小学校で授業アドバイス(その1)(長文)

小学校で授業アドバイスと授業研究に参加しました。今年度最後の訪問です。

3年生のベテランは、算数の2桁のかけ算の授業でした。以前に見せていただいた時と比べて、授業者の笑顔が増えていました。子どもは落ち着いて、前向きに授業に参加していました。子どもたちの学習もよく定着しています。前時の復習では、1人を除いて全員の手が挙がりました。指名で進めましたが、こういう場面ではペアでの確認を取り入れると、子どもたちが発表する機会が増えますし、手の挙がらない子どもも自然に答を知ることができます。答だけでなく「考え方」も聞きます。子どもは前で図や式を使って説明したかったのでしょうか、「そこへ行っていい」と黒板を使おうとしましたが、「言葉で言って」と返しました。言葉での説明にこだわって、子どもたちにできるだけ言語化させようとしていることがわかります。算数や数学では図や式も表現の大切な手段です。言葉での説明だけにこだわらず、いろいろな表現手段を子どもの実態に応じて取り入れていただければと思います。発表者は一生懸命に説明しようとします。全員ではありませんが、何人かの子どもがうまく説明できるだろうかと、発表を気にしています。せっかくですので、「しっかり聞いていてくれたね」と評価したり、「助けてあげてくれる」「○○さんの言いたいことわかった。代わりに説明してくれる」「何か足すことはない?」とつないで活躍させたりすることで、こういう子どものよい姿を学級全体に広げてほしいと思います。
かける数が4増えて、1位の数が0から4に変わったときの計算の仕方を、今まで習ってきたことを使って自分で考えるよう指示しました。ただ答を出すのではなく、考え方もノートにしっかり書かせます。子どもたちを見ると、多様な考え方が書かれています。日ごろから鍛えられていることがよくわかります。その反面4、5人の子どもが手つかずの状態です。授業者は何とか自力で解決させたいと考えているのか、机間指導しても彼らにあまりかかわりませんでした。
「ちょっと鉛筆を置いてくれるかな」と作業を中断しました。「答えてくれる前に」とヒントを出しました。机間指導であえて声をかけなかったのはここでヒントを出そうとしていたからでしょう。さすがにベテランです、非常にわかりやすいヒントで、途中で止まっていて子どもたちも含めて多くの子どもが再び意欲的に活動を始めました。しかし、手のつかなかった子どもにとってはここまでの時間はかなりつらいものです。また、すでにできている子どもにとっては、このあとの時間は退屈な時間となってしまいます。
自力解決の前に、前時の復習と合わせて、2学期にやった2桁かける1桁の計算を(できれば今回利用する数を使って)実際に計算して復習する。ヒントと言わずに、問題把握の段階で、「ミカンが4つ増えると、払うお金は増えるね。どれだけ増えるかな。できそう?」と子どもたちに見通しを持たせてから取り組ませる。というように、必要な知識を具体的に復習し、見通しをそれとなく与えておくという方法もあります。また、手のつかない子どもに、できている子どもに聞くようにうながすことで、できた子どもにもよい学びの時間となります。
このようなことをアドバイスしました。

3年生の若手も算数の時間でした。線分図を元に2つのものをまとめてから計算するか、順々に計算するか、いろいろな解き方を考える場面です。
求めるものの確認を全員にしました。「消しゴム」と元気な声が返ってきます。こういう場面は全体で言わせて終わってしまうことがよくありますが、何人かには個別に確認したいところです。なんとなく全体の声に流されていることがよくあるからです。
個人作業を机間指導するのですが、一部の子どもだけに○をつけています。○をつけるのなら全員に○をつけることを意識してほしいと思います。正解していなくても、できているところまでを「ここまでいいよ」と部分肯定をすることで、止まっていた手も動き出します。「まわりと相談してもいいよ」と声をかけて子どもをつなぐという方法もあります。子どもへ「すごい」と声をかけますが、何がすごいのかはよくわかりません。具体的に何がすごいかを言わなければ、そのことが強化されたり、まわりに広がったりはしません。「できてるじゃん」という声も出ていましたが、「答が出ることに価値がある」と言っていることにもなります。「先に足してから引いたんだね。なるほど、すごいね。他のやり方もできるかな」と具体的に考え方をほめるようにするとよいでしょう。
答が出た子どもはそこで活動が止まっています。途中で、できた子どもには別の解き方を考えるように指示をしますが、まだ途中の子どもには、指示は通りません。このような指示は作業に入る前にしておくことが大切です。全体での共有化の場面では、何通りの解き方ができたか数を聞きます。途中で指示をしたといってもこれはあまりよいことではありません。数を問うのであれば、最初の段階で課題を「いくつの解き方ができる」といったものにしておく必要があります。
子どもたちに発表をうながしますが、できているのに手の挙がらない子どもがいます。自信がないから発表しないのか、できているので発表する意味がないと思っているのか気になります。式を発表したあとで、式の説明を「なんで」と聞きます。「なんで」や「なぜ」は答えにくい問い返しです。発表者はどう答えていいのか戸惑っています。できれば、「どういうこと」と答えやすい聞き方をしてほしいところです。しかし、授業者が笑顔でしっかりと受け止めてくれるので、たどたどしいながら言葉を紡いでくれます。説明でわかったかどうかを何人にも確認します。教師が自分の言葉で説明しないように意識していることがよくわかります。とてもよい姿勢です。苦しくてもこの姿勢を崩さなければ必ず成長します。
子どもは自分の言葉で説明しようとすると、簡潔な説明はできません。どうしても、長くなってしまいます。聞いている子どもは1回聞いただけでは完全に理解できません。こういう時は、「なるほど、しっかり説明してくれたね。みんなにわかってもらいたいから、もう1度きかせてくれるかな」と繰り返させます。このとき、途中で「ちょっと待って、ここまでの説明は納得した?」と切りながら全員の理解を確認します。「○○さんの言ったこと、もう一度説明してくれるひと?」と重要なところは他の子どもに説明させてもよいでしょう。
また、子どもの考えを深めたり、整理したりするには教師の切り返しも大切です。「この式で何を求めたの?」と返す場面がありました。このような問いかけに、「消しゴムの代金」と具体的に答えられる場合はいいのですが、式そのままに、「ノートと鉛筆の代金をたしたもの」としか答えようがないものもあります。先ほどの「なんで」と同じようにとても答えにくいのです。簡潔に「○○です」と答えられないからです。こういった場面は言葉での説明にこだわると苦しくなります。せっかく線分図を使っているのですから、それを活用すればよいのです。線分図の「どこのこと」「どこにある」といった聞き方をすれば、示しやすくなります。
また、子どもの説明で、「合わせての時は足し算ですが・・・」といった言葉が出てきたことが気になります。言葉と演算を1対1で覚えるのはとても危険なことです。「合わせていくらになりました、元の値段は・・・」では引き算です。言葉の示す状況を理解して、図示するなどして、演算を決定することが大切です。「足すと値段が大きくなるから引き算・・・」といった言葉も聞かれましたが、見通しを持つには有効な考えですが、それを裏付ける根拠を持たせることが大切です。言葉での説明にこだわりすぎているように感じました。
わかっている子、発表できる子は教師がしっかり受け止めてくれるので積極的に挙手をしますが、そうでない子はなかなか参加できません。子どもの発表の途中ですぐに教師が板書するので、友だちの話を聞こうとしている子どもも、そちらを頼りにしてしまいます。「わかった人?」とつなぐのですが、まだ、答という結果をつないでいます。「どこでわかった」と過程をつなぐといったことも意識する必要があります。教師が受け止めて、板書して、わかったと聞くという流れなので、発表者は教師に理解してもらって満足してしまいます。発表すると自分の仕事は終わったという顔をして、友だちの反応を期待していないことからもわかります。教師ではなく、友だちに理解してもらおうとする姿勢を育てることが大切です。
子どもとの基本的な関係、受け止める姿勢、授業規律がしっかりしてきたからこそ、課題がたくさん見えてきました。一つひとつのことを意識して、子どもの反応から少しずつ修正していくことで大きく進歩すると思います。来年度が楽しみです。

6年生の若手の授業は体育でした。前回バスケットボールの授業を見せていただいたのですが、そのバスケットボールの最後の時間でした。子どもたちはグループごとに練習をしています。タイマーによるインターバルで、教師の指示なしで次の活動にスムーズに動いていきます。授業者は、その間子どもたちのようすをじっと見ています。子どもたちを自主的に動かそうとしていることがよくわかります。前回と比べて子どもたちはずいぶんと成長しています。互いに声かけをして、自分たちで課題意識を持って活動しているグループがたくさんあります。ゲームをおこないましたが、子どもたちは小学校6年生としては、とても組織的にプレーをしていました。グループごとに作戦を立て、試合終了後にチェック表で自己評価しています。子どもたちが考えて意欲的に取り組んでいる理由がわかります。
途中で子どもたちを集めて指示や説明をしますが、コンパクトにまとまっています。ムダな時間が減って子どもたちの活動時間が確保されています。
グループごとの準備運動の後、ボールを取りに行って活動を始める場面で、素早くボールを取りに行くグループがいた反面、うっかりしてしばらくボーとしているグループがありました。子どもたちが気づくのを待っていましたが、こういう場面では「おっ、素早いグループがあるね」とよい行動をほめて広げることをするとよいでしょう。グループ内でのかかわり合いは意識されてきましたが、その学びを全体に広げることも大切です。グループ間のかかわり合いをつくることが必要です。ゲームのないチームがゲーム中のチームのプレーを見てよいところチェックし伝える。全体で、練習の工夫やうまくいったことを発表する。こういった活動を加ええるとよいことを伝えました。
わずかの期間ですが工夫をして授業がよい方向に変わっていることが、子どもたちの姿からわかりました。うれしいことです。

特別支援学級の若手の授業のようすも参観しました。
先週から担当の児童が1人増えて、3人になったようです。授業者は笑顔がとても素敵で、子どもたちのよいお兄さんといった雰囲気です。子どもたちとの関係も良好で、子どもたちは授業者とかかわりたくてしょうがありません。子どもたちは授業者が相手をしてくれるとテンションが上がります。授業者の気を引こうとして声を出したり、机をたたいたりといった行動をとります。授業者は、それにすぐに反応してしまいます。課題の指示をしたり、落ち着くよう指導したりしますが、子どもにとっては授業者の気を引けたのでそれで成功です。これの繰り返しで1時間が過ぎていきます。子どものテンションは高いままで、授業者は疲れてしまいます。笑顔で受容することも大切ですが、子どものテンションを下げる技術も必要になります。
教師の仕事は子どもたちの相手をして喜ばせることではありません。子どもたちがどのような姿になること目指すのかをしっかりと意識して対応する必要があります。目指す姿の一つに自分の行動を律することがあります。我慢できるようにすることです。子どもは教師が反応しなくても我慢できる時間や回数がある程度決まっています。3回まで我慢できるなら、4回目に反応してあげる。そういったかかわり方も必要です。子どもが机をたたいたりして授業者の気を引こうとしたときには、それをやめた瞬間にほめて相手をしてあげるといったよい行動を強化するペアレンタル・トレーニングの手法も有効です。
ある子どもが以前にやったダンスを始めました。授業者は「今はダンスの時間じゃないよ」と注意をしましたがなかなか止まりませんでした。子どもはそれまで机の前に座ってストレスをためていて体を動かしたかったのかもしれません。それとも、教師の気を引きたかったのかもしれません。それをわかって対応できるのは日ごろから接している担任しかいません。子どもの行動の因果関係を把握することも大切なことです。
このようなことを伝えました。

長くなりましたので続きは、「小学校で授業アドバイス(その2)(長文)」で。

来年度研修の打合せ

先日ある市の来年度の研修の打合わせを担当の教頭先生とおこないました。

中堅の先生対象の年3回の講座は、5年以上続いています。ここ数年は、授業を見ての検討会、模擬授業と指導案検討会、実際の授業を見ての検討会という構成です。受講者自身の授業力アップだけでなく、受講者を通じてここでのグループ主体の検討会のあり方を各学校の研修等に活かしてもらうというねらいもあります。ここ数年、受講者のレベルがどんどん高くなっているのを感じます。今までの受講者を通じてこの市のレベルが上がっている手ごたえを感じています。受講者の意識も高く、私自身もよい勉強をさせていただいている毎年楽しみな講座です。受講者からもよい評価を受けているおかげで、来年もこの企画を続けていく方向で提案していただけることになりました。

私が担当しているもう一つの研修は、模擬授業とその解説をリアルタイムでおこなうものです。ベテランに模擬授業をしていただき、適宜授業を止めて私が解説するというものです。ベテランがよい授業を提供していただけるので、充実した研修となっていたのですが、参加者の人数が多く、子ども役は限られているので、どうしても受け身の時間となってしまいます。また、若手からベテランまで、全教員が対象となっているので解説のターゲットがはっきりせず、必ずしも皆さんに満足していただけるものとはなっていませんでした。そこで、来年度は対象、人数を絞ったものにしようと相談しました。
初任者や若手には多くの研修が用意されています。中堅には先ほどの講座があります。ここでクローズアップされて来たのが、教務主任です。若手が学校に増えてくる中、授業力アップを含め学校力アップには教務主任が要となります。そこで、対象を教務主任と近い将来その役につくであろう方々とした講座を設けようということになりました。
内容は、自校の先生方の力量アップを通じて学校力をアップすることをテーマとして、受講者による模擬授業とそれを元に現職教育の持ち方やリーダーのあり方を考えるものです。学校力アップに関しては管理職対象で何度か研修をおこなっていますが、教務主任対象のもので、しかも模擬授業と組み合わせたものは全く初めての試みです。どんなものになるかちょっとわくわくしてきます。この企画が通ることを楽しみにしています。

打合せ終了後、少し雑談をさせていただきました。教頭職の多忙さを感じるとともに、その中でいかに学校をよい方向に変えていくのかに頭を悩ませていらっしゃることが印象に残ります。学校を取り巻く環境が厳しくなる中、いかに学校の応援団を増やすかが大きな課題になってきます。学校評価の活用が一つの答になってくるというようなことをお話しました。前向きな言葉を聞かせていただき、私も元気が出てきました。楽しい時間をありがとうございました。

中学校の授業研究に参加(長文)

中学校で授業研究に参加しました。教員は2時間の研究授業のどちらかに参加して、全体で授業検討をおこないます。

最初の授業は、ベテランの体育の授業でした。2年生の男子のバレーボールの試合形式の練習です。ベテランが率先して授業を公開することはとても素晴らしいことです。
準備運動は体育の係が中心となって進んでいきます。授業者は一切指示しません。子どもたちの声もよく出ています。しかし、注意してみると声が出ていない子どももいます。授業者は、子どもたちが自分たちでちゃんとできるので安心して授業の準備をしています。ある程度できているからこそ、評価する必要があります。毎度のことであっても、評価し、より高いところを目指してほしいのです。「○○君、よく声が出ていたね」「△△君、準備運動しっかりできていたね」と一言声をかけることで、よりよい状態になっていくはずです。
チーム分けは、毎回異なるようにしています。そのため、チーム内での役割を明確にできないという問題があります。逆に固定化しないので、いろいろな子どもとかかわれるというメリットもあります。どちらがよいというより、そのよさをどう活かすかです。
この日の課題は三段攻撃です。どうすればできるのか、そのポイントについてはあまり詳しく説明しません。子どもたち自身で気づいてほしいからでしょう。進め方について説明しますが、子どもたちの顔があまり上がりません。いつもと同じようなやり方であれば、組み合わせ表を貼っておき、チームの代表にチェックさせればいいのです。チームが固定化していいないので、難しいのかもしれませんが・・・。
チームに分かれた後、授業者がゼッケンを分けて各チームに配布します。見学者がいたので、できれば彼に役割として与え、「ありがとう」と言ってあげてほしいと思いました。見学者もできるだけ参加させてほしいのです。
ボールを持って子どもたちがサーブをしようとしているところへ、「足を動かして」と注意をします。動き始めてからでは、届きません。分かれる前にするか、一旦止めることです。
最初2ゲームは、漫然と進んでいきます。まず三段どころか返すのがやっとです。いわんやトスやスパイクを見ることはありませんでした。子どもたちは、三段攻撃を意識していましたが、何がいけなかったのか、どう修正するのかといったことは考えていません。だだ、ゲームをやっているだけなのです。当然互いの声かけもありません。点が取れて歓声を上げたり、おかしなプレーに対して笑い声が上がったりするだけでした。
2ゲームが終わったところで集めます。子どもたちにどうすればよいか問いかけますが、ほとんど意見は出ません。そんなことを考えてプレーしていないからです。何人かの意見を聞きますが、結局教師がまとめて、ビッグボイス、アイコンタクト、スマイルを大切にすることを説明します。コミュニケーション面です。しかし、技術面でも意識させるべきことがあるはずです。
グループごとに工夫して練習する時間を取るのですが、三段攻撃ができるようになる工夫は見られません。ほとんどが円陣を組んでパスの練習をしているだけです。授業者がグループごとにアドバイスをしますが、グループごとの問題というより、全体の問題のように思いました。
ローテンションの位置でセッターを指定する。レシーバーはセッターに返すことを意識する。他のメンバーはレシーバーに体を向けて、素早くフォローできる体制を取る。こういうことを意識させえる必要があります。具体的にすることで、セッターにレシーブが返った、レシーブミスのフォローができたと互いに評価し合えるのです。
ゲームを再開しました、子どもたちのようすはあまり変わりませんでした。声もほとんどでません。待機チームに、何回三段攻撃ができた、レシーブが成功した、トスが上がった、ミスをカバーした、声が出ているかなどをチェックさせて報告させる。ゲームごとに30秒でいいからチームで考える。そういう仕掛けをしないと意識されません。考えさせる場面をつくらなければうまくはなっていきません。子どもたちと授業者の関係は悪くはありません。子ども同士の関係もよいのですが、授業におけるかかわりや学びあいは機能していないようでした。
子ども同士のコミュニケーションを意識した授業だったのですが、指示するだけではうまくいきません。そうする必然性が起こるような仕掛けを工夫してほしいと思いました。

もう一つの授業は、若手による1年生のTTでの数学です。度数分布とヒストグラムの導入です。
この授業の流れが黒板の横に貼ってあります。これがあれば安心して授業に参加できると思ってのことでしょうが、数学は作業ではないので意味がありません。必然性を積み重ねて授業をつくることが必要です。残念ながらこの授業には数学的必然性が全くありませんでした。
指示に対する子どもの動きが遅いように感じました。指示が通っていないのに授業者がしゃべり始めます。紙コプター(細長い紙に縦の切れ目を入れて、広げたもの。クルクル回転しながら落ちていく)の羽の長さが異なるもの用意して、どちらかの滞空時間が長いのかを考えさせます。これは考えることではありません。根拠を持って考えるための知識を子どもたちがもっていないのです。隣の子に声をかけている子がいます。子ども同士の関係は期待できます。しかし、ほとんどの子どもは考えていません。考える必然もないのです。
指名した子どもが理由を聞かれて、「教科書に書いてあった」と答えました。授業者は扱いに困っていましたが、続けて他の子どもに聞きました。考えてといった手前、これで終わらせるわけにはいかないのでしょう。空気抵抗を理由に答えてくれた子どもを、「すごいね」とほめます。よい対応ですが、この場面自体がムダでした。
実際に2つの紙コプターをそれぞれ落として、時間を計りました。どちらの滞空時間が長いか、結果は明らかです。子どもたちに「1回で言えると」揺さぶりますが、「言える」と返ってきます。それ以上揺さぶることができないので、今日の課題はと進めていってしまいました。授業の流れを貼ってあったことと合わせて、授業は子どもたちの都合ではなく、教師の都合で進んでいくものだと言っているようなものです。
その場の思いつきですが、こんな導入を考えました。紙コプターを1つ見せて1度落として見せる。「何秒くらい?」と聞く。子どもに答えさせて、計ってみる。「○○秒で決まり?次は絶対当たる?」と挑発する。もう1度やって、値がばらつくことを確認する。じゃあと言って、もう1つの紙コプターを見せて、さっきのより早く落ちるかどうか子どもたちに問いかけ、「速いと思う人はノートに○、遅いと思う人は×を書いて」と態度を決めさせ挙手させる。1回実験して、「これで決まったね」と言う。子どもから「1回じゃわからない」とでてくれば、あとは簡単です。もしでなければ、「さっきの紙コプターのとき、ばらついたじゃない。ひょっとしたら、今度はものすごく速くなるかもしれない」と揺さぶります。子どもたちから「たくさん計らなければ言えない」という言葉を出して導入は終わりです。どうでしょう、5分はかからないと思います。たくさんのデータがないと結論をだせない場合があることが、統計処理の必然性なのです。
授業者は、教科書の50回のデータをもとに、理由を説明するように指示を出しました。最初に理由を聞いた場面で「空気抵抗」という物理的な理由をほめています。ここは、統計的な「理由」です。この違いを意識していません。発問も変えなければいけません。「このデータを基に・・・と言えそうですか」といった表現でなければいけません。統計的には信頼度などの言葉があるように、ある確率的な幅でしか結論は出せないからです。数学の教師であれば、中学校の教科内容の後ろにある膨大な数学の世界をある程度俯瞰できなければ、教科書の表現や教材の意味も分からないのです。教材研究が必要な理由です。
子どもに発表させますが、よく聞こえません。友だち伝える意思をあまり感じません。子どもに発表させるだけで、それを活かそうとはしないからでしょう。「同じことに気づいた人いる?」「気づかなかった人、本当かどうか確かめて?」と全員に広げなければ、ただ教師に向かって、私はちゃんとやりましたよとアピールする意味しかないのです。50の生データでは、確認するのも大変です。だから、度数分布表の必然性があるのです。度数分布表を使うと、もっとたくさんのことに気づけるとわかって、初めて使う意味が分かるのです。見やすいといっても全く説得力がないのです。
起立して教科書の度数分布表の説明を読ませます。読み終わると着席します。内容理解の確認のために、度数分布表の欄を指して、階級、度数といった用語を確認します。用語を覚えてもその意味を理解しなければなりません。度数分布表は階級の幅の取り方で見え方も変わります。そう言う本質的なことを考える場面がないのです。「以上」「未満」という用語は、それぞれ端の値を含むか、含まないかを確認します。3人ずつ指名するのですが、全員が本当にわかっているかの確認するための活動はありませんでした。
教科書は参考書のように読むことで理解できるようにつくられています。今の教科書はすべての内容を授業で扱う必要がないため、自学自習できることを意識しているからです。だからこそ、授業での活用は、もっとダイナミックなものであってほしいのです。
データから度数分布表をつくる練習をします。最初の階級の度数を全体で調べて、残りを個人作業にします。階級ごとに度数を調べる方法のほかに、データを1つずつチェックしてどの階級に属するか正の字を書く方法もあります。アルゴリズムとしては後者の方が早いはずです。どちらが正しいというわけではありません。子どもに好きにやらせて、それぞれの方法を共有して、どうするとよいか考えさせるといった活動も、視野に入れてほしいと思います。作業ばかりで思考がないのは数学の授業としては少し疑問です。
度数分布表を完成させた後の確認は、各度数を子どもに指で示させます。なかなか全員参加できません。教師はなんとか読み取れますが、子どもたちは全員の手元を見ることができないので全体の結果を知ることはできません。教師のみが常に上から判断するという姿勢に見えます。子どもの意見が分かれたときは、教師が「答は・・・」と正解を発表します。子どもたちは教師の求める答探しをしているだけです。意見が分かれたら、本来はそれぞれが再度確認して自分たちで結論を出せばいいのです。
途中でT1とT2が交代して、ヒストグラムの話になりました。ヒストグラムを見せて、小学校の時にやったことを思い出させます、棒グラフと柱状グラフという言葉が出てきました。柱状グラフという言葉は今後は使わないと説明しますが、棒グラフとの違いは明確にしません。最後までヒストグラムの定義は明確にされませんでした。
結局、授業は作業ばかりで、作業の結果をもとに度数分布表やヒストグラムのよさや必要性を考える場面はありません。子どもたちはまわりと相談することや、グループでの活動はちゃんとできます。しかし、それを活かすような活動がなかったのです。

授業検討会は単発での意見は出ますが、それらが焦点化されていきません。子どもの視点での意見もたくさん出ました。力のある教師がたくさんいます。一方で、その意見に対してうまくかみ合えない方もいます。学校全体で目指す子どもの姿が共有されていないことを感じました。授業観もかなり異なっています。
教師と子どもの人間関係は決して悪くはありません。しかし、授業の中で子ども同士の関係をつくることをもっと意識してほしいと思います。わかっている子どもだけで進む授業ではなく、どの子も参加できる授業を目指してほしいこと、そのためにはつなぐことを意識する必要があることなどを、少し具体的に話させていただきました。

授業検討会の持ち方も課題でしょう。全員での検討会は、視点が明確になっていないとうまくかみ合わなかったり、対立関係をつくったりします。目指す子どもの姿、授業像を共有化し、まずは少人数でじっくり話し合える関係をつくるところから始めるとよいことを教務主任お伝えしました。

検討会終了後、3人の授業者とお話しする時間を設けていただきました。とても素直な方たちでした。
体育のベテランからは、授業をもっとよくしたいという意欲を感じました。子どもとの関係もつくれる方なので、考えさせることを意識させることで大きく授業が変わっていくと思います。
数学の2人は、教科の知識がまだ不足していて、数学の授業観が育っていない状態です。素直でやる気はありますから、どの程度知識が足りないのか、今回の授業では何がいけなかったのかをあえて細かく伝えました。ちょっと打ちのめされたかもしれません。悔しく思ったかもしれません。しかし、きっと素直に受け止め、勉強してくれることと信じています。玉置崇先生の著書「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」(明治図書)(「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」が届く参照)を紹介しました。今の彼らに必要なことが詰まっている本です。きっと彼らの力になってくれることと思います。

今回感じたのが、子どもたちと先生方のポテンシャルの高さでした。先生方のベクトルがそろえば、子どもたちが大きく成長する可能性を秘めています。学校の課題として認識していただけることを期待しています。

中学校で授業アドバイスと1年間の総括をおこなう(長文)

中学校で授業アドバイスとこの1年間の総括を全体会でおこなってきました。

初任者の社会科の授業は、都道府県クイズづくりでした。
まず教師から都道府県クイズを出します。山のつく県を書き出させます。子どもたちのテンションが上がっていきます。一定数書けたら起立させるのですが、もっと探そうとする子、これでよいと緩んで勝手にしゃべりだす子もいます。授業者との関係は悪くないのですが、都道府県名を覚えていない子は参加できません。地図帳を見ることも禁止されています。それならば、早く終わって先に進む必要があります。山がつく県に岩手県という子どもがいました。確かに岩に山が含まれています。しかし、「これは考えるのをやめよう」と最終的には数にいれませんでした。まず、子どもの考えを「すごい」「おもしろい」と受け止めてやってほしいところです。
授業全体を通じて授業者がどのような授業規律を求めているかがよくわかりませんでした。一方子どもは授業者がどこまでを許すのかを探りながら、授業規律を緩めさせてきているように思いました。
メインの活動はグループのオリジナルのクイズづくりです。「ヒントを出せば答が出るのがよい問題」と評価の視点を示します。とはいえ、これだけではどのようなクイズをつくればよいかわかりません。そこで、回答者を1人指名して試しにやってみます。全体で一度体験することは、とてもよいやり方です。回答者を子どもの方に向かせて、黒板に答を書きます。「AKB」です。さすがに子どもからも「県じゃないの?」と疑問の言葉が出てきます。回答者から質問をさせて、子どもたちにヒントを出させます。これは、予定しているクイズとは形式が違います。この後の作業は正解となる都道府県を決めて、その県に関する情報をヒントとしてつくるものです。ずれています。これでは、体験させる意味はありません。真剣に考える必要のない活動なので、子どもたちのテンションは上がっていきます。テンションが上がる一方で白けている子どもも増えていきます。一部の子どもが場を支配していきます。あまりよい状態ではありません。しかも、答を「○○先生」としてもう一度おこないました。ムダな時間が多すぎます。授業の導入で、教師または他の学級がつくったクイズをおこなえば、すぐにメインの活動に入れます。
途中、「ガチでやめろ!」という声が聞こえてきました。この学校で授業中にこのような攻撃的な言葉が聞かれたのは初めてです。言われた子どもはそのあと、集中できずに目はずっと泳いだままでした。あとで確認したところ、授業者はその言葉が聞こえていたようです。であれば、子どもの間に入るべきでした。「どうしたの?」とたずね、「なるほど、でも、今のような言葉を聞くのは悲しいな」と諭す必要があります。もし、言われた子どもにも非があるなら、互いに謝らせ、「2人ともありがとう」と教師が言って終わるようにしたいところです。
グループでクイズづくりを始めましたが、子どものテンションは下がりません。どの都道府県を正解にするかは、根拠を持って考えるようなことではないのでテンションが上がるのです。6人の生活班でおこなったため、どうしても仕切る子どもが出てきます。3人は考えているが、残り3人は参加していないグループ。席を立ってよそのグループにちょっかいをかける子どももいます。授業規律がかなり怪しくなっています。最初から集中して取り組んでいたのは、たまたま4人のグループだけでした。子どもたちのテンションが落ち着いたのは、都道府県を決めてから、ヒントの内容を考えているときです。しかし、再びテンションが上がります。ヒントが決まってホワイトボードに書いているときです。大多数の子どもがすることがないからです。
結局時間がないため、ヒントを書いたパネルを前に並べ、各自が問題を解いて白地図に書き込んで終わりました。ヒントを1つしかつくっていないグループもあります。うず潮、踊りといった文化的なものをヒントにしているグループ。どのヒントでも答えが出るようにしているグループもあれば、1つのヒントでは絶対に答が決まらないようにつくっているグループもありました。基準がはっきり示されていないからです。せめて、ヒントを考える範囲を資料集や地図帳に限定して、そこを根拠に問題を解くといった活動にすべきだったと思います。子どもたちが考える時間のほとんどない授業でした。授業者はテンションが高いのがよい授業と考えている節があります。そうではなく、子どもたちが考える授業を目指してほしいと思いました。

講師の英語の授業は、わずかな間に急激に進化していました。まず子どもたちが積極的に授業に参加しています。理由の1つは、子どもたち一人ひとりを笑顔でしっかり見ていることです。以前は教科書を見ながら、顔を上げずに進めている場面がありましたが、この日は教科書を見ないで子どもだけを見ながら進んでいきます。CDを聞いて教科書を見ながら音読する場面。授業者の音読に続いてsituationを意識しながら音読する場面。ペアで音読し合う場面。教科書を見ずに黒板に貼った絵と授業者を見ながら、授業者の発声に続いて発声する場面。それぞれの場面の意図が伝わっています。子どもたちの声がしっかり出るようになり、確実にうまくなっていきます。
授業がよくなってくると課題もはっきりします。前回の個人発表の評価をALTが”Well done.”と書いてくれています。子どもたちは”done”の意味を知りません。似た言葉を連想させて、”do” ”dose”を引き出しました。そのあとすぐに自分で説明をしましたが、ここは他の子どもに「どう思う。似ている」とつなぎ、「doが変化した言葉思い出して」と”did”を連想させたりしたうえで説明すれば、多くの子どもが参加できます。
CDを聞きながら、situationを理解する場面は、隣同士で確認するのですが、聞き取れなかった子どもは、正解を教えてもらっても確認のしようがありません。もう1度CDを聞かせて、最初聞き取れなかった子どもにもう1度機会を与えるべきでしょう。
ペアでの音読は、聞き手に1文ずつチェックする役割が与えられています。役割がはっきりしているので、コミュニケーションがしっかりとれています。ただ、どちらから始めるかをじゃんけんで決めさせていました。ムダにテンションが上がってしまいます。どちらから始めるかは、教師が指示をすればいいのです。
グループの活動の時に、まだグループの中に入りすぎます。まず全体の活動のようすを見る習慣をつけてほしいと思います。
また、授業の道具を一式忘れた子どもがいました。注意をして、隣に見せてもらうように指示しました。本人にどうするか考えさせ、「見せてください」と頼ませる。頼まれた子どもに「いいよ」と言わせる。それに対して、「ありがとう」を言わせ、教師も「よかったね」「ありがとう」と言う。教師が主体で対応するのではなく、子ども同士をつなぐようにするとよかった場面です。
とはいえ、この進歩は尋常ではありません。授業を変えようと本当に真剣に取り組んだことがよくわかります。この姿勢であれば将来が楽しみです。

2年目の教師の数学の授業は、問題演習の時間でした。
わからない子どもが自然に聞きあっている姿が見られます。友だちに聞ける子どもは、問題が解けるようになっています。ところが、手遊びしたり、ボーとしたりしている子どもが何人かいます。問題に手がついていない子どもたちです。中には机間指導で授業者が近づいてくるのをこっそり見ている子どももいます。教師が助けてくれるのをそっと期待しているのです。ところが授業者はその子の横を素通りしてしまいました。
説明の最初に、「みんなの答を見たけれど、記述式の問題だったらたいていの子は×だよ」と話しかけます。方程式の問題は、何をxとおいたか示さなければいけないのを忘れている子がたくさんいるというのです。しかし、この言い方は試験で×になるからいけないというパラダイムです。そうではなく、相手にわかってもらうために書かなければいけないというパラダイムにしなければいけません。
xの説明がない解答に対して、「xて何?何のこと?」と問いかければいいのです。そうすれば、自然に気づきます。「相手にわかるように書くことが大切だね」と押さえるのです。説明も、「わかりましたね」ですぐに終わります。わかっていなかった子が本当にわかったかどうかは「わかりましたね」では確認できません。どうすればわかっているのか確認できる手段を持つ必要があります。結局わかっている子は確認だけで、真剣に聞いていません。わからない子は答を写します。聞いていたわかった子どもは途中から説明を聞かずに自分で解き始めます。説明を始めるときにまだ途中だった子どもはそのまま顔を上げずに自分で問題を解いています。説明を聞くより自分で解きたいのです。結局教師の説明はどの子にとってもあまり意味のないことだったのです。そのことを象徴する出来事がありました。授業者が線分図を書くときに、「歩いている」「走っている」を単純に取り違えて描いてしましました。ところが、誰も指摘をしませんでした。しばらくして授業自身で気づきましたが、子どもたちが真剣に参加していなかったということです。子どもが参加する必然性のある授業をつくることはどういうことか、もう一度自身に問い直してほしいと思います。

小学校から移動して2年目の教師の社会科の授業は、大日本帝国憲法についてでした。
一部の子どものテンションが最初から高く、授業開始の時点で顔が上がっていない子どもが目立ちました。教師が子どもに背を向けると席の離れた子ども同士が何かやり取りを始めます。
最初に「明治政府の目標」を問います。子どもから答えが出ないので、ヒントを出します。いくつかのヒントの後「殖産興業」とう言葉出ると、そうだねとすぐに拾います。1問1答になっています。一部の子どもは資料集や教科書を自主的に見るのですが、そのよい行動をとらえて広げようとはしません。ヒントに対して反応するテンションの高い一部の子どもたちで授業が進んでいます。
「伊藤博文が憲法をつくるのに参考にしたのはどこの国でしょうか」と問いかけますが、「1 ドイツ 2 フランス 3 イギリス」の3択です。根拠を考える必要がない、ただのクイズです。せめて、3つの国の憲法の特徴を与えるか、調べさせてから問いかけるべきでしょう。
結局、教師の説明中心の、子どもが受け身の授業になっていました。
授業後話をしたところ、中学校はきっちり指導なければならないと思い、注意をし続けてきた。あまり口うるさくてもいけないと注意を減らすと、規律が乱れる。その悪循環に苦しんでいるようでした。教師の死角でごそごそしているのは、その象徴です。中学校を妙に意識してうまくいかなくなっている例です。最近になって、強く子どもに出るというのはどうも違うことに気づいてきたようです。この学校で学級経営がうまくいっているのは、子どもをしっかり受容して、しっかりほめている担任です。実はこの先生がこの学校に来た当初は、子どもに対して受容的という印象でした。それが、いつの間にかそのことを忘れてしまっていたのです。しかし、そのことに気づけたので、子どものよいところを見つけ、広げるようにすればきっと状況は変わっていくと思います。

講師の社会科の授業は、時差の学習でした。療養休暇を取られた先生の関係で、担当が変わった学級です。
「日付変更線から夜が明けてくる」という発表をした子どもがいました。「わからない」とそれに反応する子どもがいました。とてもよい場面です。「どこがわからない」という授業者の問いかけに、「日付変更線から夜が明けてくる」とそのまま答えます。これでは全面否定です。教師が間に入って、たとえば「日付変更線はわかる」と問いかけ、発表者に「説明して」とつなぐ必要があります。しかし、授業者は他の子どもに「助けて」とつなぎました。ところが次の発表は「日付変更線から夜が明けてくる」と全く関係のない、その子自身の説明でした。これでは、最初の発表者は置き去りです。友だちの説明にも納得できないようすでした。まわりの子どもに自分の説明に対して同意を求め、しばらく授業に参加しませんでした。授業者は発表者や質問者に戻すことをせずに、2人が説明してくれたようにと言って、自分の言葉で説明を始めてしまいました。しかもその説明は、最初の発表者の言葉とは全く関係ありません。こういうことが続いてくると、子どもは教師を信用しなくなり、話も聞かなくなってしまいます。
「前の地図を見てください」と言っても、顔が上がりません。しかし、授業者は気にせずに進めていきます。説明すればわかったはずだと思ってしまうのでしょうか、確認をしませんでした。
ワークシートの穴を埋める作業をしますが、子どもたちは自分が活動する必要性をあまり感じていません。その理由はすぐにわかりました。1人指名して答えると「入れてください」とワークシートに答を書き込むように指示をするからです。どのくらい正解したか確認して「よくできている、○組はかしこい」とほめますが逆効果です。できなかった子は、自分はダメな子、この学級の数に入っていないと感じるからです。「みんな」でほめることは危険なのです。「みんな」を使うときは、本当に全員できていることを確認することが必要です。
作業中に、「困っている子いるから教えてあげてください」と指示をします。大きなお世話です。これでは、子どもたちの人間関係が悪くなってしまいます。先生が途中でヒントを出します。先生の求める答探しをしろということになります。
子どもの顔が上がっていないのに説明を始めてしまいます。子どもは、板書は写す価値があるが、説明を聞く意味はないと思っているのです。
机間指導で、「できている。早い」と声をかけますが、上から目線に聞こえます。そのあとの指示もないので、その子はそのあとずっとじっとしたままでした。ムダに時間だけが過ぎています。
全体での発表に移る前から、ペアで教え合っている子どもがいました。先生の説明、友だちの説明よりも、自分たちで解くことを優先しているのです。2人が聞いていないことに気づいた授業者は「何を言ったか聞いていた」と教えられている子どもを指名しました。その子どもは何とか答えましたが、これは明らかにお仕置きです。子どもは、教えろ、教えてもらえと言われていたので、そうしていただけです。釈然としないでしょう。「教えてもらっているの。よかったね。でも、今は友だちの考えを聞こう」といえば済むことなのです。そのあと、教えていた方の女子は、とても不安定な状態になりました。涙を流しているようにも見えました。
時差の求め方を、「覚えておいてね」と言いましたが、こういう言い方は、勉強は覚えるものだと思わせてしまいます。「自分で考えてできるようになろう」といった表現の方が望ましいでしょう。
グループ活動では、1つ1つのグループに深くかかわりすぎていました。グループの中の特定の子どもと話していますが、その間グループの誰ともかかわらずにいる子どももいました。教師が子ども同士のかかわりを断ってしまっているのです。時には、ミニ授業を始めています。あとで説明することであれば、一部のグループに話してしまえば、そのグループは全体の場で参加する意味がなくなります。本当に必要なのであれば、一旦活動を止めて、全体で話すべきでしょう。
残念ながら、以前のこの学級の姿と今の姿は大きく異なってしまいました。授業者が意図せずに、子どもたちから上から目線と感じられるような表現・態度をとっているのが残念でした。子どもたちに対し、意図して受容的になってほしいと思います。

全体会では、子どもたちが教師によって示す態度が変わっている。子どもと教師の基本的な関係は悪くないので、子どもの態度は悪くない。教師の話を聞くことはできるので、教師がしゃべりすぎる。グループ活動は、生活班ではなく男女4人グループで市松模様の座席でおこなう。グループで結論をまとめずに、一人ひとりの考えを持たせるようにする。このようなことを話しました。
今回は少し辛口の話になりました。学校として、研究を始めたころの原点に戻り、目指す姿を共有してほしいと思います。よい授業をしている方はたくさんいらっしゃいます。互いに学び合い、高め合っていただくことを願います。
来年度も続けてお手伝いさせていただけそうです。この学校の進化を楽しみにしています。

佐藤正寿先生の模擬授業から学ぶ(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午後の部)(長文)

愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」午後の部は、「授業名人に再び! ICTを活用して挑戦」と題して、授業名人の有田和正先生と愛される学校づくり研究会の会員の佐藤正寿先生の模擬授業、それを受けてのパネルディスカッションでした。

今回の模擬授業のテーマは、「6年生最後の社会科の授業」です。
佐藤正寿先生は「日本の国土と平和について」です。各場面でのICT機器の活用の意図、授業での位置づけやねらいが非常に明確でした。

日本地図をスクリーンに映してスタートです。佐藤先生はパソコンの画面切り替えにワイヤレスのリモコンを使いました。一人ひとりの子どもに迫ったり、机間指導をしたりすることを考えるとリモコンは必須のものかもしれません。資料を切り替えるたびにパソコンの前に戻っていてはテンポが悪くなるからです。リモコンを使うことで教師の自由度が増すのです。
日本の地図であることを確認し、地図を切り替えながら島の名前を言わせます。これは簡単な知識です。すぐに答えてくれなければ話になりません。「もう少しテンポを速くね」と促します。佐藤先生は笑顔で決して命令口調にならないように子どもに指示します。「・・・しよう」という表現もよく使われます。こういう言葉を使って、教師が目指す姿を子どもに伝えていきます。ここで「これらは本当に島ですか?」と子どもたちを揺さぶり、どちらかに挙手させます。島は日常用語ですが、社会科の用語でもあります。この発問を通じて日常用語を社会科の用語に変えていくのです。ここで「考えて」などと意味のない時間を取らないのはさすがです。考えて答えが出る問題ではないからです。1人だけ島でないと手を挙げました。「勇気あるね」と笑顔で一言声をかけます。1人だけ間違えています。ここでポジティブな声をかけることで、本人に「しまった」と思わせないと同時に、他の子どもにもまわりの意見に流されずに自分の考えを主張することはよいことだと伝えているのです。島の定義は、自然物である、まわりを水に囲まれている、オーストラリア大陸より小さい、の3つからなることを教えました。その上で、再度「島ですか」と問いかけます。子どもたちは正解したといっても根拠を持って答えたわけではありません。定義に基づき確認することで、島という社会科の用語を定着させているのです。
続いて「5番目に大きい島はどこですか」と問いかけます。次々指名していきます。子どもたちの答は分かれていきます。「ほう、答は一つですよね。5年生で習いました」と既習事項であることを強調します。覚えていなければいけない知識であることを意識させます。択捉島であることを伝え、拡大した地図で見せます。択捉島が最北端であることを確認して、東、西、南の端の島を書かせます。いくつ書けたか確認をし、指名して答えさせます。「手が5人しか挙がらない」と挑発し、続いて「同じ人」と確認したところ挙手が増えたので「急に手が挙がりましたね」と、最初から挙手してほしいということを伝えます。ちょっとした言葉に、子どもたちにどうあってほしいかというメッセージがこもっています。日本の国土面積を隣同士で確認して、この日の第1課題に移っていきます。この授業を単独で考えれば、必要最低限の知識だけ確認して、課題にもっと時間をかけてもよいように思います。しかし、6年生最後の授業ということで、今まで習ったこと(ここでは地理分野)を使う場面をつくりたかったのだと思います。また、確認の方法も、列で順番に指名したり、個人で考え指名で発表したり、ペアで確認したりといろいろな方法があることを見せてくれています。若い先生にとってはとても参考になります。しかし、実はここまでにあまり時間はかかっていません。復習ですから忘れていれば考えても答えは出ません。ムダな時間をかけずにテンポよく進めているからです。いつもながら実に自然なICTの使い方です。だからこそテンポがよいのです。ICT機器が授業のテンポアップに効果的なことがよくわかります。

いよいよ課題に入っていきます。まずは日本の国土面積の変化のグラフをスクリーンに映します。グラフは2013年の値、37.8万平方キロメートルしか示されていません。続いて、領土面積が確定したのが1880年であることを伝え、グラフに面積を表示します。「この時は38.3万平方キロメートル。千島列島が含まれていたのでこういう値です」とそれとなく、領土の変化の視点も伝えています。2つの棒グラフの間がどのようになっているか予想するように指示します。間をおいて、こうなりますと1つずつ順番に示します。なんとなく考えていた子どもも、次は増えるのか減るのかともう1度画面の切り替えのタイミングで考えます。教師が子どもの反応を見ながら、考えるリズムをコントロールできます。こういうところもICTのよさです。
ここで第1課題「日本の領土面積の変化からわかることは何か」を示します。領土面積の棒グラフの変化から分かること、気づいたことを3分間でノートに書かせます。理由がわかる人は理由も書くように指示します。「何年は増えている。それは〜だからである」という書き方も合わせて指示することで、子どもが自分の考えを書きやすいようにしています。指示が明確なので、子どもは戸惑いません。資料を読み取り、自分の持っている知識を使って考える場面です。時間をかければ気づくことがどんどん増えるという課題ではありません。歴史の知識がなければ理由はわかりません。時間を切ることで子どもたちの集中力を切らさないようにしています。

机間指導しながら子どもに声かけします。「詳しく書いてくれているね」といったよいところは意図的に他の子どもに聞こえるようにしています。佐藤先生の決まり文句「目力を使いましょう」も聞こえます。「隣の人はいっぱい書いていますよ」と続けて友だちから学ぶことを促します。友だちの答を見ることを否定的にとらえる先生もいますが、試験以外ではあまり気にしないでよいと思います。あとから教わって写すくらいなら、これで本当にいいのかと吟味して考え直す時間があるだけ、早く友だちから知った方がよいのです。
まず、いくつ書いたかたずねます。たくさん書けている子どもたちには「すごい」「素晴らしい」と称賛の言葉をかけます。ここで、列を立たせて順番に答えさせます。子ども役の動作が遅いので、「もう少し速く立ちましょう」とやり直させます。ここでも、教師が目指す姿を子どもに伝えています。
1人1つずつ発表させます。子どもたちの発言をきちんと評価していきます。一通りでたあとで、再度年代順に整理します。子どもたちは友だちの発言を聞いていますが、一度聞いただけでは、頭に残りません。もう一度確認することで明確になるのです。ここで、教師が順番に説明したいところですが、子どもに再度発言させます。子どもの言葉で授業を進めようとしているのがよくわかります。再度発表させた後、「関連して、追加。どうぞ」とつなぎます。一通り発表させて、子どもの発表したい気持ちを満足させてから、じっくりつないでいくというのは、なかなかできないことです。うなずくことで、子どもの反応を促しています。受容しようとしていると伝えることで、安心して発言できるようにしているのです。ちょっと自信なさそうに「確か、下関条約っていう条約が・・・」と答えてくれました。「台湾が増えた」と発言が続き、「いいねえ。追加していくことでみんなの知識が増える」とまた評価します。そして、これが6年生で習ったことの復習であることを強調します。今まで学んだことを、今活用しているのだと意識させようというのです。ここで、教科書以外の証拠がほしいと当時の地図帳を実物投影機で映しました。子どもから具体的に増えた領土が出てきたタイミングでの表示です。子どもから視点が出るまで、地図帳は出さないというのも素晴らしい対応です。地図帳をズームアップしながら、台湾が増えた、次はどこかと子どもたち発言させながら地図帳で順番に確認していきます。自分たちの知識を当時の資料で確認するというのは、子どもたちにとってとてもリアリティのある活動です。
「1920年から1940年のことについて書いた人?」とたずねますが、反応がありません。そこで、「グラフを見るときの基本は何ですか」と、グラフの見方というメタな知識を問いかけます。見つからなかった時に、見つけ方を問うことは基本です。見つけた結果を聞いても次の機会にできるようにはならないからです。「タイトル」とちょっと今回期待したこととずれた発言がでます。それでも「タイトル、その通り」と認め、「もうちょっと先」と続けます。これも素晴らしい切り返しの言葉です。「他には」とつい言ってしまうところです。「他には」というのは、発言を明確には否定していませんがここでは求めていない答だというニュアンスあります。一方「もうちょっと先」という表現は、発言が本筋に乗っていると認めています。「タイトル」も確かに大切な要素なのですから認めてあげることが大切です。「変化の大きいところ」という言葉を引き出し、変化の大きいところが1910年の日韓併合であることを確認しました。1830年から1920年の40年間は日本が強かった、侵略して領土を広げたという言葉でまとめていきます。この後の戦後68年を考えるための布石となります。

ここで全員起立させて、戦後68年のことを聞きます。「変化していない」「前の人と同じで、ほとんどしない」と続きます。ここで、「前の人と同じだったら、別の表現」とプレッシャーをかけます。全く同じ考えというのはない。どこか違うことがあるはずだから別の表現ができるはず、何か言葉を足せるはずだというわけです。教師がいつもこのような姿勢であれば、子どもたちの表現力も鍛えられます。「領土を広げていない」という発言に対して、「領土を広げていた、領土を広げていない。わかりやすい」と対比した表現を評価します。「増えてもいない、減ってもいないということは平和」という言葉を引き出し、「領土が増えていない」「平和だ」ということを、「戦争がなかった」につなげていきました。
今の日本の姿を、これまで学習した歴史的事実を積み重ねて明らかにしていきます。歴史の学習が現代社会を理解することにつながることを意識させたいという思いを感じました。

ここで排他的経済水域の話をはさみます。戦争は領土だけでなく経済水域の拡大も目指してきました。今まで学習していなかった排他的経済水域をここで扱ったのは、尖閣諸島や沖ノ鳥島の護岸といった現代の問題の理解につながるためです。
沖ノ鳥島の護岸のようすをGoogle Earthでズームインします。いきなり写真を見せるよりも、子どもたちの興味を引くことができます。変化させることもICTの得意技です。

日本が長い間平和で戦争がなかったことは、珍しいことであるかを問いかけます。友だちの意見を聞いて考えを変えた子どもに対して、「勉強して考えが変わるのは素晴らしい」と評価します。友だちの意見や考えを聞く姿勢を子どもたちに広げようとしていることがよくわかります。
この68年間戦争がなかった国は8か国しかないことを教え、第2課題「日本がなぜこのような長い間戦争のない状態を続けられたのか」考えさせます。
「戦争の悲惨さを伝えた」という意見に対して、「被爆」という言葉を引き出し、「どこの話」「どんなことを思いましたか」「どんな点で」と切り返して、より詳しく、より深めていきます。
「憲法で戦争を放棄している」という発言から「平和憲法」を引き出す一方、平和条項のある国は珍しくないことを教えます。
「軍隊を持たない」「宗教の対立がない」「日米安全保障条約」「日本人の教育の成果」といった言葉が出てきました。
「日米安全保障条約」については、どうして戦争がない状態につながるのかを問いかけます。「日本が軍隊を持たない代わりにアメリカが守ってくれる」に対して、「それはいいことなのか」と切り返します。基地問題などにつなげる発問です。
公民で学んだことを活かし、日本のよさや、日本の抱える問題をクローズアップしていきます。

最後の発問は「日本の戦争のない状態を続けていくために何が大切か」でした。正直この発問には虚を突かれた思いでした。私は、社会科は、たとえ歴史であっても「今」の社会を理解するためのものと考えていました。「過去」と「今」という視点はあっても「未来」という視点を意識していませんでした。しかし、この発問は「未来」を担う子どもたちだからこそ考えるべきものです。6年生最後の社会科の授業にふさわしいものだと思います。
「歴史を語り継ぐ」といった答に対し、「誰に対して」「一人?二人?」と揺さぶることは忘れません。
どの答えが正解というわけではありません。子どもたち一人ひとりが自分の答を持つことが大切です。それぞれの考えを聞きあって授業は終わりました。

前半は、地理や歴史で学んだ知識を元に、現在の日本の姿を明らかにする。後半はその今の姿を作り出しているものを公民の知識も加えて考え、未来に向かって何をなすべきかの答を各自で見つけるものでした。また、社会科で求められる力は何かを明確にする活動や問いかけもたくさん見られました。
ICTに関しては、テンポのよい資料の提示、ズームアップによる焦点化や変化を見せることで思考をうながすといった活用を自然な形で見せてくれました。
6年生最後の授業ということで、社会科で学んだことを活かすとはどういうことかをICTの活用とともに見事に伝えてくれました。
誰にとっても学びの多い素晴らしい模擬授業でした。佐藤先生、本当にありがとうございました。そして、佐藤先生の授業のよさを引き出してくれた、素晴らしい児童役の皆さんに感謝です。

有田先生の模擬授業パネルディスカッションについては、少し時間を置いて述べたいと思います。そこで、佐藤先生の模擬授業が何を提案していたのかについてもう少し詳しく触れたいと思います。
今回、愛される学校づくり研究会の担当者の記録が非常に参考になりました。ありがとうございました。

「劇で語る! 校務の情報化」で、校務の情報化のポイントを伝える(愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京 午前の部)

愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」が無事に終了しました。今年も多くの方に参加いただき盛況のうちに終了しました。いつもながらこれだけの会を運営することは、企業会員からお手伝いいただくスタッフの協力あってのことです。感謝以外の言葉がありません。午前の部はその企業会員も参加しての「劇で語る! 校務の情報化」です。愛される学校づくり研究会の個性ある会員による5つの劇団が登場して、校務の情報化がなぜ必要なのか、どのように学校力の向上に役立つかを具体的な場面で伝えます。学校現場で忙しい会員たちです、一堂に会しての練習時間はもとより取れません。練習不足で思わぬ失敗が続くのではないのか。そんな心配も密かにしていたのですが、全くの杞憂でした。会場へ向かう新幹線の中で、乗客の怪訝な視線に耐えながら東京まで練習を続けた会員もいます。会場の隅で開始まで練習をする姿も見えました。日ごろ子どもたちに努力や工夫の大切さを説いている先生方です。さすがに言行一致しています。いやいや、先生方だけではありません。企業会員の中には仕事で移動中に台詞の練習をしていた方もあったそうです。(社長さん、職務専念義務違反なんて固いことは言わないでくださいね)
本番は、笑いも交え、観客の皆さんにわかりやすく伝えることができたと思います。

司会は玉置崇先生です。幕間は座長と国際大学GLOCOMの豊福晋平先生、私へのインタビューで進んでいきました。いつものことですが、劇とその場の観客の雰囲気に応じて玉置先生は変幻自在、質問に関する打ち合わせはあってなきがごとし。思わぬ方向から切り込まれます。私としては劇を素直に楽しむ余裕はあまりありませんでした。

ライブ映像をお見せできればよいのですがそれもかないませんので、各劇団が劇を通して伝えたかったことを私なりに整理したいと思います。

鈴木劇団は、「業務時間の短縮、素早い情報共有」がテーマです。
朝の打ち合わせなどで、共有すべき情報を毎回口頭で伝えたり、その都度印刷したものを元に説明したりしていることがあります。学校内で閉じたネット−ワーク上で共有すれば、読んだだけで十分伝わる情報は一々確認する必要はありません。各自の端末で情報が読めるのであれば、必要なもの以外印刷する必要はありません。資源のムダも省けます。事前に余裕のあるときにデータをアップしておけば済むので、うっかり忘れも防げますし、時間も有効に使えます。これらのことは先生を楽にすることが目的ではありません。業務時間の短縮は、浮いた時間を本来教師が一番使いたい、子どもとかかわることや本当に必要なことを話し合うために使うことが目的です。素早い情報交換は、情報を共有化することで、子どもたちに対して組織としてよりきめ細やかな対応をするためです。

小西劇団は、「データ蓄積と活用、いいとこ見つけ」がテーマです。
過去の資料を書類の中から探すのは大変なことです。前年度の担当者が異動でいなくなったりした時は、その引継ぎも十分にできないことがあります。行事への思いやねらい、反省も、いつの間にか風化してはっきりと思い出せなくなってしまいます。ネットワーク上で共有しておけば、検索することで計画案だけでなく関連するものをすべて手に入れることができます。データの形で蓄積されているので、修正しての活用も容易です。
職員会議も議題とその資料を事前にネットワーク上で共有して、予め意見を募っておけば、必要なことに絞って議論することができます。
経験の浅い先生にとっては、通知表の所見などはどのように書いてよいか悩むところです。書籍等で勉強することもできますが、子どもの過去の所見から具体的に学ぶことがとても有効です。個人の履歴がネットワーク上のデータベースに蓄積されていることで、過去の通知表の内容なども簡単に閲覧することができます。
また、多くの職員で子どもたちのよいところを見つけ、データベース上で共有する「いいとこ見つけ」で、担任だけでは気づけない一人ひとりのよさを知ることができます。いろいろな視点から見た子どもたちのよいところを通知表の所見に活かすだけでなく、子どもたちに伝えることで、自己有用感を高め、同時に教師への信頼を深めることができます。校務の情報化を考えるとき、データベースに何を蓄積するかはとても重要な課題なのです。
劇中、情報機器の操作について困った時は「川本先生!」という場面が何度も出てきました。得意な先生になんでも聞いて負担が集中してしまうという学校でよく見られる風景を、笑いを取るためにカリカチュアライズしたものです。もちろんこれがよいことだと主張しているわけではありません。会場の皆さんには気づいていただけたことと思いますが、「川本先生」がちょっと不機嫌に見える演技をしていたのはそれを伝えるためだったのです。

平林劇団は、「ネットで学校比べ、コミュニケーション活性化」がテーマです。
保護者は学校のホームページを見比べています。自分の子どもの通う学校がどのような情報を発信しているか、とてもシビアに見ています。行事ごとにしか更新されないようでは、学校が自分たちの教育活動を保護者に伝える気がないと思われても仕方がありません。いわんやホームページがないというのは論外です。ホームページは、保護者の信頼を得るための重要な手段となっています。愛される学校づくり研究会の先生方の学校のホームページでは毎日更新は当たり前のことです。更新頻度ではなく、どのような情報をどのような形で伝えればよいのか、その質を競い合っています。
しかし、残念な情報が豊福先生から発表されました。この1週間で4日以上更新した学校はわずか7%しかないというのです。それどころか、1度も更新しなかった学校が半分以上なのです。ホームページの活用をもっと意識してほしいと思います。
また、ホームページは保護者や地域の方々への情報発信ツールと思われがちですが、決してそれだけではありません。管理職やリーダーが教職員と直接話す機会は限られていますが、学校の目指すところ、子どもたちのよい姿などを外部に対して発信する形をとって、間接的にメッセージを送ることもできるのです。ホームページで「学校ではこんなことを目指しています」と発信すれば、保護者はそれが学校全体でおこなわれているものと思うはずです。保護者がそう思うと教職員が考えれば、管理職が直接言うよりもよほど意識してもらえます。
学年や教科、行事の担当者などがそれぞれ発信するようになれば、教職員間のコミュニケーションの活性化にもつながります。教職員のベクトルも揃っていきます。学校ホームページにはこういう内向けの発信という活用方法もあるのです。学校経営になくてはならないツールとなってきていることがおわかりいただけると思います。

中林劇団は、「安心と安全のお届け、緊急メール発信」がテーマです。
修学旅行などの宿泊行事などでは、保護者は我が子が無事に過ごせているかとても気になるものです。ホームページで逐次状況を報告することで安心を届けることができるのです。こういった宿泊行事の時のアクセス数は通常の何倍にもなることからも、保護者の関心が高いことがよくわかります。
また、台風の接近時など、緊急時に家庭に対して学校の対応などを素早く確実に伝えることはとても大切なことです。従来の電話連絡網では、全員にいきわたるには何時間もかかってしまいます。それに対して電子メールを活用した緊急メール配信は、短時間で確実に情報を伝えることができます。システムがきちんと構築されていれば、電話連絡網をつくって配布することと比べて、登録などの手間もわずかで済みます。しかし、年に1回あるかないかの発信では、肝心な時にメールアドレスが変更になっていて届かないといったことにもなりかねません。定期的に発信をして、メンテナンスをすることも重要になります。
社会が変化している中、子どもたちの安全に直接かかわる情報の提供は当然のことです。それを怠ることは信頼をなくすことにつながります。企業では存在そのものが揺らぐことにもなりかねません。いかにコスト(金銭だけでなく人的も含む)をかけずに実現するかは学校の大切な課題なのです。

水谷劇団は、「小刻み学校評価、短時間で集約と発信」がテーマです。
学校評価が義務づけられていますが、実際には集約作業に時間がかかり、その大変さから年に1度、保護者アンケートを形式的におこなって終わりという学校をよく見かけます。保護者の側も、何か月も前のことを聞かれても覚えていなかったり、たずねられている内容がよくわからなかったりするために、いい加減な回答になってしまうことがよくあります。アンケートの集計結果が発表されたときはもうすでに学年末で、どのように改善するのかも曖昧で、改善されたかどうかの評価も結局うやむやになってしまっていることもよくあります。
こういう状況を変えるのにアンケートシステムが有効になります。WEB上にアンケート項目や集計期間などを設定するだけで、保護者が携帯電話やパソコンから簡単に回答できるようになります。集計も自動でおこなえるので、今までに集計にかかっていた時間を集計結果の細かい分析に充てることができます。手間がかからないので、行事ごとにアンケートを取ることも苦になりません。とはいえ、より正確な評価をいただくためにホームページなどでの情報発信は欠かせません。学校が目指すこと、学校で起こっていることを正しく伝えることでより正確な評価を得ることができます。手軽にできることを活かして、小刻みに学校評価を実施することで、その結果を素早く学校経営に反映させることもできます。「どうせ学校に言っても変わらない」そう考えている保護者も、学校が外部の意見を真剣に受け止めて変わったことに気づけば、学校に対する評価をあらため、信頼するようになります。学校評価は前向き活用すべきことです。そのためには、集計といったムダな時間を削減し、大切なことに時間を割けるようなシステムが必要なのです。

最後に司会者から「学校の情報化を進めるためにどうすればよいのか」ということを問われました。

情報機器の整備が必要といった問題はひとまず脇に置いて、学校の情報化は何のためか今一度考えてほしいと思います。子どもたちの成長のためのよりよい環境をつくるための手段が校務の情報化です。情報機器やシステムがないからといって何もしないのではなく、今ある環境で何ができるかということを考えてほしいのです。たとえば、学校通信を毎週保護者向けに出すことでホームページのねらいの一部を実現できます。これも立派な校務の情報化です。何もしないで予算をほしいと交渉するのでもなく、ただ整備されるのを待つのでもなく、一歩でも前へ進むような動きをしてほしいのです。その姿がまわりを動かし、予算もついてくるのです。どうすれば「子どもたちのため」の時間をつくることにつながるのか、どうすることが「学校の信頼」を得てよりよい教育のための応援団を増やすことにつながるのか、このことを考え具体的に行動していくことが学校の情報化につながっていくのです。

このようなことを話させていただきました。
参加者の方々にとても真剣に聞いていただいていることが、張りつめた空気から感じました。きっと私たちの主張をしっかりと受け止めていただけたことと思います。それぞれの学校で校務の情報化を進める参考になれば幸いです。

中学校で授業アドバイス(長文)

昨日は、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。若手を中心に12人の授業を参観しました。時間の関係で一人当たりに多くの時間が割けなかったことが残念でした。

どの先生も自分の課題を持って授業に取り組んでいました。授業後に話をさせていただいて感じたのが、その課題を解決するための方法を手探りで探しているということでした。互いに聞きあったり、一緒に考えたりすることで糸口が見えそうなことがたくさんあるのですが、一人で壁にぶつかって乗り越えられずにいるのです。共通の課題と思えることもたくさんあるのですが、うまく共有化できていないようです。

共通の課題の一つに「授業規律」の問題があります。「授業規律」というと先生の指示に従う、友だちや先生の話をきちんと聞くといった現象面を意識しがちですが、そもそも何のために必要なのか、共通理解されている必要があります。教師が子どもたちを管理しやすい状態にするためではありません。子どもたちが安心して授業を受けるための環境が「授業規律」です。注意することで規律を維持させようとすると「注意されないようにする」ことに子どもの意識は向きます。そのため、どこまで逸脱が許されるかを子どもたちは探るようになります。厳しく注意する教師とそうでない教師で態度を変えます。もっと言うと、厳しい教師からのストレスを他の教師の授業で発散するのです。同じ学級でも、教師によって、授業の場面によって子どものテンションが高くなる場面がたくさんありました。教師が机間指導で近づくと子どもたちに緊張が走ったり、逆に背後ではざわついたりする場面があります。ムダ話をしているので教師が近づくと、質問したり話しかけたりして上手にはぐらかす子どももいました。教師の顔色をうかがう子どもたちになっていくのです。
「してはいけない」というネガティブで子どもの行動を縛るのではなく、「こうしよう」とポジティブでよい行動を広げるようにすることが大切です。子どもたちがテンションを上げて笑う場面には何度も出会いましたが、穏やかな笑顔で集中して取り組む姿を見ることはありませんでした。このことと無関係ではないように思います。今一度、「授業規律」はどうあるべきかを問い直し、学校全体で発想を変えていく必要を感じました。

また、指示が通るまで待とうとしているのですが、どうしても待ちきれなくて、注意したり、見切り発車してしまったりする場面によく出会いました。ただ待っていては、待たされる子どもたちにとってはムダと思える時間となります。指示にすぐに従わなかった子どもは、それでよいと思います。行動は改まりません。遅い子を注意しても、その子どもだけでなく、他の子どもも「あの子のせいで私たちは待たされた」とネガティブな感情を持ちます。指示が通るのを待たずに「みんなできたね」と進めてしまえば、指示に従わなかった子どもは「自分はみんなの中に入っていないんだ」と疎外感を味わいます。人間関係も悪くなっていきます。
こういう場面では、できるだけポジティブな言葉で、よい行動を促すようにしていくことが大切です。「○○さん、素早く動いてくれたね」「あっ、△△さんも」とよい行動をほめます。このとき、できるだけ固有名詞でほめるようにすることが大切です。「みんな」とほめられても、自分がほめられたとは意識されないからです。それでも、なかなか指示に従えない子どもがいれば、「あと○人だね」と今度は固有名詞を使わずに行動を促します。注意されて行動したのではなく、あくまでも自分で気づいた形にするのです。気づいて指示に従ってくれた時に「□□さんも動いてくれたね。ありがとう」「うれしいな。全員きちんとできたね」とIメッセージでほめます。ここで、「みんな□□さんを待ってくれてありがとう」「□□さん、みんな待っていてくれてよかったね」と自分の行動が他者に影響(迷惑)を与えていることをポジティブな形で知らせます。こうすることで、自然に次は素早く行動しようと思いますし、待っていた大多数の子どもも自分たちのことを先生は見ていて評価してくれているのだと気づきます。子ども同士の関係がよくなってくると、まわりの子どもが声をかけて素早い行動を促してくれるようにもなってきます。そのときは、声をかけた子どもに「ありがとう」と言うだけでなく、声をかけられた子どもにも「よかったね」と声をかけるようにしてほしいと思います。

どの先生も子どもたちを受容することを意識していることを感じました。とてもうれしいことです。ところが、子どもの発信を受容しなければいけないと思うあまり、子どもがちょっと思いついたことや、授業に直接関係ない発言をしても受け止めてしまう場面が目立ちました。教師にかかわってほしい、相手になってほしいという子どもなのでしょう。その子どもと2人だけでしばしキャッチボールが続きます。授業者はその子ばかりを見ているため気づきませんが、「またか」と白けて集中力をなくしている子どもの姿が目に入ってきます。積極的に教師とかかわろうとする子ども、行動面で気になる子どもといった特定の子どもとばかりとかかわり、大多数の子どもとはかかわれていない状態になってしまいます。
授業の内容に関係のある発信であれば、「いいこと言っているね。もったいないからちゃんと手を挙げてみんなに発表しようよ。もう一度みんなに話して」と受け止め、「今の意見どう思った?」と友だちにつなぐことをする必要があります。もし、関係のない話であれば、笑顔を見せたうえで、目でそれとなくたしなめるようにするとよいでしょう。全体の場面では子どもとプライベートな形ではなく、パブリックな形でかかわりを持つようにすることが大切です。もし、プライベートにかかわる必要のある子どもであれば、「あとでね」と個別の活動の時間にかかわってあげればいいのです。

全体会では、授業規律を話題としてこのようなこと伝えました。よい反応をしてくださる先生がたくさんいて心強く感じましたが、ベテランの方の中にはピンときていない方もいるようでした。よい授業規律が保たれている教室での子どもたちの姿を具体的に見ていただかなければ理解いただけないのかもしれません。力不足を感じました。授業規律がよい形で保たれているからこそ見られる集中力と笑顔を、この学校で見られるようにすることが先なのでしょう。私の課題です。

個別には時間があまりなかったため、授業者へはワンポイントのアドバイスになりました。
小学校から初めて中学校に異動になった先生方は、小学校との違いを意識しすぎて苦しんでいるようでした。入試や定期試験のことを考えて、点を取れるようにしなければと、問題を解く手順や試験のための知識を覚えさせることを優先しているように感じました。小学校から中学校へ異動した先生がよく陥ることです。スモールステップで指示しながら解かせたり、教科の本質から離れた細切れの知識を教えたりしている場面に出合いました。
試験も確かに大切かもしれませんが、目先の点数を追っても力はつきません。まず考え、理解するための活動が必要です。小学校と違い授業進度が早いと感じるようですが、だからといって考える活動を省いては意味がありません。小学校では子どもの考えを引き出し、受け止めることを大切にしていたはずです。点数を取るという呪縛から解き放たれて、小学校でのよい経験が中学校でも活かせることに気づいていただけたらと思います。

要約の課題を「中心となる文を見つける」「中心となる文に言葉を付け加える」といった手順を明確にして進めている授業がありました。とかく感覚的になりやすい国語で具体的な手段・方法を示すというのはとてもよいことです。授業は、個人作業に続いてグループで互いの要約を発表し合いましたが、考えは深まっていきませんでした。話し合うための根拠をどこにも求めたらよいかがわかっていないため、発表をするだけで終わってしまうのです。聞きあうことがうまくできずに、テンションが上がっていきます。「中心となる文」が違っていれば要約は当然異なります。また、「中心となる文を見つける」方法がわからずに先に進めない子どももいます。ここでは、結果である要約について話し合うのではなく、まず「中心となる文」は何かを明確にすることが必要です。
たとえば、個人作業の後、「中心となる文」を発表し、どのようにしてその文を選んだのかその方法や根拠を問い、共有します。ここで、対立する考えを焦点化することができれば、それを新たな課題としてグループで考えさせます。こうすることで、話し合いの視点が明確になり、またこの活動を通じて「中心となる文を見つける」方法もわかってきます。
意欲的な取り組みをしたことで、授業者にとって新たな課題も見えてきます。ぜひこの授業をブラッシュアップしていってほしいと思います。

グループでの活動の目標や課題をどのようなものにするか考えさせ、発表させている授業がありました。教師が目標や課題を設定するのではなく、自分たちで考え、工夫させたいという思いがよくわかります。各グループに順番に発表させるのですが、聞いている子どもたちのようすが気になります。最初は顔を発表者に向けて話を聞いていたのですが、しだいに下を向いて聞かなくなっていきます。発表者と授業者だけのやり取りで授業が進んでいき、他の子どもが参加できないからです。授業者は子どもたちの考えを深めさせたいと思い、発表者であるリーダーに問い返したりもしますが、そのグループの子どもさえ他人事のように聞いています。最後は、授業者が課題とすべきことを説明しましたが、そのころには子どもたちの集中力はすっかり切れてしまい、戻ることはありませんでした。
それぞれのグループの考えだとしても、学級全体で共有し他のグループの子どもにも意見を求めたりすることが必要です。他のグループの意見がよいと思えばそれを取り入れさせてもよいでしょう。最終的に教師が目標や課題を示すようなことが続けば、子どもたちは先生の求める答探しをするか、どうせ最後は先生が示すのだからおざなりに取り組むようになってしまいます。子どもたちなりの答を尊重し、自分たちで活動する中で修正するという経験を積ませることを意識してほしいと思います。

製作の実習は、子どもたちがただ作品を完成させることを目標にしているように見えました。同じキットを使うので作品の差が出にくいため、目標設定がしづらいことはわかります。だからこそ、どのような工夫ができるか、どのようにして自分だけものにするのか考え、一人ひとりの目標を明確にすることが求められます。自分だけのこだわりが明確になれば意欲も増します。自己評価もできます。もちろん友だちの評価も受けやすくなります。
また、教室には、「むだ話をしない」「立ち歩かない」といった「べからず」が実習中の注意として貼りだされています。「自分の席で、集中して作業をしよう」とポジティブな表現にしたいところです。それ以上に、各自の目標を明確にし、それを意識して実習に取り組ませるような仕掛けをすることを大切にしてほしいと思います。

目標を明確にして活動することは、英語でも求められます。たとえば、発音練習では、ただ聞いたことをそのままおうむ返しにしても力はつきません。何ができるようになることを目指した活動なのかを明確にして取り組むことが大切です。
ペアでのパート練習でも、互いに自分の担当の英文を言うことで満足しています。言えばよいのですからテンションは上がっていきます。自分の言葉が相手に伝わったか、相手の言葉を受けてどのように答えるのか。頭を使って練習をしてほしいのです。相手の言葉に対して、複数の選択肢から選んで答える。その答によって返答も変わる。そういう仕掛けを組み込んだ活動を工夫してほしいと思います。

子どもたちの興味付けを大切にしようとしている授業のことです。導入に工夫をして実験への意欲づけをするのですが、せっかく意欲を上げようとしているのに、実験の図を板書して子どもに写させます。実験の図を書くことに思考は伴いません。知的興奮を目指しているのに、わざわざ意欲を低下させる無駄な行為です。
手元に図が必要ならば、印刷して配ればよいのです。考えさせるのであれば、仮説を確かめるために、どのような実験をすればよいか考えさせる。時にはグループごとに異なる実験をし、それぞれの実験でわかったことを全体で共有して何が言えるか確かめればよいのです。
導入での意欲づけも大切ですが、子どもたちが考えるためにどのような活動をすればよいかを考えることにもっと力を使ってほしいと思います。

子どもが教師の方を集中して見ている場面に出合いました。とてもよい姿です。子どもたちは授業者に指名してほしくて一生懸命挙手します。授業者は子どもの発表をかならず受容しますので、指名された子どもは満足そうです。ところが、次第に集中力が落ちてきます。知っている子ども、気づいた子どもしか答えられない発問だったため、誰かに言われてしまえばもう発表できません。1問1答が続き活躍できなくなったからです。「同じこと思った人?」と他の子どもとつなぐ。説明を他の子どもにさせる。指名されなくても活躍する機会を与え、参加する意欲を高めることが必要です。授業者は子どもたちを受容できるようになってきたので、つなぐ、広げることを意識してほしいと思います。

ベテランの授業は、さすがといえるものでした。子どもたちは、黙々と作業をしています。指示が明確なので、どの子もよどみなく行動します。指示をすれば全員が行動できるまでちゃんと待っています。しかし、何気ない子どもの行動や表情が気になります。机間指導をしていると、子どもたちの表情がやや硬くなります。逆に死角に位置する子どもたちが緩みます。指示が通るのを待っているときの授業者の表情はやや硬く、子どもたちはチェックされていると感じているように見えました。実物投影機を使っての指示は、教室の後ろに投影し子どもたちを振り向かせます。子どもたちの表情は見えませんが、教師はスクリーンを見ながら子どもたちのようすを同時に見ることができます。これは面白い工夫ですが、子どもたちからは教師の表情が見えません。背後に教師の視線があるからでしょうか、子どもたちの背中には緊張が漂っているように感じました。
また、指示が通るため作業を細かい指示で進めていきます。失敗なく進んでいきますが、子どもたちは考えることしません。力があるからこそ陥る落とし穴のように思いました。いつでも、指示を通す力があるのですから、思い切って子どもたちに考えさせ、任せる場面を多くしてもよいと思います。自分の授業技術をあえて使わない勇気も必要だと思います。

この日の授業参観は、教務主任が同行してくださいました。専門が実技教科ということで、他の先生方の授業については少し引いた位置からかかわられているように感じました。しかし、自分の教科の授業を見る視点はとても確かなものでした。これだけの力があれば、教科を超えてアドバイスもできるはずです。一緒に授業を見ながら、自分の教科での場面に置き換えて考えていただいたところ、とてもよく理解していただけました。これならば適切なアドバイスも期待できます。今回のことをきっかけにし、自分の教科の視点を活かして、積極的に先生方とかかわりアドバイスをしていただけたらと願います。

最初に述べたように、どの先生も手探り状態でなかなか解決の糸口を見いだせていないようでしたが、お話させていただいた後、「明日の授業が楽しみ」「すぐにできるようになるとは思わないが、わくわくしてきた」「いろいろとやってみたいことができた」と前向きな言葉をたくさん聞くことができました。先生方の言葉に私もたくさんの元気をいただきました。
来年度はどのような形でかかわることができるかわかりませんが、先生方の進歩がとても楽しみです。ぜひ授業を見せていただく機会を持ちたいと思っています。

有田先生の模擬授業で考える

本年度第7回の教師力アップセミナーは、社会科授業名人有田和正先生の模擬授業を中心とした講演でした。

有田先生の授業について誰しもが感じるのは、その圧倒的な知識量と教材研究の深さでしょう。今回特に強く感じたのが、教材研究の中でも授業構想力のすごさでした。
江戸時代の資料や事実を結びつけながら、「日本人の富士山への憧れ」というテーマに向かって進んでいきます。富嶽三十六景の1枚目「日本橋」を起点に、江戸城、富士山、高瀬舟、魚河岸、神田山、佃島、酒樽、伏見、伊丹、江戸の人口、都市づくりのインフラ、富士見櫓、富士見坂、振袖火事、江戸城天守閣喪失、富士山への江戸市民の憧れ、江戸市民への無税、家康の思惑、参勤交代、歌舞伎、富嶽三十六景「東海道程ヶ谷」、江戸時代の旅、富士登山、八百八講、伊勢参り、五百羅漢寺、女人禁制、荒幡富士、富士塚、タコマ富士とつながって、最後に服部半蔵、本能寺の変、佃村の漁師を付け加えました。途中で自己投資、学生の就職、京都のお寺、ベネチア、杭打ちへと脱線もしています。
前半は江戸の町づくり、後半は富士山への憧れ、脱線は教員の自己研鑽がそのベースにあります。
一つひとつの資料や事実については、私ごとき浅学のものでも多少は知っていることです。しかし、それらを結びつけて一つなぎの破綻のない授業にするというのは、なまなかなことではできません。今回の授業のきっかけはシアトルにある「タコマ富士」のような外国にある○○富士に興味を持たれたことにあると思います。そこから、これだけのものをつなげて一つなぎの授業にしてしまうというのは、単に知識があればできることではありません。一つひとつの知識が有田先生の中で有機的につながり、生きたものになっているからです。
知識をつなげばいい授業になるわけではありません。一つひとつの資料や事実はどれをとっても歴史を考える入口となるものばかりです。
富嶽三十六景から、江戸の文化、明治時代の浮世絵の海外流出、文明開化、印象派、・・・。
魚河岸から、水路、流通、市場、築地、・・・。
佃島から、三角州、埋め立て、漁業、のり、・・・。
家康の思惑から、武家諸法度、禁中並公家諸法度、身分制度、・・・。
参勤交代から、鎌倉時代の参勤、江戸の武家屋敷、経済効果、水戸藩の江戸定府、御三家御三卿、・・・。
私のつたない知識でも、歴史だけでなく、地理、経済、政治へとどんどん広がっていくことがわかります。
もちろん今回の授業では、これらのことを深く扱うことはされません。あくまでもテーマから大きく逸脱することは避けています。しかし、どの事柄もそれに興味を持った子どもに広い学びの世界へと誘ってくれるものばかりです。「追究の鬼」を育てるための種を蒔いているのです。

1時間の授業で教えられことはどれほどの名人でも限られています。しかし、それをきっかけとして子どもが学ぶ意欲を持てば、その学びは無限に広がっていきます。一見すると有田先生の授業は知識伝達型の授業に見えるかもしれませんが、素晴らしい学びへの扉を開くものです。とはいえ、この名人の授業を誰しもが簡単にまねできるわけではありません。中途半端にまねしても、単なる教え込みの授業になってしまいます。表面的な知識の披露ではなく、社会科としてどのようなことを考えるための知識、資料、事実なのかをしっかりと意識することが大切です。
たとえば、鎌倉幕府の成立がいつだったかを覚えることに大きな意味はありません(1192年以前であるという考えが主流となってきているようです)。同じ武士でも平氏ではなく、源氏の政権がクローズアップされることはどういうことなのか、それが世の中にどういう変化をもたらしたのか。それ以前と以後では何が大きく変わったのか。そういうことを考えるきっかけとして、鎌倉幕府の成立をとらえてほしいのです。

有田先生の素晴らしさは、その知識や教材研究の深さだけではありません。いつも笑顔を絶やさず、子どもの発言が期待したものでなくてもかならずポジティブに評価されます。子どもから考えを引き出さす技術はその知識量に負けない素晴らしいものです。
教師の基礎基本は対応の技術と読書である。基礎基本を磨き続けてほしいと訴えられます。教師が50歳を越えると、学級崩壊が起こる。学級崩壊が起きた担任の24%は50歳以上の人である。30年も先生をしていても、その間に基礎となる杭を打っていない。反省をしなければ勉強もしない。優れた授業も見ない。1年目にしたことを30回繰り返したに過ぎない。新規採用者と同じ。社会は変化したのに、自分が変わっていない。こういう人が学級崩壊を起こす。こう警鐘を鳴らされます。
80歳に近づこうとする今も、常に新しい授業づくりに挑戦されている有田先生の言葉だからこそ説得力が違います。

有田先生からはいつも多くの刺激と考えるきっかけをいただいています。今回の模擬授業の底に流れる、社会科の授業はどうあるべきかという主張から、多くのことを考えさせていただきました。また、講演の前後では授業づくりにかかわるいろいろな話を聞かせていただき、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。
2日後に迫った「愛される学校づくりフォーラム2013 in東京」で有田先生がどのような模擬授業を見せてくださるのか、ますます楽しみになっています(パネリストとしては不安とプレッシャーに負けそうですが・・・)。
有田先生本当にありがとうございました。

幾何ツールを使った授業研究会で学ぶ

昨日は幾何ツールを使った授業研究会に参加しました。

この研究会では、1人の授業者が同じ教材で2度授業をします。1回目の授業後の検討会での意見を受け、その場で修正して次の授業にのぞみます。修正はあくまでも授業者の自由意思でおこないますので、言い訳はできません。授業者にとってはとても厳しいものです。今回の授業者は、研究会をきっかけに成長している先輩に続こうと、自ら手を挙げてくれたそうです。この前向きな姿勢に頭が下がります。

iPad上で動く幾何ツールの活用がテーマの研究会ですが、話題の中心は常に子どもたちの活動であり学びです。そのための道具として幾何ツールが有効であったか、どう扱うべきだったかが語られます。
1回目の授業で一番の話題となったのは、「2つの四角形にどのような関係があるのか」という課題をスモールステップで解決させるか、自由に取り組ませるのかでした。

授業者はまず長方形という特殊な場合を例にとりあげ、それから課題に取り組ませました。子どもたちは4人グループで課題に取り組みます。幾何ツールを使って図形を動かしてみるのですが、四角形が平行四辺形の場合や台形の場合にどうなりそうだという見通しをもった時点で幾何ツールから離れ、証明に意識が向かいました。個人で証明しようとしているグループが目立ちました。
この後、全体で発表がおこなわれました。平行四辺形の場合、台形の場合と子どもが説明をします。聞いている姿は、同じものに取り組んだ子どもとそうでない子どもで違うように感じました。同じものに取り組んでいない子どもは、すぐに説明を理解できていないようでした。一方、同じものに取り組んだ子どもは、自分の考えと比較しながら聞いている子どもと、自分はできているからとあまり集中していない子どもに分かれているようでした。このような違いが出てきた要因の一つに、個々が取り組んだものが課題として共有されていないままに説明が進んでいることがあると思います。
最後に「何でもない四角形」の場合が発表されました。一般化です。このとき、子どもたちの集中は明らかに違っていました。自分たちが考えていない視点だったからでしょう。説明を全体で共有して時間となりました。

長方形の場合を軽く扱ったあと、他の四角形の場合はどのようになるかと中間の課題を提示する。一度全体で共有してから、一般化に取り組むことでスモールステップをはっきりさせるとよいという意見。こうすることで子どもたちを共通の土俵にのせることができ、子ども同士がつながりやすくなるということです。
一方、「どのような関係があるのか」とだけ課題を与えて自由に取り組ませる。どんなことに気づいたか、困ったことがないかを発表させた上で焦点化し、再度課題に取り組ませるとよいという意見。こうすることで子どもたちが自ら見つけた課題に取り組むことになるので意欲が高まり、活動が活発になるということです。
共に、子どもたちの活動をより活発にし、かかわり合いを増やしたいという視点での意見です。どちらが正解というわけではありません。面白いのは、課題に取り組んで発表して終わりではなく、途中に共有化する場面を設けることは共通しています。
授業者がどのような選択、判断をするのか次の授業が楽しみです。

次の授業では、長方形の場合を確認した後、「さわりながら」「次の図」と「切りかえる」と幾何ツールの活用を意識した言葉を少し付け加えました。子どもたちの動きは前回と明らかに異なっていました。幾何ツールを触り続けています。「次の図」という言葉が効いたのでしょうか。いろいろな図をつくっては、検討しています。
続いて、どんなことを調べようとしているか発表させました。「平行四辺形の場合・・・」「台形の場合・・・」と発表され、課題が共有化されました。
「証明してください」という授業者の言葉で、今度は幾何ツールから離れて証明に取り組む姿が増えました。課題が明確になったためか、「台形って何?」「平行四辺形は台形だよね?」といった子ども同士で問いかける言葉も聞かれます。明らかに子どもたちのかかわりが増えています。
発表の時も、説明を聞いた後グループで確認をする場面を設けました。
授業者はすぐに修正できそうなことに絞って、修正をしましたが、前回と比べて子どもたちの反応かなり変わっています。ちょっとした言葉で幾何ツールもずいぶん活躍しています。授業の面白さを感じました。

1回目の検討会では授業の進め方に焦点が当てられましたが、2回目は子どもたちのようすが違っていたため、子どもたちの活動に焦点が当てられました。

定義や性質を確認する「学びなおし」が起こっていた。
自分の課題に集中している子どもは、友だちの発表の時も顔を上げずに自分の課題に取り組み続けた。
この学校の子どもたちは正解を発表しなければいけないという意識が強い。
・・・

子どもたちの事実がたくさん語られました。
正解ではなく、「こんなことに気づいたが、そこから先がわからない」といった困ったことを発表して共有できるとよいといった意見に授業者が「はっ」とした表情が印象的でした。
教科の仲間と多くの時間をかけて準備をしてのぞんだ授業です。だからこそ、授業者には多くの気づきがあったことと思います。
各グループの活動を撮影してくれた学生の方からも、子どもたちのようすや感想を聞くことができました。学生の発表の時、その前に座っていた先生が発言者に向かって体をひねっていました。さすがに学び合いを大切にしている先生方は、自身もそのことを実践しているのだと感心しました。

授業者、参加者それぞれの立場で多くの学びのあった研究会でした。授業者、授業者の同僚、参加した先生方、お手伝いいただいた学生、そしてこの会を企画していただいている大学の先生、皆さんに感謝です。

小規模校から多くのことを学ぶ(その2)(長文)

小規模校から多くのことを学ぶ(その1)」の続きです。

5年生の授業は国語で、メディアとのかかわり方について考える単元です。
写真の一部を切り取ったものからいろいろと想像したあとに、全体を見ることで、一部の情報ではミスリードされるという教科書の本文の内容を経験させる場面でした。
ピラミッドの写真を見て「どこに建っているか?」とたずねます。子どもからは「砂漠」と返ってきます。「そうだね」と笑顔で受け止めます。子どもとのやり取りは、以前と比べて柔らかく受容的になっています。攻撃的な態度が目立った子どもがずいぶん素直で柔らかい雰囲気に変わっていました。プレッシャーをかけられていた子どもも、以前より伸び伸びしているように感じました。子ども同士の関係が改善されていました。こういう変化にすぐ気づけるのも小規模校のよさです。教師が子どもたちをしっかり受け止めるようになったことと無関係ではないでしょう。
ただ、「ピラミッドは砂漠にあるよね」と授業者が自分で説明してしまいます。ここは、「どういうこと」と、子どもに説明させたいところです。次の課題は、どう子どもに返すか。子どもの発言をどう他の子どもにつなぐかです。
一部を切り取った写真からいろいろ想像させた後、全体の写真を見せました。すぐそばにはプールがあり、水着姿の男女が寛いでいます(おそらくラスベガス?)。子どもたちはそれを見て「あ〜」と声を出しました。真剣に想像していたからこそ出てきた声です。ここで子どもから「それがすべてだと思った」という言葉がもれました。これは教科書の本文とつながる言葉です。ぜひ拾いたいところでしたが、授業者は予定した説明を始めました。
授業後この場面のことを確認しました。発言には気づいていたのですが、それを活かすことは考えなかったようです。子どもの言葉を活かすことは、意識していなければ難しいものです。これも次の課題でしょう。とはいえ、子どもたちの発言をしっかり受け止めようとすることが意識されていることはよくわかります。ずいぶん進歩しています。おそらく授業だけでなくいろいろな場面で子どもを受容しようとしているのでしょう。子どもが安心して学校生活を送っているように感じました。

6年生の授業は、家庭科でした。暖かな生活の工夫についてです。
授業者が教材研究をして課題を工夫していることがすぐにわかりました。前回訪問時もそうでしたが、とても意欲的に取り組んでくれています。今回の課題は「温かく、快適に過ごすための工夫」です。教科書では、「温かく」と「快適」は別の課題となっています。そこを一つにしているのですが、これはちょっと問題です。「温かい」と「快適」は同列の関係ではないからです。冬を「快適」に過ごす要素の一つが「温かい」です。「温かい」を切り離し、「快適」とは何かをまず明確にし、意見が分かれたときに議論するためのよりどころを明確にする必要があります。「快適」とはどういうことか。要素として「エコ」や「安全」も意識することが必要になります。逆に子どもから出てきた意見が対立したところで、「快適」とはどういうことを考えるという方法もあります。「快適」について考えることを課題として必然性のあるものにすることができます。いずれにしても、どこかで「快適」とは何かを考えることが必要になります。
「エアコンをつける」「つけない」が話題になっているグループもありました。「換気扇をまわす」「まわさない」も意見が分かれたようです。子どもたちの考えを深めるとてもよい場面でしたが、「快適」をキーワードとして議論を深める時間はなかったようです。
授業者がグループに1枚用ずつ用意した部屋の絵に、3人で「温かく、快適に過ごすための工夫」を書き込むことで授業は進んでいきました。多くのグループがペンを持っている子どもともう1人の子どもの2人で作業が進んでいきます。あと1人が参加できない状態が気になりました。3人というのはこういう形になりやすいようです。
「エアコンをつける」「つけない」というように意見が分かれたときにグループで一つに集約すると、一方の意見が全体の場で共有できません。できれば、友だちの意見を参考にしながら、一人ひとり個別にまとめるようにしてほしいと思います。
授業者はこの作業に多くに時間を割きましたが、ここでのグループ活動は考えを出すだけで深まる場面ではありません。できるだけ早く済ませて、対立する考えを焦点化して、子どもたちから生まれた課題をもう一度グループで考えさせるという流れにしたいところです。各グループが全体で発表するのではなく、次々に問いかけ、1枚の絵に考えを集約して共有化する。「ストーブ」が出てくれば、「何ストーブ?」と聞くことで、違いを明確にし「エコ」などの視点につなげる。できるだけムダな時間をはぶいて、考えを深める時間を取ることを意識しなければいけません。
グループ活動の場面で、「夜!」という声が聞こえました。授業者はこのことに気づいていませんでした。他のグループにかかわっていたからです。授業後この言葉を伝えたところ授業者はすぐに活かせる言葉だと気づきました。そこから、「昼夜」を意識した工夫だけでなく、「家の向き」といった工夫もあることにも気づきました。子どもの言葉は教師にいろいろなことを教えてくれます。あまり一つのグループにかかわりすぎると、こういうよい言葉を聞きのがしてしまいます。教室全体に意識を向けることが大切です。
子どもの言葉を活かす視点をしっかり持っている授業者です。教材研究をしっかりしているから子どものちょっとした発言からいろいろなことに気づけるのです。深く教材研究をして授業に臨めば、子どもたちが多くのことを教えてくれます。この姿勢を忘れずに子どもたちの発言や反応から学ぶことを続ければきっと力をつけていくことでしょう。今後がとても楽しみです。

授業研究は3年生の国語、俳句の授業です。同年代の子どもの俳句を教材にした、とても意欲的な授業でした。
俳句を最初の五音と七五音に分けたカードを10句分用意して、正しく組み合わせる課題にグループで取り組ませました。同世代の作品なので、子どもたちにもわかりやすく順調に作業は進んでいきます。しかしグループで1セットのカードのため、どうしても特定の子どもが仕切ります。違う意見の子どもが無視される場面がいくつかありました。また意見があっても言い出せない子どももいるように感じます。グループでまとめることの弊害がここでも見られました。
「おにやんま」「赤とんぼ」「ありたちは」と「給食食べに 来たのかな」がどれもつながりそうで子どもたちは迷っていました。最終的にどのグループも正解にたどり着きましたが、その根拠を問うことはしませんでした。根拠を問わない作業であればあまり時間をかけずに、全体で取り組んでもよかったかもしれません。俳句を感覚だけでなくしっかりと読み取ることを教えたいのであれば、根拠を問うことをしてもよかったと思います。
都会の子どもと違ってこの学校の子どもたちは「おにやんま」のことを知っています。「おにやんま」は勢いよく飛んで、部屋の中によく迷い込んできますが、「赤とんぼ」は群れることが多くてあまり部屋には迷い込んできません。「赤とんぼ」は「夕やけみたい 目がきれい」という組み合わせが正解です。「おにやんま」は体も目も青みがかった緑なので「夕やけみたい 目がきれい」とは結び付きません。また、「ありたちは」は「列を作って たからさがし」とつながります。「おにやんま」は単独で飛びますし、「赤とんぼ」は群れますが列にはなりませんので「列を作って たからさがし」は違います。こういう根拠をきちんと話し合うことをしてもよいと思います(都会の子どもでは、自力で根拠を見つけることは難しいでしょう)。
子どもたちはこの作業を通じてそれぞれの俳句に思い入れができているようでした。この後、3句を選んで「俳句のいいところを見つけよう」という課題を提示したのですが、黒板にその句を貼るとき、どの子どもも集中して見ていました。中には気に入った句が貼られた時に「やった!」と声を出す子もいました。意欲づけには意味のある活動だったということです。
「金魚すくい わたしも金魚も ひっしです」「雪だるま わたしの方見て ありがとう」「白い雪 おしゃべりしながら ふってくる」の3句について、いいところに線を引いてそのいいところを書くという個人作業をしました。
ここでも先ほどの家庭科と同じで、「いいところ」という言葉が問題になります。「いいところ」は日常用語です。子どもたちが考えやすいようにあえて日常用語を使ったのでしょう。これをどこかで国語の用語に変えていく必要があります。子どもたちの視点は、「季語」「情景」「気持ち」の3つに分かれました。すべての視点で書いている子どもはいません。早く終わって手持ち無沙汰な子どもいます。なかなか埋まらない子どももいます。ちょっとまわりの子どもとかかわりを持たせるだけで、新たな視点に気づけたのでないかと思います。
さて、発表の場面では授業者はしっかりと子どもの発言を受け止めます。黒板に発言者の意見を書くのですが、やはり他の子どもたちは発言者ではなく黒板を見ています。板書することで子どもの聞く力を損なっているのです。また、発表者も授業者に受け止めてもらうことで満足して、発表後は集中力をなくします。自分の意見が友だちにどう伝わったかに興味はないのです。また、一人が発表するとすぐに手が挙がります。友だちの意見に関係なく自分の意見発表しようとしているからです。積極的な子どもが意見を言う陰で、なかなか発表できない子どもが気になります。同じ意見でも言いやすい雰囲気をつくる、友だちの意見に対してどう感じたかを問うといった、つなぐ技術が求められます。
たとえば、「金魚すくい わたしも金魚も ひっしです」の句であれば、「ひっしです」が取り上げられます。「『わたしと金魚が一生懸命なようす』と○○さんが言ってくれたけどどういうことかもう少し詳しく言ってくれる人いる?」「『ひっし』というけれど、金魚ってふつうはどんなようす?」「わたしがどんなようすかやってくれる人いる?」「そういうようすを『ひっし』という言葉であらわしんただね」などとつないでいきます。自分の考えたことを友だちの意見に関係なく次々に発表するのではなく、意見を聞いて考えたことを問いかけてつなぐのです。
「雪だるま わたしの方見て ありがとう」の句であれば、「『ありがとう』と人間みたいに言ってくれているようなんだね。それってどんな気持ち?」「何にありがとうって言ってくれたのかな?」「作者はどんな気持ちだった思う?」「どこでそう思う?」。「白い雪 おしゃべりしながら ふってくる」の句であれば、「『おしゃべりしている』で雪のようすがわかるというけど、どんな降り方かな?」「みんなおしゃべりするときどんな風になる?」「作者は雪が降ってうれしいの?」「どこでそう思った?」と「情景」から「気持ち」をどう読み取るかを課題にしていくとよいでしょう。「もう一度考えて」と戻すことで深める方法もあります。
「擬人法」という用語を教えるかどうかは別にして、修辞法のような「技法」、「季語」といった俳句の「規則」、「情景」や「心情」といった読み取る視点など、いいところとは何かを明確にしてメタな知識をつけることも大切です。

授業検討会では、日ごろなかなか発表できない子どもが、友だちの働きかけで発表したようすが語られるなど、子どもを見ることが意識されてきました。とてもよい傾向です。今回の授業では、同世代の作品であったからこそ子どもたちにとってわかりやすく、実感を持って読み取ることができました。どのようにして見つけたのかとても興味がわきます。飲料メーカーのコンテストの佳作を中心に、この学校の子どもたちの生活感に合うもの選んだそうです。佳作から選んだのは優秀賞より子どもにとってわかりやすそうだからです。そして、そのアイデアは昨年の同僚の授業から得たということです。互いの授業がつながりあっているということはとても素晴らしいことです。この学校のよさをまた一つ知ることができました。

今回の訪問で、子どもたちが安心して学校生活を送れていることが印象的でした。前回訪問時には気になった子どもが何人かいたのですが、今回は教室を回って「あれっどの子だったっけ?」ということが何度もありました。とてもよい傾向だと思います。
課題としては、作業に時間を取りすぎないようにすること。子どもの考えを深める場面がどこかを意識すること。子どもが友だちの発言を聞くことの障害に板書がなっていること。子どもの考えを深める切り返しを意識すること。子どもの考えを共有し、つなぎ深めることなどがあります。一度にすべてができるようにはなりません。少しずつでいいので、前に向かって進んでほしいと思います。
今回もたくさんのことを学べましたが、小規模校のよさを知ることができたことが大きな収穫です。来年度は、そのよさを活かすようなアドバイスができればと思っています。次回の訪問もとても楽しみです。

小規模校から多くのことを学ぶ(その1)

昨日は、小規模な小学校で授業アドバイスをおこなってきました。全体での授業研究1時間とそれ以外は個別に授業を見てのアドバイスです。

1年生の授業は生活科で、保育園との交流の準備の時間でした。
子どもたちが当日に向かって何を準備するのか、何を決めなければいけないのかを考える場面でした。
子どもたちが当日のプログラムやそのために必要なことを発表し、それが黒板にまとめられています。しかし、出かける前にすべきこと、準備することが出てきません。授業者は「出発する前のこと」を直接子どもに問いかけません。自分で考えさせたいからです。そこで、「もう大丈夫? 交流会ができる?」と揺さぶります。ところが、子どもからは「出発する前のこと」は出てきません。授業者は「なるほど」としっかり受け止めて子どもから出てくるのを待っています。子どもは先生が受け止めてくれるので、安心して自分の考えを何度も発表します。しかし、この日子どもは3人しかいません。なかなか出発前の準備に気づきません。ここが小規模校のつらいところです。授業者は、「じゃあ今からでも出発できる?」と子どもたちを起立させました。子どもたちは立ったまま一生懸命考えています。「動いてもいいんだよ」との声かけで動きが出てきました。何をしようかと考えて「紙芝居」「・・・」と何を持っていくかに気づきました。授業者は、直接答を言ったり、「何を持っていく」というヒントを出したりするのではなく、子どもにその場面を具体的に想像させることで気づかせました。「想像する」という考え方を子どもが獲得することにもつながります。さすがはベテランです。
最後に「よいことを気づいてくれたよね」とまとめていました。子どもたちが笑顔で安心して授業に参加している理由がよくわかります。

授業者との話の中で興味深いことを教えていただきました。他の子どもに「○○しなさい」と気づいたことを指摘する優等生タイプの子どもがインフルエンザで休んでいたそうです。そのためか、この日は子どもたちがいつも以上にのびのびしていたそうです。子ども同士の人間関係は面白いものです。教師が時には子どもの間に入って緊張関係を緩和させるように働くこともこの学級では必要なことのようです。大切な視点をいただきました。
このベテランの授業者は、前向きに授業を変えようとされています。「1ミリでも前進したい」とおっしゃっていました。その言葉に私も元気をいただきました。
最後に質問があると言われました。私の話やアドバイスは教師に対するものなのだが「教師のため」ではなく「子どものため」に聞こえる。どうなのかというのです。ちょっと驚きました。このような質問をされたのは初めてです。この先生も子どもの目線を意識されているのでこのことに気づかれたのでしょう。その通りです。子どもたちに安心して生活できる環境で、よい教育を受けてのびのび育ってほしいから、先生方の成長のお手伝いをするのです。めったにしないのですが、私が教師になった思いを少しだけお話しました。

2年生も生活科で、おもちゃ作りの場面でした。
子どもたちは机を寄せ合ってそれぞれの作品を作っています。授業者も机を子どもたちの机にくっつけて作業を見守っています。このような状況を見ていても学ぶことがないように思えるのですが決してそうではありません。授業者の机の上にはおもちゃが一つ置いてありました。実はこれは授業者が自分で作ってわざと置いてあるのです。子どもの目につくところに置いておいて困っている子どもの参考にするためです。実際に磁石で釣りをするおもちゃがうまくいかない子どもが、それを参考にして磁石のつけ方を工夫したそうです。教師が直接教えたり、指示したりしなくても子どもが自分で気づけるような仕掛けです。
オリンピックの五輪をつくっている男の子に女の子が何か話しかけました。私はよく聞き取れません。男の子もよくわからなかったようで無視しました。そのとき授業者は「なんかいいこと言ってくれたようだよ」と子ども同士をつなぎました。女の子の「マラソンの選手をつくったら」というアドバイスを聞いて、男の子は何かひらめいたようでした。ただ黙って見ているのではなく、必要な場面で必要なことをする。簡単なようですがなかなかできることではありません。子どもたちをしっかり観察しているからできることです。通常の規模の学校では、1つのグループをずっと見ていることはできません。教師のかかわりが必要な場面にうまく居合わせることは稀です。小規模校のよさを活かしたかかわり方を知ることができました。

授業者との話の中でその後のことも聞けました。女の子が割り箸を2本、端と端をつなげってまっすぐな1本の棒をつくったのですが、つなぎ目がぐらぐらして塩梅がよくありません。そのとき、自分の作業をしていた男の子が、端をずらして重なりをつくり、そこをテープで留めるようにアドバイスしたそうです。そのアドバイスを受けて女の子が作り直したところ、満足のいくものになったようです。この一連の子どもたちの動きを授業者は「ラッキーでした」と評価しましたが、決してそうではありません。授業者の細かい配慮とかかわりがこの状況を作り出しているのです。
教師が直接指導するのではなく、子ども同士をつなぐことに徹するようになってから、子ども同士の関係も変わったそうです。教える側、教わる側というでこぼこした関係から、互いの立場が柔軟に入れ替わる、柔らかい関係になったそうです。このことは、この学年だけでなく学校全体で感じることです。先生方の姿勢が変わってきたことの証だと思います。
授業者は私が訪問するたび何か一つ目標を決めて取り組んでいると報告してくれました。今回も目標となることを指示してほしいと頼まれました。「子どもが指示されて取り組むのではなく、何をすればよいか自分で考えて行動するように仕向ける」ことを目標にしていただきました。このような前向きな先生にはなかなか出会えません。しかも、ベテランです。この学校の持つよさをあらためて感じました。

4年生の授業は国語でした。
登場人物の行動の理由を考える場面です。子どもに意見を言わせ、その意見を板書します。子どもにとっては先生が板書してくれることが評価になっているようです。発言が終われば集中力をなくしていきます。友だちの方を見て話を聞いている子どもの態度をほめるのですが、広がりません。ほめたあと子どもが友だちを見るのですが、授業者が板書すると視線がそちらに移ってしまうからです。
時として授業者は子どもが発言している途中でも板書をすることがあります。これでは発言をしている子ども、聞いている子どもの表情や反応を見落としてしまいます。同じ意見の子どもをつなごうと、同じ考えの子どもを続けて発表させますが、その根拠を確認しないのでただ同じ意見が続くだけです。
違う意見を発表しようと何度も手を挙げる子がいるのですが、そのたびに「今は同じ意見だから」と指名してもらえません。その子どもにとっては、その間ただ待たされるだけで、聞く意味がありません。ただ同じ意見を発表させるのではなく、違う意見の子どもも聞く意味のある時間にする必要があります。「どこでわかった」と根拠を聞いて、「納得した?」「なるほどと思った?」とつなげるといった、同じ意見ではない子どもも参加できる工夫がほしいところです。
授業者は、一通りの意見が出あとで、本文から根拠となる記述を見つけ説明するように指示しました。根拠もとに考えを深める場面を後に持ってきたのですが、意見を出させるのに時間をかけすぎてだれてしまいました。

授業者にこの事実をもとに、結果をつなぐだけでなく根拠となる本文の記述をつないで、互いの考えを深めることが必要だったのではないかと話しました。授業者は普段はその場で根拠を聞いているのですが、今回はまず考えを出させて、意見の違いを明確にさせることを優先したようです。そのうえで、根拠を本文に求めて考えを深めるという、今までとは違ったやり方に挑戦したとのことでした。やはり、いつものようなやり方の方がよかったのかと反省していました。なるほど、それならば何をねらっていたのかわかります。反省する必要はありません。新しいことに挑戦したのですから、うまくいかなくても当然です。すぐにやめるのではなく、その失敗から学んでうまくいくように工夫をすればよいのです。そうすることで間口が広がり、子どもへの対応力が増します。
子どもの考えをそれぞれ発表させると微妙に発言の内容が違っているので、対立点を明確にするのが難しいことがあります。根拠もいろいろなので発散してなかなか焦点化ができない時もあります。まず意見を整理してから、どちらが正しいのか根拠をもとにもう一度しっかり考えさせるというやり方もあります。であれば、意見の整理はもっとスピーディーに進めることが必要です。根拠を問わない発言に時間を使うことはムダだからです。次々に指名をして考えを言わせ、授業者は細かく板書をせずに、できるだけ端的な言葉で書き留めます。「あなたの意見を聞かせて?」「それは、黒板のどの意見に近い?」「近い意見がない?」と全員の意見をグルーピングしながら進めます。子どもたちが納得する形で意見をいくつかにまとめ、一人ひとり自分の立ち位置を明確にしたうえで、対立点を明らかにします。その上で本文を根拠に相手を説得することを課題にするのです。説得を意識することで、自分の考えだけでなく相手の考えも考慮するのでより考えが深まります。考えているうちに意見が変わってもよいと伝えておきます。立ち位置を明確にしているので、自分の考えが変わったことも意識しやすくなります。2つの視点を比較しながら議論ができるので、考えが変わった子どもをキーマンとして積極的に取り上げるとよいでしょう。
今回の授業のように、自分のスタイルを崩すような挑戦はより多くのことが学べます。おかげで私も多くのことを気づけました。

この日も、とても多くのことが学べた1日でした。続きは、「小規模校から多くのことを学ぶ(その2)(長文)」で・・・。

体罰の問題をきっかけに校長の役割を考える

体罰の問題が学校を揺らしています。学校への調査もおこなわれていると思います。ここで体罰その是非を論じることはしません。体罰を知った時、校長はその教師へどう対応するのか、その苦しさと校長の役割を少し考えてみたいと思います。

体罰をしてしまうのは、指導に熱心な教師であることが多いでしょう。だからこそ、改めさせて、そのような間違いを再び犯さないように指導をするはずです。その上で考えるのが、ことを公にするかどうかです。体罰の事実があっても、それが大きなトラブルになっていなければ、処分の対象にならないように教育委員会へあえて報告しないことも十分に考えられます。その教師の将来のことを考えた温情のある校長と評価されるかもしれません。しかし、荒れている学校では力で押さえなければという教師の意識を変えることはとても難しいことがあります。「体罰もやむを得ない」という強い姿勢でなければ子どもたちを押さえることはできない。そう信じる教師は、繰り返し体罰をおこなってしまうこともあります。体罰を容認する雰囲気が学校にできてしまうことはとても危険なことです。校長として毅然とした態度で接するしかなくなります。「泣いて馬謖を斬る」のたとえもあるように、体罰の事実を報告して処分対象とせざるを得ないこともあるでしょう。当然職員の反発も出てきます。たとえ学校を支えている教師たちでも異動してもらわなければいけないかもしれません。校長として学校経営も苦しくなります。学校の再生もままならなくなります。そのことがわかっていても、決断しなければならないこともあります。

こと体罰の問題に限らず、状況をリセットして学校を再生するための最後の仕事が、それを進めた校長自身の異動である。学校が再生していく過程ではこのような皮肉なことが起こっていることがあります。引き継いで学校を再生させた方が評価されても、そのための地ならしをして去った方が評価されることはまずありません。報われないとわかっていても自分のとるべき行動を決断するのも校長の役割です。
体罰の問題をきっかけにこのような校長の姿を思い出しました。

教師のための「マネジメント」が届く

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先日、明治図書より、教師のための「マネジメント」が届きました。編著者の一人長瀬拓也先生からのプレゼントのようでした。ありがとうございます。
若い先生はもちろんのこと、ベテランの先生にも参考になると思い、少し紹介させていただきます。

「マネジメント」という言葉は教育の世界ではうまく広がっていません。訳語である「管理」「経営」という言葉のもつイメージがなじまないのかもしれません。この本では、教師にとってのマネジメントを、

1.組織をつくり、目的と使命を与える(プロデュースの視点)
2.組織を動かし、環境をつくる(システム・ルールの視点)
3.組織とその中を見て、促進する(ファシリテーションの視点)

と、3つの視点でとらえています。
この本のよいところは、この視点を踏まえて<学級経営>、<生徒(生活)指導>、<授業・学習活動>、<教師の自己成長戦略>について理論だけでなく具体的な場面ごとの実践が提案されていることです。
日々の学級経営や授業に悩んでいる若い先生は、具体的なアドバイスを求めています。今直面している状況を切り開くための、具体的なヒントがたくさんあります。ベテランの先生にとっては、こんなの当り前だ、知っていると思う実践例もたくさんあるかもしれません。大切なことは、それらの実践が点としてではなく、「マネジメント」の視点で戦略的におこなわれることです。日々の実践を見直すよいきっかけを得ることができると思います。

私は、この本で示される場面ごとに「自分ならどうするか」とまず考えてから読み進めました。「そうだよね」「そういうやり方もいいな」「ここは気づかなかった」とクイズを楽しむようでした。この本の著者は30代前半から40代前半の先生がほとんどだそうです。私から見れば若い先生方からたくさんのことを気づかせていただきました。そのエネルギー、意欲から元気をいただきました。この本から学ばせていただいたことをよい形で現場に還元したいと思います。一度手に取ってみることをお勧めします。

教師のための「マネジメント」 明治図書 定価1,860円+税
長瀬拓也・岡田広示・杉本直樹・山田将由 編著
西日本教育実践ネットワーク 著

研修を受けることで考える

先日、NPO法人の会計基準についての研修を受けてきました。法律が変わって会計処理の方法が変わったため、その内容と会計処理の方法を知るためです。日頃とは逆の立場で研修や授業について考えることができました。

講習内容に関するハンドブックが手元に配られていたので、まずは自分にとって必要なところ見つけ読んでいました。ハンドブックは読めばわかるようにつくられているものです。これで必要な情報はほとんど手に入ります。読んで確認したいと思ったところが明確になると、それ以外についてはあまり話を聞く気はしませんでした。研修を受ける目的がはっきりしているので、それが達成できればいいからです。

研修はハンドブックをそのままスクリーンに表示しながら、講師が席に座ったままで淡々と説明をしていくものでした。はっきりした声で聞きやすい話し方を意識されていましたが、聞き手をひきつけるような工夫はありません。しかし、これでも全く問題は感じませんでした。この研修を通じて考えることはほとんどありません。会計基準の変更について必要な情報を知ればいいだけです。しかも参加者は知りたい、知る必要がある方ばかりです。講師の話から必要な情報を手に入れればいいからです。
受け手が学びたいと思っていれば、内容さえちゃんとしたものであれば研修は成り立つということです。自腹の研修と強制的な研修とで雰囲気が大きく違うのも、学ぶ意欲の差です。学校などで研修の講師をおこなうときには、まずこの意欲をどう高めるかが問題です。参加者の問題意識を高めるための問いかけや参加者にとって意味を感じる課題を提示することが必要になります。これは授業にもつながることです。子どもたちの学ぶ意欲があれば、すぐに本題に入っていくことができます。そうでなければ、まず意欲を高めることが必要です。相手の状況で変わっていくのです。

今回の研修で私の目的は十分達成できました。知りたかったことはすべて知ることができました。しかし、研修の間私はずっと集中していたわけではありません。講師の話も必要なところしか聞いていません。これは、問題が解けた子どもと似た態度です。答を知ることが目的であれば、問題が解けた時点でほぼ目的は達成されています。自分の答が正しいことを確認できれば、それ以外は無駄な時間になります。残念ながら、答を知ることを目的としている子どもたちや授業に思いのほか多く出会います。一人ひとりが互いにかかわりながらそれぞれの成長をすることを学校では目指します。社会性は重要な要素です。自分が答えを知ることではなく、全員で答を見つける、答の見つけ方を考える、友だちにわかるように説明する。こういうことを目的としなければ、教室での授業は成立していきません。今回の研修と学校の授業とは目的の形が異なるのです。このことは意外と意識されていません。子どもたちの求めるものが、教師が求める答の授業ではいけないのです。このことを先生方がきちんと共有することが大切です。もちろんこのことは保護者とも共有する必要があります。ホームページや学校通信などで活用して、学校にかかわるすべての人で共有してほしいと思います。

研修を受けながら、このようなことを考えました。

中学校の研究中間報告会に参加

先週末、中学校の研究中間報告会に、英語の助言者という立場で参加しました。

初任者の1年生の授業です。
授業開始前に教科係が中心となって、復習テストとその解答をおこないます。子ども同士のやり取りがとても興味をひきました。「発音はわからないけど、p、e、・・・」とスペルで答える子どもがいましたが、「people」の発音を友だちが教える場面はありませんでした。最終的に答がわかればいい、この場面は自分に関係ない。そういう態度です。係が答を板書するときに、単語のスペルを言ってと確認したところ、他の子から「わからないの?」とちょっと揶揄するような声がかけられました。言われた子は「知っとるわ!」と強い口調で言い返しました。前回訪問した時もそうでしたが、攻撃的な言葉をよく耳にします。子ども同士の関係が決定的に悪いというよりも、ソーシャルスキルが低いのかもしれません。いずれにしても、子ども同士のかかわり合いをよい形にしていく必要を感じます。

授業の最初は、全員で英語の歌を歌います。この間、子どもたちのようすを観察しました。基本的に子どもたちは歌うことが好きなようです。ほとんどの子どもの口は開いていますが、声はあまり大きくありません。自信がないのでしょうか? 目が歌詞カードを追っている子、歌詞カードを見ずに笑顔で歌っている子、目がぼんやりと斜め前方を見ている子、子どもたちの見せる姿は様々です。授業者はこの活動で何を求めているのでしょうか。英語を楽しんでほしいのなら、笑顔で歌っている子どもを評価して、笑顔を広げる必要があります。英語に慣れてほしいのなら、できるだけ歌詞カードを見ずに歌ってほしいところです。歌い終わって、「大きな声で歌えたね」と授業者は評価しました。いつもより大きな声だったからほめたのでしょうか? そうであれば、「いつもより」大きな声で歌えたと評価すべきです。絶対的に「大きな声」と評価すると、この声の大きさが「大きな声」の基準になってしまいます。あの声の大きさが授業者の求める大きさだったのか、考えてみる必要があります。

授業者と子どもたちの関係は良好に見えます。指名した子どもの発言をしっかりと受け止めています。しかし、復習の場面では、一人指名して正解であれば全体に確認して終わっていく、一問一答になっています。本文を見ながらCDを聞いて、コーラス・リーディングをする場面で、強く読むところに○をつけている子どもをほめました。しかし、どこに○をつけたのかその内容を聞いたり、他の子どもたちに伝えたりしませんでした。○をつけたことを共有化して、そこを一緒に読んでみるといった活動を入れてほしいところです。子ども同士がつながる場面が少ないことが気になります。

この日の課題は、”Can you 〜 ?”、”Can I 〜 ?”を使った8文以上で構成されるスキットをグループで作って発表することです。子どもたちがスキットを作る参考にと、ビデオを見せました。学年の先生方に出演してもらって制作したものです。子どもたちは、先生方が英語でスキットを見せてくれるので大喜びです。ビデオを観た後、その内容の簡単な確認をしました。この扱いはどうあるべきか気になります。子どもたちがsituationをつくる参考にするのか、スキットで使われている英文も含んで参考にするのかで扱いは異なります。英文を子どもたちにできるだけ一から考えさせたいのであれば、必要なのはsituationなので、音声をカットして見せる方法もあります。英文も含んで参考にさせたいのであれば、1回見ただけではきちんと聞き取ることは難しいので、スキットの英文を印刷して配るという方法もあります。いずれにしても授業者自身が目的を明確にし、そのうえで子どもたちにもきちんと意識させることが必要です。子どもたちが何を意識してビデオを見ていたか、気になるところでした。
また、このビデオ自体の評価も難しいところです。他の先生方の協力を得て作ったととてもよくできたものですが、日常的につくり続けることができるかということです。研究発表ではこういった「ごちそう」授業が行われることが多いのですが、日常的に実践することが難しいのであれば、あまり意味があることではないのです。もし、こういったビデオが労力に見合う価値のあるものであれば、学校全体、教科全体でラインナップをそろえることをすべきでしょう。

4人グループでの活動は面白いものでした。ビデオを見てやる気がでたのか、子どもたちのテンションは上がっていきます。テンションが高い状態がしばらく続きました。やがて、子どもたちのテンションが落ち着きました。このとき、子どもたちはスキットの英文を考えていたのです。真剣に考えているときにはテンションは下がります。子どもたちのテンションが上がっていたのは、スキットのsituationを話し合っているときです。気軽に意見を言える、思いつきで話せるのでテンションが上がるのです。授業者の思った以上に時間がとられてしまい、スキットの練習時間はあまり取れませんでした。時間を取られていたのは、本来の英語の活動とは関係ないsituationを考える場面です。ここがカットされれば時間はずいぶん違ったことと思います。予めsituation設定して、その会話部分を考えることにするといった工夫が必要です。

発表は各グループ代表2名によるものです。ジェスチャーをつけるといった目標も設定されていたので、子どもたちは精一杯の演技をしますが、英文はメモをちらちら見ています。一方発表者以外の子どもはリラックスして、楽しそうに見ています。笑い声もたくさん出ます。同じグループの子どもも観客として楽しんでいます。各発表後、授業者がコメントします。よいところをほめ、工夫した英語表現を説明します。しかし、子どもたちに英語が伝わったのかどうかは問われません。せっかく子どもが考えた英語表現も全員にきちんと共有はされていません。出力することが目的化して、「英語」で表現して「伝える」という、英語でのコミュニケーションが忘れられているのです。
聞く側の子どもたちに、明確な目的、目標を与えることが必要です。聞きとった英文を書き取る。知らない単語、表現があれば、発表者に教えてもらい自分のものにする。スキットを演じる2人に対して残りの2人がそれぞれとペアとなり、演じる側は英文を暗唱し、つまずいたときはペアが横で助ける。こういった子ども同士をつなぐような工夫が求められるのです。

いろいろと指摘をしていますが、レベルの低い授業だったということではありません。立派な授業でした。初任者の授業でこれだけの指摘をすることはまずありません。子どもとの関係など、基本となることがきちんとしているからこそ見えてくることがたくさんあるのです。教科の先生方を始め多くの先生のバックアップもあったことでしょう。いろいろな先生方の思いが授業に詰まっているからこそ、たくさんの気づきがあるのです。

授業検討会では、グループ活動に関する気づきや疑問が出されました。グループ活動で英文を各自で考えていましたが、自分では作れず友だちのものを写している子どもが目立ちました。この授業だけでなく、子どもの関係が、答を教える・教わるという一方通行的な形になっているのがこの学校の特徴です(「学び合いの形を考えた授業(長文)」参照)。そうではなく、互いに学びあえるような双方向の関係をつくることを意識しなければいけません。答を伝え合うのではなく、その過程を共有することを授業のいろいろな場面で意識してほしいと思います。グループでの活動の時に、和英辞典をグループに数冊準備しました。このことが話題になりました。子どもたちは表現がわからなければすぐに教師に聞こうとします。辞書を準備することで、自分たちで考えることができます。発表の時にその表現を取り上げ、どうやって考えたかを発表させることで、考える過程が共有化できます。こういう活動が大切になるのです。
また、グループで子どもたちの間違いを発見した時にどうすればよいのかという質問もありました。子どもたちが自分で気づくのはなかなか難しいところなので、悩むところです。「できた? どう、自信ある?」と揺さぶるのも一つの方法です。その上で、「辞書をよく読むと、使い方の例文があるよ」「英和辞典を引いてみるのもいいよ」といった、方法を教えるのです。その場限りの知識を教えることではなく、いろいな場面で役に立つメタな知識を教え、それを全体で共有するように意識するとよいと思います。
最後に、situationをベースにした英語の授業の考え方について、田尻悟朗先生から学んだこと(「田尻悟郎先生から大いに学ぶ」参照)をもとに簡単なポイント(「英語で大切にしたい活動」参照)を話させていただきました。
授業者を含め、参加者の皆さんが前向きに授業を考えていることがよくわかる検討会でした。

検討会終了後、授業者とお話させていただく時間を設けていただきました。その際、希望する方は同席いただいても問題ないことをお伝えしたところ、英語科全員が参加してくださいました。他人事ではなく、自分たちの授業としてとらえている証拠です。この授業のことに限らず、疑問に思っていること、悩んでいることを聞かせていただきました。自分たちの授業をよくしたいという気持ちがあふれています。
先日訪問した時にお話したことをさっそく実行して、その結果子どもの姿が変わったと報告してくださる方もいました。アドバイスをすぐに実行するというのは、意外とできないことが多いものです。素直な姿勢と向上心がないとできないことです。校長からも、理科のベテランが先日のアドバイスを意識して、子どもとのやり取りを工夫していたと報告がありました。とてもうれしく思いました。
このような先生方ですから、きっと今後大きく進化することと思います。そこに立ち会える機会をいただけることをとても幸せに思います。

小学校で授業アドバイス(長文)

昨日は小学校で若手4人の授業と研究授業のアドバイスをおこないました。今年度4回目の訪問です。

1人目は1年生の算数の授業でした。
子どもたちが落ち着いて授業に参加していました。授業者は指示が全体に対して通るまで待っています。動きが遅い子どもを叱るのではなく、「○○するのは後にして、△△しよう」と行動を促すようにしています。柔らかい雰囲気で授業が進んでいきます。全体の状況を確認してから授業を進めることができるようになっていました。初めて授業を見せていただいたころからは格段の進歩です。
子どもの言葉をしっかり聞こうとしていることがよくわかります。発言者をしっかり見て、たどたどしい子どもの説明をうなずきながら聞いています。子どもたちは先生にわかってもらおうと一生懸命です。授業者と子どもの間によい関係がつくられてきています。次のステップを意識する段階に来ているようです。子ども同士のかかわり合いをつくることです。
授業者は子どもが発言している間、ずっとその子を見ています。他の子どものようすが目に入っていません。友だちの発言に反応している子どももいます。「今、手を動かしていたけれど、それってどういうこと?」と声をかけるときっとよいことを発表してくれるはずです。が、まだ発言を聞くことに手いっぱいで周りを見る余裕がないのです。
子どもの言葉で授業を進めようとしていることもよくわかります。子どもの発言も多いのですが、一部の子どもだけで進んでいきます。先生がしっかりと聞いてくれるので子どもは発言したいのです。しかし、なかなか指名されず受け身の時間が増えてしまうので、集中力をなくす子どもが出てきます。隣同士で確認させる時間をつくるといった、子どもの活動量を増やす工夫が必要になります。
また、余裕のなさが表情にも表れます。とてもよい笑顔ができるのですが、対応をどうしようと考えているときなど、表情が硬くなります。子どもは、教師の表情に敏感です。自分がおかしなことを言ったのではないかと不安になります。また、発言に対しての評価もあったりなかったりします。友だちが評価されて、自分が評価されなければがっかりします。発言したことを表情や言葉でポジティブに評価することを忘れないようにしてほしいと思いました。

2人目の授業は3年生の国語の授業でした。「こそあど言葉」の違いを考える場面でした。
授業者は子どもたちを笑顔で受け止めています。子どもたちにも笑顔があふれていました。安心して授業に参加していることがよくわかります。
「ように」は何を表すかを問う場面です。一部の子どもしか手が挙がりません。指名して発表したあとハンドサインでほとんどの子どもの手が賛成と挙がります。相互指名をしていくのですが、それぞれが自分の答を言うだけでつながりません。最後に授業者がみんなの言ったことは「ようす」という言葉で言えるねと、1度も子どもから出なかった言葉でまとめました。発言することが目的化してしまい、子どもたちは友だちの発言を受けて考えることはしていません。教師が最後に正解を言うのでその必要はないのです。子どもの発言をつなげながら考えを深め、子どもの言葉で答えに到達することを目指さなければ、聞きあえるようにはなっていきません。
子どもに「これ」「あれ」「それ」の違いを発表させる場面です。半分くらいの子どもが挙手しました。子どもの考えを発表させますが、わからない子どもは理解できません。友だちの発表を真剣に聞いていても、納得できないのです。子どもが気づく、理解するための活動がないからです。実際に何度も「こそあど言葉」を使いながら、「どう違う?」「これはどれを使う?」と問いかける。友だちの考えが正しいかどうか、その考えにそって実際に使ってみて確かめる。そういった活動が必要です。答を見つける過程、根拠を共有化しなければなりません。
友だちの「ど」の説明に、多くの子どもが「あっ」と言う場面がありました。授業者はそこで、他の子どもにつなぎました。よい場面でした。数人につないで発表させたあと、授業者は「問いかける」と結論をまとめましたが、それで全員が理解できているかどうかわかりません。「『どれ』は?」「『どの』は?」と一つひとつ使いながら本当にそうであるか確認してほしいところでした。
最後に「こそあど言葉」を使う練習をペアでするように指示しました。聞き手に対して「あっているか聞いてあげて」と指示をしてすぐに開始です。どちらが先かじゃんけんをしたりして、子どもたちのテンションが上がります。本質に関係のないことで時間を使わないことが大切です。どちらが先かといったことは、教師が決めてしまえばいいのです。また、チェックをするように指示をしても、具体的ではないので、結局言いっぱなしです。活動に入る前に、授業者が具体的にやって見せることが必要だったと思います。

3人目の授業は6年生の体育でした。バスケットボールの練習です。
子どもは楽しそうに活動していますが、何を意識して練習するのかはっきりしません。グループでおこなっていますが、一人ひとり順番にやっているだけの個人練習です。時々集めて、授業者がポイントを説明しますが、チェックは個人任せです。グループでの練習ではかかわり合いが大切です。友だちのプレーを見てアドバイスする。ボールを拾って次の人に渡す。お互いを必要とする活動をさせる必要があります。
また、最終目標に到達するために必要な活動を明確にして授業を組み立てる必要があります。一つひとつのステップを意識して、「できるようになる」練習をすることが大切です。ただ、シュートを打つ、1on1をやる、ではできるようにはなりません。シュートの精度を増すためには、ステップ、ボールのリリースポイントなどたくさんのことを意識しなければなりません。それらが身につく練習を工夫することが大切です。体育はできる、できないがはっきりする教科です。だからこそ、できるようになる方法論が必要なのです。

4人目の授業は、5年生の算数でした。
授業者は勉強熱心でいろいろなことを積極的に学んでいます。「音声計算練習」や「○つけ方」なども取り入れています。しかし、授業は子どもたちの活動がばらばらで、うまく成立していませんでした。細かく指摘することはあるのですが、根本の問題は授業者が挑戦しているいろいろなことが中途半端で、徹底できていないことにあります。たとえば「○つけ法」であれば、声かけや部分肯定は中途半端で、全員に○をつけずに終わっています。子どもをほめたり認めたりすることもするのですが、他の場面では全くできていないことがあります。あれもやらなければいけない、これもやろうといろいろ手を出しすぎて、一つひとつがやり切れていないのです。学んだことの中で、まず何を最初にできるようにしなければならないのかを意識してほしいと思います。また、1時間の授業で子どもたちにどうなってほしいというゴールを常に意識する必要もあります。走り方ばかりを考えていて、いつの間にかゴールが見えなくなっているからです。あせっていろいろ手を出さずに、自分にとってのゴール明確にする。そして、そこに向かうために必要な授業技術は何かを考え、使えるようになってほしいと思いました。

授業研究は、ベテランの算数の授業でした。5年生の割合の問題です。
自分から手を挙げてくださったそうです。ベテランは若手と違って、失敗するわけにはいかないというプレッシャーがあります。そこをあえて挑戦するのですから、素晴らしい向上心です。
授業者がめあてを板書すると、子どもたちはすぐに写し始めます。問題を写す場面でも素早く動きます。「早いね」と終わった子どもをほめています。子どもの動きがよくなる理由がわかります。問題を写した終わったあと、事前に指示していないのに問題文で注目すべきことを問いかけます。子どもの手が挙がります。「めあては写す」「問題文を書くときは注目すべき部分を意識する」といったことがきちんとルール化されています(ルール化する参照)。さすがベテランです。
○%引きが何倍になるかを考えることが課題です。問題把握の段階で「10%OFFはどういうことか」と聞いたところ、「0.9倍」をいきなり発表する子どもが出てきました。塾かどこかで予習していた子どもなのでしょう。授業者はこの発言を受け止め、何人かとやり取りしながら、代金は定価の0.9倍になることをまとめ、図を書いて説明することを課題として与えました。結論が先に出てしまったため、基準の1と0.9だけが書き込まれた線分図がほとんどです。図で考えるはずが、答から図を考えることになってしまったのです。「0.9倍」が出たときの切り返し方が難しいところでした。授業者は子どもの言葉を活かさなければと思いそこから出発しましたが、ここは、「0.9ってどういうこと」と返したあとの「0.1を『引く』」という言葉から、「引く」をクローズアップすればよかったと思います。「引くってどういうこと」から値引きの意味を全体で共有し、じゃあ「図に書くとどうなる」と「0.9倍」をいったん棚上げして進んでしまうのです。あとで、0.9倍が出てきたところで、「○○さんが言ってくれた0.9倍って、こういうこと?」と確認して、全員で再度共有するのです。
個人作業では○つけをしていきます。できた子どもには他の考え方がないかその場で指示していきます。このあとグループで自分の考えを発表しました。
全体の発表は、指名された子どもがたどたどしいながらも一生懸命発表していました。授業者がしっかり受け止めてくれるので、頑張って説明します。発表が終わったあとほめてくれるので、そのあとも笑顔で授業に前向きに参加します。発表した子どもはどの子もよい表情になります。あとで聞いたところ、発表したのは話すことが苦手だったり、どちらかといえば学力の低位の子どもだったりしたようです。授業者が何を大切にしているかよくわかる場面でした。
授業者はいろいろな考えを発表させます。しかし子どもたちは、説明の式は写していてもどこか他人事です。今一つ集中していません。すでに○をもらっているので、自分は正解だと安心しているのかもしれません。いろいろな考え方を見つけることを、最初に課題として全体に提示しておけば、またようすは違ったのかもしれません。ところが、授業者が友だちの考えを説明するように求めると子どもたちの態度が変わりました。2人目が指名されると、今までは前を向いていたのに、急に友だちの方を向いて真剣に聞き始めました。複数指名されたので、今度は自分が指名される可能性があります。これは聞かなくてはいけないとあせったのかもしれません。
授業者が一人ひとりとじっくり向き合っているので、他の子どもが受け身になる傾向があります。説明の途中でもいったん止めて「ここまで納得した?」と確認したり、「式のここはどういうことか、○○さんになったつもりで説明してくれる?」と他の子どもに説明を求めたり、できるだけ多くの子どもに活躍する機会を与えることも必要でしょう。
この1年、この学校でお話させていただいた、子ども受け止める、認める、評価することを意識して授業をしていることがとてもよくわかります。ベテランが新しいことをプラスしようとしているのですから、若い人以上に大きな進歩をする可能性があります。これから授業がどのように変わっていくかとても楽しみです。若い先生にとっても、とてもよい刺激になったこと思います。

授業検討会では、先生方の子どもを見る視点が育っていることを感じました。グループでの活動の時の子どものようすもしっかり見てくれています。頑張って発表してくれた子どもの、グループ活動の時のようすが語られました。ちゃんと式もできていたのですが、友だちの発表を真剣に聞いていたそうです。自分が説明するために、友だちの発表を参考にしていたのです。全体での発表をうまくできたことの裏にはこのようなことがあったのです。子どもが説明にこだわったのは、授業者が答ではなく説明を求めることがわかっていたからです。授業者が子どもに求めることが明確なので子どもが育ってくるのです。
「引く」ということを意識させるためには「10%OFF、15%OFF。どちらの店で買う?」といった発問もあります。「15%の方が大きいのに代金が安いのはどういうこと?」と問いかけて「引く」ことを焦点化します。「もとになるのは何?」「代金を1とすると、10%はどこになる?」と考えの流れにそって、線分図を順番に書いていくことで、思考を図にする方法もあります。「線分図のどこを求めればいいの?」「まだ埋まっていないところを埋めて?」と進めていってもよいでしょう。このようなことをお話しました。

若手4人、全員一緒にアドバイスをさせていただきました。自分の授業に関することを仲間に聞かれることを嫌がりません。仲間へのアドバイスを自分のことのように聞いてくれます。個別に聞くよりも何倍も勉強になるはずです。とてもよい関係です。互いに学び合って成長してくれることと思います。

教務主任は、彼らの授業を日ごろからよく観察し、アドバイスしています。現況や課題など、教務主任の伝えてくれる情報は私が授業を観察するときにとても参考になります。4人一緒のアドバイスも教務主任の発案です。彼らの成長に心を砕いていることがとても伝わってきます。
また、今後どのようにして授業を変えていくか真剣に考えておられます。空いた時間にたくさんの質問をされました。このような熱心で前向きな姿を見せられると、私もできるだけのサポートをしようと思わずにはいられません。学校の進歩のカギは教務主任であることをあらためて実感しました。今年度の訪問もあと1回です。次回もきっと先生方の成長をたくさん見ることができることと楽しみにしています。

人事と研修を考える

校長先生との会話の中に人事に関することが増えてきました。なぜか人事の話題はあまり明るい話になりません。来年度は初任者が○人になりそうで厳しい。○○先生が6年で抜ける穴が大きい(愛知県は、小中学校では原則初任から6年で異動となる)といった言葉がよく聞かれます。

初任者を育てるのに時間と労力がかかります。一方、苦労して育てて戦力となった先生が異動で抜けていくのですから、確かに痛手です。しかし、よくよく考えてみるとその戦力を受け入れる学校があるのですから、地域の学校全体で考えれば異動があってもトータルの教育力は変わりません。結局、退職されるベテランに対して補充される初任者の差が明確な差となるのです。仮に定年退職者1人と初任者1人が入れ替わるとすれば、40年近くのキャリアの差が戦力の差となります。これはとても大きなものです。単純に考えると年々それだけ学校の教育力が落ちていくことになります。しかしこれは、現役の先生方の教育力が変わらないという前提での話です。現役の先生方一人ひとりの力量が向上していけば、ベテランと初任者の大きな差を全体で埋めることができるのです。そういう視点に立てば、戦力的に見劣りする初任者の研修に力をいれるだけでなく、学校全体での研修に力を入れることが大切なことがよくわかります。
伸びしろの多い初任者、若手をまず育てることを優先するのか、全体の向上の中で引っ張っていくのか。それとも同時並行でいくのか。学校の規模、職員構成でも最適な戦略は異なります。悩ましい問題です。

ところで、戦力として育った若手を受け入れる側は、大きくプラスになるはずです。実際に、そのような声もよく聞くのですが、どうも戦力を放出して痛手だという声に対して少なすぎる気がするのです。この時期、わかっているのは異動で出ていく人ばかりですから、暗い話になりやすいのはわかります。しかし、新年度になって数か月してもポジティブな話はあまり聞けないのです。その理由を私なりに考えると、学校ごとに戦力として求められる内容が異なっていることが原因であるように思われます。
若手は、その学校で求められていることを一番に学んでいきます。荒れ気味の学校ではあれば生徒指導面や部活動面。学校独自の授業スタイルがあれば、当然そのスタイルを学ぶことが優先されます。ある面、その学校に特化していくのです。学校ごとに状況は違います。新しい学校では、以前の学校で身につけた力がそのまま生かせれるとは限らないのです。小学校から中学校、中学校から小学校への異動でその傾向が顕著です。即戦力を期待されているのに、新しい学校に適応するのに時間がかかってしまうのです。
しかし、このことは決して悪いことではありません。新しい学校で学んでいくことで幅が広がりますし、どんな学校でも共通する基本を意識することで地力がつきます。一段と成長できるのです。実際、異動当初は戸惑っていた方が、ぐんぐん力をつけていく姿をたくさん見ています。また、以前の学校ではあまり力を発揮できなかった方が、新しい環境で成長することもよくあることです。

新規採用が増えている現状で、一律に6年で異動といった原則に縛られることに少し疑問も感じています。その学校の環境ではうまく育てることが難しい先生も他の学校では成長できる可能性もあります。早目に異動して、そこでやり直すことも選択肢としてあってよいように思います。
異動は誰にとっても新たな成長のチャンスです。そのチャンスを活かすかどうかは本人だけの問題ではありません。特に若手にとっては、適切な研修や指導がまだまだ必要なのです。しかし、意外に転入者に対してのケアは薄いように感じます。

そろそろ来年度に向けての準備が始まる時期です。思い通りにならないのが人事です。それよりも、学校としてどのように先生方の教育力をあげていくのか、その戦略を立てることが大切です。先生方の成長を個人の問題としてとらえないようにしてほしいと思います。そもそも学校というところは、組織的に子どもを成長させるところです。先生方に対してもそうあるべきではないのでしょうか。
こんなことを校長先生方との会話の中で考えました。

愛される学校づくり研究会に参加

先週末は、愛される学校づくり研究会に参加してきました。

前半は国際大学の豊福晋平先生の「学校評価の設計から提言まで」という演題での講演でした。
学校評議員として学校評価とかかわっていますが、私自身が見落としていることにたくさん気づかせていただきました。たとえば次のようなことです。

質問の文言については、その意図が明確に伝わることは当たり前のことですが、言葉のちょっとした使い方によって結果は大きくずれることに注意する必要があります。あいさつに関する質問であれば、「あいさつをしている」「あいさつをよくしている」「あいさつは必ずしている」の3つではスコアはかなり異なるはずです。単純に項目間のスコアをだけを比較することは注意を要します。
また、4段階の回答のうちよくあてはまる、大体あてはまるを一つにまとめて肯定的な回答として評価することがよくおこなわれます。しかし、これでは2段階の評価と同じです。元データの情報を薄めるような処理は避けるべきです。

具体的な学校評価を例に、何を評価したいのかを明確にして質問項目を考える。質問は具体的で、回答者にわかる言葉である必要がある(同じことを聞くにしても、保護者と児童では表現を変えることも必要)。4段階で聞くのであれば、「わからない」を設けること(「わからない」のスコアも大切な指標となる)。分析は絶対評価と相対評価(同一母体の過年度比較、同学年での過年度比較)を使い分けることなど、学校評価のポイントを整理してわかりやすく伝えていただきました。
今回のお話を受けて、会員の学校評価がより精度の高いものになることと思います。次回以降、学校評価の結果がたくさん報告されることと思います。豊福先生のコメントが楽しみです。具体例をもとに学校評価についてより深く学べることと期待します。

後半は、「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の午前の部、「劇で語る! 校務の情報化」の練習とリハーサルでした。5つの劇団が競い合って中身をブラッシュアップしています。座長の演技指導もヒートアップしていきます。最後に各劇団が中身の半分をリハーサルで公開しました。これが、予想以上に面白い!! 具体的な場面で語るので、主張がよくわかる。それにプラスして劇団員の演技がすごい(どういう意味でかは、当日のお楽しみ)。早くも、「今回だけで終わるのはもったいない」の声が出ています。有田和正先生、佐藤正寿先生の授業対決の前座では決してありません。午後から参加しようなどと思っている方は、すぐに考えをあらためてください。午後の部に劣らぬ満足をお約束します。
とは言うものの、こうなると、その内容について進行役からコメントを求められる側(豊福先生と私)にもプレッシャーがかかってきます。進行役がどんな球を投げてくるかは予測不可能。こちらの予想を外した質問をしてくることは間違いありません。うまく打ち返すことができるでしょうか。進行役とコメント役のやり取りも見どころの一つです。

当日がとても楽しみなフォーラム、残席はあとわずか。まだの方は、今すぐお申し込みを!

学校公開日の授業で考える

昨日は、中学校の学校公開日に参加してきました。希望してくれた若手の先生に授業の解説をしながら校内を回りました。

今年度、この学校での授業参観は研究授業ばかりで、普段の授業を見たのは初めてです。参観していて気になることがいくつかありました。
特に1年生に顕著なのですが、全体での活動場面で子どもたちのようすがばらばらなのです。友だちの発表場面では、顔を上げて教師を見ている者、発表者を見ている者、聞いてはいるようだが(言葉に反応するのでわかる)下を向いている者、集中せずに頭が動く者がいます。教師が話しているときには関係ない話をしゃべっている者がいます。ところが、教師が板書をすると、ほとんどが写しだします。その後教師が説明を始めても、まだ書き続けている子どもも目立ちます。
一方ペア活動など、子ども同士の活動は積極的に見えます。ところが、すぐにテンションが上がっていくのです。研究授業で見ていた姿とかなり異なっていました。

この日はその原因を考えることを意識して授業を観察しました。
「しゃべらない」「静かにしなさい」といったネガティブな注意が目立ちます。これは、外から圧力を加えて形をつくろうとするものです。静かにさせることが目的になっています。教師の求める形をつくれという強制で、子どもにとっての意味はありません。そのため、一時的に修正されてもすぐに元に戻ります。そのたびに注意を聞かされると、ちゃんと規律を守れている子どもは嫌になります。教師に対しても注意されている子どもに対しても、負の感情を持ちます。また、注意されてから直せばよい。逆に注意されなければいいんだと考えるようにもなり、どこまで許されるかを計るようになっていきます。
そうではなく、「○○さんの話を聞こうよ」と何が大切なのかを伝えることや、「どんなことを話していたか聞かせて?」「授業に関係のないことを話していたの。残念だな。みんなと一緒に聞こうよ」というように「I」メッセージを使ってポジティブに言い換えることが必要です。

教師は子どもの発言を否定はしませんが、受容的な言葉や態度があまりありません。発言を教師、子どもたちがポジティブに評価することや、教師が笑顔を見せることもほとんどありません。瞬間的に笑う場面はあるのですが、子どもたちの笑顔も少なかったように思います。一問一答のやり取りが多いことも気になりました。
発言しても評価されない、最後は教師がまとめてしまうので、子どもたちは発言することに意味を感じていないようです。そのため、積極的に発言しなくなっているように思います。
子ども同士の活動も、相手のために役立っていると感じる場面が少ないため、かかわる意味を見いだせていません。子ども同士の活動が、受け身の状態から解放される息抜きの時間になっています。また、わかった子どもが一方的に説明している場面にも出会いました。当然説明する側のテンションは上がります。しかし、これでは説明される方はなかなか受け止めることはできません。聞く必然性、聞こうとする意欲を持たせることが必要です。

まず形をつくるのが先だと教師が思うようなことがあったのかもしれません。しかし、外から圧力をかけて行動を変えようとすることで、かえって子どもとの人間関係を壊してしまうこともあります。もう一度原点に戻って、子どもを受容し、認め、ポジティブに評価することを大切にしてほしいと思います。

これとは別の気づきがありました。デジタル教科書を使って授業をしているのですが、ディスプレイがとても小さいのです。ディスプレイは教室の前方右横に置かれています。ディスプレイに近い席の子どもは顔を上げるのですが、左後方の子どもは距離があるので手元の教科書を見ています。そのためかどうかわかりませんが、授業者はあまり子どもを見ていないようにも感じました。子どもの顔を上げるために使われている場面でこれでは「?」です。せめてディスプレイを黒板の前に持ってくればよいのでしょうが、じゃまになるからか物理的に無理なのか、授業はそのまま進んでいきました。せっかくの機器がこれでは活かされていません。対策を考えるべきでしょう。

いっしょに教室を回った先生方は、とても前向きな姿勢を見せてくれました。子どもへの指示が徹底しない、子どもが挙手しない、反応してくれないといった悩みも相談してくれました。実際に授業中の子どもたちのようすを見ながら何が起こっているのかを考え、具体的な授業技術についてお話をさせていただきました(「指示を徹底させる」「子どもの発言を引き出すには」参照)。とても素直に聞いてくれます。しかし、このような基本的な授業技術が共有化されていないことは問題です。先輩や同僚から学んでいるべきことです。また、授業研究のときとこの日のようすの乖離も気になります。授業研究が特別なものになってしまい、普段の授業と連動性のないものになっているのかもしれません。日々の授業の延長上に授業研究があり、そこでの学びを毎日の授業に還元していくことが大切です。
この学校での授業研究の在り方を振り返ってみる時期が来たのかもしれません。私自身もどのようにかかわるべきか、考え直したいと思います。多くのことを考えるきっかけとなった1日でした。

中学校の入学者説明会で講演

先日、中学校の入学者説明会で、保護者の方に子どもの中学期をどう支えるかについてお話をさせていただきました。昨年(中学校の入学者説明会で講演参照)とほぼ同じく中1ギャップについての話を中心におこないました。

中学校では、成績ではっきりと序列(定期試験の順位)がつくという状況に子どもが置かれます。今年はそのことについて少し詳しく話をしました。序列がつけば、必然的に半分の子どもができない方になってしまいます。うちの子の成績は普通でいいと保護者の方が思っていても、常に半分くらいの家庭では「もう少し頑張って」と言ってしまうような状況になるのです。自分なりに頑張っている子どもに対して、具体性のない「頑張って」はプレッシャーにしかなりません。「頑張って」の代わりに、どうすればよいのか「一緒に」考えようと寄りそってほしいのです。もう中学生だから「自分で」考えなさいと突き放すのは少し違います。ほっておいても子どもは親から離れていきます。だからこそ、苦しいときには寄りそう家族がいるというメッセージを伝えてほしいのです。保護者の方には、お子さんに対して無条件に「ここにいていい」と伝えてほしいとお願いしました。

また、「ありがとう」「うれしい」といった「I」メッセージで認める、ほめることに加えて、叱り方についても少し詳しく話しました。
悪いことをすれば叱らなければいけません。しかし、叱るべきはその行為であって人格ではありません。「あなたは、・・・だから・・・ダメだ」と「You」メッセージで叱るのではなく、あなたのしたことは「残念だ」「悲しい」と「I」メッセージを送ることを心がけるようお願いしました。

最新情報として携帯電話の世界が、ガラケー(従来の携帯電話)からスマホに大きくシフトしていることをお伝えしました。携帯電話各社の戦略で、今買おうとするとスマホの方が安く買えてしまいます。子どもはそれを理由にスマホを買ってもらおうとします。保護者の方にはスマホの世界をよくわかったうえで判断してほしいと思います。
昨年までは無料の携帯ゲームが大きな問題になっていました。携帯ゲームにはまって夜遅くまでやり続けるといったことも問題ですが、先に進むには有料で強力なアイテムを手に入れる必要があることも問題です。アイテムを手に入れるために他人のIDを盗むといったトラブルが起きたりしています。それに加えてスマホではフィルタリングがしにくいことも問題です。携帯電話会社のネットワーク経由での接続であればフィルタリングは可能なのですが、家庭でのWiFi接続であればくぐり抜けてしまいます。フィルタリングを設定したうえで、家庭のWiFiに接続しない以外に有効な手段はないようです。
また、最近話題の、無料で使えるLINEも子どもたちのトラブルの温床になっているようです。スマホを購入した学生のほとんどがLINEを利用するというデータもあります。しかし、このLINEについて、参加された保護者のほとんどの方がよく知らない状況でした。今まで問題となっていた掲示板や裏サイトの書き込みも、その存在を外から見つけることはまだ可能でした。しかし、LINEは複数の友だちと直接つながって通話やメッセージの交換ができるクローズドなものなので、そこでおこなわれることは外部から知りようがありません。悪口やいじめが起きやすいのです。また、IDを伝えれば知らない人とも同じようにつながります。これが危険なことは言うまでもありません。
しかし、時代の流れから子どもたちを完全に切り離すことは不可能です。保護者もアンテナを張って、常に最新の情報を得て対処し続けるのはとても大変です。最も有効な手段は、きちんと利用のルールをつくって守らせることです。ケータイやスマホの利用目的をはっきりさせて、他の用途では使わない。部屋では使わない。充電器は家庭のパブリックスペース(居間等)に置き、使わない時はそこに置いておく。ルールを破ったら一定期間使用禁止。こういうルールをつくって守れば、新しい技術にともなう問題が起きてもとりあえず対処できます。
そして、もう一つお願いしたのが、何でも話し合える関係をつくってほしいことです。万が一トラブルが起こっても相談してくれれば何とかなります。自分で解決しようとしたが、結局どうしようもなくなって、最後は保護者ではなく警察に相談にくるというパターンが非常に多いそうです。こういう点でも、子どもの居場所をつくり、寄りそう関係をつくることが大切になります。

保護者がうまく支えることで、子どもたちは落ち着いて生活することができます。家庭に居場所がある子どもはめったなことでは崩れません。私の話が、保護者と子どものよりよい関係づくりに役立てば幸いです。
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