野口芳宏先生から学ぶ

本年度第4回の教師力アップセミナーは、野口芳宏先生の講演でした。11年連続のご登壇です。一本筋の通ったぶれないお話の中に、毎年新しい気づき、学びがあります。

午前の講演は具体的な教材をもとに、教材内容と教科内容、子どもの向上的変容、学力形成の判定などについてお話しされました。聴衆に若い先生が増えたことをお伝えしたせいでしょうか、いつも以上にわかりやすい例をもとにお話しいただけました。

国語の授業では教材文を通じてどんな国語の力をつけるのかが問われますが、そのことを算数の足し算の例をもとに、教材内容、教科内容という言葉を使って説明されました。野口先生は短い言葉(用語)で端的に表すことで、考え方や概念をとてもすっきりと明確にされます。算数・数学で、用語を定義し概念を明確にしていくことと同じです。国語の授業は算数・数学と同様に論理的でなければいけないという私の思いを見事に具現化していただけるのが野口先生です。

学力形成の判定を次のように整理されました。

1 入手・獲得
2 訂正・修正
3 深化・統合
4 上達・進歩
5 反復・定着
6 活用・応用

教師がこの言葉を意識し、授業の各場面を評価することで、間違いなく子どもたちに力がつくと思います。

かな表記を漢字に変え読字力をつける。「姿を変える」を「変身」と言い換えることにより抽象度を高め、思考力のもととなる語彙を増やす。ともすれば、できるだけやさしく言い換えよう、わかりやすく説明しようとしがちな私たちに対して、学力形成のためにはチャンスを活かして子どもを鍛えるという姿勢とその具体的な方法にはとても説得力があります。子どもたちを「鍛える」者としての教師のありようを常に具体的に示していただけます。

午後の最初は、2年目の教師の道徳の授業ビデオをもとに会場の方と学び合おうというものでした。授業のハイライトシーンを視聴後まわりと話し合っていただき、その意見を全体で共有しました。指名された方はどなたも授業をポジティブに評価され、その上で自分なりの考えや改善案を具体的に話されました。参加者のレベルの高さがうかがえます。
最後に野口先生にコメントをいただきました。まず、ビデオで省略されていた最後の説話を聞かせてくれというリクエストです。授業者の学生時代の体験の話でした。そのあと、参加者に授業ビデオと今の説話のどちらがよかったかを問いました。圧倒的に説話です。それを受けて、授業ビデオの部分は職業的に話していた。一方説話は私的な話だ。表情も違う。教育には2つの側面がある。伝達と感化だ。伝達は忘れさられ剥がれていくが、感化は内面化され消えていかない。こう話されました。
まいりました。いかに伝えるか、理解させるか、そのためのスキルをどうするか。私のアドバイスも、まず目先の授業を改善するためにこういった話になりがちです。感化するとは、そういった技術の問題ではなく教師自身の在り方、内面の問題です。ここに踏み込むことは、相手に迫ることであり、それと同時に自分自身もどうであるか問われることです。それを臆することなく言う、求めることができる野口先生のすごさに圧倒されます。私のしているアドバイスが野口先生の前では薄っぺらなものに思えてきます。もちろん、私とて教師の根本部分を問うことをしないわけではありません。しかし、野口先生のように自らのありようを持って示せているかというと、とても比らぶべくもありません。またひとつ大切なことを教わった気がします。

最後の講演は、皇室についての考えをお話しされました。色々と異論のある微妙な問題ですが、臆することなく自らの考えを伝える姿勢には背筋が伸びます。講演後、先生のお話の中で私の知識とずれていたことに関してお話しさせていただきましたが、しっかりと聞く耳を持っていただけました。謙虚な姿勢には頭が下がります。

この日、一聴衆として野口先生の話に引き込まれていたのですが、その理由を考えてみました。たとえば、私が講演をするときは自分のリズムやテンポに聴衆を合わせようと意図的に声の大きさや間をコントロールします。動的です。それに対して野口先生にはそういう意図的な動きは全く感じられません。実に自然に話されるのですが、いつの間にか引き込まれているのです。目の動きは自然に聴衆のようすを追っています。聞き手が話を飲み込めた、どういうことだろうと興味・関心を持った、その瞬間に次の言葉が発せられるのです。野口先生にこのことをお聞きしても、意識はされていないそうです。当り前のように相手に合わすことができているのです。名人の名人たる所以です。

今回も野口先生から多くのことを学ぶことができました。そばにいて同じ空気を吸っているだけでも何か学べる気がします。感化力のある方とはこういうものなのでしょう。ありがたいことに、来年のお約束もいただけました。次回お会いする時が今から楽しみです。

中学校の授業研究でアドバイス

昨日は中学校で、数学の授業研究のアドバイスをしてきました。今回は、若手の先生3人に子どもたちのようすから何がわかるかを解説しながら授業を見学しました。

TTでおこなわれた、1年生の1元1次方程式の活用の最初の時間でした。T1は以前と比べてずいぶん柔らかい雰囲気をつくることができるようになっていました。そのせいか、子どもたちは授業者ととてもよい関係で、実に素直に自分たちの気持ちを態度で表現していました。おかげで、子どもたちの動きから授業の課題が明確になってきます。学ぶことの多い授業でした。

最初に小テストで方程式の解き方を確認します。すぐに全員が集中していたのですが、できた子どもたちは、何もすることがないので集中を切らしていました。落ち着いていてじっと待っていますが、何かを考えているわけではありません。手遊びを始めている子もいます。テスト形式にこだわると、このような弊害があります。そのデメリットを越えるメリットがないのであれば、テスト形式にこだわらず、まわりと相談したり確認し合ったりを許す、練習問題形式の方がよいように思います。
答え合わせは、式の変形の1行ごとを子どもに言わせるのですが、残念ながら子どもたちは発表者の方を見ません。子どもたちの関係はできているのですが、発表をすぐに授業者が板書するので、そちらの方がわかりやすいからです。また、変形の結果だけを問われているので、友だちの言葉を聞く必然性もあまりありません。子どもたちは自分にとって聞く価値のあるものしか聞かないのです。なぜ先にカッコを外すのか、なぜ同類項をまとめるかといった、一つひとつの手順の意味、価値を問うといったことをしなければ、教師の板書を写せば済むのです。逆に手順の確認だけであれば。早いテンポで進めないと、考える必要の無いところで無意味に時間が消費されます。

最初の課題は、3か所穴のあいたレシートから、買った商品の単価を求めるというものでした。教科書の例題は同様のレシートから、問題を文章化してそれを解くというものです。この例題の前にまずこの課題に挑戦するという流れです。
子どもたちは、黒板に貼られたレシートを見て大いに興味を持ちます。集中力が上がりました。授業者が黒板にリンゴ1個の値段を求めようと書くと、全員が集中して写していました。課題は写すというルールがある意味徹底しているのでしょう。

「こういう問題を解くときに最初に何をする」という問いかけで「図を書く」を子どもから引き出しました。先ず図を書いて問題把握をするということです。ここで図を授業者が書きました。今度は子どもたちの動きはバラバラでした。授業者が書くリンゴの絵を1つずつ写す生徒、じっと図を見ながら切りのいいところで写す生徒、写さずにじっと図を見ている生徒、実に様々です。
この場面は図を写すことにはあまり意味はありません。そもそも図を書くことが最初の一手であれば、自分で書けなければ問題を解くことができないわけです。であれば、自分で図が書けることの方が大切になります。この場面の扱いはもう少し変わったものになるはずです。
教科書の例題がレシートと文章から構成されていることの意味をもう少し考えるべきだったのかもしれません。レシートは実は表構造になっています。教科書は文章と表を行き来することで問題を把握したり、その構造を理解させたりすることを意識しています。この文章題を解くには図よりもレシートの方が整理されていてわかりやすかったはずです。レシートだけで問題を考えるのであれば、あえて図に頼らない方がよかったのです。また、穴が3つあるのに単価をだけを問うことは唐突です。「3つの穴をどうやって埋めよう」とレシートから何がわかるかを考えさせた方が課題としては自然だったように思います。

子どもたちに、ペアで解き方を考えさせたとき、うまくかかわれているペアと2人ともお手上げで話し合えないペアに分かれました。さっさと解決したペアは手持ちぶさたです。ペア活動は逃げられない関係です。ペアにこだわる必然がないのであれば、まわりと相談させた方が、活動が停滞しにくくなります。

子どもたちの考えを発表させていく中で突然xを使った方程式が出てきました。塾等で予習している子どもは、前の発言と関係なしにいきなり本命の方程式を発表してしまう可能性があります。授業者としては前の発言につないでくれると思っていたのですが予想外だったようです。ここで、方程式の「6xがわかる人」と聞いてしまいました。ここで「わかる」と聞いてしまったので、「わからなければいけない」「わからないとダメ」という負の感情が起きてしまいます。突然で理解出なかった子どもは、ここから心理的についていけなくなります。一方、わかっている子にとってはもう聞く必要のないことです。うまく子ども同士をつなぐことができなくなって、テンポが悪くなってしまいました。「わかった人」ではなく「困っている人」と問いかけ、「困っている人」を「わかった人」が助けるようにして進めていくとつながっていったと思います。

授業者は予定した次の例題にいくことをあきらめ、立式の説明が終わった後、少し時間をかけて方程式を解かせました。今回の授業は立式できることがねらいなので、方程式を解くことはいったん止めるか、全体ですぐに解いて、次の例題に移るという判断もあったと思います。

授業検討会は、司会者がどうすればより学びの多いものになるか色々と試行錯誤していることがよくわかりました。各グループの発表をつなげる工夫から、ふだんの授業でもうまく子どもをつないでいることが伝わってきます。
今回、授業が予定した流れの通りに進まなかったこともあり、先生方の話し合いは、教材部分にかなり深入りしていました。そんな中でも、子どもたちが集中した場面とその理由は何か、子どもたちに聞くのか板書を写すのかどちらを求めるのか、ペア活動でかかわれなかった子どもたちにどういう支援をすればよかったのか、全体での場では自分たちの言葉ではなく、教科書の記述のようなかたい言葉で話そうとするためなかなか気軽に話せないといった、子どもの動きに関することがたくさんでてきたことは、日ごろの授業で子どもを大切にしていることの現れです。先生方のレベルの高さがうかがえます。

子どもたちに「わかった」と聞かないこと、「困ったこと」を聞いて困り感を共有することが安心して話せる授業につながるなど、時間の中でできるだけアドバイスさせていただきました。

授業後、授業者2人と話をさせていただきました。私が指摘するまでもなくT1の授業者はこの授業の課題に気づいていました。しっかり成長しています。ただ、うまく対応できずに修正できなかったのです。これからは受けの技術を磨いていく必要があります。そのためには、子どもの視点で教材や発問を見るということが大切です。子どもはどこでつまずくだろうか、何が壁になるだろうか、発問に対してどのようなことを考えるだろうか。こういったことを事前にしっかり考えることが教師の引き出しを増やし、受けの技術につながっていくのです。また、教科書の記述の意味をしっかりと考えておくことも大切です。もう一度教科の内容をしっかり勉強し直す時であることも伝えました。
もう一つ伝えたのが、できる子どもが退屈しだしていることの危険性です。学級を崩すのは、大抵はこういう子どもたちです。今は人間関係がよいので大きな心配はありませんが、一つ崩れだすと一気に崩壊する危険性もあります。より高い課題に挑戦し、できる子どもと困っている子どもをつなぎながら、一人ひとりが進歩していくような授業を目指してほしいとお話しました。
何年にもわたってつきあってきた先生です。着実に進歩していることをとてもうれしく思いました。これからの課題は、時間をかけてクリアしていくものです。休まずに一歩ずつ前進してほしいと思います。

研修を担当している教務主任が、先生方のよりよい学びを常に目指していることが色々な場面で伝わってきます。自分のなすべきことを常に意識しているその姿は、他の先生方にきっとよい影響を与えてくれることと思います。この日も本当に学びの多い1日でした。先生方に感謝です。

グループ活動の後の発表

グループでの活動は集中していたのに、全体での発表になると子どもたちの集中力が切れることがあります。最初はしっかり聞いていたのに、次第に集中力がなくなる。自分たちのグループの発表が終わると、集中力が途切れてしまう。こんな場面にもよく出会います。グループ活動の後の発表はどのようにすればよいのかを考えてみたいと思います。

多くの方が、グループの代表を事前に決め(させ)て順番に発表させているようです。このとき、発表の準備をグループ全体で手伝っているところはよいのですが、発表者が一人で準備していることがよくあります。次の発表予定のグループが準備に追われ、発表を聞いていないこともあります。また、次々発表させるだけで、発表に対する子どもたちの考えを聞くこともなく、最後に教師がまとめて終わっていることもよくあります。似たような発表が続き、聞く側の集中力がなくなってしまう場面に当り前のように出会います。

私は、グループ活動では、結論を無理にグループでまとめない方がよいと思っています。みんなの助けを借りて「自分の答」を見つけることが大切だからです。また、修学旅行のグループ行動を決めるといった場合であれば、自分が行きたくないからといって拒否できませんが、課題の答であれば自分の考えを曲げてみんなに従う必要はないからです。
たとえグループで考えをまとめる必要があっても、発表者をあらかじめ指定する必要はありません。「自分たちの考えをだれかに発表してもらうからね」と、誰もが発表者となる可能性を与えた方がよいのです。グループとして発表の準備が必要であれば、だれが指名されても困らないようにみんなですればいいのです。

基本的に発表は個人への指名でおこないます。結論やその課程を聞くことになりますが、発表が終わってすぐ次の発表に移るのではなく、学級全体でその考えを共有し、評価し深めることが必要です。

「同じような答になった人(グループ)はいる」
「いるね、じゃあ○○さんの(グループの)考え聞かせてくれる」
・・・
「今のみんなの考えを聞いて納得した人(考えが変わった人)いる?」
「いるね、どこでそう考えたか聞かせてくれる」
・・・
「じゃあ、自分(たち)はちょっと違うという人(グループ)はいるかな?」
・・・・

このように、同じ考え、違った考えをつなぎながら、それぞれの考えやグループでの話し合いを共有して考えを深めていくのです。
こうすれば、各グループを順番に発表させる必要はありません。他のグループの人の発表を聞いて、「あっ、自分たちと違う。自分たちの考えを言いたい」と思った子どもも、順番を待ってイライラしなくなります。また、順番に発表するうちに前の発表が記憶から薄れ、関連する意見が出てもつながらないといったこともおこりません。
意見がつながらなくなったら、まだ発表していないグループの子どもに、「あなたたちはどんなことを話した(考えた)のか聞かせて」とたずねればいいのです。そこからまたつなぎ始めます。こうして、全部のグループの考えを引き出すのです。

また、子どもが発表するたびにその意見を板書する方もいますが、子ども同士がつながっているうちは、できれば板書を我慢して聞くことに集中させてほしいと思います。子どもたちの発表がひと段落してから板書しても遅くありません。

あらかじめ発表者を決めておかないと、指名しても答えられないと心配をする方もいますが、そんなときは、「ちょっと、グループの人、助けてあげて」と仲間に助けさせればよいのです。また、なかなか自分の意見が持てない子どもには、「みんなでどんなことを話したか聞かせてくれる」と問いかけ、「じゃあ、その中で一番納得した(なるほどと思った)意見はどれ?」と聞くことで、自分の考えを持たせるのです。そして、「なるほど、・・・が○○さんの意見(考え)だね。ちゃんと(よく)考えたね」と評価するのです。

集中してグループ活動に取り組んだあとの子どもたちは、友だちの考えを聞くことに意欲的です。その意欲を活かすためにも、順番に発表することにこだわらず、発言をつなぎながら、全体で共有し、より深く考えさせるような工夫をしてほしいと思います。

グループ活動の人数

授業にグループ活動を取り入れる先生が増えています。そのときの人数や配置について質問されることもよくあります。これが絶対に正解というものはないと思いますが、私の考えを少し述べたいと思います。

適正な人数を考えるときに、グループ活動で何をねらっているのかが問題だと思います。早く正解を見つけさせるのであれば、各グループに優秀な子どもを分散してその子の意見を聞くのに適切な人数を考えればいいわけです。子どもたちがまわりの助けを借りながら自分の答えを見つけることをねらうのであれば、話はまた変わります。
私は後者の考え方です。そして、グループの子どもたち全員が互いにかかわり合うことを大切にしたいと思います。

「自分の答えを見つける」という視点であれば、発言する、教えることよりも聞くことが大切になります。相手を説得するのではなく、相手の意見を理解し自分の考えを深めることが主となります。説得しようとするとどうしても声が大きくなります。大きな声は全体のテンションを上げることにつながり、落ち着いて話を聞く雰囲気がなくなっていきます。聞くことを大切にするのであれば、子どもたちのテンションが上がらないように注意するべきです。そのためには子ども同士の距離は近い方がよいのです。距離があると、どうしても声が大きくなります。額を寄せ合って、落ち着いて聞き合うためには机が近い方がよいのです。また、困った時に「助けて」「教えて」と聞けることを大切にし、グループの全員がかかわり合えることを意識すると、一人ひとりが他のメンバーと接していることも重要になります。だれにでも、すぐに聞くことができるからです。人数はあまり多くない方がよいのです。
それだけではありません。人数が多くなるとどうしてもグループの中にまた小グループができます。こうなるとグループの全員がかかわり合うことがどんどん難しくなります。子ども同士の人間関係をつくる視点からも、グループ内の誰とでもかかわり合うことは大切にしなければなりません。特定の子どもとだけの関係になることは避けたいところです。小グループになるのなら、最初からそのグループで活動すればいいのです。
実際、6人のグループでの活動を見ると、端の2人と他の4人または両端の3人ずつに分かれて話している場面によく出会います。5人のグループでも端の1人が孤立していることがよくあります。7人以上であれば、3つの小グループに分かれることもあります。
これらのことを考えると人数は4人以下がよいということになります。4人以下であれば、互いの距離が近く、誰もが必ず他の子どもと接しているからです。

もちろん4人でも1人と3人、2人と2人に分かれることはよくあります。1人と3人に分かれている場合、自分1人で考えたいために他の3人とかかわろうとしていない子でも、すぐそばで話し合われているので、その内容は耳に入ってきます。必要があれば、かかわりやすい状態です。また、うまくかかわれなくて1人が孤立しているときでも、話し合っている子どもとの距離が近いので、教師が互いにかかわるように働きかけることがしやすいように思います。
では、2人と2人に分かれる場合はどうでしょう。2人のかかわり合いはつながりが強いので、これを崩して4人のかかわりにするのは難しいものがあります。そこで、あえて男子2人、女子2人で構成して、男子同士、女子同士に分かれやすくするという考えがあります。ここで、男女を市松模様にすると、斜めでつながるので、2人ずつの話が交差してかかわりやすくなります。また、男子同士、女子同士どちらかしかつながっていなくても、目の前を言葉がいきかうので、残りの2人もかかわりやすくなります。また、男女で話し合う機会が増えるので、男子と女子の関係がよくなるというメリットもあります。これは思春期を迎えた中学生や小学校の高学年ではとてもありがたいことです。
一方、3人のグループは1人と2人に分かれた場合、1人がかかわろうとするときに2人の間に割って入ることになります。2人のかかわりは強いものなので、うまくその中に入っていけないことが多いようです。その点4人のグループの場合は、他は3人なので、その中の1人が孤立している子どもとかかわり合い、残りの2人とつないでくれることがよくあります。

色々な意見や考え方があると思いますが、私は以上のような理由で、グループは4人の市松模様での活動を基本とするのがよいと考えています。もちろん、これが絶対的な正解だと主張する気は毛頭ありません。グループ活動で何をねらうかを明確にし、子どもたちのようすをよく観察して、皆さんの学校、授業に最適な人数を見つけていただけたらと思います。

素直な先生方から元気をいただく

昨日は、小規模な小学校の現職教育に参加しました。学校全体を1時間参観し、その後6年生の研究授業を参観しました。

全体を通して感じたことは、教師の指示が多いことです。子どもたちは教師の指示によく従います。少人数なので指示や注意が届きやすいこと、また教師が個別に子どもと接触する時間が多く取れるため教師と子どもの人間関係がよいことがその要因でしょう。ところが、意外と集中力が続きません。理解できない子どもがいても個別に何度も説明できるので、教師の説明が中心となる授業スタイルになっているため、受け身の時間が多くなるからです。教師は目が届くので、集中力を失くした子どもに気づきます。ここで声をかければ集中力は一時的に戻るので、授業は崩れません。ますます教師の指示や注意が増えてしまい、結果として子どもの受け身の時間が増えるという悪循環になってしまいます。
子どもに発言を求め他の子どもにつなぐことや、子どもが活動する時間を増やすことが求められます。しかし、子どもの数が少ないため挙手して答えてくれる子どもは限られてきます。このことも教師の説明が増える要因になっています。正解しか認められないのではなく、安心して間違えられる雰囲気をつくることで発言しやすくすることが大切になります。教師が笑顔で、子どもの考えや困ったことを聞く。考えを学級で共有し、困ったことをみんなで解決する。そういうことを心がけるとよいと思います。

全体を参観する中で、素敵な場面に出会いました。4人しかいない学級で算数のグループ活動をしているときのことです。行き詰っている子どもがいるのですが、授業者はじっと子どもたちのようすを見ています。なかなか動きださないので授業者が子どもたちのところへ行きました。ここで個別に説明を始めるかと思ったのですが、わからない子ども他の子どもをつなぐように働きかけました。わずか4人の学級です。個別指導をしたくなる場面です。ここをぐっとこらえて子ども同士に任せたのです。
後でお聞きしたところ、前回訪問時に私が子ども同士のかかわりが少ないことを指摘したことをきっかけに、子ども同士で聞き合い、教え合うことを大切にしようと意識するようになったということです。とてもうれしいことです。

参観後、一人ひとりとお話する機会をいただいたのですが、先ほどの先生に限らず、どなたも素直に他者の言葉を受け入れる姿勢をお持ちでした。ベテランの方々は自分のスタイルをきちんと持っておられ、学級もきちんと経営できています。それでも話をしていく中で、自らの授業の改善点を見つけられ、こうしていきたいと自分の言葉で語られました。とても前向きです。若手も素直に自分に欠けている点を理解してくれたようです。

授業研究は、資料をもとに意見を書く単元で、学級の友だちが書いた文章のよいところ、改善点をみんなで共有する場面でした。
子どもたちが根拠を持ってグループで話し合えることを目指していることがとてもよくわかる授業構成でした。「資料の使い方のよいところ、改善点を見つける」という課題を提示した後、よいところは「資料を効果的に活用している」と規定しました。この「効果的に活用している」とはどういうことかを全体で共有して、話し合いに移ろうというわけです。ところが子どもたちに問いかけても、一部の子どもが意見を出したあとは深まりません。また、教科書に載っている「活用のしかたについてのまとめ」を以前学習していたため、発表内容は「活用のしかた」に偏っています。時間をかけているうちに、一部の子どもは集中力を失くしていきました。授業者としては、意図的に使った「効果的」に注目させて、そこを深めたかったのですが、子どもたちは気がつきませんでした。
各自が見つけたよいところ、改善点に線を引かせた後でグループでの話し合いをしたのですが、「数字を使っているからよい」「資料を見て感想をいっているからよい」といった根拠を示すにとどまり、深まりません。最後に各グループの代表が発表するのですが、同じような発表が続き、よく聞いてはいましたが、互いの考えがつながるような場面はありませんでした。

子どもたちから出た意見で授業を進めようとする姿勢はとてもよいのですが、教師が意図的にかかわることも大切です。子どもたちから出てきた活用についての意見は、「いつ」勉強した、「どこに」書いてあったかを確認しあって共有化してから打ち切り、「活用についてはわかったけれど、効果的ってどういうこと」と焦点化することで、「効果的」に注目させることができます。ここで、「よくわかる」「使わないときよりも伝わる」といった言葉を引き出せば、「何が」よくわかるから効果的に活用されている、資料を活用することで「何が」よく伝わるかという、根拠の示し方を見つけることにつながっていきます。
また、発表も同じところに注目するグループが多いはずです。代表に順番に発表させるのではなく、まずだれかに発表させ「同じ場所をいいと思った人いる」と問いかけ、他のグループの人にもその理由を聞きます。「他にもいいと思った理由が言える人」「そこに線を引かなかった人は、今の理由を聞いて納得した」とつないでいけば、グループで順番に発表するよりも子どもたちのかかわり合いをつくれます。こうしてすべての意見が出るまで全体で話し合えば、資料のよい活用のしかたを全員で共有できます。こうすれば、次の時間に各自が文章を見直す時の視点をしっかりと持たせることができるはずです。

授業者が授業の目指すところを明確にして取り組んでくれたことで、課題もはっきりしました。参観した先生方にとっても学びの多い授業になりました。
検討会もとても前向きで、この授業のよいところをたくさん見つけ合うことができました。今回は途中から私が口を出してしまいましたが、次回の検討会では互いの意見を自分たちで焦点化できることを目指してほしいと思います。

素直で前向きな先生方からたくさんの元気をいただきました。次回の訪問時にはまた違った子どもの姿、先生の姿を見ることができることと思います。この学校からますます多くのことが学べることと期待しています。次回の訪問もとても楽しみです。

中学校で子どものメッセージを感じる

先週末は、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。今回は、先生方に授業で子どもたちに何が起こっているかを私の解説とともに見ていただくことが主でした。

この学校の子どもたちは授業に落ち着いて参加し、授業規律もよく守っています。しかし、よく見てみると、黙って授業に集中しているように見えても、ちょっとしたしぐさや態度で色々なメッセージを発しています。そのことをわかってもらうと同時に、この学校の目指す子どもの姿を知ってもらうことを意識しました。

3年生はよい状態でした。1学期と比べて授業に対する集中力が違います。体育大会が終わったあとでも浮つかず、進路実現に向けてのやる気が感じられます。教師による態度の差が少なかったのが印象的でした。

2年生は、授業中に笑顔が多いのが印象的でした。このこと自体はとてもよいのですが、その笑顔の質、現れるタイミングがさまざまでした。多くは教師がしゃべっている時ではなく、ペアやグループで活動しているときでした。子どもたちの関係がよいということです。1学期よりもよいように思えます。しかし、総じて教師の話を聞いているときの集中力が低いのです。また、テンションが高いことも気になります。子ども同士がかかわりあっている場面でも、注意して観察すると授業内容に関係ないことをしゃべっていたりします。どうやら今回の子どもたちの関係は、授業でつくられてきたものではなく、体育大会のような行事でつくられたもののようです(行事でつくる人間関係と授業でつくる人間関係参照)。
そんな中、ある学級の子どもたちの表情がとてもよいことに気づきました。非常に柔らかな表情で授業者の話を聞いています。安心して教室にいられる。授業大好き、先生大好きというメッセージを子どもから感じます。他の時間に見せた姿とは違っています。授業者はその学級の担任だったのですが、子どもたちをしっかりと受け止めているように見えました。学級経営もうまくいっているのでしょう。この学校が目指す子どもの姿の一端を見せていただきました。

1年生のようすには、少々戸惑ってしまいました。小学校でもこの学校の目指す授業と同じ方向性できちんと指導がされてきた子どもたちです。1学期にはうまく中学校生活になじんだと感じていました。ところが、授業中の集中力がおかしいのです。一見話を聞いているように見えるが、姿勢が立ち気味で教師や友だちの話に集中せず、板書を写すことを優先する。教師が立ち位置を移動しても視線が動かない。気になる態度です。ある学級では、子どもたちが集中せずにごそごそしていました。授業者が黒板に向いて板書をしながらしゃべっていたのです。ところが、急に背筋が伸び前を向きました。教師が振り返ったのです。しかし、よいのは姿勢だけで、集中して話を聞いてはいませんでした。このことを他の先生方に話したところ、「自分の授業ではとてもよい子たちだ。指示への対応も素早い」「説明もきちんと聞いていて、作業にもすぐに集中する」と私の見た姿とかなり異なります。子どもたちが教師によって露骨に態度を変えているのかもしれません。話をうかがったのが技能系の教科だったからかもしれません。次回の訪問時には、もう少し細かく見てみたいと思います。

この日、唯一授業アドバイスしたのが初任者の社会科の授業でした。グループ活動とその発表の場面しか見ませんでしたが、とても気になるものでした。「国の成長に何が必要か」ということについてのグループ活動です。子どもたちはグループに1つ用意されたホワイトボードに要素を書き込んでいくのですが、各自が勝手に書きこんでいる姿が目立つのです。友だちの考えを聞いたり、これでよいか吟味をしたりしません。3グループほどが発表したのですが、ただ一方的に要素をあげていくだけです。一人の生徒が、「○○だから△△になって、これとこれが関係するから・・・」とたくさんの要素が必要なことをやや早口で芋づる式に次々説明していきます。発表が終わると自然に拍手が出ました。よい発表だと授業者も評価します。しかし、その内容は一度聞いただけで理解できるようなものではありません。子どもたちは、たくさんのことを一気に発表したことに圧倒されましたが、その内容を理解したわけではないのです。これで次に進んではいけません。どこがすごいか、発表から何がわかったのかを聞いている子どもに問うことが必要です。雰囲気に流されてしまっているのです。
授業者に、「この活動で何を考えてもらいたかったのか」と聞いても、「国の成長に何が必要か」以外に何も出てきません。「人、物、金」といった要素に分かれるとか、上げた要素をもとに考えることはまったく意識にはなかったようです。また、「子どもたちが考えるための材料や根拠は何」と聞いても、「今まで持っている知識」としか答えられません。視点を与える、気づかせるといったことも、全く考えられていませんでした。
子どもたちに授業を通じてどのような向上的変容を期待しているのか、そのために何を必要と考えているのか。このことが意識されていないので、アドバイスもなかなかシャープになりません。何を聞いても抽象的な言葉しか出てきません。表面的にしかとらえてないことがよくわかります。先輩教師は他の学校と比較してもとてもよく面倒を見ています。しかし、なかなか変化は見えてこないようです。彼らと協力しながら、長期的な視点で授業観をどう育てていくかを考えてみようと思います。

授業後、一緒に授業を参観した先生方と懇談しました。この日はベテランが多かったのですが、「自分の授業でも同じことが起こっているのではないかと気になった。次の時間は子どもを意識して見た」「次の時間、笑顔を意識したら教室の雰囲気が柔らかくなった」「学級全体が見える位置から子どもを見ると、背中の傾き具合から集中度がよくわかった。集中度が落ちてきたら作業を止めるように心がけた」とすぐにこの日気づいたこと、学んだことを自分の授業に活かそうとされていました。若い先生よりも素直なぐらいです。ベテランは意識をすれば若い方よりも早く変化していきます。もともと持っているものが多いからです。次回の訪問時に、ベテランの方がどのような授業をされているかとても楽しみです。

この日もたくさんのことに気づき、学ぶことができました。充実した1日をありがとうございました。
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