小規模校から多くのことを学ぶ(その2)(長文)

小規模校から多くのことを学ぶ(その1)」の続きです。

5年生の授業は国語で、メディアとのかかわり方について考える単元です。
写真の一部を切り取ったものからいろいろと想像したあとに、全体を見ることで、一部の情報ではミスリードされるという教科書の本文の内容を経験させる場面でした。
ピラミッドの写真を見て「どこに建っているか?」とたずねます。子どもからは「砂漠」と返ってきます。「そうだね」と笑顔で受け止めます。子どもとのやり取りは、以前と比べて柔らかく受容的になっています。攻撃的な態度が目立った子どもがずいぶん素直で柔らかい雰囲気に変わっていました。プレッシャーをかけられていた子どもも、以前より伸び伸びしているように感じました。子ども同士の関係が改善されていました。こういう変化にすぐ気づけるのも小規模校のよさです。教師が子どもたちをしっかり受け止めるようになったことと無関係ではないでしょう。
ただ、「ピラミッドは砂漠にあるよね」と授業者が自分で説明してしまいます。ここは、「どういうこと」と、子どもに説明させたいところです。次の課題は、どう子どもに返すか。子どもの発言をどう他の子どもにつなぐかです。
一部を切り取った写真からいろいろ想像させた後、全体の写真を見せました。すぐそばにはプールがあり、水着姿の男女が寛いでいます(おそらくラスベガス?)。子どもたちはそれを見て「あ〜」と声を出しました。真剣に想像していたからこそ出てきた声です。ここで子どもから「それがすべてだと思った」という言葉がもれました。これは教科書の本文とつながる言葉です。ぜひ拾いたいところでしたが、授業者は予定した説明を始めました。
授業後この場面のことを確認しました。発言には気づいていたのですが、それを活かすことは考えなかったようです。子どもの言葉を活かすことは、意識していなければ難しいものです。これも次の課題でしょう。とはいえ、子どもたちの発言をしっかり受け止めようとすることが意識されていることはよくわかります。ずいぶん進歩しています。おそらく授業だけでなくいろいろな場面で子どもを受容しようとしているのでしょう。子どもが安心して学校生活を送っているように感じました。

6年生の授業は、家庭科でした。暖かな生活の工夫についてです。
授業者が教材研究をして課題を工夫していることがすぐにわかりました。前回訪問時もそうでしたが、とても意欲的に取り組んでくれています。今回の課題は「温かく、快適に過ごすための工夫」です。教科書では、「温かく」と「快適」は別の課題となっています。そこを一つにしているのですが、これはちょっと問題です。「温かい」と「快適」は同列の関係ではないからです。冬を「快適」に過ごす要素の一つが「温かい」です。「温かい」を切り離し、「快適」とは何かをまず明確にし、意見が分かれたときに議論するためのよりどころを明確にする必要があります。「快適」とはどういうことか。要素として「エコ」や「安全」も意識することが必要になります。逆に子どもから出てきた意見が対立したところで、「快適」とはどういうことを考えるという方法もあります。「快適」について考えることを課題として必然性のあるものにすることができます。いずれにしても、どこかで「快適」とは何かを考えることが必要になります。
「エアコンをつける」「つけない」が話題になっているグループもありました。「換気扇をまわす」「まわさない」も意見が分かれたようです。子どもたちの考えを深めるとてもよい場面でしたが、「快適」をキーワードとして議論を深める時間はなかったようです。
授業者がグループに1枚用ずつ用意した部屋の絵に、3人で「温かく、快適に過ごすための工夫」を書き込むことで授業は進んでいきました。多くのグループがペンを持っている子どもともう1人の子どもの2人で作業が進んでいきます。あと1人が参加できない状態が気になりました。3人というのはこういう形になりやすいようです。
「エアコンをつける」「つけない」というように意見が分かれたときにグループで一つに集約すると、一方の意見が全体の場で共有できません。できれば、友だちの意見を参考にしながら、一人ひとり個別にまとめるようにしてほしいと思います。
授業者はこの作業に多くに時間を割きましたが、ここでのグループ活動は考えを出すだけで深まる場面ではありません。できるだけ早く済ませて、対立する考えを焦点化して、子どもたちから生まれた課題をもう一度グループで考えさせるという流れにしたいところです。各グループが全体で発表するのではなく、次々に問いかけ、1枚の絵に考えを集約して共有化する。「ストーブ」が出てくれば、「何ストーブ?」と聞くことで、違いを明確にし「エコ」などの視点につなげる。できるだけムダな時間をはぶいて、考えを深める時間を取ることを意識しなければいけません。
グループ活動の場面で、「夜!」という声が聞こえました。授業者はこのことに気づいていませんでした。他のグループにかかわっていたからです。授業後この言葉を伝えたところ授業者はすぐに活かせる言葉だと気づきました。そこから、「昼夜」を意識した工夫だけでなく、「家の向き」といった工夫もあることにも気づきました。子どもの言葉は教師にいろいろなことを教えてくれます。あまり一つのグループにかかわりすぎると、こういうよい言葉を聞きのがしてしまいます。教室全体に意識を向けることが大切です。
子どもの言葉を活かす視点をしっかり持っている授業者です。教材研究をしっかりしているから子どものちょっとした発言からいろいろなことに気づけるのです。深く教材研究をして授業に臨めば、子どもたちが多くのことを教えてくれます。この姿勢を忘れずに子どもたちの発言や反応から学ぶことを続ければきっと力をつけていくことでしょう。今後がとても楽しみです。

授業研究は3年生の国語、俳句の授業です。同年代の子どもの俳句を教材にした、とても意欲的な授業でした。
俳句を最初の五音と七五音に分けたカードを10句分用意して、正しく組み合わせる課題にグループで取り組ませました。同世代の作品なので、子どもたちにもわかりやすく順調に作業は進んでいきます。しかしグループで1セットのカードのため、どうしても特定の子どもが仕切ります。違う意見の子どもが無視される場面がいくつかありました。また意見があっても言い出せない子どももいるように感じます。グループでまとめることの弊害がここでも見られました。
「おにやんま」「赤とんぼ」「ありたちは」と「給食食べに 来たのかな」がどれもつながりそうで子どもたちは迷っていました。最終的にどのグループも正解にたどり着きましたが、その根拠を問うことはしませんでした。根拠を問わない作業であればあまり時間をかけずに、全体で取り組んでもよかったかもしれません。俳句を感覚だけでなくしっかりと読み取ることを教えたいのであれば、根拠を問うことをしてもよかったと思います。
都会の子どもと違ってこの学校の子どもたちは「おにやんま」のことを知っています。「おにやんま」は勢いよく飛んで、部屋の中によく迷い込んできますが、「赤とんぼ」は群れることが多くてあまり部屋には迷い込んできません。「赤とんぼ」は「夕やけみたい 目がきれい」という組み合わせが正解です。「おにやんま」は体も目も青みがかった緑なので「夕やけみたい 目がきれい」とは結び付きません。また、「ありたちは」は「列を作って たからさがし」とつながります。「おにやんま」は単独で飛びますし、「赤とんぼ」は群れますが列にはなりませんので「列を作って たからさがし」は違います。こういう根拠をきちんと話し合うことをしてもよいと思います(都会の子どもでは、自力で根拠を見つけることは難しいでしょう)。
子どもたちはこの作業を通じてそれぞれの俳句に思い入れができているようでした。この後、3句を選んで「俳句のいいところを見つけよう」という課題を提示したのですが、黒板にその句を貼るとき、どの子どもも集中して見ていました。中には気に入った句が貼られた時に「やった!」と声を出す子もいました。意欲づけには意味のある活動だったということです。
「金魚すくい わたしも金魚も ひっしです」「雪だるま わたしの方見て ありがとう」「白い雪 おしゃべりしながら ふってくる」の3句について、いいところに線を引いてそのいいところを書くという個人作業をしました。
ここでも先ほどの家庭科と同じで、「いいところ」という言葉が問題になります。「いいところ」は日常用語です。子どもたちが考えやすいようにあえて日常用語を使ったのでしょう。これをどこかで国語の用語に変えていく必要があります。子どもたちの視点は、「季語」「情景」「気持ち」の3つに分かれました。すべての視点で書いている子どもはいません。早く終わって手持ち無沙汰な子どもいます。なかなか埋まらない子どももいます。ちょっとまわりの子どもとかかわりを持たせるだけで、新たな視点に気づけたのでないかと思います。
さて、発表の場面では授業者はしっかりと子どもの発言を受け止めます。黒板に発言者の意見を書くのですが、やはり他の子どもたちは発言者ではなく黒板を見ています。板書することで子どもの聞く力を損なっているのです。また、発表者も授業者に受け止めてもらうことで満足して、発表後は集中力をなくします。自分の意見が友だちにどう伝わったかに興味はないのです。また、一人が発表するとすぐに手が挙がります。友だちの意見に関係なく自分の意見発表しようとしているからです。積極的な子どもが意見を言う陰で、なかなか発表できない子どもが気になります。同じ意見でも言いやすい雰囲気をつくる、友だちの意見に対してどう感じたかを問うといった、つなぐ技術が求められます。
たとえば、「金魚すくい わたしも金魚も ひっしです」の句であれば、「ひっしです」が取り上げられます。「『わたしと金魚が一生懸命なようす』と○○さんが言ってくれたけどどういうことかもう少し詳しく言ってくれる人いる?」「『ひっし』というけれど、金魚ってふつうはどんなようす?」「わたしがどんなようすかやってくれる人いる?」「そういうようすを『ひっし』という言葉であらわしんただね」などとつないでいきます。自分の考えたことを友だちの意見に関係なく次々に発表するのではなく、意見を聞いて考えたことを問いかけてつなぐのです。
「雪だるま わたしの方見て ありがとう」の句であれば、「『ありがとう』と人間みたいに言ってくれているようなんだね。それってどんな気持ち?」「何にありがとうって言ってくれたのかな?」「作者はどんな気持ちだった思う?」「どこでそう思う?」。「白い雪 おしゃべりしながら ふってくる」の句であれば、「『おしゃべりしている』で雪のようすがわかるというけど、どんな降り方かな?」「みんなおしゃべりするときどんな風になる?」「作者は雪が降ってうれしいの?」「どこでそう思った?」と「情景」から「気持ち」をどう読み取るかを課題にしていくとよいでしょう。「もう一度考えて」と戻すことで深める方法もあります。
「擬人法」という用語を教えるかどうかは別にして、修辞法のような「技法」、「季語」といった俳句の「規則」、「情景」や「心情」といった読み取る視点など、いいところとは何かを明確にしてメタな知識をつけることも大切です。

授業検討会では、日ごろなかなか発表できない子どもが、友だちの働きかけで発表したようすが語られるなど、子どもを見ることが意識されてきました。とてもよい傾向です。今回の授業では、同世代の作品であったからこそ子どもたちにとってわかりやすく、実感を持って読み取ることができました。どのようにして見つけたのかとても興味がわきます。飲料メーカーのコンテストの佳作を中心に、この学校の子どもたちの生活感に合うもの選んだそうです。佳作から選んだのは優秀賞より子どもにとってわかりやすそうだからです。そして、そのアイデアは昨年の同僚の授業から得たということです。互いの授業がつながりあっているということはとても素晴らしいことです。この学校のよさをまた一つ知ることができました。

今回の訪問で、子どもたちが安心して学校生活を送れていることが印象的でした。前回訪問時には気になった子どもが何人かいたのですが、今回は教室を回って「あれっどの子だったっけ?」ということが何度もありました。とてもよい傾向だと思います。
課題としては、作業に時間を取りすぎないようにすること。子どもの考えを深める場面がどこかを意識すること。子どもが友だちの発言を聞くことの障害に板書がなっていること。子どもの考えを深める切り返しを意識すること。子どもの考えを共有し、つなぎ深めることなどがあります。一度にすべてができるようにはなりません。少しずつでいいので、前に向かって進んでほしいと思います。
今回もたくさんのことを学べましたが、小規模校のよさを知ることができたことが大きな収穫です。来年度は、そのよさを活かすようなアドバイスができればと思っています。次回の訪問もとても楽しみです。

小規模校から多くのことを学ぶ(その1)

昨日は、小規模な小学校で授業アドバイスをおこなってきました。全体での授業研究1時間とそれ以外は個別に授業を見てのアドバイスです。

1年生の授業は生活科で、保育園との交流の準備の時間でした。
子どもたちが当日に向かって何を準備するのか、何を決めなければいけないのかを考える場面でした。
子どもたちが当日のプログラムやそのために必要なことを発表し、それが黒板にまとめられています。しかし、出かける前にすべきこと、準備することが出てきません。授業者は「出発する前のこと」を直接子どもに問いかけません。自分で考えさせたいからです。そこで、「もう大丈夫? 交流会ができる?」と揺さぶります。ところが、子どもからは「出発する前のこと」は出てきません。授業者は「なるほど」としっかり受け止めて子どもから出てくるのを待っています。子どもは先生が受け止めてくれるので、安心して自分の考えを何度も発表します。しかし、この日子どもは3人しかいません。なかなか出発前の準備に気づきません。ここが小規模校のつらいところです。授業者は、「じゃあ今からでも出発できる?」と子どもたちを起立させました。子どもたちは立ったまま一生懸命考えています。「動いてもいいんだよ」との声かけで動きが出てきました。何をしようかと考えて「紙芝居」「・・・」と何を持っていくかに気づきました。授業者は、直接答を言ったり、「何を持っていく」というヒントを出したりするのではなく、子どもにその場面を具体的に想像させることで気づかせました。「想像する」という考え方を子どもが獲得することにもつながります。さすがはベテランです。
最後に「よいことを気づいてくれたよね」とまとめていました。子どもたちが笑顔で安心して授業に参加している理由がよくわかります。

授業者との話の中で興味深いことを教えていただきました。他の子どもに「○○しなさい」と気づいたことを指摘する優等生タイプの子どもがインフルエンザで休んでいたそうです。そのためか、この日は子どもたちがいつも以上にのびのびしていたそうです。子ども同士の人間関係は面白いものです。教師が時には子どもの間に入って緊張関係を緩和させるように働くこともこの学級では必要なことのようです。大切な視点をいただきました。
このベテランの授業者は、前向きに授業を変えようとされています。「1ミリでも前進したい」とおっしゃっていました。その言葉に私も元気をいただきました。
最後に質問があると言われました。私の話やアドバイスは教師に対するものなのだが「教師のため」ではなく「子どものため」に聞こえる。どうなのかというのです。ちょっと驚きました。このような質問をされたのは初めてです。この先生も子どもの目線を意識されているのでこのことに気づかれたのでしょう。その通りです。子どもたちに安心して生活できる環境で、よい教育を受けてのびのび育ってほしいから、先生方の成長のお手伝いをするのです。めったにしないのですが、私が教師になった思いを少しだけお話しました。

2年生も生活科で、おもちゃ作りの場面でした。
子どもたちは机を寄せ合ってそれぞれの作品を作っています。授業者も机を子どもたちの机にくっつけて作業を見守っています。このような状況を見ていても学ぶことがないように思えるのですが決してそうではありません。授業者の机の上にはおもちゃが一つ置いてありました。実はこれは授業者が自分で作ってわざと置いてあるのです。子どもの目につくところに置いておいて困っている子どもの参考にするためです。実際に磁石で釣りをするおもちゃがうまくいかない子どもが、それを参考にして磁石のつけ方を工夫したそうです。教師が直接教えたり、指示したりしなくても子どもが自分で気づけるような仕掛けです。
オリンピックの五輪をつくっている男の子に女の子が何か話しかけました。私はよく聞き取れません。男の子もよくわからなかったようで無視しました。そのとき授業者は「なんかいいこと言ってくれたようだよ」と子ども同士をつなぎました。女の子の「マラソンの選手をつくったら」というアドバイスを聞いて、男の子は何かひらめいたようでした。ただ黙って見ているのではなく、必要な場面で必要なことをする。簡単なようですがなかなかできることではありません。子どもたちをしっかり観察しているからできることです。通常の規模の学校では、1つのグループをずっと見ていることはできません。教師のかかわりが必要な場面にうまく居合わせることは稀です。小規模校のよさを活かしたかかわり方を知ることができました。

授業者との話の中でその後のことも聞けました。女の子が割り箸を2本、端と端をつなげってまっすぐな1本の棒をつくったのですが、つなぎ目がぐらぐらして塩梅がよくありません。そのとき、自分の作業をしていた男の子が、端をずらして重なりをつくり、そこをテープで留めるようにアドバイスしたそうです。そのアドバイスを受けて女の子が作り直したところ、満足のいくものになったようです。この一連の子どもたちの動きを授業者は「ラッキーでした」と評価しましたが、決してそうではありません。授業者の細かい配慮とかかわりがこの状況を作り出しているのです。
教師が直接指導するのではなく、子ども同士をつなぐことに徹するようになってから、子ども同士の関係も変わったそうです。教える側、教わる側というでこぼこした関係から、互いの立場が柔軟に入れ替わる、柔らかい関係になったそうです。このことは、この学年だけでなく学校全体で感じることです。先生方の姿勢が変わってきたことの証だと思います。
授業者は私が訪問するたび何か一つ目標を決めて取り組んでいると報告してくれました。今回も目標となることを指示してほしいと頼まれました。「子どもが指示されて取り組むのではなく、何をすればよいか自分で考えて行動するように仕向ける」ことを目標にしていただきました。このような前向きな先生にはなかなか出会えません。しかも、ベテランです。この学校の持つよさをあらためて感じました。

4年生の授業は国語でした。
登場人物の行動の理由を考える場面です。子どもに意見を言わせ、その意見を板書します。子どもにとっては先生が板書してくれることが評価になっているようです。発言が終われば集中力をなくしていきます。友だちの方を見て話を聞いている子どもの態度をほめるのですが、広がりません。ほめたあと子どもが友だちを見るのですが、授業者が板書すると視線がそちらに移ってしまうからです。
時として授業者は子どもが発言している途中でも板書をすることがあります。これでは発言をしている子ども、聞いている子どもの表情や反応を見落としてしまいます。同じ意見の子どもをつなごうと、同じ考えの子どもを続けて発表させますが、その根拠を確認しないのでただ同じ意見が続くだけです。
違う意見を発表しようと何度も手を挙げる子がいるのですが、そのたびに「今は同じ意見だから」と指名してもらえません。その子どもにとっては、その間ただ待たされるだけで、聞く意味がありません。ただ同じ意見を発表させるのではなく、違う意見の子どもも聞く意味のある時間にする必要があります。「どこでわかった」と根拠を聞いて、「納得した?」「なるほどと思った?」とつなげるといった、同じ意見ではない子どもも参加できる工夫がほしいところです。
授業者は、一通りの意見が出あとで、本文から根拠となる記述を見つけ説明するように指示しました。根拠もとに考えを深める場面を後に持ってきたのですが、意見を出させるのに時間をかけすぎてだれてしまいました。

授業者にこの事実をもとに、結果をつなぐだけでなく根拠となる本文の記述をつないで、互いの考えを深めることが必要だったのではないかと話しました。授業者は普段はその場で根拠を聞いているのですが、今回はまず考えを出させて、意見の違いを明確にさせることを優先したようです。そのうえで、根拠を本文に求めて考えを深めるという、今までとは違ったやり方に挑戦したとのことでした。やはり、いつものようなやり方の方がよかったのかと反省していました。なるほど、それならば何をねらっていたのかわかります。反省する必要はありません。新しいことに挑戦したのですから、うまくいかなくても当然です。すぐにやめるのではなく、その失敗から学んでうまくいくように工夫をすればよいのです。そうすることで間口が広がり、子どもへの対応力が増します。
子どもの考えをそれぞれ発表させると微妙に発言の内容が違っているので、対立点を明確にするのが難しいことがあります。根拠もいろいろなので発散してなかなか焦点化ができない時もあります。まず意見を整理してから、どちらが正しいのか根拠をもとにもう一度しっかり考えさせるというやり方もあります。であれば、意見の整理はもっとスピーディーに進めることが必要です。根拠を問わない発言に時間を使うことはムダだからです。次々に指名をして考えを言わせ、授業者は細かく板書をせずに、できるだけ端的な言葉で書き留めます。「あなたの意見を聞かせて?」「それは、黒板のどの意見に近い?」「近い意見がない?」と全員の意見をグルーピングしながら進めます。子どもたちが納得する形で意見をいくつかにまとめ、一人ひとり自分の立ち位置を明確にしたうえで、対立点を明らかにします。その上で本文を根拠に相手を説得することを課題にするのです。説得を意識することで、自分の考えだけでなく相手の考えも考慮するのでより考えが深まります。考えているうちに意見が変わってもよいと伝えておきます。立ち位置を明確にしているので、自分の考えが変わったことも意識しやすくなります。2つの視点を比較しながら議論ができるので、考えが変わった子どもをキーマンとして積極的に取り上げるとよいでしょう。
今回の授業のように、自分のスタイルを崩すような挑戦はより多くのことが学べます。おかげで私も多くのことを気づけました。

この日も、とても多くのことが学べた1日でした。続きは、「小規模校から多くのことを学ぶ(その2)(長文)」で・・・。

体罰の問題をきっかけに校長の役割を考える

体罰の問題が学校を揺らしています。学校への調査もおこなわれていると思います。ここで体罰その是非を論じることはしません。体罰を知った時、校長はその教師へどう対応するのか、その苦しさと校長の役割を少し考えてみたいと思います。

体罰をしてしまうのは、指導に熱心な教師であることが多いでしょう。だからこそ、改めさせて、そのような間違いを再び犯さないように指導をするはずです。その上で考えるのが、ことを公にするかどうかです。体罰の事実があっても、それが大きなトラブルになっていなければ、処分の対象にならないように教育委員会へあえて報告しないことも十分に考えられます。その教師の将来のことを考えた温情のある校長と評価されるかもしれません。しかし、荒れている学校では力で押さえなければという教師の意識を変えることはとても難しいことがあります。「体罰もやむを得ない」という強い姿勢でなければ子どもたちを押さえることはできない。そう信じる教師は、繰り返し体罰をおこなってしまうこともあります。体罰を容認する雰囲気が学校にできてしまうことはとても危険なことです。校長として毅然とした態度で接するしかなくなります。「泣いて馬謖を斬る」のたとえもあるように、体罰の事実を報告して処分対象とせざるを得ないこともあるでしょう。当然職員の反発も出てきます。たとえ学校を支えている教師たちでも異動してもらわなければいけないかもしれません。校長として学校経営も苦しくなります。学校の再生もままならなくなります。そのことがわかっていても、決断しなければならないこともあります。

こと体罰の問題に限らず、状況をリセットして学校を再生するための最後の仕事が、それを進めた校長自身の異動である。学校が再生していく過程ではこのような皮肉なことが起こっていることがあります。引き継いで学校を再生させた方が評価されても、そのための地ならしをして去った方が評価されることはまずありません。報われないとわかっていても自分のとるべき行動を決断するのも校長の役割です。
体罰の問題をきっかけにこのような校長の姿を思い出しました。

教師のための「マネジメント」が届く

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先日、明治図書より、教師のための「マネジメント」が届きました。編著者の一人長瀬拓也先生からのプレゼントのようでした。ありがとうございます。
若い先生はもちろんのこと、ベテランの先生にも参考になると思い、少し紹介させていただきます。

「マネジメント」という言葉は教育の世界ではうまく広がっていません。訳語である「管理」「経営」という言葉のもつイメージがなじまないのかもしれません。この本では、教師にとってのマネジメントを、

1.組織をつくり、目的と使命を与える(プロデュースの視点)
2.組織を動かし、環境をつくる(システム・ルールの視点)
3.組織とその中を見て、促進する(ファシリテーションの視点)

と、3つの視点でとらえています。
この本のよいところは、この視点を踏まえて<学級経営>、<生徒(生活)指導>、<授業・学習活動>、<教師の自己成長戦略>について理論だけでなく具体的な場面ごとの実践が提案されていることです。
日々の学級経営や授業に悩んでいる若い先生は、具体的なアドバイスを求めています。今直面している状況を切り開くための、具体的なヒントがたくさんあります。ベテランの先生にとっては、こんなの当り前だ、知っていると思う実践例もたくさんあるかもしれません。大切なことは、それらの実践が点としてではなく、「マネジメント」の視点で戦略的におこなわれることです。日々の実践を見直すよいきっかけを得ることができると思います。

私は、この本で示される場面ごとに「自分ならどうするか」とまず考えてから読み進めました。「そうだよね」「そういうやり方もいいな」「ここは気づかなかった」とクイズを楽しむようでした。この本の著者は30代前半から40代前半の先生がほとんどだそうです。私から見れば若い先生方からたくさんのことを気づかせていただきました。そのエネルギー、意欲から元気をいただきました。この本から学ばせていただいたことをよい形で現場に還元したいと思います。一度手に取ってみることをお勧めします。

教師のための「マネジメント」 明治図書 定価1,860円+税
長瀬拓也・岡田広示・杉本直樹・山田将由 編著
西日本教育実践ネットワーク 著

研修を受けることで考える

先日、NPO法人の会計基準についての研修を受けてきました。法律が変わって会計処理の方法が変わったため、その内容と会計処理の方法を知るためです。日頃とは逆の立場で研修や授業について考えることができました。

講習内容に関するハンドブックが手元に配られていたので、まずは自分にとって必要なところ見つけ読んでいました。ハンドブックは読めばわかるようにつくられているものです。これで必要な情報はほとんど手に入ります。読んで確認したいと思ったところが明確になると、それ以外についてはあまり話を聞く気はしませんでした。研修を受ける目的がはっきりしているので、それが達成できればいいからです。

研修はハンドブックをそのままスクリーンに表示しながら、講師が席に座ったままで淡々と説明をしていくものでした。はっきりした声で聞きやすい話し方を意識されていましたが、聞き手をひきつけるような工夫はありません。しかし、これでも全く問題は感じませんでした。この研修を通じて考えることはほとんどありません。会計基準の変更について必要な情報を知ればいいだけです。しかも参加者は知りたい、知る必要がある方ばかりです。講師の話から必要な情報を手に入れればいいからです。
受け手が学びたいと思っていれば、内容さえちゃんとしたものであれば研修は成り立つということです。自腹の研修と強制的な研修とで雰囲気が大きく違うのも、学ぶ意欲の差です。学校などで研修の講師をおこなうときには、まずこの意欲をどう高めるかが問題です。参加者の問題意識を高めるための問いかけや参加者にとって意味を感じる課題を提示することが必要になります。これは授業にもつながることです。子どもたちの学ぶ意欲があれば、すぐに本題に入っていくことができます。そうでなければ、まず意欲を高めることが必要です。相手の状況で変わっていくのです。

今回の研修で私の目的は十分達成できました。知りたかったことはすべて知ることができました。しかし、研修の間私はずっと集中していたわけではありません。講師の話も必要なところしか聞いていません。これは、問題が解けた子どもと似た態度です。答を知ることが目的であれば、問題が解けた時点でほぼ目的は達成されています。自分の答が正しいことを確認できれば、それ以外は無駄な時間になります。残念ながら、答を知ることを目的としている子どもたちや授業に思いのほか多く出会います。一人ひとりが互いにかかわりながらそれぞれの成長をすることを学校では目指します。社会性は重要な要素です。自分が答えを知ることではなく、全員で答を見つける、答の見つけ方を考える、友だちにわかるように説明する。こういうことを目的としなければ、教室での授業は成立していきません。今回の研修と学校の授業とは目的の形が異なるのです。このことは意外と意識されていません。子どもたちの求めるものが、教師が求める答の授業ではいけないのです。このことを先生方がきちんと共有することが大切です。もちろんこのことは保護者とも共有する必要があります。ホームページや学校通信などで活用して、学校にかかわるすべての人で共有してほしいと思います。

研修を受けながら、このようなことを考えました。

中学校の研究中間報告会に参加

先週末、中学校の研究中間報告会に、英語の助言者という立場で参加しました。

初任者の1年生の授業です。
授業開始前に教科係が中心となって、復習テストとその解答をおこないます。子ども同士のやり取りがとても興味をひきました。「発音はわからないけど、p、e、・・・」とスペルで答える子どもがいましたが、「people」の発音を友だちが教える場面はありませんでした。最終的に答がわかればいい、この場面は自分に関係ない。そういう態度です。係が答を板書するときに、単語のスペルを言ってと確認したところ、他の子から「わからないの?」とちょっと揶揄するような声がかけられました。言われた子は「知っとるわ!」と強い口調で言い返しました。前回訪問した時もそうでしたが、攻撃的な言葉をよく耳にします。子ども同士の関係が決定的に悪いというよりも、ソーシャルスキルが低いのかもしれません。いずれにしても、子ども同士のかかわり合いをよい形にしていく必要を感じます。

授業の最初は、全員で英語の歌を歌います。この間、子どもたちのようすを観察しました。基本的に子どもたちは歌うことが好きなようです。ほとんどの子どもの口は開いていますが、声はあまり大きくありません。自信がないのでしょうか? 目が歌詞カードを追っている子、歌詞カードを見ずに笑顔で歌っている子、目がぼんやりと斜め前方を見ている子、子どもたちの見せる姿は様々です。授業者はこの活動で何を求めているのでしょうか。英語を楽しんでほしいのなら、笑顔で歌っている子どもを評価して、笑顔を広げる必要があります。英語に慣れてほしいのなら、できるだけ歌詞カードを見ずに歌ってほしいところです。歌い終わって、「大きな声で歌えたね」と授業者は評価しました。いつもより大きな声だったからほめたのでしょうか? そうであれば、「いつもより」大きな声で歌えたと評価すべきです。絶対的に「大きな声」と評価すると、この声の大きさが「大きな声」の基準になってしまいます。あの声の大きさが授業者の求める大きさだったのか、考えてみる必要があります。

授業者と子どもたちの関係は良好に見えます。指名した子どもの発言をしっかりと受け止めています。しかし、復習の場面では、一人指名して正解であれば全体に確認して終わっていく、一問一答になっています。本文を見ながらCDを聞いて、コーラス・リーディングをする場面で、強く読むところに○をつけている子どもをほめました。しかし、どこに○をつけたのかその内容を聞いたり、他の子どもたちに伝えたりしませんでした。○をつけたことを共有化して、そこを一緒に読んでみるといった活動を入れてほしいところです。子ども同士がつながる場面が少ないことが気になります。

この日の課題は、”Can you 〜 ?”、”Can I 〜 ?”を使った8文以上で構成されるスキットをグループで作って発表することです。子どもたちがスキットを作る参考にと、ビデオを見せました。学年の先生方に出演してもらって制作したものです。子どもたちは、先生方が英語でスキットを見せてくれるので大喜びです。ビデオを観た後、その内容の簡単な確認をしました。この扱いはどうあるべきか気になります。子どもたちがsituationをつくる参考にするのか、スキットで使われている英文も含んで参考にするのかで扱いは異なります。英文を子どもたちにできるだけ一から考えさせたいのであれば、必要なのはsituationなので、音声をカットして見せる方法もあります。英文も含んで参考にさせたいのであれば、1回見ただけではきちんと聞き取ることは難しいので、スキットの英文を印刷して配るという方法もあります。いずれにしても授業者自身が目的を明確にし、そのうえで子どもたちにもきちんと意識させることが必要です。子どもたちが何を意識してビデオを見ていたか、気になるところでした。
また、このビデオ自体の評価も難しいところです。他の先生方の協力を得て作ったととてもよくできたものですが、日常的につくり続けることができるかということです。研究発表ではこういった「ごちそう」授業が行われることが多いのですが、日常的に実践することが難しいのであれば、あまり意味があることではないのです。もし、こういったビデオが労力に見合う価値のあるものであれば、学校全体、教科全体でラインナップをそろえることをすべきでしょう。

4人グループでの活動は面白いものでした。ビデオを見てやる気がでたのか、子どもたちのテンションは上がっていきます。テンションが高い状態がしばらく続きました。やがて、子どもたちのテンションが落ち着きました。このとき、子どもたちはスキットの英文を考えていたのです。真剣に考えているときにはテンションは下がります。子どもたちのテンションが上がっていたのは、スキットのsituationを話し合っているときです。気軽に意見を言える、思いつきで話せるのでテンションが上がるのです。授業者の思った以上に時間がとられてしまい、スキットの練習時間はあまり取れませんでした。時間を取られていたのは、本来の英語の活動とは関係ないsituationを考える場面です。ここがカットされれば時間はずいぶん違ったことと思います。予めsituation設定して、その会話部分を考えることにするといった工夫が必要です。

発表は各グループ代表2名によるものです。ジェスチャーをつけるといった目標も設定されていたので、子どもたちは精一杯の演技をしますが、英文はメモをちらちら見ています。一方発表者以外の子どもはリラックスして、楽しそうに見ています。笑い声もたくさん出ます。同じグループの子どもも観客として楽しんでいます。各発表後、授業者がコメントします。よいところをほめ、工夫した英語表現を説明します。しかし、子どもたちに英語が伝わったのかどうかは問われません。せっかく子どもが考えた英語表現も全員にきちんと共有はされていません。出力することが目的化して、「英語」で表現して「伝える」という、英語でのコミュニケーションが忘れられているのです。
聞く側の子どもたちに、明確な目的、目標を与えることが必要です。聞きとった英文を書き取る。知らない単語、表現があれば、発表者に教えてもらい自分のものにする。スキットを演じる2人に対して残りの2人がそれぞれとペアとなり、演じる側は英文を暗唱し、つまずいたときはペアが横で助ける。こういった子ども同士をつなぐような工夫が求められるのです。

いろいろと指摘をしていますが、レベルの低い授業だったということではありません。立派な授業でした。初任者の授業でこれだけの指摘をすることはまずありません。子どもとの関係など、基本となることがきちんとしているからこそ見えてくることがたくさんあるのです。教科の先生方を始め多くの先生のバックアップもあったことでしょう。いろいろな先生方の思いが授業に詰まっているからこそ、たくさんの気づきがあるのです。

授業検討会では、グループ活動に関する気づきや疑問が出されました。グループ活動で英文を各自で考えていましたが、自分では作れず友だちのものを写している子どもが目立ちました。この授業だけでなく、子どもの関係が、答を教える・教わるという一方通行的な形になっているのがこの学校の特徴です(「学び合いの形を考えた授業(長文)」参照)。そうではなく、互いに学びあえるような双方向の関係をつくることを意識しなければいけません。答を伝え合うのではなく、その過程を共有することを授業のいろいろな場面で意識してほしいと思います。グループでの活動の時に、和英辞典をグループに数冊準備しました。このことが話題になりました。子どもたちは表現がわからなければすぐに教師に聞こうとします。辞書を準備することで、自分たちで考えることができます。発表の時にその表現を取り上げ、どうやって考えたかを発表させることで、考える過程が共有化できます。こういう活動が大切になるのです。
また、グループで子どもたちの間違いを発見した時にどうすればよいのかという質問もありました。子どもたちが自分で気づくのはなかなか難しいところなので、悩むところです。「できた? どう、自信ある?」と揺さぶるのも一つの方法です。その上で、「辞書をよく読むと、使い方の例文があるよ」「英和辞典を引いてみるのもいいよ」といった、方法を教えるのです。その場限りの知識を教えることではなく、いろいな場面で役に立つメタな知識を教え、それを全体で共有するように意識するとよいと思います。
最後に、situationをベースにした英語の授業の考え方について、田尻悟朗先生から学んだこと(「田尻悟郎先生から大いに学ぶ」参照)をもとに簡単なポイント(「英語で大切にしたい活動」参照)を話させていただきました。
授業者を含め、参加者の皆さんが前向きに授業を考えていることがよくわかる検討会でした。

検討会終了後、授業者とお話させていただく時間を設けていただきました。その際、希望する方は同席いただいても問題ないことをお伝えしたところ、英語科全員が参加してくださいました。他人事ではなく、自分たちの授業としてとらえている証拠です。この授業のことに限らず、疑問に思っていること、悩んでいることを聞かせていただきました。自分たちの授業をよくしたいという気持ちがあふれています。
先日訪問した時にお話したことをさっそく実行して、その結果子どもの姿が変わったと報告してくださる方もいました。アドバイスをすぐに実行するというのは、意外とできないことが多いものです。素直な姿勢と向上心がないとできないことです。校長からも、理科のベテランが先日のアドバイスを意識して、子どもとのやり取りを工夫していたと報告がありました。とてもうれしく思いました。
このような先生方ですから、きっと今後大きく進化することと思います。そこに立ち会える機会をいただけることをとても幸せに思います。

小学校で授業アドバイス(長文)

昨日は小学校で若手4人の授業と研究授業のアドバイスをおこないました。今年度4回目の訪問です。

1人目は1年生の算数の授業でした。
子どもたちが落ち着いて授業に参加していました。授業者は指示が全体に対して通るまで待っています。動きが遅い子どもを叱るのではなく、「○○するのは後にして、△△しよう」と行動を促すようにしています。柔らかい雰囲気で授業が進んでいきます。全体の状況を確認してから授業を進めることができるようになっていました。初めて授業を見せていただいたころからは格段の進歩です。
子どもの言葉をしっかり聞こうとしていることがよくわかります。発言者をしっかり見て、たどたどしい子どもの説明をうなずきながら聞いています。子どもたちは先生にわかってもらおうと一生懸命です。授業者と子どもの間によい関係がつくられてきています。次のステップを意識する段階に来ているようです。子ども同士のかかわり合いをつくることです。
授業者は子どもが発言している間、ずっとその子を見ています。他の子どものようすが目に入っていません。友だちの発言に反応している子どももいます。「今、手を動かしていたけれど、それってどういうこと?」と声をかけるときっとよいことを発表してくれるはずです。が、まだ発言を聞くことに手いっぱいで周りを見る余裕がないのです。
子どもの言葉で授業を進めようとしていることもよくわかります。子どもの発言も多いのですが、一部の子どもだけで進んでいきます。先生がしっかりと聞いてくれるので子どもは発言したいのです。しかし、なかなか指名されず受け身の時間が増えてしまうので、集中力をなくす子どもが出てきます。隣同士で確認させる時間をつくるといった、子どもの活動量を増やす工夫が必要になります。
また、余裕のなさが表情にも表れます。とてもよい笑顔ができるのですが、対応をどうしようと考えているときなど、表情が硬くなります。子どもは、教師の表情に敏感です。自分がおかしなことを言ったのではないかと不安になります。また、発言に対しての評価もあったりなかったりします。友だちが評価されて、自分が評価されなければがっかりします。発言したことを表情や言葉でポジティブに評価することを忘れないようにしてほしいと思いました。

2人目の授業は3年生の国語の授業でした。「こそあど言葉」の違いを考える場面でした。
授業者は子どもたちを笑顔で受け止めています。子どもたちにも笑顔があふれていました。安心して授業に参加していることがよくわかります。
「ように」は何を表すかを問う場面です。一部の子どもしか手が挙がりません。指名して発表したあとハンドサインでほとんどの子どもの手が賛成と挙がります。相互指名をしていくのですが、それぞれが自分の答を言うだけでつながりません。最後に授業者がみんなの言ったことは「ようす」という言葉で言えるねと、1度も子どもから出なかった言葉でまとめました。発言することが目的化してしまい、子どもたちは友だちの発言を受けて考えることはしていません。教師が最後に正解を言うのでその必要はないのです。子どもの発言をつなげながら考えを深め、子どもの言葉で答えに到達することを目指さなければ、聞きあえるようにはなっていきません。
子どもに「これ」「あれ」「それ」の違いを発表させる場面です。半分くらいの子どもが挙手しました。子どもの考えを発表させますが、わからない子どもは理解できません。友だちの発表を真剣に聞いていても、納得できないのです。子どもが気づく、理解するための活動がないからです。実際に何度も「こそあど言葉」を使いながら、「どう違う?」「これはどれを使う?」と問いかける。友だちの考えが正しいかどうか、その考えにそって実際に使ってみて確かめる。そういった活動が必要です。答を見つける過程、根拠を共有化しなければなりません。
友だちの「ど」の説明に、多くの子どもが「あっ」と言う場面がありました。授業者はそこで、他の子どもにつなぎました。よい場面でした。数人につないで発表させたあと、授業者は「問いかける」と結論をまとめましたが、それで全員が理解できているかどうかわかりません。「『どれ』は?」「『どの』は?」と一つひとつ使いながら本当にそうであるか確認してほしいところでした。
最後に「こそあど言葉」を使う練習をペアでするように指示しました。聞き手に対して「あっているか聞いてあげて」と指示をしてすぐに開始です。どちらが先かじゃんけんをしたりして、子どもたちのテンションが上がります。本質に関係のないことで時間を使わないことが大切です。どちらが先かといったことは、教師が決めてしまえばいいのです。また、チェックをするように指示をしても、具体的ではないので、結局言いっぱなしです。活動に入る前に、授業者が具体的にやって見せることが必要だったと思います。

3人目の授業は6年生の体育でした。バスケットボールの練習です。
子どもは楽しそうに活動していますが、何を意識して練習するのかはっきりしません。グループでおこなっていますが、一人ひとり順番にやっているだけの個人練習です。時々集めて、授業者がポイントを説明しますが、チェックは個人任せです。グループでの練習ではかかわり合いが大切です。友だちのプレーを見てアドバイスする。ボールを拾って次の人に渡す。お互いを必要とする活動をさせる必要があります。
また、最終目標に到達するために必要な活動を明確にして授業を組み立てる必要があります。一つひとつのステップを意識して、「できるようになる」練習をすることが大切です。ただ、シュートを打つ、1on1をやる、ではできるようにはなりません。シュートの精度を増すためには、ステップ、ボールのリリースポイントなどたくさんのことを意識しなければなりません。それらが身につく練習を工夫することが大切です。体育はできる、できないがはっきりする教科です。だからこそ、できるようになる方法論が必要なのです。

4人目の授業は、5年生の算数でした。
授業者は勉強熱心でいろいろなことを積極的に学んでいます。「音声計算練習」や「○つけ方」なども取り入れています。しかし、授業は子どもたちの活動がばらばらで、うまく成立していませんでした。細かく指摘することはあるのですが、根本の問題は授業者が挑戦しているいろいろなことが中途半端で、徹底できていないことにあります。たとえば「○つけ法」であれば、声かけや部分肯定は中途半端で、全員に○をつけずに終わっています。子どもをほめたり認めたりすることもするのですが、他の場面では全くできていないことがあります。あれもやらなければいけない、これもやろうといろいろ手を出しすぎて、一つひとつがやり切れていないのです。学んだことの中で、まず何を最初にできるようにしなければならないのかを意識してほしいと思います。また、1時間の授業で子どもたちにどうなってほしいというゴールを常に意識する必要もあります。走り方ばかりを考えていて、いつの間にかゴールが見えなくなっているからです。あせっていろいろ手を出さずに、自分にとってのゴール明確にする。そして、そこに向かうために必要な授業技術は何かを考え、使えるようになってほしいと思いました。

授業研究は、ベテランの算数の授業でした。5年生の割合の問題です。
自分から手を挙げてくださったそうです。ベテランは若手と違って、失敗するわけにはいかないというプレッシャーがあります。そこをあえて挑戦するのですから、素晴らしい向上心です。
授業者がめあてを板書すると、子どもたちはすぐに写し始めます。問題を写す場面でも素早く動きます。「早いね」と終わった子どもをほめています。子どもの動きがよくなる理由がわかります。問題を写した終わったあと、事前に指示していないのに問題文で注目すべきことを問いかけます。子どもの手が挙がります。「めあては写す」「問題文を書くときは注目すべき部分を意識する」といったことがきちんとルール化されています(ルール化する参照)。さすがベテランです。
○%引きが何倍になるかを考えることが課題です。問題把握の段階で「10%OFFはどういうことか」と聞いたところ、「0.9倍」をいきなり発表する子どもが出てきました。塾かどこかで予習していた子どもなのでしょう。授業者はこの発言を受け止め、何人かとやり取りしながら、代金は定価の0.9倍になることをまとめ、図を書いて説明することを課題として与えました。結論が先に出てしまったため、基準の1と0.9だけが書き込まれた線分図がほとんどです。図で考えるはずが、答から図を考えることになってしまったのです。「0.9倍」が出たときの切り返し方が難しいところでした。授業者は子どもの言葉を活かさなければと思いそこから出発しましたが、ここは、「0.9ってどういうこと」と返したあとの「0.1を『引く』」という言葉から、「引く」をクローズアップすればよかったと思います。「引くってどういうこと」から値引きの意味を全体で共有し、じゃあ「図に書くとどうなる」と「0.9倍」をいったん棚上げして進んでしまうのです。あとで、0.9倍が出てきたところで、「○○さんが言ってくれた0.9倍って、こういうこと?」と確認して、全員で再度共有するのです。
個人作業では○つけをしていきます。できた子どもには他の考え方がないかその場で指示していきます。このあとグループで自分の考えを発表しました。
全体の発表は、指名された子どもがたどたどしいながらも一生懸命発表していました。授業者がしっかり受け止めてくれるので、頑張って説明します。発表が終わったあとほめてくれるので、そのあとも笑顔で授業に前向きに参加します。発表した子どもはどの子もよい表情になります。あとで聞いたところ、発表したのは話すことが苦手だったり、どちらかといえば学力の低位の子どもだったりしたようです。授業者が何を大切にしているかよくわかる場面でした。
授業者はいろいろな考えを発表させます。しかし子どもたちは、説明の式は写していてもどこか他人事です。今一つ集中していません。すでに○をもらっているので、自分は正解だと安心しているのかもしれません。いろいろな考え方を見つけることを、最初に課題として全体に提示しておけば、またようすは違ったのかもしれません。ところが、授業者が友だちの考えを説明するように求めると子どもたちの態度が変わりました。2人目が指名されると、今までは前を向いていたのに、急に友だちの方を向いて真剣に聞き始めました。複数指名されたので、今度は自分が指名される可能性があります。これは聞かなくてはいけないとあせったのかもしれません。
授業者が一人ひとりとじっくり向き合っているので、他の子どもが受け身になる傾向があります。説明の途中でもいったん止めて「ここまで納得した?」と確認したり、「式のここはどういうことか、○○さんになったつもりで説明してくれる?」と他の子どもに説明を求めたり、できるだけ多くの子どもに活躍する機会を与えることも必要でしょう。
この1年、この学校でお話させていただいた、子ども受け止める、認める、評価することを意識して授業をしていることがとてもよくわかります。ベテランが新しいことをプラスしようとしているのですから、若い人以上に大きな進歩をする可能性があります。これから授業がどのように変わっていくかとても楽しみです。若い先生にとっても、とてもよい刺激になったこと思います。

授業検討会では、先生方の子どもを見る視点が育っていることを感じました。グループでの活動の時の子どものようすもしっかり見てくれています。頑張って発表してくれた子どもの、グループ活動の時のようすが語られました。ちゃんと式もできていたのですが、友だちの発表を真剣に聞いていたそうです。自分が説明するために、友だちの発表を参考にしていたのです。全体での発表をうまくできたことの裏にはこのようなことがあったのです。子どもが説明にこだわったのは、授業者が答ではなく説明を求めることがわかっていたからです。授業者が子どもに求めることが明確なので子どもが育ってくるのです。
「引く」ということを意識させるためには「10%OFF、15%OFF。どちらの店で買う?」といった発問もあります。「15%の方が大きいのに代金が安いのはどういうこと?」と問いかけて「引く」ことを焦点化します。「もとになるのは何?」「代金を1とすると、10%はどこになる?」と考えの流れにそって、線分図を順番に書いていくことで、思考を図にする方法もあります。「線分図のどこを求めればいいの?」「まだ埋まっていないところを埋めて?」と進めていってもよいでしょう。このようなことをお話しました。

若手4人、全員一緒にアドバイスをさせていただきました。自分の授業に関することを仲間に聞かれることを嫌がりません。仲間へのアドバイスを自分のことのように聞いてくれます。個別に聞くよりも何倍も勉強になるはずです。とてもよい関係です。互いに学び合って成長してくれることと思います。

教務主任は、彼らの授業を日ごろからよく観察し、アドバイスしています。現況や課題など、教務主任の伝えてくれる情報は私が授業を観察するときにとても参考になります。4人一緒のアドバイスも教務主任の発案です。彼らの成長に心を砕いていることがとても伝わってきます。
また、今後どのようにして授業を変えていくか真剣に考えておられます。空いた時間にたくさんの質問をされました。このような熱心で前向きな姿を見せられると、私もできるだけのサポートをしようと思わずにはいられません。学校の進歩のカギは教務主任であることをあらためて実感しました。今年度の訪問もあと1回です。次回もきっと先生方の成長をたくさん見ることができることと楽しみにしています。

人事と研修を考える

校長先生との会話の中に人事に関することが増えてきました。なぜか人事の話題はあまり明るい話になりません。来年度は初任者が○人になりそうで厳しい。○○先生が6年で抜ける穴が大きい(愛知県は、小中学校では原則初任から6年で異動となる)といった言葉がよく聞かれます。

初任者を育てるのに時間と労力がかかります。一方、苦労して育てて戦力となった先生が異動で抜けていくのですから、確かに痛手です。しかし、よくよく考えてみるとその戦力を受け入れる学校があるのですから、地域の学校全体で考えれば異動があってもトータルの教育力は変わりません。結局、退職されるベテランに対して補充される初任者の差が明確な差となるのです。仮に定年退職者1人と初任者1人が入れ替わるとすれば、40年近くのキャリアの差が戦力の差となります。これはとても大きなものです。単純に考えると年々それだけ学校の教育力が落ちていくことになります。しかしこれは、現役の先生方の教育力が変わらないという前提での話です。現役の先生方一人ひとりの力量が向上していけば、ベテランと初任者の大きな差を全体で埋めることができるのです。そういう視点に立てば、戦力的に見劣りする初任者の研修に力をいれるだけでなく、学校全体での研修に力を入れることが大切なことがよくわかります。
伸びしろの多い初任者、若手をまず育てることを優先するのか、全体の向上の中で引っ張っていくのか。それとも同時並行でいくのか。学校の規模、職員構成でも最適な戦略は異なります。悩ましい問題です。

ところで、戦力として育った若手を受け入れる側は、大きくプラスになるはずです。実際に、そのような声もよく聞くのですが、どうも戦力を放出して痛手だという声に対して少なすぎる気がするのです。この時期、わかっているのは異動で出ていく人ばかりですから、暗い話になりやすいのはわかります。しかし、新年度になって数か月してもポジティブな話はあまり聞けないのです。その理由を私なりに考えると、学校ごとに戦力として求められる内容が異なっていることが原因であるように思われます。
若手は、その学校で求められていることを一番に学んでいきます。荒れ気味の学校ではあれば生徒指導面や部活動面。学校独自の授業スタイルがあれば、当然そのスタイルを学ぶことが優先されます。ある面、その学校に特化していくのです。学校ごとに状況は違います。新しい学校では、以前の学校で身につけた力がそのまま生かせれるとは限らないのです。小学校から中学校、中学校から小学校への異動でその傾向が顕著です。即戦力を期待されているのに、新しい学校に適応するのに時間がかかってしまうのです。
しかし、このことは決して悪いことではありません。新しい学校で学んでいくことで幅が広がりますし、どんな学校でも共通する基本を意識することで地力がつきます。一段と成長できるのです。実際、異動当初は戸惑っていた方が、ぐんぐん力をつけていく姿をたくさん見ています。また、以前の学校ではあまり力を発揮できなかった方が、新しい環境で成長することもよくあることです。

新規採用が増えている現状で、一律に6年で異動といった原則に縛られることに少し疑問も感じています。その学校の環境ではうまく育てることが難しい先生も他の学校では成長できる可能性もあります。早目に異動して、そこでやり直すことも選択肢としてあってよいように思います。
異動は誰にとっても新たな成長のチャンスです。そのチャンスを活かすかどうかは本人だけの問題ではありません。特に若手にとっては、適切な研修や指導がまだまだ必要なのです。しかし、意外に転入者に対してのケアは薄いように感じます。

そろそろ来年度に向けての準備が始まる時期です。思い通りにならないのが人事です。それよりも、学校としてどのように先生方の教育力をあげていくのか、その戦略を立てることが大切です。先生方の成長を個人の問題としてとらえないようにしてほしいと思います。そもそも学校というところは、組織的に子どもを成長させるところです。先生方に対してもそうあるべきではないのでしょうか。
こんなことを校長先生方との会話の中で考えました。

愛される学校づくり研究会に参加

先週末は、愛される学校づくり研究会に参加してきました。

前半は国際大学の豊福晋平先生の「学校評価の設計から提言まで」という演題での講演でした。
学校評議員として学校評価とかかわっていますが、私自身が見落としていることにたくさん気づかせていただきました。たとえば次のようなことです。

質問の文言については、その意図が明確に伝わることは当たり前のことですが、言葉のちょっとした使い方によって結果は大きくずれることに注意する必要があります。あいさつに関する質問であれば、「あいさつをしている」「あいさつをよくしている」「あいさつは必ずしている」の3つではスコアはかなり異なるはずです。単純に項目間のスコアをだけを比較することは注意を要します。
また、4段階の回答のうちよくあてはまる、大体あてはまるを一つにまとめて肯定的な回答として評価することがよくおこなわれます。しかし、これでは2段階の評価と同じです。元データの情報を薄めるような処理は避けるべきです。

具体的な学校評価を例に、何を評価したいのかを明確にして質問項目を考える。質問は具体的で、回答者にわかる言葉である必要がある(同じことを聞くにしても、保護者と児童では表現を変えることも必要)。4段階で聞くのであれば、「わからない」を設けること(「わからない」のスコアも大切な指標となる)。分析は絶対評価と相対評価(同一母体の過年度比較、同学年での過年度比較)を使い分けることなど、学校評価のポイントを整理してわかりやすく伝えていただきました。
今回のお話を受けて、会員の学校評価がより精度の高いものになることと思います。次回以降、学校評価の結果がたくさん報告されることと思います。豊福先生のコメントが楽しみです。具体例をもとに学校評価についてより深く学べることと期待します。

後半は、「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の午前の部、「劇で語る! 校務の情報化」の練習とリハーサルでした。5つの劇団が競い合って中身をブラッシュアップしています。座長の演技指導もヒートアップしていきます。最後に各劇団が中身の半分をリハーサルで公開しました。これが、予想以上に面白い!! 具体的な場面で語るので、主張がよくわかる。それにプラスして劇団員の演技がすごい(どういう意味でかは、当日のお楽しみ)。早くも、「今回だけで終わるのはもったいない」の声が出ています。有田和正先生、佐藤正寿先生の授業対決の前座では決してありません。午後から参加しようなどと思っている方は、すぐに考えをあらためてください。午後の部に劣らぬ満足をお約束します。
とは言うものの、こうなると、その内容について進行役からコメントを求められる側(豊福先生と私)にもプレッシャーがかかってきます。進行役がどんな球を投げてくるかは予測不可能。こちらの予想を外した質問をしてくることは間違いありません。うまく打ち返すことができるでしょうか。進行役とコメント役のやり取りも見どころの一つです。

当日がとても楽しみなフォーラム、残席はあとわずか。まだの方は、今すぐお申し込みを!

学校公開日の授業で考える

昨日は、中学校の学校公開日に参加してきました。希望してくれた若手の先生に授業の解説をしながら校内を回りました。

今年度、この学校での授業参観は研究授業ばかりで、普段の授業を見たのは初めてです。参観していて気になることがいくつかありました。
特に1年生に顕著なのですが、全体での活動場面で子どもたちのようすがばらばらなのです。友だちの発表場面では、顔を上げて教師を見ている者、発表者を見ている者、聞いてはいるようだが(言葉に反応するのでわかる)下を向いている者、集中せずに頭が動く者がいます。教師が話しているときには関係ない話をしゃべっている者がいます。ところが、教師が板書をすると、ほとんどが写しだします。その後教師が説明を始めても、まだ書き続けている子どもも目立ちます。
一方ペア活動など、子ども同士の活動は積極的に見えます。ところが、すぐにテンションが上がっていくのです。研究授業で見ていた姿とかなり異なっていました。

この日はその原因を考えることを意識して授業を観察しました。
「しゃべらない」「静かにしなさい」といったネガティブな注意が目立ちます。これは、外から圧力を加えて形をつくろうとするものです。静かにさせることが目的になっています。教師の求める形をつくれという強制で、子どもにとっての意味はありません。そのため、一時的に修正されてもすぐに元に戻ります。そのたびに注意を聞かされると、ちゃんと規律を守れている子どもは嫌になります。教師に対しても注意されている子どもに対しても、負の感情を持ちます。また、注意されてから直せばよい。逆に注意されなければいいんだと考えるようにもなり、どこまで許されるかを計るようになっていきます。
そうではなく、「○○さんの話を聞こうよ」と何が大切なのかを伝えることや、「どんなことを話していたか聞かせて?」「授業に関係のないことを話していたの。残念だな。みんなと一緒に聞こうよ」というように「I」メッセージを使ってポジティブに言い換えることが必要です。

教師は子どもの発言を否定はしませんが、受容的な言葉や態度があまりありません。発言を教師、子どもたちがポジティブに評価することや、教師が笑顔を見せることもほとんどありません。瞬間的に笑う場面はあるのですが、子どもたちの笑顔も少なかったように思います。一問一答のやり取りが多いことも気になりました。
発言しても評価されない、最後は教師がまとめてしまうので、子どもたちは発言することに意味を感じていないようです。そのため、積極的に発言しなくなっているように思います。
子ども同士の活動も、相手のために役立っていると感じる場面が少ないため、かかわる意味を見いだせていません。子ども同士の活動が、受け身の状態から解放される息抜きの時間になっています。また、わかった子どもが一方的に説明している場面にも出会いました。当然説明する側のテンションは上がります。しかし、これでは説明される方はなかなか受け止めることはできません。聞く必然性、聞こうとする意欲を持たせることが必要です。

まず形をつくるのが先だと教師が思うようなことがあったのかもしれません。しかし、外から圧力をかけて行動を変えようとすることで、かえって子どもとの人間関係を壊してしまうこともあります。もう一度原点に戻って、子どもを受容し、認め、ポジティブに評価することを大切にしてほしいと思います。

これとは別の気づきがありました。デジタル教科書を使って授業をしているのですが、ディスプレイがとても小さいのです。ディスプレイは教室の前方右横に置かれています。ディスプレイに近い席の子どもは顔を上げるのですが、左後方の子どもは距離があるので手元の教科書を見ています。そのためかどうかわかりませんが、授業者はあまり子どもを見ていないようにも感じました。子どもの顔を上げるために使われている場面でこれでは「?」です。せめてディスプレイを黒板の前に持ってくればよいのでしょうが、じゃまになるからか物理的に無理なのか、授業はそのまま進んでいきました。せっかくの機器がこれでは活かされていません。対策を考えるべきでしょう。

いっしょに教室を回った先生方は、とても前向きな姿勢を見せてくれました。子どもへの指示が徹底しない、子どもが挙手しない、反応してくれないといった悩みも相談してくれました。実際に授業中の子どもたちのようすを見ながら何が起こっているのかを考え、具体的な授業技術についてお話をさせていただきました(「指示を徹底させる」「子どもの発言を引き出すには」参照)。とても素直に聞いてくれます。しかし、このような基本的な授業技術が共有化されていないことは問題です。先輩や同僚から学んでいるべきことです。また、授業研究のときとこの日のようすの乖離も気になります。授業研究が特別なものになってしまい、普段の授業と連動性のないものになっているのかもしれません。日々の授業の延長上に授業研究があり、そこでの学びを毎日の授業に還元していくことが大切です。
この学校での授業研究の在り方を振り返ってみる時期が来たのかもしれません。私自身もどのようにかかわるべきか、考え直したいと思います。多くのことを考えるきっかけとなった1日でした。

中学校の入学者説明会で講演

先日、中学校の入学者説明会で、保護者の方に子どもの中学期をどう支えるかについてお話をさせていただきました。昨年(中学校の入学者説明会で講演参照)とほぼ同じく中1ギャップについての話を中心におこないました。

中学校では、成績ではっきりと序列(定期試験の順位)がつくという状況に子どもが置かれます。今年はそのことについて少し詳しく話をしました。序列がつけば、必然的に半分の子どもができない方になってしまいます。うちの子の成績は普通でいいと保護者の方が思っていても、常に半分くらいの家庭では「もう少し頑張って」と言ってしまうような状況になるのです。自分なりに頑張っている子どもに対して、具体性のない「頑張って」はプレッシャーにしかなりません。「頑張って」の代わりに、どうすればよいのか「一緒に」考えようと寄りそってほしいのです。もう中学生だから「自分で」考えなさいと突き放すのは少し違います。ほっておいても子どもは親から離れていきます。だからこそ、苦しいときには寄りそう家族がいるというメッセージを伝えてほしいのです。保護者の方には、お子さんに対して無条件に「ここにいていい」と伝えてほしいとお願いしました。

また、「ありがとう」「うれしい」といった「I」メッセージで認める、ほめることに加えて、叱り方についても少し詳しく話しました。
悪いことをすれば叱らなければいけません。しかし、叱るべきはその行為であって人格ではありません。「あなたは、・・・だから・・・ダメだ」と「You」メッセージで叱るのではなく、あなたのしたことは「残念だ」「悲しい」と「I」メッセージを送ることを心がけるようお願いしました。

最新情報として携帯電話の世界が、ガラケー(従来の携帯電話)からスマホに大きくシフトしていることをお伝えしました。携帯電話各社の戦略で、今買おうとするとスマホの方が安く買えてしまいます。子どもはそれを理由にスマホを買ってもらおうとします。保護者の方にはスマホの世界をよくわかったうえで判断してほしいと思います。
昨年までは無料の携帯ゲームが大きな問題になっていました。携帯ゲームにはまって夜遅くまでやり続けるといったことも問題ですが、先に進むには有料で強力なアイテムを手に入れる必要があることも問題です。アイテムを手に入れるために他人のIDを盗むといったトラブルが起きたりしています。それに加えてスマホではフィルタリングがしにくいことも問題です。携帯電話会社のネットワーク経由での接続であればフィルタリングは可能なのですが、家庭でのWiFi接続であればくぐり抜けてしまいます。フィルタリングを設定したうえで、家庭のWiFiに接続しない以外に有効な手段はないようです。
また、最近話題の、無料で使えるLINEも子どもたちのトラブルの温床になっているようです。スマホを購入した学生のほとんどがLINEを利用するというデータもあります。しかし、このLINEについて、参加された保護者のほとんどの方がよく知らない状況でした。今まで問題となっていた掲示板や裏サイトの書き込みも、その存在を外から見つけることはまだ可能でした。しかし、LINEは複数の友だちと直接つながって通話やメッセージの交換ができるクローズドなものなので、そこでおこなわれることは外部から知りようがありません。悪口やいじめが起きやすいのです。また、IDを伝えれば知らない人とも同じようにつながります。これが危険なことは言うまでもありません。
しかし、時代の流れから子どもたちを完全に切り離すことは不可能です。保護者もアンテナを張って、常に最新の情報を得て対処し続けるのはとても大変です。最も有効な手段は、きちんと利用のルールをつくって守らせることです。ケータイやスマホの利用目的をはっきりさせて、他の用途では使わない。部屋では使わない。充電器は家庭のパブリックスペース(居間等)に置き、使わない時はそこに置いておく。ルールを破ったら一定期間使用禁止。こういうルールをつくって守れば、新しい技術にともなう問題が起きてもとりあえず対処できます。
そして、もう一つお願いしたのが、何でも話し合える関係をつくってほしいことです。万が一トラブルが起こっても相談してくれれば何とかなります。自分で解決しようとしたが、結局どうしようもなくなって、最後は保護者ではなく警察に相談にくるというパターンが非常に多いそうです。こういう点でも、子どもの居場所をつくり、寄りそう関係をつくることが大切になります。

保護者がうまく支えることで、子どもたちは落ち着いて生活することができます。家庭に居場所がある子どもはめったなことでは崩れません。私の話が、保護者と子どものよりよい関係づくりに役立てば幸いです。

学ぶことの多かった1日(その2)(長文)

学ぶことの多かった1日(その1)(長文)」の続きです。

3つ目は1年生の社会科で、初任者の南北朝時代の授業でした。
まず鎌倉幕府の滅亡の復習から入ります。人物にスポットを当て、後醍醐天皇、足利尊氏、楠正成を子どもに発表させました。彼らによって新しい政権がつくられたことを押さえて本時の課題に入りました。以前と比べてとムダの少ない導入です。進歩の跡が見られます。

建武の新政が短命に終わったことをもとに、「後醍醐天皇にアドバイスをしよう」が課題でした。子どもたちに考えさせようという授業者の気持ちが感じられます。根拠となる資料は3つのことが書かれていました。「武家を軽視した政治をおこなったこと」「農民の税が軽くなる期待が裏切られたこと」「二条河原の落書(このごろ都に流行りしもの・・・)」です。
最初は個人での作業でした。手がつかない子どもが目立ちます。資料を読み取れない(特に二条河原の落書はよくわからない)ことと、アドバイスを考えるための視点が育っていないことが要因でしょう。1度作業を止めて「建武の新政」という言葉の確認をしてから、4人グループにしました。資料の読み取りや、課題解決へのアプローチを考えることをせずにグループにするのなら、個人作業の時間を取らずに、最初からグループで進めてもよかったように思います。
このとき子どもの動きが遅いことが気になりました。課題に対してどうアプローチしていけばよいかがわからないために意欲が高まっていないのでしょう。また、これに限らず、指示に対する子どもの動きが遅い傾向があります。指示をした後、徹底できるまで待とうとするのですが、待ちきれずに進んでしまうことが原因に思えます。たとえば板書を素早く写さなくても、次の場面に移っても写しつづけることができれば困りません。全員が終わらなければ次に進まなければ、みんなに迷惑がかかるのでのんびりはできません。指示を徹底するというのは、友だちを意識させ、人間関係をつくるという要素もあるのです。

グループになると、自分の答を持てた子どもを中心に話が進みます。「まず、うまくいかなかった理由を考える必要がある」と考え方を話しているグループもありましたが、少数です。やはり、アプローチの方法を全体で共有する必要があるように感じました。各グループの結論は、後醍醐天皇の施策を否定しただけの「武家を大切にする」「税金を上げない」というものでした。
全体での最初の発表は「武家を大切にする」という視点のもの1つだけでした。他のグループは税金のことも取り上げています。このグループは気づかなかったのか、あえて取り上げなかったのかも知りたいところです。税金を不満に思うのは、力の弱い農民だから関係ないと考えたかもしれないからです。
発表が終わると拍手が出ます。拍手が出ることは悪いことではないのですが、形式的になっています。なぜ拍手したのか、どこがよかったのかを常に問う必要があります。次々と発表させるのですが、1つの発表をきっかけに子ども同士をつないで考えを深める場面はありませんでした。「なぜ武士を否定するといけなかったのか?」という揺さぶる問いかけをしましたが、時間もほとんど残されていなかったので「鎌倉幕府を一緒に倒したのに否定されたらどう思う?」と感覚的なことを根拠にまとめてしまいました。

「後醍醐天皇のおこなったことは何か?」「それは誰にとってどうだったのか?」を資料から整理して置くことがまず必要です。「なぜ、後醍醐天皇はそうしたのか?」という観点も大切です。これらを根拠に、失敗したのは方向性が間違っていたのか、それとも施策が間違っていたのか明確にし、その上でアドバイスを考える。このようなアプローチを意識して授業を組み立てる必要があります。子どもが育ってくれば高いハードルでも超えることができるようになりますが、今の段階では一度活動を止めて、資料の読み取りや、アプローチの方法を共有することが必要だったと思います。

最後に、「政治(権)が長続きするコツ」を考えることを課題としましたが、時間がないためそこで終わってしまいました。この課題も子どもが考えるという意味では、なかなかよいものです。これを最終の課題にするならば、前半の時間があまりにももったいないように思います。建武の新政に関する事実を早い段階で整理し、そのことを根拠に最後の課題に取り組ませるべきでしょう。また、最初の復習も、鎌倉幕府を滅亡させた人物ではなく、滅亡した理由の確認にした方がよかったように思います。2つの政権が倒れた理由を比較することで、政権が長続きするための要因がより明確になるからです。

以前と比べて授業の目指す方向がよくなってきました。考えるための課題を意識するようになったことは進歩です。だからこそ、より深い教材研究が求められます。子どもたちが考えるために必要なものは何かをしっかり意識することが大切です。それは、資料を読み取ることであったり、考えるための視点やアプローチの方法だったりします。それを子どもたちから引き出すのか、思い切って教えるのかの判断も必要です。子どもが考えることを大切にして授業に臨み、子どもの事実から学ぶことができるようになれば、大きな進歩が期待できます。授業者が今後どのように変わっていくかとても楽しみです。

最後の授業は、同じく1年生の社会科で、ベテランの室町時代の授業でした。
コの字型の机の配置で子どもとのやり取り中心で授業が進みます。最初は南北朝時代の復習です。子どもたちに「室町はどこにある?」「京都にいた醍醐天皇はどうした?」と、ポイントとなる事実や用語を確認していきます。ほとんど全員が口を開けて答えてくれます。前回の授業の内容がよく定着していることが感じられます。その理由はすぐにわかりました。子どもたちが、教師や友だちの言葉を実に真剣に聞いているのです。
復習しながら、足利尊氏と後醍醐天皇の肖像画を貼ったあと、足利義満の肖像画を黒板に貼りました。

この日の課題は「足利義満がどのような思いで政権をにぎったか?」というものです。なかなか答えにくい課題です。授業者は3分間で考えるように指示しました。教室には子どもたちが持っているのとは別の資料集がたくさん用意されています。子どもたちは慣れたようすで、いろいろな資料集を見ています。パラパラと眺めているだけの子どもは見当たりません。すぐに目的の場所を探し出し集中して考えています。資料を基に考えることが定着しています。わずか3分で子どもたちは考えることができるのだろうか、この後の展開が楽しみです。

授業者は教壇の横に座り、柔らかい口調と笑顔で子どもの意見を聞き始めました。目線を低くすることで子どもが話しやすいようにしているのです。この学級で特徴的なことは、子どもからたくさんの言葉が出ることです。紋切り型で正解を言おうとするのではなく、一生懸命伝えようとしているのです。言葉に詰まったり、混乱したりすることもあるのですが、授業者がうなずきながら笑顔で待ってくれるので子どもたちはそれに応えようと一生懸命言葉を続けようとします。他の子どももしっかり見守っています。どうしても言葉が出てこなかった時にも、授業者は必ず「ありがとう」と言って終わります。子どもがネガティブな気持ちにならいように配慮しています。「教科書の・・・に書いてあることから、・・・」と何のどこを根拠としたかを明確にして発表する子どもも多くいました。それに応じて、子どもたちの手が教科書や資料を探します。全員が発表したわけではありませんが、発表しなくてもちゃんと参加していることがわかります。学習したことが定着するわけです。
また、授業者が子どもをよく見ていることもわかります。挙手しなくても、友だちの意見に反応して動きのある子どもを指名します。教師が話すことばかり意識していると子どもが見えなくなります。聞くことを大切にする姿勢が子どもを見ることにつながっています。
子どもから「経済」という言葉が出てきました。この時間では詳しく扱わないのですが、繰り返し強調しました。別の時間に、室町時代に経済が発達したことを扱うのでその布石です。おそらく、「前の時間○○さんが言ってくれた・・・」と固有名詞を出して取り上げることと思います。子どもの言葉をとても大切にしていることがよく伝わります。
義満が「征夷大将軍」「太政大臣」「法皇」になったということが「公家」「武家」「寺門」の最高位となったということを意味すること、日明貿易とからんで明から日本国王の印を授かったことを押さえて、そこから義満の思いを想像させました。想像なので明確な答えは出さずに終わりましたが、室町文化の「公家」「武家」「寺門」の融合という特徴や室町時代の経済の発達につながっていく内容でした。

子どもから何が出てきても受け止めて活かそうとする授業者の姿勢と、それによって子どもたちが安心して参加していることが印象的な授業でした。

授業者には、子どもが途中で詰まったときに少し待ちすぎたように感じたこと。他の子どもが真剣に聞いているので、「誰か助けてくれる?」「○○さんの言葉に続けてくれる人いる?」とつなげてもよかったこと。子どもは義満に関する事実を見つけていたが、時間が少なかったため一人では多くを見つけることができていなかった。そのため、義満の思いを考えるのに苦労していた。発表の際、子どもたちが根拠となる事実を話したあとで言葉に詰まることが多かったことからもうかがえる。まず事実だけを発表させ、発表された複数の事実を組み合わせて思いを想像させてもよかったのではないか。そう伝えました。
この先生の授業を3年見続けてきましたが、子どもの言葉で授業をつくる力がずいぶんついてきました。何があっても崩れない安定感を感じます。素晴らしい進歩をとてもうれしく思いました。

この日の4つの授業から本当にたくさんのことを学ぶことができました。どの先生も前向きに取り組んでいるからこそ学ぶことが多いのです。先生方に感謝です。

学ぶことの多かった1日(その1)(長文)

昨日は中学校で4つの授業のアドバイスをおこなってきました。

1つ目は、友だちをテーマにした道徳の授業でした。
用意された資料は、罪を犯したらしい人物とその3人の友人の話です。3人がそれぞれ「逃がしてやる」「自首を勧めるが、聞き入れなければ見逃す」「自首を勧めるが、聞き入れなければ警察に通報する」という対応を考えるというものです。
子どもたちの笑顔が気持ちのよい学級でした。授業者が資料を音読する間、実に真剣に聞いていました。授業者と子どもの関係がよい証拠です。資料を音読後、3人の対応について指名で聞いていきました。資料を読み取れていたかの確認と、全体での共有のためでしょう。子どもは資料を見ながら答えていました。もちろんある程度頭の中には入っていたのでしょうが、子どもが資料の世界にまだ入りきっていないということでもあります。国語の時間のように客観的にとらえる必要はありません。道徳ではできるだけ早く自分の問題としてとらえることが大切です。資料を読みながら、立ち止まって一人ひとりの対応を強調したり、子どもに問いかけたりすることで教師が整理して伝えてよいのです。資料を読み取るのが目的ではなく、子どもの考えるための手段だからです(道徳で大切にしたい問いかけ参照)。

最初の課題は、自分ならどうするかというものです。「どの人物の考えに近いか」と「その理由」をワークシートに書き、自分の名前を書いた付箋紙を人物ごとに黒板の指定された場所に貼りつけました。
授業者は続いてグループで自分の考えを発表するように指示しました。子どもたちは素早くグループで考えを発表します。子どもたちの体はやや立ち気味で、テンションも次第に上がってきました。この場面は発表することが主目的になっているため、子どもたちにとって聞くことの意味があまりないことが理由でしょう。次のグループ活動がどうなるか気になります。
グループの活動終了後、「逃がしてやる」という1名しかいなかった意見をまず聞きました。発表を聞いて子どもたちから反応があります。「すげぇ」と言った子どももいました。ここは、反応した子どもたちに意見を聞きたいところです。しかし、授業者は、次の「自首を勧めるが、聞き入れなければ見逃す」という意見の子どもを指名しました。予め進め方を決めているとどうしてもそれに縛られる傾向があります。子どもの反応に柔軟に対応することができるようになりたいものです。次の発表では、「友だちとして」という言葉使われました。これはキーワードとして使える言葉です。どの子どもも「友だちとして」こうするべきだと考えているはずです。ですから、子どもの意見に対して「友だちとして」どう思ったか問い返していくことで、互いの考えがつながり深まるはずです。また、「グループの話し合いで意見が変わった」という言葉もありました。これも、その理由を問い返したいところです。しかし、授業者は何人かを指名し、同じ意見の人を挙手でつなぐだけで深くは切り込みませんでした。

次に、3人の登場人物について共通のものは何かをグループで話し合いました。今度はグループで結論を出す必要がありますから、子どもたちは額を寄せ合って話し合っています。テンションも先ほどのグループ活動ほど上がりません。よい姿でした。しかし、子どもたちは、「自分たち」の考えではなく「3人の登場人物」の考えに共通なものを考えるので冷静です。道徳では、自分に引き寄せて考えることが大切です。この場面で子どもは課題と距離を置いてしまいました。登場人物ではなく、「自分たちに」共通とすればもう少し様子は変わっていたかもしれません。
子どもたちの発表は、整理された言葉が続きます。ところがある子どもがうまく発表できません。いろいろなレベルのことが一緒になってしまい、話が同じところをぐるぐる回っています。自分の気持ちと登場人物の気持ちがごちゃごちゃになっているようにも見えました。ここは教師が問い返し、整理しながら、子どもの思いを明確にして、学級全体で共有したかったところです。この意見を突破口にして再び自分たちの問題として考えさせることができたように思います。あとで聞いたところ、この子どもは人間関係で苦しんでいた時期があったそうです。そのために、自分の思いが強く出てしまったようです。なるほどと思いました。

最後は、自分にとって「親友」とは何かを書かせて終わりました。時間がないため、このことについては話し合うことはできませんでした。先ほどの場面で、少し距離を置いて見ていたので、なかなか自分の言葉が出てこなかったのではないかと思います。また、「親友」という言葉はここで初めて出てきた言葉です。子どもたちが唐突に思ったかもしれません。この課題を意識するのなら、子どもたちの中から「親友」という言葉を引き出しておく必要があったように思います。

授業者には、優等生的な答ではなく、子どもの本音がでてくるような展開を意識してほしいことを伝えました。そのためには、揺さぶることが必要です。この授業であれば、罪を犯した友人の立場で見ることが有効だと思います。「じゃあ、罪を犯した友だちは、どう思うかな?」と問いかけることで、相手のことを「思っている」というのが、相手から「どう思われたいか」の裏返しになっていることもあると気づかせることができるかもしれません。考えを受容するだけでなく、ときには物わかりの悪い人間や反道徳的人間を演じることも大切です。

実はこの授業中に、別のドラマがありました。最近になって登校できるようになった子どもがいました。窓際の席に座っていますが、授業には全く参加しません。時々周りに見せつけるように顔を教室の内側に向けてあくびをします。最初のグループ活動の時に、授業者が机を寄せて参加するように促しました。しかし課題に取り組んでいないので発表できる状態ではありません。そのままじっとしていました。グループ活動が終わると、今度は身体を窓の方に向け、とうとう机にふせってしまいました。
次のグループ活動のときです。今度の課題は共通のものは何かを考えるというものです。少し離れているのでよくわかりませんが、グループの子どもは意見を聞こうと話しかけたようです。どのようなやり取りがあったのかわかりませんが、とても素敵な笑顔が浮かびました。それを見ている他の子どもたちも全員笑顔です。グループ活動の間、体を前に向けて他の友だちの話をよい表情で聞いていました。
グループ活動が終わったあと、また面白くないという表情になり、しばらくしてふせってしまいました。この子どものことだけを考えれば、グループの形のまま発表に移った方がよかったのかもしれません。ところが、説明が混乱した子どもの発言に反応しました。まわりの子どもが反応したのにつられたのかもしれません。耳に入った内容が何かしら心に引っ掛かったのかもしれません。顔を挙げて発表者の方に体を向け、まわりの子どもと同じように笑う場面もありました。子どもたちの持つ力を見せつけられました。学校に出てくるということは、居場所を求めているということです。わざとらしいあくびといった態度は、自分の存在に気づいてほしい、かかわりたいという気持ちの表れのようです。教師が自分との1対1ではなく、グループにつなげるようにしたことがきっかけとなって、友だちとかかわることができ、笑顔が引き出せました。今後も友だちとつながる経験を少しずつ重ねて、学級の中に居場所ができていくことを願います。

2つ目は英語の授業でした。教師経験1年目の講師の方です。
とにかく少しでも多くの子どもに授業に参加してもらいたい。その気持ちが最初の10分間に現れていました。この単元で取り上げる表現が日本語の歌詞となっている曲を準備し、その曲名をヒントから考えさせたり、歌を聞かせたりと子どもの興味を引く工夫をしていました。しかし、これは学習と直接関係のない活動で、しかも無責任に発言できるため一部の子どものテンションがどんどん上がっていきます。よく観察すると、授業者の思いとは裏腹に、このテンションについていけない子どもが白けて、表情がどんどん悪くなり、視線もだんだん下がっていきます。この10分間はかえって逆効果になっていました。一部の元気な子どもだけで授業が進んでしまうと、それ以外の子どもの気持ちが授業者と離れてしまいます。子どもとの人円関係が苦しくなっているのを感じました(テンションを上げすぎないテンションが上がる理由参照)。

授業が進むにつれてそれが明確になっていきます。コーラスリーディングでもまったく口を開かない子どもがたくさんいます。個別に注意したいが、そこで時間を使うと進まなくなるので我慢しよう。常に笑顔をつくっているのですが、その裏にある苦しい気持ちが痛いほど伝わってきます。
「速く読めるようになろう」「意味を理解しながら読もう」・・・。目標は提示されるのですが、どうすればできるようになるかはわかりません。読めない子どもに「速く読め」と言ってもどうしようもありません。「意味を理解しながら」といっても確認する手段もありません。子どもからすれば「やれ」と言われるだけで、できるようになる見通しがありません。参加できない子が多いのも当然なのです。
「速く読めるようになろう」「意味を理解しながら読もう」と何度も読む練習をした後は、覚えているかどうか、教師の示す日本語を英訳して書くことでチェックしました。これも問題です。「読める」ことを目標とした活動の後のチェックが「書ける」では、一生懸命に練習してもその成果が現れません。努力が評価につながっていかないのでやる気がなくなってしまいます。
個人で速読の練習をして、どこまで読めたか自分にチェックさせます。それをペアで確認させます。進歩していたらほめるように促しますが、見せない子どもがたくさんいます。それは当然です。何もかかわっていない友だちにチェックされるのは嫌に決まっています。試験の結果を見せろと言っているようなものです。速く読めるように友だちが助けてくれていて初めてペアでの評価が成り立つのです。
全体での練習で、2度答えさせたあと「みんなよくできました」と評価しました。確かに少し声が大きくなったのです。しかし、口が開いていない子どもがたくさんいます。それなのに、「みんな」と言ってしまえば、その子たちは、自分は「みんな」に入っていない、先生の目に私は入っていない。そう思うのです。参加できない子どもたちとの溝はますます深まっていきます。
また、居眠りをしている子どもを元気のいい子どもが名指しで非難する場面がありました。それを受けて授業者は、「眠たいけど頑張ろう」と、指摘を追認するような発言をしました。子どもたちは先生が元気のいい子どもの側に立っている。そう感じます。子ども同士の関係も悪くなっていきます。少なくとも、非難めいた口調をたしなめることは必要です。

授業者に子どもたちにどうなってほしいのかをまずたずねました。授業に参加してほしいと思っているが、わからない子が参加できない。わからない子どもが多いため、個別対応するにも時間が足りない。しかし、以前よりも参加する子が少し増えたように思う。そう答えてくれました。自分でもよくわかっているのです。そんな中で笑顔だけは忘れないようにしていることがどれほどつらいことか、痛いほど伝わってきます。「以前よりも増えた」も大きな落とし穴です。元気のいい子どもの発言ばかりを受け止めているので、その子たちが勢いを増しているのです。そのため、参加している子どもが増えているように感じてしまったのです。その陰でより深く沈んでいる子どもが増えているのです。
厳しいですが、このことを指摘しました。講師ということもあり、一人で抱え込んでいたのだと思います。この状況を急に変えることは難しいことです。しかし、子どもに寄り添い、一人ひとりを大切にしようとしていることを伝えながら、全員が参加できる、わかる、できるようになるためのスモールステップを意識した課題を設定して、少しでも多くの子どもを認める場面をつくってほしいと思います。熱心で力のある同僚もたくさんいます。具体的にどうすればいかのアドバイスをしていただけるようにお願いしました。

この学級のようすは、この授業だけのことなのか気になりました。授業後、担任とそのことを少し話しました。するとわざわざ時間をとって「どういうことかもう少し聞きたい」と話をしに来てくれました。
子どもたちの人間関係がよくない、一部の攻撃性の強い子どもが場の雰囲気を支配している。これは、この授業以外でも思い当たる節があるそうです。この学級は年度当初からコミュニケーションが苦手な子どもが多かったようです。給食の時間でもあまり話をしなかったということです。一方、時間にルーズだったり、規律を守れない傾向もあったりしたようです。規律を守れない子どもを叱ったりする場面も多かったようです。担任は小学校経験が長く、子どもとの人間関係をつくることはとてもうまい方です。子どもと1対1ではうまくコミュニケーションもとれています。小学校では1日中学級の子どもと接することができるので、一人ひとりと関係をつくれていれば、全体をコントロールすることはそれほど難しいことではありません。しかし、中学校では勝手が違います。意図的に子ども同士をつなぎ、人間関係をつくることを意識しなければなりません。遅刻してきた子どもを叱るにも、それなりの工夫が必要です(規律を守れなかった子どもの指導参照)。このようなことを少しアドバイスさせていただきました。わざわざ時間を取って話をしに来てくれるような方です。きっと自分なりの工夫で学級をよい方向にもっていってくれることと思います。

この日は、とても学ぶことの多い1日でした。この続きは「学ぶことの多かった1日(その2)(長文)」で・・・。

「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」会場打合せ

昨日は「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の会場との最終打ち合わせでした。愛される学校づくり研究会の会員で、フォーラムに協力いただいているEDUCOM社からはたくさんの社員の方に参加いただきました。撮影をお願いするメディアワークスさんも交え、機材のセッティングや照明の仕込み、舞台音声の収録といった大きなことから、受付会場のセッティング、会場での飲み物やパネラーの弁当の手配、案内板の設置といった細かいことまで、2時間近くかけておこないました。

こうしたイベントでは表舞台に立つ人間以外にも実にたくさんの裏方が必要になります。
舞台に写すPC映像の作成、切り替え。照明の切り替え指示。会場への案内。受付。クロークでの荷物管理。・・・
打ち合わせをしながら、あらためてその仕事量に圧倒されます。これらのほとんどをEDUCOM社の社員の方が引き受けてくださいます。決して目立たない、目立ってはいけない仕事をいやな顔一つせずに明るく進めていく姿から、研究会のメンバーとして、また立場は少し違っても学校教育にかかわる人間として、このフォーラムの意義を理解し成功させようとしていただいていることが伝わってきます。受付担当は遅れて来場される方のため、開催中も受付場所から離れることができません。受付だけではありません、多くのスタッフがフォーラムにかかわりながらも舞台を見ることがかなわないのです。感謝以外の言葉がありません。

大人の社会ではEDUCOM社の社員の方のように、スポットを浴びなくてもそのモラルに支えられて意欲的に活動していただける方がたくさんいます。目を転じて子どもの世界はどうでしょうか。大人と同じように、目立たなくてもほめられなくても、きちんと与えられた仕事、やるべきことをこなしている子どもがいます。しかし、子どもの心は芽を出したばかりの草花のように小さくか細いものです。ほめるという光を当て、仲間が認めるといった水や肥料をやらなければ萎んで枯れてしまいます。教室の片隅の小さな草花にも目を届かせ、光と水、肥料を与え、育てていくことも教師の仕事です。EDUCOM社の社員の方もそんな教師と出会って育ってきたからこそ、このお仕事に就かれたのかもしれません。そんなことを考えました。

フォーラムまで1月を切りました。メンバー総出で、当日配布資料の原稿作成、寸劇の準備などを進めています。参加された方に少しでも多く満足していただけるよう、会員一同、本業の合間を縫って頑張っています。残り座席もあとわずかになってきました。申し込みがまだの方、もしお時間があればぜひご参加ください(申し込みはこちらから)。

学び合いの形を考えた授業(長文)

昨日は中学校で授業アドバイスと研究協議会での助言をおこなってきました。子どもたちの学び合いを進めている学校です。市松模様の4人組でのグループ活動に加えて、子どもたちが相手を自由に選んで聞きあう活動も取り入れています。これは、4人組ではうまく話せない子どもがいるために、仲のよい友だちであれば話し合えるのではないかという発想です。

授業アドバイスは、理科の講師の授業でした。2年生の静電気の単元でした。今年度初めて教壇に立った方です。ワークシートを中心に授業を進めているのですが、その空欄を埋めることが目的化しているように感じました。子どものどのような姿を目指しているのかが授業からは伝わりません。子どもに何を考えさせたらいいかが明確でないため、一方的に子どもたちに説明し続けます。実験を見せる場面では、子どもたちは「おおっ」と反応はしてくれます。それはショーを見ている観客の反応と同じです。そこで、子どもたちに気づいたことや、疑問を問いかけることはしません。ただ見ただけ終わってしまいました。その後また、授業者の説明が続き、ワークシートの問いの答えを埋めることを学び合いの課題としました。実験から考えるというよりも教師の説明がすでに答になっているような問いでした。すぐに答が出る子どもはたくさんいます。塾などで習っていれば模範的な解答はすぐに作れます。学び合いで友だちに聞きに行く場面では、わかっている子の答を写す姿が目立ちました。説明を聞いても問い返す子どもはほとんどいません。しだいに子どもの輪が大きくなって、説明する子どもの声が大きくなってきます。聞きあい考えを深めるという姿から遠いものになっていきました。
全体でのまとめの場面で、「正解に近い人もいる」と発言しました。これでは教師が神様になってしまいます。子どもたちは教師の求める答探しをし始めます。自分の考えをまとめることに価値がないのですから、学び合いの時間は半ば息抜きの時間と化していきます。教師の求める答ではないのですが、実験から言えることが発表されました。授業者は求める答ではないけれど、そういうことも言える、面白いと評価しました。しかし、発表者は正解よりも低い評価をされたと感じたようでした。表情は明るくなりませんでした。
結局、1時間の授業の中で学び合いの時間以外で子どもの意味のある発言はたった2つでした。

また授業とは直接関係ありませんが、授業が始まる前に子どもたちが席を立って、いくつかの小集団に分かれて時間を過ごしていたことも気になりました。学び合いを進めている学校では、座席の位置で話し合うことが多いために自然に周りの友だちと人間関係ができてきます。ですから、授業の開始前はあえて別の集団をつくらなくても、自分の座席で周りの子どもたちと談笑できるのです。子どもたちの人間関係がまだできていないのではと思いました。

授業後、他の理科の先生方と一緒にアドバイスの時間を持ちました。授業者が理科の授業で目指す子どもの姿を持てていないことが一番の問題です。そこをまず授業者に問いました。授業者は素直に持てていないことを話してくれました。自分でもどうあればいいのかわからないまま今日まで過ごしてきた。そのことから逃げてきたとも。とても、好感の持てる態度でした。授業者の中でイメージがないのです。先輩やまわりの仲間と授業を見せ合ったり、授業について話し合ったりする機会もなかったのでしょう。決して授業者個人の問題ではありません。組織としてどう育てていくのかを考えることが必要だと思います。同席したベテランの先生方には教えることを、若手の方には聞きに行くことをお願いしました。授業者は明日から逃げずに向かっていきたいと言ってくれました。今後の変化に期待します。

授業研究は1年生の国語の授業でした。事件の後の主人公の気持ちをまとめる場面でした。
本文を印刷しただけのワークシートを使いました。純粋に子どもたちの作業のためのものです。根拠となる1文に線を引きそこからわかる気持ちを横に書くように指示します。個人での作業のあと、友だちに聞きに行きます。ワークシートに書かれているので、多くの子どもは友だちのワークシートを見て写します。中には自分のワークシートは見せることはせずに、友だちのもの写すだけという子どももいます。自信がないのでしょう。学び合いを成立させようとするには、間違いやわからないことが悪いことではない、むしろ良いことだという価値観を持たせる必要があります。この価値観を持たないまま学び合いを進めているところに苦しさを感じました。また、情報集めに終始していて、なぜそう考えたのかといった理由を話し合う子どもの姿はそれほど多くはありませんでした。

全体の話し合いの場面はコの字型の配置でおこないました。子どもたちの相互指名で進んでいきます。発表の後「他には?」という話型で聞きます。答える側は「○○さんと同じで、・・・」「○○さんと同じ場所で、私は・・・」「○○さんと違うところで、・・・」の3つのパターンのどれかです。同じ1文に対して、同じ意見、違う意見、違う1文に注目しての意見の3つです。ランダムに指名されこのどれかの意見が発表されます。これでは、聞いている方は混乱します。考えが深まりません。このような進め方しかできないのであれば、相互指名は無意味です。「同じ考えの人」とつなげ、同じ文でも「違う気持ちと考えた人」の意見を聞き、「その意見に対してどう考える」と深めていくことが求められます。これは、教師でも難しいことです。少なくともそういう進め方を指導していなければなりません。子どもの挙手の仕方も気になりました。「他には?」と言った後すぐに手が挙がることが多いのです。これは、相手の発言の途中で、自分の言いたいものが3つパターンのどれになるかを判断してすぐに挙手できるように準備しているからです。子どもたちは明らかに発表することに価値を置いています。そうではなく、友だちの意見を聞いて考えることに価値を置く必要があります。そうすれば、友だちの意見を消化する時間を取るため、手の挙がるタイミングは遅くなっていきます。結局子どもたちの考えが絡み合い、深まることはありませんでした。

最後に授業者がまとめるのですが、「みんないろいろいいことを言ってくれた」という評価だけで授業者の言葉でまとめていきました。「みんな」という言葉は逃げの言葉です。固有名詞で、誰のどの発言か評価しなければ自分が評価されたとは思いません。教師の言葉でまとめられていくのでは、自分の言葉でまとめることに価値はなくなります。教師の求める正解探しになっていきます。教師がまとめるのであっても、その言葉は子どもからでてきたものであるべきです。「○○さんがこういってくれたよね」と固有名詞を挙げて、その言葉をそのまま使ってまとめるのです。教師が一人ひとりの意見をしっかり聞いておかなければそう簡単にはできません。教師がしっかり聞く姿勢を見せることで子どもたちも聞くようになるのです。もし固有名詞が出なければ、「・・・と言ってくれた人がいたね。だれだっけ、覚えている?」と子どもに聞けばいいのです。こうすることで、友だちの考えをより意識するようになるのです。

また、この学級の子どもたちの雰囲気は決して悪いものではないのですが、授業の開始前に「バカ」といった攻撃的な言葉を耳にしました。子どもたちが自己有用感を持って安心して暮らせる環境にはまだなっていないのかもしれません。この学校の先生方が子どもをポジティブに評価する場面が少ないことと関係があるようにも思いました。

授業検討会は、全体でおこなうものでした。共有化し全体で考えるべきよい意見や気づきが出てきましたが、時間の関係もあって次の話題に移っていきます。授業と同じく焦点化して学びを深めていく必要があります。
友だちに聞きに行く場面で子どもたちが素早く動いていたという気づきがありました。それに対して担任から、素早く動いていたのは上位の生徒であるという指摘がありました。彼らは仲のいい友だちというよりは、力のある友だちを選んでいるというのです。効率的に情報収集をしているというわけです。担任の目はさすがです。話し合うよりも答さがし、答を写すことが中心になってきているのです。また、市松模様の4人組では隣が異性なのでなかなか話し合わないという意見もありました。そのために、聞きやすい友だちに聞きに行く形をとったわけですが、その結果が4人組で話し合うことができることにつながっていくのかも問われることです。
これらの意見を受けて私からは次のようなことを話させていただきました。
聞きに行く形では、じっくり話し合うことはしづらい。ともすれば、誰かを中心に人が集まってしまい、一方的な説明会になってしまいます。適正な人数でじっくり聞きあうようにコントロールすることはなかなか難しく、また、話し合いがしづらいことから、課題が一定数の子どもがすぐ答えを出せるようなものにならざるを得ない傾向があります。この形態から出発して、子どもたちが4人組で誰とでも話し合えるようになる道筋を考える必要があります。子どもたちに話し合う必然性を持たせること、話し合ったことに意味がある、役に立つという実感を持たせることが必要です。そのためには、教師の価値づけが大切です。わからないと聞けること、間違いを大切して評価することを通じて、安心して自分の考えを言える、間違えることができる教室にすることが必要です。

先生方はとても熱心に話を聞いてくださいました。特に、授業の場面をとらえて具体的に受け止め方や進め方といったスキルを示すととてもよい反応をしてくださいました。こういった授業技術を整理してお伝えする時間も必要なのかもしれません。先生方の反応がよいためついつい時間をオーバーして失礼なことをしてしまいました。反省です。

これからこの学校としばらくおつき合いさせていただけそうです。素直で前向きな先生方がたくさんいらっしゃいます。目指す子どもの姿をより明確にして、その姿と学び合いの形、あり方の関係を整理することが必要と感じました。この学校のお手伝いをさせていただくことで、私も学び合いについてより深く学べると感じています。これからがとても楽しみです。

1年間の成長を感じた授業

先週末は、中学校の理科の授業アドバイスをさせていただきました。昨年度もアドバイスをさせていただいた方です。昨年度は小学校から中学校へ異動されたばかりで、戸惑うことが多かったように見受けられました。1年たってもう一度授業を観てもらいと手を挙げてくれたそうです。こういうチャレンジ精神はとてもうれしいことです。授業を見せていただくのがとても楽しみでした。

この日は、2年生の静電気の実験の場面でした。
最初の復習場面での子どもたちとのやり取りから、一人ひとりの発言をしっかりと受け止めようとしていることがよくわかります。発言をポジティブに評価しようとする姿勢も見られます。子どもたちとの関係もよいことが、子どもたちの表情からうかがえます。次の課題は、受け止めた発言を他の子どもにつなぐことです。「今の意見はどう?」「なっとくした」といったつなぐ言葉を意識するとよいでしょう。

面白い場面がありました、指名された男子が答えられなかったところ、隣の座席の女子が自分のノート見せて助けてあげたのです。男子は、最初はちょっと拒絶するような姿勢を見せていましたが、そのノートを読み上げて答えてくれました。男女の関係もよいことがわかります。よい場面です。ここで授業者は助けた女子をほめたのですが、答えた男子は評価しませんでした。確かに友だちのノートを読んだだけなのですから、評価に値しないようにも思います。しかし、友だちの助けを借りても答えようとした姿勢はほめるべきことです。「助けてもらってよかったね。答えてくれてありがとう」といった言葉をかけてほしかったところです。

実験の説明は教師が話すことが多かったのですが、子どもたちはしっかりと集中して聞いていました。ここでも子どもとの関係のよさが見られます。
子どもたちは笑顔で実験に取り組んでいました。男女も額を寄せ合いながらよく話し合っています。授業者は机間指導の間ずっと笑顔を絶やさずにいました。質問に対してそこでミニ授業を始めたりすることもなく、子ども同士で解決させるように働きかけたりもしています。子どもたちの様子からは、安心して授業に参加していることがよく伝わります。授業者の姿勢がこの雰囲気を作り出していることは間違いありません。昨年度は指示がなかなか徹底しなかった場面がありましたが、今年は違います。実験を終了してワークシートに考察を書く場面への切り替えの指示も実にスムーズでした。たまたまではありません。子どもたちが楽しく取り組んでいるときはなかなかやめようとはしないので、次への指示は徹底しないものです。これが徹底できるということは日ごろから指示が通るように指導している証拠です。昨年度の課題をクリアしようと意識していることがよくわかります。

考察を互いに発表して参考にするように促しますが、一部のグループを除いて中々発表し合えません。個人で一生懸命に考えているのですが、書けない子どももたくさんいます。行き詰って集中力が切れかけている子どもでてきました。書けていない子どもは発表できません。書けている子どもも、他の子どもがまだ考えている様子であれば、それを中断して自分の考えを発表はしません。ここは、「困ったら、聞き合って」とわからない子どもが自ら他者に働きかけるように指導していかなければならない場面です。

ここでも面白い場面がありました。考察が白紙のままの子どもに、「教えてもらったら」と授業者がつなぐ働きかけをしました。その子どもは、友だちに声をかけ書いている内容を読もうとしました。それを見届けて授業者は移動したのですが、友だちのワークシートを見ようとする行動を中断させる、ちょっとしたことが起こりました。子どもは気をそがれてしまい、また声をかけられた子どもも自分の作業に集中していたので自分からは働きかけようとせず、そこでつながりは切れてしまいました。声をかけた子どもは、またじっと自分のワークシート見たまま動きが止まってしまいました。アクシデントが原因ではあったのですが、授業者は声をかけられた子どもにも働きかけておくべきだったのです。「○○君聞けたね。いいよ」「○○君が聞いているよ。しっかり教えてあげてね」と2人をしっかりつなぐことが必要なのです。

実験は静電気を使って蛍光灯を光らせるというものだったのですが、教師が目的を明確にしなかったため、いろいろな方法で作った静電気で蛍光灯が光ることを確認することが目的となってしまいました。前回学習したいろいろな静電気の作り方を活用するということはわかるのですが、その結果から何を知ろうとするのかが明確でないため、子どもたちは考察に何を書いていいのかわからなくなっていました。

電極に火花が飛んでいたことに気づいた子どももいます。
反対側の電極を持っていた子どもで、手がビリッとした子どももいます。
蛍光灯が電極の周りだけでなく、全体が光ったことに気づいた子どももいるかもしれません。
静電気をたくさん蓄えようとしているグループは、明るさの違いに気づいたかもしれません。

教師が事前に目的を明確にしなくても、子どもから出てきたことから課題を見つけさせることもできます。この実験のように簡単に中断させることができるものであれば、考察までずっと実験を続けるのではなく、いったん止めて、気づいたことを発表させるとよいでしょう。先程の気づきを共有することで、子どもたちの視点を増やすことができます。
「火花はなんだったんだろう」「どうして、ビリッとしたのだろう。そのことから何が言えるのだろうか」「全体が光ったのはなぜだろう」・・・
こういう疑問もって再度実験することで、この実験のねらいに自然に近づくことができます。

静電気(電子)が流れることで電気を流すのと同じことが起こる。
ビリッとしたのは、手に電気が流れたからだ。
・・・

考察もしやすくなったはずです。

また用語についても少し気になりました。「電気」という言葉が理科の用語として明確になっていないことです。「電気」は私たちが日ごろ使っている日常用語です。そのため定義を明確にし、意識して使うことが求められます。子どもたちは「電気」と「電子」の2つの言葉を使っていました。教科書は「電気」を使っています。「電気」の実体は「電子」で同じだからいいと言ってもいいのかもしれませんが、少なくとも教師は「現象面」とその「実体」といった違いや教科書が「電気」を使っている意図を理解しておく必要があります。

授業後にアドバイスをさせていただきました。授業の基盤である人間関係がよくなってくると課題が明確になります。私の提示する課題を素直にかつ前向きに聞いてくれました。この姿勢がこの1年間の成長の原動力だと思います。
子ども同士をつなぐという課題は、何とかクリアしていけそうだが、理科の実験の扱いといった教材研究の面に関してはうまくできるか自信がないと、気持ちを素直に話してくれました。その通りだと思います。教科面に関しては、長い積み重ねが必要になります。日々、意識して教材研究をし続ける以外に特効薬のようなものはありません。もしあるとすれば、同じ教科の先生方同士で教科内容について話し合い、学び合うことを日常的にすることでしょうか。授業について互いに学び合う雰囲気が学校の中に広がっていくことを期待します。
参考までに、観察のような場面では、どのような「視点」で何と「比較」したかを意識させること。実験では、「何を知ろうとする」実験か、このことが言えるためには「どのような」実験が必要かを意識させること(「理科(実験)で大切にしたい問いかけ」参照)。モデルについては、モデルを前提として考えるのでなく、実験の「結果」、「事実」をモデルで説明できるかという視点を持たせること(「理科(モデル)で大切にしたい問いかけ」参照)。このようなことを伝えました。

この学校での授業アドバイスもこれで今年度最後となりました。先生方の授業からとても多くのことを学ぶことができました。最後に若い先生の成長した姿を見ることができたことをとてもうれしく思います。よい機会をいただけたことに感謝です。

ある校長の退職に思う

昨日はお世話になっている校長先生とお話をする機会がありました。今年度で定年退職されるのですが、勤務校やこの町の教育への思いをいろいろと聞かせていただきました。

町として新しいことに挑戦した学校でした。新しいことは最初からうまくいくわけではありません。理想と現実の間で、手探りでの試行が続きました。取り組みの成果が見えず、混乱した状態が批判を受けることになり、学校のことが選挙の争点となるなど、政治が絡んできました。そういった批判に対して、学校の考えを理解いただき、職員が自分たちの信じる教育をおこなえるように多くの力を割いてこられたことと思います。学校の中のことに力を注ぐべき時に、余計なことに力を割かれ悔しい思いもされたことでしょう。言いたいこともたくさんあると思います。その努力が正しく評価され報われたのかはわかりません。
地元の方なのでいろいろなしがらみもあったようです。次の校長にはそういったしがらみのない方がなって、学校運営に専念してほしいとおっしゃっていました。退職後は学校現場からは完全に離れられるようです。その方がこの学校にとっても良いことだと考えられてのことでしょう。一方、町としてすべての小中学校で最低限の授業規律や授業の進め方の共通化を図るよう取り組むべきだと、その実現に向けて働きかけてもおられます。学校への強い思いを感じました。
退職後はどのような形で学校教育とかかわられるのかお聞きすることを楽しみにしていたのですが、とても残念です。長い間お疲れさまでした。

今、学校現場への政治の介入が話題となっています。安易に是非を語ることはできませんが、そのために現場の教師が教育と関係ないところに力を割かなくてはいけない、よりよい学校をつくろうとする意欲がそがれる、少なくともそんなことだけは無いようにしてほしいと思います。政治には子どもたちのために先生方がその力を存分にふるえる環境をつくることを期待します。

教師を映し出す鏡を見る

この日記でもいつも書いていますが、先生の笑顔が子どもたちの笑顔を引き出します。明るい学級は間違いなく先生も明るいのです。教室の子どもたちは教師を映し出す鏡です。3学期ともなると子どもたちの所作も担任と似てきます。考え方までも似てくるのです。

私は明るい性格でないから無理だなどと思う必要はありません。教師がいつも笑顔で子どもたちに接すればいいのです。笑顔は訓練でつくることができます(笑顔は訓練でつくる参照)。最初はぎこちなくても、続けていれば自然なものになっていきます。教師が笑顔で接してくれれば子どもたちも安心して学級で暮らすことができます。子どもたちは教師の笑顔が大好きなのです。
子どもたちの心を育てることはとても難しいことです。しかし、印刷物を配る、宿題を集めてもらう、子どもに何かしてもらうたびに教師が「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えていれば、子どもたちは自然に「ありがとう」を口にするようになります。教室に「ありがとう」があふれるようになってきます。道徳の時間に感謝を取り上げるよりもよほど効果があります。

多くの先生が明るい学級、楽しい授業ということを口にします。子どもの心を育てたい。誰しもがそう思います。それを実現するのは、日頃の教師の子どもへの接し方だと思っています。今年度も残りわずかです。今一度、子どもという教師を映し出す鏡をじっくりと見てください。そこにはどんな姿が写っていますか。年度末には素敵な姿が映っているようにしたいものです。

話型を考える

グループでの話し合いやペアでの対話で、話型を使って指導しているのをよく目にします。コミュニケーションの基本を形で身につけさせようとしているのでしょう。しかし、子どもたちがその話型どおりに話すことを意識過ぎて形式的になってしまい、本当にコミュニケーションが取れているのか疑問に思うこともあります。話型について考えてみたいと思います。

よく目にするのが、相手の意見に賛成か反対かを冒頭に述べてから自分の意見を述べるというものです。あらかじめ相手の意見の方向性がわかるので、相手に伝わりやすくなります。しかし、それだけではありません。こういう話型を使うことを意識することは、友だちの発言をしっかり聞くことにつながります。自分の考えと相手の考えを比較するためには、まず相手の意見をちゃんと聞いて理解しなければいけないからです。相手の言葉を聞き、自分の考えを伝えるために話型を使っているのです。話型を使うことができたことで満足するのではなく、友だちの話を本当に聞けているのか、自分の考えをちゃんと伝えることができたかどうかを評価し、より高いところを目指していくことが必要です。

「○○さんの意見と同じで、・・・だと思います」
「どこが同じかみんなわかった?」
「○○さんも△△さんも・・・と言っています」
「二人の意見がちゃんと伝わっているね。□□さんも、よく聞けていたね」

「△△さん、同じ理由をもう少し詳しく聞かせてくれる?」

「○○さんの意見と違って、・・・だと思います」
「どこが違うかみんなわかった」、

「△△さん、違う理由をもう少し聞かせてくれる?」

意見を発表させたらすぐに次の意見を求めるのではなく、その発表が子どもたちに理解されているかを評価し、必要に応じて意見の同じところ、違うところを再度問い返すことも必要です。問い返すことで、「同じようだな」「違うな」と漠然と聞いている姿勢をより深く理解しようとするものに変えることができます。

ペアでの対話でも、うなずきながら聞く、相手の言ったことを復唱してから自分の意見を言うといったパターンを指導していたりします。子どもは一生懸命に相手の言ったことを聞くのですが、復唱しなければならないので覚えることに意識がいってしまい、その内容を本当に理解しているかどうかは心もとないことがよくあります。覚えたことを忘れないように、相手が話終わるとすかさず「○○さんの意見は・・・ですね」と復唱して、すぐに「私の意見は・・・」と続けていたりします。形の上ではスムーズに対話が進んでいるのですが、本当にコミュニケーションがとれているといえるのか甚だ疑問です。相手の言葉を理解するのには少し時間がかかります。また、相手の意見を復唱したのなら、確認をするためのやり取りをする間があるはずです。
単に復唱するのではなく、意見についてのコメントを付加する、コメントに対して聞き返す。そういう活動も組み込む必要があります。こういったことは、ペア活動の場面だけで指導はできません。全体の場での子どもとのやり取りで教師がお手本を示すことが必要です。子どもたちの目指す姿を、まず教師が実際に見せることを意識してほしいと思います。

話型を使った指導をするときには、話型を使うことの目指すところを明確にする。達成できているかどうかを評価して、達成するために必要な働きかけを教師がおこなう。このことを意識しなければ形だけのものになってしまいます。話型を使うことが目的化していないか、常に注意してほしいと思います。

白石範孝先生から学ぶ

本年度第6回の教師力アップセミナーは筑波大学附属小学校の白石範孝先生の「『この時の主人公の気持ちは?』これでいいのか、国語の授業〜論理的思考ができる子どもを育てる〜」と題した講演でした。

多くの国語の授業は思いついたことを子どもが発表するだけで、子どもが真に考えるものになっていないという白石先生の問題提起はとても賛同できるものでした。国語も算数も論理的な教科であるという言葉はまさに我が意を得たりでした。

論理的に考えるためには、

たとえば「要点」(形式段落レベルのまとめ)「要約」(文全体のまとめ)「要旨」(筆者の主張)といった国語の「用語」の違いを明確にして習得し、活用すること。
たとえば形式段落に分ける「方法」を習得しその方法を活用すること。
たとえば、漢字の書き順を上から下、左から右の順に書くといった「原理原則」を習得することで、1字1字覚えずに例外だけを覚えるようにすること。

といった、「用語」「方法」「原理原則」を習得しそれを活用することが必要と主張されました。
これらは、メタな知識、他の場面でも活用できる再現性のある技術と言い換えてもいいかもしれません。これはどの教科でも大切にしてほしい観点です。得た知識や技術は他の場面で活用できてこそ意味があります。このことを意識せずに学習を続けた結果、勉強とは単に記憶することと思っている子どもがいることはとても残念なことです。

詩、文学作品、説明文それぞれについて授業の作り方を具体的に教えていただけました。

詩では、リズムを大切にしたい。リズムは音数(字数ではない)できまる。したがって、音数、字数という用語を押さえておくことが必要であること。また、五七調は重い、暗い、七五調は軽い、明るいといった原理原則を押さえておくこと。使われる技法を見つけて終わるのではなく、その技法はどんな効果があるのか、その効果をどう活かしているのかといったことを問うことが必要である。

文学作品や説明文では、全体をとらえて考えることを大切にする。そのためには、題名をそのまま使って問いをつくることが有効である。題名は、文学作品であれば「中心事物・登場人物」「山場」「主題」、説明文であれば「題材・話題」「事例」「主張・要旨」であることが多い。たとえば「タンポポの秘密」であれば、「タンポポの秘密」はどんなもの、いくつある、・・・。こうすることで、文の構成を意識でき、読む視点も明確になる。

文学作品は、中心人物の変容をとらえることが中心となる。中心人物が事件・出来事によってどう変容するか。事件・出来事と変容の因果関係を問うことを大切にする。低学年の内に、登場人物(人に限らず、意思を持って動いたり話をしたりするもの)、中心人物(物語を通じて変容していくもの)といった用語もしっかり押さえておく。

説明文は、問いと答えに注目し、用語を積み上げていくことで指導していくとよい。

低学年では、形式段落、主語、文といった用語をまず押さえておく。問いの文は「・・・でしょうか」、答えの文は「・・・です」と文末に注目することを指導する。問いの文はどの段落にあるか、段落は何文あるか、どの文が問いの文か、何について聞いているかと問うことで、文意識や主語意識を持たせることが大切である。

中学年では、意味段落、要点、要約といった用語指導し、これらを使って文章構成図をつくっていく。
問いと答えの間にある事例・実験・調査・観察に焦点を当て、何が・いくつ・何のため・結果はといったことを問い、筆者の言いたいことにつなげていく。

高学年では、中学年にプラスして要旨を問う。具体を読み取り抽象化することが要旨をまとめることになる。
また、文の構成の基本パターンを指導しておくことも大切になる。
結論が先頭にくる頭括型、結論が最後にくる尾括型、結論が最初と最後にある双括型があるが、双括型は、途中で最初の結論をまとめて、それに自分の本当に言いたいことを+αして結論とすることが多い。
この基本パターンは文全体だけでなく、形式段落の構成など部分にも当てはまる。文章を書く時にも応用ができる。

要点は、文章構成、意味段落、要約、要旨を理解するための手段である。要点は、いくつの文からなるかという文意識と大切な一文を抜き出し短くまとめることが必要となる。このとき、何についてという主語を意識することが大切となる。主語を文末にした体言止めの形で要点を書くことが、主語意識を持たせるのに有効である。同じ主語のグループをまとめれば意味段落になっていく。

私がすぐに思い出せることでも、これだけのことがあります。非常に論理的かつ具体的で、参加された誰もが納得させられるお話でした。まさに国語の授業の原理原則を教えていただけたと思います。とはいえ、これで教材を目の前にしてすぐに授業が作れるかと言えばそういうわけにはいきません。白石先生からいただいた視点を参考に何度も文章を読み、教材研究することが必要です。私も白石先生から学んだことを、時間をかけて消化していきたいと思います。とてもよい学びをできたことを感謝します。
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