「協働」という言葉を考える
「協働学習」や「地域との協働」のように、「協働」という言葉がよく使われるようになりました。しかし、ただ共同で何かをしているだけ、一方的にお願いをする、されているだけのようにしか見えないことがよくあります。「協働」という言葉に出会うたびに、どのような思いを込めて使わるているのか考えずにはいられません。
学習の場面で使われるのであれば、かかわり合うことにより一人ではできないことができる。一人では気づけないことに気づく。一人で学べなかったことが学べる。このような視点があるのかどうかです。課題や活動が一人ひとりに何をもたらすかを意識して「協働」という言葉が使われているかが気になるのです。このことを明確に意識せずに、ただグループ活動をさせている。まわりと相談させている。このような、ただ一緒に何かをしているだけのことを「協働」という言葉でくくってほしくないのです。 地域との「協働」のように、立場が違うものが一つのことを協力して成し遂げようとするのであれば、互いに対等の立場で話ができる関係である。互いに目的・目標を共有している。互いに知恵を持ちより、自分ができること、自分にしかできないことをやろうとしている。このようなものになっているかどうかです。「協働」とは名ばかりで、こちらが助けてほしいことを一方的にお願いするだけ、ひどいときは、「子どものため」という一言でその目的や趣旨を詳しく説明もせずに、協力しないのは子どものことを考えていないことだと脅迫しているようにしか見えないこともあります。お願いされる方からすれば、ただで使える労働力としか見られてないのかと言いたくなります。「協働」という言葉を使うのであれば、少なくとも何をするか具体的に計画する段階から一緒に考えるべきです。 とりあえず「協働」という耳当たりのよい言葉を使っておけばいいという発想ではなく、「協働」という言葉にどのような思いを込めるのか、意識をして使ってほしいと思います。 授業の導入を考える
授業の導入で大切なことは何でしょうか。前時の復習でしょうか。落語のまくらのように子どもたちのテンションをあげることでしょうか。子どもたちが興味・関心を持つようなものを見せることでしょうか。
国語で目の錯覚について書かれた教材を扱う授業でのことでした。教科書には有名なルビンの壺(壺にも、2人の人の顔にも見える絵)が載せられていました。授業者は子どもに興味を持たそうとネットから見つけてきた、いろいろなトリックアートを子どもたちに見せていました。子どもたちもよく反応しています。授業者が準備したものを見せ終わったのは授業が始まって10分以上過ぎたときでした。その後、教科書の文章を読むのですが、子どもたちは集中して取り組んだでしょうか。実はすぐには集中しませんでした。トリックアートに夢中になっても、教科書の文章を読みたい、理解したいとはならなかったのです。また、トリックアートに興味をもつことはこの文章を理解することとにはほとんど役立ちません。10分以上もかける価値はあまりなかったのです。 導入で大切なことは、できるだけ早くその時間の中心となる課題につなげることです。授業時間は内容に対して決して多くはありません。子どもが集中できる時間は限られています。導入はその目的を達成できるなら、できるだけ短い方がよいのです。復習であれば、その時間で使うもの、必要なものに絞ることが大切です。興味・関心を持たせるのなら、できるだけインパクトの強いものを与えて、すぐに本題に入るべきなのです。先ほどのトリックアートであれば、子どもたちが「えっ!」と思う、これぞというものを見せて、すぐに本文に入るべきだったのです。 導入を考えるときは、その時間の中心となる課題、活動をまずしっかりと組み立て、そのために必要なことは何かを明確にしなければなりません。子どもたちにとって必然性のない課題であれば、必然性を持たせる。前提となる知識が必要であれば、その知識を復習する。求められるものによって導入の形も異なるのです。中心となる課題、活動に限られた時間、エネルギーを集中させるためにも、導入は効率よく、できるだけ短くするのがポイントです。漫談のような授業の内容と関係のない話をするのは論外です。このようなことを意識してほしいと思います。 昔の同僚と会う
先日、高校教員時代の同僚と食事をする機会がありました。今は管理職となっていますが、当時と変わらず授業のことを楽しそうに話す姿に、彼の教師としての原点を感じました。
管理職ですので、保護者からの苦情やトラブル対応も結構大変なようです。その話しぶりからすると、どちらかというと保護者より教師の方に苦労しているようでした。教師が保護者とコミュニケーションをうまく取れないことが原因のようですが、管理職が注意をすれば改善されるというわけでもないので、ストレスがたまるようです。本人が自分でそのことに気づくことが一番よいのですが、これはなかなか難しいことです。自分と保護者とのやり取りを第三者の視点で観察するのが近道ですが、ビデオに撮っておくというわけにもなかなかいきません。ロールプレーイングによる研修が増えてきているのもうなづけます。 自分の授業を生徒に評価させるなど、授業をよくすることにこだわりを持っている教師ですから、他の教師の授業のことも気なるようです。しかし、根本的に授業感が違うとなかなか話もかみ合わないということです。高校ではよくあることなのですが、学校が目指す子どもの姿が不明確で共有されていないことがその原因の一つのようです。進学率を上げるといった表面的なものを価値基準の中心に置くことが多い、高校の問題点だと思います。 初任を対象の研修会の授業検討会で、初任者たちが抽象的にほめ合うばかりで、授業者の解釈間違いや正しい解釈につながる子どもの発言をとりあげなかったことがとても気になったようです。水を向けても食いついてこず、日ごろは温厚な彼もさすがに厳しい言葉になったようです。互いにほめ合うだけで、深く議論しないのは最近の若者の特徴だと感じているようでした。たしかに、私もそのように感じる場面があります。これは、日ごろの授業検討会でも言えることのように思います。互いによいところを指摘し合うのはいいのですが、それで終わっては深まりません。たとえば、「子どもが活発に発言してよかったと思います」に対して、「それは具体的にどのような場面ですか」「他の先生はその場面をどのように感じましたか」「子どもが活発に発言した理由は何でしょう」・・・と、切り返していくことが大切です。授業と同じですね。 3時間あまり楽しく話をさせていただきましたが、高校の管理職の抱えている課題も色々と見えました。一番感じたのは、このような話を気軽する相手が管理職にはいないということです。彼のストレスが私と話したことで少しでも軽くなってくれればよいのですが。 研修の事前打ち合わせ
昨日は、夏休みにおこなう市の研修の打合せをおこないました。受講者の模擬授業を中心に2回おこなうもので、今年で3年目となります。3年目ともなると、昨年と同様でと依頼されることも多いのですが、担当者からいくつか提案がありました。
一つは、模擬授業のポイントを「導入の工夫」と「子どもの考えを活かす話し合い」の2点に絞ることです。担当者が先生方の授業を見ていて弱いと感じられているところです。 もう一つは、代表の数人がおこなっていた模擬授業をグループ内で全員がおこなうというものです。一人あたりの時間はあまり多くはとれませんが、参加者に少しでも多く学んでもらうためにです。また、受け身の時間を減らしたいということもあります。実習がグループ単位で個別にコメントできないので、打合せの結果、教材を絞ることにしました。共通の教材で模擬授業をおこなうことで、互いの授業からより深く学べると考えたからです。 この提案を受けて、私も講義の形を少し変えようと思いました。最初の講義は互いの授業をより深く見るために、導入の視点を中心に話し、次にグループでの模擬授業を具体例として、どのようにすればよりよくなるのかを話すことにしました。こうすることで、私も皆さんの模擬授業からより多くのことを学べると思います。 市町の研修は、内容にあまり注文をつけずに講師にお任せしますということがよくあります。また、何年も続く研修となると、その企画はマンネリになりやすいものです。今回のように、担当者の視点でよりよい研修にするための改善点を提案いただけることはとてもうれしく、ありがたいことです。担当者の提案によい刺激を受けることができ、今後他の研修にも役立つようなものが生まれてくる予感がします。本番が今から楽しみです。 子どもへの呼びかけを考える
「掃除をしっかりしよう」「身の回りの整理整頓をしよう」というように、子どもたちに呼びかけることがたくさんあると思います。4月当初はきちんとできていても、そろそろ中だるみをしてくるかもしれません。きちんとできるようにするためにはどのようにすればよいのでしょうか。
まず、子どもたちへの呼びかけが、具体的にどのような行動をすればよいのか明確になっている必要があります。「掃除をしっかり」とは、具体的にどのようなことか客観化しておく必要があります。子どもによって「しっかり」の内容は大きく違います。教師が考える「しっかり」と子どもの考える「しっかり」のずれを埋めておくのです。(目指す学級の姿を具体的にする参照) また、「しないさい」と命令するのではなく、「しよう」と促すことも大切です。命令形に慣れていくと、命令されなければ動かない受け身な子どもになっていきます。 そして、呼びかけるときに大切になるのがそのタイミングです。できるだけ、その行動と近いタイミングで話すのです。給食後に掃除をするのであれば、その直前、給食が終わった後に呼びかけるのです。朝に話をしておいて、もう1度軽く念を押すというのもいいでしょう。こうすることで、よい行動を引き出しやすくなります。その上で、きちんとできたことをほめるのです。初めのうちは「うれしい」「ありがとう」といったIメッセージを多用します。できなかったことを叱るのではなく、できたことをほめることが大切です。ほめることでよい行動を強化するのです。 往々にして、掃除がきちんとできていないことに気づくと、できるだけ早く修正しようと、その日の帰りの会で掃除の悪かった点を指摘し、明日はしっかりやろうと呼びかけてしまいがちです。大切なのは次の行動です。言われたことは時間がたてばどうしても意識から薄れ、そのときはちゃんとしようと思っていても、次の日には呼びかけられたことを忘れて行動してしまいます。その結果、怒られたりすれば嫌な気持ちになります。こういうことが何度かあると、教師からの呼びかけが負の気持ちに連動するものになってしまい、教師の呼びかけを嫌だなと感じ、逆の方向に行動してしまいます。 また、整理整頓のように、そのための特別な時間が取られていないことであれば、気をつけようと言って終わりにするのではなく、できるだけすぐに実行させます。その場で、机やいすを整頓したり、まわりのゴミを拾ったりさせるのです。言いっぱなしで行動の確認を取らないと、教師の言葉が実効のないものになり、「聞き流しておけばよい」と思うようになっていきます。できていなかったことに気づかせ、行動させ、できた(やった)ことを評価することでよいサイクルができていきます。 4月当初と比べて、掃除が雑になってきた、教室が乱れている。そのようなことを感じるようでしたら、ここで述べたようなことを確認して、修正を心がけてください。 学業にかかる費用を考えさせる
子どもにはお金のことを話さない家庭が多いのではないでしょうか。学校の集金もほとんどが振込で、子どもが自分の学業にかかる費用を意識することはあまりないように感じます。せいぜい学用品を自分の小遣いで買う時ぐらいなのではないでしょうか。少なくとも高校進学までには、自分の学業にかかる費用を考えさせる必要があると思います。義務教育が終われば、自らの意志と負担で学生生活を送るという自覚を持つべきなのです。高校授業料の無償化で、このあたりのことがますます曖昧になっているように思います。
学校運営にかかわる費用を児童生徒の人数で割ってみると、驚くほど高額であることに気づきます。教師の給与だけを考えても、その額の大きさがわかることと思います。1人当たりの年間の費用はほとんどの場合、保護者が払っている年間の税金を上回っているはずです。それだけ公費が教育に投下されているのです。 一方、それだけ社会が費用を負担しているにもかかわらず、保護者の負担もかなりのものになるはずです。学用品や、体操服、修学旅行の積立金などばかになりません。 こういった金額を子どもたちに示して、自分たちが学ぶ意味を考えてさせてほしいのです。子どもは保護者や社会の庇護を受けています。それを当たり前のことのように考えすぎているように思います。感謝しろと言っているのではありません、自覚してほしいのです。 「勉強しなくて困るのは自分だ」ということは間違いではないのですが、個人の問題だけではないのです。家庭や社会の問題でもあるのです。 奨学金の手続きのとき、「誰がお金を借りるのか」と確認すると、驚くことに「親」と応える子どもがたくさんいます。こういう子たちは自分が学ぶために、自分が借金するのだという自覚がないのです。 学校や家庭で学業にかかる費用を話題にしてみてください。学業にかかる費用を考えることを、自分たちが学ぶ理由や意味を問い直すきっかけにしてほしいと思います。 特定の子どもと関係が悪くなったとき
教師と子どもの関係はちょっとした行き違いでこじれることがあります。相性が悪いとしか言えないようなこともあります。「あの先生は私のことをわかってくれない」「私のことを嫌っている」と感じたり、「あの子はどうも私に反抗的だ」「私の言葉を素直に聞いてくれない」と感じたりして、ぎくしゃくした関係になってしまうこともよくあります。特定の子どもとの関係が悪くなったとき、どのようにすればよいのでしょうか。
教師が関係改善を意識して今まで以上にかかわろうとすると、かえって反発が強くなることがあります。あせらず、少し距離を置いて、子どものようすを観察してみてください。このとき、子どものよいところを見るように意識してほしいのです。関係が悪いときは教師も無意識のうちに子どもの悪いところを見てしまいます。悪いところを見れば、ますます関係が悪くなります。この負の連鎖を断ち切るのです。距離を置いて、子どもを冷静にみるだけでも、関係は改善してくることが多いように思います。 とはいえ、教師への反発が、周りの迷惑になるような行動や、宿題をしてこないといった形で表れてくればほっておくわけにもいけません。特に他者に迷惑をかける行為はきちんと叱る必要があります(規律を守れなかった子どもの指導参照)。その一方で、第三者の助けを借りることも考えてください。その子どもとの関係が良好な同僚がいれば、事情を話して不満な点を聞いてもらうのです。大切なことは、諭してもらうことではなくその子どもの本音を聞いてもらうことです。第三者に打ち明けることで、気持ちが整理され自然によい方向に向かうこともありますし、不満の原因が教師の思ってもみなかったことだとわかることもあります。また、その子と仲のよい友だちと教師とが良好な関係であれば、その友だちに聞いてもらうように頼んでもよいかもしれません。いずれにしても、その不満の原因に思い当たることがあれば、そのことを子どもにきちんと説明することが必要です。誤解であればきちんと解く必要があります。教師の立場から一方的に話をするのではなく、たとえ子どもの言っていることが理不尽であっても、まずはきちんと受け止めることを忘れないでください。教師の方が大人なのですから。このとき、間に入ってくれた同僚や友だちに同席してもらうのも互いに冷静になるには有効です。 時には保護者に間に入ってもらうことも解決を早めます。保護者に子どもの言い分を聞いてもらうのです。そのことをお願いするのに、教師が自分の立場や都合を前面に押し出し、言い訳じみたことや上から目線で話をしないように注意してください。あくまで、保護者に助けてもらうという姿勢を崩さないことです。お願いする時点で、保護者が子どもから話を聞いていて、一方的に攻撃される可能性もあります。その場合でも、まずは言い分をしっかり聞いて、その上で、冷静に伝えるべきことを伝えてください。子どもにとって一番よい解決を保護者と一緒に考えようとしていることを、まずは理解してもらうようにします。このことを理解していただければ、問題の解決に向かって大きく進むはずです。 教師も人間です。相性のよくない子どももいます。無理して自分一人で解決しようとせず、時にはまわりの人たちに助けてもらうことも大切です。うまくいかなくなった子どもとの人間関係は、あせらずに時間をかけて改善しましょう。 「学校、家庭、地域の連携」について講演
昨日は小中学校の保護者対象に「子どもたちの健やかな成長を目指して」と題して、学校、家庭、地域の連携についてお話をさせていただきました。
はじめに、健やかに育つとは具体的にどういうことか何人かの方に質問しました。「元気」「笑顔」「楽しい」といったキーワードと「体」「心」というキーワードが出てきました。子どもたちが元気に笑顔で心身ともに健康であってほしいということです。 子どもたちのそのように育ってほしいと考えたとき、学校、家庭、地域にはそれぞれの役割があり、互いに連携を取ることが大切です。そのとき、大切にしてほしいことは、何かをするから、このことを「手伝ってほしい」と、お願いするのではなく、子どもたちにこのような「成長をしてほしい」、そのために「手伝ってほしい」と目指すものを共有することです。目指す子どもの姿を共有し、また、その結果、子どもがどのような姿を見せてくれたかきちんと伝えあう。こういう姿勢が必要なのです。 家庭の役割としてお願いしたのが、「子どもの居場所をつくる」「存在を無条件に認めてあげる」ことです。「あなたはいい子だからおかあさんは大好き」「勉強を頑張っているから」「やさしいから」といった条件をつけるのではなく、何があっても大好き、愛しているというメッセージを送ってほしいのです。子どもに自己有用感を持たせるためにも、家庭での役割を与えて、「ありがとう」という言葉を子どもにかけてほしいのです。 学校の役割は、子どもを次代の社会の担い手に育てるための、知識や力を獲得させることです。 地域の役割は、子どもたちを取り巻く身近な社会として、子どもを見守り、社会的な成長の場を与えることです。 地域との連携という意味では、子どもに役割を与えること、活躍できるチャンスを与えること大切にしてほしいことを伝えました。観客席から舞台に上げるのです。 具体的には、たとえばイベントであれば、お客から、企画や運営する側に参加させるということです。子どもたちに、大人と一緒に何かをつくり上げる、大人から感謝される、時には大人から叱られる。こういう経験を積ませてほしいのです。子どもに対して上から目線ではなく、正面から向き合い、時にはぶつかりあい、一緒に悩み苦しみ、一緒に感動する。そういう場をつくってほしいのです。こういうことが、子どもたちに自己有用感を持たせ、成長するきっかけを与えるのです。 私の見てきた取り組みの具体的な話も交えながら、このようなことをお伝えしました。 大変熱心に聞いていただけ、質問もたくさんいただきました。また、個別に教師にかかわることも相談されました。若い教師が保護者とうまくコミュニケーションをとれていないと感じるものと学級規律をきちんと確立するためのスキルがないと感じるものでした。保護者ではなく、実際にその教師とお話しすることができれば解決が早い内容でしたが、それもかないません。保護者の立場からできることをアドバイスさせていただきました。私にとっても保護者の視点からの相談は新鮮で、とても勉強になりました。 今回の話が、この学区の子どもたちを育てる取り組みに少しでも参考になればと思います。私にとっても、とても楽しく、勉強になる時間をでした。このような機会をいただけたことに感謝です。 試験が終わった後、何を意識すればいいのか
多くの中学校では中間試験の時期だと思います。特に1年生は初めての定期試験で緊張していることと思います。試験が終わった後、担任はどんなことを意識すればよいのでしょうか。
試験が終われば先生方は採点業務で忙しいと思いますが、一方の子どもたちはプレッシャーから解放されて気持ちが緩むときです。中途半端に緩めるのではなく、試験が終了したその日は思いっきり解放させ、翌日からリセットしてまたふだんの生活に戻すことが大切です。 「今日1日は、思いっきりリラックスして、明日は全員元気な顔を見せてね」 このような話をするとよいと思います。ポイントはリセットして次の日からいつもの生活に戻ることを意識させる言葉を入れることです。 試験の結果が出ると、自信を失くし落ち込む子どもも出てきます。また、よい結果に満足して気が緩んだままになってしまうこともあります。いずれにしても、子どもに何らかの心の動きが起きるときです。このタイミングをうまくとらえて働きかけることで、子どもたちをよいい方向へ変化させることができます。試験の結果を反省することより、次の行動を促すようにすることが大切です。「次の試験では、早めに勉強して頑張る」といった反省はあまり意味がありません。今日からできることを考えて実行させるようにします。うまくいかなかった子どもにとっては、試験の結果が出た直後が一番頑張らなければと思うときです。ここでうまく生活のリズムをよい方向に持っていくことを意識させるのです。毎日の学習をうまくやれた子どもの体験を共有し、学級に対して「今日から○○しよう」と前向きな言葉をかけるようにしたいものです。 一方で、深く落ち込んでいる子どもには、個別の対応が必要です。特に1年生は、学校内での相対的な自分の位置を初めて知らされ、自己有用感を失くしてしまうことがよくあります。励ましたり、あれこれアドバイスしたりすることよりも、まず子どもの気持ちを聞いてあげることが大切です。「なるほど」と、その気持ちを受け止めた上で、「どうしようと思う」と問いかけることや、「どうすればいいか一緒に考えよう」と寄り添うことをします。子どもの口から、今できることを何か一つ引き出せればとりあえずOKです。思い悩むことから、行動することへとフェーズを変えることが大切だからです。そのあとも、ふだんの様子を観察し、ときどき「調子はどう」とたずねます。もし、うまく行動に移せていないようだったら、「そうなんだ。また君の時間がある時にでも話を聞かせてよ」ととりあえず次につなげる言葉をかけておき、しばらく様子を見ます。すぐに話をしようと反応すると、先生が気にしている、先生にチェックされていると感じることがあるからです。その後も改善されていないようだったら、そこでもう一度話を聞きます。このような子どもとのかかわりの距離感を大切にします。 学習面にかかわらず、担任にとって学級全体に対してメッセージを発信することや一人ひとりの子どもの話を聞くことなどの働きかけは大切な仕事です。全体へはどのようなメッセージをどのタイミングで発するか、一人ひとりの子どもには声をかけるべきか、しばらく様子を見るべきかといった距離をどのくらいにとるかがポイントになります。試験が終わった後というのは、子どもの心に動きが起きる、担任が意識して子どもたちに働きかけるべきときなのです。 PTAのHPに注目
学校HP(ホームページ)が変化してきている話(学校HPの変化参照)を以前しましたが、最近注目しているのがある中学校のPTAのページです。
「PTAの部屋」という学校HPから見ることができるブログ形式のものですが、今までは教頭が随時更新をしていたそうです。ところが、今年度学校HPがリニューアルされ、学校の思いが明確な形で発信されるようになったことに刺激されてか、PTAで更新をしたいと要望があったそうです。それを受けて更新・内容をすべてお任せすることになったようです。学校HPの中に入っているようにみえますが、まったくの独立サイトのようです。 とはいえ、学校HPと連動しているサイトの運営をPTAに完全に任せることには、勇気がいります。単なる連絡掲示板のようになってしまうのか、それとも学校とうまく連携がとれたものになるのか、どのようなものになるか注目していました。 ふたを開けてみれば、学校の発信と連動して、保護者の視点でそれどう受け止めているか、どうあろうとしているかが発信されています。学校の発信をただ受けて理解しているだけではなく、それを我が事として考え、深め、こうありたいと発信しているのです。 これも1歩進んだ学校HPのあり方だと思います。学校の発信に対して保護者がどう感じ、どう応えようとしているかが伝えられることで、学校の思いが多くの方により深く理解され、また学校側もそれに応えようとより一層の努力をすることでしょう。学校の発信とPTAの発信がうまく共鳴し合い、学校にかかわる人たちを色々な方向から包み込むようにして、学校の教育活動に巻き込んでいくように思えます。 PTAにサイトの運営を任せればうまくいくというものではないでしょう。サイトを運営する役員の方の個人的な力量の問題もあるでしょう。しかし、学校側が伝えたいこと、伝えるべきことを明確に発信してれば、どの学校でも起こりえることでもあります。 学校の発信の質の変化が学校にかかわる人たちにも変化を促していくように思います。この学校で起こっているようなことが、他の学校でも起こってくると思います。新しい学校とPTAのかかわり方の形として、しばらくこのサイトから目が離せません。 長瀬拓也先生から学ぶ
本年度第1回目の教師力アップセミナーは、中津川市立蛭川中学校の長瀬拓也先生の講演でした。会場を大口町立大口中学校へ移しての初めてのセミナーということで、運営上のいろいろな課題もありましたが、多くの方の協力で無事に終えることができました。
長瀬先生は教職9年目という、まだ若手と言ってもよい方です。今回の講演は「教師の成長」にスポットをあてたものでした。若い先生とお話をしていると、すぐに使える How to を求められることが多く、またそれに応えようとしていたのですが、成長するための方法、アプローチを一緒に考えることが必要だと気づかせていただきました。 失礼な言い方かもしれませんが、お話を聞きながら長瀬先生は「発展途上人」だと思いました。自分を見つめ、自分が成長するために必要な行動をとり、日々前へ向かって進んでいる。その勢いを感じました。この先5年、10年とどのように変貌していくかとても楽しみな方でした。 年齢の近い方から「共感を持って聞くことができた」「自分の教師としてのこれからの生き方の参考になった」という感想を聞くことができました。私のように年齢を重ねたものにとっても、自分の原点はどこにあるか見直すよい機会でした。 私の成長のキーワードを振り返ってみると「見る」ということでしょうか。自分の目で見た授業やできごとからいかに多くのことを「学ぶ」か、そしてそれを自分の言葉でどのように整理し「語る」かが私の成長の原点であると再認識できました。 話は少しそれますが、かつて私はよい授業を見ることが成長への近道だと考え、よい授業を見ることにこだわっていました。しかし、よい授業にこだわるのではなく、目の前の授業から何を学べるかが大切だと思うようになりました。たとえ未熟な新任の授業でも、子どもの事実と、その原因、授業者の思いとの関係などを見つけようとすることではまた違ったものが得られるからです。このことに気づいてからは授業を見ることからの学びが豊かになったように思います。私が学校から講演をお願いされるとき、たとえ廊下からでもよいから授業を見せていただくことを条件にしている理由がここにあります。 若手の先生方に、目先の問題解決ばかりでなく、いかにして教師として成長していくかを一緒に考えることをもっと意識しなければいけない。このことに気づけた、私にとってとても有意義なお話でした。また、自分の成長のキーワードが「見る」であることを意識できたことで、今後、若手の先生に「見る」ということと教師の「成長」とを結びつけて伝えることができるようにも思います。充実した時間を過ごせたことを長瀬先生に感謝します。 「学級経営のポイント」について講演
昨日は中学校で「学級経営のポイント」についてお話をさせていただきました。特に学級の状態の「チェックと修正」を中心に話しましたが、たまたま5月の連休明けという大事なチェック時期ですので、例としてこの時期にすべきチェックをリストアップしてみました。
・基本的生活習慣の確立(特に1年生) 学習と部活動の両立 学習習慣の確立 欠席・遅刻・早退 ・人間関係(友人関係の再構築の時期) どういうグループがあるか 学級内の友人関係と他の学級との友人関係 孤立していないか ・学習規律の確立(授業態度) 集中力・指示への反応 聞く姿勢(教師・友だち) ・生活規律の確立 時間を守れるか 規則を守れるか 掃除がしっかりやれているか ・進路指導面(特に3年) 真剣に向き合えているか 不安を感じていないか ・・・ こういうチェック項目を時期ごとにリストアップするのは個人では意外と大変かもしれません。学年や学校全体で時期ごとのチェック項目をつくっておくとよいと思います。 チェックの方法ですが、大きく3つあると思います。 ・毎日の観察 定点チェック 欠席・遅刻・早退 下駄箱 ロッカー トイレのスリッパ 始業前のようす ・・・ 声かけ 空き時間に他の教科の授業を覗く 他の先生からの情報(授業・部活動・委員会活動etc.) ・データ 成績 絶対と相対 平均より度数分布 個人の変化 アンケート 平均と個人の差を見る 同じ項目で変化を見る 相談したいことがあるかを問う 生活記録・学習記録 変化に注目 ・面接・面談 個別 個人カルテをつくっておく グループ 保護者 特に観察は、意識していないことは目に入らないので、何を見るかを明確にしておくことが大切です。また、ベテランと若手の差のつきやすいところでもあります。観察するには、比較の基準を持つことが大切ですが、多くの学級を見てきたベテランは色々な学級の状態を知っているので、しっかりとした基準が持てているのです。経験の少ない若手は、他の学級のようすを学級経営の視点で観察し、その変化を見ることで経験値を増やしてほしいと思います。よい方向に変化していれば、間違いなく担任の働きかけがあったはずです。そこを知ることで観察のポイントと対応が明確になります。それがわからないときは思い切ってその担任に質問してみるとよいでしょう。きっと快く教えてくれるはずです。 チェックの結果、問題点が明らかになれば修正が必要になります。その視点の一つが、個の問題であるか、全体の問題であるかです(個の問題か全体の問題か意識する参照)。 要所要所で学級の状態をチェックし、早めに対応することが学級経営のポイントになります。 今回、若手だけでなく、ベテラン(特に女性)の方にも熱心に聞いていただけました。私の話がこれからの学級経営に少しでもお役に立てばうれしく思います。 何が大切か判断する力をつける
授業中、「ここが大切」だと教師が強調することがよくあります。子どもたちに意識させて、しっかり身につけてほしいからです。「大切だから試験に出します」といった表現もよく耳にします。しかし、いつも教師がここが重要だ、大切だと子どもに示していると、自ら判断する力がいつまでたっても身につきません。
自分で学習することを考えれば、何が大切か、どこがポイントかを自分で判断する力が重要なのは間違いありません。いつも受け身で教師の指示に従い、板書を写し、教師が示す重要なところに線を引き、それを覚える。確かにその教師がつくる試験にはこれで十分対応ができますが、これが勉強だと勘違いしてしまっていては困るのです。自ら学べる子どもにするためには、判断する場面をたくさん経験することが大切です。たとえ判断を間違えても、その経験を積み重ねることで正しい判断ができるようになります。 最近はあまり聞かなくなりましたが、私が学生の頃は試験に「山を掛ける」ということをよくやっていました。あまりほめられてことではありませんが、試験の範囲をすべてやる代わりに、出題されそうなところを集中して勉強することです。山が当たる当たらないで、結果は大きく違います。しかし、試験には重要なことが出題されるわけで、何が重要かを判断するという意味では、あながち間違っているとはいえない学習方法なのかもしれません。 要は何が重要かを判断するというメタな力をつけることを意識してほしいのです。子どもは楽をしてよい点数を取りたい。教師は大切なことを身につけてほしい。両者の思惑が一致して、「ここが大切」と教師が伝える授業をつくっているのです。しかし、ここで止まってしまっては、結局誰かに教えてもらわなければ、極論すれば「ここが試験に出る」と言ってもらわなければ、勉強できない子どもになってしまうのです。目先のことにとらわれすぎてはいけないのです。 「今日の授業で何が大切だったか」 「何がわかれば、よかったか」 「他の場面でも利用できそうなものは何か」 「いつでも言えることは何か」 「共通していたことは何か」 「何が今までと異なったか」 ・・・ 教師が常にこのような問いかけをし続けることで、自ら問いかけるようになっていきます。その結果、何が大切か、重要かが明確になり、自ら判断できるようになるのです。 人は一生勉強を続けなければいけません。子どもたちにその基本となる「学ぶ力」をつける必要があります。その一つが、「何が大切かを判断する力」です。こういう目に見えにくい力をつけることも意識してほしいと思います。 解いた問題量と成績は比例する!?
「解いた問題量と成績は比例する」ということを言う教師がいます。私はこのようなことは絶対に言いません。逆にこのことを強く主張する教師を信用するなとも言っています。
解いた問題量が0に近い子どもが問題に挑戦すればまず間違いなく成績は上がると思います。しかし、あるところで頭打ちになってきます。理由はいくつかありますが、やみくもに問題を解いて身につく力は限られていること、学習時間に限界があるため1日あたりの解く量には限界があることが主なものです。 問題を解いて、知識や解き方のパターンを「覚える」という学習では、結局記憶量を増やすということです。覚えても忘れることは当然ありますが、単純にたくさん覚えればそれだけたくさん忘れるわけで、効率は漸減していきます。知識を有機的につなげ、より上位の概念で統合するといったことをしていかないと効率は上がりませんし、活用することもできません。ただ解けばいいというものではないのです。運動を例にすればわかると思いますが、練習量は大切な要素ですが、その内容も問われます。工夫はとても大切なことです。また、1日当たりに可能な練習量にも限界があります。そのため効率的な練習が求められるのです。 とはいえ、問題をたくさん解くことを否定しているわけではありません。ただそれだけでは到達できる場所は限られているのです。小中学校では求められる知識や力はそれほど高いものではありません。問題量だけでもクリアできることが多いのも事実です。しかし、高校ぐらいの内容になってくるとそうはいきません。高校になって勉強がやりきれない、時間が足りないと学習面の悩みを訴える子どもの多くは、覚える、問題を解くことのくり返しで学習していることが多いのです。 逆に中学校では求められる知識は相対的に少ないので、単に問題を解く、解ければよいという学習から、自分で知識を整理し、メタな考え方を身につけるような学習へと質を変えていくだけの余裕があるはずです。早い時期に質の転換をはかるべきなのです。 また効率的に問題を解くという視点では、すべての問題を解くのではなく、どの問題を解けばいいか考えることも大切です。数学などでは、たくさん解くのではなく、深く解くという考え方もあります。1つの問題を徹底して考えることで、何十問、何百問を解くこと以上に力がつくこともあります。 「たくさん問題を解きなさい」というのは教師にとって安直な指導です。教師は問題を準備するなどの環境面さえ整えれば、あとは勉強ができないのは、問題を解かなかった子どもが悪いという言い訳をしているようなものです。授業を通じて、どのように学習すればよいのか、また問題とどのように向かい、そのことをどうやって活かすかをきちんと指導しなければなりません。もちろん学習には個人の能力や特性によって適した学習方法は異なります。だからこそ、自分で見つけろではなく、それを見つけるための方法論やアプローチを示してほしいのです。 私は高校教師として中学時代トップクラスの学力だったはずの子どもたちが伸び悩む姿をたくさん見てきました。その多くが、解いた問題(勉強)量と成績が比例すると信じ、学習の質を変えることに気づけなかったことが原因のように思います。彼らの学習の質を変えることができなかったことが今でも悔やまれます。なまじ中学校で成功体験を積んでいたことが災いしたのかもしれません。 「解いた問題量と成績は比例する」というのは一面では正しいことです。しかし、安直にこのことだけを子どもに強いないようにしてほしいのです。「解いた問題量で成績を上げる」という成功体験から早く子どもを解放してほしいのです。 私が、「解いた問題量と成績は比例する」と決して言わないのはこういう理由からなのです。 個の問題か全体の問題か意識する
学級が落ち着かない、授業に集中しないと感じるときがあると思います。このように、うまくいっていないと感じることが学級にあるとき、どのように対応していけばよいのでしょうか。
まず、その理由を少し詳しく考えてみます。たとえば落ち着かない状態と感じる場合、どの子とどの子が落ち着いていないと具体的に特定できる状態なのか、それともかなりの数の子どもがそういう状態なのか。特定の場面なのか、いつもなのか。そういったことです。特に意識してほしいのが、特定なのか多数なのかです。個の問題か全体の問題といいかえてもよいでしょう。 一般的には個の問題が全体に広がっていくということが普通です。個の問題であるということは、早期にその兆候をつかんだともいえます。全体の問題であれば、個の問題が広がった状態なのか、行事の後などで一気になったのかどちらかの場合が多いでしょう。 では、その対応です。個の問題の場合、多くの子はきちんとしているわけです。それなのに全体を注意してばかりいては、彼らがいやになりますし、その原因となっている子どもに対しても悪感情を持ってしまいます。最悪の場合、教師に対する反発が、乱す子どもへの同調となって表れます。このようなことを避けるため、全体に対する注意をせずに、個の子どもに対して、「・・・しよう」とよい行動を促すようにします。もちろん、よい方向に変わればすぐにほめることも忘れてはいけません。 なかなかあらたまらない場合は強く叱ることも必要ですが、短く済ませて他の子どもの時間をとらないようにします。そのかわりに、放課後に時間をとってじっくり話をするなどの対応をすることになります。時間をかけて話を聞くことで思わぬことが原因として見つかることもあるのです。このように、個の問題は全体と切り離して対応することが大切です。一方で、個にかかわりすぎて他の子どものことが置き去りになってはいけません。きちんとできている多くの子をちゃんとほめることも忘れないようにしてください。 全体の問題の場合でも、きちんとしている子どももかなりいると思います。全体に対して注意することは有効ですが、自分のことではないと思う子どももいます。学級全体の問題として意識させることが大切になります。朝の時間や帰りの時間を使って、今の学級の状況をどう考えるか、それに対してどうするかを考えさせます。学級の目標にして、チェックする習慣をつける方法もあります。そのとき、「できなかった」を注意するのではなく、「できた」をほめるようにすることが大切です。進歩をみるようにすれば、たくさんほめることができるはずです。 学級に対して感じるマイナスな状態は、素早く対応していくことで問題が大きくなる前に解決できます。個の問題か全体の問題かを意識して、それに応じた対応を心掛けてほしいと思います。 保護者からの相談への対応
子どもについての相談で保護者と話をすることがあります。ときには、苦情を受けることもあります。ちょっとした言葉の行き違いがトラブルにつながることもあります。保護者とへの対応ではどのようなことに気をつければよいのでしょうか。
次の例を見てください。 「うちの子が、どうも学校がつまらないようなのですが」 「そうですか? 授業中もしっかり手を挙げていますし、友だちとも仲良くしていますが・・・」 「うちの子が、どうも学校がつまらないようなのですが」 「なるほど、学校がつまらないようなのですね。授業中もしっかり手を挙げていますし、友だちとも仲良くしているように感じますが・・・。もう少し詳しく聞かせていただけますか」 保護者から学校がつまらないようだと相談されています。教師から見ると全くそういうことはないので、安心してもらおうと学校での様子を伝えているのですが、最初の例では、「そうですか?」と疑問で受けています。保護者からすると自分の言葉を否定されているようにも感じます。一方後者の例では、「なるほど」と受容してから保護者の言葉をくり返しています。聞いてもらえたと感じます。また、「感じます」とやや曖昧に言うことで、否定のニュアンスを弱めています。 保護者は自分の言葉を教師に聞いてもらえるか不安に思っています。たとえ保護者の意見が受け入れがたいものでも、まずは、きちんと聞いていることを伝え、その上で、こちらの考えを伝えるという手順を踏まなければいけません。 先ほどの続きです。 「実は先日、食事の時に学校はどうと聞いたところ、つまらないと答えたので、詳しく聞こうとしたのですが、答えてくれなかったので気になっていたのですが」 「そうですか。わかりました。友だちとけんかでもしたのかもしれませんね。私の方でも注意して様子を見ておきます」 「実は先日、食事の時に学校はどうと聞いたところ、つまらないと答えたので、詳しく聞こうとしたのですが、答えてくれなかったので気になったのですが」 「なるほど、それでご心配だったのですね。ご相談いただき、ありがとうございます。どうでしょう。2・3日のうちに私の方で一度話を聞いてみて、その上でもう一度お話させていただきたいと思うのですがどうでしょうか」 保護者からの具体的な話に対して、最初の例では、友だちとけんかしたのかもしれないと言っています。保護者の心配を軽くしようとして言っているのでしょうが、聞き様によっては、これも保護者の考えを軽んじているようにもとれます。また、注意して見ておくといっても、フィードバックをどのようにするか伝えていないので、うやむやにされてしまうように感じられるかもしれません。一方後者では、「ありがとう」とお礼を言っています。保護者から相談を受けることを肯定的にとらえていることを伝えると同時に、子どもに関することは自分の問題でもあると伝えていることにもなります。また、時間を切って対応とフィードバックを示したうえで、「どうでしょうか」と保護者の同意を求めています。子どもをはさんで向かい合うのではなく、親と同じ側に立って寄り添っていると感じてもらえます。 時として、保護者と教師が子どもを間に挟んで対立的な立場にあるように感じられることがあります。教師は保護者と一緒に考える姿勢を見せて、子どもを育てる仲間であることを伝える必要があります。まずは、保護者の言葉を受け止めて、その上でこちらの考えを一方的にならないように伝えることが大切です。対応についても保護者の意向をきちんと確認することが必要です。 保護者は教師にとって子どもたちを育てるための大切なパートナーだということを意識して接してほしいと思います。 保護者の授業を見る目
学校公開日などで保護者へのアンケートをどのように実施するかということは、学校ごとに工夫がされています。先日の研究会でも話題になったのですが、特に授業についてのアンケートをどう考えるかは悩ましい問題です。
・そもそも保護者は自分の子どもしか見ていない、信頼に足る意見が得られるのか。 ・アンケート(評価)項目を工夫することで、有意義な情報となる。 ・アンケート(評価)項目を保護者と一緒につくることで、保護者の視点がわかるし、学校側の視点も伝えることができる。 ・保護者のアンケート結果と、ふだん校長が授業を見て感じているものとのずれは少ない。保護者に授業を見る目はある。 ・自由記述欄に書かれたことが、保護者の言いたいことだ。それをきちんと受け止め対応していくことで保護者の信頼や理解が得られる。 ・・・ いろいろな考えがありますが、学校の一番の根っこである授業に関して、保護者とのコミュニケーションを否定的にとらえることは、マイナスのように思います。 確かに、保護者の興味は自分の子どもが中心でしょうが、少し意識を変えていただければ授業を見る目は十分に信頼できるものになると思います。 昨年度PTAで講演したときに世話役だった方から先日届いたメールに、授業参観の話がありました。 今までは授業参観は自分の子どもの授業態度ばかり見ていたが、今回は「どんな授業の進め方をしているのか?」「子どもたちはどんな反応をしているのか?」と自分の子ども以外の態度まで気にして、まるで先生を審査するように見たそうです。先生によって本当にいろいろで、ベテランだから授業の進め方が上手というわけでもないと思ったそうです。 実際にこの方の感想が的を射たものであるかどうかははっきりとは言えませんが、授業の進め方、他の子どもの態度に注目したという時点で、かなり信頼に足る、聞く価値のあるものだと思います。 この方は、私の講演後ときどきこの日記を見て、子育ての参考にしていただいているそうで、とてもうれしく思っています。この日記を通じて、授業を見る視点を意識されたことが授業参観の仕方を変えるきっかけになったのだと思います。 授業で何が大切なのか、何を大切にしているのか。どこを見るべきなのか、どこを見てほしいのか。このことがきちんと保護者に伝わっていれば、授業のアンケートはとても有効なものになると思います。学校が目指す授業をポジティブに評価していただけ、先生方が元気になるはずです。学校HP(ホームページ)で、授業のよい場面やその解説を毎日のように発信している学校があります。こういう学校は間違いなく保護者の授業評価を意識しているはずです。保護者の授業を見る目を肥やした上での授業アンケート(評価)がどのようになるのかとても楽しみです。 「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の開催決定
「愛される学校づくりフォーラム2013 in 東京」の開催が決定しました。
前回のフォーラムを受けて、再度名人にICTで挑戦ということで、今回はベテランの佐藤正寿先生(佐藤先生ブログ)が有田先生に社会科で挑戦します。申込み等については追ってお知らせしますが、是非予定を空けておいてください。今回も皆様に満足していただけるものになると確信しています。 期日 平成25年2月16日(土) 時間 第1部 午前10時〜正午 第2部 午後1時〜午後4時 場所 東京ビックサイト 内容 第1部 愛される学校づくり研究会より提案 第2部前半 授業名人に再び!模擬授業(ICT活用)で挑戦その1(仮称) 有田和正 vs 佐藤正寿(ICT活用) 同テーマで有田先生、佐藤先生が模擬授業を行います。 第2部後半 パネルディスカッション コーディネータ 堀田龍也 パネラー 有田和正、佐藤正寿、副島孝、大西貞憲 愛される学校づくり研究会に参加
先週末は愛される学校づくり研究会に参加しました。今年度第1回ということで、新しい会員も増えて盛会でした。
来年度のフォーラムの概要も決定し、皆様にお知らせできるようになりました。この件に関しては別記事でお知らせします。 メインのテーマは「4月の学校づくり」ということで、今年度異動で新しい学校に赴任された校長のこの1月の学校経営についての報告をきっかけに話が広がっていきました。 お話をうかがっていて、どの校長も学校HP(ホームページ)をコミュニケーションツールとしてうまく活かしていることがよくわかりました。 新しい校長が赴任して学校が変わろうとしていると保護者が一番に感じるのが、学校HPのリニューアルです。年度変わりのこの時期、保護者や地域の方が学校HPにアクセスする機会が増えます。このときにHPがリニューアルされ、新しい発信があり、記事のカテゴリーが変化したり増えたりしていると、新校長の学校経営の姿勢が強く印象付けられます。どの校長もそのことを意識して、素早くリニューアルしていました。 学校HPのシステムは更新が簡単にできるものが普及してきましたが、全体のリニューアルが学校で簡単にできるということも大切な要素だと強く感じました。何日もかかったり、業者にお願いしなければならなかったりするようでは大切な時期を逃してしまいます。今回の新校長の動きは、簡単にリニューアルできるシステムの普及と無縁ではないと思いました。 HPの学校経営への活かし方という視点でみると、とりあえず学校で起こっていることを毎日記事にして発信するというものから、ずいぶん進化してきていると感じました。HPでの発信が、保護者や地域だけでなく、教員や児童生徒も意識した戦略的なものになってきているのです。 そのことを少し説明しましょう。 ・校長が目指す学校の姿を切り取ったものになっている。 たとえば子どもたちが落ち着いて学び合っている学校を目指すのであれば、子どもたちが柔らかい表情で友だちの考えを聞いている姿を写真に撮る。そして、その場面のどこが素晴らしいかを具体的に解説します。 これは、保護者や地域の方に学校のよい姿を伝えて安心してもらうだけでなく、教師にとっても強いメッセージとなります。今学校で目指しているものは、こういう姿となって表れると伝えることで、個々の教師の授業での目標が明確になります。記事に取り上げられた教師には励みになります。こういう記事が積み重なっていくことで目指す姿に近づいていくのです。 そうはいってもなかなかそういう場面に出会えないとおっしゃる方があるかもしれません。たとえ一瞬でもそのような状態があればその瞬間を切り取ることで伝えることができます。いいとこを見つける視点で校内をまわることがとても大切です。 ・子どもに提示した行動目標が達成できている場面を記事にしている。 4月の式等で、子どもたちに行動目標を提示している校長は多いと思います。たとえば「凡事徹底」という目標を提示したとします。校長が何度も話をすればその言葉と意味はわかるかもしれません。しかし、それが具体的にどのような行動かを伝えるのはなかなか簡単ではありません。それをHP利用しておこなうのです。お昼休みにトイレのスリッパがきちんと整頓されていればそれを「凡事徹底」というカテゴリーの記事にする。学級全員が名札を忘れずにつけていれば、そのことを記事にする。その上で、職員に「今日はこのようなことを記事にしました。子どもたちをほめてください」と伝えるのです。こうすることで職員も「凡事徹底」を意識しますし、子どもたちをほめることで教師と子どもの人間関係をよくするきっかけになります。こういうことを積み重ねることで、子どもたちもどのような行動をすればよいのかわかってきます。もちろん、地域や保護者の方にも子どもたちのよさを伝えることができます。学校を見る目がポジティブに変わり、教師や子どもが自信を持つようにもなっていきます。 今年度このような戦略的なHPが私の周りで増えたのは、間違いなくこの研究会が影響しています。今回よくわかったことは、皆さんが互いの学校HPを見合ってしっかり研究していることです。研究会の場だけでなく、日ごろから互いの学校経営を学び合っているのです。そのことが、学校HPにも強く表れたのです。今回も多くのことを学べた研究会でした。皆さんに感謝です。 若者から教えられる
昨日、仕事を手伝っていだくことになったアルバイトの学生さんと打合せをおこないました。今年大学に進学されたばかりの方で、大学受験のことについて少し雑談をしました。
非常に優秀な方ですが、ほんのわずかな差で第1希望の大学は不合格でした。その話を聞いて私は来年もう一度挑戦すればいいのにと思ったのですが、話を聞いてなるほどと納得しました。そして同時にとても感心したのです。 彼は、「浪人してもすることがないように勉強した」のだそうです。あとから、あれをやっておけばよかったと後悔することがないように、できることとはすべてやったのです。その上での結果なので、悔いはないというのです。とてもすがすがしい気持ちになりました。どれだけの人がこのようなことを言えるのでしょうか。 私が教員時代に同僚が受験勉強について生徒を叱咤する次のような言葉を思い出しました。私が大嫌いな考え方です。 「自分はもう少し勉強していればもっといい大学に入れていた。後悔している。だから、君たちは後悔しないようにもっと勉強しなさい」 彼らは、世間的にはよいといわれる大学を卒業しています。その彼らがもっといいという学校は、本当にもう少し勉強していればいけたのでしょうか。「もう少し勉強してれば」などという言葉は自分の能力や才能という問題から目をそむけた、自分に都合のいい言い訳です。努力できるのも立派な才能です。「もう少し勉強できなかった」のは、それだけのものだったのです。また、勉強時間に比例して伸びるというのはあるレベルまでです。才能の問題だけではなく、勉強の仕方の工夫など多くの壁があります。そのことを考えさせずに、ただ勉強しろというのは、誰にでも言える無責任なアドバイスなのです。 それと比べて彼の言葉の何と立派なことか。また、彼は「もし浪人するなら、勉強のやり方そのものを変えなければいけない」とも言っていました。やりきってダメだったのだからやり方を変えなければいけないと冷静に自分の学習を分析しています。やりきったからこそ言える言葉でもあります。 私自身、彼のようにやりきったと言えるだけのことをしてきたのかと聞かれると、とても自信を持って答えられそうもありません。まだ若い彼から大切なことを教えられた気分です。 これからしばらく仕事でかかわれることをとてもうれしく思います。若い彼からたくさんのことを学べそうな予感があります。彼との出会いに感謝です。反対に私が彼に何か少しでも与えることができればよいのですが・・・。 |
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