夏休みをいただきます

今週いっぱい夏休みをいただきます。
日記もお休みさせていただき、20日(月)より再開します。

教え子から元気をもらう

先日すぐ近くに住む教え子に招待されました。卒業後(30年近く経っています)一度もあっていない友人がお盆で帰省するので、仲のよかった者同士4人で集まることになったそうです。そのうち3人が高校1年生の時に私が担任する学級にいたので、私にもお声がかかったという訳です。

40代も半ばを過ぎ、彼女たちもすっかり落ち着いて見えましたが、話をしていると当時の元気いっぱいな姿が思い出されます。彼女たちからパワーをもらって私も少し若返ったような気がしました。
今でこそ、偉そうに多くの先生方にお話をさせていただいていますが、当時の私を今見れば眉をひそめることばかりでしょう。未熟な私が担任であっても立派な社会人になった彼女たちを見ると、人が成長する力の素晴らしさを感じずにはおれません。
彼女たちと10歳違いの私です。教え子が今の自分と同じ歳になったときには自分を越えるような者がたくさんいるだろう。しかし、10年分自分も進歩して、彼らに負けないでいたい。当時はそんな風に思っていました。
あれから30年以上経った今、私はどれほどの進歩をしたでしょうか。教え子の中にはすでに学校の管理職になっている者もいます。もうすっかり追い越されているのかもしれません。しかし、そう思うことがちょっぴり嬉しくもあります。教師を辞めた今でも教え子の成長は何よりも励みになります。私がいつまで現役を続けられるのかわかりません。しかし、教え子たちのいきいきとした姿から、まだまだ私も進歩しなければと元気をもらいました。声かけてくれてありがとう。

佐藤正寿先生から本当に多くのことを学んだ1日(その2)

昨日の続きです。
佐藤正寿先生から学ぶ会」の最後は、「この出会いが教師をつくる」というテーマでミニミニ講演でした。ミニミニ講演とは言っても、内容はビッグです。1時間余りのパネルディスカッションから休息なしにもかかわらず、参加者の集中力は乱れません。笑顔を絶やさず、落ち着いた語り口で、話の内容が体に浸みこんでくるようです。テンションが高めの自分を省みてとちょっと落ち込みました。(笑)

自身の経験をもとにした若い先生へのメッセージは説得力のあるものです。「先輩から学ぼう」「失敗から学ぼう」という謙虚な姿勢は今も佐藤先生の中にしっかりと根付いておられます。話の内容も素晴らしいのですが、話を通じて伝わってくる人柄に惹かれます。
ふと、自分の教師としての未熟さ、いたらなさを背中で教えてくださった先輩のことを思い出しました(先輩の思い出参照)。「自分はちゃんとやれている」と自信過剰になりかけていたときに出会ったこの素晴らしい先輩との出会いがなければ、私の教師としての成長はありませんでした。だれにでも出会いはあるという佐藤先生の言葉は本当にその通りだと思います。
また、「子どもから学ぶ」ということを佐藤先生はとても大切にされていますが、私にとっても教員時代から今も変わらぬ原点であり、佐藤先生と通じるものがあることをうれしく思います。

教師生活の最後のステージに立つ今、オリンピックで見た400mリレーのように全力疾走で次の人にバトンを渡したいという言葉はとても重く私に響きました。私が多くの方、子どもたちから学んだことをしっかり次の世代に渡せることができるのか。いや、そもそも渡す価値のあるものを持っているのか。自分に問いかけてみても、心もとない答しか返ってきません。とはいえ、落ち込んでいてもしかたがありません。自分にできること、「学校現場から少しでも多くのことを学び、それを一人でも多くの方に伝えること」を地道に続けるしかありません。その思いをあらたにするきっかけをいただきました。

会終了後、知り合いの先生が、若い先生に対してどのように働きかけたらよいか悩んでいたが、その答えが見つかったような気がすると話してくださいました。若者だけでなく、中堅やベテランの先生にもとてもよい刺激を与えていただけたようです。

懇親会でも笑顔でたくさんの先生と積極的に話されている姿を見て、出会いは待っているのではなく自ら求めるものであることを教えていただきました。佐藤先生の模擬授業やお話からだけでなく、その姿勢からも多くを学ばせていただきました。佐藤先生に心から感謝するとともに、2月のフォーラムでもきっと多くのことを学べると今からとても楽しみです。佐藤先生、本当にありがとうございました。

佐藤正寿先生から本当に多くのことを学んだ1日(その1)(長文)

先週末は「愛される学校づくり研究会」主催の「佐藤正寿先生から学ぶ会」に参加しました。ICTを活用した社会科の模擬授業を通して参加者全員で学ぼうという企画です。来年の2月16日(土)におこなわれるフォーラムの「授業名人に再び!模擬授業(ICT活用)で挑戦その1(仮称)有田和正 vs 佐藤正寿(ICT活用)」を意識してのものです。

模擬授業の内容は小学校5年生「社会を変える情報 〜天気予報と私たちの生活〜」でした。児童役は会員から8名、一般の参加者から抽選で8名の16名です。
冒頭、導入として天気記号をパワーポイントでフラッシュカード風にクイズにしました。復習といっても大人です。すでに忘れてしまっていることもあります。ここで、児童役とやり取りをしながら全体の雰囲気をつくっていきました。本来は時間をかけるところではないのですが、笑顔で、常に児童役の反応をポジティブに評価することで安心して意見が言える雰囲気を醸成していました。その後、この日の朝刊を実物投影機で映して、1面の天気の欄に天気記号の説明があることを示し、確認しました。マーカーで該当箇所に線を引くといった、実物投影機の使い勝手のよさをうまく使っていました。この後、この日のテレビニュースで何回ぐらい天気情報(予報ではなく情報であることを意識させていたのはさすが)が流れていたか確認し、NHKテレビの天気情報の動画を見てどんな情報が流れているかをメモさせました。
この場面もそうですが、一つひとつの活動の目標・ゴールが明確に指示をされていることが印象に残ります。ですから、児童役の動きによどみがありません。ここで、おもしろいことが起こりました。児童役がものすごく集中してメモを取り始めたのです。子どもではこうはなりません。さすがに大人です。そのことに素早く気づいた佐藤先生は動画を止めました。そして、細かくメモしなくても大体でいいことを伝えてから再開しました。教師は常に子どもを見ていなければならないとはいいますが、見事です。しかもここで動画を止めるという判断が立派です。意外と多くの方が、流れを止めずに指示や注意をします。これでは子どもに伝わりません。名人級の方はこういう基本を外しません。
このあと、天気情報を流すメディアの多さや、その情報の多様性について子ども役とやりとりをしながら気づかせていきました。このとき、花粉情報といった特殊な情報が児童役から出てきました。ここで、多様性ということで、気温や予報降水確率といった基本情報と花粉情報、洗濯指数、重ね着指数といった特殊な情報を2つのグループに分けてスクリーンに映しました。NHK的、民放的と言っておられました。うまいネーミングですね。たくさんの情報があることを視覚的に瞬時に実感させる見事な使い方です。おもしろそうな情報がたくさんあります。ここで私を含め多くの方は、「これは何のことかわかる」とその情報の説明をしてしまうところです。子どもがのってくることは間違いないからです。しかし、ここはあえて触れずに流されました。見事です。この日の授業の本質には関係ないことですから、ここに時間をかけてはいけないのです。一覧をつくるにも時間がかかっているはずです。それをあえて一瞬だけ使って捨てるというのは実は勇気のいることです。

後半は「天気情報は私たちの生活にどのような影響を与えているのか」という課題を提示し、「それぞれのメディアのよさは何か、不便な点は何か」についてグループごとにメディアを指定してリストアップさせました。ここで、児童役はこの発問と課題がうまく結び付かなかったようです。各グループで出たことを代表が前で書いているときに、他の児童役それを見ながらこれをどうとらえればいいのか戸惑っています。このあとの全体の追究でも、「メディアの送り手はどんなことに注意をしている、考えている」という問いかけに「最新の情報を提供する」といった授業者が求める方向とはずれた答になってしまいました。課題がうまくつながっていないのです。佐藤先生は切り返しながら広げていこうとしましたが、時間切れになりました。
課題の提示の場面で、「誰に影響を・・・」、発問やグループの代表が前で書いている場面で「誰にとってのよさ、不便さ?」とどこかで「誰」を強調すれば発問と課題がつながったとは思います。この「誰」をキーワードにすることは佐藤先生も当然意識されていました。指導案には揺さぶりの発問として「こんなに多くの天気情報は必要でしょうか。誰が必要としているのでしょうか」が用意されていました。ここが模擬授業と実際の授業の差だと思います。佐藤先生の学級であれば、課題と発問を結び付けて考えるのは当然のこととなっているはずです。模擬授業だからといって佐藤先生にとっては不自然となるつなぎを入れたくなかったのではないかと推察します。このことは模擬授業を見るときだけでなく、ある程度育った学級の授業を見るときに常に意識しなければならない問題です。授業を見ていてこの発問で本当に子どもは動くのかと疑問に思うことがよくあります。「○○について考えて」などという発問に出会うと、このような発問で子どもが動けるはずがないと思います。しかし、子どもがすぐにきちんと活動を始める学級もあります。細かい指示がなくても何をすべきか日ごろから鍛えられて知っているのです。発問を点で見るのではなく、線で見ることも必要なのです。

続いてのパネルディスカッションは会員のパネラー5名と一般の参加者から抽選で選ばれた5名の10名でおこなわれました。私もパネラーの一人として参加しました。パネルディスカッションは司会者の本領発揮です。パネラーから出てきた佐藤先生の授業の素晴らしさについて本人に切り込んでいきます。あえて、「模擬授業だからここまでの教材研究、準備ができたんですよね」と挑発的に問いかけます。もちろん日常的にこのような授業をされていることを知っての突っ込みです。この模擬授業の裏にある本当に学ぶべきことを実に楽しそうに引き出していました。突っ込まれる方は大変でしょうが・・・。
最後に「学び合い」というキーワードを意識して、小牧市の前教育長の副島孝先生にまとめていただきました。模擬授業と授業実践との違いを含め、今回の模擬授業から学べること、また考えるための視点を教えていただけました。有田先生がこの授業のもととなった実践をされていたころの教育界の様子も含めて、興味深い話を聞かせていただけました。

佐藤先生は、今回は模擬授業であることを活かし、授業のポイントを意図的にわかりやすく示してくださっていました。私自身の学びをパネルではなかなかうまくまとめることができなかったので、あらためてもう一度整理してみたいと思います。

ICTの活用に関しては、

・クイズをフラッシュではなくパワーポイントでつくることで、情報の提示と切り替えのタイミングのコントロールをしやすくしていた。子ども役が即答できないことを予測し、やり取りをすることで関係づくりをすることを意識してのことでしょう。ICTは意外と柔軟に対応することができるのです。

・その日の新聞の提示することにより、資料のための資料ではなく、子どもにとってリアリティのあるものになっていた。特に準備をしなくても、その使いどころによって大きな効果が期待できることがわかります。

・放送のように消えてしまう物を、インターネット利用することで簡単に再現していた。その場で、実際に放送されたものを見ることはリアリティが違う。以前は録画しておくなどの準備が必要だったが、今では手軽に利用できるようになりました。

・多くの情報を整理してプロジェクターで映して見せることで、瞬時に視覚化でき実感させていた。資料として紙で配れば時間がかかるし、資料から離れさせようとしても、手元に残っているので、どうしても引っ張られる。プロジェクターであれば、画面を消すことですぐにそこから離れることができるのです。

・・・

このようなことが挙げられます。

授業技術(?)に関しては、

・いつも笑顔で子どもの発言、活動をポジティブに評価していた。

・根拠を必要とする問いか、無責任に答えてもよい問いかでテンポや子どもとのやり取りを変えていた。

・子どもの言葉をよく聞いて、教師が物わかりよく補足するのではなく、問い返すことで子どもの言葉や考えを高め、深めていた。

・子どもが説明できない場面で、教師が助けを出すのではなく友だちに助けを求めるように働きかけた。

・ペアで聴き合う場面で、単に確かめるのではなく、できるだけたくさんにするといった量的な目標を与えて活動を子どもにとって意味のあるものにしていた。これに限らず、子どもの活動に対して目標の指示が明確であった。

・動画などのメディアを使っているときこそきちんと子どもたちを見ていて、子どもの様子に応じて適切な対応をしていた。

・たとえ子どもが興味を持つことがわかっていることでも、本時の内容と直接関係がないと思えば、思い切って捨てた。

・・・

メモ見るとまだまだ沢山のことがあります。書きだせばきりがありません。
授業者と児童役、参加者が一体となって本当に学びの多い模擬授業とパネルディスカッションでした。これに続くミニミニ講演も大変素晴らしいものでしたが、長くなりましたので講演については明日にアップします。

市の研修会

昨日は、市の研修会で講師を務めました。2日間の第1日目です。この日のテーマは授業の導入の工夫でした。

最初に私から導入のポイントについてお話しました。

・子どもに興味・関心を持たせる
・本時に必要な知識を整理する

大きくこの2つに絞ってお伝えしました。

「子どもに興味・関心を持たせる」ということは、子どもにうける話をすることや、テンションを上げることではありません。子どもにとって必然性のある課題、リアリティのある課題につなげることが大切です。そのために意識してほしいことは子どもに疑問を持たせることです。

・具体物に操作する、映像などの視覚に訴える。

・日ごろ目にしたり接したりしているが、知っているつもりであったり、実はしっかり考えたことがなかったりするようなことを問いかけ、「???」を子どもに持たせる。

・教師が一方的に説明するのではなく、子どもにできるだけ発言させる。
そのとき、根拠のある発言(仮説)を求め、子どもたちの中に対立軸をつくると、どちらが正しいか考えることが課題になる。
根拠を求めないときは、無駄に議論しない。そのかわり、学習終了後同じ問いを発することで、考えがどう変化したかを評価する(進歩を実感させる)。

このようなことを、具体例をもとに話しました。

「本時に必要な知識を整理する」ということは、安直に前時の復習をすることではありません。教材研究をしっかりして、この時間に必要な知識に絞って整理する必要があります。その知識が既習であった場合、どのようにして確認するかも大切です。一方的に教師が説明するのでなくできるだけ子どもを活躍させることが必要です。また、具体的な授業場面を思いださせ、その時の経験をもとに考え方や手法などのメタな知識を復習する方法もあります。

このほかにも、子どもの集中力・やる気は授業のスタート時が一番高いので、導入に時間をかけすぎないようにして、できるだけ早く本題に入ることが大切であることも伝えました。

私の話の後、グループごとに事前に決められた教材の導入部分を互いに模擬授業をすることで学び合い、午後からは各グループの代表による模擬授業を全体でおこないました。

驚いたのは、この研修のために多くの方が事前にしっかりと教材研究をされていたことです。小学校しか経験がないため、中学校の経験のある同僚に知恵を借りた方。5年生の教材に関連して、3年生や4年生の教科書も調べてきた方。導入部分の教材をデジタル化してiPadで持ってこられた方。感心させられることばかりでした。模擬授業の経験がほとんどない方たちでしたが、一つの教材についてみんなで考え工夫し合うことはとても新鮮で、楽しくまた学びの多いものだったようです。

午後からの全体での模擬授業はとても内容の濃いものでした。
1つ目は、中学校の学級活動でした。勉強に関する悩みを自覚し共有するという活動の導入部分です。
授業者は文部科学省のホームページから中学生の悩みを調べておき、どの項目が多いか子どもたちに問いかけ、相談させました。子ども役の様子を見ると自分の意見を言って終わっています。相談といっても根拠となる情報がないので、自分の感覚で発言した後深めることがないのです。こういう根拠を求められないことは、相談や話し合いをせずに、素早く聞いて次に早く進むことが大切です。
子ども役の多くは、友だち関係の悩みを選びました。授業者は統計では勉強の悩みが60%以上ということから、勉強の悩みについて取り上げることを伝え、具体的な悩みが書かれたチェックシートを配って進めました。
客観性のあるデータは説得力のあるものですが、子どもたちに予想させた段階で自分に引き付けて考えています。せっかく自分に引き付けたのに、全国のデータをもとにして話が進むというのは釈然としません。このことを子ども役の先生が伝えてくれました。
勉強の悩みに最初から絞るつもりなのですから、「全国では、勉強の悩みが一番多いんだ。君たちはどうかな?」と問いかけ、「全国の中学生はこんなことで悩んでいるようだけど君たちにあてはまるものはないかな」とチェックシートを配れば、自然に自分の問題として考えることができると思います。
授業者が事前にデータを集めて臨んでくれたおかげで、資料の使い方について考えるよいきっかけとできました。

2つ目は、小学校5年生の算数で、見積もりを使った計算の導入です。グループで数値をどうするかなど、詳細に検討されていました。授業を見守っている同じグループのメンバーの視線も非常に熱いものでした。授業者はとても話し方がうまく、子ども役の先生方も引き込まれています。しかし、どうしてもしゃべりすぎになってしまいます。算数の本質と関係ないシチュエーションに時間をかけてしまいました。実際に計算できるだけの時間を与えてたので、計算の工夫をする必然がない導入になってしまいました。
後でグループの先生に聞いたところ、カードを使って素早く計算するようにプレッシャーをかけるとよいと考えたが準備の時間がなかったということでした。自分たちでしっかり考えることができていたようです。グループでの学びは大変大きかったようです。

3つ目は、国語の同訓意義語の導入でした。「あつい○○」という言葉を子どもたちに次々に言わせたあと、どういう「あつい」かを説明させる流れです。子ども役から出てくる言葉を大切にしてしっかりと受容していました。子どもの活動量が多いとてもよい導入です。ただ、子どもの言葉を教師が受け止めることが中心で、他の子どもにつなぐことをしなかったのが残念でした。「あつい○○」の説明を発表した子どもにさせましたが、そうではなく、他の子どもに説明させればとてもよい展開になったと思います。また、最初の子ども役が「気温が高い」と明確な言葉で言ったために、それに引きずられて言葉で説明する雰囲気になってしまいました。もともと言葉での説明にこだわっていなかったのですが、「厚い」をうまく表現できずにジェスチャーで示した子ども役に対して、「ぶあつい」と授業者が言葉で言い換えてしまいました。他の子どもに助けさせるという発想がほしいところです。また、最初は言葉の説明に頼らないでおいて、後から漢字を使うことでそのよさに気づかせる方法もあったかもしれません。とはいえ、シンプルですがそれ故にとてもわかりやすい、導入の基本が押さえられているものでした。

三者三様の授業の導入で、参加者はとても学ぶことが多かったのではないかと思います。私自身も、子ども役の反応や発言から色々なことに気づくことができました。次回はグループ活動を活かした、子ども同士のつながりを大切にした授業に各グループの代表が挑戦してくれます。今回同様、学びの多い研修会になるものと楽しみにしています。

個別指導が最良の方法ではない

少人数授業を見たり、先生方とお話したりして感じるのは、できない子どもに対しては個別指導が一番の解決方法のように考えられていることです。教師ができない子どもを直接教えればできるようになる。時間的に余裕があれば、個別に指導できるのに残念だ。そう考えられているようなのです。巷でも個別指導塾が流行っているようです。家庭教師も相変わらず需要があるようです。個別指導が最良の方法なのでしょうか。

教師は基本的に正解を知っている、正しいことを言う。学習場面で絶対者です。多くの子どもは教師の言うことを疑うことができません。教師の言う通りにすればできる。教師の指示に従わなければならない。教師の説明を理解しなければいけない。たとえわからないところを自らたずねたとしても、教師が説明し始めれば、基本受け身になってしまうのです。
しかし、学習は自分で考えることが大切です。この考えでいいのか、他にはないのか。自分の考えの方向性が正しいかどうか、自分で判断することも重要です。また、他者の考えを無批判に受け入れるばかりではいけません。その考えを理解し、それが正しいかどうか判断することが必要です。

私は、教師ではなく友だちにたずねることを大切にするように言っています。授業中に教師がわからない子ども全員に個別対応することは不可能だからです。しかし、理由はそれだけではありません。友だちは基本自分と同じ立場です。「あれ、そうなのか?」と疑問をはさむこともできます。教師のように理路整然とはしていないので、相手の言っていることがすぐに理解できないこともあります。咀嚼する過程で、自分で気づけることもあります。教師が個別に教えるよりも、子どもにとってはより学びが多いのです。

個別指導は一つ間違えれば、学習形態の中でも究極の受け身を強いるものになります。個別指導の塾などで学習してきた子どもの中には、自分では何をどう勉強すればよいのかすらわからず、常に教師を頼るようになってしまっている者もいます。個別指導に頼るだけでなく、子ども同士に任せることも積極的に選択肢の中に入れてほしいと思います。

体育で大切にしたい活動

体育は体を動かすことが大切になります。活動量を確保することがとても大切な教科です。しかし全員が一度に活動できる場面は意外と少ないものです。鉄棒や跳び箱のように順番待ちがあるもの。施設の関係で、同時に全員が活動できない競技もあります。体を動かせない時間が思った以上に多いのです。また、活動量が大切だからといって、ただ動いていても上達しません。ポイントを意識して活動する必要があります。
こういった問題を解決するためには、体を動かす以外の活動を大切にすることが必要です。

それぞれの競技や種目、練習ごとにポイントがあります。そのポイントを意識して友だちの活動を「見る」こと。そのよかったこと、改善すべきことなどの気づきを「伝える」こと。こういった活動を取り入れるのです。

個人種目であれば、ペアで互いの演技やフォームなどを観察し気づきを伝え合う。
集団種目であれば、チーム内で互いの動き等について振り返る。チーム内で交代があるのなら、ペアを組んで観察し合う。他チームの試合を観察して、気づきを自チームで共有する、他チームに伝える。
全体での発表で、気づきを全員で共有する。

こういったことは体を動かしませんが立派な活動です。このような活動を取り入れることで、子どもたちが漫然と時間をつぶしている無駄な時間が減ります。また、意識して友だちを見ることで、自分自身もポイントを意識して活動するようになります。
体育の時間では、体を動かす以外の活動も大切にしてほしいと思います。

コミュニケーション力を考える

コミュニケーション力ということがよく言われます。企業の採用でも一番重視されるのはコミュニケーション力だと聞きます。しかし、私が耳にするコミュニケーション力のとらえ方に違和感を感じることがあります。

一つは、プレゼン力という言葉で置き換えられることが多い、発信する力に偏っているということです。一方的に自分の考えを伝える。いかに、自分を認めさせる。そこにエネルギーを使っているように感じます。相手の事をわかろうとする。相手の言葉を理解しようとする。そういうことを軽視しているのではないでしょうか。
互いに発信するばかりでは、コミュニケーションは成り立ちません。受け止める姿勢が大切です。プレゼン力も、自分の考えが相手にどのようにとらえられているのか、相手の立場に立てばどのように聞こえるのか、感じるのか。そういう聞き手意識を大切にし、相手の表情、反応に合わせて変化できることが求められます。

もう一つは、受容のあり方です。相手を受容することがコミュニケーションでは大切です。しかし、「なるほど」「すばらしい」という受容の言葉を使うだけで、かかわり合いが表面的なもので終わっていることが多いのです。コミュニケーションには、相手の考えを理解し、それを深めていくことが求められますが、そこまでは踏み込まず、互いに表面的に認めあって終わってしまっているのです。互いに傷つくのを恐れているようにも感じます。コミュニケーション力は、ぶつからない力、仲良くやる力ではないのです。ぶつからない、仲よくするに越したことはありませんが、互いの考えを理解しわかり合う、そういう力だと思います。具体的に相手のどこに共感するのか、またどの部分が納得できないのか、それを明確にして伝え合うことが大切です。たとえそこで摩擦があってもきちんと伝え合うことで、解消できるはずです。そこまでできて、初めてコミュニケーション力があると言えるのだと思います。

また、集団で一つのことに取り組んでいるとき、自分から発信はしなくても、全体を見て欠けているところを補う、自分がやるべきことを言われなくてもできる。そういう人もいます。目立たないためなかなか評価されませんが、みんなの状況を理解し、自分の考えを行動で示しています。これも広い意味でのコミュニケーション力だと思います。

学校でもコミュニケーション力ということが言われるようになってきました。コミュニケーション力を考えるときに、発信ばかりにこだわらない。表面的な受容ではなく相手をきちんと理解する。集団の中で自分の役割を意識する。こういうことも意識してほしいと思います。

美術館で考える

先日久しぶりに美術館に絵を見に行きました。今回の目玉はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」でした。これ以外にも、レンブラントやルーベンスなどの素晴らしい作品をたくさん目にすることができ、とても充実した時間を過ごすことができました。

人気の「真珠の耳飾りの少女」を最前列で見るためには並ばなければなりません。係の方が立ち止まらずに移動しながら見るように呼びかけています。ある男性が、「止まらずにどうやって見るんだ」とつぶやいていました。確かにそうですね。私は最前列で見ることはあきらめ、少し遠くなりますが並ばずに立ち止まって見ることを選びました。じっくり見ることで初めてわかることもあります。素晴らしい作品であるからこそ、落ち着いてじっくり見たいものです。

授業でもこれと似たことを感じることがあります。
進度の関係でここまで進まなければならない。とりあえずは説明だけしておく。こういう場面を目にすることがあります。悪い言い方をすれば、言い訳づくりの授業です。こうなる原因に、教師が教科書の内容を説明しなければならない、授業で扱わなければ学習したことにならないという考え方があります。子どもも、授業で教えてもらわなかった、扱わなかったことが試験に出れば不平を言ったりします。知識を教えてもらう、扱った問題しかできない。それでは力がついたことにはなりません。自ら知識を得ようとする。見たことがない問題でも解決できる。そんな子どもに育てることが大切です。
すべての教材、内容が同列でありません。その単元でじっくり取り組むべきものを選ぶ必要があります。時間をかけてその課題に取り組むことで、必要な知識を自分で得る、どのような考え方をすれば課題を解決できるかがわかる。そのような教材に時間をかけるのです。力がついてくれば、教師が説明しなくても、自分の力で考え理解することができるようになります。授業ですべての内容を詳しく扱わなくても、自分でその隙間を埋めていくことができるようになるのです。

私の高校時代は「学校は何を勉強すればよいかを教えてくれるところ。勉強は自分でするもの」というのが当り前の感覚でした。そういう感覚を持った子どもに育ててほしいのです。
美術館で名画を鑑賞しながら、ふとこんなことを考えてしまいました。

小規模な小学校を訪問

昨日は山間部の小学校を訪問しました。今年から2年間、授業研究のお手伝いをする予定の学校です。この日は学校登校日で、子どもたちの様子を見せていただくことと、今後の進め方の打ち合わせが主な目的でした。この小学校は少ない学年は5人ほど、多い学年でも20人に満たない小規模の学校です。このような学校にかかわらせていただくことは初めての経験で、とても楽しみでした。

登校日の学級の様子を外から見ているだけなので断定的なことは言えませんが、事前の私の想像とは子どもたちの様子は大きく違っていました。
小規模な学校ですから、子どもたちは全員知り合いのはずです。子どもたちの関係性は強く、かかわり合いが多いと思っていました。ところが、意外と子どもたちはかかわり合いません。また、少人数なので教師の目が届きやすく、集団行動や学習規律はしっかりできっていると思ったのですが、これも思ったほどではありませんでした。
これは少人数指導にも通じることなのですが、教師が個別の対応を中心におこなっていることに原因がありそうです。わからなければ個別に教える。何かあればその場で教師が対応する。教師はきめ細かく一人ひとりに対応していると感じます。そのために、教師と一人ひとりの子どもの関係が強くなって、子ども同士の関係性が弱くなっているのです。また、目が届くために教師は集団行動や学習規律に対する感覚が鈍くなっている可能性も感じます。何か事があってもすぐに対応できる。素早くフォローすれば事なきを得る。個別に対応できるため、集団を育てる意識が弱いのです。

個別に対応することが悪いことではありません。しかし、子どもを育てるという視点では、個別指導に頼りすぎるのも問題があります。どのようにしていけばこの学校のよさを活かし、さらに子どもを成長させることができるか。とても挑戦し甲斐のある課題をいただきました。

午後から、先生方と対面し自己紹介をしていただきました。そのとき学校長から私の聞く姿勢に対して、「体が前に向き、笑顔でうなずいて聞いている」とおほめをいただきました。とてもうれしいことです。それを受けて、自己紹介の代わりに少し笑顔の話をさせていただきました。実は私の笑顔は素の物ではありません。教師になりたてのころは笑顔がとても苦手だったのです。訓練して笑顔をつくれるようにしました。うなずくことも意識して身につけたスキルです。笑顔も訓練で身につけなければならない、そんな教師としての適性もないところから出発したのです。
先生方はとても素晴らしい姿勢で聞いてくださいました。笑顔でうなずいたり、首をかたむけたりとてもよく反応してくださいます。そこで、予定にはなかったのですが、この日感じたことを話させていただきました。先生方が子ども一人ひとりに真剣に対応していること。そのエネルギーの素晴らしいこと。そのエネルギーをちょっと違う方向に向けるともっと素晴らしい可能性が開けること。このようなことをお伝えしました。うまく伝わったかわかりませんが、これからおつき合いさせていただく中で、少しずつ先生方に挑戦する気持ちになっていただければと思います。

この日は私にとってとても大切な出会いだったと思います。この学校とかかわらせていただくことで、新たな学びがたくさんできる期待でワクワクしています。このような機会をくださった校長、教頭、教務主任の方々に感謝です。

市の全体研修

昨日は市の全体研修をおこないました。模擬授業をおこなっていただきながら、私が解説をしていく形式です。昨年までは、模擬授業を舞台の上でおこないましたが、今回は小さめのフラットな会場で参加者と同じ目線の高さでおこなうことができました。参加者の反応を確認しながら進めることができ、とてもやりやすくなりました。

今回の模擬授業は小学校5年生の「めだかの誕生」の単元の発展で、「人はいつから人になるか」という課題を考えるものでした。オープンエンドで子ども同士のかかわり合いをどうつくることができるかがテーマで、道徳も意識したものです。
授業者は新しいことにチャレンジしてくれました。子ども同士の相互指名をレベルアップする方法として、つなぎ方(指名の方法)をパターン化して、教師がそのパターンを指示するというものです。

1 自分と答も理由も同じ人にあてる。
・・・「同じ意見の人はいますか」
2 自分と答が同じで理由が違う人にあてる。
・・・「同じ意見で、理由が私と違う人はいますか」
3 自分と答が違う人にあてる。
・・・「違う意見の人はいますか」
4 自分の意見に対して何か言ってくれる人にあてる。
・・・「私の意見に対して、何か言ってくれる人はいますか」

このようなパターンをもとに、子どもが発表した後に、「○番で聞いてください」と教師が指示するのです。こうすることで、子どもにつなぎ方を意識させようというのです。子どもが育ってくれば、教師が指示をせずに自分で判断させていこうというわけです。パターンがこの4つでよいかといった問題は別にして、このやり方をするのであれば、教師がなぜそのパターンで聞きたいかを明確にして、そのことを伝えながら進める必要があります。そうしないと、子どもは指示されたからその形で言っただけとなるからです。

「先生は○番で聞いてもらおうと思うけど、理由はわかる」
「○○だから、○番できいてもらおうかな」
「先生は何番で聞いてもらおうと思っているかわかるかな」

といったメタを意識した問いかけが求められます。しかし、これをあまり多用すれば本題のつながりが切れてしまいます。バランスが難しいと思いました。本来教師が考えてつなぐところを子どもたちやれるようにしたいという、非常に高いレベルの目標です。大舞台でこのようなチャレンジをしてくれる姿勢に感心しました。

今回、子どもが話す、つなぐことを強く意識した授業に挑戦してくれたおかげで、残った、聞く・受けるということの大切さも明確になりました。子どもが友だちの意見をどれだけ集中して聞けるか、手を挙げて意見を言えない子どもをどう活かすか。授業者が相互指名にこだわって子どもの反応をうまく拾えなかったことが、かえってその重要性に気づかせてくれました。

そのほかにも、とても勉強になる場面がたくさんありました。
人の胎児の成長を示していく場面です。これは知識の問題です。ここはさらりと流したかったのですが、資料に子ども役が引き付けられて反応しました。そこで、授業者は子どもに質問をしました。知識がなければ答えられない質問です。知らない子どもは参加できません。そうではなく、反応している子どもに、その理由を聞けばよかったのです。子どもから出る疑問に教師が応える、または調べてごらんと子どもたちに課題として与える。そういう対応もあることをお話しました。
また、ワークシートに考えをまとめる場面で、授業者は机間指導をしながら子どもたちの考えを把握していました。全体の意見交換の場面では、その情報をもとに指名をします。しかし、机間指導に集中するあまり、子どもたちのおもしろい動きに気づいていませんでした。隣同士、互いワークシート見あって相談していたペアが2組あったのです。個人作業といっても、早くできてしまった子どもはすることがありません。まわりと相談したり見せ合ったりすることは自然に起こることです。
教師がストーリーをつくって「言わせたいこと」を発表させる方法だけでなく、何を話していたのか「聞きたいこと」を発表させるという方法もあります。彼らに、どんなことを話していたか聞くという選択肢もあったのです。机間指導で子どもの作業の結果に集中するのではなく、全体を眺め子どもたちの作業の様子を見ることも大切なのです。

途中で私が割り込むので、授業者は流れを切られとても大変だったと思います。日ごろの力の半分も出せなかったのではないかと想像します。しかし、うまくいかないからこそ参加者は多くのことを学べたのです。授業者は自校では先生たちを指導する立場です。今回の経験がきっとそこに生きてくることでしょう。また、高い目標にチャレンジする姿勢は、さらなる進歩につながっていくはずです。
この模擬授業シリーズも3回(年)で一区切りとなりました。私もよい経験を積ませていだきました。参加された先生方にもよい学びとなったのではないでしょうか。先生方の研修に積極的な市です。次年度以降どのような企画が出てくるのかも楽しみです。充実した時間を過ごすことができて感謝です。

夏休みの研修をどう活かすか

8月に入って、夏休みの研修も本格化してきます。私もいくつかお声をかけていただいていますが、授業のないときの研修なので、講演や全体研修のような形式が多くなります。受講者が受け身にならないような工夫が必要になります。
一方、受講者の立場でいえば、よい話を聞けた、勉強になったと思っても、授業がないのですぐに試すことはできません。2学期になるころには感動も薄れて、結局何も変わらなかったりします。そのためか、夏休みの終わりに研修をおこなうところも多いようです。

夏休みの研修を活かすには、学んだことを自分の授業に当てはめ、できるだけ具体的にしておくととよいでしょう。教科書を開いて、2学期の最初の単元でどう活かすかを考えます。早く授業をやってみたい、そういう気持ちになるはずです。そこで、ポイントとなること、意識したいことを教科書に書きこんだり、付箋紙に書いて貼ったりします。こうすることで、2学期になって授業をしようと教科書を開いたときに、研修を受けた時の新鮮な感動を思い出せるはずです。

また、研修でメモしたことをそのまま記録としてしまっておかずに、読み直しながら要点を箇条書きにして、その一つひとつを付箋紙に書くという作業をしてみるのもよいと思います。そして、教科書を広げて活かせそうなところにこの付箋を貼っておくのです。自分で整理し直すことで学んだことが定着します。このような作業は時間に余裕のある夏休みだからこそできることでもあります。

夏休みだからこそ、余裕をもってじっくり研修を受けることができます。これに限らず、自分なりの研修を活かす工夫をいろいろとしてみてください。「いい話だった」「勉強になった」と感動しただけで終わらせないようにしてほしいと思います。

冷蔵庫の修理で、横並び意識を考える

先週、冷蔵庫の製氷機能がおかしくなって、氷ができなくなってしまいました。何とかならないかと色々手を尽くしましたが、何ともならず、週末に修理をお願いしました。夏場は環境が過酷なため修理依頼が多いようです。それでも、昨日サービスの方が来てくださいました。
あらかじめ詳しく情報を伝えてあったので、故障個所のあたりはついていたようです。2、3確認した後、自動製氷のユニットが怪しいということですぐに作業に入りました。手際良くユニットを引き出すと、ケースのモータを支えている部分が割れていました。貯氷庫の中で氷が偏っていたため満杯であることを検知できずに無理に製氷皿を回そうとしたのか、ドアがきちんとしまっていなくて霜がついてしまいモータの動きを妨げてしまったのが原因のようです。サービスマンの話では、愛知県は高温多湿のため、特に後者の原因での故障が多いようです。日に3〜4件はあるそうです。30分足らずでユニット交換して修理は終わりました。

ここで思いもかけないことがありました。このメーカーではこの故障に対応するために、ユニットの遊びを少し大きくして、できるだけ汎用的にしたそうです。こうしてコストを下げた上で、ユニット交換で済む場合は無償対応にしたのです。我が家の冷蔵庫は購入してもう7年になるものです。有償でも文句は言いません。買い替えなくて済むだけでも感謝です。それを、本来であれば1万円以上の費用がかかるところを企業努力で無償にしてくれたのです。このメーカーのファンになってしまいます。
ところが、この対応をいつまで続けられるかわからないというのです。コストの問題かと思ったらそうではないのです。他のメーカーから苦情がきているのからなのです。このメーカーは無償で修理しているのに、他のメーカーが有償なのはおかしいとクレームがくるため、このメーカーに他のメーカーが有償にするよう申し入れているのです。
お客さまに喜ばれるように企業努力をしているのに、その足を仲間が引っ張るのです。自分たちも負けずに企業努力をすればいいことなのですが。

これと似た話を学校現場でも目にします。
たとえば、学級通信を出そうとすると、同じ学年の人から出さないように圧力がかかるのです。隣の学級で出されるとなぜ出さないのかと保護者から言われるからです。信念があって出さないのなら、そのことを伝えればいいのです。それに代わることをしているのであればそれでいいのですが、なぜか同僚の足を引っ張るのです。
ICTの活用でも似たような話があります。若い教師が積極的に利用すると、子どもたちがなぜ自分の学級では使わないのかと担任に言ってきます。だから、使わないようにしてくれと言うのです。
同様に、学校独自の取り組みでも、まわりの学校から控えてほしいとプレッシャーがかかることもあります。校長会で問題にされたりすることもあるようです。
よくない取り組みだからやめろというのでなければ、プレッシャーをかけるということは、よいと認めているということです。素直にまねをしてもいいし、それに代わる工夫を自分の学校でしてもいいわけです。互いに切磋琢磨すればいいのですが、なかなかそうはいかないようです。

とかく学校はこの手のことでやり玉に挙げられるのですが、どうやら学校だけのことではなさそうです。横並び意識を全面的に否定する気はありません。低いレベルにそろえるのではなく、高いレベルにそろえればいいのです。冷蔵庫の修理をきっかけにこんなことを考えました

一人ひとりの活躍を意識する

子どもたちには能力差があります。興味を持っていること、得意な事も違います。一人ひとりの特性を活かして、できるだけ多くの子どもに活躍してほしいものです。そのためにはどのようなことを意識すればよいのでしょうか。

大切なのは子どもに応じた役割を与えることです。
たとえば、意外と活躍していないのはできる子どもです。
できる子どもはよくわかっているので、友だちの説明もあまり集中して聞きません。自分は解けるので、聞く必要性がないのです。一方、教師は彼らを指名すれば答えが出てしまうのですぐに指名はしません。それよりももっと低位の子どもに力を割かなければと思っています。彼らもそのことをよく知っているので、わかっていても挙手せずに自分で好きに時間を使っていることもあります。
ちょっと視点を変えて、できる子どもをうまく活かすことを考えてみましょう。その方法は、できる子どもには答を言うことではなく、みんなを納得させることを役割として与えることです。特に自分の考えではなく、友だちの考えを理解してみんなに説明することを求めます。あらかじめ、「あなたの役割は答を言うのではなく、考え方を説明してみんなに納得してもらうという、もっとレベルの高いことだよ。出番が来るまでちゃんと待ってね」と伝えておけばいいのです。教師ではなく、子ども同士が説明し合えるようになっていくと、低位の子どもをそれに伴って次第に理解できるようになっていきます。

説明などは苦手でも、計算の速い子どももいます。「式が立ったね、後は計算すればいいね。計算は○○さんの出番だね。お願いしようかな。いくつになる?」と○○さんに計算するという役割を与え、活躍させます。
漢字の得意な子どもがいれば、友だちが漢字の読みを間違えたら、「○○さん助けてあげて」とお助け係にします。
こうすることで、自分の出番がいつ来るかと集中して授業に参加します。

また、子どもを助手にするのも一つの方法です。
パソコンが得意な子どもには、セッティングを手伝ってもらったり、操作を手伝ったりしてもらう。
理科の好きな子どもは、実験の準備を手伝ってもらう。
・・・

子どもたちの興味や能力に応じて活躍させる場面はきっとたくさんあるはずです。教師がちょっと下がって、子どもたちの出番を増やすことを意識します。そのとき、「○○さんはこれが得意だから、お願いする」ということを学級全体に納得させることが大切です。学級全体がその子のことを認めているという雰囲気をつくるのです。もう一つ大切なのが、必ず「ありがとう」の言葉を活躍した子どもにかけることです。こういったことが子どもに自己有用感を与えます。

余裕のあるときに、一人ひとりの名前と顔を頭に浮かべながら、この子はどんなことが得意だったか、どんなことに興味があったかを思い出し、どんな場面で活躍させられるだろう、どんな役割を与えられるだろうと考えてみてください。この場面であれば○○さんが活躍できる、役割を与えられるというところが必ずあるはずです。少しでも多くの子どもが活躍できることを目指してほしいと思います。

説得と納得

子どもに理解させる場面で、教師はわからせたいと強く思うと、どうしてもくどく説明をしてしまいます。この説明が、子どもからすると「説得」されているように感じることがあります。「わかって」「わかりなさい」と外圧をかけられているのです。そうではなく、自分自身で「なるほどそうだったのか」と「納得」する必要があります。子どもが納得するにはどのようなことを意識すればいいのでしょうか。

まず大切なのは、自分で確かめることです。

・図を描いてみる。図を切り取って動かすといった操作活動をおこなう。
・類似の問題を解いてみる。
・資料を調べさせて、その資料をもとに考える。
・・・

とはいえ、それだけでなかなか納得できないこともあります。そこで大切になるのが子ども同士のかかわり合いです。

・まわりの子どもと確認する。
・グループで相談する。
・全体の場で友だちの考えを聞く。
・友だちの考えをもとに自分の言葉でもう一度説明する。

教師にとっては残念なことかもしれませんが、教師の理路整然とした説明よりも、互いのたどたどしい言葉を積み重ねる方が子どもにとっては納得できることが多いのです。教師が説明していて納得できていない子どもが多いようであれば、繰り返し説明するのではなく、一度子どもに返して、子ども自身で確かめさせる、子ども同士をかかわらせるとよいでしょう。教師の代わりに子どもに説明させるのも効果的です。

子どもに理解させる場面では、教師の説明が「説得」にならないように意識し、子ども自身がなるほどと「納得」できる活動を入れるようにしてほしいと思います。

「ICT活用における教師の役割」について講演

昨日は、小学校で「ICT活用における教師の役割」について話をしてきました。先日授業参観した(ICT活用授業の参観参照)ICTを活用した協働学習を研究テーマにしている学校です。

「授業での凡事徹底」をサブテーマに、まず、ICTを活用するしないにかかわらない授業の基本を確認しました。

・教室に笑顔があること
・子どもに外化を求めること
・子どもが安心して話せる環境をつくること
・教師が子どもを見ていること
・子どもが教師を見ていること
・子どもが友だちの言葉を聞くこと
・子どもが自ら考えようとすること

このようなことが前提となって、ICTの活用があるはずです。その上で、ICTの役割と教師の役割を明確にする必要があります。

たとえば、説明のビデオを見せているとき、教師も一緒になってビデオを見ていてはおかしいのです。子どもたちが集中して見ているか、どこが理解できていないかしっかりと観察している必要があります。この場合であれば、事前に子どもに予想させてどの予想があっているかビデオで確認する。ビデオ終了後説明できるようにする、グループで説明のプレゼンをつくるといった、課題を明確にすることが大切です。ビデオの説明の後にもう1度教師が説明するのは時間を二重に消費するだけです。

教科書をスクリーンに映すのは、子どもの顔を上げるメリットがあるからです。それなのに教師が子どもの顔を見ずにスクリーンを見ていては意味がありません。子どもの反応見ることを意識する必要があります。また、一人ひとりに線を引かせたところをスクリーンで共有するなど、子どもの考えをつなぐことが教師の役割です。資料などをスクリーンに映すときも同様です。

デジタルのフラッシュカードを使うのなら、教師が操作にとらわれていてはいけません。子どもの口が開いているか、自信を持って答えているかをチェックすることが教師の役割です。場合によっては全員がきちんと言えるまで、何度も同じカードやったり、戻ったりする必要があります。それがデジタルでうまくできないのなら、紙のカードを使えばいいのです。

このほか、デジタルならではの使い方をいくつか示しました。
たとえば、一人ひとりがタブレット上で作業しているものを途中で保存しておくことです。何か変更を加えるときは、変更前の物を保存しておくようにするのです。こうすることで、過程を再現できます。変えようと思った理由は? 変える前と後でどう違う? それぞれを見比べながらこのような発問をすることで、互いの考えや工夫を共有化しやすくなるのです。
また、グループに1台のタブレットを、額をつき合わせながら共同利用することで子ども同士のかかわり合いをつくることができます。インターネットの検索一つとっても、何をキーワードにするかをグループで決める過程で、互いの考えや発想を知ることができます。

約1時間半のお話でしたが、先生方は非常に熱心に聞いてくださいました。また、話の内容にうなずいたり、メモをとったりたくさん反応してくれました。特に新任の先生は、1人は小さく拍手をしたり、大きくうなずいたり体全体で反応してくださり、もう1人は怖いくらいに集中して話を聞いてくださいました。この学校の持つパワーを感じました。前回の訪問時は学期末で余裕がなかったのでしょう。この日は、先生方の素敵な笑顔をたくさん見ることができました。研究発表があるため、どうしてもICTは素晴らしいということを見せなければというプレッシャーがあるかもしれません。しかし、あえて「ICTは使わない方がいい場面がある」と言う勇気もあってよいのだと思います。多くの先生方にとっては、この方が意味のある情報なのかもしれないのです。このことを先生方に伝えて話を終わりました。

秋には研究発表会があります。当日は、この日見た先生方の笑顔がたくさん見られることを楽しみにしています。

楽しく充実した研修

昨日は小学校で研修をおこなってきました。先日2日間おじゃました学校です。学び合いを通じて子どもたちの学力(特に算数)を伸ばすことを目指している学校です。今回は、午前中は講演をおこない、それを受けて午後から先生方にグループで話し合いをしていただき、質問等を受けるという流れでした。

講演は、学び合いで学力がつくのか、つけるためにはどのようなことに注意をする必要があるのかを中心にお話させていただきました。学び合いというとグループ活動に目がいきがちですが、今回はそれを支える関係づくり、子ども同士をつなぐ教師の役割などを中心に話をしました。学び合いの授業イメージが先生方にあまりないということなので、当初の予定にはなかった、つなぐことを意識した授業がどんなものか伝わるような模擬授業形式のやり取りを入れてみました。

たまたま電車の広告で見た東大の入試問題の発想が、これもたまたま見た中学入試問題(有名な問題ではありますが…)と根本的には似ていたので、それを題材にしてみました。
先生方はとてもよく反応してくれました。首を振ったり、つぶやいたり、思いついたことを出力してくれます。先生方の言葉をつなぐことでこの問題のポイントである帰納的な考え方、1つ前、2つ前との関係に注目することを出すことができました。なんとか子どもの言葉を活かす授業のイメージを伝えられたのではないかと思います。こういう発想を身につけていくことで、高い学力もつくはずです。
学力をつけるためには、ただ学び合いをすればいいのではなく、どのような課題を扱うか、そこでどんな力を子どもたちにつけようとするのかも大切なのです。
そして、その学び合いを成立させるためには、子どもの言葉を教師も子どももよく聞く必要があります。そして、聞くことの価値を実感させることが大切です。
この学校は優秀な子どもがたくさんいます。しかし、その子どもたちが活躍していないことが課題の一つです。自分はわかっているから聞かなくてもいい、参加しなくてもいい。そんな子たちを活かすためにも、聞くことを大切にする必要があります。友だちの考えを説明するといった役割を与えることで、友だちの説明を聞くようになります。それをうまく説明して評価されることで、自己有用感も高まります。彼らが活躍することで、下位の子どもたちも伸びていくはずです。そんな授業を提案しました。

先生方がどう反応しても対応できるように、スライドはあらかじめたくさん用意していました。全部のことを話せないことはあらかじめ了承いただいていたのですが、それにしても、最初の模擬授業が楽しくてつい時間を使いすぎました。後半に予定していた算数の話をほとんどすることができなかったことは反省です。結局、先生方から省略した机間指導の話をしてほしいというリクエストがあったため、午後の時間も一部いただき、机間指導と○つけの話、教科書の読み方について話をしました。先生方のグループでの活動時間を短くしてしまったことは本当に申し訳なかったです。

午後の先生方の活動はとても集中していました。グループでの活動のお手本のような姿です。グループの活動の後、各グループから1人ずつ話し合いを通じて考えたこと、疑問等を発表していただきました。ここでうれしかったことは、実に多くの質問が出たことです。皆さんが真剣に話を聞き考えてくれた証です。皆さんが納得できるお答えになったかどうかはわかりませんが、私にとっては考えるよいきっかけとなりました。

研修終了後、前回授業を見せていただいた方からその後の報告がありました。
その授業の続きを子どもから出たキーワードを活かしてやったところ、子どもたちは一人残らずきちんと理解し、ちゃんと解けるようになった。子どもから、先生も予想していなかったよい発想が生まれてきたと、素敵な表情でお話いただけました。
また、別の方は、その後算数の問題文と国語の読み取りの力の関係を今まで以上に考えるようになったと話してくださいました。
こういった報告を受けることは、とてもうれしいことです。一気に疲れが取れるような気がします。

この後算数の部会でお話をさせていただき、最後に管理職の方と研修担当の方と一緒に今回の一連の研修の振り返りと今後について話し合いました。
先生方は学び合いのよさを少しずつ理解していただけているようですが、やり方を変えることで、本当に学力がつくのか、特に中学校入試に対応できるのかその不安とプレッシャーがとても大きいようです。これはいくら口で説明してもなくなるものではありません。少しずつ実践して互いに確かめあっていくしかないでしょう。授業での小さな成功体験をみんなで積み重ねていくことで、この学校の学び合いのスタイルが確立されていくことと思います。前向きな先生がとても多い学校です。今後大きく進化していくことと思います。

この日1日、皆さんとてもよく反応をしてくださり、多くの先生と楽しく話すことができました。おかげでたくさんの元気をいただけました。実はここ数日体調が悪かったのですが、帰るときには体が軽くなったように感じました。とても充実した1日でした。またこの学校に訪問できる日が来ることを楽しみにしています。

学校の授業を考える

ある学生の方から、学校の授業よりも予備校の授業の方が役に立ったし、教科のおもしろさがよくわかって、受験ということを差し引いてもよかったという話を聞きました。何人かに聞いてみても同じような意見です。私が高校生のころは、予備校は受験のためのテクニック的な話が多く、学校の授業はその教科のおもしろさを伝えようとしていたというように感じていたので、ずいぶん印象が違います。そのことを知り合いの先生に話したところ、予備校の先生は授業(講義?)のことだけに専念できるけれど、今の学校の先生は授業以外の仕事が多い。部活動や校務、生徒指導などで、授業をしている以外の時間のほとんどを使われる。条件が違いすぎる。なるほど、たしかにそうです。この理屈は、学習塾にも当てはまるのかもしれません。

ちょっと違った視点でみると、教科のことに専念したければ予備校の講師や塾の先生の方がよいということにもなります。では、学校の教師は? 私が思うに子どもの成長をトータルで支えることがその魅力なのだと思います。だからこそ、部活動や生徒指導にあれだけ頑張れるのです。しかし、だからといって授業の質が予備校や塾より劣ってもよいということにはなりません。子どもをトータルに見ているからこそできる授業があるはずです。話術やネタのおもしろさで引き付ける、これが試験に出るからと目先のことで引き付ける、それとは違った方向性があるはずです。そこにエネルギーを使わなければ、学校は部活動や友だちと話をする社交場で、勉強は予備校や塾でする。そんな歪んだ図式になってしまいます。では、学校の授業は予備校や塾とどう違うべきなのでしょうか?

それは、子どもたちがかかわり合うということです。一方的に講義を受ける、これが試験に出るからと受け身で覚える。そういうものではなく、互いにかかわり合いながら、高めあう。それは、子どもたちが学校という共同体の中で互いにかかわりながら暮らしていて、彼らを教師がトータルに見ているからこそできることだと思います。部活動や生活指導に頑張っている先生を見ると本当に頭が下がります。しかし、子どもたちのトータルの成長には学習はとても大きな要素を持っています。それこそ、学校が死守しなければいけない最たるもののはずです。時間がないからといって、予備校や塾に明け渡してもいいのでしょうか。同じ土俵で戦う必要はないのです。子どもが自分で考え、伝え合い、学び合う授業を目指せばいいのです。

先日紹介した玉置崇先生の著書(「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」が届く参照)の冒頭、第1章「玉置流授業づくりの大原則30」の「大原則1 玉置流授業の定義」にこう書かれています。

「講義」…その時間で一番大切なことを教師が言うのが講義
「授業」…その時間で一番大切なことを生徒が言うのが授業

そして、

授業とは、その時間で一番大切なことを、学ばなくてはいけないことを、
・生徒自ら気付き、発する
・生徒が教師の指導により気付かされ、発する
・生徒と仲間との学び合いにより気付き、発する

まさにここを目指してほしいのです。

夏休みは、部活動に専念できると頑張っておられる方も多いと思います。ちょっと、立ち止まって2学期以降の授業に思いを馳せてください。先ほどの定義にあったような授業はどのようにすればできるのだろう、どのような発問をすればいいのだろう、どのように受け応えればいいだろう。そんなことを考えてみてほしいと思います。イメージできなければ、本を読んだり、同僚と話し合ってみてください。多少は余裕のある夏休み(予備校や塾は稼ぎ時?)だからこそ、是非授業のことを考えてほしいと思います。

研修会の打ち合わせ

先週末は、毎年1講座を任されている、市主催の研修会の打ち合わせをおこないました。模擬授業を外部の先生にお願いし、それを受けて私が1時間講義をします。毎年どなたに模擬授業をお願いするか悩むのですが、今年は、ここ数年成長が著しい中堅の数学の先生にお願いしました。子どもたちの言葉を活かし、数学的な思考を深めることをとても大切にしている方です。無理なお願いにもかかわらず、勉強になることだからと快く引き受けてくださいました。

打ち合わせそのものは、あまり時間がかかりませんでした。というのも、子どもに何を問いかけるかが非常に明確なので、あとは、生徒役から出てきた言葉をどうつないでいくか、それに私がどう突っ込むかというその場になってみなければわからないことだからです。「いかようにも料理してください」と明るく言ってくださったことが印象的でした。授業が楽しくてしょうがないというオーラがあふれています。一緒にいるだけで楽しくなる。そんな雰囲気を身にまとっているのです。参加される若い先生のために、このような雰囲気を身につけられた過程も当日話していただこうと思っています。

数学の証明では、なぜそこに線を引くかは書かれません。線を引くところから始まり、証明が進んでいきます。証明が終わって「納得した?」ではなく、「証明はできたけれど、なぜそこに線を引いたの、どうしてその線を引こうと思ったの」と問いかける。そんな授業を実践される先生です。当日、子ども役の方はこのような問いにどんな反応を示してくれるでしょうか。子どもが考えるために必要な教師の働きかけはどんなことかきっと気づいてくれることと思います。

打ち合わせが終わった後は、学校のようすや授業の話で盛り上がりました。若い先生に積極的にかかわって、先生同士が学び合う雰囲気をつくっておられます。授業をビデオに撮って、部活動が終わった後に検討会をおこなったり、互いに授業を見あったりしているそうです。授業について話し合う土壌ができつつあるのを感じます。前回訪問した時にそのことを強く感じましたが、今回お話をうかがって以前よりもまた前進していると確信しました。この学校の若手の方は身近にこのような先輩がいてとても幸せだと思います。日々成長を実感していると思います。10月に再度訪問して若手を中心に授業を見せていただく予定になっていますが、どのくらい進歩しているか今からとても楽しみです。

研修当日は、子ども(役)が何を言っても受け止める、活かしてみせるという授業になると思います。授業者と子ども役、そして私の3者の真剣勝負の場です。期待感と心地よい緊張感で、まさにワクワクドキドキです。参加者だけでなく、私にとってもとても大きな学びの場になることでしょう。このような機会を得られることに感謝です。

進歩を実感させる

学力をつける一番簡単な方法は、子どもたちにやる気を持って学習に取り組ませることです。そのやる気を引き出すためのキーワードが「進歩」「進化」です。人は努力の結果が報われないとやる気をなくしてしまいます。絶対的な結果を求めれば達成できないこともあります。「努力は無駄にならない」と言ってもそのことが実感できなければ、次第にやる気をなくしてしまいます。しかし、努力をすれば必ず進歩します。その進歩を目に見えるようにして実感させれば、やる気は持続するのです。そのための具体的な方策を考えてみたいと思います。

進歩を目に見えるようにする一つの方法は客観的な指標を導入することです。時間、数などがその典型です。九九を何秒で言えるか、一定時間に何問解けるか、どれだけ書けるか、どこまで進んだといったことを指標にして定期的に取り組み、進歩を見えるようにします。表に数値を書き込む、グラフ化するなど、見える化を意識すると効果的です。

Before Afterを比較するのも、進歩を実感させるよい方法です。学習の初めと終わりで同じ課題を提示し、その答の違いを見るのです。
たとえば国語の読み取りであれば、最初一読したあとに感想や読み取りを書かせ、学習の最後にもう一度書かせます。そして、それを比べてみるのです。
歴史であれば、たとえば「○○時代ってどんな時代」「○○ってどんな人物」などと学習の最初にたずねます。子どもたちの知っている知識をもとに答えてもよいし、根拠のない無責任な答でもよいのです。ただしあまり時間はかけません。根拠となる知識が乏しい中で話し合っても深まらないからです。そして、単元の最後にもう一度同じことを聞くのです。
音楽・体育なども記録にとって最初と最後のもの比較します。
このようにすることで、授業で学ぶことを通じて自分たちが進歩していることを実感させることができます。単元を通じて自分が学んだこと、進歩したことを書かせておくと、成長の記録とすることができます。1年間を振り返ってみると自分がいかに進歩したかを実感できるでしょう。入学時からこういった記録をとっておくと、より進歩がはっきりと見えることと思います。

もう一つ、これはいつも心掛けてほしいのですが、教師が折りに触れて子どもの進歩を認める、ほめることです。このとき、「みんな進歩したね」と全体をほめるのではなく「○○さん、□□ができるようになったね」「○○君、□□するようになったね。すごいね、進歩したね」と固有名詞で具体的にほめるのです。教師は子どもたちをいちばん身近で見ている存在ですから、ちょっとした進歩も見つけることができるはずです。つねに自分の進歩を認められる学級は子どもたちのやる気があふれています。

授業の中に子どもたちの進歩が目に見えるような仕組みをつくる。進歩を実感できる場面をつくる。ちょっとした工夫が子どもたちのやる気を引き出してくれます。夏休みは時間的、精神的に余裕があります。2学期に向けて、子どもたちのやる気を引き出すためにどんな工夫をするか少し考えてみてください。
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