幾何ツールを使った授業研究会で学ぶ
昨日は幾何ツールを使った授業研究会に参加しました。
この研究会では、1人の授業者が同じ教材で2度授業をします。1回目の授業後の検討会での意見を受け、その場で修正して次の授業にのぞみます。修正はあくまでも授業者の自由意思でおこないますので、言い訳はできません。授業者にとってはとても厳しいものです。今回の授業者は、研究会をきっかけに成長している先輩に続こうと、自ら手を挙げてくれたそうです。この前向きな姿勢に頭が下がります。 iPad上で動く幾何ツールの活用がテーマの研究会ですが、話題の中心は常に子どもたちの活動であり学びです。そのための道具として幾何ツールが有効であったか、どう扱うべきだったかが語られます。 1回目の授業で一番の話題となったのは、「2つの四角形にどのような関係があるのか」という課題をスモールステップで解決させるか、自由に取り組ませるのかでした。 授業者はまず長方形という特殊な場合を例にとりあげ、それから課題に取り組ませました。子どもたちは4人グループで課題に取り組みます。幾何ツールを使って図形を動かしてみるのですが、四角形が平行四辺形の場合や台形の場合にどうなりそうだという見通しをもった時点で幾何ツールから離れ、証明に意識が向かいました。個人で証明しようとしているグループが目立ちました。 この後、全体で発表がおこなわれました。平行四辺形の場合、台形の場合と子どもが説明をします。聞いている姿は、同じものに取り組んだ子どもとそうでない子どもで違うように感じました。同じものに取り組んでいない子どもは、すぐに説明を理解できていないようでした。一方、同じものに取り組んだ子どもは、自分の考えと比較しながら聞いている子どもと、自分はできているからとあまり集中していない子どもに分かれているようでした。このような違いが出てきた要因の一つに、個々が取り組んだものが課題として共有されていないままに説明が進んでいることがあると思います。 最後に「何でもない四角形」の場合が発表されました。一般化です。このとき、子どもたちの集中は明らかに違っていました。自分たちが考えていない視点だったからでしょう。説明を全体で共有して時間となりました。 長方形の場合を軽く扱ったあと、他の四角形の場合はどのようになるかと中間の課題を提示する。一度全体で共有してから、一般化に取り組むことでスモールステップをはっきりさせるとよいという意見。こうすることで子どもたちを共通の土俵にのせることができ、子ども同士がつながりやすくなるということです。 一方、「どのような関係があるのか」とだけ課題を与えて自由に取り組ませる。どんなことに気づいたか、困ったことがないかを発表させた上で焦点化し、再度課題に取り組ませるとよいという意見。こうすることで子どもたちが自ら見つけた課題に取り組むことになるので意欲が高まり、活動が活発になるということです。 共に、子どもたちの活動をより活発にし、かかわり合いを増やしたいという視点での意見です。どちらが正解というわけではありません。面白いのは、課題に取り組んで発表して終わりではなく、途中に共有化する場面を設けることは共通しています。 授業者がどのような選択、判断をするのか次の授業が楽しみです。 次の授業では、長方形の場合を確認した後、「さわりながら」「次の図」と「切りかえる」と幾何ツールの活用を意識した言葉を少し付け加えました。子どもたちの動きは前回と明らかに異なっていました。幾何ツールを触り続けています。「次の図」という言葉が効いたのでしょうか。いろいろな図をつくっては、検討しています。 続いて、どんなことを調べようとしているか発表させました。「平行四辺形の場合・・・」「台形の場合・・・」と発表され、課題が共有化されました。 「証明してください」という授業者の言葉で、今度は幾何ツールから離れて証明に取り組む姿が増えました。課題が明確になったためか、「台形って何?」「平行四辺形は台形だよね?」といった子ども同士で問いかける言葉も聞かれます。明らかに子どもたちのかかわりが増えています。 発表の時も、説明を聞いた後グループで確認をする場面を設けました。 授業者はすぐに修正できそうなことに絞って、修正をしましたが、前回と比べて子どもたちの反応かなり変わっています。ちょっとした言葉で幾何ツールもずいぶん活躍しています。授業の面白さを感じました。 1回目の検討会では授業の進め方に焦点が当てられましたが、2回目は子どもたちのようすが違っていたため、子どもたちの活動に焦点が当てられました。 定義や性質を確認する「学びなおし」が起こっていた。 自分の課題に集中している子どもは、友だちの発表の時も顔を上げずに自分の課題に取り組み続けた。 この学校の子どもたちは正解を発表しなければいけないという意識が強い。 ・・・ 子どもたちの事実がたくさん語られました。 正解ではなく、「こんなことに気づいたが、そこから先がわからない」といった困ったことを発表して共有できるとよいといった意見に授業者が「はっ」とした表情が印象的でした。 教科の仲間と多くの時間をかけて準備をしてのぞんだ授業です。だからこそ、授業者には多くの気づきがあったことと思います。 各グループの活動を撮影してくれた学生の方からも、子どもたちのようすや感想を聞くことができました。学生の発表の時、その前に座っていた先生が発言者に向かって体をひねっていました。さすがに学び合いを大切にしている先生方は、自身もそのことを実践しているのだと感心しました。 授業者、参加者それぞれの立場で多くの学びのあった研究会でした。授業者、授業者の同僚、参加した先生方、お手伝いいただいた学生、そしてこの会を企画していただいている大学の先生、皆さんに感謝です。 小規模校から多くのことを学ぶ(その2)(長文)
「小規模校から多くのことを学ぶ(その1)」の続きです。
5年生の授業は国語で、メディアとのかかわり方について考える単元です。 写真の一部を切り取ったものからいろいろと想像したあとに、全体を見ることで、一部の情報ではミスリードされるという教科書の本文の内容を経験させる場面でした。 ピラミッドの写真を見て「どこに建っているか?」とたずねます。子どもからは「砂漠」と返ってきます。「そうだね」と笑顔で受け止めます。子どもとのやり取りは、以前と比べて柔らかく受容的になっています。攻撃的な態度が目立った子どもがずいぶん素直で柔らかい雰囲気に変わっていました。プレッシャーをかけられていた子どもも、以前より伸び伸びしているように感じました。子ども同士の関係が改善されていました。こういう変化にすぐ気づけるのも小規模校のよさです。教師が子どもたちをしっかり受け止めるようになったことと無関係ではないでしょう。 ただ、「ピラミッドは砂漠にあるよね」と授業者が自分で説明してしまいます。ここは、「どういうこと」と、子どもに説明させたいところです。次の課題は、どう子どもに返すか。子どもの発言をどう他の子どもにつなぐかです。 一部を切り取った写真からいろいろ想像させた後、全体の写真を見せました。すぐそばにはプールがあり、水着姿の男女が寛いでいます(おそらくラスベガス?)。子どもたちはそれを見て「あ〜」と声を出しました。真剣に想像していたからこそ出てきた声です。ここで子どもから「それがすべてだと思った」という言葉がもれました。これは教科書の本文とつながる言葉です。ぜひ拾いたいところでしたが、授業者は予定した説明を始めました。 授業後この場面のことを確認しました。発言には気づいていたのですが、それを活かすことは考えなかったようです。子どもの言葉を活かすことは、意識していなければ難しいものです。これも次の課題でしょう。とはいえ、子どもたちの発言をしっかり受け止めようとすることが意識されていることはよくわかります。ずいぶん進歩しています。おそらく授業だけでなくいろいろな場面で子どもを受容しようとしているのでしょう。子どもが安心して学校生活を送っているように感じました。 6年生の授業は、家庭科でした。暖かな生活の工夫についてです。 授業者が教材研究をして課題を工夫していることがすぐにわかりました。前回訪問時もそうでしたが、とても意欲的に取り組んでくれています。今回の課題は「温かく、快適に過ごすための工夫」です。教科書では、「温かく」と「快適」は別の課題となっています。そこを一つにしているのですが、これはちょっと問題です。「温かい」と「快適」は同列の関係ではないからです。冬を「快適」に過ごす要素の一つが「温かい」です。「温かい」を切り離し、「快適」とは何かをまず明確にし、意見が分かれたときに議論するためのよりどころを明確にする必要があります。「快適」とはどういうことか。要素として「エコ」や「安全」も意識することが必要になります。逆に子どもから出てきた意見が対立したところで、「快適」とはどういうことを考えるという方法もあります。「快適」について考えることを課題として必然性のあるものにすることができます。いずれにしても、どこかで「快適」とは何かを考えることが必要になります。 「エアコンをつける」「つけない」が話題になっているグループもありました。「換気扇をまわす」「まわさない」も意見が分かれたようです。子どもたちの考えを深めるとてもよい場面でしたが、「快適」をキーワードとして議論を深める時間はなかったようです。 授業者がグループに1枚用ずつ用意した部屋の絵に、3人で「温かく、快適に過ごすための工夫」を書き込むことで授業は進んでいきました。多くのグループがペンを持っている子どもともう1人の子どもの2人で作業が進んでいきます。あと1人が参加できない状態が気になりました。3人というのはこういう形になりやすいようです。 「エアコンをつける」「つけない」というように意見が分かれたときにグループで一つに集約すると、一方の意見が全体の場で共有できません。できれば、友だちの意見を参考にしながら、一人ひとり個別にまとめるようにしてほしいと思います。 授業者はこの作業に多くに時間を割きましたが、ここでのグループ活動は考えを出すだけで深まる場面ではありません。できるだけ早く済ませて、対立する考えを焦点化して、子どもたちから生まれた課題をもう一度グループで考えさせるという流れにしたいところです。各グループが全体で発表するのではなく、次々に問いかけ、1枚の絵に考えを集約して共有化する。「ストーブ」が出てくれば、「何ストーブ?」と聞くことで、違いを明確にし「エコ」などの視点につなげる。できるだけムダな時間をはぶいて、考えを深める時間を取ることを意識しなければいけません。 グループ活動の場面で、「夜!」という声が聞こえました。授業者はこのことに気づいていませんでした。他のグループにかかわっていたからです。授業後この言葉を伝えたところ授業者はすぐに活かせる言葉だと気づきました。そこから、「昼夜」を意識した工夫だけでなく、「家の向き」といった工夫もあることにも気づきました。子どもの言葉は教師にいろいろなことを教えてくれます。あまり一つのグループにかかわりすぎると、こういうよい言葉を聞きのがしてしまいます。教室全体に意識を向けることが大切です。 子どもの言葉を活かす視点をしっかり持っている授業者です。教材研究をしっかりしているから子どものちょっとした発言からいろいろなことに気づけるのです。深く教材研究をして授業に臨めば、子どもたちが多くのことを教えてくれます。この姿勢を忘れずに子どもたちの発言や反応から学ぶことを続ければきっと力をつけていくことでしょう。今後がとても楽しみです。 授業研究は3年生の国語、俳句の授業です。同年代の子どもの俳句を教材にした、とても意欲的な授業でした。 俳句を最初の五音と七五音に分けたカードを10句分用意して、正しく組み合わせる課題にグループで取り組ませました。同世代の作品なので、子どもたちにもわかりやすく順調に作業は進んでいきます。しかしグループで1セットのカードのため、どうしても特定の子どもが仕切ります。違う意見の子どもが無視される場面がいくつかありました。また意見があっても言い出せない子どももいるように感じます。グループでまとめることの弊害がここでも見られました。 「おにやんま」「赤とんぼ」「ありたちは」と「給食食べに 来たのかな」がどれもつながりそうで子どもたちは迷っていました。最終的にどのグループも正解にたどり着きましたが、その根拠を問うことはしませんでした。根拠を問わない作業であればあまり時間をかけずに、全体で取り組んでもよかったかもしれません。俳句を感覚だけでなくしっかりと読み取ることを教えたいのであれば、根拠を問うことをしてもよかったと思います。 都会の子どもと違ってこの学校の子どもたちは「おにやんま」のことを知っています。「おにやんま」は勢いよく飛んで、部屋の中によく迷い込んできますが、「赤とんぼ」は群れることが多くてあまり部屋には迷い込んできません。「赤とんぼ」は「夕やけみたい 目がきれい」という組み合わせが正解です。「おにやんま」は体も目も青みがかった緑なので「夕やけみたい 目がきれい」とは結び付きません。また、「ありたちは」は「列を作って たからさがし」とつながります。「おにやんま」は単独で飛びますし、「赤とんぼ」は群れますが列にはなりませんので「列を作って たからさがし」は違います。こういう根拠をきちんと話し合うことをしてもよいと思います(都会の子どもでは、自力で根拠を見つけることは難しいでしょう)。 子どもたちはこの作業を通じてそれぞれの俳句に思い入れができているようでした。この後、3句を選んで「俳句のいいところを見つけよう」という課題を提示したのですが、黒板にその句を貼るとき、どの子どもも集中して見ていました。中には気に入った句が貼られた時に「やった!」と声を出す子もいました。意欲づけには意味のある活動だったということです。 「金魚すくい わたしも金魚も ひっしです」「雪だるま わたしの方見て ありがとう」「白い雪 おしゃべりしながら ふってくる」の3句について、いいところに線を引いてそのいいところを書くという個人作業をしました。 ここでも先ほどの家庭科と同じで、「いいところ」という言葉が問題になります。「いいところ」は日常用語です。子どもたちが考えやすいようにあえて日常用語を使ったのでしょう。これをどこかで国語の用語に変えていく必要があります。子どもたちの視点は、「季語」「情景」「気持ち」の3つに分かれました。すべての視点で書いている子どもはいません。早く終わって手持ち無沙汰な子どもいます。なかなか埋まらない子どももいます。ちょっとまわりの子どもとかかわりを持たせるだけで、新たな視点に気づけたのでないかと思います。 さて、発表の場面では授業者はしっかりと子どもの発言を受け止めます。黒板に発言者の意見を書くのですが、やはり他の子どもたちは発言者ではなく黒板を見ています。板書することで子どもの聞く力を損なっているのです。また、発表者も授業者に受け止めてもらうことで満足して、発表後は集中力をなくします。自分の意見が友だちにどう伝わったかに興味はないのです。また、一人が発表するとすぐに手が挙がります。友だちの意見に関係なく自分の意見発表しようとしているからです。積極的な子どもが意見を言う陰で、なかなか発表できない子どもが気になります。同じ意見でも言いやすい雰囲気をつくる、友だちの意見に対してどう感じたかを問うといった、つなぐ技術が求められます。 たとえば、「金魚すくい わたしも金魚も ひっしです」の句であれば、「ひっしです」が取り上げられます。「『わたしと金魚が一生懸命なようす』と○○さんが言ってくれたけどどういうことかもう少し詳しく言ってくれる人いる?」「『ひっし』というけれど、金魚ってふつうはどんなようす?」「わたしがどんなようすかやってくれる人いる?」「そういうようすを『ひっし』という言葉であらわしんただね」などとつないでいきます。自分の考えたことを友だちの意見に関係なく次々に発表するのではなく、意見を聞いて考えたことを問いかけてつなぐのです。 「雪だるま わたしの方見て ありがとう」の句であれば、「『ありがとう』と人間みたいに言ってくれているようなんだね。それってどんな気持ち?」「何にありがとうって言ってくれたのかな?」「作者はどんな気持ちだった思う?」「どこでそう思う?」。「白い雪 おしゃべりしながら ふってくる」の句であれば、「『おしゃべりしている』で雪のようすがわかるというけど、どんな降り方かな?」「みんなおしゃべりするときどんな風になる?」「作者は雪が降ってうれしいの?」「どこでそう思った?」と「情景」から「気持ち」をどう読み取るかを課題にしていくとよいでしょう。「もう一度考えて」と戻すことで深める方法もあります。 「擬人法」という用語を教えるかどうかは別にして、修辞法のような「技法」、「季語」といった俳句の「規則」、「情景」や「心情」といった読み取る視点など、いいところとは何かを明確にしてメタな知識をつけることも大切です。 授業検討会では、日ごろなかなか発表できない子どもが、友だちの働きかけで発表したようすが語られるなど、子どもを見ることが意識されてきました。とてもよい傾向です。今回の授業では、同世代の作品であったからこそ子どもたちにとってわかりやすく、実感を持って読み取ることができました。どのようにして見つけたのかとても興味がわきます。飲料メーカーのコンテストの佳作を中心に、この学校の子どもたちの生活感に合うもの選んだそうです。佳作から選んだのは優秀賞より子どもにとってわかりやすそうだからです。そして、そのアイデアは昨年の同僚の授業から得たということです。互いの授業がつながりあっているということはとても素晴らしいことです。この学校のよさをまた一つ知ることができました。 今回の訪問で、子どもたちが安心して学校生活を送れていることが印象的でした。前回訪問時には気になった子どもが何人かいたのですが、今回は教室を回って「あれっどの子だったっけ?」ということが何度もありました。とてもよい傾向だと思います。 課題としては、作業に時間を取りすぎないようにすること。子どもの考えを深める場面がどこかを意識すること。子どもが友だちの発言を聞くことの障害に板書がなっていること。子どもの考えを深める切り返しを意識すること。子どもの考えを共有し、つなぎ深めることなどがあります。一度にすべてができるようにはなりません。少しずつでいいので、前に向かって進んでほしいと思います。 今回もたくさんのことを学べましたが、小規模校のよさを知ることができたことが大きな収穫です。来年度は、そのよさを活かすようなアドバイスができればと思っています。次回の訪問もとても楽しみです。 小規模校から多くのことを学ぶ(その1)
昨日は、小規模な小学校で授業アドバイスをおこなってきました。全体での授業研究1時間とそれ以外は個別に授業を見てのアドバイスです。
1年生の授業は生活科で、保育園との交流の準備の時間でした。 子どもたちが当日に向かって何を準備するのか、何を決めなければいけないのかを考える場面でした。 子どもたちが当日のプログラムやそのために必要なことを発表し、それが黒板にまとめられています。しかし、出かける前にすべきこと、準備することが出てきません。授業者は「出発する前のこと」を直接子どもに問いかけません。自分で考えさせたいからです。そこで、「もう大丈夫? 交流会ができる?」と揺さぶります。ところが、子どもからは「出発する前のこと」は出てきません。授業者は「なるほど」としっかり受け止めて子どもから出てくるのを待っています。子どもは先生が受け止めてくれるので、安心して自分の考えを何度も発表します。しかし、この日子どもは3人しかいません。なかなか出発前の準備に気づきません。ここが小規模校のつらいところです。授業者は、「じゃあ今からでも出発できる?」と子どもたちを起立させました。子どもたちは立ったまま一生懸命考えています。「動いてもいいんだよ」との声かけで動きが出てきました。何をしようかと考えて「紙芝居」「・・・」と何を持っていくかに気づきました。授業者は、直接答を言ったり、「何を持っていく」というヒントを出したりするのではなく、子どもにその場面を具体的に想像させることで気づかせました。「想像する」という考え方を子どもが獲得することにもつながります。さすがはベテランです。 最後に「よいことを気づいてくれたよね」とまとめていました。子どもたちが笑顔で安心して授業に参加している理由がよくわかります。 授業者との話の中で興味深いことを教えていただきました。他の子どもに「○○しなさい」と気づいたことを指摘する優等生タイプの子どもがインフルエンザで休んでいたそうです。そのためか、この日は子どもたちがいつも以上にのびのびしていたそうです。子ども同士の人間関係は面白いものです。教師が時には子どもの間に入って緊張関係を緩和させるように働くこともこの学級では必要なことのようです。大切な視点をいただきました。 このベテランの授業者は、前向きに授業を変えようとされています。「1ミリでも前進したい」とおっしゃっていました。その言葉に私も元気をいただきました。 最後に質問があると言われました。私の話やアドバイスは教師に対するものなのだが「教師のため」ではなく「子どものため」に聞こえる。どうなのかというのです。ちょっと驚きました。このような質問をされたのは初めてです。この先生も子どもの目線を意識されているのでこのことに気づかれたのでしょう。その通りです。子どもたちに安心して生活できる環境で、よい教育を受けてのびのび育ってほしいから、先生方の成長のお手伝いをするのです。めったにしないのですが、私が教師になった思いを少しだけお話しました。 2年生も生活科で、おもちゃ作りの場面でした。 子どもたちは机を寄せ合ってそれぞれの作品を作っています。授業者も机を子どもたちの机にくっつけて作業を見守っています。このような状況を見ていても学ぶことがないように思えるのですが決してそうではありません。授業者の机の上にはおもちゃが一つ置いてありました。実はこれは授業者が自分で作ってわざと置いてあるのです。子どもの目につくところに置いておいて困っている子どもの参考にするためです。実際に磁石で釣りをするおもちゃがうまくいかない子どもが、それを参考にして磁石のつけ方を工夫したそうです。教師が直接教えたり、指示したりしなくても子どもが自分で気づけるような仕掛けです。 オリンピックの五輪をつくっている男の子に女の子が何か話しかけました。私はよく聞き取れません。男の子もよくわからなかったようで無視しました。そのとき授業者は「なんかいいこと言ってくれたようだよ」と子ども同士をつなぎました。女の子の「マラソンの選手をつくったら」というアドバイスを聞いて、男の子は何かひらめいたようでした。ただ黙って見ているのではなく、必要な場面で必要なことをする。簡単なようですがなかなかできることではありません。子どもたちをしっかり観察しているからできることです。通常の規模の学校では、1つのグループをずっと見ていることはできません。教師のかかわりが必要な場面にうまく居合わせることは稀です。小規模校のよさを活かしたかかわり方を知ることができました。 授業者との話の中でその後のことも聞けました。女の子が割り箸を2本、端と端をつなげってまっすぐな1本の棒をつくったのですが、つなぎ目がぐらぐらして塩梅がよくありません。そのとき、自分の作業をしていた男の子が、端をずらして重なりをつくり、そこをテープで留めるようにアドバイスしたそうです。そのアドバイスを受けて女の子が作り直したところ、満足のいくものになったようです。この一連の子どもたちの動きを授業者は「ラッキーでした」と評価しましたが、決してそうではありません。授業者の細かい配慮とかかわりがこの状況を作り出しているのです。 教師が直接指導するのではなく、子ども同士をつなぐことに徹するようになってから、子ども同士の関係も変わったそうです。教える側、教わる側というでこぼこした関係から、互いの立場が柔軟に入れ替わる、柔らかい関係になったそうです。このことは、この学年だけでなく学校全体で感じることです。先生方の姿勢が変わってきたことの証だと思います。 授業者は私が訪問するたび何か一つ目標を決めて取り組んでいると報告してくれました。今回も目標となることを指示してほしいと頼まれました。「子どもが指示されて取り組むのではなく、何をすればよいか自分で考えて行動するように仕向ける」ことを目標にしていただきました。このような前向きな先生にはなかなか出会えません。しかも、ベテランです。この学校の持つよさをあらためて感じました。 4年生の授業は国語でした。 登場人物の行動の理由を考える場面です。子どもに意見を言わせ、その意見を板書します。子どもにとっては先生が板書してくれることが評価になっているようです。発言が終われば集中力をなくしていきます。友だちの方を見て話を聞いている子どもの態度をほめるのですが、広がりません。ほめたあと子どもが友だちを見るのですが、授業者が板書すると視線がそちらに移ってしまうからです。 時として授業者は子どもが発言している途中でも板書をすることがあります。これでは発言をしている子ども、聞いている子どもの表情や反応を見落としてしまいます。同じ意見の子どもをつなごうと、同じ考えの子どもを続けて発表させますが、その根拠を確認しないのでただ同じ意見が続くだけです。 違う意見を発表しようと何度も手を挙げる子がいるのですが、そのたびに「今は同じ意見だから」と指名してもらえません。その子どもにとっては、その間ただ待たされるだけで、聞く意味がありません。ただ同じ意見を発表させるのではなく、違う意見の子どもも聞く意味のある時間にする必要があります。「どこでわかった」と根拠を聞いて、「納得した?」「なるほどと思った?」とつなげるといった、同じ意見ではない子どもも参加できる工夫がほしいところです。 授業者は、一通りの意見が出あとで、本文から根拠となる記述を見つけ説明するように指示しました。根拠もとに考えを深める場面を後に持ってきたのですが、意見を出させるのに時間をかけすぎてだれてしまいました。 授業者にこの事実をもとに、結果をつなぐだけでなく根拠となる本文の記述をつないで、互いの考えを深めることが必要だったのではないかと話しました。授業者は普段はその場で根拠を聞いているのですが、今回はまず考えを出させて、意見の違いを明確にさせることを優先したようです。そのうえで、根拠を本文に求めて考えを深めるという、今までとは違ったやり方に挑戦したとのことでした。やはり、いつものようなやり方の方がよかったのかと反省していました。なるほど、それならば何をねらっていたのかわかります。反省する必要はありません。新しいことに挑戦したのですから、うまくいかなくても当然です。すぐにやめるのではなく、その失敗から学んでうまくいくように工夫をすればよいのです。そうすることで間口が広がり、子どもへの対応力が増します。 子どもの考えをそれぞれ発表させると微妙に発言の内容が違っているので、対立点を明確にするのが難しいことがあります。根拠もいろいろなので発散してなかなか焦点化ができない時もあります。まず意見を整理してから、どちらが正しいのか根拠をもとにもう一度しっかり考えさせるというやり方もあります。であれば、意見の整理はもっとスピーディーに進めることが必要です。根拠を問わない発言に時間を使うことはムダだからです。次々に指名をして考えを言わせ、授業者は細かく板書をせずに、できるだけ端的な言葉で書き留めます。「あなたの意見を聞かせて?」「それは、黒板のどの意見に近い?」「近い意見がない?」と全員の意見をグルーピングしながら進めます。子どもたちが納得する形で意見をいくつかにまとめ、一人ひとり自分の立ち位置を明確にしたうえで、対立点を明らかにします。その上で本文を根拠に相手を説得することを課題にするのです。説得を意識することで、自分の考えだけでなく相手の考えも考慮するのでより考えが深まります。考えているうちに意見が変わってもよいと伝えておきます。立ち位置を明確にしているので、自分の考えが変わったことも意識しやすくなります。2つの視点を比較しながら議論ができるので、考えが変わった子どもをキーマンとして積極的に取り上げるとよいでしょう。 今回の授業のように、自分のスタイルを崩すような挑戦はより多くのことが学べます。おかげで私も多くのことを気づけました。 この日も、とても多くのことが学べた1日でした。続きは、「小規模校から多くのことを学ぶ(その2)(長文)」で・・・。 体罰の問題をきっかけに校長の役割を考える
体罰の問題が学校を揺らしています。学校への調査もおこなわれていると思います。ここで体罰その是非を論じることはしません。体罰を知った時、校長はその教師へどう対応するのか、その苦しさと校長の役割を少し考えてみたいと思います。
体罰をしてしまうのは、指導に熱心な教師であることが多いでしょう。だからこそ、改めさせて、そのような間違いを再び犯さないように指導をするはずです。その上で考えるのが、ことを公にするかどうかです。体罰の事実があっても、それが大きなトラブルになっていなければ、処分の対象にならないように教育委員会へあえて報告しないことも十分に考えられます。その教師の将来のことを考えた温情のある校長と評価されるかもしれません。しかし、荒れている学校では力で押さえなければという教師の意識を変えることはとても難しいことがあります。「体罰もやむを得ない」という強い姿勢でなければ子どもたちを押さえることはできない。そう信じる教師は、繰り返し体罰をおこなってしまうこともあります。体罰を容認する雰囲気が学校にできてしまうことはとても危険なことです。校長として毅然とした態度で接するしかなくなります。「泣いて馬謖を斬る」のたとえもあるように、体罰の事実を報告して処分対象とせざるを得ないこともあるでしょう。当然職員の反発も出てきます。たとえ学校を支えている教師たちでも異動してもらわなければいけないかもしれません。校長として学校経営も苦しくなります。学校の再生もままならなくなります。そのことがわかっていても、決断しなければならないこともあります。 こと体罰の問題に限らず、状況をリセットして学校を再生するための最後の仕事が、それを進めた校長自身の異動である。学校が再生していく過程ではこのような皮肉なことが起こっていることがあります。引き継いで学校を再生させた方が評価されても、そのための地ならしをして去った方が評価されることはまずありません。報われないとわかっていても自分のとるべき行動を決断するのも校長の役割です。 体罰の問題をきっかけにこのような校長の姿を思い出しました。 教師のための「マネジメント」が届く若い先生はもちろんのこと、ベテランの先生にも参考になると思い、少し紹介させていただきます。 「マネジメント」という言葉は教育の世界ではうまく広がっていません。訳語である「管理」「経営」という言葉のもつイメージがなじまないのかもしれません。この本では、教師にとってのマネジメントを、 1.組織をつくり、目的と使命を与える(プロデュースの視点) 2.組織を動かし、環境をつくる(システム・ルールの視点) 3.組織とその中を見て、促進する(ファシリテーションの視点) と、3つの視点でとらえています。 この本のよいところは、この視点を踏まえて<学級経営>、<生徒(生活)指導>、<授業・学習活動>、<教師の自己成長戦略>について理論だけでなく具体的な場面ごとの実践が提案されていることです。 日々の学級経営や授業に悩んでいる若い先生は、具体的なアドバイスを求めています。今直面している状況を切り開くための、具体的なヒントがたくさんあります。ベテランの先生にとっては、こんなの当り前だ、知っていると思う実践例もたくさんあるかもしれません。大切なことは、それらの実践が点としてではなく、「マネジメント」の視点で戦略的におこなわれることです。日々の実践を見直すよいきっかけを得ることができると思います。 私は、この本で示される場面ごとに「自分ならどうするか」とまず考えてから読み進めました。「そうだよね」「そういうやり方もいいな」「ここは気づかなかった」とクイズを楽しむようでした。この本の著者は30代前半から40代前半の先生がほとんどだそうです。私から見れば若い先生方からたくさんのことを気づかせていただきました。そのエネルギー、意欲から元気をいただきました。この本から学ばせていただいたことをよい形で現場に還元したいと思います。一度手に取ってみることをお勧めします。 教師のための「マネジメント」 明治図書 定価1,860円+税 長瀬拓也・岡田広示・杉本直樹・山田将由 編著 西日本教育実践ネットワーク 著 研修を受けることで考える
先日、NPO法人の会計基準についての研修を受けてきました。法律が変わって会計処理の方法が変わったため、その内容と会計処理の方法を知るためです。日頃とは逆の立場で研修や授業について考えることができました。
講習内容に関するハンドブックが手元に配られていたので、まずは自分にとって必要なところ見つけ読んでいました。ハンドブックは読めばわかるようにつくられているものです。これで必要な情報はほとんど手に入ります。読んで確認したいと思ったところが明確になると、それ以外についてはあまり話を聞く気はしませんでした。研修を受ける目的がはっきりしているので、それが達成できればいいからです。 研修はハンドブックをそのままスクリーンに表示しながら、講師が席に座ったままで淡々と説明をしていくものでした。はっきりした声で聞きやすい話し方を意識されていましたが、聞き手をひきつけるような工夫はありません。しかし、これでも全く問題は感じませんでした。この研修を通じて考えることはほとんどありません。会計基準の変更について必要な情報を知ればいいだけです。しかも参加者は知りたい、知る必要がある方ばかりです。講師の話から必要な情報を手に入れればいいからです。 受け手が学びたいと思っていれば、内容さえちゃんとしたものであれば研修は成り立つということです。自腹の研修と強制的な研修とで雰囲気が大きく違うのも、学ぶ意欲の差です。学校などで研修の講師をおこなうときには、まずこの意欲をどう高めるかが問題です。参加者の問題意識を高めるための問いかけや参加者にとって意味を感じる課題を提示することが必要になります。これは授業にもつながることです。子どもたちの学ぶ意欲があれば、すぐに本題に入っていくことができます。そうでなければ、まず意欲を高めることが必要です。相手の状況で変わっていくのです。 今回の研修で私の目的は十分達成できました。知りたかったことはすべて知ることができました。しかし、研修の間私はずっと集中していたわけではありません。講師の話も必要なところしか聞いていません。これは、問題が解けた子どもと似た態度です。答を知ることが目的であれば、問題が解けた時点でほぼ目的は達成されています。自分の答が正しいことを確認できれば、それ以外は無駄な時間になります。残念ながら、答を知ることを目的としている子どもたちや授業に思いのほか多く出会います。一人ひとりが互いにかかわりながらそれぞれの成長をすることを学校では目指します。社会性は重要な要素です。自分が答えを知ることではなく、全員で答を見つける、答の見つけ方を考える、友だちにわかるように説明する。こういうことを目的としなければ、教室での授業は成立していきません。今回の研修と学校の授業とは目的の形が異なるのです。このことは意外と意識されていません。子どもたちの求めるものが、教師が求める答の授業ではいけないのです。このことを先生方がきちんと共有することが大切です。もちろんこのことは保護者とも共有する必要があります。ホームページや学校通信などで活用して、学校にかかわるすべての人で共有してほしいと思います。 研修を受けながら、このようなことを考えました。 中学校の研究中間報告会に参加
先週末、中学校の研究中間報告会に、英語の助言者という立場で参加しました。
初任者の1年生の授業です。 授業開始前に教科係が中心となって、復習テストとその解答をおこないます。子ども同士のやり取りがとても興味をひきました。「発音はわからないけど、p、e、・・・」とスペルで答える子どもがいましたが、「people」の発音を友だちが教える場面はありませんでした。最終的に答がわかればいい、この場面は自分に関係ない。そういう態度です。係が答を板書するときに、単語のスペルを言ってと確認したところ、他の子から「わからないの?」とちょっと揶揄するような声がかけられました。言われた子は「知っとるわ!」と強い口調で言い返しました。前回訪問した時もそうでしたが、攻撃的な言葉をよく耳にします。子ども同士の関係が決定的に悪いというよりも、ソーシャルスキルが低いのかもしれません。いずれにしても、子ども同士のかかわり合いをよい形にしていく必要を感じます。 授業の最初は、全員で英語の歌を歌います。この間、子どもたちのようすを観察しました。基本的に子どもたちは歌うことが好きなようです。ほとんどの子どもの口は開いていますが、声はあまり大きくありません。自信がないのでしょうか? 目が歌詞カードを追っている子、歌詞カードを見ずに笑顔で歌っている子、目がぼんやりと斜め前方を見ている子、子どもたちの見せる姿は様々です。授業者はこの活動で何を求めているのでしょうか。英語を楽しんでほしいのなら、笑顔で歌っている子どもを評価して、笑顔を広げる必要があります。英語に慣れてほしいのなら、できるだけ歌詞カードを見ずに歌ってほしいところです。歌い終わって、「大きな声で歌えたね」と授業者は評価しました。いつもより大きな声だったからほめたのでしょうか? そうであれば、「いつもより」大きな声で歌えたと評価すべきです。絶対的に「大きな声」と評価すると、この声の大きさが「大きな声」の基準になってしまいます。あの声の大きさが授業者の求める大きさだったのか、考えてみる必要があります。 授業者と子どもたちの関係は良好に見えます。指名した子どもの発言をしっかりと受け止めています。しかし、復習の場面では、一人指名して正解であれば全体に確認して終わっていく、一問一答になっています。本文を見ながらCDを聞いて、コーラス・リーディングをする場面で、強く読むところに○をつけている子どもをほめました。しかし、どこに○をつけたのかその内容を聞いたり、他の子どもたちに伝えたりしませんでした。○をつけたことを共有化して、そこを一緒に読んでみるといった活動を入れてほしいところです。子ども同士がつながる場面が少ないことが気になります。 この日の課題は、”Can you 〜 ?”、”Can I 〜 ?”を使った8文以上で構成されるスキットをグループで作って発表することです。子どもたちがスキットを作る参考にと、ビデオを見せました。学年の先生方に出演してもらって制作したものです。子どもたちは、先生方が英語でスキットを見せてくれるので大喜びです。ビデオを観た後、その内容の簡単な確認をしました。この扱いはどうあるべきか気になります。子どもたちがsituationをつくる参考にするのか、スキットで使われている英文も含んで参考にするのかで扱いは異なります。英文を子どもたちにできるだけ一から考えさせたいのであれば、必要なのはsituationなので、音声をカットして見せる方法もあります。英文も含んで参考にさせたいのであれば、1回見ただけではきちんと聞き取ることは難しいので、スキットの英文を印刷して配るという方法もあります。いずれにしても授業者自身が目的を明確にし、そのうえで子どもたちにもきちんと意識させることが必要です。子どもたちが何を意識してビデオを見ていたか、気になるところでした。 また、このビデオ自体の評価も難しいところです。他の先生方の協力を得て作ったととてもよくできたものですが、日常的につくり続けることができるかということです。研究発表ではこういった「ごちそう」授業が行われることが多いのですが、日常的に実践することが難しいのであれば、あまり意味があることではないのです。もし、こういったビデオが労力に見合う価値のあるものであれば、学校全体、教科全体でラインナップをそろえることをすべきでしょう。 4人グループでの活動は面白いものでした。ビデオを見てやる気がでたのか、子どもたちのテンションは上がっていきます。テンションが高い状態がしばらく続きました。やがて、子どもたちのテンションが落ち着きました。このとき、子どもたちはスキットの英文を考えていたのです。真剣に考えているときにはテンションは下がります。子どもたちのテンションが上がっていたのは、スキットのsituationを話し合っているときです。気軽に意見を言える、思いつきで話せるのでテンションが上がるのです。授業者の思った以上に時間がとられてしまい、スキットの練習時間はあまり取れませんでした。時間を取られていたのは、本来の英語の活動とは関係ないsituationを考える場面です。ここがカットされれば時間はずいぶん違ったことと思います。予めsituation設定して、その会話部分を考えることにするといった工夫が必要です。 発表は各グループ代表2名によるものです。ジェスチャーをつけるといった目標も設定されていたので、子どもたちは精一杯の演技をしますが、英文はメモをちらちら見ています。一方発表者以外の子どもはリラックスして、楽しそうに見ています。笑い声もたくさん出ます。同じグループの子どもも観客として楽しんでいます。各発表後、授業者がコメントします。よいところをほめ、工夫した英語表現を説明します。しかし、子どもたちに英語が伝わったのかどうかは問われません。せっかく子どもが考えた英語表現も全員にきちんと共有はされていません。出力することが目的化して、「英語」で表現して「伝える」という、英語でのコミュニケーションが忘れられているのです。 聞く側の子どもたちに、明確な目的、目標を与えることが必要です。聞きとった英文を書き取る。知らない単語、表現があれば、発表者に教えてもらい自分のものにする。スキットを演じる2人に対して残りの2人がそれぞれとペアとなり、演じる側は英文を暗唱し、つまずいたときはペアが横で助ける。こういった子ども同士をつなぐような工夫が求められるのです。 いろいろと指摘をしていますが、レベルの低い授業だったということではありません。立派な授業でした。初任者の授業でこれだけの指摘をすることはまずありません。子どもとの関係など、基本となることがきちんとしているからこそ見えてくることがたくさんあるのです。教科の先生方を始め多くの先生のバックアップもあったことでしょう。いろいろな先生方の思いが授業に詰まっているからこそ、たくさんの気づきがあるのです。 授業検討会では、グループ活動に関する気づきや疑問が出されました。グループ活動で英文を各自で考えていましたが、自分では作れず友だちのものを写している子どもが目立ちました。この授業だけでなく、子どもの関係が、答を教える・教わるという一方通行的な形になっているのがこの学校の特徴です(「学び合いの形を考えた授業(長文)」参照)。そうではなく、互いに学びあえるような双方向の関係をつくることを意識しなければいけません。答を伝え合うのではなく、その過程を共有することを授業のいろいろな場面で意識してほしいと思います。グループでの活動の時に、和英辞典をグループに数冊準備しました。このことが話題になりました。子どもたちは表現がわからなければすぐに教師に聞こうとします。辞書を準備することで、自分たちで考えることができます。発表の時にその表現を取り上げ、どうやって考えたかを発表させることで、考える過程が共有化できます。こういう活動が大切になるのです。 また、グループで子どもたちの間違いを発見した時にどうすればよいのかという質問もありました。子どもたちが自分で気づくのはなかなか難しいところなので、悩むところです。「できた? どう、自信ある?」と揺さぶるのも一つの方法です。その上で、「辞書をよく読むと、使い方の例文があるよ」「英和辞典を引いてみるのもいいよ」といった、方法を教えるのです。その場限りの知識を教えることではなく、いろいな場面で役に立つメタな知識を教え、それを全体で共有するように意識するとよいと思います。 最後に、situationをベースにした英語の授業の考え方について、田尻悟朗先生から学んだこと(「田尻悟郎先生から大いに学ぶ」参照)をもとに簡単なポイント(「英語で大切にしたい活動」参照)を話させていただきました。 授業者を含め、参加者の皆さんが前向きに授業を考えていることがよくわかる検討会でした。 検討会終了後、授業者とお話させていただく時間を設けていただきました。その際、希望する方は同席いただいても問題ないことをお伝えしたところ、英語科全員が参加してくださいました。他人事ではなく、自分たちの授業としてとらえている証拠です。この授業のことに限らず、疑問に思っていること、悩んでいることを聞かせていただきました。自分たちの授業をよくしたいという気持ちがあふれています。 先日訪問した時にお話したことをさっそく実行して、その結果子どもの姿が変わったと報告してくださる方もいました。アドバイスをすぐに実行するというのは、意外とできないことが多いものです。素直な姿勢と向上心がないとできないことです。校長からも、理科のベテランが先日のアドバイスを意識して、子どもとのやり取りを工夫していたと報告がありました。とてもうれしく思いました。 このような先生方ですから、きっと今後大きく進化することと思います。そこに立ち会える機会をいただけることをとても幸せに思います。 小学校で授業アドバイス(長文)
昨日は小学校で若手4人の授業と研究授業のアドバイスをおこないました。今年度4回目の訪問です。
1人目は1年生の算数の授業でした。 子どもたちが落ち着いて授業に参加していました。授業者は指示が全体に対して通るまで待っています。動きが遅い子どもを叱るのではなく、「○○するのは後にして、△△しよう」と行動を促すようにしています。柔らかい雰囲気で授業が進んでいきます。全体の状況を確認してから授業を進めることができるようになっていました。初めて授業を見せていただいたころからは格段の進歩です。 子どもの言葉をしっかり聞こうとしていることがよくわかります。発言者をしっかり見て、たどたどしい子どもの説明をうなずきながら聞いています。子どもたちは先生にわかってもらおうと一生懸命です。授業者と子どもの間によい関係がつくられてきています。次のステップを意識する段階に来ているようです。子ども同士のかかわり合いをつくることです。 授業者は子どもが発言している間、ずっとその子を見ています。他の子どものようすが目に入っていません。友だちの発言に反応している子どももいます。「今、手を動かしていたけれど、それってどういうこと?」と声をかけるときっとよいことを発表してくれるはずです。が、まだ発言を聞くことに手いっぱいで周りを見る余裕がないのです。 子どもの言葉で授業を進めようとしていることもよくわかります。子どもの発言も多いのですが、一部の子どもだけで進んでいきます。先生がしっかりと聞いてくれるので子どもは発言したいのです。しかし、なかなか指名されず受け身の時間が増えてしまうので、集中力をなくす子どもが出てきます。隣同士で確認させる時間をつくるといった、子どもの活動量を増やす工夫が必要になります。 また、余裕のなさが表情にも表れます。とてもよい笑顔ができるのですが、対応をどうしようと考えているときなど、表情が硬くなります。子どもは、教師の表情に敏感です。自分がおかしなことを言ったのではないかと不安になります。また、発言に対しての評価もあったりなかったりします。友だちが評価されて、自分が評価されなければがっかりします。発言したことを表情や言葉でポジティブに評価することを忘れないようにしてほしいと思いました。 2人目の授業は3年生の国語の授業でした。「こそあど言葉」の違いを考える場面でした。 授業者は子どもたちを笑顔で受け止めています。子どもたちにも笑顔があふれていました。安心して授業に参加していることがよくわかります。 「ように」は何を表すかを問う場面です。一部の子どもしか手が挙がりません。指名して発表したあとハンドサインでほとんどの子どもの手が賛成と挙がります。相互指名をしていくのですが、それぞれが自分の答を言うだけでつながりません。最後に授業者がみんなの言ったことは「ようす」という言葉で言えるねと、1度も子どもから出なかった言葉でまとめました。発言することが目的化してしまい、子どもたちは友だちの発言を受けて考えることはしていません。教師が最後に正解を言うのでその必要はないのです。子どもの発言をつなげながら考えを深め、子どもの言葉で答えに到達することを目指さなければ、聞きあえるようにはなっていきません。 子どもに「これ」「あれ」「それ」の違いを発表させる場面です。半分くらいの子どもが挙手しました。子どもの考えを発表させますが、わからない子どもは理解できません。友だちの発表を真剣に聞いていても、納得できないのです。子どもが気づく、理解するための活動がないからです。実際に何度も「こそあど言葉」を使いながら、「どう違う?」「これはどれを使う?」と問いかける。友だちの考えが正しいかどうか、その考えにそって実際に使ってみて確かめる。そういった活動が必要です。答を見つける過程、根拠を共有化しなければなりません。 友だちの「ど」の説明に、多くの子どもが「あっ」と言う場面がありました。授業者はそこで、他の子どもにつなぎました。よい場面でした。数人につないで発表させたあと、授業者は「問いかける」と結論をまとめましたが、それで全員が理解できているかどうかわかりません。「『どれ』は?」「『どの』は?」と一つひとつ使いながら本当にそうであるか確認してほしいところでした。 最後に「こそあど言葉」を使う練習をペアでするように指示しました。聞き手に対して「あっているか聞いてあげて」と指示をしてすぐに開始です。どちらが先かじゃんけんをしたりして、子どもたちのテンションが上がります。本質に関係のないことで時間を使わないことが大切です。どちらが先かといったことは、教師が決めてしまえばいいのです。また、チェックをするように指示をしても、具体的ではないので、結局言いっぱなしです。活動に入る前に、授業者が具体的にやって見せることが必要だったと思います。 3人目の授業は6年生の体育でした。バスケットボールの練習です。 子どもは楽しそうに活動していますが、何を意識して練習するのかはっきりしません。グループでおこなっていますが、一人ひとり順番にやっているだけの個人練習です。時々集めて、授業者がポイントを説明しますが、チェックは個人任せです。グループでの練習ではかかわり合いが大切です。友だちのプレーを見てアドバイスする。ボールを拾って次の人に渡す。お互いを必要とする活動をさせる必要があります。 また、最終目標に到達するために必要な活動を明確にして授業を組み立てる必要があります。一つひとつのステップを意識して、「できるようになる」練習をすることが大切です。ただ、シュートを打つ、1on1をやる、ではできるようにはなりません。シュートの精度を増すためには、ステップ、ボールのリリースポイントなどたくさんのことを意識しなければなりません。それらが身につく練習を工夫することが大切です。体育はできる、できないがはっきりする教科です。だからこそ、できるようになる方法論が必要なのです。 4人目の授業は、5年生の算数でした。 授業者は勉強熱心でいろいろなことを積極的に学んでいます。「音声計算練習」や「○つけ方」なども取り入れています。しかし、授業は子どもたちの活動がばらばらで、うまく成立していませんでした。細かく指摘することはあるのですが、根本の問題は授業者が挑戦しているいろいろなことが中途半端で、徹底できていないことにあります。たとえば「○つけ法」であれば、声かけや部分肯定は中途半端で、全員に○をつけずに終わっています。子どもをほめたり認めたりすることもするのですが、他の場面では全くできていないことがあります。あれもやらなければいけない、これもやろうといろいろ手を出しすぎて、一つひとつがやり切れていないのです。学んだことの中で、まず何を最初にできるようにしなければならないのかを意識してほしいと思います。また、1時間の授業で子どもたちにどうなってほしいというゴールを常に意識する必要もあります。走り方ばかりを考えていて、いつの間にかゴールが見えなくなっているからです。あせっていろいろ手を出さずに、自分にとってのゴール明確にする。そして、そこに向かうために必要な授業技術は何かを考え、使えるようになってほしいと思いました。 授業研究は、ベテランの算数の授業でした。5年生の割合の問題です。 自分から手を挙げてくださったそうです。ベテランは若手と違って、失敗するわけにはいかないというプレッシャーがあります。そこをあえて挑戦するのですから、素晴らしい向上心です。 授業者がめあてを板書すると、子どもたちはすぐに写し始めます。問題を写す場面でも素早く動きます。「早いね」と終わった子どもをほめています。子どもの動きがよくなる理由がわかります。問題を写した終わったあと、事前に指示していないのに問題文で注目すべきことを問いかけます。子どもの手が挙がります。「めあては写す」「問題文を書くときは注目すべき部分を意識する」といったことがきちんとルール化されています(ルール化する参照)。さすがベテランです。 ○%引きが何倍になるかを考えることが課題です。問題把握の段階で「10%OFFはどういうことか」と聞いたところ、「0.9倍」をいきなり発表する子どもが出てきました。塾かどこかで予習していた子どもなのでしょう。授業者はこの発言を受け止め、何人かとやり取りしながら、代金は定価の0.9倍になることをまとめ、図を書いて説明することを課題として与えました。結論が先に出てしまったため、基準の1と0.9だけが書き込まれた線分図がほとんどです。図で考えるはずが、答から図を考えることになってしまったのです。「0.9倍」が出たときの切り返し方が難しいところでした。授業者は子どもの言葉を活かさなければと思いそこから出発しましたが、ここは、「0.9ってどういうこと」と返したあとの「0.1を『引く』」という言葉から、「引く」をクローズアップすればよかったと思います。「引くってどういうこと」から値引きの意味を全体で共有し、じゃあ「図に書くとどうなる」と「0.9倍」をいったん棚上げして進んでしまうのです。あとで、0.9倍が出てきたところで、「○○さんが言ってくれた0.9倍って、こういうこと?」と確認して、全員で再度共有するのです。 個人作業では○つけをしていきます。できた子どもには他の考え方がないかその場で指示していきます。このあとグループで自分の考えを発表しました。 全体の発表は、指名された子どもがたどたどしいながらも一生懸命発表していました。授業者がしっかり受け止めてくれるので、頑張って説明します。発表が終わったあとほめてくれるので、そのあとも笑顔で授業に前向きに参加します。発表した子どもはどの子もよい表情になります。あとで聞いたところ、発表したのは話すことが苦手だったり、どちらかといえば学力の低位の子どもだったりしたようです。授業者が何を大切にしているかよくわかる場面でした。 授業者はいろいろな考えを発表させます。しかし子どもたちは、説明の式は写していてもどこか他人事です。今一つ集中していません。すでに○をもらっているので、自分は正解だと安心しているのかもしれません。いろいろな考え方を見つけることを、最初に課題として全体に提示しておけば、またようすは違ったのかもしれません。ところが、授業者が友だちの考えを説明するように求めると子どもたちの態度が変わりました。2人目が指名されると、今までは前を向いていたのに、急に友だちの方を向いて真剣に聞き始めました。複数指名されたので、今度は自分が指名される可能性があります。これは聞かなくてはいけないとあせったのかもしれません。 授業者が一人ひとりとじっくり向き合っているので、他の子どもが受け身になる傾向があります。説明の途中でもいったん止めて「ここまで納得した?」と確認したり、「式のここはどういうことか、○○さんになったつもりで説明してくれる?」と他の子どもに説明を求めたり、できるだけ多くの子どもに活躍する機会を与えることも必要でしょう。 この1年、この学校でお話させていただいた、子ども受け止める、認める、評価することを意識して授業をしていることがとてもよくわかります。ベテランが新しいことをプラスしようとしているのですから、若い人以上に大きな進歩をする可能性があります。これから授業がどのように変わっていくかとても楽しみです。若い先生にとっても、とてもよい刺激になったこと思います。 授業検討会では、先生方の子どもを見る視点が育っていることを感じました。グループでの活動の時の子どものようすもしっかり見てくれています。頑張って発表してくれた子どもの、グループ活動の時のようすが語られました。ちゃんと式もできていたのですが、友だちの発表を真剣に聞いていたそうです。自分が説明するために、友だちの発表を参考にしていたのです。全体での発表をうまくできたことの裏にはこのようなことがあったのです。子どもが説明にこだわったのは、授業者が答ではなく説明を求めることがわかっていたからです。授業者が子どもに求めることが明確なので子どもが育ってくるのです。 「引く」ということを意識させるためには「10%OFF、15%OFF。どちらの店で買う?」といった発問もあります。「15%の方が大きいのに代金が安いのはどういうこと?」と問いかけて「引く」ことを焦点化します。「もとになるのは何?」「代金を1とすると、10%はどこになる?」と考えの流れにそって、線分図を順番に書いていくことで、思考を図にする方法もあります。「線分図のどこを求めればいいの?」「まだ埋まっていないところを埋めて?」と進めていってもよいでしょう。このようなことをお話しました。 若手4人、全員一緒にアドバイスをさせていただきました。自分の授業に関することを仲間に聞かれることを嫌がりません。仲間へのアドバイスを自分のことのように聞いてくれます。個別に聞くよりも何倍も勉強になるはずです。とてもよい関係です。互いに学び合って成長してくれることと思います。 教務主任は、彼らの授業を日ごろからよく観察し、アドバイスしています。現況や課題など、教務主任の伝えてくれる情報は私が授業を観察するときにとても参考になります。4人一緒のアドバイスも教務主任の発案です。彼らの成長に心を砕いていることがとても伝わってきます。 また、今後どのようにして授業を変えていくか真剣に考えておられます。空いた時間にたくさんの質問をされました。このような熱心で前向きな姿を見せられると、私もできるだけのサポートをしようと思わずにはいられません。学校の進歩のカギは教務主任であることをあらためて実感しました。今年度の訪問もあと1回です。次回もきっと先生方の成長をたくさん見ることができることと楽しみにしています。 |
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