夏休みをいただきます
明日から、今週いっぱい夏休みをいただきます。
日記もお休みさせていただき、19日(月)より再開します。 夏休み前半の研修を振り返って
夏休みの前半が終わり、研修の仕事も一段落がつきました。夏休みということもあり、模擬授業を組み合わせた研修を多く持つことができました。実際の授業と違って途中で止めることもできます。今見た具体的な場面を元にすぐ話ができるので、一方的に話すのとは違って参加者にはわかりやすいものとなります。また、子ども役をやっていただいた方は子どもの気持ちを想像しようとすることで、普段はなかなか意識できない子どもの視点で授業を考えることができます。このことも大きなメリットです。多くの場合、講演に替えて模擬授業を元にお話しする形を取っています。そのため、私が伝えたいことを話すための材料として模擬授業をとらえることになります。授業者には申し訳ないのですが、この場面を元に伝えたいと思えば、そこで授業を止めてしまって解説をすることになります。切れ切れになりますので、授業者にとってはとてもやりにくいものになります。この点をうまく解決する方法を思案しています。
今回、ある学校では私の解説中心ではなく、通常の授業研究に近い形で模擬授業をおこないました。途中で私の解説を入れずに、1時間の授業を通したあと、検討をおこなったのです。今までの授業検討のやり方を変える試みとして、模擬授業を元に子ども役と参観者を組み合わせた小グループで検討をおこないました。子ども役が加わることで、第三者の視点だけでなく、子どもの視点での意見も出るので、とても学びが深くなるように思いました。この学校にはすでに何回もおじゃましてお話をさせていただいているので、あえて私が場面ごとに解説しなくても先生方の気づきを元に話し合うことでしっかりと学び合えました。 また、夏休みの後半には、模擬授業を通じて授業案の検討をおこなう研修があります。この検討を元に、秋に授業研究をおこなうのです。授業研究では、ともすると授業者一人に負担がかかり苦しい思いをすることがあります。模擬授業を通じてみんなで考えることで、授業者の負担を減らし、参観者の授業への参加意識を高めることができます。また、子ども役をやることで、本番の授業での子どもの様子をより意識して観察するようにもなります。一つの授業からより深く学ぶことができます。 講演では、先生方の受け身の時間を減らすことを心がけました。参加者が活動する場面を意識的に組み込むようにしました。単に問いかけただけでは、意見を言っていただけません。しかし、グループやまわりと相談する時間を少し入れるだけで、様子は大きく変わります。先生方の活動量が一気に増えるのです。子どもと同じです。相談した結果を聞くときに、「答がわかった方」とあえて正解を求めたり、「自信のある人」とプレッシャーをかけたりして、子どもの気持ちも体験してもらいました。こうすると先生でもなかなか挙手はできません。このような問いかけがいかに答えにくいかわかっていただけたと思います。それに対して、挙手に頼らず「よく話し合っていましたね。どんなことを話しましたか。聞かせてください」と聞けば、しっかりと話してくださいます。「同じようなことを考えた方」「今の意見になるほどと思った方」「納得した方」とつなぎ方も実際にやって見せるようにしてみました。つなぎ方については特に説明をしないことも多かったのですが、気づいていただけたでしょうか。講演を授業とまったく同じようにはできませんが、いろいろな授業技術を取り入れることを意識してみました。 毎年、たくさんの場所でお話をする機会をいただきますが、参加された方にとって意味のあるものになっているかどうかがとても気になります。講演を聞いて授業がよくなった、学校が変わったという報告を聞くことがあまりないからです。講演よりも実際に授業を元に先生方と一緒に考えることや、具体的なアドバイスをすることの方が効果的と思うのですが、夏休みは授業そのものをする機会がありません。どのような形で研修をおこなえばより効果的なのか、毎回毎回試行錯誤の連続です。参加者の反応を頼りに少しでもよいものにしようと考えていますが、力不足を感じさせられる毎日です。夏休みの後半にも研修の講師をいくつか務めます。私自身の勉強の機会とらえ、よりよいものにしていきたいと思います。 模擬授業で現職教育
先週末は中学校の現職教育に参加しました。2名の若手の社会と英語の模擬授業をもとに私が解説するというものです。夏休み前に授業の様子を見せていただき、校長、教務主任と打ち合わせをしました。その結果、一方的な講演ではなく授業場面に即して先生方に考えていただいた方がよいだろうということになり、今回の模擬授業となりました。
「聞く」をテーマにとして、「子どもが教師の話を聞くこと」「教師が子どもの話を聞くこと」「子どもが子どもの話を聞くこと」について考えてもらうことをねらいとしました。授業者には申し訳ないのですが、授業の流れは無視して場面ごとに授業を止めて私が解説しながら皆さんに考えてもらう形式をとりました。 社会科の模擬授業は、最初の指示や説明の場面から授業を止めました。よく目にする、特に問題がないように思われる場面です。しかし、そこに大切なことが隠れているのです。 課題をノートに写させるのですが、授業者が板書している時に、できない子ども役がごそごそしていてなかなか写しはじめませんでした。また、写し終わったら顔を上げるように指示しましたが、まだ写し終っていない子どもがいるのに説明を始めました。 すぐに取り掛からない子どもに気づいていたかどうかを授業者にたずねました。全く気づかなったと素直に答えてくれました。授業者は書くことに集中して書き終るまで振り返らなかったのです。このこと自体がよい悪いではなく、黒板に向いて板書をしている時には子どもは見えないということを意識してほしいのです。意識すれば、時々振り返ったり、子どもを見やすい姿勢で板書するようになったりします。 わずか数行を写すのにも、子どもたちは結構な時間がかかります。すぐに取り掛からない子どもがいれば、結果的にその子どもが書き終るのを全体で待つことになります。素早い行動をうながしてムダな時間を使わないようにすることが必要です。板書を写すことがどんな意味があるのかを意識することも大切です。目から入って手に伝わるだけであれば、プリントして配ることと変わりません。頭を使って写させたければ、「できるだけ黒板を見ないで写そう」「黒板を見るのは○回まで」といった指示をすることが必要になります。 顔を上げるように指示をしてもまだ写している子どもがいるのであれば、全員の顔が上がるまで待たなくてはいけません。子どもの聞く姿勢ができていないのに教師が話せば、結果として聞くことを軽視させることになります。子どもたちが「教師の話を聞く」ためには、聞く姿勢をつくることを意識することが大切です。また、子どもが全員顔を上げていないのに「みんな顔が上がったね」と言ってしまえば、その子どもは、自分は「みんな」には入っていないのだと思ってしまいます。そういうことが続けば教師と子どもの人間関係は崩れてしまいます。注意が必要なのです。 まだ学習していないことを子どもに問う場面がありました。教科書や資料集を見ればわかるのですが、「調べてごらん」と明確に手段を示すことが必要です。知識を得るためには「調べる」という方法を取ればよいと教えることが必要なのです。調べさせたのであれば、その結果を答えさせることにあまり意味はありません。見つけることができれば答えられるからです。また、いつも調べた結果が発表されることがわかっていれば、調べようとしない子どもも出てきます。「どこで見つけたか」「どうやって見つけたか」を問うことが必要です。見つけられなかった子どもにも、資料を見つけることを経験させなければいけないのです。自分で資料を確認しようとするかが心配なら、隣同士で確認し合うようにすれば大丈夫です。子どもたちに受け身でない学習姿勢をつくることが大切です。 資料を見て「気づいたこと」を問う場面がありました。この「気づいたこと」という問いかけは、教師としては「何を答えてもいい」という受容的な思いで発しているのですが、子どもにとっては必ずしもそうではないのです。「何を答えてもいい」というのは、「何を答えればいいのかわからない」につながります。教師の求める答を言わなければという意識が強ければ強いほど困ってしまうのです。初めのうちは「○○と比べて」と視点を与えた上で「気づいたこと」と問いかけるようにした方がよいでしょう。何度か経験した後、「前の時は、何と比べてみた」「どんなことに注意する」と自分たちで視点を意識するような問いかけをするようにし、最終的には「気づいたこと」だけで子どもが答えられるように育てていくのです。 英語の模擬授業は、受け身表現の学習で、とてもテンポよく進んでいくものでした。授業者はまだ経験も少ないのですが、なかなかの授業技術です。ドラえもんがどら焼きを食べているところ、クレヨンしんちゃんが携帯電話を使っているところの2枚の絵を元に導入部分を進めました。ドラえもんが何を食べているか英語で質問し、子ども役がそれに答えます。その答を聞いてハンドサインで「いいかどうか」を確認します。英語だけで進めていくので、実際の子どもの場合全員ちゃんと聞き取れるかどうか不安があります。そこをハンドサインで補おうというのです。しかし、ハンドサインだけに頼ることは危険です。ほとんどの子どもが賛成のハンドサインを出していれば、残りの子どもの多くは追従します。ほとんどの子どもが賛成しているのにハンドサインを出さなければ、指名されて確認される危険があるからです。逆に、常に賛成の子どもに確認の指名をすれば、わかっていないのに賛成する子どもは減ります。ハンドサインも確認が必要なのです。 ハンドサインを出さなかった子ども役がいました。しかし授業者はそのまま進めました。授業者に確認したところ気づいていたとのことでした。ハンドサインは全員が出すべきものです。わからない子どももわからないと意思表示をさせるべきなのです。ハンドサインを出さない子どもがいることを確認したのに対応しないということは、悪い言い方をすれば、賛成のハンドサインを教師が先に進むための言い訳に使っているのです。1問1答でハンドサインを使って確認をするよりも、正解と言わずに何人も指名し、そのやり取りを何度も聞かせた方が、わからない子どもがわかるチャンスを増やすことができます。 携帯電話を英語で何というかを問う場面がありました。これは知らない子どもには何ともしようがない、知っている子どもしか活躍できない問いかけです。もし、こういう知識を問うのであれば、辞書を引くといった手段を与えておくことが必要です。指名した子どもが、”cellphone” と答え、それを簡単に確認して終わりました。もし、この単語を後で使う必要があるのなら、きちんと全員で共有することが必要です。ある子ども役の方は ”sell phone” と勘違いをしておられました。 ワークシートで、ドラえもん、どら焼き、クレヨンしんちゃん、携帯電話を主語にして日本語の文を書かせました。この活動が何のためかその目的が子どもにとっては明確ではありません。教師の指示に従って活動するだけです。当然、その評価もありません。教師の都合による活動なのです。子ども役は自分の答を書き終ると自然と他の子ども役の答を見ています。単純な興味だけでなく、評価の観点がないので自分の答でいいのか気になっているのです。その後、グループになって確認します。このとき、活動の目的、目標が明確ではないので、無責任に見合うだけです。当然テンションが上がっていきます。一見活発な活動に見えますが、決してよいことではないのです。テンションが上がることの意味、危険性を説明しました。 このあと、受け身の表現の仕方を教科書から子どもに探させる活動がありました。文法事項は知識です。調べるという発想は決して悪くはありません。しかし、英語の学習としてはどうでしょう。実際に受け身を使う必然性のある場面で受身表現と出会いながら学んでいく方が自然だと思います。”situation”ベースでの英語教育について、全体で少し話をさせていただきました。他の教科の方にとっても、子どもにとっての学ぶ必然性、子どもが考えることの大切さを考えるのによい材料だと思ったからです。 授業者の2人には大変無理なお願いをしましたが、おかげで皆さんにとっても、私にとっても考えることが多い現職教育になったことと思います。また、参観している方にもいろいろと質問をさせていただきました。質問される立場になることで、日ごろの子どもたちと同じ気持ちを味わっていただきました。正解を求められる問いかけはとてもプレッシャーがかかるものだとわかっていただけたのではないでしょうか。そんな中でも挙手をして答えてくれる方がいらっしゃいました。その答も素晴らしかったのですが、授業に関してもっと学びたいという意欲が感じられたことに感心しました。このような先生がいることは皆さんにとってもよい刺激となると思います。 授業場面に応じて解説をしたため、本来の「聞く」についてまとまった話ができませんでした。ちょっとまずかったなと思っていたところ、質問の時間に、校長から「聞かせるためにどうすればいいのか」ということを聞いていただけました。さすがは校長です。しかも「3分で」と時間を区切っていただけました。世に言う質問力の高さを感じました。「聞く必然性を与える」「聞くことに価値を持たせる」この2点を中心にまとめさせていただきました。とても助かりました。 3時間近い研修になりましたが、素晴らしい子ども役のおかげもあって、最初は硬かった雰囲気も最後は笑顔がたくさん見られるとても柔らかいものになり、気持ちよく終わることができました。充実した研修になったと思います。私自身本当によい勉強をさせていただきました。参加したすべての先生に感謝です。 授業力向上研修
一昨日は市の授業録向上研修会の講師を1日務めました。今回のテーマは「言語活動の充実」です。午前中は前半に私が講演をおこない、後半は受講者を4チームに分けて午後からの模擬授業の検討をおこないました。具体的な授業場面を例にして説明したところ、先生方がとてもよい反応をしてくれました。そこで、用意したスライドはほとんど使わずに、授業のような形式で先生方とやり取りしながらお話ししました。教師に正解を求められても答えにくいこと、隣同士で相談すると話しやすいこと、「どんなことを話したか聞かせて」と問いかけられると答えやすいことなどを実感していただけたのではないかと思います。
講演の中で、教師は「全員が発言したいと思ってくれること」を目指すが、もし本当にそうなったら全体の場で発表させるという従来の形の授業は破たんすることを話しました。講演が終わったあと、一人の先生から相談を受けました。その先生の授業でまさにそのような状況になったそうです。何とか全員を発表させたいと思ったが、結局うまく整理できなかったそうです。具体的にどのようにすればよかったのかという内容です。隣同士やグループで発表させる。自分の考えを紙に書いて黒板に貼らせ、それを子どもたちでグルーピングしながら、意見を発表させる。といった方法をお話ししました。考えを紙に書いて貼るというやり方が、その先生にはしっくりきたようでした。自分流にアレンジして、挑戦していただけたらと思います。 グループでの授業検討は各グループの個性が出ていました。教材研究に時間を割くグループ、模擬授業をすぐに始めて実際の場面で考えるグループといろいろでした。どのグループもとても雰囲気がよく、私の講演の時には硬かった表情も柔らかくなり、笑顔をたくさん見ることができました。午後からの模擬授業がとても楽しみになりました。 午後はほとんどの時間を各グループ代表の模擬授業とその解説に使いました。最初は小学校2年生の国語でした。 あったらいいと思う道具を友だちに発表するという単元の、各自が道具を考える場面でした。このグループはどのように課題を提示すれば子どもたちが考えやすいか試行錯誤をしていたようです。あったらいい「こと」とするか「もの」とするかで悩んだようです。「もの」とすると考えにくい、「こと」とすると「ゲームがたくさんほしい」というようなものが出てきて道具につながりにくい。そこで、模擬授業では、まずあったらいい「こと」と提示し、その後で「今はないけれど」と条件をつけました。こうすることで、道具を考えることにつなげやすいと考えたわけです。授業を止めて、子ども役の先生にどう感じたかを答えていただきました。条件をつける前は、「○○がたくさんほしい」といったことが浮かんだけれど、条件が付けられると何を答えたらよいか戸惑ったということでした。授業者としては、目指すゴールに近づきやすいように工夫したのですが、子どもにとっては必然性がなくかえって混乱させてしまったようです。授業者の都合を子どもに押し付けた形になってしまったようです。ここは「○○がたくさんほしい」といったものも含めてたくさんの意見を共有し、「今はないけれど」実現できるような道具を考えることを次の課題として提示すれば、子どもにとって必然性が出てきます。自分のものこだわらず、友だちのものを解決する道具を考えてもいいとすれば、考えやすくなるでしょう。 子ども役の考えた「あったらいいこと」を黒板に書かせました。それを見ながら同じようなものがないか問いかけます。いくつかをグルーピングしたのですが、同じと括っていいかどうかを本人に確認はしませんでした。授業を止めて本人に確認したところ、同じと括られることに抵抗があったようです。同じと括ることの是非はともかく、本人には確認すべきだったでしょう。ここで、「どこが違うの」と問いかけることで、言葉が足されより明確なものになっていくはずです。まさに言語活動のチャンスなのです。 2つ目の授業は小学校4年生の国語の詩の授業でした。 詩を読んで気に入ったところに線を引き、その理由を書かせます。隣同士で聞き合います。しかし、ただ聞き合うだけで、目的や目標がはっきりしません。友だちの考えを聞いて、いいなと思ったら書き足すといったことをするとよいでしょう。 発表の場面で、最初に発表した子どもと同じところに線を引いた子どもに発表させました。面白い視点の理由を発表してくれました。かなりの数の子ども役が反応しました。ところが、授業者は、「他にはない」とスルーしてしまいました。ここは、間違いなく言語活動のチャンスです。反応した子どもに、その理由を問いかければ間違いなく言葉が出てきます。また、同じところに線を引いた子どもに感想を聞いてもいいでしょう。こういう反応をとらえて子どもに問いかけることが大切です。 また、とても抽象度の高いことを発表してくれた子ども役がいました。このような子どもが実際にいるかどうかわかりませんが、授業者はどう扱っていいか困ってしまいました。自分で他の子どもたちにわかるように説明しようとしたからです。難しく考えず、本人に「どういうことかもう少し聞かせて」と説明を足させる、「今の○○さんの言っていることなるほどと思った人いる」とつなぐことをしながら、子ども同士で理解し合うようにさせればいいのです。子どもたちに任せる勇気も必要です。 3つ目の授業は小学校6年生の算数の授業でした。比例となる関係を見つける課題でした。言語活動で算数を選んでくれたのはとてもうれしいことです。算数はとても幅広い言語活動が可能な教科だからです。 簡単な復習をしたという前提で、比例の定義と性質を書いた紙を貼って、この日の課題に取り組みました。課題を確認した後、「比例となるのは、・・・」「・・・を確かめる」と子どもたちに解かせる前に手順をそれとなく説明しました。そこで私が授業を止めた時に、授業者はすぐに「誘導しすぎましたよね」と自分で気づいてくれました。自分の授業を素直で客観的に見る力のある方です。ちょっと意識するだけで伸びていくことと思います。 ここでは、まず比例の定義の段階で、関数的な考えを押さえておくことが大切です。一方が変わると他方が変わるときに、この2つの間にどのような関係があるかを考えていくのが基本です。今回の課題は、値段が与えられた鉛筆の数が増える、一定の速度で歩く、円の直径が増える、花とカードの値段が与えられて花の本数だけ増やすという4つの場面で比例関係を探すというものです。鉛筆や歩く問題であれば、ともなって変わるものは、値段や進んだ距離ですが(違いは離散的か連続的か)、円となると、円周や面積が考えられます。花とカードであれば、花だけの代金、花とカードを合わせた代金が考えられます。まずともなって変わるものをきちんと押さえた上で、比例関係があるか表やグラフで表すことで考えるという2段階になります。このことを意識して授業を組み立ててほしかったところです。 算数や数学では、式や図、そして表やグラフも立派な言語です。今回はこれらを使って考えを整理し伝えることのよい例だったのです。 最後の模擬授業は中学校の道徳でした。 友だちでライバル関係の一方が病気になって大会に出場できなくなった。一人は友だちがいないから優勝できると考え、そう考えた自分を他人の不幸を喜ぶのか?と悩み、意を決して見舞いに行く。一方見舞われた方は、皮肉を言ってしまい、そんな自分に対してなぜ冷たくしたのだろうと思い悩む。このような内容の読み物教材を使ったものでした。 まだ4年目の授業者でしたが、終始笑顔でとても柔らかい雰囲気で授業を進めました。2人の気持ちを整理した後、病気になった方が見舞いに来てくれた方に対して手紙を書くという課題を提示します。この手紙を書くということを子どもから引き出そうと、「みんなならどうする」と問いかけます。「メール」「ライン」「電話」といった言葉に対して、「病院だよ」「携帯は使えないね」と返して、「手紙」を引き出しました。よくある場面です。こういうやり取りは面白いのですが、どういう手段で伝えるかを考えることはこの授業の本質とは何の関係もありません。このことに時間を使うのははっきり言ってムダです。できるだけ早く「手紙」を書くことを課題として提示するべきでしょう。 自分が病気になった方の立場になって手紙を書き、それを隣同士で読み合い、よいところを伝えます。ここで注意しなければいけないことは、道徳には評価がなじまないことです。友だちの考えに触れ自分の考えが変わることはとても大切です。しかし、評価の場面をつくると、どうしてもそのことを意識してしまい、本音が出にくくなります。評価を意識したことをいくら話しても内面には切り込むことができないのです。 この後、隣以外とも読み合って、感想を書いて終わるという流れでした。面白かったのが、手紙の内容が、自分の反省と友だちへの気持ちがほとんどだったことです。教師力アップセミナーで川崎雅也先生が、大体の子どもが反省と友だちへの気持ちで止まり、次の行動がなかなか出てこないと言われたのですが、その通りだったからです。川崎先生の講演の感想を書いたブログを配って、このことについてお話しました。友だちと読み合って終わるのではなく、次々に発表させながら、次への行動に触れている部分を焦点化し、今後どうするのかを多くの子どもに語らせるのです。こうすることでより深く考えることができるはずです。 4つのチームのどの発表者もとても前向きで、それぞれ個性的な授業を見せてくれました。子ども役も参観者も、そして私自身も多くのことを学ぶことができました。 最後に感想を何人かの方に聞いたのですが、「ほめ言葉をこれから意識したい」「子どもの目線で授業を考えることを大切にしたい」といった、これも前向きな言葉を言っていただけました。とてもうれしいことです。 また、昼休みには個人的にいろいろと質問をしてくれた方もいらっしゃいました。最初は全体的に硬かった皆さんですが、最後は笑顔いっぱいで終わることができました。とても充実した1日を送ることがでたことを感謝します。 子どもが理解できないからといって説明を増やさない
教師が説明をした時、子どもが理解できていないなと感じることがあります。そのような場合、どのように対応すればよいのでしょうか。よく目にするのが、同じ説明を何度も繰り返す、その反対に先ほどとは別の説明をし始めることです。いずれにしても、教師の説明の時間が増えていきます。説明の良し悪しよりもこのことが問題なのです。教師の与える情報が増えると子どもの処理が追いつかなくなるのです。
同じ説明を繰り返すことを考えてみましょう。子どもは理解するのに時間がかかります。教師の説明を一つひとつ消化していかないと次のことが頭に入っていきません。一連の説明を何度も繰り返えされても、わからないところで立ち止まってじっくり理解する時間を与えなければ先に進めないのです。説明をスモールステップに分けて、一つひとつ子どもに確認しながら進めることが大切です。 先ほどと別の説明をすることはどうでしょう。確かに別の説明をすることでわからなかった子どもがわかるようになることはよくあることです。しかし、前の説明を理解しようとしている子どもは、別の説明になっても、まだ考え続けていることがよくあります。情報を整理できずによけいにわからなくなってしまいます。一度説明した以上は、その説明を納得させないと子どもは落ち着きません。また、別の説明ならわかるという保証もありません。もっというと一番わかりやすいと思った説明を選んでいるはずですから、次の説明でわかるという確率はそれほど高くないのです。説明を変えても納得しないのでまた説明を変えるという、いたちごっこのような授業に出会うこともあります。 ちょっと視点を変えてみましょう。 実技、たとえば刺繍のステッチを教えることを考えます。図や言葉でいくら説明されてもすぐに理解できないことはわかっていただけると思います。教師が針と糸を使って実際に見本を見せる(実物投影機で手元を拡大して見せるとよくわかります)。子どもが自分の手で試してみる。こういう過程が必要になります。もちろん、多くの方がそのようにして教えていることと思いますが、実技でなくても考え方は同じです。子どもが理解するためには、説明されたことを実感できる場面が必要です。教師が一方的に説明するのではなく、スモールステップで具体的な問題や例に取り組ませる。隣同士で説明し合ったりするといった、子どもの活動を組み合わせるのです。与える情報を増やすのではなく精選し、子どもが理解するための活動を組み込むのです。 子どもが理解できないときに教師の説明の言葉が増えるというのは、子どもが理解する過程を意識して授業を組み立てていないということです。教材研究が不足しているのです。子どもが理解できないときに、何を話すかではなく、何をさせるかを考えてほしいと思います。 市の研修で講演
昨日は市の研修で講師を務めました。「言語活動の活性化のために」と題して、言語活動を充実させるための教師のかかわり方を中心に話をしました。
先生方がやや緊張気味で思った以上に硬かったので、本題に入る前に「緊張と集中の違い」について実際の授業場面を例に話をしました。皆さんに少しリラックスしてもらおうと思ったのですが、かえって真剣に話を聞いていただくことになってしまいました(私の表情が硬かったのかと反省)。とはいえ、皆さんとても集中していただけたので、具体的な場面を元に話をした方がよいと判断し、当初の予定と進め方を変えさせていただきました。「復習場面で子どもが数人しか手を挙げないとき、その理由としてどんなことが考えられるか」と問いかけ、まわりと相談してもらいました。先生方からは、「自信がない」という答の他に、「教師の問いが不明確」「前回の授業がきちんと理解されていなかった」といった教師側の問題を指摘する意見が出ました。面白い答だと思いました。先生方の教室の子どもはとても素直なのでしょう。わかればしっかり挙手してくれるということです。「挙手しない子どもはわかっていないと判断できる」ということは、挙手の多い少ないが子どもたちの理解度を判断する指標となるということです。「なるほど」と思いました。そこで、挙手しない子どもの様子はどうであるかを聞いてみました。「ぼうっとしている」という声が上がりました。もしそうであれば、子どもたちは答えようとする意思がないということだとお話ししました。答えようとするならば、教科書やノートをめくって思い出そうとするはずです。わからなくてもだれかが答えてくれる、正解を聞けばいい。わざわざ挙手して答えることに価値がない。そう思っているのです。すぐに指名するのではなく、子どもに復習を促す必要があります。教科書やノート見ている子どもを見つけてほめる。どこに書いてあるかを問いかける。こういうことが必要なのです。 また、自信がないのであれば、「○つけなどをして自信を持たせる」ことが有効です。しかし、発想を変えて、「自信がなくても安心して間違えることができる」「間違えても最後は必ず正解を答えて終われる」、そういう教室を目指してほしいことをお話ししました。言語活動を充実させるには、まず安心して話せることが大切だからです。 私の話がちょっと単調になったので、少し動きを入れてみました。机間指導を実際に2回見せて気づいたことはないかと問いかけたのです。こういう問いに答えるのはなかなか難しいものです。反応してくれる方もまずいないのが普通です。授業でもよくあることです。そこで、まわりと相談していただきました。すぐに、声が出ます。子どもたちと同じです。反応のあった方に聞いてみました。「最初の机間指導は、できている子ども、教師の期待する答を書いている子どもには声をかけたけれど、そうでない子どもは無視した。2回目はできていない子どもにも、声をかけていた」。「なるほど」と感心しました。確かにその通りです。少し意識して演じたのですが、そのことに気づく方がいるとは思っていなかったのです。子どもたちすべてに声をかけようと普段から授業をしている方なのでしょう。素晴らしい先生にお会いできました。声かけについて少し補足したあと、私が伝えたかった、机間指導で死角をつくってしまい子どもたちを見ない危険性について話をしました。下手に机間指導をするくらいなら、全体をしっかり見て、必要な子どもに対してピンポイントに働きかける方がよいことを伝えました。 この他に、多くの子どもが発言意欲を持つと、全体での発表中心では時間が確保できないので破綻すること。したがって、ペアやグループで聞き合う場面をつくる必要があること。また、子どもの言葉を活かすためには、「受け」「切り返し」「つなぎ」「もどし」が大切なことを具体的な場面を例にして話させていただきました。 準備したスライドとはかなり違った内容になったのですが、これもライブの面白さと思っていただければ幸いです。 スライドは準備していたのですが時間の関係で扱わなかったグループ活動に関して、「『リーダーは必要ない(誰とでもかかわりあえることが大切)』とレジメにはあるが、リーダーとなる子どもをグループに入れないとうまくいかないのではないか」という質問をいただきました。実際にグループ活動を取り入れているからこその質問です。少し時間をとって説明させていただきました。 グループで結論を1つにまとめるのならリーダーがいた方がよいかもしれませんが、個人の考えを持つことを目的とするのなら、特にリーダーは必要ありません。それよりも、リーダー役が場を仕切ってしまい、かえって自由に聞き合うことができない心配があります。「わからない、教えて」、「わからないね。どう考えればいいんだろう」と互いに聞き合える関係があれば、リーダーがいなくても十分に活動できます。また、自分たちで解決できず話し合いが止まっているグループが出てくるようであれば、一旦グループ活動を止めて、全体の場で「どんなことをやってみた」「どこに目をつけた」「何を調べた」と答ではなく課題解決の過程を共有するのです。こうすることで、活動が止まっていたグループも考える足場ができます。ここで、もう一度グループに戻せば、再び活動することができるようになります。リーダー役の子どもがいないからこそ、今まで活躍できなかった子どもの中から、リーダーが生まれてくる可能性が出てきます。リーダー役を配分してバランスを取るのではなく、どのようなメンバーでも子どもたちが活動できるように育てることを意識してほしいと思います。 若手からベテランまでたくさんの方が参加してくださいましたが、今回面白かったのが、ベテランの男性の反応がよかったことです。これは割と珍しいことです。もちろん、若手や女性の反応もよかったのでとても話しやすく、あっという間に時間になってしまいました。もう少し時間があれば、先生方とじっくりやり取りしながら、もっと多くのことを一緒に考えることができたのですが、残念でした。またの機会があることを願っています。 講演終了後、教育長、教育委員会の次長、運営をしてくださった担当校長と1時間ほど最近の学校事情や若手の育成について楽しく情報交換することができました。教育長の発案で、この市では教師塾が開かれています。2年目3年目の若手だけでなく、日ごろ研修の機会の少ない期付・非常勤・臨任の先生方にも門戸を開いています。次長から郷土学習に関する資料と一緒にこの教師塾の資料もいただくことができました。授業DVDをもとにストップモーションで授業研究をするなど、具体的かつ実践的な内容だと思いました。このような試みが各地に広がってくれることを期待したいと思います。 今回の講演は、事前にこの市の子どもたちの姿を見ずに話したので、的を外した内容があったかもしれません。先生方の反応を見ながら、興味や関心がありそうだと思われることを探りながら話題を選んだつもりでしたが、どうだったでしょうか。2学期からの授業に取り入れたいと思うようなことがあれば幸いです。次は、子どもたちの学習の様子を見せていただく機会があること願っています。 グループ活動では意見を1つにまとめない
グループ活動では、意見や考えを1つにまとめない方がよいと言われます。このことについて少し考えてみたいと思います。
グループで1つにまとめようとすると、意見や考えが分かれた時にどのようにするかが問題になります。互いの考えを聞き合って納得して結論が出ればいいのですが、まとまらない時もあります。こういう時、勉強のできる子どもや力の強い子ども対して他の子どもがなかなか反論できずに、そのまま収束することが多いように思います。納得していない子どもは無理やり自分の意見を変えさせられたように感じてしまいます。これでは子どもたちの人間関係も悪くなってしまします。 また、意見が分かれた時に多数決で決めてしまう場面をよく目にします。班活動などでの行動を決める時には多数決も致し方ありませんが、考えたことを多数決で決定するというのはかなり乱暴です。対立する意見を伝えあい、理解しようとすることで考えは深まっていきます。多数決はその時点で互いの考え理解し、深めていくことを放棄する行為です。無理に1つにまとめようとするとこういうことが起きるのです。 また、1つにまとめるとグループの中にあったよい意見が全体の舞台に載らずに消えてしまうことがあります。以前見た家庭科の授業で、冬に温かく生活する工夫についてグループで意見を出し合っている場面のことです。1つのグループ内で「エアコンを使う、使わない」で意見が分かれていました。また、別のグループでは「換気扇を回す、回さない」を議論していました。前者は電力不足が話題になっていたころなので意見が分かれたのでしょう。後者は安全のため部屋の空気を入れ替えるか、温かい空気を逃がさないようにするかがで分かれたのでしょう。いずれにしてもグループでまとめるという指示だったので、全体ではこの意見の違いは話題になりませんでした。全体の場で話し合えれば面白い展開が期待できたと思いますが、残念でした。 このようなことを避けるためには、たとえグループでまとめるとしても、意見が分かれたら併記する。「どのようなことを話し合った?」「どんな意見が出た?」と結論ではなく過程を問う。こういう工夫が必要になります。 また、グループでまとめるのではなく、友だちの考えを聞いて最終的に自分の考えを持つことをゴールにすれば、友だちの意見に納得しなくても無理に自分の意見を変える必要はありません。あくまでもグループは個人の考え広げ、深めるための手段と考えるのです。 グループで答を出すことを目的にすると、結論をグループでまとめることになってしまいます。そうではなく、グループ活動を通じて一人ひとりが考えを広げる、深める。子どもたちが考えた過程を学級全体で共有する。こういうことを大切にしてグループ活動を取り入れてほしいと思います。 2つの中学校区の先生方に講演
先週末は、2つの中学校区の小中学校合わせて5校の先生方を対象に「学習規律を整え、子どもの力を引き出す授業づくり」と題して講演をおこなってきました。100余名の先生方が参加してくださいました。
今回は、途中で校区の小中学校混成のグループでの話し合いを2回入れました。事前に見せていただいた3校の子どもたちの様子を参考にして、話し合いのテーマを決めました。 1回目は、 「指示をしてもすぐに動かない」 どうすれば指示が素早く、徹底できるでしょうか? 「ノートに答が書いてあるのに数人しか挙手しない」 理由はなぜでしょう? どうすればみんなが手を挙げるようになるでしょうか? 2回目は、 「教師が説明しているのに板書を写す子どもがいる」 理由は? どうすればいい? 「友だちが発言しているのに子どもが教師を見ている」 理由は? どうすればいい? どのグループも積極的に話し合っているようでした。小中学校で子どもに対する見方が違ったりしますが。そういうことにも気づいていただけたのではないでしょうか。面白かったのは座席の配置で、話し合いの様子が違っていたことです。一部のグループが横一列に並んだまま話し合いをしていました。たまたまかもしれませんが、他のグループと比べて話し合いが低調に見えました。向かい合って互いの顔を見て話すことも、話し合いを活発にする大切な要素のように思いました。 時間の関係もあり数人しか発表していただけませんでしたが、「同じ考えの人」「話を聞いて納得した人」と子ども同士をつなぐことを実際に少し体験していただきました。気づいていただけたでしょうか。 いずれの問題も正解があるわけではありませんが、私なりの答につながるような話をさせていただきました。 子どもを認める、ほめることや安心して話せる雰囲気づくりの大切さ。子どもたちに聞く姿勢をつくること。そのためにはまず教師が子どもの言葉をしっかり聞いて見本を示すことが必要なこと。このようなことです。 また、次のことを自己チェックしていただきました。 ・「わかった人」と子どもに問いかけていないか? わかった人しか答えられない。 「わからない」を共有することが大切。 「困った感」に寄り添う姿勢が必要。 ・子どもの答に「正解」と答えていないか? 正解は思考停止のキーワード。 ・正解が出たらすぐに説明をしていないか? 教師の求める答探しにしない。 一問一答から脱却することが大切。 ・「試験に出る」から覚えるようにと言っていないか? 消費者的な行動をとる子どもたち。 早く、労力をかけずに結果を得ようとする。 参加された方は、自己チェックしてどのように考えられたでしょうか。 大人数相手の講演でしたので、先生方の反応が気になりました。しかし、どなたも目を合わせてうなずくなど、しっかりと反応してくださいました。集中して聞いていただけたようです。2学期以降、何か一つでも意識して授業を変えようとしていただければこんなうれしいことはありません。 思いがけず古くからの知り合いも参加していて、昔話に花を咲かせました。また、会終了後、各学校の管理職や主任の方と昼食をご一緒させていただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。とてもよい学びの機会と楽しい時間をありがとうございました。 学校力向上研修
昨日は、市の学校力向上研修で講師を務めました。管理職、ミドルリーダー対象の研修です。今回は先生方の授業力アップのためにリーダーにどのような力が必要か考えてもらうのが目的です。私にとっても初めての試みなので、手探りでの研修でした。前半は模擬授業をもとに、具体的にどのような視点で授業を見るかを考えてもらい、後半は先生の授業力アップのためにリーダーに必要な力について考えてもらいました。模擬授業は会場校の教務主任お願いすることができました。子ども役は受講者から事前に選ばれていました。私が講師を務めている授業力研修の過去の受講者が何人もいてとても心強く感じました。
模擬授業は小学校4年生を想定した総合的な学習の時間でした。地域や学校のお宝を鑑定するという内容です。子どもたちが持参した写真を使ってお宝のPRをし、ランキングをつけるというものです。 導入はお宝鑑定団の曲名当てクイズから始めました。問題児役がテンションを上げます。スタートしてすぐでしたが、あえて何度か止めて話をしました。子どもたちのテンションが上がる要因。テンションが上がることの是非。すぐに先生に話しかける子どもをどうするか。それに関連してオフィシャルとプライベートを意識して、価値ある発言であれば全体に対して再度発言させて共有化してから答える、そうでなければあとから個別に対応すること。「はいはい」と指名されたくて声を上げる子どもをどうするか。それに関連してペアレントトレーニングについてなどです。どうすればいいかについての話をすることが目的ではありません。こういう視点を持って授業を見てほしいということです。子どもの様子を見て、それを話題にすることが大切なのです。実際の授業研究であれば、司会者やコーディネーターが上手くその場面を取り上げ焦点化することが求められるのです。その解答を自分が持っていることは必ずしも重要ではありません。解答はみんなで考えればいいのです。その場面に気づき、俎上に載せることができるかどうかが問われるのです。 持参したお宝写真のPRをつくる場面です。5分間でつくるように指示が出ました。作業終了後授業を止めて、見ていて気づいたことを参加者にたずねました。誰も答えません。実際の授業でもそうですが、漠然と「気づいたこと」と聞いてもなかなか答えられないのです。そこで、「子どもの関係」という言葉を足したところ、すぐに答えてくれる方がいました。「子ども同士のかかわりがない」ということです。個人作業の場面です。かわり合いがないのは当然と言えば当然ですが、実際の授業ではこのようなことはまずありません。隣を見たりするはずです。子ども役が優秀な子どもに徹したからでしょうか。私も明確な答えは持てていません。そこで子ども役に聞いてみました。「時間に余裕があればのぞいたと思うが、5分しかなかったから」という答が返ってきました。なるほど、納得です。時間をたくさん与えないことが集中力を生み出すことに気づけました。与えた時間でできなかったら延長するといったことを日ごろからしていると、だらだらやる子どもが出てくることもわかります。気になる場面を取り上げて話し合うことが大切だというのはこういうことなのです。 何度も授業を止めて、参加者とやり取りをしたり解説をしたりしたので、グループでお宝のランキングをつくったところで、模擬授業は終わりとしました。事前に指導案もしっかり立てて臨む意欲的な授業者です。授業研究そのものが今回の目的であれば、本当にたくさんのことを学べたであろう授業でした。2時間フルに使って授業検討をする価値のある授業だっただけに残念です。授業者にも申し訳ない限りでした。 この後、教員の授業力アップのために、「リーダーに必要な力」と「どうやって身につける」をグループに分かれて話し合っていただきました。実は、私としては前半に授業を見る力の大切さを意識させたので、そこばかりに目がいくことを予想していました。そこで、グループの発表の後、足りない視点について話をするつもりだったのです。ちょっと意地の悪いことを考えていました。 ところが、どのグループも授業に関する力以外のキーワードがたくさんでていました。「ほめる」「一緒に考える」「雰囲気をつくる」「企画力」・・・。脱帽です。私が足すようなことは何もありませんでした。この市の先生方はとても優秀です。こういったことを自分たちでちゃんとわかっているのです。そうと知っていれば、でてきたキーワードを元に、具体的にどのようにすればいい、どのようにしているかを共有することに時間を割くべきでした。残念ながら、その時間は既にありません。私の完全な読み違いです。参加者の皆さんには大変申し訳ないことをしてしまいました。もし、次の機会があるのなら、具体的にどうするかに時間を割くプログラムにしたいと思います。 まわりが校長や管理職ばかりというプレッシャーの中で模擬授業をしていただいた授業者には、どれだけ感謝してもしたりません。この模擬授業を通じて私自身が学べることがたくさんありました。また、以前の研修の受講者がグループでの話し合いを積極的にリードしている姿をたくさん目にしました。これもとてもうれしいことでした。私自身は反省すべきことがたくさんありましたが、とてもよい研修をさせていただくことができました。事務局を始め、授業者、子ども役、参加者すべての方に支えられた研修でした。本当にありがとうございました。 「禁句」を意識する
講演などでは、授業中や子どもと接する時に大切にしたい言葉を必ず資料としてつけるようにしています。「なるほど」「ありがとう」「聞かせて」といった子どもを受容したり、称賛したり、外化をうながしたりする言葉です。その一方で、講演等であまり話しませんが、使ってほしくない言葉があります。「禁句」です。この「禁句」を意識することについて考えてみたいと思います。
いくつか例をあげてみます。 「正解」(「『正解』は思考停止のキーワード」参照) 子どもが問いに正解を答えた時に、「正解」と言えないと困りませんか。教師が正解を判断できないのですから、嫌でも子どもたちに判断させることになります。 「わかった人」(「『わかった』は禁句!?」参照) 質問をしたり、問題を解かせたりすれば「わかった人」「できた人」と聞くのがふつうです。しかし、こう問いかければ「わかった人」「できた人」しか発言できません。これを禁句にすれば、わからない子ども、できなかった子どもも発言できるような問いかけをせざるを得ません。 「考えて」(「『考えて』では考えられない」参照) 「考えて」「気づいたことない」といった問いかけは抽象的です。わからない子どもにとっては、何を答えていいかわかりません。これを禁句にすると、具体的な指示をすることにつながります。 「他には」 子どもが教師のねらいと違った言葉を言った時、つい使ってしまう言葉です。自分の発言をしっかり評価されず、活用もされないで「他には」と言われれば、「あっ、外した」と子どもは感じます。教師の求める言葉があり、自分の発言はそれとは違ったと思います。子どもたちは、自分の考えを言うのではなく、教師の求める答探しを始めてしまいます。「他には」を禁句にすると、自分のねらっている言葉に近づけるような切り返しが求められます。また、子どもの発言の中からねらいにつながるような言葉を見つけることを意識するようになるはずです(「教師のねらいに近い考えをどう深めるか」参照)。 「なぜ」(「切り返しの言葉」参照) 私たち大人でも、「なぜ」と聞かれると答えにくいものです。こちらは子どもなりの理由を聞きたいと思っていても、聞かれた子どもは明確な答を要求されているように感じます。授業だけでなく、個人面接などでも注意したい言葉です。子どもが話してくれたことに対して、「なぜ」と問い返すと詰問されているように感じます。「それってどういうことか聞かせてくれる」といった、広く受ける問い返しが求められます。「なぜ」を禁句にすることで、問い返しの言葉を工夫することになります。 「(あなたの)気持ちがわかる」「そんなことないよ」「頑張れ」 悩みごとの相談などで注意したい言葉です。苦しい気持ちを話してくれたときに、つい「気持ちがわかる」と言ってしまいますが、苦しんでいる人は自分の苦しみは他人にはわからないと思うものです。安易にこの言葉を使うと、調子のいいことを言っていると心を閉ざす可能性があります。 「自分はダメな人間だ」といった否定的な言葉に対して、フォローするつもりで「そんなことないよ」と言うと、自分の言葉を否定されたと感じます。たとえ、否定的な言葉でも、「なるほど、自分はダメな人間だと思っているんだね。それは苦しいね」とそのまま受け止めることが必要です。 また、「頑張れ」はとても励まされる言葉ですが、頑張ってきたと思っている人には、「これ以上頑張れというのか」と追いつめる言葉になることもあります。諸刃の剣なのです。 これらの言葉は、うっかり使うと人芸関係を決定的に損なう危険性のある言葉です。禁句にすることで、そのリスクを軽減することができます。(「悩み事の相談」、「保護者からの相談への対応」参照) 例に挙げたように「禁句」とすることで、自然に授業のあり方が変わる言葉があります。また、何気なく使う言葉の中には、ひとつ間違えると相手を傷つけてしまうものもあります。こういう言葉は「禁句」として強く意識しないと、うっかり使ってしまい思わぬ事態を招くこともあります。 ここで取り上げたもの以外にも、「禁句」にするとよいものがあると思います。もちろん、ここに挙げたものすべてを「禁句」にすべきだとも思いません。「禁句」をつくる意味を考えた上で、授業や子どもと接する場面で、どのような言葉を「禁句」にすべきか一度思いを巡らせてみてください。 |
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