話型を考える
グループでの話し合いやペアでの対話で、話型を使って指導しているのをよく目にします。コミュニケーションの基本を形で身につけさせようとしているのでしょう。しかし、子どもたちがその話型どおりに話すことを意識過ぎて形式的になってしまい、本当にコミュニケーションが取れているのか疑問に思うこともあります。話型について考えてみたいと思います。
よく目にするのが、相手の意見に賛成か反対かを冒頭に述べてから自分の意見を述べるというものです。あらかじめ相手の意見の方向性がわかるので、相手に伝わりやすくなります。しかし、それだけではありません。こういう話型を使うことを意識することは、友だちの発言をしっかり聞くことにつながります。自分の考えと相手の考えを比較するためには、まず相手の意見をちゃんと聞いて理解しなければいけないからです。相手の言葉を聞き、自分の考えを伝えるために話型を使っているのです。話型を使うことができたことで満足するのではなく、友だちの話を本当に聞けているのか、自分の考えをちゃんと伝えることができたかどうかを評価し、より高いところを目指していくことが必要です。 「○○さんの意見と同じで、・・・だと思います」 「どこが同じかみんなわかった?」 「○○さんも△△さんも・・・と言っています」 「二人の意見がちゃんと伝わっているね。□□さんも、よく聞けていたね」 「△△さん、同じ理由をもう少し詳しく聞かせてくれる?」 「○○さんの意見と違って、・・・だと思います」 「どこが違うかみんなわかった」、 「△△さん、違う理由をもう少し聞かせてくれる?」 意見を発表させたらすぐに次の意見を求めるのではなく、その発表が子どもたちに理解されているかを評価し、必要に応じて意見の同じところ、違うところを再度問い返すことも必要です。問い返すことで、「同じようだな」「違うな」と漠然と聞いている姿勢をより深く理解しようとするものに変えることができます。 ペアでの対話でも、うなずきながら聞く、相手の言ったことを復唱してから自分の意見を言うといったパターンを指導していたりします。子どもは一生懸命に相手の言ったことを聞くのですが、復唱しなければならないので覚えることに意識がいってしまい、その内容を本当に理解しているかどうかは心もとないことがよくあります。覚えたことを忘れないように、相手が話終わるとすかさず「○○さんの意見は・・・ですね」と復唱して、すぐに「私の意見は・・・」と続けていたりします。形の上ではスムーズに対話が進んでいるのですが、本当にコミュニケーションがとれているといえるのか甚だ疑問です。相手の言葉を理解するのには少し時間がかかります。また、相手の意見を復唱したのなら、確認をするためのやり取りをする間があるはずです。 単に復唱するのではなく、意見についてのコメントを付加する、コメントに対して聞き返す。そういう活動も組み込む必要があります。こういったことは、ペア活動の場面だけで指導はできません。全体の場での子どもとのやり取りで教師がお手本を示すことが必要です。子どもたちの目指す姿を、まず教師が実際に見せることを意識してほしいと思います。 話型を使った指導をするときには、話型を使うことの目指すところを明確にする。達成できているかどうかを評価して、達成するために必要な働きかけを教師がおこなう。このことを意識しなければ形だけのものになってしまいます。話型を使うことが目的化していないか、常に注意してほしいと思います。 白石範孝先生から学ぶ
本年度第6回の教師力アップセミナーは筑波大学附属小学校の白石範孝先生の「『この時の主人公の気持ちは?』これでいいのか、国語の授業〜論理的思考ができる子どもを育てる〜」と題した講演でした。
多くの国語の授業は思いついたことを子どもが発表するだけで、子どもが真に考えるものになっていないという白石先生の問題提起はとても賛同できるものでした。国語も算数も論理的な教科であるという言葉はまさに我が意を得たりでした。 論理的に考えるためには、 たとえば「要点」(形式段落レベルのまとめ)「要約」(文全体のまとめ)「要旨」(筆者の主張)といった国語の「用語」の違いを明確にして習得し、活用すること。 たとえば形式段落に分ける「方法」を習得しその方法を活用すること。 たとえば、漢字の書き順を上から下、左から右の順に書くといった「原理原則」を習得することで、1字1字覚えずに例外だけを覚えるようにすること。 といった、「用語」「方法」「原理原則」を習得しそれを活用することが必要と主張されました。 これらは、メタな知識、他の場面でも活用できる再現性のある技術と言い換えてもいいかもしれません。これはどの教科でも大切にしてほしい観点です。得た知識や技術は他の場面で活用できてこそ意味があります。このことを意識せずに学習を続けた結果、勉強とは単に記憶することと思っている子どもがいることはとても残念なことです。 詩、文学作品、説明文それぞれについて授業の作り方を具体的に教えていただけました。 詩では、リズムを大切にしたい。リズムは音数(字数ではない)できまる。したがって、音数、字数という用語を押さえておくことが必要であること。また、五七調は重い、暗い、七五調は軽い、明るいといった原理原則を押さえておくこと。使われる技法を見つけて終わるのではなく、その技法はどんな効果があるのか、その効果をどう活かしているのかといったことを問うことが必要である。 文学作品や説明文では、全体をとらえて考えることを大切にする。そのためには、題名をそのまま使って問いをつくることが有効である。題名は、文学作品であれば「中心事物・登場人物」「山場」「主題」、説明文であれば「題材・話題」「事例」「主張・要旨」であることが多い。たとえば「タンポポの秘密」であれば、「タンポポの秘密」はどんなもの、いくつある、・・・。こうすることで、文の構成を意識でき、読む視点も明確になる。 文学作品は、中心人物の変容をとらえることが中心となる。中心人物が事件・出来事によってどう変容するか。事件・出来事と変容の因果関係を問うことを大切にする。低学年の内に、登場人物(人に限らず、意思を持って動いたり話をしたりするもの)、中心人物(物語を通じて変容していくもの)といった用語もしっかり押さえておく。 説明文は、問いと答えに注目し、用語を積み上げていくことで指導していくとよい。 低学年では、形式段落、主語、文といった用語をまず押さえておく。問いの文は「・・・でしょうか」、答えの文は「・・・です」と文末に注目することを指導する。問いの文はどの段落にあるか、段落は何文あるか、どの文が問いの文か、何について聞いているかと問うことで、文意識や主語意識を持たせることが大切である。 中学年では、意味段落、要点、要約といった用語指導し、これらを使って文章構成図をつくっていく。 問いと答えの間にある事例・実験・調査・観察に焦点を当て、何が・いくつ・何のため・結果はといったことを問い、筆者の言いたいことにつなげていく。 高学年では、中学年にプラスして要旨を問う。具体を読み取り抽象化することが要旨をまとめることになる。 また、文の構成の基本パターンを指導しておくことも大切になる。 結論が先頭にくる頭括型、結論が最後にくる尾括型、結論が最初と最後にある双括型があるが、双括型は、途中で最初の結論をまとめて、それに自分の本当に言いたいことを+αして結論とすることが多い。 この基本パターンは文全体だけでなく、形式段落の構成など部分にも当てはまる。文章を書く時にも応用ができる。 要点は、文章構成、意味段落、要約、要旨を理解するための手段である。要点は、いくつの文からなるかという文意識と大切な一文を抜き出し短くまとめることが必要となる。このとき、何についてという主語を意識することが大切となる。主語を文末にした体言止めの形で要点を書くことが、主語意識を持たせるのに有効である。同じ主語のグループをまとめれば意味段落になっていく。 私がすぐに思い出せることでも、これだけのことがあります。非常に論理的かつ具体的で、参加された誰もが納得させられるお話でした。まさに国語の授業の原理原則を教えていただけたと思います。とはいえ、これで教材を目の前にしてすぐに授業が作れるかと言えばそういうわけにはいきません。白石先生からいただいた視点を参考に何度も文章を読み、教材研究することが必要です。私も白石先生から学んだことを、時間をかけて消化していきたいと思います。とてもよい学びをできたことを感謝します。 給食での死亡事故に思う
先日小学5年生の女児が給食のチヂミをおかわりして、アナフィラキシーショックで亡くなるという痛ましい事件が起きました。たまたま私の知り合いにその学校の保護者がいて、学校から保護者への説明の内容をかいつまんで教えていただけました。感じたことを少し述べたいと思います。
報道では3時間後に死亡となっていますが、実際はお子さんが不調を訴えたのが13時24分、校長がエピペン(アナフィラキシーに対する緊急補助治療に使用される医薬品で、使用者は患者本人か患者が未成年の場合は説明済みの保護者であるが、必要に応じて救命士、保育士、教師も使用可能)を注射したのが13時35分、13時40分の救急車到着後すぐに心肺停止が確認されているので、あっという間のことだったようです。 マスコミの論調は担任がチェックを怠ったことが原因ということでしたが、実際には不幸な偶然が重なったようです。 「これおかわりして大丈夫な食べ物か?」と担任は女児に聞き、女児といっしょに「親の作った献立表」でアレルギー物質の含まれている食事か確認したそうです(このとき、栄養士の作った献立表の確認はしなかった)。 女児は「お母さんの作ったリストに、マーカーが引いてないから大丈夫」と言ったそうです。急変後に担任はエピペンを打とうとしたのに、女児自身が「違う、打たないで」と言ったとも。 だから母親の責任だというつもりはありません。そんなことを言われなくても、母親は自分を責め続けるでしょう。担任もあのとき栄養士の作った献立表を再度確認しておけば、女児の訴えを聞かずにエピペンを打っておればと悔やんでいるはずです。除去食の受け渡しの担当者は、チヂミにはチーズが入っていて、除去食はチーズを抜いてあることを説明しておけばと・・・。多くの関係者がそれぞれに苦しんでいることでしょう。そして、目の前で友だちが死んでいくのを見ることになった子どもたちの心の傷はどれほどでしょうか。誰が悪いとかいう問題ではなく、事故は多くの人を不幸にします。 たまたまが重なって事故は起こるものです。ミスを起こさないようにすることも大切ですが、ミスは起こるものだという前提で最悪の事態を回避できるような体制をつくることが大切です。ミスは起きない「だろう」ではなく、起きる「かもしれない」と考えなければなりません。 事故が起きるたびに責任の所在が追及されます。誰かを悪者にしなければ悲しみや怒りの行き場がなくなることもわかります。法的な問題もあるでしょう。しかし、責任ではなく原因を追究することにより多くのエネルギーを割いてほしいと思います。そして、このような悲しい事故が2度と起きないような対策を取ることを最優先することを願います。もちろん子どもたちの心のケアはそれ以上に大切ですが。 女児の冥福と、保護者、子どもたち、担任をはじめ関係者の方々の心の傷が一刻も早く癒えることを心からお祈りします。 「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の映像関係の打ち合わせ
昨日は「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の映像関係の打ち合わせを、愛される学校づくり研究会の会員で、フォーラムに協力いただいているEDUCOM社でおこないました。今回のフォーラムは寸劇や模擬授業という今まで以上にライブ感のあふれるものとなっています。しかし、舞台でのようすがよく見えなければその良さは半減してしまいます。300人以上集まる会場ですので、後ろの席の方はかなり舞台と離れてしまいます。そこで、プロのカメラマンに舞台を撮影していただき、その映像を正面のスクリーンにリアルタイムに映し出すことになりました。
撮影をお願いしたメディアワークスさんは、このようなフォーラムでの模擬授業のライブ映像や授業の撮影を得意分野としている会社です。指導案を見るだけで撮影のポイントを理解し、先生方でも見落とすような子どもたちの表情や動きなどもきちんとカメラにとらえることができる方たちです。模擬授業とはどんなもので、何をねらっているといったムダな説明も必要なく、打合せはとてもスムーズに進みました。当日の寸劇や模擬授業がライブ映像を通じてよりリアルに伝わることと思います。 打合せ終了後、EDUCOM社の社長さんに撮影スタッフを外部に頼ることについて考えを聞かせていただきました。 もし、外部を使わなければ内輪でスタッフを選んで撮影することになる。クオリティのことを考えなければこの方がコストを低くできるように見えるが、決してそうではない。そのための準備や打ち合わせのための時間は、プロを使うよりもはるかに多くなる。結局トータルコストは高くなってしまう。 学校では、時間にコストがかかるという発想はあまりありません。外部のプロに頼んで浮かせた時間をより意味のあること、生産性の高いことに使う。企業では当然の発想なのです。もちろん外部に頼むための絶対的な予算が学校にないことも原因なのですが、あらためて、時間をコストとして意識することの大切さを教えていただきました。また同時に費目の縛りのない、学校の自由裁量で使える予算の必要性も強く思いました。 フォーラムまであと1月あまり、素晴らしいものにすべく多くの方が精力的に動いてくださっています。申し込みも順調で、残席はあと100ほどです。参加を検討されている方は、お早目に申し込みください。 試験後の学習を考える
冬休みが明けて課題試験を実施している中学校も多いと思います。子どもたちが休み期間中に学習をするための動機づけとしているように思います。しかし、試験が終わってその結果を見て、よくできた、ダメだった次は頑張ろうといった思いを持つだけで、その結果が学習に反映されていないように感じます。私は、試験が終わったあとこそ学習をすべき時だと思っています。
試験は評価のためにおこなうものでもあります。評価ですから、何が目標に到達できていないかがわかるはずです。目標が達成できていなければ、達成させなければならないはずです。ところがせいぜい試験の直しをさせるくらいで、本当に目標を達成させるまでは学習をさせることはなかなかできていません。授業は先に進んでいかなければいけないので授業中にやり直しをしている時間はありません。結局、子どもたちは試験が終わって結果に一喜一憂して終わってしまうのです。 試験の結果をもとに子どもたちが学習をし直すための仕掛けをつくる必要があると思います。 私は、絶対的な目標を設定して試験をおこないました。その目標に達しなければ再度類題で試験をおこないます。担任にも協力いただき全員が合格できるまで週に一度くらいの頻度で授業後に試験をおこない続けました。子どもたちには負担だったと思います。時には次の試験までに全員が合格しないこともありました。しかし、特に積み重ねの必要な教科では、基本となることが定着していなければいくらその次に頑張ろうとしてもできるようにはなりません。連続性のある単元であれば、この試験に合格しようと学習を続けたことが、今授業で学習していることの理解を助けてくれることもあります。先に進むことよりも立ち止まって定着させることのほうが大切なこともあるのです。同じことを単元でこれだけは絶対定着させなければいけない基本事項に絞って小テストでもおこなってきました。 全教科で同じことをすれば子どもたちの負担は大きくなりすぎますし、教科特性もありますからどの教科でも有効だとは思いません。しかし、学校全体で目標達成を意識して試験後に子どもたちにどう学習させるかを考えることは必要だと思います。 学校での試験は、入学試験のような子どもたちを選別するものではないはずです。試験をして単元の学習が完結するのではなく、試験から再度学習が始まるという発想も大切にしてほしいと思います。 3学期の学級経営を考える
3学期は1年の総仕上げの時とよく言われます。しかし、卒業式以外に大きな行事もなく、具体的に何を大切にすればいいのかよく見えない時でもあります。ともすると惰性で過ぎていってしまうこともよくあります。3学期の学級経営を考えてみたいと思います。
総仕上げの時として、まず何ができていて何ができていないのかを明確にすることが必要です。学級経営がうまくいっているときは、年度当初に考えた目指す姿に子どもたちが近づいていると思います。安定した学級の居心地の良さに安住するのでなく、新年度に子どもたちが更なる成長をするために必要なことを意識する必要があります。もし、この子どもたちを新年度に続けて受け持つとすればどのようなことを目標にするでしょうか。今年うまくいったからそれで完成というわけではありません。短い3学期の間に次の目標を達成することは難しいかもしれませんが、新年度に子どもたちが飛躍するための助走をする時期と位置付けて新たな目標を設定してほしいと思います。 また、よい学級の雰囲気に支えられている子どもの中には、新年度の新しい学級での人間関係でつまずく子どもも出てきます。学級がよい状態で担任に余裕があるからこそ、そういった子どものソーシャルスキルを高めるといった、個への働きかけも視野に入れてください。 年度当初に思い描いた姿と今の姿に少しギャップがある場合はどうでしょうか。この場合、担任がチェックすることはもちろんですが、子どもたち自身に振り返らせることが大切です。できていることを担任は大いに喜びほめてください。そして、できていないことを再度目標として、これを3学期に達成することを総仕上げとしてください。できていることをしっかり評価することで自己有用感が高まり、できていないことを達成しようとする意欲につながります。残りの時間が少ないからこそ最後の目標を達成しようというエネルギーが高まり、集中して取り組むことで期待以上の成果をあげてくれるものです。 残念ながら学級経営がうまくいっていない場合はどうでしょうか。この場合は、子どもとの人間関係がうまくいっていないことがほとんどです。やり直そうにも残された時間はあまりありません。3学期を何とかしのいで、新年度にリセットしてやり直そう。そう考えるのではないでしょうか。実は子どもたちも同じことを考えます。これでは3学期は互いに耐える時となって学級のエネルギーは上がりません。現状維持どころかますます難しい状況になってしまう可能性も高くなります。うまくいっていないからこそ前向きに取り組むことが大切です。新年度から変わろうとしてもなかなかうまくいくものではありません。新年度に変わるためにも今変えることが大切です。項目を絞って何を徹底させたいかをきちんと決めます。そして、子どもたちに教師自身も変わろうとしていることを伝えてください。その上で、再度設定した最後の目標を一緒に達成したいと話すのです。今までうまくいっていなかったのですから、すぐに結果がでることはありません。しかし、変わろうとする姿勢を見せることが子どもたちとの関係を修復することにつながります。教師が変わろうとしていることを子どもたちが感じてくれれば、新年度に同じ学年を持つことになったときに、大きな力となります。そうでなくても、子どもたちがよい方向に少しでも変わればそれはとても効果があることだったといえます。同じことをリセットされる新年度のスタートから意識しておこなえば、効果ははるかに大きくなります。自信を持って同じことをすればいいのです。 3学期はあっという間に過ぎてしまいます。仕上げの時であることを意識すると同時に新年度へどうつなげるかを意識した学級経営をおこなってほしいと思います。 待つことを考える
知識を問う発問であれば知っている子どもの手がすぐに挙がります。しかし、考えることを求める発問であれば考える時間を待つ必要があります。待ち続けても子どもから反応がなくて、つい教師が説明を始めることもあります。どこまで待てばよいのかは難しい問題です。待つことについて少し考えてみたいと思います。
発問したあとは、まず子どもが考えているのかいないのかチェックすることが必要です。その差は外見からはわかりにくいのですが、多くの場合、考えているときは発問が終わったあと、頭が下を向いたり教科書やノートなどの手掛かりを探したりします。友だちと相談することが普通の学級であれば、まわりの子と相談を始めます。しばらくすると早い子どもの手が挙がりますが、ここですぐに指名をすると他の子どもは考えるのをやめてしまいます。あわてて指名せずに他の子どもの考えがまとまるまで待つことが必要です。手を挙げた子どもには、うまく説明できるように準備することや、まわりと確認することを指示しておきます。できるだけ多くの子どもが自分の考えを持てるまで待つことが必要です。 ここで気をつけなければならないのは、子どもたちが行き詰まっているかどうかの判断です。考えて続けているのであれば待つことに意味がありますが、一人で考えても手掛かりがない状態であれば集中力が切れてきます。この状態で待ち続けていれば授業がだれてしまいます。まわりと相談させたり、全体で話し合ったりする場面に移行する必要があります。 では、発問のあと子どもたちが考えようとしていない場合はどうでしょうか。この場合に注意してほしいのは、何が問われているか発問そのものが理解されていない可能性があることです。課題を理解しているかどうかの確認場面をつくる必要があります。課題を理解しているにもかかわらず考えようとしないのであれば、待つことはムダです。考えるための前提となる知識が子どもたちにない可能性があります(考えるための足場をつくる参照)。 また、子どもたちに問いかけても十分に考える時間を取らずに教師が説明して終わる授業を続けていると、子どもたちは自分で考えようとしなくなってしまいます。考えなくても、待っていれば答がわかるからです。考えたということが評価され、自分たちが考えなければ答が手に入らない。そういう授業であることが求められます。子どもの言葉をひろい、つなげながら子どもの言葉で答をつくっていく姿勢が大切です。 子どもが考える時間を教師が待てないと、子どもたちは考えることをせずに誰かから答えが出てくることを待つようになります。かといって、集中力が切れているのに待ち続けていても時間のムダです。授業で待つことは大切ですが、ただ待てばよいわけではないのです。待ち続けるのか待つのをやめて次の場面に移るのか、子どもたちの状況を常に把握し判断することを意識してほしいと思います。 今年のアドバイスの方針
管理職の方から年賀状でいただいたメッセージに、若手の育成に関するコメントが多く見られました。現場に共通する課題です。私にとっても大きな課題ですが、即効性のあるうまい方法がないというのが実情です。今年は再度原点に立ち返って、次のようなことをていねいにおこなっていきたいと考えています。
・目指す子どもの姿を共有する 研究指定校などでは、管理職や研究のリーダとは子どもの姿について共有をするように努めています。そこで共有できると、学校全体と共有できたような気がして、個々の先生としっかり確認しないままアドバイスをしてしまうことがあります。一人ひとりの見たい子どもの姿をできるだけ具体的かつ詳細に聞き、しっかりと共有することから始めることを徹底したいと思います。 ・人間関係をつくることを意識してもらう 授業が成立する基本は内容以前に子どもとの人間関係です。子どもの言葉をうなずきながらしっかり聞く、子どもをポジティブに評価する、こういう姿勢の大切さや子どもの言葉を活かすことをしっかりと伝えたいと思います。教師がしゃべりすぎないように気をつけ、子どもの言葉をつなぐことで、友だちの話をしっかり聞く姿勢をつくることが、子ども同士の人間関係をつくることにつながっていきます。ここまで意識してもらうことを目指したいと思います。 ・子どもを見ることを具体化する 子どもを見るということはどの先生も大切にしていますが、何を見るか・見ているかは実は一人ひとり大きく異なっています。一緒に授業を見ながら子どもの姿から何がわかるかを伝える。授業の具体的な場面での子どもの姿がどうであったかを伝えて、それはどういうことか一緒に考える。このような機会をたくさん設けて、子どもを見る視点を増やし、自分の授業での子どもの姿をより意識して見るようになってもらえるようにしたいと思います。 ・教科書の内容・意図を読み取ることを意識してもらう 経験が少ない先生へのアドバイスは、教科内容以前の授業技術や子どもとのかかわり方で終わってしまうことが多くなります。しかし、もう一つの軸となる教科内容を後回しにしていると、子どもはとてもよい状態で授業を受けているのに学力がつかないということになってしまいます。教科書は授業で押さえるべきこと、子どもたちに考えさせたいことを意識してつくられています。表面的に理解するのではなく、なぜこのような例や素材を用いているのか、なぜこのような課題になっているのか、なぜあえてこのような表現をしているのかといった、教科書の記述や内容にこだわることが大切です。教科書の内容・意図を読み取ることを常に意識することで、自然に授業のポイントが押さえられるようになります。教科内容についてのアドバイスは、授業の具体的な場面で教科書の記述をもとに一緒に考えることで、教科書の内容・意図を読み取ることを意識してもらえるようにしたいと思います。 教師が育つためにはたくさんのことが必要です。今年もたくさんの方へアドバイスする機会をいただけそうですが、まずはこの4つのことを大切にしたいと思っています。 |
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