中学校の授業研究でアドバイス
昨日は中学校で授業研究のアドバイスをおこなってきました。中学校3年生の理科の授業です。
金星の見え方について、テニスボールの金星とピンポン球の太陽・地球を使ってグループで実験しながら、気づいたことをまとめるものでした。金星のテニスボールは黄色と黒、地球のピンポン球は白と黒に塗り分け、太陽のピンポン球は黄色のものを用意してありました。 授業は、「気づいたこと」をまとめるという課題を「他のクラスは4つあるうちの2つ見つけた」とコメントしてから活動させました。「気づいたこと」という問いかけは、子どもたちに視点が育っていないとなかなかうまく活動できません。まだ持てていないのであれば、事前に与える、または以前におこなった似た活動での視点を思い起こさせるなどをする必要があります。もしくは、この活動を通じて「結果」を共有することだけでなく、「気づくための視点」を共有することをねらっているということです。子どもたちが育っているのか、それともこの活動で育てるのか、子どもたちのようすがとても気になります。 「4つあるうちの・・・」という言い方は、ちょっと疑問です。教師の側にあらかじめ想定した答えがあるということです。子どもが教師の求める答え探しをしてしまう可能性があるのです。「これでいいの?」と教師に確認を求めることになります。授業者は、どんな気づきでもいい、もちろん4つでなくてもいい、自分たちで何度も実験し繰り返し見ることで何かに気づいてほしいと思っていたようです。子どもに聞かれても正解・不正解は判断せずに自分で自信を持って説明できるように促しているようでした。4つというのは1つ見つけて終わりにならないための、目標のつもりだったのでしょう。それならば、「できるだけたくさん見つけて」「他のクラスは2つだったけど、君たちはいくつ見つけられるかな」「以前は4つ見つけたクラスがあったよ」といった提示の方がよかったように思います。 子どもたちは、太陽に近いときには金星は見えない(昼だから)ということに気づかずに満ち欠けだけをワークシートに書いていきます。グループを回りながら「嘘を書いてはいけない」と挑発していきます。子どもたちの中には自分のワークシートに書いたものを消す子もいます。どこが間違いかわからずに動きが止まってしまうグループもありました。検討会でもこの対応が話題になりました。 後で授業者に聞いたところ、以前の学年では「嘘じゃない、ちゃんとこう見える」と反論したりする生徒がいて、一方的に指摘を受け入れなかったそうです。子どもたちの反応の違いは予想外だったようです。教師が絶対者になっていたのでしょうか。最初の問いかけ(4つ云々)の影響かもしれません。また、この挑発の仕方は授業者のキャラクターによるものです。他の人が真似をしたり、どうこうしたりというものではありません。授業者と子どもたちの関係で語られるべきもののように思います。意図とその実現の方法は別に考えるべきものです。この意図を達成するのであれば、「あれ、本当にこう見えるかな」「あれ、よそとは違う見え方だね」といった言い方もあります。太陽の近くでは見えないと気づいたグループがあれば、一旦活動を止めて、金星の満ち欠けの図だけ発表させて、「あれ、違っている人がいるね」とその違いだけをクローズアップし、「どうなんだろうね」と戻す方法もあります。そこに気づかず活動を続けさせたくないという授業者の意図はよくわかりますが、今回は意図どおりにいかなかったグループがあったようです。 授業者はこの1時間の中でまとめることはせずに、最後までグループで活動させました。煮詰りながらもなんと見つけようとするグループ、お手上げで活動が止まっているグループいろいろでした。この流れで以前の学年はうまくいったようでしたが、今回は授業者の思ったようには動かなかったようです。子どもたちを見る限りは、まだ天体を考えるときの視点は育っていないようでした。ということは、今回の活動で視点を育てたかったということのようです。 検討会は、グループで協議をした後、司会者が指名をしながら意見をつないでいきます。グループでの話を予定した発表者がするとすらすらと言葉が出てきますが、今回は個別に指名して意見をつないでいくので、言葉はとつとつとします。しかし、だからこそじっくり考えながら聞くことができます。しだいに、いくつかの大切なことに焦点化されていきました。 ・視点を持たせずに活動していたため、動きが止まってしまうグループがあった。視点を持たせるべきではなかったか。 ・授業者は「嘘」という言葉でグループごとにかかわったが、それでよかったのか。また、他のかかわりも必要だったのではなかった。 問題を共有化することができたのはとてもよかったのですが、ではこうすればいいということはなかなか出てきませんでした。これはなかなか難しいことです。一旦話し合いを打ち切って、授業者に感想や考えを求めました。授業者はこの授業では子どもにすべて気づいてほしかったのではない。結果を求めているのではない。何度も何度も繰り返し実験をすることを通じて初めて気づくことがある。たとえ見つからなくてもいい、集中して取り組むことがねらいだ。こう自分の思いを伝えました。また、以前の学年で同様に取り組んだときとの違いも話しました。 このあと私の話が予定されていたのですが、司会者は予定を変えてこの授業者の考えに対しての意見を皆さんに求めました。とてもよい判断です。ここから話が深まるところです。しかし、今回のような展開がこの学校では初めてだったこともあり、残念ながらなかなかつながる意見が出てきませんでした。授業者の思いにどう反応していいか戸惑いがあったのかもしれません。後から思えば、「今の授業者の話を聞いてなるほどと思った人」といった聞き方をした方がよかったのかもしれません。時間がなかったこともあり、私から少しお話させていただきました。 ・「気づく」という問いかけで見つけることは難しいこと。視点を育てていかなければいけないこと。視点は、教える方法もあれば、子どもたちの視点を共有化していく方法もある。活動の前に、以前の経験を思い出させるやり方もある。 ・今回の授業は、その視点を子どもたちで見つけていくのがねらいの授業であること。であれば、次時では気づいた結果ではなく(もちろんこれも大切)、その視点を共有化することをより大切にすること。 ・とはいえ、今回の授業では活動が止まっているグループがあったのにそのまま続けたのは問題であること。一旦活動を止めて、結果を発表するのではなく、どんなことをしたか、どこを見たかといった、実験、活動を共有化して、止まっているグループに動くきっかけを与えて再びグループにもどすことが必要だったこと。 ・子どもは毎年、毎年違う。学級によっても違う。たとえうまくいった流れであっても、目の前の子どもの実態によって修正することが必要であること。 このような内容です。 検討会の後、授業者ともう一人の理科の先生と一緒にお話しました。 理科は現実と仮説の間を行ったり来たりする教科です。このことを授業者もよく理解していました。今回の授業でも現実とこのモデルの結果をきちんと比べる場面が必要だと思います(理科(モデル)で大切にしたい問いかけ参照)。星は授業の中ではなかなか見ることができません。しかし、シミュレーションのソフトや写真など、確認できる材料は今の時代は豊富にあります。こういうものを利用することも考えてほしいと伝えました。 金星の見え方のあとに月の見え方を学習するそうです。ならば、月では視点を持って実験できるはずです。子どもたちがどう育っているかが勝負です。また、今回の授業の前に星座を扱ったそうです。当然、オリオン座はなぜ冬にしか見えないかというような課題を扱っています。となると、星が見える見えないことと太陽の関係(昼か夜か)の視点はあったはずです。「いつ」「どこで」「どのように」見えるという視点の内、「いつ」「どこで」という視点はすでに持っていなければいけないということです。今回、金星でそのことになかなか気づけなかったということは、星座での押さえが弱かったということです。子どもたちの実態がそのことを物語っていることに気づいてほしいとも伝えました。 また、地球を表すピンポン球を白黒に塗り分けていることの意味を伝えていません。太陽・金星・地球の位置関係だけではなく、モデルには昼と夜という要素も入っています。また黄色い太陽は、光っているということも表しています。そのことを理解し意識しないと、金星の見え方に気づけません。今回の課題は、モデルを理解するということと、その上でどう見えるか考えるという2ステップあるのです。それを1度にやっているので、最初のステップをクリアしていないグループは先に進めなかったのです。どこかで、最初のステップ、モデルの理解を全員で共有する必要があったと伝えました。授業者は他の学級ではやっていたようです。ということは、その必要性には気づいていたのですが、明確に授業の構成要素として意識はしていなかったということです。このことを意識できるようなればぐっと伸びると思いました。 授業者は、自分の授業の目指す方向をしっかり持っています。とても頼もしく感じました。ただ、経験が少ないこともあり、まだ大きく広げた網の目が粗いのです。目指す姿と現実の子どもの姿の違いをしっかり受け止めて授業を修正していくことで、その網の目が緻密なものになっていくと思います。これからに期待をしたいと思います。 もう一人の先生もこの機会にたくさん質問をしてくれました。考えながら授業に臨んでいるということです。とてもよいことだと思いました。 授業者の思いが強い授業だったおかげで、子どもを育てることについて深く考えるきっかけになったと思います。司会者も、先生方をつなぐことで課題を明確にすることに挑戦してくれました。このこともとてもうれしかったことです。このような授業研究を積み重ねることで、この学校は次のステージに立つことができると期待します。私にとっても子どもの視点を育てることについて深く考えることのできた時間でした。ありがとうございました。 2番手、3番手を評価する
子どもたちを指名するとき、1人を指名して終わりにしないよういつもお願いしています。以前にも何度かここでとりあげましたが(子どもの発言を引き出すには、子どもの発言つなぐことを考える参照)、少し違った視点でこのことについて考えてみたいと思います。
答がわかっていても自信のない子どもは挙手しません。最初に手の挙がった子どもが指名されて評価されることが続けば、最初でなければ評価されないと子どもは考えるようになります。1人の子どもが評価される一方で、多くの子どもが評価される機会を逃しています。数人しか手が挙がらなかったのに、発表後、「同じ考えの人」と聞くとほとんどの子どもの手が挙がることがあります。最初からわかっていたのに手が挙がっていなかった子どもがかなりいたはずです。おかしなことだと思わなければいけません。子どもたちが積極的に参加しているとは言い難い状況です。もちろん、本当に数人しかわからない場合もあるでしょう。その場合でも、指名して正解がでれば教師が説明を始めてしまうのであれば、他の子どもの出番はなくなります。やはり最初であることが価値のあることだと思うようになります。 大切なことは、友だちの考えを聞いてわかることであり、説明を聞いて理解することです。最初であることは重要なことではないのです。ですから、2番手、3番手を評価することを意識しなければいけません。 「今の○○さんの意見を聞いてなるほどと思った人? ○○さんの意見になるほどと思って人がたくさんいるね。いいね」 「△△さん、あなたの言葉でもう一度言ってくれる?」 「・・・」 「なるほど、△△さんもしっかり説明してくれたね。○○さんと△△さんの説明になるほどと思った人? 増えたね。じゃあもう1人聞こうか」 ・・・ 最初はわからなくても、友だちの意見を聞いてわかったら評価されることを知れば、一生懸命聞いて理解しようと思います。わかっていたのに最初に挙手できなかった人も、友だちの意見を聞いてから再度挙手を求めれば、自信を持って答えます。積極的に参加するようになります。 最初だけでなく、2番手、3番手の子どもを大切にする、評価することを常に意識して授業に臨んでほしいと思います。 青山新吾先生から学ぶ
本年度第5回の教師力アップセミナーは、ノートルダム清心女子大学の青山新吾先生の講演でした。特別支援教育に現場の教師としてかかわってこられたのち、大学に移られた方です。
特別支援教育に関してチームワークという言葉がよく言われます。実際にそのありようはどうあるべきか、具体的な事例をもとに考える材料を与えてくださいました。 直接指導する担任の思い、それを実現させるために他の教師がどう支えるか。たとえ、子どもが飛び出すことがわかっていても、叱るべきときは叱らねばならない。叱らなければ、まわりの子どもが嫌になる。それは、飛び出した子どもをフォローしてくれる教師がいることを信じられるからできること。特別な子もそこまでやれば叱られる、その事実が他の子どもの安心感につながり、だからこそ、その子にやさしくなれる。 チームワークとはどうあるべきか、考えるきっかけをいただきました。 支援を要する子どもが落ち着いてくると、それで安心してしまうこともよくあります。そうではなく、その子どもの将来を見据えて、どうあればよいかというゴールを考えることが大切になります。このお話は、荒れた学校が落ち着いたときとよく似ています。そこからどこへ向かうのか、次に何をするのかが大切になるのです。 学級経営でも同じです。「この子にこうなってほしい」「こんな学級にしていきたい」。そういう目指すゴールを持つことが必要です。一気にゴールに到達するのは難しいことです。だからこそ、できるようになるといいね、ここまでできたねとゴールまでのステップを意識しフォローしていくことが大切になります。 特別支援も通常の学級経営も大きな違いはありません。特別支援の考え方を通常の学級経営に活かすと言われます。逆に、通常の学級経営で大切なことが特別支援教育でも大切になるといってもよいと思います。学級経営がしっかりできる教師は支援を要する子どもがいてもうまく対応できることがその証拠でしょう。 基本となることは、まずコミュニケーションをしっかりとることです。子どもたちに「あなたはここにいていいんだよ」と居場所を持たせる。「みんな、あなたのことを大切に思っているよ」と自分が見捨てられていないことを伝える。こういうことが大切になります。 その上で、一人ひとりのゴールを意識し、できたことをほめ、次のステップに向かう意欲を高めることが大切になります。できた、できなかったというデジタルではなく、できるようになる途中であると認識し、そこで必要な言葉、メッセージをどう与えるかを考えることが大切なのです。 また、支援を要する子どもとのコミュニケーションで心理的距離を意識してうまくいった例もお聞きすることができました。直接話すと反発する子に、誰に言うともなくつぶやくことで聞かせる。心理的距離を少し調整することで、子どもの姿勢が変わることもあると教えていただけました。 特別支援に関しては、多くの方がピンポイントの「正解」を求めます。青山先生はやさしい口調で、この事例はたまたまであることを伝え、いかかでしょうかと私たちに考えることを促します。どんな子にも通用する魔法のような方法はありません。個の抱えている問題やその背景は異なっています。一人ひとりと向き合って、手探りで対応を見つけていくしかないことがたくさんあるのです。 その子に応じた対応が必要だから「特別」支援教育なのです。そうやさしく諌められているようにも感じました。 豊富な具体例をもとにしたお話と特別支援教育への青山先生の思いを感じることで、特別支援だけでなく子どもたちを育てるということはどういうことなのか、じっくり考えるきっかけをいただきました。ただ、知識や経験を伝えるのではなく、一緒に考えていきましょうという青山先生の講演姿勢も素晴らしいものでした。多くの学びと考えるきっかけをいただけた素敵な講演でした。ありがとうございました。 中学校の授業研究でアドバイス
昨日は、中学校で授業研究のアドバイスをおこなってきました。それに先立ち、何人かの先生方と一緒に校内の授業のようすを参観させていただきました。
1学期に訪問したときと比べて子どもたちの集中力が落ちているように感じました。2年生、3年生では教師によって態度が違ったり、教師の目が向いていないときに緩んだりする場面を目にしました。1年生では、授業規律がまだしっかりと確立していないようです。どちらが先かわかりませんが、教師の笑顔も子どもたちの笑顔も少なく感じました。 子どもたちが受け身となる場面が多く、挙手も少ない傾向にありました。わかった子ども、積極的に挙手する子どもが発言し、その言葉を受けて教師が一方的に説明する授業が目立ちました。子どもたちは静かにはしているのですが、自分たちで考えているようには見えません。教師の説明を無批判で受け入れ、板書を写すことが中心でした。子ども同士の関係も決して悪くはないのですが、ペアやグループ活動でテンションが上がる傾向がありました。あまり深く考えていない発言、課題と直接関係のない話題が気になります。 授業研究は、2年目の教師による1年生の英語の授業でした。 授業の最初に、曜日や天候、時間などを次々に全体に聞きます。子どもたちは、大きな声でしっかり答えることができていました。続いて、英語で好きな教科や運動に関して個人に質問します。その友だちの答えに対して、他の子どもにたずねます。子どもは一生懸命考えながら、たどたどしくても自力で答えます。とても集中していました。このとき、指名されていない子どもも顔を向けて真剣に聞いています。とてもよい姿でした。友だちの発言内容に関する質問を1人の子どもが答えるのではなく、全体で答えさせることで、より多くの子どもたちを活躍させることができます。このあたりのことを意識するとぐっとよくなると思います。 コーラスリーディングは、授業者が読んだ後それに続いて子どもが教科書を読みます。子どもたちはしっかりと声を出すことができています。その後1分間の音読の練習をしました。ここでも子どもたちはしっかりと練習をしていました。しかし、この練習は文章を覚えるためのものか、滑らかに読む練習なのか、子どもたちを見ていてもよくわかりません。1分間にどれだけ多く言えるかを競っているようにも見えました。練習終了後は、何も評価をせずに次に進みました。この一連の音読で教師の見たい子どもの姿は大きな声を出すことで、それ以外の目的はなかったようでした。目的を明確にすることで、子どもたちが自己評価することもできます。滑らかに読めるようにしたければ、教師が最初の単語を読むだけにして、後は子どもたちだけで読ませる方法もあります。覚えさせたければ、教科書を閉じてコーラスリーディングをする方法もあります。目的が明確になれば、それに応じて練習方法も変わっていきます。次は、こういうことに挑戦してほしいと思いました。 本時の主たる課題は、英語で自分たちのグループの紹介をすることでした。英文の基本形として、be動詞の用法と一般動詞の用法を復習して、まず個人で文をつくりました。ワークシートにはbutを使う、グループのメンバー1人を紹介する、we our group以外の主語を使うといった文も課題としてあげてあります。子どもたちは一生懸命に取り組んでいましたが、なかなか文がつくれない子どももいました。 個人作業が終わった後、「こういう文をつくってくれた人がいました」といくつか授業者が紹介しました。せっかく子どもが書いたのですから、ここは子どもに発表させたいところでした。 この後グルーループで紹介文をたくさんつくる作業に移りました。5人のグループでした。班長がいるのでしょうか、仕切っている子どもがいます。グループで発表するので、みんなの意見でどれを採用するか決めることになります。こうなると、どうしても自信のない子は発言できません。また5人という人数で、男子同士、女子同士が隣り合っていることともあり、全員がうまくかかわり合えていませんでした(グループ活動の人数参照)。用意された紙にグループの紹介文を書き、グループごとに発表しました。文をつくることが目的だったので、子どもたちは何を意識して発表するのか、どこを注意して聞くのか明確になっていません。文を見せずに発表して、内容が伝わることを発表の課題とする、といった工夫が必要です。発表の後、紙を黒板に貼って子どもたちの文の間違いを授業者が指摘して修正します。この場面も子どもたちを中心にして進めたいところでした。 この一連の活動では、子どもたちが文をつくるために必要なことが授業者に意識されていませんでした。紹介文の内容とそれを英文にするという2段階です。授業のねらいにつながるのは明らかに後者です。であれば、最初の段階をできるだけクリアしやすいようにする必要があります。作業に入る前に、「どんなことを紹介するといだろうね?」と子どもたち投げかけ、材料を集めておく。その上で英文をつくるための方法をある程度与えておくとよいでしょう。「今まで習った文で、どんなのが使えそう?」「どこを見るといい?」と問いかけたり、辞書を用意して「必要なら使っていいよ」と置いたりする工夫がほしいところでした。 最後に振り返りを書かせましたが、「○○できたか」という行動面、「○○がよかった」という情意面での振り返りが中心でした。ここは、何ができるようになった、何がわかったといった学習面での振り返りを大切にしてほしいところです。 検討会では、グループでの活動が話題になりました。5人組でよかったのか、うまく参加できない子どもがいた、個人で文を書けなかった子どもがいたので個人作業の時間はもっと必要だったのではないかなど、子どもの事実をもとにした意見がでてきました。また、若い先生が、最初の場面での子どもたちの聞く姿勢のよさと、課題のグループの紹介は日本語であっても何を書いてよいかわからないので、何か文の内容を考えるための手立てが必要だったのではないかという意見を発表してくれました。とても素晴らしい発表でした。 私からは、子どもが集中して聞こうとしていたことや、子どもの声がよく出ていたことなどのよかったところと、話題になったグループ活動について、そして学校全体の授業を見ての感想などを話しました。 グループ活動では、自分の考えを持つためにグループを利用するという原則、つまりグループで一つにまとめないということ、班活動と違ってリーダーは必要のないこと、個人作業で時間を与えたからといってできない子はできないままであるので、時間を延ばすよりもわからない、困った時に友だちに聞くことができるようにすること(一人で考えることにこだわりすぎない、個人作業にこだわりすぎない参照)などを伝えました。また、全体に関しては、子どもたちが受け身であること、教師がしゃべりすぎていること、笑顔が少ないこと、ポジティブな評価が少ないこと、教師が正確を求めていること、わかった子どもしか活躍していないこと(「わからないところ」から始める参照)、子どもが友だちの発言を聞くことに価値がないと考えていること(子どもが友だちの発言を聞かない理由、友だちの方を向いて話を聞く参照)などを伝えました。 検討会終了後、希望者と面談の時間をとりました。たくさんの方が希望してくださいました。授業をよくしたいという意欲の現れです。授業研究での授業者は、こんなことを話してくれました。 前回、子どもたちの見たい姿を意識するようにアドバイスされて、そのことを意識して授業をしてきたら子どもたちが変わってきた。子どもたちとの距離も少し縮まったように思う。 そのことは授業からも伝わってきました。素直にアドバイスを実行する姿勢が素晴らしいです。だからこそ、次の課題が見えてきます。次回、授業を見るのがとても楽しみになりました。 他の先生方も本当に真摯に自分の授業について考えていました。時間の関係で多くをアドバイスできなかったのが申し訳なく、とても残念でした。 3学期にまた訪問することができそうです。次回はその日だけでなく、事前に授業をつくりの段階からかかわらせていただければと思っています。たくさんの授業を見て、たくさんの先生と話ができた、充実した1日でした。ありがとうございました。 子ども主体のフェスティバル
昨日は、私が関わっている中学校で行われた地域ふれあい学びフェスティバルを見学してきました。このフェスティバルを見学するのも今年で9年目です。そのあり方は色々と変化してきましたが、現在は地域の方のバックアップのもと、子どもたちがイベントや模擬店を運営し地域の方に楽しんでもらう場となっています。
今年は、会場に入ってすぐに雰囲気の変化に気づきました。目立つ人が減っているのです。中心となって動く地域の支援者、PTAの方、先生方、そして頑張っている子どもたち、彼らの姿が見えないのです。だからといって、活気がないわけではありません。表に大人が出ていない分、活動している子どもの姿はいつもに増して多いのです。目にする生徒たちは、何かしらの役割を果たしています。昨年とは漂っている空気が違います(イベントの目指すべき姿参照)。一部の子どもが頑張っているのではなく、どの子も自分のこととして参加しているのです。 子どもたちが、地域の方に喜んでもらう、そのために自分のできることをする。参加された地域の方、特に小学生と接している生徒たちの姿にその意識を感じました。 いつもは忙しくブースの運営をしていた方々と初めてゆっくりとお話をうかがう機会を持てました。 今年は、子どもたちが中心となって運営をすることを大切にされたようです。総合的な学習の時間に地域の方と一緒に活動する経験もしている子どもたちです。今度は、「自分たちが主体となって地域に何ができるか」を考える場としてこのフェスティバルを位置づけたのです。そのために、大人の手がどうしてもたくさん必要なブースは廃止にしたようです。とはいえ、子どもたちだけですべてを運営はできません。地域の支援者が裏方に徹し、下支えをしているのです。子どもたちが自分たちで運営するということは、失敗したりトラブルが起きたりする可能性が高くなります。それを恐れるのではなく、失敗も含めて子どもたちによい経験をさせようというのです。 おもしろいエピソードを聞くことができました。喫茶室ではとても安い値段でコーヒーやホットケーキが提供されています。しかし、最初提案された値段はもっと高かったようです。仕入れ値から計算するとこのくらいになるという説明だったようです。しかし、喫茶室をひらく目的は、お金儲けではありません。少しでも多くの方にくつろいでもらうことが目的です。そのために、どんな努力や工夫をしたのか。仕入れ先を色々探してみたり、つくり方を工夫したりしたのか。そう子どもたちに問いかけたそうです。子どもたちがそれに応えてこの値段になったそうです。 大人の役目は、物理的に助けることだけではありません。子どもたちに考える視点を与え、時には厳しい課題を課すことで鍛え育てるのです。日ごろの授業だけでは学べないことをこのような場を借りて学ばせるのです。 この地区では地域と学校が一体となって子どもを育てていることを強く感じました。 目立たないところで動いている大人と黙々と働いている子どもたちの姿が印象的でした。最後まで見ることはできませんでしたが、終わった時には子どもたちの表情はきっと達成感、充実感で満たされていたことと思います。その子どもたちの姿が、大人たちの笑顔につながったことでしょう。 生徒全員参加の形になって4年目、いよいよ子どもたちが主体となって運営するフェスティバルとなってきたようです。こうなると今から来年が楽しみです。多くの子どもたちが主体的に参加するようになった半面、一人ひとりの絶対的なエネルギーはまだまだ高まる余力を感じました。きっと来年は、どの子も今年以上の力を発揮してくれることと思います。 理科(モデル)で大切にしたい問いかけ
理科では目に見えないもの、実際に確かめにくいものを、モデルを使って説明します。たとえば原子は目で見ることはできません。分子と原子の違いも目で確認にすることはできません。そこでモデルを使って説明しようとするわけです。
ここで注意してほしいのは、モデルは実際に起こっていることを説明する仮説だということです。モデルが先にあるのではなく、実際の現象が先にあるのです。原子の例でいえば、水素と酸素から水をつくる(水を水素と酸素に分解する)と気体比では常に水素:酸素:水=2:1:2になります。この事実を原子モデルでうまく説明できるかどうかが問われるわけです。世の中に認められるモデルを正しいものとして子どもに理解させようとするのではなく、現実に起こっていることを、モデルを使って(考えて)説明しようとする姿勢を持たせてほしいのです。これが理科と数学の違いなのです。常に現実の現象から出発するのが理科なのです。 水素と酸素を混ぜれば気体の体積はそれぞれの和になります。なのに反応して水になると、水蒸気に変化させて測っても異なる体積になります。しかし、質量の合計は反応の前と後で変化しません。これをどう説明すればよいのか? 2種類の元素A、Bから異なる物質がつくられることがあります。原料となる元素の質量の比の値A/Bをそれぞれ求め、その値を比べてみると、簡単な整数比になります。これを、原子モデルで説明できるのか? さきほどの、水素と水と酸素の比の関係は、同種の原子がくっつかないという原子モデルでは説明できるのか? 科学史をそのまま追体験させろと言いませんが、こういう問いかけを大切にしてほしいのです。そうでなければ、モデルを知識として理解し覚えることが理科になってしまいます。現象をどうとらえ説明するかという科学的なものの見方・考え方が身につかないのです。この見方・考え方は社会に出てからもとても大切になるものです。 天体の動きなども神の視点で描かれた図と動き(モデル)で考えますが、私たちはそれを直接見ることはできません。間接的にしか見られないのです。ですから、月の満ち欠けであれば、私たちが月に関して観察できる事実(30日周期で満ち欠けする、三日月は西の空に現れすぐに沈む、・・・)をまず押さえてほしいのです。その上で、これらのことが「このモデルで説明できるのか?」と問いかけるのです。 もう一歩踏み込んで、「このモデルで説明するならば月はどちら向きにまわっていなければならない?」と問いかけたり、「このモデルで考えれば南半球に住んでいる人は、月の見え方は北半球の人と何が同じで何が違う?」と問いかけたりしてもよいでしょう。実際にオーストリアでの月の見え方を映像で見せれば、モデルで考えることの意味を実感できるでしょう。 理科でモデルを扱うときは、モデルの説明から出発するのではなく、そのモデルが何を説明しようとしているのかをしっかり意識して、その妥当性を問うことを大切にしてほしいと思います。 子ども同士の関係がよいことで満足しない
以前に「子どもとの関係がよいことで満足しない」と書きましたが、では「子ども同士の関係」がよくなればそれでよいのでしょうか。子ども同士の関係がよくなってくると、学習への参加意識は高くなり、互いに聞き合いながら学ぶようになります。では、それに比例して子どもたちの学力は高くなるのでしょうか?
一般的には、下位の子どもたちが授業に参加できるようになるので、彼らの学力は確実に高まります。上位の子どもたちも、友だちに教えることでより深く理解できるようになります。当然全体で学力は向上していきます。子ども同士の関係がよくなり、互いに聞き合う関係ができるようになれば平均的な学力は向上するはずです。私の知る限り、学力テストなどでも検証できているように思います。しかし、ある程度の効果がでたあとは、そう簡単には伸びてはいきません。壁にぶつかるのです。 子ども同士の関係がよくなってきたからといって、それだけで学力がつくわけではありません。「わからないから教えて」と聞けるという関係は大切です。しかし、誰かが必ず答を持っているわけではありません。解決のための方法を知らなければ解決できない問題はたくさんあります。子どもたちが問題解決の方法を学んでいくことが必要です。 たとえば、歴史を学ぶことを考えましょう。教科書や資料集を調べて、書かれていることを抜き出せば学力がつくわけではありません。書かれていることを覚えれば知識はつくかもしれませんが、それだけで学力がついたとはいえません。調べたことをもとに、原因や結果などの関係を整理したり、それぞれの立場で考えたりといったことが必要です。こういう学び方をして初めて本当に学力がついてきます。教師が意図的に、問題解決の方法や学び方を身につけるような働きかけをする必要があるのです。 課題を解決する過程で子どもたちが気づいた方法を共有化する方法もあります。課題をスモールステップで解決することで、解決の手段を意図的に経験させ、次第にステップを大きくする方法もあります。もちろん、解決方法そのものを教師が整理して教える方法もあります。 いずれの方法をとるにしても、子どもたちが自分で解決する経験を積むことが大切になります。そのためには、子どもたちが孤立していては一部の子どもしかその過程は経験できません。多くの子どもは誰かが解決した後、その結論を受け身で聞かされるだけになります。そうではなく、たがいに過程を共有化しながら学び合うことで、どの子どもも自分の経験として身につけることができるようになるのです。これは、子ども同士の関係がよく、学び合いが成立していないと難しいことです。 もう一つ大切なのは、課題そのものの質です。子どもたちに学び合う土台ができていれば、どんな課題でも子どもたちは互いに相談しながら集中して課題に取り組みます。教師はその姿を見てよく学んでいると満足します。しかしその課題に取り組んだ結果、最終的に子どもたちに何の力がついたのかわからない。残念ながら、そのような授業に少なからず出会います。子どもたちに学力をつけるためには、目指す力がつくような質の高い課題を提示する必要があります。 教師と子どもとの関係がよくなり、子ども同士の関係がよくなることはよい授業をつくるためのインフラです。そこからが本当の勝負になります。子どもが自分たちで学べるようになるためにはどのような力(メタな力)が必要なのか、学力をつけるためにはどのような課題であるべきなのか。学びの本質を問い、教材研究をすることが必要です。教師自身の学ぶ力が求められるのです。 充実した研修会(長文)
昨日は、市主催の研修会の講師を務めました。3回構成の最後の会です。夏休みの模擬授業での検討(模擬授業で研修参照)を踏まえた上での授業研究です。どのように変化しているかとても楽しみです。他の参加者も私と同じ気持ちだったと思います。
小学校6年生の社会科の日露戦争の授業です。 最初に「この市の名前ができたのはいつか」を3択のクイズでたずねました。子どもたちは盛り上がります。ここで、すかさず本題の資料を黒板に貼りました。子どもたちはすぐに集中します。ムダにテンションを上げ続けない、よい展開です。準備した資料は、大きな目が縦に2つ描かれ、日露戦争の前後を表す1904と1905の数字がそれぞれに書かれています。その瞳には、ロシア人と日本人が、日露戦争の前はロシア人が大きく、後では日本人が大きく描かれています。残念ながら元の資料が小さいため、拡大コピーした図は瞳の中がよくわかりません。しかし、よくわからないからこそ子どもたちは真剣に見ようとしていました。授業者は、子どもたちに気づいたことを発表させます。しかし、肝心のロシア人と日本人については、図からわからないので自分で説明し、日露戦争の前と後では世界の両国を見る目が変わったと説明しました。資料がもう少し鮮明であれば子どもたちから引き出すことができたのに残念です。ここは逆手にとって、「この数字は何だろう?」「この瞳には人が映っているが、どんな人だろう?」と考えさせる展開もあったと思います。 ここで本時の課題が示されました。「日露戦争について知り、考えを深めよう」です。すぐに子どもたちは作業に移りました。与えられたワークシートには「調べてわかったこと」と書いた大きな枠があるだけです。このようなねらいで、何をすればいいのか子どもはわかるのでしょうか。このようなワークシートで子どもたちは作業できるのでしょうか。何を書くのでしょうか。どの参加者も子どもたちの手元を真剣に覗き込んでいました。 子どもたちは、どんどん書き込んでいます。教科書や資料集から箇条書きに抜き出していきます。どの子どももなすべき作業を心得ているようです。こういうあいまいな指示をした時ほど、今までどのような学習をしていたかがよくわかります。「知る」ということは、教科書や資料集から関連することを抜き出す作業と捉えられているということです。中には、関連を矢印で書いている子どももいましたが、ほとんどの子どもは、見つけた順番に抜き出しています。戦争の「背景」「原因」「直接のきっかけ」「戦いの推移」「最終的な結果」「その影響」などの視点が明確にはなっていません。とりあえず、抜き出しているのです。 続いて、「50点を基準にして点数をつける」ことを指示しました。同じ作業を日清戦争でもしていたのでしょう。子どもたちはよどみなく点数化に取り組みます。点数化はもっと色々な場面でおこなっていたのかもしれません。子どもたちは抜き出した項目ごとに+何点、−何点と次々に点数をつけていきます。子どもたちが箇条書きをしていた理由がよくわかります。こうすることで、得点化がしやすいのです。50点を基準にすることで、自然にプラスとマイナスで評価するようになります。絶対的な点数よりもプラスかマイナスかがポイントとなり、項目ごとプラス・マイナスを判断するので根拠を持って話し合うことができます。なかなか面白いやり方です。 このやり方を前提とするのであれば、ワークシートを2つに区切って、プラスとマイナスに分けて抜き出すようにした方が、より考えながら作業をするかもしれません。 個人作業のあとはグループでの話し合いです。ここでグループとしての得点を決めます。子どもたちは、根拠となる項目をもとに話し合うことができています。ただ、決められた班長が発表することになっているので、班長が仕切ったり、逆に班長が点数を決めることにこだわって根拠については深く考えていなかったりしました。 黒板に各グループがつけた得点が小型のボードに書かれて貼られます。その理由を班長が発表します。授業者は、子どもの言葉を受容し、さらに聞き返しながら子どもの考えを引き出そうとします。ところが、多くの子どもは発表者の方を向きません。先ほどの話し合いの姿勢とはだいぶ違います。といって授業者の方を注目しているわけでもありません。このやりとりは自分には直接関係ないと、傍観者となっているのです。 これは子どもからの言葉を引き出した後、授業者がもう一度その内容を説明し、そのあとで「どう思う」と聞いていることが原因の一つです。授業者はつなごうとしているのですが、教師が説明した後では子どもはあえて考えようとはしません。同じ考えであっても「もう一度聞かせてくれる」というように、他の子どもにたずねることが必要です。子どもが参加することに価値を見出すためには、教師が子どもを受容するだけでなく、外化したことをポジティブに評価することが大切です。子どもたちの発言や反応を評価しないために、子どもは積極的に参加してくれないのです。 発表者が班長ということも問題です。班長に任せておけばよいとう無責任な雰囲気が出てしまいます。基本は、班長を設けず、グループで話し合っても個人で結論をだすことです。グループのことを聞きたければ、「どんなことを話した?」と個に聞く、うまく言えなければ、「グループの人助けてあげて」とつなげばよいのです。子どもたちにどう当事者意識を持たせるかが大きな課題でした。 子どもたちが発表をする中でおもしろい場面がいくつかありました。 日本が戦争の結果領土を得たことを、プラスに評価するグループとマイナスに評価するグループがありました。授業者は焦点化しその理由を確認するのですが、それ以上うまく切り込めません。なぜなら子どもたちは今の自分の感覚・視点で点数をつけているからです。点数化の問題は子どもの感覚でつけていたところにあったのです。ここは、「じゃあ、当時の人はどう思っていたのだろう」と切り返し、もう1度考えさせれば、歴史を考える視点に気づかせるよい機会になったように思います。 「アジアの人に勇気を与えた」からプラスという意見も出されました。子どもたちは、「勇気を与えた」とポジティブな表現で書かれていたから、そのまま深く考えずにプラスと判断しただけです。授業者はその内容の詳しい確認はしませんでした。「それってどういうこと」と聞き返すことで、当時の欧米の植民地政策や、そのためにアジアがどういう状況であったか考えるきっかけとできます。めあての「考えを深める」ことにつながるところでした。 子どもたちの集中力が一時的に増した場面もありました。 「一番点数の少なかった」グループに発表してもらおうと授業者が言ったときです。「一番点数の少なかった」という評価があったので、どうしてだろうと子どもの関心が高まったのです。 また、「原爆と同じくらいの死者が出たのはマイナス」という意見が出ましたが、原爆で何人くらい死んだがという数字は具体的にされませんでした。授業者もよくわからないと言ってそのまま進んだのですが、かなりの数の子どもが資料から調べていました。授業の流れからは問題ですが、「本当に同じくらいなのだろうか?」と自分が持った疑問なので集中して調べたのです。子どもが「???」と思うことがいかに学習の原動力になるかがわかります。 最後に、この市の名前ができた年が日露線戦争の直後で、その時活躍した巡洋艦の名前と同じであることを話して終わりました。このとき、子どもたちは、最初強い興味を示したのですが、途中からは体を反らせながらゆるい態度で聞いていました。この内容が試験に出るような内容でないとわかったからかもしれません。都会の子どもに多い功利的な態度にも見えました。おもしろい場面でした。 授業を全体として評価すると、日露戦争に関する事柄を子どもが抜き出して「知る」ことはできたのですが、その事柄を子どもの視点で評価しただけで、もう一つのめあての「考えを深める」には至りませんでした。 どの先生も子どもたちのようすをしっかり観察していました。そこからどんなことに気づいてくれるか、検討会がとても楽しみでした。 どのグループも大きく3つのことを話題にしていました。 ・資料も精選し、導入の時間を短くして子どもの活動時間を確保したことはとてもよかったが、資料の細部がはっきりしないことが残念だった。 ・どの子どもも、ワークシートにぎっしり書くことができていたことは素晴らしいが、主観的な点数評価であったことが残念だった。 ・子どもを受容し、子どもの考えを引き出すところはよかったが、発表者とのやり取りで終わってしまった。つなごうとはしていたのだが、うまくつながらなかった。 よく見ています。最初のグループの発表がよくまとまっていたこと、どのグループも同じようなことに気づいていたことから、順番に発表することを止めて、最初のグループの発表をつなぐことにしました。まず、同じことに気づいたかを他のグループに確認します。その上で、どのようなことを話したかを聞くことで考えが足されていきます。最初のグループの発表をもとにして一通り聞いた後、今度は、今まで話題に出なかったことを他のグループに聞かせてもらいました。こうすることで話がつながりますし、同じことを何度も発表したり、聞かされたりするムダな時間を減らすことができます。こういう進め方もあることを体験してもらいました。 とてもレベルの高い参加者のおかげで、充実した検討会になりました。 では、この日の授業は課題の多い、あまり評価できないものだったのでしょうか? 決してそうではありません、前回の模擬授業と比べて多くのことが進歩しています。 ・導入を短くし、子どもたちの活動時間を多くした。 ・子どもたちがたくさんのことを書き出せるように鍛えていた。 ・自分のしゃべりを少なくして子ども同士をつなごうと意識していた。 ・・・ だからこそ、とても多くのことを学べたのです。いつも言っていることですが、授業がよくなればなるほど課題が見えてくるのです。子どもが活動するからその中身が問われるのです。 今回、この学校の教務主任が、授業から検討会、その後の授業者との懇談にずっと付き合ってくれました。どのような授業になるか、本人以上に緊張して参観しているようにも見えました。当事者意識を持った、共に学び合おうとする素晴らしい姿勢です。このような教務主任のもと、授業者はさらに伸びていくことと思います。 今年度も、無事3回の研修会が終了しました。年々レベルアップしていることを感じます。各学校のレベルがアップしているから参加者のレベルがアップしているのです。過去の参加者は言うに及ばず、研修担当の先生方が色々な面で学校によい影響を与えているからこそ、市全体がレベルアップするのです。手ごたえのある研修にかかわらせていただくことは、本当に幸せです。今年も充実した時間をありがとうございました。 美術で大切にしたい活動
言語活動が重視されてきた影響か、作品つくりが終わったあとに発表時間を持つことが増えているように思います。このとき、作品について本人が発表し、感想を他の子どもが伝える形式が多いようです。自分の作品のよさは本人には語りにくいものなので、工夫を発表する・させることが多くなります。感想は作品のよいところを伝えるのですが、本人が工夫を発表するので、どうしてもそれに関連したコメントになりがちです。視点が広がりにくく、盛り上がりに欠けたものになってしまいます。
そこで発想を変えて、友だちの作品に対するレポートを発表するという活動を取り入れてみてはどうでしょう。 たとえばグループのメンバーがそれぞれ別のグループの作品を取材に行きます。その取材結果をグループで発表し、そのレポートを聞いて興味を持った作品を各自が見に行くといった活動です。 作品のよさ(具体的にどこが)、参考になる工夫、ここがお勧めといったものをレポートすべき項目としてあらかじめ指定しておくと、作品を見る視点を与えることができます。あらかじめ作品に対して見る人にどのように思ってもらいたい、どのようなことを工夫したという制作ノート(メモ)をつくっておいて、それに対応する項目をレポートの項目にしてもよいでしょう。友だちのレポートと比較することで、自分の作品の意図や工夫がどのように伝わったかを知ることができます。 全体で、誰のどの作品に対するレポートがよかったかを共有することで、よい作品を作った子どもだけでなく、友だちの作品のよさを伝えることができた子どもも評価することができます。 また、言語活動をより重視するのであれば、ペアで互いの作品のレポートをつくるといった方法もあります。作品を間に挟んで、自分の感想を伝えながら、思いや、工夫を相手にインタビューするのです。子ども同士の関係がよくないと難しいところもありますが、コミュニケーションスキルを身につけるのにも有効だと思われます。 もちろん、ペアにこだわらずにグループでのレポートづくりや、他のグループへの取材にインタビューを取り入れてもよいと思います。 技能系の教科では、作品に語らせる、作品から感じとる・読みとるといった、作品を通じてのコミュニケーションを大切にしてほしいと思います。こうすることで、制作の得意な子どもだけでなく、鑑賞する力、伝える力のある子ども評価することができます。是非このことを意識してほしいと思います。 目的と手段の関係を明確にする
子どもたちが課題解決をするためには手段が必要です(課題解決の手段を考える参照)。このとき、つねに教師がその手段を与えていると、子どもは受け身で指示されたことをこなすことが学習だと思うようになってしまいます。また、一つひとつ作業をこなすだけでは、その作業の持つ意味が理解されません。これでは、自ら課題を解決する力は身につきません。
たとえば、課題を解決する手段として、解決にいたるステップを穴埋めにしたワークシートを準備したとしましょう。子どもたちは穴埋めをしていくと学習した気持ちになりますが、ワークシートの穴を埋める行為が何の意味があるかは深く考えません。 歴史を例にして考えてみましょう。ある人物が目指した政治を考えるときに、「どんなことをしたか?」、「その内容は?」、「それは何のため?」、「その結果は?」を調べ、最後にそこから「目指した政治はどのようなものか?」「それは結局成功したのか?」を導くのが作業の流れです。しかし、このような流れのワークシートで作業をさせても、何のための作業かが不明確なままなので、子どもにとってはミステリーツアーです。「目指した政治はどのようなものか?」を課題として明確にし、それを考えるための手段として個々の作業を意識させる必要があります。課題を解決するという目的のために、どのような手段が必要かを明確にするのです。 しかし、「目指した政治はどのようなものか?」を考えるために、「どんなことをしたか?」を調べましょうとその手段を教師が与えてしまえば、目的と手段の関係を明確にしても受け身であることには変わりありません。「目指した政治はどのようなものか?」を考えるために、どのようなことを調べるとよいかを考えさせることで、初めて、子どもたちが課題解決の手段を意識するのです。 国語であれば、指示語の内容を考えるときには、「文章を正しく読みとるためにはどんなことに注意すればよかった?」というように、登場人物の気持ちを考えるときには「文章のどんなところに注目する?」というように問いかけます。 算数・数学であれば、「○○を求める(証明する)」ことが目的であることを確認した後、「最初に何をやってみようと思う?」、「何がわかれば解けそう?」といったことを問いかけます。 課題解決を意識して作業をする。作業がどのような課題解決に役立ったかを振り返る。いきなりは無理かもしれませんが、このような経験を通じて、自分でその手段を見つけることができるようにすることが大切です。 課題解決のためには色々な手段があります。目的を達成するためにどのような手段を選ぶか。逆に一つひとつの手段がどのような課題解決に有効であるか。このことを意識し、目的と手段の関係を明確にすることで、子どもたちの課題解決能力を高めてほしいと思います。 授業アドバイスが活かされる学校
多くの学校で授業アドバイスをしていて感じるのが、アドバイスがすぐに活かされる学校となかなか変化しない学校があるということです。個別アドバイスであれば基本的に個人の資質の問題のはずなのですが、それでも学校としての差を感じるのです。
効果のでる学校は、教務主任や研修担当者が積極的に先生方とかかわっています。授業研究のときであれば、授業構想や指導案の検討など、授業づくりに関して最初の段階から相談に乗っています。事前の検証授業なども必ず参観してアドバイスをしています。また、同じ教科や学年でバックアップする体制をつくったり、研究授業を教科や学年の提案としてチームでおこなったりするように働きかけています。 全体研修ではなく個人への授業アドバイスのときでも、アドバイスの場面に立ち会うことや、その後の授業の変化を見てよくなった点をほめるといったフォローを欠かしません。また、個人の授業へのアドバイスだからといって一人にせずに、教科や学年全員で聞くように仕向けたりします。ペア、グループ、チームといった小集団でのかかわりを大切にしているということです。 授業を変えるということは、新しいことに挑戦するということです。それには勇気がいります。一人ではなかなか変える勇気は持てません。大丈夫と励ましてくれる人、一緒に挑戦してくれる人、そういう人がまわりにいなければなかなか一歩は踏み出せません。また、挑戦してもそのことを評価してくれる人がいなければ、続くものではありません。 授業で困っている先生には寄り添う人が必要です。先生同士が互いに支え合う関係が大切です。ですから、うまくいく学校は同時に複数の先生方の力量が向上します。互いによい影響を与え合っているからです。 こういう、うまくいっている学校は「雰囲気」がよいと評されることが多いようです。「雰囲気」という言葉は自然発生的な感じがします。しかし、そうではないのです。「雰囲気」は、それをつくりだすムードメーカーが必ずいるのです。うまくいっている学校は、教務主任や研修担当者が意図的にムードメーカーとして先生方に働きかけているのです。こういう動きを大切にしてほしいと思います。 研究授業10番勝負!(長文)
昨日は中学校で授業アドバイスをおこなってきました。「研究授業10番勝負!」と題して、2時間目から6時間目を使って若手10人が研究授業をおこなってくれました。刺激的なタイトルですね。授業にかける意気込みが伝わります。このような企画ができること自体この学校の勢いを感じます。そのことはどの授業にも空き時間を使って授業参観している先生がたくさんいたことからもわかります。私も彼らの気合に負けないように5時間真剣勝負でした。
どの授業も教師の子どもに考えさせたい、発言させたいという思いがあふれていました。正解といった言葉も聞かれなくなっていました。しかし、残念ながらまだ1問1答が多く、教師の求める答に近い発言があるとそれを受けて教師がつい説明しすぎる場面がありました。また、子どもの発言を認めて板書するのですが、教師の言葉に置き換わってしまったり、すべての発言ではなく教師が選択したりしている場面もありました。言葉を置き換えると、子どもは自分の言葉と違うと感じます。自分の言葉だけが書かれなければ、不正解と言われたように感じます。教師の求める答を言わなければいけないと思うようになり、答え探しをし始めたり、ネガティブな評価をされないために発表をひかえたりするようになっていきます。 できるだけ子どもの言葉を忠実に再現する。もし、言葉が足りないようであれば、「それってどういうこと?」と聞き返したり、「今の意見と同じ人いるかな。○○さん聞かせて」と他の子どもにつないだりして、子どもたちが言葉を足していくようにする。 板書するなら全員必ず書く。「今の意見に納得した人」「たくさんいるね。じゃあメモしておこうか」というように、子どもたちの判断をもとに板書するかどうかを決める。 こういった工夫が必要になります。 協働学習ということで、グループ活動を積極的に取り入れている授業が多かったのですが、課題が子どもたちにしっかりと理解されていなかったり、子どもたちにとって必然性のないものであったりしたため、今ひとつ深まっていかない場面が目につきました。また、男子同士、女子同士が隣り合っていたり、6人構成のグループがあったりしましたが、やはり話し合いがグループ全体に広がっていないようでした。4人構成で市松模様の座席がよいように思います(グループ活動の人数参照)。 授業後、教科ごとに話をさせていただきました。 国語科は、参観した2人とも子どもの発言に対してきちんと根拠を求めていました。教科としてこのこと大事にしていることがわかります。ただ、子どもから出された根拠を全員が共有したり、その根拠もとにもう一度考え直したりといった、根拠をつなぐことがまだできていませんでした。つなぎ方についてアドバイスをさせてもらいました(子どもの発言つなぐことを考える参照)。 社会科は、課題の持ち方について話をしました。 まず、この授業で大切なことがらを挙げていく。その中で一番大切なことは何か、子どもたち本当に考えさせたいことは何かをしぼる。子どもたちが考えるためにはどのような課題とするとよいかを子どもの視点で考える。子どもにとって求められていることが明確で、何をすればよいかがわかりやすい課題を目指し、必要な予備知識や資料を整理する。 このようなことを意識してほしいことを伝えました。 また、教科書の記述や資料は本当によく考えられていること。なぜこのような記述があるのか、なぜこの資料なのかといったことを真剣に考えると実に多くのことが見えてくることを話しました。教材研究の一環として教科書を読みこむことを大切にしてほしいとお願いしました。 理科は、参観した2人とも3年生の仕事の定義の場面でした。 実際に物を動かして見せたりして、子どもが課題を把握しやすいように工夫をしていました。子どもたちもわかりたいという意欲をしっかり見せてくれていました。 残念なことに、教師が理科の用語を曖昧なまま使っていたために、子どもたちが定義をしっかり理解できていませんでした。具体的には、「仕事=力×移動距離」と定義し、移動距離については力の方向であることを強調していたのですが、力の大きさはただ力とだけしか言いませんでした。また、何がした仕事かという主語を一度も明確にしませんでした。どの力の仕事かが明確になっていなかったため、荷物を地面と平行に移動したときの仕事が0ということがうまく理解できずに混乱してしまいました。「力のした仕事=その力の大きさ×その力の方向に移動した距離」と定義するべきだったと伝えました。 美術は、指示と確認、鑑賞の時間の持ち方について話しました。 明るくにこやかに子どもたちと接しています。言葉もとても聞きやすく、指示も明確です。しかし、次々と一方的に指示をしたため、いざ活動となるとわからなくなった者が続出しました。活動前に大丈夫かとはたずねたのですが、だれもわからないとは言いませんでした。指示の徹底方法について説明しました(指示を徹底させる参照)。 「日本らしいデザインの扇子をつくる」という活動の最後の鑑賞の場面でした。自分の作品について「日本らしいデザインについての工夫」をグループで発表し、発表を聞いた人はそこから学ぶという流れでした。ワークシートに工夫をまとめる時間を事前に取っていましたが、これはあまり意味のない時間です。制作に入る前にきちんと具体的にしてあれば、それをもとに話をすればよいからです。また、原稿を書いたため、結局それを読むことが発表になってしまいました。小グループでの活動です。全体での発表と違い、作品をはさんでもっと自由に話し合えるようにした方がよかったでしょう。 また、鑑賞は作品から読み取ることが大切です。本人が語るのではなく作品に語らせるのが本来だと思います。言語活動を意識するのであれば、友だちの作品を見てどんなところがよかったか、それはどんな工夫があったからかといったことを発表する。他のグループの作品を見て、自分のグループに紹介するといった活動もあることを伝えました。 英語は、子どもが考える授業について話しました。 授業者は授業規律をしっかり守らせることのできる方です。子どもはとてもよい姿勢で授業者を見ています。しかし、子どもたちは残念なことに、形は守るのですが積極的に授業には参加はしていませんでした。復習の場面では、数名しか手が挙がりません。その内容が書いてある教科書のページは開いているのですが、そこを見て確認しようともしません。受け身なのです。一方、ペアやグループでの活動は実に楽しそうで、笑い声も聞こえてきます。しかし、ちょっとテンションが高すぎます。子ども同士の人間関係はよいのですが、授業の内容と関係ない言葉も聞こえてきます。子どもたちが授業の内容に集中して積極的にかかわるようにする工夫が求められます。 英文をただ覚えてしゃべるという活動では、子どもたちは考えることをしません。英語の勉強はただ英文を覚えればよいと考えてしまえば、必要な英文と情報が手元に残っていることで授業に参加する目的は達成されます。その内容を試験前に覚えれば十分だからです。そうではなく、英語を考えて使うことを通じて、実際の場面で使えるようにすることが求められます。 常に教師の発声を繰り返す、覚えた英文をただしゃべる。こういう活動ではなく、考えなければしゃべれない活動に変えます。たとえば簡単なQ&Aをペアでおこなうときでも、いくつかの例文からどれかを選んで質問するようにすれば、その質問をしっかり聞いていなければ答えられません。また、相手の返答によって質問側も返す言葉が変わるようにすれば、互いにしっかり聞き合わなければなりません。相手の言葉をきちんと聞かなければ対応できない活動にすることで、話し手は伝わるように話さなければいけないし、聞き手は相手の言うことをしっかり聞いて理解しなければいけません。これが成立するためには双方が努力することが必要です。自分だけ頑張ってもうまくいきませんが、互いがかみ合ってうまくできれば、達成感はとても大きなものになります。人間関係もよくなります。まさに、これがコミュニケーションの本質です。このような英語活動の例(英語で大切にしたい活動参照)をいくつか提示しましたが、これにこだわらず先生方で色々工夫をするようにお願いしました。 数学科の2人は、前回と比べて格段の成長をしていました。先輩教師がいかに彼らにかかわりあってよい影響を与えているかよくわかります。 教師の説明を減らし、子どもの言葉を何とか引き出そうとしています。子どもからうまく言葉がでなくても、待つことができるようになっていました。 残念だったのが、子どものちょっとした言葉をうまく活かせなかった場面があったことです。作図ツールを使って代表の子どもが図形を動かした時に、「えー」と声を発しました。子どもが想像したのと違った動きだったからです。ここで、「どうしたの?」と問いかけることで、あとで、教師がそのことを説明しなくても、この図形の動きが与えられた条件に縛られていることを気づかせることができたはずです。あえてこの図形が条件に縛られていることを事前に言わなかったのは、子どもたちに気づかせたかったからのはずです。その意図を活かすチャンスにもかかわらず拾うことができなかったのは、こういう言葉はうっかり拾うとうまく対応できないことがあるからです。授業者はそのことを恐れて拾わなかったのです。同じような場面がもう一人の授業でもありました。やはり同じように思ったようです。 「子どもの反応や発する言葉はきっと活かせるはずだ」。そう確信することが大切です。問題は自分がうまく活かせそうもなかったときの対処方法を知っているかどうかなのです。一つは、他の子どもにつなぐことです。「今の言葉、なるほどと思った人」「○○さんの言いたいことがわかった人いる?」というように他の子どもにつなぐことで、子どもが助けてくれることがよくあります。それでも活かせそうもなければ、「なるほど、そんなことを考えていたんだ。教えてくれてありがとう」というように、しっかり認めたうえで捨ててしまえばいいのです。こういったやり方がわかっていれば、とりあえず子どもが反応したら気軽に聞いてみようと思えるようになるのです。 とはいえ、2人の授業は若手としてはレベルの高いものです。だからこそ、課題が見えてくるのです。これからは、今まで以上に教材研究が必要になってきます。子どもが深く考えるためには課題や発問が大切になります。子どもの言葉を活かすためには教科内容の背景も深く理解していなければなりません。とても意欲の高い2人です。これからもきっと大きな成長を見せてくれると思います。 研修担当の先生は、授業アドバイスの間ずっと私たちの話をパソコンでメモしていました。また、どの授業も指導案作成段階から相談に乗り、アドバイスされていたようです。こういう表には出ないバックアップが先生方のやる気を引き出すことにつながっていると思います。そうでなければ10人もの先生が研究授業に手を挙げるようなことは起こり得ません。もちろん、それだけではありません。どの先生もとても前向きで授業をよくしたいという思いにあふれていたからこそです。熱心な先生方とのお話はとても楽しく、ついつい長話になってしまい、勤務時間を大幅に超過させてしまいました。申し訳ありませんでした。10人の授業者、研修担当の先生、アドバイスに同席いただいた先生、一緒に授業参観された先生、みなさんから本当にたくさんのことを学べた1日でした。心から感謝です。 |
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