「話す力」をテーマに介護関係者向け研修を行う
先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「話す力」がテーマです。相手に伝わるためにどのようなことを意識すればいいのかを具体的な場面に即して考えていただきました。
話すことで一番意識してほしいことは、話せば伝わるわけではないということです。コミュニケーションにおいて話すことが目的ではありません。伝えたいことが相手に伝わることが目的です。そのためには、相手に伝わる言葉を選ぶことが求められます。同じ言葉でも人によって受け止めることが違ってくるのです。このことをいつも頭の片隅に置いておく必要があります。 また、子どもたちへの指示と同じですが、相手がうなずいても本当に伝わっているかどうかはわかりません。 確認が必要になってきます。ただ相手はお年寄りであることを考えて、確認の反応をせかさずに受け止める姿勢が強く求められます。忙しい現場だと思いますがそのような余裕を持ちたいものです。 同じことを伝えるのでも、どのような言葉を使うかによって相手が受ける印象は異なってきます。否定的な言葉は相手の気持ちを否定的にします。できるだけ肯定的な言葉を使うようにしたいものです。「焦らないで」というよりも「落ち着いて」といった方がポジティブな気持ちになります。否定的な言葉で言われると、今まで簡単にできていたことができなくなっている現実を直視させられます。話す側に悪気はなくても、気持ちが暗くなってしまいます。私たちは普段何気なく否定的な言葉を使っています。日ごろから肯定的な言葉を意識して使う訓練をする必要があります。 もう一つ意識してほしいことは、主語です。「Iメッセージ」と「Youメッセージ」です。「Youメッセージ」は柔らかい表現でも、命令的なニュアンスが含まれてしまいます。「言ってください」(Youメッセージ)と「聞かせてください」(Iメッセージ)では、同じことを相手に求めていても受ける印象は変わってきます。また、「Youメッセージ」は上から目線と受け取られることがあります。「すごい、頑張りましたね」は相手をほめているのですが、ほめるということはこちらが評価者になっているということです。立場を上に置いていると思われる可能性があります。現役のころに自分が評価する立場で接していたような若い人に評価されるのは、プライドが傷つくかもしれません。「やった、うれしいな」と「Iメッセージ」で「あなたが頑張ったことがうれしい」というポジティブな気持ちとして伝えると、同じ目線で相手に寄り添っていると感じてもらえます。自分が頑張ったことが相手を喜ばせたと感じることは、自己有用感にもつながります。こういったことを大切にしてもらいたいと思います。 最後に、言葉以外にも相手に伝える手段がたくさんあることを確認しました。具体的な場面を想定して伝える練習をしていただいたのですが、皆さんジェスチャーを入れるなど、言葉以外のコミュニケーション手段を上手に使われていました。さすが、実務経験のある方は違います。私からは、今コミュニケーションを取っている姿が第三者からどのように見えるか意識してほしいことを伝えました。まわりの人がどのように感じるかは場の雰囲気に大きな影響があります。授業でもそうですが、特定の子どもに対する教師の対応が他の子どもたちに影響するのです。 また、どんな場合でも笑顔を忘れないこと、立ち位置や目線の高さも意識することをお願いしました。笑顔で、相手に寄り添うようにして、目線を相手の目の高さに合わせることができれば、それだけで伝わりやすくなるはずです。 研修終了後、簡単に見えるけれどいざやろうと思うと難しいという感想をいただきました。その通りです、こう言えばいい、こうすれば絶対うまくいくという方法があるわけではありません。大切なのは、相手に伝えたい、わかってもらいたいという姿勢で接することなのです。同じ言葉を使っても、そのような姿勢であれば間違いなくより伝わりやすくなるはずです。今回の研修でそのことに気づいていただけたのなら幸いです。 いつものように、職場での実践に基づいた対応を見せていただくことで、私も大変勉強になりました。ありがとうございました。 活動とねらいのずれた英語の授業(長文)
昨日は中学校で授業アドバイスをしてきました。初任者の英語の授業です。1年生の現在進行形の導入の場面でした。
以前に授業を見た時、指示が徹底できていない、子どもが聞く態勢ができていないのに話を始めるといったことが気になった先生です。今回どのような授業を見せてくれるか、期待と不安が混じった状態でした。 子どもたちの英語での挨拶の様子は、たくさんの先生方が観ているので多少緊張気味でしたが、笑顔も見られました。子どもたちとの関係もよいように思います。この日は1月になって初めての授業です。”What’s the date?” という問いかけに、子どもたちは ”January” を思い出せません。起立しているせいか、調べる子どももいません。わかった子どもを指名して答えさせます。すぐにそうだねと確認して、教師の発音を繰り返させました。こういう1問1答が子どもたちの参加意欲を下げてしまいます。「今なんて言ったか聞けた?」「言ってみて」「どう?」とうように、他の子どもたちにつないでいくことを意識してほしいと思いました。 現在形の表現の確認のために、授業者が学校へ出かけて、授業をし、パソコンを使うことを、現在形を使って英語で話します。この時の子どもたちは、全員集中して授業者を見ています。聞き取りたい、理解したいという気持ちが伝わってきます。話し終えた後に内容を確認します。手を挙げる子どもがいません。1人の子どもが思い切って発表してくれました。しっかりと聞き取れていたのですが、その後すぐに授業者が説明をしました。いくら説明されても聞き取れなかった子どもはわからないままです。もう一度聞かせて本当にそう言っていたのか確認をさせなければ、力はつきません。こういう場合、一部分であれば聞き取れた子どももいますから、聞き取れた内容や単語を発表させればいいのです。キーワードが見つかった後、再度聞き取らせれば大きく変わってきます。授業に参加することで、できるようになるという経験を積ませたいところです。 ここで疑問だったのは、この活動で子どもたちにどんなことを伝え、教えたかったのかということです。子どもたちは、単なるヒアリングだとしか意識していなかったと思います。授業者は、現在形は習慣的・日常的な行動を表現することを教えたかったのだと思いますが、その押さえが明確ではありません。子どもたちにはこのことは伝わっていないのです。 続いて授業者が毎日していることをワークシートの英文から抜き出させます。ワークシートは、Ms. ○○ 〔walk / write English / play soccer / speak Japanese / teach English / use her pen / talk with my sister〕every day. となっています。想像して○をするように指示します。子どもたちはまわりと相談したりしながら取り組みます。この課題はいったい何を目的にしたものかかがわかりません。この中から選ぶこと自体は英語の学習とは何の関係もない活動です。〔 〕の中の英文を理解するのが目的でしょうか。だとすれば、そのことをストレートに問えばいいのです。この作業にかなりの時間を割いていますが、英語の授業としてはムダな時間です。 指名してどこに○をつけたか発表させます。そして、”Ms. ○○” に続けて読ませます。3人称単数現在の ”s” を付け忘れました。このことを指摘して修正させます。次の子どももまた “s” を付け忘れました。結局 “s” をつけたのは1人だけでした。原因はどこにあるのでしょうか。授業者は3人称単数現在の ”s” の復習をするつもりだったのかもしれませんが、指示は「選んで○をつけて」です。課題とねらいがずれているのです。せめて、「英文を選んで完成させて」であれば子どもたちの意識は変わったと思います。子どもたちは求められた、英文を選ぶことに意識がいっていたので、英文を作ることが頭から消えてしまっていたのです。3人称単数現在の ”s” の復習が目的であれば、人物のアイコン、動詞のアイコンなどを用意して、その組み合わせで英文を作って発表させればすむことです。 現在進行形との比較のために現在形の確認をするのであれば、文が表現する状況を伝えることの方が大切です。授業者は ”every day” を使って日常の行動であることを意識させようとしましたが、これは危険なことです。”every day” があるから日常の行動を表わすと考える可能性があるからです。現在進行形は “now” をつけた例文を用意しています。現在形、現在進行形の違いではなく、”every day” “now” の違いに目がいってしまうかもしれません。できるだけ、単純な例文で違いを考えさせることが大切です。 現在形と、現在進行形の違いを考えさせるために、先ほどの ”every day” の例文を、動作しながら “now”をつけた現在進行形にして言います。ここで、子どもたちへの指示は、「違いを見つける」です。子どもたちは、何を問われているのかよくわかりません。比較すべき一方の対象である現在形の表わすものが明確になっていないからです。反応がないので別の例文に変えます。一生懸命理解しようとしているのに、次の文に変わってしまうとますます混乱してしまいます。ここで、指名した子どもは「be動詞+〜ing」と答えました。塾で習っているのでしょう。授業者のねらいと全く違う答えが出てきました。この日初めて現在進行形に触れる子どもは何のことかわかりません。しかし、授業者は仕方がないので、発言を受けて「be動詞+〜ing」の説明を始めてしまいました。せめて、「ingって何?先生はingって言ったっけ」とぼけるくらいはしてほしいと思いました。授業者が説明を始めると先ほど答えた子どもはずっと手遊びをしていました。自分はわかっているからもういいという態度です。このことが、この日の授業を象徴していました。子どもが考える場面はほとんどなく、知識のある子にとっては何も学ぶことのない、知識のない子どもは一方的に教えられるだけの授業になってしまっているのです。 ここは、「違いを言葉で説明する」ことよりも、状況に応じて現在形と現在進行形を使い分けられることをねらうべきだったでしょう。例えば、”I eat bread. Do you eat bread?” “I eat nattou. Do you eat nattou?” のようなやり取りをする。続いて、”I am eating bread. Are you eating bread?” “I eat rice. I am not eating rice.” などとして、違いを理解させる。”speak Japanese” “speak English” “speak French” などでもよいでしょう。そして、実際に動作をして、その状況を子どもたちに英語で表現させる練習をたくさんするのです。コントラストがわかりやすい動詞を使って、英語で表現することを通じて理解させる工夫をしてほしいと思います。 続いて、現在進行形の練習をするためにゲームを行います。横の見出しに”Stand” “Read the book”などの動詞句、縦の見出しに ”I” “You” などの主語が書かれた表がワークシートに書かれています。その表の欄にマークをつけます。マークは3種類ありそれぞれつけることのできる数と点数が決まっています。見出しの主語と動詞句を使って現在進行形を作って、ペアで交互に言い合います。もし、その組み合わせの欄にマークが書いてあれば得点になるというものです。 授業者はゲームの説明をしますが、子どもたちはワークシート見ていて顔が上がりません。説明終了後グループの形になるですが、説明を理解できていない子どもが目立ちました。実物投影機が使える環境にないのでちょっとつらいのですが、表の一部だけでも板書するか、拡大コピーを貼るかして、子どもたちが顔を上げる状態にする必要があります。また、活動の指示は、実際にやって見せるのが一番効果的です。余計な説明をせずに、見せるだけで子どもたちはしっかりと集中します。ちょっとしてことですが、こういうことが大切です。 ゲーム終了後、得点を聞きます。ここで気をつけなければいけないことは、英語の力と得点に何の相関関係もないということです。たまたま選んだところと文の組み合わせが一致したかどうかだけで得点は決まります。評価とねらいがずれています。こういう活動は学習が定着しません。やるだけ時間のムダなのです。このことは、次の場面で顕著になります。 授業者は、今度は書く練習をしようとねらいを示してから次の課題に移りました。授業者の動作を英文にして書くというものです。授業者は教室内を行ったり来たりします。しかし、子どもは何を書けばいいのかよくわからない表情です。授業者は ”walk” のつもりなのですが、子どもは理解できません。なぜなら、”be walking” を示す動作が恣意的だからです。初めて学習する場面では、表現と動作はできるだけ1対1である必要があります。ある時は横に移動する、ある時は行ったり来たりすれば、違った表現をするのかと思います。実際に ”walk” “walk around” などと区別する場面もあるからです。また、書くことがねらいならば、英文は100%作れる状態にしておかなければ、手の着かない子どもがどこでつまずいているかわからなくなります。 書く練習と言いながら、発表は口頭です。スペルを確認はするのですが、このずれが気になります。ここで、発表した子どもは、be動詞を落としました。先ほどのゲームを使った練習では定着していなかったことがわかります。修正した後、次の発表者もまたbe動詞を落としました。このことがこの授業の問題点を浮き彫りにしています。常に活動とねらいがずれてしまっているのです。 先ほどのゲームでは、子どもたちの意識は主語と動詞句の組み合わせに目がいきます。それで点数が決まるからです。表には主語と動詞句が英文で書かれています。最初の課題と同じく、英文で書かれているのでそのまま使うことを考えてしまいます。ワークシートの表を見ながらしゃべるのですから、書かれた英文をもとにしゃべります。動詞を現在分詞にしても、書かれていないbe動詞は落ちてしまうのです。こういうことを避けるためにも、アイコンを使うことを勧めます。アイコンであれば、そのアイコンが示す状況を英文で表現しようという意識が働きます。このことが大切なのです。 ゲームでのもう1つの問題は、ペアで言い合うだけなので、修正機能が働かないことです。子どもは、主語とどの動詞句を選んだかにしか意識は向きませんから、正しい表現でなくてもスルーしてしまいます。英語としての正しい評価がない活動だったのです。グループやペアでの活動はこのことに注意をする必要があります。各人にバディをつけて、間違いをチェックしたり、わからない時に助けたりする役割を与えるとよいでしょう。終わればどこがよかった評価する。こういう役割が必要なのです。活動の前に、チェックポイントを板書などで明確にして、バディに意識させます。当然自分がやるときにはそのことを意識できるようになります。 書くことに関して、”write” は “writing” 末尾の “e” をとって ”ing” をつけることを ”Ms.○○ is writing English.” で説明します。このことは、最初に ”ing” の例文を板書した時に押さえておく必要があるでしょう。”ing” の登場と説明が離れすぎているのです。 授業後の検討会で、授業者は「授業規律ができていない。(コーラスリーディングで)口を開いていない子がいた。何度も同じ間違いを子どもがするのであれば、自分が10分ほど説明して練習に時間をかけた方がよかった」と反省しました。私は、この言葉を聞いて安心しました。自分の授業の問題点をしっかりと理解できているのです。子どもたちに考えさせようとしていたから、自分が説明した方がよかったという言葉が出てくるのです。進歩するために大切なのは、自分の現状を正しく把握することです。次のステップはその問題を解決するためにどうすればいいかを考えることです。この授業者が苦しんでいるのは、その具体策を見つけることができていないからです。だから、「自分が説明すればよかった」という言葉が出てくるのです。できるだけ具体的にアドバイスはしましたが、日常的に相談する相手が必要です。歳の近い先生が何人かいますので、自分から声をかけてほしいと思います。子どもたちとの関係は決して悪くはありません。今はまだ先が見えなくて苦しいかもしれませんが、前向きな気持ちで授業に取り組めばきっと大きく成長できると思います。また授業を見る機会を楽しみにしたいと思います。 反転授業について考える
ICTを活用した反転授業が話題になっています。
家庭で事前にビデオを見て予習し、学校ではその学習をもとに、問題を解いたり、個別指導をしたり、わからないことを教え合ったりするというものです。わからない子どもはビデオを何度も見直すことができるので、自分の理解のペースに応じた勉強ができる。学校では、講義をしないので、できない子どもに教師が個別指導をすることができ、問題演習の時間も確保できる。 何かを期待させる新しい発想に思えるのですが、根本的に引っかかることがあります。ビデオの授業はできの悪い一斉授業と同じく、一方的に教えるものです。もちろん思考を促す場面や問いかけなどはあるでしょうが、基本は子どもの状況にかかわらず一方的なものにならざるを得ません。もちろん何度も見ることでわかるよさはありますが、そのような授業で子どもが理解できるのであれば、教室で同じ講義をすればよいということです。いやいや、理解できない子どももいるかもしれないが、講義の時間がない分、学校で理解できない子どもに対応する時間を確保できるからよいのだという反論も聞こえてきそうです。その根底にあるのは、時間をかければ子どもに力をつけることができるという発想です。何度も述べていますが、小規模の学校では個別指導の時間が多く取れます。だからといって決して学力が高いという結果は出ていません。たとえ講義の時間がゼロになっても、教師が個別指導で何とかできることは限られています。かけた時間よりもその内容が問われるのが授業なのです。 また、一方的に教師が教えて、その内容を演習するのが授業だという発想も感じられます。例えば分数の割り算の考え方は教師が教えることなのでしょうか。そうではなく、割り算の意味、分数の意味をもとに子どもが自分たちで考えながら理解していくことが重要だと思います。知識として一方的に与えるようなものではないと考えます。 もちろん教えなければならないことはたくさんありますが、1時間の学習で一番大切な内容は、子どもたちの手で見つけていくことが大切だと思います。となれば、反転授業で予習をするのはいったいどんな内容になるのでしょうか。子どもは常に受け身で教えられるだけの存在になるのでしょうか。子どもを目の前にしての授業でも、全員に考えさせ、理解させることはとても難しいと感じています。反転授業で考える力をつけることはできるのでしょうか。 このような疑問や不安がたくさんわいてきます。まだまだ始まったばかり(日本では)の試みに対してネガティブなことを言うのは、あまりほめられた態度ではないことはよくわかっています。しかし、どうにも気になってしょうがないのです。私の考えていることなどは織り込み済みで、素晴らしいものがつくられつつあるのかもしれません。実際のところを見せていただく機会を得たのち、再度話題にしたいと思います。 何を訓練、努力させるか
教育には訓練の要素があります。実際に何度もやることで身につくことはたくさんあります。地道な努力が必要と言い変えてもいいでしょう。私たちは、努力は美徳で、努力していることを評価しようとします。しかし、何を努力するかについてはあまり問わないような気がします。このことについて少し考えてみたいと思います。
スポーツは訓練の要素がとてもわかりやすいものです。足を速くするのに、ただ走り続ければいいのでしょうか。シュートが上手くなるにはシュートを打ち続ければいいのでしょうか。そうではありません。フォームを意識して正しいやり方で訓練することが必要になります。そのために、コーチが必要になります。シュートが上手くなるためには、フォームだけではなく、筋力も必要です。そのためにはシュートを打つよりも筋力トレーニングをした方が効果的かもしれません。何をするかがとても大切になります。スポーツはこのコーチングの理論が非常に発達しています。授業の上手な先生が体育に多い理由の1つに思えます。 ところが、国語や算数などの授業ではこのことが明確にされていないように感じることが多いのです。「本読みをたくさんしなさい」で、本当に学力がつくのでしょうか。例えば、分かち書きの段階であれば、「空白で間を取る」「読点ではもう少し大きな間を取る」「句点では、もっと間を取る」、学年が進んでいけば、「登場人物の気持ちが伝わるように読む」「会話と地の文の違いがわかるように読む」といった、何を意識しなければいけないかを明確にしておかなければ、ただ読んだだけでは大して力がつかないのです。また、1つのところに留まり続けるのではなく、次のステップを意識することも大切です。九九を何秒で言えるかという訓練も必要ですが、ある程度の速さ(60秒くらい?)になればそれ以上を追求するのは無意味です。それよりも、フラッシュカードなどでランダムに出されたものを言えるようにするという次のステップに早く移行すべきです。ステップごとのゴールを明確にし、達成後のステップを示すことが大切です。子どもの学力をつけるために、何を訓練し努力させるべきか、その過程を含めて明確にすることが求められるのです。 もう1つ大切なのが、教師が訓練すべき内容、努力すべきことを指示するだけでなく、子どもたちに自分で工夫をするように仕向けることです。いつも指示された通りにするだけではより大きな成長はできません。指示されたこと以外に何をすればいいのか、時には他にもっとよい方法がないかと考える姿勢を育てる必要があります。小学校の高学年あたりからは、このことを特に意識してほしいと思います。「○○ができるようになるためには、どんなことをすればいいと思う」といった問いかけや、「○○ができるようになったけど、どうやったの」と、努力の内容を共有化する場面が必要になります。 子どもたちを訓練する場面、努力を求める場面はたくさんあります。単に「○○しなさい」「がんばりなさい」ではなく、何をどのように努力すればいいのかを明確に示してほしいと思います。 グループ活動が有効な場面
グループ活動を取り入れている授業によく出会いますが、どの場面でどのようなグループ活動を使えばいいのかという質問をよく受けます。また、課題はどのようなものであればいいのかといったこともよく聞かれます。グループ活動については何度も取り上げていますが、今回は、グループ活動の有効な場面、活動の質や内容、課題について簡単にまとめてみたいと思います。
まず前提として、グループ活動を行うためには子どもたちの人間関係がある程度できていることが必要です。そもそも互いに聞き合うことができない状態であれば、グループ活動は成り立ちません。 簡単ですが意外と行われていないのが、「個人作業のグループ化」です。算数や数学の問題を解くといった、個人で問題を解く、作業する場面での活用です。手の着かない子ども、わからない子どもは1人でじっと凍っています。そこが教師の出番だと個人指導をする傾向がありますが、そのような子どもが複数いれば1人にかかわっている間、他の子どもは凍ったままです。授業時間内での教師の個人指導には限界があるのです。そこで、「わからなかったり、困ったりしたら友だちに聞いてもよい」とすることで、止まっていた子どもの活動を促します。自分で考えさせなければいけないと考える方もいますが、教師が教えるのはよくて、子どもが教えるのはいけないということはありません。わからなくてじっとしているより、積極的に友だちに聞ける子どもに育てることが大切です。ここで注意をしてほしいのは、聞かれてないのに勝手に教えないというルールを守らせることです。自分で考えたい、聞きたくないのに勝手に教えられると嫌になってしまうからです。 解き方をできるだけたくさん見つけるといった課題で行う、「グループで補い合う」活動は自分とは違った視点や考えを受け入れるよい機会となります。子どもは1つ見つけるとそれで満足します。いくつ以上、できるだけたくさんとすることで、考え続けることが必要になります。できる子どもでも、いくつかの視点を持てないと行き詰ってしまいます。自分はできたからもういいと思っている子どもにも、友だちの考えを聞く必然性が生まれます。 先ほどの、「グループで補い合う」という活動と似ていますが、「友だちの気づきの根拠や過程を共有する」活動があります。気づいたこと、見つけたことを互いに伝え合う活動ですが、「資料のどこで気づいたかを共有する」、観察で「見つけたことを聞き合って、もう一度各自で確認する」など、気づいた結果だけでなく、根拠や過程を共有するのです。根拠や過程を共有することで視点が増え、資料や対象物から読み取る力がついていきます。 一部の優秀な子どもがすぐに答だしてしまい、上から目線で他の子どもに教えるような活動は好ましいものではありません。それに対して、なかなか答えが出ない、よく言われるジャンプの課題で行う、「課題解決の過程を共有する」活動があります。思いつきや試した結果などの情報を共有しながら、課題解決の糸口を見つけ、その過程を共有するのです。解決の糸口を見つけるための活動の幅が広い課題が理想です。個々に試せるものが多いと共有する情報が増え、グループ活動の必然性が出てくるからです。 グループ活動の後など、全体で話し合った結果、焦点化された課題や意見が分かれた課題をもう一度グループに戻し、「深く追究する」活動があります。課題が焦点化されているのでより深く考えることになります。意見が分かれ対立していれば論点が明確になり、考える必然性もあります。全体の場では考えを整理しなければ発表できませんが、グループに戻すことで、ちょっとした思いつきであっても気軽に話すことができ、活発な活動が期待できます。 英語や体育などの技能教科ではバディと組み合わせた、「サポートし合う」活動があります。ペアでの英会話で、詰まったり間違えたりしたらそれぞれのバディが助け、よかったところを評価するといったものです。実技の場面で有効な活動です。 これですべてというわけではありませんが、このような視点でグループ活動をとらえると、実際の授業でグループ活動を導入しやすくなると思います。 家庭学習について考える
子どもたちに家庭学習の習慣がついていないということがよく言われます。保護者からは家庭学習をさせるために宿題をだしてほしいという声が聞こえてきます。家では勉強しないので塾に行かせるという家庭もあります。一方教師は、宿題という形ではなく、自分で予習や復習、学校の授業以外の学習に取り組んでほしいと願っています。家庭学習の問題はどのように考えればいいのでしょうか。
こうすればうまくいくというものはないと思いますが、一番の問題は子どもたちにとって家庭での学習が楽しくない、勉強は苦痛だと思っていることではないでしょうか。少なくとも携帯ゲームなどよりは魅力のないものだということです。与えられた作業を受け身でこなすことが学習であるならば、それも致し方のないことのように思います。宿題をたくさん出しても、受け身の時間が増えるだけで、勉強嫌いを増やすことになりかねません。教師はそのことを知っているので、宿題を出すことにはあまり積極的にならないのです。とはいえ、何も課題を与えなければ子どもたちは家庭で学習をしないので、算数や漢字のドリルや問題集を与えて宿題にしたり、自主的な学習課題としたりします。たとえ自主的であっても、結局は与えられた課題をこなすことには変わりありません。学習が楽しいものにはなかなかならないのです。 では、学習を楽しくするにはどのようなことが必要なのでしょうか。1つは自ら興味を持って取り組むことです。興味を持ってより深い知識を得たり、自分で課題を解決したりすることが学ぶ楽しさにつながります。そのためには、日ごろの授業の学習課題が子どもたちに興味を持たせるようなものであることが必要です。もっと知りたい、もっと学びたいという気持ちにさせることが求められます。ここで問題になるのは、子どもたちが興味を持っても、どのようにすれば家庭で学べるかという学習の方法を知らないことです。せっかく授業で興味を持たせても、これでは家庭学習につながりません。その方法を教えることが必要になります。例えば理科や社会であれば、関連する資料や書籍を紹介する。算数であれば、発展的な課題を提示する。そして、何を使って、どのように学習するのかを具体的に伝えることをするのです。このようなことを教え続ければ、次第に自分なりの学習スタイルを見つけることができるようになります。 そして、もう1つ大切なことは、子どもの自主的な学習を評価することです。教室では意図的にそういう場面をつくるようにします。もちろん、保護者が家庭で評価することも大切です。自主的に取り組んだことが評価されることで、より学習意欲が高まります。評価されることで、学習がより楽しくなるのです。 家庭学習の習慣をつけることはそれほど簡単ではありません。ここで示したやり方をすればうまくいくという保証はありませんが、少なくとも「勉強しなさい」ではないアプローチを工夫してほしいと思います。 |
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