子どもが理解できないからといって説明を増やさない

教師が説明をした時、子どもが理解できていないなと感じることがあります。そのような場合、どのように対応すればよいのでしょうか。よく目にするのが、同じ説明を何度も繰り返す、その反対に先ほどとは別の説明をし始めることです。いずれにしても、教師の説明の時間が増えていきます。説明の良し悪しよりもこのことが問題なのです。教師の与える情報が増えると子どもの処理が追いつかなくなるのです。

同じ説明を繰り返すことを考えてみましょう。子どもは理解するのに時間がかかります。教師の説明を一つひとつ消化していかないと次のことが頭に入っていきません。一連の説明を何度も繰り返えされても、わからないところで立ち止まってじっくり理解する時間を与えなければ先に進めないのです。説明をスモールステップに分けて、一つひとつ子どもに確認しながら進めることが大切です。

先ほどと別の説明をすることはどうでしょう。確かに別の説明をすることでわからなかった子どもがわかるようになることはよくあることです。しかし、前の説明を理解しようとしている子どもは、別の説明になっても、まだ考え続けていることがよくあります。情報を整理できずによけいにわからなくなってしまいます。一度説明した以上は、その説明を納得させないと子どもは落ち着きません。また、別の説明ならわかるという保証もありません。もっというと一番わかりやすいと思った説明を選んでいるはずですから、次の説明でわかるという確率はそれほど高くないのです。説明を変えても納得しないのでまた説明を変えるという、いたちごっこのような授業に出会うこともあります。

ちょっと視点を変えてみましょう。
実技、たとえば刺繍のステッチを教えることを考えます。図や言葉でいくら説明されてもすぐに理解できないことはわかっていただけると思います。教師が針と糸を使って実際に見本を見せる(実物投影機で手元を拡大して見せるとよくわかります)。子どもが自分の手で試してみる。こういう過程が必要になります。もちろん、多くの方がそのようにして教えていることと思いますが、実技でなくても考え方は同じです。子どもが理解するためには、説明されたことを実感できる場面が必要です。教師が一方的に説明するのではなく、スモールステップで具体的な問題や例に取り組ませる。隣同士で説明し合ったりするといった、子どもの活動を組み合わせるのです。与える情報を増やすのではなく精選し、子どもが理解するための活動を組み込むのです。

子どもが理解できないときに教師の説明の言葉が増えるというのは、子どもが理解する過程を意識して授業を組み立てていないということです。教材研究が不足しているのです。子どもが理解できないときに、何を話すかではなく、何をさせるかを考えてほしいと思います。

市の研修で講演

昨日は市の研修で講師を務めました。「言語活動の活性化のために」と題して、言語活動を充実させるための教師のかかわり方を中心に話をしました。

先生方がやや緊張気味で思った以上に硬かったので、本題に入る前に「緊張と集中の違い」について実際の授業場面を例に話をしました。皆さんに少しリラックスしてもらおうと思ったのですが、かえって真剣に話を聞いていただくことになってしまいました(私の表情が硬かったのかと反省)。とはいえ、皆さんとても集中していただけたので、具体的な場面を元に話をした方がよいと判断し、当初の予定と進め方を変えさせていただきました。「復習場面で子どもが数人しか手を挙げないとき、その理由としてどんなことが考えられるか」と問いかけ、まわりと相談してもらいました。先生方からは、「自信がない」という答の他に、「教師の問いが不明確」「前回の授業がきちんと理解されていなかった」といった教師側の問題を指摘する意見が出ました。面白い答だと思いました。先生方の教室の子どもはとても素直なのでしょう。わかればしっかり挙手してくれるということです。「挙手しない子どもはわかっていないと判断できる」ということは、挙手の多い少ないが子どもたちの理解度を判断する指標となるということです。「なるほど」と思いました。そこで、挙手しない子どもの様子はどうであるかを聞いてみました。「ぼうっとしている」という声が上がりました。もしそうであれば、子どもたちは答えようとする意思がないということだとお話ししました。答えようとするならば、教科書やノートをめくって思い出そうとするはずです。わからなくてもだれかが答えてくれる、正解を聞けばいい。わざわざ挙手して答えることに価値がない。そう思っているのです。すぐに指名するのではなく、子どもに復習を促す必要があります。教科書やノート見ている子どもを見つけてほめる。どこに書いてあるかを問いかける。こういうことが必要なのです。
また、自信がないのであれば、「○つけなどをして自信を持たせる」ことが有効です。しかし、発想を変えて、「自信がなくても安心して間違えることができる」「間違えても最後は必ず正解を答えて終われる」、そういう教室を目指してほしいことをお話ししました。言語活動を充実させるには、まず安心して話せることが大切だからです。

私の話がちょっと単調になったので、少し動きを入れてみました。机間指導を実際に2回見せて気づいたことはないかと問いかけたのです。こういう問いに答えるのはなかなか難しいものです。反応してくれる方もまずいないのが普通です。授業でもよくあることです。そこで、まわりと相談していただきました。すぐに、声が出ます。子どもたちと同じです。反応のあった方に聞いてみました。「最初の机間指導は、できている子ども、教師の期待する答を書いている子どもには声をかけたけれど、そうでない子どもは無視した。2回目はできていない子どもにも、声をかけていた」。「なるほど」と感心しました。確かにその通りです。少し意識して演じたのですが、そのことに気づく方がいるとは思っていなかったのです。子どもたちすべてに声をかけようと普段から授業をしている方なのでしょう。素晴らしい先生にお会いできました。声かけについて少し補足したあと、私が伝えたかった、机間指導で死角をつくってしまい子どもたちを見ない危険性について話をしました。下手に机間指導をするくらいなら、全体をしっかり見て、必要な子どもに対してピンポイントに働きかける方がよいことを伝えました。

この他に、多くの子どもが発言意欲を持つと、全体での発表中心では時間が確保できないので破綻すること。したがって、ペアやグループで聞き合う場面をつくる必要があること。また、子どもの言葉を活かすためには、「受け」「切り返し」「つなぎ」「もどし」が大切なことを具体的な場面を例にして話させていただきました。
準備したスライドとはかなり違った内容になったのですが、これもライブの面白さと思っていただければ幸いです。

スライドは準備していたのですが時間の関係で扱わなかったグループ活動に関して、「『リーダーは必要ない(誰とでもかかわりあえることが大切)』とレジメにはあるが、リーダーとなる子どもをグループに入れないとうまくいかないのではないか」という質問をいただきました。実際にグループ活動を取り入れているからこその質問です。少し時間をとって説明させていただきました。
グループで結論を1つにまとめるのならリーダーがいた方がよいかもしれませんが、個人の考えを持つことを目的とするのなら、特にリーダーは必要ありません。それよりも、リーダー役が場を仕切ってしまい、かえって自由に聞き合うことができない心配があります。「わからない、教えて」、「わからないね。どう考えればいいんだろう」と互いに聞き合える関係があれば、リーダーがいなくても十分に活動できます。また、自分たちで解決できず話し合いが止まっているグループが出てくるようであれば、一旦グループ活動を止めて、全体の場で「どんなことをやってみた」「どこに目をつけた」「何を調べた」と答ではなく課題解決の過程を共有するのです。こうすることで、活動が止まっていたグループも考える足場ができます。ここで、もう一度グループに戻せば、再び活動することができるようになります。リーダー役の子どもがいないからこそ、今まで活躍できなかった子どもの中から、リーダーが生まれてくる可能性が出てきます。リーダー役を配分してバランスを取るのではなく、どのようなメンバーでも子どもたちが活動できるように育てることを意識してほしいと思います。

若手からベテランまでたくさんの方が参加してくださいましたが、今回面白かったのが、ベテランの男性の反応がよかったことです。これは割と珍しいことです。もちろん、若手や女性の反応もよかったのでとても話しやすく、あっという間に時間になってしまいました。もう少し時間があれば、先生方とじっくりやり取りしながら、もっと多くのことを一緒に考えることができたのですが、残念でした。またの機会があることを願っています。

講演終了後、教育長、教育委員会の次長、運営をしてくださった担当校長と1時間ほど最近の学校事情や若手の育成について楽しく情報交換することができました。教育長の発案で、この市では教師塾が開かれています。2年目3年目の若手だけでなく、日ごろ研修の機会の少ない期付・非常勤・臨任の先生方にも門戸を開いています。次長から郷土学習に関する資料と一緒にこの教師塾の資料もいただくことができました。授業DVDをもとにストップモーションで授業研究をするなど、具体的かつ実践的な内容だと思いました。このような試みが各地に広がってくれることを期待したいと思います。

今回の講演は、事前にこの市の子どもたちの姿を見ずに話したので、的を外した内容があったかもしれません。先生方の反応を見ながら、興味や関心がありそうだと思われることを探りながら話題を選んだつもりでしたが、どうだったでしょうか。2学期からの授業に取り入れたいと思うようなことがあれば幸いです。次は、子どもたちの学習の様子を見せていただく機会があること願っています。

グループ活動では意見を1つにまとめない

グループ活動では、意見や考えを1つにまとめない方がよいと言われます。このことについて少し考えてみたいと思います。

グループで1つにまとめようとすると、意見や考えが分かれた時にどのようにするかが問題になります。互いの考えを聞き合って納得して結論が出ればいいのですが、まとまらない時もあります。こういう時、勉強のできる子どもや力の強い子ども対して他の子どもがなかなか反論できずに、そのまま収束することが多いように思います。納得していない子どもは無理やり自分の意見を変えさせられたように感じてしまいます。これでは子どもたちの人間関係も悪くなってしまします。
また、意見が分かれた時に多数決で決めてしまう場面をよく目にします。班活動などでの行動を決める時には多数決も致し方ありませんが、考えたことを多数決で決定するというのはかなり乱暴です。対立する意見を伝えあい、理解しようとすることで考えは深まっていきます。多数決はその時点で互いの考え理解し、深めていくことを放棄する行為です。無理に1つにまとめようとするとこういうことが起きるのです。
また、1つにまとめるとグループの中にあったよい意見が全体の舞台に載らずに消えてしまうことがあります。以前見た家庭科の授業で、冬に温かく生活する工夫についてグループで意見を出し合っている場面のことです。1つのグループ内で「エアコンを使う、使わない」で意見が分かれていました。また、別のグループでは「換気扇を回す、回さない」を議論していました。前者は電力不足が話題になっていたころなので意見が分かれたのでしょう。後者は安全のため部屋の空気を入れ替えるか、温かい空気を逃がさないようにするかがで分かれたのでしょう。いずれにしてもグループでまとめるという指示だったので、全体ではこの意見の違いは話題になりませんでした。全体の場で話し合えれば面白い展開が期待できたと思いますが、残念でした。

このようなことを避けるためには、たとえグループでまとめるとしても、意見が分かれたら併記する。「どのようなことを話し合った?」「どんな意見が出た?」と結論ではなく過程を問う。こういう工夫が必要になります。
また、グループでまとめるのではなく、友だちの考えを聞いて最終的に自分の考えを持つことをゴールにすれば、友だちの意見に納得しなくても無理に自分の意見を変える必要はありません。あくまでもグループは個人の考え広げ、深めるための手段と考えるのです。

グループで答を出すことを目的にすると、結論をグループでまとめることになってしまいます。そうではなく、グループ活動を通じて一人ひとりが考えを広げる、深める。子どもたちが考えた過程を学級全体で共有する。こういうことを大切にしてグループ活動を取り入れてほしいと思います。

2つの中学校区の先生方に講演

先週末は、2つの中学校区の小中学校合わせて5校の先生方を対象に「学習規律を整え、子どもの力を引き出す授業づくり」と題して講演をおこなってきました。100余名の先生方が参加してくださいました。

今回は、途中で校区の小中学校混成のグループでの話し合いを2回入れました。事前に見せていただいた3校の子どもたちの様子を参考にして、話し合いのテーマを決めました。

1回目は、
「指示をしてもすぐに動かない」
  どうすれば指示が素早く、徹底できるでしょうか?

「ノートに答が書いてあるのに数人しか挙手しない」
  理由はなぜでしょう?
  どうすればみんなが手を挙げるようになるでしょうか?

2回目は、
「教師が説明しているのに板書を写す子どもがいる」
  理由は?
  どうすればいい?

「友だちが発言しているのに子どもが教師を見ている」
  理由は?
  どうすればいい?

どのグループも積極的に話し合っているようでした。小中学校で子どもに対する見方が違ったりしますが。そういうことにも気づいていただけたのではないでしょうか。面白かったのは座席の配置で、話し合いの様子が違っていたことです。一部のグループが横一列に並んだまま話し合いをしていました。たまたまかもしれませんが、他のグループと比べて話し合いが低調に見えました。向かい合って互いの顔を見て話すことも、話し合いを活発にする大切な要素のように思いました。
時間の関係もあり数人しか発表していただけませんでしたが、「同じ考えの人」「話を聞いて納得した人」と子ども同士をつなぐことを実際に少し体験していただきました。気づいていただけたでしょうか。

いずれの問題も正解があるわけではありませんが、私なりの答につながるような話をさせていただきました。
子どもを認める、ほめることや安心して話せる雰囲気づくりの大切さ。子どもたちに聞く姿勢をつくること。そのためにはまず教師が子どもの言葉をしっかり聞いて見本を示すことが必要なこと。このようなことです。

また、次のことを自己チェックしていただきました。
・「わかった人」と子どもに問いかけていないか?
  わかった人しか答えられない。
  「わからない」を共有することが大切。
  「困った感」に寄り添う姿勢が必要。

・子どもの答に「正解」と答えていないか?
  正解は思考停止のキーワード。

・正解が出たらすぐに説明をしていないか?
  教師の求める答探しにしない。
  一問一答から脱却することが大切。

・「試験に出る」から覚えるようにと言っていないか?
  消費者的な行動をとる子どもたち。
  早く、労力をかけずに結果を得ようとする。

参加された方は、自己チェックしてどのように考えられたでしょうか。

大人数相手の講演でしたので、先生方の反応が気になりました。しかし、どなたも目を合わせてうなずくなど、しっかりと反応してくださいました。集中して聞いていただけたようです。2学期以降、何か一つでも意識して授業を変えようとしていただければこんなうれしいことはありません。
思いがけず古くからの知り合いも参加していて、昔話に花を咲かせました。また、会終了後、各学校の管理職や主任の方と昼食をご一緒させていただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。とてもよい学びの機会と楽しい時間をありがとうございました。

学校力向上研修

昨日は、市の学校力向上研修で講師を務めました。管理職、ミドルリーダー対象の研修です。今回は先生方の授業力アップのためにリーダーにどのような力が必要か考えてもらうのが目的です。私にとっても初めての試みなので、手探りでの研修でした。前半は模擬授業をもとに、具体的にどのような視点で授業を見るかを考えてもらい、後半は先生の授業力アップのためにリーダーに必要な力について考えてもらいました。模擬授業は会場校の教務主任お願いすることができました。子ども役は受講者から事前に選ばれていました。私が講師を務めている授業力研修の過去の受講者が何人もいてとても心強く感じました。

模擬授業は小学校4年生を想定した総合的な学習の時間でした。地域や学校のお宝を鑑定するという内容です。子どもたちが持参した写真を使ってお宝のPRをし、ランキングをつけるというものです。

導入はお宝鑑定団の曲名当てクイズから始めました。問題児役がテンションを上げます。スタートしてすぐでしたが、あえて何度か止めて話をしました。子どもたちのテンションが上がる要因。テンションが上がることの是非。すぐに先生に話しかける子どもをどうするか。それに関連してオフィシャルとプライベートを意識して、価値ある発言であれば全体に対して再度発言させて共有化してから答える、そうでなければあとから個別に対応すること。「はいはい」と指名されたくて声を上げる子どもをどうするか。それに関連してペアレントトレーニングについてなどです。どうすればいいかについての話をすることが目的ではありません。こういう視点を持って授業を見てほしいということです。子どもの様子を見て、それを話題にすることが大切なのです。実際の授業研究であれば、司会者やコーディネーターが上手くその場面を取り上げ焦点化することが求められるのです。その解答を自分が持っていることは必ずしも重要ではありません。解答はみんなで考えればいいのです。その場面に気づき、俎上に載せることができるかどうかが問われるのです。

持参したお宝写真のPRをつくる場面です。5分間でつくるように指示が出ました。作業終了後授業を止めて、見ていて気づいたことを参加者にたずねました。誰も答えません。実際の授業でもそうですが、漠然と「気づいたこと」と聞いてもなかなか答えられないのです。そこで、「子どもの関係」という言葉を足したところ、すぐに答えてくれる方がいました。「子ども同士のかかわりがない」ということです。個人作業の場面です。かわり合いがないのは当然と言えば当然ですが、実際の授業ではこのようなことはまずありません。隣を見たりするはずです。子ども役が優秀な子どもに徹したからでしょうか。私も明確な答えは持てていません。そこで子ども役に聞いてみました。「時間に余裕があればのぞいたと思うが、5分しかなかったから」という答が返ってきました。なるほど、納得です。時間をたくさん与えないことが集中力を生み出すことに気づけました。与えた時間でできなかったら延長するといったことを日ごろからしていると、だらだらやる子どもが出てくることもわかります。気になる場面を取り上げて話し合うことが大切だというのはこういうことなのです。

何度も授業を止めて、参加者とやり取りをしたり解説をしたりしたので、グループでお宝のランキングをつくったところで、模擬授業は終わりとしました。事前に指導案もしっかり立てて臨む意欲的な授業者です。授業研究そのものが今回の目的であれば、本当にたくさんのことを学べたであろう授業でした。2時間フルに使って授業検討をする価値のある授業だっただけに残念です。授業者にも申し訳ない限りでした。

この後、教員の授業力アップのために、「リーダーに必要な力」と「どうやって身につける」をグループに分かれて話し合っていただきました。実は、私としては前半に授業を見る力の大切さを意識させたので、そこばかりに目がいくことを予想していました。そこで、グループの発表の後、足りない視点について話をするつもりだったのです。ちょっと意地の悪いことを考えていました。
ところが、どのグループも授業に関する力以外のキーワードがたくさんでていました。「ほめる」「一緒に考える」「雰囲気をつくる」「企画力」・・・。脱帽です。私が足すようなことは何もありませんでした。この市の先生方はとても優秀です。こういったことを自分たちでちゃんとわかっているのです。そうと知っていれば、でてきたキーワードを元に、具体的にどのようにすればいい、どのようにしているかを共有することに時間を割くべきでした。残念ながら、その時間は既にありません。私の完全な読み違いです。参加者の皆さんには大変申し訳ないことをしてしまいました。もし、次の機会があるのなら、具体的にどうするかに時間を割くプログラムにしたいと思います。

まわりが校長や管理職ばかりというプレッシャーの中で模擬授業をしていただいた授業者には、どれだけ感謝してもしたりません。この模擬授業を通じて私自身が学べることがたくさんありました。また、以前の研修の受講者がグループでの話し合いを積極的にリードしている姿をたくさん目にしました。これもとてもうれしいことでした。私自身は反省すべきことがたくさんありましたが、とてもよい研修をさせていただくことができました。事務局を始め、授業者、子ども役、参加者すべての方に支えられた研修でした。本当にありがとうございました。

「禁句」を意識する

講演などでは、授業中や子どもと接する時に大切にしたい言葉を必ず資料としてつけるようにしています。「なるほど」「ありがとう」「聞かせて」といった子どもを受容したり、称賛したり、外化をうながしたりする言葉です。その一方で、講演等であまり話しませんが、使ってほしくない言葉があります。「禁句」です。この「禁句」を意識することについて考えてみたいと思います。

いくつか例をあげてみます。
「正解」(「『正解』は思考停止のキーワード」参照)
子どもが問いに正解を答えた時に、「正解」と言えないと困りませんか。教師が正解を判断できないのですから、嫌でも子どもたちに判断させることになります。

「わかった人」(「『わかった』は禁句!?」参照)
質問をしたり、問題を解かせたりすれば「わかった人」「できた人」と聞くのがふつうです。しかし、こう問いかければ「わかった人」「できた人」しか発言できません。これを禁句にすれば、わからない子ども、できなかった子どもも発言できるような問いかけをせざるを得ません。

「考えて」(「『考えて』では考えられない」参照)
「考えて」「気づいたことない」といった問いかけは抽象的です。わからない子どもにとっては、何を答えていいかわかりません。これを禁句にすると、具体的な指示をすることにつながります。

「他には」
子どもが教師のねらいと違った言葉を言った時、つい使ってしまう言葉です。自分の発言をしっかり評価されず、活用もされないで「他には」と言われれば、「あっ、外した」と子どもは感じます。教師の求める言葉があり、自分の発言はそれとは違ったと思います。子どもたちは、自分の考えを言うのではなく、教師の求める答探しを始めてしまいます。「他には」を禁句にすると、自分のねらっている言葉に近づけるような切り返しが求められます。また、子どもの発言の中からねらいにつながるような言葉を見つけることを意識するようになるはずです(「教師のねらいに近い考えをどう深めるか」参照)。

「なぜ」(「切り返しの言葉」参照)
私たち大人でも、「なぜ」と聞かれると答えにくいものです。こちらは子どもなりの理由を聞きたいと思っていても、聞かれた子どもは明確な答を要求されているように感じます。授業だけでなく、個人面接などでも注意したい言葉です。子どもが話してくれたことに対して、「なぜ」と問い返すと詰問されているように感じます。「それってどういうことか聞かせてくれる」といった、広く受ける問い返しが求められます。「なぜ」を禁句にすることで、問い返しの言葉を工夫することになります。

「(あなたの)気持ちがわかる」「そんなことないよ」「頑張れ」
悩みごとの相談などで注意したい言葉です。苦しい気持ちを話してくれたときに、つい「気持ちがわかる」と言ってしまいますが、苦しんでいる人は自分の苦しみは他人にはわからないと思うものです。安易にこの言葉を使うと、調子のいいことを言っていると心を閉ざす可能性があります。
「自分はダメな人間だ」といった否定的な言葉に対して、フォローするつもりで「そんなことないよ」と言うと、自分の言葉を否定されたと感じます。たとえ、否定的な言葉でも、「なるほど、自分はダメな人間だと思っているんだね。それは苦しいね」とそのまま受け止めることが必要です。
また、「頑張れ」はとても励まされる言葉ですが、頑張ってきたと思っている人には、「これ以上頑張れというのか」と追いつめる言葉になることもあります。諸刃の剣なのです。
これらの言葉は、うっかり使うと人芸関係を決定的に損なう危険性のある言葉です。禁句にすることで、そのリスクを軽減することができます。(「悩み事の相談」、「保護者からの相談への対応」参照)

例に挙げたように「禁句」とすることで、自然に授業のあり方が変わる言葉があります。また、何気なく使う言葉の中には、ひとつ間違えると相手を傷つけてしまうものもあります。こういう言葉は「禁句」として強く意識しないと、うっかり使ってしまい思わぬ事態を招くこともあります。
ここで取り上げたもの以外にも、「禁句」にするとよいものがあると思います。もちろん、ここに挙げたものすべてを「禁句」にすべきだとも思いません。「禁句」をつくる意味を考えた上で、授業や子どもと接する場面で、どのような言葉を「禁句」にすべきか一度思いを巡らせてみてください。
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31