素直な先生方から元気をいただく
昨日は、小規模な小学校の現職教育に参加しました。学校全体を1時間参観し、その後6年生の研究授業を参観しました。
全体を通して感じたことは、教師の指示が多いことです。子どもたちは教師の指示によく従います。少人数なので指示や注意が届きやすいこと、また教師が個別に子どもと接触する時間が多く取れるため教師と子どもの人間関係がよいことがその要因でしょう。ところが、意外と集中力が続きません。理解できない子どもがいても個別に何度も説明できるので、教師の説明が中心となる授業スタイルになっているため、受け身の時間が多くなるからです。教師は目が届くので、集中力を失くした子どもに気づきます。ここで声をかければ集中力は一時的に戻るので、授業は崩れません。ますます教師の指示や注意が増えてしまい、結果として子どもの受け身の時間が増えるという悪循環になってしまいます。 子どもに発言を求め他の子どもにつなぐことや、子どもが活動する時間を増やすことが求められます。しかし、子どもの数が少ないため挙手して答えてくれる子どもは限られてきます。このことも教師の説明が増える要因になっています。正解しか認められないのではなく、安心して間違えられる雰囲気をつくることで発言しやすくすることが大切になります。教師が笑顔で、子どもの考えや困ったことを聞く。考えを学級で共有し、困ったことをみんなで解決する。そういうことを心がけるとよいと思います。 全体を参観する中で、素敵な場面に出会いました。4人しかいない学級で算数のグループ活動をしているときのことです。行き詰っている子どもがいるのですが、授業者はじっと子どもたちのようすを見ています。なかなか動きださないので授業者が子どもたちのところへ行きました。ここで個別に説明を始めるかと思ったのですが、わからない子ども他の子どもをつなぐように働きかけました。わずか4人の学級です。個別指導をしたくなる場面です。ここをぐっとこらえて子ども同士に任せたのです。 後でお聞きしたところ、前回訪問時に私が子ども同士のかかわりが少ないことを指摘したことをきっかけに、子ども同士で聞き合い、教え合うことを大切にしようと意識するようになったということです。とてもうれしいことです。 参観後、一人ひとりとお話する機会をいただいたのですが、先ほどの先生に限らず、どなたも素直に他者の言葉を受け入れる姿勢をお持ちでした。ベテランの方々は自分のスタイルをきちんと持っておられ、学級もきちんと経営できています。それでも話をしていく中で、自らの授業の改善点を見つけられ、こうしていきたいと自分の言葉で語られました。とても前向きです。若手も素直に自分に欠けている点を理解してくれたようです。 授業研究は、資料をもとに意見を書く単元で、学級の友だちが書いた文章のよいところ、改善点をみんなで共有する場面でした。 子どもたちが根拠を持ってグループで話し合えることを目指していることがとてもよくわかる授業構成でした。「資料の使い方のよいところ、改善点を見つける」という課題を提示した後、よいところは「資料を効果的に活用している」と規定しました。この「効果的に活用している」とはどういうことかを全体で共有して、話し合いに移ろうというわけです。ところが子どもたちに問いかけても、一部の子どもが意見を出したあとは深まりません。また、教科書に載っている「活用のしかたについてのまとめ」を以前学習していたため、発表内容は「活用のしかた」に偏っています。時間をかけているうちに、一部の子どもは集中力を失くしていきました。授業者としては、意図的に使った「効果的」に注目させて、そこを深めたかったのですが、子どもたちは気がつきませんでした。 各自が見つけたよいところ、改善点に線を引かせた後でグループでの話し合いをしたのですが、「数字を使っているからよい」「資料を見て感想をいっているからよい」といった根拠を示すにとどまり、深まりません。最後に各グループの代表が発表するのですが、同じような発表が続き、よく聞いてはいましたが、互いの考えがつながるような場面はありませんでした。 子どもたちから出た意見で授業を進めようとする姿勢はとてもよいのですが、教師が意図的にかかわることも大切です。子どもたちから出てきた活用についての意見は、「いつ」勉強した、「どこに」書いてあったかを確認しあって共有化してから打ち切り、「活用についてはわかったけれど、効果的ってどういうこと」と焦点化することで、「効果的」に注目させることができます。ここで、「よくわかる」「使わないときよりも伝わる」といった言葉を引き出せば、「何が」よくわかるから効果的に活用されている、資料を活用することで「何が」よく伝わるかという、根拠の示し方を見つけることにつながっていきます。 また、発表も同じところに注目するグループが多いはずです。代表に順番に発表させるのではなく、まずだれかに発表させ「同じ場所をいいと思った人いる」と問いかけ、他のグループの人にもその理由を聞きます。「他にもいいと思った理由が言える人」「そこに線を引かなかった人は、今の理由を聞いて納得した」とつないでいけば、グループで順番に発表するよりも子どもたちのかかわり合いをつくれます。こうしてすべての意見が出るまで全体で話し合えば、資料のよい活用のしかたを全員で共有できます。こうすれば、次の時間に各自が文章を見直す時の視点をしっかりと持たせることができるはずです。 授業者が授業の目指すところを明確にして取り組んでくれたことで、課題もはっきりしました。参観した先生方にとっても学びの多い授業になりました。 検討会もとても前向きで、この授業のよいところをたくさん見つけ合うことができました。今回は途中から私が口を出してしまいましたが、次回の検討会では互いの意見を自分たちで焦点化できることを目指してほしいと思います。 素直で前向きな先生方からたくさんの元気をいただきました。次回の訪問時にはまた違った子どもの姿、先生の姿を見ることができることと思います。この学校からますます多くのことが学べることと期待しています。次回の訪問もとても楽しみです。 中学校で子どものメッセージを感じる
先週末は、中学校で授業アドバイスをおこなってきました。今回は、先生方に授業で子どもたちに何が起こっているかを私の解説とともに見ていただくことが主でした。
この学校の子どもたちは授業に落ち着いて参加し、授業規律もよく守っています。しかし、よく見てみると、黙って授業に集中しているように見えても、ちょっとしたしぐさや態度で色々なメッセージを発しています。そのことをわかってもらうと同時に、この学校の目指す子どもの姿を知ってもらうことを意識しました。 3年生はよい状態でした。1学期と比べて授業に対する集中力が違います。体育大会が終わったあとでも浮つかず、進路実現に向けてのやる気が感じられます。教師による態度の差が少なかったのが印象的でした。 2年生は、授業中に笑顔が多いのが印象的でした。このこと自体はとてもよいのですが、その笑顔の質、現れるタイミングがさまざまでした。多くは教師がしゃべっている時ではなく、ペアやグループで活動しているときでした。子どもたちの関係がよいということです。1学期よりもよいように思えます。しかし、総じて教師の話を聞いているときの集中力が低いのです。また、テンションが高いことも気になります。子ども同士がかかわりあっている場面でも、注意して観察すると授業内容に関係ないことをしゃべっていたりします。どうやら今回の子どもたちの関係は、授業でつくられてきたものではなく、体育大会のような行事でつくられたもののようです(行事でつくる人間関係と授業でつくる人間関係参照)。 そんな中、ある学級の子どもたちの表情がとてもよいことに気づきました。非常に柔らかな表情で授業者の話を聞いています。安心して教室にいられる。授業大好き、先生大好きというメッセージを子どもから感じます。他の時間に見せた姿とは違っています。授業者はその学級の担任だったのですが、子どもたちをしっかりと受け止めているように見えました。学級経営もうまくいっているのでしょう。この学校が目指す子どもの姿の一端を見せていただきました。 1年生のようすには、少々戸惑ってしまいました。小学校でもこの学校の目指す授業と同じ方向性できちんと指導がされてきた子どもたちです。1学期にはうまく中学校生活になじんだと感じていました。ところが、授業中の集中力がおかしいのです。一見話を聞いているように見えるが、姿勢が立ち気味で教師や友だちの話に集中せず、板書を写すことを優先する。教師が立ち位置を移動しても視線が動かない。気になる態度です。ある学級では、子どもたちが集中せずにごそごそしていました。授業者が黒板に向いて板書をしながらしゃべっていたのです。ところが、急に背筋が伸び前を向きました。教師が振り返ったのです。しかし、よいのは姿勢だけで、集中して話を聞いてはいませんでした。このことを他の先生方に話したところ、「自分の授業ではとてもよい子たちだ。指示への対応も素早い」「説明もきちんと聞いていて、作業にもすぐに集中する」と私の見た姿とかなり異なります。子どもたちが教師によって露骨に態度を変えているのかもしれません。話をうかがったのが技能系の教科だったからかもしれません。次回の訪問時には、もう少し細かく見てみたいと思います。 この日、唯一授業アドバイスしたのが初任者の社会科の授業でした。グループ活動とその発表の場面しか見ませんでしたが、とても気になるものでした。「国の成長に何が必要か」ということについてのグループ活動です。子どもたちはグループに1つ用意されたホワイトボードに要素を書き込んでいくのですが、各自が勝手に書きこんでいる姿が目立つのです。友だちの考えを聞いたり、これでよいか吟味をしたりしません。3グループほどが発表したのですが、ただ一方的に要素をあげていくだけです。一人の生徒が、「○○だから△△になって、これとこれが関係するから・・・」とたくさんの要素が必要なことをやや早口で芋づる式に次々説明していきます。発表が終わると自然に拍手が出ました。よい発表だと授業者も評価します。しかし、その内容は一度聞いただけで理解できるようなものではありません。子どもたちは、たくさんのことを一気に発表したことに圧倒されましたが、その内容を理解したわけではないのです。これで次に進んではいけません。どこがすごいか、発表から何がわかったのかを聞いている子どもに問うことが必要です。雰囲気に流されてしまっているのです。 授業者に、「この活動で何を考えてもらいたかったのか」と聞いても、「国の成長に何が必要か」以外に何も出てきません。「人、物、金」といった要素に分かれるとか、上げた要素をもとに考えることはまったく意識にはなかったようです。また、「子どもたちが考えるための材料や根拠は何」と聞いても、「今まで持っている知識」としか答えられません。視点を与える、気づかせるといったことも、全く考えられていませんでした。 子どもたちに授業を通じてどのような向上的変容を期待しているのか、そのために何を必要と考えているのか。このことが意識されていないので、アドバイスもなかなかシャープになりません。何を聞いても抽象的な言葉しか出てきません。表面的にしかとらえてないことがよくわかります。先輩教師は他の学校と比較してもとてもよく面倒を見ています。しかし、なかなか変化は見えてこないようです。彼らと協力しながら、長期的な視点で授業観をどう育てていくかを考えてみようと思います。 授業後、一緒に授業を参観した先生方と懇談しました。この日はベテランが多かったのですが、「自分の授業でも同じことが起こっているのではないかと気になった。次の時間は子どもを意識して見た」「次の時間、笑顔を意識したら教室の雰囲気が柔らかくなった」「学級全体が見える位置から子どもを見ると、背中の傾き具合から集中度がよくわかった。集中度が落ちてきたら作業を止めるように心がけた」とすぐにこの日気づいたこと、学んだことを自分の授業に活かそうとされていました。若い先生よりも素直なぐらいです。ベテランは意識をすれば若い方よりも早く変化していきます。もともと持っているものが多いからです。次回の訪問時に、ベテランの方がどのような授業をされているかとても楽しみです。 この日もたくさんのことに気づき、学ぶことができました。充実した1日をありがとうございました。 |
|