市の全体研修

昨日は市の全体研修をおこないました。模擬授業をおこなっていただきながら、私が解説をしていく形式です。昨年までは、模擬授業を舞台の上でおこないましたが、今回は小さめのフラットな会場で参加者と同じ目線の高さでおこなうことができました。参加者の反応を確認しながら進めることができ、とてもやりやすくなりました。

今回の模擬授業は小学校5年生の「めだかの誕生」の単元の発展で、「人はいつから人になるか」という課題を考えるものでした。オープンエンドで子ども同士のかかわり合いをどうつくることができるかがテーマで、道徳も意識したものです。
授業者は新しいことにチャレンジしてくれました。子ども同士の相互指名をレベルアップする方法として、つなぎ方(指名の方法)をパターン化して、教師がそのパターンを指示するというものです。

1 自分と答も理由も同じ人にあてる。
・・・「同じ意見の人はいますか」
2 自分と答が同じで理由が違う人にあてる。
・・・「同じ意見で、理由が私と違う人はいますか」
3 自分と答が違う人にあてる。
・・・「違う意見の人はいますか」
4 自分の意見に対して何か言ってくれる人にあてる。
・・・「私の意見に対して、何か言ってくれる人はいますか」

このようなパターンをもとに、子どもが発表した後に、「○番で聞いてください」と教師が指示するのです。こうすることで、子どもにつなぎ方を意識させようというのです。子どもが育ってくれば、教師が指示をせずに自分で判断させていこうというわけです。パターンがこの4つでよいかといった問題は別にして、このやり方をするのであれば、教師がなぜそのパターンで聞きたいかを明確にして、そのことを伝えながら進める必要があります。そうしないと、子どもは指示されたからその形で言っただけとなるからです。

「先生は○番で聞いてもらおうと思うけど、理由はわかる」
「○○だから、○番できいてもらおうかな」
「先生は何番で聞いてもらおうと思っているかわかるかな」

といったメタを意識した問いかけが求められます。しかし、これをあまり多用すれば本題のつながりが切れてしまいます。バランスが難しいと思いました。本来教師が考えてつなぐところを子どもたちやれるようにしたいという、非常に高いレベルの目標です。大舞台でこのようなチャレンジをしてくれる姿勢に感心しました。

今回、子どもが話す、つなぐことを強く意識した授業に挑戦してくれたおかげで、残った、聞く・受けるということの大切さも明確になりました。子どもが友だちの意見をどれだけ集中して聞けるか、手を挙げて意見を言えない子どもをどう活かすか。授業者が相互指名にこだわって子どもの反応をうまく拾えなかったことが、かえってその重要性に気づかせてくれました。

そのほかにも、とても勉強になる場面がたくさんありました。
人の胎児の成長を示していく場面です。これは知識の問題です。ここはさらりと流したかったのですが、資料に子ども役が引き付けられて反応しました。そこで、授業者は子どもに質問をしました。知識がなければ答えられない質問です。知らない子どもは参加できません。そうではなく、反応している子どもに、その理由を聞けばよかったのです。子どもから出る疑問に教師が応える、または調べてごらんと子どもたちに課題として与える。そういう対応もあることをお話しました。
また、ワークシートに考えをまとめる場面で、授業者は机間指導をしながら子どもたちの考えを把握していました。全体の意見交換の場面では、その情報をもとに指名をします。しかし、机間指導に集中するあまり、子どもたちのおもしろい動きに気づいていませんでした。隣同士、互いワークシート見あって相談していたペアが2組あったのです。個人作業といっても、早くできてしまった子どもはすることがありません。まわりと相談したり見せ合ったりすることは自然に起こることです。
教師がストーリーをつくって「言わせたいこと」を発表させる方法だけでなく、何を話していたのか「聞きたいこと」を発表させるという方法もあります。彼らに、どんなことを話していたか聞くという選択肢もあったのです。机間指導で子どもの作業の結果に集中するのではなく、全体を眺め子どもたちの作業の様子を見ることも大切なのです。

途中で私が割り込むので、授業者は流れを切られとても大変だったと思います。日ごろの力の半分も出せなかったのではないかと想像します。しかし、うまくいかないからこそ参加者は多くのことを学べたのです。授業者は自校では先生たちを指導する立場です。今回の経験がきっとそこに生きてくることでしょう。また、高い目標にチャレンジする姿勢は、さらなる進歩につながっていくはずです。
この模擬授業シリーズも3回(年)で一区切りとなりました。私もよい経験を積ませていだきました。参加された先生方にもよい学びとなったのではないでしょうか。先生方の研修に積極的な市です。次年度以降どのような企画が出てくるのかも楽しみです。充実した時間を過ごすことができて感謝です。

夏休みの研修をどう活かすか

8月に入って、夏休みの研修も本格化してきます。私もいくつかお声をかけていただいていますが、授業のないときの研修なので、講演や全体研修のような形式が多くなります。受講者が受け身にならないような工夫が必要になります。
一方、受講者の立場でいえば、よい話を聞けた、勉強になったと思っても、授業がないのですぐに試すことはできません。2学期になるころには感動も薄れて、結局何も変わらなかったりします。そのためか、夏休みの終わりに研修をおこなうところも多いようです。

夏休みの研修を活かすには、学んだことを自分の授業に当てはめ、できるだけ具体的にしておくととよいでしょう。教科書を開いて、2学期の最初の単元でどう活かすかを考えます。早く授業をやってみたい、そういう気持ちになるはずです。そこで、ポイントとなること、意識したいことを教科書に書きこんだり、付箋紙に書いて貼ったりします。こうすることで、2学期になって授業をしようと教科書を開いたときに、研修を受けた時の新鮮な感動を思い出せるはずです。

また、研修でメモしたことをそのまま記録としてしまっておかずに、読み直しながら要点を箇条書きにして、その一つひとつを付箋紙に書くという作業をしてみるのもよいと思います。そして、教科書を広げて活かせそうなところにこの付箋を貼っておくのです。自分で整理し直すことで学んだことが定着します。このような作業は時間に余裕のある夏休みだからこそできることでもあります。

夏休みだからこそ、余裕をもってじっくり研修を受けることができます。これに限らず、自分なりの研修を活かす工夫をいろいろとしてみてください。「いい話だった」「勉強になった」と感動しただけで終わらせないようにしてほしいと思います。

冷蔵庫の修理で、横並び意識を考える

先週、冷蔵庫の製氷機能がおかしくなって、氷ができなくなってしまいました。何とかならないかと色々手を尽くしましたが、何ともならず、週末に修理をお願いしました。夏場は環境が過酷なため修理依頼が多いようです。それでも、昨日サービスの方が来てくださいました。
あらかじめ詳しく情報を伝えてあったので、故障個所のあたりはついていたようです。2、3確認した後、自動製氷のユニットが怪しいということですぐに作業に入りました。手際良くユニットを引き出すと、ケースのモータを支えている部分が割れていました。貯氷庫の中で氷が偏っていたため満杯であることを検知できずに無理に製氷皿を回そうとしたのか、ドアがきちんとしまっていなくて霜がついてしまいモータの動きを妨げてしまったのが原因のようです。サービスマンの話では、愛知県は高温多湿のため、特に後者の原因での故障が多いようです。日に3〜4件はあるそうです。30分足らずでユニット交換して修理は終わりました。

ここで思いもかけないことがありました。このメーカーではこの故障に対応するために、ユニットの遊びを少し大きくして、できるだけ汎用的にしたそうです。こうしてコストを下げた上で、ユニット交換で済む場合は無償対応にしたのです。我が家の冷蔵庫は購入してもう7年になるものです。有償でも文句は言いません。買い替えなくて済むだけでも感謝です。それを、本来であれば1万円以上の費用がかかるところを企業努力で無償にしてくれたのです。このメーカーのファンになってしまいます。
ところが、この対応をいつまで続けられるかわからないというのです。コストの問題かと思ったらそうではないのです。他のメーカーから苦情がきているのからなのです。このメーカーは無償で修理しているのに、他のメーカーが有償なのはおかしいとクレームがくるため、このメーカーに他のメーカーが有償にするよう申し入れているのです。
お客さまに喜ばれるように企業努力をしているのに、その足を仲間が引っ張るのです。自分たちも負けずに企業努力をすればいいことなのですが。

これと似た話を学校現場でも目にします。
たとえば、学級通信を出そうとすると、同じ学年の人から出さないように圧力がかかるのです。隣の学級で出されるとなぜ出さないのかと保護者から言われるからです。信念があって出さないのなら、そのことを伝えればいいのです。それに代わることをしているのであればそれでいいのですが、なぜか同僚の足を引っ張るのです。
ICTの活用でも似たような話があります。若い教師が積極的に利用すると、子どもたちがなぜ自分の学級では使わないのかと担任に言ってきます。だから、使わないようにしてくれと言うのです。
同様に、学校独自の取り組みでも、まわりの学校から控えてほしいとプレッシャーがかかることもあります。校長会で問題にされたりすることもあるようです。
よくない取り組みだからやめろというのでなければ、プレッシャーをかけるということは、よいと認めているということです。素直にまねをしてもいいし、それに代わる工夫を自分の学校でしてもいいわけです。互いに切磋琢磨すればいいのですが、なかなかそうはいかないようです。

とかく学校はこの手のことでやり玉に挙げられるのですが、どうやら学校だけのことではなさそうです。横並び意識を全面的に否定する気はありません。低いレベルにそろえるのではなく、高いレベルにそろえればいいのです。冷蔵庫の修理をきっかけにこんなことを考えました

一人ひとりの活躍を意識する

子どもたちには能力差があります。興味を持っていること、得意な事も違います。一人ひとりの特性を活かして、できるだけ多くの子どもに活躍してほしいものです。そのためにはどのようなことを意識すればよいのでしょうか。

大切なのは子どもに応じた役割を与えることです。
たとえば、意外と活躍していないのはできる子どもです。
できる子どもはよくわかっているので、友だちの説明もあまり集中して聞きません。自分は解けるので、聞く必要性がないのです。一方、教師は彼らを指名すれば答えが出てしまうのですぐに指名はしません。それよりももっと低位の子どもに力を割かなければと思っています。彼らもそのことをよく知っているので、わかっていても挙手せずに自分で好きに時間を使っていることもあります。
ちょっと視点を変えて、できる子どもをうまく活かすことを考えてみましょう。その方法は、できる子どもには答を言うことではなく、みんなを納得させることを役割として与えることです。特に自分の考えではなく、友だちの考えを理解してみんなに説明することを求めます。あらかじめ、「あなたの役割は答を言うのではなく、考え方を説明してみんなに納得してもらうという、もっとレベルの高いことだよ。出番が来るまでちゃんと待ってね」と伝えておけばいいのです。教師ではなく、子ども同士が説明し合えるようになっていくと、低位の子どもをそれに伴って次第に理解できるようになっていきます。

説明などは苦手でも、計算の速い子どももいます。「式が立ったね、後は計算すればいいね。計算は○○さんの出番だね。お願いしようかな。いくつになる?」と○○さんに計算するという役割を与え、活躍させます。
漢字の得意な子どもがいれば、友だちが漢字の読みを間違えたら、「○○さん助けてあげて」とお助け係にします。
こうすることで、自分の出番がいつ来るかと集中して授業に参加します。

また、子どもを助手にするのも一つの方法です。
パソコンが得意な子どもには、セッティングを手伝ってもらったり、操作を手伝ったりしてもらう。
理科の好きな子どもは、実験の準備を手伝ってもらう。
・・・

子どもたちの興味や能力に応じて活躍させる場面はきっとたくさんあるはずです。教師がちょっと下がって、子どもたちの出番を増やすことを意識します。そのとき、「○○さんはこれが得意だから、お願いする」ということを学級全体に納得させることが大切です。学級全体がその子のことを認めているという雰囲気をつくるのです。もう一つ大切なのが、必ず「ありがとう」の言葉を活躍した子どもにかけることです。こういったことが子どもに自己有用感を与えます。

余裕のあるときに、一人ひとりの名前と顔を頭に浮かべながら、この子はどんなことが得意だったか、どんなことに興味があったかを思い出し、どんな場面で活躍させられるだろう、どんな役割を与えられるだろうと考えてみてください。この場面であれば○○さんが活躍できる、役割を与えられるというところが必ずあるはずです。少しでも多くの子どもが活躍できることを目指してほしいと思います。

説得と納得

子どもに理解させる場面で、教師はわからせたいと強く思うと、どうしてもくどく説明をしてしまいます。この説明が、子どもからすると「説得」されているように感じることがあります。「わかって」「わかりなさい」と外圧をかけられているのです。そうではなく、自分自身で「なるほどそうだったのか」と「納得」する必要があります。子どもが納得するにはどのようなことを意識すればいいのでしょうか。

まず大切なのは、自分で確かめることです。

・図を描いてみる。図を切り取って動かすといった操作活動をおこなう。
・類似の問題を解いてみる。
・資料を調べさせて、その資料をもとに考える。
・・・

とはいえ、それだけでなかなか納得できないこともあります。そこで大切になるのが子ども同士のかかわり合いです。

・まわりの子どもと確認する。
・グループで相談する。
・全体の場で友だちの考えを聞く。
・友だちの考えをもとに自分の言葉でもう一度説明する。

教師にとっては残念なことかもしれませんが、教師の理路整然とした説明よりも、互いのたどたどしい言葉を積み重ねる方が子どもにとっては納得できることが多いのです。教師が説明していて納得できていない子どもが多いようであれば、繰り返し説明するのではなく、一度子どもに返して、子ども自身で確かめさせる、子ども同士をかかわらせるとよいでしょう。教師の代わりに子どもに説明させるのも効果的です。

子どもに理解させる場面では、教師の説明が「説得」にならないように意識し、子ども自身がなるほどと「納得」できる活動を入れるようにしてほしいと思います。

「ICT活用における教師の役割」について講演

昨日は、小学校で「ICT活用における教師の役割」について話をしてきました。先日授業参観した(ICT活用授業の参観参照)ICTを活用した協働学習を研究テーマにしている学校です。

「授業での凡事徹底」をサブテーマに、まず、ICTを活用するしないにかかわらない授業の基本を確認しました。

・教室に笑顔があること
・子どもに外化を求めること
・子どもが安心して話せる環境をつくること
・教師が子どもを見ていること
・子どもが教師を見ていること
・子どもが友だちの言葉を聞くこと
・子どもが自ら考えようとすること

このようなことが前提となって、ICTの活用があるはずです。その上で、ICTの役割と教師の役割を明確にする必要があります。

たとえば、説明のビデオを見せているとき、教師も一緒になってビデオを見ていてはおかしいのです。子どもたちが集中して見ているか、どこが理解できていないかしっかりと観察している必要があります。この場合であれば、事前に子どもに予想させてどの予想があっているかビデオで確認する。ビデオ終了後説明できるようにする、グループで説明のプレゼンをつくるといった、課題を明確にすることが大切です。ビデオの説明の後にもう1度教師が説明するのは時間を二重に消費するだけです。

教科書をスクリーンに映すのは、子どもの顔を上げるメリットがあるからです。それなのに教師が子どもの顔を見ずにスクリーンを見ていては意味がありません。子どもの反応見ることを意識する必要があります。また、一人ひとりに線を引かせたところをスクリーンで共有するなど、子どもの考えをつなぐことが教師の役割です。資料などをスクリーンに映すときも同様です。

デジタルのフラッシュカードを使うのなら、教師が操作にとらわれていてはいけません。子どもの口が開いているか、自信を持って答えているかをチェックすることが教師の役割です。場合によっては全員がきちんと言えるまで、何度も同じカードやったり、戻ったりする必要があります。それがデジタルでうまくできないのなら、紙のカードを使えばいいのです。

このほか、デジタルならではの使い方をいくつか示しました。
たとえば、一人ひとりがタブレット上で作業しているものを途中で保存しておくことです。何か変更を加えるときは、変更前の物を保存しておくようにするのです。こうすることで、過程を再現できます。変えようと思った理由は? 変える前と後でどう違う? それぞれを見比べながらこのような発問をすることで、互いの考えや工夫を共有化しやすくなるのです。
また、グループに1台のタブレットを、額をつき合わせながら共同利用することで子ども同士のかかわり合いをつくることができます。インターネットの検索一つとっても、何をキーワードにするかをグループで決める過程で、互いの考えや発想を知ることができます。

約1時間半のお話でしたが、先生方は非常に熱心に聞いてくださいました。また、話の内容にうなずいたり、メモをとったりたくさん反応してくれました。特に新任の先生は、1人は小さく拍手をしたり、大きくうなずいたり体全体で反応してくださり、もう1人は怖いくらいに集中して話を聞いてくださいました。この学校の持つパワーを感じました。前回の訪問時は学期末で余裕がなかったのでしょう。この日は、先生方の素敵な笑顔をたくさん見ることができました。研究発表があるため、どうしてもICTは素晴らしいということを見せなければというプレッシャーがあるかもしれません。しかし、あえて「ICTは使わない方がいい場面がある」と言う勇気もあってよいのだと思います。多くの先生方にとっては、この方が意味のある情報なのかもしれないのです。このことを先生方に伝えて話を終わりました。

秋には研究発表会があります。当日は、この日見た先生方の笑顔がたくさん見られることを楽しみにしています。

楽しく充実した研修

昨日は小学校で研修をおこなってきました。先日2日間おじゃました学校です。学び合いを通じて子どもたちの学力(特に算数)を伸ばすことを目指している学校です。今回は、午前中は講演をおこない、それを受けて午後から先生方にグループで話し合いをしていただき、質問等を受けるという流れでした。

講演は、学び合いで学力がつくのか、つけるためにはどのようなことに注意をする必要があるのかを中心にお話させていただきました。学び合いというとグループ活動に目がいきがちですが、今回はそれを支える関係づくり、子ども同士をつなぐ教師の役割などを中心に話をしました。学び合いの授業イメージが先生方にあまりないということなので、当初の予定にはなかった、つなぐことを意識した授業がどんなものか伝わるような模擬授業形式のやり取りを入れてみました。

たまたま電車の広告で見た東大の入試問題の発想が、これもたまたま見た中学入試問題(有名な問題ではありますが…)と根本的には似ていたので、それを題材にしてみました。
先生方はとてもよく反応してくれました。首を振ったり、つぶやいたり、思いついたことを出力してくれます。先生方の言葉をつなぐことでこの問題のポイントである帰納的な考え方、1つ前、2つ前との関係に注目することを出すことができました。なんとか子どもの言葉を活かす授業のイメージを伝えられたのではないかと思います。こういう発想を身につけていくことで、高い学力もつくはずです。
学力をつけるためには、ただ学び合いをすればいいのではなく、どのような課題を扱うか、そこでどんな力を子どもたちにつけようとするのかも大切なのです。
そして、その学び合いを成立させるためには、子どもの言葉を教師も子どももよく聞く必要があります。そして、聞くことの価値を実感させることが大切です。
この学校は優秀な子どもがたくさんいます。しかし、その子どもたちが活躍していないことが課題の一つです。自分はわかっているから聞かなくてもいい、参加しなくてもいい。そんな子たちを活かすためにも、聞くことを大切にする必要があります。友だちの考えを説明するといった役割を与えることで、友だちの説明を聞くようになります。それをうまく説明して評価されることで、自己有用感も高まります。彼らが活躍することで、下位の子どもたちも伸びていくはずです。そんな授業を提案しました。

先生方がどう反応しても対応できるように、スライドはあらかじめたくさん用意していました。全部のことを話せないことはあらかじめ了承いただいていたのですが、それにしても、最初の模擬授業が楽しくてつい時間を使いすぎました。後半に予定していた算数の話をほとんどすることができなかったことは反省です。結局、先生方から省略した机間指導の話をしてほしいというリクエストがあったため、午後の時間も一部いただき、机間指導と○つけの話、教科書の読み方について話をしました。先生方のグループでの活動時間を短くしてしまったことは本当に申し訳なかったです。

午後の先生方の活動はとても集中していました。グループでの活動のお手本のような姿です。グループの活動の後、各グループから1人ずつ話し合いを通じて考えたこと、疑問等を発表していただきました。ここでうれしかったことは、実に多くの質問が出たことです。皆さんが真剣に話を聞き考えてくれた証です。皆さんが納得できるお答えになったかどうかはわかりませんが、私にとっては考えるよいきっかけとなりました。

研修終了後、前回授業を見せていただいた方からその後の報告がありました。
その授業の続きを子どもから出たキーワードを活かしてやったところ、子どもたちは一人残らずきちんと理解し、ちゃんと解けるようになった。子どもから、先生も予想していなかったよい発想が生まれてきたと、素敵な表情でお話いただけました。
また、別の方は、その後算数の問題文と国語の読み取りの力の関係を今まで以上に考えるようになったと話してくださいました。
こういった報告を受けることは、とてもうれしいことです。一気に疲れが取れるような気がします。

この後算数の部会でお話をさせていただき、最後に管理職の方と研修担当の方と一緒に今回の一連の研修の振り返りと今後について話し合いました。
先生方は学び合いのよさを少しずつ理解していただけているようですが、やり方を変えることで、本当に学力がつくのか、特に中学校入試に対応できるのかその不安とプレッシャーがとても大きいようです。これはいくら口で説明してもなくなるものではありません。少しずつ実践して互いに確かめあっていくしかないでしょう。授業での小さな成功体験をみんなで積み重ねていくことで、この学校の学び合いのスタイルが確立されていくことと思います。前向きな先生がとても多い学校です。今後大きく進化していくことと思います。

この日1日、皆さんとてもよく反応をしてくださり、多くの先生と楽しく話すことができました。おかげでたくさんの元気をいただけました。実はここ数日体調が悪かったのですが、帰るときには体が軽くなったように感じました。とても充実した1日でした。またこの学校に訪問できる日が来ることを楽しみにしています。

学校の授業を考える

ある学生の方から、学校の授業よりも予備校の授業の方が役に立ったし、教科のおもしろさがよくわかって、受験ということを差し引いてもよかったという話を聞きました。何人かに聞いてみても同じような意見です。私が高校生のころは、予備校は受験のためのテクニック的な話が多く、学校の授業はその教科のおもしろさを伝えようとしていたというように感じていたので、ずいぶん印象が違います。そのことを知り合いの先生に話したところ、予備校の先生は授業(講義?)のことだけに専念できるけれど、今の学校の先生は授業以外の仕事が多い。部活動や校務、生徒指導などで、授業をしている以外の時間のほとんどを使われる。条件が違いすぎる。なるほど、たしかにそうです。この理屈は、学習塾にも当てはまるのかもしれません。

ちょっと違った視点でみると、教科のことに専念したければ予備校の講師や塾の先生の方がよいということにもなります。では、学校の教師は? 私が思うに子どもの成長をトータルで支えることがその魅力なのだと思います。だからこそ、部活動や生徒指導にあれだけ頑張れるのです。しかし、だからといって授業の質が予備校や塾より劣ってもよいということにはなりません。子どもをトータルに見ているからこそできる授業があるはずです。話術やネタのおもしろさで引き付ける、これが試験に出るからと目先のことで引き付ける、それとは違った方向性があるはずです。そこにエネルギーを使わなければ、学校は部活動や友だちと話をする社交場で、勉強は予備校や塾でする。そんな歪んだ図式になってしまいます。では、学校の授業は予備校や塾とどう違うべきなのでしょうか?

それは、子どもたちがかかわり合うということです。一方的に講義を受ける、これが試験に出るからと受け身で覚える。そういうものではなく、互いにかかわり合いながら、高めあう。それは、子どもたちが学校という共同体の中で互いにかかわりながら暮らしていて、彼らを教師がトータルに見ているからこそできることだと思います。部活動や生活指導に頑張っている先生を見ると本当に頭が下がります。しかし、子どもたちのトータルの成長には学習はとても大きな要素を持っています。それこそ、学校が死守しなければいけない最たるもののはずです。時間がないからといって、予備校や塾に明け渡してもいいのでしょうか。同じ土俵で戦う必要はないのです。子どもが自分で考え、伝え合い、学び合う授業を目指せばいいのです。

先日紹介した玉置崇先生の著書(「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」が届く参照)の冒頭、第1章「玉置流授業づくりの大原則30」の「大原則1 玉置流授業の定義」にこう書かれています。

「講義」…その時間で一番大切なことを教師が言うのが講義
「授業」…その時間で一番大切なことを生徒が言うのが授業

そして、

授業とは、その時間で一番大切なことを、学ばなくてはいけないことを、
・生徒自ら気付き、発する
・生徒が教師の指導により気付かされ、発する
・生徒と仲間との学び合いにより気付き、発する

まさにここを目指してほしいのです。

夏休みは、部活動に専念できると頑張っておられる方も多いと思います。ちょっと、立ち止まって2学期以降の授業に思いを馳せてください。先ほどの定義にあったような授業はどのようにすればできるのだろう、どのような発問をすればいいのだろう、どのように受け応えればいいだろう。そんなことを考えてみてほしいと思います。イメージできなければ、本を読んだり、同僚と話し合ってみてください。多少は余裕のある夏休み(予備校や塾は稼ぎ時?)だからこそ、是非授業のことを考えてほしいと思います。

研修会の打ち合わせ

先週末は、毎年1講座を任されている、市主催の研修会の打ち合わせをおこないました。模擬授業を外部の先生にお願いし、それを受けて私が1時間講義をします。毎年どなたに模擬授業をお願いするか悩むのですが、今年は、ここ数年成長が著しい中堅の数学の先生にお願いしました。子どもたちの言葉を活かし、数学的な思考を深めることをとても大切にしている方です。無理なお願いにもかかわらず、勉強になることだからと快く引き受けてくださいました。

打ち合わせそのものは、あまり時間がかかりませんでした。というのも、子どもに何を問いかけるかが非常に明確なので、あとは、生徒役から出てきた言葉をどうつないでいくか、それに私がどう突っ込むかというその場になってみなければわからないことだからです。「いかようにも料理してください」と明るく言ってくださったことが印象的でした。授業が楽しくてしょうがないというオーラがあふれています。一緒にいるだけで楽しくなる。そんな雰囲気を身にまとっているのです。参加される若い先生のために、このような雰囲気を身につけられた過程も当日話していただこうと思っています。

数学の証明では、なぜそこに線を引くかは書かれません。線を引くところから始まり、証明が進んでいきます。証明が終わって「納得した?」ではなく、「証明はできたけれど、なぜそこに線を引いたの、どうしてその線を引こうと思ったの」と問いかける。そんな授業を実践される先生です。当日、子ども役の方はこのような問いにどんな反応を示してくれるでしょうか。子どもが考えるために必要な教師の働きかけはどんなことかきっと気づいてくれることと思います。

打ち合わせが終わった後は、学校のようすや授業の話で盛り上がりました。若い先生に積極的にかかわって、先生同士が学び合う雰囲気をつくっておられます。授業をビデオに撮って、部活動が終わった後に検討会をおこなったり、互いに授業を見あったりしているそうです。授業について話し合う土壌ができつつあるのを感じます。前回訪問した時にそのことを強く感じましたが、今回お話をうかがって以前よりもまた前進していると確信しました。この学校の若手の方は身近にこのような先輩がいてとても幸せだと思います。日々成長を実感していると思います。10月に再度訪問して若手を中心に授業を見せていただく予定になっていますが、どのくらい進歩しているか今からとても楽しみです。

研修当日は、子ども(役)が何を言っても受け止める、活かしてみせるという授業になると思います。授業者と子ども役、そして私の3者の真剣勝負の場です。期待感と心地よい緊張感で、まさにワクワクドキドキです。参加者だけでなく、私にとってもとても大きな学びの場になることでしょう。このような機会を得られることに感謝です。

進歩を実感させる

学力をつける一番簡単な方法は、子どもたちにやる気を持って学習に取り組ませることです。そのやる気を引き出すためのキーワードが「進歩」「進化」です。人は努力の結果が報われないとやる気をなくしてしまいます。絶対的な結果を求めれば達成できないこともあります。「努力は無駄にならない」と言ってもそのことが実感できなければ、次第にやる気をなくしてしまいます。しかし、努力をすれば必ず進歩します。その進歩を目に見えるようにして実感させれば、やる気は持続するのです。そのための具体的な方策を考えてみたいと思います。

進歩を目に見えるようにする一つの方法は客観的な指標を導入することです。時間、数などがその典型です。九九を何秒で言えるか、一定時間に何問解けるか、どれだけ書けるか、どこまで進んだといったことを指標にして定期的に取り組み、進歩を見えるようにします。表に数値を書き込む、グラフ化するなど、見える化を意識すると効果的です。

Before Afterを比較するのも、進歩を実感させるよい方法です。学習の初めと終わりで同じ課題を提示し、その答の違いを見るのです。
たとえば国語の読み取りであれば、最初一読したあとに感想や読み取りを書かせ、学習の最後にもう一度書かせます。そして、それを比べてみるのです。
歴史であれば、たとえば「○○時代ってどんな時代」「○○ってどんな人物」などと学習の最初にたずねます。子どもたちの知っている知識をもとに答えてもよいし、根拠のない無責任な答でもよいのです。ただしあまり時間はかけません。根拠となる知識が乏しい中で話し合っても深まらないからです。そして、単元の最後にもう一度同じことを聞くのです。
音楽・体育なども記録にとって最初と最後のもの比較します。
このようにすることで、授業で学ぶことを通じて自分たちが進歩していることを実感させることができます。単元を通じて自分が学んだこと、進歩したことを書かせておくと、成長の記録とすることができます。1年間を振り返ってみると自分がいかに進歩したかを実感できるでしょう。入学時からこういった記録をとっておくと、より進歩がはっきりと見えることと思います。

もう一つ、これはいつも心掛けてほしいのですが、教師が折りに触れて子どもの進歩を認める、ほめることです。このとき、「みんな進歩したね」と全体をほめるのではなく「○○さん、□□ができるようになったね」「○○君、□□するようになったね。すごいね、進歩したね」と固有名詞で具体的にほめるのです。教師は子どもたちをいちばん身近で見ている存在ですから、ちょっとした進歩も見つけることができるはずです。つねに自分の進歩を認められる学級は子どもたちのやる気があふれています。

授業の中に子どもたちの進歩が目に見えるような仕組みをつくる。進歩を実感できる場面をつくる。ちょっとした工夫が子どもたちのやる気を引き出してくれます。夏休みは時間的、精神的に余裕があります。2学期に向けて、子どもたちのやる気を引き出すためにどんな工夫をするか少し考えてみてください。

市の全体研修の打ち合わせ

昨日は、夏休みにおこなわれる市の全体研修の打ち合わせをおこないました。全体の場で模擬授業をおこない、随時、私と授業者で解説をしていくという形式のもので、今年で3年目です。150名以上の先生が集まります。代表で授業をする先生には本当に大きなプレッシャーがかかることと思います。引き受けていただけたことに感謝です、

今回の打ち合わせは、授業の内容について授業者と検討することが中心でした。いただいた指導案を見てうなりました。子どもが考えた意見を全体で交流することが授業の中心だったからです。授業者の受け、返し、つなぎの技術が問われるものです。このような授業にチャレンジしてくださるということは、ふだんの授業でもこのことを意識しておられているということです。そのような先生とこのような研修を持てることをとてもうれしく思いました。子どもの考えをつないでいくということはよく言われます。私もお話することが多いのですが、具体的な場面がないとなかなか理解していただけないのが実情です。今回、模擬授業でこのような場面を扱えることは、研修に参加される先生方にとってもとても有意義なことです。
また、小学校5年生の理科の授業なのですが、道徳教育を織り込むことも考えておられました。学習指導要領でも「・・・道徳の時間はもとより、各教科、外国語活動、総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて、児童の発達段階を考慮して、適切な指導を行わなければならない」という文言があります。しかし、実際にこのことを意識した授業に出会うことはなかなかありません。そういう意味でも、とても楽しみです。

指導案をもとにいくつかアドバイスをさせていただきました。
今回のように子どもに考えさせて意見を言わせる場合、根拠となる知識がなければ無責任な発言の応酬になってしまいます。その根拠となる知識として何を前提とするかを明確にすることが求められます。導入でおこなうのか、まとめでおこなうかでも、前提とできる知識は異なります。第何時に位置付けるかも含めて検討をお願いしました。
また、子どもの相互指名も考えておられましたが、根拠を大切にするときに、子ども同士で指名するのはかなり無理があります。同じ考えをつないだり、論点が明確になるように指名し合ったりするには、日ごろから鍛えておかなければならないからです。具体的にどのような指導をしてどのような力をつけるのかを明確にしておく必要があります。その上で、模擬授業の児童役にどのような力がついているか意識して演じるようにお願いしなければなりません。授業展開も子どもに身に着けさせた力を意識したものにするようお願いしました。

本番でこの指導案がどのように変わっているかとても楽しみです。その変化の理由を全体の場で語っていただくことで、授業をつくる上でのポイントがはっきりしていくと思います。今回の打ち合わせから既に研修は始まっています。授業者の学びが全体の学びとして共有でき、模擬授業の場がまた新たな学びを生み出してくれることを願います。授業者も児童役も含め、すべての参加者が、楽しく、互いに学び合える研修会にしたいと思います。

目標の立てさせ方を考える

夏休みが近づいてきました。子どもたちは夏休みのことを考えてうきうきしていることでしょう。先生方は、規則正しい生活をする、計画的に過ごすといったことを指導していることと思います。夏休みの目標も立てさせていることでしょう。この目標の立て方について少し考えてみたいと思います。

目標を立てるときは、「○○をする」ではなく、「○○をできるようになる」と結果を意識させることが大切です。学習計画でも、国語の勉強を1時間するではなく、漢字を何文字覚えるというように、何をするかではなく、何ができるようになるかを意識させます。その上で、そのためにどのくらいの時間が必要かを考えて予定を立てるのです。頑張る、一生懸命やるといった、感覚的なものではなく、結果を大切にします。
教科ごとに何ができるようになるかを明確にして、その結果を具体的に確認できる方法もきちんと示させます。2桁の掛け算をできるようになるという目標であれば、100問解いて95問正解といった確認方法も決めておくのです。

長い休みですので、ふだんできないことに挑戦することも大切です。教科以外にも、○○ができるようになるという目標が持てるとよいでしょう。また、毎日家の手伝いをする、欠かさず○○するといった目標は、継続力をつけるためにも好ましいものです。しかし、途中で1日できなかった日があると目標達成が不可能になってしまい、そのままずるずるとやらなくなってしまいます。1週間単位や何日以上といった基準をうまく組み合わせることが必要です。

結果を意識した目標を立てさせたときに注意してほしいことは、結果を重視し過ぎると達成できなかった場合に自己有用感が持てないことです。夏休み明けに反省をしてもあまり意味はありません。結果は大切ですが、それにこだわりすぎないようにします。目標に対して具体的にどのようなことをしたのか、結果どこまでできるようになったのか。過程をきちんと評価する必要があります。その上で反省ではなく、これからどうするかを具体的に考えさせるのです。
そういう点で、出校日を中間チェックの場としてうまく活用するとよいと思います。どこまでできるようになったか振り返り、順調であればより高い目標を設定する。うまくいってなければ今日からどうするか考える。そんな時間を設けるとよいでしょう。

子どもたちが目標を意識して計画的に夏休みを過ごし、夏休みが終わったときに達成感を持てることが大切です。そのためには、結果を意識した目標を立てさせることが必要になります。このことを意識して指導をしてほしいと思います。

授業の無駄な時間を考える

授業を見ていると、この時間は無駄だと感じる場面があります。その多くは子どもが考えていない時間です。授業中の無駄な時間について考えてみたいと思います。

無駄な時間と感じる場面で多いのは、答え合わせの時間です。
問題演習の答え合わせで、子どもが順番に答を言って、他の子どもが「いいです」「ちがいます」と判定する場面が典型です。自分の答と同じであるかどうかの確認をして、間違えた子どもは正解を赤で書き込むだけで、どこで間違えたかを考える間もなく、次へといってしまいます。これでは、間違えたという事実だけが残り、どこで間違えたのかを考えることもできません。
英語のヒアリングの結果の確認などでも、正解を発表して、「あっていた人」と聞くだけでは全く意味がありません。間違えた子どもは、正しく聞き取れなかったのか、それとも意味を理解できなかったのか、そんなことすらよくわからないまま時間が過ぎていきます。正解だった子どもも、どこまできちんと理解できていたかはよくわかりません。

計算問題の答のように単純なもの、ほとんどが正解となるものなら、実物投影機などを使って答を映すというのも手です。すばやく確認をして次に進めばいいのです。問題演習をノートに解く代わりに、フラッシュカードで全体練習にするという方法もあります。
隣同士で確認し合うという方法もあります。このとき、互いの答が違っていれば、もう一度それぞれやり直して再度確認したり、互いに説明しあったりするといったルールをつくっておくといいでしょう。子ども同士だけでは不安なら、後で教師が素早く答を言って確認してもいいでしょう。全員がほとんど正しい答になっているので、時間をかけなくても大丈夫なはずです。確認をした後、隣との確認で間違いを直せた子どもを数人指名して、どこで間違えたかたずねたり、直せたことを評価したりするとよいでしょう。
ヒアリングの例であれば、子どもに聞きとった文を復唱させたり、その内容を言わせたりする。教師が正解を言った後、もう1度聞かせて、できなかった子どもに聞き取れたか、聞き取れたら内容が理解できたか確認するなど、できた子どもには根拠を求め、できなかった子どもにはできるようになるための活動をすることが必要になります。

また、意外に思うかもしれませんが、子どもに意見を言わせる時間が無駄だと感じることもよくあります。大きく2つの場合があります。
1つは、子どもに根拠を求めていない場合です。ただ思いつきで無責任に発言しているだけですから、学級のテンションは上がっていきます。このあと、落ち着いて考える状態をつくるのに苦労するだけで、子どもたちの学びにはつながっていきません。発言に根拠を求める姿勢が大切になります。
もう1つは、子どもの発言を他の子どもたちが聞いていない場合です。教師は一生懸命に聞いているのですが、他の子どもは聞くことを無駄と判断しているのです。多くの場合、このあと教師が発表者の発言を判断して、よい発言と判断した場合はもう1度教師の言葉で丁寧に説明する、そうでなければ次の子どもに発言を求めます。教師の説明を待っていれば、必要な情報は手に入るのですから、友だちの発言を聞くことは無駄なのです。
この場合、友だちの発言を聞くことが無駄でないようにする必要があります。発表の後、教師がすぐに説明するのではなく「○○さんの意見、もう1度言ってくれる」と友だちの発言を聞いていることを評価する、「同じ考えの人いる」「今の意見、なるほどと思った人いる」「○○さんの考えを、説明してくれる」とつなぐ、こういったことが必要になります。

授業をちょっと振り返ってみてください。なんとなく惰性で進めている活動がないでしょうか。この時間に子どもたちが何をしている、何を考えているのだろうか。それは、本当に意味のあることなのか、無駄ではないのか。そんなことを考えてみてほしいのです。無駄な時間と思えるものがあれば、その時間が無駄でなくなるような工夫を考えてみてください。きっと授業がよい方向へ変わっていくと思います。

道徳の授業撮影

10月8日の教師力アップセミナーで野口芳宏先生にご指導いただく授業ビデオの撮影に出かけてきました。小学校5年生の道徳の授業です。

授業者は経験年数が2年目ですが、子どもとの関係がよいことがよくわかります。授業開始前からとても笑顔の多い学級でした。
その秘密はすぐにわかりました。子どものどんな意見も「なるほど」と受容し、きちんとまるごと復唱しようとしています。とても2年目とは思えません。どのようにして身につけたのか興味があります。本人に聞いたところ、子どもを否定しないようにと思って授業にのぞんでいるとのことでした。とてもよい姿勢です。
しかし、発表者をしっかり見て、子どもの考えを聞きとろうとしているのですが、その間他の子どもを見ることはしません。また、全体に対して話をするときは、漫然と「みんな」の方を向いていて一人ひとりを見てはいません。授業者との関係はよいのに、子どもたちが今一つ集中していないと感じた理由はそこにあるのかもしれません。子どもたちの集中度が上がるのは授業者が板書をするときなのです。
また、子どもの意見はしっかり聞くのですが、その意見の根拠をたずねたり、他の子どもにつないだりはしません。そのため、意見や考えが深まったり、広がったりはしないのです。グループでの話し合いでも、自分の意見を言うことが目的であって、友だちの考えを聞いて自分の考えを深めることはあまり意識されていません。ですから、グループでの話し合いの後、発表意欲も上がらないのです。グループで自分の意見を言ったので、とりあえず満足しているからです。誰かが意見を言うたびに、似た意見の発表の機会がなくなるので、どんどん集中度が落ちていきます。授業全体が話すこと、発表することに重きがおかれて、聞くことの大切さ、よさが意識されていないのです。

今回の授業は「ありがとう」をテーマにしていたのですが、道徳として子どもたちにどのような変容を願っているのか明確になっていないのが残念でした。資料には大きく3つの山がありました。「本当のありがとう」を問う場面、「ありがとうを言うのではなく、ありがとうを言われよう」とする場面、「自分のありがとうに対して、もっと素敵なありがとう」を言われた場面です。それぞれねらいとするものは微妙に違います。すべての場面を同じような重さで扱ったため焦点がぼけてしまいました。
授業者としては、「ありがとうを言うのではなく、ありがとうを言われよう」を中心としたかったようです。であれば、できるだけ早く資料を理解させ、その部分を焦点化して、自分の思いをたくさん話させればいいのです。宿題として、「言ったありがとう、言われたありがとう」を書かせています。こんないい材料があるのですから、資料は問いかけのきっかけとして使って、この自分の経験をもとに考えさせればよかったのです。

また、主人公の気持ちを問う場面での発問も明確でありませんでした。「資料から」気持ちを読み取るのか、「自分だったら」どう思うのか、どちらかはっきりしないのです。「主人公の気持ち」を聞いているのですが、子どもは根拠のない想像で意見を言います。ただ思いついたことを発表するだけなのです。国語であれば、明確に本文のどこでそう考えたか根拠を求める必要があります。道徳であれば、自分のこととして考えるように迫る必要があります。主人公の状況をしっかり把握させた上で「あなたならどう思う」と自分の考えを求めればいいのです。この国語と道徳の違いが意識されていないのです。

授業後、参観された教師力アップセミナーの運営委員の先生と一緒に授業者とお話をさせていただきました。きちんと子どもとの関係が作れるのに子ども同士をつなごうとしないのは、何か考えがあるのか、授業観が違うのかとも思いましたが、そうではありませんでした。自分なりに一生懸命取り組んできて、まだそのことの大切さに気づいていない、意識できていなかっただけでした。2年目ですから当然です。私たちの指摘をとても熱心に、また素直に聞いてくれました。授業を見た時にてっきり4年目か5年目と勘違いしてしまうくらい、しっかりとしていた先生です。今回の授業撮影をきっかけにして大きく成長してくれることと思います。また、この学校の多くの先生がこの授業を参観されていたのも印象に残っています。先生方のこのような姿勢が授業者のこれまでの成長の支えになっているのだと思いました。私にとっても、たくさんのことに気づき、学ぶことができた授業でした。子どもとの関係がしっかりできているからこそ、足りない点も含めて多くのことを学べるのです。教師力アップセミナーで野口先生からどのようなご指導がいただけるかとても楽しみです。学期末で忙しい中、無理を聞いていただいた授業者と、その環境を整え、バックアップしてくださった校長に感謝です。ありがとうございました。

動画(ビデオ)を見た後、その内容を説明する?

実際には見ることが難しい天体の動きや過去の映像などを見せるのに、動画(ビデオ)は威力を発揮します。よい教材が増え理科や社会では活躍する機会も増えていると思います。しかし、子どもは集中して見ているようですが、意外にその内容は理解していないことがあります。子どもたちの気づきを共有化して、その場面を確認しようとしても、動画ゆえに難しいところもあります(動画の活用の注意点参照)。そこで、つい教師が確認の意味でその内容をもう一度説明することがあります。これでは、動画を見せただけ時間が余分にかかり、子どもたちの活動の時間がなくなってしまいます。どんなことに注意をすればいいのでしょうか。

「○○についてのビデオを見よう」では、子どもたちは漫然と画面を眺めてしまいます。まず、子どもたちに疑問を持たせる必要があります。この動画を見ることで、どんな疑問を解決しようとしているのかを明確にしておくのです。目的・目標を持たせると言い換えてもよいでしょう。子どもたちに仮説を持たせ、その答を動画から見つけるのもよい方法です。目に見える形で黒板やノートに残すようにすると明確になります。また、見た後の活動も伝えておく必要があります。「あとで、○○の理由を聞くからね」「○○についてみんなの考えを聞くからね」と指示しておくと意識も変わってきます。

小学校の高学年以上であればメモ取るように指示することも大切です。何が大切かを意識して見るようになります。教師は子どもと一緒に画面を見ているようではいけません。内容を事前に知っているのですから、子どものようすを見ることに専念できるはずです。子どもはどこに反応しているか、どこでメモを取っているか。この情報がその後の展開に生きてきます。
「○○さん、△△の場面でうなずいていたけど、どういうこと」「□□の場面でメモを取っていたけど、どんなことを書いたか聞かせてくれる」と内容の確認や気づきの共有化のきっかけになります。

動画を見せても理解できていないと感じたなら、教師が再度説明するのではなく、子どもたちに内容を問いかけて答えさせればよいのです。もし、答えられないようであれば、意識して見てはいなかったということです。1度は、もう1回見せてもよいかもしれません。次回からは意識が変わるはずです。また、動画を見た後その内容について話し合うことが常態化していれば、自然に意識して見るようになります。

どんなに優れた動画でも、見る必然性を持たせないと子どもは受け身の時間を過ごすことになります。教師が積極的にかかわり、動画の内容をもとに考えさせる場面をつくることで初めて動画は生きてくるのです。動画を見る前後にどのような働きかけをし、どのような活動をさせるか、再生中には何に注目するか。このことを明確にした上で活用してほしいと思います。

「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」が届く

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昨日うれしい書籍が届きました。小牧市立小牧中学校長の玉置崇先生の新著「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」(明治図書)です。玉置先生とは25年以上おつき合いさせていただいていますが、この本の中で玉置先生の授業を一番多く見たと紹介していただいています。玉置先生からは本当に多くのことを一緒に考え、学ばせていただいています。授業を見ていて、疑問を感じたり、どう考えればいいか迷ったりしたときに、頭の中で「この場面をどうとらえて、どう切り返すか。先生ならどうされますか」と尊敬する先生に問いかけることがあります。その先生の思考法、授業技術をもとに考えるのです。数学の授業だけでなく、すべての教科、場面で間違いなく一番多く問いかけている相手が玉置先生です。

第1章「玉置流授業づくりの大原則30」は、数学だけでなく多くの教科に共通する授業の原則がたくさん書かれています。つき合いの長い私の目には、その原則の背景も浮かんできます。そこには、自ら出会いを求め、学び続けてきた玉置先生の姿が、玉置先生が学んできた多くの先生の姿と重なって見えます。

第2章「学習指導要領のここを外すな!」は学習指導要領に書かれているが、実は見落とされやすいことをコンパクトにまとめています。試験の問題が解ければいいという発想の授業ではなく、数学を学ぶということはどういうことか、数学を通じてどのような子どもたちを育てる授業を目指すのか、学習指導要領を例にして玉置先生の思いが語られています。

第3章「これを使えば必ず盛り上がる! とっておきのテッパン授業ネタ」は、タイトルから見れば単なる How to に思えますが、そうではありません。授業を通じて、子どもたちに何を考えさせたいのか、考えさせるべきなのか。それは教材とどのようにかかわるのか、どう発問し、どのような活動をすることで可能となるのか。この章を読み解くことで見えてくると思います。もし見えなければ、下手にアレンジなどせずに素直にこのネタを実践してみるとよいと思います。きっと子どもたちがその姿で教えてくれると思います。

第4章「授業の腕を磨く! 数学教師修行」は、玉置先生がどのような姿勢で授業力を磨いてきたかよくわかります。ここに私も登場するのでこんなことを言うのは恥ずかしいのですが、玉置先生の人から学ぼうとする姿勢こそが本当に学ぶべきことです。ここには、数学に関係する出会いのことしか書かれていませんが、ICT活用や学校経営、趣味(副業?)の落語に関しても常にこの姿勢を崩されていません。教えてくれるのをただ待っていては、いつまでたっても成長できません。自ら求めることが大切であることを教えてくれています。

この本は若い数学教師すべてに読んでほしい本です。というよりは、手元に置いて、事あるごとに見直すバイブルとしてほしいと思います。また、ベテランもこの本を読むことで授業のあるべき姿を見直すよいきっかけになると思います。私にとっては、玉置先生と学び合ったことをあらためて思い出させてくれる、またその学びを再整理させてくれる、懐かしい「学びのアルバム」のような本です。素敵な本をありがとうございました。

ICT活用授業の参観

昨日は、小学校のICT活用授業を参観しました。ICTを活用した協働学習を研究テーマにしている学校です。

第一印象は、ICT機器の活用を意識しすぎたため、本来できていたはずの授業の基礎・基本がおろそかになっているということです。教師が子どもを見ていない、子どもを見て話さない。子どもに発言を求めない、子どもをつながない。こういう場面が多くありました。特に、ほとんどの教師がICT機器の操作に気を取られて子どもに意識がいかなくなっていました。ディスプレイの画面を見て教師がしゃべっている。肝心の子どもは画面に集中していない。こういう場面が多いのです。

教師に余裕がないため、教室に笑顔が少ないことも気になりました。ICT機器の活用に時間を取られ、その少ない時間に教師がまた説明をしようとするので大変です。子どもの発言の場面も少なく、子どもの言葉を活かすことができません。子どもの発言を笑顔で受け止める、ポジティブに評価する余裕もないのです。全体的に授業中の教師と子どもの関係がまだしっかりとできていないように感じました。

また、全体的に子どもの集中力が低いことも気になりました。その理由の一つが、子どもが受け身になっている時間が長いことにあります。たとえば、動画を見せると基本的にその間は受け身です。それをもとに子どもが考える、話し合うという活動があればよいのですが、説明の動画であっても、そのあとまた教師が説明をしてしまうこともあります。これでは、子どもの集中力が持つはずがありません。ICT機器を使う時間が、情報を一方的に与えられる時間になってしまってはいけないのです。

もう一つ特徴的だったのが机間指導です。どう指導していいのか戸惑っているように感じたのです。ノートであれば、○をつける、書き込みをするといったことができるのですが、タブレットPCを使っているのでどう関わっていいのかわからないようなのです。漫然と歩いているか、できない子を集中的に個人指導しているのです。
一方、子どもたちは黙々と作業しているのですが、まわりと相談している姿は見られません。早く終わってしまった子どもが雑談をしている姿を見るくらいです。

残念ながら、ICT機器が教師と子ども、子ども同士を分断しているのです。この学校の先生方を非難・批判する気はありません。機器だけあってソフトがそろっていない。ソフトもまだまだ未消化で、インターフェイスもこなれていない。そんな環境で、ICT機器の活用を義務づけられれば、本来できていたこともできなくなってしまうことは十分に考えられます。もう一度授業の基本を確認することと、ICT機器の活用に関しては、子どもにどんな力をつけたいのか、どんな姿を見たいのかを明確にして、どのような活動を組み合わせればいいのか、教師はどのようにかかわればいいのかを整理することが必要だと思います。

夏休みに入って先生方にお話をさせていただきますが、一度肩の力を抜いて子どもたちに笑顔で向き合うこと、ICT機器を活用しているときの教師の役割を意識することを伝えたいと考えています。先生方に元気になっていただけるような話を心掛けたいと思います。

中学校で授業参観

先週末は、中学校で若手と一緒に授業参観をおこないました。子どものたちの姿から、授業で大切にしたいことや子どもたちを見る視点を説明しました。

社会科の文明と宗教についての導入で、野球の話をしている場面がありました。子どもたちも先生の話に反応しています。笑い声もでています。しかし、よく見ると野球に興味のない子なのでしょうか、あまり集中して聞いていない子どもいます。一部の子どものテンションが上がると、それに呼応するように集中力を失くす子どもも増えていきます。最後に「野球の神様」という言葉が出て、宗教につなげました。この間10分近くを費やしましたが、教科の内容につながる部分はこの「神様」という言葉だけでした。しかも、教科の内容に入ると、先ほど盛り上がっていた子どもたちも、集中力がなくなっていました。彼らは、無責任に話を聞いていられるこの10分で集中力を使い切ったのです。
これでは本末転倒です。授業の初めの一番集中できる時間を無駄に使ってしまいました。導入はできるだけ短く、集中力が上がった時点で、本時の課題に取り組めることが大切です。そのことがよくわかる場面でした。

数学の式の整理の練習問題の場面では、黒板で解答をしながら、教師がポイントを説明していました。黒板には模範解答が書かれ、そのほかには同類項に下線がひかれているだけです。思ったよりできていなかったということで、再度別の問題に取り組ませていましたが、なかなかできるようにはならなかったようです。間違えた子どもは、正解を写してもできるようにはなりません。解答の行と行の間を埋めるものが必要です。できなかった子どもがわかる、できるための手がかりが残っていないのです。教師の説明を聞いても言葉はすぐに消えてしまいます。理解して頭に残すか、板書を見ればわかるようにしておく必要があります。
同じ場面で、行間を子どもに言わせている教室もありました。いきなり最後まで解答するのではなく、最初の1行を書いた後、その1行はどう考えてそのように変形したのか、子どもから丁寧に引き出そうとしています。しかし、教師とその子ども2人だけのやり取りになってしまい、他の子どもたちはそのやり取りに参加できていませんでした。授業者にそのことを指摘すると、すぐに反応してくれました。他の子どもに納得したか確認する。もう一度他の子どもに言わせる。こういうことが必要だったと気づいてくれたのです。子どもを見る力がついてきているので、この状況を自分でも感じていたのです。この場面も、練習問題を解かせているとき、子どもたちがよく理解できていないことに気づいたので、途中で一旦止めて見通しを持たそうとしていたのです。子どもの状況をつかむことを意識できています。この意識を持って毎日の授業にのぞめば、自然に力がついてきます。今後の進歩が楽しみです。

以前に訪問したとき、新年度になってから3年生の緊張が緩んで集中力が落ちてきていると感じていたのですが、この日はずいぶん違っていました。どの教室もよい緊張感があり、子どもたちもよく集中していました。修学旅行が終わり、進路説明会もあり、それに合わせて学年団が意識して指導したのでしょう。子どもたちの姿にその結果が表れています。
その中でとても面白い場面を見ることができました。教師が説明しながら板書をしています。この場面は説明を聞かせるのか板書するのか明確にしておくのが基本です。そうでないと説明を聞いている子ども、板書を写す子どもとバラバラになります。この教室では、子どもたちのほぼ全員がノートを取っています。こういう時は、教師が板書をすると子どもたちは一斉に手を動かすのですが、この学級は違っていました。手を動かすタイミングが一人ひとり違っているのです。どういうことなのでしょうか。中学生では珍しいのですが、彼らは教師の話を聞きながら、ノートを取っているのです。教師の言葉を理解しながら、一人ひとり自分のリズムで写しているので、顔を上げるタイミング、手を動かすタイミングがばらばらなのです。さすがに3年生です。1年生から鍛えられ、よい意味でこの教師の授業スタイルに順応しているのだと思います。
隣の教室でも多くの子どもたちは集中していましたが、そのようすはだいぶ違っていました。よく見ると、体は起きているが集中していない子もいます。ノートを写している子どものリズムは一定です。作業に集中しているのです。先ほどの教室と比較してみるとよくわかります。一緒に授業を見ていた先生方もその違いに気づいてくれました。同じ集中でも質に違いがあることがよくわかりました。

また、2年生の理科の体の構造や働きの学習の場面では、子どもたちのよい姿を見ることができました。集中しているのでしょう、私たちの視線に気づくこともなく、教師の(呼吸の?)説明を自分の体を動かすことで確認している子どもが何人もいるのです。例外なくとても楽しそうな表情で、しっかりと教師を見ています。同行していた、この学年を担当している先生は、子どもたちが授業中にこんな表情をすることを知って驚いていたようです。教師の働きかけで子どもたちの姿が変わるということを実感できたようです。

英語のヒアリングのQ&Aの場面で気になることがありました。解答をする場面で子どもたちとあまり意味のないやり取りをしたり、正解者を挙手させてテンションを上げたりしているのです。ヒアリングが終わってしまえば、その後正解を言われても間違えた子どもは、間違えたと指摘されるだけで何も学ぶことはできません。正解の子どもも何らかの新しい学びがあるわけではありません。そこに多くの時間を使うことは無意味です。根拠となる文は何だったか子どもに言わせる。できなかった子どもはそれを聞いて修正する。これが難しいのなら、もう1度、該当箇所をゆっくり聞かせて、その意味を確認するといった、できなかった子どもができるようになるための工夫が必要になります。
この場面に限らず、解答をするときは、できなかった子どもができるようになるための手立てを用意すること。できた子どもにはできてよかったではなく、その手助けをするなどのかかわり合いを意識させることなどの工夫が必要です。単なる正解不正解の確認ならば、できるだけはやく終わらせるべきです。頭を使わないことに必要以上の時間を使う必要はないのです。

同行した先生方は、子どもたちの姿から何を学んでくれたでしょうか。「子どもたちを見るとはどういうことかわかった気がする」と言ってくれた先生もいました。まだ、教壇に立って3か月も経っていない方です。子どもたちから学ぶことを知ることが教師の成長の第一歩だと思います。このような経験をきっかけにして、彼らがどのように変化していくのかとても楽しみです。

うれしい報告

先日訪問した学校の校長と研修担当の先生から、うれしいメールをいただきました。

校長からのメールには、教室をまわって先生たちのようすが変わったと報告がありました。多くの先生が学級全体に目を配るようになったそうです。また、正門での朝の挨拶で、「おはようございます」と挨拶を返すだけでなく、「いい挨拶だなあ」「すばらしい」「元気ですね」「自分から挨拶してすごい」といった言葉をつけ加えるようにしたところ、子どもたちがみるみる嬉しそうな表情になったそうです。自身が担当される授業でも、子どもたちを意識して見ると、一人ひとりの子どものようすの違いがとてもよくわかることに気づかれたようです。子どもたちの反応を見るのが、おもしろくて仕方がないそうです。
校長自ら前向きに変わろうとしていること、先生方の変化・子どもの実態をしっかりとらえようとしていることがよく伝わります。

研修担当の先生からのメールには、授業者一人ひとりと話(雑談)をする機会を持ったことが書かれていました。ほとんどの方が、協議会で指摘されたことを次の授業で試したそうです。授業を参観された先生も、学び合いの授業に挑戦してくれているそうです。また、子どもたちの集中が切れる場面を意識するようになったという声も聞こえてくるようです。
実際に子ども同士をつなごうとすると、指名してもなかなか答えられなかったり、一部のできる子どものみで進んでしまったりするようです。同じ意見を言ってもよいことを伝えること、まちがえても大丈夫という安心感を与えること、そして、教師の発問を工夫していくことが重要だと気づかれたようです。学び合いは教師と子どもたちで一歩一歩、一緒に作り上げていくということを再確認することができとのことでした。もちろん、この担当の先生自身も研修で気づいたことを早速実践しているとのことでした。
とても素直で、前向きな先生方ばかりだということがよくわかります。先生方が変わり始めていることがとてもよく伝わりました。

どの学校もこのようにすぐによい変化がみられるわけではありません。しかし、よい変化がみられる学校には共通の特徴があります。校長や研修担当者のように全体をけん引するリーダーの方が、まず自ら変わろうとする姿勢を見せること。そして、先生方とコミュニケーションをとり、教室の変化をしっかりとらえ、先生方や子どもたちの変化を前向きに評価することです。この学校はこの条件を満たしていたということです。研修はきっかけにしかすぎません。リーダーの日ごろの姿勢が今回のよい変化につながったのだと思います。もちろん、先生方が素直で前向きなことが一番ですが。

このような報告をいただけることは、私のような立場の者にとっては本当にうれしいことです。このような機会を得たことを本当に感謝します。次回の訪問を思うと、気持ちが高揚すると同時に前回以上の研修にしなければとプレッシャーもかかります。このプレッシャーを楽しみながら次回の準備をしたいと思います。

算数で大切にしたい活動

算数では、数の概念や足し算・引き算などの演算の概念、長さなどの単位の概念などを形成することがとても大切になります。このとき、意識してほしいことは、問題を解けるようにすることをあせるあまり、言葉から直接式をつくる訓練に終始しないことです。

演算で考えてみましょう。算数の問題は、言葉で書かれたものを、式を立てて解くことが求められます。しかし、言葉と式を直接結びつけることはとても危険です。なぜこの問題は足し算なのか、なぜ引き算なのかを言葉で説明することはとても難しいことだからです。「違い」を聞かれているから「引き算」というのは、本当は説明にはなっていません。そもそも「引き算」という概念は言葉で形成されたものではないからです。

「残り」「違い」と聞かれたら「引き算」と教えることはHow to としては、多くの問題で有効かもしれません。しかし、その言葉の表しているものを無視して「引き算」と直接結びつけて解かせても、「引き算」を理解したことにはなりません。
「残り」と「違い」は「引き算」で求められますが、同じことを表しているわけではありません。教科書では、「残り」が「引き算」の定義、概念の出発点となっています。引き去った「残り」を求めることが「引き算」であると定義をしているのです。では、「違い」も「引き算」になることはどのように理解していくのでしょうか。たとえば、赤組8人、白組5人の「違い」を考えてみましょう。赤組、白組を整列させ、求めるものは図のどこの部分が表す数かを考えさせる。はみ出た3であれば、それはどのような操作で求められるか考える。それは、白組の5人と対応する5人を白組から引き去った「残り」だから、引き算で表される。このような過程を経ます。「違い」を「残り」に帰着させて引き算となること理解させるのです。「残り」を考えることで引き算の概念を形成し、それをもとに「違い」に拡張しているのです。

教科書では、子どもたちがばらばらにいる図、整列した図、ブロックで対応させた図、5つのブロックを対応させ、分解した図と丁寧にこの段階を踏んでいます。授業では、ブロックを使った操作をすることが必須となります。ブロックの操作が、今までやった「残り」と同じ操作だと気づくことで、これが引き算だと子どもは理解するのです。
子どもが納得できるまで、この操作を経験させることが大切です。ここをさぼって、だから「違い」は引き算だねと教え込むことは危険なのです。

また、ブロックのよさは操作できることだけではありません。人間のままでは、どうしても赤組の子ども、女の子といった属性が残ります。一旦ブロックに置き換えることでその属性は消えます。この置き換えは、数の本質的な概念形成に役立ちます。数は対応関係に注目した概念で、属性を消し去ることがその本質だからです。

問題文という言葉と式という言葉。この2つの言葉だけを行き来することを重視するのではなく、図による視覚化、ブロックのような具体物による操作、この3つを自在に行き来する活動がとても大切です。特に演算の概念形成は、どのような操作がその演算となるのかをしっかりと理解させ、練習では問題文を直接式にするのではなく、その表す状況を絵や図で表し、どのような操作で求められるのかを意識して式を立てるようにさせてほしいと思います。
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