美術で大切にしたい問いかけ
美術で作品をつくるとき、個性を大切にします。しかし、好き勝手に作業をしてもよい作品とはなりません。どのように指導すればいいのでしょうか。
まずは、作品をつくるときに、参考となるものを必ず準備することです。過去の先輩の作品はとても参考になります。どのようなものをつくるかイメージすることはとても大切です。問題はただ漫然と見ても、実際の作品作りにはなかなか活かされないということです。 「この作品を見てどんな印象をもった」「どんな感じがする」と感覚的に答えさせたうえで、「どこが好き」「どこで、そのように感じたのだろうか」「どんな工夫をしているのだろう」と深めていきます。大切なのは具体的にどのような工夫がされているか、その工夫に気づき、自分のものとして利用することです。このとき、「ていねいに色を塗る」といった言葉に対して「どうすればいいの」と問いかけて「先に、下絵の輪郭にそってきちんと縁を塗り、それから中を塗る」と具体的にする。「明るい色で塗る」であれば、「明るい色ってどんな色、どうすれば作れる」というように問い返してより明確にしていくことが必要です。誰でも実現できるレベルまで工夫を具体化するのです。 作品つくりにとりかかる前に、どんな工夫をするかあらかじめ書かせることも大切です。完成後に互いに作品を見あう時にもどんな工夫をしたか伝えたり、作品から見つけたりすることも技術を身につけるために必要なことです。 また、作品つくりの段階ごと一旦作業を止めることも大切です。たとえば下絵を描き終わったら続けて色塗りに入るのではなく、一旦止めて、参考となる作品をじっくり見させます。これから色を塗ろうとするときだからこそ、塗り方の工夫をしっかり見つけようとしますし、集中力もアップします。 作品つくりを感覚的にとらえずに、技術や工夫を具体的なものとして意識し共有化することを大切にしてほしいと思います。 送辞・答辞の指導
先週末は2つの中学校で、送辞・答辞の指導をおこなってきました。プロのアナウンサーの方に来ていただいての読み方の指導です。
最初の中学校は、もう何年もアナウンサーの方に指導をお願いしている学校です。毎年担当の先生だけでなく、国語科の先生方がたくさん参加しています。その積み重ねのおかげでしょう、私たちが指導する時点ですでにかなりのレベルに達しています。 送辞・答辞の内容は伝えたいものがはっきりしている、とてもよいものでした。ただ、心配になったのは、答辞の内容が昨年の東日本大震災のことから始まっており、本来一番伝えたい自分たちの3年間と同じくらいの思いがあふれている事でした。下手をすれば竜頭蛇尾になってしまいます。どうなるかと思いながら聞きました。思いを込めて読んでいきます。特に思い入れのある単語を強調して読むのですが、思いが多すぎて全文同じように力が入った読みになってしまい、聞いている方は疲れてしまいます。 本当に伝えたいところを確認した上で、最初の東日本大震災に関するくだりは、できるだけ感情を押さえて読むように話しました。東日本大震災については、だれしもが感じることがあります。あえて強く訴えなくても、淡々と読むことで一人ひとりの心に中に思いが生まれてくるはずです。こんなことも説明しました。 単語を強く読む以外にも、少し読む速さに変化をつける、文全体を強く読むなどの工夫をするとよいことも伝えました。 どのくらい、変わるかアドバイスをした私たちも半信半疑でしたが、もう全く別物と言ってよいほど素晴らしいものに変わりました。感情を押さえた読み方は、かえって聞く者の胸に響きます。微妙に速さや間を調節し、強く読まなくても強調したいことがよくわかります。男の子らしい、骨太の答辞になりました。 最初は緊張していたのか、送辞の女子は滑舌がよくなく聞きとりにくいところもありました。アナウンサーの方が口の開き方を丁寧に指導します。表情が硬いことも気になったので、笑顔を意識するように話しました。2回目は少しリラックスしたこともあり、本人の人柄が感じられるような読み方に変わってきました。 3回目は、体育館に移動してマイクを使っての練習です。答辞は、押さえた中に強い思いがこもる素晴らしいもので、BGMがじゃまになるくらいでした。 送辞は、原稿を手前に持っていたため、視線を移動すると口の位置が変わってしまい、声が急に大きくなったり、小さくなったりしました。原稿の持ち方を指導することで、とても聞きやすいものに変わりました。 2人ともたった3回の練習で見違えるほどの進歩を見せてくれました。それまでに基本となることをしっかりと押さえていたからでしょう。また、答辞の担当の先生は、読み方で気になることがあっても、私たちの指導があるので、あえて何も言わずにいたということです。複数の人間の指導で混乱しないようにという配慮です。このおかげで、私たちの指導を素直に受け止められたことが、わずかな時間で進歩した理由だと思います。子どもたちのもつポテンシャルの高さと先生方の日ごろの指導が、素晴らしい送辞・答辞につながったのだと思います。 2つ目の学校は、このような形での指導は初めてでした。1つ目の学校と違って、個人的なエピソードが内容の多くを占めています。情緒的な文章だと言ってもよいでしょう。このような文章では読み方が難しくなります。どうしても、個人的なエピソードに感情が入ってしまい、本当に伝えるべきメッセージが弱くなってしまうのです。 また、体言止めが多いことも気になりました。詩などではよく使う技法ですが、読むのはとても難しくなります。特に強調したいところでもないのに使うと、意味なく強調されてしまうので、読みにくいのです。とはいえ、文章をいじっている時間はありません。まずは読みながら対応を考えることにしました。 送辞の男子は、ゆっくり読むことに意識がいってしまい、抑揚のないものになっていました。まずは、自分のふだんの姿をだすように、いつものように読むことを指導しました。2回目はリズムや間が出てきて、とてめ聞きやすいものになりました。問題は伝えたいところはどこかです。一つひとつのエピソードの中で本来言いたいことと直接関係ない説明的な文が入っているため、スーと盛り上げていきたいのに、余計なところで回り道をすることになり、うまくテンションが続きません。しりすぼみになってしまいます。思い切って余分なところをカットすることをお願いしました。 答辞の女子は、感情をこめて読むのですが、感情ばかりが表に出てきて、代表として伝えるべきメッセージがはっきりしません。うまく読もうとして、本来の彼女の姿が見えません。普通に話しているときと声の感じも違います。運動部で元気に声を出している彼女とは別人が読み上げているのです。「泣きそうな」といった言葉に引きずられ、前へ進んでいくというメッセージより過去を懐かしんでいるという感傷的なものに聞こえてしまうのです。感情を込めるのではなく、伝えたいことを伝えるということを意識して読むように指導しました。 体育館でマイクを使っての練習では、ずいぶんよくなってきました。 送辞は、文をカットしてもらったこともあり、かなり自然に伝えたい文を強調できるようになってきました。ずいぶん進歩しました。 答辞は、マイクとの位置を調節して、大きな声で読むようにしたところずいぶん力強いものに変わってきました。アナウンサーの方に姿勢や原稿の持ち方も指導していただいた結果、よそいきの読み方ではなく、本来の彼女のよさが伝わるものに変わってきました。このことを意識して練習をすればきっと素晴らしいものになると思いました。 ある意味対称的な2つの学校の答辞・送辞でした。今回はそれぞれの学校で指導をしましたが、来年は合同でおこなうことになりそうです。子どもも教師も互いに見合うことでより多くのことを学び合えるからです。 アナウンサーの方はプロですから、上手な読み方の見本を見せることはたやすいことです。でも、彼女は決してそのようなことはしません。大切なことは、一人ひとりの個性、よさを出すことだからです。そのためのアドバイスに徹しているのです。彼女の指導のおかげで、毎年、その子だからこそできる答辞・送辞になっています。今年も4人が誰とも似ていない自分のものを見せてくれるようになりました。育てるということはどういうことかを、また教えていただきました。 子どもたち、先生方、アナウンサーの方、皆さんから多くのことを学ぶことができた1日でした。ありがとうございます。 体育で大切にしたい問いかけ
体育のような実技教科では他の教科では活躍できなかった子どもが活躍できるチャンスです。「見本を見せて」「コツを教えて」といったことで、指名されることも多いと思います。一方、できるできないがはっきりするため、苦手な子は活躍するチャンスが少なくなり、自己有用感を持ちにくくなります。もちろん悪い見本にするわけにもいきません。
そこで、大切にしたいのは、できない子どもができるようになった過程です。 たとえば跳び箱を互いにアドバイスしながら跳べるようにする場面であれば、跳べるようになった子どもに、「だれのアドバイスが役に立った」「どんなアドバイスで跳べるようになった」と聞くのです。こうすることで、他のできない子どもとコツを共有化できますし、アドバイスした子もほめることで自己有用感を与えることができます。 もちろん、自力でできるようになった子どもに、そのコツを聞くこともよいことです。 授業の途中や最後に、 「できるようになった人手を挙げて? たくさんいるね」 「○○さん、どんなことに気をつけたらできるようになった」 「・・・」 「同じようなことを気をつけた人いる。△△さん」 「・・・」 「なるほど、・・・に気をつけるとよさそうだね。よいヒントがもらえたね。他にもこんなコツもあるという人いるかな」 ・・・ このような問いかけをすることで、あまり得意でない子どもも活躍できますし、できる子もコツや工夫を伝えることを意識するようになります。できるようになった過程を問いかけながら、できる子どもを増やし、その子にまた問いかける。全員ができるようになれば、全員が活躍できます。過程を意識した問いかけを大切にしてください。 簡単な指導案から多くのことを学ぶ
幾何ツールを利用した授業の指導案がメーリングリストで流れました。指導案といっても課題と子どもとの簡単なやり取りを想定しただけの2時間分で2枚のものですが、とても興味を引きました。
三角形の内部に3点をとり、その3点を結んだ三角形の3辺の長さの和が最小となる三角形を求める2時間完了の問題です。 授業の流れは、1点を固定して考える。次のその1点を動かして求める三角形を見つけるというものです。 最初に、「幾何ツールを使わずにわかるかな」と問いかける場面があります。ここがとてもいい。いきなり幾何ツールを使うのではなく、図を描いてみたり、ちょっと考えたりすることで自分の中の疑問、何がわかると糸口が見つかりそうといった視点が明確になります。そこで、幾何ツールを使うことで漫然と点を動かすのではなく、意図を持った活動に変わります。 指導案には、子どもたちがどんなようすになるだろうか。どんなつぶやきが出るだろうか。そんな思いが書かれています。 生徒 何となく対称図形を利用しようとすると思うが、四苦八苦するはず。 この時、どんな話し合いを班でするかが楽しみ。 生徒 AI、AJを結んでみたよ 教師 なんで? 生徒 図形の性質を説明するためには、今まで学習した図形を図の中に見つけ出して使うとよかったから。 (3年生のこの時期にこんなこと言ってくれたら、泣けてくる) グループ活動に返す 生徒 いっつも二等辺三角形だけど、相似だよ。 生徒 AE=AIじゃない 生徒 あ!!! (なんて話し合いがあったりしたら 3人寄れば文殊の知恵! iPadで図が動くからの気づきがつながっていけばおもしろい!) 課題のおもしろさにひかれて、私も取り組んでみました。 あえて幾何ツールを使わずにやってみます。当然解は見つかるのですが、別のことが気になりだします。私の考えは正しいと思うのですが、すぐに証明が見えません。フリーハンドの作図では、このことが正しいか今一つ自信が持てません。そこで、私も幾何ツールを利用しました。実際にいろいろと図を動かして自分の考えを確かめることで、思考が深まります。幾何ツールだけで証明が完了するわけではありませんが、具体と抽象を行き来することで思考は深まるはずです。幾何ツールというICTのよさと可能性をあらためて実感しました。 ICTを思考のツールとするためにはどのような課題を設定し、どのような活動を子どもたちにさせるのか。子どもたちの思考と幾何ツールをつなぐ言葉をどうかけるのか。こういったことをしっかり考える必要があります。教材研究だけでなく子どもとのかかわり方などの授業技術の裏付けも大切です。 その点、指導案はとてもシンプルですが、子どもたちにどうなってほしいかという教師の思いが明確です。細かいことは書いていません。方向性だけが示されています。それは、実際の子どもたちのようすによって、自在に対応しようという意志の表れだと感じました。その裏には、実際には使われないかもしれないたくさんの手立てや切り返しの言葉が準備されていることと思います。子どもたちがどのような活動や思考をするかはわかりませんが、きっとそのことを活かした授業になると思います。 授業者とは何年もお付き合いがありますが、この数年の進歩は素晴らしいものがあります。簡単な指導案だからこそ、そのことがよくわかります。授業者が目指すもの、子どもに対する思い。ふだんの授業までが見えてくるものでした。シンプルだからこそ伝わるものがあるのです。久々に指導案から勉強させていただきました。 |
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