養護教諭の授業から学ぶ

養護教諭の研修会で、授業研究に参加してきました。単元は、小学校2年生の「ぼく・わたしの誕生(命の学習)」です。担任とのTTで行われました。
夏休みに講演をさせていただき、それに続いて今度は実際の授業をもとに皆さんと一緒に考えようという企画です。

授業者は若手の養護教諭です。この授業に向けて他の学級でも事前に授業をして臨んだようです。授業の導入は赤ちゃんになる前は何だったかを問うことから始まります。すぐに卵と正解を言う子どもがいます。ここのやり取りは担任にお願いしていました。担任はベテランで、優しい笑顔が印象的な方でした。3択で進めます。「じゃあ誰かが卵って言ったから、1番は卵」と受けました。なかなか見事です。クイズですから子どもたちのテンションは上がります。正解の発表から養護教諭の出番です。卵という意外な答えに子どもたちは「え〜」とテンションが上がります。続いて卵の大きさを問います。学習していない知識を問うことばかりです。何か根拠をもとに考えることでもありません。無責任に参加できるのでテンションが上がっていくのは当然です。チョークで黒板に点を打って、この大きさだと示します。実際に紙に鉛筆で点を打たせてその小ささを実感させます。こういうところはよく考えられていると思いました。子どもたちのテンションが上がりすぎた時は、担任が介入してくれます。担任の声が聞こえると、子どもたちはすぐに落ち着きます。日ごろからよい授業規律を作っているのでしょう。

ここで、この日のめあてが示されます。「ぼく・わたしがうまれてくるまでのようすをしろう」です。このめあてに違和感を覚えます。この時間は知識を得ることが目的なのでしょうか。実はそうではありません。家族への感謝の気持ちを持ってもらい、メッセージを書くことです。授業者はそれをストレートにめあてにすると展開が見えてしまうので、悩んだ末にこのようにしたそうです。
子どもとやり取りしながら、黒板に赤ちゃんが生まれるまでの成長の様子を示していきます。授業者は、どの子もきちんと固有名詞で呼びかけます。お腹の中の赤ちゃんの大きさを考えさせると、とてつもない大きさを示すことどももいます。担任は生まれてくる赤ちゃんの大きさを考えるようフォローを入れて、根拠をもって考えるように誘導します。参加できていない子がいればそれとなく近づいて声をかけています。よいサポートをしてくれます。
へその緒の役割を聞く場面でした。手が挙がる子どもは数人です。指名した子どもが答えた後、「どうですか」とみんなにたずねます。「いいです」と声が返ってきます。こんなおかしなことはありません。子どもが発表したのは知識です。知っていなければ、いいかどうかの判断はできません。とすれば、これだけ多くの子どもが知っていたのに、手を挙げなかったということです。それとも、無責任に「いいです」と言ったのかもしれません。また、知らなかった子どもは、参加しようがありません。この話型はどうやらこの学校の統一ルールのようです。すべての場面で否定するわけではありませんが、少なくともこのような場面ではナンセンスです。再考してもらいたいと思いました。

子どもに知識を問うて、答えさせるという場面が延々と続きます。知識のない子ども、答えられない子どもの集中力は下がります。自分で考え?るように指示すれば、無責任に想像するしかありませんから、テンションが上がります。この繰り返しになってしまいました。

赤ちゃんがさかさまになって生まれる理由を聞きます。「手足が引っかからないため」と答えてくれました。授業者は「それもあるかもしれない」と受けて、他にないか聞きました。子どもを否定しないように対応したつもりなのかもしれませんが、授業者が求めていた答ではないことはすぐにわかります。こういう場面が続くと、子どもたちは教師の求める答探しをするようになってしまいます。意識して気をつけたいところです。

赤ちゃんの人形を見せます。子どもたちのテンションは上がります。ここで、担任が「あとで抱いてもらう」とフォローします。後で触ることができるとわかることで落ち着きます。また、何か課題があるのかと考えて、話を集中して聞くようになります。
最近弟が生まれた子どもがいます。当然赤ちゃんに関する知識をたくさん持っています。積極的に発言してくれます。そうであれば、授業者が説明することをもっと減らして、「○○さんに教えてもらおうか」というようにして、子どもを活躍させて進めるように切りかえてもよかったのかもしれません。
赤ちゃんの首がすわらないことと抱き方を関連して説明します。続いて、子どもに赤ちゃんの人形を順番に抱かせます。予想通り、テンションがマックスになりました。なぜなら、赤ちゃんの人形を抱く目的が示されていないからです。順番を待つ子ども、終わった子どもの役割はありません。まさに、活動だけの場面だからです。「赤ちゃんの首が折れてしまわないように抱けるかな」「上手に次の人に渡せるかな」「だれが上手く抱いているかよく見ていていてね」というように、目標や評価を明確に与える必要があります。
子どもたちの感想を聞きます。「重たかった」ばかりです。当然です。子どもたちに親の視点をきちんと与えていないからです。気をつけることをきちんと与えて、親はいつもそのことに気づかいながら、重たい赤ちゃんを抱いている。その気持ちを問わなければ意味のない活動です。

妊婦体験も代表の子どもにさせます。消しゴムを拾わせて、物を拾うのも大変なことを知らせます。そこから、まわりの大人たちも妊婦を思いやっていたことに気づかせなければいけません。でなければ、この日の授業者の本当のねらいに近づかないのです。

友人に書いてもらった、母親から子どもへの手紙を朗読します。子どもたちはこの話を聞く意味がわかりません。赤ちゃんがお腹の中にいた時の気持ち、生まれた時の家族の喜びを伝えるのですが、子どもたちにとっては他人事です。BGMまでかけているのですが、その演出も子どもたちには伝わらないのです。

自分の誕生に関しての感想や感謝の気持ちを書かせるという、本時の本当のねらいの活動に行き着くまでに、大半の時間を使ってしまいました。
「ぼくは、私は家族みんなから(   )ている」という穴埋めを考えさせます。今までほとんど、誕生と赤ちゃんに関する知識の伝達ばかりです。先ほど知らない人の気持ちを聞かされただけで、突然このようなことを聞かれても戸惑います。そのような視点はこの授業で、今初めてでてきたのです。
ある子どもが「愛されている」と答えてくれます。ここでもまた、「どうですか」です。この答に対して「いいです」は全くそぐいません。いいかどうかではないのです。その子しかわからないことだからです。これでは、この問いの意味が全くなくなります。ここは、本当は「どういう時に感じる」と聞き返すべきところなのです。しかし、そう返してもおそらく子どもは困ってしまうでしょう。自分の家族を振り返って答えたのではなく、授業者の求める答を想像して答えたと思われるからです。

最後におうちの人にメッセージカードを書かせます。ここで、多くの子どもたちは手がつきません。何を書いていいかわからないのです。当然です、今まで家族のことを考える場面が一つもなかったからです。担任が「考えたこと」「感じたこと」とフォローを入れますが、家族のことを考えたり感じたりはしていません。どのようなことが書かれるかは想像がつきます。
何人かに発表させますが、この日授業で知ったことが発表されます。「愛されているんですね」といった言葉が出てきますが、それを「言え」と指示されていると感じたから書いたのでしょう。具体的にどのような時、どのような場面で感じたかは語られないからです。

授業者はねらいを達成するためにどのような活動をしなければいけないかを明確にできていなかったのです。このことがよくわかります。参加者にとって学びの多い授業でした。

授業検討会で、授業者は本当のねらいと、子どもに示したねらいのずれをどうすべきだったのかということと、最後のメッセージを書く場面で子どもたちの手が動かなかったことを話題にしました。そこに気づけることが素晴らしいと思いました。また、参加者からは、養護教諭の専門性を活かすにはどのようにすればよいのかが話題になりました。その他にも、たくさんの意見が出ました。このような授業研究の機会が今まであまりなかったそうです。皆さんの学びたいという気持ちがとても伝わる検討会でした。
めあてについては、「妊婦やまわりの人の気持ちを考える」といったものにすれば、自分の親に置き換えて考えやすかったのではないかと思います。また、養護教諭の専門性に関しては、どこまで小学2年生に伝えるかは別にして、出産にはいろいろな危険が伴うことを伝えることが専門性を活かすことにつながると思いました。そのような危険があるけれどもあなたたちを産んだ。まわりの人もそれを支えた。どうしてだろう。そんな切り口から迫ってもよかったかもしれません。
最後に授業者から私に質問がありました。今日の授業のねらいから考えれば、どのような導入を私なら考えるかというものです。その場での思いつきですが、「みんな、赤ちゃんの時や、お母さんのお腹の中にいた時のこと覚えている?」と言った問いかけから、「じゃあ、今日はその時みんなはどんな風だったか、お母さんやまわりの人はどんな気持ちでどんな風にあなたたちと接していたか考えてみよう」として、知識はできるだけ簡単に伝えて、母親やまわりの人がどんな気持ちで、どのように接していたかについて時間を使いたいとお答えしました。

私自身養護教諭の授業を見るのは初めての経験でした。TTのあり方も含め、いつもの授業以上にいろいろなことを考えるきっかけになりました。来年以降もこのような場を設けるということでした。とてもよいことだと思います。またお手伝いさせていただけることを楽しみにしています。

どの子どもも参加できたグループ活動

昨日の日記の続きです。

研究授業は若手の英語の授業です。1年生の代名詞の使い方の練習の授業でした。
子どもたちはとてもよい表情で授業に参加します。授業者と子どもたち、子ども同士が、日ごろからとてもよい関係であることを感じさせます。
前回訪問時に私がお話したことを自分なりにアレンジして実行しています。主語を表わす絵カード、述部を表わす絵カードを準備して、その組み合わせで ”I play tennis.” “He plays tennis.”と文を作って全体で言わせます。授業者の言ったことをそのまま言うのでも、カードに書かれた文字を読むのでもありません。子どもが絵の表わしていることを表現しようと英文を作るのです。当然要求レベルは上がります。子どもたちは考えて声に出すのですが、自信のない子もいます。ついていけなくて口が開かない子どももいます。問題はここではありません。この後、すぐに次の文を作らせていたことが問題なのです。1回だけでは、わからない子は全く参加できません。全員の口が開くまで、何度も言わせてほしいのです。同じ文を、みんなの声がそろうまで何度も言わせるのです。友だちの声を聞くことで理解することを経験させるのです。大切なのは活動ではなく、全員が身につけることです。
この場面で、最初から代名詞を使って表現させたことが引っかかりました。”Ms.○○ plays tennis.” ”She plays tennis.”というように、最初は固有名詞で表現して、それを代名詞で言い換えさせると英語における代名詞の使い方をより理解させることができます。そういう ”situation” を大切にしてほしいと思います。

グループでの最初の活動は、グループごとに用意されたカードをめくって、そのカードが表す動詞を使って全員が英文を作るものです。何人か苦しい子どもがいます。他の子どもたちは辛抱強く待ってくれますが、なかなか声を出すことができません。まわりの子どもの言葉をまねして何とか進んでいきましたが、自分から助けを求めることはできません。表情もさえません。とは言え、全体的には子どもたちは頭を寄せ合いながらよい表情で取り組みます。カードを机の真ん中に積んでいることも、子どもたちの体が近づくことに影響しているかもしれません。
活動終了後、どのグループが頑張っていたか、No.1はどこと授業者が評価します。一部のグループだけを評価するのかと思ったのですが、数グループに順位をつけた後、残りのグループも「じっくり取り組んでいた」「助け合っていた」というように、具体的によいところを評価しました。丁寧な対応です。子どもたちをしっかり見ていることが伝わります。子どもたちの表情がよい理由がわかった気がしました。

次に芸能人の写真を見せて、”Who is this? Do you know her?” と知っているかどうか挙手で聞きます。子どもたちの手が挙がりません。手の挙がらない子どもを指して、”He doesn’t know her.” ”She doesn’t know her.” と全体に対して伝えます。こういったやり取りを何人かの芸能人の写真で行い、 “she” と “her”、”he” と “him” の関係を理解させます。やり方としてはよいのですが、この関係を理解するのに必要のない、だれがだれの妹であるといった情報も簡単な英語で授業者が伝えます。確かに英語のコミュニケーションとしては意味があるのですが、この場面で押さえるべきこととしては、ノイズになってしまいます。シンプルな例で、ねらいとなるものをきちんと理解し、身につけさせることが大切です。テンポを上げて、すぐに口から出てくるようになるまで、何度も練習することが大切です。活動の密度がちょっと薄いのが気になりました。

ここで、初めての試みとして、バディを利用したグループ活動を行いました。前回の私のアドバイスをヒントに、授業者と英語科、研修部が知恵を絞って考えた新しい活動です。子どもたちがどのような姿を見せてくれるか、とても楽しみです。
具体的には、ペアで相手の持っている情報を英語でたずねて、その情報をもとにその人が誰かを当てるという活動です。それぞれにバディ(相棒)がいます。バディは、困った時に助ける役です。質問側のバディは質問の答も記録します。バディとの対話は日本語を使うことが許されます。答える側の情報は用意された封筒に入っていて、それにもとづいて答えます。最後に、対話を聞いていてよかったところをそれぞれのバディがメモします。

子どもたちに情報の入った封筒を渡します。授業者は、“Don’t open.” 「まだ、開けちゃダメ」とすぐに日本語で言い直します。せっかく英語を使っているのですから、すぐに日本語にせずに、何度かジェスチャを交えて子どもに少しでも自力で理解させたいところです。
子どもたちは、とても楽しそうに課題に取り組みます。英語でのグループ活動が楽しいものになっていることがよくわかります。先ほど気になった子どもの様子はどうでしょうか。答える側になった時、どうしていいかわかりません。そこで、助けを求めるようにバディの子を見るのです。バディやペアの組み合わせはすべて男女です。バディの子はそれまでぼうっとしていたのですが、そのことに気づいて何とか助けようとします。苦しいながらもなんとか進んでいきます。表情が笑顔になっていきます。自分のバディが答える時には、助けてあげることはできません。しかし、体をバディの方に傾けて手元をずっと覗いています。対話の内容を知ろうとしているのです。
もう一人の気になる子どもは、バディが優秀なのでしょう。つきっきりで、一言一言どういえばいいのか伝えてもらっています。たどたどしながらも、教えてもらうことで、なんとかクリアしていました。
最初のグループ活動と比べても、どのグループも集中度が高いことが印象的です。最初のグループ活動は、友だちが話す時は正しいかどうかちゃんと聞いているのですが、役割としては ”one of them” です。自分でなければいけないということはないので、他の友だちに任せておけばいいという気持ちもあります。今回のグループ活動は、それぞれに明確な役割があるので、集中度が高いのです。
子どもたちの、対話を聞いていると ”his” と “him” が混乱する間違いがかなりあります。三人称単数現在の ”s” もよく落ちています。しかし、それを自分たちでなかなか修正できていません。英語の活動としては、ここは何とかしなければいけないところです。1回終わったところで止めて、どんなことを助けてもらったかを聞いて、間違いを共有する方法があります。教師が「こんな間違いがあったから気をつけよう」とはっきり指摘してもよいかもしれません。
役割を交代する時、課題の入った封筒をもらいます。その時少しテンションが上がります。緊張から解放されているのかもしれません。しかし、活動が始まればすぐに落ち着きます。とてもよい状態でした。
よいところを伝え合う場面でも、子どもたちはとてもうれしそうにしています。どの子どもも参加できたグループ活動でした。

最後に答える役の子どもを前に一人出して、全体で取り組みます。挙手によって質問して、答えるのですが、一部の子どもしか参加できません。こういう場面はもう少し工夫をする必要があります。”His favorite animal is cats.” といった、質問の答に対して全員で “Oh, I see. His favorite animal is cats.” と答える。授業者が ”Is his favorite animal dogs?” “What is his favorite animal?” といったことを、全体に問いかけて答えさせる。このような、友だちの発言を聞くことが参加につながる活動を入れ込むことが必要でしょう。

授業検討会は子どもたちの事実について多くのことが語られるよいものでした。自信がない子どもが参加できていたこと、子ども同士がかかわれていたことがたくさん報告されました。先生方が評価に困っていたのが、できない子どもは助けてもらいながらやっていたが、バディが言った単語をそのまま繰り返しているだけだった。これで学力がつくのかということです。確かにその通りです。これで学力がつくとは言えません。では、他にどのような方法があるのでしょうか。できない子どもが参加して学力がつく方法があるのならそれをぜひ共有して、みんなで実践すればいいのです。このことを先生方にお話ししました。彼らが、授業に参加することさえできない状況から、一歩進んで授業に参加できた。このことをまず評価してほしいと思います。佐藤学氏がよく使われる、有名な「一人ひとりの背伸びとジャンプ」という言葉があります。今回は、授業に参加するという「背伸び」ができたと評価したいところです。できる子たちも、友だちに教えることでいつも以上に多くのことを学べたと思います。
もう一つ話題になったのが、子どもたちが間違えたままそれを修正できずに進んでいたグループがあったことです。このことの原因の一つが、代名詞の使い方が定着していなかったことです。この活動で必要とする使い方を、もっと全体で練習しておく必要があったと思います。この活動は定着というより、活用です。密度の濃い、定着のための訓練も必要だったということです。

今回も非常に挑戦的な授業研究でした。私自身たくさんのことを学ばせていただきました。毎回、授業者と教科、研修部それぞれが力を合わせて授業をつくり上げています。研究とはこうありたいと思います。授業研究で互いに学んだことがどう全体に広がっていくか、次回がとても楽しみです。

この日は懇親会を催していただき、楽しい時間を過ごすことができました。たくさんの先生とお話することができました。授業に前向きな方がたくさんいらっしゃいます。授業談義に花が咲きます。素直に自分の授業を振り返って、改善しようという意欲を見せてくれます。このような学校とかかわらせていただくことで、私も多くのことを学ぶことができ、元気をいただくことができます。皆さんに感謝です。

授業の課題が明確になっていく

中学校の現職教育に参加してきました。今年度4回目の訪問で、3回目の授業研究です。毎回質の高い提案授業なので、この日もとても楽しみでした。

授業研究の前に、学校全体の様子を2時間見せていただきました。先生方に子どもを受容しようとする姿勢が見られだけでなく、柔らかい雰囲気の中でしっかりと授業規律ができている学級も増えています。指名されて答に詰まった子どもを、まわりの子どもが助ける姿も目にします。

一方、指示の徹底ができていない場面も前回同様まだ目につきました。多いのが、子どもに顔を上げるように指示しても、待ちきれなくて全員の顔が上がっていないのにしゃべることです。中学校は進度が気になるので、なかなか待てないのもわかります。であれば素早い行動をうながすことが大切です。顔を上げて教師の話を聞くことは、授業規律として一番注意したいところです。

また、子どもの発言に正解といった言葉を返す授業はほとんどないのですが、1人指名してすぐにそれを引き継いで教師が話すことが多く見られます。一問一答形式になっているのです。「今の意見と同じ人」と問いかける場面は多く見るのですが、そこで終わらずに、同じ意見の子どもを指名して、発表させたいところです。何人か同じ意見の人を発表させ、納得したかどうかを他の意見の子どもに問いかけるのです。そうでなければ、子どもたちが友だちの意見を聞く意味がありません。つなぐことは難しいように思いますが、同じ意見、その意見を聞いて考えがどう変わったか、変わらなかったのか、その理由などを聞くことを意識すれば、それほど苦労せずにつながっていくと思います。大切なのは、何を話してもバカにされないという安心感、間違えても笑い飛ばせるおおらかさのある教室にすることです。

子どもの外化や活動を評価する場面もまだ少なく思いました。教師ができるだけ具体的にポジティブな評価をすることが大切です。また、自己有用感を持たせるためには、子どもが自己評価できることも重要です。活動のゴール、目標を子どもにわかる形で伝えることが大切です。行動だけを指示するのではなく、評価基準を具体的にして示すのです。例えば、音読であれば、ただ音読するのではなく、「主人公は誰か」「主人公の気持ちが変わった場面はどこか」といった目標を明確にするだけで、子どもの動きは変わっていきます。

子どものつぶやき拾うことを意識している方もいらっしゃいます。このこと自体はよいことなのですが、つぶやいた子どもと2人の世界に入ってしまうことが気になりました。価値のある発言であれば、全体で共有する必要があります。「今いいこと言ってくれたね。みんなにもう一度聞かせてくれる。みんな○○さんの考えを聞こう」と全体向けて発言させるのです。もし、個人的なことであればその場で答える必要はありません。にっこり笑ってうなずくだけでよいのです。聞いていることを伝えておいて、必要であればあとで個人的に話をすればいいのです。

作業の準備態勢ができてから教師が話す場面も気になります。印刷物を配れば、読みたくなります。そこに課題が書いてあれば取り組もうとします。そこで、教師が説明をしても集中させるのは難しいものがあります。説明するのに印刷物を見せる必要があるのなら、実物投影機などを使います。先に説明をすることで、印刷物が配られたらすぐに作業に入れるようにするのです。同様のことが、グループ活動にも言えます。グループの形にしてから説明を始めるのではなく、指示をしてからグループの形にするのです。グループになって上がった子どもたちのやる気、集中力を削がないためです。

ICTの活用で、机の上に置いたパソコンを操作しながらしゃべっている場面が気になりました。手元のパソコンを見ているために、子どもを見ることができないのです。せめて、ワイヤレスマウスを準備すれば、子どもを見る機会がずいぶん増えます。こういった工夫を大切にしてほしいと思います。

理科の天体の動きとその見え方の時間で、太陽や地球役にした子どもを動かして考えさせる場面がありました。しかし、天体役に指示を出したり、他の子どもたちを見やすい位置に移動させたりで、何を見ればいいのか、何をしようとしているのか、再度子どもに確認することがありませんでした。子どもたちは、天体役を楽しそうに見ていますが、その目的をあまり意識はできていませんでした。

国語の授業で登場人物の気持ちを読み取る場面でした。なぜその人物の気持ちを読み取ることが課題なのかがわかりません。物語を読むとはどういうことなのかを明確にして、課題に必然性を持たせたいところです。授業者は、読み取るための方法を意識していました。わからない子どもに、わかるための手段を提供することは大切です。気持ちは何でわかるかを問いかけ、「表情でわかる」を引き出しました。こういう姿勢はよいのですが、いつも表情で表現されているとは限りません。今までの経験をもとに、「思ったといった言葉で直接表現される」「表情や様子といった人物の外見で表現される」「人物の取った行動で表現される」「まわりの情景描写で表現される」というように、きちんと整理をしておくことが大切です。

いろいろと気になることはたくさんあるのですが、それは確実によい変化があらわれている証拠でもあります。できることが増えれば、できないことがよりはっきりと浮かび上がるからです。課題が明確になるのです。変化に個人差がありますが、学校全体としてよい方向に変わりつつあるのです。授業研究がよいきっかけとなって、変化を促しています。今回の授業研究もその期待を裏切らないものでした。

授業研究については明日の日記で。

新たな一歩を踏み出そうとした数学の授業

中学校で授業アドバイスを行ってきました。授業者は他府県で2年間勤めた後、愛知県に来られて3年目の先生です。2年ぶりに授業を見せていただきました。3年生の数学で、幾何ツールを使った重心の授業でした。

授業者は、今回の課題で初めて幾何ツールを活用した授業に挑戦しました。指導案を見る限り、コンピュータを活用した授業にまだ慣れていないと感じました。そのことを事前に校長にお伝えしたところ、「普通の授業ならもう安心して任せられる。だから今回は、あえて挑戦させたかった」ということでした。

授業の第一印象は先生も子どもも笑顔が多いということでした。指示もきちんと通ります。子ども同士の関係も良好で、友だちと相談する姿がよく見られます。授業規律も人間関係もしっかりとできています。日ごろから、基本的なことがしっかりできていることがよくわかります。この日の授業は、教科面に集中してアドバイスすることにしました。

最初に紙で作った三角形のある点P(重心)にコンパスの針を刺して回転させます。クルクルと回ります。この点がどんな点かがこの日の課題です。「どんな点」という言葉は明確ではありません。この言葉を使うのなら、より明確な言葉に変えていく活動が必要です。しかし、考えるための材料が全くありません。「どのような性質があるのか」「どうやれば見つけることができるのか」といったところに視点をもっていきたいのですが、全く手がかりがありません。子どもの中から「実はどこでも回る」というつぶやきが出てきました。とてもよいつぶやきです。本来なら、他の点ではうまくいかないことを確かめて、クルクル回る点の秘密を知ろうと進めたいところです。しかし、この「クルクル回る」を追究しても、数学としてはうまく扱えません。「クルクル回る」という物理的な性質を条件として重心を導き出そうというのは、中学生ではまず無理だからです。この導入は数学的につなげることはとても難しいのです。

考えやすいようにと、二等辺三角形でまず考えます。なぜ二等辺三角形だと考えやすいのでしょうか?そのことには全く触れられません。点Pについて一切の情報がないのですから、おかしな話です。「一般ではよくわからない時には特殊な場合を考えて見通しを持つ」というメタな考え方を過去の授業で経験しているのでしょうか。もし、そうならその場面を思い出させることが必要です。そういった経験がないのなら、そのことに気づかせる活動が必要です。二等辺三角形にこだわらず、幾何ツールで「自由に変形させて、手が出ない」「意図的に動かしたら何かに気づいた」といった経験をすることが必要なのです。

「頂点を底面と平行に動かすと、点Pも平行に動く」「点Pを底辺と垂直に動かすと点Pも垂直に動く」「頂点を底辺の中点から底辺と垂直に動かすと点Pもその垂線上にある」「点Pをまっすぐ(直線上を)動かすと、点Pもまっすぐ(直線と平行な直線上を)動く」といった気づきを子どもから引き出し、そのように動かした理由を聞いて、そのことを価値づけするのです。結論だけに注目しては、数学的なものの見方・考え方は身につきません。
点Pと頂点を結びたい。3つの頂点と結びたい。長さを測りたい。子どもからいろんな欲求が出てきます。そこで、考えを広げ、思考を深めるのです。頂点と点Pを結ぶと必ず底辺の中点を通ることに気づきます。点Pが中線を一定の比(2:1)に分けることに気づきます。3つの頂点と点Pを結んだ子どもは、すべて中線になっていることに気づくかもしれません。数学の授業としては、ここからです。やっと課題が見つかったのです。3つの中線が1点で交わること。どちらかから、他の性質が成り立つこと。こういったことを課題として数学的な探求をするのです。

授業者は二等辺三角形で頂点と点Pを結び、底辺との交点をDとした二等辺三角形を電子黒板に提示します。これも天下りです。また、点を結ぶことと延長することは、別の発想です。その必然性を考える必要があります。続いて、線分ADがどんな線分か考えさせます。考えるといっても、根拠がありません。見た目での想像でしかありません。しかし「考えて」と言います。数学としては違和感のある言葉です。子どもにたちに実際に幾何ツールを使って「調べさせたい」ところです。
子どもからは、「垂直二等分線」「中点と頂点を結んだ線」「二等分線」「線対称の線」といった言葉が出ます。授業者はそのまま進んだり、自分で「∠BACの」二等分線と足したりします。物わかりのよすぎる先生です。「二等辺三角形」の線対称の「軸」とは修正しませんでした。授業者は数学的な言葉に非常に鈍感です。主語がよく抜けます。数学ではありえないことです。「二等分線」と子どもが言ったら、「何の?」「どこの?」と問い返すことが必要です。教師が意識していないので、子どもも用語をきちんと使えません。1年生からしっかりと育てることが大切です。
子どもから言葉を引き出してから、幾何ツールで確かめました。全体で進めるのなら、「考えて」の前に、「どこを調べたい」「何を測りたい」と子どもに問いかけてから測るべきでしょう。「○○が言えそうだね」「予想がつくね」と「予想」であることを強調し、「予想」は確かめなければいけないと、次の活動につなげるのです。

「ADがどんな線か考えよう」と個別のパソコンで、どれが成り立つかを確認させようとします。課題が「点Pがどういう点か」から「ADはどんな線か」に変わっています。子どもたちは、その関連が今ひとつわかっていないようです。初めてのソフトの利用で戸惑う子どももいますが、まわりの子どもが助けています。戦略的に動かす子どももいますが、思いつきで動かしている子どもが目立ちます。本来はグループで探求させたいのですが、パソコンの配置が横にずらりと並んでいるのでグループ活動がやりにくいのです。環境面のハンディがあったことが残念です。
全体で何が言えそうで、何がダメかを確認します。指名した子どもに、ダメなことがわかるように頂点を動かすように指示します。感覚的にダメで終わりますが。1つでいいので測定して、否定すべきでしょう。「いつも」「絶対」成り立つは、1つでも反例をあげればいいことを押さえたいところです。

画面を見て、気づくことがないかと子どもたちに問います。点Pが中点を2:1に分けることを言わせたいのですが、ただ画面を見て気づくのなら、幾何ツールはいりません。黒板に図を貼っても同じです。子どもたちにどのような活動をさせて、どんな力をつけたいのかが、明確になっていません。
3つの頂点と点Pを結んだ図を指示に従って動かし、気づくことをワークシートに書かせます。このことにも違和感があります。自由に動かせるから幾何ツールです。自由に動かすことで発見があるのです。
全体で、気づいたことを発表させます。「頂点と点Pを結んだ線がすべて中線になっている」「点Pは中線を2:1に分けている」といったことが出てきます。これらの性質の因果関係は明確ではありません。条件や定義が明確ではないからです。「どうやったら作れる?」といった発問で、条件や定義を意識することができますが、もう時間がありません。
1人だけ中線で分けられた6つの三角形の面積が等しいと言った子どもがいました。どうやって気づいたのかは問いません。3つの線分が中線になっていることから気づいたのかもしれません。なんとなくかもしれません。そのことを確認せずに、幾何ツールで面積を測りました。
結局最後まで、根拠が語られることのない授業でした。ここまでを15分以内で終わり、出てきた課題を追究することに時間を使うべきでしょう。気づいたことから課題をつくり、それを追究することが数学では大切なのです。

厳しいことをたくさん書きましたが、授業者は数学の教師として大きな一歩を踏み出そうとしています。最初からうまくいくわけはありません。挑戦し続けることで初めてできるようになるのです。授業の基本は、本当によくできていました。2年前に指摘されたことを愚直にやり続けてきたことがよくわかります。そのことを本当にうれしく思いました。

授業アドバイスの後、何人かの若手の授業を見せていただきました。
挙手した子どもだけで進む授業が目につきました。一見すると子どもをよくほめているように見えますが、「いいですね」「素晴らしい」と抽象的にほめているだけなので、子どもにとってリアリティがなくなっている方もいました。子どもの方を向いているのですが、視線が子どもに落ちない方もいます。子どもが作業している時に、作業を止めずにしゃべる方も目立ちます。
机間指導をしても、本当に支援が必要な子どものところにいかず、自分から教師に声をかける子どもとばかり話している先生もいました。上手くかかわれる子どもとだけ関係をつくっています。こういう先生の学級は崩れやすい傾向があります。要注意です。

先ほどの数学の授業者のように、基本がしっかりとできている先生もいる反面、基本がまだ徹底できていない方もいます。このギャップを学校としてどう埋めていくかが大きな課題でしょう。互いに授業を見せあって学ぶような機会をもっとつくる必要あるのかもしれません。

小学校で授業研究(長文)

小学校の現職教育に参加しました。今年度2回目の訪問です。

授業研究に先立って全学級の様子を参観しました。全体的に感じるのが、授業規律がまだ確立できていないことです。作業が終わった時には鉛筆を置いて姿勢を正すように指示します。しかし、全員が姿勢を正さないままに教師は話し始めてしまいます。友だちの話を聞く姿勢もできていません。発表を聞く子どもたちの視線はなかなか安定しません。また、せっかく子どもが友だちの話を聞こうとしていても、教師が板書することで、子どもの視線を奪ってしまいます。一方、教師の視線も子どもたちの上を流れていきます。子どもたちに視線を送ることができません(視線を送る参照)。机間指導も、漫然と歩いているだけで何を指導するのか明確に感じられません。まわりを見ながら歩くだけなので、全体を見ることはできません。教師の死角で起こっていることに気づくことができないのです。
子どもたちの作業中に追加の指示や説明が目立ちます。なかなかきちんと止めることができません。教師が子どもたちの集中を乱すのです。
子どもの発言や活動に対する評価も、あまりありません。「いいです」以外の評価を聞くことはほとんどありませんでした。
挙手した子どもだけを指名して授業が進むので、わかる子、発言できる子どもしか参加できません。子どもたちは、教師がまとめてくれることを知っているので、それを写せば困りません。友だちの発言を聞くことの必然性がないのです。同じ考えの子どもを発言させる。それを聞いて納得したかどうかを確認し、その根拠を聞く。納得しなかった子どもに、納得したか再度聞く。納得できない子どもに、どこが納得できないのかをたずねる。このような活動が必要です。また、まとめは、常に教師がするのではなく、子どもにまとめさせ、板書が必要であれば子どもの言葉をそのまま使う。こういった工夫が必要です。
子どもはまじめに作業に取り組みます。板書も写します。しかし、先生の話は聞きません。子どもの作業をする姿と、教師が一方的にしゃべる姿を見ることがほとんどでした。
基本的な授業技術が身についていないように感じます。必要性を感じていないのかもしれません。学校全体で取り組むべき基本を具体的にして共有することが大切です。
その点でキーとなるのは教務主任です。授業参観に同行した教務主任は、私の指摘に納得して同意はするのですが、「今日はたまたま」という言葉を何度も使いました。しかし、では普段は具体的にどうなのかは一度も語られませんでした。残念ながらこの言葉を聞く限り、教務主任主導での改善はあまり期待できません。なぜなら日ごろから授業を見ていて「たまたま」と言うのなら、具体的にそうではない場面を伝えることができるはずです。「たまたま」という言葉の裏には、本当は「できていることもある」「できているはず」が隠れています。これは事実を認めたくない、言い訳の気持ちです。自分の意志で、改善のための具体的な行動を起こすとは思えないのです。
とはいえ、以前に訪問した時と比べて表情のかたい先生が減ったように感じます。子どもを受容しようとする意識がでてきたようです。管理職やリーダーに求められるのは、その次のステップを具体化することです。
また、算数では手順を教えて確認するだけの授業が目立ちました。子どもが思考する場面がないのです。これでは算数は解き方を覚える教科になってしまいます。教科の学習の基本は何かもしっかり共有してほしいところです。
もう一つ気になったのが、実物投影機を使わないことです。この学校はフューチャースクールでICT環境は整っています。タブレットを使わないまでも、実物投影機を使った方がよさそうな場面がたくさんありました。しかし、ほとんどの教師が使わないのです。

授業研究は2年目の先生の国語の授業でした。5年生の「大造じいさんとガン」の話のあらすじをつかむ場面でした。
授業者は少々緊張気味でしたが、笑顔を絶やさないように意識していました。子どもを受容しようという意識を感じます。前回通読した感想をたずねます。「長い」「感動した」といった言葉が出てきましたが、授業者は「感動した」だけを拾いました。こういうことが続くと、子どもは授業者が求めることを言おうとするようになります。無視されたということはその言葉は不正解です。子どもは挙手をして発言することを避けるようになります。不正解で恥をかくリスクがあるからです。それでも発言したければ、挙手せずにつぶやきます。この場面では、「長い」もきちんと拾うべきだったのです。「長い」はあらすじにつなぐことができる言葉です。長いからこそ、あらすじを追って整理する意味があるのです。
前時の復習の場面で、挙手しない子どもが多いことが気になります。中にはノートを開く子どもがいるのですが、そのことを取り上げません。挙手した子どもだけで進みます。ノートを開いている子どもを評価し、挙手していないのにノートを開かない子どもに参加を促すことが大切です。
この日の授業のめあては「大造じいさんとガンの話のあらすじをつかもう」です。
板書を写すのに「素早く、ていねいに」と指示します。評価の視点が具体的になっています。しかし、実際にどうだったかは評価しません。「○○さん、早いね」「△△さん、ていねいに書けたね」と評価しなければ定着しません。
机間指導しながら、「書けた人は自分の好きな場面を読んでください」と追加の指示をします。作業を止めずに指示しても通りません。「まだ、書いている人」と時間が来ても延長してしまいました。手を挙げたのは2人だけです。しかし、教科者を読んでいるのはほんの数人です。指示されたことにあまり意味があると思えないこともあり、ほとんどの子どもが無視したのです。この間、子どもの集中力は下がり、ざわつきます。最初の「素早く」という指示が全く意味を成しません。
気持ちの変化をとらえるために、2つの段落で、それぞれ大造じいさんの気持ちに線を引かせます。ここで、ただ気持ちに線を引いて、それを発表するだけでは意味がありません。どのようにして見つけたか、何に注目するのかといったメタを意識する必要があります。小学校の低学年では、「思った」「考えた」と直接的表現から見つけます。学年が上がると、「表情」「行動」といったもので表現されるようになります。高学年になると、「情景描写」で表現されるようになります。天気、色、音といったものが何度も出てくると、その変化が読み解くカギになります。そういうことを意識して読むことが必要になります。過去にどんなことに注目したか復習してから始める。発表をただ板書するのではなく、「どのような言葉」「どのような表現」に注目したかを明確にして整理する。そういう場面が必要になります。しかし、授業者は、そのどちらもせずに、ただ発表させるだけです。そして、大造じいさんの残雪に対する気持ちに点数をつけるように求めます。子どもたちは反応できません。当然です。基準がないからです。基準がないからわからないと話している子どももいます。なかなか答えてくれませんが、1人が点数を言うと、今度はテンションが上がります。一つの例が基準となると言いやすくなります。しかも、根拠は必要ありません。無責任に考えられるので、テンションが上がりだすのです。
続いて次の場面に移ります。せめて、今発表した気持ちがどう変わるか、対比することを意識して線を引かせたいところです。例えば「たかが鳥」という言葉に対する表現はあるかと問うのです。こういう視点を意識して文を読む訓練が必要なのです。
授業者は、点数をつけることで、大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化をわかりやすく意識させたいと思ったのでしょう。再び点数をつけて、点数が上がったことを根拠に気持ちが変わったことを説明しはじめました。感覚的に点数をつけて、それを根拠に説明しても読解力はつきません。素直に本文の表現を対比することで明確にすることができたはずです。国語として大切な活動は何かを考える必要があります。
続いて、大造じいさんがガンを捕まえようとした3つの方法に名前をつけるように指示します。この活動の意味がわかりません。名前をつけることよりも、大造じいさんの気持ちの変化とこの3回の挑戦の関係の方が大切です。そのことをしっかりと押さえる必要があります。必然性が必要なのです。また、授業者は3つの方法と言っただけで、具体的に確認しませんでした。これも要注意です。3つを全員が納得してから取りかかる必要があるのです。
子どもたちを3つにグループに分けて、それぞれにとらえ方を割り振り、名前をつけさせます。各自に渡した短冊に書かせて、黒板に並べて貼ります。
ここで、子どもたちにあらすじを書くように指示します。「えーっ」という声が上がります。当然でしょう。一つひとつ指示に従って作業しただけで、あらすじについては何も考えていません。そもそもあらすじとは何かということがきちんと定義されていません。「大造じいさんとガンは・・・お話しです」と文頭と文末を指定し、大造じいさんの残雪に対する初めの気持ちと終わりの気持ち、3つの方法を入れることを条件にします。なぜ、あらすじにこのことが必要なのでしょうか。これがわからなければこの活動に意味はありません。
国語の授業としては???が並ぶものでした。

授業検討はグループを活用した「3+1」で行いました。この授業をつくるにあたって、指導案の検討を全体で行い、模擬授業も事前に行ったそうです。参加者も、自分たちの授業として見ていたように思います。そのためか、模擬授業時点ではなかった、気持ちに点数をつけるがかなり話題になったようです。
今回、この市内の大学の学生も20人ほど参加しました。教員志望の学生に少しでも現場で学ばせたいという試みです。そのため、1グループの人数が多く、全員が意見を言うだけで、じっくり話し合って考えを深める時間を取ることができませんでした。気づいたことをあらかじめ付箋紙にまとめ、全員で模造紙にグルーピングするといった方法をとる必要があったように思います。
皆さんからでてきた意見は、どれもなるほどと思うものでした。私からは、皆さんから出てこなかった視点から、2点お話をさせていただきました。1つは授業の進め方にについて、全員参加を意識してほしいこと、もう1つは国語の授業として、教材を超えて共通な見方・考え方、メタな視点を意識してほしいことです。

今回の授業研究では、授業の準備段階から皆さんが前向きにかかわってくれていました。とてもよいことです。今後意識してほしいことは、授業改善の方向性です。中途半端にいろいろと手を出すのではなく、ポイントを絞って取り組む必要があります。本当に基本的なことでいいのです。まずは、全員が同じように取り組むことで、次のステップが見えてくるのです。授業改善のスモールステップを意識してほしいと思います。

「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の申込み開始

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「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の申込みがいよいよ開始されました。愛される学校づくり研究会の会員が前回に引き続き「校務の情報化」のポイントを劇で伝える午前の部と、「楽しく授業研究」するための方法について、会員の模擬授業をもとに考える午後の部の2本立てです。

午前の部は、昨年以上にシャープに校務の情報化のノウハウ、活用のポイントをお伝えしよう、更なるバージョンアップに取り組んでいます。

午後の部は、私たち会員の選りすぐりの授業者による、国語、社会、理科のミニ提案模擬授業を3つの授業検討法を活用して、授業研究を行います。提案授業を見るだけでも損はさせませんが、私たちの提案する授業検討法で授業研究を行うことでより深く授業から学ぶことができることを実感してもらえると思っています。

・授業研究は活性化するために何が大切なのか
・どんな提案授業でも、どんな司会者でも、参加者が「よかった」「勉強になった」「楽しかった」と言える授業研究は可能なのか
・ICTは授業研究に活かすことができるのか

このようなことを参加者の皆さんと一緒に考えながら、楽しく授業研究をするポイントは何かをお伝えします。事前に、私が連載している教育コラム「楽しく授業研究をしよう」をお読みいただければ、当日はより楽しめることと思います。

なお、昨年度は申込み締め切り前に定員となりました。お早目の申込みをお勧めします。

日 時  平成26年2月9日(日) 10:00〜16:30(受付開始 9:30)
会 場  ホテルグランヴィア京都(5F「古今の間」)
参加費  1人 3,000円

なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2014」の招待券が届きます。この招待券は、当日昼食券と引き換えができます。

詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPフォーラムのコーナーをご覧ください。

「楽しく授業研究をしよう」第8回、第9回公開

「愛される学校づくり研究会」のWEBサイトで、教育コラム「楽しく授業研究をしよう」の第8回授業研究にとって大切なこと、第9回授業研究の何を解決するのかが公開されました。

ぜひご一読ください。
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