子どもの姿から学校の課題を考える
昨日は中学校で授業参観と英語科の授業研究に参加してきました。
夏休み明けということで、子どもたちの夏休みボケが気になるところですが、どの教室も子どもたちは落ち着いて授業に参加していました。 3年生は受験生という自覚があるのでしょう。苦手な子どもからも何とかついていこうという気持ちが伝わってきます。しかし、残念ながら何人かの子どもはその気持ちが折れかかっているように見えました。また、授業によっては子どもたちが教師の説明をあまり聞いていない場面がありました。やる気がないのではありません。むしろやる気があるのです。友だち同士で聞き合っていて、教師の説明よりもそちらを優先しているのです。このことをどう評価するか難しいところです。 2年生も全体的によい状態だと感じたのですが、授業中に完全に寝ている(倒れている)状態の子どもがいる教室が目につきました。まわりの子どもはその子どもを無視しています。寝ている子どもが本当に疲れているので、そっとしておこうというのならまだよいのですが、ちょっと気になる状況です。別の教室では、寝ている子どもを教師がちょっと厳しい表情で起こしました。しかし、起こされた子どもは少し反発をします。外部から軽々しく言ってはいけないことですが、授業が楽しくないから寝ているんだと態度で伝えようとしているように感じました。 1年生も教室は落ち着いているのですが、授業によって子どものやる気が大きく違います。このことも問題ですが、子どもたちが集中している授業で気になる場面を何度も目にしました。全員が集中している中、手のつかない子どもがいるのです。鉛筆を持って取り組もうとするのですが、すぐに止まってしまいます。教師の説明が始まると聞く姿勢を見せるのですが、途中で顔が下がってしまいます。似たような子どもを教室に1人か2人見かけます。1年生でも子ども同士聞き合う姿はよく見られますが、このような子どもは友だちに聞くこともできません。わかりたいという気持ちがあるのですが、自分一人ではどうにもできない状態のようです。一人で苦しんでいるように見えました。学びから脱落するかどうかの危ういところにいます。 また、ちょっと残念な場面に出合いました。教師が説明した後、「わかった、できた人」に挙手を求めました。勢いよく手を挙げる子どもいます。ほとんどの子どもの手が挙がりました。授業者は彼らをほめ、「90%の人ができている。素晴らしい学級だ。自分たちで自分をほめてあげましょう」と拍手をさせました。残りの10%の子どもはどんな気持ちだったのでしょうか。わからない、できない子どもが孤立感を深めていきます。 TTの授業で、気になることがありました。T2が監視者になっているのです。T1が説明している時に、自分で解いている子どもや友だちに教えている子どもがいました。その子どもに対して強制的に話を聞くように指導します。そのこと自体は間違ったことではないのですが、自分たちでやろうとしている子どもの意欲を認めることなく、問答無用という感じで注意をします。別の教室では、T1の説明中に姿勢の悪い子どもがいました。T2は手でその子どもの姿勢を正しました。T2がその場を離れた後、子どもは机に突っ伏しました。言葉にならない反抗です。しかし、T1と子どもたちは楽しい雰囲気で授業をしています。友だちの楽しそうな声を聞いて、すぐによい姿勢になり、笑顔で授業に参加してくれました。その子どもの表情に救われた気がしました。TTだからこそ、T2には子どもたちに寄りそう姿勢を大切にしてほしいと思いました この日の学校の様子から、課題が明確になってきているように感じました。 全体として子どもたちは教師と良好な関係を築いています。子どもを受容する姿勢で接する教師が多いからです。多くの子どもは友だちと自然に聞き合うことができます。友だちと相談する、聞き合う場面を組み込んでいる授業が多いからです。この状況であれば、先生方は授業を進めるのに苦労はしません。危機感がないため、授業をもっとよくしようという、授業に対する向上心が全体的に下がっているのです。 また、授業者によって見せる子どもたちの姿は異なります。どのような子どもの姿を目指すのかが、教師間で共有されていないからです。共有されていなくても、取り敢えず授業が成り立つので、特に困らないのです。そのため、子どもは授業者によって態度を変えていきます。教師に対応するのです。この違いは学年が上がるにつれて薄れていきます。学年が上がるにつれて、友だちと学ぶことを覚えていき、教師に頼る部分が相対的に減っているからのように感じます。しかし、今後もそうなるという保証はありません。子ども同士のかかわり合いを大切にする教師の割合が減っていけば、逆の方向に揃っていくからです。 そして、一番気なることが、「わかった」からスタートしている授業が多いことです。できた子ども、わかった子どもの気づきから、授業が進んでいくのです。困っている子ども参加できる仕組み、わからない子どもがわかるようになる過程が授業から抜け落ちているのです。「子どもの困った感に寄り添う」「わからないからスタートする」がいつの間にか学校の中から薄れています。子ども同士で聞き合う姿がどの教室でも見られるので安心しているのかもしれません。しかし、わからないのに友だち聞けない、友だちとかかわれない子どもがどの教室にもいるのです。この子どもたちに目を向けてほしいのです。 教務主任や研修担当の先生もこのことは感じていたようです。今後どのように対応していくか真剣に考えていただけそうです。この学校が今後どのように進化していくか、その過程を共有できることをとても幸せに感じます。次回以降の訪問が楽しみです。 英語の授業研究については、次回の日記で。 今の私の学びの原点
ありがたいことに、研修や講演などでお話しさせていただく内容や対象の範囲が増えてきています。親御さん向けの子育てに関するものや、企業の社員研修、介護関係者向けの研修なども依頼されます。これらの研修を通じて私自身が学ばせていただくことはとても多いように思います。授業に関することでも、日ごろあまり接点がない栄養教諭や養護教諭の方を対象にするものは、いつも以上に学ぶことが多いと感じます。
私自身、数学以外に専門と呼べるような知識や技量があるわけではありません。その数学とて、数学者を名乗るには程遠いレベルです。そんな私だからこそ、他者から学ぶしかありません。授業についていえば、多くの素晴らしい先生の授業づくりのお手伝いをし、その授業を見せていただき、一緒に考えたことが今の私の基礎にあります。そうやって学んだことを私の言葉で皆さんに伝えているだけです。 自分自身が経験したことがないようなことについても、依頼をされれば原則お引き受けすることにしています。野口芳宏先生がよくおっしゃる、「『はい』か『Yes』しかない」を身近で実践されている方が多いため、いつの間にかその影響を受けてしまっているようです。そのため無謀とも思える仕事を引き受けてしまうこともあります。そのような時は、相手の方に教えてもらう、聞きだすことで何とか対応していきます。この経験がとても貴重なものです。必ずと言っていいほど自分自身の世界が広がるのを感じます。学ぶとはこういうことなのだと実感できます。教師時代、先輩や同僚からたくさんのことを学びましたが、一番多くを教えてくれたのは子どもたちだったように思います。いつも、子どもの「わからーん」という言葉をきっかけに、教師として大切なことを学んできように思います。子どもたちの「わからない」と向き合うことは、自分自身の「わからない」と向き合うことと同じです。「わからないことは、相手から引き出そう。教えてもらおう」という今の私の考え方はそこから始まったように思います。 意外に思われる方があるかもしれませんが、一方的に話すことの多い講演や講義は実はあまり好きではありません。なかなか機会がないのですが、一つのテーマを何回かに分けて一緒に考えながらじっくり進める授業がやはり一番性に合っているように思います。今回、月1回の研修を半年ほど引き受けることになりました。一貫したテーマで連続して行えるので、講義ではなく授業に近い形で行なえそうです。授業することを通じて学ぶことが今の私の原点であることを再確認させていただけそうです。 参加した皆さんからどのような考えが出てくるでしょうか。私も含め互いにかかわり合うことでどのように深まっていくのでしょうか。とても楽しみです。 見学者の指導を考える
体育の時間など、授業に参加できない見学者がいることがあります。夏のプール指導の時には、特に女子の見学が目立ちます。時にはちょっと気になる姿を見ることがあります。見学者に対してどのように指導すればよいのでしょうか。
見学者同士が授業に関係のない雑談をしていたり、一人でポツンと座ってぼんやりとみんなの活動を1時間眺めていたりする姿に出会うことがあります。見学者だからといって全く活動しないというのはおかしなものです。授業者も見学者がどのような状態か気にかけている様子はありません。見学者は学級の一員ではないような扱いです。また、みんなと離れて、体育器具庫の掃除などをしていることもあります。役割を与えることはいいのですが、授業内容と関係ない作業で友だちと切り離されています。授業者が作業の様子を気にしていても、サボらずにやっているかチェックしているように感じることもあります。見学者にとっては、懲罰的な作業と感じることもあり得ます。 これらに共通しているのは、今友だちの受けている授業内容と見学者が切り離されていることです。 そこで授業内容に関連した課題を個別に与えていることもあります。授業の観察記録や感想を書いて授業後に提出するといったものです。確かに、授業内容とはかかわりがあります。しかし、友だちの活動とは直接のかかわりがありません。このことを意識すると、見学者への指導が変わってくるはずです。 たとえば、インターバルのタイムを測ってみんなに笛を吹いて知らせる。友だちのタイムを測る。みんなの役に立つ仕事を割り振ります。アシスタント的な役割です。もっと、積極的に授業内容と関係する役割を与える方法もあります。個人やグループの活動を見ながら、声かけをしたり、フォームをチェックしてアドバイスをしたりするのです。直接体を動かさなくても友だちと一緒に活動できます。目で見て言葉で外化することで理解することもできます。友だちの役に立つだけでなく、学ぶこともできるはずです。見学者でも、授業に参加してみんなと共に学ぶことができます。参加意欲を持たせることができるのです。 たとえみんなと一緒に体を動かすことができなくても、授業に参加して仲間の輪に入れるような、「○○さんありがとう」と授業が終わったあと友だちに声をかけてもらえるような、そんな役割を見学者に与えてほしいと思います。また、役割を持たせることで、次に参加する時に友だちの中に入りやすい状態をつくることや、早くみんなと一緒に活動したいと思えるようにすることも意識してほしいと思います。 中学校の現職教育に参加
昨日は中学校で現職教育に参加してきました。若手を中心に授業を観た後、3つの研究授業とその検討会の様子を見せていただき、最後に全体に対して私がお話をさせていただきました。
全体的に感じたのは、どのような子どもの姿を目指しているのかがよく伝わらないことでした。子どもの活動はあるのですが、それが何をねらっているのか、目的や目標が明確でありません。子どもたちの発言が少なく、教師の一方的な説明が続きます。簡単な問いにも挙手があまりありません。子どもたちが発言することに価値を見出していないことが気になります。 子どもたちに対する指示が不明確だったり、確認がきちんとされていない、指示に全員が従っていないのに教師が次の行動をとったりすることも目立ちます。授業を進めることに、より意識がいっているように感じます。子どもが教師を見ていない状態でも話をしている場面に多く出会いました。 また、子どもが作業中に追加の指示やヒントを話すことも常態化しています。子どもが集中をし始めた時に、教師自らが集中を乱す行動をとります。作業が終わったあとの指示もされていないことがほとんどです。終わった子どもが集中力を失くして、雰囲気を悪くしています。 グループでの活動も聴き合うことが中心に置かれていないと感じます。ムダにテンションが上がる場面に多く出会います。子ども同士の人間関係も気になります。かかわれない子どもが目立ちます。男子同士、女子同士で席がくっついていることもあり、男女間のかかわりが少ないのです。子どもたちが、単に解答を求めているだけで、その過程を共有して考えを深めることを意識していません。わかった子ども、できる子どもが仕切る構造になっています。 グループ活動に限らず、子どものわからない、できないから出発していないので、わからない子どもは授業に参加できません。教師が与える答を写しているだけです。一方わかっている子どもは、自分はできるので積極的に参加する必然性がありません。教室全体に参観意欲が感じられないのです。子どもの外化に対してポジティブな評価がまったくと言っていいほどないことも、その原因の一つでしょう。 そこで、全体でのお話は、当初予定していた内容よりも、子どもたちが安心して参加できる授業づくりに比重を置いたものに変えました。まず何よりも、教師が子どもの言葉を聴く姿勢を持つこと。目指す子どもの姿を意識して、そのためにどのような活動が必要か、授業規律はどうあるべきかを考えること。子どもたちに反応を求め、積極的に評価すること。このようなことをできるだけ具体的にお話しました。 先生方にとっては厳しめの話でしたので、反応が気になりましたが、思った以上に前向きに聞いていただけたと感じました。授業中には見られなかった笑顔もたくさん見ることができました。今回の内容は、意識するだけで簡単にできることがほとんどです。この日の若手の体育の授業で、子どもたちがしっかりと先生の方を見て話を聞いている姿を見ることができました。あとで聞いたところ、子どもたちが全員自分を見るまでは話さないようにしているということでした。これだけで、ちゃんと子どもは集中してくれるのです。先生方が少し考え方を変えてみよう、授業の進め方をちょっと工夫してみようとするだけで、子どもたちはきっと大きく変化すると思います。今回のお話がそのきっかけになれば幸いです。 全体の会の終了後、授業を見せていただいた若手の先生方とお話をしました。どんなことを思っているかを一人ひとりに話していただきました。どなたも、私の全体での話を自分のこととして聞いていたことがよくわかりました。とても素直な方たちです。あまり素直に反省の言葉が出るので、かえって心配になるくらいです。大切なことは明日からどうしていくかです。一度にたくさんのことをしようとせず、とりあえず一つでいいので意識して実行してほしいと思います。授業を見られることに慣れていないのか、私が見たみなさんの授業は表情がとてもかたいという印象がありましたが、こうしてお話をしてみるととても素敵な笑顔を見せてくれます。まず、授業中にこの笑顔をたくさん子どもたちに見せることをお願いしました。 先生方が、どんな子どもたちの姿を目指そうか、どんな授業をつくっていこうかともう一度考えてみるだけで、この学校は大きく変わる可能性があると思います。また訪問する機会があることを楽しみにしています。 学び合いを中心とする授業づくりを考える
先週末、本年度第3回の教師力アップセミナーに参加してきました。三重大学教育学部教授岡野昇先生の「身体技法を通したワークショップ形式による学び合いを中心とする授業づくり」でした。
子どもを見ることが大切だと言われますが、子どもを見る視点を変えることで教師に見える子どもの姿は変わってきます。まずそのことからお話が始まりました。子どもを変えるのではなくその環境を変える、子どもを見るのではなくその関係を見るという発想はとても共感できました。 失敗を「笑わない学級」ではなくて、失敗を「笑いとばせる学級」という言葉もとても納得のできるものでした。授業は失敗や間違いから出発していくもので、それらが価値のあるものだという考えがその根底にあります。参加された先生方は自分の学級で具体的にどのようにしていこうと考えられたでしょうか。また、「許せないラインを明確にすること(明確なルールの設定)」ということを強調されていたことも流石でした。学級づくりの一番の基本、「安心・安全」につながることです。 私たちが持っている以下のようなパラダイムについて、 ・学校は楽しい(学校観) ・失敗を笑わない学級(学級観) ・主体的に取り組む学習(学習観) ・自分の力でやりとげる子ども(子ども観) ・一人ひとりを大切にする指導(指導観) 「解す」「触れる」「委ねる」「任せる」「察する」「引き出す」というキーワードをもとに、身体的活動を通じて見直しました。 「解す」に関連して 人は失敗を笑うもの、失敗を楽しむことから始めればいい。できないことに挑戦する子どもをつくることが大切。失敗から出発して「理」を「解き解す」ことが理解。失敗を笑い合える、許し合える関係を学級につくることが求められる。 物理的な距離の持つ意味 子どもとの物理的な距離感も大切。距離が離れると関係性が薄れる。教室の後ろと教室の前では赤の他人の距離(公衆距離)になってしまう。だからコの字の机の配置、4人(互いに程よい距離を保てる人数)でのグループ活動。教師は子どものそばに行くことで子どもとつながることを大切にしてほしい。 「触れる」に関連して 「触れる」は「見る」「聞く」「触る」などと違って、双方向的である(主体と客体を入れ替えることができる)。私が机に触れる。⇔机が私に触れる。この相互に立場(主体と客体)が入れ替わる関係が大切。「教える」「教えられる」という相互主体(相互依存)の関係を重視する必要がある。他者とだけでなく、学ぶ対象(モノ)や自己においても双方向性が大切である。問題は、どのようにして双方向性をつくり出すかが問題。 「委ねる」に関連して 「助ける(力を上げる)力」と「助けを求める(力をもらう)力」が必要。一人ではできない課題であること、かかわらざるを得ない状況をつくることが、双方向の関係をつくる。学習の定着率は他者に教えることが一番高い。できる子どもは教えることで、実は大きな利益を得ている。この互恵の関係が大切。 「任せる」に関連して 「問題のない」学校・学級であろうとするのではなく、「問題を共有できる」学校・学級であってほしい。互いに問題を引き受けることが大切。そのためには、しっかりとした軸(ビジョン)を共有できていることが必要。 「察する」に関連して コミュニケーションは、言語:非言語=3:7と言われる。相手の気持ちを察すること、受け容れる気持ちを持つことが大切。「他者の声を聴く」「聴き合う関係」が重要。大きな声で言い直させるよりは、聴き取ろうとすることを大切にしたい。テンションを下げ、「しなやかさ」と「集中」を重視する。 「引き出す」に関連して 「選手の力を引き出し、目標を達背する手助けをする」というコーチングの考え方はまさに教師の仕事そのもの。引き出すとは、「きく」こと。「聴くこと(同調して話させる)」「訊くこと(怪しい部分を訊ねる)」。そして、「タイミング(関心のあるその時に伝える)」「気づかせる(自分で見つけさせる)」「信じる(フランクな関係をつくる、絶対味方であることを伝える)」が大切。 パラダイムを次のように変えるべきではないかという岡野先生の主張が、ワークショップや具体例を通じて実感することができました。 ・学校は楽しい(学校観) →安心して落ち着いて学べる場 ・失敗を笑わない学級(学級観) →失敗を笑いあえる(許し合える)学級 ・主体的に取り組む学習(学習観) →受動的(客体的)=積極的受動性(聴く・訊く)+能動的(主体的)な相互主体(相互依存)の学習 ・自分の力でやりとげる子ども(子ども観) →仲間の力を借りて背伸びする、ジャンプする子ども ・一人ひとりを大切にする指導(指導観) →関係を変えることによる、一人ひとりが大切にされる指導 そのためには、 ・まずは教師が聴くこと(受容)から始める。 ・聴き合う関係を丁寧につくる ・わからなさを授業の真ん中に置く ことの3つを毎日心がけてほしいというお話は、全く同感です。 また、「わからなさを伝える」「聞かれたらわかるまで伝える(逃げない)」という2つのルールは学び合いの基本です。最後にこのことを強調されました。 岡野先生のお話は、参加者に方向性を示していただけたと同時に、教室で具体的にどう実践していくかという課題を突きつけるものでもありました。私にとっても自分の考えを整理し見直すとてもよい機会となりました。岡野先生、ありがとうございました。 学習とはどういうことか伝えてほしい
昔からあることなのかもしれませんか、子どもたちが学習するとはどういうことかよくわかっていないと感じることが増えています。
たとえば問題を解くときに、どこから手をつけていいかわからない、何をやればいいのだろうかと悩み考える時間が必要です。この時間が学力をつけるためにとても大切な時間です。しかし、答を知ることが目的の人にとっては全くムダな時間です。解答を見るか聞けばいいからです。たとえば宿題の計算ドリルを提出することを考えれば、解答を見てそのまま写すのが一番簡単で早い方法です。当然のことながら計算力は全くつきません。これは極端な例ですが、似たようなことをしているのです。 試験で点を取るためには、解き方のパターンや試験に出そうな知識をだけを覚えておけばいい。悩むのは時間のムダだ。多くの子どもたちが、そのように考えているように見えます。授業でも、友だちの説明と自分の考えを比べながら聞くよりも、絶対正しことを言うはずの教師の答を待つ方がムダがない。いや、そもそも自分でいろいろ考えるより、最初から正しい答を覚えた方が早いと考えているふしがあります。しかも、その教師の説明を聞くより、板書された正解を写すことを優先します。 ネットの普及で、知識や情報も簡単に手に入ります。わからない問題もネット上で質問すれば誰かがピンポイントで答えてくれたりします。聞くことが悪いことではありませんが、自分で考えずに答を知っても、その問題を考える過程で身につくはずの力がつかないことが問題のです。 学習は答探しではありません。知識を身につけるだけでもありません。身につけた知識を使って、問題を解決する。問題解決の経験を、問題を解決するためにはどのようなアプローチをすればいいかといったメタな知識に変えていく。知識を知恵に変えていく過程です。その過程を省いては意味がないのです。 たとえ正解にいたらなくても時間をかけて悩み考えることに価値がある。その過程そのものが学習であること。悩み考えたからこそ、答がわかる、理解できたことに喜びを感じること。先生方には、問題を出して、その答を教える、説明することよりも、こういったことを伝える、経験させることを大切にしてほしいと思います。 何度も説明することはプレッシャーになる
指名した子どもがよく理解できてない時や全体に問いかけた時の子どもの反応がよくなかった時、どのように対応すればよいでしょうか。このことについて少し考えてみたいと思います。
子どもが理解できていないと判断した時、よく目にするのが、もう一度初めから説明し直すというものです。説明をもう一度聞かせればわかってくれるはずだという気持ちはわかりますが、これは子どもに対してプレッシャーがかかることです。同じ説明をするということは、「説明は悪くない。わからない方が悪い」と言われているように感じたりします。したがって、同じ説明をするのであれば、子どもの精神的な負担を軽くすることを意識する必要があります。「どこで困っている」と聞き返し、ピンポイントでつまずいているところをもう一度説明するというように、子どもの困り感に寄り添ってあげることが大切です。とはいえ、どこで困っているか答えられないのもよくあることです。そういう時は、「なるほど、困っているね、いいよ。じゃあ確認するね。ここまでは、どうかな」というように、わからないことは悪くないことを伝え、スモールステップで進めるとよいでしょう。 先ほどの説明でわからなかったのだから、別の説明をしようという発想もあります。教材研究でいろいろな説明を考えていた時であれば、とっさに別の説明をすることもできます。これは、同じ説明をする時と比べれば子どもにプレッシャーはかかりません。しかし、まだ最初の説明を理解しようと考えている子どもは、次の説明にすぐには頭を切り替えることができません。混乱してしまうことになります。教師の説明が多いほど子どもが理解しなければいけないことが増えてしまうことに注意が必要です。 教師の説明は「わかりなさい」というプレッシャーがかかりやすいので、子どもに説明させるという方法があります。どこで困っているか聞いた後、「○○さんと同じところで困っている人いるかな」「何人かいるね、誰か助けてくれるかな」と子どもに説明させるのです。わからない子どもの数が多いようであれば、グループやまわりで相談させるという方法もあります。教師から同じ説明を聞くより、友だちの言葉で説明を聞くことでわかることがよくあるのです。どこで困っているかがわからないようであれば、「○○さんがどこで困っているか、わかる人」と聞いてみるのも手です。自分が困ったことを思い出して、答えてくれる子どもがいるものです。「ここまでどうかな」と教師が確認しながら進めてもいいですが、つまずきがわかれば子どもに助けてもらうようにします。 また、算数などでは、言葉で説明する代わりに、説明の過程で行なった活動を再度させるという方法もあります。数図ブロックの操作などをやらせるのです。言葉の説明よりも、具体的な操作や活動を何度かすることで理解できることもよくあるのです。 子どもが理解できないとき、教師が頑張って何度も説明すると子どもにとっては「わからなければいけない」というプレッシャーになることがあります。それよりも子どもに説明させたり、活動させたりする方がうまくいくことがあります。このことを頭の片隅に留めておいてほしいと思います。 フラッシュカードの利用のポイント
教室への電子黒板やプロジェクターの普及もあり、デジタルのフラッシュカードの活用も増えてきました。デジタルとアナログの比較も合わせて、フラッシュカードの利用のポイントについて考えてみたいと思います。
フラッシュカードを利用する時に大切になるのがそのめくるタイミングです。子どもたちがすぐに答えられるような問題であれば、集中力を落とさないように速いテンポでめくって次々子どもに答えさせることが必要です。 一方、英単語を覚えるような場面であれば、最初は教師が読んでその後を子どもが繰り返すことになります。全員が覚える(理解する)ためには、1枚のカードを何度か読むことも必要です。この時はわからない子どもが理解する時間を確保するために、少し間を置くことが必要です。1回り終われば、次は少しテンポを上げます。子どもが覚えたと思えば、教師が言わずに子どもだけで答えさせます。教師は、全員がきちんと言えているかどうかを確認することが必要です。言えてなければ何度も繰り返します。友だちの声を聞くことで、繰り返せば必ず全員が言えるようになるはずです。 このように、タイミングをコントロールすることと同時に全員が言えているか確認することが大切になりますが、紙の場合はカードを持つ位置が重要になります。時々目の前にカードを持ってくる方がいますが、これでは子どもを見ることができません。声の大きさだけでは全員の口が開いているか確認できません。頭の上か、顔の横に持ってくるとよいでしょう。 デジタルのフラッシュカードを使う時にも、いくつか気をつける点があります。ワイヤレスマウスやタブレットPCでコントロールすれば、タイミングの調節がしやすくとても使いやすいのですが、有線でつながったPCで操作することになると、これがとても難しくなります。子どもを見る余裕もなくなります。かといって一定のタイミングで切りかえるように設定すると、子どもの実態とずれてしまうことになります。また、デジタルのフラッシュカードの場合、教師が次に何が出るか覚えていないと子どもと一緒に画面を見ることになります。よほど素早く見ないと子どもの実態を把握できないのです。この点タブレットPCは視線の移動も素早くできるので、フラッシュカードを使うのに適しています。紙であれば、手前からめくって前に出すことでカードの裏を見ることができるのでこのような問題は起きません。 全員が理解できているか確認するために、一人ずつ指名したり、列で順番に指名したりすることがあります。適度な緊張感を与えるのによい方法と思えるのですが、誰かが指名された時点で弛んだり、列指名であればその列以外の子どもは集中力を失くしたりします。このようなことを避けるために、誰を指名しても必ず続いて全員が答えるようにするという方法もあります。こうすると、友だちの答を確認しようとするので集中が切れません。また、もし指名した子どもが間違えても、全体の答を聞かせたあと再度指名すれば自分で修正できるので、教師が間違いを訂正しなくて済みます。リズムを崩さずに続けることができます。 アナログの持つよさに、使ったカードをそのまま黒板に貼って利用できるということがあります。カードを子どもたちと一緒に、規則動詞と不規則動詞に分けたり、使った性質やルールで分類したりしながら貼っていくのです。また、紙であれば、単語の変化(活用)したところに線を引くなど、直接書き込むこともできます。次に使う時にまた作り直す必要があるので、ちょっともったいない気もしますが、今、練習したばかりのカードを使うことでよりわかりやすくなると思います。デジタルのフラッシュカードでも、電子黒板やソフトによっては書きこむことができますが、分類して同時に表示したり、動かしたりしながらの作業は紙ほど簡単にはできません。 フラッシュカードは子どもたちの知識の定着や練習量の確保に有効な道具です。デジタルやアナログの特性も理解した上で、上手に使ってほしいと思います。 授業力向上への道のりを考える
この夏休みの間に、研修や研究会で20回ほど模擬授業を見せていただきました。少経験者から達人級までいろいろでした。学校の通常の授業研究ではこれほどを幅広い層の授業に出会うことはありません。達人級は管理職となってしまい、子ども相手の授業をする機会がないことが多いからです。模擬授業とはいえ、達人級と少経験者の授業を比べる機会を得て授業力向上への道のりについて考えました。
少経験者と達人級の授業とではその質に大きな差があるのは当然です。しかし、少経験者でもこれはと思う授業には、達人級の授業と共通点があることに気づきます。何かというと、目指す授業の姿、子どもの姿がはっきりしていることです。実際にその姿が実現されているかどうかの精度には差がありますが、例外なく授業から目指すものが伝わるのです。 たとえば、子どもの言葉を活かしたいという先生は、当然子どもに発言させようとします。うまく引き出せなくても、引き出そうと努力します。子どもから出た言葉を何とか他の子どもにつなごうとします。達人級との差は、「対応力」「受け」の技術の差です。 子どもに興味・関心を持たせたいという先生は、課題や発問に工夫をします。その課題や発問が授業のねらいにうまくつながっていないこともよくありますが、子どもを惹きつけようとする姿勢が見られます。達人級との差は子どもが興味・関心を持つために必要な条件を知っているか、その具体例をどれだけ持っているかという「知識」「経験」の差です。 この差が大きいと言ってしまえばそれまでですが、達人級も初めは目指す姿を実現したいという思いからスタートしたはずです。そのことにあらためて気づけたのです。経験があればだれでも達人級になれるわけではありません。目指す姿があって、それに向かって経験を積むから進歩していくのです。目指す子どもの姿があるから、その姿が見られるかどうか真剣に子どもたちを見ます。毎日の授業が学びにつながるのです。子どもたちの姿から足りないことに気づくから、学ぼうとするのです。 目指す姿が明確でないまま経験を積んでも、自分の授業を評価する基準がないため何がよいのかどこを直せばいいのか気づくことができません。ただ経験しただけで、その経験が積み上がっていかないのです。 目指す姿が明確だからこそ、それを実現するための、課題や発問をつくる力といった「授業の構成力」や子どもへの対応力、受けや切り返しといった「授業技術」が身につくのです。 少経験者に対して、どんな授業を目指すかという問いをよく発します。これに対して、だらだらと抽象的な言葉が続き明確に答えられない方がいます。自分の目指す授業が明確になっていないことがわかります。一方、「子どもが自分で考える授業」といった短い言葉で答えてくれる方もいます。とても明確です。明確になっていれば、「それは具体的に子どものどんな姿でわかるのか」「この授業では具体的にはどの場面で、どうなっていればいいのか」と問いかければいいのです。このことを毎時間繰り返して自分に問いかければ、間違いなく授業力は向上するはずです。 また、「○○先生のような授業」という答もあります。先日お会いした若い先生は、セミナーで出会った講師の先生の模擬授業を見て、こんな授業がしたいと憧れて、以来その先生の著書を読み、講演を聞く機会があれば参加しているそうです。「憧れる」ことは、目指す姿が明確になることでもあります。自分の中に「基準となる教師像」があるということはとても素晴らしいことです。若い方には、名人や達人と呼ばれる方の(模擬)授業を見る機会をたくさん持ってほしいと思います。「憧れる」ことが授業力向上への近道だからです。 若い先生でも、ぜひ多くの先生方にも見てもらいたいという授業をされる方もあります。出会った時から、そのような授業をしていたわけではありません。会うたびに少しずつ成長していて、気づけばそのような素晴らしい授業になっていたのです。目指す姿が明確だからこそです。毎日ほんのわずかでも成長していれば、1年間で驚くほどの成長も可能なのが、教師の世界です。 毎年多くの先生方と出会います。どの先生も名人や達人と呼ばれるようになる可能性を秘めています。そこにたどり着くかどうかは、そこを目指すかどうかです。名人や達人を目指すというと大げさかもしれませんが、目指す授業や子どもの姿を明確にしてほしいのです。そのことが授業力向上への第一歩だからです。 11年続いた研修会で考える
先週末は授業力アップの研修会に、オブザーバーとして参加させていただきました。市の有志の先生方が主催するものです。10年続いた研修会をリニューアルして、「わかる・できる」授業づくり学習会として再出発しました。以前の授業技術を中心としたものから、より授業の根本から学び合っていくものへ進化させようという思いが伝わります。また、一回の研修で終わりではなく、秋にもフォローの研修会が用意されています。学んだことを実践すれば必ず疑問点が出てきます。それを解消するとともに継続的に学んでいくことを大切にしようということだと思います。今回の参加者は3年目から5年目が中心です。日々の授業での課題が見えてくる時期です。その課題を解決するきっかけになることも願っての、「わかる・できる」授業づくりだと理解しました。
プログラムの最初は講演です。授業中への子どもへの対応(キャッチ・アンド・レスポンス)についてのお話が中心でした。参加者の聞く姿勢が気になります。聞いてはいるのですが、どうも受け身です。体が前のめりになっている方が少ないのです。昨年の研修会でも感じたのですが、知ろうとする姿勢は感じるのですが、考えようという空気が薄いのです。参加者はその情報を理解し消化しようというよりは、講義をノートに写しておく学生のような態度です。そのことに気づいた講師は、この日使ったスライドはホームページにアップすることを伝えました。それでも、講師の先生が考えることを投げかけている場面でも、スライドをメモしている姿が見られました。投げかけられた課題が、切実なものとして感じられていないのかもしれません。考えること、外化することをうながすために、ペアやグループワークを講演の中に組み込まれます。活動をすることで明らかに表情に変化が見られますが、全体での共有場面ではやはり重たくなるのです。自分の考えを言えばいいのですが、どうも正解を言わなければと思っているように感じられます。彼らの授業が、日ごろ子どもに正解を求めているものである裏返しのように感じます。 子どもの言葉をどのように受け止め、どのように切り返すか。このことが「わかる・できる」授業づくりにどうつながるかを理解できていないことが、会場の雰囲気を重たくしている原因であるように感じました。 また、わからない子どもや間違えた子どもへの対応を考える場面でとても気になることがありました。どうやって子どもに正解させるか、考えを修正するかに意識が集中して、その子どもをポジティブに評価するような働きかけが出てこないのです。わからない、できない子どもに対して寄り添う視点が感じられないのです。講師の先生は「愛ある授業」ということを提唱されている方ですが、その部分が参加者と共有されていないようです。講演終了後、講師の先生とそのようなことをお話ししました。 続いては、授業技術についての2つの講座です。昨年までは、かなりの時間を割いていたものですが、今回は非常にコンパクトにまとめられていました。まずは、入り口を経験してもらい、実際に使ってみることで、そのよさと難しさを知ってもらうことにねらいを絞っているのでしょう。よさを知れば、もっとうまくなりたいと思いますし、難しさを知れば課題意識を持ちます。そこでフォロー研修を行うことで、よりよく学べるようにしようということでしょう。 そうなると、短い時間で何を伝えるかです。時間がないので、どうしてもすぐにできるようになるための How to に時間を割いてしまいます。しかし、だからこそ、この授業技術が「わかる・できる」授業にどうつながるかを実感してもらう必要があります。こういう講座は授業と同じです。このことを学習することにどんな意味があるかがわからなければ(必然性)、意欲は高まりません。指示に従って活動するだけでは学びは多くはないのです。 1つ目の講座は、この授業技術についてある程度知っていることが前提で組み立てられていました。たった一人ですが、この授業技術を聞いたことがない方も参加されていました。この方を起立させました。また、この授業技術を知っているが使ったことがない方も続いて起立させました。かなりの数になります。このことを確認した後、着席させました。ここで、この授業技術のポイントについて、復習という意味でワークシートの空欄を埋めさせる作業をさせました。参加者からすればアンフェアな進め方です。知識は知らなければ答えることはできません。知らない人にとっては気持ちがネガティブになる進め方です。もし参加者から出力させたいのなら、余計なことは聞かずにいきなり作業に入ればいいのです。ただし、「わからなければまわりの人に聞いてください」とするのです。まわりとかかわりながら、全員が正解となることを目指すのです。知らない人が、ただ答を聞くだけでなくその意味もたずねれば、より意味のある活動になります。ポジティブになることを意識した組み立てが大切です。 2つの講座に共通して感じたことは、2つの授業技術のよさを伝えることも技術を伝えることも中途半端に終わったことです。フォロー研修があるのであれば、よりこの授業技術のよさを伝えることを重視し、技術に関しては一番基本的なことだけに絞って、残りは自ら学んでもらうことを意識した方がよいように思いました。 とはいえ、参加者はグループでの活動もあったので、雰囲気が柔らかくなり表情もよくなってきました。午後からの研修が楽しみです。 午後は3つの講座から2つを選択するものです。「全員参加させるためのアイデア」という講座が目新しいものとして私の気を引きました。授業に全員参加させ、全員を評価するアイデアの紹介です。評価について参加者に問いかけます。評価と評定が混乱しているような回答が多いようです。評価は子どもたちの現状を正しく理解し次の指導を考えるためのものです。その視点をまず押さえたことはとてもよいと思いました。 参加者を子ども役として具体的な場面で評価方法を紹介していきます。とてもわかりやすいと思いました。 今回の例は「知識が身についているのか」の確認や「全員を参加させる」ための活動が中心でした。だれでも使いやすい、わかりやすいものに絞っています。すぐにやってみようと思えることは大切です。ここで気をつけてほしいことが、評価してできていないことがわかっても、その時にどういう指導をするのかが明確になっていないと困ってしまうということです。常に評価と指導は一緒に考えておく必要があることをもう少し伝えておきたいところでした。 参加者に、全員を評価する方法を具体的に考えてもらう場面がありました。その様子を見ていたのですが、なかなか意見が出てきません。フラッシュカードを使って、列指名するという意見があるグループで話されました。そこで、「その列以外の子どもはどうでしょうか」と投げかけてみました。すぐに答えが出てきません。日ごろ全員を参加させることをあまり意識していないことがわかります。もちろん、いい意見を出してくださる方もいますが、残念ながら少数でした。 この講座でも、具体例の紹介だけでなく、当たり前のことですが、「全員を評価する」「全員を参加させる」ことの意味を再確認する必要があったように思います。日ごろ意識されていないということは、まず強く意識させる動機づけが必要なのです。 他の講座でも、同様の傾向を感じました。この1日の研修が「わかる・できる」授業にどうつながるかを最初に明確にする必要があったように思います。 私が日ごろから実践を通じて学ばせていただいている中学校の先生も、オブザーバーとして参加していました。講座の実習場面を通じて、フラッシュカードの使い方に関してとてもよいことを学ばせていただきました。単に定着だけでなく、そこから考えることにつなげる方法です。デジタルではない紙のよさを改めて確認することをできました。ありがとうございました。 最後に午前に引き続いて、同じ講師の先生の講演がありました。さすがだと感じたのは、午前の参加者の様子から、講演内容を修正されたことです。教師のありよう、教師は何を目指すのかといった根本的な部分について、自身のライフヒストリーを通じて熱く語られました。午前中とはトーンもテンションも違います。実習を通じて雰囲気が変わってきたこともあってか、聞く姿勢が違います。体が前に傾いている方が一気に増えました。この先生からはめったに聞くことがない厳しい口調での言葉もありました。これは、参加者の様子からこのような言い方をした方が伝わるのだろうという判断があってのことでしょう。みなさんがその言葉をしっかり受け止めていることがよくわかります。子どもに学ぶことを求める教師だからこそ、自身も学ばなければならない。積極的に学ぶ姿勢があって初めて子どもの前に教師として立てることを強く訴えられました。めったに見られない姿だからこそ、その思いの強さを感じることができました。参加者にもきっと伝わったことを思います。 今回は10年続いた研修会の11年目として、新しい一歩を踏み出したものでした。授業技術中心から、もっと広く授業の根本的なあり方まで考えるものへと進化しようとしていることがよくわかります。今回は多くの生みの苦しみを味わったことと思います。だからこそ、次のステージへとステップアップできるのです。中心メンバーも10年経てばそれだけ歳を取ります。若いスタッフがどんどん増えて、この研修会がさらに10年、20年と続いてほしいと思います。私自身、毎回多くのことを学ぶ機会を得ています。スッタフや参加者の皆さんに感謝です。 教師が成長する条件は何かを再確認できた研修(長文)
毎年1講座を任されている、市主催の研修会の講師を務めました。今回は「若手が伸びる、若手を伸ばす」をテーマにして、模擬授業と解説、そして座談会(インタビュー?)という構成でおこないました。対象はこの市の初任者全員と、希望者です。若手を指導する立場の方にもたくさん出席していただけました。
模擬授業は成長著しい10年目の英語の先生にお願いしました。比較的年齢の近い教師の素晴らしい授業を見ることで、初任者や経験の浅い先生に具体的な目標を持ってもらいたいと思ったからです。また、「子どもが活躍する授業」ということはよく言われますが、実際には一部の子どもだけが活躍しているということほとんどです。今回の模擬授業を通じて、「子どもが活躍する」授業とはどういうものかを知ってもらいたいというのがもう一つのねらいです。 中学1年生の三人称単数現在の ”s” の学習です。教師の説明はほとんどなく、子どもの活動を中心に進めています。まず、”Dose … ?” に対する答え方を練習します。スクリーンに左上に男性を表示し、○か×を表示します。○を映したときは、”Yes, he does.” と、×を映したときは ”No, he doesn’t.” と授業者が発声します。それを子ども役に繰り返させます。何度か繰り返した後は、授業者は発声せずに○×を表示して、子ども役だけで発声させます。この時、授業者はとてもよく子ども役を見ています。全員が確実にできているかを見ているのです。続いて人物を切り替えます。女性に変え、今度は “she” になることに気づかせます。人物と○×を切り替えながら練習をします。単純な ”Yes” ”No” ですが、”situation” を理解しないと答えることができません。単なるリピートと違って、頭を使った活動です。ICTをうまく活用しながらテンポよく進めるので、とても密度の濃いものになります。この活動に続いて、有名なスポーツ選手の写真とスポーツを表わすアイコンを画面に表示します。この組み合わせで、”Does ○○ play ××?” とたずね、子ども役に答えさせます。人物とスポーツの組み合わせを変えながら全体で練習します。子ども役が慣れてくれば、指名して答えさせます。それを受けて全員で繰り返します。こうすることで、友だちの答をしっかり聞く必然性が生まれます。注目すべきは、スクリーンの情報に文字がないことです。確かに紙での試験対策を考えれば絵の代わりに単語を書いておきたいところなのですが、それでは子どもは文字を読んでしまいます。”situation” を英語で表現する練習にはなりません。文字を読む練習と言語を習得することは別ものです。まずは言語を習得させることに重点を置いているのです。 続いて、スクリーンにスポーツのアイコンとスポーツ選手の写真の一覧を表示し、2列を立たせ向かい合わせます。ここでも何をするか説明はしません。ちょうど座席がずれていたので、授業者と先頭の子ども役で会話をします。どの子ども役も真剣にやり取りを見ています。見ていないと何をすればいいかわからないからです。授業者がスポーツ選手とスポーツの組み合わせを選んで、ペアとなる子ども役に質問します。子ども役がそれに答えると、今度はペアの相手に質問をするように促します。子ども役はこれで何をすればよいかわかります。スクリーンに映されている物が意味することも理解します。一組ずつ活動させます。スクリーンを見ながら質問をする子ども役もいますが、授業者は話すときはペアの相手を見るように促します。続くペアはしっかりと互いを見あって話します。面白かったのが他の子ども役の様子です。何をすればよいかは理解したので、少し集中力が落ちたのです。これは優秀な子どもに見られる傾向です。不安がある子どもたちであれば、しっかり様子を見ています。もし学級全体の集中力がなくなるようであれば、他の子どもにも質問に答えさせるといったことが必要でしょう。 ペアで練習した後、今度は学級の中の3人とこの会話をするように指示します。ただし、いきなり質問するのではなく、まず英語で簡単な挨拶をしてからです。一人の子ども役と実際にやって見せます。こうすることで何をすればよいかがよくわかります。子ども役の様子は実際の子どもと大差ありません。とても楽しそうに取り組みます。最初は硬かった表情も笑顔あふれるものになっています。決められた言葉をしゃべるのと違い、自分の言葉が相手に伝わった、相手の言葉を理解できたということが自己評価できます。うまくできれば達成感が味わえます。本当のコミュニケーションになっているから、楽しいのです。 時々、スクリーンを見ている子どもがいます。この場面の本質でないスポーツ選手とスポーツの組み合わせをどうするかに困った時は、スクリーンの情報が助けてくれます。しゃべるのに困らないように、事前にワークシートに書かせておく授業によく出会いますが、これでは、子どもはワークシートを見ながら読むか、覚えておいて臨みます。コミュニケーションとは言い難いものです。このことを授業者はよく理解しているのです。 ここで授業者に、なぜ3人なのか訊ねました。数が多いとだんだんテンションが上がってきたり、関係のない話をしたりしだすからということです。テンションが上がる怖さをよく知っています。また、子どもたちが活動している時に、子どもの中には入らずに離れた場所から一人ひとりが活動できているかどうか、全体を見ています。もし困っている子どもがいたらどうするかを聞いてみました。即答しません。実際の授業場面を想像して考えているのでしょう。でてきた答えは、「自分が対応するか友だちにつなげる」でした。そうです。一律の対応ではなく、子どもの状況によって異なるのです。これ以外の対応があるのかもしれません。一人ひとりを見ているということは、子どもによって対応を変えるということなのです。 続いて、スクリーンの左上にスポーツ選手、その下に好きを表わすアイコンとその横にスポーツのアイコンを表示します。英語の語順を意識しています。”○○ likes ××.” と授業者が発声します。特に ”likes” の “s” を意識させるように発音します。何度も子どもたちに繰り返させます。主語を ”he” や “she” に置き換えて練習します。次は主語を ”I” や “you”、”we”、”you and I” に変えて練習します。主語を変えて練習をしながら、動詞に ”s” がつく時とつかない時があること、それはどんな場合か子ども自身に気づかせます。子どもが自分で気づけるように活動を組み立てているのです。 スクリーンに教科のアイコンを表示して、一人ずつ “Do you like ○○ ?” とたずねます。その答を黒板に○×で小さくメモしておきます。1列終わった段階で、全体に対して先ほどの子ども役について質問をします。”Does he(she) like ○○ ?” それ対して答えた後、”He(she) likes ○○ .” “He(she) doesn’t like ○○.” とどちらかで答えます。一列で練習した後、一人ずつ“Do you like ○○ ?” とたずねては、子どもに授業者の視点に立たせて(授業者と一緒に指をさす)”You like ○○.”、続いて “He(she) likes ○○ .” と発声させます。ただおうむ返しに繰り返すのではなく、”situation” に応じて頭を使う必要があります。これをテンポよく続けて定着させます。 最初からこの場面まで、子ども役が受け身になる時間はほとんどありません。一人ひとりの活動量が半端なく多いのです。しかも、ただ活動しているだけでなく、頭をフルに使っているのです。 最後にワークシートでこの日学習したことを確認します。ここで、初めて英文を書くことをします。わからない子どもは、教師が板書するのを待っていて、板書をするとすぐ写しはじめます。ワークシートの空欄は正解で埋めておかなければいけないという強迫観念があるのです。そこで、ペアで確認させます。ワークシートの空欄が埋まっていれば、安心して説明を聞くことができるからです。細かいところまでよく考えられています。 とても素晴らしい授業でした。メモを取るのも忘れて見入ってしまいました。メモも資料も手元にない状態でこれだけ時間(3日)が経っていても、ここまで思い出せるということはそれだけ印象に残っているということです(メモが全く取れていないので、一部間違いがあるかもしれませんがお許しください)。非常に緻密に計算されています。一つひとつの活動がスモールステップとなっていて、力のない子どもでも無理なくついてこられるように工夫されています。 ICTの活用もあまりに自然で、その存在を意識させません。しかし、この授業はICTなくては全く成り立たないのです。ICT活用の実践としてもお手本となるようなものです。 座談会(インタビュー?)の冒頭で、この授業者の成長するきっかけをつくった教頭がその成長に「嫉妬する」と言ったのもうなずけます。 私も、解説などしないでそのまま見ていたかったのですが、参加者の多くが少経験者であったので、途中で何度か止めて、言わずもがなの解説をさせていただきました。 後半の冒頭に「子どもが活躍する授業づくり」と題して、少し一般的な話をさせてもらいました。子どもが活躍する授業の大切な要素は、「子どもを受け身させないこと」「子どもの活動量の確保」「考える必然性のある課題」ですが、先ほどの模擬授業はこの条件をすべて満たしたものでした。これ以外にもいくつかの具体例をもとに話をしました。 この日のもう一つの目玉は、この授業者が成長するきっかけを作った教頭と授業者との座談会です。座談会とは言いながら、結局私は席につかずにお二人にインタビューするような形になりました。教頭からは、教師が伸びる条件とは、素直な人であることを具体的に話していただけました。また、もう一方で若者を育てるためにどのようなことをしてきたかも話していただけます。授業のDVDを渡したり、冊子を渡したりする。折に触れ啓発資料を配布する。授業をいつでも公開する。他校の先生や外部講師に指導をしてもらう機会をつくり、あらかじめその教師のいいところや改善してほしいこと、現在のやる気などの情報を伝え、指導後の変化をほめるなど、本当にいろいろなことをされています。この学校では、この授業者だけでなく何人もの若い(中には中堅もいましたが)教師が驚くほどの成長を見せてくれました。本人の努力もありますが、その陰で管理職のこのような働きかけがあったこともその大きな要因です。当時先生方に手渡したものを、資料として何枚も配ってくださいました。育てる側にはとても参考になるものです。 一方、授業者からはどのようにして学んできたかを教えてもらいました。小さな学校なので学ぶべき先輩もいなかったので、本を読んだり、ネットで参考になる情報を集めたりして工夫してきたそうです。この教頭に出会うまでは、子どもが楽しく英語の授業に参加してくれることを目指していたようです。しかし、教頭から「あなたの授業では、子どもの学力はつかない」と厳しく言われたことが変わるきっかけになったようです。言われたことに対してどう思ったのかと質問したところ「自分でもそのことは気にはなっていたので、何とか変えていこう」と思ったそうです。頑固なところもあると評されていましたが、やはり素直であることがよくわかります。 彼の授業に対して私も何度かアドバイスしましたが、積極的に受け入れてくれました。教科の専門家でもない者の意見をどうして聞く気になったのか聞いてみました。自分自身が課題と感じていたことなので、専門家とかそういうことではなく、前向きに参考にしたそうです。成長するために必要なことが何かがわかる言葉です。「他者に見てもらわなければ成長しない」とも言っています。自分の殻に閉じこもってはいけないということです。 今回の模擬授業に先立って7月の第1週に授業を見せていただきました(「子どもたちの活動量が多い英語授業から学ぶ(長文)」参照)。その際に指摘したこと、アドバイスしたことをほぼクリアした模擬授業でした。授業者の市は全中(全国中学校体育大会)の会場だったため、とても慌ただしい夏休みだったはずです。しかし、今回の模擬授業は今までの授業の焼き直しでないことは明らかです。一体いつ考えたのか不思議です。このことも聞いてみました。私の授業アドバイスから夏休みまでの1週間余りは、毎回何かしらの工夫をしながら授業に臨んだようです。夏休みの間も常に頭の片隅では授業のことを考えていて、思いついたことを少しずつ付け加えながら形にしていったそうです。授業と真剣に向き合っていることがよくわかります。 最後に今回の授業に何点をつけるか聞いてみました。「50点」ということでした。ワークシートの使い方などが自分では納得できていないようです。この授業が50点だということは、まだまだ高いものを目指しているということです。どこまで伸びるか本当に楽しみです。できることなら、彼と一緒に授業の課題について考える機会を持てたらと思っています。 今回の研修から、参加された方はどのようなことを学んでくださったでしょうか。皆さんの真剣な表情から、それぞれきっと多くのことを学び取ったに違いないと思います。私もお二人から、皆さんと同じようにたくさんのことを学べたと思っています。素晴らしい先生方と出会えたことの幸せを改めて感じました。この日が夏休み最後の講演でしたが、とてもよい経験をすることができました。このような機会をいただけたことに感謝です。 養護教諭研修会
一昨日は、市の養護教諭研修会で講師を務めました。この市では原則3年以上勤務した養護教諭は兼職発令されているということでした。まだ担任とのTTが多いということでしたが、授業をする機会も増えているようです。そこで今回、「養護教諭がおこなう授業へのアドバイス」をテーマにお話をさせていただくことになりました。
まず授業を考える時の基本は、子どもにどうなってほしいか、どのような向上的変容を期待するのかを明確にすることです。子どもを中心に考えると言い変えてもいいでしょう。養護教諭の場合、年に何度も授業をするわけでないので、どうしても子どもに伝えたいことが多くなり、そのことを伝えたいという思いが強くなってしまうと思います。結果、子どもに対して情報を与えるばかりで、子どもが活動し考える場面が少なってしまうのです。教師が言いたいことを子ども自身の口から出てくることを目指してほしいと思います。 そのためには、まず伝えたいことを絞ることです。できるだけシンプルな言葉で言えるようにしてほしいと思います。シンプルであればあるほど、それだけ明確になっているということです。その上で、どのような活動をすればよいのかを考えるのです。必要な活動は、資料を自分で整理するといった作業なのか、それとも資料もとに考えることなのか。考えるためには足場となる知識(情報)が必要です。知識は教えるか調べるかです。このことをきちんと整理しておくことが必要です。 保健で扱う領域は幅広いものがあります。肉体の健康から心の健康まで、性の問題や薬物の問題など多様です。課題は子どもたちの興味・関心を引くことが大切です。また、子どもたちにとってリアリティがなければ他人事になってします。このことを意識することが大切なのですが、一つ間違えると興味本位になってしまいます。この課題に取り組ませることが、目指す子どもの姿に結び付くかどうかを常に気をつけなければいけません。 興味・関心ということでは、クイズがよく使われます。しかし、根拠を求められないようなものであれば、テンションが上がってしまいます。テンションが上がることは決してよいことではないということもお話ししました。 養護教諭の方はカウンセリングマインドをお持ちの方が多いので、子どもたちの言葉に耳を傾けることの大切さはよくご存知です。ただ、日ごろは1対1の関係が多いので、教室で多人数を相手する時にはどのようなことに気をつけるといいのか、具体的な言葉の使い方を中心に説明しました。 また、日ごろは保健室という特別な場所で子どもと接しています。子どもの姿は学校と家庭とでは違います。もちろん、教室と保健室とでも異なります。このことを意識するようにお願いしました。教室で授業をする時、すでに一部の子どもとは人間関係ができていることもあります。しかし、安直にその関係で接することは危険です。保健室では教室とは違う姿で養護教諭と接している子どももいるからです。教室での接し方によっては、せっかく作った人間関係を壊してしまうことがあることを注意してほしいと思います。 このようなことをできるだけ具体的な場面を例にしてお話しさせていただきました。 質問の時間では、とてもよい質問が2つ出ました。 1つは、TTでの担任との打ち合わせのポイントです。担任も忙しいのでポイント絞りたいということです。講演の中ではどのような子どもの姿を目指すのかを伝えてほしいということはお話しましたが、それに加えて、予定している課題や活動でその学級の子どもたちがどのように動きそうかを教えてもらうとよいと伝えました。子どもたちの実態を1番知っているのは担任です。担任の目から見て、課題や活動が目指す姿に結びつくかを聞くのです。「子どもたちにこのような活動をしてほしいのですが、どのような課題にすればいいでしょうか」と担任の意見を求めるのもよいと思います。TTなのですから、一緒に考えてもらうことも大切です。 2つ目の質問は、グループ活動についてのものです。時間の関係でグループ活動についての説明は省略したのですが、資料にあった記述がその学校の活動とは違っていたのです。その学校では、司会者を決めて話し合いを進めるやり方を取っているのですが、私の資料には司会者は必要ないと書いてあったので、どういうことか質問されたのです。子ども一人ひとりが考えるためにグループを使うのであって、グループでの行動を決めるために話し合っているのではないことを、グループ活動と班活動の違いとして説明しました(グループ活動では意見を1つにまとめない参照)。 養護教諭の方を対象としたお話は私にとっても初めての経験だったのですが、みなさんが自分のこととして聞いていただけたことが、聞く姿勢から伝わってきました。とてもうれしく思いました。研修会前後に世話役の方々とお話をさせていただきましたが、養護教諭が授業をすることに対して皆さんが前向きに接していることがよくわかりました。次の予定があったため早々に失礼しましたが、温かい接待と楽しいお話に離れがたい思いでした。次回は、実際の授業研究に参加させていただきます。とても楽しみです。このようなよい学びの機会をいただけたことを感謝します。 授業力向上研修
一昨日は市の授業録向上研修会の講師を1日務めました。この夏2回目です。半数ほどの方が前回に引き続いての参加でした。今回の私の講演は「学習規律」をテーマにしましたが、模擬授業は特にテーマを決めずにおこないました。
講演では、まず子どもたちが安心して暮らせる学級をつくることをお願いしました。そのためには、目指す姿を具体的に伝える必要があります。具体的でないと、子どもがよい行動を取ろうとしてもどう行動してよいかわかりません。子どもがよい行動を取ってくれなければ、そのことをほめて学級全体に広げることができません。結果的にできていないことを注意することが多くなってしまいます。これでは人間関係を悪くしてしまします。 叱り方は、個人的な問題なのか、学級全体の問題かによっても異なります。個人的な問題を全体の前で叱っても、本人が恥をかくだけで他の子どもは他人事です。ムダな時間を過ごすことになった原因の子どもに対して悪い感情を持ってしまいます。また、謝らせ方も注意が必要です。多くの場合、教師は自分に対して謝らせます。しかし、学級に迷惑をかけたのであれば、友だちに謝る必要があります。こういうことも意識する必要があります。 子どもを認める・ほめることが学級規律をつくるための基本になります。最近は「できない子どもを減らすのではなく、できる子どもを増やす」こと大切にしてほしいとお願いしています。そのための方法が、子どもを認める・ほめるということです。 また、子どもが安心して話せる雰囲気づくりもとても大切です。否定されない保障がなければ、子どもは安心して発表できせません。どんな発言でも必ずポジティブに評価する。たとえ間違えても最後は自分で間違いを直させて、失敗で終わらせない。こういうことが大切です。 このようなことを、具体的な場面を通じてお伝えしました。 この後各グループで、午後の模擬授業の検討です。前回の参加者も多いため、どのグループもスムーズに進んでいました。1つの授業をみんなで力を合わせてブラッシュアップすることは、とても新鮮に感じていただけているようです。皆さんとても熱心に、かつ楽しそうに取り組んでいただけました。 最初の模擬授業は、小学校3年生の道徳でした。学級で仲間外れになっている子どもがいたことを意識しての授業です。ある子どもが耳の不自由な子どもを助けたことで、友だちになっていくという話を元に授業を進めます。この教材を使うにあたって難しいと感じたことがあります。障害のある人とのかかわりが焦点化されると、授業者のねらいとずれてしまうことです。 冒頭で仲間外れになっている人を見かけたらどうするかを考えさせます。それに続く「耳の不自由な子に、あなたならなにをしますか」という発問がちょっと引っかかりました。一つは、授業者は資料の登場人物を「耳の不自由な子」と言ったのですが、世間一般の「耳の不自由」な人のようにも聞こえることです。もう一つは、「耳の不自由」ということを意識させることになるので、「耳の不自由な子」だから、特別に○○するという考えが出てくることです。あとで、仲間外れになっている子どものことを考える時、下手をすると「仲間はずれ≒障害者」というような意識を子どもが持つ心配あるのです。 授業者は前回も参加してくれた方です。子ども役の発言に、意識して「なるほど」と言葉を返していることがよくわかります。「同じ意見の人」と同じ考えの子ども役に挙手をさせます。子ども同士をつなごうとしています。ここで、同じ意見の人にもう一度発言させればもっとよかったと思います。また、机間指導中には余計な言葉を発しません。前回学んだことを素直に活かそうとしています。このような姿勢であれば、授業力は伸びていくことと思います。 この授業の最後の課題が、「これから友だちを増やしたり、もっとなかよしになったりするためには、なにをすればいいでしょう」となっています。たしかに、資料のテーマにそうのであればこれでいいのですが、今回の授業者のねらいとは少しずれています。もう一度冒頭と同じ発問をして、子どもの変化を取り上げると、授業者のねらいに近づけると思いました。変化した、変化しなかった、その理由などを「なるほど、あなたは○○だから、考えが変わったんだ」と教師が評価をしないで復唱し、互いに聞き合うことで、子どもの内面の変化を促すのです。 2つ目は、小学校4年生の国語「ごんぎつね」の授業でした。 子どもに「ごんの行動」と「ごんの気持ち」を表わす場面にそれぞれ線を引かせて、最終的にはごんが「つぐない」をし続けた理由を問うものでした。 気になったのが本時のめあてです。「つぐない」の気持ちを・・・と、「つぐない」という言葉が最初からでています。しかし「つぐない」という言葉はこの段落の途中で初めて出てきます。子どもに本文から読み取らせたうえで、このめあてを出したいところです。 気持ちを表す部分を発表する場面で「・・・あなへ向かってかけもどりました」という一文が発表されました。他の子ども役は「えっ」「?」といった反応をしています。しかし、授業者は「他には」と他の意見を求めました。ここは、「今の意見を聞いてどう思ったか教えて」と聞くべきところです。授業を止めて聞いてみたところ、「この部分が気持ちを表すとは思っていなかった」「そう読み取れるんだ」といった言葉が出てきました。こういうつなぎが子どもの読みを深くしていくことをお話ししました。 授業者は、ごんが栗や松茸を何度も持って行ったのは「つぐない」の気持ちだけでなく、兵十に共感や同情を持っていたからだと気づかせたかったのですが、時間がなくてそこまでは進めませんでした。最後に、確認のため私が「このことはどこでわかるか」と子ども役に聞いたところ、「おれとおなじ、ひとりぼっちの兵十か」という部分をすぐに示してくれました。さすがは先生です。「ごんぎつね」の授業では、「つぐない」ではなく「ひとりぼっち」「さびしい」といったごんの気持ちをきちんと読み取ることが大切です。本文冒頭のごんの様子の描写とあわせておさえておきたいところです。ここで、「ごんぎつね」という作品の読み取りについて少し解説しました。中にはこのことに気づいていない方もいたようです。教材研究の大切さをわかっていただけたのなら幸いです。 3つ目の模擬授業は、小学校5年生の国語の授業です。伝記を読んで自分が「すごい」「見習いたい」と思ったことを書かせた後の、グループでの話し合いの場面です。めあては、「主人公の生き方や考え方について自分の考えを深めよう」です。授業者は「友だちのよいところをたくさん取り入れて、自分の意見をスーパー意見にしよう」と目標を伝えます。残念ながらこの時点で、子ども役はどうしていいかわかりません。自分の考えを発表することはできますが、そのあとどうすれば「スーパー意見」になるのかがまったくわからないからです。「すごい」「見習いたい」と思ったことと、「考えを深める」、「スーパー意見」が全くつながらないのです。授業者の感覚的な言葉だけで明確な評価の基準がありません。このような話し合いはするだけムダというより、してはいけないのです。子どもがただ活動しればそれでよいと考えるようになってしまうからです。「活動あって学びなし」という授業です。 申し訳なかったのですが模擬授業はここで止めて、課題と目標、評価のあり方についてお話をすることにしました。 最後の模擬授業は、中学校の道徳でした。授業者は、給食の配ぜん係が一生懸命やる者とそうでない者に分かれてしまい、両者の関係が悪くなっている状況を何と変えたいと思ってこの授業を考えたそうです。 「明かりの下の燭台」という読み物資料を使います。東京オリンピックのバレーボールで金メダリストを輩出したニチボー貝塚の、選手からマネージャーに転向した人物の話です。 主人公の気持ちを問いかけますが、ただ問いかけただけでは他人事のような意見しかでてきません。子どもが主人公の着ぐるみを着るような発言をすることを目指すことが必要です。そのためには、主人公の立場や状況をできるだけ子どもたちに印象付ける必要があります。教師が範読しながら、「めちゃくちゃ悔しいよね」「こんなんだったらもうチームにいてもしょうがないと思うよね」というように、主人公の気持ちを代弁するような言葉を足したりすることが時に必要です。また、「あなたは、マネージャーで頑張るといったけど、何もいいことないんだよ。それでもやる意味がある」というように子どもの言葉に対して揺さぶることも必要です。しかし、「いい考え」「疑問だ」といった評価は決してしてはいけません。たとえ揺さぶっても子どもの考えはそのまま受け止める必要があります。 大切なことは、「同じ状況でも人によってとらえ方が違うんだ」「ああ、そういう考え方もあるんだ」と子どもが友だちの考えに触れて、自分の考えを見直すことです。授業者のねらいを考えると、最後に資料から離れて子どもたちに本当に考えてほしい場面を設定するとよかったかもしれません。「あなたならどうする」と全員に問いかけて、互いの考えを共有して終わるのです。 道徳とは直接関係ありませんが、この授業者の学級のような状況をつくらないためのヒントを話しました。係活動の結果をポジティブに評価する場面をつくる。友だちから「ありがとう」と感謝される場面をつくる。こういうことを心がけるとよいことを伝えました(係活動の指導参照)。 どのグループも全員がしっかりと授業を検討したことがよくわかりました。自分のグループの模擬授業を見る姿勢や解説を聞く姿勢が、他のグループの時以上に真剣だったからです。皆さんの模擬授業から私もたくさんの課題をいただき、また学ぶことができました。参加した皆さんとこのような機会を与えてくれた教育委員会に感謝です。 「楽しく授業研究しよう」第6回公開授業検討で考える(その2)(長文)
昨日の日記の続きです。
2つ目の模擬授業は、社会科の日本の海洋を考えるものでした。授業者は前回のフォーラムでも模擬授業をおこなった社会科の達人です。この夏も各地で模擬授業をおこなっておられます。一部では「模擬授業職人」と呼ばれているそうです(私はこの言葉を初めて耳にしました)。 何度も模擬授業を見せていただいていますが、いつもスキのない授業をされます。スキがないと同時に構成は基本的にいつも同じです。ワンパターンかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、実際の授業ではこれは大切なことです。子どもたちは次に何が起こるか安心して授業に参加できるからです。パターンは同じでも課題は異なります。扱う資料も異なります。ワンパターンだからといって、飽きたりだれたりすることなどないのです。 いつものようにICT機器を使い、最初はテンポよく知識の確認をします。今回は日本のまわりの海の名前を、日本地図を見ながら言わせます。続いてこの時間のゴールを示します。ゴールが明確であると、子どもは安心して授業に取り組めます。ゴールが「○○についてわかる」といったものでは、結局どうなればいいのかわかりません。この授業では、「日本のまわりの海洋はどのようになっているのか」を「ノートに説明を書くことができる」と具体的に示しています。 最初の課題が提示されます。知識を調べる、確認するものです。日本地図を与えて「海洋についてどのようになっているか気づいたこと、思ったことノートに書きなさい。時間は1分です」と指示をします。時間を明確に切ることで、子ども役の活動をスピードアップさせます。ここで、少し気になることがありました。日本地図をもとに考えることを強調しなかったことです。「海洋について」は言われたのですが、「日本地図から」は言わなかったのです。このことが影響するのでしょうか。 発表の場面では、いくつ書いたか子ども役に確認して少ない者から発表させます。一人ひとりの活躍の場を保障しようという授業者の姿勢がわかります。子ども役が発表したことに対して、必ず「どこでわかる?」と確認をします。こういう基本は外しません。また、子ども役に同じ考えだったら同じだと反応を返すように促します。こういう場面は模擬授業ならではの場面です。別の言い方をすると授業技術を教える、伝える場面です。というのは、通常の公開授業ではまず見ることができない場面だからです。こういう場面は4月のころにしか見ることができません。子どもたちが育てばわざわざそんなことを指導しなくても、自然にできるようになっているからです。こういう場面をさり気なく入れるところが「模擬授業職人」と呼ばれる所以でしょう。 「海はつながっているのに名前が違う」という子どもの役の言葉に、「思ったことを言っているんだ」と評価します。この対応も面白いと思いました。おそらくこの部分については扱いたくないのでしょう。しかし、この気づきに焦点を当てて何らかの評価をすると、「なぜ?」と思ってそこに意識がいってしまう子どもが出てくるかもしれません。そこで、このような評価をしたのではないかと推察します。 地図の色が違うという情報を発表する子ども役がいます。こういう発言を活かして、色の違いに意味があるのか、色が何を表わしているかと返します。地図を見る時のポイントを活動前に確認しておけば、「海に深い部分がある」「海溝がある」といった言葉が最初からでてきたでしょう。先ほどの「日本地図」を強調しなかったことにも関連するのですが、模擬授業だから起こる場面、スキなのかもしれません。自分の学級であれば、地図をよく見て考えることは当たり前だし、地図を見るポイントは言われなくても子どもはよくわかっています。おそらく、20分という時間の制約の中でカットされた部分なのでしょう。 授業者は子どもの発言に対して、より明確にするように物わかりの悪い教師を演じます。地図を「下から上へ」といった発言に対しては、「下から上?地図ではどう言う?」とプレッシャーをかけ「南から北へ」と修正させます。子ども役の言葉を借りれば「発言すれば終わりではなく、気を抜くことができない」ということです。子どもに集中を切らす余裕を与えません。 ここでは子どもたちから海岸線に関する気づきは発表されませんでした。海洋について強く意識付けされているので、海岸線には目が向かなかったのかもしれません。授業者は、「囲まれている線は何だろう」海岸線に意識を向ける発問をしました。しかし、「海岸線」という用語を出しただけで次に進みました。なぜでしょう。ここにも疑問が残りました。授業後に授業者と話をして氷解しました。 最初の課題で地図を強調しなかったことについては、指導案では「日本地図から気づいたこと、思ったことをノートに書きなさい」という予定だったようです。そこを言わなかった。そのことも要因としてあったのか、「海岸線」について子どもたちの反応が悪かった。そこで、「海岸線」については捨てたというのです。「日本の海岸線は面積が日本の25倍もあるアメリカ合衆国の海岸線よりも長い」といった子どもの興味を引く情報も用意していたそうです。こういう資料や情報を準備していると無理しても説明したくなるものです。それをあっさり捨てるというのはなかなかできないことです。 子ども役から考えを聞きますが、その間板書をしません。発表が終わったあとで、「みんなが気づいてくれたこと」と整理をします。ここで、見事にフィルターがかかっています。このあとの主課題につながるものだけを板書するのです。一つひとつの発表をきちんと受容しているので、自分の発表が書かれなくても子どもたち不満に思わないでしょう。子どもたちが考えやすいように情報をうまく整理しています。 このあと、排他的経済水域の図を示し、領海と排他的経済水域の説明をします。日本の国土の面積は世界の60位と狭いが排他的経済水域は6位と海洋大国であることを、第何位かというクイズを交えて教えます。自分たちが考えたことや気づいてことに関連する説明なので興味を持って聞きます。海底地形図を使って、南海トラフや海の体積が大きいことなども話します。 これらの知識は、子どもにでは簡単に調べたり気づけたりしないものです。ここにムダな時間は使いません。この区別はとても大切です。ともするとすべて子どもに調べさせようとしたり、すべて教師が教えてしまったりします。「調べさせる知識」「教えるべき知識」をどのように分けるかは授業の組み立ての大切な要素です。 こうして、この時間の主となる課題「こういった海洋の特徴から言える日本のよさは何か」を考えさせます。根拠となる知識が明確にあるので、子どもの考えを引き出しやすくなります。最初の課題で知識を得る。考えるために必要な知識で不足しているものを教師が教える。これらの知識をもとに考える課題を与える。こういうテンプレートを持つことで授業づくりは非常に明確になっていきます。ワンパターンだからこそわかりやすく、また基本があるから変形も容易なのです。 もちろんよさだけでなく、問題点も考えさせます。ここでも、考えるための情報を与えます。日本と韓国の排他的経済水域の地図をひっくり返して見せます。ひっくり返すことで、見慣れた地図も新鮮なものになります。また、日本という視点から韓国という視点に切り替えることがしやすくなります。「韓国の人はどう思うだろう」という発問で、立場が変われば見方が変わることを意識させます。漁場が豊富、海底資源が豊富というよさとあわせて、領土問題と経済問題の関連に気づかせていきます。 流れが見えている授業だからこそ、一つひとつの場面の持つ意味、授業技術の素晴らしさに気づくことができます。子ども役を体験する、参観することで授業力をアップさせる模擬授業でした。 この模擬授業を元にグループを活用した「3+1授業検討法」で授業検討をおこないました。わずか20分の授業ですが、よいところは数えきれないほどあります。たくさんよいところが発表されると期待しました。ところが、各グループの発表は「ゴールが明確」「資料の使い方」「テンポのよさ」など同じものが何度も出てきます。授業者からこれだけ重なるのなら「2+1」でいいのではと、意見が出ました。今回は口頭での発表なのでグル―ごとに同じものが繰り返し発表されてしまいました。各グループで模造紙にまとめたものを前に貼って、共通のものを線で引くなど整理してから発表に入れば、ムダな説明はかなり減らせると思います。また、印象に強く残るよいところがあることも、3つに絞ると同じものが何度も出てきた要因でしょう。実際には授業検討の対象は達人の授業ばかりではありません。ごく普通の授業であれば、また違った様子になるのだと思います。また、3つに絞る過程ではたくさのよいところが取り上げられていると思います。あくまでもグループで学び合うことがねらいです。ただ今回は、時間がないこともあり一部のグループでは各自の発表が最初からよいところ3つに絞られていました。数に制限をつけずに、たくさんよいところを共有してほしかったと思います。 3つ目の模擬授業は理科の磁石の実験です。小学校3年生対象のものです。理科的な活動を大切にする授業者です。20分と短い時間ですが、子ども役の活動時間をたくさん取ることを意識していました。 子どもに磁石に関して知っていることを言わせ、黒板の横に書き留めます。これが後で考えるためのヒントになります。課題は磁石の実験でどんなことがわかるか、「気づいたこと」を説明することです。スクリーンに手元を拡大して実験を見せます。2本の針をぴったりくっつけて手でしっかり押さえます。磁石で一方向にこすり、手を放すと針が離れていくというものです。子どもにとっては不思議に思えることです。何度か実演してみせて、道具を全員に配ります。 実験中にほしいものがあったり、試したいことを思いついたりしたら申し出るように伝えます。子どもの発想をできるだけ生かそうという姿勢です。 授業者は実験中も子ども役をずっと笑顔で見ています。子どもたちが安心して実験をするためにはとても大切なことです。子ども役は2つの針が離れことを確認した後、思い思いにいろいろなことを試し始めました。 ここで、発表の時間を取りました。子ども役に気づいてことを発表させます。子ども役の説明を笑顔でしっかりと受け止めます。磁石でこすったといった説明に対しては「向き」や「極」を確認します。はっきりしない子どもに対しては、強くは追及しません。「なるほど」と受け止めて進みます。子どもが安心して自分の考えを言える雰囲気をつくります。ここで、思った以上に多様な意見が出てきました。中には、他の子どもの実験と矛盾するようなものもあります。時間がないので1回の実験でまとめられたらと考えていたようですが、ここで課題を焦点化して、子どもに再度実験をさせることにしました。本来ならば、子どもから出てきた気づきを整理して、子どもから出てきたものから課題を絞って実験をさせたいところですが、それでは時間が足りそうにもありません。せっかくいろいろな気づきがあったのですが、「針が離れるわけを説明する」ことに課題を絞りました。 針の磁極を調べようとしている子どもには、あらかじめ用意していた方位磁石を与えました。他の子ども役も欲しがるかと思ったのですが、その様子はありません。自分の実験に夢中で、他の子ども役の様子は目に入らなかったようです。先ほど矛盾した実験結果が出た子ども役はそれにこだわり続けていたようでした。 全体でのまとめは、「磁石になっていること」と「それをどうやって確かめたか」をしっかりと笑顔で問い返します。理科の授業で大切な「仮説」と「検証」を意識した進め方です。残念ながら時間切れて、磁石が針から離れた場所に、針と接していた側の極と反対の極ができるということまでは明らかにできませんでした。 授業者は20分という時間の制約の中、実験を1回にするということを考えていました。しかし、自由に実験をさせていろいろな気づきを引き出した時は、共有して再度実験することが必須のようです。この模擬授業を通じて、「実験での子どもの気づきをたくさん拾い、それを整理する。再度確認のための実験をおこない、子どもの気づきをもとにまとめていく」という理科の実験の授業の流れの意味がよくわかりました。実験をおこなうには時間の制約が思いのほか厳しかったため、路線変更を余儀なくさせられましたが、逆に言えば、臨機応変に対応できるということです。若手の模擬授業で想定外のことが起こると凍り付いてしまうのと対照的です。 この授業が本当に優れていることは、研究会が終了後にわかりました。子ども役が何人も授業者のところにいって、まだ実験を続けているのです。疑問を持ち解決したいという気持ちになっているのです。私の理想とする授業は子どもたちが「わかった」と言って終わる授業ではありません。「もう少しやればわかりそうだ」ともっと学びたいと思うような授業です。そういう意味では、とても素晴らしい授業だったということです。 この模擬授業では、開発中のICTを活用した授業検討を試してみました、詳しいことはまだオープンにできませんが、いろいろな可能性が会員からがあがってきました。手間がかからずに、授業検討を充実させる。今までとは違った視点で授業検討がおこなえる。そのようなものになっていくのではないかと期待しています。 充実した研究会でのあとは、懇親会で皆さんと楽しく歓談。会場を提供してくださった企業会員の皆さんがバーベキューに流しソーメンと大活躍してくれました。おいしい料理とお酒に大満足。とても素敵な時間を過ごすことができました。みなさんに感謝の1日でした。 授業検討で考える(その1)
昨日は愛される学校づくり研究会に参加してきました。今回は夏休み中ということもあり、終日の会です。2月のフォーラムに向けていよいよ本格的に始動しました。
午前中は、フォーラム前半の「校務の情報化」についての打ち合わせでした。昨年好評だったものをバージョンアップしようというものです。グループごとに真剣に内容を検討し、方向性を発表してくれました。どのグループもとても意欲的です。会員の私がどのようなものになるか早く見たいと思うような内容です。期待していただきたいと思います。 午後は、フォーラム後半の「授業検討法」について、本番と同じく3つの模擬授業で授業検討を行いました。 1つ目は、中学校国語の授業を「3シーン授業検討法」を使って検討しました。授業者は私にとって国語の授業の基準となる先生です。20分と短い時間の中でどのような授業を見せてくださるのか楽しみです。 授業は「こそあど言葉」を考えるものでした。「こそあど言葉」の例、「これ、それ、あれ、どれ」など、だれでも答えられそうな問いを導入にもってきます。何人も指名して、その発言をしっかり受容します。うまく答えられなかった子ども役にも、何人か指名したのちまた指名して挽回の機会を与えます。子どもの活躍の機会をつくり、授業の課題に取り組もうという気持ちを高めます。「こそあど言葉」のなぞについて考えるという課題を提示したところで、小(大?)道具を取り出しました。人気アイドルの等身大のパネルです。実際の子どもたちであればテンションが上がるところです。授業者の恋人という設定です。「誰か知っている?」と問いかけたところ、「○○チン」という答が返ってきます。「ニックネームだね」と返し、名前が出たところで、「ピンポン!」と正解であることを宣言して本題に入りました。子どもの発言に対しては、「正解」という言葉を授業者は使いません。常に「なるほど」と受容しています。ここで「ピンポン!」といったのは、この話はこれでおしまいとそのことに関する思考を停止させたのです。こういった小道具を使って子どものテンションを上げることは簡単ですが、ともするとその状態を引きずって本題に子どもが集中しないことがあります。「ピンポン!」の一言で区切りをつけたのは見事でした。 等身大のパネルは単に子どもの興味を引くためだけではありません。「これ」「あれ」「それ」の違いを考えるために意味のある道具でした。パネルのアイドルと肩を組み、「○○チン、これ」と話しかけます。この「これ」はどの場所を指すか子どもに問いかけます。「こ」と書いた紙を黒板上で動かし、このあたりと思うところで挙手させます。子どもたちが参加しやすい方法です。同様に、「あれ」でもおこないます。こうして、「こ」が近く「あ」が遠くを表わすことを確認します。ここからが本題です。「それ」はどこを指すかを問いかけます。ところが子ども役から、後ろの方を指すというちょっとおかしな意見が出てきました。ここで授業者は否定しません。「なるほど」とまずは受容します。「『○○チン、それ』と言ったら」とパネルを後ろ向けて、「ここを見るんだ」と返します。子ども役は、「それ」は距離を考えないという言葉を足します。授業者としては距離で押さえたいのですが、このままだとおかしな方向に話が進みます。そこで、この考えをなるほど思う人を挙手させます。半分ほど手が挙がりました。では、手を挙げなかった人は距離で考えるということです。手を挙げた人はちょっと休んでもらって、手を挙げなかった人だけで「それ」はどこを指すかを同じようにやってみます。「こ」と「あ」の間に落ち着きました。想定外の意見を否定することなく、本来の流れに戻しました。これも、見事な対応です。 教科書を使って、「こ」が「近称」、「あ」が「遠称」そして「そ」が「中称」であることを確認します。教科書を使って、いったん自分たちの考えを納得させておいて、ここから子どもたちを揺さぶります。 恋人の「○○チン」と別れたと言って、パネルを先ほどの「あ」の位置にもっていきます。パネルの肩にハンカチを置いて、ハンカチを取ってもらうときにどういうかを考えます。「○○チン、これ取って」「あれ取って」「それ取って」と言い比べると、この場合は「それ取って」がふさわしいことがわかります。自分だけでなく、相手との距離も関係あることを気づかせようというわけです。この状況は、先ほどの「こ」と「あ」の間が「そ」という考えではうまく説明できません。「あ」の距離でも「そ」を使うのです。ここで「教科書違うじゃん」と揺さぶりました。さきほど、教科書を使って納得させた後ですから、効果は絶大です。子ども役は演ずることを忘れて真剣に考えていることがわかります。 ここで考えを聞いていきます。「そのもの自身を指す」といった言葉が出てきました。これはちょっとずれた意見です。しかし、授業者は否定しません。しっかりと受容した上で、自分が評価せずに子どもにわかったかどうかを問いかけ、子ども役から「まだ、よくわからない」という言葉を引き出します。先ほどの言葉を否定しないことで、「もの」に対して「場所を指す」という考えが出てきました。ずれた答を受容することで、別の考えが引き出せたのです。「場所」という言葉が出てきて、もう一息で結論がでそうというところで時間が来てしまいまた。おそらく、このまま続けていけば、どういう「場所」かを考えることで、「相手」に近いという言葉を引き出せたと思います。 子どもから言葉を引き出し、それをどう活かし、つなげるのかを大切にしていることがよくわかる授業でした。子どもの言葉を活かす授業をしようとすると、子どもの数が重要になることもわかります。今回子ども役の数が少なかったため発言の絶対量が少なく、ねらいにつながる言葉を引き出すのに苦労しました。少人数での授業がよいように言われますが、必ずしも良いことばかりではないということです。 検討会は「心が動いた」場面を参加者に挙手してもらうことで、検討するシーンを選ぶことから始めます。今回は検討時間も20分と短いので2シーンに絞りました。コーディネータは、参加者の意見を拾いながら焦点化し、深めていきます。距離という視点で進めていたのに「それ」は距離とは関係ないという意見が出た場面が話題になりました。すかさず、授業者にその時の心の動きを訊ねます。想定外の意見にどうしようかと頭はフル回転だったことを語ってくれます。ゆっくりと「なるほど」ということで時間を稼ぐ。笑顔をつくっている時は苦しい時。といった言葉を出てきます。こういう言葉を引き出すこともコーディネータの役目です。あっという間に20分は過ぎました。 ここで、フォーラムでの進め方が話題となりました。今回は授業検討法を紹介して、参加者に自校でもやってみようと思っていただくことが目的の一つです。授業検討をやって見せるだけでそのよさが伝わるのか、価値づけの時間が必要なのではないかという意見です。コーディネータはそのよさが伝わることを意識して進めますが、価値づけの時間を特には設けません。授業検討の見せ方を含め、3つの授業検討場面をどう構成するのか、あらためて課題であることがわかりました。次回以降の研究会で検討していくことになりました。 残り2つの授業検討については、明日の日記で。 質の高い子ども役を通じて大いに学ぶ(長文)
昨日は市主催の授業力向上研修会の講師を務めました。今回は11月におこなう研修での授業を、模擬授業を通じて参加者全員で検討しようというものです。
まず授業者に簡単にこの授業について説明してもらいました。小学校5年生の算数、平行四辺形の面積の求め方を考える時間で、次の時間に平行四辺形の面積の公式につなげるためのものです。そこでは、目指す子どもたちの姿が語られませんでした。そこで、私が確認したところ、「いきいきと発表し、伝えようとする姿が見たい」ということでした。この言葉が少し気になります。聞く側の姿が語られていないこと、「いきいき」という曖昧な言葉が使われていることです。また、そのための要素は何かを意識しているかどうかもちょっと聞いてみたいところでしたが、模擬授業の中で明らかにしていけばよいと考え、「いきいき」という言葉に絞って、参加者に「いきいきしているかどうかは具体的にどういう姿でわかるか」と問いかけました。挙手の様子などがあがってきます。子ども役には、「いきいき」を意識してもらうことをお願いしました。この他に、前提条件として伝えておくことはないか訪ねましたが、特にはありませんでした。この時点でこの日の模擬授業は難航しそうだと予測できます。この授業までに子どもたちはどのようなことを学習して、授業者は何をポイントとして押さえてきているかを説明しないと子ども役は反応できないからです。逆に言えば、授業者は授業において、前時までの学習が本時にどれだけの意味を持つか、布石を打っておくことがどれだけ大切かを意識できていないからです。そこで、教科内容に関係のない指摘をしないで済むようにと、以前の模擬授業であった、黒板を見ていて子どもの様子を見ていなかった例などを少し話しておきました。 黒板に向かってめあてを書きだしまた。子ども役は戸惑います。「ノートに書いていいですか」と質問してくれました。授業者に確認したところ、板書は写すことになっているということです。授業者は子どもが板書を写すタイミングをコントロールすることを意識していないようでした。このことも少し詳しく話したかったのですが、先に進めることを優先しました。「ちゃんとノートに書いていますね」と子どものよい行動をほめていますが、最初だけです。全員がきちんと書き終っているかは確認していません。授業者は板書を見ながらめあてを全体で読ませます。当然死角ができるのですが、その死角でまだ板書を写している子ども役がいました。事前に注意はしておいたのですが、残念なことになりました。逆に子ども役は私の説明を意識して、わざとゆっくり書いていてくれたのです。指示はきちんと全員ができるのを確認することが基本です。子ども役の質が高いとこういったことがきちんと浮き彫りになっていきます。 前の時間何をやったか問いかけます。当然子ども役は反応できません。事前にきちんと伝えていないからです。そこで、いったん授業を止めて説明をしてもらいましたが、短くシャープに伝えられません。この1時間の授業のことだけを考えていて、単元全体の流れをきちんと考えていないからです。一般の四角形を2つの三角形に分けて面積を考えたことを強調します。しかし、実際には長さを測って面積を計算したりしてはずです。この時間では、長さを測ることはしません。この時間の授業の展開のことが頭にあるために、そこに直結することだけを強調したのです。 再び「どんな四角形の面積を求めたか」と問いかけます。やはり子ども役は反応できません。一般の四角形をどう称していいかわからないからです。子ども役のレベルの高さがうかがえます。子どもの気持ちになって考えているからです。「何をやった?」と聞いて、前時のいろいろな活動を思い出させるといった方法を検討する必要があります。発問は模擬授業の終了後の課題と考え、ここは先に進めました。 「平行四辺形の面積の求め方予想しよう」と発問します。授業者は、2つの三角形に分けるという答を期待していたのでしょう。しかし前時の流れから言えば、これは予想ではなく立派な解答です。子どもにとっては戸惑う発問です。子どもに考える時間を与えた後、一人を指名しました。「斜めの線と横の線をかける」という答が出ました。子ども役はよくわからないという顔をします。授業者は予想していない答に狼狽しています。「わかる人いる」と子どもに助けを求めます。一人の子ども役がわかりやすく説明してくれます。それを受けて、もう一人指名して、前の図で示させようとしました。授業者はどう対応していいかわからないまま進めています。ここで、いったん止めました。実際の授業でなくてよかったです。簡単に対応の方法を示しました。まず、正しくないことでも、何を言っているか全員にきちんと理解させる必要があります。最初の発言を本人に繰り返させるか、前に出て図で説明させます。その上で、「なるほど、いい予想をしてくれたね。この予想が正しいかどうか、このあとみんなで考えていこうね」とすれば、この時間の最後か次の時間に正しい答が出た段階で本人に訂正させればすみます。時間をかける必要はないのです。 助けてくれた子ども役に、よく言っていることがわかりましたねと確認したところ、こういう答えが出るだろうと予想していたようです。子ども役をやりながら、教師の視点に立っていたようです。しかし、この答は予想できるものだったということです。授業者が教師の視点で授業を組み立てていたことがよくわかります。 この場面もとばして、本題の平行四辺形の面積の求め方をいろいろ考える場面に入ります。いろいろ考えるようにと指示をして、個別作業に入ったのですが、一人の子ども役から質問が出ました。「前の時間に四角形の面積の求め方をやっているのに、平行四辺形の面積の求め方を考える意味がわかりません」。全くその通りです。前時ですでに解決しているはずのことをなぜ問うのかその必然性がこの時間のポイントなのです。この言葉が子ども役から出た時点で、模擬授業は終わることに決めました。模擬授業終了後に、子ども役にどのように授業者の発問受け止めたかを聞いて、どのようにすればいいかをグループで話し合ってもらおうと思っていたのですが、子ども役からこのような言葉が出た時点で、授業者は立て直すことができないと判断したからです。今回の子ども役はとても優秀です。この授業の課題を見事にあぶりだしてくれました。 ここで休憩にして、授業者も含めて各グループでこの授業の主発問はどう設定すればいいか話し合ってもらいました。参加者の中からでてきた皆さんにとって必然性のある課題だったのでしょう。休息時間中からもうすでに話し合いが始まっています。私の出番はありません。頭を寄せ合って真剣に考えてくれていました。 いつまでも話し合いが続きそうでしたが、30分ほどで区切りをつけました。 各グループでどのようなことを話したかを聞きました。どのグループも非常によい話し合いをしています。まず子どもにいろいろな方法を考えさせた上で、「簡単」をキーワードにして整理する。グループでどれがいいか考える。子どもの考えを広げた上でどう収束させるのかを意識しているグループが多いようでした。たくさん見つけることを課題にすれば小学生ならいろいろな考えを出してくれる。けれど、それを整理していくのが難しいという経験を持っているのでしょう。皆さんが話したことは、どれも納得のできることです。どれが正解というわけではありません。子どもたちのそれまでの経験によってもよりよい発問は変わってくると思います。参加者は子どもの視点で課題を受け止め、それをもとに課題のあり方をしっかりと考えてくれました。それだけで、今回の研修は意味のあるものになったと思います。私としては大満足でした。 私からは、子どもが算数の時間に共通して持つべき価値観を日ごろから意識して授業をすることの大切さを話しました。「他のやり方はないか」「もっと簡単な方法はないか」「いつも使えるのか」「どんな場合でも大丈夫か」「どんな条件の時に使えるのか」・・・。こういう算数・数学的な価値をいつも問うことをしてほしいのです。 どんな四角形でも、三角形に分ければ面積を求めることができます。一般的な求め方です。しかし、いくつもの長さを測ることが必要で面倒です。一方、特別な形である長方形の面積は、わざわざ三角形に分けなくても簡単に求められます。この2つのことから、じゃあ平行四辺形はどうなんだろうといった問いかけを考えても面白いかもしれません。参考にしてもらえばと思います。 質問の時間をとったところ、1年生を担任している方から、「算数で共通した価値観を持たせることの重要性はわかったが、では1年生の算数ではどのようなことを大切にすればよいのか」という質問をいただきました。とてもよい質問です。 問題の解き方を教えるスタンスではなく、具象と半具象(半抽象)、抽象を行き来することを大切にしてほしいと話しました。計算は抽象です。それを現実の問題と結びつけるのが、ブロックや図です。問題が示す事象は、ブロックのどのような操作と同じだろうか。その操作が表す演算は何だろう。そういう過程を大事にしてほしいのです。ですから、教科書には絵に描かれたものを元に、問題文をつくるという課題があります。言語を媒介にして具象と抽象をつなぐ課題です。問題文に書かれたものはどのような具象を表わしているのか、その逆にある具象はどのように言語表現されるのか。こういうことを考えようとする姿勢を身につけさせてほしいことを伝えました。算数・数学では、式も線分図も、図やグラフも表もすべてが思考を整理し伝えるための言語です。このことを大切にしてほしいのです。 授業者は、今回の研修でどのようなことを学んだのでしょうか。最後にこの授業をどうしたいか聞いてみました。「教師の視点で考えていたが、子どもの視点で考えることの大切さがわかった。・・・」といった抽象的、一般的な言葉がたくさん語られました。具体的なものは出てきません。これは、授業者自身がまだ整理できていないということです。端的な言葉で語れないとはそういうことなのです。厳しいですが、そのことを指摘しました。本番の授業がどのようになるか、参加者も私もとても楽しみです。 実は、彼を指導していた教務主任と学年の違う同僚2人がこの研修を見学していました。この3人は実によく反応してくれていました。最初から研修に特別参加してもらえばよかったと反省です。次回には、この学校の先生方で1グループつくってもらえればと思いました。 彼らと授業に関してお話をしたのですが、とてもよい話を聞かせてくれました。こういったよい同僚に恵まれているので、彼らに相談することで授業はきっとよい方向に変わっていくと思います。 研修終了後に研修担当の先生と授業者、教務主任を交えて雑談をさせていただきました。非常に勉強熱心で、前向きな教務主任でした。授業者はまだ飽和状態で学んだことを整理できていない状態でしたが、この教務主任ならしっかり支えて(鍛えて?)くれることと思います。これを機会に授業者が大きくに成長してくることを楽しみにしています。 参加者の質の高い子ども役を通じて多くのことが学べた研修でした。次回の研修も、大いに期待が持てます。いつもながら、私自身が多くのことを学べる研修です。このような機会をいただけることに感謝です。 「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その4)
昨日の日記の続きです。
小牧市立小牧中学校校長玉置崇先生の講演です。お会いして教育談義をすることはよくありますが、講演の形でお話を聞くのは久しぶりです。また、セミナー前日のご自身のブログで「授業の本質に迫る話と模擬授業を試みたい」と語っておられました。否が応でも期待は高まります。 玉置先生の講演は小話で場を柔らかくすることから始まるのが常です。ところが、この日はいきなり本題に入ります。私の講評が入ったことで講演時間が短くなったことに加え、参加者が集中していて自身のテンションも高まっていたことが、ウォーミングアップなしの全開スタートにつながったようです。 最近よく話される、「講義=その時間で一番大切なことを教師が言う」「授業=その時間で一番大切なことを子どもが言う」から始まり、子どもが出力することの大切さを伝えます。 よく言われる、実物投影機やフラッシュ型教材などの活用に関しては、このセミナーの参加者であればよく理解されているし、先ほどの3本の模擬授業で十分伝わっていると判断されたのでしょう。子どもが考えるための道具としてのICT活用についての話に絞られました。 自身の失敗談を通じて、課題は子どもにとって必然性のあるものでなければならないことを伝えます。これは、ICTの活用だけでなく、どのような授業にも共通のことです。ICTの活用を例にすべての授業に共通の本質に迫っていきます。 そして、玉置先生の大きな転機となった授業、実は私にとってもそうだったのですが「当たるのはどこ?」の話をされました(その内容は玉置先生のホームページで)。コンピュータのソフトを操作しながら情報を集め、問題解決に向けて子どもたちは実に多様なアプローチを見せてくれました。互いの思考過程を共有することで、私たちの予想以上に子どもたちは学び合ってくれました。圧巻は、誤差の問題について子どもたちから出てきた疑問を、子どもたち自身で解決した場面でした。説明した女生徒の姿と自然に沸き起こった拍手を今でも鮮明に思い出すことができます。今から20年前のことでした。今でも色褪せない実践だと思います。 続いて模擬授業に入ります。「☆☆☆をそろえよう」というソフトを使った授業です。以前につくったものをExcelで作り直したものです。1〜100までの整数を画面上の表に入力して、ある条件を満たせば☆が出現するというソフトです。連続して☆を3つ揃えるのが課題です。 急遽アシスタントとして私がソフトの入力を引き受けることになりました。おかげで、正面から参加者の様子を見ることができました。順番に好きな数を言ってもらいます。「13」に続いて、次の方は「33」と言われました。画面には何の変化も起きません。そこで玉置先生は、「何か考えて決めていますね」と意図的に数を入れたことを評価しました。子どもの発言に対して数学的な価値づけを意識するのが玉置流です。この後、「53」「73」と続きました。☆が出ていないのに20ずつ増やしています。このことについて帰りの電車の中で玉置先生と話しました。「子どもなら、☆が出なければすぐに別のことをしようとするのに、参加者はなぜ同じ規則で数を入れようとしたのだろうか?」と疑問を述べられました。私の推測は、2人目が「33」と意図を持って値を入れたことを評価したので、それが正解へのヒントだと考えたというものです。玉置先生は、意図を持つことを価値づけしたのですが、規則そのものを評価したと考えたのでしょう。日ごろの授業で、直接答につながるような発言を評価していて、メタな考えを評価することはしていないのだと思われます。とても、面白い場面でした。 最初の問題は偶数であれば☆が出るというものでした。次の問題に移ります。今度は、ランダムに値を入れます。なかなか☆が続きません。玉置先生は、子ども役の発言を数学的に価値づけしていきます。「あなたはこういうことを考えて数をいれたんだね」と評価することで、次の子どももその視点を意識します。こういう授業を続ければ、「今○○さんはどんなことを考えてこの数を入れたかわかる」といった問いかけで、子ども自身で価値づけできるようになっていきます。参加者はなかなか戦略的に値を入れることをしません。子どもであれば、すぐに1から順番に入れようとするのですが、大人は頭が固いのかもしれません。1から順番に入れていくと簡単に規則が見つかります。答を見つけようとソフトを操作することが子ども自身で数学的な見方・考え方に気づいていくことにつながるのです。「等差数列(子どもからは出ませんが)」「3の倍数に2を足したもの」「3で割って余りが2」「2から3ずつ増える」・・・数学的にも多様な言葉が引き出されます。これがこのソフトの魅力です。また、先ほどの偶数の場合であれば、「2」「12」「22」で☆をそろえる子どもも出てきます。自信を持って答えると、それだけじゃないという反論に出合います。必要条件や十分条件を考える必然性も出てきます。参加者は子どもの立場で経験することで、玉置先生が授業を通じて子どもたちにつけたい力を理解してくださったと思います。 この日紹介された3つの実践すべてに私はかかわっていました。私自身が玉置先生とのかかわりを通じてたくさんのことを学ばせていただいていることをあらためて感謝しました。 当時は、玉置先生を含む何人かの先生方と定期的にソフトづくりをしていました。深夜遅くまで議論していて行き着くところは、「この教材の本質は何だろう。いや教科の、授業の本質とは」ということでした。この日の講演を「授業の本質に迫る」とブログで語られたことの原点をここにあったのだろうと想像しました。 講演で紹介された実践は、今よく言われている「普段使い」の、「手軽」なICT活用とは少し方向は違うかもしれません。しかし、あえてこの実践を紹介したことに、もう一歩進んで授業の本質に迫るようなICT活用を目指してほしいという思いを感じました。 しかし、感動ばかりしていられません。休む間もなく私の講評です。玉置先生の話を受けてどう展開すればいいのしょうか。玉置先生が話の中で触れられた「子どもの発言の価値づけ」を意識してそれぞれの授業をどのように進めればより素晴らしいものになるか、いくつかの視点で話をさせていただきました。 中村先生の算数の模擬授業については、子どもを認める・ほめるに関して、特に「○つけ」では一部の子どもだけほめるのではなく、全員をしっかりほめること。子どもの発言の受けに関して、「長さに注目したんだ」「三角形を探したんだ」「角に気づいたんだ」といった算数・数学的な価値づけをするとよいことをお話ししました。 南先生の国語の模擬授業については、指示をスクリーンに映すよさに関連して、スクリーンに映しつづけるのか消すのかという判断が大切なこと。子どもの活動に関して、目的や目標を明確にすることで評価や価値づけができることをお話ししました。 楠本先生の理科の模擬授業については、実物を使ったよさに関連して、理科での実験観察は課題解決を意識して、何をすれば解決できるのかを子どもが考える必要があること。ワークシートに関して、子どもが育つにつれ、指示や話型といった情報が少ないもの、最終的には単なる1枚の紙になっていくことが理想であること。ワークシートをデジタルで保存するなら、子どもが自身の成長に気づくきっかけとして活用してほしいことをお話ししました。 20分の中で話を詰め込んだので、参加者に理解いただけたか甚だ心もとないものでしたが、参加者が非常に集中して聞いていただけことをとてもうれしく思いました。 玉置先生のブログには、「大西さんの総括は、いつも以上に厳しい。こんなに斬られたのは、3人とも初めてではないだろうか」と書かれてしまいました。玉置先生がそういうのですから、かなり辛口に感じられたのでしょうか。反省です。 セミナー終了後、楠本先生があいさつに来てくれました。お話を聞くと私の指摘したことは実際の授業ではかなりできていたようでした。20分の模擬授業にまとめようとしたため、そこを省略してしまったようです。失礼なコメントをしてしまいました。それにもかかわらず、玉置先生と私に対して「清々しい気持ちです」と礼を言ってくださいました。この言葉に救われたと同時に、この姿勢であれば今後ますます成長されるだろうと、ぜひもう一度授業を見せていただく機会を得たいとおもいました。 セミナー終了後、懇親会にも参加させていただきました。楽しいお話とおいしい料理・お酒に大満足です。一参加者として勉強させていただくつもりだったのが、思わぬ素晴らしい時間を過ごさせていただきました。三重教育工学研究会の皆様に大いに刺激を受けたことと温かいもてなしに大感謝です。 帰りの電車では再び玉置先生と教育談義。最後まで本当に充実した素晴らしい1日でした。 「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その3)
昨日の日記の続きです。
3つ目の模擬授業はフューチャースクールの指定を受けていた松阪市立三雲中学校の楠本誠先生のiPadを活用した理科の授業でした。野菜は植物のどの部分かという課題の授業でした。 花、茎、葉、根などの名称が空欄になっている植物の模式図を見せて、その名前を指名して言わせます。授業の導入のよくある復習場面です。答えるとすぐに正解が表示されます。テンポよく進んでいきます。こういうスピード感はICTを活用するよさです。しかし、この進め方は全員がほぼ100%の状態であることが前提です。今回は20分という短い時間でまとめようとしたのでこのような進め方になったのだと思いますが、原則一問一答は避けるべきだと思います。最低3人ほど指名して、全員が同じ答であれば「○○でいい?反対の人はいない」と言って答を表示すればいいのです。こうすることで、知識が曖昧な子どももしっかり復習できます。また、次々指名すればテンポは決して悪くなりません。 最初の課題は、トマトは「花」「茎」「葉」「根」のどの部分かです。グループに2台のiPadが用意されています。この2台というのもどのように使い分けるか興味のあるところでした。各グループに枝についたトマトが配られます。ICT機器ばかりに頼らず実物を見せるというのは理科として大事にしたい姿勢です。iPadの1台は先ほどの植物の模式図、もう1台はワークシートが転送されました。ワークシートには理由を書く欄があります。根拠を持って考えることを意識させようとしています。子ども役に与えられたのは、これだけです。インターネットで調べれば答はすぐにわかります。しかし、それでは学習になりません。情報を制限された中、与えられた情報を元に考えさせようというわけです。ここで、気になったのは、子どもたちがどのような結論を出そうが、それが正しいことをどうやって確認するかです。教師が「正解は○○だよ」と言っては話にならないからです。また、ここではトマトは眺めるだけでした。観察して結論を出すのであれば、観察の手段を与えるか方法を考えさせるべきです。具体的には、「このトマトをどうやったら、答が見つかると思う」と投げかけたり、「トマトは切ってもいいよ。ただし食べたらだめだよ」と手段を与えたりするのです。もちろん、トマトの中には種があることは多くの子どもが知っています。しかし、その知識を使うのであれば、実物を与える意味はありません。また、トマトを切ってみることで、子房の断面と同じような構造をしていることに気づけると思います。理科は実験や観察を大切にする教科です。それは、教師に指示されたからおこなうものではありません。問題を解決する手段、仮説を確認する方法として、どのような実験・観察をすればいいのかを考え、その結果から気づきわかったことから、また次の実験・観察を考えるのです。 また、ワークシートがグループに1台のiPadで書かれるというのが気になりました。意見をまとめる時に、どうしてもiPadを持って仕切る子どもが出やすいからです。一人1台の環境でなくても、紙を使えば個人の考えを書くことができます。考えをまとめる時に、その考えに納得できない子どももいると思います。そんな時、自分の考えにこだわることも大切です。手元に自分の考えを書いたものを持っておくことは大切なのです。 発表は、iPadのワークシートを画面転送して進めました。それぞれの理由が話されます。問題はどのようにして、その確認をするかです。授業者は用意しておいた、トマトの花に実がついて大きくなっていく何枚かの写真を見せることで説明しました。ICTが「教師が説得する」ための道具になっています。これは、ある意味後出しじゃんけんです。この情報は教師だけが持っているからです。せめて、子ども役の根拠が正しものかどうかを、この情報を元に子どもたちが確認する場面がほしいところです。茎と花のつなぎ目を拡大することで、トマトのへたの部分が「がく」であることや、子房の部分の変化を拡大してトマトの「実」を食べていることを確認するといったことを子ども主体でおこなってほしいのです。ICTを「子どもが納得する」ための道具にしてほしいと思います。 続いて、タマネギはどの部分かを課題にします。今回も実物を配りますが、切ったりはさせませんでした。子ども役の頼りは模式図だけです。これは教師が子どもをミスディレクションするための方法のように思いました。タマネギには根があります。模式図では根は茎から生えています。数少ない材料から、「茎」と答えることは想像に難くありません。案の定、子ども役は「茎」と答えました。正解は「葉」でした。タマネギを切ってその切り口を見せてその説明をしました。やはりここは、子ども役にタマネギを切らせて、その情報を元に考えさせたいところでした。その上で、根拠となる部分を写真で拡大するなどしたまとめをiPad上でつくらせて、全員で共有したいところです。 ただ、理科で気をつけなければいけないのは安直に写真に頼りすぎないことです。たとえば顕微鏡で観察したものを写真に撮るという活動はまずありえません。人は意識したものしか見ません。観察で気づかなかったものはスケッチに描かれません。だからこそ、自分の手で描くことで、何を気づけたかが明確になるのです。また、植物図鑑では写真よりも手書きの絵を重視します。それは、その植物の各部分の特徴を端的に表すことができるからです。植物には個体差があります。写真ではたまたまその個体の特性が写しだされることもあります。そして、写真はどうしてもピントの合う場所が限られます。小さい植物などは花を接写すれば葉や茎などは、まずぼけてしまいます。記録に写真を使うべきところと手書きであるべきところを意識する必要があります。 この授業のツッコミ役は、この後講演する玉置先生でした。たった一言、「紙でもこの授業はできるのではありませんか?」とこの授業の急所を突きました。授業者は、ワークシートを共有できるよさや保存ができるよさを話しましたが、この授業に限って言えばその必然性はありません。玉置先生はそのことを追及はせずに、グループに1台のiPadを使うよさやフューチャースクールでのICT活用へと話題を移しました。この授業ではうまく現れなかった授業者のよさを引き出そうとする姿勢は見習わなくてはいけません。 話を聞いていて、授業者がICT活用に真剣に取り組み、工夫していることがよく伝わりました。 3つの模擬授業を見せていただき、私の講評の方向性が決まりました。授業者がねらっていることを実現するために、それぞれの授業はどういうことを意識するといいのか、具体的にどこをどのように変えればいいのかを話すことにしました。 玉置先生の講演の間に構想を練ろうと思いましたが、そうはいきません。講演に集中してしまったからです。 この続きは、明日の日記で。 「授業で活かすICTセミナー」で大いに学ぶ(その2)
昨日の日記の続きです。
2つ目の模擬授業は、伊勢市立御園中学校の南和美先生の国語でした。3年生の随筆をもとにした、発展的な学習です。 授業者は明るく元気で、子どもたちはきっとこの先生が大好きだろうなと思いました。「ありがとう」という言葉がごく自然に出ます。授業の中で「ありがとう」という言葉が出る先生の学級は、温かい空気にあふれているのが常です。この授業がどのようなものになるのか期待でワクワクします。 筆者が「自然の表現力の見事さ」に「言葉の貧しさを知った」と述べているのに対して、子どもたちから「言葉で表現できる」という意見が出てきたことを受けて考えられた授業でした。 4枚の空の写真をスクリーンに提示します。「朝焼け?」と「夕焼け?」、2種類の「雲」です。この構成から、「子どもに書かせたものを元にどの写真を表現したものかわかるか」と問う流れが見えてきます。 まず4枚の写真のうちどれが好きかを問います。誰でも答えやすい問いで全員を参加させます。挙手で確認した後、指名してその理由を問いました。好きか嫌いかは他者を納得させるような明確な根拠を必要としないので、答えやすいものに思えます。しかし、あらためて聞かれると答えられないこともあるのです。うまく説明できない子ども役に「なぜ?」と迫りました。国語の授業で根拠を求めることは大切なことですが、好きな理由を言うことが国語として大きな意味を持つ場面ではありません。「なんとなくかな?」と軽く問い返して、子どもがうなずけば次に進めばいいでしょう。また、「なぜ?」という問いかけは、一番答えにくいものです。「どこが好き」といった答えやすい聞き方をすれば、言葉が出たかもしれません。 続いて4枚のうちの1枚が「夕焼けか朝焼けか」と問いかけます。授業者は伝えるための表現を意識して発したのでしょうが、この日の課題が明確になっていない段階では子どもにとっては考える必然性がわからない問いです。また、その理由を考えさせても根拠を持った議論ができるようには思えません(一般的に夕焼けの方が広い範囲が赤くなるようですが・・・)。国語の授業は論理的でなければなりません。そのため理由を問うことはとても大切ですが、根拠を持って明確に議論できることが前提です。また、根拠となる知識が必要であればまずそれを全員で共有する必要があります。このことを意識してほしいと思いました。 スクリーンに作業の手順を映して指示をしました。一連の動きがとてもなめらかです。日ごろからICT機器を使い慣れていることがよくわかります。いくつかのステップに分かれている指示は、このように全体がわかるようにしておいて、一つひとつ説明すると徹底しやすいと思います。中心となる課題は、「選んだ写真のイメージが伝わるように書く」です。この指示が実は曖昧なのです。イメージが伝わるとは、具体的に読み手がどうなればいいのでしょうか。ゴールが不明確なのです。写真を見て自分が感じたイメージが伝わればいいのでしょうか。それとも写真がどのようなものか、そのイメージが伝わればいいのでしょうか。ある子ども役は、情景描写にこだわり、ある子ども役は写真には写っていない情景を想像して書いていました。同じ土俵で評価ができなくなる可能性があります。 作業に入った時点でスクリーンの表示を再び、4枚の写真に戻しました。作業に入っても指示を確認したい場合があります。子ども役は手元に写真を持っていたので、写真に切りかえる必要はなかったでしょう。もし写真を配らずに再度表示する必要があるのなら、従来のように紙に書いて黒板に貼るか、指示が終わったあと、印刷したものを配った方よいでしょう。ICT機器を使うよさの一つが、瞬時に映したり消したりできることです。だからこそ、どのタイミングで写すのか消すのか、今、映す必要があるのかないのかを判断することが大切です。ずっと映している必要があるものならば、かえって紙に書いて貼っておく方がよい場合もあるのです。 付箋紙に文章を書かせ、隣同士で交換して読み合います。この時、素敵な表現だなと思ったところに線を引くように指示します。最初の指示の「イメージが伝わる」に対して評価は「素敵」です。指示に対して評価がずれています。「素敵」というのは「いい」と違って主観的なものです。こういう「Iメッセージ」を送ることは人間関係をつくるのにとてもよいことです。相手は自分が認められたと感じます。このことを授業者はよく知っているのでしょう。だからこそ、ここでは使ってはいけないのです。客観的に議論できないからです。ここが素敵だという意見に対して、それ以上深く話し合うことはできません。疑問をはさむこともできません。個人の気持ちに対して何も議論できないからです。国語の授業では自分の感想を言って終わることが多くあります。読書ならばそれでいいのですが、国語は正しく読み取ることが求められます。客観的に議論することを常に求めてほしいのです。 何人かのものを実物投影機で拡大して見せます。付箋紙のように小さいものに書いても、拡大すれば全員で共有できます。また、何枚も貼って比較することもできます。ちょっとしたアイデアですが、ICTのよさをよくわかっていると感心しました。 ここで、もし「素敵」にこだわるのであれば、「ペアの人の書いたのをぜひ紹介したい人?」として、発表させるとよかったでしょう。こうすることで、よい人間関係がつくられます。 「たなびく」という言葉に注目して、2年生で学習した「枕草子」を想起させました。ここで「覚えている人」と問いかけました。覚えている人に発表させてもいいのですが、それを聞いても全員がきちんと復習できるわけではありません。今回は環境的に難しいでしょうが、デジタル教科書があれば、「どこで出会った?」と出典を確認して、すぐに表示をすることができます。全員で読むことで復習することも可能です。 実際の授業では、他の学級の子どもの書いたものを見せて、どの写真を表現したものか考えさせることをしたようです。表現の評価としてとてもよいのですが、このような評価をすることは活動前に伝えてはいません(実際の授業では違っていたのかもしれませんが・・・)。子どもは毎回指示に従って活動しているだけで、どこに向かっているのかが明確でありません。ミステリーツアーになっています。 では、どうすればよかったのでしょうか。 最後にどの写真を表現したものか考えさせるのであれば、視点によって2つの流れがあると思います。一つは資料的に比較してみるという視点です。予め何枚かの写真を与えておいて、「どの写真を表現したものか伝わるような文章を書く」という課題です。他の写真と比較しながら書くことが、目標達成の近道です。 もう一つが、素晴らしさを表現するという視点です。たとえば朝焼けに絞って、いくつかの写真を準備します。一人に1枚ずつ写真を配ります。他にどのような写真があるかは知らせません。「与えられた写真の情景の素晴らしさを伝える文章を書く」というのが課題です。その上で、それぞれの文章がどの写真を表現しているのか互いに読み取るのです。通り一遍の表現では、他の写真との違いを際立たせることができません。表現の難しさを知ることができると思います。 いずれにしても、「どこでわかったか」を問うことで、表現を価値づけすることができます。ゴールが明確な言語活動になると思います。 それに対して、「自然の表現力の見事さ」に「言葉の貧しさを知った」という随筆の内容を意識すると、「君たちの言葉は写真の表現力に勝てるか」という課題もあるでしょう(自然相手は教室では難しいので)。写真に対して、その表わす情景を言葉で表現してより感動を与えられるかを問うのです。詩などに近い表現活動となります。客観的な評価は難しいかもしれませんが、自分たちの「言葉の貧しさ」を知ったり、友だちの「豊かな表現」に出会ったりすることができると思います。 授業者のねらいは、また別のところにあったのかもしれませんが、このようなことを考えました。 言語表現と視覚を結びつけるというアイデアは古くからあるものです。以前は写真一つ見つけるのも大変でした。意を決して取り組まなければなかなか越えられない壁があったのも事実です。しかし、今はインターネットを活用することで簡単に素材が手に入ります。授業者はインターネット上で著作権の心配のないものを見つけてきたようです。ICTという羽で今まで越えることのできなかった壁を軽々と飛び越えています。 懐かしいような、それでいて新鮮な授業に出会うことができました。 今回のツッコミ役は、松阪市立殿町中学校森喜世子先生です。 前セクションとはまた違ったアプローチです。ツッコミ役というよりも、引き出し役という感じでした。南先生の授業のよさや日ごろのICT活用の様子をよくご存じなのでしょう。そのよさを価値づけたり、引き出したりする言葉や質問がたくさん出てきます。 関連資料、情景や背景を素早く見せる。子どもの発表の道具として使う。南先生がチョークや黒板のように自然にICT活用していることとそのよさが伝わるものでした。 この続きは、また明日の日記で。 |
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