模擬授業で研修(長文)
昨日は市の研修で講師を務めました。3回構成の2回目で、11月におこなう授業研究での指導案の検討を、模擬授業を通じておこないました。授業者は経験7年目でこれからが期待される方です。小学校6年生の社会科の日露戦争の模擬授業でした。
授業者は冷房の利いた部屋ではなく、自分の教室で模擬授業をすることを選びました。ホームグラウンドでやりたいということは、ふだんの自分の授業を見せたいということでしょうか。教室は、きちんと整理されていて、授業規律が守れている子どもたちの姿が浮かんできます。授業者はキャラクターがとても親しみやすく、子どもたちとの人間関係もきっとよいと感じました。 導入はこの市に関するクイズを何問か出し、最後にこの市の名前と日露戦争の間に関係があることを伝えて本時の課題につなげていきました。多くの時間をかけない点はよかったのですが、子ども役の反応があまりよくありません。授業者も自分の学級の子どもならもっと盛り上がるはずなので、戸惑っていました。子ども役からすると、知識を問われているので知っている人にはそれだけのこと、知らない人は考えてもわからないのでとりあえず答を選んでいるだけです。また、このクイズが今日の授業とどのようにつながるもわからないので盛り上がらないのです。もちろん、子どもと大人では反応は違って当然なのですが、子どもが成長してくれば似たような反応が次第に出てくるはずです。考えても答がでない、言い換えれば考える必要のない知識を問う問題はできるだけテンポよく進め、早く本題につなげることが大切です。 続いて、当時の日本とロシアの軍事力の差を説明し、3枚の風刺画を印刷した資料を配り、教師の説明の裏付けとしました。授業者は、資料を見ながらどの人物が日本を表しているかといった説明をしていました。そのため子ども役を見ることができません。日本を見つけることができてうなずく子ども役、見つけることができなくて戸惑っている子ども役、彼らの様子を見落としていました。子ども役が資料をきちんと理解していたか確認することなく説明が続きました。 この後も、授業者の説明は続きます。この日の主となる課題、「日露戦争を点数で評価する」ために必要な知識をすべて与えたいのです。しかし、授業者の一方的な説明についていけない子ども役も出てきます。本当に社会が苦手だということで、わからないというメッセージを表情や態度で表してくれました。残念ながら授業者はそのことに気づくことができませんでした。ふだんの授業でもついてこられない子どもがいるはずですが、子どもたちはそれをなかなか外化することができません。授業者との関係がよいだけにかえって表さないのかもしれません。授業者は子どもの理解を確認するということを意識していませんでした。もちろん、途中で私が授業を止めるので平常心でなくなったということも理由の一つでしょうが・・・。 知識は教えるか調べるかしかありませんが、一方的に与え続けても、子どもは吸収しきれないのです。「与える」という発想から「獲得させる」へと変えていく必要があります。 資料の使い方も、教師の説明を裏付けるために使う(悪く言えば教師の正当性を主張する)のではなく、子どもが興味を持ち調べるきっかけとして資料を使ってほしいのです。資料を絞り、子どもが気づいたことの根拠を教科書や資料集から見つけさせ、その根拠を子ども同士で共有する。そういう進め方をすることで、子どもが自然に知識を獲得できることをアドバイスしました。 いったん休憩を入れて、子どもたちに考えさせる場面から再開しました。まず、一人ひとりがワークシートに日露戦争に点数をつけて、その理由を書きます。その後グループで自分の考えを出し合って、グループとして点数をつけました。個人作業のとき、評価は90点で、その理由は日本よりも軍事力のあるロシアに勝ったからと、すぐに書きあげて時間をもてあましている子ども役がいました。しかし、授業者はそのことに気づきませんでした。個人作業では、早く終わった子への指示、手のつかない子への支援が大切ですが、なかなか全体を見ることができません。90点をつけた子ども役には、満点に足りない10点は何かを問いかけるなどの働きかけがほしかったところです。 グループでの活動は、先ほどまでとは打って変わって、どの子ども役も明るい表情で体を寄せ合って話していました。各グループの発表はとても面白い結果になっていました。高い点数、低い点数、半分くらい、極めつけは一つに決められないと、実に大きく分かれました。ここからが楽しみです。各グループにその理由を聞いていきます。「不平等条約の是正につながった」という、授業者が説明しなかったことを理由に挙げるグループもあります。視点や立場によって変わるから一つに決められないという意見も出ました。授業者はそれぞれの考えを受容し認めたのですが、いろいろな考えがあっていいとつなぐことをしませんでした。日露戦争の前と後で世界の目に映る日本とロシアの大きさが逆転したという絵で外部からの評価を示し、最後に感想を書いて終わりました。 互いのつけた点数の理由を理解し合い、その上でもう一度つけ直すことでより考えが深まったはずです。 根拠とした理由を資料で全員が確認し、その上でそのことをどう評価するかをたずねることで子ども同士がつながっていくはずです。 また、グループで点数を決めるのではなく、話し合ったあとで個人の点数を決める。全体での場では、最初は何点をつけて、最後は何点にしたのか、どうして変わったのかを聞く。そのような進め方もあります。 点数のつけ方も、50点を基準に、理由ごとにプラス何点、マイナス何点とさせることで、同じ理由に対してその点数の違いを話題にすることもできます。 子どもの考えを活かし、深めるための手立てはたくさんあるはずです。このことを話させていただきました。 また、教科書は欄外に、与謝野晶子の君死にたもうことなかれと植民地の説明が載せられています。これは、日露戦争を内と外から見るという視点を与える意図があります。このことにも気づいていれば、点をつけるときの視点ももっと明確にすることができたと思います。 今回は時間がないため先生方にグループでこの模擬授業を振り返っていただく時間があまりとれませんでした。しかし、資料から出発して子どもに調べさせるとよい、社会科の難しさがわかったといったよい言葉をたくさん聞くことができました。グループでの話し合いの後、「どんなことを話し合ったか聞かせてください」とたずねたのですが、みなさん、「○○先生が言ったことですが、・・・」と自然にだれの発言だったかも伝えてくれました。教師の問いかけ方によって、子ども同士がつながっていくことにも気づいていただけたと思います。 終了後授業者と話をしました。子どもたちの関係がよく、学級経営がうまくいっているが故にかえって授業で気づけないことがあります。今回の研修を、授業で大切なことを何かもう一度考え直すきっかけにしてほしいことを伝えました。2学期から授業を変えていくことで当日までにきっと子どもも変化してくることと思います。どんな子どもたちの姿を見ることができるか楽しみです。明るく前向きな先生です。研修の世話役の先生が、あえて彼を指名した理由もよくわかりました。同じ教科であることもあり、自分の体験を例にアドバイスをする姿から、彼に大きく飛躍してほしいという思いがひしひしと伝わってきます。このような場面に立ち会えることは幸せなことです。 何人かの参加者から、「楽しかった」という言葉を聞くことができました。「勉強になった」ではなく「楽しかった」という言葉であったことを講師としてはうれしく思います。 次回に対する期待はいやがうえでも高まります。きっと素晴らしい研修になることと思います。 授業に「まくら」は必要か?
若い先生の授業を見ると、導入の場面で子どもの興味を引くためにおもしろい話をして教室のテンションを上げていることがよくあります。しかも、その話が学習内容と直接関係ないことも多いのです。根拠を求めないクイズなどもよく見かけます。落語でいうところの「まくら」のようなものです。授業に「まくら」は必要なのでしょうか? なぜ授業で「まくら」が必要だと思うのでしょうか。
一つは彼らの経験上、授業で印象に残っているのがそういう学習内容には直接関係ないがおもしろい話だったからではないでしょうか。先日かつての教え子と私の授業の話になったとき、彼女たちが一番覚えていたのは教科と関係ない無駄話のことでした。ひどい授業をしていたのだと思い知らされました。恥ずかしいことです。 楽しい授業にしたいと思った時に思い出すのがそのような場面のために、どうしてもそこに引っ張られてしまうのでしょう。学習内容で楽しいと思わせる授業を経験させていない私たちにも責任があるようです。 もう一つは、彼らが受け手になる、学ぶ立場になる講演や公開授業、飛び込み授業などでは必ずと言っていいほど「まくら」があることです。そのため、「まくら」は授業に必要なものだと思ってしまうのです。 講演などで「まくら」が必要なのはまず互いに初対面だからです。当然どうしても緊張関係にありますから、それをほぐすために笑いが必要になってくるのです。また、場を温めると同時にその反応から、失礼な言い方ですが聞き手のレベルを探ります。飛び込み授業であれば、子どもたちがどのくらい鍛えられているかをチェックします。ちょっとしたクイズで緊張をほぐし、その時の反応、挙手・発言の様子や内容などから日ごろどのように授業を受けているかを知り、必要に応じて自分の授業のルールを伝えたりもします。たとえ自分の学級であっても、大勢の参観者がいるときは子どもたちが緊張しますので、こういった「まくら」が必要になるのです。 新しい環境への導入、たとえば学級開きや4月の初めての教科の授業、こういう場面では「まくら」はとても大切です。最初の人間関係をつくるには、笑いなどで緊張をほぐし、互いを知ることはとても効果的です。しかし人間関係ができれば、授業の導入で無駄にテンションを上げる必要はありません(授業の導入を考える参照)。もちろん授業の内容につながることに興味関心を持たせる話や笑いを否定しているわけではありませんが・・・。 「協同の学びをつくる ‐幼児教育から大学まで‐」から学ぶ読者の立場で言えば、最初のうちはどこへ行くのかわからないままあちらこちらに振り回されている感じがして読み辛いのですが、何かまとまったメッセージを受け取ろうとするのではなく、それぞれの章から参考になるものを拾っていこうという気持ちで読むと学ぶことがたくさんあります。私にとっては、日ごろ接することの少ない幼児教育や大学での試みがとても勉強になりました。 幼児教育では環境(どんな道具や教具を用意するか、どこに置いておくか etc.)を工夫することで子どもたちの学びを生み出すということはよく聞いていましたが、それにプラスする教師のかかわり方が幼児教育以外でも十分通用するものだと思いました。たとえ言葉がまだ拙い幼児でも教師が予断を持たずにその声をしっかり聞いて対応を考えているということを知り、教師の基本は「聞くこと」だと再確認できました。 また、大学でも教師と学生、学生同士のかかわりを大切にした授業に挑戦されていて、制約のある中でも工夫することで、協同的な学びを生み出していることを知りました。その手法は、小中と比べて制約の多い高校でも使えるもので、なるほどと思わせるものです。 この本は手作り感が強く(悪く言えば、校正ミスや編集の未熟さが目立つ)、各章ごとのばらつきも大きいのですが、協同的な学び(協同の学び)に取り組むもうとしている方には、小さなヒントがたくさん手に入るのではないかと思います。日ごろ自分が目にしない世界にも学ぶことがたくさんあることに気づけるだけでも読む価値があると思います。 夏休みをいただきます
今週いっぱい夏休みをいただきます。
日記もお休みさせていただき、20日(月)より再開します。 教え子から元気をもらう
先日すぐ近くに住む教え子に招待されました。卒業後(30年近く経っています)一度もあっていない友人がお盆で帰省するので、仲のよかった者同士4人で集まることになったそうです。そのうち3人が高校1年生の時に私が担任する学級にいたので、私にもお声がかかったという訳です。
40代も半ばを過ぎ、彼女たちもすっかり落ち着いて見えましたが、話をしていると当時の元気いっぱいな姿が思い出されます。彼女たちからパワーをもらって私も少し若返ったような気がしました。 今でこそ、偉そうに多くの先生方にお話をさせていただいていますが、当時の私を今見れば眉をひそめることばかりでしょう。未熟な私が担任であっても立派な社会人になった彼女たちを見ると、人が成長する力の素晴らしさを感じずにはおれません。 彼女たちと10歳違いの私です。教え子が今の自分と同じ歳になったときには自分を越えるような者がたくさんいるだろう。しかし、10年分自分も進歩して、彼らに負けないでいたい。当時はそんな風に思っていました。 あれから30年以上経った今、私はどれほどの進歩をしたでしょうか。教え子の中にはすでに学校の管理職になっている者もいます。もうすっかり追い越されているのかもしれません。しかし、そう思うことがちょっぴり嬉しくもあります。教師を辞めた今でも教え子の成長は何よりも励みになります。私がいつまで現役を続けられるのかわかりません。しかし、教え子たちのいきいきとした姿から、まだまだ私も進歩しなければと元気をもらいました。声かけてくれてありがとう。 佐藤正寿先生から本当に多くのことを学んだ1日(その2)
昨日の続きです。
「佐藤正寿先生から学ぶ会」の最後は、「この出会いが教師をつくる」というテーマでミニミニ講演でした。ミニミニ講演とは言っても、内容はビッグです。1時間余りのパネルディスカッションから休息なしにもかかわらず、参加者の集中力は乱れません。笑顔を絶やさず、落ち着いた語り口で、話の内容が体に浸みこんでくるようです。テンションが高めの自分を省みてとちょっと落ち込みました。(笑) 自身の経験をもとにした若い先生へのメッセージは説得力のあるものです。「先輩から学ぼう」「失敗から学ぼう」という謙虚な姿勢は今も佐藤先生の中にしっかりと根付いておられます。話の内容も素晴らしいのですが、話を通じて伝わってくる人柄に惹かれます。 ふと、自分の教師としての未熟さ、いたらなさを背中で教えてくださった先輩のことを思い出しました(先輩の思い出参照)。「自分はちゃんとやれている」と自信過剰になりかけていたときに出会ったこの素晴らしい先輩との出会いがなければ、私の教師としての成長はありませんでした。だれにでも出会いはあるという佐藤先生の言葉は本当にその通りだと思います。 また、「子どもから学ぶ」ということを佐藤先生はとても大切にされていますが、私にとっても教員時代から今も変わらぬ原点であり、佐藤先生と通じるものがあることをうれしく思います。 教師生活の最後のステージに立つ今、オリンピックで見た400mリレーのように全力疾走で次の人にバトンを渡したいという言葉はとても重く私に響きました。私が多くの方、子どもたちから学んだことをしっかり次の世代に渡せることができるのか。いや、そもそも渡す価値のあるものを持っているのか。自分に問いかけてみても、心もとない答しか返ってきません。とはいえ、落ち込んでいてもしかたがありません。自分にできること、「学校現場から少しでも多くのことを学び、それを一人でも多くの方に伝えること」を地道に続けるしかありません。その思いをあらたにするきっかけをいただきました。 会終了後、知り合いの先生が、若い先生に対してどのように働きかけたらよいか悩んでいたが、その答えが見つかったような気がすると話してくださいました。若者だけでなく、中堅やベテランの先生にもとてもよい刺激を与えていただけたようです。 懇親会でも笑顔でたくさんの先生と積極的に話されている姿を見て、出会いは待っているのではなく自ら求めるものであることを教えていただきました。佐藤先生の模擬授業やお話からだけでなく、その姿勢からも多くを学ばせていただきました。佐藤先生に心から感謝するとともに、2月のフォーラムでもきっと多くのことを学べると今からとても楽しみです。佐藤先生、本当にありがとうございました。 佐藤正寿先生から本当に多くのことを学んだ1日(その1)(長文)
先週末は「愛される学校づくり研究会」主催の「佐藤正寿先生から学ぶ会」に参加しました。ICTを活用した社会科の模擬授業を通して参加者全員で学ぼうという企画です。来年の2月16日(土)におこなわれるフォーラムの「授業名人に再び!模擬授業(ICT活用)で挑戦その1(仮称)有田和正 vs 佐藤正寿(ICT活用)」を意識してのものです。
模擬授業の内容は小学校5年生「社会を変える情報 〜天気予報と私たちの生活〜」でした。児童役は会員から8名、一般の参加者から抽選で8名の16名です。 冒頭、導入として天気記号をパワーポイントでフラッシュカード風にクイズにしました。復習といっても大人です。すでに忘れてしまっていることもあります。ここで、児童役とやり取りをしながら全体の雰囲気をつくっていきました。本来は時間をかけるところではないのですが、笑顔で、常に児童役の反応をポジティブに評価することで安心して意見が言える雰囲気を醸成していました。その後、この日の朝刊を実物投影機で映して、1面の天気の欄に天気記号の説明があることを示し、確認しました。マーカーで該当箇所に線を引くといった、実物投影機の使い勝手のよさをうまく使っていました。この後、この日のテレビニュースで何回ぐらい天気情報(予報ではなく情報であることを意識させていたのはさすが)が流れていたか確認し、NHKテレビの天気情報の動画を見てどんな情報が流れているかをメモさせました。 この場面もそうですが、一つひとつの活動の目標・ゴールが明確に指示をされていることが印象に残ります。ですから、児童役の動きによどみがありません。ここで、おもしろいことが起こりました。児童役がものすごく集中してメモを取り始めたのです。子どもではこうはなりません。さすがに大人です。そのことに素早く気づいた佐藤先生は動画を止めました。そして、細かくメモしなくても大体でいいことを伝えてから再開しました。教師は常に子どもを見ていなければならないとはいいますが、見事です。しかもここで動画を止めるという判断が立派です。意外と多くの方が、流れを止めずに指示や注意をします。これでは子どもに伝わりません。名人級の方はこういう基本を外しません。 このあと、天気情報を流すメディアの多さや、その情報の多様性について子ども役とやりとりをしながら気づかせていきました。このとき、花粉情報といった特殊な情報が児童役から出てきました。ここで、多様性ということで、気温や予報降水確率といった基本情報と花粉情報、洗濯指数、重ね着指数といった特殊な情報を2つのグループに分けてスクリーンに映しました。NHK的、民放的と言っておられました。うまいネーミングですね。たくさんの情報があることを視覚的に瞬時に実感させる見事な使い方です。おもしろそうな情報がたくさんあります。ここで私を含め多くの方は、「これは何のことかわかる」とその情報の説明をしてしまうところです。子どもがのってくることは間違いないからです。しかし、ここはあえて触れずに流されました。見事です。この日の授業の本質には関係ないことですから、ここに時間をかけてはいけないのです。一覧をつくるにも時間がかかっているはずです。それをあえて一瞬だけ使って捨てるというのは実は勇気のいることです。 後半は「天気情報は私たちの生活にどのような影響を与えているのか」という課題を提示し、「それぞれのメディアのよさは何か、不便な点は何か」についてグループごとにメディアを指定してリストアップさせました。ここで、児童役はこの発問と課題がうまく結び付かなかったようです。各グループで出たことを代表が前で書いているときに、他の児童役それを見ながらこれをどうとらえればいいのか戸惑っています。このあとの全体の追究でも、「メディアの送り手はどんなことに注意をしている、考えている」という問いかけに「最新の情報を提供する」といった授業者が求める方向とはずれた答になってしまいました。課題がうまくつながっていないのです。佐藤先生は切り返しながら広げていこうとしましたが、時間切れになりました。 課題の提示の場面で、「誰に影響を・・・」、発問やグループの代表が前で書いている場面で「誰にとってのよさ、不便さ?」とどこかで「誰」を強調すれば発問と課題がつながったとは思います。この「誰」をキーワードにすることは佐藤先生も当然意識されていました。指導案には揺さぶりの発問として「こんなに多くの天気情報は必要でしょうか。誰が必要としているのでしょうか」が用意されていました。ここが模擬授業と実際の授業の差だと思います。佐藤先生の学級であれば、課題と発問を結び付けて考えるのは当然のこととなっているはずです。模擬授業だからといって佐藤先生にとっては不自然となるつなぎを入れたくなかったのではないかと推察します。このことは模擬授業を見るときだけでなく、ある程度育った学級の授業を見るときに常に意識しなければならない問題です。授業を見ていてこの発問で本当に子どもは動くのかと疑問に思うことがよくあります。「○○について考えて」などという発問に出会うと、このような発問で子どもが動けるはずがないと思います。しかし、子どもがすぐにきちんと活動を始める学級もあります。細かい指示がなくても何をすべきか日ごろから鍛えられて知っているのです。発問を点で見るのではなく、線で見ることも必要なのです。 続いてのパネルディスカッションは会員のパネラー5名と一般の参加者から抽選で選ばれた5名の10名でおこなわれました。私もパネラーの一人として参加しました。パネルディスカッションは司会者の本領発揮です。パネラーから出てきた佐藤先生の授業の素晴らしさについて本人に切り込んでいきます。あえて、「模擬授業だからここまでの教材研究、準備ができたんですよね」と挑発的に問いかけます。もちろん日常的にこのような授業をされていることを知っての突っ込みです。この模擬授業の裏にある本当に学ぶべきことを実に楽しそうに引き出していました。突っ込まれる方は大変でしょうが・・・。 最後に「学び合い」というキーワードを意識して、小牧市の前教育長の副島孝先生にまとめていただきました。模擬授業と授業実践との違いを含め、今回の模擬授業から学べること、また考えるための視点を教えていただけました。有田先生がこの授業のもととなった実践をされていたころの教育界の様子も含めて、興味深い話を聞かせていただけました。 佐藤先生は、今回は模擬授業であることを活かし、授業のポイントを意図的にわかりやすく示してくださっていました。私自身の学びをパネルではなかなかうまくまとめることができなかったので、あらためてもう一度整理してみたいと思います。 ICTの活用に関しては、 ・クイズをフラッシュではなくパワーポイントでつくることで、情報の提示と切り替えのタイミングのコントロールをしやすくしていた。子ども役が即答できないことを予測し、やり取りをすることで関係づくりをすることを意識してのことでしょう。ICTは意外と柔軟に対応することができるのです。 ・その日の新聞の提示することにより、資料のための資料ではなく、子どもにとってリアリティのあるものになっていた。特に準備をしなくても、その使いどころによって大きな効果が期待できることがわかります。 ・放送のように消えてしまう物を、インターネット利用することで簡単に再現していた。その場で、実際に放送されたものを見ることはリアリティが違う。以前は録画しておくなどの準備が必要だったが、今では手軽に利用できるようになりました。 ・多くの情報を整理してプロジェクターで映して見せることで、瞬時に視覚化でき実感させていた。資料として紙で配れば時間がかかるし、資料から離れさせようとしても、手元に残っているので、どうしても引っ張られる。プロジェクターであれば、画面を消すことですぐにそこから離れることができるのです。 ・・・ このようなことが挙げられます。 授業技術(?)に関しては、 ・いつも笑顔で子どもの発言、活動をポジティブに評価していた。 ・根拠を必要とする問いか、無責任に答えてもよい問いかでテンポや子どもとのやり取りを変えていた。 ・子どもの言葉をよく聞いて、教師が物わかりよく補足するのではなく、問い返すことで子どもの言葉や考えを高め、深めていた。 ・子どもが説明できない場面で、教師が助けを出すのではなく友だちに助けを求めるように働きかけた。 ・ペアで聴き合う場面で、単に確かめるのではなく、できるだけたくさんにするといった量的な目標を与えて活動を子どもにとって意味のあるものにしていた。これに限らず、子どもの活動に対して目標の指示が明確であった。 ・動画などのメディアを使っているときこそきちんと子どもたちを見ていて、子どもの様子に応じて適切な対応をしていた。 ・たとえ子どもが興味を持つことがわかっていることでも、本時の内容と直接関係がないと思えば、思い切って捨てた。 ・・・ メモ見るとまだまだ沢山のことがあります。書きだせばきりがありません。 授業者と児童役、参加者が一体となって本当に学びの多い模擬授業とパネルディスカッションでした。これに続くミニミニ講演も大変素晴らしいものでしたが、長くなりましたので講演については明日にアップします。 市の研修会
昨日は、市の研修会で講師を務めました。2日間の第1日目です。この日のテーマは授業の導入の工夫でした。
最初に私から導入のポイントについてお話しました。 ・子どもに興味・関心を持たせる ・本時に必要な知識を整理する 大きくこの2つに絞ってお伝えしました。 「子どもに興味・関心を持たせる」ということは、子どもにうける話をすることや、テンションを上げることではありません。子どもにとって必然性のある課題、リアリティのある課題につなげることが大切です。そのために意識してほしいことは子どもに疑問を持たせることです。 ・具体物に操作する、映像などの視覚に訴える。 ・日ごろ目にしたり接したりしているが、知っているつもりであったり、実はしっかり考えたことがなかったりするようなことを問いかけ、「???」を子どもに持たせる。 ・教師が一方的に説明するのではなく、子どもにできるだけ発言させる。 そのとき、根拠のある発言(仮説)を求め、子どもたちの中に対立軸をつくると、どちらが正しいか考えることが課題になる。 根拠を求めないときは、無駄に議論しない。そのかわり、学習終了後同じ問いを発することで、考えがどう変化したかを評価する(進歩を実感させる)。 このようなことを、具体例をもとに話しました。 「本時に必要な知識を整理する」ということは、安直に前時の復習をすることではありません。教材研究をしっかりして、この時間に必要な知識に絞って整理する必要があります。その知識が既習であった場合、どのようにして確認するかも大切です。一方的に教師が説明するのでなくできるだけ子どもを活躍させることが必要です。また、具体的な授業場面を思いださせ、その時の経験をもとに考え方や手法などのメタな知識を復習する方法もあります。 このほかにも、子どもの集中力・やる気は授業のスタート時が一番高いので、導入に時間をかけすぎないようにして、できるだけ早く本題に入ることが大切であることも伝えました。 私の話の後、グループごとに事前に決められた教材の導入部分を互いに模擬授業をすることで学び合い、午後からは各グループの代表による模擬授業を全体でおこないました。 驚いたのは、この研修のために多くの方が事前にしっかりと教材研究をされていたことです。小学校しか経験がないため、中学校の経験のある同僚に知恵を借りた方。5年生の教材に関連して、3年生や4年生の教科書も調べてきた方。導入部分の教材をデジタル化してiPadで持ってこられた方。感心させられることばかりでした。模擬授業の経験がほとんどない方たちでしたが、一つの教材についてみんなで考え工夫し合うことはとても新鮮で、楽しくまた学びの多いものだったようです。 午後からの全体での模擬授業はとても内容の濃いものでした。 1つ目は、中学校の学級活動でした。勉強に関する悩みを自覚し共有するという活動の導入部分です。 授業者は文部科学省のホームページから中学生の悩みを調べておき、どの項目が多いか子どもたちに問いかけ、相談させました。子ども役の様子を見ると自分の意見を言って終わっています。相談といっても根拠となる情報がないので、自分の感覚で発言した後深めることがないのです。こういう根拠を求められないことは、相談や話し合いをせずに、素早く聞いて次に早く進むことが大切です。 子ども役の多くは、友だち関係の悩みを選びました。授業者は統計では勉強の悩みが60%以上ということから、勉強の悩みについて取り上げることを伝え、具体的な悩みが書かれたチェックシートを配って進めました。 客観性のあるデータは説得力のあるものですが、子どもたちに予想させた段階で自分に引き付けて考えています。せっかく自分に引き付けたのに、全国のデータをもとにして話が進むというのは釈然としません。このことを子ども役の先生が伝えてくれました。 勉強の悩みに最初から絞るつもりなのですから、「全国では、勉強の悩みが一番多いんだ。君たちはどうかな?」と問いかけ、「全国の中学生はこんなことで悩んでいるようだけど君たちにあてはまるものはないかな」とチェックシートを配れば、自然に自分の問題として考えることができると思います。 授業者が事前にデータを集めて臨んでくれたおかげで、資料の使い方について考えるよいきっかけとできました。 2つ目は、小学校5年生の算数で、見積もりを使った計算の導入です。グループで数値をどうするかなど、詳細に検討されていました。授業を見守っている同じグループのメンバーの視線も非常に熱いものでした。授業者はとても話し方がうまく、子ども役の先生方も引き込まれています。しかし、どうしてもしゃべりすぎになってしまいます。算数の本質と関係ないシチュエーションに時間をかけてしまいました。実際に計算できるだけの時間を与えてたので、計算の工夫をする必然がない導入になってしまいました。 後でグループの先生に聞いたところ、カードを使って素早く計算するようにプレッシャーをかけるとよいと考えたが準備の時間がなかったということでした。自分たちでしっかり考えることができていたようです。グループでの学びは大変大きかったようです。 3つ目は、国語の同訓意義語の導入でした。「あつい○○」という言葉を子どもたちに次々に言わせたあと、どういう「あつい」かを説明させる流れです。子ども役から出てくる言葉を大切にしてしっかりと受容していました。子どもの活動量が多いとてもよい導入です。ただ、子どもの言葉を教師が受け止めることが中心で、他の子どもにつなぐことをしなかったのが残念でした。「あつい○○」の説明を発表した子どもにさせましたが、そうではなく、他の子どもに説明させればとてもよい展開になったと思います。また、最初の子ども役が「気温が高い」と明確な言葉で言ったために、それに引きずられて言葉で説明する雰囲気になってしまいました。もともと言葉での説明にこだわっていなかったのですが、「厚い」をうまく表現できずにジェスチャーで示した子ども役に対して、「ぶあつい」と授業者が言葉で言い換えてしまいました。他の子どもに助けさせるという発想がほしいところです。また、最初は言葉の説明に頼らないでおいて、後から漢字を使うことでそのよさに気づかせる方法もあったかもしれません。とはいえ、シンプルですがそれ故にとてもわかりやすい、導入の基本が押さえられているものでした。 三者三様の授業の導入で、参加者はとても学ぶことが多かったのではないかと思います。私自身も、子ども役の反応や発言から色々なことに気づくことができました。次回はグループ活動を活かした、子ども同士のつながりを大切にした授業に各グループの代表が挑戦してくれます。今回同様、学びの多い研修会になるものと楽しみにしています。 個別指導が最良の方法ではない
少人数授業を見たり、先生方とお話したりして感じるのは、できない子どもに対しては個別指導が一番の解決方法のように考えられていることです。教師ができない子どもを直接教えればできるようになる。時間的に余裕があれば、個別に指導できるのに残念だ。そう考えられているようなのです。巷でも個別指導塾が流行っているようです。家庭教師も相変わらず需要があるようです。個別指導が最良の方法なのでしょうか。
教師は基本的に正解を知っている、正しいことを言う。学習場面で絶対者です。多くの子どもは教師の言うことを疑うことができません。教師の言う通りにすればできる。教師の指示に従わなければならない。教師の説明を理解しなければいけない。たとえわからないところを自らたずねたとしても、教師が説明し始めれば、基本受け身になってしまうのです。 しかし、学習は自分で考えることが大切です。この考えでいいのか、他にはないのか。自分の考えの方向性が正しいかどうか、自分で判断することも重要です。また、他者の考えを無批判に受け入れるばかりではいけません。その考えを理解し、それが正しいかどうか判断することが必要です。 私は、教師ではなく友だちにたずねることを大切にするように言っています。授業中に教師がわからない子ども全員に個別対応することは不可能だからです。しかし、理由はそれだけではありません。友だちは基本自分と同じ立場です。「あれ、そうなのか?」と疑問をはさむこともできます。教師のように理路整然とはしていないので、相手の言っていることがすぐに理解できないこともあります。咀嚼する過程で、自分で気づけることもあります。教師が個別に教えるよりも、子どもにとってはより学びが多いのです。 個別指導は一つ間違えれば、学習形態の中でも究極の受け身を強いるものになります。個別指導の塾などで学習してきた子どもの中には、自分では何をどう勉強すればよいのかすらわからず、常に教師を頼るようになってしまっている者もいます。個別指導に頼るだけでなく、子ども同士に任せることも積極的に選択肢の中に入れてほしいと思います。 体育で大切にしたい活動
体育は体を動かすことが大切になります。活動量を確保することがとても大切な教科です。しかし全員が一度に活動できる場面は意外と少ないものです。鉄棒や跳び箱のように順番待ちがあるもの。施設の関係で、同時に全員が活動できない競技もあります。体を動かせない時間が思った以上に多いのです。また、活動量が大切だからといって、ただ動いていても上達しません。ポイントを意識して活動する必要があります。
こういった問題を解決するためには、体を動かす以外の活動を大切にすることが必要です。 それぞれの競技や種目、練習ごとにポイントがあります。そのポイントを意識して友だちの活動を「見る」こと。そのよかったこと、改善すべきことなどの気づきを「伝える」こと。こういった活動を取り入れるのです。 個人種目であれば、ペアで互いの演技やフォームなどを観察し気づきを伝え合う。 集団種目であれば、チーム内で互いの動き等について振り返る。チーム内で交代があるのなら、ペアを組んで観察し合う。他チームの試合を観察して、気づきを自チームで共有する、他チームに伝える。 全体での発表で、気づきを全員で共有する。 こういったことは体を動かしませんが立派な活動です。このような活動を取り入れることで、子どもたちが漫然と時間をつぶしている無駄な時間が減ります。また、意識して友だちを見ることで、自分自身もポイントを意識して活動するようになります。 体育の時間では、体を動かす以外の活動も大切にしてほしいと思います。 コミュニケーション力を考える
コミュニケーション力ということがよく言われます。企業の採用でも一番重視されるのはコミュニケーション力だと聞きます。しかし、私が耳にするコミュニケーション力のとらえ方に違和感を感じることがあります。
一つは、プレゼン力という言葉で置き換えられることが多い、発信する力に偏っているということです。一方的に自分の考えを伝える。いかに、自分を認めさせる。そこにエネルギーを使っているように感じます。相手の事をわかろうとする。相手の言葉を理解しようとする。そういうことを軽視しているのではないでしょうか。 互いに発信するばかりでは、コミュニケーションは成り立ちません。受け止める姿勢が大切です。プレゼン力も、自分の考えが相手にどのようにとらえられているのか、相手の立場に立てばどのように聞こえるのか、感じるのか。そういう聞き手意識を大切にし、相手の表情、反応に合わせて変化できることが求められます。 もう一つは、受容のあり方です。相手を受容することがコミュニケーションでは大切です。しかし、「なるほど」「すばらしい」という受容の言葉を使うだけで、かかわり合いが表面的なもので終わっていることが多いのです。コミュニケーションには、相手の考えを理解し、それを深めていくことが求められますが、そこまでは踏み込まず、互いに表面的に認めあって終わってしまっているのです。互いに傷つくのを恐れているようにも感じます。コミュニケーション力は、ぶつからない力、仲良くやる力ではないのです。ぶつからない、仲よくするに越したことはありませんが、互いの考えを理解しわかり合う、そういう力だと思います。具体的に相手のどこに共感するのか、またどの部分が納得できないのか、それを明確にして伝え合うことが大切です。たとえそこで摩擦があってもきちんと伝え合うことで、解消できるはずです。そこまでできて、初めてコミュニケーション力があると言えるのだと思います。 また、集団で一つのことに取り組んでいるとき、自分から発信はしなくても、全体を見て欠けているところを補う、自分がやるべきことを言われなくてもできる。そういう人もいます。目立たないためなかなか評価されませんが、みんなの状況を理解し、自分の考えを行動で示しています。これも広い意味でのコミュニケーション力だと思います。 学校でもコミュニケーション力ということが言われるようになってきました。コミュニケーション力を考えるときに、発信ばかりにこだわらない。表面的な受容ではなく相手をきちんと理解する。集団の中で自分の役割を意識する。こういうことも意識してほしいと思います。 美術館で考える
先日久しぶりに美術館に絵を見に行きました。今回の目玉はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」でした。これ以外にも、レンブラントやルーベンスなどの素晴らしい作品をたくさん目にすることができ、とても充実した時間を過ごすことができました。
人気の「真珠の耳飾りの少女」を最前列で見るためには並ばなければなりません。係の方が立ち止まらずに移動しながら見るように呼びかけています。ある男性が、「止まらずにどうやって見るんだ」とつぶやいていました。確かにそうですね。私は最前列で見ることはあきらめ、少し遠くなりますが並ばずに立ち止まって見ることを選びました。じっくり見ることで初めてわかることもあります。素晴らしい作品であるからこそ、落ち着いてじっくり見たいものです。 授業でもこれと似たことを感じることがあります。 進度の関係でここまで進まなければならない。とりあえずは説明だけしておく。こういう場面を目にすることがあります。悪い言い方をすれば、言い訳づくりの授業です。こうなる原因に、教師が教科書の内容を説明しなければならない、授業で扱わなければ学習したことにならないという考え方があります。子どもも、授業で教えてもらわなかった、扱わなかったことが試験に出れば不平を言ったりします。知識を教えてもらう、扱った問題しかできない。それでは力がついたことにはなりません。自ら知識を得ようとする。見たことがない問題でも解決できる。そんな子どもに育てることが大切です。 すべての教材、内容が同列でありません。その単元でじっくり取り組むべきものを選ぶ必要があります。時間をかけてその課題に取り組むことで、必要な知識を自分で得る、どのような考え方をすれば課題を解決できるかがわかる。そのような教材に時間をかけるのです。力がついてくれば、教師が説明しなくても、自分の力で考え理解することができるようになります。授業ですべての内容を詳しく扱わなくても、自分でその隙間を埋めていくことができるようになるのです。 私の高校時代は「学校は何を勉強すればよいかを教えてくれるところ。勉強は自分でするもの」というのが当り前の感覚でした。そういう感覚を持った子どもに育ててほしいのです。 美術館で名画を鑑賞しながら、ふとこんなことを考えてしまいました。 小規模な小学校を訪問
昨日は山間部の小学校を訪問しました。今年から2年間、授業研究のお手伝いをする予定の学校です。この日は学校登校日で、子どもたちの様子を見せていただくことと、今後の進め方の打ち合わせが主な目的でした。この小学校は少ない学年は5人ほど、多い学年でも20人に満たない小規模の学校です。このような学校にかかわらせていただくことは初めての経験で、とても楽しみでした。
登校日の学級の様子を外から見ているだけなので断定的なことは言えませんが、事前の私の想像とは子どもたちの様子は大きく違っていました。 小規模な学校ですから、子どもたちは全員知り合いのはずです。子どもたちの関係性は強く、かかわり合いが多いと思っていました。ところが、意外と子どもたちはかかわり合いません。また、少人数なので教師の目が届きやすく、集団行動や学習規律はしっかりできっていると思ったのですが、これも思ったほどではありませんでした。 これは少人数指導にも通じることなのですが、教師が個別の対応を中心におこなっていることに原因がありそうです。わからなければ個別に教える。何かあればその場で教師が対応する。教師はきめ細かく一人ひとりに対応していると感じます。そのために、教師と一人ひとりの子どもの関係が強くなって、子ども同士の関係性が弱くなっているのです。また、目が届くために教師は集団行動や学習規律に対する感覚が鈍くなっている可能性も感じます。何か事があってもすぐに対応できる。素早くフォローすれば事なきを得る。個別に対応できるため、集団を育てる意識が弱いのです。 個別に対応することが悪いことではありません。しかし、子どもを育てるという視点では、個別指導に頼りすぎるのも問題があります。どのようにしていけばこの学校のよさを活かし、さらに子どもを成長させることができるか。とても挑戦し甲斐のある課題をいただきました。 午後から、先生方と対面し自己紹介をしていただきました。そのとき学校長から私の聞く姿勢に対して、「体が前に向き、笑顔でうなずいて聞いている」とおほめをいただきました。とてもうれしいことです。それを受けて、自己紹介の代わりに少し笑顔の話をさせていただきました。実は私の笑顔は素の物ではありません。教師になりたてのころは笑顔がとても苦手だったのです。訓練して笑顔をつくれるようにしました。うなずくことも意識して身につけたスキルです。笑顔も訓練で身につけなければならない、そんな教師としての適性もないところから出発したのです。 先生方はとても素晴らしい姿勢で聞いてくださいました。笑顔でうなずいたり、首をかたむけたりとてもよく反応してくださいます。そこで、予定にはなかったのですが、この日感じたことを話させていただきました。先生方が子ども一人ひとりに真剣に対応していること。そのエネルギーの素晴らしいこと。そのエネルギーをちょっと違う方向に向けるともっと素晴らしい可能性が開けること。このようなことをお伝えしました。うまく伝わったかわかりませんが、これからおつき合いさせていただく中で、少しずつ先生方に挑戦する気持ちになっていただければと思います。 この日は私にとってとても大切な出会いだったと思います。この学校とかかわらせていただくことで、新たな学びがたくさんできる期待でワクワクしています。このような機会をくださった校長、教頭、教務主任の方々に感謝です。 市の全体研修
昨日は市の全体研修をおこないました。模擬授業をおこなっていただきながら、私が解説をしていく形式です。昨年までは、模擬授業を舞台の上でおこないましたが、今回は小さめのフラットな会場で参加者と同じ目線の高さでおこなうことができました。参加者の反応を確認しながら進めることができ、とてもやりやすくなりました。
今回の模擬授業は小学校5年生の「めだかの誕生」の単元の発展で、「人はいつから人になるか」という課題を考えるものでした。オープンエンドで子ども同士のかかわり合いをどうつくることができるかがテーマで、道徳も意識したものです。 授業者は新しいことにチャレンジしてくれました。子ども同士の相互指名をレベルアップする方法として、つなぎ方(指名の方法)をパターン化して、教師がそのパターンを指示するというものです。 1 自分と答も理由も同じ人にあてる。 ・・・「同じ意見の人はいますか」 2 自分と答が同じで理由が違う人にあてる。 ・・・「同じ意見で、理由が私と違う人はいますか」 3 自分と答が違う人にあてる。 ・・・「違う意見の人はいますか」 4 自分の意見に対して何か言ってくれる人にあてる。 ・・・「私の意見に対して、何か言ってくれる人はいますか」 このようなパターンをもとに、子どもが発表した後に、「○番で聞いてください」と教師が指示するのです。こうすることで、子どもにつなぎ方を意識させようというのです。子どもが育ってくれば、教師が指示をせずに自分で判断させていこうというわけです。パターンがこの4つでよいかといった問題は別にして、このやり方をするのであれば、教師がなぜそのパターンで聞きたいかを明確にして、そのことを伝えながら進める必要があります。そうしないと、子どもは指示されたからその形で言っただけとなるからです。 「先生は○番で聞いてもらおうと思うけど、理由はわかる」 「○○だから、○番できいてもらおうかな」 「先生は何番で聞いてもらおうと思っているかわかるかな」 といったメタを意識した問いかけが求められます。しかし、これをあまり多用すれば本題のつながりが切れてしまいます。バランスが難しいと思いました。本来教師が考えてつなぐところを子どもたちやれるようにしたいという、非常に高いレベルの目標です。大舞台でこのようなチャレンジをしてくれる姿勢に感心しました。 今回、子どもが話す、つなぐことを強く意識した授業に挑戦してくれたおかげで、残った、聞く・受けるということの大切さも明確になりました。子どもが友だちの意見をどれだけ集中して聞けるか、手を挙げて意見を言えない子どもをどう活かすか。授業者が相互指名にこだわって子どもの反応をうまく拾えなかったことが、かえってその重要性に気づかせてくれました。 そのほかにも、とても勉強になる場面がたくさんありました。 人の胎児の成長を示していく場面です。これは知識の問題です。ここはさらりと流したかったのですが、資料に子ども役が引き付けられて反応しました。そこで、授業者は子どもに質問をしました。知識がなければ答えられない質問です。知らない子どもは参加できません。そうではなく、反応している子どもに、その理由を聞けばよかったのです。子どもから出る疑問に教師が応える、または調べてごらんと子どもたちに課題として与える。そういう対応もあることをお話しました。 また、ワークシートに考えをまとめる場面で、授業者は机間指導をしながら子どもたちの考えを把握していました。全体の意見交換の場面では、その情報をもとに指名をします。しかし、机間指導に集中するあまり、子どもたちのおもしろい動きに気づいていませんでした。隣同士、互いワークシート見あって相談していたペアが2組あったのです。個人作業といっても、早くできてしまった子どもはすることがありません。まわりと相談したり見せ合ったりすることは自然に起こることです。 教師がストーリーをつくって「言わせたいこと」を発表させる方法だけでなく、何を話していたのか「聞きたいこと」を発表させるという方法もあります。彼らに、どんなことを話していたか聞くという選択肢もあったのです。机間指導で子どもの作業の結果に集中するのではなく、全体を眺め子どもたちの作業の様子を見ることも大切なのです。 途中で私が割り込むので、授業者は流れを切られとても大変だったと思います。日ごろの力の半分も出せなかったのではないかと想像します。しかし、うまくいかないからこそ参加者は多くのことを学べたのです。授業者は自校では先生たちを指導する立場です。今回の経験がきっとそこに生きてくることでしょう。また、高い目標にチャレンジする姿勢は、さらなる進歩につながっていくはずです。 この模擬授業シリーズも3回(年)で一区切りとなりました。私もよい経験を積ませていだきました。参加された先生方にもよい学びとなったのではないでしょうか。先生方の研修に積極的な市です。次年度以降どのような企画が出てくるのかも楽しみです。充実した時間を過ごすことができて感謝です。 夏休みの研修をどう活かすか
8月に入って、夏休みの研修も本格化してきます。私もいくつかお声をかけていただいていますが、授業のないときの研修なので、講演や全体研修のような形式が多くなります。受講者が受け身にならないような工夫が必要になります。
一方、受講者の立場でいえば、よい話を聞けた、勉強になったと思っても、授業がないのですぐに試すことはできません。2学期になるころには感動も薄れて、結局何も変わらなかったりします。そのためか、夏休みの終わりに研修をおこなうところも多いようです。 夏休みの研修を活かすには、学んだことを自分の授業に当てはめ、できるだけ具体的にしておくととよいでしょう。教科書を開いて、2学期の最初の単元でどう活かすかを考えます。早く授業をやってみたい、そういう気持ちになるはずです。そこで、ポイントとなること、意識したいことを教科書に書きこんだり、付箋紙に書いて貼ったりします。こうすることで、2学期になって授業をしようと教科書を開いたときに、研修を受けた時の新鮮な感動を思い出せるはずです。 また、研修でメモしたことをそのまま記録としてしまっておかずに、読み直しながら要点を箇条書きにして、その一つひとつを付箋紙に書くという作業をしてみるのもよいと思います。そして、教科書を広げて活かせそうなところにこの付箋を貼っておくのです。自分で整理し直すことで学んだことが定着します。このような作業は時間に余裕のある夏休みだからこそできることでもあります。 夏休みだからこそ、余裕をもってじっくり研修を受けることができます。これに限らず、自分なりの研修を活かす工夫をいろいろとしてみてください。「いい話だった」「勉強になった」と感動しただけで終わらせないようにしてほしいと思います。 |
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