあわせた数ですか。また2.3は0.1を何こ集めた数ですか」を貼ります。課題を黒板に貼るのであれば教科書を開く必要はありません。黒板への集中を妨げる可能性があります。授業者はノートに答を書き、考えをまとめるように指示をします。子どもが書き始めてすぐに、黒板に数直線を貼りました。ここで、数直線の性質の確認をします。なぜこのタイミングか疑問がわきます。課題に取り組む前にヒントとして提示するつもりだったのを忘れたのかもしれません。子どもか書き始めているということは自分の考えを持てているということです。ここであえて提示するということは、子どもに数直線で考えろと誘導していることになります。もし、違ったことを考えている子どもがいれば、混乱する可能性があります。

できた子どもに、いつものようにしていいと指示します。できた子どもから友だちと確かめ合います。5人のうち真ん中の2人がちょっと手間取っています。端にいる子どもが移動して3人となり、真ん中の子どものすぐ横で確かめ合いが始まりました。ノートを手に、立って話をします。これでは、できていない子どもにはプレッシャーがかかると同時に集中力を乱されることにつながります。人数が少ないので確かめ合うのに移動が必要になるのはわかりますが、それならば最初からグループの形にしておけばいいでしょう。5人ですので、全員の考えを全体で確認することもできます。できた子どもへは、「他の説明を考える」といった別の指示でもよかったかもしれません。

子どもに答を言わせます。「1が2個、0.1が3個」と答えます。子どもたちから「いいと思います」という声が上がります。続いて、考え方を問いました。まず答はあっていると安心させてから、説明させようということなのでしょう。
子どもが説明している間、授業者はしゃがんでいます。教師ではなく、友だちに説明するという意識を持たせようとしています。しかし、黒板の数直線を使って説明している時に、聞いている子どもの視線は発表者を向いているのですが、発表者は黒板の方を向いてしまっていました。ここは指導したいところです。

子どもが説明しをした後に、授業者は余計な説明をしません。次の子どもを指名します。数直線を使って、「0.3は3つの小さい線です」と目盛りを指して説明した子どもがいました。授業者は「図を使って説明してくれところがよかった」と評価して、先に進みます。評価するのはとても大切なのですが、ここで「図」を使ったことをよかったと言うのはちょっと疑問です。算数的な道具である「数直線」を使ったと評価すべきでしょう。また、「小さい線」は用語として「目盛り」に修正する必要があります。「小さい線って何?」「なんて言ったっけ?」と子どもたちに問い返して、確認すべきところです。目盛りという言葉を子どもたちから引き出して、「目盛りが3つなんだ。目盛りが3つってどういうこと?」「目盛り1つはどれだけ?」「何が3つだと目盛りが3つなの」といった問いかけをし、「目盛り1つが、0.1」「目盛りが3つで、0.1が3つ」と数直線の目盛りの意味から、「0.3は0.1が3つ集まったもの」を説明させたかったところです。子どもたちに、ただ続けて説明を重ねさせても考えが深まるわけではありません。教師が子どもに問い返したりして、焦点化することが必要です。昨日の日記にも書いたように、他の先生方と共通する課題でした。
とはいえ、以前に子どもが説明するとすぐに自分で説明を始めていたことを思うと格段の進歩です。発表がよく聞けていないと思えば、子どもにもう一度言わせます。授業者が説明をしないので、子どもは自分たちで積極的に説明しようとします。授業への参加意欲が高くなっています。

1人の子どもが困っています。何がわからないかを言うことができません。「答はわかるけどまとめ方がわからない」というのです。子どもたちは、わかってもらおうとその子に向かって一生懸命説明します。何がわからないかを聞かれる、わかったかを確認されるので、責められているように感じたのでしょうか、わからない子どもの表情が暗くなります。何がわからないかが明確でないまま、いろいろとを言われてもなかなか納得できないようです。こういう状況であれば、とりあえず答はわかったのだからと、納得して見せる子どもが多いのですが、この子どもは「考え方がわからない」と言い続けました。この子どもがわからないと言い続けてくれたので、他の子どもたちは何とかわかってもらおうと頑張ります。この間授業者はしゃがんだままです。子どもたちは互いに見合って、よい表情で話し合っていました。子どもたちのかかわり合う力を感じることができました。そういえば、昨年の担任はグループを活用しながら、教師ができるだけ前に出ないで子ども同士をかかわらせることをしていました。今年度になって、そのような姿を見なかったのですが、授業者がしゃべることを控えたことで引き出すことができたようです。

子どもたちは、自分の説明を繰り返すしかありません。どこがわからないかわからなかったからです。わかっている子どもに説明させるのではなく、わからない子どもに、わかっていること、気づいていることを言わせる発想も必要です。ノートを見ると「1/10の位が3こ」と書いてあります。授業者が位取り記数法しっかり意識して指導してきたことがわかります。このことを説明させればよかったと思います。途中で数直線を出したため、それを使って説明しなければいけないと思ってわからなくなったのではないでしょうか。「1/10を小数に直すといくつ」と問い返し、「0.1は数直線のどこにある」と数直線につなげれば、様子は違ったかもしれません。また、答は「1が2個、0.1が3個」でよいのですが、「2.3は、1が2個、0.1が3個合わさったもの」と言葉を足してやることも必要だったと思います。「数直線のどこに、1が2個、0.1が3個ある?」と数直線とつなぎ、「合わせるとどこになる?」「いくつになる」と問い返すという方法もあったように思います。

わからない子どもが納得してくれないので、授業者も手詰まりになってしまいました。そこで、次の問題をとばして、教科書の類題に取り組ませました。「3.8は1を何こと0.1を何こあわせた数ですか。また3.8は0.1を何こ集めた数ですか」です。子どもたちは先ほどと同じように集まって確かめ合います。最後には全員立って話し合っています。授業者はその様子を後ろから覗いていました。この状態になるのであれば、やはりグループにして話し合わせた方がよいでしょう。あらためて、全体で発表しますが、説明の苦手な子どもが、指で数直線をなぞりながら数を言って説明しました。指の動きも立派な表現手段です。「みんな気がついた。○○さんは指を使ってくれたね。どうよくわかった」といった評価をしたいところです。しかし、類題ですから説明自体は先ほどと大きくは変わりません。結局、「考え方がわからない」といった子どもは最後までわからないと言ったままでした。

以前見た2回と比べると授業者は大きく変化していました。子どもの言葉を大切にしようとしています。授業者がしゃべらなくなっただけ、子どもの発言意欲が増しています。また、友だちとのかかわりを大切にするようになっています。とてもうれしい変化でした。

授業検討会では、この授業をどのように皆さんが評価するかとても楽しみでした。
まず子どもたちがしっかりとかかわっていたことが評価されました。授業者が自分で説明しなかったことも、肯定的に見ています。わからなかった子どもが最後までわからないと言えたことは、とてもすごいことだと評価した上で、どうすればよかったのかに話し合いが集中しました。授業者への批判は一切なく、自分が授業者だったらどう対応しただろう、どう対応すればよかったのだろうと、自分のこととして考えていました。とてもうれしいことです。検討会の場ででた疑問や課題を次の授業研究へ引き継いでいくようになってほしいと思います。

今回授業者が苦しんだのは、どこがわからないのかが明確でなかったことです。子どもは一気に説明します。その説明がわかったかどうかを聞いても、どこがわからないかは明確になりません。説明を途中で止めながら、「ここまで、納得した?」と確認することで、つまずいているところが明確になります。説明を授業者が意図的に区切ることも大切です。
この場面が多様な意見を出させたいのか、数直線を使って説明できるようにしたいのかでも進め方は違ってきます。もし後者であれば、最初に前時の復習をするといいでしょう。定規を使って小数を導入していたのですから、2.3cmを定規をつかってあらわすのです。「2cmだから1cmの目盛りが2つ、0.3cmだから1mmの目盛りが3つ」「1mmの目盛りはcmでいうと0.1cm」「1cmの目盛りを2つ、0.1cmの目盛りを3つ」といったやり取りをしておくのです。こうすることで、最初の課題は自然に数直線に結びつけることができます。

わからなかった子どもは、2.3を序数でとらえていたのではないかという意見がありました。「合わせる」「集める」が強調されていなかったのでその可能性はあります。類題ではなく、教科書の「0.1を28こ集めた数をかきましょう」に取り組ませた方がよかったのではないかと言うわけです。逆の視点で考えることで理解できることはよくあります。「数直線上で、0.1を23個集めることを、数えながらおこなうと、2.3になる」「0.1を10集めると1だから、1を2個と0.1を3個として、数直線上で合わせると2.3になる」「23は10が2つと3を合わせたもので、0.1が10で1だから、2と0.1が3で2.3となる」といった説明をひかくすることで、数直線での考え方、位取り記数法での考え方をつなぐことができたかもしれません。

授業検討会は前向きな意見ばかりで、とてもよい雰囲気でした。授業だけでなく、授業検討会もよい方向に変化してきていると思います。
足かけ2年間のおつき合いでしたが、とても貴重な学びをすることができました。私にとって小規模校でのアドバイスは初めての経験でした。小規模であるが故に、教師が子どもとかかわりすぎてかえって子ども同士のかかわりが弱いということは盲点でした。また、少ない人数ですの、子どもたちの変化もよく見ることができます。先生方の変化がどう子どもたちに影響するのかもよくわかりました。このような素晴らしい学びの機会を得られたことに心から感謝します。

小規模校で共通の課題が見えてくる

先週末は、小規模小学校で授業研究と授業アドバイスをおこなってきました。

1年生は国語の授業でした。授業者は子どもの言葉をしっかり受け止めることができます。子どもたちとの関係もよさそうです。
「歯が抜けたときにどのようにしたか」をノートに書かせる場面でした。1人の子どものノートを見て、ページをとばして使うように指示します。ノートを見て指示の必要性に気づいたようです。そのあと、1人ずつ順番に同じ指示をしました。わずか5人だからできることですが、ここはすぐに作業を止めて全体で行うべきでしょう。似たようなことが続いて起こります。1人の子どもが「ティッシュ」の書き方がわからないとたずねます。授業者は黒板の端に「テ」と書いて次にどう書けばいいかその子に問いかけました。しかし、その子が反応できないので他の子どもに聞きます。突然全体の問題に変わってしまいました。他の子どもたちは一瞬何を聞かれているかわからなかったのですが、すぐに自分の作業を止めて、参加しました。少人数だからすぐに全員が参加できましたが、このようなことが続くと子どもたちの集中力は落ちてしまいます。全体で考えたいと思ったのなら、明確に作業を止めて、「○○さん、何に困ったの」と本人に言わせ、「みんな、助けてくれる」と、明確に全体の課題とするべきです。
作業の進み方に差があります。終わった子どもがいるので、グループで聞き合うようにと次の指示をしました。まだできていない子どもがいるのにグループの形にして、全員できたグループから次の活動に移らせます。3人のグループではまだ書き続けています。一方2人のグループは聞き合うことも終わったので、授業者は次の指示をしました。まだ、その前の活動も終わっていないグループには、指示は通りません。その場になって、何をするんだっけということになります。その様子を見て授業者は個別に再度説明します。子どもたちは、困ったら先生の方から助けてくれると考えるようになってしまいます。授業者は活動の最初に全体を見通した指示ができていません。ゴールもはっきりさせていません。子どもたちは何がゴールのかわからないまま、授業者に言われたことをやっているだけでした。授業者は何かあれば個別に対応するという癖がついています。小規模な学校に起こりやすいことです。個別対応が悪いのではなく、それに頼ってきちんと指示をせず、子どもに見通しを持たせて授業を進めていないことが問題なのです。

2年生は、生活科の時間でした。以前に気になった子どもがこの日は目立ちません。子どもたちが落ち着いて授業に参加できています。どのおもちゃを作るかを全体で相談する場面でした。子どもたちに発表させますが、授業者はしっかり受け止めても意見をつなごうとはしません。少人数なので、全員に発表させることができるからです。子どもたちも、一度発表すると全員が発表し終わるまで出番はないので、しばらく集中を失くします。すべて教師が受け止めるのではなく、他の子どもにどう思ったか、同じ意見か違う意見かとつなぐことが必要です。
「暑い」とか「寒い」とか、何かと教師に訴える、自分のことをかまってほしい子どもについて相談されました。かかわりを求めているので聞いてあげた方がいいのか、それともわがままだと拒否すべきなのか悩んでおられるようでした。他の子どもとかかわれるようになることを意識して、「○○さんが暑いと言っているけど、みんなはどう?」と聞くようすることをお話ししました。他の子どもに承認されることで、かかわりを持とうという気持ちになります。自分の言うことを聞いてくれないこともあるでしょうが、我慢も覚えていくことが必要です。いつも拒否されるようであれば、「○○さんが辛そうだから、みんな少し我慢してくれる」と教師が間に入るようにすればいいでしょう。

4年生は算数の授業でした。1人が意見を言うと「いいと思います」と声が上がります。わかったがどうか確認すると、先ほど「いいと思います」と言ったのに手が挙がらない子どもがいます。「いいと思います」は無責任な承認です。いいと思うだけで、いいという根拠を明らかにする必要はありません。「思った」だけでいいのです。何人も指名して発表させますが、わからない子どもはわからないままです。同じ説明を重ねられても、わかりなさいと脅迫されているようなものです。子どもの発言に対してより詳しい説明を求める切り返しや大切なことを他の子どもに復唱させて全体に広げるといった、つなぐことが求められます。そして、わからない子どもの「困った」に寄り添うことが必要です。発表を途中でとめながらそこまで納得できたかを確認し、わからないところを明らかにする。わからない子どもに、どこで困っているか直接聞く。子どものつまずきを全体で共有し、それを子どもたちの力で解決していくことを目指してほしいと思います。
授業者は子どもの言葉をとても大切にしています。そして、ほとんどの子どもがわかっているからと先に進めるのではなく、全員がわかることを大切にしています。最後にまだ数人わかっていないと判断して、隣同士で確認をさせました。そのあと、先ほどのわかっていなかった子どもは、なんとか説明できるようになりました。よい対応だと思います。
子どもの言葉を大切にすればするほど、教師のかかわり方が難しくなります。今この場面は、切り返すべきか、同じように考えた子どもにつなぐのか、納得していない子どもに確認するのか・・・、どのようなかかわりが必要かを意識することで、この授業者は大きく進歩すると思います。

5年生は、国語の「大造じいさんとがん」で大造じいさんの気持ちを発表する場面でした。黒板に貼られた本文の拡大コピーに、子どもたちがその文から読み取った気持ちが付箋紙で貼り付けられています。一人ずつ自分の考えを前で発表します。4年生と同じく、友だちの発表に対して子どもたちは「いいと思います」と返しますが、「いい」という根拠は問われません。同じ文に付箋を貼った子どもにも発表させて、どこが同じでどこが違うかを全体で考えたり、気持ちと関連する記述を発表させたりすることで、考えを深めることができます。このような活動を組み入れてほしいと思います。
国語の力をつけるという点では、気持ちを読み取るための視点を明確にしておくことが大切です。この教材では、「主人公の言葉や行動」だと思います。読解力をつけることは、こういった視点をたくさん持たせることが必要です。このことを意識してほしいと思います。
また、全員が「いいと思う」と反応したわけではありません。なぜ「いい」と言わなかったのかを聞くことで、同じ文から違う読み取りが出てくるかもしれません。どの子どもからも言葉を引き出すことを大切にしてほしいと思います。

6年生は社会で、身近にある福祉の問題について調べたことをもとに、どう対応していけばいいのかを考えて発表する場面でした。まず圧倒されたのは情報量の多さでした。実際に聞き取ったことや調べたことが教師の壁に貼られています。黒板にも多くのことが書かれています。それをもとに考え、発表します。友だちの意見を参考にした部分を明確にして発表してくれた子どもがいました。授業者は「○○さんが、あなたの・・・という意見を参考にしたと言ってくれたけれど、どう思った」とつなげようとしました。よいかかわらせ方です。しかし、その子どもは反応できませんでした。自分の発表の準備で手いっぱいで、よく聞いていなかったのです。課題が子どもの処理能力を超えているのです。
授業者は教材研究に対して熱心で、いろいろと準備もしています。そのため、どうしても準備したものをすべて与えようとします。この時間で身につけさせたいもの以外は、思い切って捨てる勇気も必要です。子どもたちの状況に合わせて、必要に応じて活用すればいいのです。このことは、この学級のできる子どもたちにも言えることです。調べたこと、考えたことをたくさん発表します。本人以外は1回聞いただけでは理解できません。整理する力をつけるために、「一番大切だと思う1つに絞る」「字数制限をする」といった条件をつけることを考えてもよいでしょう。大切なもの以外を切り捨てる「引き算の発想」を大切にしてほしいと思います。

今回、学校全体で共通の課題が見えてきたように思います。皆さん同じように子どもの言葉を大切にし、しゃべりすぎないことを意識しています。子どもの言葉を活かすということは、ただ子どもに発言させ続けることではありません。子どもの言葉を深め、大切なことを共有していくことが大切です。小規模な学校なので、全員に発言の機会を保障できます。そのため、個々に発表するだけで、発言がつながらないことが多いのです。小規模な学校だからこそ、子ども同士がかかわることを意識する必要があります。
このことは、授業研究でも浮かび上がってきました。授業研究については、明日の日記で。

若手の成長に驚く(長文)

前回の日記の続きです。授業研究は若手がT1でおこなうTTの授業でした。小学6年生の算数の割合、全体の何倍になるかを考えて解く課題でした。

授業者は、本時で使う何倍の何倍の考え方を導入で復習しました。「今日は○○さんに特別におこずかいをあげよう」と言って、子どもたちに「えっ」と思わせ、引き付けます。子どもたちはとても楽しそうに授業者の次の言葉を待ちます。授業者と子どもたちの人間関係がよいことがよくわかります。続いて、△△さんには○○さんの2倍、□□さんには△△さんの3倍あげるとして、□□さんは○○さんの何倍になるかを聞きました。具体的に○○さんに1000円あげたら、△△さんはいくら、□□さんはいくらと2倍の3倍は2×3倍になることを確認しました。授業者は余計な説明はせずに、できるだけ子どもたちの発言で進めようとしていました。子どもたちは発言者の方をしっかり向いて聞いています。形だけでなく、しっかり聞こうとしています。丁寧な導入で時間がかかったように思っていたのですが、3分しか経っていません。子どもがたくさん発言していても、授業者の説明が少なかったので時間がかかっていないのです。授業者の余分な言葉を減らすことが子どもの活動量を保障することにつながることがよくわかります。簡潔でポイントを押さえた導入でした。
続いて、授業者は「全体の何倍にあたるかを考えて、問題を解こう」とめあてを口頭で言ってから、ノートに書くように指示します。指示と同時に板書を始めるのですが、多くの子どもが板書を見ないで書いています。授業者の言葉を頭に記憶して書いたのです。授業者よりも早く書き終る子どももいます。全員書き終るまでにほとんど時間がかかりません。よく鍛えられています。

教科書の問題を読んで、わかっていること、知りたいことを確認します。わかっていることは全体の面積が1000m2、全体の2/5が広場、広場の1/10が砂場。求めるのは砂場の面積です。
全体の2/5は全体の2/5倍、広場の1/10は1/10倍であることを押さえながら、「全体→2/5倍→広場→1/10倍→砂場」と関係図をつくり、自力解決に入りました。
子どもたちは説明を聞いている間はノートを写しません。問題を解く時は、ほとんどの子どもが板書を見ないで関係図を書いています。しっかりと理解していることがよくわかります。先ほどのめあてを写すこともそうですが、聞いたことをしっかり頭の中に入れようとする子どもたちに育っているように思います。また、問題文を印刷して配り、ノートに貼らせることでムダな時間を省いています。時間に余裕ができることが影響しているのでしょうか、どの子どもをていねいに図や式を書いています。ノート指導もしっかりされていると感じました。
子どもたちは、「広場、砂場と順番に計算する」「1つの式で連続してかけ算をする」「2/5×1/10を計算して全体の何倍になるかを求めてから計算する」といろいろな解き方をしていました。机間指導で、授業者が何人かの子どもと話しています。できた子どもに説明をさせているのです。一方T2は手の着いていない子どもの個別指導に時間をかけています。2人とも全体を見ている時間が少ないことが気になります。
できたところで、ノートを間においてペアで説明を聞き合うように指示しました。子どもたちは、頭を寄せ合って指で関係図を指しながら聞き合っていました。子ども同士の関係のよさがよくわかります。しかし、いろいろな解き方があるのですから、それを子ども同士で評価したり、自分と違っていればそれをノートに書くといったことをするとよかったように思います。説明できたことで満足しているようにも見えました。

子どもを指名して、説明をさせます。ここでも子どもたちは友だちの話をよく聞いています。1人説明が終わると、同じように考えた人を指名して、また説明させます。子どもの説明は足りない言葉や、わかりにくいところもありますが、授業者は受容の言葉以外は余分なことを言いません。そのため、友だちの発言をしっかり聞かなければわからなくなります。1回でわからなくても、次の説明を聞けばいいので集中力は切れません。同じように考えた子どもは、自分が説明をすることになるかもしれないので、しっかり聞きます。発表した子どもも、自分の説明と比べるのか、ちゃんと友だちの発言を聞いていました。ただ、よくできる子どもが3回目の説明の時には集中を切らしていたのが気になりました。2回聞いて、もう理解できたからいいと思ったのでしょう。同じ考えの人だけをつなぐのではなく、「○○さんの説明、納得した?まだ、納得していない人がいるみたいだけど、○○さんの考えを説明してくれる?」と違う考えの人をつなぐことも必要です。特によくできる子どもには、「自分はできたからいい」ではなく、他者の考えを理解し説明できるようになることや、友だちが納得できる説明を求めることが大切です。先ほどのよくできる子どもは、ペアで相談する場面で、自分のペアの子が指名されてうまく説明できた時にとてもよい笑顔を見せました。自分の説明が役に立ったことがうれしいのです。
授業者は子どもの言葉で授業を進めようと、自分の言葉を非常に少なくしていました。これはとても大切なことです。しかし、何人かの子どもに発言させるだけでは、必ずしも考えが整理されたり、深まったりするわけではありません。「ちょっと待って、今言ってくれたこと、みんな納得した?」と確認し、「納得できていない人がいるみたいだね。どういうことかもう少し詳しく聞かせてくれる」と切り返したり、「納得した人と手を挙げてくれた人、どういうことか説明してくれる」とつないだりすることが必要になります。また、発言を比較して、「○○さんの説明と違うところがあったね」「足してくれたことがあったね」と違いを取り上げて考えを深めることも大切です。次の課題が見えてきたように思います。

関係図を使って説明をしたあと、面積図に2/5とその1/10を書き込み、砂場の面積が全体の2/5×1/10倍になることを確認しました。面積図で表わすだけの活動です。なぜここで面積図を取り上げるのかよくわかりません。授業者は教科書に書いてあるから取り上げただけで、自身がなぜ教科書が面積図を扱うのかがわかっていなかったようです。
2/5が2/5倍だからと関係図に書き込むことで、何倍の何倍を計算すれば全体の何倍かがわかるというのは、かけ算の性質から考えたことです。分数で表わされる割合では、感覚的に納得できない子どももいるのです。実際に1000÷2/5÷1/10とした子どももいました。計算した結果がおかしくなるので、かけ算に直しましたが、今一つ腑に落ちていません。そこで、面積図が橋渡しをするのです。面積図はこの面積の問題の半抽象的な図になります。全体の2/5である広場とその1/10になる砂場を面積図に表わすと、分数のかけ算の説明の図と同じものができます。ここがポイントです。そのことに気づかせると、砂場は全体の(2/5×1/10)が出てきます。当然教科書の図は(2/5×1/10)「倍」とはなっていません。割合のままで扱っています。面積図と関係図を比較してみることで、関係図の結果も納得のいくものになります。そのために教科書は面積の問題で考えさせたのです。面積図は関係図を納得するために取り上げたのであって、あくまでも関係図が主なのです。このことは、次の図書館の本の割合の問題で、ヒントとして書かれているのが関係図だけで、面積図がないことからもわかると思います。
また、授業者は2/5×1/10で1/25倍になると、「全体」の1/25倍とは言いません。めあてでも使っているのに、「全体」という言葉が落ちてしまっていました。割合がどうなるかを考えるのですから、「全体」に対してどうであるかは重要です。面積図では特に全体を押さえることで、割合を意識させやすくなります。算数では、「何の」何倍、「何の」何分のいくつというように、「何の」にあたる部分(基準、元になる量)を明確にしておくことが大切です。このことを常に意識してほしいと思います。

一見地味で目立ちませんが、T2の動きが印象に残りました。授業者と阿吽の呼吸で、子どもの発言を板書します。ここは発言が終わるまで待ってから、ここはすぐにとタイミングを計っています。また、発言をよく聞いて余分なものをつけ足しません。図書館の本の割合の問題で、発表した子どもが、「関係図で童話は全体の3/10、日本の童話は童話の3/5」と説明しました。関係図なので「倍」をつけ足したいところですが、子どもの言った通りそのまま板書しました。「同じように考えた人」と次に指名された子どもは「倍」をつけて説明しました。ここで、違いを取り上げれば板書を活かすことができたのですが、授業者は気づきませんでした。ちょっと残念な場面でした。

子どもの言葉を大切にして授業を進めていたのですが、最後は、「全体の何倍になるかを考えると・・・」と授業者がまとめてしまいました。ここまで、子どもの発言にこだわったのですから、なんとか子どもにまとめさせたいところでした。とはいえ、「全体」を落としていたので、子どもにまとめさせようとすると苦しい展開になったことは予想されます。難しいところです。

教材研究や教科書の理解、切り返しやつなぎなど、課題はたくさん浮き彫りになりましたが、授業規律のよさや、教師と子ども、子ども同士の人間関係のよさ、子どもの言葉を活かし教師の説明を減らすといった素晴らしい点がたくさんありました。昨年度初めて授業を見せてもらった時から比べると長足の進歩です。この学校の若手は、切磋琢磨しながら急速に進歩しています。また、それを支えるベテランも着実に進歩しています。当然学校全体がとてもよい状態になっています。このことは授業検討会の様子からもわかります。

授業検討会はグループを活用した「3+1授業検討法」で行われましたが、みなさんとてもよい表情で楽しそうに授業について話しています。とくに若手が生き生きと話し合いをまとめているのでが印象的です。全体での発表も私がここにいる必要がないのではないかと思うほどしっかりしたものでした。私が指摘しようと思ったよいところについては、見事に焦点化されていました。また、改善点については、みなさん面積図の扱いをどうすればよいのか悩まれたようでした。この授業で見るべきところを皆さんでしっかりとらえていました。
私からは、なぜ授業規律が上手くできているかといった、子どもたちのよさをつくり上げているものと、面積図の扱いについてお話ししました。そして最後に校長からもリクエストのあった机間指導について授業者に質問しながら説明をしました。
授業者が机間指導中に子どもに説明をさせていたのは、指名して発表させるためのリハーサルということでした。しかし、ペアであれだけ話せるのですからペア活動を充実させた方がよいと思います。ただ、説明し合うのではなく、よくわからないところを聞き直す、どこがよかったかを伝えるといったことでブラッシュアップすればいいのです。常に全体を見ることを意識して、困っている子ども、動きが止まった子どもへの対応を中心にすべきでしょう。対応と言っても、個別指導をするということではありません。「ここを見てごらん」「これは何を表わしている」と固まっている子どもが動き出せるような短い言葉をかける、「友だちに聞いてごらん」と子ども同士をつなぐというなことをするのです。特に声かけは、子どものつまづきに合わせて、どんな言葉をかければよいかを事前にしっかり教材研究をしておく必要があります。個別指導をするよりも教科力が問われると思います。授業技術が上がっていくにつれて教材研究の重要度が増していくのです。

この学校のアドバイスを始めてまだ2年にもなりませんが、皆さんがとても素直に授業改善に取り組んでいて、その成果が既にたくさん出ています。とてもうれしく思います。また、先生方が真剣に授業に取り組んでいるので、私が学ぶこともそれだけ多くなります。このような学校に出会えたことをとても感謝しています。来年度も続けてアドバイスをさせていただくことになりました。この学校がどのように進化していくかとても楽しみです。

講師や異動者の前向きな姿勢に学校の力を見る(長文)

昨日は、小学校で授業アドバイスと授業研究の助言をおこなってきました。授業アドバイスは今年度異動して来られた方と期限付き講師の方が中心でした。

5年生の算数の授業は割合を計算してグラフを描く場面でした。子どもたちはグループで、割合を計算してパーセントに直す作業をしています。計算が苦手な子どもは電卓を使っていました。子どもたちは真剣に取り組んでいます。その状態で授業者はまだ時間が必要な子どもの確認をしたり、指示を出します。しかし、子どもたちは自分の作業に集中して聞いていませんでした。一方、作業止めるように指示して「1、2、3・・・」とカウントアップをすると、すぐに静かになり授業者に集中します。きちんと授業規律ができています。であれば、先ほどの指示もきちん止めてからすればよかったのです。
グラフを描く前に割合とパーセントの確認をします。各グループごとにどの値を書くかを割り当てて、黒板に貼った表に書き込ませます。子どもたちはうれしそうに前に出ていきます。しかし、各グループで既に答の確認は終わっています。おかしな答の子どもはいない状況に見えました。ここは、順番に指名して値を確認するだけでよいところです。個人作業の後の確認とは状況が違います。まだグループ活動の進め方に慣れていないのかもしれません。ここは、値の確認よりは、割合の割る数(全体、基準となる数)と式の確認に力点を置いた方がよい場面だったと思います。作業に入る前にこのことはしっかりと押さえていたようですが、大切なことなのでもう1度子どもの言葉で確認したいところです。
続いて円グラフを描く作業に移りました。子どもたちは順調に作業を進めていますが、授業者は一旦作業を止めて、グラフの描き方をまとめた紙を貼って確認をしました。どうやら描き方がわからない子どもが若干いたようです。子どもにまとめを読ませるのですが、ほとんどの子どもには、この時点では必要のないことでした。全体で時間を取ることではなかったように思います。もし、確認をするのならグラフを描く作業に入る前にしておくべきでしょう。困っている子どもがいれば、それを見るように指示すればいいだけです。また、せっかくグループで作業しているのですから、友だちに聞くように声をかければそれで問題ないはずです。子どもたちはグループでかかわり合えているのですから、それを活かすことをすればいいのです。
とはいえ、子どもたちはしっかり育っています。授業規律もできてきています。授業者は過去のアドバイスをたくさん取り入れています。ベテランの方ですが、授業をよくしたいという姿勢を強く感じることができました。とてもうれしいことです。

3年生の算数はテープ図を使って、どんな計算になるかを考える場面でした。デジタル教科書を使って問題把握をします。鳩が5羽、8羽と2回にわたって飛び立った後、残りが17羽だったとき、最初に何羽いたかという問題です。授業者は指示に対して素早く行動できた子どもをほめています。子どものよいところを認めようとしていることがよくわかります。残念なのは、ほめる声が少し小さいことです。本人には伝わっているかもしれませんが、全員には聞こえていません。どのような行動がほめられるのかを伝えることで、よい行動を広げることが大切です。
問題文を読んだ後、図を使って考えるというこの日のねらいを伝えます。今までどんな図を使ったかと問いかけると、子どもがすぐに反応してつぶやいてくれます。「テープ図で書く」という言葉をひろって進めました。子どもの言葉を大切にしようとしています。つぶやきを積極的にひろってくれので、子どももよく反応します。しかし、全員が反応するわけではありません。教師がすぐに説明するのではなく、つぶやいた子どもに「今言ったこと、みんなに聞かせてくれる」と子どもの言葉を全体で共有して、「どう、○○さんがテープ図と言ってくれたけれど、どんな時使ったか覚えている?」とつなぎながら、他の子どもも参加させたいところです。
しかし、この展開では問題とねらいとの関係はよくわかりません。教師が示したねらいからテープ図が出てきましたが、子どもたちはその必要性を感じているわけではありません。例えば、「どう、式がすぐにできそう」と問いかけて、「何算をすればいいかよくわからないね」「どうするとわかりやすいかな」と図の必要性を引き出してから、ねらいを提示したいところです。
教科書の図は遠くに5羽が飛んでいて、8羽が飛び立っている図が描いてあります。問題把握の段階でこの図を使ってもよかったかもしれません。「5羽は図のどこにいる?8羽は?」と確認しながら、デジタル教科書の図に○で囲むことで、関係がよくわかります。「図で見るとわかりやすね。問題をわかりやすくする図で、今までどんなものを使ったっけ?」と続けて、ねらいを引き出すといったやり方もありそうです。
テープ図に書くという言葉を引き出した後、各自に問題の関係をテープ図に書かせます。どの子どもも手が動いています。今までの指導がきちんとできている証拠です。とはいえ、すぐにできる子どもと時間のかかる子の差はあります。早くできた子どもは手持ちぶさたです。次の課題を準備しておくか、まわりの子どもと見せ合って自分のと違っていたらどこが違うか確認させるといったことをするとよいでしょう。
授業者は、1人の子どもを指名しました。突然指名された子どもはちょっと不安な顔をしましたが、授業者が「すごい、アイデアだ」とほめると、表情がぱっと明るくなりました。うれしそうに、黒板にテープ図を書きました。2つに区切って、「飛んでいったはと」と「残ったはと」と飛んで行った鳩をまとめたのです。授業者は「飛んでいったはと」とまとめたことを評価して、数を書きこみます。飛んで行った鳩の数がすぐにわからないことを確認して計算で求めました。この考えを取り上げることはいいのですが、この場面ではきちんとテープ図が書けて、そこから式を立てられることが最優先です。まず一般的な答を全員が理解し、できるようになることが大切です。この図しか取り上げないので、ちゃんとできているのに、それをわざわざ消してこの図に書き直している子どももいました。先ほどのものも含めて、いくつかのテープ図を紹介して、それらを比較すればよかったと思います。そして、「飛んでいったはと」とまとめたことを子どもたちに評価させるのです。教師がすごいと言っただけでは、どうすごいのか子どもたちはよく理解できません。評価の根拠を子どもたちが共有することが大切です。その後、それぞれのテープ図から式を立てて、「テープ図のよさ」を確認するのです。
授業者はテープ図に続いて線分図を紹介しました。用意した線分図の紙は子どものテープ図と値の順番が違っていました。子どもが混乱してしまう可能性があります。せっかく準備したのですが、ここは用意したものを使わずに、チョークを使って同じ順番に書くべきだったと思います。こういうこともあるので、線分図は横線だけを書いておいたものを準備して、その場で完成させるようにするとよいでしょう。
新しく出た用語「線分図」を全体で何度か言わせて定着を図りましたが、個別に何人か指名して言わせることも必要だと思います。指名されることを意識すると、言えるようにしなければと適度なプレッシャーがかかるからです。
前回訪問時と比べて、授業者は子どもの言葉を活かそうとしていることがよくわかります。ずいぶん進歩しています。子どもの言葉をしっかり受け止めるので、子どもの反応が増えています。しかし、すべて授業者を受け止めて説明するので、反応できない子どもはなかなか参加できません。次の課題は、反応する子どもと、反応できない子どもをどうつなぐかということです。次の機会にどのような進歩を見せてくれるか楽しみです。

2年生の算数は問題の答を求める計算がかけ算になることの説明の場面でした。年度当初と比べると子どもたちがずいぶん落ち着いてきました。気になった子どももほとんど目立ちません。授業者は意識して子どもたちのよい行動をほめようとしています。以前は子どもの悪いところを注意して直そうとする傾向が強かったのですが、ずいぶん変化していました。
図を見て気づいたことを言わせる場面で、手を挙げて指名された子どもが答えに詰まってしまう場面がありました。答えられないので数人が当ててもらおうと手を挙げましたが、授業者が優しく声をかけて待ってあげたのですぐに手をおろしました。他の子どもも集中を切らさずに待つことができ、答に詰まった子どもは図を見ながら答えることができました。とてもよい場面でした。この他にも、「後で聞くからね。ありがとう」と声をかけてその場は一旦座らせて、あとでもう一度挽回の機会を与えるという対応もあります。大切なことは、答えられなくても恥ずかしい思いをしなくて済む、安心して参加できるということを具体的な場面で学級の全員に伝えることです。子どもたちがとても意欲的だったのは、授業者のこのような対応が影響しているのではないかと思います。
問題文を読んで、わかっていることは何かを答えさせるところで、指名した子どもが条件を全部読み上げました。すると1人の子どもが、「一気にそこまで言うか」とつぶやきました。授業者はその場ですぐには取り上げずに、発表したことをきちんと確認をし、その上で、先ほどの子どもを指名して全体に対して発表させました。子どもの発言をしっかり受容した上でよいつぶやきを全体で共有させる、よい対応でした。
子どもにかけ算になった理由を発表させる場面です。子どもは、問題文を抜き出して説明します。授業者は「他に」と次の子どもを指名します。何人か指名しましたが、結局、授業者が求める「何のいくつ分」という言葉はでてきません。最初の復習場面では押さえて板書もしたあったのですが、子どもはそこを意識できていませんでした。最後は授業者が説明して、話型を導入しました。否定はされなかったのですが、子どもたちは自分の発言は授業者が求める答ではなかったのだと感じてしまったと思います。「他に」というつなぎの言葉は、遠回しな否定になることが多いのです。できるだけ使わないようにしたい言葉です。「なるほど、ありがとう。○○さんとは違う意見があるかな」というように、一つひとつの意見を認めて、できるだけ同列に扱うことが大切です。
今回の場合、子どもたちは、何を答えていいのかよくわかりませんでした。手がかりがないのです。問題に解く前に、再度「何のいくつ分」になるとかけ算だということを確認しておく必要があったと思います。また、子どもの発言に対してどう切り返すと、ねらった言葉に近づくかも考えておくことも大切です。「・・・だから○×△のかけ算になったんだね。○×△ということは・・・」と「○の△分」という言葉を引き出し、「○って何が○なの」「△ってどこからわかった」というようにして、ねらった言葉に近づけていくのです。1人の子どもとだけやり取りするのではなく、全体に問い返すことも必要です。指名された子どもの問題で自分は関係ないと思わせてはいけないのです。常に全員が自分の問題として考えることを意識して対応する必要があります。
授業者は経験も豊富で力のある方ですが、異動当初は学級経営が思うようにいかない時期ありました。今までの自分の経験と違う文化に触れて、ちょっと戸惑っていたのだと思います。これまでの経験に新しい視点を取り入れることで大きく進歩すると思います。

特別支援学級は、足し算の練習をしているところでした。以前は複数の子どもが在籍していたのですが、今は数的能力に困難を抱えている子どもが1人だけです。どうしても子どもの依頼心が強くなりやすい状態なのですが、授業者は適度な距離を取るように意識していました。子どもが一生懸命ワークシートの問題に取り組んでいる時に、笑顔を絶やさず、子どもが答を書くたびにうなずきながら見守っていました。子どもと直接目が合うわけではありません。しかし、子どもが安心して課題に取り組めているのは、このような姿勢で接していることが大きく影響していると思います。集中力を切らして顔を上げた時には、優しい笑顔に出会います。このことが子どもに安心感を与えるのです。
できることとできないことの接点を意識しながら、少しずつできることを増やしていくようにお願いをしました。

今回授業アドバイスの対象の方は、前回に引き続きの方ばかりです。それでも、アドバイスを受けるということは、授業に対してとても前向きだということです。期限付き講師の方へ学年主任が事前にアドバイスをしたりもしていたということです。学校全体で、授業改善に取り組もう、支えようという雰囲気があります。こんなところにも、この学校が急速に進歩した理由があるように思いました。

授業研究については、次回の日記で。

素直に見えているだけなのか

野口芳宏先生がよく言われるように、伸びる教師の条件の一番は「素直」だと思っています。多くの場合、若手に授業アドバイスをすると、とても素直に聞いてくれます。「素直ですね」と管理職や教務主任にお話すると、「素直なんですけどねぇ・・・」と返事が返ってくることがあります。それに続く言葉は、「なかなか変わらない」「実行してくれない」です。これはどういうことなのでしょうか。どうやら、彼らは素直な「態度」を見せているだけで、素直にアドバイスを「聞き入れる」「実行する」ことはしていないらしいのです。
こだわりがないので反論しない。真剣に聞き入れようという気もないので、素直に話を聞いているように見せているだけなのかもしれません。

このことはコミュニケーションの取り方とも関係がありそうです。同僚とうまくコミュニケーションを取っているように見えるのに、授業のことや学級経営に関して一人で抱え込んでいることがよくあるのです。「よい先輩や同僚がいるのだから、気軽に相談したら」とアドバイスをしても、なかなか実行ができないのです。
企業の新人のコミュニケーション力が落ちているというニュースを目にしたことがあります。SNSなどを通じてあれだけ仲間とつながっていたい若者がなぜと思いましたが、どうやら彼らのコミュニケーションは、仲間外れにならない、他者から攻撃されないことを第一にしているようです。自分の考えを正しく伝える、相手の考えを正しく受け止めるといったことよりも、表面的に円滑な人間関係をつくることを優先しているのかもしれません。上司から見れば、「指示したことをきちんと実行しない」「自分の考えをはっきり伝えようとしない」、結果「コミュニケーションがとれない」となっているのでしょう。

アドバイスの場面で「素直」な態度と感じていたのは、今の若い世代のコミュニケーションのあり方を、「素直」と勘違いしていただけなのかもしれません。もちろん、本当に素直にアドバイスを実行して伸びていく若手もたくさんいます。素直に見えているだけなのか、本当にそうなのかを意識してアドバイスする必要があります。
このことは、授業とも共通することです。子どもが静かにしていれば、聞いているかというえばそうではありません。ちゃんと反応を見て、必要に応じて問いかけや確認をしながら話をする必要があります。このことを忘れ、よく聞いてくれていると勘違いして一方的に話し続けてしまうことがよくあります。そうならないようにと先生方にアドバイスしている私が、同じようなことをしていたのではないかと恥ずかしくなります。
原点に戻り、授業者の本音を聞き出し、その上で自ら変わろうとしてもらえることを目指してアドバイスをしなければと思います。まだまだ、修行中の身です。

算数の「数と計算」分野で大切にしたい問いかけ

算数では、四則演算を正の、整数・小数・分数で何年もかけて学習します。年をまたぐ継続的な指導です。6年間の指導で一貫性があることが望まれます。「数と計算」分野で共通した問いかけについて少し考えてみたいと思います。

まず意識してほしいのは、算数での四則演算の基本になっているのが10進法だということです。今私たちが通常使っている計算は、10進表記をもとに方法が考えられているのです(よく知られているようにコンピュータの世界は2進法です)。10進表記の優れている点は、0から9までの数字だけを使って数を表わしていることです。このことを意識して学習を勧めることが大切です。

71の「7」と17の「7」は同じ数字の「7」でも、位が違うので表わす数は異なります。70と7です。しかし、「7」という数字が使われているということは何かが7あることを表しています。そこで、大切な問いかけは、「何が○つのなの」です。71であれば「71の7は何が7つあるの?」となります。筆算の考え方もこういう問いかけを日ごろからしていると明確になってきます。72と63を足すとき、7は10のかたまりが7、6は10のかたまりが6です。同じ10のかたまりだから足せるわけです。こう考えることで必ず1桁の計算に帰着できます。かけ算であれば10のかたまりを何倍すると考えればいいわけです。

小数であれば、「0.2の2は何が2つあるの?」です。こうすれば0.2+0.5は、0.2は0.1が5つ、0.3は0.1が3つとなるので、5つと3つを足すことに帰着できます。0.1が8つあるから0.8という説明が自然になります。小数点をとるという考え方をした子どもにたいしては、「小数点をとった2は何が2つなの」とその意味を問い返せば混乱せずにすみます。分数であれば、2/3は2は1/3が2つと考えればいいのです。では、分母はとなります。分母の3は「(2を)3つに分けた」を表わします。3等分する3なのです。ちょっと違いますね。

ここでもう1つ大切な問いかけがあります。分数や比、割合、単位で大事になるものです。それは「基準」です。何のいくつ分と言った時の「何」にあたるもの、分数で言えば単位分数、先ほどの「位」も1つの基準です。割り算で言えば割る数です。
先ほどの分数の分母も、基準をあらわすととらえればいいのです。分数の足し算は、分母が同じであれば、基準が同じですから、分子を足せばいい。分母が異なればそれぞれの基準が違うわけですから、基準を同じにしなければいけない。だから通分だという発想です。基準が同じだとまとめられる例はたくさんあります。かけ算でも2×3+2×4は2×(3+4)とまとめられます。
比の値を考える時も、「基準は何?」と問いかけることで、分子と分母の混乱が避けられます。比の値が等しいことを扱う問題では、この問いかけをすることで基準を間違えなくなります。単位の変換でも同様です。

このように、一見違うことのようですが、少し広い概念でくくることで、一気に世界がつながっていきます。算数の「数と計算」分野では、「何がいくつ」「何が基準」という問いかけを大切にすることで、6年間の学習のつながりがとても明確になるのです。このことを意識して授業を組み立てると、とても教えやすくなると思います。

1時間の授業から多くのことを学ぶ(長文)

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昨日は、中学校の授業研究でアドバイスをおこなってきました。若手の数学の授業でした。

三角形の等積変形を使って問題を解く場面した。授業の最初は前時の復習です。授業者は教科書、ノートを閉じた状態で進めたいのですが、何人かの子どもがノートを開いていました。ちゃんと準備ができていることをほめてから、閉じるように指示をしました。ちょっとしたことですが、子どもを認めようとする姿勢で接していることがよくわかります。

前時に学習した等積変形について子どもたちに問いかけます。まわりと相談する時間を少し与えてから、指名していきます。相談している子どもたちから聞こえてくる言葉が気になりました。「底辺と高さが等しければ面積は同じだよね」というように、「底辺」と「高さ」という言葉がよく登場するのです。「底辺の長さ」と「高さ」が同じ三角形は面積が等しいのは当たり前です。このこと自体は三角形の等積変形と直接関係のない性質です。三角形の等積変形は、底辺が共通で、底辺にない頂点を通って底辺と平行な直線上に頂点がある三角形の面積は等しいというものです。高さは証明(説明)の根拠としては出てきますが、等積変形ということでは必要のない言葉です。このことから、子どもたちは等積変形と、その根拠が混乱していることが見て取れます。案の定、子どもたちの発表は、前時に学習した事柄がトピック的に出てくるばかりで、等積変形をきちんと説明する言葉は皆無です。授業者は、ただ受け止めるだけで次々指名していきます。「三角形で」と考えている対象を明確にしてくれる子どももいますが、授業者は評価しません。授業者自身も「三角形の等積変形」と言うべきところを「三角形の」を落として単に「等積変形」と言っています。数学の教師としては言葉が雑です。頂点と高さが混乱した子どももいます。言葉が足りなくて、何を言っているのかよくわからない発言もあります。友だちの意見がバラバラで収束していかないので、何が正解なのか子どもたちも不安になっていきます。だからこそ集中して聞いています。集中することはいいのですが、これでは三角形の等積変形がどういうものか定着しません。子どもの言葉を切り返して深めたり、足りないところを他の子どもに補わせたりして、しっかりと押さえなければいけません。子どもが発言するだけでつながらないのです。「確かに底辺の長さがと高さが等しいと三角形の面積は等しくなるね。確かに、そんな話をしました。よく覚えていたね。それって等積変形とどういう関係があったんだっけ」と切り返したり、答えられなければ「だれか助けてくれる」とつないだりする必要があります。
授業者は「みんなの説明に共通した言葉があったけど・・・」と共通の言葉をキーにして進めようとしました。「底辺」「平行」を取り上げて、黒板に図を描きながら説明を始めました。子どもたちは、混乱しているのとわかりたいとの両方で真剣に黒板を見ています。その中で1人、黒板を全く見ない子どもがいました。先ほどの復習の場面では指名されても「わからない」と発言しなかった子どもです。この時間は、この子ども(仮にA君とします)を中心に見ようと決めました。
底辺が「共通」と言葉を足し、頂点を通って底辺と平行な直線を描き、底辺が共通で平行線上に頂点のある三角形を描いて、2つの三角形の面積が等しいことを確認します。もう1つ同様に描いて、これも面積が等しいことを確認して、形が変わっても面積が等しいと説明をしました。
三角形の等積変形を用語として使っているのですから、明確な定義も必要です。黒板には図だけで、平行といった条件などは何も残っていません。これでは、論理的な思考ができるようにはなりません。因果関係が明らかになっていないのです。

教科書を見ると等積変形という用語はありません。「底辺が共通の三角形」としてまとめてあります。

1つの直線上の2点A、Bとその直線と同じ側にある2点P、Qについて、
1) PQ‖ABならば、△PAB=△QAB
2) △PAB=△QABならば、PQ‖AB

ここで注目しなければいけないのは、2)は1)の逆であることです。1)は三角形の等積変形を表わしていますが、逆も押さえたいので、等積変形というまとめ方をしていないのです。
授業者はこのことをあまり意識していません。そして、このことが本時の課題の解決に決定的な影響を与えたのです。

本時の課題は最初の図にあるような四角形の土地の境界線ABCを、点Aを通る線分ADにあらためるというものです。教科書は点Dを与えているのですが、授業者は、あえて線分ADを与えずに、境界線だけの図を描いたワークシートに、大きく「等積変形を利用して面積の等しい図形を作ろう!」とタイトルをつけ、「ア、イそれぞれの土地の面積を変えないで、点Aを通る直線をひくとき、どのようにひけばよいでしょうか」としました。授業者は、等積変形を使うとことを前提にしています。思考がそこからスタートします。つまり先ほどの1)を使うということです。教科書は「図のように、折れ線ABCを境界とする2つの土地ア、イがあります。それぞれの土地の面積を変えないで、境界を、点Aを通る線分ADにあらためるとき、点Dの位置は、どのように決めればよいでしょうか」となっています。
続いて「考え方」として、「求める点Dがとれたとすると」としています。もしそのような条件を満たす点があればと帰納的な発想をしているのです。このとき、△ACB=△ACDとなることから、AC‖BDが言えます。先ほどの2)を使うのです。ここから平行線を使って作図できることを導こうというアプローチです。欄外の枠の中にも「逆向きにみる―求める点がとれたとして考える 見方・考え方」としてあります。この違いが、どう子どもたちの思考や活動に影響を与えるのでしょうか。

授業者は、ワークシートを配って課題を読みますが、子どもはワークシートを目で追っているだけです。課題を把握できているか確認もなく、すぐに個人作業に入りました。固まっている子どもとすぐに手が動く子どもに分かれます。この問題の解き方を知っていると思しき子どもはすぐにAとCを結び、点Bを通って線分ACと平行な直線を引きます。一方、そもそも何をすればいいかわからない子どもは、手が全く動きません。課題がよくわかっていないのです。教科書は、境界という言葉を使い、ていねいに説明しています。一方授業者は、言葉をずいぶん削っています。その分課題把握に時間をかけなければいけないのですが、そこをしなかったのが原因です。また、タイトルの「面積を等しい図形を作ろう」に引っ張られてアとイの面積を等しくするのかと勘違いしている子どももいたようでした。
「土地の境界がまがっていると使いにくいじゃない。そこで境界を直線にしたいんだよ。ただ、点A通るようにしたいんだ。できるかな。あっ、もちろん境界線を変えたからといって、それぞれの面積が変わっちゃったら怒るよね。境界線は変えてもそれぞれの面積は変わらないようにしてね」といった補足をしたり、「点Aを通る線分を境界にする」「それぞれの面積を変えない」ことを子どもに確認したりすることで、課題をしっかり把握させたいところです。
わかっていると見えた子どもの中には、点Aを通る線分ではなく、点Cを通る線分を引く者もいました。やり方は知っているので、パターンで線分を引いてしまったのでしょう。これも課題をしっかり把握していなかった証拠です。

すぐに答がでた子どもは、手持ち無沙汰にしています。そこで、授業者はグループになるように指示しました。できた子どもがいるグループは、できている子どもが教え始めます。自分から教えてと言えない子どもが何人もいるのですが、できている子どもは一生懸命に教えようとします。おせっかいな感じではなく、わかってもらいたいという素直な気持ちに見えます。ただ、4人で話すというよりは、1対1になっています。そのため、うまくかかわれない子どもも出てきます。しかし、よく見ると説明している子どもの手元の図を見たりしています。どの子もわかりたいという気持ちはあるのです。先ほどのA君は、女子2人が話し合っている時に参加できませんでした。しかし市松模様の座席なので、その様子はよくわかります。気にはなっています。顔が上がらないのですが、やはり目は女子のワークシートを見ていました。A君がこんな線になるのではないかと引いた線が、女子の書いた線とよく似ています。女子2人の話が一段落ついた時、声をかけました。自分の線が似ていたので聞こうという気持ちになったのかもしれません。この後、女子2人に交互に教えてもらうことで、自分なりに納得できたのでしょうか。笑顔を見ることができました。

一方できた子どもが1人もいないグループは、手詰まりです。問題把握もしっかりできていないので、意味なく線を引く姿が見えます。なかなか相談しながら先に進むことができません。そもそも、何をどうすればいいのか、手がかりがないのです。中には定規を点Aに当てて、回転させながら、どんな線になるか考えている子もいましたが、そこから先には進みません。この子どもの活動を取り上げて、「点Aを通る線分を探しているんだ。いいね」と評価し、「どのあたりになりそう」「この線が正しかったとして、何が言えそう」と全体に問いかけることで教科書の流れに持っていくこともできました。授業者はこの子どもの動きは気づいていたのですが、自分の考えていた方向性とは違うのでこの動きを活かすことは思いつかなかったようです。

半分のグループが行き詰っていました。そこで授業者は活動を止めました。よい判断です。この時、授業者は「ヒントを出してもらおう」と言いました。ヒントという言葉はあまりよい言葉ではありません。答がわかっている者が上から目線で出すのがヒントだからです。「ヒントを言って」と授業者が指名して子どもに言わせれば、その延長上に正解があるということにもなります。これが「正解」と言うことと同じです。しかし、授業者は、「最初に何をしたか教えて」と聞きました。初手を聞くのは、行き詰まっている子どもにとっては、動き出すよいきっかけになります。しかも事実を聞くだけですので、正しいかどうかの判断は子ども自身に任せることになります。よい聞き方です。であれば、最初のヒントという言葉は余分だったように思います。
「三角形をつくる」が出てきました。しかし、行き詰まっている子どもはよくわかりません。授業者は他のグループにも聞きましたが、やはり「三角形をつくる」です。三角形をつくることが面積を変えずに境界を引き直すこととどうしても結びつかないのです。ここがポイントだったのです。授業者はどうして三角形をつくるのかとは問い返しませんでした。ある意味賢明だったように思います。グループでのその子どもの説明は「等積変形を使うのだから、三角形を作らなければならない」だったからです。ワークシートのタイトルがここで効いているのです。授業者は意識していたのかどうかはわかりませんが、解き方を誘導していたということです。この説明を聞けば、行き詰まっている子どもはますます苦しくなります。なんで等積変形を使えばいいのかが今度はわからなくなるからです。「こうしろと指示されたから納得できなくてもやる」「こうやれば解けるから解き方を覚える」という割り切りのできない子どもほど行き詰まりやすいからです。そうでなければ、最初から等積変形を使おうとしているはずです。
授業者は、「具体的にしよう」と問いかけ、AとCを結んで△ABCを作りました。求める線が引けたら、全員が説明できるようになってと、グループに戻しました。等積変形を使えば点Aを通る線分で△ABCと面積の等しい三角形がつくれます。取り敢えずほとんどのグループは正解をつくることができました。しかし、ここから子どもたちの苦戦が始まります。2つの三角形の面積が等しいことは言えるのですが、そこから、それがどうして土地の面積を変えないことになるのかうまく説明できない、というか自分でも納得できないのです。互いに説明し合うのですが、すっきりとしないようでした。

ここで教科書が、「線分ADが引けたとして」と、帰納的な発想をした意図が見えてきました。土地の面積が変わらないなら、2つの三角形の面積も変わらないことに気づきやすいからです。演繹では、三角形をつくる必然性が見えません。三角形の等積変形を使って解くからという理由しか見つからないのです。そうでなければ、三角形をつくることを解き方として知っているからでしかないのです。誘導されて解くことで、解き方を知識として手に入れることはできますが、誘導なしで問題を解く力をつけることはできません。教科書は問題解決の手段の1つとして、帰納的な発想を身につけさせようとしていたのです。

解き方を理解していた子どもは、ほとんど考えることはしませんでした。彼らにとってこのままでは何も学ぶことはない1時間になります。彼らの学びの期待がかかるのが、全体での説明の場面でした。うまく説明できない子どもを納得させることができるかどうかが、彼らにとっての大きな課題です。
指名された子どもたちは、前に出て一生懸命に説明します。言っていることは間違いではないのですが、論理の因果関係が明確になっていない上に、一つひとつの説明にまとまりがありません。途中で立ち止まることなく話が続きます。説明を聞いている子どもたちはわかりたいと真剣なのですが、よく理解できません。表情はさえません。発表者は、理解してもらえていないことがわかるので、何度も同じ説明を繰り返します。授業者は、黙って見ているのですが、いったん説明を止めて他のグループに交替させます。次のグループも同じ状態になったところで時間となりました。

授業者は子どもたち同士で理解させたいと思い、じっと我慢をしていたのでしょう。子どもの説明に続いて自分が説明を始めなかったのは立派です。しかし、子どもの説明は必ずしも他の子どもにすんなりと受け入れられるわけではありません。聞き手のわからないところを確認して、説明の足りないところを補ったり、整理したりさせる必要があります。ここが教師の出番です。子ども同士をつなぐのです。1回説明させれば、子どもの考えはわかります。そこで、「まだ納得できていない人がいるようだね。もう1度説明してくれる」ともう1度説明をさせるのです。説明の流れはわかっているので、教師が意識的に区切って整理をさせます。「ちょっと待って、みんなここまで納得できた」と途中で止め、大事なところは他の子どもを指名して確認したり、「今説明してくれたこと、あなたの言葉で言ってくれる」と説明を求めたりして共有させます。また、説明が不足していると思えば、「どう、今のところもう少し詳しく聞かせてくれる」とより詳しい説明を求めてもいいでしょう。
こうすることで、子どもたちは友だちの説明をじっくりと理解できますし、説明する子どもは、自分の考えをどのように整理して説明すれば伝わるのかを学ぶことができます。

授業者は子ども同士で考えること、わかり合うことを大切にしたいと考えていることがよくわかります。その方向は間違っていません。しかし、それは教師がただ黙って見ているだけでいいということではありません。適切なかかわり方が必要なのです。切り返して深めることや言葉をつないで共有していくことが教師に求められます。授業者はそのことはわかっているのですが、教材の理解が不足しているので、どう切り返し、どの言葉をつなぐのかがよくわからないのです。
この授業でいえば、三角形の等積変形は何がポイントなのか、そして課題を解くために子どもつまずくのは何かをしっかり考えていなかったのです。そして、教科書が「底辺が共通の三角形」の性質をなぜあのようにまとめているのか、なぜ帰納的な発想で進めようとしているのかを理解できていなかったのです。そのため、子どもの様子を見て授業を修正することや、子どもへの働きかけを変えることができなかったのです。

授業者はこの日体調を崩し、午前中は休みを取って医者に行っていたそうです。にもかかわらず、授業は明るい雰囲気で、そのことを感じさせないものでした。また、言われたことをきちんと実行しようとする素直な気持ちを持っています。授業者にとって課題である教科の力は、身につけようとしても授業技術と違ってすぐに結果が見えません。しかし、この授業者ならば、きっと地道に努力を続けてくれると思います。次に会う時にどのような成長を見せてくれるか、とても楽しみです。

昨日の日記に書いたように、私もいろいろと教材や課題について考えていましたが、授業を見て子どもの実態をわかっていなかったと反省させられました。すぐにできる子どもとできない子どもに分かれることは想像通りだったのですが、正解を作図できた子どもでも、これほど説明ができないとは思っていませんでした。「境界に道路を作りたいのだが、入り口を別の場所にしたい」という、点Aではなく、辺上の他の点を通る境界線を引くというジャンプの課題を考えたのですが、この日の子どもたちに、いきなり提示するのは現実的ではないと感じました。もしこの課題を使うのであれば、まず、三角形の面積が同じであれば土地の面積が変わらないことを全員に納得させる必要がありそうです。そう考えると、教科書は子どもの実態を実によくとらえて展開が考えられているのです。完敗です。教科書の課題を安易に変えている授業をよく見ますが、まずは教科書をしっかり読みこんで理解してからのことです。若い教師は、とにかく1度はそのまま教えることをしてほしいと思います。実際にやってみることで教科書の意図がわかってくると思います。その上でアレンジもできるのです。

授業検討会は、グループでの検討です。どのグループも子どもたちが説明に苦しんでいるのを見て、課題の与え方や展開の仕方、ヒントの内容といった教科の問題に深く入り込んで話し合っていました。全体での検討は教科の問題にあまり深く入り込んでも他の教科の先生にとっては得ることが少ないのですが、先生方は教える側の視点ではなく、子どもの視点で課題や展開を考えていたので、これならば意味のある話し合いになったのではないかと思います。子どもの視点を意識することはどの教科にも共通して大切なことだからです。しかし、具体的にどうすればいいのかを全体の場でそれ以上話し合ってもあまり意味はありません。それこそ、教科の先生がじっくりと話し合うべきことです。そこで、各グループの発表の後、司会者は「子どもの様子はどうでしたか」と視点を子どもに切りかえました。とてもよい判断です。すると、私が注目していたA君や日ごろ参加できない他の数人の子どものことが話題になりました。「この授業では、彼らが参加できていたことに驚いた。自分の授業ではなかなか参加できない」「どういったことが参加できる要因なのだろうか」といった発言が出てきました。このことに話題にして再びグループで話し合いました。「彼らにもできるようなことをやらせたいが、他の子どもがそれでは満足できない」「自分からは『教えて』と聞こうとしない。友だちが教えようと声をかけてくれるが、なかなかうまくかかわれない。どう支援していいかよくわからない」といった意見がでてきました。
このことに関連して、私からは、先生方は子どもたちをとてもよく見ているが、子どもに対して評価が少ないことをお話ししました。今回の授業であれば、授業者もA君がしっかり参加できていることに気づいていました。しかし、そのことを認めてほめるような声かけはありません。大切なことは、その子なりの進歩をしっかりと評価してよい行動を後押しすることです。課題のレベルが高くても、その子が活躍できるところはきっとあるはずです。今回の課題であれば、「点Bを通る直線は線分ACとどんな関係の直線だった?」と友だちの説明の確認を求める。「どことどこを結んだ?」「どんな図形を作った?」ともっと簡単なことでもよいのです。誰でも聞いていれば答えられるようなことでも、「そうだね。よく聞いていたね」と評価するのです。グループ活動であれば、友だちに何を教えてもらったかを聞いてもいいでしょう。「どんなことを聞いたの」「いいことを聞いたね」とほめるのです。答えられなかったら、「どんなことを話したかもう一度伝えて」とグループの子どもに助けてもらい、自分の口でそのことを言わせ、「ちゃんと聞けて、答えられたね」と評価するのです。
すぐに参加できるようにはならないかもしれませんが、少しでも参加できる時間を増やすことが大切です。子どもたち一人ひとりの何をほめるか、ほめる場面をどのようにつくるかを常に意識してほしいと思います。

検討会終了後、校長、教務主任と来年度に向けての話をさせていただきました。この学校で育った若手が今後どんどん異動していくことになります。新しく異動してくる先生も増えてきます。そのような状況ですから、「学校全体で共通で取り組むべき最低限のことを明確にして、全員で確認をすること」、また、「これまでの積み重ねをもう一歩先に進めるために、教科の内容について互いに学び合う空気をつくること」の2点を特にお願いしました。人事的には厳しい状況が続きますが、きっとこの壁を乗り越えてくれると思います。

この日は、1時間の授業からとても多くのことを学ぶことができました。子どもたちがわかりたいと真剣に授業に取り組み、苦しんでくれたからこそ気づけたのです。いいかげんな授業態度であれば、わからない原因が課題や授業の進め方にあるのか、子どもたちのやる気のせいかわかりません。子どもたちをこのような状態にした、授業者を含むこの学校の先生方のおかげです。子どもたちと先生方に感謝です。

研究授業の教材を検討する

昨日は、本日参観予定の数学の研究授業の指導案の教材について少し検討していました。日ごろはポイントを確認し、子どもたちがどのような動きをするだろうかを想像するくらいで、あとは実際の授業を観察してアドバイスを考えます。教材について事前にはそれほど深く考えないのですが、グループでの活動の課題が、解き方を知っている子どもがいればその子が教えて終わってしまうようなものだったので、さすがにこれではちょっとまずいなと思い、どうしたものかを考えていたのです。

解き方を知らない子どもの思いつきをつぶしたくない。では、そういう子どもたちはどんな考え方をするだろうか。子どもの気持ちになって考えてみます。そして、その考えはどう評価すればいいだろうか。活かすことはできるだろうか。
また、教科書の課題を活かして、子どもたちの考えを広げるような課題はできないだろうか。塾などで問題を解いたことがある子どもも一緒になって考える課題となるだろうか。その課題は、考える必然性をあるものにできるのだろうか。教材研究の基本を改めて思い出すことになりました。

代案となる課題や進め方はいくつかできたのですが、実際の子どもの様子を見てみないと、それが適当なものかどうかは判断できません。極端な話、解き方を知っている子どもがほとんどいなくて、グループ活動がかかわり合いのあるよいものになる可能性もあります。逆に、子どもたちはほとんど全員が解き方を知っているかもしれません。提示する課題は、子どもたちの状況に合わせて考えなければなりません。今回は私自身が教材研究を少ししたので、いつも以上に子どもたちの様子を見るのが楽しみです。

私がどのような代案を考えていたのかは、授業の様子と合わせて明日の日記で報告したいと思います

「楽しく授業研究しよう」第11回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第11回ICTを活用した授業研究が公開されました。

ぜひご一読ください。
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