愛される学校づくり研究会の役員会に参加
3連休の最終日に、愛される学校づくり研究会の役員会に出席しました。「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の当日の会場設営や流れ、配布資料など本番に向けての準備、検討が主な話題です。
事務局が事前にいろいろと検討の上で提案してくれたので、参加者からの疑問や質問に対しても的確な回答が得られ、大きなイベントの運営にもかかわらずスムーズに議事は進みました。 とはいえ、出演者の入れ替えの動線、司会者の立ち位置、必要な機材の確認とセッティング、検討すべきことはたくさんあります。模擬授業一つとってもどのようなレイアウトで行うのが見やすいのか、あれやこれやと悩むところです。当日貴重な時間を割いて参加してくださる方に少しでも多くの役立つ情報を提供できるように知恵を絞りました。 このようなイベントでは、どうしても出演者にスポットが当たりますが、いつもながら思うのがそれを支える裏方があってのことです。事務局はじめ企業会員のたくさんのスタッフが事前の準備や当日の運営を引き受けてくれるので、私たち主演者は自分の役割に専念できます。 学校の行事などでも事情は同じです。子どもたちにも、先生方にも裏方の役割が必ず必要ですが、彼らに対する感謝の気持ちを明確に表わすことを忘れがちです。このことを意識するよう心がけたいものです。 役員会の最後に、新しいイベントが提案されました。継続的に開催しようという企画ですが、どのようなものになっていくかは未知数です。だからこそ面白いとも言えます。今年の夏にまず第1回を行うことが役員会で承認されました。全体で承認されましたら、ここで紹介させていただきます。楽しみにしてください。 フォーラム開催まで1月を切りました。準備にも拍車がかかってきます。研究会の会員の力を合わせて、参加される方に満足していただけるフォーラムにしたいと思います。 ICTを活用した授業研究ツールの打ち合わせ
2月9日(日)に開催される「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」では、ICTを活用した授業研究を紹介します。そこで紹介するICTソフトの打ち合わせをおこなってきました。
この日見せていただいたプロトタイプは、私がイメージしていた以上に見やすく、使いやすそうなものに仕上がっていました。これから動作チェックや細部の詰めが残っていますが、参加された皆さんが自分の学校でも使って見たいと思えるようなものになっていると思います。授業検討だけでなく、研究授業中に参観者がどこに注目しているかがリアルタイムにわかるツールにもなっています、また、授業検討に利用するだけで、特別なことをしなくても授業と授業検討会のインタラクティブな記録も作成されます。非常に可能性の高いツールになっていると自負します。短い時間でここまで仕上げてくださった開発チームの皆さんに感謝です。このツールの詳細についてはフォーラム当日のお楽しみとなっています。これ以上詳しくは書けないのが残念です。興味のある方は、ぜひフォーラムにご参加ください。 フォーラムの残りの座席はあとわずかになっています。参加を希望される方はお早目に、こちらのページからお申し込みください。 堀裕嗣先生の講演で考える
本年度第6回の教師力アップセミナーに参加してきました。札幌市立北白石中学校の堀裕嗣先生の講演です。「教師力アップの極意」という演題で、力量形成系のお話が中心でした。
堀先生は、「教師力=スキル×キャラクター×チーム力」と定義しました。キャラクターというのは、一人ひとりの個性ということです。必ずしも人間的に優れている必要はありません。それぞれの個性を活かすことができればいいのです。このことは、チーム力と関係してきます。厳しい先生、優しい先生、面白い先生、いろいろな先生がいて、互いにチームとして補い合うことが大切だということです。自分のキャラクターに合った役割を演じればいいのです。学年の中に1人突出した力を持った先生が1人で突っ走ると、まわりの先生が迷惑をする。いくらスキルがあって、子どもたちの人気があったとしても、チームとして一緒にやって、いろいろと教えてくれないとまわりにとってはマイナスの存在になってしまう。チームという発想が大切だということです。私も、チーム力ということは学校経営の視点で大切にしていますが、教師力として考えたことはあまりなかったので新鮮でした。 堀先生のおっしゃることと同じかどうかはわかりませんが、このことに関して思い出すことがあります。私はそんな突出した力を持っていたわけではありませんが、当時の先輩から「君の授業の影で多くの先生が犠牲になっている」ということを言われたことがありました。自分としては子どもたちに学力をつけるために一生懸命に授業をし、かつ工夫もしていたのに、そのように言われたことはとても心外でした。他の先生の力がないだけでないか。そのようにも思いました。しかし先輩が伝えたかったことは、「私が頑張ることで、私の授業でエネルギーを使い切った子どもたちが、他の授業では集中力を失くす」「私の教科の勉強が大変なので、他の教科の手を抜く」、そういうことでした。その時の私は、自分の教科の結果だけを出せればいいという独りよがりだったのです。それからは、自分がかかわる学級については、他の教科とのバランスを意識するようになりました。 キャリアアップを考える時、スキルは自分のキャラクターにあったものを身につけることが大事であると話されます。私は、他の先生の授業から学ぶのに、「芸」に騙されるなとよく言います。ベテランや名人と呼ばれる方の授業には思わず真似をしたくなるような素晴らしいスキルがあります。しかし、それはその先生の個性(キャラクター)と結びついた、「芸」ともいえるものであることが多いのです。そのまま真似しても、まずうまくはいきません。そうではなく、その「芸」の中にある普遍的なものを見つけることが大切です。いろいろな方の素晴らしい授業を見せていただく機会が多いのですが、一見すると全く異なるように見えるスキルでも、根っこは同じであることが多いのです。素晴らしい授業は本質的に共通部分がたくさんあるのです。 スキルを身につけることは大切であるが、それに加えて「ネットワーク」が必要だということを言われます。1人でできることは限られています。1人で手に負えないときには他者の助けを借りることは大切です。そのためには人脈が必要なのです。 そしてもう1つ大切なのは、「人柄の良さ」ということです。本当によい必要はない。子どもや親に人柄が良いと思われることが大切だというのです。相手に聞いてもらえるかどうかは、正しいことを言ったかどうかではなく、人柄がいいかどうかで決まる。この人が言うことだから聞こうという気になるかどうかなのです。 このことについても、思うところがあります。生徒指導が上手い先生には共通点があるのです。子どもを厳しく指導しますが、日ごろは笑顔で子どもたちと接し、子どもたちを認め、子どもたちをよくほめるのです。子どもたちとの人間関係をしっかりとつくっているから厳しい指導にも子どもたちは従うのです。「キャリア=スキル+ネットワーク+人柄の良さ」という堀先生の定義に納得です。 堀先生は、教師に求められる資質は次のようなものだと考えられています。 第一にいつも笑顔でいること。 自分が大人になった姿を想像した時に、希望あふれるイメージを持たせたい。そのためには、子どもたちのまわりに、いつも笑顔、上機嫌で互いに仲のよい大人がいることが大切だと主張されます。子どもたちと先生が一緒に笑い合う瞬間をつくることが大切なのです。 子どもたちが自分の将来を明るいものと思えなければ、大人になることを拒絶します。刹那的な行動に走ります。こんな大人になりたいという手本が子どもたちのまわりにいることが大切になります。私は、地域の方に、大人になるのは素晴らしいことだと子どもたちに思わせるような大人であってほしいとお願いします。堀先生のお話に、そのことと通じるものを感じました。 第二に孤独に耐える力をもつこと。 子どもたちに損をさせないために、孤独に陥ることを恐れずに主張すべきことを主張するということです。損をさせないという言葉には、すこし引っかかるものがありますが、「子どものために」と置き換えれば納得のいくことです。 第三に無駄を大切にすること。 教師の仕事は、ムダになることがたくさんある。やんちゃな子どもの指導は98%がムダに終わる。でもやり続けなければならない。子どもたちと馬鹿げたビデオをつくること自体には何の意味もない、ムダなことに見える。しかし、学年の雰囲気づくりに役立っている。発案者が堀先生だということは、子どもたちは皆知っている。だから、厳しい指導をしても「仕方がない」と思ってくれる。正しいことを言ったかどうかではなく、誰が言ったかの「誰」になることが大切になるのです。 第四に必要なときに馬鹿になれること。 自分がバカになれるかどうかは、相手との関係で決まる。バカになれるということは、相手と仲がいいということ。そういう集団を目指さなければならない。つまらない自意識や、過剰な自意識から解放され、自分を相対化することで、相手との位置関係を正しく認識できる。そうすることで、対立しても落としどころを見つけることができるということです。 第五にいつでも変われること。いまを壊し、新しい自分になることを恐れないこと。 教師は、現状維持が好き。外圧がないと変わろうとしない。そういう殻を破ることが大切だということです。 続いて、現在の学年をどのように運営しているか、これらのことと関連づけながら具体的に話されました。面白いエピソードをたくさん聞くことができました。堀先生は少人数でのコミュニケーションを大切にされています。このことも、とても印象的でした。相手に応じたコミュニケーションを考えると少人数での対応になることは納得がいきます。コミュニケーションの場を作るための工夫もとても参考になるものでした。堀先生と同じことはなかなかできませんが、その考え方を自分に取り入れることはできます。 今回は教師力アップの入り口のお話しでしたが、その根底にあるものに思いをいたらせると、考えさせられることがたくさんありました。よい勉強の機会をいただけたことに感謝します。 「話す力」をテーマに介護関係者向け研修を行う
先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「話す力」がテーマです。相手に伝わるためにどのようなことを意識すればいいのかを具体的な場面に即して考えていただきました。
話すことで一番意識してほしいことは、話せば伝わるわけではないということです。コミュニケーションにおいて話すことが目的ではありません。伝えたいことが相手に伝わることが目的です。そのためには、相手に伝わる言葉を選ぶことが求められます。同じ言葉でも人によって受け止めることが違ってくるのです。このことをいつも頭の片隅に置いておく必要があります。 また、子どもたちへの指示と同じですが、相手がうなずいても本当に伝わっているかどうかはわかりません。 確認が必要になってきます。ただ相手はお年寄りであることを考えて、確認の反応をせかさずに受け止める姿勢が強く求められます。忙しい現場だと思いますがそのような余裕を持ちたいものです。 同じことを伝えるのでも、どのような言葉を使うかによって相手が受ける印象は異なってきます。否定的な言葉は相手の気持ちを否定的にします。できるだけ肯定的な言葉を使うようにしたいものです。「焦らないで」というよりも「落ち着いて」といった方がポジティブな気持ちになります。否定的な言葉で言われると、今まで簡単にできていたことができなくなっている現実を直視させられます。話す側に悪気はなくても、気持ちが暗くなってしまいます。私たちは普段何気なく否定的な言葉を使っています。日ごろから肯定的な言葉を意識して使う訓練をする必要があります。 もう一つ意識してほしいことは、主語です。「Iメッセージ」と「Youメッセージ」です。「Youメッセージ」は柔らかい表現でも、命令的なニュアンスが含まれてしまいます。「言ってください」(Youメッセージ)と「聞かせてください」(Iメッセージ)では、同じことを相手に求めていても受ける印象は変わってきます。また、「Youメッセージ」は上から目線と受け取られることがあります。「すごい、頑張りましたね」は相手をほめているのですが、ほめるということはこちらが評価者になっているということです。立場を上に置いていると思われる可能性があります。現役のころに自分が評価する立場で接していたような若い人に評価されるのは、プライドが傷つくかもしれません。「やった、うれしいな」と「Iメッセージ」で「あなたが頑張ったことがうれしい」というポジティブな気持ちとして伝えると、同じ目線で相手に寄り添っていると感じてもらえます。自分が頑張ったことが相手を喜ばせたと感じることは、自己有用感にもつながります。こういったことを大切にしてもらいたいと思います。 最後に、言葉以外にも相手に伝える手段がたくさんあることを確認しました。具体的な場面を想定して伝える練習をしていただいたのですが、皆さんジェスチャーを入れるなど、言葉以外のコミュニケーション手段を上手に使われていました。さすが、実務経験のある方は違います。私からは、今コミュニケーションを取っている姿が第三者からどのように見えるか意識してほしいことを伝えました。まわりの人がどのように感じるかは場の雰囲気に大きな影響があります。授業でもそうですが、特定の子どもに対する教師の対応が他の子どもたちに影響するのです。 また、どんな場合でも笑顔を忘れないこと、立ち位置や目線の高さも意識することをお願いしました。笑顔で、相手に寄り添うようにして、目線を相手の目の高さに合わせることができれば、それだけで伝わりやすくなるはずです。 研修終了後、簡単に見えるけれどいざやろうと思うと難しいという感想をいただきました。その通りです、こう言えばいい、こうすれば絶対うまくいくという方法があるわけではありません。大切なのは、相手に伝えたい、わかってもらいたいという姿勢で接することなのです。同じ言葉を使っても、そのような姿勢であれば間違いなくより伝わりやすくなるはずです。今回の研修でそのことに気づいていただけたのなら幸いです。 いつものように、職場での実践に基づいた対応を見せていただくことで、私も大変勉強になりました。ありがとうございました。 活動とねらいのずれた英語の授業(長文)
昨日は中学校で授業アドバイスをしてきました。初任者の英語の授業です。1年生の現在進行形の導入の場面でした。
以前に授業を見た時、指示が徹底できていない、子どもが聞く態勢ができていないのに話を始めるといったことが気になった先生です。今回どのような授業を見せてくれるか、期待と不安が混じった状態でした。 子どもたちの英語での挨拶の様子は、たくさんの先生方が観ているので多少緊張気味でしたが、笑顔も見られました。子どもたちとの関係もよいように思います。この日は1月になって初めての授業です。”What’s the date?” という問いかけに、子どもたちは ”January” を思い出せません。起立しているせいか、調べる子どももいません。わかった子どもを指名して答えさせます。すぐにそうだねと確認して、教師の発音を繰り返させました。こういう1問1答が子どもたちの参加意欲を下げてしまいます。「今なんて言ったか聞けた?」「言ってみて」「どう?」とうように、他の子どもたちにつないでいくことを意識してほしいと思いました。 現在形の表現の確認のために、授業者が学校へ出かけて、授業をし、パソコンを使うことを、現在形を使って英語で話します。この時の子どもたちは、全員集中して授業者を見ています。聞き取りたい、理解したいという気持ちが伝わってきます。話し終えた後に内容を確認します。手を挙げる子どもがいません。1人の子どもが思い切って発表してくれました。しっかりと聞き取れていたのですが、その後すぐに授業者が説明をしました。いくら説明されても聞き取れなかった子どもはわからないままです。もう一度聞かせて本当にそう言っていたのか確認をさせなければ、力はつきません。こういう場合、一部分であれば聞き取れた子どももいますから、聞き取れた内容や単語を発表させればいいのです。キーワードが見つかった後、再度聞き取らせれば大きく変わってきます。授業に参加することで、できるようになるという経験を積ませたいところです。 ここで疑問だったのは、この活動で子どもたちにどんなことを伝え、教えたかったのかということです。子どもたちは、単なるヒアリングだとしか意識していなかったと思います。授業者は、現在形は習慣的・日常的な行動を表現することを教えたかったのだと思いますが、その押さえが明確ではありません。子どもたちにはこのことは伝わっていないのです。 続いて授業者が毎日していることをワークシートの英文から抜き出させます。ワークシートは、Ms. ○○ 〔walk / write English / play soccer / speak Japanese / teach English / use her pen / talk with my sister〕every day. となっています。想像して○をするように指示します。子どもたちはまわりと相談したりしながら取り組みます。この課題はいったい何を目的にしたものかかがわかりません。この中から選ぶこと自体は英語の学習とは何の関係もない活動です。〔 〕の中の英文を理解するのが目的でしょうか。だとすれば、そのことをストレートに問えばいいのです。この作業にかなりの時間を割いていますが、英語の授業としてはムダな時間です。 指名してどこに○をつけたか発表させます。そして、”Ms. ○○” に続けて読ませます。3人称単数現在の ”s” を付け忘れました。このことを指摘して修正させます。次の子どももまた “s” を付け忘れました。結局 “s” をつけたのは1人だけでした。原因はどこにあるのでしょうか。授業者は3人称単数現在の ”s” の復習をするつもりだったのかもしれませんが、指示は「選んで○をつけて」です。課題とねらいがずれているのです。せめて、「英文を選んで完成させて」であれば子どもたちの意識は変わったと思います。子どもたちは求められた、英文を選ぶことに意識がいっていたので、英文を作ることが頭から消えてしまっていたのです。3人称単数現在の ”s” の復習が目的であれば、人物のアイコン、動詞のアイコンなどを用意して、その組み合わせで英文を作って発表させればすむことです。 現在進行形との比較のために現在形の確認をするのであれば、文が表現する状況を伝えることの方が大切です。授業者は ”every day” を使って日常の行動であることを意識させようとしましたが、これは危険なことです。”every day” があるから日常の行動を表わすと考える可能性があるからです。現在進行形は “now” をつけた例文を用意しています。現在形、現在進行形の違いではなく、”every day” “now” の違いに目がいってしまうかもしれません。できるだけ、単純な例文で違いを考えさせることが大切です。 現在形と、現在進行形の違いを考えさせるために、先ほどの ”every day” の例文を、動作しながら “now”をつけた現在進行形にして言います。ここで、子どもたちへの指示は、「違いを見つける」です。子どもたちは、何を問われているのかよくわかりません。比較すべき一方の対象である現在形の表わすものが明確になっていないからです。反応がないので別の例文に変えます。一生懸命理解しようとしているのに、次の文に変わってしまうとますます混乱してしまいます。ここで、指名した子どもは「be動詞+〜ing」と答えました。塾で習っているのでしょう。授業者のねらいと全く違う答えが出てきました。この日初めて現在進行形に触れる子どもは何のことかわかりません。しかし、授業者は仕方がないので、発言を受けて「be動詞+〜ing」の説明を始めてしまいました。せめて、「ingって何?先生はingって言ったっけ」とぼけるくらいはしてほしいと思いました。授業者が説明を始めると先ほど答えた子どもはずっと手遊びをしていました。自分はわかっているからもういいという態度です。このことが、この日の授業を象徴していました。子どもが考える場面はほとんどなく、知識のある子にとっては何も学ぶことのない、知識のない子どもは一方的に教えられるだけの授業になってしまっているのです。 ここは、「違いを言葉で説明する」ことよりも、状況に応じて現在形と現在進行形を使い分けられることをねらうべきだったでしょう。例えば、”I eat bread. Do you eat bread?” “I eat nattou. Do you eat nattou?” のようなやり取りをする。続いて、”I am eating bread. Are you eating bread?” “I eat rice. I am not eating rice.” などとして、違いを理解させる。”speak Japanese” “speak English” “speak French” などでもよいでしょう。そして、実際に動作をして、その状況を子どもたちに英語で表現させる練習をたくさんするのです。コントラストがわかりやすい動詞を使って、英語で表現することを通じて理解させる工夫をしてほしいと思います。 続いて、現在進行形の練習をするためにゲームを行います。横の見出しに”Stand” “Read the book”などの動詞句、縦の見出しに ”I” “You” などの主語が書かれた表がワークシートに書かれています。その表の欄にマークをつけます。マークは3種類ありそれぞれつけることのできる数と点数が決まっています。見出しの主語と動詞句を使って現在進行形を作って、ペアで交互に言い合います。もし、その組み合わせの欄にマークが書いてあれば得点になるというものです。 授業者はゲームの説明をしますが、子どもたちはワークシート見ていて顔が上がりません。説明終了後グループの形になるですが、説明を理解できていない子どもが目立ちました。実物投影機が使える環境にないのでちょっとつらいのですが、表の一部だけでも板書するか、拡大コピーを貼るかして、子どもたちが顔を上げる状態にする必要があります。また、活動の指示は、実際にやって見せるのが一番効果的です。余計な説明をせずに、見せるだけで子どもたちはしっかりと集中します。ちょっとしてことですが、こういうことが大切です。 ゲーム終了後、得点を聞きます。ここで気をつけなければいけないことは、英語の力と得点に何の相関関係もないということです。たまたま選んだところと文の組み合わせが一致したかどうかだけで得点は決まります。評価とねらいがずれています。こういう活動は学習が定着しません。やるだけ時間のムダなのです。このことは、次の場面で顕著になります。 授業者は、今度は書く練習をしようとねらいを示してから次の課題に移りました。授業者の動作を英文にして書くというものです。授業者は教室内を行ったり来たりします。しかし、子どもは何を書けばいいのかよくわからない表情です。授業者は ”walk” のつもりなのですが、子どもは理解できません。なぜなら、”be walking” を示す動作が恣意的だからです。初めて学習する場面では、表現と動作はできるだけ1対1である必要があります。ある時は横に移動する、ある時は行ったり来たりすれば、違った表現をするのかと思います。実際に ”walk” “walk around” などと区別する場面もあるからです。また、書くことがねらいならば、英文は100%作れる状態にしておかなければ、手の着かない子どもがどこでつまずいているかわからなくなります。 書く練習と言いながら、発表は口頭です。スペルを確認はするのですが、このずれが気になります。ここで、発表した子どもは、be動詞を落としました。先ほどのゲームを使った練習では定着していなかったことがわかります。修正した後、次の発表者もまたbe動詞を落としました。このことがこの授業の問題点を浮き彫りにしています。常に活動とねらいがずれてしまっているのです。 先ほどのゲームでは、子どもたちの意識は主語と動詞句の組み合わせに目がいきます。それで点数が決まるからです。表には主語と動詞句が英文で書かれています。最初の課題と同じく、英文で書かれているのでそのまま使うことを考えてしまいます。ワークシートの表を見ながらしゃべるのですから、書かれた英文をもとにしゃべります。動詞を現在分詞にしても、書かれていないbe動詞は落ちてしまうのです。こういうことを避けるためにも、アイコンを使うことを勧めます。アイコンであれば、そのアイコンが示す状況を英文で表現しようという意識が働きます。このことが大切なのです。 ゲームでのもう1つの問題は、ペアで言い合うだけなので、修正機能が働かないことです。子どもは、主語とどの動詞句を選んだかにしか意識は向きませんから、正しい表現でなくてもスルーしてしまいます。英語としての正しい評価がない活動だったのです。グループやペアでの活動はこのことに注意をする必要があります。各人にバディをつけて、間違いをチェックしたり、わからない時に助けたりする役割を与えるとよいでしょう。終わればどこがよかった評価する。こういう役割が必要なのです。活動の前に、チェックポイントを板書などで明確にして、バディに意識させます。当然自分がやるときにはそのことを意識できるようになります。 書くことに関して、”write” は “writing” 末尾の “e” をとって ”ing” をつけることを ”Ms.○○ is writing English.” で説明します。このことは、最初に ”ing” の例文を板書した時に押さえておく必要があるでしょう。”ing” の登場と説明が離れすぎているのです。 授業後の検討会で、授業者は「授業規律ができていない。(コーラスリーディングで)口を開いていない子がいた。何度も同じ間違いを子どもがするのであれば、自分が10分ほど説明して練習に時間をかけた方がよかった」と反省しました。私は、この言葉を聞いて安心しました。自分の授業の問題点をしっかりと理解できているのです。子どもたちに考えさせようとしていたから、自分が説明した方がよかったという言葉が出てくるのです。進歩するために大切なのは、自分の現状を正しく把握することです。次のステップはその問題を解決するためにどうすればいいかを考えることです。この授業者が苦しんでいるのは、その具体策を見つけることができていないからです。だから、「自分が説明すればよかった」という言葉が出てくるのです。できるだけ具体的にアドバイスはしましたが、日常的に相談する相手が必要です。歳の近い先生が何人かいますので、自分から声をかけてほしいと思います。子どもたちとの関係は決して悪くはありません。今はまだ先が見えなくて苦しいかもしれませんが、前向きな気持ちで授業に取り組めばきっと大きく成長できると思います。また授業を見る機会を楽しみにしたいと思います。 反転授業について考える
ICTを活用した反転授業が話題になっています。
家庭で事前にビデオを見て予習し、学校ではその学習をもとに、問題を解いたり、個別指導をしたり、わからないことを教え合ったりするというものです。わからない子どもはビデオを何度も見直すことができるので、自分の理解のペースに応じた勉強ができる。学校では、講義をしないので、できない子どもに教師が個別指導をすることができ、問題演習の時間も確保できる。 何かを期待させる新しい発想に思えるのですが、根本的に引っかかることがあります。ビデオの授業はできの悪い一斉授業と同じく、一方的に教えるものです。もちろん思考を促す場面や問いかけなどはあるでしょうが、基本は子どもの状況にかかわらず一方的なものにならざるを得ません。もちろん何度も見ることでわかるよさはありますが、そのような授業で子どもが理解できるのであれば、教室で同じ講義をすればよいということです。いやいや、理解できない子どももいるかもしれないが、講義の時間がない分、学校で理解できない子どもに対応する時間を確保できるからよいのだという反論も聞こえてきそうです。その根底にあるのは、時間をかければ子どもに力をつけることができるという発想です。何度も述べていますが、小規模の学校では個別指導の時間が多く取れます。だからといって決して学力が高いという結果は出ていません。たとえ講義の時間がゼロになっても、教師が個別指導で何とかできることは限られています。かけた時間よりもその内容が問われるのが授業なのです。 また、一方的に教師が教えて、その内容を演習するのが授業だという発想も感じられます。例えば分数の割り算の考え方は教師が教えることなのでしょうか。そうではなく、割り算の意味、分数の意味をもとに子どもが自分たちで考えながら理解していくことが重要だと思います。知識として一方的に与えるようなものではないと考えます。 もちろん教えなければならないことはたくさんありますが、1時間の学習で一番大切な内容は、子どもたちの手で見つけていくことが大切だと思います。となれば、反転授業で予習をするのはいったいどんな内容になるのでしょうか。子どもは常に受け身で教えられるだけの存在になるのでしょうか。子どもを目の前にしての授業でも、全員に考えさせ、理解させることはとても難しいと感じています。反転授業で考える力をつけることはできるのでしょうか。 このような疑問や不安がたくさんわいてきます。まだまだ始まったばかり(日本では)の試みに対してネガティブなことを言うのは、あまりほめられた態度ではないことはよくわかっています。しかし、どうにも気になってしょうがないのです。私の考えていることなどは織り込み済みで、素晴らしいものがつくられつつあるのかもしれません。実際のところを見せていただく機会を得たのち、再度話題にしたいと思います。 何を訓練、努力させるか
教育には訓練の要素があります。実際に何度もやることで身につくことはたくさんあります。地道な努力が必要と言い変えてもいいでしょう。私たちは、努力は美徳で、努力していることを評価しようとします。しかし、何を努力するかについてはあまり問わないような気がします。このことについて少し考えてみたいと思います。
スポーツは訓練の要素がとてもわかりやすいものです。足を速くするのに、ただ走り続ければいいのでしょうか。シュートが上手くなるにはシュートを打ち続ければいいのでしょうか。そうではありません。フォームを意識して正しいやり方で訓練することが必要になります。そのために、コーチが必要になります。シュートが上手くなるためには、フォームだけではなく、筋力も必要です。そのためにはシュートを打つよりも筋力トレーニングをした方が効果的かもしれません。何をするかがとても大切になります。スポーツはこのコーチングの理論が非常に発達しています。授業の上手な先生が体育に多い理由の1つに思えます。 ところが、国語や算数などの授業ではこのことが明確にされていないように感じることが多いのです。「本読みをたくさんしなさい」で、本当に学力がつくのでしょうか。例えば、分かち書きの段階であれば、「空白で間を取る」「読点ではもう少し大きな間を取る」「句点では、もっと間を取る」、学年が進んでいけば、「登場人物の気持ちが伝わるように読む」「会話と地の文の違いがわかるように読む」といった、何を意識しなければいけないかを明確にしておかなければ、ただ読んだだけでは大して力がつかないのです。また、1つのところに留まり続けるのではなく、次のステップを意識することも大切です。九九を何秒で言えるかという訓練も必要ですが、ある程度の速さ(60秒くらい?)になればそれ以上を追求するのは無意味です。それよりも、フラッシュカードなどでランダムに出されたものを言えるようにするという次のステップに早く移行すべきです。ステップごとのゴールを明確にし、達成後のステップを示すことが大切です。子どもの学力をつけるために、何を訓練し努力させるべきか、その過程を含めて明確にすることが求められるのです。 もう1つ大切なのが、教師が訓練すべき内容、努力すべきことを指示するだけでなく、子どもたちに自分で工夫をするように仕向けることです。いつも指示された通りにするだけではより大きな成長はできません。指示されたこと以外に何をすればいいのか、時には他にもっとよい方法がないかと考える姿勢を育てる必要があります。小学校の高学年あたりからは、このことを特に意識してほしいと思います。「○○ができるようになるためには、どんなことをすればいいと思う」といった問いかけや、「○○ができるようになったけど、どうやったの」と、努力の内容を共有化する場面が必要になります。 子どもたちを訓練する場面、努力を求める場面はたくさんあります。単に「○○しなさい」「がんばりなさい」ではなく、何をどのように努力すればいいのかを明確に示してほしいと思います。 グループ活動が有効な場面
グループ活動を取り入れている授業によく出会いますが、どの場面でどのようなグループ活動を使えばいいのかという質問をよく受けます。また、課題はどのようなものであればいいのかといったこともよく聞かれます。グループ活動については何度も取り上げていますが、今回は、グループ活動の有効な場面、活動の質や内容、課題について簡単にまとめてみたいと思います。
まず前提として、グループ活動を行うためには子どもたちの人間関係がある程度できていることが必要です。そもそも互いに聞き合うことができない状態であれば、グループ活動は成り立ちません。 簡単ですが意外と行われていないのが、「個人作業のグループ化」です。算数や数学の問題を解くといった、個人で問題を解く、作業する場面での活用です。手の着かない子ども、わからない子どもは1人でじっと凍っています。そこが教師の出番だと個人指導をする傾向がありますが、そのような子どもが複数いれば1人にかかわっている間、他の子どもは凍ったままです。授業時間内での教師の個人指導には限界があるのです。そこで、「わからなかったり、困ったりしたら友だちに聞いてもよい」とすることで、止まっていた子どもの活動を促します。自分で考えさせなければいけないと考える方もいますが、教師が教えるのはよくて、子どもが教えるのはいけないということはありません。わからなくてじっとしているより、積極的に友だちに聞ける子どもに育てることが大切です。ここで注意をしてほしいのは、聞かれてないのに勝手に教えないというルールを守らせることです。自分で考えたい、聞きたくないのに勝手に教えられると嫌になってしまうからです。 解き方をできるだけたくさん見つけるといった課題で行う、「グループで補い合う」活動は自分とは違った視点や考えを受け入れるよい機会となります。子どもは1つ見つけるとそれで満足します。いくつ以上、できるだけたくさんとすることで、考え続けることが必要になります。できる子どもでも、いくつかの視点を持てないと行き詰ってしまいます。自分はできたからもういいと思っている子どもにも、友だちの考えを聞く必然性が生まれます。 先ほどの、「グループで補い合う」という活動と似ていますが、「友だちの気づきの根拠や過程を共有する」活動があります。気づいたこと、見つけたことを互いに伝え合う活動ですが、「資料のどこで気づいたかを共有する」、観察で「見つけたことを聞き合って、もう一度各自で確認する」など、気づいた結果だけでなく、根拠や過程を共有するのです。根拠や過程を共有することで視点が増え、資料や対象物から読み取る力がついていきます。 一部の優秀な子どもがすぐに答だしてしまい、上から目線で他の子どもに教えるような活動は好ましいものではありません。それに対して、なかなか答えが出ない、よく言われるジャンプの課題で行う、「課題解決の過程を共有する」活動があります。思いつきや試した結果などの情報を共有しながら、課題解決の糸口を見つけ、その過程を共有するのです。解決の糸口を見つけるための活動の幅が広い課題が理想です。個々に試せるものが多いと共有する情報が増え、グループ活動の必然性が出てくるからです。 グループ活動の後など、全体で話し合った結果、焦点化された課題や意見が分かれた課題をもう一度グループに戻し、「深く追究する」活動があります。課題が焦点化されているのでより深く考えることになります。意見が分かれ対立していれば論点が明確になり、考える必然性もあります。全体の場では考えを整理しなければ発表できませんが、グループに戻すことで、ちょっとした思いつきであっても気軽に話すことができ、活発な活動が期待できます。 英語や体育などの技能教科ではバディと組み合わせた、「サポートし合う」活動があります。ペアでの英会話で、詰まったり間違えたりしたらそれぞれのバディが助け、よかったところを評価するといったものです。実技の場面で有効な活動です。 これですべてというわけではありませんが、このような視点でグループ活動をとらえると、実際の授業でグループ活動を導入しやすくなると思います。 家庭学習について考える
子どもたちに家庭学習の習慣がついていないということがよく言われます。保護者からは家庭学習をさせるために宿題をだしてほしいという声が聞こえてきます。家では勉強しないので塾に行かせるという家庭もあります。一方教師は、宿題という形ではなく、自分で予習や復習、学校の授業以外の学習に取り組んでほしいと願っています。家庭学習の問題はどのように考えればいいのでしょうか。
こうすればうまくいくというものはないと思いますが、一番の問題は子どもたちにとって家庭での学習が楽しくない、勉強は苦痛だと思っていることではないでしょうか。少なくとも携帯ゲームなどよりは魅力のないものだということです。与えられた作業を受け身でこなすことが学習であるならば、それも致し方のないことのように思います。宿題をたくさん出しても、受け身の時間が増えるだけで、勉強嫌いを増やすことになりかねません。教師はそのことを知っているので、宿題を出すことにはあまり積極的にならないのです。とはいえ、何も課題を与えなければ子どもたちは家庭で学習をしないので、算数や漢字のドリルや問題集を与えて宿題にしたり、自主的な学習課題としたりします。たとえ自主的であっても、結局は与えられた課題をこなすことには変わりありません。学習が楽しいものにはなかなかならないのです。 では、学習を楽しくするにはどのようなことが必要なのでしょうか。1つは自ら興味を持って取り組むことです。興味を持ってより深い知識を得たり、自分で課題を解決したりすることが学ぶ楽しさにつながります。そのためには、日ごろの授業の学習課題が子どもたちに興味を持たせるようなものであることが必要です。もっと知りたい、もっと学びたいという気持ちにさせることが求められます。ここで問題になるのは、子どもたちが興味を持っても、どのようにすれば家庭で学べるかという学習の方法を知らないことです。せっかく授業で興味を持たせても、これでは家庭学習につながりません。その方法を教えることが必要になります。例えば理科や社会であれば、関連する資料や書籍を紹介する。算数であれば、発展的な課題を提示する。そして、何を使って、どのように学習するのかを具体的に伝えることをするのです。このようなことを教え続ければ、次第に自分なりの学習スタイルを見つけることができるようになります。 そして、もう1つ大切なことは、子どもの自主的な学習を評価することです。教室では意図的にそういう場面をつくるようにします。もちろん、保護者が家庭で評価することも大切です。自主的に取り組んだことが評価されることで、より学習意欲が高まります。評価されることで、学習がより楽しくなるのです。 家庭学習の習慣をつけることはそれほど簡単ではありません。ここで示したやり方をすればうまくいくという保証はありませんが、少なくとも「勉強しなさい」ではないアプローチを工夫してほしいと思います。 年末年始のお休み
1月5日までお休みをいただきます。
日記もお休みをいただき、1月6日(月)より再開いたします。 今年も1年おつきあいをいただき、ありがとうございました。 「楽しく授業研究しよう」第10回公開相関と因果の違いを意識する
学校で行ったアンケートなどのデータを見せていただく機会がよくあります。この時気をつけているのが、相関と因果の違いです。
例えば先日の新聞にあった「だらだらネット成績ダウン」という記事は、全国学力学習状況調査をもとに、ネットを長時間使う生徒は正答率が低かったという事実を報道しているのですが、ネットの利用時間と正答率に(負の)相関関係があるというだけであって、ネットを利用したから正答率が低いという因果関係があるかどうかまでは根拠しているデータからは言えるわけではありません。そもそも勉強が嫌いだからネットをたくさん利用したのかもしれません。ネットを利用しなければテレビを見ていたのかもしれません。学習時間と正答率、学習時間とネット利用の関係を調べて、学習時間が多ければ正答率が高く、同じ学習時間でもネットをよく利用する子どもの正答率が低いというような結果がでれば、どうもネットの利用は正答率に悪い影響を与えるようだということになります。同じ学習時間であれば、ネットの利用にかかわらず正答率が変わらないのであれば、ネットではなく学習時間が少ないことが原因と言えそうです。 相関関係を深く考えずに因果関係に置き換えてしまい、その結果もっともらしい結論が見えてくると、ついそれに飛びついてしまいます。このようなことがないように、因果関係が言えるためには他にどのような条件やデータが必要かを考える習慣を持つことが大切です。 先ほどのネット利用と正答率の関係は、ネットのない時代のテレビの視聴時間と学習成績の関係と同じような傾向があるのではないかと思います。子どもたちは、学習よりも目先の面白いものに時間を使う傾向があり、そのような子どもは学習成績がよくないということでしょう。このことを裏付けるデータを持っていませんが、もしそうであれば、ネット利用を制限することが正答率を上げることにつながるかどうかは、ネットの利用時間が減ると学習時間が増えるかどうかに依存するわけです。ネットの利用を制限しても、学習以外のことに時間を使うならばあまり意味はないということです。正答率に寄与する要因が何かを見極める必要があるのです。 もしネットと学習成績に因果関係があるかどうかを知りたければ、そのことがわかるためのデータを集める必要があります。学校のアンケートも相関関係を知りたいのか、因果関係も意識するのかでその質問項目やデータ処理の仕方が変わってきます。相関と因果関係を混同せず、その違いを意識して情報を集め、分析するようにしたいものです。 若い先生方の成長について考える
仕事の関係で若い先生方にアドバイスする機会がたくさんあります。若い先生方をひとくくりにしてどうこう言うことは乱暴なことですが、感じることを少しまとめてみたいと思います。
・目指す教師像、授業像がはっきりしない 何を目指して教師になったのかを聞いても明確な答えが返ってこない。強い思い入れも感じない。授業に関しても、目指す子どもの姿が具体的になっていない。 ・意外に素直 なかには表面的に聞き流す人もいるが、総じて指摘されたことは素直に受け止めてくれる。愚直に指摘されたことをやり続ける人の伸びは大きいが、ちょっとやってみてうまくいかなければそれで止めてしまう人も多い。 ・コミュニケーションが表面的 同僚とそつなくかかわるが、ぶつかり合うほど深くはかかわろうとしない。他者から盗むことや、互いに学び合うことができない。仕事上で苦しいことがあっても、自分一人で抱え込んでしまう。 ・考えることが苦手!? 授業を振り返ってどうすればいいのか問いかけても、なかなか自分で答を見つけることができない。答を教えてくれるのを待つ傾向が強い。ネットなどを使って指導案などを手に入れることはするが、自分で考えてアレンジすることが上手くできない。 ・表面的な学力しかない たとえ自分の専門教科であったとしても、教科でつけるべき力は何か、見方・考え方は何かといった教科の本質に迫る部分がわかっていない。与えられた問題を解くことばかりをしてきたように感じる。教科書を見ても、なぜこの問いがあるのか、なぜこの資料が取り上げられているのかといったことを考えようとしない。 だからといって、私がどうこうできるわけではないのですが、いくつか心がけていることがあります。1つは具体的な場面でどうありたかったのかを引き出し、では具体的にどうすればいいのかを一緒に考える。もう1つは、アドバイスを受けて変化したところがあったら、たとえ上手くいっていなくても変わろうとしていることを評価する。そしてあと1つ、困っていることを聞かせてもらい共有することです。 しかし、このようなことを意識して接しても、教科の本質にかかわる力はなかなかついていきません。個々の授業技術や子どもたちとの人間関係づくりといったものは着実にできるようになっていくのですが、こればかりは一朝一夕で身につかないようです。具体的な授業場面で話をしても、それは点でしかありません。一つひとつの教材すべてについて話をすることも不可能です。本人がいつもこのことを意識して教材研究を行い、時間をかけて地道に学び続けるしかないようです。ただ、もう1つとても有効な方法があります。それは、教材研をみんなで行うことです。特別な授業ではなく、ふだんから同僚と授業について話し合うことで、確実に力をつけることができます。とはいえ、学校現場を見ていてこのことが一番難しいようにも思います。授業について話し合う時間が現実にはなかなかとれないのです。若い先生が育つための環境も厳しいのです。 若い先生方の成長には、まわりの働きかけがとても大切に思います。昔のように自分で盗んで成長しろということは通用しません。かかわる先生方一人ひとりが彼らの成長を意識して接することをお願いしたいと思います。 算数・数学では、答がわかってからが大切
算数・数学の授業では答がわかることがゴールのように思っている子どもが多いように思います。そうではなく、答がわかってからが大切であることを教える必要があります。
自分の答が正解だった子どもは、自分はこの内容を理解できていると思います。しかし、本当に理解できているかどうかは、誰しもが納得できるような説明ができるかどうかでわかります。ですから、正解だった子どもたちに対しては、説明を求めることが重要になります。一方、不正解だった子ども、わからなかった子どもは解答を写して正解を得ることで、わかったような気になって満足します。そうではなく、自分が不正解だったところはどこか、わからなかったのは何がわかっていなかったかを意識させる必要があります。消しゴムは使わせずに、赤で間違えているところを直す、足りないところを書き加えるというように、間違いを残しておくことが大切です。教師が間違えたところをたずねたり、どこで困ったかを確認したりして、何が大切かを共有させることが求められます。正解そのものよりも、どうすれば正解か導けるか、どこに問題解決の糸口があったのかを考えることが大切なのです。再現性と言ってもいいかもしれません。似たような問題に出会った時に解ける力をつけることです。これは、正解だった子どもたちに対しても意識させる必要があります。たまたま解けた、解き方を知っていたから正解だったではダメなのです。 よく例に挙げるのが、図形の問題で補助線が必要になる場合です。解答は、補助線を引くところから始まります。しかし、一番大切なのは「補助線を引こうとすること」「どこに、補助線を引くか」です。解答を見ていくら納得しても問題を解けるようになりません。答がわかってからが大切なのです。 実はこのことは、自分で勉強できるようになるために特に必要な力です。問題集などを使って勉強する時、問題を解いたあと解答で確認をします。しかし、問題集の解答には先ほど説明した、問題解決の糸口は書かれていません。もちろん解説などが書いてあるものもありますが、自分で考えて自分なりのやり方を身につけていくことが大切です。解答を見て納得して終わりではなく、どうすればそのような解き方に気づけるのか、どこに注目すれば解決の糸口が見つかるのかを考えることが必要なのです。解答を見た時から解く力をつけることが始まるのです。このことを、日ごろの授業を通じて子どもたちにしっかりと意識させることが求められるのです。 青少年健全育成会議で考える
先週末に、学校評議員をしている中学校区の青少年健全育成会議に参加させていただきました。
いくつかのグループに分かれ、それぞれの地区での子どもたちの様子の情報交換をする時間がありました。私はこの市の住人ではないので、もっぱら皆さんのお話を聞く側でした。その中で印象的だったのが、親が子どもに無関心な家庭についての話でした。 子どもたちがお菓子を買ってその場で食べ散らかしている。その子たちの話を聞くと、親から食費としていくばくかの小遣いをもらって、そのお金でお菓子を買って食べているというのです。子どもの食事に親が関与しないのです。また、問題行動を起こした子どもの多くは、家族で一緒に食事をしたことがないということも話題になりました。そういう家庭のあることはもちろん知っていますが、具体的に聞かされると、やはり重いものがあります。そのような家庭で育った子どもが必ずこうなるなどと軽々しく口にすることはできません。しかし、苦しい、悲しい思いをすることは他の子どもと比べて多くなることでしょう。子どもは親を選べません。そのような子どもたちにまわりにいる私たちは何ができるのでしょうか。関心を持つことや声をかけることはできますが、親の代わりとなることはできません。地域の大人としてできることは何なのか、難しい問いを投げかけられました。私が発言できるようなことは何もなかったのですが、このことがしばらく頭から離れませんでした。 そのような子どもたちでも、学校には通っています。学校という場でどれだけ居場所をつくることができるのか、自分が掛け替えのない大切なものだと感じる機会を与えることができるのかが問われているように思いました。「あなたがいてくれてよかった」というメッセージを子どもたち一人ひとりに伝えることも、学校の大切な役割なのだと改めて思います。 多くの大人が愛情を持って地域の子どもたちを見守っていますが、その接点も限られています。そのような接点をつくることが地域と学校の連携なのかもしれません。地域の大人たちが子どもの活躍できる場を用意する。学校がその場へ多くの子どもたちを誘う。このようなことが求められているように思います。 私たちの力で個々の家庭を変えることなどはできることではありません。だからこそ、些細なことでいいので、子どもたちに寄り添い支えるために何ができるかを考えなければならないと強く思いました。 全員参加の視点
子どもたちの発言を大切にしている授業では、子どもたちが活発に挙手する姿が見られます。この時気になるのが、全員が参加しているのかということです。全員参加という視点で、少し授業を考えてみたいと思います。
同時に発言するのは原則1人です。他の子どもたちがその発言を聞いて考えることをしなければ、その時間は参加していないということです。子どもが発言して、その発言を最終的に教師が説明したり、まとめたりするのであれば友だちの発言を聞く必要はありません。自分が発言することが目的化します。自分の考えを発言したい、教師に聞いてもらいたいだけになります。友だちの発表を聞くことができて、初めて全員が参加しているのだという意識を持つことが大切です(「子どもが友だちの発言を聞かない理由」「友だちの発言を聞く意欲を高める」参照)。 子どもの発言に対して、「同じ考えの人手を挙げて」「納得した人」「なるほどと思った人」とつなぐことで、発言しなかった子どもにも参加を促します。手を挙げることだけでも立派な参加です。ここで注意をしてほしいのは、手が挙がらなかった子どもです。「考えが異なる」から手を挙げなかったのでしょうか。それとも、参加する意欲がないから、指名されたくないから手を挙げなかったのでしょうか。いずれにしても、手を挙げなかった子どもも参加させる必要があります。「あなたの考えを聞かせて」「どこが納得できなかった」と挙手しない子どもも指名するのです(挙手しないのも意思の表れ参照)。 全員参加をさせるためには、全員に自分の立場をはっきり持たせることが有効です。野口芳宏先生の言うところの「選択的発問」です。「・・・が正しいと思う人は○、正しくないと思う人は×をノートに書きなさい」というものです。○か×かのどちらかですから、全員に自分の立場を持たせることができます。その上で、挙手をさせると必ず手を挙げることになります。自分の立場ができると、人の意見も聞こうとするようになります。全員参加の優れた方法です。 子どもの発言を大切にしようとした時、挙手した子どもだけを指名して進めると、一部の子どもだけで授業が進んでしまいます。全員が授業に参加しているか、どうすれば全員が参加できるのかということを意識して授業を組み立ててほしいと思います。 私立中高一貫校の校長とお話
私立の中高一貫校の校長と授業改善に関するお話をしてきました。
積極的に学校改革を進めている方です。まずは挨拶をきちんとするといった日常生活の基本から手をつけられたそうです。以前に訪問した時と比べて、すれ違う子どもたちがきちんと挨拶をしてくれます。表情も心なしか穏やかになったように感じられます。校長の特別授業などでも、子どもたちの聞く姿勢がよくなっているそうです。そこで、来年度は改革の力点を授業改善に移したいと考えられ、今回私がお話をさせていただくことになりました。 子どもたちが受け身でなく、自ら学ぶような授業に変えていきたい。子どもたちが興味を持って活動するようにしたい。ICTも積極的に活用したい。そういう校長のビジョン(思い)に共感する中堅・若手もいるようです。お話をうかがって、ポイントは大きく2つあるように思いました。 1つは、この校長のビジョンをどのように学校全体で共有するか。もう1つは、そのような授業を実現するための具体的な方策をどのようにして身につけるかです。 1つ目に関しては、言葉だけでは一人ひとりのイメージするものがずれる可能性があります。できるだけ具体的な授業、子どもの姿で共有しなければなりません。そのためには、まず校内で少しでも目指す姿を実現することが必要になります。このことは2つ目とも関連してきます。幸いにも校長のビジョンに共感する教員がいますので、まず彼らを中心に授業改善を進めます。そして、その授業をもとに学校全体でビジョンを共有し、具体的な方法も合わせて学び合うようにするのです。 公立の学校と比べて教員の異動が少ない私立です。長期的な視点に立って計画を立てることができます。上手くいくようになれば、それを維持することはさほど難しくありません。慣性力が強いのです。逆に、このことは変化させるためには大きな力が必要だということです。異動が少ないということは、変わろうとしない方を簡単に排除できないということでもあります。改革を成功させるためには、目指すものを全員にしっかりと浸透させるために大きなエネルギーが必要なのです。 この学校と今後どのような形でかかわるかは未知数ですが、私立だからこその授業改善の方法を提案できればと思っています。 道徳の模擬授業から多くを学ぶ
先日、愛される学校づくり研究会に参加してきました。前半はICTを活用した授業検討法の研究です。今回は会員による道徳の模擬授業をもとに授業検討を行いました。
「二通の手紙」という読み物教材です。随所に授業者の工夫がありました。道徳では資料を読み取ったあとが勝負です。子どもたちに資料を読ませて内容を理解させるよりも、教師が範読して進める方が効率的です。とはいえ、そこそこの長さの教材であればそれでも時間がかかります。授業者は、登場人物の関係をわかりやすく板書し、だれのことか板書を指さしながら読みます。そして、必要ないところは思い切って端折り、ポイントとなるところは詳しく説明します。軽重をつけて短い時間で内容を理解させました。話の骨子は次のようなものです。 動物園でずっと働いていて、退職後も再雇用された元さんは、入園時間を過ぎてやってきた姉弟を規則を破って入園させます。子どもたちが閉園時間になっても見つからず、騒動になります。無事に見つかるのですが、その後元さんのもとに二通の手紙が届きます。一通は子どもたちの母親からの感謝の手紙、もう一通は解雇通知です。その手紙を読んで、晴れ晴れとした表情で元さんは退職しました。 最初の課題は、元さんの気持ちを想像して書かせるものです。子ども役の間を回り、声かけをしながら○をつけます。「おお、疑問があるんだ」「価値観ねぇ」と他の子ども役に聞こえるように声に出します。ここでは、できるだけ多様な意見を出させたいところです。いろいろな視点をわざと聞かせることで、子どもたちの考えを広げます。書き終った後、全員に起立させます。まず全員を動かし参加させるのです。友だちの意見を聞いて、同じ意見、近い考えの人は座ります。このやり方には引っかかるものがあります。似たような意見を一つのものとしてしまうと、一人ひとりの考えの微妙な違いが消されてしまうからです。中には似た意見であっても、ここが違うと発表してくれる子ども役もいます。この進め方をどう評価すべきか悩みながら見ていました。全員が座った後、発表しなかった子どもに、みんなの意見を聞いて感じたことを問いかけます。同じ意見で発言できなかった子どもにもちゃんと参加する機会を設けています。この場面は、いろいろな意見を聞きながら考えを深めたいというよりも、代表的な意見を素早く出させることで子どもたちの考えを早く焦点化したかったということです。ここでは時間をかけずに、次の課題に早く向かわせたかったのです。つまり、この課題はまだ主たる課題ではなかったということです。 授業者は「二通の手紙」の二の横線を一本消して「一通の手紙」としました。「なるほど、こういうことか」と感心しました。「もし、母親からの感謝の手紙がなくて、解雇通知だけでも元さんは晴れ晴れとした顔になっただろうか」と問いかけます。○か×か書かせます。予想通り子ども役の意見は大きく分かれました。見事に揺さぶられたのです。授業者は、母親からの感謝の手紙に寄り添った意見が子どもたちから多く出るので、このような発問を考えたそうです。こうすることで一気に子どもたちは深く考えるのです。 資料は、この事件の何年かのち、元さんの部下だった佐々木さんが、自分の部下が入園時間を少し過ぎてやってきた高校生を入れてあげようとしたのを止めたところから始まっています。授業者は、佐々木さんが高校生を入園させなかった理由を、最後に想像させました。この問いであれば、子どもたちは「佐々木さん」とは言っても自分に置き換えて考えるでしょう。道徳のねらいである、自分に引き寄せて考えさせる問いになっていると思います。授業者は「心に汗をかく」という言葉で、道徳の授業を語っていました。心に汗を書かせるためには、心が動かなければなりません。「一通の手紙」だったらという問いかけが、まさに「心に汗をかかせる」発問でした。 この資料は、規則を守ることの大切さを強調したいがために、佐々木さんが規則を守らせる場面を無理に入れているようにも感じました。子どもたちに、自分により引き付けて考えさせたいのなら、「あなたが佐々木さんなら部下を止めるか」という発問もあったように思います。また、「一通の手紙」を母親からの感謝の手紙だけにするというのも、あるかもしれません。 いずれにしても、読み物資料を使った道徳の授業のあり方を考えさせてくれるとても面白い授業でした。 授業検討会は、授業検討法を考えるためのものだったので、時間の関係もあり深く話し合うことができませんでした。もし、純粋に授業検討を行えば、とても多くのことを学べたと思います。ちょっと残念でした。皆さんが授業を見て興味を持った場面は、○つけでの声かけの仕方、全員を起立させた場面、「一通の手紙」としたところなど、どれもポイントとなるところばかりでした。ICTを活用した授業検討法の可能性を確信することができました。この検討法に興味のある方は、ぜひ「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」にご参加ください。 後半は、フォーラムの前半「劇で語る! 校務の情報化 パート2」のシナリオの検討でした。関西地区の現状を聞かせてもらい、より参加される皆さんにとって有意義な内容にしようとブラッシュアップを続けています。こちらも楽しみにしていただける内容だと思います。 互いにたくさんのことを学び合い、学んだことを多くの方に対して発信している研究会です。この日もたくさんの収穫のあった研究会でした。 「教師力アップセミナー」の来年度講師選定
先日、教師力アップセミナーの運営委員会で来年での講師の選定を行いました。
話題になるのはどのような内容が今の学校現場で求められているかです。例えば算数に関連して、素晴らしい教材や課題を活かした授業を紹介することで、参加された方に勉強になったと思ってもらえても、その方々の毎日の授業がよくなるのか。それよりも、教科書をどのように活用して授業を作っていくのか、そういう基本を押さえることが大切ではないのか。そのようなことが話されました。ある程度の力がある教師であれば、素晴らし授業から学んだことを自分の授業に活かすことができます。しかし、教科書の何がポイントかもよくわからない少経験者がそのような授業に接してもそのよさを自分の授業に取り入れることはまずできません。真似をしても失敗するだけです。いやそれどころか、自分には無理だと最初からあきらめてしまうかもしれません。野中信行氏の言うところの「ごちそう授業」と「味噌汁、ご飯の授業」です。今回算数では、「教科書をベースに毎日の授業をどのようにしてつくっていけばいいのか」という視点でお話しいただける方をお願いしようということになりました。 また、学級経営の筋道や子どもたちとの人間関係づくり、授業での子どもたちとの接し方など、教師としての基本的な部分を底上げするような講演をたくさん企画しました。もちろんごちそう授業も用意しています。これから手分けしての講演依頼が続きます。お願いする先生方からよい返事がいただけることを願っています。 来年度の講師陣については2月にはご報告できると思います。ご期待ください。 コミュニケーションにおける「聞く力」をテーマに介護関係者向け研修を行う
先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「聞く力」がテーマです。いつものように、実際の場面に即して一緒に考えていただくことで、互いに学びを深めていこうというものです。
前回の復習もかねて、笑顔で接することと合わせてうなずくことを大切にしてほしいことを伝えました。うなずくことは相手のことを受容しているというメッセージです。「あなたの言うことを聞いています」「あなたのことを見ています」「あなたのことを受けて止めています」「それでいいんですよ」といったことを伝えてくれます。相手に物を頼まれた時、相手が行動に不安を覚えてこちらを見た時、相手が名前を間違えて呼んだ時、このような場面でどのように対応すればよいか考えていただきました。 コミュニケーションは互いに伝え合うことが基本です。相手に自分のことを理解させようという姿勢では互いにぶつかり合ってしまいます。互いに相手を理解しようとすることからスタートします。聞くことから始まるのです。聞くことは、相手を受容し、理解しようとする行為です。相手が受容してくれるからこそ、安心してこちらも話すことができるのです。 ここで注意をしなければいけないのが、相手の「言ったこと」を理解するだけでは不十分だということです。相手の「伝えたいこと」「望むこと」を正しく理解することが大切なのです。そのためには、単に話を聞くだけではなく、相手の表情や視線、姿勢など全身からの情報を、五感を駆使して読み取る姿勢が求められます。 コミュニケーションで相手の伝えたいことと受け取ったことがずれてしまうことがよくあります。その原因の一つが、自分にとっての常識が相手にとっても常識とは限らないことです。よく例に挙げられますが、目玉焼きは塩をかけるのか醤油なのか、それともソースなのか。半熟か中まで火を通すのか。片面を焼くだけかひっくり返して焼くのか、それとも水を入れてふたをして蒸すのか。人によって常識は異なります。しかし、目玉焼きを作って頼む時には、ここまで細かい指示はしません。自分にとって当たり前のことは情報として与えないのです。確認しないままにことを進めると大きな齟齬が出てきてしまいます。すれ違った後で議論しても水掛け論です。想像力を働かせて、確認すべきことをきちんと押さえることが必要です。 確認をする時は、いきなり質問しないように注意する必要があります。質問することは「疑問」を持っているということでもあります。相手に自分が「否定」されたと感じさせることにつながります。まず相手の言ったことをそのまま「復唱」することで「ちゃんと聞いていますよ」と伝えることが大切です。この時、相手の言葉を勝手に自分の言葉で置き換えないように注意しましょう。特に言い間違えた時にはそれを勝手に修正しないように気をつけます。言葉を置き換えられると、それは自分が言った言葉でなくなります。特に言い間違えた時には、間違いを指摘されたことになるので、ネガティブな気持ちになります。自分が受容されていないと感じてしまうのです。では、どうすればいいのでしょう。そういう時でも受容の言葉「なるほど」を頭につけると、とても復唱しやすくなります。「なるほど」は肯定も否定もしません。相手の言っていることを受け止めていることを伝える言葉だからです。「なるほど・・・ですね」と復唱すると、自分の言葉を客観的に聞くことができるの、自分で言葉を足したり、修正したりできるのです。復唱する時に、「なるほど」という言葉をつける習慣をつけるとよいでしょう。 相手の言った言葉の確認や詳しく聞き直すために問い返すことがあります。この時、「なぜ(Why)」はできるだけ使わない方がよいと言われます。それは、「なぜ」で聞かれるときちんとした理由を求められているように感じるからです。何度も「なぜ」と聞かれると、相手から詰問されているように感じます。そのことを避けるためには、「どういうことですか」と聞き返すとよいでしょう。この聞き方は、何を言っても答えになるので言いやすいのです。すぐに求める回答を得ることができないかもしれませんが、何度もやりとりすればいいのです。言葉のキャッチボールをすることで、コミュニケーションがとれるようになっていくのです。また、「・・・ですか?」「○○と△△のどちらですか?」と相手に寄り添って想像して問いかけることも有効です。気持ちをわかろうとしてくれていると感じてもらうことが大切です。 今回は相手の伝えたいことを正しく理解するためのスキルについて具体的な例をもとに、皆さんと一緒に考えさせていただきました。いつものように、皆さんから出てくる疑問や答にハッとさせられることがありました。よい勉強をさせていただいていることに感謝です。 |
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