小学校で視聴覚の研究大会
昨日は、ICT機器を活用した授業をテーマにした視聴覚の研究大会に参加しました。会場となった小学校へは1学期の末以来の訪問です。
1時間の授業公開が全学級でありました。ICT活用は日常的な使い方が意識されていました。肩に力の入らない使い方に思えます。とはいえ、どのような場面で利用するとよいのか、みなさんずいぶん悩んだのではないでしょうか。何をスクリーンに映すのか、板書との住み分けをどうするかを考えた跡が見られます。ここに至るまで、模擬授業等を通じて互いに学び合ってきたのだと思います。 しかし、ICTの活用に焦点を合わせていたので、授業そのものについては、まだまだ厳しい面もたくさんありました。課題であった授業規律の徹底については、まだまだと言わざるを得ません。一朝一夕でできることではないことも承知しています。今後、学校として授業規律を意識し続けられるかが勝負だと思います。それができれば、次年度は大きな成果が出るはずです。 また、ICTの活用方法は決して間違ってはいないのですが、1時間の授業をどうつくるのかという根本の教材研究は、もっともっと追究する必要があります。ICT活用の場面は点でしかありません。資料をわかりやすく見せる、みんなの意見をデジタル教科書に書き込む。こういったことが、授業を通じてどのような力をつけたいのか、教科としてどのような目標を達成するのかという視点で見たときに、どう活かされているのかがはっきりとしていないのです。ICTの活用としては○でも、1時間の授業としてみたときに?なのです。 この日の講師は玉川大学教職大学院教授の堀田龍也先生です。通常、こういう発表会の講演だけは引き受けられない方です。その気持ちはとてもよくわかります。一度も指導していない学校の発表会で、その研究内容に焦点の合った講演は簡単なことではないからです。堀田先生は午後からの本番に先立ち、3時間目から校内の授業の様子を参観されたそうです。公開授業ではなく、通常の授業を見ることでより的確に学校の状態をつかむことができるからでしょう。公開授業開始前に少しお話をする機会がありましたが、この学校の状況を見事に把握されていました。その上でどのような講演をなさるのか、とても楽しみです。 講演は「子どもに力をつけるICT活用にするために」という演題です。 最初に演題の説明をされました。そこに堀田先生のICT活用に対する考え方が凝縮されています。「活用」ということは、「利用」とは違います。活かすこと、つまり力をつけることにつながらなければ意味がないのです。そして、活用「する」という動詞の主語はもちろん教師です。ICTが勝手に子どもたちに力をつけてくれるわけではありません。あくまでも、教師が主体となって子どもに力をつけるのです。同じようにICTを使っても、教師の授業力でその結果は大きく違うということです。 堀田先生の見事なところは、伝えたい内容をできるだけその学校の事例をもとに組み立てるということです。多くの学校にかかわっておられる方です。話の内容にふさわしい具体例はたくさんお持ちです。それをその場で入れ替えて講演をつくられるのです。 ICTは注目させる、強調するための道具でスクリーンに映されるものは変化していく。一方、黒板は発言など消えていくものを残すための道具で、固定化し蓄積していく。このことを意識して使い分ける必要がある。その事例としてこの学校の授業場面を切り取って説明されました。 よい事例として講演の中に組み込まれることで、その学校の先生方は自分たちが評価されたと感じます。この日を迎えるまでにどの先生もご苦労があったはずです。たとえいたらないところがあると自覚していても、そのことをストレートに指摘されて、素直に受け止められる方はそれほど多くはありません。「いいとこ見つけ」の精神で学校を元気づけようとしているのです。とはいえ、理屈はわかっていてもなかなかできることではありません。もはや芸の域に達していると言えるでしょう。 厳しい指摘もされます。授業規律が確立していなければICTを活用しても効果はないと、その大切さを述べた後、さりげなく「この学校でも、他の学校でも」と笑顔で付け加えられます。ソフトな語り口ですが、聞きようによってはとてもシビアです。堀田先生はわかる人だけわかればいいとおっしゃいます。それは、話の中からそのことをかぎ分けられない方には、ストレートに言っても伝わらないと考えられているからでしょう。 最後のまとめも視聴覚の視点であることを強調されます。授業をトータルで見れば話すべきこと、指摘することは他にもあります。そのことを暗に伝えていると感じました。それは何だろうかと各自で考えてくださいというメッセージに聞こえました。 発表会だけの特別なものでは、どれほど素晴らしい実践でも続きません。継続可能であることが大切です。一人のICTにたけ方が頑張っていても学校としてはどうでしょう。誰にでもできることが大切です。この継続と普及という2つの軸で考えれば、効果のある活用であることよりも簡便な活用であることの方が大切だというのが堀田先生の変わらない主張です。効果のある素晴らしい実践を否定しているわけではないと思います。この2つの要素を満たしたその先のことだと考えられているのでしょう。 いつものことながら、時間通りにしっかりと伝えたいことをまとめて降壇されました。堀田先生のお話をめあてに参加される方がいらっしゃることがよくわかります。私にとっても新しい気づきのあった講演でした。 この日を迎えるまでに、先生方には色々とご苦労があったことと思います。今は研究発表という枷が外れた開放感を味わわれていることでしょう。ちょっと一息入れたその後で、何に取り組むかが勝負だと思います。ICT活用だけでなく、授業規律といった凡事徹底も大切です。ICTを真に活用するためには教材研究も重要です。この学校にとって何が今必要なことなのかを全体でしっかりと共有して新たな一歩を踏み出してほしいと思います。 ベテランに伝えてほしいこと
以前、ベテランが変わるきっかけについて述べました(ベテランが変わるきっかけを考える参照)。そういうきっかけとは関係なく、常に自身の授業を見直し前に進み続けている方もいらっしゃいます。私が訪問している学校でも、今年で定年を迎えるにも関わらず、日々授業に工夫をされている方が何人もいます。お会いするたびに、工夫をすることで子どもたちがこんな風に変わったと報告してくださったりもします。こういうベテランから若手が学ぶ機会をどのようにつくるかということは、学校にとってとても重要な課題です。授業を見てその技術を自分のものにすることも大切なことですが、一番学んでほしいのがその授業に対する姿勢です。子どもたちを育てることを第一に考えた時、足りないことは何で、それをどのようにしてできるようにするのか。謙虚に自分を振り返り、より進歩しようと工夫をする姿勢です。この姿勢を持ち続ければ、教師として確実に成長し続けることができるのです。
先日次のようなことがありました。 低学年の学級です。先生が気なる子どもにかかわりすぎて、それ以外の子どもがその間集中力を失くしていました。先生をその子に取られたと感じているようです。子どもとの関係が上手くいってないことをそのベテランの先生にお話ししましたが、そのことをなかなか納得はしていただけませんでした。先生が子どもたちに向き合っている時に見せる姿は、決して悪くはないからです。私からは、「こんなやり方もありますよ」と、参考になりそうなことを伝えましたが、釈然とされないようすでした。上手く伝えることができなかったと反省していました。 それからしばらくして、その学校の教頭からメールが来ました。その日、そのベテランの先生は、職員室で不満を口にされていたそうです。しかし、何日かして、私の言ったとおりやってみたら、ほんとにうまく行くようになったと教頭に伝えたそうです。これからも、もう少し他の子どもたちを大切にするとのことでした。 私のアドバイスがよかったという話ではありません。納得していなくても、子どもがよくなる可能性があるのなら、素直に受け入れて実行したその姿勢が素晴らしいのです。実力のある方です。関係がうまくいっていないと言っても、平均点以上の状態です。それでも、子どもたちのために変わってみようと思われたことに、私は感激しました。 校長となって授業をする機会がなくなっても、授業にこだわり自身の授業力の向上を常に目指している方がいます。一方、5年にも満たない経験で、自分はそこそこできるようになったと、努力や工夫をせずに漫然と授業に向かう方もいます。逆に、自信を失くして、努力することをあきらめてしまう方もいます。この姿勢の違いが教師としての成長を大きく左右します。いくつになっても、授業に対して正面から向き合うことを忘れないでほしいのです。 教師としてのどのような姿勢でありたいかを共有することが大切だと思います。そのために、ベテランには単に授業を見せ、授業について語るだけではなく、教師としての自分の歩いてきた道をぜひ後進に伝えてほしいのです。その歩みの中から、前向きな姿勢を持ち続けることができた理由をきっと見つけてくれるはずです。 日ごろの交流の中でそのような機会があるのが一番ですが、可能ならば時間を取って全体の場で話していただけるとよいと思います。教務主任や中堅の先生が対談形式で聞きだすというのも面白いと思います。 ベテランから学ぶ、ベテランが伝えるべきことは、技術や経験以上に、教師としての姿勢なのです。 次への一歩が見えてきた研究発表会
先週、授業アドバイスをさせていただいている中学校の研究発表会に参加しました。
発表会前に3年生による合唱を2曲聞かせていただきました。子どもたちの歌声も素晴らしかったのですが、何より子どもたちの一生懸命な姿が印象に残りました。来客に対して自分たちの歌声でもてなしたい。そのような気持ちが伝わってくるように感じました。3年生は先生や友だちとの人間関係が特によいと感じていましたが、日ごろ見せてくれるよい姿が本物だと感じさせるものでした。 研究内容の発表は成果を強調するというよりも、子どもたちにどうなってほしいと願っていたのかという自分たちの研究への思いと今後何を大切にしたいと考えているかという次への展望を中心としたものでした。研究の成果をアピールしてそれで研究は終わり。数年経つと何も残っていないという学校も珍しくありません。研究の先をしっかり見つめ、歩み続けようという姿勢をとてもうれしく思いました。 目指す姿の中に「ありがとう」という言葉がキーワードとして出てきました。教師と子ども、子ども同士の人間関係を大切に考えていることが伝わってきます。このことが基本となって、はじめて子どもたちの学力が形成されていくものだと思います。 1時間の公開授業がありました。多くの学級の授業が公開されていましたので、駆け足での参観となりましたが、どの学年でも、どの学級でも、子どもたちの柔らかい表情、笑顔を見ることができました。多くのお客様がいらっしゃる場です。子どもたちにかたい表情、まじめな顔をさせることはプレッシャーをかければ簡単にできます。しかし、柔らかい表情や笑顔は日ごろの人間関係がなければこのような場では見ることができません。少し心配していた2年生もよい表情をたくさん見ることができ、うれしく思いました。1月前に訪問した後も、子どもたちとの人間関係の構築にエネルギーをかけ続けたのだと思います。 とはいえ、すべての子どもがしっかりと授業に参加できていたわけではありません。よい姿がたくさん見られるからこそ、そうでない子どもも目立ちます。この学校が生徒指導上の困難を抱えていることを何人かの知り合いの先生方から指摘されました。その通りです。だからこそ、この学校が授業において教師と子ども、子ども同士のかかわり合いを大切にしていこうとしているのです。まだまだ道半ばですが、先生方がこのことを意識し続けていけば、このことは何年かのちにきっと笑い話になっていることと思います。 子どもたちが積極的に授業に参加してくれるようになってきたので、課題や活動内容の質が問われるようになってきました。この課題で子どもたちにどのような力を身につけさせようとしているのだろうか。この活動で子どもたちに本当に力がつくのだろうか。このことが気になるのです。人間関係づくりと並行して教科の研究をもっと深めていくことが必要になってきていると思います。気の置けない先生からは、授業内容に関して厳しい指摘をたくさんいただきました。学校全体として取り組むことはもちろんなのですが、教科としてどのように授業をつくっていけばいいのかを教科部会でもっと論議していく必要があるでしょう。 そんな中でうれしい場面もいくつかありました。中でも、若手の英語の授業でとてもよい子どもの姿を見ることができました。電話応対のペアでのやりとりをもう1組のペアが身を乗り出して真剣に聞いているのです。どのグループも同じように素晴らしい集中でした。言葉につまったら助けてあげる。どこがよかったのかを評価する。そういう役割をしっかり与えられていることがわかります。付け焼刃ではなく、しっかりと実践していることがわかる場面でした。 このような工夫を教科や学校全体で共有していくことで、次のステップへの道筋がきっと見えてくることでしょう。課題と共に次につながる明るいものが見えてきたように思います。 記念講演は、名城大学教職センター准教授の曽山和彦先生の「学びを支える人間関係づくり」でした。 現代の子どもの特徴として、「ソーシャルスキル」と「自尊感情」がないことを挙げられました。子どもたちの社会性が弱まっていることが、「相手を消す(いじめ)」か「自分が消える(不登校)」につながるという指摘はとても納得できるものです。自尊感情の低下は自分自身のみならず他者の受け入れも困難にしている。このことも、いじめや不登校につながっているというのもその通りだと思います。問題は、どうやって解決するかということです。 曽山先生はそのことについて具体的に示されました。 学級を子どもの居場所にするためには、まずは安心・安全な学級づくり。つまり、学級に規律があること。そして、所属意識を持つことや受容されることにより愛情や自尊感情を持たせることだと主張されます。つまり人間関係づくりです。この人間関係は教師と子ども、子ども同士、よく言われる縦糸と横糸で「関係を紡ぐ」ことです。特に子どもとの関係づくりでは、愛されていることを伝えることが大切になります。伝わる言葉の「番付」として具体的な方法を紹介されました。 東の横綱「いいところ探し」 子どものよいところを探して、貯めておく。「ほめる」「勇気づける」「認める」。そしてちょっとしたことでも「ありがとう」の言葉をかける。Iメッセージの大切さを何度も説明されました。 西の横綱「対決Iメッセージ」 望ましくない行動を相手の行動をいけない(YOUメッセージ)と注意するのではなく、自分が困っている(Iメッセージ)ことを伝えることで相手の行動を変える。 相手の行動を具体的な事実として伝える⇒その結果どのような影響が出ているかを伝える⇒私が困っていることを伝える。このような流れです。例えば、授業中におしゃべりしている子どもがいれば、「あなたがおしゃべりしていると」⇒「話がしにくくて」⇒「困るんだ」と伝えるということです。この方法は、私も意識して使ったことがないのでとても参考になりました。 東の大関「リフレーミング」 同じことでも見方を変えることで違って見えます。短所を長所に置き換えるのです。「優柔不断」を「思慮深い」「慎重」というように置き換えるわけです。日ごろからそういう見方を意識していないとできないことですね。 西の大関「例外探し」 どんなものにも例外があります。上手くやれていること(例外)はきっとあるはずです。日ごろ言葉づかいが悪い子どもでも、よい言葉を使うことがあります。その理由を見つけることで、子どもと接するヒントが見つかるということです。 子ども同士の関係づくりには、「ソーシャルスキル・トレーニング(Social Skill Training)」と「構成的グループ・エンカウンター(Structured Group Encounter)」を紹介されました。 ソーシャルスキル・トレーニング、教えることになじむ「行動の教育」です。説明して、やって見せて、やらせて、評価する。話の仕方や、聞き方を具体的に教えるのです。 一方の構成的グループ・エンカウンターは教えることになじまない「感情の教育」です。互いに相手の気持ちや考えを聞き合うことで、気づきをうながします。 この「教える」「気づく」に境目があることを指摘されます。10歳前後だということです。この10歳前後は、子どもの自意識が育ってくる時だと私は認識していました。「みんないいね」と「みんな」でほめても自分のことだと思ってくれなくなる、ペアよりもグループの方がなじみやすくなる、そういう時期です。根っこは同じなのかもしれませんが、新たな視点をいただけたように思います。曽山先生は、「YOUメッセージ」と「Iメッセージ」の有効性の境目も同じようにこのころだと言われました。たしかに「みんな」も「YOU」につながります。これもおおいに参考になりました。 学びを支えるには人間関係づくりが大切だという曽山先生のお話は、私の日ごろの思いを代弁してくださっているように感じました。私も意を強くして、このことを伝えていきたいと思います。そして、人間関係ができているからこそ教材研究がより大切になることも合わせて伝えたいと思います。 研究発表後すぐに、今後も授業アドバイスをお願いしたいという、ありがたい依頼がありました。研究会が終わっても歩みを緩めない姿勢をとてもうれしく思います。これからこの学校がどのように進化していくかとても楽しみです。 自分たちが活かされていると感じた学校評議員会
先日、中学校の学校評議員会に参加してきました。
例年より早く、1年の中間のこの時期に第1回が開催された意味がよくわかるものでした。 今年度から取り組んでいることの中間報告、全国学力・学習状況調査の結果と学校評価アンケートの話が中心でした。 いつも感心するのが、できるだけ生の情報を私たち伝えようとしていることです。今年度より、研究授業の際に他の学級の子どもたちを下校させずに自習することにしました。子どもたちがちゃんと自習してくれるか心配する声もありますが、子どもたちを信じて実施したのです。担任の先生方には、研究授業に集中して学級の様子は見に行かないようにお願いしたそうです。そこで校長が担任に代わってこっそり子どもたちの様子を撮影したそうです。その映像を見せていただきました。中には寝ている子どももいますが、事実としてそのことも示していただけました。もちろん全体としては、真剣に取り組んでいます。わからないことを相談している子どももいます。そういうよい場面だけでなく、気になる場面も示していただけることで信頼を持つことができます。 今年度創設した朝の読書タイムの姿も、全学級の様子をていねいに映像で見せていただきました。そこにも、気になる子どもの姿がありますが、それ以上によい姿をたくさん見ることができました。この読書タイムは昨年までのアンケート調査で、子どもたちは読書が好きなのに実際には本を読む時間が少ないという、一見矛盾した結果がでたことをもとに考えられたものです。今の子どもたちが忙しいことや、読書以外にもオンラインゲームといった時間を使ってしまうものがまわりに多いことの現れなのでしょう。 最初はなかなか集中できなかった子どもいたようですが、今ではほとんどの子どもが落ち着いて読書をしています。国語力をつけることよりも、子どもたちが落ち着いて授業の開始を迎えることを重視しているようです。とても納得でき、かつ評価できることです。 学力・学習状況調査やアンケートの結果もていねいな報告がされます。アンケートは学校目標の達成度評価ときちんとリンクしています。中には教師にとってショックな結果もありました。しかし、この時期に実施したからこそ、何らかの対策を取ることができます。年度末に再度調査することで、その対策が有効であったかどうかの評価もできます。たとえ良い結果が出なくてもそこから得られる知見は、次年度以降に必ず役立つはずです。先生方の頑張りが積み上がっていく仕組みになっていると思いました。 アンケートの結果に関連して、保護者の方から他の保護者から聞いた学校へのマイナス評価の話が伝えられました。こういう場で現役の保護者がマイナスのことを伝えるのはなかなか勇気のいることです。それを伝えられるということは、学校を信頼していることの証だと思います。ネガティブも隠さず見せる学校の姿勢があってのことでしょう。 どう考えればいいか、どう解決していいのかすぐに答がでない問題がいくつもあります。それを参加されたみなさんで共有して考える場を持てたことにとても意味があると思います。どなたも真剣に考えていただいていたと思います。自分たちの問題として認識できているので、この後の経過と結果がどうなるかとても気になります。どうすればよいのか真剣に考える気持ちになるのです。 ともすれば形式的になりがちなこの種の会で、情報をきちんと公開しPDCAの仕組みを取り入れることで、参加者全員にとって意味のある会になったと思います。学校評議員会を学校にとってより有効なものにしようとする姿勢を強く感じました。聞く耳を持っている学校です。このことがいかに信頼を得ることにつながるのか、とても実感できました。 先生方のこの後の取り組みがどのようなものでどのような結果につながるのか。今まで以上に次回が楽しみです。 |
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