新たな一歩を踏み出そうとした数学の授業
中学校で授業アドバイスを行ってきました。授業者は他府県で2年間勤めた後、愛知県に来られて3年目の先生です。2年ぶりに授業を見せていただきました。3年生の数学で、幾何ツールを使った重心の授業でした。
授業者は、今回の課題で初めて幾何ツールを活用した授業に挑戦しました。指導案を見る限り、コンピュータを活用した授業にまだ慣れていないと感じました。そのことを事前に校長にお伝えしたところ、「普通の授業ならもう安心して任せられる。だから今回は、あえて挑戦させたかった」ということでした。 授業の第一印象は先生も子どもも笑顔が多いということでした。指示もきちんと通ります。子ども同士の関係も良好で、友だちと相談する姿がよく見られます。授業規律も人間関係もしっかりとできています。日ごろから、基本的なことがしっかりできていることがよくわかります。この日の授業は、教科面に集中してアドバイスすることにしました。 最初に紙で作った三角形のある点P(重心)にコンパスの針を刺して回転させます。クルクルと回ります。この点がどんな点かがこの日の課題です。「どんな点」という言葉は明確ではありません。この言葉を使うのなら、より明確な言葉に変えていく活動が必要です。しかし、考えるための材料が全くありません。「どのような性質があるのか」「どうやれば見つけることができるのか」といったところに視点をもっていきたいのですが、全く手がかりがありません。子どもの中から「実はどこでも回る」というつぶやきが出てきました。とてもよいつぶやきです。本来なら、他の点ではうまくいかないことを確かめて、クルクル回る点の秘密を知ろうと進めたいところです。しかし、この「クルクル回る」を追究しても、数学としてはうまく扱えません。「クルクル回る」という物理的な性質を条件として重心を導き出そうというのは、中学生ではまず無理だからです。この導入は数学的につなげることはとても難しいのです。 考えやすいようにと、二等辺三角形でまず考えます。なぜ二等辺三角形だと考えやすいのでしょうか?そのことには全く触れられません。点Pについて一切の情報がないのですから、おかしな話です。「一般ではよくわからない時には特殊な場合を考えて見通しを持つ」というメタな考え方を過去の授業で経験しているのでしょうか。もし、そうならその場面を思い出させることが必要です。そういった経験がないのなら、そのことに気づかせる活動が必要です。二等辺三角形にこだわらず、幾何ツールで「自由に変形させて、手が出ない」「意図的に動かしたら何かに気づいた」といった経験をすることが必要なのです。 「頂点を底面と平行に動かすと、点Pも平行に動く」「点Pを底辺と垂直に動かすと点Pも垂直に動く」「頂点を底辺の中点から底辺と垂直に動かすと点Pもその垂線上にある」「点Pをまっすぐ(直線上を)動かすと、点Pもまっすぐ(直線と平行な直線上を)動く」といった気づきを子どもから引き出し、そのように動かした理由を聞いて、そのことを価値づけするのです。結論だけに注目しては、数学的なものの見方・考え方は身につきません。 点Pと頂点を結びたい。3つの頂点と結びたい。長さを測りたい。子どもからいろんな欲求が出てきます。そこで、考えを広げ、思考を深めるのです。頂点と点Pを結ぶと必ず底辺の中点を通ることに気づきます。点Pが中線を一定の比(2:1)に分けることに気づきます。3つの頂点と点Pを結んだ子どもは、すべて中線になっていることに気づくかもしれません。数学の授業としては、ここからです。やっと課題が見つかったのです。3つの中線が1点で交わること。どちらかから、他の性質が成り立つこと。こういったことを課題として数学的な探求をするのです。 授業者は二等辺三角形で頂点と点Pを結び、底辺との交点をDとした二等辺三角形を電子黒板に提示します。これも天下りです。また、点を結ぶことと延長することは、別の発想です。その必然性を考える必要があります。続いて、線分ADがどんな線分か考えさせます。考えるといっても、根拠がありません。見た目での想像でしかありません。しかし「考えて」と言います。数学としては違和感のある言葉です。子どもにたちに実際に幾何ツールを使って「調べさせたい」ところです。 子どもからは、「垂直二等分線」「中点と頂点を結んだ線」「二等分線」「線対称の線」といった言葉が出ます。授業者はそのまま進んだり、自分で「∠BACの」二等分線と足したりします。物わかりのよすぎる先生です。「二等辺三角形」の線対称の「軸」とは修正しませんでした。授業者は数学的な言葉に非常に鈍感です。主語がよく抜けます。数学ではありえないことです。「二等分線」と子どもが言ったら、「何の?」「どこの?」と問い返すことが必要です。教師が意識していないので、子どもも用語をきちんと使えません。1年生からしっかりと育てることが大切です。 子どもから言葉を引き出してから、幾何ツールで確かめました。全体で進めるのなら、「考えて」の前に、「どこを調べたい」「何を測りたい」と子どもに問いかけてから測るべきでしょう。「○○が言えそうだね」「予想がつくね」と「予想」であることを強調し、「予想」は確かめなければいけないと、次の活動につなげるのです。 「ADがどんな線か考えよう」と個別のパソコンで、どれが成り立つかを確認させようとします。課題が「点Pがどういう点か」から「ADはどんな線か」に変わっています。子どもたちは、その関連が今ひとつわかっていないようです。初めてのソフトの利用で戸惑う子どももいますが、まわりの子どもが助けています。戦略的に動かす子どももいますが、思いつきで動かしている子どもが目立ちます。本来はグループで探求させたいのですが、パソコンの配置が横にずらりと並んでいるのでグループ活動がやりにくいのです。環境面のハンディがあったことが残念です。 全体で何が言えそうで、何がダメかを確認します。指名した子どもに、ダメなことがわかるように頂点を動かすように指示します。感覚的にダメで終わりますが。1つでいいので測定して、否定すべきでしょう。「いつも」「絶対」成り立つは、1つでも反例をあげればいいことを押さえたいところです。 画面を見て、気づくことがないかと子どもたちに問います。点Pが中点を2:1に分けることを言わせたいのですが、ただ画面を見て気づくのなら、幾何ツールはいりません。黒板に図を貼っても同じです。子どもたちにどのような活動をさせて、どんな力をつけたいのかが、明確になっていません。 3つの頂点と点Pを結んだ図を指示に従って動かし、気づくことをワークシートに書かせます。このことにも違和感があります。自由に動かせるから幾何ツールです。自由に動かすことで発見があるのです。 全体で、気づいたことを発表させます。「頂点と点Pを結んだ線がすべて中線になっている」「点Pは中線を2:1に分けている」といったことが出てきます。これらの性質の因果関係は明確ではありません。条件や定義が明確ではないからです。「どうやったら作れる?」といった発問で、条件や定義を意識することができますが、もう時間がありません。 1人だけ中線で分けられた6つの三角形の面積が等しいと言った子どもがいました。どうやって気づいたのかは問いません。3つの線分が中線になっていることから気づいたのかもしれません。なんとなくかもしれません。そのことを確認せずに、幾何ツールで面積を測りました。 結局最後まで、根拠が語られることのない授業でした。ここまでを15分以内で終わり、出てきた課題を追究することに時間を使うべきでしょう。気づいたことから課題をつくり、それを追究することが数学では大切なのです。 厳しいことをたくさん書きましたが、授業者は数学の教師として大きな一歩を踏み出そうとしています。最初からうまくいくわけはありません。挑戦し続けることで初めてできるようになるのです。授業の基本は、本当によくできていました。2年前に指摘されたことを愚直にやり続けてきたことがよくわかります。そのことを本当にうれしく思いました。 授業アドバイスの後、何人かの若手の授業を見せていただきました。 挙手した子どもだけで進む授業が目につきました。一見すると子どもをよくほめているように見えますが、「いいですね」「素晴らしい」と抽象的にほめているだけなので、子どもにとってリアリティがなくなっている方もいました。子どもの方を向いているのですが、視線が子どもに落ちない方もいます。子どもが作業している時に、作業を止めずにしゃべる方も目立ちます。 机間指導をしても、本当に支援が必要な子どものところにいかず、自分から教師に声をかける子どもとばかり話している先生もいました。上手くかかわれる子どもとだけ関係をつくっています。こういう先生の学級は崩れやすい傾向があります。要注意です。 先ほどの数学の授業者のように、基本がしっかりとできている先生もいる反面、基本がまだ徹底できていない方もいます。このギャップを学校としてどう埋めていくかが大きな課題でしょう。互いに授業を見せあって学ぶような機会をもっとつくる必要あるのかもしれません。 小学校で授業研究(長文)
小学校の現職教育に参加しました。今年度2回目の訪問です。
授業研究に先立って全学級の様子を参観しました。全体的に感じるのが、授業規律がまだ確立できていないことです。作業が終わった時には鉛筆を置いて姿勢を正すように指示します。しかし、全員が姿勢を正さないままに教師は話し始めてしまいます。友だちの話を聞く姿勢もできていません。発表を聞く子どもたちの視線はなかなか安定しません。また、せっかく子どもが友だちの話を聞こうとしていても、教師が板書することで、子どもの視線を奪ってしまいます。一方、教師の視線も子どもたちの上を流れていきます。子どもたちに視線を送ることができません(視線を送る参照)。机間指導も、漫然と歩いているだけで何を指導するのか明確に感じられません。まわりを見ながら歩くだけなので、全体を見ることはできません。教師の死角で起こっていることに気づくことができないのです。 子どもたちの作業中に追加の指示や説明が目立ちます。なかなかきちんと止めることができません。教師が子どもたちの集中を乱すのです。 子どもの発言や活動に対する評価も、あまりありません。「いいです」以外の評価を聞くことはほとんどありませんでした。 挙手した子どもだけを指名して授業が進むので、わかる子、発言できる子どもしか参加できません。子どもたちは、教師がまとめてくれることを知っているので、それを写せば困りません。友だちの発言を聞くことの必然性がないのです。同じ考えの子どもを発言させる。それを聞いて納得したかどうかを確認し、その根拠を聞く。納得しなかった子どもに、納得したか再度聞く。納得できない子どもに、どこが納得できないのかをたずねる。このような活動が必要です。また、まとめは、常に教師がするのではなく、子どもにまとめさせ、板書が必要であれば子どもの言葉をそのまま使う。こういった工夫が必要です。 子どもはまじめに作業に取り組みます。板書も写します。しかし、先生の話は聞きません。子どもの作業をする姿と、教師が一方的にしゃべる姿を見ることがほとんどでした。 基本的な授業技術が身についていないように感じます。必要性を感じていないのかもしれません。学校全体で取り組むべき基本を具体的にして共有することが大切です。 その点でキーとなるのは教務主任です。授業参観に同行した教務主任は、私の指摘に納得して同意はするのですが、「今日はたまたま」という言葉を何度も使いました。しかし、では普段は具体的にどうなのかは一度も語られませんでした。残念ながらこの言葉を聞く限り、教務主任主導での改善はあまり期待できません。なぜなら日ごろから授業を見ていて「たまたま」と言うのなら、具体的にそうではない場面を伝えることができるはずです。「たまたま」という言葉の裏には、本当は「できていることもある」「できているはず」が隠れています。これは事実を認めたくない、言い訳の気持ちです。自分の意志で、改善のための具体的な行動を起こすとは思えないのです。 とはいえ、以前に訪問した時と比べて表情のかたい先生が減ったように感じます。子どもを受容しようとする意識がでてきたようです。管理職やリーダーに求められるのは、その次のステップを具体化することです。 また、算数では手順を教えて確認するだけの授業が目立ちました。子どもが思考する場面がないのです。これでは算数は解き方を覚える教科になってしまいます。教科の学習の基本は何かもしっかり共有してほしいところです。 もう一つ気になったのが、実物投影機を使わないことです。この学校はフューチャースクールでICT環境は整っています。タブレットを使わないまでも、実物投影機を使った方がよさそうな場面がたくさんありました。しかし、ほとんどの教師が使わないのです。 授業研究は2年目の先生の国語の授業でした。5年生の「大造じいさんとガン」の話のあらすじをつかむ場面でした。 授業者は少々緊張気味でしたが、笑顔を絶やさないように意識していました。子どもを受容しようという意識を感じます。前回通読した感想をたずねます。「長い」「感動した」といった言葉が出てきましたが、授業者は「感動した」だけを拾いました。こういうことが続くと、子どもは授業者が求めることを言おうとするようになります。無視されたということはその言葉は不正解です。子どもは挙手をして発言することを避けるようになります。不正解で恥をかくリスクがあるからです。それでも発言したければ、挙手せずにつぶやきます。この場面では、「長い」もきちんと拾うべきだったのです。「長い」はあらすじにつなぐことができる言葉です。長いからこそ、あらすじを追って整理する意味があるのです。 前時の復習の場面で、挙手しない子どもが多いことが気になります。中にはノートを開く子どもがいるのですが、そのことを取り上げません。挙手した子どもだけで進みます。ノートを開いている子どもを評価し、挙手していないのにノートを開かない子どもに参加を促すことが大切です。 この日の授業のめあては「大造じいさんとガンの話のあらすじをつかもう」です。 板書を写すのに「素早く、ていねいに」と指示します。評価の視点が具体的になっています。しかし、実際にどうだったかは評価しません。「○○さん、早いね」「△△さん、ていねいに書けたね」と評価しなければ定着しません。 机間指導しながら、「書けた人は自分の好きな場面を読んでください」と追加の指示をします。作業を止めずに指示しても通りません。「まだ、書いている人」と時間が来ても延長してしまいました。手を挙げたのは2人だけです。しかし、教科者を読んでいるのはほんの数人です。指示されたことにあまり意味があると思えないこともあり、ほとんどの子どもが無視したのです。この間、子どもの集中力は下がり、ざわつきます。最初の「素早く」という指示が全く意味を成しません。 気持ちの変化をとらえるために、2つの段落で、それぞれ大造じいさんの気持ちに線を引かせます。ここで、ただ気持ちに線を引いて、それを発表するだけでは意味がありません。どのようにして見つけたか、何に注目するのかといったメタを意識する必要があります。小学校の低学年では、「思った」「考えた」と直接的表現から見つけます。学年が上がると、「表情」「行動」といったもので表現されるようになります。高学年になると、「情景描写」で表現されるようになります。天気、色、音といったものが何度も出てくると、その変化が読み解くカギになります。そういうことを意識して読むことが必要になります。過去にどんなことに注目したか復習してから始める。発表をただ板書するのではなく、「どのような言葉」「どのような表現」に注目したかを明確にして整理する。そういう場面が必要になります。しかし、授業者は、そのどちらもせずに、ただ発表させるだけです。そして、大造じいさんの残雪に対する気持ちに点数をつけるように求めます。子どもたちは反応できません。当然です。基準がないからです。基準がないからわからないと話している子どももいます。なかなか答えてくれませんが、1人が点数を言うと、今度はテンションが上がります。一つの例が基準となると言いやすくなります。しかも、根拠は必要ありません。無責任に考えられるので、テンションが上がりだすのです。 続いて次の場面に移ります。せめて、今発表した気持ちがどう変わるか、対比することを意識して線を引かせたいところです。例えば「たかが鳥」という言葉に対する表現はあるかと問うのです。こういう視点を意識して文を読む訓練が必要なのです。 授業者は、点数をつけることで、大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化をわかりやすく意識させたいと思ったのでしょう。再び点数をつけて、点数が上がったことを根拠に気持ちが変わったことを説明しはじめました。感覚的に点数をつけて、それを根拠に説明しても読解力はつきません。素直に本文の表現を対比することで明確にすることができたはずです。国語として大切な活動は何かを考える必要があります。 続いて、大造じいさんがガンを捕まえようとした3つの方法に名前をつけるように指示します。この活動の意味がわかりません。名前をつけることよりも、大造じいさんの気持ちの変化とこの3回の挑戦の関係の方が大切です。そのことをしっかりと押さえる必要があります。必然性が必要なのです。また、授業者は3つの方法と言っただけで、具体的に確認しませんでした。これも要注意です。3つを全員が納得してから取りかかる必要があるのです。 子どもたちを3つにグループに分けて、それぞれにとらえ方を割り振り、名前をつけさせます。各自に渡した短冊に書かせて、黒板に並べて貼ります。 ここで、子どもたちにあらすじを書くように指示します。「えーっ」という声が上がります。当然でしょう。一つひとつ指示に従って作業しただけで、あらすじについては何も考えていません。そもそもあらすじとは何かということがきちんと定義されていません。「大造じいさんとガンは・・・お話しです」と文頭と文末を指定し、大造じいさんの残雪に対する初めの気持ちと終わりの気持ち、3つの方法を入れることを条件にします。なぜ、あらすじにこのことが必要なのでしょうか。これがわからなければこの活動に意味はありません。 国語の授業としては???が並ぶものでした。 授業検討はグループを活用した「3+1」で行いました。この授業をつくるにあたって、指導案の検討を全体で行い、模擬授業も事前に行ったそうです。参加者も、自分たちの授業として見ていたように思います。そのためか、模擬授業時点ではなかった、気持ちに点数をつけるがかなり話題になったようです。 今回、この市内の大学の学生も20人ほど参加しました。教員志望の学生に少しでも現場で学ばせたいという試みです。そのため、1グループの人数が多く、全員が意見を言うだけで、じっくり話し合って考えを深める時間を取ることができませんでした。気づいたことをあらかじめ付箋紙にまとめ、全員で模造紙にグルーピングするといった方法をとる必要があったように思います。 皆さんからでてきた意見は、どれもなるほどと思うものでした。私からは、皆さんから出てこなかった視点から、2点お話をさせていただきました。1つは授業の進め方にについて、全員参加を意識してほしいこと、もう1つは国語の授業として、教材を超えて共通な見方・考え方、メタな視点を意識してほしいことです。 今回の授業研究では、授業の準備段階から皆さんが前向きにかかわってくれていました。とてもよいことです。今後意識してほしいことは、授業改善の方向性です。中途半端にいろいろと手を出すのではなく、ポイントを絞って取り組む必要があります。本当に基本的なことでいいのです。まずは、全員が同じように取り組むことで、次のステップが見えてくるのです。授業改善のスモールステップを意識してほしいと思います。 「愛される学校づくりフォーラム2014 in京都」の申込み開始午前の部は、昨年以上にシャープに校務の情報化のノウハウ、活用のポイントをお伝えしよう、更なるバージョンアップに取り組んでいます。 午後の部は、私たち会員の選りすぐりの授業者による、国語、社会、理科のミニ提案模擬授業を3つの授業検討法を活用して、授業研究を行います。提案授業を見るだけでも損はさせませんが、私たちの提案する授業検討法で授業研究を行うことでより深く授業から学ぶことができることを実感してもらえると思っています。 ・授業研究は活性化するために何が大切なのか ・どんな提案授業でも、どんな司会者でも、参加者が「よかった」「勉強になった」「楽しかった」と言える授業研究は可能なのか ・ICTは授業研究に活かすことができるのか このようなことを参加者の皆さんと一緒に考えながら、楽しく授業研究をするポイントは何かをお伝えします。事前に、私が連載している教育コラム「楽しく授業研究をしよう」をお読みいただければ、当日はより楽しめることと思います。 なお、昨年度は申込み締め切り前に定員となりました。お早目の申込みをお勧めします。 日 時 平成26年2月9日(日) 10:00〜16:30(受付開始 9:30) 会 場 ホテルグランヴィア京都(5F「古今の間」) 参加費 1人 3,000円 なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2014」の招待券が届きます。この招待券は、当日昼食券と引き換えができます。 詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPのフォーラムのコーナーをご覧ください。 「楽しく授業研究をしよう」第8回、第9回公開とても楽しめたパネルディスカッション
先週末は、研究発表会でパネルディスカッションのコーディネータを務めました。
中学校が中心となり、中学校区の小学校3校と共に協同的な学習に取り組んだ成果の発表会です。研究の概要の説明の後、小学校1校と中学校の授業公開です。私は研究主任と一緒に中学校を回りました。何度も訪問していますが、よい授業、よい場面が見られるようになりました。しかし、それが特定の授業や場面という点でしかなく、線や面にはまだなっていないのが現状です。この発表会に参加された方は子どもたちの姿をどのように見られたでしょうか。パネルディスカッションはそこから始めることにしました。 授業公開の後は、いよいよパネルディスカッションです。パネラーはこの研究を中心になって進めてきた中学校の研究主任と若手3人、各小学校から若手2人の10人です。1時間という限られた時間で、10人の方に十分活躍してもらえるのかちょっと不安もありました。また、中学校の4人はよく知っていますが、小学校の6人はほとんど初対面です。今回の研究にどのような思いを持っているのかもわかりません。しかし、だからこそ私も会場の皆さんと同じく、予測のできない状況を楽しみながら進めたいと思いました。 今回のパネルディスカッションは、単に協同的な学習にどのように取り組んだか、どんな成果があったのかを明らかにするのではなく、「学校」「授業」「子どもたち」がよい方向に変わっていくために必要なことは何かを考え、参加した方々の日々の実践の参考にしてもらうことが目的です。 まず、先生方の自己紹介の前に、授業公開で目にした子どもの姿はよいと思ったかどうかを参加者に挙手で聞きました。「よい」が2/3、「?」が1/3です。この結果も踏まえて、自己紹介とともに子どもたちの姿がどのようになったかをパネラーに語ってもらいました。 小学校の先生方からは、「子どもの発言がつながらない」「まだ、友だちの発言でも先生の方を見ている」といったよくないことも出てきますが、「子どもたちの発言が多様になった」「自分が発言したいばかりの子どもたちだったが、聞き合う姿が見られるようになった」「友だちの方を見て考えるようになった(友だちと一緒に考えようという姿勢)」「わからない子が友だちに聞けるようになった」とよい姿に変わっていることが話されます。 中学校の先生は、「子どもたちが男女関係なくかかわれるようになった」「話を聞く姿勢を見せてくれるようになった」とよい姿も見られるようになったが、まだ点でしかできていないと言われます。できていないこと、課題もありますが、取り組んで1年半で小中学校ともかなりの手ごたえを感じているように思いました。 そこで、皆さん素直に協同的な学習に取り組んだのかどうか、この協同的な学習との出会いの印象を話してもらいました。中学校のある先生は、先進的な学校を視察して、「この学校だからできる、うちの学校では無理だ」と思ったそうです。しかし、「とにかくやっていくうちに手ごたえを感じ出した、いかに自分が子どもを見ていなかったに気づいた」と語ってくれました。また、研究主任は自らの数学の授業を公開し、目指す姿を共有しようとしています。が、同じようにグループにしたらテンションが上がってしまい、「数学だからできた。自分の教科では無理」と思ったという方もいました。 その一方で、「できたらすごい、やってみよう」と素直に受け止めた方もたくさんいます。若いということは、まだこだわるようなスタイルも確立していません。だから、意外とこだわりもなかったということです。 しかし、どなたも子どもの姿に手ごたえを感じることができるまでには、ずいぶん苦労があったようです。「何をやっていいかわからなかった」「よくわからないまま始めたが、指導書の通りに進めることができないので、とにかく自分で考えた」「子どもから言葉がでてこない」「うまくいかないのは子どものせいと思った」「やっぱり無理だと思って元のスタイルに戻したが、とたんに子どもたちが授業中に集中力を失くして倒れる姿が目立ちだした」といった言葉が出てきます。 では、どのようにして、乗り越えてきたのでしょうか。多く出てきたのが、「先輩が教えてくれた」「同僚と学びあった」という言葉です。授業を見に行って学んだということも言われます。その中で、中学校の研究主任が出している研究通信がヒントになったということが出てきました。A4用紙に実践の報告やポイント、研究への想いなどがびっしりと書かれたものを毎週のように出していたのです。なるほど、これがキーかと思い、会場の2階席にいる4校の先生方に、毎週楽しみに読んでいるかを挙手してもらいました。その結果は、半数以上が「そうでもない」という予想に反したものでした。先ほど、ヒントになったと答えた先生も、「そうでもない」というのです。確かに役に立つのだが、情報量が多いため「気軽に読む」とはいかないようです。プレッシャーにもなるようです。通信の意義や内容が否定されたわけではありませんが、情報を伝える難しさを感じました。 このように、苦労をしながらここまで来たのですが、どなたもまだまだ満足できる状態ではありません。若手はまだしも、ベテランの中には正直「しんどい」と感じられる方も多いのではないでしょうか。研究もこの日で一段落です。今後もよりよい協同的な学習を目指して頑張り続けることができるのでしょうか。そこで、「この後も、協同的な学習を続けようと思うのかどうか」、4校の先生方に挙手してもらいました。実は半数ほど手が挙がればよいかと思っていたのですが、ほぼ全員が続けようと思うと手を挙げてくれました。空気を読んで手を挙げた方もいるとは思いますが、それでも、皆さんがこの取り組みに何らかの手ごたえを感じているのだと思います。 パネラーへの最後の質問は、協同的な学習を進めるための「原動力」「何を大切にすればいいのか」です。多かったのが、互いに教え合う、学び合うといった「同僚性」です。今回の研究を進めるにあたって、同僚から学んだことが多かったということです。研究主任の、「自分がいない時でも、先生方が互いに授業を撮影し、ビデオを元に学び合う姿が見られるようになった」という言葉からもそのことがうかがえます。 その次に多かったのが、「教えるプロとしてのプライド」「向上心」といった教師としての資質です。これにも、なるほどと思わされました。先生方の気概が伝わってきます。 最後に、「このパネルディスカッションでの話の中に、学校に持ち帰ってやってみようと思ったこと、参考になったことがあったか」会場に問いかけました。2人を除いて全員手が挙がりました。ほとんどが挙手する時は、要注意です。手が挙がらない人を大切にするのは授業の基本です。そこで、お2人にマイクを向けてもらいました。1人の方は、「学校に戻ってみんなを動かす自信がない」ということでした。どういうことかもう少し聞きたかったのですが、すぐに自分の席に戻られ、機会を逸しました。もう1人の方は予想通りの落ちでした。「退職者なので、持ち帰る学校がない」という訳です。が、その方はそれに続けて感想を述べ始めました。自分の過去の経験と合わせて若い先生方の姿を大いにほめてくださいました。予想外の展開で時間がオーバーしてしまったので、その先生の言葉をまとめとして、パネルディスカッションを終了しました。 パネラーの先生方の飾らない言葉に、会場の先生方もとてもよい反応をしていただけました。特にうけていたのが来賓席の教育長の方々でした。これからの若い先生の言葉が新鮮で、ほほえましいと感じたのかもしれません。一番厳しく突っ込まれた研究主任も楽しかったと言ってくれました。しかし、一番楽しめたのは、コーディネータの私かもしれません。素晴らしいパネラーと参加者、そして研究を支えてきた会場の先生方のおかげで、思うままに進行することができました。 研究主任は校長に、「あと2年は続けましょう」と力強く語っていました。2年とは校長が退職するまでの期間です。そうなることを楽しみにしています。 教科の内容に踏み込めた授業研究
昨日の日記の続きです。
授業研究は、4年生の算数、小数×整数の計算でした。授業者はこの学校で2年目の初任者です。 子どもたちはとても落ち着いています。授業規律もしっかり確立しています。教師の問いかけにうなずくなど、とてもよく反応してくれました。 まず、2リットルのペットボトル4本で何リットルになるかを立式します。テープ図を使いながら2×4を確認します。続いて0.2リットルのパックが4つで何リットルになるかの立式です。0.2×4をテープ図で確認しました。ここで注意をしたいのが、テープ図で押さえるべきことです。「2リットルが、4つ分」「0.2リットルが、4つ分」と指で示しながら何のいくつ分かを確認し、かけ算の式になることを全員が理解することが大切です。 ここで、「小数×整数の計算の仕方を考える」とめあてを示します。その前に「2×4」と「0.2×4」を比較しておくとよかったでしょう。「どこが違う?」と確認し、2と0.2を比較させて、「整数」「小数」という言葉を子どもから出させます。「2×4は計算できるね。じゃあ、0.2×4はどうかな?」とめあてに結びつけるのです。 子どもたちに「0.2×4の計算の仕方」を考えさせます。かなりの数の子どもが、「0.2の“0.”をとって2×4=8。“0.”をつけて0.8」と考えています。いつも不思議に思うのですが、子どもたちは自然にこういう考えに行き着くのでしょうか。0.8を先験的に見つけて、後から納得できる手順を考えているのでしょうか。それとも誰かがこのような考え方を教えたのでしょうか。ともあれ、この考えでも正解が出てくるので、いかにして覆すかがポイントです。 “0.”を取るという考えの子どもを発表させるのですが、「“0.”をとって2」という言葉を受けて、0.1が2個と教師が誘導します。線分図を使って確認しながら、「0.1が8個で0.8」と説明しました。同じように考えた子どもは、自分の考え方が否定されたとは感じません。ここは、「“0.”をとった“2”は何が2個なの?」というように、子どもから「0.1のいくつ分」を引き出すようにする必要があります。「じゃあ8は、何が8個?」と問いかけて、0.8を確認します。次の0.3×4を計算する前に、「0.5は何が5個?」「0.6は?」と子どもたちに次々確認し、じゃあ「0.3は?」と何人も指名しておくとよかったところです。 先ほどの押さえが甘かったため、授業者のすぐ前の子どもが「0.3×4=0.12」としていました。0.3×4=1.2を指名して答えさせた後、「ほかの答になった人いる」と問いかけます。先ほどの子どもは顔に緊張が走ります。葛藤しているようでしたが、手を挙げることはできませんでした。後から確認したところ、授業者はちゃんと気づいていたそうです。無理に指名して追いつめることはしなかったのです。この子どもは後から授業者に、本当は違う答だったと伝えたそうです。授業者と子どもとの関係のよさがわかる話です。 1.2の説明を子どもにさせます。授業者は「0.1が10で1。0.2を足して1.2」という説明に対して、「正しく言ってくれた」と評価します。ここは、子どもたちに確認したいところです。また、「0.1が12」という言葉も足す必要があったように思います。 続いて、「〔0.3〕は0.1が〔3個〕だから、〔0.3×4〕は0.1が〔3×4〕で〔1.2〕になる」という話型を示します。話型を否定するわけではありませんが、意味をわかった上での伝え方にすぎません。話型を覚えるのではなく、まず、自分の言葉で言うことが大切です。できるだけたくさんの子どもに指名して、説明させることが必要です。何人も言わせることで、子どもたちの言葉が洗練されていきます。「0.3は0.1が3個で、それの4つ分だから、3×4で12になって、0.1が12個あるから、1.2」といった言葉を引き出すのです。足りない言葉は、「・・・、3×4を計算して1.2」「3×4はいくつ?」「12」「12は何が12?」「0.1が12」「0.1が12で?」「1.2」「じゃあ、もう一度言ってくれる」というように教師が問いかけて引き出すのです。話型が登場するのはその後です。 0.5×4の計算の仕方をペアで説明させます。聞く側の役割が明確でないため、ちゃんと向き合って説明できないペアが目立ちます。どうしても言いっぱなしになります。また、自信を持てていないのでしょうか、声もあまりはっきりしません。「よくわからなかったら聞き直す」「よかったらOKサインを出す」というような役割を与えたいところです。 先ほど0.12と間違えた子どもも今度はちゃんと計算できていたようです。 今度は0.03×4の計算の仕方を考えます。ここでよくも悪くも先ほどの話型で0.1を固定していたことが効いてきます。話型に頼って考えると困ってしまいます。授業者は、困らせることで、「0.01」を意識させたかったのでしょうか、子どもたちが何人も首をかしげます。よく反応してくれます。「0.1ではダメ」という言葉を子どもから引き出しました。そこで、先ほどの話型の0.1の上に0.01の紙を貼って計算の仕方を考えさせます。しかし、ここで子どもたちを困らせる必要があったのでしょうか。話型で言えば、本来空欄になるべきは0.1だったはずです。「0.3は何が3?」をしっかり押さえておけば、ここでは、「0.03は何が3?」と聞き返せばよかっただけです。 先ほど、0.12と間違えた子どもは、しばらくじっと考えていました。おそらく、0.1で考えればいいと納得していたことが、覆ったので混乱したのでしょう。しかし、しばらくして突然手が動き出しました。0.01の意味がわかったようです。この後の全体追求の場でも、積極的に挙手して発言してくれました。 ペアで0.03×4の説明をしましたが、今度は先ほどのペア活動の時よりも、声がよく出ていました。2回目ということもあるのでしょうが、「0.5」「0.03」と値を変えて繰り返したことで、納得できたのだと思います。ただ、相手の方を見ずに、黒板の話型を頼っている子どもも目に付きました。これをどう評価するかです。「困ったら、黒板を見ていい」としてもよいのですが、「困ったらペアの人、助けてあげて」という方法もあります。 最後の振り返りの発表で、授業者は「簡単な九九で解けた」という発言を「0.1がいくつかで考えたら、整数の計算になった」と言い換えてしまいました。時間がなかったことはわかりますが、子どもの言葉を勝手に言い換えてはいけません。「簡単な九九ってどういうこと」「どうやったら簡単な九九になるの」「簡単ってどういうこと」というような言葉を返して、子どもから引き出すようにしたいところでした。 授業検討会は、グループを活用した「3+1」授業検討法で行いました。この検討法で行うのも3回目です。先生方に浸透してきたようです。付箋紙のメモをもとにどの先生も積極的に参加します。授業検討を前向きなものにとらえてくれていることがよくわかります。学級の雰囲気、授業規律のよさ、授業者の表情など、授業の基本となることの視点は学校でしっかりと共有されていることがよくわかります。評価がぶれません。どのグループも授業者のよいとろころをたくさん見つけくれました。算数に関する課題や議論に多くの時間が割かれます。最初にテープ図、続いて線分図を教科書が利用しているが、どう活かすのかといった疑問や話型についての話題がでてきました。テープ図は量を意識して立式をするために、線分図はより抽象化して、0.2×4という数の計算として考えることを意識していることを説明しました。線分図はやがて数直線へとより抽象化されていきます。話型とも関連して、数字が表すのはどのような数か、何がいくつなのかを共通して問うようにしてほしいことを伝えました。「30の3は何が3なの?」「0.2の2は何が2なの」「2/3の2は何が2?」と言ったことを常に問うのです。 授業者には、ここでは基本となる量のいくつ分かに注目させることがポイントなので、最初に小数の復習をしておけばよかったことを伝えました。小数を線分図(数直線)で表わす復習を、「0.2」「0.3」「0.03」といったこの時間で使ういくつかの数で行う。「0.2は何が2?」「0.12は?」といったことを問う。「0.2+0.3はどうやって計算した?」と小数の足し算の計算の仕方を確認する。すべてをやる必要も多くの時間を割く必要もありませんが、最初にこのようなことを復習しておけば、より自然に計算の仕方に気づくことができたはずです。 この学校での授業研究は、教科のことを中心にして話ができるようになってきました。学校として子どもとのかかわり方といった基本が共有され、実践され、安定してきたからです。次回の訪問も今からとても楽しみです。 若手の成長とベテランの変化を感じる
小学校で、授業アドバイスと授業研究の助言をおこなってきました。昨年からおじゃましている学校です。学校全体によい授業規律が確立してきています。子どもたちが集中して学習に取り組んでいます。1年余りで学校がずいぶんよい方向に変わってきたように思います。先生方が素直に授業の改善に取り組んでいることと、教務主任が中心となって若手の授業に対するアドバイスやサポートがしっかりとされていることがその原動力でしょう。教務主任からは、日ごろの学級経営や授業の様子といった、授業アドバイスの対象の先生の情報を的確に提供していただけます。日ごろから先生方の授業を見ていることがよくわかります。
5年生担当の講師の先生の授業は、算数の平均の導入でした。グレープフルーツジュースをつくるために、何個グレープフルーツを買えばよいかという課題を子どもたちに与えます。子どもたちはその課題の意味するところをなかなか理解できません。授業者はどうしても自分が求める言葉を出させようと誘導する傾向があります。「今、・・・と言ってくれたけど、どういうことかわかる」「○○さんが言ってくれたこと、誰か説明してくれる?」と子どもの言葉を他の子どもにつなげていくことで、次第に考えが深まり、焦点化していきます。このことを意識してほしいと思います。 グレープフルーツを絞った量を色紙で表現したものを黒板に貼ります。その瞬間子どもたちの集中度が上がります。視覚に訴えることは効果的です。ここで、「ならす」という概念を教えます。きちんと用語を教えたのはとてもよいと思います。ただ、「ならす」を黒板で先生が操作して見せるのではなく、できるだけ子ども自身に操作活動をさせたいところです。「凸凹をなくす」「差を減らす」といった子どもの言葉で表現させた後、定義するのです。 途中で「おもしろタイム」という、時間を設けました。子どもたちの興味を引きそうな、お饅頭を題材にした課題です。子どもたちのテンションが上がります。ひとしきり盛り上がったのですが、本題に戻った時に子どもたちの集中力が下がりました。テンションを上げるとその反動が来ます。難しいところです。 授業者は、講師経験の長いベテランです。見せ方や伝え方の技術もたくさん持っているように思います。少し視点を変えて、子どもたちの言葉受け止めて、どうつなぐかといった、子どもたちの言葉を引き出し、活かすための技術を意識していただければ、大きく飛躍すると思いました。 4年生の理科の授業もベテランの先生でした。沸騰の実験の授業でした。この日の研究授業をする担任の学級です。子どもたちはとても集中して話を聞いています。 やかんを温めたらどうなるかを子どもに想像させます。何を答えていいのか子どもにはよくわからない問いでした。準備した絵のカードを使って子どもに答えさせます。やかんの口からでている湯気に着目した子どもがいました。説明がはっきりしないので授業者は本人にもう一度聞き直して確認しました。「湯気」という言葉が出てきたのですが、他の子どもには確認しません。授業者は、「沸騰しているということだね」と自分が出したかった「沸騰」という言葉に置き換えてしまいました。「沸騰」にこだわるのであれば、子どもたちから出させるようにしたいところです。「湯気がでるのは、どういう時?」「湯気がたくさん出ている時、やかんの中はどうなっている?」「ぐつぐつしていることをなんて言った?」というようにすることで、子どもから引き出すことができるはずです。授業を通じて1問1答が目立ちました。子どもから答えが出ると、それを受けて説明が続きます。子どもたちがよく聞いてくれるのでどうしてもしゃべりすぎるのです。 実験器具の説明は、実物を見せながらていねいにします。黒板に実験器具の一覧を示します。その一覧が線で仕切ってあります。この意味を子どもたちに問います。かなり無理のある問いです。1人の子どもが頑張って説明しようとしますが、なかなか要領を得ません。授業者は近いと評価しますが、結局自分で危険なものとそうでないものとに分けていることを説明しました。子どもの発言は活かされませんでした。その後ひとしきり、なぜ危険かを説明し注意をするように指示します。危険な器具に注意をさせたければ、「この実験器具の中で、取り扱いに注意をしなければいけない物を選んでください。その理由も教えてね」というように、子どもの課題にしてしまえばいいのです。そうすることで、どの子どもも危険な物を意識し、取扱いに注意をしてくれるはずです。 実験の手順をていねいに説明するのですが、一方的に説明をするだけで確認をしません。また手順そのものはどこにも記録されません。休み時間の後実験に入るのですが、どれだけ子どもに定着しているのか心配です。また、手順は説明されるのですが、実験の目的は明確にはされません。子どもの視点で、もう一度授業を見直してほしいと思いました。 2年目の先生の授業は、6年生の算数でした。円柱の体積の公式の場面です。 授業規律がとてもしっかりしていることに驚きました。授業者が何も言わなくても子どもたちは発表者の方に体を向けます。発表が終わるとすぐに授業者の方に体を戻します。授業者がめあてを口頭で説明して板書をし始めると、すぐにノートに写しだします。授業者がめあてを書き終る前に写し終る子どもが何人もいました。これにはちょっと驚きました。授業者は指示らしい指示をしません。笑顔で子どもたちにうなずいているだけです。子どもたちをしっかり育てていることがわかります。 角柱の体積の復習で、数人しか挙手しない場面がありました。つい挙手している子どもを指名したくなるところですが、となり同士で確認をさせました。子どもたちは、しっかりとかかわり合えていました。 円柱の体積の求め方を子どもに考えさせます。子どもからは、「底面積×高さ」が出てきます。そこで根拠を子どもに聞きます。「底面と上と途中も同じ」という説明が出ました。授業者はこの意見を全体で共有しようとします。他の子どもに何といったか復唱させますが、なかなか言うことができません。うなずいて励ましたりします。子どもが安心して参加できることを大切にしています。もう一度、最初の子どもに発言をしてもらったりもします。これ以外にも、「まわりの子助けてあげて」と助けを求めるといった方法も有効です。しかし、ここで子どもが復唱できなかった理由は、言っていることがよくわからなかったことが原因だと思われます。「底面と上と途中も同じってどういうこと」と、まず聞き返したかったところです。「上って何」「途中ってどういうこと」とどこを(底面と平行に)切っても同じ形であることをはっきりさせるのです。そうすることで、他の子どもも共有しやすくなります。「今、○○さんが言ってくれたことわかる人?」「あなたの言葉で説明してくれる」と他の子どもにつなぐといったやり方もあります。別の言葉で説明させることでだんだん明確になっていくので、全体に広がっていくのです。 授業者はこの言葉を全体に広げようとしたのですが、最終的にはこの考えを使わずに、用意してあった円柱の中に角柱を入れた図で説明を始めました。せっかくつなごうとした子どもの言葉が切れてしまいました。 角柱も円柱も底面と平行に切ると同じ形です。このことを使って、円柱の中にピッタリ入る角柱をつくることができる説明をしてもよかったかもしれません。 とはいえ、2年目の先生の学級とは思えないほど、子どもたちはよい姿を見せてくれました。ここからは、日々の教材研究がとても大切になってきます。子どもたちと教材をどのようにつなぐかを考えて授業をつくっていってほしいと思います。 ベテランの6年生の担任の授業は、算数のきまりを使って問題を解く場面でした。 何とか子どもたち全員に自分で解かせたいという強い思いを感じる授業でした。 子どもたちに表から気づいたことを発表させます。子どもから「売上高が増える」という言葉が出てきました。「売上高に気づいた人?」と確認します。続いて、売上高が20円ずつ増えることを押さえていったのですが、売上高に注目するよさを、できれば子どもたちに評価させたいところです。「売上高を5300円にしたいから」と言った言葉を引き出したいのです。ここで注意したいのは、関数的な見方を大切にしたい教材ですので、何とともなって売上高が増えるのかを明確にしておくことです。「120円のノート」が「1冊増える」ごとに、「売上高」が「20円増える」という関数的な関係を大切にするのです。 友だちの発言をうまく復唱できなかった子どもがいました。「助けてあげて」と他の子どもにつなぎます。このときまわりの子どもに助けてもらって自分で言えるのが理想です。ところが授業者は他の子どもを指名し、その子が自分の言葉で説明しました。このままで終われば、助けてもらったことにはなりません。指名された子どもに活躍の機会を与えただけです。しかし、授業者は、答えられなかった子どもにもう一度言わせました。失敗で終わらせないよい対応です。今度は答えることができました。 問題に取り組みますが途中で行き詰っている子どもがいます。そこでいったん作業を止めて、発表させます。300÷20という式が出てきます。ここで「300はどこからきました」と問い返します。数に対して、「どこからきたか」を問うのは子どもから説明を引き出すよい方法です。「5300から5000を引いた」と答えてくれました。ここで、もう一息、「5300は何?」「5000って何?」と聞いてもよかったかもしれません。ここから一気に説明に入るのかとも思いましたが、もう一度子どもたちに戻しました。何とか子どもたちに自力で答えにたどり着かせようという姿勢の現れです。手が止まっていた子どもも手が動き出しました。時間的には苦しかったのですが、子どもたちは答にたどり着くことができました。振り返りでは1人を残して「わかった」と書いていたそうです。その1人も自力で答にはたどり着いていたそうです。 若手の成長も素晴らしいのですが、ベテランでも変わろうとしていることがわかります。子どもたちと接する姿勢がとてもよくなっています。いよいよ学校としては次の段階が見えてきました。授業規律ができ、子どもと教師、子ども同士の関係ができてくれば、教科内容をいかに定着させるか、学力をつけるかです。今後の展開が楽しみです。 授業研究については、明日の日記で。 素直さの大切さをあらためて実感した授業(長文)
中学校の授業研究に参加してきました。
授業研究の前に、全体の授業の様子を参観しました。この学校のアドバイスを始めて3年目です。最初のころは先生が一方的にしゃべる声が廊下に響いていましたが、そのような声はほとんど聞かれなくなってきました。子どもを受け止め、子どもの発言を大切にしようという雰囲気が生まれてきています。3年生は落ち着いて授業に参加しています。2年生は子ども同士の関係がとてもよくなっていました。先生方にうかがったところ、秋の行事をきっかけに急激によくなったということです。とはいえ、行事だけでは授業での子ども同士の関係はつくられません。授業でも子ども同士のかかわりが意識されている結果だと思います。 1年生は、教室の人間関係が今一つよくないように思えました。どの学級にも気になる生徒がいるのですが、先生方がその子たちにかかわりすぎているように思います。子どもたち全体が、一部の子どものせいで、教師からネガティブな評価を受けているのではないでしょうか。普通の子どもたちと教師との関係をつくることから始め、続いて、子ども同士の関係をつくることが原則です。苦しい子どもへの指導はその後です。その最初の部分ができていないために、子ども同士の関係もうまくいっていないように思います。子ども同士がかかわる場面をつくり、ポジティブに評価する場面を意図的につくることからやり直す必要があるでしょう。 研究授業は、2年目の先生の理科の授業です。2年生の静電気の導入でした。授業者が担任している学級でしたが、他の時間に見た様子がとても印象に残っていました。子ども同士の関係が特によく、子どもたちが安心して授業に参加していた学級なのです。教科によらずそのような様子であるということは、学級づくりが上手くいっているということです。担任の授業でどのような姿を見せてくれるか、期待が高まります。 導入は、ビニルテープを髪の毛にした人形をバンデグラフの上に置いて、髪の毛を逆立てます。静電気で起こる現象をわかりやすく見せることで興味をひきます。授業者は、この実験を見せるまでの過程を上手に演出しました。なかなかの役者です。子どもたちがとてもよい反応をします。ここで見事だったのは、この導入を引っぱらずにすぐに本題に入っていたことです。5分も経っていませんでした。子どもたちにうけるとついつい調子に乗ってしまうことが多いのですが、切り替えが見事でした。 子どもたちから静電気という言葉を引き出した後、静電気について知っていることをワークシートに書かせます。指示をした後、子どもたちはすぐに動きます。まわりの子どもと自然に相談しています。とてもよい姿です。 子どもを指名して発表させます。ワークシートには経験があれば書くようにと指示があったので、子どもたちは「下敷きで髪の毛をこすると毛がくっつく」といった自分の経験を話します。授業者は、必ず「同じことを書いた人?」と、子どもをつなぐことを意識しています。服を脱ぐときにパチパチすることを発表してくれた子どもがいました。同じことを書いた子どもはいません。授業者はすかさず、「同じ経験をしたことある人?」と問い直しました。今度は、たくさん手が挙がります。なかなかの対応です。子ども同士をつなげようという意識があるから「経験」と言い直したのです。 ここで、どうやったら静電気が発生するか子どもたちに問いかけます。「こする」という言葉を受けて授業者が、静電気は2種類の物質をこすった時に発生する電気だと説明します。ここで注意しなければいけないのは、「2種類」「電気」という言葉です。子どもからは「2種類」という言葉は出ていません。このタイミングで示す必要があるのなら、子どもから引き出したいところです。また、「電気」はまだきちんと定義ができていません。理科のカリキュラムでは「静電気」から出発して電気全般を学習するはずです。ここでは、「電気」の正体はまだわかっていないのですから、「電気」はまだ使うべきではないのです。「こすれば発生するの?」と問いかけながら、「発生しやすいものとそうでないものがある」「同じものをこすってもダメ」ということを確認したいところです。その上で、「2種類の物質をこすると発生しそう」とまとめる程度でよいでしょう。 実験の説明をします。子どもの顔が全員上がるまで待つことができます。ペアでおこなう実験です。そこで、子どもを1人前に出して手伝ってもらいながら説明します。授業者が1人で説明するよりも、はるかにわかりやすい方法です。ここで、2人を前に出すというやり方もあります。授業者が説明して子どもたちにやってもらうのです。子どもだけでやるので、戸惑ったり、間違えたりします。他の子どもはそれを同じように考えながら見るので、よく理解できるのです。今回の実験は自由に回転できるようにしたストローともう1本のストローを用意し、それぞれをティッシュでこすり、回転できるストローにもう1本のストローとティッシュを近づけて動きを見るというものです。授業者は、ストローが動く直前で説明を止めました。うっかりすると結論を見せてしまうところですが、きちんと手前で止めました。事前にきちんと試しているから、どこで止めたらいいかもわかっているのです。細かいところまできちんと準備をしています。途中で止めるということを考えると、前に出す子どもは1人でよかったのでしょう。 子どもたちは、しっかりと協力し合います。男女の関係もとても良好です。3分で実験は終わりました。だらだらしないのもよいことです。 結果を確認します。2つのグループにティッシュの場合を聞きます。ストローがティッシュに「近づいた」と「引きつけられた」と微妙に違う表現でした。授業者は一つにまとめずに、それぞれを板書します。子どもの言葉を大切にしていることがよくわかります。ストローにストローを近づけた場合について、指名された子どもは「離れた」と表現しました。 「近づいた」「引きつけられた」は理科の表現では「引き合った」と、ストローとストローの場合は「反発した」と言うことを教えました。用語をきちんと説明することはとても大切です。ここで、「近づいた」と「引きつけられた」という言葉の違いを子どもたちに聞いてもよかったかもしれません。単に事実を示していることと、力が働いている表現との違いを引き出すことで、力を意識させることができます。どちらが引っぱっているのかと問いかけることで「作用反作用」の布石にもなります。細かく説明することは必要ないと思いますが、「引き合う」という言葉の裏にはこういうことが隠されていることは意識しておきたいところです。 子どもたちは、板書を写しますが、書けたらすぐに前を向きます。指示しなくても自然にできています。授業規律がしっかりと確立しています。 この日の課題は「どうして、ストローとティッシュは引き合って、ストローとストローは反発したのだろうか」です。 物質の単位は原子で、プラスの電気を持つ原子核と、マイナスの電気を持つ電子からなっていることを確認します。「引き合う」と「反発」に関連して磁石の例を思い出させます。その上で、ストローとティッシュの上に原子のモデルがいくつか書かれた図を提示します。同じ図が描かれた上に磁石でつくった自由に動く電子がくっついたホワイトボードを、各グループに渡します。電子が自由に動くところがちょっと誘導しすぎのようにも思いますが、ここがポイントです。このツールをもとにグループごとに説明を考えます。 なかなか手がつかないグループが目立ちますが、だれかがボードに手を伸ばすと言葉が出てきます。言葉が飛び交う状態ではありませんが、一生懸命に考えていることがわかります。授業者は、グループの支援に向かいます。子どもの言葉や気づきを大いに評価することで、子どもたちの活動を後押しします。しかし、1つのグループにかかわる時間が長すぎたようです。いくつかのグループが止まったままになってしまいました。すべてのグループが何らかの考えを持てるようになるのにかなりの時間を使いました、その一方でそれなりの結論が出たグループは、することがなくなっています。しだいテンションが上がり始めましたが、ちょうどその時に予定した時間になりました。なかなか見事な時間設定でした。結論が出たグループに対して、他にも納得のできる説明はないかと追加の指示をするといった方法もあったかもしれません。 各グループの発表です。「ストローのマイナスがティッシュに移動して、ストローが+になるから、ストロー同士は反発する」という説明が出ます。「なるほど」と受容して、他のグループの子どもに納得したか聞き、発表を続けます。今度は、「前のグループと同じで」と言いかけて、「あれ?」と違いに気づきます。「ストローの−がティッシュに移動した」と考えたのです。また、「納得した?」と他の子どもに問いかけて、「共通していることがある」と子どもたちに投げかけます。「電子が動く」という言葉を引き出します。ここで、「あれ?」という言葉を拾って、どういうことか聞いてもよかったかもしれません。教師が「共通」というヒントを使わなくても子どもから共通なことが引き出せた可能性があります。 大事なポイントは電子が動くということだと言って、「2通りに分かれると思うけれど、どちらだったか手を挙げて」と指示します。ここで、電子が動くことはまだ仮説です。ちょっと強引な進め方でした。どちらにも手を挙げないグループが2つありました。このような進め方ですと、もうこの2つしか答えがないように思います。個人での活動であれば、無理やりどちらかに手を挙げてしまうところですが、グループなので手を挙げません。この2つのグループを無視することもできます。授業者がどう対応するのかが見どころです。 授業者は、素直に2つのグループに聞きました。1つのグループは、「ストロー同士は説明できないけれど」と断って、ストローとティッシュについて説明しました。「電子は移動しないけれど、ストローの原子核に+があって、ティシュに−があるから反応した」というのです。授業者は「なるほど」と受容します。もう1つのグループは、ストローの−が反対側の端に移動して集まり、ティシュの−がバランスを取ろうとして、ストローの方に移動するというのです。往々にして、時間内にまとめようと、教師がこの2つの考えを否定して終わるところですが、授業者は無理やりまとめずに次の時間に持ち越しました。よい判断でした。 大事なことは、ここでの議論はあくまでもモデルでの説明でしかないということです。科学におけるモデルの妥当性は、実験で確かめる以外に方法はありません。モデルをもとに理論を組み立て、現実と矛盾なく上手く説明がつけば正しいと判断するのです。科学と数学の違いがここにあります。このことを子どもたち伝える格好の場面です。どの考えが正しいかを知るために、どのような実験をすればよいのか子どもたちと考え、実験によって妥当性を判断すればいいのです。授業者にこのことを確認しました。次の時間が待ち遠しそうでした。 とてもよく準備されている授業でした。事前に何度も検討したことがよくわかります。多くの先生が研究授業を支える体制ができています。若い先生が伸びる環境がつくられつつあります。 授業検討会は、この授業のよいところがたくさん発表されました。各グループの様子もしっかりと発表されます。子どもたちの事実をもとにした発言が続きます。この学校に初めて訪問した時とは、先生方の様子がまるで違います。授業を見る視点が先生方に育っていることがわかります。この学校で、男女市松模様の座席にしているのはこの授業者の学級だけだそうです。そのことと合わせて、男女の関係のよさを指摘する意見もあります。授業者の子どもたちへの働きかけについても意見がたくさん出てきます。他教科であることは関係ありません。途切れることなく意見が続きました。今回のモデルについて、子どもの視点でどのように考えればいいのかという疑問や意見もたくさん出てきました。 私の方からは、この学級の授業規律のよさが教師の受容とポジティブな評価によってつくられていることと、理科におけるモデルと実験の関係についてお話ししました。 懇親会の席で、授業者はとても素敵な話を聞かせてくれました。授業者の「直○」という名前の「直」は素直の「直」だと、いつも母親に言われて育ったと言うのです。アドバイスされたことを素直にやり続けたからこそ、2年目の教師の学級とは思えないほど、子どもが育っていたのです。その素直さの理由がよくわかりました。特に、いつも「笑顔」を忘れない。教師がまとめるのではなく「子どもの言葉でまとめる」。この2点を大切にしてきたそうです。だから、最後の2つのグループの意見も、自分がまとめずに、子どもたちでなんとかまとめさせたかったのだそうです。 検討会で、自分が意識してやっていることを評価してもらえたことがとてもうれしかったと話してくれました。これは、先生同士で視点が共有できているということの現れです。学校全体がよい方向へ進んでいくための大切な条件です。来年度から3年間の研究指定を受けることになりそうだという話もうかがいました。この学校が大きく飛躍するよい機会だと思います。これからどのように変化していくかとても楽しみです。 学校努力点の取り組みへのアドバイス
中学校の現職教育に助言者として参加しました。学校努力点中間まとめの発表会です。各教科からの取り組みの発表に対して、私からアドバイスをさせていただきました。
この学校に訪問するようになって3年目です。今回のまとめは事前に送付いただいたので、各教科へのコメントは簡単な文書にしてお渡ししました。以前と比べて子どもを主体した授業へ取り組もうという姿勢が感じられるようになったのがうれしいことです。ただ、取り組みが、特定の単元、教材に留まっていることも多く、他の単元に広げてほしいと思います。担当者や教科を超えて学校全体として共通に取り組む具体的な形ができてくると、大きく飛躍することでしょう。点から線、線から面を意識してほしいと思います。 アドバイスは全体に共通してお願いしたい3点に絞ってお話ししました。 1つは、どのような子どもに育てたいのかを明確にすることです。 「考える子ども」と「機械的に学習する子ども」のどちらなのかです。こう書けば、皆さん「考える子ども」と答えるはずです。しかし、「機械的に学習する子ども」の「勉強=覚えること」「答を早く欲しがる」「勉強を量や時間で測る」という姿は、教師が求めている姿の投影であるようにも思います。試験に出るから「覚えなさい」と言う。子どもから考えが出てくるのを「待ちきれず」、教師が説明してしまう。宿題を課して、「課題をどれだけこなしたか」で評価する。こういう教師の言動と無縁ではないように思います。「考える子ども」を目指しているのであれば、考える意味を大切にし、考える必然性のある課題を与えることが求められます。答ではなくそこに至る過程を大切にし、解答の行間を埋めることが必要です。その問題、教材だけに通用する解法ではなく、他の場面でも活用できる、再現性のある思考を意識した質の高い授業を追究することが大切です。原点に戻って、このことを確認してほしいのです。 2つ目は、課題の考え方です。 「○○について考えなさい」「△△しましょう」と教師主導で与える「受け身の課題」と自分たちの疑問から出発する「必然性のある課題」があります。どちらかが正解というのではありません。この2つを意識して課題を設定してほしいのです。子どもに意欲的に取り組ませるためには、「子どもたちに気づかせる」、どうしてそうなるんだろうという「子どもの疑問」を大切にすることが必要です。 この学校では言語活動を大切にしているので、 「根拠を問う(過程を大切にする)」 「説得する課題(論破)」 「個人ではなかなか解けない課題(グループにする必然性)」 「友だちの代わりに説明する(相手の考えをわかろうとする)」 「かかわり合い(アドバイス、よいとこ見つけ)」 といった、言語活動の必然性のある発問・課題・活動の例を伝えました。 最後に、この学校でも取り組みが増えてきた、ペア活動とグループ活動のポイントをまとめました。 ペア活動では、 「受け手に役割をもたせる」 「相手の役に立つ実感を持たせる」 「相手の反応で対応が変わる活動」 グループ活動では、 「男女混合4人組・市松の座席(自然にかかわり合える)」 「リーダーや司会は必要ない(誰とでもかかわりあえることが大切)」 「グループで結論を1つにまとめない(あくまでも自分の考え持つ、深めるための手段)」 「教え合いではない(聞かれないのに教えない、友だちの考えを自分の考えに付加する)」 「全体が見える位置でグループの活動を見る(中に深く入りすぎない)」 「つなぐことに徹する(参加できない子どもと他の子どもをつなぐ)」 「いつ止めるかを意識する(活動が止まっているグループが出てくれば、いったん止める)」 「戻す(結論ではなく過程を共有した後で、グループにもどす)」 といったことを意識するとよいことをお伝えしました。 今回で一区切りつきましたが、先生方に変化の兆しが出てきたことをうれしく思いました。次のステップへもう一歩踏み出してくれることを期待しています。 玉置崇先生の姿にプロ教師を見る
本年度第5回の教師力アップセミナーに参加してきました。小牧市立小牧中学校玉置崇校長の講演です。「プロ教師のABCDの原則」という演題で、主に若い先生向けの授業技術について、実際の授業の映像を交えて具体的にお話をいただきました。
ABCDの原則とは、「A 当たり前のことを」「B 馬鹿にせずに」「C ちゃんと」「D できる教師」ということです。「当たり前のこと」とは、教師として当たり前のことをちゃんとできているかということ。「馬鹿にせずに」とは、素直に、前向きにやっているか、「ちゃんと」は極めているか、「できる教師」は継続しているかということです。何も特別なことではありません。しかし、私も、このことができていない方に思いのほか多く出会います。教育実習生に指導するような内容がきちんとできていないのです。 玉置先生が教師としての原点としているのは、一宮市の馬場前教育長(当時は指導主事?)が授業研究の場で授業者の態度を「教師をやめろ」と厳しく叱責した場面です。馬場先生は、授業者が金髪の生徒に対して授業中に一言も声をかけなかったことをとがめたのです。「あなたは、その子どもを見捨てている。それだけではない、その姿を他の生徒が見ている。ああなったら自分も見捨てられる。そう思わせている。それがなぜわからないのか」。教師の子どもに向かう姿勢が問われていることを強く意識されたそうです。 授業のあり方の原点としているのが、向山洋一先生の実践記録です。子どもたちの言葉で授業がつくられている。当時の玉置先生は、数学の教師として子どもたちの試験の成績を上げることを第一にして授業をされていたそうです。業者の学力試験で愛知県3位にまでなったのですが、自分の授業を振り返ってみると、自分の言葉しかない。子どもは休み時間にあれだけしゃべる。自分の授業でもしゃべれるはず。そう考えて、授業スタイルを変えたのです。どうやったら点数を下げずに数学的な思考力をつけられるか考え、授業の中に笑いも入れ、子どもの意見を受けて授業を進めることを目指したそうです。 大切なのは、佐藤学先生がいうところの「教師と子どものキャッチボール」。とんでもないボールでも、背を伸ばして受け止めようとすること。胸元に来るボールを投げる子どもの意見しか受け止めなければ、その子たちしか発言しなくなる。また、物わかりのよい教師も問題です。子どもの言葉を教師が勝手に都合よく解釈してしまう。勝手に言葉を足してしまう。このようなこと意識してほしいと話されます。 玉置先生は「講義」と比較して「授業」を定義されます。その時間で一番大切なことを教師が言うのが「講義」、子どもが言うのが「授業」です。社会体験に出ている教師の代わりに週に数回授業を行なっているそうです。条件をわざと抜かして問題を与えて、子どもにそのことを気づかせる。わざとおかしな情報を与えて、子どもに訂正させる。子どもから言葉や考えを引き出す工夫をしているそうです。 ここで、有田和正先生の話をされました。今年の愛される学校づくりフォーラムでのことです。体調が悪く、控室では顔をゆがめておられました。しかし、模擬授業で登壇された時は終始笑顔で、体調の悪さは微塵も感じさせませんでした。プロ教師だと感じさせられたということです。有田先生はそのあと体調が悪化しすぐに入院されました。実は、玉置先生も数日前にぎっくり腰を患い、この日は立っているのもつらい状況でした。しかし、そのことを感じさせない素晴らしい講演でした。 先日行った中学校1年生の比例の利用の飛び込み授業をもとに、具体的な授業技術についてお話されました。大量の紙を数えるのに、重さと枚数の比例の関係を利用しようという内容です。 子どもをほめることが大切。 子どもから期待する言葉が出なくてもまず受容する。そこから子どもとの関係は始まります。「220」という数字が何かを問いかけて、全校生徒の人数と気づいた子どもがいる。答える生徒がいるとは予想しなかった。大いにほめる。「偶数」と答えた生徒がいた。数学的な視点です。だから、この生徒もほめる。子どもの発言をポジティブに評価することが大切なのです。 子どもと目が合う。「目が合うね」と声をかける。自分のことを見てほしいというメッセージを「こっちを見ろよ」ではなく、ポジティブな言葉で伝えようとされました。 子どもたちに具体的なわかりやすいゴールを示すことが大切。 「252枚(全校生徒と職員の数の合計)を取りだそう」というゴールを提示し、全員に方法を考えさせました。子どもに意見を求めれば、誰かが発表してくれます。しかし、この課題に全員参加させたいのです。だから、ノートに書かせるのです。○つけ法で全員の考えを把握します。子どもたちにポジティブな言葉かけをすることで、距離を縮めることも意識されたそうです。 子どもにかかわりを意識させることを大切にする。 「全校生徒と先生に紙を1枚ずつ渡せばいい」という意見を最初に取り上げました。この意見に「なるほどと思った人は○、ん?と思った人は△を書きましょう」と全員に判断させます。野口芳宏先生流の全員参加の方法です。ここで「×」ではなく、「△」というのが子どもの気持ちを大切にする玉置流です。友だちに「×」をつけられるのは、否定されたような気持ちにつながるからです。ここで、意見を言った子どもに「○を付けた人が何人いると思う?」と問いかけます。発表者に友だちとのかかわりを意識させようとするのです。 子どもの考えを子どもの言葉で共有する。 長い意見を言う子どもの発言を、教師が補足しながらまとめてしまうことがよくあります。そうではなく、子どもの言葉を途中で区切り、その言葉をそのまま復唱する短区切り復唱法を活用することで、子どもの言葉をそのまま全員で共有することを大切にされます。 ちょっと心配な子どもが意見を言おうとしてくれました。出てこない方がいいなと思った意見だったそうですが、意欲を認めるためにも発表させました。上手く発表できなくて「あれ?」という状態になりましたが、「教室が和んだね」とポジティブに評価しました。笑顔の子どもなのでこういう処理をしたそうです。短時間で子どもの特性をよくつかまれています。 子どもの一言一言を大切にする。 重さを計る発想の中で、「紙を適当に分けて計る」という言葉を出してくれる子どもがいました。「適当」という言葉にこだわることで、数学的に深めていくことができます。そこで、この発言を軸に授業を展開しようと考えられたそうです。 「適当」ということから、「いくつでもいい」という言葉を引き出せば、比の値が一定という比例の関係につなげることができます。「都合のいい数」という言葉が出れば、10枚といった計算しやすい枚数を計ることや誤差の少ない切りのいい重さになる枚数を探すといった発想にもつながります。いずれにしても、比の値、比例定数、常に成り立つといった数学的な考えにつなげていくことができます。こういうちょっとした言葉に敏感反応して取り上げる力は簡単には身につきません。日ごろの教材研究の積み重ねが大切です。 子どもの言葉重ねることでゴールに近づく。 4人グループで話し合わせると、2枚で計るという意見が出てきました。2枚では無理だと思われましたが、子どもの「252は2で割り切れる」という考えは数学的な発想です。このことを大切にします。次に7枚、252は7で割り切れるからです。そして、12枚が出てきました。これも252の約数です。実は12枚の時に切りのいい重さになるのです。教師がいきなり12枚で計ろうというのではなく、子どもの言葉を重ねていくことでゴールに近づくことが大切です。 また、わかっていなくてもわかったふりをする子どももいます。そこで、子どもの説明を他の子どもにもう一度させます。違う説明をすることもありますが、子ども同士をつなぎながら説明を重ねていくことで、説明のモデルができてきます。それを真似させることで、下位の子どもでも説明できるようになります。こういう過程を大切にされています。 玉置先生は最後に、「いつも笑顔を忘れず、教師だけが子どもを教える権利があることを忘れずにいてほしい」と結ばれました。プロの教師が大切にすべき言葉だと思います。 具体的な授業場面をもとにしたお話は、参加された方にとってとてもわかりやすかったと思います。ここで紹介された授業技術は、基礎的な「当たり前」のことがほとんどかもしれません。しかし、誰でもできることと「馬鹿にせず」、素直に取り組み、そして「ちゃんと」「できる」ようになることを意識してほしいと思います。 私にとっても、教師にとってのABCDは何かを再度考える貴重な時間となりました。体調の悪い中、素晴らしい講演をされた姿に玉置先生のプロ教師としての矜持を感じました。充実した時間をありがとうございました。 体育の授業で、子どもに考えさせる方法を考える
先日、中学校の授業研究に参加させていただきました。1年生の体育、柔道の時間です。
授業者は2年目の先生です。授業開始5分以上前に子どもたちが急ぎ足で武道場に向かう姿を見ることができました。どの子も明るい表情です。授業に前向きであることが感じられました。 準備運動は子どもたちだけでストレッチを行います。係の号令に合わせて次々にこなしていきます。決していい加減というわけではないのですが、きちんと体を伸ばしていないように見えました。その間、授業者は準備をしています。子どもたちによるストレッチが終わったあと、授業者が前に立ち、追加でストレッチをします。今度は、どの子どももしっかりと体を伸ばしていました。教師の目があるかないかの影響があるようです。 説明を聞くために集合する時の子どもの動きがスムーズです。テンションを高くして、勢いよく集まるというのではなく、落ち着いているが素早い動きです。子どもたちの状態のよさを感じます。 この日の主課題は「けさ固めに素早く入るにはどうすればいいかを考え、実践しよう」です。「考える」という課題を与える時に注意してほしいことは、具体的にどのようにすることが「考える」ことになるのかを、イメージしておくことです。「以前はどのようにして考えたか」といった経験を思い出す。「どんなことをやってみようと思うか」と見通しを立てる。課題に取り組む前にこのような場面を設けないと、なかなか手がつかないものです。 最初は今までの復習でした。3つあるけさ固めのポイントを問いかけます。何人かの子どもが発言します。体でポイントを示す子どももいます。全く反応をしない子どももいます。授業者は、子どもの言葉を受けて自分で説明しました。時間のこともあるので何とも言えないのですが、まわりの子どもと確認させたりする場面があってもよかったかもしれません。というのは、この後、4人グループで2人が「受け」と「取り」で攻防を行い、残りの2人がアドバイスをして確認する場面があったのですが、アドバイスができているグループがほとんどいなかったからです。攻防を始める前の組んだ状態で再度確認させる、グループに分かれる前に代表にやらせて、ポイントとアドバイスの確認をするといった活動を検討してもよかったかもしれません。また、アドバイスする側も1人は「取り」、もう1人は「受け」を中心にと役割を明確にすることで、責任を持ってアドバイスするようになると思います。 授業者は、「受け」に対してかけられないようにしっかり逃げることを指示していましたが、逃げる方のポイントは確認しませんでした。「素早く入る」を考えるためのヒントとなることも意図していたと思うのですが、そうであれば逃げる側のポイントも大切になるはずです。逃げられないようにすることが技に入るためのポイントにつながるからです。 授業者はグループの間を回り指導をします。直接指導するのではなく、アドバイスする側の子どもに、「どこがおかしいか」を確認します。子ども同士のかかわりを大切にしようというよい姿勢だと思います。 子どもたちのテンションが上がり気味になってきました。攻防に熱が入って、「確認」の意味が薄れてしまったのでしょう。「確認」するとは、この場合どういうことであるか、もう少し具体的にしておきたかったところです。 グループでの活動終了後、「崩し」と「体さばき」の確認をします。ここでも、けさ固めのポイントの確認と同じく、授業者が説明して手本を見せました。続いて、この日の主課題に入ります。授業者は、「けさ固めに素早く入るにはどうすればいいかを考える」やり方については、グループに任せると伝えました。ここで、今回の活動の目的がわからなくなってきました。課題は「考え」「実践する」です。考えるアプローチを学ぶことなのか、考えることそのものなのか、素早い入り方を見つけることなのか、その方法を実践することなのか。どこにあるのでしょうか。ゴールとそこに至る過程が一緒になっているのです。子どもは何をすればいいのかよくわかりません。とりあえず、組手からけさ固めに入ろうと実践します。互いに一生懸命にやるので、なかなかけさ固めに入れません。とにかく組手を行うだけなので次第にテンションが上がってきました。ここで、授業者はいったん活動を止めました。よい判断です。 子どもたちにやり方を考えさせたいと思いながらも、結局、「『受け』と『取り』に分かれ、崩した状態からけさ固めに入る形を考えるといい」とやり方を指示することになりました。ここは、子どもたちに、どんなやり方をしたか発表させ、その言葉をつなぎながら子どもたちに考えさせたいところです。そうでなければ、これまでの活動の意味がありません。 再び活動を始めましたが、それでも子どもたちは崩して覆いかぶさるだけで、なかなかうまくけさ固めに入れません。崩した状態と、けさ固めに状態で何が違うかを比べてみなければ、どのように動けばよいかわかりません。まずそのことを子どもたち気づかせる場面が必要だったと思います。全体で、崩した状態をまず見せる。続いてけさ固めの形を見せ、どうやってこの状態に持っていくか考えるといった指示がほしかったところです。 もう一度止めて、うまくできているペアに実演させます。ここでは、授業者が解説をしないで、子どもたちにどこがいいのかを考えさせます。子どもに発言させるのですが、単発です。気づいた子どもの発言を受け止めるのですが、それを「今言ってくれたこと、どういうことかわかった」とつなげることはしません。結局一部の子どもと授業者だけで進んでいきました。最後はポイントを教師が説明して終わりました。「考える」ことを目指しながら、「考える」場面はほとんどありませんでした。子どもたちはまじめに活動しましたが、ただそれだけです。活動に対する評価も曖昧です。振り返りを書くにも、何を評価すればいいのかがわからなくなっていました。 「考えさせる」ためには、考える方法、手段が明確になる必要があります。今の段階では、子どもたちはその方法を持っていませんでした。まず、その方法を教えるところから出発すれば、子どもたちの動きはずいぶん変わっていたと思います。子どもたちが一生懸命活動する授業は今でも実現できています。一段階上の「考える」体育に挑戦してくれたことはとても評価できます。是非再挑戦してほしいと思います。 授業検討会は、授業者の反省をもとに、どういう指示や支援をすればよかったのかを中心に行われました。司会者は、子どもたちの発した言葉や活動も参考にするようにと、さりげなく教師主導ではなく、子どもの視点を意識してほしいことを伝えます。議論をよい方向にもっていこうとする姿勢は素晴らしいと思いました。中学校では、他教科の活動はよくわからないと議論に積極的に参加しない方も見られるのですが、この学校では自分たちに経験や知識のない柔道だからこそ、子どもの視点に立って、どなたも真剣に参加してくれました。子どものどんな言葉や動きを取り上げ共有すればよかったのかはあまり出てこず、教師の指示や支援をどうするかが主体の話し合いになりました。子どもたちがあまり考えていなかったので、取り上げるべきものが見つからず、考えさせるための教師の働きかけが必要だと思われたのでしょう。私の方からは、考えるための視点や、方法を共有する場面が必要であったことをお伝えしました。 司会者は、意見に対して反応した方を積極的に指名するなど、考えをつなぐことを意識されていました。よりよい検討会にしようという思いが強く感じられました。 今年度の授業研究はあと1回です。今回の授業を受けて、次回の授業者はどのような提案をしてくれるでしょうか。教師集団の学びが連続していくことを願っています。 授業者の今後に期待する
先日、国語研究会の研究授業を参観させていただきました。小学校6年生の国語の授業です。教材は「ものの見方を広げよう 『鳥獣戯画』を読む」です。
授業者は6年目の先生です。授業者が話し始める前には子どもたちの表情はよく、授業に参加する意欲も高く感じられました。ところが、話し始めると、顔が下がってしまいます。授業規律が形骸化しています。姿勢のよさをほめることはするのですが、教師が求める瞬間にできれば、それでいいのです。よい姿勢をとらせることは、集中して聞いてほしいからです。しかし、その実質を求めていないのです。また、子どもが全員顔を上げていなくても話し始めてしまいます。授業規律を徹底することができていません。 復習場面で子どもが半分しか挙手しないのに、指名します。発表に対して、賛成のハンドサインがほとんどの子どもから上がりますが、指名して確認はしません。一問一答で、形式的に進んでいきます。 一斉に音読する場面も子どもを見ていません。声は大きいのですが、口を開いていない子どももいます。なんとなく子どもが元気に活動しているように見えますが、その中身がどうなのかとても気になります。 この日の課題は、なぜ「鳥獣戯画」は人類の宝にふさわしいのかその理由を2つの段落から見つけることです。理由と思われるところに線を引かせます。グループでまとめるのですが、まとめの用紙を司会者が持っています。子どもたちは自分の引いたところを「・・・じゃないの」と言うだけで、根拠を聞き合うことはしません。司会者が集約するだけです。友だちの発表に対して話し合う場面はありませんでした。子どもの動きが止まると、全体を止めずに追加の指示をします。後出しの指示ですから、当然通りません。 どこに線を引いたかをグループごとに全体で発表します。根拠のない発表に時間をかけすぎます。発表が終わると拍手をさせます。形式的で意味のない拍手です。何を評価したのかわかりません。しかも、次の同じような発表の場面では拍手はありません。恣意的です。根幹をなすものがない、行き当たりばったりの授業に見えます。 ほとんどすべての文と言えるほどたくさん出てきた理由を、グループで段落ごとに1つに絞るように指示します。その理由も言えるように話し合いなさいと言いながら、1分の時間です。何も考えずに集約するのに5分以上使い、いよいよ考える場面でたったの1分です。考えが深まるわけがありません。授業者は実質を求めていないのです。形式的に「考えさせた」と言い訳ができればいいのです。ところが、子どもたちはこの1分間も持て余します。根拠を持って話し合うということを日ごろしていないのがよくわかります 発表はまず1つ目の段落について結論だけ聞きます。他のグループと同じであれば、「同じです」と言って終わりです。再度確認しません。他のグループより広い範囲を理由としたグループがありました。授業者は勝手に「ここだね」と他のグループと同じところに集約してしまいます。その違いを聞くことをしないのです。最終的に授業者が根拠とは言えない根拠で答を示します。この教材をしっかり読みこんでいないのがよくわかります。子どもたちに理由を言えるようにしてねと言っておきながら、聞きません。先ほどの1分間を持て余した理由がわかった気がします。教師が考えることを真に求めていないからです。 結局、子どもの考えを共有して深める場面はありませんでした。2段落目では、1つに絞るように言っておきながら、授業者は明確な根拠もなく理由を2つあげて終わりました。指導案には大事なキーワードやセンテンスを板書すると書いてありましたがどこにもありません。それどころか、結論に至る過程も根拠も一切ありません。指導案をつくる段階でキーワードは何かを本当に考えていたのか疑問です。これでは国語力がつくことは期待できません。 最後に筆者が「人類の宝」と評価していることに対して自分の考えをまとめさせます。しかし、話型で穴を埋めることばかりしているのでしょう。自分の意見と筆者の意見を対比して書けている子はほとんどいません。最後の発表の場面では、まだ書けていない子が友だちの発表を聞かずに、ワークシートを埋めています。しかし、授業者はきちんとやめさせることができませんでした。ここでも徹底ができていません。形ばかりで、実質のない授業でした。1時間の授業の中で子どもが考える場面がどこにあったのかわかりません。まさに、活動あって学びなしの典型でした。 しかし、この先生を責めることはできません。今年異動して来た校長の話では、やる気のある熱心な方だということです。分掌の仕事なども前向きに取り組んでいるようです。問題は、おそらくこの先生が授業に関してこれまで指導を受けて来ていないということです。校長もこの先生の授業をじっくり見たことがないようです。これではいけないということで、指導することを考えていただけたようです。原点に戻り、授業規律とは何か、子どもたちにつける学力とは何かをしっかり考えて毎日授業に取り組めば、きっとすぐに力をつけてくれることと思います。校長は来年の2月をめどに再挑戦させたいとおっしゃいました。授業者の成長を期待したいと思います。 参加者の質の高い研修会(長文)
先日、市主催の授業力向上研修会の講師を務めました。夏休みに模擬授業を行なったところを実際に授業し、検討会を行うものです。
指導案を見ると、前回からの進歩が見えます。教務主任が指導するとともに、学年の先生方も協力してこの授業をつくってくださったそうです。教務主任は検討会を含めてこの研修に熱心に参加してくださいました。 授業は平行四辺形の面積の1時間目です。いろいろなやり方で平行四辺形の面積を求める場面でした。 授業規律を意識しています。板書を写し終わった時などに子どもたちのよい姿勢をほめます。ほめて規律を徹底させようという姿勢はとてもよいと思います。ただ、ここで意識してほしいのは、子どもに何を求めるかということです。板書を写す時は、早く書けた子どもが待っています。速く作業できる子どもはいつも割りを食っているように思います。だとすれば、遅い子どもに速く書くことをうながすことも大切になります。そのためには、姿勢ではなく早く書けたことをほめることも必要です。そして、遅い子どもには「待っててもらってよかったね」と、待ってくれていた子どもたちには「待っててくれてありがとう」という言葉かけをすることで、作業の速い子どもが遅い子どもに対して負の感情を持たなくなります。 前時までの復習で、三角形の面積の公式どのようにして求めたかを確認します。子どもの挙手が少ない状態で指名することが気になります。実際にはほとんどの子どもが何かしら覚えているはずです。それを、教師が引き出してあげればいいのです。復習なので、挙手に頼らずどんどん指名すればよかったと思います。 教室の前には、三角形の面積を求めた時のやり方が掲示されています。考え方のヒントとなるように考えてのことでしょう。しかし、その掲示を見る場面はあったのですが、具体的にほとんど触れませんでした。この時間は、いろいろなやり方で平行四辺形の面積を求めます。であれば、具体的に今までどのようなことをしたかを復習しておくことが、考える手がかりになります。実際の活動場面では、この掲示を見て参考にしている子どもはほとんどいませんでした。この掲示が今ひとつ活かされていないのが残念でした。 また、三角形の面積の公式を全員に暗唱させた場面では、子どもたちはとても大きな声で言うことができました。ただ、底辺×高さ÷2という言葉だけでなく、「底辺って何?」「高さってどこ?」といった言葉の定義や意味の確認をすることが大切になります。この時間ではどこまで確認する必要があるのかは別として、公式を式だけでなく、そこで使われる用語や公式の意味を確認する習慣をつけてほしいと思います。 この日のめあては、平行四辺形の面積を求めることだと伝えます。平行四辺形の紙を示して、子どもたちから「平行四辺形」という言葉を引き出します。そこですぐにめあてに移るのですが、ここは「平行四辺形だと、どうしてわかるの?」と定義や性質を確認したいところでした。算数に限りませんが、常に子どもたちに根拠を求める姿勢を忘れないようにしてほしいと思います。 子どもたちに、面積の求め方をたくさん考えてほしいと課題を伝えます。平行四辺形を切り抜いて使えるようなお助けカード、考え方を整理するためのワークシートを配ります。ワークシートには、「まず、」「次に、」「最後に、」「式」」「答え」と説明のための話型が書かれています。算数では「まず、」「次に、」「最後に、」といった話型にこだわるより、手順として、順番を意識させることの方が大切に思います。しかし、国語の発表の仕方という視点では、こういう言葉も意味があります。何を大切にしたいかの問題でしょう。 今までに、似たような操作活動をしていたのでしょう。多くの子どもたちは、すぐに作業に移れます。しかし、すぐに手の着かない子どももいたようです。想像ですが、たくさん「考えてほしい」という言葉がわかりにくかったのかもしれません。求め方をたくさん「見つけてほしい」とより具体的にした方がよいかもしれません。 子どもたちの作業中に授業者は机間指導をしながら声をかけていきます。子どもたちをほめる言葉がたくさん聞かれます。しかし、少し声が小さいように思いました。大きな声で、ほめたり、「長方形をつくって求めたんだ」「三角形をつくったんだ」と具体的にどこがよいのか指摘したりするとよいでしょう。そうすることで、手詰まりになっている子どもに手がかりを伝えられます。また、声かけだけでなく、○をつけることも子どもたちのやる気を引き出すのに有効です。 気になったのが、1つやり方を見つけた後、手が止まっている子どもが目立ったことです。「たくさん考えてほしい」ではなく、「いくつ見つけるか」「目標○個」と数を意識させるとよかったかもしれません。できた子どもには「自信を持って」説明できるようにノートの整理「でも」するようにと指示します。「自信を持ってと」はどういうことでしょうか。友だちにわかってもらえるといった、相手を意識した言葉に変えたいところです。また、「でも」という言葉を使うことで、この作業があまり大切でないという印象を持たせます。「友だちに伝わりやすいように、説明の言葉を考えよう」といった言葉にしたいところです。また、たくさん考えようと言っているのですから、「たくさん」をあくまでも活動の中心にしたいところです。 自分の考えをペアで説明し合います。複数見つけた子どもは、説明しやすいもの、伝えたいと思うものでやるように指示します。ペアの活動の目的が不明確です。評価基準が子どもたちにないのです。子どもたちは、自分の説明をしてすぐに交替します。少なくとも、わかったかどうかを伝える。よくわからないことを聞き返す。そういうかかわりが必要なのですが、ほとんど見ることはできませんでした。また、いくつから選んだのであれば、本当はその理由を聞きたいところです。課題や指示と活動が少しずつずれているのです。 全体発表の場面では、子どもたちは友だちの発表をしっかり聞いています。最初に発表した子どもは、対角線で2つの三角形をつくりました。「合同な関係」という言葉を使ってくれました。授業者は「いい言葉を使ってくれた」と評価しました。とてもよい対応です。ここで、「どこがいいのか」ということを子どもたちと確認したかったところです。「合同ってどういうことだっけ?」「同じとどう違う?」「合同だったら何が言える?」こういう問いかけをしたいところです。 2つの三角形が合同なので、底辺×高さ2倍して、2で割るという説明です。式の÷2がわからないと焦点化します。ここで、他の子どもに説明をさせます。その説明を聞きいていて「あっ、逆だった」と最初の発表者が気づきました。ここで、すぐに訂正させます。説明をしてくれていた子どもの発言は途中で終わってしまいました。ここは、「○○さんの説明で、間違いに気づいたね。ありがとう」とちゃんと説明を終わらせてから、訂正させたいところでした。式を訂正して、全体に挙手で確認をして次に移りました。ここは、正しい式を書き直し、もう一度他の子どもに説明させるなど、きちんと確認したいところでした。 子どもの発表は、小さなホワイトボードにノートの内容を写させてから行うのですが、その時間が結構かかります。待っている間にせっかくの集中が切れてしまいます。ここは実物投影機の出番だと思いましたが、あえて実物投影機を使わなかったようです。実物投影機を使うと前の発表が残せないので、ホワイトボードを使ったのです。しかし、小さいために後ろの方の子どもは見にくかったようです。実物投影機で説明をさせたあと、「○○さんの考えもう一度説明できる人?」と問いかけ、その説明に従って、授業者が黒板に再現していけばいいのです。こうすれば、友だちの考えの確認もできます。ムダな時間を削れるので十分に可能なはずです。スクリーンと黒板を使い分ける1つの方法です。 子どもが前に出ての発表では、「みんな見ている?」と発表者を見ることを意識させます。しかし、子どもたちは前に出て発表しない時は教師に向かって話します。それは、授業者が子どもにつなぐことをあまり意識せずに、発表者の言葉を受けてすぐに説明する、その意見が他の子どもにわかったかどうかを具体的に発言させて確認しない、といったことが原因のように思います。基本的に挙手した子どもしか活躍しません。「○○さんの考えがわかった?」と確認したときに、半数ほどしか手が挙がらなければ、自分で説明を付け加えます。そうではなく、まわりと相談させたりすることで、子ども同士のかかわりの中で解決するようにしたいところです。また、ほとんどの子どもがわかったと挙手すれば、次に進みます。こういう時こそ、手が挙がらない子どもに寄り添って、全員参加、全員理解を目指してほしいのです。 子どもの説明に対して、「5×6はどこ?」といった問い返しをします。式と図を結びつけて考えさせるとてもよい対応です。ただ、授業者は式が図形のどこと関係しているかをいつも問うわけではありません。「この式の5は図のどこにある?」というように、子どもたちに式と図の関係を意識させる指導をいつも心がけることが大切です。 子どもたちから出てきた説明を評価する場面ありませんでした。子どもたちは、いくつものやり方を見つけましたが、それがいったいどういう意味があるのかは、きちんと算数・数学的に評価しませんでした。「すぐに面積が計算できるから、三角形をつくったんだ」「計算の簡単な長方形をつくろうとしたんだ」といった評価が必要です。子どもたちからこういう言葉を出させたければ、「なんで三角形をつくろうと思ったの」「長方形を見つけようとしたのはどういうこと」といった問い返しも必要です。算数の授業で何を大切にしなければならないかをもっと意識してほしいと思いました。 最後に子どもたちに感想を書かせます。「いいなと思った説明」を書くように指示していましたが、感想という言葉では、ただ「○○がよかった」ということしか書かない可能性があります。どこがどのようにいいかを明確にすることが大切です。何がわかった、何ができるようになったという、この時間で獲得したことを意識するような言葉にしたいところです。 2名の子どもに発表させます。「前回習ったことを使って・・・」という発表に対して、「前回習ったことって何?」を聞き返すことはしませんでした。「前回習ったこと」は授業者にとっては明確でも、子どもたちが共通の物をイメージしているとは限りません。また、「簡単な長方形にして・・・」という発表にしては、「式が簡単でわかりやすい」とまとめましたが、式について子どもは一言もしゃべってはいません。子どもの言葉をしっかりと聞き返し、子どもたちに深めさせるということを忘れないでほしいと思います。教師が勝手に解釈して説明すれば、子どもは「結局、先生はこのことが言いたかったんだ」と思います。自分たちの発表は先生が言いたいことを言うためのきっかけでしかないと思うようになります。 いろいろと指摘はしましたが、前回の模擬授業と比べると大きな進歩です。指摘する内容のレベルがずいぶん上がりました。 授業検討会では、参加者の質の高さに驚きました。グループでの検討は手慣れたものです。よかったこと、改善点を焦点化しながらどんどん深めていきます。今回私が指摘しようと思ったことのほとんどが、参加者の発表に含まれていました。 そこで、一つひとつの指摘を確認しながら、ポイントを再整理していきました。中でも、「平行四辺形の面積を求めることを通じて、どのような算数・数学的なものの見方・考え方を学ばせるのか」ということをきちんと整理して授業にのぞむこと。特に「公式等の学んだ結果、知識」、「どのようにして解いたかという、方法、考え方」を利用するという2つのアプローチを意識して授業を組み立てるとよいことを伝えました。また、ホワイトボードが小さくて見にくかったことについては、実物投影機と黒板をどのように活かすかという視点で整理しました。変化するものはスクリーンに、固定する、残しておきたいものは黒板という原則も伝えました。 前回私が授業者に伝えた「友だちの考えを代わりに説明させる」という手法を使った場面を取り上げて、前回の学びを活かしていたことを評価したグループもありました。このことに気づけるということは、彼らが他者への指摘を自分のこととして意識しているということです。ここにも参加者の質の高さが感じられました。 毎年参加者を入れ替えながら続いている研修です。年々参加者の質が上がっていることが、この市全体のレベルが上がっていることの証です。私にとってもとてもよい刺激になっています。この市のレベルの向上に私が少しでもお役に立っているのならこんなうれしいことはありません。来年も続けて講師をさせていただけるそうです。いまからとても楽しみです。 地域と学校が一体となって子どもを育てる
先週の日曜日に、私が関わっている中学校で行われた「地域ふれあい学びフェスティバル」を見学してきました。このフェスティバルを見学するのも今年で10年目です。あいにくの雨という、いつもと違う状況での準備の様子を見たいと思い、早めに会場を訪れました。最初に気づいたのが例年以上に地域の支援者の姿が目立つことです。どこのブースにも地域の方の姿が見られました。しかし、子どもたちは決して大人の指示で動いているわけではありません。フェスティバルが学校行事と位置付けられて4年目、最近では子どもが主体となって動くようになってきているのです。そのことは、大勢が同時に作業している、模擬店の食材の準備をしている場面を見るとよくわかります。ぱっと見には子どもだけしかいないようですが、よく見るとちゃんとたくさんの大人が参加しています。大人の姿が目立たないのです。以前は大人が仕切って子どもに指示を出していたのでたとえ少人数であっても目立っていました。数が増えても子どもたちと同じ立場で一緒に働いてくださっているので目立たないのです。子ども主体という趣旨をよく理解していただいていることと、指示しなくてもちゃんと子どもが動けるようになっているということです。子どもたち主体が定着してきています。子どもたちの経験値も上がってきているのです。
足場が悪い中、来場者を心配していたのですが、かえって出足が早いくらいでした。子どもだけでなく大人の姿も目立ちます。男性の姿もたくさん目にします。家族で来られている方もたくさんいらっしゃいます。OBらしき高校生にも出会います。雨だったからこそ、地域の行事として定着していることを実感することができました。 先生方の姿が会場のあちらこちらで見られます。昨年までは担当ブースにいる方が多かったのですが、今年は廊下でよくすれ違います。子どもたちに安心して任せられるようになったのでしょう。こんな感想を持ちながら、模擬店の様子を見に行きました。どのお店にも大人の姿が見えますが、主役は子どもたちです。大人はアシスタントに徹しています。子どもたち同士会話しながら、どの子どももしっかりと働いています。やらせている感は全く感じません。子ども主体の行事となってからのフェスティバルをずっと経験している子どもたちです。そのことが、子どもたちの様子に反映していると思います。子どもたちの中に伝統行事として受け継がれるものになりつつあるのを感じました。 今回気づいた細かな変化は実は用意周到に仕組まれたものであることが、校長のお話をうかがってわかりました。子どもたちの人数が減っていく中、あえてブースの数を一挙に倍増させたのです。子ども主体ですので、一人当たりの責任は一気に増えます。子どもが今まで以上に頑張ることにつながります。しかし、子どもたちが育っていなければかえって混乱します。子どもたちの成長を信じているからできたことです。とはいっても、絶対的に人手が足りません。そこで地域の方の協力を今まで以上にお願いすることになります。だから、地域の支援者の数が増えていたのです。しかし、このことは町内会の役員の方をはじめとする地域の方の協力があって初めて可能なことです。このフェスティバルが地域のものとしてしっかりと根付いていることの証です。また、ブースが倍増するということは、教師の担当ブースも倍になるわけです。当然一か所にじっとしているわけにはいきません。自然に教師が会場内を移動し子どもたちの様子を見ることにつながります。教師が一々指示を出してコントロールすることも不可能です。子どもたちに任せることが加速するのです。 毎年顔を出すたびに、何かしら進化していることに気づけます。それは、この行事が地域と学校・子どもたちの交流の場というだけでなく、子どもたちを鍛え成長させる場でもあると位置づけられているからです。子どもたちの成長に合わせて、常に次の成長を見据えた仕掛けがされていきます。しっかりとしたビジョンに基づき、子どもたちを育てるために、PTA・地域の大人や教師がしっかりとそれぞれの役割を果たしているのです。地域と学校が一体となって子どもを育てることはどういうことかを改めて教えていただけました。 子育て支援地域交流会で講演
先週末に、子育て支援地域交流会で保護者や地域の方向けに「みんなで子どもを育てよう‐子どもの自己有用感を育み居場所をつくる‐」と題した講演を行ってきました。
「家庭で保護者の方に大切にしてほしいこと」と「保護者・地域の方と学校のかかわり方」の大きく2点に分けてお話しさせていただきました。 子どもは保護者だけ育てることはできません。多くの人とかかわることで育っていきます。保護者、地域、学校それぞれに役割があります。保護者にお願いしたいのが、家庭に子どもの居場所をつくることです。そのために、「あなたが私の子どもでよかった」と無条件に子どもを愛していることを伝えてほしいのです。「勉強を頑張った」から、「親の言うことを聞いた」から愛されているのだと子どもが思えば、親の期待に応える「よい子であること」によって親の愛情を得られるのだと思います。自己実現が親の期待に応えることになってしまいます。親の期待に応えられなかったら自分は愛されない、家庭に居場所がなくなると思うのです。 自分の存在が家族にとって意味のあるものだと思えるようにすること、「自己有用感」を持たせることも大切です。小さな子どもでも家族のためにできることがあります。役割を与えることが必要です。茶碗を流しにもっていくだけでもいいのです。お小遣いという対価をあげることはよいことではありません。それよりも、「とても助かったわ。手伝ってくれてありがとう」と家族の役に立って感謝されていると伝えることが大切なのです。家庭の中に自分の居場所ができることで、子どもは安定するのです。 しかり方にも注意が必要です。「だから、あなたは・・・」とYOUメッセージで「子ども」を否定すると自己有用感はなくなってしまいます。否定するのはその「行動」でなければいけません。 また、言葉にも気をつける必要があります。この子はこういう子だとレッテルを貼ってしまうとその言葉に縛られてしまいます。「わがままな子」と言われると本当にわがままな子になってしまうのです。わがままに思える行動にも必ず理由があるはずです。その理由を子どもによりそって考えることが大切です。また、わがままな面があっても、必ずそうでない面もあります。そういった場面を見つけ、そのことをほめて、よい行動を増やすようにするのです。 子育てはチームワークです。家庭は我が子に愛情を注いで育てる場所です。学校は子どもを他者とのかかわりの中で次代の担い手に育てるところです。学力をつけるところでもありますが、社会性を育てるところでもあります。視点が少し違うのです。保護者からすれば自分の子どもが一番大切かもしれませんが、学校はどの子も同じように大切です。また、子どもは子ども同士でかかわり合いながら成長していきます。我が子の成長のためにも他の子どもも成長することがとても重要です。このことを忘れないでほしいと思います。互いが主張し合うのではなく、子どもの成長を願うという思いを共有し、聞き合い、一緒に子どもを育てようとする姿勢が大切です。 PTA活動なども、お願いされたから協力するのではなく、この活動が子どもたちの成長にどう役に立つのかを意識できれば充実感につながるはずです。子どもたちの成長にどのように役立てようとしているのかを伝え、その結果をきちんとフィードバックすることが必要です。 子どもを育てるためには、地域が子どもに場を与えることが大切になります。地域の一員として責任ある役割を持たせ、活躍できるチャンスを与え、地域の大人と子どもが同じ目標に向かって活動することで関係をつくるのです。一緒に活動し責任を持たせるから、大人が子どもを「しかる」ことができるようになります。親や教師でない大人から「ありがとう」と「感謝」の言葉をもらえることで、子どもの「自己有用感」は大きく高まります。一緒に活動するからこそ、「大人のすごさ」を目の当たりします。こんな大人になりたいと「憧れ」を持つことが子どもの成長のエネルギーとなります。 具体例として、ある中学校区の地域フェスティバル(「地域と学校が一体となって子どもを育てる」参照)と学校と家庭が協力して開いた保護者向けのネット講習会(「地域の枠を超える動き」、「PTAや地域と学校の信頼が育つ様子を見る」参照)を取り上げました。これらの例では、学校と保護者・地域との信頼関係があることがうまくいった要因として挙げられます。信頼関係をつくるためには、「学校がネガティブを含めて情報を公開すること」「保護者や地域が本音を伝えること」「学校が前向きに受け止め、たとえできないことでもきちんと理由を伝えること」が大切です。この基本がしっかりできていたのです。 主催者側からすぐにアンケートの結果もお知らせいただけました。その中で、保護者向けのネット講習会の内容をもっと知りたかったという意見がありました。ネットに関する話は今回の講習会の趣旨から外れるので、その内容についてあまり触れませんでしたが、PTAの方がつくられたわかりやすい資料を配布させていただきました。その資料を見てもっと知りたいと思われたのだと思います。この地区でも、ネットに関する講習会が開かれるようになることを期待します。 講演終了後、保護者の方から質問を受けました。保護者向けの講演を行うと必ずと言っていいほど相談を受けます。それだけ、子育てに悩まれる方が多いのでしょう。そういう方のお役に少しでも立つことができたのなら幸いです。 主催者側の細やかな気づかいのおかげでとても気持ちよく講演を行うことができました。とてもよい機会を得られたことに感謝します。 介護関係者向けの研修
先週末に、介護関係者向けのコミュニケーションに関する研修をおこなってきました。今回は、「利用者と接する姿勢」をテーマに行いました。具体的な場面に即して、どのような対応をすればよいのか、参加者の皆さんと一緒に考えるというのがこの研修の基本的なスタンスです。これが正解と言えるものはありません。同じような状況でも相手によって何がよいかは変わってきます。グループでの活動を中心に、いろいろな考えに触れることで、参加者の対応の幅が広がることをねらっています。
利用者と接する姿勢には、「してあげる」「させていただく」「いっしょに」の3つが考えられます。「してあげる」というのは上から目線で相手のプライドを傷つけます。「させていただく」というのは、接客業の視点です。自分のことを考えてくれているようには感じません。「いっしょに」というのは、相手に「寄り添う」姿勢です。この「寄り添う」という視点を大切にする必要があります。 具体的な介護の場面では「サポート」と「ヘルプ」という2つの視点を意識する必要があります。「サポート」は「本人のしたいことを一緒になってできるようにお手伝いする」、「ヘルプ」は「本人のしたいことを代わりにする」ことです。介護では、その人がその人らしく生きる「お手伝い」をするという姿勢が大切です。利用者ができることは本人にやってもらうことが前提であるべきでしょう。一人ではできないことを一緒に解決するという「サポート」の視点です。とはいえ、できないことは「ヘルプ」しなければいけません。相手がしてもらいたいことは何か理解する、何をするか「一緒に」考えることが大切です。自分がどうするかではなく、あくまでも利用者に「代わって」実行するという姿勢が求められます。 利用者と接するうえで大切になるのが表情です。人は、自分に負い目があると表情に敏感(過敏?!)になります。体が不自由になり、ちょっとしたことで失敗をしたりすると、とても情けなく思います。そのような気持ちの時には、相手のかたい表情が、非難したり、ばかにしたりしているように思えるものです。そのために、常に笑顔を意識することが大切になります。しかし、相手が何か失敗したり、思わぬことをした時、困ったり、戸惑った時に笑顔はでてきません。このような時に笑顔になるには、意識して笑顔をつくる「訓練」が日ごろから必要なのです。笑顔になれば、自然に口調が優しくなります。相手も優しい気持ちなります。笑顔になることでこちらの気持ちに余裕ができます。相手も安心して余裕がでてきます。利用者と接する時の基本の表情は笑顔なのです。 具体的な場面を設定して、どのように対応するかを考えてもらったり、実演したりしていただきました。現場経験が豊富な方たちですので、どの対応も納得させられるものばかりでした。私もたくさんのことを学ばせていただきました。 挨拶の時の笑顔がとても素晴らしい方がいらっしゃいました。笑顔で挨拶することを意識すると、笑顔をつくって頭を下げます。しかし、顔を上げた時には表情が戻っていることが多いのではないでしょうか。相手からはその笑顔が見えません。その方は、顔を上げた時に笑顔をつくられました。なるほど、これならばきちんと笑顔が相手に伝わります。ちょっとしたことですが、とても大切な視点だと思いました。 日ごろは子どもの教育という視点でコミュニケーションを考えているのですが、介護という別の視点から見ることで気づかされることがたくさんあります。また、あらためてコミュニケーションの基本は何かに気づかされることもあります。利用者の自立を支援するという、介護における「サポート」の姿勢は、子どもたちの教育にも通じます。介護に従事する方々と接することで、多くのことを学ぶことができます。介護関係者向けの研修をさせていただくことは、私にとってとても有意義なものです。このような機会をいただけたことに感謝です。 教科力が問われる段階にきた授業
昨日の日記の続きです。
数学の授業研究は、1年生の比例・反比例の応用でした。 子どもたちと授業者の関係はとてもよいことがわかります。授業者は笑顔を絶やしません。どの子ども真剣に話を聞いています。この日の課題は、大量の紙を数えるにはどうすればいいかです。子どもからは1枚当たりの重さを測るといったアイデアがでるのですが、授業者はそれを取り上げることはしません。実際に紙と秤を持ってきているので、その子どもに測らせたいところです。そうすることで、ある程度の量を測る必然性が出てきます。比例定数と1枚当たりの重さの関係も見えてきます。比例定数が比の値だと気がつきますし、y=axという式との関連も明確になるのです。 30枚で130gなので、2760枚は比で解けるという考えが出てきます。しかし、黒板に書きとめるだけでそれ以上は取り上げません。予定した進め方にこだわってしまいました。自ら「表にしてみようか」と表を書きます。子どもからアイデアが出てくるのを待つことができませんでした。その上で、いくつか紙の重さを測って表を埋めます。表から比例という言葉を出させようとするのですが、数学的にはあまり正しいアプローチではありません。いくつか表に値を埋めただけでは、比例の関係が常に成り立つことは言えません。最初に子どもから出た1枚当たりの重さが常に一定であること、つまり比の値が一定であることがポイントなのです。 また、子どもから出てきた比で解くことを活かしてもちゃんと比例の関係につなげることができます。そもそも関数を利用して問題を解くよさがなければ、比でなく関数を使う意味がありません。2760枚は求められる。では、3000枚は、3200枚はといろいろな場合を考えると、毎回解くのは大変です。そこで、関数を使う必然性が出てくるのです。ここで、毎回解かずに済ますにはどうすればいいのかという視点で、関数ではなく比で解くことを発展させるのです。「じゃあどうすればいい?」「いろいろ変わるのは何?枚数?」「それならばx枚の時何グラムになるか考えればいいね」とすれば関数の考え方が自然に出てきます。重さをygと置けば、比の式30:x=130:yから、比例の関係y=(13/3)xがでてきます。関数の考え方の復習と、比と比例の関係を同時に扱うことができます。 日ごろから、数学的なものの見方・考え方を意識して授業をしていくことが大切です。関係を見つけるのに表を使う、図を描く、グラフにしてみる、特別な値を試してみる。いつも成り立つか、他の場合にも使えるかと考える。こういう視点を常に問うことが大切です。今回でいえば、比の考えを拡張していくことで、ちゃんと比例にたどり着けるのです。 子どもが数名しか挙手しない時にすぐに指名してしまいます。発表に対して他の子どもたちに理解できたかどうかを確認するのはよいのですが、挙手の確認だけで終わってしまいます。手が挙がらない子どもがいるのですから、その子どもを納得させることが必要です。まわりと確認する。何人かを指名して確認する。こういう活動が必要です。わかった子どもだけで進むのではなく、わからない子どもがわかるようになるにはどうすればよいかを考えてほしいと思います。全員参加を常に意識することが大切です。 また、指名した子どもの説明に対して、「どう、納得した」と確認したときに、一部の子どもが大きな声で「いいです」と応えます。このテンションの高さが少し気になりました。再度説明を求められることがないので、無責任に「いいです」と言っている可能性があるのです。挙手や声だけでなく、具体的な説明を求めることが必要でしょう。 今回の授業で気になったことは、子どもから一番引き出したいことを教師がしゃべってしまう場面が多かったことです。表を使うこともそうです。枚数と重さをそれぞれxとyとするということも授業者から出しました。xに数を「入れる」とyの値がわかるということは子どもから出てきますが、「代入」という言葉はでてきません。子どもに、「数学の言葉で言うとどうなる」というように、数学の用語を意識させることが大切です。授業者は「代入する」と言い変えましたが、そのことを用語としてはきちんと押さえませんでした。 基本となる子どもとの関係はしっかりつくることができています。数学の教師としてはここからが勝負です。数学として何が大切なのかをしっかりと考えて授業を組み立てるのです。問題の解き方を教えることはそれほど重要ではありません。数学的な知識や、ものの見方・考え方が身についた結果、問題が解けるようになる。問題を解くことを通じてそのような力をつける。そのためにどのような授業を組み立てればいいかを考えるのです。 比例の学習であれば、関数の考え方を2年生3年生でどのように広げていくのかを考える。2つの変量の関係を文字で表すことは連立方程式につながっていくことを意識して、何を押さえる必要があるのかを考える。そうすることで単元を通じて大切にしなければいけないポイントや常に問いかけるべきことが見えてくるはずです。「x(一方)が決まるとy(他方)が決まる」「いつも成り立つ関係?」「xに入るのはどんな値?(変域)」「関係は式に表せる?」「式からどんなことがわかる」「グラフから何がわかる?」「表から何がわかる?」「グラフのどこに注目する」「表のどこに注目する?」・・・。 数学科で検討会を行いました。授業規律といった基本的なことはできているので、安心して教科についての検討ができます。ベテランから教材の持つ意味や、数学として何を大切にするべきかという視点での意見が出てきます。授業者はよい気づきができたことと思います。若い先生が多い学校です。1時間の授業という点についての議論だけでなく、教科部会として関数はどのようなことを大切にして授業を組み立てるのか、1年生で押さえておくことは何かといったより広い視点話し合うことができるとよいと思いました。なかなかまとまった時間を確保することは難しいかもしれませんが、ベテランと若手が日常的に授業について会話できるようになってほしいと思います。 若手が立派に育ってきました。教科力が問われる段階に到達したと思います。ここからは、地道な教材研究の積み重ねで力をつけていくしかありません。それなりに授業ができるようになっていますので、手を抜いても何とかなります。しかし、その時点で成長は止まるのです。歩みを止めずに、ゆっくりでいいので前に進み続けてほしいと思います。 子どもの姿と教師のかかわり方の関係について考える
先週末は中学校で授業アドバイスと数学の授業研究に参加してきました。
1年生と2年生を中心に校内を参観しました。 2年生は子ども同士の関係のよさを感じる場面がたくさんありました。特に印象に残ったのが、暗幕を雑に引っぱってカーテンレールから落としてしまった子どもを教師が注意した場面でした。授業者はちょっと厳しく注意をしています。その時、他の子どもたちの視線がその子に向いているのです。非難するような目ではありません。大丈夫かなと心配するような、温かな視線なのです。こういう場面では、自分には関係のないことだと手遊びしたり、よそ事をしたりしている子どもが目立つものですが、そのような子どもはいませんでした。失敗した子どもが暗幕をたたんでいる時に、そばの子どもが手伝ってくれました。「ごめん、ありがとう」という声が聞こえました。授業者もたたみ終った子どもに「ありがとう」と声をかけていました。厳しくしかったからこそ、この「ありがとう」の一言が効いてきます。授業者はその後、その子どもと一緒に暗幕を取り付けたそうです。教室の雰囲気のよい理由がわかったように思いました。 英語でのペア活動でも、相手の読みのチェックをとても真剣にやっていました。子ども同士がしっかりかかわれるようになってきたように思います。その一方で、教師が一方的に説明をしている場面では、子どもの姿が分かれます。うれしそうに反応しながら聞く子がいますが、集中力を失くして顔が上がらない子ども目立つのです。反応してくれる子どもがいるためつい見落としがちですが、参加していない子どもを意識してほしいと思います。この学年の子どもたちは、充分にかかわり合えるので、できるだけそれを活かすようにしてほしいと思いました。 1年生は、前回と比べると授業に参加できない子どもの絶対数は少ないように思いました。しかし、欠席者も目立ちました。簡単に評価を下すことができません。気になるのはうまくかかわり合えない子どもとそれに対するまわりの子どもの対応です。まわりと相談することや、グループでの活動も積極的に行える子どもたちでも、かかわり合いが苦手だと思われる子どもには、ちょっと声をかけて反応がないと無視してしまうのです。一人席の子どもが教科書を忘れていました。そこで、教師が斜め前に座っている子どもの座席を横に持ってきて見せてもらえるようにしました。教科書を差し出され、少しうれしそうな反応がありました。全くかかわれないというわけではないのです。ところが、別の時間にその学級のグループ活動の様子を見たところ、他のグループは積極的に活動しているのですが、その子どものいるグループだけまったくと言っていいほどかかわり合いがありません。似た傾向は他の学級でも見られました。友だちとかかわることが苦手な子どもがいることだけが問題ではなさそうです。その他の子どものかかわり方にも問題があるように思います。グループ活動などは、よくかかわれているように見えるのですが、どうも表面的な気がするのです。聞いているようで聞いていないというか、テンションがすぐに上がる傾向があるのです。基本的なコミュニケーションに関して、欠けていることがあるように思います。それに加えて、小学校ではミュニケーションが苦手な子どもに対して、教師が手厚くかかわっていたのではないかと想像します。そうであれば、子どもたちはその子に関しては、教師に任せておけばいいと思ってしまい、積極的にかかわろうとしなくなるからです。ソーシャルスキル・トレーニングや特に構成的なグループ・エンカウンターを日常的に取り入れることが必要に思えました。 また、教師が指名した子どもの発言を聞いている時に、かなりの子どもが他人事のようにしています。教師が自分を見ている時の姿はいいのですが、黒板に向かっている時や、他の子どもに視線がいっている時には、集中力が薄れてしまいます。どの授業でもそうかというと、これが教師によって態度が大きく変わります。以前から感じていた、教師を見て態度を変える傾向がまだ改善されていません。教師が授業規律を徹底することを意識できているかどうかとの関係も大きいように思いました。どこまで学年として足並みをそろえられるかが課題のように思いました。 1年生の英語の授業ではヒアリングの進め方を工夫していました。1度聞いた後、子どもたちに聞き取れたことを単語一つでもよいので、発表させます。中には意見が分かれることもあります。その上で、もう一度聞かせます。先ほどよりも集中力が上がっているのを感じます。友だちの意見を参考に何とか聞き取ろうという姿勢が見えるのです。どうしても聞き取れない部分は、そこだけを何度も聞かせたり、最後は授業者が少しゆっくりと話したりと対応しています。ヒアリングが難しいのは、シチュエーションの絵などは用意されていますが、基本は音だけなので実際の会話より情報量が少ないのです。そこで、絵を指さしながら誰がしゃべっているのかを伝えるといったことをするとよいのではと、アドバイスをしました。毎回授業に何らかの工夫が見られます。一つひとつは小さいことでも、着実に力をつけることにつながっていると感じました。 3年生の社会科の授業は、消費税の増税について考えさせるものでした。子どもたちは授業に積極的に参加してくれます。所得税や相続税、入湯税などいくつかの税を取り上げます。その税がどのようなものかを子どもたちに問いました。早く進めたかったのか、それともしっかりと押さえたかったのかがはっきりしない場面でした。早く進めたければ、一部の子どもに説明させるよりも、授業者がポイントを絞って説明した方が効率的です。そうでないのなら、子どもたち調べさせるなど全員が参加できるようにする必要があります。授業のねらいと活動の関係をはっきりさせると、授業にムダがなく、一番大切な活動に時間をかけることができます。 1年生の理科で音の伝わり方の実験の場面を見ました。糸電話や音叉を使って実験をします。実験をすることで何を知るかという目的が子どもたちにシャープになっていませんでした。何と何を比べれば、どのようなことを確かめれば、何を知ることができるのか。それがはっきりしていないので、子どもたちは楽しそうに指示された実験をしているのですが、その結果をもとに考えることをしません。すぐにテンションが上がってしまいました。実験を通じて何を考えるのかを明確にしておくことが大切です。 2年生の理科は真空放電の実験と考察でした。気になったのが、放電が起こるためにはどの程度真空にしなければいけないのかを問う場面でした。子どもたちは知識がないのでやってみなければわかりません。教科書や資料集で調べるのであれば、全員に見つけさせることが必要です。そのどちらでもなく、資料から見つけた子どもを指名して、その数値をもとに授業を進めました。気体の圧力と密度の関係も明確にしないまま、1気圧と比較をして進めます。この場面で理科として大切なことは何だったのでしょうか。電子が飛ぶためには抵抗となるものがあるとダメなことなのでしょうか。それとも単に真空であることが放電の条件であることを知ることなのでしょうか。また、そのことを知るための理科的なアプローチは何だったのでしょうか。残念ながら私が見た場面からはそのことが伝わりませんでした。授業規律はしっかりとしてきたので、教科としてどうであるかが余計に気になるのです。 3年生の数学は相似の学習でした。証明問題を穴埋めで解かせていました。証明の書き形を学ぶには穴埋めというのも有効な方法だと思います。しかし、なぜその角が等しいことを示す必要があるのかといったこと理解できなければ、指示に従って等しいものを探すだけです。正解はわかったが証明はわからないということになってしまいます。証明の最初の1行を書くまでに、数学的なものの見方・考え方があるのです。まず、自分たちはどのような知識を持っているのか。今まで学習したことを使えそうなアプローチは何か。穴埋めを始める前にそのことを全体で共有しておいてほしいのです。教師は基本的に答を知っています。だからこそ、答を知らない子どもがどうすればそこにいたることができるのかを明確にしておいてほしいのです。それが、数学の教材研究なのです。 授業研究については明日の日記で。 視線を送る
子どもが集中して教師の話を聞いている。集中して作業をしている。このような授業には共通の特徴があります。それは、教師が子どもたちをよく見ていることです。ところが、同じように教師が子どもを見ているようなのですが、集中力が途切れがちな授業にも出会います。子どもたちが違うからなのでしょうか。それとも、他に何か大切な要素があるのでしょうか。このことについて考えてみたいと思います
作業中に子どもの集中力が切れると、視線が手元から離れます。そのとき必ずと言っていいほどまわりを見ます。このことに教師が気づかないと、子どもはしばらく集中力が切れたままです。教師があとから気づいて注意をしても、なかなか集中力は戻らないものです。特に机間指導をしていて教師の視線が机から机へと移動しているようなときには、死角が増えて子どもの様子に気づけません。私は教室の斜め前から子どもたちを見るようにお願いしています。この位置であれば、全員の手元がよく見えるからです。子どもの集中が切れてもすぐに気づくことができます。 全体に説明している時も同様に子どもたち全員を見ることが大切です。視線だけを動かすことでも見ることができるのですが、子どもたちに「先生は君たちを見ているよ」と伝えるためには体を動かした方がよいようです。 ところが、最初に述べたように子どもたちをちゃんと見ているように見えても、集中力が続かない授業があります。そのような授業では教師は子どもを眺めているのです。漠然と見ていると言ってもよいかもしれません。子どもから見れば、教師の視線が自分の上を通り過ぎているだけです。「自分のことを見てくれている」とは思いません。 一方、集中力が続く授業では、教師は視線を子どもに送っています。視線が一定の速度で流れているのではなく、子どもたちのところで一瞬止まるのです。子どもから見れば、教師の視線と自分の視線が交わります。「自分のことを見てくれている」と感じます。 作業中に集中力を失くしている子どもであれば、視線を送って、笑顔でそっとうなずくのです。そうするだけで、子どもはすぐにまた作業に戻ります。教師がいつも自分を見てくれている、見守ってくれていると感じていれば、集中力は切れなくなります。結果的に教師と子どもの視線が交わることはなくなります。この状態ができあがると、教師が見ていることと、集中力が持続することの因果関係は見えなくなってしまいます。しかし、子どもたちの集中力が続くのは、確かに教師が子どもたちを見ているからなのです。 子どもたちを見ることはとても大切です。その上で「視線を送る」ことを合わせて意識してください。そうすることで子どもたちの集中力は確実に上がるのです。 小学校で視聴覚の研究大会
昨日は、ICT機器を活用した授業をテーマにした視聴覚の研究大会に参加しました。会場となった小学校へは1学期の末以来の訪問です。
1時間の授業公開が全学級でありました。ICT活用は日常的な使い方が意識されていました。肩に力の入らない使い方に思えます。とはいえ、どのような場面で利用するとよいのか、みなさんずいぶん悩んだのではないでしょうか。何をスクリーンに映すのか、板書との住み分けをどうするかを考えた跡が見られます。ここに至るまで、模擬授業等を通じて互いに学び合ってきたのだと思います。 しかし、ICTの活用に焦点を合わせていたので、授業そのものについては、まだまだ厳しい面もたくさんありました。課題であった授業規律の徹底については、まだまだと言わざるを得ません。一朝一夕でできることではないことも承知しています。今後、学校として授業規律を意識し続けられるかが勝負だと思います。それができれば、次年度は大きな成果が出るはずです。 また、ICTの活用方法は決して間違ってはいないのですが、1時間の授業をどうつくるのかという根本の教材研究は、もっともっと追究する必要があります。ICT活用の場面は点でしかありません。資料をわかりやすく見せる、みんなの意見をデジタル教科書に書き込む。こういったことが、授業を通じてどのような力をつけたいのか、教科としてどのような目標を達成するのかという視点で見たときに、どう活かされているのかがはっきりとしていないのです。ICTの活用としては○でも、1時間の授業としてみたときに?なのです。 この日の講師は玉川大学教職大学院教授の堀田龍也先生です。通常、こういう発表会の講演だけは引き受けられない方です。その気持ちはとてもよくわかります。一度も指導していない学校の発表会で、その研究内容に焦点の合った講演は簡単なことではないからです。堀田先生は午後からの本番に先立ち、3時間目から校内の授業の様子を参観されたそうです。公開授業ではなく、通常の授業を見ることでより的確に学校の状態をつかむことができるからでしょう。公開授業開始前に少しお話をする機会がありましたが、この学校の状況を見事に把握されていました。その上でどのような講演をなさるのか、とても楽しみです。 講演は「子どもに力をつけるICT活用にするために」という演題です。 最初に演題の説明をされました。そこに堀田先生のICT活用に対する考え方が凝縮されています。「活用」ということは、「利用」とは違います。活かすこと、つまり力をつけることにつながらなければ意味がないのです。そして、活用「する」という動詞の主語はもちろん教師です。ICTが勝手に子どもたちに力をつけてくれるわけではありません。あくまでも、教師が主体となって子どもに力をつけるのです。同じようにICTを使っても、教師の授業力でその結果は大きく違うということです。 堀田先生の見事なところは、伝えたい内容をできるだけその学校の事例をもとに組み立てるということです。多くの学校にかかわっておられる方です。話の内容にふさわしい具体例はたくさんお持ちです。それをその場で入れ替えて講演をつくられるのです。 ICTは注目させる、強調するための道具でスクリーンに映されるものは変化していく。一方、黒板は発言など消えていくものを残すための道具で、固定化し蓄積していく。このことを意識して使い分ける必要がある。その事例としてこの学校の授業場面を切り取って説明されました。 よい事例として講演の中に組み込まれることで、その学校の先生方は自分たちが評価されたと感じます。この日を迎えるまでにどの先生もご苦労があったはずです。たとえいたらないところがあると自覚していても、そのことをストレートに指摘されて、素直に受け止められる方はそれほど多くはありません。「いいとこ見つけ」の精神で学校を元気づけようとしているのです。とはいえ、理屈はわかっていてもなかなかできることではありません。もはや芸の域に達していると言えるでしょう。 厳しい指摘もされます。授業規律が確立していなければICTを活用しても効果はないと、その大切さを述べた後、さりげなく「この学校でも、他の学校でも」と笑顔で付け加えられます。ソフトな語り口ですが、聞きようによってはとてもシビアです。堀田先生はわかる人だけわかればいいとおっしゃいます。それは、話の中からそのことをかぎ分けられない方には、ストレートに言っても伝わらないと考えられているからでしょう。 最後のまとめも視聴覚の視点であることを強調されます。授業をトータルで見れば話すべきこと、指摘することは他にもあります。そのことを暗に伝えていると感じました。それは何だろうかと各自で考えてくださいというメッセージに聞こえました。 発表会だけの特別なものでは、どれほど素晴らしい実践でも続きません。継続可能であることが大切です。一人のICTにたけ方が頑張っていても学校としてはどうでしょう。誰にでもできることが大切です。この継続と普及という2つの軸で考えれば、効果のある活用であることよりも簡便な活用であることの方が大切だというのが堀田先生の変わらない主張です。効果のある素晴らしい実践を否定しているわけではないと思います。この2つの要素を満たしたその先のことだと考えられているのでしょう。 いつものことながら、時間通りにしっかりと伝えたいことをまとめて降壇されました。堀田先生のお話をめあてに参加される方がいらっしゃることがよくわかります。私にとっても新しい気づきのあった講演でした。 この日を迎えるまでに、先生方には色々とご苦労があったことと思います。今は研究発表という枷が外れた開放感を味わわれていることでしょう。ちょっと一息入れたその後で、何に取り組むかが勝負だと思います。ICT活用だけでなく、授業規律といった凡事徹底も大切です。ICTを真に活用するためには教材研究も重要です。この学校にとって何が今必要なことなのかを全体でしっかりと共有して新たな一歩を踏み出してほしいと思います。 |
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