教科力が問われる段階にきた授業

昨日の日記の続きです。

数学の授業研究は、1年生の比例・反比例の応用でした。
子どもたちと授業者の関係はとてもよいことがわかります。授業者は笑顔を絶やしません。どの子ども真剣に話を聞いています。この日の課題は、大量の紙を数えるにはどうすればいいかです。子どもからは1枚当たりの重さを測るといったアイデアがでるのですが、授業者はそれを取り上げることはしません。実際に紙と秤を持ってきているので、その子どもに測らせたいところです。そうすることで、ある程度の量を測る必然性が出てきます。比例定数と1枚当たりの重さの関係も見えてきます。比例定数が比の値だと気がつきますし、y=axという式との関連も明確になるのです。

30枚で130gなので、2760枚は比で解けるという考えが出てきます。しかし、黒板に書きとめるだけでそれ以上は取り上げません。予定した進め方にこだわってしまいました。自ら「表にしてみようか」と表を書きます。子どもからアイデアが出てくるのを待つことができませんでした。その上で、いくつか紙の重さを測って表を埋めます。表から比例という言葉を出させようとするのですが、数学的にはあまり正しいアプローチではありません。いくつか表に値を埋めただけでは、比例の関係が常に成り立つことは言えません。最初に子どもから出た1枚当たりの重さが常に一定であること、つまり比の値が一定であることがポイントなのです。

また、子どもから出てきた比で解くことを活かしてもちゃんと比例の関係につなげることができます。そもそも関数を利用して問題を解くよさがなければ、比でなく関数を使う意味がありません。2760枚は求められる。では、3000枚は、3200枚はといろいろな場合を考えると、毎回解くのは大変です。そこで、関数を使う必然性が出てくるのです。ここで、毎回解かずに済ますにはどうすればいいのかという視点で、関数ではなく比で解くことを発展させるのです。「じゃあどうすればいい?」「いろいろ変わるのは何?枚数?」「それならばx枚の時何グラムになるか考えればいいね」とすれば関数の考え方が自然に出てきます。重さをygと置けば、比の式30:x=130:yから、比例の関係y=(13/3)xがでてきます。関数の考え方の復習と、比と比例の関係を同時に扱うことができます。

日ごろから、数学的なものの見方・考え方を意識して授業をしていくことが大切です。関係を見つけるのに表を使う、図を描く、グラフにしてみる、特別な値を試してみる。いつも成り立つか、他の場合にも使えるかと考える。こういう視点を常に問うことが大切です。今回でいえば、比の考えを拡張していくことで、ちゃんと比例にたどり着けるのです。

子どもが数名しか挙手しない時にすぐに指名してしまいます。発表に対して他の子どもたちに理解できたかどうかを確認するのはよいのですが、挙手の確認だけで終わってしまいます。手が挙がらない子どもがいるのですから、その子どもを納得させることが必要です。まわりと確認する。何人かを指名して確認する。こういう活動が必要です。わかった子どもだけで進むのではなく、わからない子どもがわかるようになるにはどうすればよいかを考えてほしいと思います。全員参加を常に意識することが大切です。
また、指名した子どもの説明に対して、「どう、納得した」と確認したときに、一部の子どもが大きな声で「いいです」と応えます。このテンションの高さが少し気になりました。再度説明を求められることがないので、無責任に「いいです」と言っている可能性があるのです。挙手や声だけでなく、具体的な説明を求めることが必要でしょう。

今回の授業で気になったことは、子どもから一番引き出したいことを教師がしゃべってしまう場面が多かったことです。表を使うこともそうです。枚数と重さをそれぞれxとyとするということも授業者から出しました。xに数を「入れる」とyの値がわかるということは子どもから出てきますが、「代入」という言葉はでてきません。子どもに、「数学の言葉で言うとどうなる」というように、数学の用語を意識させることが大切です。授業者は「代入する」と言い変えましたが、そのことを用語としてはきちんと押さえませんでした。

基本となる子どもとの関係はしっかりつくることができています。数学の教師としてはここからが勝負です。数学として何が大切なのかをしっかりと考えて授業を組み立てるのです。問題の解き方を教えることはそれほど重要ではありません。数学的な知識や、ものの見方・考え方が身についた結果、問題が解けるようになる。問題を解くことを通じてそのような力をつける。そのためにどのような授業を組み立てればいいかを考えるのです。
比例の学習であれば、関数の考え方を2年生3年生でどのように広げていくのかを考える。2つの変量の関係を文字で表すことは連立方程式につながっていくことを意識して、何を押さえる必要があるのかを考える。そうすることで単元を通じて大切にしなければいけないポイントや常に問いかけるべきことが見えてくるはずです。「x(一方)が決まるとy(他方)が決まる」「いつも成り立つ関係?」「xに入るのはどんな値?(変域)」「関係は式に表せる?」「式からどんなことがわかる」「グラフから何がわかる?」「表から何がわかる?」「グラフのどこに注目する」「表のどこに注目する?」・・・。

数学科で検討会を行いました。授業規律といった基本的なことはできているので、安心して教科についての検討ができます。ベテランから教材の持つ意味や、数学として何を大切にするべきかという視点での意見が出てきます。授業者はよい気づきができたことと思います。若い先生が多い学校です。1時間の授業という点についての議論だけでなく、教科部会として関数はどのようなことを大切にして授業を組み立てるのか、1年生で押さえておくことは何かといったより広い視点話し合うことができるとよいと思いました。なかなかまとまった時間を確保することは難しいかもしれませんが、ベテランと若手が日常的に授業について会話できるようになってほしいと思います。

若手が立派に育ってきました。教科力が問われる段階に到達したと思います。ここからは、地道な教材研究の積み重ねで力をつけていくしかありません。それなりに授業ができるようになっていますので、手を抜いても何とかなります。しかし、その時点で成長は止まるのです。歩みを止めずに、ゆっくりでいいので前に進み続けてほしいと思います。

子どもの姿と教師のかかわり方の関係について考える

先週末は中学校で授業アドバイスと数学の授業研究に参加してきました。

1年生と2年生を中心に校内を参観しました。
2年生は子ども同士の関係のよさを感じる場面がたくさんありました。特に印象に残ったのが、暗幕を雑に引っぱってカーテンレールから落としてしまった子どもを教師が注意した場面でした。授業者はちょっと厳しく注意をしています。その時、他の子どもたちの視線がその子に向いているのです。非難するような目ではありません。大丈夫かなと心配するような、温かな視線なのです。こういう場面では、自分には関係のないことだと手遊びしたり、よそ事をしたりしている子どもが目立つものですが、そのような子どもはいませんでした。失敗した子どもが暗幕をたたんでいる時に、そばの子どもが手伝ってくれました。「ごめん、ありがとう」という声が聞こえました。授業者もたたみ終った子どもに「ありがとう」と声をかけていました。厳しくしかったからこそ、この「ありがとう」の一言が効いてきます。授業者はその後、その子どもと一緒に暗幕を取り付けたそうです。教室の雰囲気のよい理由がわかったように思いました。
英語でのペア活動でも、相手の読みのチェックをとても真剣にやっていました。子ども同士がしっかりかかわれるようになってきたように思います。その一方で、教師が一方的に説明をしている場面では、子どもの姿が分かれます。うれしそうに反応しながら聞く子がいますが、集中力を失くして顔が上がらない子ども目立つのです。反応してくれる子どもがいるためつい見落としがちですが、参加していない子どもを意識してほしいと思います。この学年の子どもたちは、充分にかかわり合えるので、できるだけそれを活かすようにしてほしいと思いました。

1年生は、前回と比べると授業に参加できない子どもの絶対数は少ないように思いました。しかし、欠席者も目立ちました。簡単に評価を下すことができません。気になるのはうまくかかわり合えない子どもとそれに対するまわりの子どもの対応です。まわりと相談することや、グループでの活動も積極的に行える子どもたちでも、かかわり合いが苦手だと思われる子どもには、ちょっと声をかけて反応がないと無視してしまうのです。一人席の子どもが教科書を忘れていました。そこで、教師が斜め前に座っている子どもの座席を横に持ってきて見せてもらえるようにしました。教科書を差し出され、少しうれしそうな反応がありました。全くかかわれないというわけではないのです。ところが、別の時間にその学級のグループ活動の様子を見たところ、他のグループは積極的に活動しているのですが、その子どものいるグループだけまったくと言っていいほどかかわり合いがありません。似た傾向は他の学級でも見られました。友だちとかかわることが苦手な子どもがいることだけが問題ではなさそうです。その他の子どものかかわり方にも問題があるように思います。グループ活動などは、よくかかわれているように見えるのですが、どうも表面的な気がするのです。聞いているようで聞いていないというか、テンションがすぐに上がる傾向があるのです。基本的なコミュニケーションに関して、欠けていることがあるように思います。それに加えて、小学校ではミュニケーションが苦手な子どもに対して、教師が手厚くかかわっていたのではないかと想像します。そうであれば、子どもたちはその子に関しては、教師に任せておけばいいと思ってしまい、積極的にかかわろうとしなくなるからです。ソーシャルスキル・トレーニングや特に構成的なグループ・エンカウンターを日常的に取り入れることが必要に思えました。
また、教師が指名した子どもの発言を聞いている時に、かなりの子どもが他人事のようにしています。教師が自分を見ている時の姿はいいのですが、黒板に向かっている時や、他の子どもに視線がいっている時には、集中力が薄れてしまいます。どの授業でもそうかというと、これが教師によって態度が大きく変わります。以前から感じていた、教師を見て態度を変える傾向がまだ改善されていません。教師が授業規律を徹底することを意識できているかどうかとの関係も大きいように思いました。どこまで学年として足並みをそろえられるかが課題のように思いました。

1年生の英語の授業ではヒアリングの進め方を工夫していました。1度聞いた後、子どもたちに聞き取れたことを単語一つでもよいので、発表させます。中には意見が分かれることもあります。その上で、もう一度聞かせます。先ほどよりも集中力が上がっているのを感じます。友だちの意見を参考に何とか聞き取ろうという姿勢が見えるのです。どうしても聞き取れない部分は、そこだけを何度も聞かせたり、最後は授業者が少しゆっくりと話したりと対応しています。ヒアリングが難しいのは、シチュエーションの絵などは用意されていますが、基本は音だけなので実際の会話より情報量が少ないのです。そこで、絵を指さしながら誰がしゃべっているのかを伝えるといったことをするとよいのではと、アドバイスをしました。毎回授業に何らかの工夫が見られます。一つひとつは小さいことでも、着実に力をつけることにつながっていると感じました。

3年生の社会科の授業は、消費税の増税について考えさせるものでした。子どもたちは授業に積極的に参加してくれます。所得税や相続税、入湯税などいくつかの税を取り上げます。その税がどのようなものかを子どもたちに問いました。早く進めたかったのか、それともしっかりと押さえたかったのかがはっきりしない場面でした。早く進めたければ、一部の子どもに説明させるよりも、授業者がポイントを絞って説明した方が効率的です。そうでないのなら、子どもたち調べさせるなど全員が参加できるようにする必要があります。授業のねらいと活動の関係をはっきりさせると、授業にムダがなく、一番大切な活動に時間をかけることができます。

1年生の理科で音の伝わり方の実験の場面を見ました。糸電話や音叉を使って実験をします。実験をすることで何を知るかという目的が子どもたちにシャープになっていませんでした。何と何を比べれば、どのようなことを確かめれば、何を知ることができるのか。それがはっきりしていないので、子どもたちは楽しそうに指示された実験をしているのですが、その結果をもとに考えることをしません。すぐにテンションが上がってしまいました。実験を通じて何を考えるのかを明確にしておくことが大切です。

2年生の理科は真空放電の実験と考察でした。気になったのが、放電が起こるためにはどの程度真空にしなければいけないのかを問う場面でした。子どもたちは知識がないのでやってみなければわかりません。教科書や資料集で調べるのであれば、全員に見つけさせることが必要です。そのどちらでもなく、資料から見つけた子どもを指名して、その数値をもとに授業を進めました。気体の圧力と密度の関係も明確にしないまま、1気圧と比較をして進めます。この場面で理科として大切なことは何だったのでしょうか。電子が飛ぶためには抵抗となるものがあるとダメなことなのでしょうか。それとも単に真空であることが放電の条件であることを知ることなのでしょうか。また、そのことを知るための理科的なアプローチは何だったのでしょうか。残念ながら私が見た場面からはそのことが伝わりませんでした。授業規律はしっかりとしてきたので、教科としてどうであるかが余計に気になるのです。

3年生の数学は相似の学習でした。証明問題を穴埋めで解かせていました。証明の書き形を学ぶには穴埋めというのも有効な方法だと思います。しかし、なぜその角が等しいことを示す必要があるのかといったこと理解できなければ、指示に従って等しいものを探すだけです。正解はわかったが証明はわからないということになってしまいます。証明の最初の1行を書くまでに、数学的なものの見方・考え方があるのです。まず、自分たちはどのような知識を持っているのか。今まで学習したことを使えそうなアプローチは何か。穴埋めを始める前にそのことを全体で共有しておいてほしいのです。教師は基本的に答を知っています。だからこそ、答を知らない子どもがどうすればそこにいたることができるのかを明確にしておいてほしいのです。それが、数学の教材研究なのです。

授業研究については明日の日記で。

視線を送る

子どもが集中して教師の話を聞いている。集中して作業をしている。このような授業には共通の特徴があります。それは、教師が子どもたちをよく見ていることです。ところが、同じように教師が子どもを見ているようなのですが、集中力が途切れがちな授業にも出会います。子どもたちが違うからなのでしょうか。それとも、他に何か大切な要素があるのでしょうか。このことについて考えてみたいと思います

作業中に子どもの集中力が切れると、視線が手元から離れます。そのとき必ずと言っていいほどまわりを見ます。このことに教師が気づかないと、子どもはしばらく集中力が切れたままです。教師があとから気づいて注意をしても、なかなか集中力は戻らないものです。特に机間指導をしていて教師の視線が机から机へと移動しているようなときには、死角が増えて子どもの様子に気づけません。私は教室の斜め前から子どもたちを見るようにお願いしています。この位置であれば、全員の手元がよく見えるからです。子どもの集中が切れてもすぐに気づくことができます。
全体に説明している時も同様に子どもたち全員を見ることが大切です。視線だけを動かすことでも見ることができるのですが、子どもたちに「先生は君たちを見ているよ」と伝えるためには体を動かした方がよいようです。

ところが、最初に述べたように子どもたちをちゃんと見ているように見えても、集中力が続かない授業があります。そのような授業では教師は子どもを眺めているのです。漠然と見ていると言ってもよいかもしれません。子どもから見れば、教師の視線が自分の上を通り過ぎているだけです。「自分のことを見てくれている」とは思いません。
一方、集中力が続く授業では、教師は視線を子どもに送っています。視線が一定の速度で流れているのではなく、子どもたちのところで一瞬止まるのです。子どもから見れば、教師の視線と自分の視線が交わります。「自分のことを見てくれている」と感じます。
作業中に集中力を失くしている子どもであれば、視線を送って、笑顔でそっとうなずくのです。そうするだけで、子どもはすぐにまた作業に戻ります。教師がいつも自分を見てくれている、見守ってくれていると感じていれば、集中力は切れなくなります。結果的に教師と子どもの視線が交わることはなくなります。この状態ができあがると、教師が見ていることと、集中力が持続することの因果関係は見えなくなってしまいます。しかし、子どもたちの集中力が続くのは、確かに教師が子どもたちを見ているからなのです。

子どもたちを見ることはとても大切です。その上で「視線を送る」ことを合わせて意識してください。そうすることで子どもたちの集中力は確実に上がるのです。

小学校で視聴覚の研究大会

昨日は、ICT機器を活用した授業をテーマにした視聴覚の研究大会に参加しました。会場となった小学校へは1学期の末以来の訪問です。

1時間の授業公開が全学級でありました。ICT活用は日常的な使い方が意識されていました。肩に力の入らない使い方に思えます。とはいえ、どのような場面で利用するとよいのか、みなさんずいぶん悩んだのではないでしょうか。何をスクリーンに映すのか、板書との住み分けをどうするかを考えた跡が見られます。ここに至るまで、模擬授業等を通じて互いに学び合ってきたのだと思います。
しかし、ICTの活用に焦点を合わせていたので、授業そのものについては、まだまだ厳しい面もたくさんありました。課題であった授業規律の徹底については、まだまだと言わざるを得ません。一朝一夕でできることではないことも承知しています。今後、学校として授業規律を意識し続けられるかが勝負だと思います。それができれば、次年度は大きな成果が出るはずです。
また、ICTの活用方法は決して間違ってはいないのですが、1時間の授業をどうつくるのかという根本の教材研究は、もっともっと追究する必要があります。ICT活用の場面は点でしかありません。資料をわかりやすく見せる、みんなの意見をデジタル教科書に書き込む。こういったことが、授業を通じてどのような力をつけたいのか、教科としてどのような目標を達成するのかという視点で見たときに、どう活かされているのかがはっきりとしていないのです。ICTの活用としては○でも、1時間の授業としてみたときに?なのです。

この日の講師は玉川大学教職大学院教授の堀田龍也先生です。通常、こういう発表会の講演だけは引き受けられない方です。その気持ちはとてもよくわかります。一度も指導していない学校の発表会で、その研究内容に焦点の合った講演は簡単なことではないからです。堀田先生は午後からの本番に先立ち、3時間目から校内の授業の様子を参観されたそうです。公開授業ではなく、通常の授業を見ることでより的確に学校の状態をつかむことができるからでしょう。公開授業開始前に少しお話をする機会がありましたが、この学校の状況を見事に把握されていました。その上でどのような講演をなさるのか、とても楽しみです。

講演は「子どもに力をつけるICT活用にするために」という演題です。
最初に演題の説明をされました。そこに堀田先生のICT活用に対する考え方が凝縮されています。「活用」ということは、「利用」とは違います。活かすこと、つまり力をつけることにつながらなければ意味がないのです。そして、活用「する」という動詞の主語はもちろん教師です。ICTが勝手に子どもたちに力をつけてくれるわけではありません。あくまでも、教師が主体となって子どもに力をつけるのです。同じようにICTを使っても、教師の授業力でその結果は大きく違うということです。

堀田先生の見事なところは、伝えたい内容をできるだけその学校の事例をもとに組み立てるということです。多くの学校にかかわっておられる方です。話の内容にふさわしい具体例はたくさんお持ちです。それをその場で入れ替えて講演をつくられるのです。
ICTは注目させる、強調するための道具でスクリーンに映されるものは変化していく。一方、黒板は発言など消えていくものを残すための道具で、固定化し蓄積していく。このことを意識して使い分ける必要がある。その事例としてこの学校の授業場面を切り取って説明されました。
よい事例として講演の中に組み込まれることで、その学校の先生方は自分たちが評価されたと感じます。この日を迎えるまでにどの先生もご苦労があったはずです。たとえいたらないところがあると自覚していても、そのことをストレートに指摘されて、素直に受け止められる方はそれほど多くはありません。「いいとこ見つけ」の精神で学校を元気づけようとしているのです。とはいえ、理屈はわかっていてもなかなかできることではありません。もはや芸の域に達していると言えるでしょう。

厳しい指摘もされます。授業規律が確立していなければICTを活用しても効果はないと、その大切さを述べた後、さりげなく「この学校でも、他の学校でも」と笑顔で付け加えられます。ソフトな語り口ですが、聞きようによってはとてもシビアです。堀田先生はわかる人だけわかればいいとおっしゃいます。それは、話の中からそのことをかぎ分けられない方には、ストレートに言っても伝わらないと考えられているからでしょう。
最後のまとめも視聴覚の視点であることを強調されます。授業をトータルで見れば話すべきこと、指摘することは他にもあります。そのことを暗に伝えていると感じました。それは何だろうかと各自で考えてくださいというメッセージに聞こえました。
発表会だけの特別なものでは、どれほど素晴らしい実践でも続きません。継続可能であることが大切です。一人のICTにたけ方が頑張っていても学校としてはどうでしょう。誰にでもできることが大切です。この継続と普及という2つの軸で考えれば、効果のある活用であることよりも簡便な活用であることの方が大切だというのが堀田先生の変わらない主張です。効果のある素晴らしい実践を否定しているわけではないと思います。この2つの要素を満たしたその先のことだと考えられているのでしょう。

いつものことながら、時間通りにしっかりと伝えたいことをまとめて降壇されました。堀田先生のお話をめあてに参加される方がいらっしゃることがよくわかります。私にとっても新しい気づきのあった講演でした。

この日を迎えるまでに、先生方には色々とご苦労があったことと思います。今は研究発表という枷が外れた開放感を味わわれていることでしょう。ちょっと一息入れたその後で、何に取り組むかが勝負だと思います。ICT活用だけでなく、授業規律といった凡事徹底も大切です。ICTを真に活用するためには教材研究も重要です。この学校にとって何が今必要なことなのかを全体でしっかりと共有して新たな一歩を踏み出してほしいと思います。

ベテランに伝えてほしいこと

以前、ベテランが変わるきっかけについて述べました(ベテランが変わるきっかけを考える参照)。そういうきっかけとは関係なく、常に自身の授業を見直し前に進み続けている方もいらっしゃいます。私が訪問している学校でも、今年で定年を迎えるにも関わらず、日々授業に工夫をされている方が何人もいます。お会いするたびに、工夫をすることで子どもたちがこんな風に変わったと報告してくださったりもします。こういうベテランから若手が学ぶ機会をどのようにつくるかということは、学校にとってとても重要な課題です。授業を見てその技術を自分のものにすることも大切なことですが、一番学んでほしいのがその授業に対する姿勢です。子どもたちを育てることを第一に考えた時、足りないことは何で、それをどのようにしてできるようにするのか。謙虚に自分を振り返り、より進歩しようと工夫をする姿勢です。この姿勢を持ち続ければ、教師として確実に成長し続けることができるのです。

先日次のようなことがありました。
低学年の学級です。先生が気なる子どもにかかわりすぎて、それ以外の子どもがその間集中力を失くしていました。先生をその子に取られたと感じているようです。子どもとの関係が上手くいってないことをそのベテランの先生にお話ししましたが、そのことをなかなか納得はしていただけませんでした。先生が子どもたちに向き合っている時に見せる姿は、決して悪くはないからです。私からは、「こんなやり方もありますよ」と、参考になりそうなことを伝えましたが、釈然とされないようすでした。上手く伝えることができなかったと反省していました。
それからしばらくして、その学校の教頭からメールが来ました。その日、そのベテランの先生は、職員室で不満を口にされていたそうです。しかし、何日かして、私の言ったとおりやってみたら、ほんとにうまく行くようになったと教頭に伝えたそうです。これからも、もう少し他の子どもたちを大切にするとのことでした。
私のアドバイスがよかったという話ではありません。納得していなくても、子どもがよくなる可能性があるのなら、素直に受け入れて実行したその姿勢が素晴らしいのです。実力のある方です。関係がうまくいっていないと言っても、平均点以上の状態です。それでも、子どもたちのために変わってみようと思われたことに、私は感激しました。

校長となって授業をする機会がなくなっても、授業にこだわり自身の授業力の向上を常に目指している方がいます。一方、5年にも満たない経験で、自分はそこそこできるようになったと、努力や工夫をせずに漫然と授業に向かう方もいます。逆に、自信を失くして、努力することをあきらめてしまう方もいます。この姿勢の違いが教師としての成長を大きく左右します。いくつになっても、授業に対して正面から向き合うことを忘れないでほしいのです。

教師としてのどのような姿勢でありたいかを共有することが大切だと思います。そのために、ベテランには単に授業を見せ、授業について語るだけではなく、教師としての自分の歩いてきた道をぜひ後進に伝えてほしいのです。その歩みの中から、前向きな姿勢を持ち続けることができた理由をきっと見つけてくれるはずです。
日ごろの交流の中でそのような機会があるのが一番ですが、可能ならば時間を取って全体の場で話していただけるとよいと思います。教務主任や中堅の先生が対談形式で聞きだすというのも面白いと思います。

ベテランから学ぶ、ベテランが伝えるべきことは、技術や経験以上に、教師としての姿勢なのです。

次への一歩が見えてきた研究発表会

先週、授業アドバイスをさせていただいている中学校の研究発表会に参加しました。

発表会前に3年生による合唱を2曲聞かせていただきました。子どもたちの歌声も素晴らしかったのですが、何より子どもたちの一生懸命な姿が印象に残りました。来客に対して自分たちの歌声でもてなしたい。そのような気持ちが伝わってくるように感じました。3年生は先生や友だちとの人間関係が特によいと感じていましたが、日ごろ見せてくれるよい姿が本物だと感じさせるものでした。

研究内容の発表は成果を強調するというよりも、子どもたちにどうなってほしいと願っていたのかという自分たちの研究への思いと今後何を大切にしたいと考えているかという次への展望を中心としたものでした。研究の成果をアピールしてそれで研究は終わり。数年経つと何も残っていないという学校も珍しくありません。研究の先をしっかり見つめ、歩み続けようという姿勢をとてもうれしく思いました。
目指す姿の中に「ありがとう」という言葉がキーワードとして出てきました。教師と子ども、子ども同士の人間関係を大切に考えていることが伝わってきます。このことが基本となって、はじめて子どもたちの学力が形成されていくものだと思います。

1時間の公開授業がありました。多くの学級の授業が公開されていましたので、駆け足での参観となりましたが、どの学年でも、どの学級でも、子どもたちの柔らかい表情、笑顔を見ることができました。多くのお客様がいらっしゃる場です。子どもたちにかたい表情、まじめな顔をさせることはプレッシャーをかければ簡単にできます。しかし、柔らかい表情や笑顔は日ごろの人間関係がなければこのような場では見ることができません。少し心配していた2年生もよい表情をたくさん見ることができ、うれしく思いました。1月前に訪問した後も、子どもたちとの人間関係の構築にエネルギーをかけ続けたのだと思います。
とはいえ、すべての子どもがしっかりと授業に参加できていたわけではありません。よい姿がたくさん見られるからこそ、そうでない子どもも目立ちます。この学校が生徒指導上の困難を抱えていることを何人かの知り合いの先生方から指摘されました。その通りです。だからこそ、この学校が授業において教師と子ども、子ども同士のかかわり合いを大切にしていこうとしているのです。まだまだ道半ばですが、先生方がこのことを意識し続けていけば、このことは何年かのちにきっと笑い話になっていることと思います。

子どもたちが積極的に授業に参加してくれるようになってきたので、課題や活動内容の質が問われるようになってきました。この課題で子どもたちにどのような力を身につけさせようとしているのだろうか。この活動で子どもたちに本当に力がつくのだろうか。このことが気になるのです。人間関係づくりと並行して教科の研究をもっと深めていくことが必要になってきていると思います。気の置けない先生からは、授業内容に関して厳しい指摘をたくさんいただきました。学校全体として取り組むことはもちろんなのですが、教科としてどのように授業をつくっていけばいいのかを教科部会でもっと論議していく必要があるでしょう。
そんな中でうれしい場面もいくつかありました。中でも、若手の英語の授業でとてもよい子どもの姿を見ることができました。電話応対のペアでのやりとりをもう1組のペアが身を乗り出して真剣に聞いているのです。どのグループも同じように素晴らしい集中でした。言葉につまったら助けてあげる。どこがよかったのかを評価する。そういう役割をしっかり与えられていることがわかります。付け焼刃ではなく、しっかりと実践していることがわかる場面でした。
このような工夫を教科や学校全体で共有していくことで、次のステップへの道筋がきっと見えてくることでしょう。課題と共に次につながる明るいものが見えてきたように思います。

記念講演は、名城大学教職センター准教授の曽山和彦先生の「学びを支える人間関係づくり」でした。
現代の子どもの特徴として、「ソーシャルスキル」と「自尊感情」がないことを挙げられました。子どもたちの社会性が弱まっていることが、「相手を消す(いじめ)」か「自分が消える(不登校)」につながるという指摘はとても納得できるものです。自尊感情の低下は自分自身のみならず他者の受け入れも困難にしている。このことも、いじめや不登校につながっているというのもその通りだと思います。問題は、どうやって解決するかということです。
曽山先生はそのことについて具体的に示されました。

学級を子どもの居場所にするためには、まずは安心・安全な学級づくり。つまり、学級に規律があること。そして、所属意識を持つことや受容されることにより愛情や自尊感情を持たせることだと主張されます。つまり人間関係づくりです。この人間関係は教師と子ども、子ども同士、よく言われる縦糸と横糸で「関係を紡ぐ」ことです。特に子どもとの関係づくりでは、愛されていることを伝えることが大切になります。伝わる言葉の「番付」として具体的な方法を紹介されました。

東の横綱「いいところ探し」
子どものよいところを探して、貯めておく。「ほめる」「勇気づける」「認める」。そしてちょっとしたことでも「ありがとう」の言葉をかける。Iメッセージの大切さを何度も説明されました。

西の横綱「対決Iメッセージ」
望ましくない行動を相手の行動をいけない(YOUメッセージ)と注意するのではなく、自分が困っている(Iメッセージ)ことを伝えることで相手の行動を変える。
相手の行動を具体的な事実として伝える⇒その結果どのような影響が出ているかを伝える⇒私が困っていることを伝える。このような流れです。例えば、授業中におしゃべりしている子どもがいれば、「あなたがおしゃべりしていると」⇒「話がしにくくて」⇒「困るんだ」と伝えるということです。この方法は、私も意識して使ったことがないのでとても参考になりました。

東の大関「リフレーミング」
同じことでも見方を変えることで違って見えます。短所を長所に置き換えるのです。「優柔不断」を「思慮深い」「慎重」というように置き換えるわけです。日ごろからそういう見方を意識していないとできないことですね。

西の大関「例外探し」
どんなものにも例外があります。上手くやれていること(例外)はきっとあるはずです。日ごろ言葉づかいが悪い子どもでも、よい言葉を使うことがあります。その理由を見つけることで、子どもと接するヒントが見つかるということです。

子ども同士の関係づくりには、「ソーシャルスキル・トレーニング(Social Skill Training)」と「構成的グループ・エンカウンター(Structured Group Encounter)」を紹介されました。
ソーシャルスキル・トレーニング、教えることになじむ「行動の教育」です。説明して、やって見せて、やらせて、評価する。話の仕方や、聞き方を具体的に教えるのです。
一方の構成的グループ・エンカウンターは教えることになじまない「感情の教育」です。互いに相手の気持ちや考えを聞き合うことで、気づきをうながします。
この「教える」「気づく」に境目があることを指摘されます。10歳前後だということです。この10歳前後は、子どもの自意識が育ってくる時だと私は認識していました。「みんないいね」と「みんな」でほめても自分のことだと思ってくれなくなる、ペアよりもグループの方がなじみやすくなる、そういう時期です。根っこは同じなのかもしれませんが、新たな視点をいただけたように思います。曽山先生は、「YOUメッセージ」と「Iメッセージ」の有効性の境目も同じようにこのころだと言われました。たしかに「みんな」も「YOU」につながります。これもおおいに参考になりました。

学びを支えるには人間関係づくりが大切だという曽山先生のお話は、私の日ごろの思いを代弁してくださっているように感じました。私も意を強くして、このことを伝えていきたいと思います。そして、人間関係ができているからこそ教材研究がより大切になることも合わせて伝えたいと思います。

研究発表後すぐに、今後も授業アドバイスをお願いしたいという、ありがたい依頼がありました。研究会が終わっても歩みを緩めない姿勢をとてもうれしく思います。これからこの学校がどのように進化していくかとても楽しみです。

自分たちが活かされていると感じた学校評議員会

先日、中学校の学校評議員会に参加してきました。
例年より早く、1年の中間のこの時期に第1回が開催された意味がよくわかるものでした。

今年度から取り組んでいることの中間報告、全国学力・学習状況調査の結果と学校評価アンケートの話が中心でした。
いつも感心するのが、できるだけ生の情報を私たち伝えようとしていることです。今年度より、研究授業の際に他の学級の子どもたちを下校させずに自習することにしました。子どもたちがちゃんと自習してくれるか心配する声もありますが、子どもたちを信じて実施したのです。担任の先生方には、研究授業に集中して学級の様子は見に行かないようにお願いしたそうです。そこで校長が担任に代わってこっそり子どもたちの様子を撮影したそうです。その映像を見せていただきました。中には寝ている子どももいますが、事実としてそのことも示していただけました。もちろん全体としては、真剣に取り組んでいます。わからないことを相談している子どももいます。そういうよい場面だけでなく、気になる場面も示していただけることで信頼を持つことができます。

今年度創設した朝の読書タイムの姿も、全学級の様子をていねいに映像で見せていただきました。そこにも、気になる子どもの姿がありますが、それ以上によい姿をたくさん見ることができました。この読書タイムは昨年までのアンケート調査で、子どもたちは読書が好きなのに実際には本を読む時間が少ないという、一見矛盾した結果がでたことをもとに考えられたものです。今の子どもたちが忙しいことや、読書以外にもオンラインゲームといった時間を使ってしまうものがまわりに多いことの現れなのでしょう。
最初はなかなか集中できなかった子どもいたようですが、今ではほとんどの子どもが落ち着いて読書をしています。国語力をつけることよりも、子どもたちが落ち着いて授業の開始を迎えることを重視しているようです。とても納得でき、かつ評価できることです。

学力・学習状況調査やアンケートの結果もていねいな報告がされます。アンケートは学校目標の達成度評価ときちんとリンクしています。中には教師にとってショックな結果もありました。しかし、この時期に実施したからこそ、何らかの対策を取ることができます。年度末に再度調査することで、その対策が有効であったかどうかの評価もできます。たとえ良い結果が出なくてもそこから得られる知見は、次年度以降に必ず役立つはずです。先生方の頑張りが積み上がっていく仕組みになっていると思いました。
アンケートの結果に関連して、保護者の方から他の保護者から聞いた学校へのマイナス評価の話が伝えられました。こういう場で現役の保護者がマイナスのことを伝えるのはなかなか勇気のいることです。それを伝えられるということは、学校を信頼していることの証だと思います。ネガティブも隠さず見せる学校の姿勢があってのことでしょう。

どう考えればいいか、どう解決していいのかすぐに答がでない問題がいくつもあります。それを参加されたみなさんで共有して考える場を持てたことにとても意味があると思います。どなたも真剣に考えていただいていたと思います。自分たちの問題として認識できているので、この後の経過と結果がどうなるかとても気になります。どうすればよいのか真剣に考える気持ちになるのです。

ともすれば形式的になりがちなこの種の会で、情報をきちんと公開しPDCAの仕組みを取り入れることで、参加者全員にとって意味のある会になったと思います。学校評議員会を学校にとってより有効なものにしようとする姿勢を強く感じました。聞く耳を持っている学校です。このことがいかに信頼を得ることにつながるのか、とても実感できました。
先生方のこの後の取り組みがどのようなものでどのような結果につながるのか。今まで以上に次回が楽しみです。
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