授業力向上への道のりを考える

この夏休みの間に、研修や研究会で20回ほど模擬授業を見せていただきました。少経験者から達人級までいろいろでした。学校の通常の授業研究ではこれほどを幅広い層の授業に出会うことはありません。達人級は管理職となってしまい、子ども相手の授業をする機会がないことが多いからです。模擬授業とはいえ、達人級と少経験者の授業を比べる機会を得て授業力向上への道のりについて考えました。

少経験者と達人級の授業とではその質に大きな差があるのは当然です。しかし、少経験者でもこれはと思う授業には、達人級の授業と共通点があることに気づきます。何かというと、目指す授業の姿、子どもの姿がはっきりしていることです。実際にその姿が実現されているかどうかの精度には差がありますが、例外なく授業から目指すものが伝わるのです。

たとえば、子どもの言葉を活かしたいという先生は、当然子どもに発言させようとします。うまく引き出せなくても、引き出そうと努力します。子どもから出た言葉を何とか他の子どもにつなごうとします。達人級との差は、「対応力」「受け」の技術の差です。
子どもに興味・関心を持たせたいという先生は、課題や発問に工夫をします。その課題や発問が授業のねらいにうまくつながっていないこともよくありますが、子どもを惹きつけようとする姿勢が見られます。達人級との差は子どもが興味・関心を持つために必要な条件を知っているか、その具体例をどれだけ持っているかという「知識」「経験」の差です。

この差が大きいと言ってしまえばそれまでですが、達人級も初めは目指す姿を実現したいという思いからスタートしたはずです。そのことにあらためて気づけたのです。経験があればだれでも達人級になれるわけではありません。目指す姿があって、それに向かって経験を積むから進歩していくのです。目指す子どもの姿があるから、その姿が見られるかどうか真剣に子どもたちを見ます。毎日の授業が学びにつながるのです。子どもたちの姿から足りないことに気づくから、学ぼうとするのです。
目指す姿が明確でないまま経験を積んでも、自分の授業を評価する基準がないため何がよいのかどこを直せばいいのか気づくことができません。ただ経験しただけで、その経験が積み上がっていかないのです。
目指す姿が明確だからこそ、それを実現するための、課題や発問をつくる力といった「授業の構成力」や子どもへの対応力、受けや切り返しといった「授業技術」が身につくのです。

少経験者に対して、どんな授業を目指すかという問いをよく発します。これに対して、だらだらと抽象的な言葉が続き明確に答えられない方がいます。自分の目指す授業が明確になっていないことがわかります。一方、「子どもが自分で考える授業」といった短い言葉で答えてくれる方もいます。とても明確です。明確になっていれば、「それは具体的に子どものどんな姿でわかるのか」「この授業では具体的にはどの場面で、どうなっていればいいのか」と問いかければいいのです。このことを毎時間繰り返して自分に問いかければ、間違いなく授業力は向上するはずです。
また、「○○先生のような授業」という答もあります。先日お会いした若い先生は、セミナーで出会った講師の先生の模擬授業を見て、こんな授業がしたいと憧れて、以来その先生の著書を読み、講演を聞く機会があれば参加しているそうです。「憧れる」ことは、目指す姿が明確になることでもあります。自分の中に「基準となる教師像」があるということはとても素晴らしいことです。若い方には、名人や達人と呼ばれる方の(模擬)授業を見る機会をたくさん持ってほしいと思います。「憧れる」ことが授業力向上への近道だからです。

若い先生でも、ぜひ多くの先生方にも見てもらいたいという授業をされる方もあります。出会った時から、そのような授業をしていたわけではありません。会うたびに少しずつ成長していて、気づけばそのような素晴らしい授業になっていたのです。目指す姿が明確だからこそです。毎日ほんのわずかでも成長していれば、1年間で驚くほどの成長も可能なのが、教師の世界です。
毎年多くの先生方と出会います。どの先生も名人や達人と呼ばれるようになる可能性を秘めています。そこにたどり着くかどうかは、そこを目指すかどうかです。名人や達人を目指すというと大げさかもしれませんが、目指す授業や子どもの姿を明確にしてほしいのです。そのことが授業力向上への第一歩だからです。

11年続いた研修会で考える

先週末は授業力アップの研修会に、オブザーバーとして参加させていただきました。市の有志の先生方が主催するものです。10年続いた研修会をリニューアルして、「わかる・できる」授業づくり学習会として再出発しました。以前の授業技術を中心としたものから、より授業の根本から学び合っていくものへ進化させようという思いが伝わります。また、一回の研修で終わりではなく、秋にもフォローの研修会が用意されています。学んだことを実践すれば必ず疑問点が出てきます。それを解消するとともに継続的に学んでいくことを大切にしようということだと思います。今回の参加者は3年目から5年目が中心です。日々の授業での課題が見えてくる時期です。その課題を解決するきっかけになることも願っての、「わかる・できる」授業づくりだと理解しました。

プログラムの最初は講演です。授業中への子どもへの対応(キャッチ・アンド・レスポンス)についてのお話が中心でした。参加者の聞く姿勢が気になります。聞いてはいるのですが、どうも受け身です。体が前のめりになっている方が少ないのです。昨年の研修会でも感じたのですが、知ろうとする姿勢は感じるのですが、考えようという空気が薄いのです。参加者はその情報を理解し消化しようというよりは、講義をノートに写しておく学生のような態度です。そのことに気づいた講師は、この日使ったスライドはホームページにアップすることを伝えました。それでも、講師の先生が考えることを投げかけている場面でも、スライドをメモしている姿が見られました。投げかけられた課題が、切実なものとして感じられていないのかもしれません。考えること、外化することをうながすために、ペアやグループワークを講演の中に組み込まれます。活動をすることで明らかに表情に変化が見られますが、全体での共有場面ではやはり重たくなるのです。自分の考えを言えばいいのですが、どうも正解を言わなければと思っているように感じられます。彼らの授業が、日ごろ子どもに正解を求めているものである裏返しのように感じます。
子どもの言葉をどのように受け止め、どのように切り返すか。このことが「わかる・できる」授業づくりにどうつながるかを理解できていないことが、会場の雰囲気を重たくしている原因であるように感じました。
また、わからない子どもや間違えた子どもへの対応を考える場面でとても気になることがありました。どうやって子どもに正解させるか、考えを修正するかに意識が集中して、その子どもをポジティブに評価するような働きかけが出てこないのです。わからない、できない子どもに対して寄り添う視点が感じられないのです。講師の先生は「愛ある授業」ということを提唱されている方ですが、その部分が参加者と共有されていないようです。講演終了後、講師の先生とそのようなことをお話ししました。

続いては、授業技術についての2つの講座です。昨年までは、かなりの時間を割いていたものですが、今回は非常にコンパクトにまとめられていました。まずは、入り口を経験してもらい、実際に使ってみることで、そのよさと難しさを知ってもらうことにねらいを絞っているのでしょう。よさを知れば、もっとうまくなりたいと思いますし、難しさを知れば課題意識を持ちます。そこでフォロー研修を行うことで、よりよく学べるようにしようということでしょう。
そうなると、短い時間で何を伝えるかです。時間がないので、どうしてもすぐにできるようになるための How to に時間を割いてしまいます。しかし、だからこそ、この授業技術が「わかる・できる」授業にどうつながるかを実感してもらう必要があります。こういう講座は授業と同じです。このことを学習することにどんな意味があるかがわからなければ(必然性)、意欲は高まりません。指示に従って活動するだけでは学びは多くはないのです。
1つ目の講座は、この授業技術についてある程度知っていることが前提で組み立てられていました。たった一人ですが、この授業技術を聞いたことがない方も参加されていました。この方を起立させました。また、この授業技術を知っているが使ったことがない方も続いて起立させました。かなりの数になります。このことを確認した後、着席させました。ここで、この授業技術のポイントについて、復習という意味でワークシートの空欄を埋めさせる作業をさせました。参加者からすればアンフェアな進め方です。知識は知らなければ答えることはできません。知らない人にとっては気持ちがネガティブになる進め方です。もし参加者から出力させたいのなら、余計なことは聞かずにいきなり作業に入ればいいのです。ただし、「わからなければまわりの人に聞いてください」とするのです。まわりとかかわりながら、全員が正解となることを目指すのです。知らない人が、ただ答を聞くだけでなくその意味もたずねれば、より意味のある活動になります。ポジティブになることを意識した組み立てが大切です。
2つの講座に共通して感じたことは、2つの授業技術のよさを伝えることも技術を伝えることも中途半端に終わったことです。フォロー研修があるのであれば、よりこの授業技術のよさを伝えることを重視し、技術に関しては一番基本的なことだけに絞って、残りは自ら学んでもらうことを意識した方がよいように思いました。
とはいえ、参加者はグループでの活動もあったので、雰囲気が柔らかくなり表情もよくなってきました。午後からの研修が楽しみです。

午後は3つの講座から2つを選択するものです。「全員参加させるためのアイデア」という講座が目新しいものとして私の気を引きました。授業に全員参加させ、全員を評価するアイデアの紹介です。評価について参加者に問いかけます。評価と評定が混乱しているような回答が多いようです。評価は子どもたちの現状を正しく理解し次の指導を考えるためのものです。その視点をまず押さえたことはとてもよいと思いました。
参加者を子ども役として具体的な場面で評価方法を紹介していきます。とてもわかりやすいと思いました。
今回の例は「知識が身についているのか」の確認や「全員を参加させる」ための活動が中心でした。だれでも使いやすい、わかりやすいものに絞っています。すぐにやってみようと思えることは大切です。ここで気をつけてほしいことが、評価してできていないことがわかっても、その時にどういう指導をするのかが明確になっていないと困ってしまうということです。常に評価と指導は一緒に考えておく必要があることをもう少し伝えておきたいところでした。
参加者に、全員を評価する方法を具体的に考えてもらう場面がありました。その様子を見ていたのですが、なかなか意見が出てきません。フラッシュカードを使って、列指名するという意見があるグループで話されました。そこで、「その列以外の子どもはどうでしょうか」と投げかけてみました。すぐに答えが出てきません。日ごろ全員を参加させることをあまり意識していないことがわかります。もちろん、いい意見を出してくださる方もいますが、残念ながら少数でした。
この講座でも、具体例の紹介だけでなく、当たり前のことですが、「全員を評価する」「全員を参加させる」ことの意味を再確認する必要があったように思います。日ごろ意識されていないということは、まず強く意識させる動機づけが必要なのです。
他の講座でも、同様の傾向を感じました。この1日の研修が「わかる・できる」授業にどうつながるかを最初に明確にする必要があったように思います。

私が日ごろから実践を通じて学ばせていただいている中学校の先生も、オブザーバーとして参加していました。講座の実習場面を通じて、フラッシュカードの使い方に関してとてもよいことを学ばせていただきました。単に定着だけでなく、そこから考えることにつなげる方法です。デジタルではない紙のよさを改めて確認することをできました。ありがとうございました。

最後に午前に引き続いて、同じ講師の先生の講演がありました。さすがだと感じたのは、午前の参加者の様子から、講演内容を修正されたことです。教師のありよう、教師は何を目指すのかといった根本的な部分について、自身のライフヒストリーを通じて熱く語られました。午前中とはトーンもテンションも違います。実習を通じて雰囲気が変わってきたこともあってか、聞く姿勢が違います。体が前に傾いている方が一気に増えました。この先生からはめったに聞くことがない厳しい口調での言葉もありました。これは、参加者の様子からこのような言い方をした方が伝わるのだろうという判断があってのことでしょう。みなさんがその言葉をしっかり受け止めていることがよくわかります。子どもに学ぶことを求める教師だからこそ、自身も学ばなければならない。積極的に学ぶ姿勢があって初めて子どもの前に教師として立てることを強く訴えられました。めったに見られない姿だからこそ、その思いの強さを感じることができました。参加者にもきっと伝わったことを思います。

今回は10年続いた研修会の11年目として、新しい一歩を踏み出したものでした。授業技術中心から、もっと広く授業の根本的なあり方まで考えるものへと進化しようとしていることがよくわかります。今回は多くの生みの苦しみを味わったことと思います。だからこそ、次のステージへとステップアップできるのです。中心メンバーも10年経てばそれだけ歳を取ります。若いスタッフがどんどん増えて、この研修会がさらに10年、20年と続いてほしいと思います。私自身、毎回多くのことを学ぶ機会を得ています。スッタフや参加者の皆さんに感謝です。
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