3学期の学級経営を考える
3学期は1年の総仕上げの時とよく言われます。しかし、卒業式以外に大きな行事もなく、具体的に何を大切にすればいいのかよく見えない時でもあります。ともすると惰性で過ぎていってしまうこともよくあります。3学期の学級経営を考えてみたいと思います。
総仕上げの時として、まず何ができていて何ができていないのかを明確にすることが必要です。学級経営がうまくいっているときは、年度当初に考えた目指す姿に子どもたちが近づいていると思います。安定した学級の居心地の良さに安住するのでなく、新年度に子どもたちが更なる成長をするために必要なことを意識する必要があります。もし、この子どもたちを新年度に続けて受け持つとすればどのようなことを目標にするでしょうか。今年うまくいったからそれで完成というわけではありません。短い3学期の間に次の目標を達成することは難しいかもしれませんが、新年度に子どもたちが飛躍するための助走をする時期と位置付けて新たな目標を設定してほしいと思います。 また、よい学級の雰囲気に支えられている子どもの中には、新年度の新しい学級での人間関係でつまずく子どもも出てきます。学級がよい状態で担任に余裕があるからこそ、そういった子どものソーシャルスキルを高めるといった、個への働きかけも視野に入れてください。 年度当初に思い描いた姿と今の姿に少しギャップがある場合はどうでしょうか。この場合、担任がチェックすることはもちろんですが、子どもたち自身に振り返らせることが大切です。できていることを担任は大いに喜びほめてください。そして、できていないことを再度目標として、これを3学期に達成することを総仕上げとしてください。できていることをしっかり評価することで自己有用感が高まり、できていないことを達成しようとする意欲につながります。残りの時間が少ないからこそ最後の目標を達成しようというエネルギーが高まり、集中して取り組むことで期待以上の成果をあげてくれるものです。 残念ながら学級経営がうまくいっていない場合はどうでしょうか。この場合は、子どもとの人間関係がうまくいっていないことがほとんどです。やり直そうにも残された時間はあまりありません。3学期を何とかしのいで、新年度にリセットしてやり直そう。そう考えるのではないでしょうか。実は子どもたちも同じことを考えます。これでは3学期は互いに耐える時となって学級のエネルギーは上がりません。現状維持どころかますます難しい状況になってしまう可能性も高くなります。うまくいっていないからこそ前向きに取り組むことが大切です。新年度から変わろうとしてもなかなかうまくいくものではありません。新年度に変わるためにも今変えることが大切です。項目を絞って何を徹底させたいかをきちんと決めます。そして、子どもたちに教師自身も変わろうとしていることを伝えてください。その上で、再度設定した最後の目標を一緒に達成したいと話すのです。今までうまくいっていなかったのですから、すぐに結果がでることはありません。しかし、変わろうとする姿勢を見せることが子どもたちとの関係を修復することにつながります。教師が変わろうとしていることを子どもたちが感じてくれれば、新年度に同じ学年を持つことになったときに、大きな力となります。そうでなくても、子どもたちがよい方向に少しでも変わればそれはとても効果があることだったといえます。同じことをリセットされる新年度のスタートから意識しておこなえば、効果ははるかに大きくなります。自信を持って同じことをすればいいのです。 3学期はあっという間に過ぎてしまいます。仕上げの時であることを意識すると同時に新年度へどうつなげるかを意識した学級経営をおこなってほしいと思います。 待つことを考える
知識を問う発問であれば知っている子どもの手がすぐに挙がります。しかし、考えることを求める発問であれば考える時間を待つ必要があります。待ち続けても子どもから反応がなくて、つい教師が説明を始めることもあります。どこまで待てばよいのかは難しい問題です。待つことについて少し考えてみたいと思います。
発問したあとは、まず子どもが考えているのかいないのかチェックすることが必要です。その差は外見からはわかりにくいのですが、多くの場合、考えているときは発問が終わったあと、頭が下を向いたり教科書やノートなどの手掛かりを探したりします。友だちと相談することが普通の学級であれば、まわりの子と相談を始めます。しばらくすると早い子どもの手が挙がりますが、ここですぐに指名をすると他の子どもは考えるのをやめてしまいます。あわてて指名せずに他の子どもの考えがまとまるまで待つことが必要です。手を挙げた子どもには、うまく説明できるように準備することや、まわりと確認することを指示しておきます。できるだけ多くの子どもが自分の考えを持てるまで待つことが必要です。 ここで気をつけなければならないのは、子どもたちが行き詰まっているかどうかの判断です。考えて続けているのであれば待つことに意味がありますが、一人で考えても手掛かりがない状態であれば集中力が切れてきます。この状態で待ち続けていれば授業がだれてしまいます。まわりと相談させたり、全体で話し合ったりする場面に移行する必要があります。 では、発問のあと子どもたちが考えようとしていない場合はどうでしょうか。この場合に注意してほしいのは、何が問われているか発問そのものが理解されていない可能性があることです。課題を理解しているかどうかの確認場面をつくる必要があります。課題を理解しているにもかかわらず考えようとしないのであれば、待つことはムダです。考えるための前提となる知識が子どもたちにない可能性があります(考えるための足場をつくる参照)。 また、子どもたちに問いかけても十分に考える時間を取らずに教師が説明して終わる授業を続けていると、子どもたちは自分で考えようとしなくなってしまいます。考えなくても、待っていれば答がわかるからです。考えたということが評価され、自分たちが考えなければ答が手に入らない。そういう授業であることが求められます。子どもの言葉をひろい、つなげながら子どもの言葉で答をつくっていく姿勢が大切です。 子どもが考える時間を教師が待てないと、子どもたちは考えることをせずに誰かから答えが出てくることを待つようになります。かといって、集中力が切れているのに待ち続けていても時間のムダです。授業で待つことは大切ですが、ただ待てばよいわけではないのです。待ち続けるのか待つのをやめて次の場面に移るのか、子どもたちの状況を常に把握し判断することを意識してほしいと思います。 今年のアドバイスの方針
管理職の方から年賀状でいただいたメッセージに、若手の育成に関するコメントが多く見られました。現場に共通する課題です。私にとっても大きな課題ですが、即効性のあるうまい方法がないというのが実情です。今年は再度原点に立ち返って、次のようなことをていねいにおこなっていきたいと考えています。
・目指す子どもの姿を共有する 研究指定校などでは、管理職や研究のリーダとは子どもの姿について共有をするように努めています。そこで共有できると、学校全体と共有できたような気がして、個々の先生としっかり確認しないままアドバイスをしてしまうことがあります。一人ひとりの見たい子どもの姿をできるだけ具体的かつ詳細に聞き、しっかりと共有することから始めることを徹底したいと思います。 ・人間関係をつくることを意識してもらう 授業が成立する基本は内容以前に子どもとの人間関係です。子どもの言葉をうなずきながらしっかり聞く、子どもをポジティブに評価する、こういう姿勢の大切さや子どもの言葉を活かすことをしっかりと伝えたいと思います。教師がしゃべりすぎないように気をつけ、子どもの言葉をつなぐことで、友だちの話をしっかり聞く姿勢をつくることが、子ども同士の人間関係をつくることにつながっていきます。ここまで意識してもらうことを目指したいと思います。 ・子どもを見ることを具体化する 子どもを見るということはどの先生も大切にしていますが、何を見るか・見ているかは実は一人ひとり大きく異なっています。一緒に授業を見ながら子どもの姿から何がわかるかを伝える。授業の具体的な場面での子どもの姿がどうであったかを伝えて、それはどういうことか一緒に考える。このような機会をたくさん設けて、子どもを見る視点を増やし、自分の授業での子どもの姿をより意識して見るようになってもらえるようにしたいと思います。 ・教科書の内容・意図を読み取ることを意識してもらう 経験が少ない先生へのアドバイスは、教科内容以前の授業技術や子どもとのかかわり方で終わってしまうことが多くなります。しかし、もう一つの軸となる教科内容を後回しにしていると、子どもはとてもよい状態で授業を受けているのに学力がつかないということになってしまいます。教科書は授業で押さえるべきこと、子どもたちに考えさせたいことを意識してつくられています。表面的に理解するのではなく、なぜこのような例や素材を用いているのか、なぜこのような課題になっているのか、なぜあえてこのような表現をしているのかといった、教科書の記述や内容にこだわることが大切です。教科書の内容・意図を読み取ることを常に意識することで、自然に授業のポイントが押さえられるようになります。教科内容についてのアドバイスは、授業の具体的な場面で教科書の記述をもとに一緒に考えることで、教科書の内容・意図を読み取ることを意識してもらえるようにしたいと思います。 教師が育つためにはたくさんのことが必要です。今年もたくさんの方へアドバイスする機会をいただけそうですが、まずはこの4つのことを大切にしたいと思っています。 年末年始のお休み
12月29日から1月3日までお休みをいただきます。
日記もお休みをいただき、1月4日より再開します。 小学校でICT活用研究の打ち合わせ
昨日は、ICTを活用の研究発表を来年度予定している小学校で打合せをおこなってきました。
ICTが前面に出るのではなく、積極的に学ぶ子の育成をねらいとして、その上でICTを効果的な場面で利用するという方向で考えたい。そのためには、授業の流し、指名の仕方、ことばかけといった授業の基本的な考え方をまずはしっかり押さえたいということでした。この研究を機会に先生方の授業力の底上げをはかりたいという思いがよく伝わりました。 来年4月からよいスタートを切るためにも3学期中に動き始めることが必要です。先生方が学びあえる環境をつくること、特に研究を通じて一人ひとりが成長できる実感をもてるような仕組みをつくることが大切です。実はこの学校は今年の2月の愛される学校づくりフォーラムで国語の提案授業をおこなった授業者の学校です。事前の模擬授業での先生方の熱心な姿を思い出しました(授業づくりへの思いにあふれた模擬授業参照)。この先生方なら、研究授業をただおこなうのではなく、事前の指導案検討や模擬授業を通じてみんなで授業をつくることができるはずです。先生方が学び合う姿を想像して、わくわくしてきました。 この学校が目指す子どもの姿を抽象的な言葉で終わらせずに、具体的な姿で共有するためにどのような方法があるかについてもお話しました。授業で見られた目指す子どもたちの姿を写真に撮って、それをホームページや印刷物で共有する。授業研究では、互いに見つけた目指す子どもの姿を伝え合う。いろいろと工夫をして挑戦してほしいと思います。 どれほどのお手伝いができるかわかりませんが、この学校の先生方の持つよい資質を活かせればと思っています。 今年度異動になったあの提案授業の授業者が、この日の午後にこの学校で開かれる研究会の発表者になっていました。提案授業を通じて学んだことを参加者に伝えるということです。フォーラムでの取り組みをきっかけにこのように活躍してくれていることは、かかわった私にとっても誇らしいことです。 うれしいことに、私がこの日訪問することを聞いてその先生が早目にやってきてくれました。校長と3人で昼食をいただきました。あれからもたゆまずよい授業をしようと頑張っていることが言葉の端々から伝わります。授業で課題としていることが自然と会話の中にでてくるのです。私のちょっとしたアドバイスに対して、すぐに「やってみます」と前向きに受け止めてくれます。この先生がめきめき力をつけている理由がよくわかります。 とても楽しい時間を過ごすことができました。ぜひまたどこかで授業を見せていただきたいとお願いをしました。 お二人の先生から、たくさんの元気をいただけた1日でした。ありがとうございました。 この時期に人間関係を考える
子どもと教師の人間関係が大切であることをこの日記でもたびたび述べています。人間関係がうまくいっている学級は、2学期の行事等もよい方向に作用して、安定した学級経営ができていることと思います。ここで、今一度人間関係について考えてみたいと思います。
学級の人間関係をつくる要素はいろいろあると思いますが、その中でも基本となることは相手を認めるということです。自分が相手に認めてもらえると感じれば、自己有用感も持てます。自分の存在を意味のあるものと感じさせてくれる相手とは、よい人間関係をつくることができるからです。 相手によかれと思って話した言葉も、自分を否定していると取られてしまえば届きません。私はあなたを認めていますということが伝わっていて、初めて言葉も届きます。子どもを指導するときなどは、特にこのことを意識する必要があります。とはいえ、ことはそれほど簡単ではありません。相手にとって厳しいこと言うときに、同時に認める言葉を発することはとても難しいからです。ですから、それ以前から人間関係をつくっておくことが大切になります。子どもたちとの人間関係ができていないうちから、あれこれと厳しく指導してしまうと、良好な人間関係はつくることはできません。まずは、子どもたちを認める場面をたくさんつくることです。 常に笑顔で接する。 子どもたちの言葉をうなずきながら、しっかりと聞く。 子どもたちのよい行動を見つけて、「えらいね」「すばらしい」とほめるだけでなく「うれしい」「ありがとう」とIメッセージを送る。 4月の教室では、特にこういうことが大切になります。面白いのが、2学期の後半くらいになると、人間関係のよい学級でもほめる言葉やIメッセージがあまり聞かれなくなる傾向があることです。人間関係ができているので、いちいち言葉にしなくても、笑顔でうなずくだけで認められていると感じるからです。こういう学級は独特の温かい雰囲気があります。その教室のそばに立っているだけ気持ちが和んできます。 では、この時期になっても人間関係がうまくいってなければどうすればよいのでしょうか。今から作り直そうとしても、おそらく3学期いっぱいかかってしまいます。4月になってリセットされたら、もう一度やり直そう。そう考える方も多いと思います。しかし、4月になっていきなり、笑顔をつくれたり、子どもの言葉をうなずきながら聞けるようになれたりするわけではありません。3学期から意識して行動して、ある意味練習することで、新しい年度のスタートがうまくいくのです。3学期は仕上げの時期と言われます。しかし、新学期へ向けての準備の時期でもあるのです。お正月をはさむ冬休みは、落ち着いて一年を振り返ることができる時です。仕上げだけでなく、4月に向かって何を意識すべきか考えてみてはどうでしょうか。 授業力をどうやって高めようとしたのか思い出す
学期末から冬休みに入り、学校で授業を観ることのない日が続いています。先生方も少し息をついているところだと思います。しかし、このような時期だからこそいろいろなグループや団体の研修もおこなわれていることと思います。自主的に学んでいる先生方には頭が下がります。
自分の教員時代を振り返ると、長期休業中は部活動ばかりでこういった研修にもあまり参加した記憶がありません。もっとも、当時は今ほど機会がなかったようにも思います。ただ私が不勉強で知らなかっただけかもしれませんが・・・。では、私自身どのようにして授業の力を高めようとしていたのでしょうか。先輩の授業をこっそりのぞいたり、授業を終わって職員室に戻るときに先輩の板書を盗みしたり、印刷室や教室で先輩のプリントを拾ったりと、基本は盗むという発想でした。その一方で先輩に負けたくないというライバル心も旺盛でした。恥ずかしい話ですが、自分が担当している学級の平均点を競うようなこともしていました。子どもたちの成績を上げるためにはどうすればよいのか、とにかく思いつくことは何でも挑戦してみました。そのやり方がよいかどうかは、試験の結果が教えてくれます。とても単純な考え方ですから、一定の法則が生まれてきます。簡単なことです、教師が頑張った量ではなく、子どもが頑張った量で成績は決まるのです。ここに、大きな落とし穴があるのにも気づかずに、演習量(課題や宿題も含む)をいかに増やすかにエネルギーを注いだ時期がありました。自分が担当している学級の成績がよいと自分の手柄のように思い満足していました。担当している学級で私の教科の成績が他の教科と比べて相対的によいと、他の教科の先生の教え方が悪いのではないかとさえ思うようになっていました。当たり前のことに気づくまでは。そうです、私が子どもたちの演習量を増やしたために、他の教科にまで手が回らなくなっていたのです。子どもの時間を奪い合っていただけなのです。 このことに気づいてから、演習量を確保するのなら、他の教科の時間を奪わない方法を考えようとしました。その答えの一つは、子どもがやる気を出せばトータルの学習時間が増えるということです。やらされているという気持ちでは、時間の奪い合いになります。もっと勉強したいという気持ちにさせることが大切なのです。とはいってもそれは簡単なことではありません。自分が頑張ってわかった、できるようになったという自己有用感を持たせることが大切です。そのためには、日頃の授業も課題もすべてに工夫が求められます。同じように授業をしているのにこの学級の子どもは出来が悪いと子どものせいにして終わってしまっていてはどうにもなりません。そこから出発して、どうすれば彼らがやる気をだし、力を伸ばす授業になるのかを考えることが本当に必要なことです。学級ごとに、もっと言えば一人ひとりの子どもにどう対応して授業をつくっていくのかが問われているのです。課題を全員添削して、どこでつまずくのか、何がわかっていないのかを把握する。担当している子どもたちの学級や部活動でのようすを担任や顧問に聞く。他の教科の成績も教えてもらう。そういう情報を参考にしながら授業を組み立てようとしました。授業がうまくいっているかどうかは、子どもたちが教えてくれます。子どもたちの表情、集中の度合い、家庭での学習量、試験の結果、・・・。謙虚に子どもたちの発信を受け止めることで、課題は見えてきます。昨年うまくいったから、昨日うまくいったからと安易に同じように進めるのではなく、子どもたちが発するものを精一杯受け止め、毎日子どもたちと新しい授業をつくっていく。そういう気持ちで臨みました。 とはいっても、研修にもろくに参加しないような私です。知らない授業技術もたくさんありました。そんな簡単によい授業ができるわけはありません。今振り返ってみれば、とても人様に誇れるような授業ではありませんでした。ただ、子どもたちが教えてくれる課題を解決しようと考えることで、多少なりとも授業を改善することはできたように思います。 授業力をつけるのに、研修はとても有効なものだと思います。しかし、課題を持たずに研修に参加しても、自分は勉強した、前向きなよい教師だという自己満足で終わってしまう危険性があります。目の前の子どもの課題に気づき、その課題を解決しようと考える。その延長上にあってこそ、研修は大いに意味を持つのではないか。昔の自分の姿を思い出しながら、こんなことを考えました。 説明するとき意識してほしいこと
教師が説明をしたり、知識を伝えたりする場面で、教師の言葉が子どもたちに届いていないと感じるときがあります。「わかりましたか?」」と聞きますが、子どもたちに求めるのは「わかりました」という返事です。これでは、何がわかって何がわかっていないのかもはっきりしないままに進んでしまいます。教師が子どもに説明したり、伝えたりするときには、2つのことを意識してほしいと思います。
一つは子どもの視点で説明することです。教師にとって当たり前のことは説明せずについつい軽く流してしまうことがあります。用語や言葉もしっかり押さえずに使うこともよくあります。 たとえば、対角線は「頂点を結んだのが対角線だね」と簡単に確認することができます。しかし、「頂点」がしっかりと理解できていない子どもにとっては、この説明でははっきりしません。「結ぶ」のは直線(線分)で結ぶに決まっている、対角「線」というのだから線に決まっていると、教師にとっては当たり前のこととしてちゃんと押さえなければ、なんとなく「わかった」気になっただけで終わってしまいます。 「頂点てなんだっけ? この図形でいうとどこのこと? いくつある?」 「頂点と頂点を直線で結べる? 他にはない? 隣同士結んだのは何?」 「頂点と頂点を直線で結ぶと辺ができるね。辺しかできない?」 「隣り合わない頂点を結んだ直線(線分)を対角線というんだね」 「四角形には2本あるけど、五角形にもあるかな? じゃあ三角形はどうかな?」 子どもは一気に理解はできません。用語や言葉を一つひとつ具体的に押さえ、子どもの理解を確認しながら、段階を追って説明していくことが必要です。 もう一つは、わかったかどうかを確認する方法を意識して説明することです。この説明がわかったということは、何が言える、できることなのかを明確にしておくことです。先程の例でも、確認がいくつか含まれています。「頂点」がわかっているかどうかの確認を具体的な図形で指摘させる、いくつあるか答えさせることでおこなっています。対角線を理解したかどうかについても、他の図形で見つけさせる、実際に描かせる、図で指摘させるというようにいくつも考えることができます。確認の内容を意識すると、目標が明確になるため説明のポイントもはっきりします。教科書を読み解くにあたっても、教科書の確認場面を意識することで、そこに至る説明の意図が明確になってきます。 教師が説明をすれば子どもが理解できるわけではありません。子どもに理解させるためには、ちょっとした言葉もわからない子どもがいるかもしれないと意識して、子どもの視点に立って一つひとつ段階的に丁寧な説明を心掛ける必要があります。また、予め確認方法を具体的にし、そのことを意識して説明することが大切です。説明して終わりではなく、常に理解されたか、伝わったかを問いかけながら授業を進めてほしいと思います。 集中と緊張
子どもたちが姿勢を正して授業を受けている姿を目にします。しかし、必ずしも集中しているとは感じないことがあります。一方、背筋は伸びていませんが全員が集中している授業にも出会います。この違いについて考えてみたいと思います。
姿勢がよくても集中していないと感じる子どもたちは、身体や視線があまり動きません。友だちが発言したり教師が移動しながら説明したりしても話し手の方を向かないのです。次の課題や個人作業、グループ活動に移るときに、伸びをしたり体を揺らしたりする場面もよく目にします。身体が動かないということは緊張状態にあるのです。よい姿勢を維持するために緊張を続けているので、場面が変わると緩むのです。 話を聞こうとすると身体が話し手の方を向きますし、前傾姿勢になります。グループ活動でも話し合いが成立しているときは額を寄せ合うように前に傾きます。また、背筋を伸ばした状態で考えることはあまりありません。考えるときはリラックスしようと身体も動くものです。集中しているときはごそごそとは違う、自然な動きがあるものです。課題に集中していれば、次の活動に移るときでもムダな動きがなく素早く取り掛かります。 教師が子どもによい姿勢を求めすぎると、それが目的化して子どもを緊張状態にします。子どもがよい姿勢で聞いているので、ついついしゃべりすぎることもよくあります。子どもを受け身にしてしまい、ますます緊張を強いることになってしまいます。子どもの姿勢がよいからこそ、子どもに反応を求め、その反応をもとに次の活動をつくることが必要です。子どもを能動的に参加させることを意識しないと集中してはくれません。教師の説明を一方的に受けるのではなく、説明や友だちの発言を聞いて、考え・外化する場面をつくり、聞く必然性をもたせることが大切です。 子どもが集中しているのか緊張しているのかの判断をして、緊張を和らげ集中させることを意識してほしいと思います。 教師力アップセミナーの講師選定会議
先日、来年度の教師力アップセミナーの講師選定会議をおこないました。先生方に多くを学んでいただけるような講師陣を目指して、現在講演依頼を進めています。2月には詳細をお知らせできる予定です。
講師選定に当たって話題となったのが、教材研究において先生方が教科書をしっかり理解していないということでした。極端に言うと教科で子どもたちに学ばせることは何かわかっていないのです。具体的な授業場面で、教科書の意図や単元のポイントを伝えれば理解してはもらえるのですが、新たな単元になればまた同じことの繰り返しとなってしまいます。根本的な解決が難しいのです。このことを意識して、今年度鈴木明裕先生に「算数・数学での教科書の使い方と役割」についてお話をいただきました(鈴木明裕先生から学ぶ参照)。お話の中の具体例はよくわかっていただけたようですが、では他の単元・教材ではどうかというと、これがなかなか広がってはいかないようです。教科の基本となる力をつけるということは、講演を聞いてすぐにとはいかないということです。とはいえ、何とかしていかなければならないことには違いありません。日々教師としてどのように教科書や教材と向かい合うか、どのような視点で授業を組み立てるか。こういったことも重要になってきます。授業づくりで大切にすべき視点を意識していくと、教科書の内容や教科の目指すところも意識せざるを得ないからです。 来年度はここにスポットを当て、授業づくり、教材研究のポイント、授業への心構えについてお話しいただける講師をお呼びする予定です。どなたかは詳細発表までお待ちください。決して期待を裏切らないはずです。 2月には充実した講師陣を発表できることと思います。ご期待ください。 教師が育つ環境づくりについて講演
先日、校長会の研修会で「教師が育つ環境づくり」について講演をおこないました。今年の1月に続いてこの地区では2回目となります。リピートしていただけることはとてもうれしいことです。
学校において校長の発信はとても大切です。外向きと見えるような学校ホームページなどの発信も、内向きを意識することで先生方に対して大きな影響を与えることができます。授業の具体的な場面を取り上げて、よかったところをコメントする。目指す姿が具体的に現れている場面を取り上げてその意図を説明する。このようにすることで、先生方にも目指すところがよくわかりますし、外部の方も学校でこのような場面を目にすることを期待するようになります。外部の目が先生方にとってよいプレッシャーとなります。 そのためには、校長が目指す姿を具体的にしていなければなりません。漫然と授業を見て、その光景を発信していても何も伝わりません。学校の風景から目指す姿、目指す姿につながる場面を切り取る力が求められます。また、時間があれば校内のようすを観察し、校長が授業をのぞいても誰も気にしない。そういう雰囲気をつくる必要もあります。常によいところを見つけて発信することで、先生方の見られることへの抵抗感を減らすことも大切です。 教師が育つには、当たり前のことですが、指導と評価が大切になります。子どもと同じです。若手教師は積極的な指導がなければなかなか育ちません。ここで大切になるのは、目指す授業の姿や学級像がどのようなものかがしっかりと共有されていなければならないことです。ここがずれていれば話の根本が崩れてしまいます。まずはどのような子どもの姿を目指しているのか問いかけることから始める必要があります。その上で具体的な子どもの姿をもとに、何をすればよいのかをしっかり伝えることが必要です。指導した後に変化したかどうかの評価も大切です。変化することで結果出ればもちろんですが、すぐによい結果が出るとは限りません。意欲をなくさせないためにも、変化したということ、時には変化しようと意識をしただけでもほめることが必要です。ほめる方法も、直接ほめるだけでなく、教務主任等を通じて間接的にほめる、ホームページ等を使って発信するなどの使い分けが重要です。間接的にほめることは間に入った方との人間関係をつくることにもつながります。発信することは他から認められることにつながります。また、授業者との人間関係ができてくることで、校長が直接介入して授業を修正することができるようになった例もお話しました。 互いに学びあう風土づくりも大切になります。授業を見ない、見せないという相互不可侵の関係をつくっている学校を数多く見ます。その壁を打壊すことが大切になります。授業検討会を一部の人の意見や形式的な賛辞で終わるものから、全員が参加できる、何よりも授業者がやってよかったと思えるものに変え、学び合うことのよさを実感させる必要があります。 そのために教務主任が果たす役割はとても大きいものです。共に考え、時には自らがやって見せ、うまくできれば一緒になって喜ぶ、同じ仲間として寄りそう同僚性。つねによいところを見つけようとし、ポジティブに評価する機会をつくる姿勢。よいところをみんなに伝え、一緒に考える仲間をつくるという教師同士をつなぐ姿勢。教務主任の姿勢が先生同士の関係をよくすることにつながり、学びあう風土をつくりあげていきます。 このような教務主任を育てることも校長の仕事です。校長が指導する姿を見せて背中で教えたり、活躍させてみんなに認められる場面をつくったりすることが大切です。教務主任にも成功体験が必要です。機会を与え指導し、そしてほめる。この当たり前のことがやはり大切なのです。 この他にも、最近の若い教師の傾向やベテランが変わるきっかけについて具体例をもとに話させていただきました。 皆さん非常に熱心で、うなずいたりメモを取ったりととてもよく反応していただけました。先生方のようすから、どの学校もそれぞれの課題を持っておられることが伝わってきます。私の話が学校経営に少しでもお役に立てば幸いです。 学校評議員会で考える
昨日は中学校の学校評議員会に参加しました。
今年度の状況と次年度への取り組みについて、学校公開時の保護者アンケート、学習状況調査結果についての報告を学校から受け、それをもとに話し合いました。学校が劇的に変わっているわけではありませんが、いろいろなデータや皆さんの感想から少しずつですが学校の取り組みが前へ進んでいることがよくわかります。毎年取り組みがコロコロ変わるのではなく、目指すところをぶれささずに時間をかけて達成へ向かって努力することは大切です。しかし、毎年うかがう課題が大きく変わっていないことは少し気になります。今までの取り組みの延長線上では課題を解決することが簡単ではないということです。コツコツ続けて成果を出していることは評価できますが、新しい仕掛け、仕組みを考えなければいけない時が来ているようにも思います。 保護者へのアンケートは2回の学校公開日にとったものを提示していただきました。子どものようすや教師の授業への取り組みが質問項目となっていましたが、このデータの変化だけではコメントがしづらいものでした。同じ項目を子どもから見たアンケートと比較しないと、子どものようすや教師の取り組みが変化したのか、保護者の見方が変化したのかといったことがよくわからないからです。この点については検討をお願いしました。 また豊かな心を育てる教育の一環として外部の講演やいろいろな行事が検討されています。日々の実践の充実も示されていました。ただ、学校全体、学年、学級担任、教科担任、それぞれの取り組みをどうつなげていくのかがあまり明確ではありませんでした。もちろん個々に意識はされているのでしょうが、全体計画の中でしっかり明文化して位置づけて置くことが必要だと思います。時間をかけ、いろいろな視点や立場から子どもの心を耕し続けてほしいと思います。 全国学習状況調査の質問は、経年変化を見るためにほぼ固定されています。しかし、学校独自の課題や時代の変化に対応して調査内容を追加することも考える必要が出てきていると思います。携帯電話に関する項目も今後子どもたちへのスマホの普及に伴いLINEのような新しいツールに対応する必要があります。 また、読書について面白い結果が出ていました。読書の好きな生徒は70%ですが、60%近くの生徒が全く読書しないというのです。これは矛盾しています。読書より楽しいものに時間を奪われているのか、そもそも子どもたちは時間がないのか。きちんと調べずに読書指導の在り方を考えてもあまり意味がありません。 何を知るのか、次の取り組みにどう活かすのか学校としてのねらいを意識して、独自の調査を追加することを考えてほしいと思います。 校長が変わり、学校の目標もよりシャープになってきたと感じます。であれば、その目標がどう達成されているかを知る指標もより明確にできるはずです。目標達成の指標を具体的にして共有していくことが、個々の先生方の取り組みをよりよいものに変えていくきっかけになると思います。 最後に不登校について、ひとしきり話題になりました。この学校でもそうですが、一度不登校になると再び学校に出てこられるようになることは難しい傾向にあります。そのため、不登校の初期に学校に出てこられるように強く働きかける傾向にあります。しかし、根本的な原因を見つけ解決するための動きも合わせておこなわなければ、結局いつかは破たんしてしまいます。その原因は多様で、学校で解決できることは稀です。だからこそ、子どもたちを支える多様な人、場所、機関が必要だと思います。孤立して苦しんでいる保護者の実態が評議委員からも報告されました。地域の施設が保護者の悩みの受け皿になっていることも聞かせていただきました。不登校といった切り出しにくい問題も学校がオープンにしてくれることで、互いに実態を共有し考えを深めることができたように思います。すぐに解決できる問題ではありませんが、子どもたちを支えるよりよい環境づくりにつながることだと思います。 この日も学校からのごまかしのない情報提供のおかげで、多くのことを考えるきっかけをいただけました。いつものように学校をよくしたい、子どもたちによりよい成長の場を提供したいという地域の方々の思いが伝わってくる会でした。このような学校にかかわらせていただけることに感謝するとともに、少しでもお役に立てればと思いをあらたにしました。 愛される学校づくり研究会に参加
先週末は愛される学校づくり研究会に参加してきました。
前半は、先月研究発表をした小学校(研究発表会で学校の変化から学ぶ参照)の教頭から、研究を通じて学んだことをお話しいただきました。 後半は、「愛される学校づくりフォーラム2013 in東京」での「劇で伝える校務の情報化」のシナリオの打ち合わせでした。 前半のお話は、苦しんだ研究の前半とそこからどのようにして学校が変わった(変えていった)のかについて、本音のところを聞くことができました。著名な外部指導者を招いても、日々の実践の中で自分たちがなすべきことを意識して行動しなければよい方向には変わっていきません。自身の学びとして3つのことを挙げられました。 ・継続は力なり(愚直な取り組み) ・まわりがいきて自分もいきる ・「責任と覚悟」、そのためにすべきこと その中でも、最後の1つが特に私には印象的でした。この1年間たくさんのことを愚直に積み重ねてきたこと思います。いくつかのことは発表会での学校のようすから想像できましたが、その時には気づけなかった教頭の地道な取り組みを今回知ることができました。それは、研究の手立て、授業改善のようすを見える化し共有化することでした。具体的には毎日のように教室をまわり、視点を絞ってよさと課題をコメントし、その場面の写真と合わせて紙面化して全員に配布したことです。他の会員が現場にいたときにおこなっていた「授業拝見」という取り組みを参考にされたとのことでした。参加していたその会員は、今回の話を聞いて「自分の取り組みはまだまだ甘かった」とコメントされていました。互いに刺激し合い学び合うこの会のよさをあらためて感じました。 この学校のように、著名な外部指導者がかかわった場合、どうしてもその方の指導力や影響力に目がいきますが、学校のトップやリーダー、関係者がどう動いたかに注目することも大切です。日々何を実践してきたかが問われるのです。この研究を陰で支えてきた指導主事からも別の視点でこの学校に起こったことを伝えていただきました。今回あらためていろいろな視点で話を聞くことで、この学校が大きく変化したその原動力を知ることができました。会終了後もメーリングリストでこの学校の取り組みについての情報が行きかっています。それだけ学べることが多かったということです。 研究の発表が終わったあとがその真価を問われるところです。この学校の今後を研究会の仲間とともに注目し続けたいと思います。 後半は、グループごとに座長の作ったシナリオをもとに、細かい打ち合わせをおこないました。1時間余りの打合せの後、とりあえずの発表をグループごとにおこないました。どのグループもかなりの完成度です。シナリオもそうですが、役者のレベルの高さに圧倒されます。本番までにどのように仕上がってくるかとても楽しみです。当日は、面白い寸劇を見ながら、校務の情報化のポイントについてしっかりと考える場になると思います。 ありがたいことに、フォーラムの申込みは昨年度以上に順調のようです。参加を予定されている方はお早目の申込みをお願いします。 この日も、多くの仲間からたくさんのことを学ぶことができました。充実した時間を過ごせたことに感謝です。 子どもたちの集中力に感動
昨日は中学校で授業参観をおこなってきました。各学年の先生とそれぞれの学年の子どものようすを観察しました。
1年生は、前回訪問時と比べると集中力が戻ってきていました。子ども同士の人間関係もよくなってきたように感じます。合唱大会がよい方向に作用したようです。しかし、授業者によって見せる姿は異なっています。子どもたちの反応を待つ、子どもたちの言葉をつなぐようにすればしっかりと集中して参加する子どもたちですが、すぐに教師が説明をする、子どもたちへの確認をせずに一方的に話をすると、すぐに集中力が切れてしまいます。とはいえ、子どもたちは授業を乱すような行動はとりません。授業者は子どもたちの集中力が切れていることに気づかないようです。指示をしたときも、少し待てば全員きちんとできるのですが、それを待たずに進んでしまいます。このようなことが続けば、授業者と子どもたちの信頼関係が崩れていきます。教師によって子どもたちが見せる姿の差が広がっていくことが心配です。 2年生も似た傾向にあります。子どもの反応を待つ、反応を受け止めることをしている授業では子どもはしっかりと集中できています。しかし、教師が一方的に説明する授業では子どもの集中力が続きません。子どもたちが静かにしていることができるので、つい教師がしゃべりすぎているように感じます。そういう授業では、子どもが理解したかどうかの確認をしないまま先に進む傾向が見られます。子どもの発言、子どもとのやり取りが圧倒的に少ないのです。 両学年とも、一言でいえば「もったいない」でした。子どもたちは教師が求めればそれに応える力を十分に持っています。しかし、教師が求めなければ、そのよい姿を子どもは見せてはくれません。目指す子どもの姿が明確でなかったり、教師によってずれてしまったりしているのかもしれません。 同行した先生方は、この傾向に気づいておられました。この問題を個人の力量の問題ではなく、学年の問題としてどうとらえて対処していただけるのか、今後を見守りたいと思います。 3年生のようすはとても素晴らしいものでした。どの教室も子どもたちの集中力は半端ありません。わかりたいという意欲が廊下にいてもひしひしと感じます。受験が近づいていることもあるでしょうが、それにしても並大抵ではありません。しかもその集中は決してピリピリしたものではありません。柔らかい雰囲気で、表情も穏やかです。笑顔も3学年で一番たくさん見ることができました。 興味深い場面もたくさんありました。一つは教師が説明しているときに子どもが鉛筆を持って板書を写したりメモを取ったりしている場面です。これは授業の原則からいって好ましいことでありません。書くことに意識が行って、聞くことがおろそかになるからです。しかし、子どもたちは聞くこともきちんとできています。それは、書くリズムからわかります。一定リズムではなく、教師の話の合間を縫って素早く書いているのです。本当に集中していることがよくわかります。同行した先生方の授業でも、子どもたちが集中するので、通常よりも多くの内容を1時限でこなすことができるとのことでした。 また、教師がプリントを見ながら淡々と解説をしている場面がありました。子どもが理解できたか確認をしていくことが必要な場面ですが、それをしていません。○をつけたり、間違いを訂正したりするだけの作業になってしまうところです。ところが、子どもたちは隣同士で聞きあったりして、自分たちで確認し合っているのです。これをわかっていて、子どもを見ずに確認もしないで進めているのならその教師の力はすごいものです。そうであるかどうかは別にして、子どもたちは、私の想像を軽々と超えた姿を見せてくれました。高校生や大学生でもなかなか見ることのできない姿だと思います。互いに支え合えながら中学生活の最後を乗り切っていくことと思います。 とはいえ、このようなよい雰囲気に支えられて何とか頑張れている子どもも少なからずいるはずです。彼らは、ちょっとしたつまずきでバランスを崩し、ついていけなくなります。学校では友だちに支えられて頑張れても、家では不安につぶされそうなってしまう子どももいます。学級の雰囲気がよい状態だからこそ、そういう細かいところにも気をつけてほしいことを老婆心ながら伝えました。 授業参観後、教務主任、研修担当の先生とお話をさせていただきました。 3年生の素晴らしい姿はどのようにしてつくられたのか、そのことをきちんと分析して再現性のあるものしていく必要があることが話題となりました。今年の4月、5月は授業者や学級間の差があったのが、今はまったくと言っていいほど感じられません。この間のことをきちんと振り返ってみることが必要でしょう。今の時点で言えそうなことに、3年間かけて育ててきたことと、目指す姿を意識して子どもたちをしっかりと見る、受け止める先生が3年生の担当に多いことがあります。私の感覚ですが、中学校では、子どもを育てる力のある先生が学年で3割を超すと子どもたちがとてもよい状態になります。5割を超すと、どの授業でも子どもの姿は乱れません。育てた時間とこの割合の差が1、2年生と3年生の違いなのかもしれません。 1年の最後に素晴らしい子どもの姿を見ることができて、本当に楽しい時間を過ごすことができました。この子どもたちを育てた先生方に称賛の拍手を送りたいと思います。このような学校にかかわらせていただいていることにあらためて感謝です。 「愛される学校づくりフォーラム2013 in東京」の申込み開始校務の情報化を学校経営のなくてはならない武器にしている会員ばかりです。日頃の実践で培ったノウハウ、活用のポイントが余すところなく示されると思います。 授業名人への再チャレンジは、会場での模擬授業による直接対決です。「6年生最後の授業をどうするか」をテーマに社会科の授業名人有田和正先生に対して、シンプルなICT活用をモットーとする佐藤正寿先生が挑みます。模擬授業の子ども役は当日参加された方の中から抽選で選びます。素晴らしい授業を子どもの立場で経験できるチャンスです。 ・今回こそ、授業名人にICTを使いたいと言わせることができるのか? ・同じテーマで授業をしたとき、一体どんな違いが現れるのか? ・それはICTを使う、使わないに起因するものなのか? ・ICTの活用を超えて見えてくる社会科授業の本質は何か? ・・・ 見どころは一杯です。お二人の模擬授業を観た後は、おなじみ玉川大学教職大学院教授堀田龍也先生のコーディネートで「ICT活用は新たな授業観を創り出すのか?」をテーマにじっくり授業を振り返ります。 事前に前回の記録「野口芳宏・有田和正・志水廣 授業名人が語るICT活用 −愛される学校づくりフォーラムでの記録」(プラネクサス発刊)(「授業名人が語るICT活用 」発刊参照)をお読みいただけると今回のフォーラムをより一層楽しめることと思います。 なお、昨年度は申込み締め切り前に定員となりました。お早目の申込みをお勧めします。 日 時 平成25年2月16日(土) 10:00〜16:30(受付開始 9:30) 会 場 東京ビッグサイト(会議棟 レセプションホールA) 参加費 1人 3,000円 なお、入場券を事前に申し込んだ方には、「EDUCOM教育フェア2013」の招待券が届きます。この招待券で、当日昼食券と引き換えができます。 詳しい案内と、申込みについては、愛される学校づくり研究会のHPのフォーラムのコーナーをご覧ください。 できる子どもをどう活かす
授業中に集中していない子どもを注意してみていると、意外とよくできる子どものことがあります。問題が解けたからいい、自分はわかっているから聞く必要はない。そう考えているのです。正解を言うことが評価されている学級でこの傾向が強くなります。互いに学び合う、かかわり合う場面でこういった子どもを活躍させ、評価することでより高いところを目指すようにさせることが必要です。そして、できる子どもをうまく活かして学級全体を伸ばすことにつなげていくのです。
日頃から、子どもたちには正解を求めるのではなく、その過程の説明を求めることが大切になります。そして、正解したことではなく、友だちが理解したことを評価するようにします。 「・・・になります」 「なるほど。それってどういうことか聞かせてくれる」 「・・・だから、・・・です」 「○○さんの説明で納得した人?」 「たくさんいるね。よくわかったんだね。すごいね。今、手を挙げたてくれた人。まだ納得できない人がいるようだから、もう一度説明してくれるかな。△△さん」 ・・・ 教師が正解を判断したり、説明したりせずに、子どもに説明を求め、子どもに判断させるようにします。説明すること、友だちに納得してもらうことに価値を置くことで、問題を解いて終わりではなく、どのように説明するか考えるようになります。 できる子どもには、自分の考えでなく友だちの考えを代わりに説明させることでより高い課題となります。 「・・・だから・・・。あれ、・・・」 「ちょっと困っちゃったね。誰かに助けてもらおうか。○○さんの考えを代わりに説明してくれる人いるかな。△△さん」 「・・・だから、・・・です」 「なるほど。○○さんこれでいい?」 「はい」 「○○さん、わかってもらえてよかったね。△△さん、よくわかったね。今の説明で○○さんの考えに納得した人?」 ・・・ このようにすることで、自分は解けたからいい、わかっているからと友だちの発表を聞かないということはなくなります。意図的に、友だちの考えを説明する場面でしか指名しないようにすれば、集中して友だちの発言・発表を聞くようになります。 また、いつもわかった子どもの発表から始めるのではなく、わからない子どもを助けることから始めることも大切です(「わからないところ」から始める参照)。 教室の価値観を、「自分がわかればいい」から「みんながわかることが大切」に変えていくことが必要です。自分の説明で友だちがわかってくれる、友だちがわかってくれるからこそ自分が認められる。友だちの考えを理解することで評価される。友だちがいるからこそ自分の存在価値がある。このように変えていくのです。 他者とのかかわりで自己有用感を持つようにすることで、できる子どもがより高いところを目指すようになります。できる子どもを活かす・伸ばすことが、学級全体を伸ばすことにつながっていくのです。 授業参観と打ち合わせ
昨日は、中学校で授業参観と研修の進め方についての打ち合わせをおこなってきました。学び合いを中心とした学校づくりを進めていて、2年間の研究指定も受けている学校です。教え込みの一斉授業からの脱却を目指しているとのことでした。
この日は、午前中3時間を使って授業での全学年の子どもたちのようすを見せていただきました。 4人グループでの活動や、子ども同士の教え合いを意識して取り入れていますが、気になったのがそういう子ども同士のかかわり合いと、教師と子どものかかわり合いのギャップでした。教師が学級全体に対して指導している場面は、教師が一方的に話す時間が多い、従来型の授業との差が見えにくいものでした。子どもの言葉がつながらない1問1答のやり取りが目立ちます。子どもから期待する言葉が出てくると、すかさず教師がそれを拾い説明を始めてしまう場面を多く見ました。子どもたちの発言に対して、教師の発言が圧倒的に多いのです。 子どもが教師や友だちの話を聞く姿勢もあまりよくありません。教師が子どもの言葉をしっかり受け止めて、ポジティブに評価する場面にもほとんど出会いませんでした。教師の聞く姿勢が子どもの聞く姿勢にも表れているように感じました。 指示も多く、子どもが受け身になる時間が多いことも気になります。生活指導的な問題が多かったのでしょうか、先生方が子どもたちを緩めることを怖がっているようにも見えます。 グループ活動での課題も気になります。調べて書き出す、教科書の問題を解くといったものが多く、考える過程を重視するような学び合いを活かすものになってはいません。課題の質の影響もあるのですが、グループ活動での子どもたちのテンションはすぐに上がっていきます。聞き合うというより、わかった子どもが中心となって教えているように見えます。 グループ活動の後の発表場面でも、教師が自分にとって都合のよい部分だけを取り上げるので、子どもたちは自分たちが話し合ったことに対して価値を見出せていないように感じます。教師の説明を聞いてワークシートの穴が埋まればそれで困らないのです。グループ活動は受け身の時間の代償としての、息抜きの時間になっているのかもしれません。 また、先生方は試験に出るような知識を押さえておかなければいけないというプレッシャーを感じているようにも見えます。グループ活動で時間を使う分効率的に教えなければと、子どもとやり取りする時間も取らずに何かに急き立てられるようにどんどん進める場面も目にしました。 子どもたちは決して悪い状態だとは思いません。子どもたちに笑顔で接する先生、子どもをポジティブに評価する先生の授業ではとてもよい表情を見せてくれます。教師の姿勢をよく反映する、ある意味とても素直な子どもたちです。 先生方は、学び合いで目指すものと従来の授業観のギャップを埋めきれないまま、取り敢えず形だけを追っているように思いました。 この市では、学び合いを教育委員会のトップダウンでおこなってきました。先生方はその目指すものを自分のものとして消化する時間のないまま、指示されてきたことをやってきたのかもしれません。トップも変わり、自分たちの目指す子どもの姿は何かをもう一度振り返る時期が来ているのだと思います。そういう意味では、この学校の今後の変化はこの市の次のステップを示してくれるのかもしれません。 午後は、校長、教頭、主幹、教務主任、校務主任それに現職教育の担当者を交え、この日私が感じたことを率直に伝えました。私の厳しい言葉にも真摯に耳を傾けていただけ、先生方の授業改善に対する強い意志を感じました。形を追っているという私の言葉に対して、何を目指して取り組もうとしたのか、その思いをしっかりと語ってくださいました。このような思いを聞くことができれば、私もお役に立てることが出てきます。この学校にかかわる意欲がわいてきました。 ・自分たちの目指す子どもの姿を具体的にしてほしい。 ・そのためには、互いに授業を見合い、具体的な子どもの姿を共有して話し合う機会をつくってほしい。 ・授業において、子ども同士の関係をつくる以前に、まず教師と子どもの関係をしっかりつくることが必要である。 ・そのためにも、教師が子どもに外化を求め、笑顔で受け止め、ポジティブに評価してほしい。 ・子どもも教師も聞く力をつけてほしい。 ・そのためには、まず教師が子どもの言葉をしっかり聞き、受け止めることが必要である。これは、人間関係をつくることにもつながる。 ・従来型の知識伝授に縛られないこと、知識を押さえなければというプレッシャーから解放されることが必要である。教えなければできるようにならないという思い込みを捨て、肩の力を少し抜いて、子どもたちの力を信じてほしい。 ・そのためには、何を課題とすればこの時間の目標が達成できるかをしっかり教材研究することが必要である。考える過程で必要な知識を身につけるような課題を目指してほしい。 ・グループ活動での教師の動き方、子どもの発言のつなぎ方といった、基本的な授業技術を身につけてほしい。 ・そのためにも、具体的な授業場面をもとにどうすればよいのか考える機会をつくってほしい。 このようなことを話させていただきました。 年明けに2回訪問させていただく予定です。先生方とどのようにかかわっていけばよいのか、まだまだ自分の中で明確になっていません。しかし、前向きな管理職やリーダーの方と協力することで、きっとよい方向に進んでいくと信じています。私にとっても大きな学びにつながる出会いだと思います。このような機会を得たことを感謝します。 授業技術は目指すところを意識して使う
授業技術を教えてはいけないと言われることがあります。形だけになってしまっては意味がないからです。私は、授業技術は必ずその活用場面や目指すところを明確にして伝えるようにしていますが、残念ながら技術だけがひとり歩きしてしまうこともあります。授業技術は何のために使うのか、その理由を意識することが大切です。
たとえば、「『間違い』という言葉を使わない、『なるほど』と受け止める」というのも、授業技術の一つです。ところが、「なるほど。他には?」とすぐ次の意見を求める。「はい、正解」「そうだね。・・・」と自分の求める答えが出れば正解と言って説明を始めるのであれば、「なるほど」と受け止めても「間違い」と言っているのと同じです。「間違い」という言葉を使わないのは、子どもを否定的な気持ちにさせない、子どもたちに自分で判断させたいからです。その目指すところを意識していないとおかしなことになってしまいます。 子どもをつなぐ、友だちの考えを聞くことを大切にするのに、「今の意見、なるほどと思った人?」と返すことがあります。「正解」ではなく「なるほど」というのは、明確でなくてもなんとなく納得した、よさそうだという状態でも参加できるようにしたい。子どもの意見をつなげ、自分たちで考えを深め明確にする過程を大切にしたい。そういうねらいがあるからです。ということは、手を挙げた子どもにもう一度説明させる、手の挙がらなかった子どもにどこがわからない、何に困っているかを聞くといった活動がそれに続く必要があります。多くの手が挙がれば「よさそうだね」と言って先に進んでは意味がありません。(同じ考えを大切にする、子どもの発言つなぐことを考える参照) 静かにさせるのに、「口を閉じて、3、2、1」とするのはカウントダウンすることで、軽くプレッシャーをかけ素早く行動させるためです。カウントダウンが終わっても静かにならないのに先に進んでは、カウントダウンのプレッシャーがかからなくなります。逆に「口を閉じて、1、2、3、・・・」とカウントアップするのは、いくつでできたかを評価し、進歩をほめるためです。静かになったからといってすぐに進めては意味がありません。よく似た技術でも目指すところは違います。ポイントも異なります。意識して使うことが大切になります。(プレッシャーを考える参照) 授業技術が先にあるのではありません。どのような子どもたちの姿が見たいかがあって、利用する授業技術が決まってくるのです。見たい姿が明確になっていなければ授業技術は形だけで終わってしまいます。 この日記でもたくさんの授業技術を紹介しています。その技術が何のためにあるのか、どう使えば目指す子どもの姿を見ることができるのかを意識してほしいと思います。 「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」会場下見
先週末に、「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の会場の下見に参加しました。今回は東京ビッグサイトの会議場で行います。300人以上の観客を見込んでのフォーラムです。会場の決定や折衝を始め、パンフレット作成や申込みの受付、当日の運営など、中心となる愛される学校づくり研究会の事務局の仕事は大変なものです。事務局がしっかりしているからこそ、私たち出演者は安心して自分の役割に専念できるのです。
今回は、午前には劇仕立ての校務の情報化の紹介、午後には有田和正先生と佐藤正寿先生の模擬授業と、新しい試みがたくさんあります。事務局にとっては会場との打ち合わせはいつも以上に入念に行う必要があります。打ち合わせに立ち会わせていただいて、事務局の仕事の大変さをあらためて実感しました。この事務局があるからこそ、参加者の皆さんに満足いただけるフォーラムを毎年開催できるのです。 今年も昨年以上に面白くかつ学びの多いフォーラムを目指して、愛される学校づくり研究会の会員一同、張り切って準備をしています。フォーラムの詳細発表と参加申込みは間もなく開始の予定です。開始しだい、愛される学校づくり研究会のホームページで(もちろんこの日記でも)お知らせします。今回もすぐに定員に達する見込みです。早めの申し込みをお勧めします。 地域の方と教師のかかわり方を考える
先日、私が学校評議員を務めている中学校のおやじの会の忘年会に呼んでいただけました。校長、元校長と同じように声をかけていただけることを大変うれしく思います。
おやじの会の方々と出会ってもう9年になります。皆さんの活動から地域と学校がどうかかわっていけばよいのかを日々学ばせていただいています。子どもたちのために多くの時間を割いている方々です。地域の子どもたちの成長を願っているからこそ、学校に対して温かい目と厳しい目を持っておられます。同じ子どもたちの姿を見ても教師とは異なったことを感じられます。その感じたことをまっすぐに伝えてくれる方々です。自分の子どもが学校にお世話になっている保護者は、なかなか本音のところを表に出すことができません。また、子どもが卒業してしまえば学校とはかかわりを持たなくなる方がほとんどです。自分の子どもが卒業しても地域として学校とかかわり続けることは、なかなかできることではありません。だからこそ、先生方には厳しい意見でもまずは受け止めてほしいのです。お二人の校長はその大切さをわかっておられるからこそ、こうして参加されるのです。 しかし、一般の先生方が地域の方の視点を受け入れることはそれほど簡単ではないようです。教師は教室では自分のやり方で動けます。自分の考え方と違うものを受け入れる風土があまりないのです。自分たちの価値観とずれることに対して、なかなか素直に受け止めることができません。そのため、子どもの引率の手伝いなど、自分たちがイニシアティブをとれる活動に地域が協力する形であればそれほど抵抗感がないのですが、同等の立場で協働するとなると抵抗感が増すのです。特に子どもと直接かかわることに対しては、自分たちがプロであるというプライドが邪魔をして、地域の方の子どもへのかかわり方を批判的に見てしまうのです。 教師は全員ができることを強く意識します。地域との行事で積極的に参加しない子ども、まじめに取り組まない子どもがいると、そのことがとても気になります。一部の子どもしか活躍しないものに対して否定的です。一方地域の方は、自分たちとかかわりあう子どもたちの成長に大きな喜びを感じます。たとえ数が少なくても、子どもの成長に役立てたということはとても素晴らしいことなのです。 同じ行事での子どもの姿を見ても、一方は子どもたちがきちんと参加できていないと否定的にとらえ、他方は子どもたちが頑張ったと肯定的にとらえることになります。そのため、互いの意見を受け入れがたく感じるのです。 地域の人とかかわることでしかできない子どもたちの成長があるはずです。たとえ全員でなくても、教師だけでは生み出せない新たな学び・成長をする子どもがいることを、教師が素直に認めることが必要だと思います。その上で、その数を増やすためにどうかかわるかが、教育のプロとして問われるのです。地域の方も、子どもたちがどのような成長をしてくれたのかを自分の言葉で伝え、成長の輪をどのようにして広げればよいのかを教師とともに考える姿勢を見せてほしいと思います。 互いの視点の違いを否定的とらえるのではなく、謙虚にその視点も取り入れることでよりよいものにしていく姿勢が大切なのです。 子どもたちの成長を心から喜び、その輪をどのように広げようか熱く語ってくれるおやじの会の方々です。この日も楽しくお話ししながら、地域と学校・教師のかかわり方についてたくさんのことを学ばせていただきました。このような方々と出会え、楽しい時間を過ごせる機会を得ている幸せを感じた日でした。 |
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