学校の授業を考える

ある学生の方から、学校の授業よりも予備校の授業の方が役に立ったし、教科のおもしろさがよくわかって、受験ということを差し引いてもよかったという話を聞きました。何人かに聞いてみても同じような意見です。私が高校生のころは、予備校は受験のためのテクニック的な話が多く、学校の授業はその教科のおもしろさを伝えようとしていたというように感じていたので、ずいぶん印象が違います。そのことを知り合いの先生に話したところ、予備校の先生は授業(講義?)のことだけに専念できるけれど、今の学校の先生は授業以外の仕事が多い。部活動や校務、生徒指導などで、授業をしている以外の時間のほとんどを使われる。条件が違いすぎる。なるほど、たしかにそうです。この理屈は、学習塾にも当てはまるのかもしれません。

ちょっと違った視点でみると、教科のことに専念したければ予備校の講師や塾の先生の方がよいということにもなります。では、学校の教師は? 私が思うに子どもの成長をトータルで支えることがその魅力なのだと思います。だからこそ、部活動や生徒指導にあれだけ頑張れるのです。しかし、だからといって授業の質が予備校や塾より劣ってもよいということにはなりません。子どもをトータルに見ているからこそできる授業があるはずです。話術やネタのおもしろさで引き付ける、これが試験に出るからと目先のことで引き付ける、それとは違った方向性があるはずです。そこにエネルギーを使わなければ、学校は部活動や友だちと話をする社交場で、勉強は予備校や塾でする。そんな歪んだ図式になってしまいます。では、学校の授業は予備校や塾とどう違うべきなのでしょうか?

それは、子どもたちがかかわり合うということです。一方的に講義を受ける、これが試験に出るからと受け身で覚える。そういうものではなく、互いにかかわり合いながら、高めあう。それは、子どもたちが学校という共同体の中で互いにかかわりながら暮らしていて、彼らを教師がトータルに見ているからこそできることだと思います。部活動や生活指導に頑張っている先生を見ると本当に頭が下がります。しかし、子どもたちのトータルの成長には学習はとても大きな要素を持っています。それこそ、学校が死守しなければいけない最たるもののはずです。時間がないからといって、予備校や塾に明け渡してもいいのでしょうか。同じ土俵で戦う必要はないのです。子どもが自分で考え、伝え合い、学び合う授業を目指せばいいのです。

先日紹介した玉置崇先生の著書(「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」が届く参照)の冒頭、第1章「玉置流授業づくりの大原則30」の「大原則1 玉置流授業の定義」にこう書かれています。

「講義」…その時間で一番大切なことを教師が言うのが講義
「授業」…その時間で一番大切なことを生徒が言うのが授業

そして、

授業とは、その時間で一番大切なことを、学ばなくてはいけないことを、
・生徒自ら気付き、発する
・生徒が教師の指導により気付かされ、発する
・生徒と仲間との学び合いにより気付き、発する

まさにここを目指してほしいのです。

夏休みは、部活動に専念できると頑張っておられる方も多いと思います。ちょっと、立ち止まって2学期以降の授業に思いを馳せてください。先ほどの定義にあったような授業はどのようにすればできるのだろう、どのような発問をすればいいのだろう、どのように受け応えればいいだろう。そんなことを考えてみてほしいと思います。イメージできなければ、本を読んだり、同僚と話し合ってみてください。多少は余裕のある夏休み(予備校や塾は稼ぎ時?)だからこそ、是非授業のことを考えてほしいと思います。

研修会の打ち合わせ

先週末は、毎年1講座を任されている、市主催の研修会の打ち合わせをおこないました。模擬授業を外部の先生にお願いし、それを受けて私が1時間講義をします。毎年どなたに模擬授業をお願いするか悩むのですが、今年は、ここ数年成長が著しい中堅の数学の先生にお願いしました。子どもたちの言葉を活かし、数学的な思考を深めることをとても大切にしている方です。無理なお願いにもかかわらず、勉強になることだからと快く引き受けてくださいました。

打ち合わせそのものは、あまり時間がかかりませんでした。というのも、子どもに何を問いかけるかが非常に明確なので、あとは、生徒役から出てきた言葉をどうつないでいくか、それに私がどう突っ込むかというその場になってみなければわからないことだからです。「いかようにも料理してください」と明るく言ってくださったことが印象的でした。授業が楽しくてしょうがないというオーラがあふれています。一緒にいるだけで楽しくなる。そんな雰囲気を身にまとっているのです。参加される若い先生のために、このような雰囲気を身につけられた過程も当日話していただこうと思っています。

数学の証明では、なぜそこに線を引くかは書かれません。線を引くところから始まり、証明が進んでいきます。証明が終わって「納得した?」ではなく、「証明はできたけれど、なぜそこに線を引いたの、どうしてその線を引こうと思ったの」と問いかける。そんな授業を実践される先生です。当日、子ども役の方はこのような問いにどんな反応を示してくれるでしょうか。子どもが考えるために必要な教師の働きかけはどんなことかきっと気づいてくれることと思います。

打ち合わせが終わった後は、学校のようすや授業の話で盛り上がりました。若い先生に積極的にかかわって、先生同士が学び合う雰囲気をつくっておられます。授業をビデオに撮って、部活動が終わった後に検討会をおこなったり、互いに授業を見あったりしているそうです。授業について話し合う土壌ができつつあるのを感じます。前回訪問した時にそのことを強く感じましたが、今回お話をうかがって以前よりもまた前進していると確信しました。この学校の若手の方は身近にこのような先輩がいてとても幸せだと思います。日々成長を実感していると思います。10月に再度訪問して若手を中心に授業を見せていただく予定になっていますが、どのくらい進歩しているか今からとても楽しみです。

研修当日は、子ども(役)が何を言っても受け止める、活かしてみせるという授業になると思います。授業者と子ども役、そして私の3者の真剣勝負の場です。期待感と心地よい緊張感で、まさにワクワクドキドキです。参加者だけでなく、私にとってもとても大きな学びの場になることでしょう。このような機会を得られることに感謝です。

進歩を実感させる

学力をつける一番簡単な方法は、子どもたちにやる気を持って学習に取り組ませることです。そのやる気を引き出すためのキーワードが「進歩」「進化」です。人は努力の結果が報われないとやる気をなくしてしまいます。絶対的な結果を求めれば達成できないこともあります。「努力は無駄にならない」と言ってもそのことが実感できなければ、次第にやる気をなくしてしまいます。しかし、努力をすれば必ず進歩します。その進歩を目に見えるようにして実感させれば、やる気は持続するのです。そのための具体的な方策を考えてみたいと思います。

進歩を目に見えるようにする一つの方法は客観的な指標を導入することです。時間、数などがその典型です。九九を何秒で言えるか、一定時間に何問解けるか、どれだけ書けるか、どこまで進んだといったことを指標にして定期的に取り組み、進歩を見えるようにします。表に数値を書き込む、グラフ化するなど、見える化を意識すると効果的です。

Before Afterを比較するのも、進歩を実感させるよい方法です。学習の初めと終わりで同じ課題を提示し、その答の違いを見るのです。
たとえば国語の読み取りであれば、最初一読したあとに感想や読み取りを書かせ、学習の最後にもう一度書かせます。そして、それを比べてみるのです。
歴史であれば、たとえば「○○時代ってどんな時代」「○○ってどんな人物」などと学習の最初にたずねます。子どもたちの知っている知識をもとに答えてもよいし、根拠のない無責任な答でもよいのです。ただしあまり時間はかけません。根拠となる知識が乏しい中で話し合っても深まらないからです。そして、単元の最後にもう一度同じことを聞くのです。
音楽・体育なども記録にとって最初と最後のもの比較します。
このようにすることで、授業で学ぶことを通じて自分たちが進歩していることを実感させることができます。単元を通じて自分が学んだこと、進歩したことを書かせておくと、成長の記録とすることができます。1年間を振り返ってみると自分がいかに進歩したかを実感できるでしょう。入学時からこういった記録をとっておくと、より進歩がはっきりと見えることと思います。

もう一つ、これはいつも心掛けてほしいのですが、教師が折りに触れて子どもの進歩を認める、ほめることです。このとき、「みんな進歩したね」と全体をほめるのではなく「○○さん、□□ができるようになったね」「○○君、□□するようになったね。すごいね、進歩したね」と固有名詞で具体的にほめるのです。教師は子どもたちをいちばん身近で見ている存在ですから、ちょっとした進歩も見つけることができるはずです。つねに自分の進歩を認められる学級は子どもたちのやる気があふれています。

授業の中に子どもたちの進歩が目に見えるような仕組みをつくる。進歩を実感できる場面をつくる。ちょっとした工夫が子どもたちのやる気を引き出してくれます。夏休みは時間的、精神的に余裕があります。2学期に向けて、子どもたちのやる気を引き出すためにどんな工夫をするか少し考えてみてください。

市の全体研修の打ち合わせ

昨日は、夏休みにおこなわれる市の全体研修の打ち合わせをおこないました。全体の場で模擬授業をおこない、随時、私と授業者で解説をしていくという形式のもので、今年で3年目です。150名以上の先生が集まります。代表で授業をする先生には本当に大きなプレッシャーがかかることと思います。引き受けていただけたことに感謝です、

今回の打ち合わせは、授業の内容について授業者と検討することが中心でした。いただいた指導案を見てうなりました。子どもが考えた意見を全体で交流することが授業の中心だったからです。授業者の受け、返し、つなぎの技術が問われるものです。このような授業にチャレンジしてくださるということは、ふだんの授業でもこのことを意識しておられているということです。そのような先生とこのような研修を持てることをとてもうれしく思いました。子どもの考えをつないでいくということはよく言われます。私もお話することが多いのですが、具体的な場面がないとなかなか理解していただけないのが実情です。今回、模擬授業でこのような場面を扱えることは、研修に参加される先生方にとってもとても有意義なことです。
また、小学校5年生の理科の授業なのですが、道徳教育を織り込むことも考えておられました。学習指導要領でも「・・・道徳の時間はもとより、各教科、外国語活動、総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて、児童の発達段階を考慮して、適切な指導を行わなければならない」という文言があります。しかし、実際にこのことを意識した授業に出会うことはなかなかありません。そういう意味でも、とても楽しみです。

指導案をもとにいくつかアドバイスをさせていただきました。
今回のように子どもに考えさせて意見を言わせる場合、根拠となる知識がなければ無責任な発言の応酬になってしまいます。その根拠となる知識として何を前提とするかを明確にすることが求められます。導入でおこなうのか、まとめでおこなうかでも、前提とできる知識は異なります。第何時に位置付けるかも含めて検討をお願いしました。
また、子どもの相互指名も考えておられましたが、根拠を大切にするときに、子ども同士で指名するのはかなり無理があります。同じ考えをつないだり、論点が明確になるように指名し合ったりするには、日ごろから鍛えておかなければならないからです。具体的にどのような指導をしてどのような力をつけるのかを明確にしておく必要があります。その上で、模擬授業の児童役にどのような力がついているか意識して演じるようにお願いしなければなりません。授業展開も子どもに身に着けさせた力を意識したものにするようお願いしました。

本番でこの指導案がどのように変わっているかとても楽しみです。その変化の理由を全体の場で語っていただくことで、授業をつくる上でのポイントがはっきりしていくと思います。今回の打ち合わせから既に研修は始まっています。授業者の学びが全体の学びとして共有でき、模擬授業の場がまた新たな学びを生み出してくれることを願います。授業者も児童役も含め、すべての参加者が、楽しく、互いに学び合える研修会にしたいと思います。

目標の立てさせ方を考える

夏休みが近づいてきました。子どもたちは夏休みのことを考えてうきうきしていることでしょう。先生方は、規則正しい生活をする、計画的に過ごすといったことを指導していることと思います。夏休みの目標も立てさせていることでしょう。この目標の立て方について少し考えてみたいと思います。

目標を立てるときは、「○○をする」ではなく、「○○をできるようになる」と結果を意識させることが大切です。学習計画でも、国語の勉強を1時間するではなく、漢字を何文字覚えるというように、何をするかではなく、何ができるようになるかを意識させます。その上で、そのためにどのくらいの時間が必要かを考えて予定を立てるのです。頑張る、一生懸命やるといった、感覚的なものではなく、結果を大切にします。
教科ごとに何ができるようになるかを明確にして、その結果を具体的に確認できる方法もきちんと示させます。2桁の掛け算をできるようになるという目標であれば、100問解いて95問正解といった確認方法も決めておくのです。

長い休みですので、ふだんできないことに挑戦することも大切です。教科以外にも、○○ができるようになるという目標が持てるとよいでしょう。また、毎日家の手伝いをする、欠かさず○○するといった目標は、継続力をつけるためにも好ましいものです。しかし、途中で1日できなかった日があると目標達成が不可能になってしまい、そのままずるずるとやらなくなってしまいます。1週間単位や何日以上といった基準をうまく組み合わせることが必要です。

結果を意識した目標を立てさせたときに注意してほしいことは、結果を重視し過ぎると達成できなかった場合に自己有用感が持てないことです。夏休み明けに反省をしてもあまり意味はありません。結果は大切ですが、それにこだわりすぎないようにします。目標に対して具体的にどのようなことをしたのか、結果どこまでできるようになったのか。過程をきちんと評価する必要があります。その上で反省ではなく、これからどうするかを具体的に考えさせるのです。
そういう点で、出校日を中間チェックの場としてうまく活用するとよいと思います。どこまでできるようになったか振り返り、順調であればより高い目標を設定する。うまくいってなければ今日からどうするか考える。そんな時間を設けるとよいでしょう。

子どもたちが目標を意識して計画的に夏休みを過ごし、夏休みが終わったときに達成感を持てることが大切です。そのためには、結果を意識した目標を立てさせることが必要になります。このことを意識して指導をしてほしいと思います。

授業の無駄な時間を考える

授業を見ていると、この時間は無駄だと感じる場面があります。その多くは子どもが考えていない時間です。授業中の無駄な時間について考えてみたいと思います。

無駄な時間と感じる場面で多いのは、答え合わせの時間です。
問題演習の答え合わせで、子どもが順番に答を言って、他の子どもが「いいです」「ちがいます」と判定する場面が典型です。自分の答と同じであるかどうかの確認をして、間違えた子どもは正解を赤で書き込むだけで、どこで間違えたかを考える間もなく、次へといってしまいます。これでは、間違えたという事実だけが残り、どこで間違えたのかを考えることもできません。
英語のヒアリングの結果の確認などでも、正解を発表して、「あっていた人」と聞くだけでは全く意味がありません。間違えた子どもは、正しく聞き取れなかったのか、それとも意味を理解できなかったのか、そんなことすらよくわからないまま時間が過ぎていきます。正解だった子どもも、どこまできちんと理解できていたかはよくわかりません。

計算問題の答のように単純なもの、ほとんどが正解となるものなら、実物投影機などを使って答を映すというのも手です。すばやく確認をして次に進めばいいのです。問題演習をノートに解く代わりに、フラッシュカードで全体練習にするという方法もあります。
隣同士で確認し合うという方法もあります。このとき、互いの答が違っていれば、もう一度それぞれやり直して再度確認したり、互いに説明しあったりするといったルールをつくっておくといいでしょう。子ども同士だけでは不安なら、後で教師が素早く答を言って確認してもいいでしょう。全員がほとんど正しい答になっているので、時間をかけなくても大丈夫なはずです。確認をした後、隣との確認で間違いを直せた子どもを数人指名して、どこで間違えたかたずねたり、直せたことを評価したりするとよいでしょう。
ヒアリングの例であれば、子どもに聞きとった文を復唱させたり、その内容を言わせたりする。教師が正解を言った後、もう1度聞かせて、できなかった子どもに聞き取れたか、聞き取れたら内容が理解できたか確認するなど、できた子どもには根拠を求め、できなかった子どもにはできるようになるための活動をすることが必要になります。

また、意外に思うかもしれませんが、子どもに意見を言わせる時間が無駄だと感じることもよくあります。大きく2つの場合があります。
1つは、子どもに根拠を求めていない場合です。ただ思いつきで無責任に発言しているだけですから、学級のテンションは上がっていきます。このあと、落ち着いて考える状態をつくるのに苦労するだけで、子どもたちの学びにはつながっていきません。発言に根拠を求める姿勢が大切になります。
もう1つは、子どもの発言を他の子どもたちが聞いていない場合です。教師は一生懸命に聞いているのですが、他の子どもは聞くことを無駄と判断しているのです。多くの場合、このあと教師が発表者の発言を判断して、よい発言と判断した場合はもう1度教師の言葉で丁寧に説明する、そうでなければ次の子どもに発言を求めます。教師の説明を待っていれば、必要な情報は手に入るのですから、友だちの発言を聞くことは無駄なのです。
この場合、友だちの発言を聞くことが無駄でないようにする必要があります。発表の後、教師がすぐに説明するのではなく「○○さんの意見、もう1度言ってくれる」と友だちの発言を聞いていることを評価する、「同じ考えの人いる」「今の意見、なるほどと思った人いる」「○○さんの考えを、説明してくれる」とつなぐ、こういったことが必要になります。

授業をちょっと振り返ってみてください。なんとなく惰性で進めている活動がないでしょうか。この時間に子どもたちが何をしている、何を考えているのだろうか。それは、本当に意味のあることなのか、無駄ではないのか。そんなことを考えてみてほしいのです。無駄な時間と思えるものがあれば、その時間が無駄でなくなるような工夫を考えてみてください。きっと授業がよい方向へ変わっていくと思います。

道徳の授業撮影

10月8日の教師力アップセミナーで野口芳宏先生にご指導いただく授業ビデオの撮影に出かけてきました。小学校5年生の道徳の授業です。

授業者は経験年数が2年目ですが、子どもとの関係がよいことがよくわかります。授業開始前からとても笑顔の多い学級でした。
その秘密はすぐにわかりました。子どものどんな意見も「なるほど」と受容し、きちんとまるごと復唱しようとしています。とても2年目とは思えません。どのようにして身につけたのか興味があります。本人に聞いたところ、子どもを否定しないようにと思って授業にのぞんでいるとのことでした。とてもよい姿勢です。
しかし、発表者をしっかり見て、子どもの考えを聞きとろうとしているのですが、その間他の子どもを見ることはしません。また、全体に対して話をするときは、漫然と「みんな」の方を向いていて一人ひとりを見てはいません。授業者との関係はよいのに、子どもたちが今一つ集中していないと感じた理由はそこにあるのかもしれません。子どもたちの集中度が上がるのは授業者が板書をするときなのです。
また、子どもの意見はしっかり聞くのですが、その意見の根拠をたずねたり、他の子どもにつないだりはしません。そのため、意見や考えが深まったり、広がったりはしないのです。グループでの話し合いでも、自分の意見を言うことが目的であって、友だちの考えを聞いて自分の考えを深めることはあまり意識されていません。ですから、グループでの話し合いの後、発表意欲も上がらないのです。グループで自分の意見を言ったので、とりあえず満足しているからです。誰かが意見を言うたびに、似た意見の発表の機会がなくなるので、どんどん集中度が落ちていきます。授業全体が話すこと、発表することに重きがおかれて、聞くことの大切さ、よさが意識されていないのです。

今回の授業は「ありがとう」をテーマにしていたのですが、道徳として子どもたちにどのような変容を願っているのか明確になっていないのが残念でした。資料には大きく3つの山がありました。「本当のありがとう」を問う場面、「ありがとうを言うのではなく、ありがとうを言われよう」とする場面、「自分のありがとうに対して、もっと素敵なありがとう」を言われた場面です。それぞれねらいとするものは微妙に違います。すべての場面を同じような重さで扱ったため焦点がぼけてしまいました。
授業者としては、「ありがとうを言うのではなく、ありがとうを言われよう」を中心としたかったようです。であれば、できるだけ早く資料を理解させ、その部分を焦点化して、自分の思いをたくさん話させればいいのです。宿題として、「言ったありがとう、言われたありがとう」を書かせています。こんないい材料があるのですから、資料は問いかけのきっかけとして使って、この自分の経験をもとに考えさせればよかったのです。

また、主人公の気持ちを問う場面での発問も明確でありませんでした。「資料から」気持ちを読み取るのか、「自分だったら」どう思うのか、どちらかはっきりしないのです。「主人公の気持ち」を聞いているのですが、子どもは根拠のない想像で意見を言います。ただ思いついたことを発表するだけなのです。国語であれば、明確に本文のどこでそう考えたか根拠を求める必要があります。道徳であれば、自分のこととして考えるように迫る必要があります。主人公の状況をしっかり把握させた上で「あなたならどう思う」と自分の考えを求めればいいのです。この国語と道徳の違いが意識されていないのです。

授業後、参観された教師力アップセミナーの運営委員の先生と一緒に授業者とお話をさせていただきました。きちんと子どもとの関係が作れるのに子ども同士をつなごうとしないのは、何か考えがあるのか、授業観が違うのかとも思いましたが、そうではありませんでした。自分なりに一生懸命取り組んできて、まだそのことの大切さに気づいていない、意識できていなかっただけでした。2年目ですから当然です。私たちの指摘をとても熱心に、また素直に聞いてくれました。授業を見た時にてっきり4年目か5年目と勘違いしてしまうくらい、しっかりとしていた先生です。今回の授業撮影をきっかけにして大きく成長してくれることと思います。また、この学校の多くの先生がこの授業を参観されていたのも印象に残っています。先生方のこのような姿勢が授業者のこれまでの成長の支えになっているのだと思いました。私にとっても、たくさんのことに気づき、学ぶことができた授業でした。子どもとの関係がしっかりできているからこそ、足りない点も含めて多くのことを学べるのです。教師力アップセミナーで野口先生からどのようなご指導がいただけるかとても楽しみです。学期末で忙しい中、無理を聞いていただいた授業者と、その環境を整え、バックアップしてくださった校長に感謝です。ありがとうございました。

動画(ビデオ)を見た後、その内容を説明する?

実際には見ることが難しい天体の動きや過去の映像などを見せるのに、動画(ビデオ)は威力を発揮します。よい教材が増え理科や社会では活躍する機会も増えていると思います。しかし、子どもは集中して見ているようですが、意外にその内容は理解していないことがあります。子どもたちの気づきを共有化して、その場面を確認しようとしても、動画ゆえに難しいところもあります(動画の活用の注意点参照)。そこで、つい教師が確認の意味でその内容をもう一度説明することがあります。これでは、動画を見せただけ時間が余分にかかり、子どもたちの活動の時間がなくなってしまいます。どんなことに注意をすればいいのでしょうか。

「○○についてのビデオを見よう」では、子どもたちは漫然と画面を眺めてしまいます。まず、子どもたちに疑問を持たせる必要があります。この動画を見ることで、どんな疑問を解決しようとしているのかを明確にしておくのです。目的・目標を持たせると言い換えてもよいでしょう。子どもたちに仮説を持たせ、その答を動画から見つけるのもよい方法です。目に見える形で黒板やノートに残すようにすると明確になります。また、見た後の活動も伝えておく必要があります。「あとで、○○の理由を聞くからね」「○○についてみんなの考えを聞くからね」と指示しておくと意識も変わってきます。

小学校の高学年以上であればメモ取るように指示することも大切です。何が大切かを意識して見るようになります。教師は子どもと一緒に画面を見ているようではいけません。内容を事前に知っているのですから、子どものようすを見ることに専念できるはずです。子どもはどこに反応しているか、どこでメモを取っているか。この情報がその後の展開に生きてきます。
「○○さん、△△の場面でうなずいていたけど、どういうこと」「□□の場面でメモを取っていたけど、どんなことを書いたか聞かせてくれる」と内容の確認や気づきの共有化のきっかけになります。

動画を見せても理解できていないと感じたなら、教師が再度説明するのではなく、子どもたちに内容を問いかけて答えさせればよいのです。もし、答えられないようであれば、意識して見てはいなかったということです。1度は、もう1回見せてもよいかもしれません。次回からは意識が変わるはずです。また、動画を見た後その内容について話し合うことが常態化していれば、自然に意識して見るようになります。

どんなに優れた動画でも、見る必然性を持たせないと子どもは受け身の時間を過ごすことになります。教師が積極的にかかわり、動画の内容をもとに考えさせる場面をつくることで初めて動画は生きてくるのです。動画を見る前後にどのような働きかけをし、どのような活動をさせるか、再生中には何に注目するか。このことを明確にした上で活用してほしいと思います。

「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」が届く

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昨日うれしい書籍が届きました。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生の新著「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」(明治図書)です。玉置先生とは25年以上おつき合いさせていただいていますが、この本の中で玉置先生の授業を一番多く見たと紹介していただいています。玉置先生からは本当に多くのことを一緒に考え、学ばせていただいています。授業を見ていて、疑問を感じたり、どう考えればいいか迷ったりしたときに、頭の中で「この場面をどうとらえて、どう切り返すか。先生ならどうされますか」と尊敬する先生に問いかけることがあります。その先生の思考法、授業技術をもとに考えるのです。数学の授業だけでなく、すべての教科、場面で間違いなく一番多く問いかけている相手が玉置先生です。

第1章「玉置流授業づくりの大原則30」は、数学だけでなく多くの教科に共通する授業の原則がたくさん書かれています。つき合いの長い私の目には、その原則の背景も浮かんできます。そこには、自ら出会いを求め、学び続けてきた玉置先生の姿が、玉置先生が学んできた多くの先生の姿と重なって見えます。

第2章「学習指導要領のここを外すな!」は学習指導要領に書かれているが、実は見落とされやすいことをコンパクトにまとめています。試験の問題が解ければいいという発想の授業ではなく、数学を学ぶということはどういうことか、数学を通じてどのような子どもたちを育てる授業を目指すのか、学習指導要領を例にして玉置先生の思いが語られています。

第3章「これを使えば必ず盛り上がる! とっておきのテッパン授業ネタ」は、タイトルから見れば単なる How to に思えますが、そうではありません。授業を通じて、子どもたちに何を考えさせたいのか、考えさせるべきなのか。それは教材とどのようにかかわるのか、どう発問し、どのような活動をすることで可能となるのか。この章を読み解くことで見えてくると思います。もし見えなければ、下手にアレンジなどせずに素直にこのネタを実践してみるとよいと思います。きっと子どもたちがその姿で教えてくれると思います。

第4章「授業の腕を磨く! 数学教師修行」は、玉置先生がどのような姿勢で授業力を磨いてきたかよくわかります。ここに私も登場するのでこんなことを言うのは恥ずかしいのですが、玉置先生の人から学ぼうとする姿勢こそが本当に学ぶべきことです。ここには、数学に関係する出会いのことしか書かれていませんが、ICT活用や学校経営、趣味(副業?)の落語に関しても常にこの姿勢を崩されていません。教えてくれるのをただ待っていては、いつまでたっても成長できません。自ら求めることが大切であることを教えてくれています。

この本は若い数学教師すべてに読んでほしい本です。というよりは、手元に置いて、事あるごとに見直すバイブルとしてほしいと思います。また、ベテランもこの本を読むことで授業のあるべき姿を見直すよいきっかけになると思います。私にとっては、玉置先生と学び合ったことをあらためて思い出させてくれる、またその学びを再整理させてくれる、懐かしい「学びのアルバム」のような本です。素敵な本をありがとうございました。

ICT活用授業の参観

昨日は、小学校のICT活用授業を参観しました。ICTを活用した協働学習を研究テーマにしている学校です。

第一印象は、ICT機器の活用を意識しすぎたため、本来できていたはずの授業の基礎・基本がおろそかになっているということです。教師が子どもを見ていない、子どもを見て話さない。子どもに発言を求めない、子どもをつながない。こういう場面が多くありました。特に、ほとんどの教師がICT機器の操作に気を取られて子どもに意識がいかなくなっていました。ディスプレイの画面を見て教師がしゃべっている。肝心の子どもは画面に集中していない。こういう場面が多いのです。

教師に余裕がないため、教室に笑顔が少ないことも気になりました。ICT機器の活用に時間を取られ、その少ない時間に教師がまた説明をしようとするので大変です。子どもの発言の場面も少なく、子どもの言葉を活かすことができません。子どもの発言を笑顔で受け止める、ポジティブに評価する余裕もないのです。全体的に授業中の教師と子どもの関係がまだしっかりとできていないように感じました。

また、全体的に子どもの集中力が低いことも気になりました。その理由の一つが、子どもが受け身になっている時間が長いことにあります。たとえば、動画を見せると基本的にその間は受け身です。それをもとに子どもが考える、話し合うという活動があればよいのですが、説明の動画であっても、そのあとまた教師が説明をしてしまうこともあります。これでは、子どもの集中力が持つはずがありません。ICT機器を使う時間が、情報を一方的に与えられる時間になってしまってはいけないのです。

もう一つ特徴的だったのが机間指導です。どう指導していいのか戸惑っているように感じたのです。ノートであれば、○をつける、書き込みをするといったことができるのですが、タブレットPCを使っているのでどう関わっていいのかわからないようなのです。漫然と歩いているか、できない子を集中的に個人指導しているのです。
一方、子どもたちは黙々と作業しているのですが、まわりと相談している姿は見られません。早く終わってしまった子どもが雑談をしている姿を見るくらいです。

残念ながら、ICT機器が教師と子ども、子ども同士を分断しているのです。この学校の先生方を非難・批判する気はありません。機器だけあってソフトがそろっていない。ソフトもまだまだ未消化で、インターフェイスもこなれていない。そんな環境で、ICT機器の活用を義務づけられれば、本来できていたこともできなくなってしまうことは十分に考えられます。もう一度授業の基本を確認することと、ICT機器の活用に関しては、子どもにどんな力をつけたいのか、どんな姿を見たいのかを明確にして、どのような活動を組み合わせればいいのか、教師はどのようにかかわればいいのかを整理することが必要だと思います。

夏休みに入って先生方にお話をさせていただきますが、一度肩の力を抜いて子どもたちに笑顔で向き合うこと、ICT機器を活用しているときの教師の役割を意識することを伝えたいと考えています。先生方に元気になっていただけるような話を心掛けたいと思います。

中学校で授業参観

先週末は、中学校で若手と一緒に授業参観をおこないました。子どものたちの姿から、授業で大切にしたいことや子どもたちを見る視点を説明しました。

社会科の文明と宗教についての導入で、野球の話をしている場面がありました。子どもたちも先生の話に反応しています。笑い声もでています。しかし、よく見ると野球に興味のない子なのでしょうか、あまり集中して聞いていない子どもいます。一部の子どものテンションが上がると、それに呼応するように集中力を失くす子どもも増えていきます。最後に「野球の神様」という言葉が出て、宗教につなげました。この間10分近くを費やしましたが、教科の内容につながる部分はこの「神様」という言葉だけでした。しかも、教科の内容に入ると、先ほど盛り上がっていた子どもたちも、集中力がなくなっていました。彼らは、無責任に話を聞いていられるこの10分で集中力を使い切ったのです。
これでは本末転倒です。授業の初めの一番集中できる時間を無駄に使ってしまいました。導入はできるだけ短く、集中力が上がった時点で、本時の課題に取り組めることが大切です。そのことがよくわかる場面でした。

数学の式の整理の練習問題の場面では、黒板で解答をしながら、教師がポイントを説明していました。黒板には模範解答が書かれ、そのほかには同類項に下線がひかれているだけです。思ったよりできていなかったということで、再度別の問題に取り組ませていましたが、なかなかできるようにはならなかったようです。間違えた子どもは、正解を写してもできるようにはなりません。解答の行と行の間を埋めるものが必要です。できなかった子どもがわかる、できるための手がかりが残っていないのです。教師の説明を聞いても言葉はすぐに消えてしまいます。理解して頭に残すか、板書を見ればわかるようにしておく必要があります。
同じ場面で、行間を子どもに言わせている教室もありました。いきなり最後まで解答するのではなく、最初の1行を書いた後、その1行はどう考えてそのように変形したのか、子どもから丁寧に引き出そうとしています。しかし、教師とその子ども2人だけのやり取りになってしまい、他の子どもたちはそのやり取りに参加できていませんでした。授業者にそのことを指摘すると、すぐに反応してくれました。他の子どもに納得したか確認する。もう一度他の子どもに言わせる。こういうことが必要だったと気づいてくれたのです。子どもを見る力がついてきているので、この状況を自分でも感じていたのです。この場面も、練習問題を解かせているとき、子どもたちがよく理解できていないことに気づいたので、途中で一旦止めて見通しを持たそうとしていたのです。子どもの状況をつかむことを意識できています。この意識を持って毎日の授業にのぞめば、自然に力がついてきます。今後の進歩が楽しみです。

以前に訪問したとき、新年度になってから3年生の緊張が緩んで集中力が落ちてきていると感じていたのですが、この日はずいぶん違っていました。どの教室もよい緊張感があり、子どもたちもよく集中していました。修学旅行が終わり、進路説明会もあり、それに合わせて学年団が意識して指導したのでしょう。子どもたちの姿にその結果が表れています。
その中でとても面白い場面を見ることができました。教師が説明しながら板書をしています。この場面は説明を聞かせるのか板書するのか明確にしておくのが基本です。そうでないと説明を聞いている子ども、板書を写す子どもとバラバラになります。この教室では、子どもたちのほぼ全員がノートを取っています。こういう時は、教師が板書をすると子どもたちは一斉に手を動かすのですが、この学級は違っていました。手を動かすタイミングが一人ひとり違っているのです。どういうことなのでしょうか。中学生では珍しいのですが、彼らは教師の話を聞きながら、ノートを取っているのです。教師の言葉を理解しながら、一人ひとり自分のリズムで写しているので、顔を上げるタイミング、手を動かすタイミングがばらばらなのです。さすがに3年生です。1年生から鍛えられ、よい意味でこの教師の授業スタイルに順応しているのだと思います。
隣の教室でも多くの子どもたちは集中していましたが、そのようすはだいぶ違っていました。よく見ると、体は起きているが集中していない子もいます。ノートを写している子どものリズムは一定です。作業に集中しているのです。先ほどの教室と比較してみるとよくわかります。一緒に授業を見ていた先生方もその違いに気づいてくれました。同じ集中でも質に違いがあることがよくわかりました。

また、2年生の理科の体の構造や働きの学習の場面では、子どもたちのよい姿を見ることができました。集中しているのでしょう、私たちの視線に気づくこともなく、教師の(呼吸の?)説明を自分の体を動かすことで確認している子どもが何人もいるのです。例外なくとても楽しそうな表情で、しっかりと教師を見ています。同行していた、この学年を担当している先生は、子どもたちが授業中にこんな表情をすることを知って驚いていたようです。教師の働きかけで子どもたちの姿が変わるということを実感できたようです。

英語のヒアリングのQ&Aの場面で気になることがありました。解答をする場面で子どもたちとあまり意味のないやり取りをしたり、正解者を挙手させてテンションを上げたりしているのです。ヒアリングが終わってしまえば、その後正解を言われても間違えた子どもは、間違えたと指摘されるだけで何も学ぶことはできません。正解の子どもも何らかの新しい学びがあるわけではありません。そこに多くの時間を使うことは無意味です。根拠となる文は何だったか子どもに言わせる。できなかった子どもはそれを聞いて修正する。これが難しいのなら、もう1度、該当箇所をゆっくり聞かせて、その意味を確認するといった、できなかった子どもができるようになるための工夫が必要になります。
この場面に限らず、解答をするときは、できなかった子どもができるようになるための手立てを用意すること。できた子どもにはできてよかったではなく、その手助けをするなどのかかわり合いを意識させることなどの工夫が必要です。単なる正解不正解の確認ならば、できるだけはやく終わらせるべきです。頭を使わないことに必要以上の時間を使う必要はないのです。

同行した先生方は、子どもたちの姿から何を学んでくれたでしょうか。「子どもたちを見るとはどういうことかわかった気がする」と言ってくれた先生もいました。まだ、教壇に立って3か月も経っていない方です。子どもたちから学ぶことを知ることが教師の成長の第一歩だと思います。このような経験をきっかけにして、彼らがどのように変化していくのかとても楽しみです。

うれしい報告

先日訪問した学校の校長と研修担当の先生から、うれしいメールをいただきました。

校長からのメールには、教室をまわって先生たちのようすが変わったと報告がありました。多くの先生が学級全体に目を配るようになったそうです。また、正門での朝の挨拶で、「おはようございます」と挨拶を返すだけでなく、「いい挨拶だなあ」「すばらしい」「元気ですね」「自分から挨拶してすごい」といった言葉をつけ加えるようにしたところ、子どもたちがみるみる嬉しそうな表情になったそうです。自身が担当される授業でも、子どもたちを意識して見ると、一人ひとりの子どものようすの違いがとてもよくわかることに気づかれたようです。子どもたちの反応を見るのが、おもしろくて仕方がないそうです。
校長自ら前向きに変わろうとしていること、先生方の変化・子どもの実態をしっかりとらえようとしていることがよく伝わります。

研修担当の先生からのメールには、授業者一人ひとりと話(雑談)をする機会を持ったことが書かれていました。ほとんどの方が、協議会で指摘されたことを次の授業で試したそうです。授業を参観された先生も、学び合いの授業に挑戦してくれているそうです。また、子どもたちの集中が切れる場面を意識するようになったという声も聞こえてくるようです。
実際に子ども同士をつなごうとすると、指名してもなかなか答えられなかったり、一部のできる子どものみで進んでしまったりするようです。同じ意見を言ってもよいことを伝えること、まちがえても大丈夫という安心感を与えること、そして、教師の発問を工夫していくことが重要だと気づかれたようです。学び合いは教師と子どもたちで一歩一歩、一緒に作り上げていくということを再確認することができとのことでした。もちろん、この担当の先生自身も研修で気づいたことを早速実践しているとのことでした。
とても素直で、前向きな先生方ばかりだということがよくわかります。先生方が変わり始めていることがとてもよく伝わりました。

どの学校もこのようにすぐによい変化がみられるわけではありません。しかし、よい変化がみられる学校には共通の特徴があります。校長や研修担当者のように全体をけん引するリーダーの方が、まず自ら変わろうとする姿勢を見せること。そして、先生方とコミュニケーションをとり、教室の変化をしっかりとらえ、先生方や子どもたちの変化を前向きに評価することです。この学校はこの条件を満たしていたということです。研修はきっかけにしかすぎません。リーダーの日ごろの姿勢が今回のよい変化につながったのだと思います。もちろん、先生方が素直で前向きなことが一番ですが。

このような報告をいただけることは、私のような立場の者にとっては本当にうれしいことです。このような機会を得たことを本当に感謝します。次回の訪問を思うと、気持ちが高揚すると同時に前回以上の研修にしなければとプレッシャーもかかります。このプレッシャーを楽しみながら次回の準備をしたいと思います。

算数で大切にしたい活動

算数では、数の概念や足し算・引き算などの演算の概念、長さなどの単位の概念などを形成することがとても大切になります。このとき、意識してほしいことは、問題を解けるようにすることをあせるあまり、言葉から直接式をつくる訓練に終始しないことです。

演算で考えてみましょう。算数の問題は、言葉で書かれたものを、式を立てて解くことが求められます。しかし、言葉と式を直接結びつけることはとても危険です。なぜこの問題は足し算なのか、なぜ引き算なのかを言葉で説明することはとても難しいことだからです。「違い」を聞かれているから「引き算」というのは、本当は説明にはなっていません。そもそも「引き算」という概念は言葉で形成されたものではないからです。

「残り」「違い」と聞かれたら「引き算」と教えることはHow to としては、多くの問題で有効かもしれません。しかし、その言葉の表しているものを無視して「引き算」と直接結びつけて解かせても、「引き算」を理解したことにはなりません。
「残り」と「違い」は「引き算」で求められますが、同じことを表しているわけではありません。教科書では、「残り」が「引き算」の定義、概念の出発点となっています。引き去った「残り」を求めることが「引き算」であると定義をしているのです。では、「違い」も「引き算」になることはどのように理解していくのでしょうか。たとえば、赤組8人、白組5人の「違い」を考えてみましょう。赤組、白組を整列させ、求めるものは図のどこの部分が表す数かを考えさせる。はみ出た3であれば、それはどのような操作で求められるか考える。それは、白組の5人と対応する5人を白組から引き去った「残り」だから、引き算で表される。このような過程を経ます。「違い」を「残り」に帰着させて引き算となること理解させるのです。「残り」を考えることで引き算の概念を形成し、それをもとに「違い」に拡張しているのです。

教科書では、子どもたちがばらばらにいる図、整列した図、ブロックで対応させた図、5つのブロックを対応させ、分解した図と丁寧にこの段階を踏んでいます。授業では、ブロックを使った操作をすることが必須となります。ブロックの操作が、今までやった「残り」と同じ操作だと気づくことで、これが引き算だと子どもは理解するのです。
子どもが納得できるまで、この操作を経験させることが大切です。ここをさぼって、だから「違い」は引き算だねと教え込むことは危険なのです。

また、ブロックのよさは操作できることだけではありません。人間のままでは、どうしても赤組の子ども、女の子といった属性が残ります。一旦ブロックに置き換えることでその属性は消えます。この置き換えは、数の本質的な概念形成に役立ちます。数は対応関係に注目した概念で、属性を消し去ることがその本質だからです。

問題文という言葉と式という言葉。この2つの言葉だけを行き来することを重視するのではなく、図による視覚化、ブロックのような具体物による操作、この3つを自在に行き来する活動がとても大切です。特に演算の概念形成は、どのような操作がその演算となるのかをしっかりと理解させ、練習では問題文を直接式にするのではなく、その表す状況を絵や図で表し、どのような操作で求められるのかを意識して式を立てるようにさせてほしいと思います。

算数の授業アドバイス(その2)(長文)

昨日は、引き続き小学校の算数の授業アドバイスをおこなってきました。

2年生は引き算の筆算の場面でした。2桁同士から3桁の数に拡張していく場面です。授業者は教科書を黒板に実物投影機で映しだしました。子どもたちの顔をあげたいという思いです。子どもたちのこういう姿を見たいという思いを持つことはとても大切なことです。しかし、教科書を映す前に今日は○○ページを学習しますと、教科書を開かせてしまいました。そのため、子どもたちはどうしても手元の教科書を見てしまい、顔が上がりません。黒板に集中させるためには、必要になるまで教科書を開かせないことも大切なことなのです。
0から9のカードを使って2桁の筆算の問題をつくる課題では、子どもたちに問題をきちんと把握させずに、いきなり、教科書のキャラクターの言葉を読ませ、その説明を求めました。挙手をした子どもを指名しましたが、うまく説明できません。子どもの言葉を理解しようと聞き返すのですが、よくわかりません。そこで、子どもたちに「賛成の人」と助けを求めました。子ども同士をつなごうとするよい姿勢です。ところが、誰も手を挙げませんでした。続いて「違うと思う人」と聞いてしまいました。たくさんの手が挙がりました。ここですぐに他の子どもに意見を求めました。この子どもの発言も不十分だったのですが、活かせそうだと判断して他の子どもとつなぎながらまとめていきました。授業者は最初の子どもを直接否定はしてないのですが、「違うと思う人」と聞いてしまうことで、結果的に否定してしまいました。これでは子どもの意欲は落ちてしまいます。
ここでは、「もう一度言ってくれる」「ちょっと待って、それってどういうこと」と子どもの言葉を短く区切りながら整理させ、まず全員でその内容を理解する過程を踏む必要がありました。その上で、活かせそうになかったら、「なるほど、そう考えたんだね」と認めて、他の子に意見を求めればよかったのです。あえて、否定する必要はなかったのです。
また、教科書のキャラクターの言葉をいきなり読ませましたが、教科書は子どもたちからその考えがでなかったときや自習することも意識してこのような構成になっています。できれば子どもたちからその言葉を引き出すようにしてほしいと思います。デジタル教科書では消すことができますが、実物投影機を利用するのであれば、白い紙でその部分を覆っておけばいいのです。ちょっとした工夫をすることで授業は大きく変わっていくと思います。
この時間の主たる課題である「筆算の仕方を考える」について、教科書は「筆算の仕方をもとに考える」と考え方の方向性を示しています。しかし、授業者は子どもに考えさせるのではなく、筆算のやり方の手順を一つひとつ子どもに確認し、その後、すぐに練習に取り組ませました。解答の解説の場面でも、子どもに発表させたのは手順です。最初に「筆算の仕方を考えよう」と課題を提示したのに、考えることや仕方を整理することはなく、解くための手順を言う、問題を解くという作業に終始しました。これでは、考えることは手順を覚えることになってしまいます。
ここでは、教師がピンポイントで発問するのではなく、「筆算ってどうやるんだっけ」と子どもに問いかけ、できるだけたくさんのポイントを子どもから出させる。その上で、「じゃあ、この問題やれそう」と子どもが見通しを持てたことを確認してから、解かせるとよいでしょう。解答、確認の場面では、子どもたちからでたポイントの何を使ったのかを意識させます。その上で、「今までの勉強したことを使って、新しい問題(3桁の問題)を解くことができたね。すごいね。みんなよく『考えた』ね」と評価するのです。
子どもをつなごうとする姿勢の見える授業でした。この授業で子どもの何をつなげばよいのか、そのために何を問いかければよいのかを意識すると、とてもよくなっていくと思いました。

6年生はかなりレベルの高い文章題の演習場面でした。昨年より、グループで演習をすることに挑戦されているということで、参観することをとても楽しみにしていた授業でした。
まず、答だけを確認した後、子どもたちに困っている問題を聞きました。子どもたちは、恥ずかしがらずにしっかり手を挙げます。とてもよい姿です。多くの子どもが最後の問題で困っているようなので、この問題を授業では取り上げることにしました。
授業者は子どもに問いかけながら進めています。子どもの反応を拾う力もあります。それだけに、子どもの言葉を受けて説明しすぎるのがもったいないと思いました。教師が説明するため、できている子、わかっている子は集中しては聞きません。わかっているから聞かなくていい、自分の出番はないからつまらない、そんな子どもの気持ちが見て取れます。ここは、教師が説明せずに、できている子どもにヒントを出させる、最初に何をやった、どんなこと考えたと初手を言わせる。その言葉を手掛かりにして子ども同士をつなげていく。こんな進め方に挑戦してほしいと思いました。優秀な子どもたちですから、きっと応えてくれると思います。
授業者は類題に気づかせ、その問題を図を使って解いていくことで、解決の糸口を見つけさせようとします。図が示されると、「あっ」「そうか」「わかった」というつぶやきが漏れてきます。子どもたちが動き始めました。授業者は、その上でもう少し説明を付け加えていきました。多くの子どもが反応しだします。このときには待ちきれなくて自分で問題を解こうとしている子も出てきています。そこで、授業者は説明を止めて、この先を自分たちでやるようにグループに戻しました。どのグループも一気に話し合いに集中しました。自分の説明でここまで子どもがよい反応をしてくれると、教師は一気に説明を続けたくなるものです。そこを、グループに戻す判断ができるのですから素晴らしいと思いました。ただ、最初に子どもたちが反応した段階で、子どもたちに気づいたことを言わせ、その気づきを広げていき、その時点でグループに戻せば、子どもたち自身でより多くのことに気づけたと思います。
この後の全体での追究場面では、2つの図が出てきました。比の基準を何にするかの違いです。それぞれに説明させ、「同じ図を書いた人」と問いかけ、子ども同士をつなぎます。ほとんどの子どもがどちらかの図をかけています。ここは、一気に深める場面です。「同じだ」という声も何人から出ています。この「同じ」という言葉、2つの図の「違い」を焦点化してほしかったのですが、そこまでは残念ながらできませんでした。2つの「違う」図を「同じ」だという意味がわかれば、何を基準にしたかの違いだけで関係は同じことに子どもたちが気づけるはずです。
ここは、「えっ、同じなの。2つの図は違うと思うけど」と子どもに問いかけて、説明させる。それが難しそうなら、「ねえ、この図の1て何が1なの」と問いかけてみるのもよいでしょう。ちょっとした働きかけで、流れは変わったと思います。
また、比における基準のように、意識すべきキーワードは、学年を越えた共通のものとしていつも子どもたちに問いかけることが大切です。色々な場面で同じキーワードが使われることで、子どもたちは基本となる考えを身につけていきます。
その後グループで、できなかった問題を教え合うことになったのですが、子どもたちのテンションの高さが気になりました。グループではなく、ペアや違うグループの仲のよい子と教え合っています。また、わからない部分を聞いてその部分を理解するというよりは、答の図や式を教えてもらっているというように見えます。一方、自分一人で解きたい子は話し合いに参加しません。これでは、グループ活動は崩れていきます。
グループの活用の場面は、全員で同じ問題を解く場面と個別に問題を解く場面の大きく2つ分かれると思います。
前者の場合、できる子がすぐに解いてしまい、みんなに教えて終わってしまうような課題ではあまり意味がありません。高めの課題を与える。行き詰まっているグループがあれば、一旦グループ活動を止めて、全体の場で、「どんなことをやってみた」と過程を共有し、その上で再びグループに戻す。できてしまったグループには、「全員が説明できるようにしてね」とさらなる課題を与える。説明の場面は途中で困ってもいいので、できる子にはあえて指名しない。説明につまれば、そのグループの子どもたちが助けるようにする。こんなことを意識するとよいでしょう。
後者の場合は、個別であっても、わからなかったら友だちに聞いてもいい、聞かれたら友だちがわかるまでしっかり教える。自分で解きたい子もいるので、聞かれないのに教えることは絶対しない。こういうルールを明確にしておくことが大切です。たとえ自分で次の問題を解きたいと思っても、友だちを助けることを優先するように指導してほしいと思います。また、聞く方も、ただ「教えて」ではなく、「ここがわからないから、教えて」と聞けるようになってほしいものです。
どのように聞く、どのように説明するといったグループ活動で必要な力は、グループ活動の場面だけではなく、全体追求の場面で鍛えておくことが大切です。「困っていることは何?」「何かいいヒントはない?」「どの言葉でわかった」「どの説明でピンときた」などと教師が問いかけ続けることで、子どもたちは自然にその力を身につけていきます。
また、先生方からは子ども同士で考えさせると時間がかかるので、教師が教えた方が結局効率的ではないかという疑問も出されました。解くべき問題を精選すること。最後まで解かずに、図にするところまでで止めるやり方もあること。そこから先は宿題にしてもこの学校の子どもたちなら自分で解く力があることなどをお話しました。

1年生は、引き算の問題をつくる場面でした。図の中から7−2となる問題をつくるという課題です。教科書の例は「ちょうが7ひきいます。ちゃいろいちょうは2匹です。しろいちょうはなんびきいますか」というものです。授業者は、図は使わずに、わかっているものは何、聞いているもの何と、問題を解く視点でこの例を子どもたちに分解させます。例を素早く終わると、次はわかっているところを与えて、最後の聞いているところをつくる問題です。ここで、教科書を振り返り、今までやった引き算の問題の聞いている部分を整理しました。「のこりは・・・ですか」「ちがいは・・・ですか」「・・・多いですか」といった言葉を使えばいいこと、最後は「か」で終わることを押さえ、こういった言葉を使えばいいと教えました。
残念ながら、教科書を正しく理解していません。授業者は算数の問題を解くために、言葉と演算を直接結びつけようとしているのです。こういう指導をすると、残りという言葉があれば引き算という、とんでもない発想をする子どもが育ってしまうのです。そうではなく、この問題で聞かれているのは図でいうと、これからこれを引いた残りの部分だから、引き算だという発想をしてほしいのです。ここまで教科書の引き算の問題は文章だけのものはありません。必ず図が一緒にあります。その意味をわかっていないのです。引き算などの演算と言葉を直接結びつけることは絶対にしてはいけません。言葉が表している事象や状態から、これは引き算になると理解することが大切なのです。算数の概念形成の段階では、式は図(具体的な事象)と結びつけなければいけません。文章に示されている数は図のどこに表れているか、求めるものは図のどの部分を指しているか。そして、その関係からこれは○○算になるという思考をすることが大切なのです。逆に式の数が図のどの部分になっているのかを確認したりすることで、数、式、図、言葉を子どもたちが自由に行き来できるようにするのです。
ここまで教科書は、「残り」を基準にして考えています。「違い」はブロックなどを使い、「残り」を求めればよいことに気づかせています。ではこの時間の課題は何を考える課題なのでしょうか。引き算になる事象を図から探し、それを言葉にすることで、図や式と言葉を結び付けることをし、今まで引き算を表す言葉を限定していたものを拡張していく課題なのです。ですから、例は「残り」も「違い」も使っていません。今まで引き算を表すキーワードだったものを使わずに、「しろいちょうはなんびきですか」と聞いているのです。キーワードがなくても、言葉が表す事象を考えることで演算が決定できることに気づかせるのです。この例文は算数の引き算の問題としては不適切です。正しくは「しろいちょうとちゃいろいちょうがあわせて7ひきいます」となっていなければいけません。それをあえてしていないのは、子どもにそれを求めていないということです。要は図を見てわかればいいのです。ですから、この課題で図を見ずに言葉だけで授業が進んでいくことはあり得ないのです。教科書はそこまで考えてつくられているのです。
授業者は、この例が算数の問題としては不適切だということに気づいていました。また、聞いている部分が今までのキーワードと違うのでしっくりきていませんでした。これまでの指導とずれていることが嫌だったので、できるだけ軽く扱いたかったようです。そこに気づけるのですから、もう1歩だったのです。それができなかったのは、問題を解くことにばかり目がいって、算数の概念形成という本質を見落としていたからです。教科書の意味することを理解できていなかったのです。パターンや手順で教えれば目先の問題は簡単にできるようになります。しかし、それではやったことのある問題しか解くことはできません。思考力は育ちません。残念ながらこの授業だけではなく、私が目にする算数・数学の授業の多くはこのことに気づいていないのです。
検討会では、先生の中から、この授業は黒板に教科書を実物投影機で映して、図と対応させながら進めればいいという意見が出ました。その通りです。それを受けて、授業者は、図でばらばらに配置されていて物は子どもがうまく整理できないので、図の物の上にブロックを置いて、それを移動して整理させればいいですねと、とてもよい発想をしてくれました。言葉の違いに気づける感性、ちょっとしたヒントから子ども目線の展開をつくりだせる発想力。とてもよいものを持っています。教科書を読みこみ、視点を少し変えれば大きく進歩すると思いました。最後に、「ブロックの移動は教師ではなく、子どもにやらせるといいですね」とアドバイスをして終わりました。

また、多くの授業で共通して気になることとして、宿題の答え合わせを授業の最初にしていたことがあります。ただ答を子どもが順番に読みあげて○をつけているだけで頭を使っていません。授業の一番よい時間を無駄に使ってしまっているのです。できるだけ早く済ます工夫、思い切って授業時間外で○つけをするといった工夫をする必要があると思いました。

検討会終了後、校長、研修部の先生方とこの2日間で気づいたことについてお話させていただきました。朝礼前の教室、放課中の廊下や運動場、登校、掃除、教室移動の場面での子どもの姿から多くのことに気づけました。子どもたちの持つポテンシャルの高さとそれを活かしきれていないことを先生方にお伝えしました。どなたもとても真剣にこの学校の方向性について考えていただけたように思います。

多くの先生が、時間を割いて授業を参観してくださいました。また、授業が終わるとすぐにたくさんの質問をいただきました。これほど多くの質問をいただいたことは経験がありません。次回は先生方の疑問や質問をもとに全体に対してお話をさせていただくことになっています。どのような質問が寄せられるかとても楽しみです。先生方の前向きな姿勢に応えられるようなお話をできるようにしたいと思います。次回の訪問が今からとても楽しみです。

算数の授業アドバイス

昨日は、小学校の算数の授業アドバイスをおこなってきました。どの学級も教師と子どもたちの関係がよく、よい意見を発表する子どもも多く、レベルの高い課題に挑戦していました。

5年生の合同の授業は、授業者と子どもたちの関係のよさをとても感じました。子どもたちに身近な合同の図形を発表させる導入の場面では、発表者の方を見るように指示を出し、子ども同士が互いに聞き合える関係をつくろうとしています。
2つの図形が互いに合同か迷う場面がありました。授業者は隣同士で相談するように指示を出し、その後、どちらかに挙手をさせたところ大きく分かれました。子どもたちに理由を問うのですが、互いに相手を納得させられません。問題点を焦点化できずに最後は授業者が結論出しました。まだよく納得できていない子どもいたのですが、教師が結論を出すと素直に従っていました。最後に正解を確認する場面ではどの子も大きな声で答を言っていました。教師の正解を素直に受け入れていることがわかります。時間の関係もありますが、教師が絶対者として結論を出すのではなく、子どもたちで結論を出すことをしたい場面でした。
この日のまとめとして子どもたちに合同な図形を見つけるポイントをノートに書かせ、発表させました。間違えた考えもあったのですが、授業者は否定することなく板書しました。とてもよい姿勢です。その後、一つずつ取り上げ子どもに意見を発表させました。正しい考えを知識として知っている子どもも、友だちの考えが正しいかどうかはちゃんと確かめてみなければわかりません。どの子どもも真剣に友だちの発言を聞いています。よい意見がでて、子どもたちが大きくうなずく場面がいくつもありました。残念なのは、その後、教師が「これは違うようだ」結論を出してしまったことです。うなずいている子どもに再度意見を言わせ、間違えていた子どもが納得したことを確認し、子どもたちで結論を出すようにしたかったところです。
子どもの言葉を大切にしようとしている先生なので、子ども同士をつなぐ、結論を子どもにゆだねることを意識すると、子どもたちの考える力はどんどん伸びていくと思います。

3年生のあまりのある割り算の授業は、基礎的な計算力をつけることを大切にしていると同時に、難しい問題にもチャレンジしていました。時間を切って問題を解くなどスピードを重視していました。子どもたちは集中して問題に取り組んでいました。上手にやる気を引き出しています。何問できたか競い合う必要はないのですが、自分の成果を評価する場面、たとえば前回と比べて伸びたといった、自分の進歩を意識させるとよいと思いました。
この日の課題は文章題でした。子どもたちに問題文を読ませるときに数字を大きな声で読ませるようにしています。おもしろい試みです。確かに数字は式を立てるときに必要となる大事な要素なのですが、文章題ではその日本語の部分に式の根拠があります。問題を解くための大切な言葉も意識させるとよいと思いました。
子どもたちのノートを実物投影機で黒板に映して発表させるなどの工夫もしていました。今回は図を使っている子どもが多いので、とても有効な方法です。子どもも一生懸命スクリーンを使って発表していました。ちょっと残念だったのは、発表のあとその考えを全体で確認し共有化する場面がなかったことです。なかなか難しい問題だったので、どうしても、教師が説明してしまうのです。子どもたちは、基礎力もあり、友だちの考えを理解しようとする姿勢を持っていますので、同じ考えの子どもに発表させたり、意見を聞いて納得した子どもに発表させたりする授業に挑戦してほしいと思いました。

4年生は線分図を使って文章題を解く授業の2時間目でした。この時間では、問題を解くのにスモールステップに分けずに一度に解かせていました。線分図と式を書かせて説明しますが、式の値を線分図で確認したり、書きこんだりはあまりしませんでした。前の時間にやったのかもしれませんが、線分図だけをまず押さえて、そこから解き方を考えさせ、見通しを持たせてから、式を立てて答を求める。そういう過程を一度経験させてから、練習に移った方がよかったように思いました。
子どもの説明の中で「そろえる」というとてもよい言葉が出ました。授業者はすかさずこの「そろえる」を使って説明をしました。後で聞いたところ、これはキーワードになると思いその場でとりあげたそうです。予定していなかった言葉をキーワードとしてとらえることができる柔軟さは見事です。しかし、とっさのことだったので、全体にきちんと押さえ確認することは徹底できませんでした。机間指導をしながら押さえようとはしたのでしたが、全員にはきちんと届きませんでした。授業者は、次の時間の最初にもう一度押さえたいと意欲的に語ってくれました。自分の足りなかったところを埋めようとする姿勢は素晴らしいと思いました。
この学級に限らず、できる子どもが、問題を解いた後、時間をもてあましている場面がありました。彼らにどのような課題を与えるかは学校共通の問題のように思います。正解がわかっているので真剣に話を聞いていないと感じる場面もよくあります。しかし、友だちの説明を聞くような場面では集中度が増します。このあたりに問題解決のヒントがあるように思います。
また、授業者は子どもたちの評価をするのに足りないこと、できていないことを指摘する傾向がありました。子どもたちは担任のさっぱりとした性格(お話をしていて個人的にそう感じました)をよく知っているのか、あまりネガティブにはなっていませんでしたが、ちょっと気になりました。思い切ってご本人にお話ししたころ、どのようにして修正したらよいかご自身も悩んでいるようでした。まず、できていることをほめること。本人が自分で気づくように仕向けること。自分で直したらほめることをお伝えしました。前向きに聞いていただけたようで、次にお会いする時にはきっと大きく進歩されていると思いました。

どの授業も自主的に参観する先生がたくさんいらっしゃいました。どなたも、真剣に子どもたちのようすを見られていました。子どもたちからたくさんのことを学ぼうとしていることが、参観後の質問の多さにも現れています。とても充実した楽しい時間を過ごすことができました。校長も終始先生方と行動を共にされ、自ら学ぶ姿勢を見せておられました。研修担当の先生の熱心な姿勢も印象に残ります。話をうかがっていると、学校全体の授業力アップのためにどのようなことが必要か、自分はどのように働きかければよいか、とてもよく考えられていることがわかります。
本日も引き続き授業アドバイスをさせていただきますが、子どもたちも先生方も素晴らしい姿を見せてくれることと思います。

「わからない」にどう対応する

説明のあと、子どもが「わからない」と言ったときどのように対応しますか。もう一度、同じ説明を繰り返しますか。それとも、どこがわからないか聞きますか。子どもの「わからない」にどう対応すればよいか、考えてみたいと思います。

子どもにとって、同じ説明を繰り返されると、「わかりなさい」「この説明がわからないの」とプレッシャーをかけられることになります。そこで、教師は違った説明をするのですが、今度はさっきと異なる説明なので、余計に混乱させてしまうこともあります。いくつかの説明を準備しておくことは大切ですが、子どもに応じてどのように説明するかは難しいものです。

一方「どこがわからない」と聞くことは悪い対応ではありません。しかし、どこがわからないか自分で言えることはかなり高いレベルです。答えられないことも多いはずです。そこで、算数や数学などでは「ここまではわかる?」とステップごとにどこがわからないか、どこまでわかったか確認していくことになります。一つひとつ確認していって最後まで「わかった」はずなのに、「わかったね」と聞くと、「わからない」と返ってくることもよくあります。
こういう場合、子どもは「なぜこんなことを考えるのか」と課題そのものの必然性がわからないためにつまずいてしまっていることが多いようです。子どものわからないと、教師の説明がずれてしまったわけです。子どもが何につまずいているのか見つけることは、経験ある教師にとっても難しいことです。

色々な説明を試みる、子どもがどこでつまずいているか見つけて説明することは有効な手段の一つですが、発想を変えて子ども同士に任せるという方法もあります。
「わからない人は他にもいるかな」とたずね、「どこがわからないか教えて」と聞きます。どこがわからないか答えられない子どもがいても、他の子どもから引き出すことができます。
「助けてくれる人いる」と子どもに説明させると教師の説明よりもすんなり理解してくれることもあります。説明を聞いているようすを客観的に見ることができるので、どこにつまずきがあったのかもよくわかります。
説明できる人がいない、わからない子がたくさんいるのであれば、グループやまわりの子どもで相談させることも有効です。友だちと相談してわかった子どもに全体で発表させ、何人かに補足させると、つまずいていた子どももよくわかるようです。

わからない子どもをわかるようにするのは教師の務めです。そのため、教師はわからせなければならないと説明しすぎる傾向があります。教師が一生懸命に説明すればするほど子どもにプレッシャーがかかり、子どもが引いてしまうこともよくあります。ちょっと肩の力を抜いて、思い切って子ども同士に任せることも大切です。教師が思う以上に子どもたち同士でわかりあえるものです。

算数の授業検討会で指導(長文)

昨日は小学校の算数の授業研究に参加しました。授業に先駆け校長・教務主任と教室のようすを見せていただきました。子どもたちは素直で落ち着いていましたが、授業における子どもたちのかかわり合いが少ないと感じました。1問1答が多く、教師との1対1の関係が中心でした。子どもの言葉を活かそうという意識は授業からはあまり感じられませんでした。
また、体は起きているのですが子どもたちが聞くことに集中していない場面も目にしました。教師が子どもたちに望んでいるのが、席について体を起こすところまでで、教師を見てしっかり聞くことを求めてはいないのです。若い教師が、板書しながら黒板に向かってしゃべっている場面も多く見ました。チョークの持ち方も鉛筆のように持っています。子どもを見るということはどういうことか、一度整理する必要を感じました。
ハンドサインを利用している授業が多かったのですが、ほとんどの子どもが賛成のサインを出すと、授業はそのまま進んでいってしまいます。賛成、反対、意見ありといったサインを何もだせない子どもがいても、その子に判断をうながしません。それでは、ハンドサインを出させる意味がありません。「わかった?」「はい」と全く変わりません。ハンドサインについては、どう活用すればよいのか学校全体で考える必要がありそうです。

算数の授業研究は、折れ線グラフの下部を省略して目盛りを拡大する工夫を学ぶところでした。子どもの言葉を活かす、デジタル教科書を活用するという授業に挑戦してくれました。
授業者と子どもの関係はよく、子どもたちは真剣に取り組んでいました。導入でグラフをかく場面は、目盛りが細かくてうまく書けないこと、変化がわかりにくいことの2つを気づかせることに活動を絞り切れず、時間を予定より使いすぎてしまいました。そのことがその後の展開に影響しました。

「わかりやすいグラフにするためにはどうすればいい」と子どもたちに問いかけたところ、何人かが挙手しました。1人の子どもは目盛りの表示を表の数の近くにすればよいという表現をしてくれました。しかし、うまく整理できてないので授業者は、「まあいいでしょう」と言って、「つまり○○君がいったのは・・・」と勝手に解釈してしましました。子どもは自分の考えとは違うと感じたようでした。再度その子に確認したところ、違う表現をしました。私は最初の彼の言葉をとても面白く思ったのですが、結局消えてしまいました。次の子どもは、扱っているのが人の体温だから、0度や10度にはならないから省略するという発言をしました。多くの子どもがハンドサインで賛成を示しましたが、このことの意味することを全員がわかったとは思えません。子どもは言っている日本語は理解したのですが、それが算数としてどのような意味を持つのか、どのような工夫につながるのかは理解していません。あとから、整理したかったのかもしれませんが次の子どもに発言を求めました。この子どもは、37.3度だったら37度に近い数にするという考えを発表しました。授業者はとりあえず「なるほどね」と受け止めて黒板に書いたのですが、どう処理していいか困惑していました。導入で時間を取りすぎたこともあり、「実はねえ・・・」とデジタル教科書を見せることにしてしまいました。最後の子どもの意見だけでなく、前の2つの意見も活かすことができずに進みました。ここで、これらの意見を捨ててしまったことが次の場面に影響を与えました。

デジタル教科書は、グラフの目盛りを下に伸ばし、はみ出る下の部分を波線で省略するようすを、連続したアニメーションで見せてくれます。これを見せると子どもたちは「おおっ」とよい反応示すのですが、気づいたこと問いかけて出てくるのは、「グラフの変化がわかりやすくなった」といった、変化のようすに関することばかりです。「ビヨーンとなった」「伸びた」「目盛りが広がった」といった言葉が出てこないのです。これは、先ほど子どもから出てきた「目盛り」を授業者がすてたこと、「実はねえ・・・」という言葉に否定的なニュアンスがあったことから、「目盛り」はどうやらここでは求められていることではないと思ったのでしょう。その結果、授業のめあてである、「変わり方がよくわかるグラフをかこう」に強くひっぱられた意見になったということです。

また、波線による省略部分を焦点化しようとするのですが、省略された目盛りは波線の下にある、という意見が出てきて少し混乱してしまいました。実はデジタル教科書では波線の間の部分はきちんと方眼の縦横の線を消しているのですが、教科書ではそのまま残しています。ディスプレイがやや小さく、細かい線が見にくかったので、子どもたちは教科書を見て考えていたのです。授業者はそのことに気づいていなかったので、子どもたちとずれてしまったのです。

2つのグラフを比較して考えをノートに書く場面では、子どもたちは想像以上によく書けていました。日ごろから考えを書くことを鍛えられている証拠です。子どもたちの意見を板書していきましたが、最後に授業者が、「下の方を省くとよくわかる」とまとめてしまいました。まとめを子どもの言葉でつくりたかったのですが、教師の言葉になってしまいました。

検討会では、最後のまとめは「目盛りの間隔を延ばすとグラフがわかりやすくなる」ではないかという意見が出されました。もっともな意見です。なぜ授業者は「省略」こだわってしまったのでしょうか。実は、指導書は「省略の印を使うことで・・・」とまとめています。そこに授業者は影響されていたのです。指導書はデジタル教科書を使うことを考えてつくられていません。子どもたちが「変化をわかりやすくするのにどうする」という課題に行き詰ってから省略の印の波線の入った方眼紙を与えて、これを使う意味を考えさせるという展開なのです。ですから、「グラフの下の部分を省略することで、・・・」というまとめになっているのです。思考の基点がそこだったからです。一方デジタル教科書では目盛りを伸ばすことを起点にしていたので、当然まとめ方も変わるべきだったのです。

また、指導書の展開を理解すれば、教科書のグラフで省略の印の波線部分の間が消されていなかった理由はすぐに理解できると思います。教師が波線の間を消した方眼紙を準備することはとても大変です。教科書で消されていると、そこにこだわる子どもが出てきます。そうならないように、教科書も消していなかったのです。
そのほかにも、教科書とデジタル教科書には微妙な違いがあります。デジタル教科書では下に伸ばすということから、グラフの最大値は40度のままになっています。しかし、教科書では、データがうまく収まる範囲だけ書けばよいという考えで進めていますから、最大値は39度あたりにしています。もし、教科書のグラフで比較を考えるのなら、ここにも気づかせたいのです。
いずれの教科書を使うにしても、教科書をきちんと理解することはとても大切になります。私自身もあらためてそのことを実感させてもらいました。

授業者は子どもの意見をうまく処理できず、とりあげられなかったことをよくわかっていました。その場面からあと余裕を失くして、それまでしっかり意識してつくられていた笑顔がなくなったこともちゃんと気づいていました。自分自身でしっかり気づけているので、大丈夫です。このような教師は毎日の授業で着実に進歩していきます。次回の訪問でどのように進歩しているかとても楽しみです。

検討会の場を借りて、いくつかの授業改善のヒントを話させていただきました。最後に校長が「百発一中」という私の言葉を紹介して、若手に何か一つ変えてほしいと伝えました。具体的にたずねたところ、「笑顔を大切にする」「チョークの持ち方を変える(板書中に子どもの顔を見る)」「導入を3分で済ます」など、それぞれが実行できそうなことを明確に言ってくれました。このような問いかけをできる校長の指導力に感心しました。

この日校長と教務主任は終日私のそばにいて話を聞いてくださいました。すこしでも他者から吸収しようとする姿勢はとても素晴らしいと思いました。学校をよくするためにどうすればよいかを常に考え続け、勉強されていることがよくわかります。このような学校のお手伝いをできることをとてもうれしく思いました。次回は、他の先生方ともたくさんの時間を一緒に過ごしたいと思います。とても楽しみです。

中学校で講演

昨日は中学校で講演をおこないました。先週見せていただいた授業をもとに、言語活動を活発にするためのヒントをお話させていただきました。

言語活動を活発にするということは、子どもたちの活躍の場をつくることにつながります。この活躍という視点で子どもたちの活動をとらえると、大切になるのは、他者に認められること、他者の活動に影響を与えるということです。子どもの発言を評価して、その言葉を活かすことが求められます。
子どもの発言内容にかかわらず、教師が自分の言いたいことを一方的に説明すれば、子どもは自分の発言が認められたとは感じません。このようなやり取りを続ければ、次第に積極的に発言しようとはしなくなります。また、教師が発言をまとめれば、教師のまとめを聞くことが一番効率的な学習になります。それでは、友だちの発言を聞くようにはなりません。「今の意見、なるほどと思った人」「同じような考えの人いる」と子どもの発言をできるだけ活かそうとすることが必要です。
子どもが発言してくれない大きな原因は、教師が正解を求めるからです。正解を求められれば、自信がないと答えられません。わからない子は発言することができません。そうではなく、「どんなことを考えた」「何をやってみた」「困ったことない」と過程を聞くようにすれば、どの子にも発言の機会を与えることができます。また、安心して発言できる雰囲気をつくるためには、どんな発言でも「なるほど」と認め、たとえ間違いでも友だちの発言を聞いて修正する機会を与える。うまく言えなくても「まわりの人助けてあげて」と失敗で終わらせない、最後は必ずほめる、認められるようにする。このようにすれば、子どもの発言は必ず増えていきます。
また、教師は時間がないことを理由に一方的な説明をする傾向があります。しかし、教師が説明すればそれでわかるようになるわけではありません。子ども同士が互いに言葉を足しながら、たどたどしい説明をする方がよくわかることもあります。自分の言葉で話すことで、理解できることもあります。授業を見ていると、多くの場合一人の子どもの発言に対して、教師はその3倍以上の時間しゃべります。その時間を減らせば、多くの子どもに発言の機会を与えることができるのです。一方教師は、説明はするのですが、子どもが理解しているか確認をしない傾向があります。「わかりましたか?」「はい」では、確認になりません。子どもに出力を求めなければいけないのです。

このような内容をできるだけ具体的な場面をもとに話させていただきました、うまく伝わったでしょうか。先生方が子どもとの接し方をほんの少し変えるだけで、この学校の子どもたちは大きく変化すると思います。積極的に学ぼうとする姿を見せてくれると思います。先生方がその一歩を踏み出す勇気を持ってくれることを願います。

再び、ICTの活用について

ICTを活用した授業を論じるとき、その特性や利点ばかりが言われたり、逆に、授業の本質はここであって、ICTはそこには役立っていない、それよりももっと授業の中身を考えるべきだと言われたりします。また、ICTがなくてもできる、わざわざ使う必要はあるのかということも、よく言われます。この議論は、微妙にかみ合っていないように思います。トータルに見て、ICTがそのコスト(準備等の労力)に見合っただけの効果があったかどうかが問われるべきだと思います。
以前ICTの活用について書きましたが(ICTの活用について考える参照)、このことについてもう少し整理してみたいと思います。

たとえば、社会科で子どもたちに、「あれ?」「どうなっているの?」「知りたい!」と疑問や興味を持たせる場面を考えてみましょう。どのような資料を見せるか、どういう発問をするかを考えることが第一になります。どんな資料があるか、どんな資料があればよいか、そのような知識の有無が絶対的な授業の質に影響します。名人であれば素晴らしい資料と発問で子どもたちを見る見る引き込んでいきます。しかしだれもが名人というわけではありません。なかなかよい資料が見つからないかもしれません。それでも、少しでも子どもたちを目指す姿に近づけるための手段の一つとしてICTのような道具があるのだと思います。
同じ写真でも、モノクロで印刷して配るのと、カラーで大きく映して見せるのではその効果は変わります。友だちの気づきを手元の写真で確認しても、なかなかみつからないこともあります。経験の浅い教師だと「見つかった?」と聞くだけで全員が見つけたか確認せずに進むこともあります。参加できない、よくわからなければ、子どもたちは興味を失っていくかもしれません。ベテランであれば、「まわりの人とたしかめてごらん」と子ども同士で確認させることで、なんなくクリアしてしまうかもしれません。
一方、スクリーンに大きく映せば、全員の顔が上がります。友だちの気づきもスクリーン上で共有することで、全員に瞬時に伝わります。子どもたち同士がつながり、誰もが参加することで、疑問や興味も共有しやすくなります。
この例では、ICTは必須ではありません。しかし、授業者によってはICTを活用することによって、この場面での本質、子どもに疑問や興味を持たせることを実現するために大いに役に立っているのです。

では、子どもが黒板に解答を書く代わりに、実物投影機を使ってノートを映すことを考えてみましょう。子どもが黒板に解答を書く時間は、よほどの工夫がない限りあまり意味のある時間とはなりません。この時間がなくなるだけで、多くの時間が生まれます。この活用自体は先ほどの例と違って授業の本質とは直接関係がありません。しかし、これも立派なICT活用です。授業によっては、子どものかかわり合いのための貴重な時間を生み出してくれた、一番の功労者といえるかもしれません。

授業をよりよくするという視点でICTの活用を考えると、教師に求められることは大きく2つだと思います。ICTで何ができるか、どんな利点があるが、その具体例を知ること。もう一つはICTを使う以前に、その授業で何が大切なのか、その実現のために何が課題になっているかを明確に意識できていることです。後者の視点では、その課題がすでに解決されてしまっているとICTを活用する必然性はありません。名人がその典型です。しかし、多くの教師にとっては解決されていない課題があるはずです。そのすべてがICTで解決できるわけではありませんが、有力な道具となるはずです。時間がないといったある意味本質でない課題でも、それを解決することで本質的な問題の解決につながることもあります。また、ICTを使わなくて解決できている課題でも、ICTのよさを知ることで、それをより簡単に実現したり、よりよいものに変えたりできることがあります。

ICTという道具の出現で、前者がクローズアップされました。それに対抗するように後者の視点も授業の本質といった表現で強調されてきました。これらは相反するものではなく、互いがからみ合うことで、よりよい授業の実現につながっていくものだと思います。

算数の授業研究

昨日は、小学校で算数の授業研究に参加しました。4年生の「式の読み方」でした。

事前にお会いした時にお願いしたように、授業者は終始明るい表情で、教室はとてもよい雰囲気でした。たくさんの先生が参加される中でも、子どもたちは集中して取り組んでいました。
碁石の数を求める問題で、式と図での考え方、言葉での説明をつなぐ内容です。まずは式と図をつなぎ、それから言葉で説明するという流れでした。○つけ法を実施することで、多くの子どもは自信を持って挙手しました。しかし、図と言葉の説明については、手がつかない子も多く、一人の子どもが説明した後、あらかじめ用意しておいた教師の解答を黒板に貼って終わってしまいました。授業者は子どもたち全員が言葉で説明できることを期待していなかったようでした。図の意味は式と結びつける、言葉と結びつける、それぞれをすることで理解できます。相互に行き来することが大切です。
TTの授業で、○つけも2人でおこなっていたのですが、つまずいている子どもの指導に時間が取られ、なかなかスムーズにまわることができていませんでした。

協議会は、4つのグループで話し合っていただきましたが、予定した時間になっても話し合いは熱心に続いていました。どのクループも○つけ法について多くの意見が出ました。

・○をつけてもらったので子どもたちが自信を持って手を挙げていた
・○をつけるところが多いと時間がかかるので難しい
・できたら手を挙げてと指示をしていたが、なかなか○をつけにこないので、その間、子どもたちは何もできずに待っていた
・できない子どもに説明していて○つけが終わるまでに時間がかかっていた
・・・

この授業での○つけ法のよかった点、問題点がたくさん指摘されました。よく見ています。しかし、だから○つけ法が有効な場面とそうでない場面があるというように考えられていました。まだ、○つけ法の基本・ポイントを理解されていないようです。
私からは、○つけは何問も同時にするのではなく、1問に絞ること。どの1問にするかが教材研究として大切であること。また、スピードが大切で、間違えた子どもへはできているところまでを認めて、間違いを簡潔に指摘したり、素早く次の1手を指示したりして長くかかわらず、後でもう1度まわってあげること。できたら挙手をするといった指示は、必ず全員に○をつけることが原則なので不要であることなどの基本的なことを説明しました。

図での説明と式を結びつけることができている子どもは多かったが、言葉での説明ができていない子どもが目立ったことも指摘されました。
このことについては、子どもの発言を受けて、教師が一方的に説明してもなかなか理解できないこと。どの子ども理解するようになるためには、子どもの説明を「今の説明、なるほどと思った人」「かわりに説明してくれる子いる?」と子どもにつなぎ、子どもが言葉を足し、自分たちの言葉で考えていくことが大切であることを説明しました。
限られた時間の中で、どれほどのことが伝わったかわかりませんが、どの先生も非常に真剣に聞いてくださり、授業改善への熱意が伝わりました。

この授業は2時限だったのですが、その直後、校長が同学年の先生にこの授業についての改善点を話されたようです。中の若い先生が、「やってみます」と次の3時限で同じ授業に挑戦してくれました。その授業を少し見たのですが、とても素晴らし場面がたくさんありました。一人の子どもの「2が6あることだから・・・」という説明に対して、他の子どもが「○○さんとほとんど同じですが、2のまとまりが・・・」と言葉を足してくれました。他の子どもも大いに納得したので、授業者は「これでわかった、説明しなくていいね。では・・・」と子どもの言葉だけで次に進みました。ここは、教師がもう1度自分で説明したくなるところですが、それをしませんでした。ベテランでもなかなかできないことです。子どもたちは、自分たちの言葉だけで説明されたことがやる気アップにつながったのか、いつもに増して集中して問題に取り組んだようでした。このほか、子どもの発言をうながす場面で、「教えてください」とIメッセージをうまく使うなどして、子どもたちととてもよい関係をつくっていました。
授業者と少し話す時間をいただきましたが、とても素直で前向きな方でした。これからもどんどん進歩していくことでしょう。次回訪問時にまたぜひ授業を見せていただきたいと思いました。

学校全体としてみれば、まだまだ改善点はたくさんありますが、よい芽もたくさんあることがわかりました。しっかり水を与えれば立派な花が咲くことと思います。私が毎日水をやることはできませんが(たまに肥料をあげる程度)、校長や教務主任がきっと大切に育ててくれることと思います。この学校の今後が大変楽しみになりました。とてもよい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
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